万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

中国は忖度社会-オミクロン株命名問題

2021年11月30日 18時21分45秒 | 国際政治

 今般、最も警戒すべき変異株として登場してきたオミクロン株は、その免疫回避性に関するリスクのみならず、全く別の問題をも浮かび上がらせることとなりました。その別の問題とは、WHOが中国の国家主席である習近平国家主席に配慮して、ギリシャ文字のXI(クサイ)を飛ばしたというものです。「Xi」と共に「Nu」も飛ばされており、計二文字が省かれたこととなりますが、この措置、中国と言う国の体質を余すところなく表しているように思えます。

 

 WHOの説明によれば、「Nu」は、英語のNewの音と同じとなるため、混同をさけたからなそうですが、「Xi」の方は、一般的な人名であることから使用を避けたとしています。しかしながら、「Xi」のみならず、世界中を探せば、「パイ」や「ロー」、あるいは、「ファイ」なども人名として存在していそうです。「Xi」がダメならば、これらの文字もダメなはずなのですが、おそらく、WHOは、「Xi」以外の文字には配慮するつもりはないのでしょう(オミクロン株の命名に際して、尾身氏には配慮がなかったとする指摘も…)。

 

 かねてより、WHOは、テドロス事務局長が中国を後ろ盾として選出されているため、中国の出先機関とも揶揄されてきましたが、国際機関という外部組織でさえ習主席に忖度して変異株命名のルールを変えるぐらいですから、中国国内の状況は推して量るべしと言えましょう。官民を問わず、中国共産党を筆頭とするあらゆる組織が、独裁者として君臨する習主席のご機嫌を常に伺い、僅かでも習主席を気分を損ねるような表現や行動は自粛しようとしているはずです。かの愛らしい『くまのプーさん』でさえ、習主席に似ているという理由で消されてしまうのですから。中国にあって、習主席は‘神聖にして犯すべからず’の存在であり、今やこの絶対権威への崇敬と忠誠は、国際社会においても他の諸国や組織にまで強要されようとしているのです。

 

 市場規模のみならず、技術力においてもトップクラスの実力を備えるようになった中国に対しては、そのさらなる発展を信じる論調も少なくありません。しかしながら、中国が、究極の忖度社会である点を考慮しますと、中国が全世界の諸国が理想とするモデルとはなり得ないように思えます。中国の未来には、国家主席という絶対権威の前に国民が跪き、自発的な思考停止を以って自らの生命を維持している姿しか思い浮かばないのです。同国では、自由な発想は命とりなのであり、たとえ伸びやかな芽を出したとしても、常に高度なITを用いた監視システムによって摘み取られてしまうことでしょう。

 

 なお、「Xi」という文字は、日本国のマスメディアでは「クサイ」と発音されると説明されていますが、「クサイ」の他にも「グザイ」並びに「クシー」とも発音され、音価は[ks]なそうです。そして、「クシー」とする発音は、岸田首相の「キシ」とも通じるようにも思えます。岸田政権は、今日、林外相の人事からして親中政権とする批判を浴びていますが、「Xi」を介して習主席との関連性を見出すとしますと、これは、深読みなのでしょうか。何れにしましても、「Xi」をめぐる一件には、独裁者への忖度が通用してしまうという国際社会の闇の一端を垣間見るような思いがするのです。


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ワクチン戦略を’振出し’に戻すオミクロン株

2021年11月29日 12時43分04秒 | 国際政治

 今般、南アフリカで変異したとされる新型コロナウイルスのオミクロン株は、全世界を震撼させております。同変異株は、感染力の強さのみならず、既存のワクチンに対する高い免疫回避の可能性が指摘されているからです。オミクロン株には、スパイク蛋白質の部分に32か所以上の変異が認められています。

 

 もっとも、オミクロン株の出現から日が浅いため、その感染力や病毒性などに関するデータや情報はそれ程多くはありません。感染力の強さは確認されているようですが、既存のワクチンや治療薬等の効果に対するマイナス影響やそのレベルは確定的なものではなく、あくまでも憶測の域を出ない状況にあります。WHOも、オミクロン株の特性は現時点にあって不明であるとしています。

 

しかしながら、オミクロン株出現の報に接したワクチンメーカー各社が、一早く対応策を打ち出しているところを見ますと、既存のワクチンに対して強い免疫回避性を有している可能性は高いようです。香港で見つかったオミクロン感染者は、ワクチン二回接種済みでした。そして、モデルナ社は、100日以内にオミクロン株用のワクチンを開発できるとして、自社の技術力に自信をのぞかせているのです。それでは、オミクロン株が高い感染力のみならず、既存のワクチンに対して免疫を回避する能力を有しているとしますと、一体、何が起こるのでしょうか。

 

 第1に確定するのは、既存のワクチンは、接種しても無駄になるということです。これは、オミクロン株の免疫回避性がもたらす当然の結果です。このことは、最初の接種であれ、追加接種であれ、既存ワクチンの接種メリットがゼロとなる以上、日本国政府を含む各国政府は、目下、強力に推進しているワクチンの接種事業を、一旦、中止せざるを得ないことを意味します。否、オミクロン株の免疫回避性が明らかとなった時点で、誰もが、既存ワクチン接種を拒むことでしょう。そして、ワクチン・パスポートのシステムも頓挫することとなります。

 

 第2に予測されるのは、ワクチン戦略そのものの見直しです。先に述べましたように、ワクチンメーカー各社は、遺伝子ワクチンの特性を活かしてオミクロン株用に新たなワクチンを開発する予定のようです。しかしながら、改良、あるいは、改変ワクチンの再投入が適切な対策であるのかどうかにつきましては、議論の余地はありましょう。何故ならば、今後とも、オミクロン株用の改良ワクチンに対して高い免疫回避能力を有する別の変異株が登場する可能性が否定はできないからです。つまり、およそ永遠に、免疫回避変異株と改変ワクチンとの間の’いたちごっこ’が繰り返されるかもしれないのです。ワクチン接種が永続化すれば、人類は’ワクチン漬け’にされてしまいます。ワクチンリスクが、最悪の場合には命に関わる点を考慮しますと、各国政府とも、ワクチンの多重接種には慎重にならざるを得なくなりましょう。言い換えますと、’いたちごっこ’によるワクチン接種の永続化が確定した時点で、ワクチン戦略を放棄するという選択肢も生じるのです。

 

