万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ゴーン前日産会長の報酬は低い?-役員報酬日本異質論への疑問

2018-12-01 15:10:35 | 国際経済
本日の日経新聞朝刊の一面には、日産のゴーン前会長の逮捕事件に関連し、事件の背景として日本企業の役員報酬が諸外国と比較して低い現状を指摘する記事が掲載されておりました。‘日産からの報酬額は低すぎる!’とするゴーン容疑者の不満が、同氏をして不正行為に走らせた心理的要因と言うことになります。しかしながら、この説明、幾つかの点で疑問があるように思えます。

 第1に、同記事では、役員報酬のみに注目し、国際人材獲得競争において日本企業が劣位になると説明しております。しかしながら、企業収益とは、基本的には、社員(非正規雇用も含めて…)、経営陣、株主の3者において分けられますので、仮に、役員報酬を増額しますと、ゼロ・サム関係にある他の二者に対する配分を減らす必要があります。人材獲得競争の面からすれば、社員報酬を減らせば優秀な社員が集まらなくなり、企業全体としての競争力が低下する恐れがあります(全ての企業が役員報酬の比率を高めれば、同時に消費マインドも冷え込み不況に…)。となりますと、減額対象は株主配当となるのですが、今度は、株価が下落する別のリスクが発生します(もっとも、企業収益への貢献度からすれば、社員>株主では…)。そこで、最後の手段となるのは報酬ではなく経営にかかる費用の節減なのですが、役員報酬の増額を目的とした人員削減では現場が悲鳴を上げますし、現状でも低レベルにある研究・開発費を削れば成長の芽を摘み、製品やサービスの国際競争力は低下することでしょう。日本企業が役員報酬を上げた結果国際競争力が低下し、プラスよりもマイナス面が上回るようでは本末転倒となります。

 第2に挙げられるのは、ゴーン容疑者自身が報酬の不正隠蔽の動機として説明したように、巨額の役員報酬は社員の士気を下げるマイナス効果がある点です。今でこそGAFAといった情報通信分野での新興米企業がプラットフォーマーとして全世界においてトップランナーの地位にありますが、巨額報酬の慣行は、必ずしも米企業全体の業績アップに貢献してきたわけではありません。逆に、米企業の競争力の低下要因として、経営陣の巨額報酬が指摘されるケースもあるのです。日産の救世主として登場した仏ルノーをみましても、その収益の半分は日産に依存しているのですから、巨額の役員=企業業績の等式には疑問があります(巨額の役員報酬は仏ルノーにとってはプラスですが、日産にとっては利益が吸い取られてしまう要因に…)。否、役員報酬が低い会社ほど社員の士気が高くなり、企業業績にはプラスの作用する可能性もあるのです。

 第3に疑問となるのは、役員報酬に関する日本企業に対する批判は、海外企業との比較によるものであり、その大前提に、海外から優秀な外国人人材を呼び込むという発想がある点です(日本人には経営の才能がない?)。しかしながら、ゴーン元会長の行動が示すように、外国人の企業トップはグローバル戦略で経営判断を行いますので、日本企業を‘捨て石’、あるいは、‘踏み台’にする戦略をも躊躇なく選択することでしょう。グローバリストの立ち位置にある外国人トップは、日本人社員のみならず、日本国や日本国民に対しても何らの責任意識もありませんので、如何なる非情な決断をも下せるのです。乃ち、今後、日本企業の多くが率先して外国人をCEO等の幹部として招くとすれば、日産と同様の事態が多数生じるものと予測されるのです。因みに、現在、参議院では入国管理法改正案が審議されておりますが、単純労働者も外国人、経営者も外国人という企業が日本国内で増加し、さらには、対日投資という名の外国企業による買収件数も増えれば、日本経済はその枠組みを失いやがて融解してゆくことでしょう(民間企業や外国が入り混じった共同植民地化?)。

 そして、第4点として挙げられるのは、多様性を尊重すればこそ、企業文化も国ごとに個性があり、違いがあっても良いのではないか、という点です。日本国の協力や調和を重んじる企業文化は、幸せの共有を是とする‘一億総中流’を実現してきました。競争が激化したグローバル化の時代にあって、‘一億総中流’は古びた考え方とされておりますが、国民の皆が一定の生活レベルを確保できたのですから、人類史上稀にみる偉業であったとする評価もあり得るはずです。無理をしてまで画一化されたグローバル・スタンダードに合わすことなく、多様な企業文化の一つとして日本型モデルを維持することこそ、長期的に見れば人類の発展に寄与することになるかもしれません。企業文化や企業モデルについては、結論を急ぐ必要はないように思えるのです。

 役員報酬の問題は、企業収益の適正な配分はどのようにあるべきか、といった問題に留まらず、企業文化の多様性に如何に対応すべきか、あるいは、人は何のために働くのか、さらには、経済の存在意義といった根本的な問いをも含んでおります。ゴーン日産前会長の逮捕事件は、行き過ぎたグローバリズムの問題点を洗い出すチャンスとすべきではないかと思うのです。

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シェアリング・エコノミーの盲点-危うい近未来ヴィジョン

2018-10-19 14:20:20 | 国際経済
近年、経済システムの近未来ビジョンとしてとして、シェアリング・エコノミーが提唱されるようになりました。‘所有から利用’への発想の転換が同システムの最大の特徴なのでしょうが、このヴィジョンには、幾つかの盲点が潜んでいるように思えます。

 例えば、シェアリング・エコノミーのモデルとしてしばしば取り上げられているのが、ウーバー社に始まるライド・シェアビジネスの成功例です。報道によりますと、現在、世界70カ国の450都市 以上で事業を展開している同社が新規株式公開すれば、10兆円を超える企業価値として評価されるそうですので、同社に対する期待感は膨らむ一方のようです。その一方で、中国の同業者である滴滴出行の殺人事件も然ることながら、このビジネス・モデルを具に観察しますと、その限界も見えてくるように思えるのです。

 配車アプリのビジネスとは、一般の自動車所有者が配車アプリサービス事業者に登録をする一方で、一般の利用者は、同社の配車アプリを自らのスマートフォンにインストールしさえすれば、何処にいても、スマートフォンの画面操作で同社に申し込むことで、配車サービスを受けることができます。申込者の目の前に、条件が最も適した登録済みの自動車が現れて、利用者を目的地まで乗せていってくれるのです。「白タク」と揶揄される理由も、交通サービスを提供する自動車がタクシー会社に属するものでも、個人事業者のものでもなく、一般の自家用車であるという点にあるのですが、タクシーを拾う手間や時間が省けますし料金も手ごろですので、急速に利用者を増やすこととなったのです。そして、事業者への登録一般自動車の数が多ければ多い程に同事業の利便性が向上し、ますます普及に弾みが付くのです。