 そして、第3に予測されるのは、ポスト・ワクチン戦略です。古典的な方法としては、水際対策を徹底し、オミクロン株の上陸を防ぐというものですが、既に、全世界13カ国において同株の感染者が報告されており、’オミクロン・パンデミック’も時間の問題ともされています。最高レベルの警戒が必要とされていますので、各国政府とも、出入国に際しての規制強化に努めることでしょうが、過去の政府による’緩い対応’を見る限り、政府が水際対策に成功する見込みは薄いと言わざるを得ません。

 

かくしてコロナ対策は’振出し’に戻ってしまうのですが、スタート時点に戻ったからこそ、今後は、各国の技術力や発想力がものを言うのかもしれません。免疫回避性を有する変異株の出現は、新型コロナウイルスが一本鎖のRNAウイルスであることから再三指摘を受けてきたものの、ワクチン開発成功から接種促進プロジェクトの流れが世界に全ての国家が飲み込まれてきました。’バスに乗り遅れるな’の状態にあったのですが、オミクロン株の登場は、各国が、自国の状況に合わせて独自の対策や手法を考案するチャンスとなりましょう。オミクロン株の出現を受けて、G7の保健相がテレ会議の場を設けたとする報道もありましたが、何れの国も有効な対応策を提供できる状況にはありませんので、具体策を欠いた協議の場の設置は’対策’とは言えないように思えます。

 

あらゆる変異株に効果を発揮するユニバーサル型のワクチン開発や治療薬の開発を目指すという方向性もありましょうし、新たな治療薬や治療法の開発を試みるという方向性もありましょう。そして、変異株間の’シェア競争’に注目した、よりイノベーティブな方向性としては、エラー・カタストロフの限界理論を応用したカウンター・ウイルス(自らの変異を修正できないnsp14欠損ウイルス)の開発や、強力な感染力を備えた人工弱毒化・無毒化ウイルスの開発なども視野に入ってくるかもしれません。何れにしましても、コロナ対策にあっても独自性や多様性が尊重されるべきですし、競争のメカニズムを経てこそ、より安全でより低コストな対策も実現するのではないかと思うのです。


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自民党も立憲民主党の二の舞に?-’共産党’との連携問題

2021年11月26日 11時43分10秒 | 国際政治

 今朝がた、新聞のページをめくっておりますと、興味深い見出しが目に入りました。雑誌の広告なのですが、それは、「池田大作と中国共産党」というものです(月刊『Hanada』1月初夢号)。見出しだけで判断しますとお叱りを受けそうなのですが、同月刊誌が指摘するまでもなく、創価学会と中国共産党との関係は広く知られる事実です。当然に、連立を組んでいる自民党も承知しているのでしょうが、国民一般の認知度はそれ程には高くはないかもしれません。そして、自民党+公明党組み合わせの意味するところが明らかとなれますと、同連立政権も、今般の衆議院議員選挙の二の舞になるのではないかと思うのです。

 

 先の選挙は、野党側にとりましては、政権交代の千載一遇のチャンスであったはずです。菅政権に対する支持率は低迷状態にあり、その独断専行的な政策手法に対する批判もありました。自公連立政権の長期化に対する’うんざり感’もあり、野党にとりましては、上手に選挙戦を闘えば、政権の座に就くことも夢ではなかったのです。

 

 しかしながら、政権交代の主力となるはずの立憲民主党は、俄かには信じられないような選挙戦略で総選挙に臨むこととなります。驚くべきことに、日本共産党との選挙協力を打ち上げたのですから。その背景には、横浜市長選挙の成功体験があったのかもしれません。立憲民主党と共産党との連携が功を奏し、菅首相が後ろ盾であった小此木氏を破り、中山竹春市長が誕生したのですから。とは申しましては、横浜市の場合、同氏のカジノ反対を支持する横浜市民の大合唱が当選の強い追い風となっており、’共産党’の3文字が目に入らなかった市民も少なくなかったのです。

 

 立憲民主党としては、横浜市長選の再来を衆議院議員選挙にも期待したとも考えられるのですが、カジノ問題を抱えていた横浜市のケースをそのまま全国に当て嵌めるには無理があります。横浜市長選では目立たなかったものの、政権を左右する全国レベルの国政選挙ともなりますと、共産党との選挙協力は、国民の多くに警戒心を呼び起こすこととなります。何と申しましても、共産党体制の悪しき事例を隣国が見せつけているのですから。仮に、選挙の結果、共産党が政権与党となりますと、否が応でも日本国の国家体制が共産党一党独裁体制に近づくこととなりましょう。

 

 立憲民主党に国民意識を読み取る政治感覚があれば、日本共産党との共闘は自らの手で政権交代のチャンスを潰す結果となることは当然に予測できたはずです。このため、立憲民主党が共産党と組んだのは、外部勢力による自公連立政権を維持させるための高等戦術ではなかったのか、という疑いも生じるのですが、実のところ、与野党双方の側に’共産主義勢力’が’保険’を掛けたとも推測されます。つまり、自民党+公明党であれ、立憲民主党+日本共産党であれ、選挙の結果、どちらの政権が誕生したとしても、’共産党’は、政権の一角を占めることができるのです。

 

 創価学会と中国共産党の関係が明らかとなるにつれ、日本の政界に対する国民の見方も変わってくるかもしれません。日本国の政界を舞台として、外部勢力による二頭作戦が展開されている可能性が高まるからです。そしてそれが日本国の独立性の危機を意味する以上、自民党もまた、立憲民主党と同じ運命を辿るかもしれないと思うのです。


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お詫び

2021年11月25日 19時04分50秒 | その他

本日は、伯父の祭事につき、ブログの更新をお休みいたしました。どうぞ、ご容赦くださいますよう、お願い申し上げます。


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日本政府の半導体支援策の最適解は日本企業支援では?

2021年11月24日 16時08分38秒 | 日本政治

 今日、’グローバル市場’では半導体の供給量が不足しており、日本国政府も国内の企業活動へのマイナス影響を懸念しているようです(あるいは「5G」整備のため?)。この事態を受けて設立されるのが、日本国内に製造拠点を設ける内外の半導体メーカーに補助金を支給する6000億円規模の基金です。同基金からの支援第1号となったのが、熊本県に新工場建設を建設するTSMC(台湾積体電路製造)であり、凡そ4000億円を支出されるそうです。そして、第2弾の候補として、今般、名前が挙がったのが、米マイクロン・テクノロジー、並びに、キオクシアホールディングスなのです。

 

 日本国政府としては、今後とも半導体需要の増加が見込まれることから、国内に供給源となる製造拠点を確保しておきたいということなのでしょう。しかしながら、この判断については、いささか疑問を感じます。何故ならば、半導体支援策とは、短期的な供給確保のみを基準として判断されるべきものではないように思えるからです。半導体の分野とは、それが産業の基盤であるだけに、複数の政策目的が重層的に重なっており、これらはしばしば二律背反の関係ともなります。そこで、複数の政策目的を比較考量しながら最適解を見出さなければならないのですが、以下に、外国企業への支援の是非に関して、関連する主たる政策領域において検討を加えてみることとしましょう。

 

 最初に、半導体の安定供給の実現という産業政策上の政策目的に照らしてみますと、今日の日本国政府による海外メーカーへの支援は同目的には適っています。しかも、大手ともなりますと、価格においても安価な提供が期待されますので、半導体を必要とする国内の事業者にも恩恵が及びます。政府は、この側面を強調することで海外企業への公費による巨額支援のベネフィットを説明しているとも言えましょう。

 

 それは、競争政策の視点からはどうでしょうか。競争政策については、グローバル市場と国内市場との二つのレベルで考える必要がありましょう。グローバル市場の競争からしますと、巨大企業への日本国政府による支援は、半導体市場の寡占化を促進することとなります。もっとも、台TSMCは世界ランキングで3位、米マイクロン・テクノロジーは同5位ですので、1位の米インテルや2位の韓サムスンに対する競争力の強化により、グローバル市場での競争が活性化するとの主張もありましょうが、日本企業が’蚊帳の外’となることは確かなことです。

 

 その一方で、国内市場における競争を見ますと、海外の大手半導体メーカーへの政府の支援は、ここでも自国企業の競争力を削ぐ結果となりかねません。日本企業最大手のキオクシアでさえ世界ランキングでは12位に過ぎませんので、公的支援によってTSMCやマイクロン・テクノロジー(エルビータ・メモリーは買収されて同社の子会社に…)の生産・供給能力が高まれば、同社の国内シェアはさらに低下するかもしれません。キオクシアも支援対象とされているものの、日本政府による海外企業支援策は、自国企業の弱体化を招きかねないのです。

 

もっとも、政府の支援による競争の歪みの問題は、民間企業同士のM&Aや投資でもありませんので、競争法の適用対象外とする反論もありましょう。しかしながら、たとえ競争法上の問題が問われないとしても、今度は、通商政策における政府支援の問題が待っています。何故ならば、WTOのルールでは、民間企業に対する政府補助は、公平で公正であるべき通商を歪めるとして、してはならない行為とされているからです。もっとも、同分野でも、今般の日本政府の支援は、半導体の安定供給が目的ですし、自国企業の輸出競争力の強化のためのものではありませんので、WTOのルールが禁じる政府補助ではないとする意見もあるかもしれません(日本国内の海外メーカーが製造した半導体が一切輸出されないとすれば、国内市場における海外企業製品のシェアの拡大は必至に…)。しかしながら、表向きの目的はどうであれ、公的補助金の支給は、現実として支援を受けた特定の企業の輸出競争力を高めますので、上述した競争政策における問題性と重なるのです。

 

また、仮に日本国政府が 「5G」の早期移行やDXによる自国の全面的なデジタル化を目指しているとしますと、半導体を海外製品に大きく依存する状態は、日本経済の基盤を外部勢力に押さえられてしまうことを意味します。今後は、政治問題に起因する半導体不足も発生しかねず、半導体が’産業のコメ’である以上、’兵糧攻め’にあう可能性も否定はできないのです。デジタル政策においても、海外メーカーの支援策は望ましいとは思われないのです。

 

そして、もう一つ、重要な点は、安全保障政策におけるリスクの問題です。半導体は、あらゆる産業の基盤となる故に、軍事面においても決定的な意味を持ちかねません。軍拡に邁進してきた中国にあっても、先端兵器の開発に置いて‘アキレス腱’とされるのが半導体であり、アメリカが経済制裁の対象としているのも、同国は、未だに半導体を完全に内製化し得る段階に至っていないからです。日本国もまた、半導体の海外企業依存は、安全保障上の弱点となりましょう(中国による台湾侵攻もあり得る…)。

 

 以上に述べてきましたように、半導体政策を決定するに際しては、様々な政策領域における比較考量を要します。そして、短期的な供給不足の改善のみならず、長期的な視野から関連するあらゆる政策分野から光を当ててみますと、海外メーカーへの支援策が最適解とは思えないのです。グローバル市場、並びに、国内市場における公正で公平な競争の実現、自国経済の自立性、並びに、安全保障上のリスクなどを勘案しますと、私見ではありますが、WTOにおいて問題視されていない現状からすれば(もっとも、今後、政府補助の在り方は議論を要するかもしれない…)、自国企業を対象とした集中的な支援が最適解なのではないかと思うのです。


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’ワクチンか、回復あるいは死か’ではなく’回復か、死か’では?

2021年11月23日 18時40分45秒 | 国際政治

 ドイツでは、ワクチン接種率が68%に達したものの、10月中旬以降、急速に感染が拡大しております。新規感染者数が過去最多を記録しており、ドイツ政府は危機感を募らせているようです。こうした中、イェンス・シュパーン保健相の発言が内外に波紋を広げています。数か月後を予測して、国民の大半が「ワクチン接種か、回復あるいは死亡」のいずれかになると警告したのですから。

                                               

 イシュパーン保険相の意図は、ワクチン接種の奨励にあるとされています。言葉を補いますと、「ワクチンを接種しなければ、コロナに感染し、幸運であれば回復、不運であれば命を失うことになる」ということになりましょう。即ち、事実上、ワクチン接種か、コロナ感染かの二者択一を国民に迫っているのです。それでは、同発言は、ワクチン未接種者に向けられているのでしょうか。それとも、接種者に対して3度目の接種を促すための発言なのでしょうか。ドイツでワクチン接種が始まった今春からおよそ6ヶ月が経過しておりますので、2度のワクチン接種によって生じていた免疫効果は低下しているはずです。この点を、データから分析してみることにしましょう。

 