 しかしながら、経済システム全体において、‘所有から利用へ’をモットーとするシェアリング・エコノミーへの方向性が強まるにつれ、このビジネスは、越えがたい壁にぶつかるかもしれません。何故ならば、‘自動車とは、個人が所有するものではなく、複数の人々との間でシェアするものである’とする考え方を多くの人々が共通認識として抱くようになれば、自家用車を持とうとするインセンティヴが急速に低下するからです(実際にこの動きは、個人間カーシェアリングとして始まっている…)。当然に、配車アプリサービス事業者に登録する車数も、自家用車数の減少に連動して減ることでしょう。創業者がこの点に気が付いていたか否かは別としても、多くの人々が自動車を所有している状況があってこそ配車アプリサービスも成り立つのであり、イメージとは真逆に、同サービスは‘所有エコノミー’の申し子なのです。

 シェアリング・エコノミーの問題は、配車アプリサービスに留まらず、民泊などでもそれ固有の問題を引き起こしています。もしかしますと、こうした新ビジネスは、国民の大半が自家用車を所有することが困難な中国といった人口大国、あるいは、中間層が崩壊危機に瀕している先進国諸国をも念頭に置いているのかもしれません。考えても見ますと、発想としては、私的所有に対して否定的な社会・共産主義に類似する側面もあります。シェアリング・エコノミーの時代が実際に到来するのかは疑問なところであり、実現を目の前にして、初めてそれが経済の停滞や縮小を意味することに気付く、といった展開もあり得るのではないかと思うのです。
 
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日米の自己矛盾が交差する為替条項問題

2018-10-16 14:09:08 | 国際経済
 先日、ムニューシン米財務長官の発言が、アメリカとの間で新たな通商協定の締結に向けて交渉を開始した日本国において強い関心が寄せられることとなりました。その発言とは、「われわれの目的は為替問題だ。今後の通商協定にはそれらを盛り込みたい。どの国ともだ。日本だけを対象にしているわけではない」というものです。

 同発言に日本国側が浮足立ったのは、自国通貨安への誘導を目的とした政府による為替相場における市場介入の禁止、即ち、自国の対外通貨政策の権限の放棄を意味するに留まらず、実質的に為替相場誘導効果のある金融政策にまで制約を課せられることを怖れたからと説明されています。アメリカからの為替操作国認定を回避するために、既に日本国政府は市場介入を手控えていますので、後者に対する懸念の方がより強いのでしょう。とはいうものの、この日米の構図、深く考えて見ますと、両国による自己矛盾合戦の様相を呈しているように思えます。

 まず、為替条項を通商相手国に要求しているアメリカ側の自己矛盾を見てみましょう。トランプ政権の基本的なスタンスは、自由放任的な自由貿易主義やグローバリズムに対する懐疑と否定にあり、国境における政府の政策的介入を認めています。現行の通商体制では、巨額の貿易赤字のみならず、アメリカ国民の雇用機会の喪失といったマイナス影響を受けるため、関税率の引き上げを中心とした防御的政策に訴えるようになりました。防御面とはいえ、国家の戦略的政策手段の行使を認めるスタンスからすれば、他国に対しても、国境における国家の対外的権限の‘自由’は認められるべきこととなります。乃ち、日本国を含む通商相手国に対して為替政策を禁じ手とすることは、同分野における政府による戦略的権限行使を是とするアメリカにとりましては自己矛盾となるのです。

 それでは、為替条項に反対している日本国側には、どのような自己矛盾があるのでしょうか。日本側の自己矛盾とは、アメリカのそれとは表裏の関係となります。日本国側の基本的なスタンスとは自由貿易主義の堅持であり、この立場に立脚する限り、外国為替市場への介入を含むあらゆる政府介入は否定されるべきこととなります。自由貿易主義とは、国境を越えた民間の自由な交易や取引に任せれば、国際競争力において劣位にある産業は相互に淘汰されるものの、予定調和的に相互利益が生じるとする説です。この立場を貫けば、政府が輸出拡大を目的に戦略的に自国通貨の相場を誘導する外国為替市場における市場介入も禁じ手となります。手段にこそ違いはあれ、輸出国の対外通貨戦略は、防御面として理解されるアメリカの関税戦略とは逆の攻撃的戦略なのです。副次的効果としての為替相場への影響を与える金融政策については、その主たる政策目的によって判断されるのでしょう(日銀の量的緩和政策の主たる目的は国内のデフレ対策にあるため、その判断は微妙…)。かくして、自由貿易主義を唱える日本国もまた、戦略的な政府介入を擁護している点において自己矛盾を来しているのです。

 以上に述べてきたように、為替条項をめぐる日米の応酬は、双方の自己矛盾が交差する奇妙な構図として描くことができます。本音と建前との巧妙な使い分けと見なすこともできましょうが、通商交渉を徒に混乱させる要因となることも否めません。そして、こうした問題は、日米の二国間に限定されているわけでもないのです。将来に向けてより内外経済の整合性が高く、安定した通商体制を構築してゆく上でも、まずは、国内経済を護るための保護主義、並びに、全人類の生活レベルの向上に資する可能性を有する自由貿易主義の両者に対し、共に正当なる立場を認めてゆくべきなのではないかと思うのです。

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古色だったビットコインの発想-‘ビット紙幣’はあり得る?

2018-10-11 15:04:38 | 国際経済
ビットコインと言えば、金融工学の最先端から誕生した新時代の通貨というイメージが先行しています。このため、‘新しもの好き’の人々が飛びつき、値上がりを期待した投機の対象となっているのですが、この現代のコイン、案外、その発想は旧式なのではないかと思うのです。

 何故、ビットコインが古色であるのかと申しますと、第一に、そのモデルは、紙幣の誕生以前にあって希少金属から鋳造された硬貨にあるからです。ビットコインの獲得には、大量の電力消費を伴う‘マイニング’に成功する必要があります。言い換えますと、この‘マイニング’こそ、金や銀といった希少金属の採掘を意味しており、‘マイニング’に従事している人々は、古来の採掘事業者と変わりはないのです。違っている点があるとすれば、前者の事業者は、難題を解くためのITの専門知識と電力コストを負担し得る資金力を備える必要がありますが、後者は、世界各地で起きてきたゴールドラッシュに見られたように、鶴嘴を持参すれば身一つでも誰もが参加することができる点等です(ただし、個人が採掘した金塊は硬貨鋳造事業者や政府に売却する必要があった…)。

 第二の理由は、その有限性にあります。しばしば、ビットコインのプラス面として、ビットコインの初期設定において発行高が予め決められており、通貨価値の下落リスクがないとする説明が為されています。今日、凡そ全ての諸国や地域が採用している管理通貨制度にあっては通貨発行の量的枠が存在しないためにインフレを起こし易く、インフレリスクにおいてビットコインは遥かに安定的な資産であるとされているのです。しかしながら、ビットコインの有限性は、プラス面であると同時にマイナス面でもあります。何故ならば、インフレは起きなくとも、発行高が設定された上限に達すれば、深刻なデフレ=通貨不足が発生する可能性が極めて高いからです(もっとも、実際にビットコインが決済通貨として一般に流通しなければ、この問題は発生しない…)。この有限性に基づくマイナス面は、金や銀といった硬貨との共通点でもあります。

 以上に主要な二つの旧来の硬貨との共通点を挙げて見ましたが、これらの諸点は、ビットコインの限界をも示しています。中世にあって、ヨーロッパは、東方貿易における赤字により金銀の流出に直面しており、貨幣不足が経済の停滞を引き起こしていました。この難局を打破したのが紙幣の発明であり、確実なる支払いが約束されている信用性の高い手形、金匠の預り手形、並びに、金兌換の保障の下で金融機関が発行した銀行券等が紙幣として流通し、市中の貨幣不足を補ったのです。紙幣の登場は、必ずしも希少金属資源に恵まれていたわけではなかったヨーロッパの急速な経済な発展を支えることとなりますが、それでは、ビットコインを準備とした紙幣発行はあり得るのでしょうか。

 金や銀といった希少金属は、実体を有する‘もの’であり、それ自体が使用、並びに所有価値を有します。それ故に、金本位制や銀本位制も成り立つのですが、ビットコインには、こうした通貨としての価値を支える多重的な裏付けがありません。そもそも、ビットコインには発行元となる中央銀行も存在せず(もっとも、中央銀行が発行するのは公定通貨としての銀行券であり、硬貨を発行する権限は政府にある…)、一定のビットコインと交換価値を持つ‘ビットビル’や‘ビットノート’といった‘ビット紙幣’を発行することはできないはずです。あるいは、民間金融機関が自らが保有するビットコインを準備として独自に各種紙幣を発行するという方法もあるのでしょうが、‘無’から生じたビットコインには価値の裏付けがないに等しいため(各国が発行する信用通貨の価値を支える総合的な国力とは違い、‘マイニング’という私的で個人的な労力は信用価値を生まない…)、これを元にした‘ビット紙幣’が広く一般に決済通貨として流通するとも思えませんし、単一通貨でもありませんので両替のコストもかかります。

このように考えますと、ビットコインは、金貨や銀貨よりも紙幣創造力において劣っており、ビットコインの限界を越えるためのビット紙幣の登場は、夢のまた夢なのかもしれません。ビットコインから生まれたフィンテックについては、金融テクノロジーの一つとして将来的に活用されることはありましょうが、少なくともビットコインについては、リスク回避のためにも、政府であれ、個人であれ、その限界を知ることは重要なのではないかと思うのです。

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何故‘投機’が悪いのか?-バブル防止のために考えるべきこと

2018-09-04 13:29:43 | 国際経済
17世紀オランダのチューリップ投機を始め、近代以降、人類は、幾度となくバブルの発生とその崩壊に見舞われてきました。1929年にニューヨーク株式市場の株価下落に端を発し、連鎖的に全世界を呑みこんだ大恐慌は第二次世界大戦の誘因ともされており、バブルの恐ろしさを余すところなく伝えております。

 近年でも、2008年にはリーマン・ショックが世界経済を襲いましたが、バブルの最大の要因は、人々の‘投機’行為にあります。‘投機’とは、モノであれ、不動産であれ、株式や債権であれ、使用や保有を目的とするのではなく、将来的な値上がりを見込んで何かを買う行為であり、購買時よりも価格が上昇した時点で売れば、労せずして利益を得ることができます。人とはそもそも‘欲’をもつ生物ですし、元手さえあれば誰でも簡単にできます。かくして金銭欲に駆られた人々は、特定の市場での価格上昇傾向を目にすると、集団心理も働いて我先にと‘投機’に走るのです。しかしながら、実体経済や適正価格から離れた価格上昇が永遠に続くはずもなく、これ以上の上昇が見込めなくなった時点で、価格下落を予測した一部の人々が売りに転じます。売りが優勢になると、今度は、損失回避を急ぐ保有者が我先に売りに走るため、相場は買い局面から売り局面へと一気に転じ、バブルが崩壊してしまうのです。しかも、下落局面で底値を待ち受けて買いを仕掛ける‘逆投機’もあるのですから、‘投機’とは人の抗し難い欲望が見え隠れし、何とも罪深いものです。

 近代以降のバブル崩壊がとりわけ悲惨な状況をもたらす理由は、経済の連鎖的メカニズムを通してその被害が、‘投機’行為を実際に行った人々に限定されるのではなく、一般の人々にまで広く深く及ぶところにあります。大恐慌後では、先に触れたように戦争の誘因となるほどの深刻な景気後退と失業問題を各国もたらしており、本人が意図せずとも‘自己責任’の枠を遥かに超える他害性が認められるのです。

 以上にスケッチしたように、‘投機’に伴うバブルの発生とその崩壊は、当事者以外の多数の人々に犠牲を強い、経済自体に破壊的な効果を及ぼすのですが、実のところ、今日に至るまで、それを有効に制御するシステムもなければ、‘投機’に対する評価さえ曖昧のままにされてきたのが現実です(もっとも、アダム・スミスは『富国論』において投機を批判している…)。そこで、まずは、‘投機’が‘悪’と見なされる理由を探求してみると、その利己的他害性に求めることができるのではないかと思うのです。