ドイツのワクチン接種率68%とは、決して低い率ではありません。集団免疫の成立は60%前後とされていますので、本来であれば、感染者数が減少し、コロナ禍は終息してもよいはずです。ところが、10月中旬頃から感染者数は反転するかのように増加し始めているのです。そこで、ドイツの新型コロナウイルス情報に掲載されている新規感染者数、死亡者数、並びに、ワクチン接種者数を示すグラフを見てみますと、奇妙な点に気付かされます。それは、ワクチン接種者数がピークとなっている6月末では、新規感染者数や死亡者数が極めて低レベルにあるのです。つまり、ドイツは、コロナの感染状況が比較的軽度であった時期にワクチン接種を開始しているのです。その後、ワクチン接種者が減少する一方で、感染者数、並びに、死亡者数は3か月のあまりの間は低レベルで推移しているのです。

 

 ワクチンによる体内における抗体の生成は凡そ接種から2週間後とされておりますので、ワクチン接種数のピーク時からの3か月間にあって小康状態を保てたのは、ワクチン効果の現われとも推測されます。あたかも集団免疫が成立しているようにも見えるのですが、それでは、この期待を裏切るかのように、何故、10月中旬以降に感染者数も死亡者数も急速に増加したのでしょうか。未接種者のみが感染するのであれば、6月末から10月中旬までの凡そ3か月の間あっても感染者数は増え続けたはずです。

 

 そこで考えられるのは、(1)未接種者の感染に加え、10月中旬頃に、ワクチン効果が切れた接種者が、「ブレークスルー感染」するようになった、(2)ワクチン接種者の感染予防効果が維持される一方で、未接種者のみに感染する新たな変異株が出現し、未接種者の感染が急増した、(3)接種者にも未接種者にも感染する新たな変異株が出現した、(4)むしろワクチン接種者の方にADEが起きている、という4つの可能性です。

 

(1)であれば、当然に、イシュパーン保健相は、接種者に対して追加接種を求めていることとなります。その一方で、実際に、ヨーロッパ諸国では、アルファ変異株 B.1.1.7の比率が上昇してきており、しかも、ワクチン免疫を回避するとの指摘もあります。となりますと、(2)並びに(3)の可能性も高いということになりましょう。そして、仮に、アルファ変異株 B.1.1.7の出現が感染拡大の主要な要因であるならば、これらのケースでも、イシュパーン保健相は、未接種者のみならず、接種者に対しても、「ワクチン接種か、回復あるいは死亡」という二者択一を迫っていることとなりましょう。また、(4)であれば、中和抗体の量がADE抗体の量を上回るように、より強く接種者に対して追加接種を促しているのかもしれません。何れにしましても、イシュパーン保健相の発言は、接種の有無に拘わらず、全ての国民に向けられていると考えられるのです。

 

 しかも、原株に合わせて開発された既存のワクチンを接種してもアルファ変異株 B.1.1.7に対する効果は低い、あるいは、殆どないとすれば、イシュパーン保健相が提示した二者択一も無意味となります。ワクチンそのものに効果が期待できないのですから。この場合、「ワクチン接種か、回復あるいは死亡」ではなく、事実上、「回復か、死か」の二者択一となるのです。否、むしろ、ワクチン接種者にとりましては、3度目以降のワクチン接種は、「死」の可能性が高まることとなりましょう。

 

 もっとも、新型コロナウイルスは、かつてのペストほどの脅威ではありませんので、イシュパーン保健相の警告は、国民をワクチン接種に誘導するための脅し文句であるのかもしれません。この場合には、「非感染か、あるいは回復か死か」となりましょう。政府によって全国民に対して二者択一が迫られたのはドイツでの出来事ですが、日本国内でも同様の事態が起きないとも限らず、政府が脅かそうとも、日本国民は、自国の感染状況に照らしながら状況を分析し、冷静なる判断を心掛けるべきではないかと思うのです。


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’カウンター・ウイルス’開発の可能性-「エラー・カタストロフの限界」理論

2021年11月22日 11時21分22秒 | その他

 日本国内では、コロナの第5派が凡そ終息するという摩訶不思議な現象が起きております。この現象の要因については、ワクチン効果説、人流抑制説、季節性説、周期説など様々な説が唱えられていますが、中でも興味深いのが、新型コロナウイルスがマイナス方向に変異したのではないか、というものです。

 

 この説、「エラー・カタストロフの限界」理論と称されるもので、ドイツの生物物理学者であり、ノーベル化学賞を受賞した故マンフレート・アイゲン氏が、1971年に唱えたものです。それでは、どのような説であるのかと申しますと、「ウイルスが増殖する際にコピーミスが起き、変異株が出現する。中には増殖の速いタイプのウイルスが生まれ、急速に感染が拡大。しかし、増殖が速ければコピーミスも増える。一定の閾値を超えると、ウイルスの生存に必要な遺伝子まで壊してしまいウイルスが自壊する」というものです。この理論を今般の日本国内における第5派収束に当て嵌めますと、以下のように説明が成り立つかもしれません。

 

’コロナウイルスには、一本鎖のRNAウイルスであるために遺伝子配列が変異しやすい性質がある。このため、同ウイルスは、nsp14と呼ばれる酵素を備えており、同酵素の働きにより変異が生じても自己修復することができる。ところが、変異が繰り返されると、同酵素の生成に関する遺伝子まで変異を起こしてしまう。nsp14を失うと、同ウイルスは修復されることなく高スピードで変異しつづける(nsp14が欠損すると変異率は15倍に上がるとも…)。遺伝子配列が崩壊するため、もはや増殖することもできなくなる。この結果、コロナ禍は終息する。’

 

もっとも、この説では、何故、日本国においてのみ「エラー・カタストロフの限界」が起きたのかという疑問が残ります。新型コロナウイルスは全世界で猛威を振るってきましたので、他の諸国でも同様の現象が起きるはずです。この疑問に対しては、特に東アジアやオセアニアの人が多く有する人体の側の抗ウイルス機能が指摘されております。驚くべきことに、これらの地域の人々が体内に備えている「APOBCE」という酵素が、nsp14を変異させているというのです。実際に、第5派の末期では、殆どすべての感染者はnsp14が変異したウイルスに感染していたと報告されています(国立遺伝学研究所と新潟大のチームの研究による…)。

 