投資を含め経済とは、他者が必要としているモノやサービス等を相互に提供し、その労力に見合った報酬や対価を得ることにありますので、基本的には利他的行為です。一方、‘投機’において利得を得るのはそれを行った本人のみであり、他者を利するところがありません。利益は自らのみに還元されながら、‘投機’行為の果てにバブルが崩壊する事態に至れば、他者の生命や身体といった基本権、即ち、生存まで脅かしてしまうのです。この側面において、利己主義に留まらない利己的他害性=悪が見て取れるのです。

“投資は良くて投機は悪い”という言い方も、利己的他害性を基準にして考えれば、その評価がよく理解できます。投資には、企業の事業を育てたり、資金面で支援するという意味において利他性がありますが、‘投機’には、利他性が全く欠如しているからです。もっとも、投資であっても詐術的、あるいは、収奪的な高利貸しのみならず、返済能力を超える過剰な貸し付けによる融資先の債務不履行リスクといった問題については、グローバル化の時代にあって金融危機や通貨危機を招きかねない点において、その悪質性は‘投機’と共通しているかもしれません。

しばしば資本主義の欠点の一つとして‘投機’の容認が指摘されておりますが、甚大な被害リスクも含めて‘投機’が悪である理由が広く人々に理解され、皆が共有する一般常識となれば、バブルの制御も容易になることでしょう。リーマン・ショック以降の中央銀行の量的緩和政策により、世界的な‘カネ余り’に起因する金融危機の再発が懸念される今日、賢くこの危機を回避するのは、自己利益を最大化するようプログラミングされたAIではなく、他者を思いやる心を持つ人類の仕事であると思うのです。

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アメリカのWTO脱退は何を意味するのか?-‘中心国必衰’のメカニズムからの脱皮

2018-07-03 15:54:49 | 国際経済
トランプ大統領、WTO脱退計画を否定
自由貿易主義に背を向けてきたアメリカのトランプ大統領は、遂に、WTOからの脱退を示唆したと報じられております。この発言は、即、否定されたとはいえ、仮に同方針が実現すれば、戦後の国際通商システムの大転換となるのですが、その根本的な原因は、自由貿易主義理論に対する過信であったのかもしれません。

 近現代における自由貿易体制には、二つの波があったとされています。その一つは、世界に先駆けて産業革命を成し遂げ、抜きんでた生産力で「世界の工場」と化したイギリスを中心とした自由貿易体制であり、1860年頃にピークを迎えています。この体制は、やがて新興国であったアメリカの挑戦を受けると揺らぎ始めます。世界大のブロック経済化を経て、第二次世界大戦における連合国側の勝利を機にブレトン・ウッズ協定、並びに、GATTが成立すると、アメリカを中心とした自由貿易体制が誕生するのです。何れの自由貿易体制も、牽引役となるイギリス、及び、アメリカといった経済大国が存在しておりました。

 ところが、こうした自由貿易主義の旗振り役の国が永遠にトップの地位に留まることができるのか、というと、イギリスの衰退に象徴されるように、そうではないようです。関税や非関税障壁の撤廃を意味する自由貿易主義には、当然に国際的な自由競争が伴いますので、仮にトップの座を維持できるとすれば、それは、国際競争力における優位性を維持している場合に限られます。しかも、こうした自由貿易の中心国の通貨は、ブレトン・ウッズ体制における固定相場制に典型的に見られたように、貿易決済、海外投資、及び、外貨準備等に用いられる国際基軸通貨としての高い安定性を強く求められます。結果として、自国通貨高=米ドル高となり、自国製品の輸出には不利となるのです(自国通貨高により、「世界の市場」として輸入品は増加する一方で、他の対米輸出諸国は潤う…)。言い換えますと、自由貿易主義体制には、‘盛者必衰の理’の如く、‘中心国必衰’のメカニズムが組み込まれているのです。そして、この傾向は、グローバル化の加速によって、自由貿易が想定してきた財のみならず、サービス、資本、労働力、知的財産、情報等が自由に移動する時代を迎えると、新興国の台頭も手伝って、中心国の衰退に拍車をかけるのです。

かくして、アメリカもまた衰退に見舞われるのですが、自由貿易体制が、中心国の犠牲と寛容の下で維持されてきたとしますと、今般、アメリカがWTOからの脱退を模索しているとしますと、それは、自由貿易体制の中心国としての重荷を降ろす意向を示したことを意味します。と同時に、国際通商体制もまた変容を迫られるのであり、全ての諸国に対して劣位産業、あるいは、国際競争力に劣る分野に対して淘汰という犠牲を強いる現行の体制が望ましいのか、という根本的な問題に直面することとなりましょう。リカードに始まる比較優位説では、非情な淘汰を当然のプロセスとして正当化し、競争上の重要な勝敗の決定要因となる‘規模’の格差問題も看過されていますが、アメリカのWTO離脱問題は、古典的な理論に固執することなく、現実を見据えた新たな国際通商体制を再構築すべき時期の到来を告げているのかもしれません。

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‘グローバル化の波’の呪縛こそ脱すべき固定概念では?

2018-06-30 15:05:42 | 国際経済
 本日の日経新聞朝刊の一面は、日本企業の役員報酬にも‘グローバル化’の波が押し寄せ、「1億円プレーヤー」が500人を越える現状を伝えていました。上位10人の内、5人は外国人ですが、その理由は、グローバル化競争を強いられる企業は、「プロ経営者」と呼ばれる外部人材を登用せざるを得ない状況に追い込まれているためと説明されています。

 役員報酬を高く設定することこそ、恰も当然の既定路線の如くに扱っているのですが、‘グローバル化の波’に呑まれなければならない、というその考え方こそ、実のところ、根拠なき固定概念ではないかと思うのです。何故ならば、役員報酬を高くすればするほど、比例的に高い経営パフォーマンスが実現するとする説は、信憑性が薄いからです。

 日本企業よりも桁違いに役員報酬が高いアメリカ企業を見ましても、必ずしも全ての企業が経営に成功しているわけではなく、むしろ、高すぎる役員報酬が問題視されるに至っています。著しい報酬格差は他の一般社員の労働意欲を削ぎますし、自社に対する帰属意識や愛社精神も低下させます。海外企業の社員は、”職業とは生活に必要となる所得を得るための手段でしかない”と割り切っているのでしょうが、‘働く’ということが、人々の活動時間の大半を占めている以上、個人主義に徹し、役員と一般社員との間に高い垣根を設ける‘グローバル・モデル’というものが、人類にとって必ずしも最適な企業モデルであるとは言えないように思えます。しかも、社員への利益還元が低い状態では、個人消費も伸び悩みますので、経済の連鎖性が働いて企業自身もめぐりめぐってマイナス影響を受けます。

こうしたマイナス点を踏まえますと、日本企業の役員報酬上げは、いわば、周回遅れの失敗策となる可能性も否定はできません。日本モデルでは、終身雇用や正社員主義等に加えて、企業内部における報酬格差の小ささが社員間の連帯性を強め、全社員の目的の共有が各自の意欲を引き出すことで、組織としての強みを発揮してきました。もちろん、‘村社会’と揶揄されてきたように、連帯性や協調性を尊ぶ企業共同体的な日本モデルにも欠点がないわけではありませんが、必ずしも、‘グローバル・モデル’よりも劣っているとは言えないはずです。仮に、日本モデルが’ダメ・モデル’であるならば、今日、経済大国とはなり得なかったでしょうし、むしろ、‘グローバル化の波’に同調し始めてから日本企業は自らの強みを失い、日本経済の衰退も加速化しているようにも見えるのです。

‘グローバル化の波’とは、一見、開放性が強調されるために、より自由な世界へと人々を誘っているかのようですが、その実、他のモデルを追求するのを許さないという硬直した不寛容性があります。グローバル・スタンダードに関連して指摘されるように、画一化された規格や基準が最適ではない場合、一体、どのようにしてより優れたスタンダードに移行するのか、という問題にしばしば直面するのです。自由な競争状態が確保されていれば、より優れた方の採用が拡大したり、新たな参入者の挑戦を受けてスタンダードが変更されることもあり得ますが、一旦、グローバル・スタンダードが確立し、不動の地位を得てしまいますと、そこには自ずと独占問題が発生するのです。

自由を標榜してきたはずのグローバル化が自由を失わせるという深刻な矛盾を直視すれば、日本国は、むしろ、企業モデル間競争を通した経済の伸びやかな発展のためにこそ、日本モデルを維持する、あるいは、欠点を是正しつつ長所を生かして改良し、その良さを世界に向けてアピールしてゆくべきではないかと思うのです。この考え方は、競争メカニズムに照らしても是認されますし、脱するべきは、‘グローバル・モデル’を唯一絶対の企業モデルとみなす硬直した思考なのではないでしょうか。

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“早すぎたグローバリズム”の問題

2018-02-19 16:05:55 | 国際経済
本日の日経新聞朝刊の一面には、“企業のドル債務 膨張”とする見出しで、世界の企業がドル建てでの債務を拡大させているとする記事が掲載されておりました。同記事は、ドル高が進めば新興国に打撃を与えかねないとして警戒を促しています。

 ドル高が債務国に対してダメージを与える主たる理由は、自国通貨で換算すれば債務の返済額が拡大するところにあります。特に、“自転車操業的”で借り換えを行う場合、借入時よりも借り換え用のドル調達に際して相場が上がっていると、それだけで支払額が上昇するため、財政リスクが深刻化するそうです。また、ドル高に加えてFRBが利上げをすれば、金利の全般的な上昇や国内からの資金流出も予測され、ドル債務を抱える諸国は、ドルの動向に神経を尖らせざるを得なくなるのです。

こうした問題は、実のところ、“早すぎたグローバリズム”の問題をも浮き上がらせています。何故ならば、レッセフェール的なグローバリズムを信奉する人々は、関税障壁に留まらず、国境における全ての越境阻害の要因を取り除けば、予定調和的に相互利益が実現すると主張していますが、現実には、国際通貨体制一つを見ても、“グローバル市場”を支えるほどの対応力を備えていません。単一の“グローバル通貨”が存在するわけではなく、事実上の国際基軸通貨である米ドルも、上述したように、常に為替市場における相場の変動やFRBによる金融政策の影響を受けているからです。言い換えますと、グローバリズムが進展し、全ての諸国の経済が海外取引への依存度を高めれば高めるほど、貿易決済であれ、投資であれ、通貨の不安定・変動性に晒されるのです。

仮想通貨が抱える問題を過小評価したIMFの対応を見ましても、現在、国際社会が真剣に国際通貨体制の不備について問題意識を共有しているとは思えません。グローバル化の掛け声ばかりが先行し、その結果として発生する様々な問題については、まさしく、“レッセフェール(成るに任せよ)”であったとしか言いようがないのです。国家間、あるいは、企業間にあって歴然とした経済格差が存在する現状を鑑みれば、適度なグローバリズムと健全な国内経済が調和的に併存し得る経済体制を目指し、これを基礎とした上で安定した国際通貨体制の構築を試みるべきではないかと思うのです。

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価格急騰はビットコインの弔鐘か?

2017-12-06 15:43:03 | 国際経済
今や仮想通貨ビットコインの取引価格は1万ドルを超え、時価総額は20兆円にも上るそうです。2010年から今年までの7年間で、その価格は100万倍に上昇したと言うのですから驚くばかりです。

 ビットコインの価格急騰については、早、バブル論もある一方で、今後も上昇傾向は止まらないとする見方もあるようです。拡大を続けてきたビットコインの勢いが止まる理由は、バブル崩壊のみではないように思えます。

 ビットコインが終焉を迎えるもう一つの理由は、価格の不安定性が通貨の基本機能―支払い手段、価値尺度、価値貯蔵手段―を著しく損なうからです。仮に、7年間で100万倍も通貨価値が変動する通貨を想定して見れば、それが、如何にリスクに満ちた状況であるのか理解できます。通貨価値が下落するインフレについては、第一次世界大戦後のドイツのハイパーインフレーションがよく知られていますが、その1兆倍のインフレ率に比べればケタに違いはあるものの、ビットコインは、他の一般の通貨と比較して超デフレなのです。このことは、ビットコイン表示で‘もの’やサービス等に価格を付けたり、ビットコイン建で投資や融資を行うことが困難となることを示しています。敗戦後のドイツ経済の未曽有の混乱は、ドイツ・マルクの機能不全による経済活動の破綻に依りますが、今日にあって、ビットコインの使用の拡大は、同通貨の価値下落による経済破綻リスクを背負い込むことになりかねないのです。