以上の説が事実であれば、今後、海外からnsp14を完全に備えた別の変異種が流入しても、然したる対策を講じずに放置したとしても、日本国内ではやがて「エラー・カタストロフの限界」に達し、第5派と同様に自然に終息に向かうということになりましょう。ワクチンの追加接種も必要なければ、警戒されている第6派も、もはや怖くはないということになるのです。もっとも、「エラー・カタストロフの限界」に至るまでの間には、第5派と同様に感染拡大は起きますし、重症化したり、亡くなられる方もおられるかもしれません。また、東アジアやオセアニア以外の「APOBCE」を持たない人々にとりましては、「エラー・カタストロフの限界」は期待薄ともなりましょう。

 

そこで考えられるのが、人工的にカウンター・ウイルスを造るという案です。新型コロナウイルスにつきましても人工ウイルス説がありますが、同説が多くの人々の支持を集めるのも、今日の遺伝子工学のレベルでは、ウイルスの遺伝子配列を操作することは自由自在であるからです。つまり、他の如何なる有害な変異株をも短期間で駆逐するほどの強い感染力を有する人工のnsp14欠損ウイルスを全世界で散布すれば、コロナ禍は程なく終息に向かうかもしれないのです(日本国で起きたミラクルが、’救い主’によって密かに作成された人工カウンター・ウイルスの散布によるものであったならば、小説のようなお話となる…)。

 

カウンター・ウイルスの散布による自滅誘導は、今日、ロシアンルーレットとも称されているワクチン接種よりもはるかに安全な方法かもしれません。人々が、副作用や有害事象を心配することもなくなります。また、仮に遺伝子ワクチンの手法を用いるならば、有害性が指摘されているスパイク蛋白質よりも、「APOBCE」を体内で生成した方が‘まし’かもしれません。何れにしましても、感染症対策はワクチン接種が唯一の解決方法ではなく、より安全でより効果的な方法は他にもあるはずです。そして、柔軟な発想こそより、誰をも犠牲にすることなく人々の命を救うのではないかと思うのです。


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皇族をめぐる’もやもや状態’の原因は?

2021年11月19日 12時41分00秒 | 日本政治

日本国のみならず、全世界の王族や皇族は、今日、その存在意義を根底から問われる事態に直面しているようにも思えます。現代という時代にあっては、伝統的な権威の永続的な維持は極めて困難であり、特にその超越的な神聖性を以って国民を纏める求心力としてきたケースでは、皇族や王族の’俗人’としての振る舞いは致命的な意味を持ちかねません。百年後の地球上に皇族や王族が存続しているかどうかは怪しい限りなのですが、今般、秋篠宮家において発生した小室夫妻の問題も、この自滅傾向に拍車をかけることも予測されましょう。国民の多くが、同問題に対して名状しがたい’もやもや感’を覚えているからです。それでは、この’もやもや感’は、どこから来るのでしょうか。

 

 おそらく、国民にあって’もやもや感’が生じる主たる原因とは、公私の境界性の曖昧性にあるのでしょう。国民の多くは、皇族の姻族として必ずしも相応しいとは見なしてはいなくとも、一旦、皇籍から籍を抜いて降嫁した限りにおいては、全くの一般国民となり、一切の特別待遇や公費の支出もないものと考えていたはずです。しかしながら、メディアの報道によりますと、ニューヨークにおける小室夫妻の生活は、何処からかの財政的な支援なくしてはあり得ないレベルなそうです。こうした情報に接した国民の多くが、物価が高いとされる同地での生活を支えるために、秋篠宮家や宮内庁、即ち、日本国政府が小室夫妻に何らかの支援を行っているのではないかと疑うようになったのも無理はありません。

 

果たして、事実は、どこにあるのでしょうか。もっとも、同夫妻への支援者は、必ずしも日本政府とは限らず、ニューヨークに居を構える’大富豪’、あるいは、名だたる国際金融財閥かもしれません。そして、仮に支援者が金融系であるとすれば、小室夫妻が借金に依存して生活を維持する可能性をも考慮する必要がありましょう。何故ならば、仮に、夫妻が借金の返済に窮するに至った場合、借金の’かた’として’何かしら’を要求されたり、事前に担保として約されていた’何かしら’の譲渡や実行を求められるかもしれないからです。イギリスのヘンリー王子夫妻のように、皇族の内情を綴った’暴露本’の出版を勧められるかもしれませんし、何らかの組織の’広告役’を担わされるかもしれません。この’何かしら’は、小室夫妻が将来において天皇の姉夫妻となる以上、日本国にとりましても重要であり、公的な意味合い持つ可能性も否定はできないのです。

 

国民から寄せられる嫌疑や債務リスクを考慮しますと、先ずもって、小室夫妻の支出入や支援者の存在は国民が知るべき情報です。公開しないことには、’もやもや感’が晴れないからです。もっとも、政府の立場が、民間人である以上小室夫妻の家計については、一般の国民と同じく個人情報として保護されるべき、と考えるならば皇室や宮内庁も含め、日本国政府は、最低限、同夫妻に対する一切の特別な待遇や公的支出がないことを、国民の前に証明する必要がありましょう。このままでは、国民の同夫妻に対する疑いは深くなる一方です。

 

そして、小室夫妻に対する公的な特別待遇や公費支出の問題は、突き詰めて考えてみれば、その存在意義があまりにも曖昧であるという問題に否が応でも行き着いてしまいます。存在意義に納得しなければ、皇族の公務や公費の支出に対する国民の視線は厳しくなりましょう。特に、今般のように女性皇族が皇室を離れるケースでは、公私の境界線は曖昧となります。降嫁に際しての一時金はこれまで公費でしたし、女性皇族が成人するに際して作成さえるティアラも私的な所有となるようです。皇族として臨席した各種イベントにあって主催者側から受け取る謝礼は純粋な個人所得なのでしょうか(個人所得であれば、私的に、かつ、自由に使えることになる…)。そして、国民が関心を寄せている降嫁後の警備についても、その必要性についても、費用負担についても、政府からの何の説明もないのです。

 

憲法や皇室典範には皇室財産に関する大まかな条文はあっても、日常的な皇族の活動に関する詳細な規定は設けられていないのが現状です。そもそも、皇族の公務なるものにも、法的根拠が存在していないのですから(違法ではないとしても、不法行為となる可能性も…)。皇族のモラルや自己規律に期待できなくなった今日、国民の’もやもや感’を払拭するには、その存在意義から国民的な議論を始めるべきなのではないかと思うのです。


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移民政策の決定者は出入国在留管理庁なのか?-日本国の民主主義の危機