 価値尺度としての通貨機能が果たせなくなれば、誰もが、決済手段としてもビットコインの使用を避けるようなります。バブルが崩壊すれば、資産としての価値も激減するのですから、価値貯蔵機能も危うくなります。かくして、ビットコインの市中での流通量も減少することになりましょう。通貨価値の不安定性は、中央銀行が存在せず、マネー供給量の調節機構を持たない‘前近代的貨幣’とも言えるビットコインの宿命とも言えます。

 ビットコインの相場上昇には、一般企業による採用拡大など、ビットコインの一般的な流通性に対する期待も一役買っています。そしてこの期待は、期待したが故の自らの投機行為によって消えるかもしれないのです。ビットコインが投機的マネーゲームと化した結果、通貨としての基本機能を失ったのでは、もはやコインとは言えなくなります。ビットコインの相場急騰は華やかに見えながら、その弔鐘となるのかもしれないと思うのです。

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中国企業の日本上陸ラッシュの行方-懸念される二重構造化と中国支配

2017-08-23 14:15:14 | 国際経済
 一昔前の“グローバル化”のイメージとは、全世界が一つの市場に統合され、“無国籍化”した巨大グローバル企業群が自由自在にビジネスを展開する開かれた市場、というものでした。この状態も果たして“理想”と言えるかどうかは疑問なところですが、現実は、このイメージとは違った問題を突き付けております。

 昨今の報道によりますと、最近、中国系企業の日本進出が目立ってきており、8月21日付の日経新聞には、“「紅い経済圏」日本へ”と題して中国企業が続々と日本市場でビジネスを開始する様を伝え、“上陸ラッシュ”と表現しています。スマホ決済の「アリババ集団」、民泊サイトの「途家」、自動車シェアの「摩拜単車」、旅行サイトの「携程旅行網」、通信機器の「華為技術」など、特にアメリカ発のプラットフォーム型の新ビジネスの分野を中心に日本市場への進出が相次いでいるのです。プラットフォーム型の新ビジネスは、“早い者勝ち”の面もあり(最初にネットワークを構築した企業が有利となる…)、商機を掴む中国企業の素早さには驚かされますが、日本国における“グローバル化”の行く末は、日本経済圏に中華経済圏がかぶさってくる二重構造化であるかもしれず、このリスクは、在日中国人や中国人観光客の増加を考慮しますと、上記の“グローバル化”よりも特定の外国による自国の経済支配という面において深刻です。

 グローバル市場の理想像では、特定の国が同市場において支配的な地位を占める状態を想定していません。企業は“無国籍化”されており、国境措置や規制も完全に撤廃されているため、政府の姿も殆ど見えません。ところが、今日、グローバル化の旗手を自認する中国は、この理想とは全く反対に、企業を政府のコントロールの下に置き(定款の変更による企業内共産党組織の設置…)、国境の壁や規制を高めています。グローバリズムを利用して他国の市場は開放させて、自国の企業を海外に進出させる一方で、自国市場については閉鎖性を高めるという手法は、まさに善性悪用戦略の経済版とも言えます(行き過ぎたグローバリズムは善性とは言えないまでも…)。

 このまま、中国企業による日本進出の増加が続けば、今や在日外国人数において最大となった在日中国人、訪日中国人観光客、並びに、帰化した中国系日本人は、中国企業の固定的な顧客となりましょう。日本国内にありながら、中国系の人々は、いわば中国経済圏の中で生きることになるのです。ここに、日本経済と中国経済との二重構造が出現するのですが、さらにその先には、日本経済が中国経済に飲み込まれる可能性も否定はできません。中国系の人々は縁故、即ち、ネポティズムが強いことでも知られていますが、日本企業に就職したこれらの人々は、中国系企業との取引を社内にあって後押しすると共に、華人ネットワークを駆使して中国経済圏の拡大に努めることでしょう。特に、人事権を握られますと、一般の日本人が排斥され、日本国籍の企業とはいえ、社風や経営方針が中国式に一変するかもしれません。東南アジア諸国でも、華人による経済の支配という同様の問題に苦しんでいることに示されますように、共産主義国家のイメージとは違い、本来、中国の人々は商才に長けております。拝金主義的な精神文化はお札を燃やす道教の葬礼の慣習にも見られる通りであり、日本国もまた、中華経済圏に飲み込まれる可能性があると言えるでしょう。

 今日、日本国は、グローバリズムの理想と現実の乖離に直面しております。日本経済が中華経済圏に飲み込まれる未来を、日本国民が望んでいるとは思えないのです。

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ビットコインとモンゴルの政府紙幣-通貨発行益の掌握

2017-08-12 14:58:45 | 国際経済
「ビットコイン・仮想通貨」のニュース
 紙幣については、それが政府紙幣であれ、銀行券であれ、“詐欺”の一種であるとする批判があります。物としては僅かな価値しかない“紙切れ”が印刷された額面の価値を持つのですから、紙幣とは何とも不思議な存在ではあります。

 ところで、政府紙幣についてこの問題点を最初に指摘したのは、『東方見聞録』を残したマルコ・ポーロです。モンゴル帝国は、最初に政府紙幣を発行した国として知られていますが、マルコ・ポーロは、同著においてフビライ・カーンが、如何にして政府紙幣を以って莫大な財産を手にしたのかをかなり詳細に記述しています。

 要約しますと、大汗(フビライ)は、新設した首都カムバルク(大都:現北京)に造幣局を設置し、そこで、大汗の印を押した大小様々な額の紙幣を造ります。大汗の支出は、全てのこの紙幣によって支払われますが、マルコ・ポーロを特に驚かせたのは、それが、大汗が莫大なる財産を手中に収める手段として使われていたことです。何故ならば、一年に数回、“宝石や真珠、金銀を持っているものはみな大汗の造幣局にそれをもって行くべし”という布告が出されるからです。乃ち、領内に居住する財産的価値のある貴金属等を所有する者は皆、造幣局にこれらを持ち込み、同価値の紙幣と交換することとなるのです(金銀との兌換が保障されていたわけではないものの、金銀を入用な者は、造幣局から紙幣を以って買うことはできた…)。かくしてこの制度は、ポーロをして、“世界中の君主が一緒になっても、大汗ただ一人が所有する財宝に及ぶべくもない”と言わしめているのです。

 モンゴル帝国が発行した世界最初の政府紙幣は、その後、帝国の版図において広く流通し、モンゴルの軍事力をバックに領内の商業を支える役割を担います。しかしながら、紙幣発行の際に生じる通貨発行益(seigniorage)は、それが公的な使途に向けられたとしても、大汗によって掌握されていました。紙幣に対する上記の批判は、まさに、無から有を生む“錬金術”の如き通貨発行益の存在にあるのです。

今日の通貨も不換紙幣ですが、14世紀には存在していない中央銀行制度の下で銀行券が発行・流通しています(現在の不換紙幣の信用は、凡そその国の国力によって支えられている…)。仮に、通貨発行益があったとしても、それは、政府の歳入に組み入れられ、私的な資産となることはありません。ところが、政府紙幣ならぬ、民間紙幣であるビットコインのみは、通貨発行権は発行者に、そして、通貨発行益は採掘者(マイナー)に帰するのです。ビットコインは銀行券でもありませんし、何れの国や地域の中央銀行のコントロールの下にもありませんので、ビットコインの現状は、いわば、民間人による“錬金術”が既成事実化している状態と言えます。そして、通貨としての通用力は、希少金属でも国力でもなく、偏に人々の空気にも似た信頼のみに依拠しているのです。

 ビットコインについては、不可解なことにもIMFも黙認していますが、考えてもみますと、通貨発行権、並びに、通貨発行益が私人によって掌握されるのですから、国家や地域の視点に立てば、私人による通貨発行権、並びに、通貨発行益の侵害であり、公共性の高い金融インフラ、並びに、公共財の私物化ともなりかねません。モンゴル帝国崩壊の原因については、政府紙幣の乱発によるインフレが経済に混乱をもたらし、社会の不安定化を招いたとする点が指摘されています。モンゴルの政府紙幣発行から600年余りが経過した今日、ビットコインもまた、それが、大汗にも増して無責任な私人による“錬金術”なだけに、その流通量や取引が増加するに従い経済の波乱要因となりかねないリスクを孕んでいると言わざるを得ないのです。

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日欧EPAはTPPよりリスクが低いー”格差移動”がない

2017-06-25 15:17:44 | 国際経済
日欧EPA、日本側が関税9割超を撤廃の方向
 ”行き過ぎたグローバリズム”への批判が強まる中、日本国政府は自由貿易主義を維持する方針から、EUとのEPA締結に向けて交渉を重ねています。自由貿易主義へと潮流を戻すべくEUも積極姿勢に転じており、合意間近との観測も流れています。

 それでは、イギリスのEU離脱やアメリカのトランプ政権誕生の主要な要因となった”行き過ぎたグローバリズム”には、どのような問題があるのでしょうか。実のところ、広域経済圏を構成する国家間の間に著しい経済格差が存在する場合に、主として以下の問題が発生します。

 第一の問題点は、移民労働者の移動です。イギリスでは、EUの基本原則である人の自由移動の結果、中東欧諸国から同国を目指して移民が押し寄せ、反EU感情を誘発することとなりました。この点はアメリカも同様であり、NAFTAには人の自由移動は原則に含まれないものの、不法移民の形でメキシコからアメリカに大量の移民が流入しました。この流れは、経済レベルの低い国から高い国への一方通行となります。

 第二の問題点は、製造拠点の移動です。この問題は、先進国における産業の空洞化と称される現象であり、グローバル企業がより労働コストの低い加盟国に製造拠点を移すことで発生します。この結果、経済レベルの高い国は、深刻な雇用不安や所得の低下に悩むこととなり、トランプ氏を大統領に押し上げる原動力ともなりました。イギリスのEU離脱決定においても、EUが掲げる”サービスの自由(設立の自由)”に基づく海外移転による製造業の衰退は、有権者の判断材料の一つとなっています。製造拠点の流れも、経済レベルの高い国から低い国への一方通行となり、移民労働者の流れとは逆です。

 つまり、経済格差によって、上述した二つの逆方向の流れが同時に発生することで、とりわけ経済レベルの高い側の国民にしわ寄せが集中するのが、”行き過ぎたグローバリズム”の問題点なのです。この側面から日欧EPAを見ますと、日EU間では、TPP加盟予定国間ほどには経済格差がありません。また、EUのようにモノ、人、サービス、資本の自由移動を認める市場統合をするわけでもないのです(日欧は国境を接しておらず、米墨間のような密入国も問題も起きない…)。即ち、上記の問題は日欧EPAでは起きにくいのです。しかも、移民問題については言語の問題もあり、日本国からEUに移民労働者が押し寄せたり、逆に、EUから移民労働者が大量に日本国に流れ込む事態もあり得ません。日欧EPAについては、”コメが絡まない分、交渉は楽である”との評もあるそうですが、”格差移動”がない点も、日欧EPAが低リスクな理由ではないかと思うのです。

 自由貿易において相互利益が確実に期待できるパターンとは、双方が相手国が生産できない産品を有している場合です。この点、日本国政府は、ソフトチーズといった乳製品の関税撤廃には難色を示しているそうですが、カマンベールやブルーチーズといった嗜好品は、カビの種類や伝統技術等により、どうしても同じ品質のものを日本国内で生産することはできません(日本製もありますが生産・流通量も少なく、食感も本場のものとは違ってしまう…)。こうした、主食ではなく、かつ、特産性の高い品目こそ、率先して関税を撤廃しても良いのではないかと思うのです。

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”万帯万路”ではなく”一帯一路”とする中国の本音

2017-06-08 13:48:08 | 国際経済
一帯一路、条件付き協力=「潜在力持つ」と評価―安倍首相
 先日、日本国の安倍首相が、中国が提唱する一帯一路構想について条件付きで日本企業の参加を容認する立場を示したことから、中国の国内ネットでは、”中華帝国の復活”を礼賛したり、”日本が遂に中国に屈した”とする内容の書き込みで溢れているそうです。その一方で、この件に関する日本国内でのネットの反応は、至って冷ややかです。

 その理由は、日本国民の間に、中国が主導する一帯一路構想に対してぬぐい難い警戒感があるからに他なりません。それは、国際プロジェクトの名の下で、中国が自国のみに利益を誘導し、周辺諸国を隷属させる広域的中華経済圏を構築しようとしているのではないか、とする根強い警戒感です。この文脈からしますと、首相が付した”参加条件”、即ち、”自由で公正な経済圏の実現”とは、一帯一路構想から中国の覇権主義的要素を払拭せよ、とする対中要求として理解されるのです。