2021年11月18日 11時33分16秒 | 日本政治

 ワクチン接種が進んでいたはずの欧米諸国では、時間の経過によるワクチン効果の低減に起因してか、ブレークスルー感染が増加傾向にあり、再度、ロックダウンの実施に踏み出す国も現れているそうです。こうした中、奇跡的なコロナ禍の終息、あるいは、休息を見ている日本国では、入国の一日あたりの人数規制が一日3500人から5000人に大幅に緩和されるそうです。世界の流れからすれば逆行しているように見えますし、コロナ感染者が激減している国内の状況を維持するためには、むしろ水際対策を徹底すべきところなのでしょうが、コロナ禍による出入国規制の緩和のみならず、日本国では、長期的な入国管理の緩和も検討されていると報じられています。

 

 本日、11月18日付の日経新聞朝刊の第一面には、「外国人就労「無期限」に」という見出しが躍っていました。同記事によりますと、これまで建設と造船・船舶工業に限定されていた特定技能2号資格の対象が、農業、製造業、サービス業など13分野に拡大されるというものです。2号資格を取得しますと、在留資格の更新は無制限となり長期就労が可能となると共に、家族の帯同を許され、10年在留すれば永住権も取得できますので、同政策は、事実上の移民受け入れ政策となりましょう(容易に日本国籍取得の要件を満たすことができる…)。

 

 新聞の紙面上による唐突な’公表’なのですが、同記事を読んで戦慄を覚えるのは、予定されている決定手続きです。先ずもって驚かされるのは、同案の発案者は、政治家ではないという点です。それでは何処かと申しますと、出入国在留管理庁であるというのです。同庁は、同案の作成に当たっては関連省庁とは検討したそうですが、内閣(政府与党)や国会の関与については不明です。同記事では、今後、首相官邸、並びに、与党と調整した後、来年22年3月に正式決定し、省令や告示の改定を以って実現する予定と説明されています。そして、このスケジュールから、国会における審議や法案の採択もなく、同政策案が実現してしまうことが分かるのです。国民の多くは、出入国在留管理庁の存在を日本国の’門番’として理解しているでしょうから、安全のために人々から管理を委託されていた門番が、日本国民の同意を得ずして勝手に門の扉を開けてしまうようなものなのです。

 

 先の衆議院選挙にありましても、自民党を初めどの政党も、移民受け入れ促進政策を公約として掲げた党はありませんでした。少なくとも政治サイドでは、移民政策は選挙にあっては鬼門であると認識していたのでしょう。仮に、大多数の国民が、人手不足を切実なる問題と捉え、移民労働者の積極的な受け入れに賛成であれば、票集めにこそ同政策を’目玉公約’として掲げたことでしょうから。しかしながら、現実には、何れの政党も移民政策には触れておらず(むしろ移民受け入れを公約に加えれば、票が逃げると読んでいたのでは…)、今般の衆議院選挙を見る限り、移民政策は選挙の争点でもなければ、国民は、移民政策に対して何らの承認も合意もしていないのです。

 

 移民政策は、如何なる国であれ、国民にとりましては、トランプ政権を誕生させ、イギリスのEU離脱、そして、今般のフランス大統領選挙にあってもゼムール氏の躍進を招くほどの大問題です。’国民’というものの枠組みの構成が変わるのですから(全ての国民が影響を受ける…)。移民問題の重大性に鑑みれば、仮に、日本国が移民受け入れへと方向転換するならば、民主主義国家である以上、国政選挙において国民にその是非を問うのが筋となりましょう(本来であれば、国民投票が望ましい…)。ところが、現実を見ますと、事の重大性にも拘わらず、日本国の移民政策は、出入国在留管理庁という一行政機関が決定し、立法手続きを経ることもなく実行に移されてしまっているのです(佐々木聖子長官はアジア諸国の労働者の国際移動に対して強い関心を寄せている…)。

 

 もっとも、出入国在留管理庁とは、法務省の外局として位置づけられていますので、本当のところは、古川禎久法務大臣(省令とは形式的には大臣の命令…)、あるいは、岸田文雄首相の意向が働いているのかもしれません。同ケースが事実であれば、総選挙にあって’移民政策隠し’を行った政府与党が、出入国在留管理庁をスケープゴートとして、国民からの批判の盾としようとしたとも考えられましょう(責任転嫁?)。何れにいたしましても、今般の移民受け入れ拡大政策は、日本国の民主主義の危機をも表しているのではないかと思うのです。


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揺らぐワクチンパスポート・追加接種・デジタル化の三位一体?

2021年11月17日 13時48分47秒 | 国際政治

 目下、日本国政府は、コロナワクチンの追加接種を急ぐと共に、「ワクチン・検査パッケージ」の導入にも着手しています。デジタル化をも想定しての方針であり、政府にとりましては、ワクチンパスポート、追加接種、デジタル化は一括りのセットのようです。あたかもこれらの3つのプロジェクトは三位一体のようなのですが、ここに来て、この三者のリンケージは、脆くも崩れそうな気配が漂っております。

 

 先ずもって指摘されるのは、三回目の追加接種とワクチンパスポートの間に見られる不整合性です。昨日の11月16日に開かれた新型コロナウイルス感染症対策分科会の会合では、「ワクチン・検査パッケージ」の制度導入を了承しつつも、当面の間はワクチン接種証明の有効期限を設けない方針を決定しています。仮に、二回の接種のみでワクチン接種証明を永続的に使用できるとしますと(もっとも、この見解は、ワクチン効果は時間の経過とともに減少するとする報告とは一致せず、同制度を今から開始しても、国民の大半が2回接種から6か月が経とうとしているので無意味となる…)、コロナ化が沈静化し、かつ、多くの人々がワクチンリスクに関する情報にも接するようになった今日、追加接種を控えようとする人が続出してもおかしくはありません。命がけで三回目のワクチンを打つ動機が著しく低下するのです。もっとも、証明書の有効期限を設けるとしますと、国民の多くは、高いリスクが指摘されている一生涯に亘る追加接種を迫られることとなりますので、強い反対の声が上がることでしょう。

 