 そもそも、”一帯一路”というネーミングには、中国の覇権主義が色濃く反映されています。何故、”一”なのか、という疑問を掘り下げてみますと、”全ての道はローマに通ず”の如く、中国を唯一の中心国とする思想が見えてきます。つまり、中国を中心点に置いたヴィジョンとしての”一帯一路”なのです。仮に、アメリカがこのネーミングで自国中心の経済圏構想を発表したとしましたら、全世界が身構えることでしょう。当構想に参加した諸国が中国のネーミングに不信感や不快感を持たなかったのは不思議な事でもあります。

 表向きの説明のように、仮に中国が、全ての諸国に開かれ、互恵的な経済圏構想を本心から望んでいるならば、そのネーミングは、”一”ではなく、”多帯多路”、あるいは、中国風に表現すれば”万帯万路”となるはずではないでしょうか。今日の通商関係は多角的ですし、市場もまた、グローバル市場もあれば、地域市場もあり、そして当然に人々の生活と密接に結びついている国内市場もあり、多層性を有しています。国際流通を担うインフラの建設は、中国を中心点とする必然性はないのです。このように考えますと、”一帯一路”というネーミングにこそ、中国の中華思想に起因する本音が現れているように思えるのです。

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リスクに満ちたTPP11ー新自由主義は原理主義

2017-05-18 14:05:13 | 国際経済
TPP11視野に協力=対北朝鮮、南シナ海で連携―日・NZ首脳
 トランプ政権の誕生により、自国経済へのマイナス影響を理由にアメリカがTPPから離脱したにもかかわらず、日本国政府は、アメリカ抜きのTPP11に向けて邁進しております。自民党内の新自由主義派の方針なのでしょうが、新自由主義こそ、’原理主義’、や’過激派’という名が相応しい危険思想ではないかと思うのです。

 フランス革命時のスローガンである”自由、平等、博愛”を経済分野に当て嵌めてみますと、第二次世界大戦後の自由貿易体制の基本方針とおよそ一致します。これらの三つのスローガンは、”障壁のない自由な貿易”、”国による差別のない貿易”、及び、”いかなる国とも通商関係を結ぶ多角的な貿易”と読み替えることができるからです。理想的なスローガンとしては人々を惹きつけるのですが、フランス革命がロベスピエールの恐怖政治の下での強圧的な社会改造や大量虐殺、並びに、革命戦争に端を発する侵略戦争に帰結したことは無視できない歴史です。無制限、かつ、無条件にこれらのスローガンを追求しますと、天国のはずが地獄へという、思わぬ逆転劇に見舞われないとも限らないのですから。

 新自由主義とは、まさしくこの基本方針を極限まで貫き、さらには貿易の概念さえも越えて、自らがどこの国でも自由に障壁なく事業を展開できる一つの”グローバル市場”に世界を変えることを理想とする思想です。この理想を実現するためには、すべての国々に対して、その障害となるあらゆる国境措置や政策の排除が要求されます。そして、”グローバル市場”が誕生した暁には、格差を利用したビジネスの自由な展開が可能となり、レッセフェール型の自由競争の下での弱肉強食も容認されるのです。

 各国の既存の社会は、利益の最大化を目的とする新自由主義勢力によって”グローバル文化”と称される無味乾燥としたモノトーンの文化へと改造され、経済の分野における雇用喪失や低賃金労働は、一般の国民にとりましてはいわばフランス革命期の”経済的虐殺”に等しくなります。また、各国の市場開放は、新自由主義勢力による自国市場の席巻を招きますので、”経済的侵略”ともなりかねないのです。国境や政府の政策による、自国民、並びに、自国企業の保護は一切許されないのですから。そして、新自由主義者にとっては、当然に、貿易の不均衡など問題外であり、”グローバル市場”における利益の確保こそが最大の関心事なのです。

 自由も、平等も、博愛も、それ自体は、尊重されるべき価値ですが、これらの理想は、もとから相矛盾しているという欠点があることに加え、制御なき原理主義的な暴走は、混乱と破壊、そして、人々の失望と怒りをもたらすことになりましょう。こうしたTPP11に潜むリスクを考慮すれば、今は、立ち止まるべき時なのではないでしょうか。

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グローバル市場の覇者が共産国家というパラドクス

2017-05-16 16:52:24 | 国際経済
中国主導のAIIB、日本も早期参加を…二階氏
 軍事力においては群を抜いていたソ連邦も、統制経済の失敗により消滅する運命を辿ることとなりました。統制経済には市場経済に内蔵されている発展のメカニズムが欠如していますので、ソ連邦の経済は停滞を余儀なくされたのです。

 その一方で、共産主義国家は経済成長しないとするジンクスは、政治的には共産党一党独裁体制を維持しつつ、経済的には改革開放路線を選択した中国によって破られることになります。積極的な外資の導入と安価な労働力を武器に飛躍的な経済成長を遂げ、中国製品が全世界の市場に溢れかえる至るのです。2002年にはWTOにも加盟し、この時、誰もが中国は”普通の市場経済国家”に変貌した信じたことでしょう。

 しかしながら、中国は、真性の”普通の市場経済国家”へと移行したのでしょうか。改革開放路線に対する期待は、中国の国内経済にあって民間企業等の活動も盛んになり、中間層が形成されれば自然に民主化し、名実ともに普通の国家へと変化するというものでした。しかしながら、昨今の様子を見ておりますとこの見方は楽観的であり、むしろ、共産主義国家であったからこそ、中国は、破竹の勢いてグローバル市場を席巻したという見方もできないわけではありません。何故ならば、13億の人口を擁する巨大国家が、その廉価な人件費を武器に、国家を挙げて国際競争の世界に参加すれば、当然に、強大なる競争力を有することとなるからです。ソ連邦は、西側の国際経済や産業と切り離されていたため、経済力で西側陣営を脅かすことはありませんでした。ところが中国は、統制経済時代の経済停滞を逆手に取り、これに起因する安価な労働力を西側企業に提供することで輸出攻勢をかけたのです。政府系企業を温存しつつ、中国が西側諸国の企業を取り込んだことによって、”民主主義国家陣営”は、内側から切り崩されつつあります。

 そして今や、中国は、自らをグローバル経済の指導者と称して憚らず、自国中心の”中華経済圏”を構築すべく、一帯一路構想に象徴されるように、共産主義の特徴でもある政治と経済との結びつきを強めています。グローバル市場の覇者が政治的野心に満ちた共産国家というパラドクスに、果たして、民主主義諸国は耐えられるのでしょうか。

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