 第二の綻びは、ワクチンパスポートとデジタル化との間に見られます。同分科会では、ワクチン証明書であれ、陰性証明書であれ、画像やコピーによる確認が認められることとなりました。このことは、同制度の完全デジタル化を半ば諦めたことを意味します。断念の理由として推測されるのは、完全デジタル化を実現するには、全ての事業者に対して、ワクチン接種システム(VRS)のクラウドにアクセスし得る確認用のデジタル端末の導入を義務付ける必要がありますし、端末を使用する側の設備の完備や運営にはコストも手間もかかるからなのでしょう。まずもって、デジタル機器の導入費用は誰が負担するのか、という問題も生じますし、来店がある度にVRSに照会して本人確認を行うのも面倒な作業です。尾身会長は、感染状況によっては制度の停止もあり得ると述べていますので、感染症の今後の推移が不明な以上、費用対効果の観点からも「ワクチン・検査パッケージ」のデジタル化は無駄となりかねないのです。

 

 そして三角形の残りの一片となるのが、デジタル化と追加接種との関係です。両者の関係に固有となる不整合性は見られないようなのですが、上述した第1と第2の綻びにより、第3の関連性も連鎖的に揺らいできます。そもそも追加接種に応じる国民の数は初回2回と比較して大幅に減少することでしょうし、追加接種にあってもその証明が画像やコピーで事済むのであれば、VRSを活用する必要性も低下するからです。

 

 このように考えますと、政府が三位一体で推進してきた「ワクチン・検査パッケージ」、追加接種、デジタル化は、相互矛盾や齟齬が生じることで弛緩し、一体性を維持できなくなるかもしれません。そして、この瓦解過程にあって、多くの人々は、コロナ禍を機とした政府の’不審な行動’に気が付くこととなるのではないかと思うのです。


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フランス大統領候補ゼムール氏の謎

2021年11月16日 17時03分11秒 | ヨーロッパ

 フランスでは、目下、次期大統領の座をめぐる選挙戦が始まっております。前回の選挙にあって颯爽と政界に登場したマクロン大統領の人気は、その強引な政策手法からか陰りが見られ、新人の当選も予測される状況にあります。そして、同選挙戦において特に注目されているのが、反移民政策を掲げるがゆえに極右候補とされているエリック・ゼムール氏です。

 

 移民反対を訴えるぐらいですから、誰もがゼムール氏は生粋のフランス人であると考えることでしょう。ところが、同氏は、ユダヤ系である上に、両親の出身地は旧仏領のアルジェリアであるというのです。つまり、自身も移民2世でありながら、反移民の急先鋒という奇妙な立場にあるのです。

 

 そして、同氏が敵視しているのはイスラム教徒の移民ですので、ユダヤ人の立場からの反イスラムということになりましょう。戦後のイスラエルの建国以来、ユダヤ人とアラブ人(イスラム教徒)との間の対立関係は中東戦争を引き起こす程に激化してきましたので、ゼムール氏の’イスラム嫌い’もこの文脈から理解されるのですが、フランス革命がもたらした普遍主義の手前、表立っては反移民を口にできないフランス人の本音を代弁してか、ルペン氏を越える思いのほか高い支持率を集めているというのです。人々の心の内にある移民の増加に対する危機感、すなわち、本音を代弁している点において、同氏が’フランスのトランプ’とも称されるのも頷けます。

 

 その一方で、ゼムール氏の言動は、ユダヤの人々の複雑な立場をも表しているように思えます。19世紀にあってドイツロマン主義を代表する詩人であったハインリッヒ・ハイネもまたユダヤ人でした(「ローレライ」を作詞)。ユダヤ人の中には、自らの真のアイデンティティーが翳むほどに熱烈なナショナリストとなる、あるいは、ナショナリストを装う人も少なくないのです。それでは、彼らがナショナリスト、あるいは、愛国者として人々の前に現れる動機はどこにあるのでしょうか。

 

 もちろん、ゼムール氏は、フランスという国をこよなく愛する真の愛国者であるのかもしれません。しかしながら、その一方で、同氏が知略に長けたユダヤ人である点を考慮しますと、過激な反イスラム主義はフランスに対する愛国心ばかりではない可能性もなくはありません。

 

第一に推測されるのが、ユダヤ人批判をかわすというものです。近年、歴史の深層が明らかとなるにつれて、世界史の裏側で暗躍してきたユダヤ系金融財閥に対する批判も高まっています。ロスチャイルド家などがよく知られていますが、近代以降の戦争、革命、恐慌といった破壊的な混乱の背後には、必ずと言ってよいほどにユダヤ系金融財閥の利益が絡んでいたとされています。フランスにあっても、中世以来の反ユダヤ主義が息を吹き返すかもしれませんので、先手を打つ形でイスラム教徒をスケープゴートに供したとも考えられます。もしくは、フランスのユダヤ人は、生粋のフランス人の味方であることをアピールしようとしたのかもしれません。

 

第2の推測は、一般のフランス人と移民との間の分断を促進するというものです。現在、フランスの人口の13%が移民系とのことです。後者の出生率の高さからしますと、全人口に占めるイスラム系の移民の割合はさらに上昇することでしょう。一方、ゼムール氏自身はユダヤ人ですので両者の対立から離れた安全な場所に居ることができます。双方から利益を引き出すことができますので、フランスの分断は、ゼムール氏にとりましては望ましい状況なのかもしれません。

 

そして、第3に推測されるのは、イスラム教徒のためにこそゼムール氏は迫害を煽っているというものです(歴史的には、ユダヤ教徒とイスラム教徒は不仲というわけではない…)。このケースでは、イスラム教徒はフランスの過激な移民排斥主義の犠牲者ということになりましょう(ヒトラーをユダヤ系とする説もユダヤ人を犠牲者とするために敢えて迫害したとしている…)。ゼムール政権後においては、むしろ一般のフランス人には差別主義者のレッテルを貼られると共に、イスラム・ヘイトを取り締まることを名目とした厳しい言論統制が行われるかもしれません。

 

ハイネがカール・マルクスとも親交があったことが示すように、ユダヤ人の内面は表面に現れる姿とは違っているのかもしれません。仮に、ゼムール大統領が誕生するとしても、ゼムール氏が、ロスチャイルド家の代理人とも揶揄されてきたマクロン現大統領と同根であるのならば、政権掌握後に公約を一変させて、結局は‘第二のマクロン大統領’となるのでしょうか。ゼムール氏は、謎に満ちた存在なのです。


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中国が無法国家となる理由-法とは命令?

2021年11月15日 13時39分14秒 | 国際政治

 中国といった全体主義国家は、国際社会にありまして無法国家化するという特徴があります。共産主義国家のみならず、ナチス・ドイツなどにも同様の特徴が顕著に見られたのですが、それでは、何故、全体主義国家は無法国家化するのでしょうか。

 

 実のところ、古来、法とは何か、という論争がありました。日本国では、’全てのメンバーの基本的な自由と権利を護るために、全てのメンバーが等しく遵守すべきルール’というのが一般的な法の捉え方でしょうし、他の自由主義国でも凡そこうした理解が成立しています。’法の支配’とは、まさしく、人々が客観的な法を自発的に護ることによってもたらされる自由な世界を意味しており、法は自由の証という名言もこの文脈から理解されるのです。法と自由とは不可分に結び付いており、法なきところには自由もなく、立法における民主主義の重要性は、皆が従うべき法は皆の合意に基づいて制定されるべきであるからです。しかしながら、その一方で、法をこのようには捉えない人々もいないわけではありません。

 

 それでは、もう一つの法の概念とはどのようなものなのでしょうか。それは、’法とは命令である’というものです。法を命令と捉える見方は、旧約聖書における「モーゼの十戒The Ten Commandments of Moses」が、神が人間に対して命じる形式であった点に由来して主張される場合もありますが、法とは’超越的な存在’によって命ぜられるものとする考え方は、古今東西を問わず、帝国などにおいて’皇帝の意思が法である’とする勅法体制において顕著に観察されます(帝政時代のローマ法…)。この場合、’超越的な存在’とは世俗の為政者であり、国民は、法、即ち、その命令に従うのみの存在となるのです。法の内容が如何に恣意的であり、不条理であっても…。なお、為政者を国民から隔絶した超越的立場に置く絶対主義や超然主義も、同構図においてこそ説明されましょう。同体制では、為政者は、自らは法に従う義務を負うことはなく、法の枠組みの外にあるのです。

 

おそらく、この体制は、軍隊の組織形態をそのまま統治制度にスライドさせたことに因るのでしょう。人類史にあっては、統治権力は得てして武力によって掌握されてきましたし、戦場では、状況に応じて臨機応変な判断を要しますし、作戦を首尾よく完遂するためには、兵士たちは、指揮官が下した命令に忠実に従う必要があるからです。個々の兵士達が自由に状況を判断し、自由に行動したのでは、敗戦は必至となります。全体主義体制とは、いわば、有事向きの体制なのです(カール・シュミットの「例外状態」の政治思想も有事向けなのでは…)。

 

 法を命令とみなす国家体制は、今日の中国や北朝鮮等の独裁体制などにも見られます。トップの座にあって君臨する習近平主席は、国民から一人だけ超越した比類なき指導者であり、全中国国民に対して命令を発する立場として位置づけられています。そこには’法の支配’が存在する余地がないことは言うまでもありません。と同時に、国民の自由も民主主義も成り立ち得ないのです。

 

 そして、法を命令と見なす全体主義体制の国家にあっては、国際社会においても国内の論理で行動しようとします。つまり、一般国際法が自らを拘束するとは考えず(法の支配に対する理解の欠如…)、あわよくば超越的な地位に上り詰め、他の諸国に対して’命令’するポジションにあろうとすることでしょう。中国の軍事力増強の目的は防衛であるはずもなく、人の支配、即ち、暴力による支配の確立とも推測されるのです。

 

 以上に述べたように、法というものに対する認識の相違は、国際法を無視する中国の態度をも説明します。そして、全体主義国家と無法国家化とが有事においてこそ結び付くという側面を理解すれば、戦争であれ、恐慌であれ、コロナ禍であれ、有事という状況にこそ、人類は心して警戒すべきと言えましょう。今日、人類は、専制的な権力から自らの自由を護るために、無法国家による国際法秩序の破壊、並びに、国内においても有事に乗じて忍び寄る全体主義化の流れを止めなければならないのですから。


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「歴史決議」に見る中国共産党のメビウスの輪

2021年11月12日 12時38分50秒 | 国際政治

 2021年11月11日、中国では、中国共産党100周年を記念して「歴史決議(「党の百年の奮闘による重大な成果と歴史的経験に関する決議」)」が採択されることとなりました。同国の共産党が上海で設立されたのは、1921年7月23日とされていますので、2021年の今年は、結党から数えて100年目に当たります。もっとも、同決議は、結党100周年を祝うというよりは、習近平国家主席の独裁体制強化に向けた決意表明の色合いが濃く、自ら’核心’と位置付けた上で、「中華民族の偉大な復興」に向けての‘前進’を宣言しているそうです。

 

 今般の「歴史決議」では、1世紀に亘る歴史の歩みが強調され、今年を節目とした将来における方向性をも示されたのですが、習主席が、’新時代’という言葉を語っても、どうしたわけか、’新しい’というイメージが湧いてきません。むしろ、「中華民族の偉大な復興」とは、中華帝国が周辺諸国を睥睨していた過去への回帰にしか聞こえないのです。‘未来に向かっているようで過去に向かい、過去に向かっているようで未来に向かう’という奇妙な時代感覚は、ディケンズが『二都物語』の冒頭で述べたフランス革命の時代、即ち、18世紀末の感覚と似通っています。

 

 それでは、このパラドクシカルな時代感覚は、どこから来るのでしょうか。そもそも、中国語には時制が存在していないとされ、文法上、明確には過去、現在、未来が区別されていません。また、完了形や仮定法などもありませんので、文章において時間感覚が曖昧になるという問題もありましょう。こうした中国固有の言語的な要因もないわけではないのですが、ディケンズが敏感に感じ取ったように、そして、明治維新が同時に王政復古でもあったように、’革命’や’革新’というものにあっては、未来と過去とのメビウスの輪の如き同時性は一つの特徴なのかもしれません。メビウスの輪と化した未来と過去との時間の輪は、騙し絵のように人々を惑わすのですが、今般の習主席による「歴史決議」も、客観的な視点から’メビウスの輪’を読み解きますと、未来志向の決議でありながら、向かう方向はやはり過去のように思えます。

 

「歴史決議」に見られる「21世紀のマルクス主義」なる表現はその最たるものであり、21世紀という時代にありながら、産業革命の時代を背景として誕生したマルクス主義に固執しています。21世紀に相応しい新しい思想を生み出そうとすることもなく、なおも、過去の思想に理想を求めているのです。同方向性にあっては、習主席を旗振り役として力強く前進すればするほど、過去へと全力で戻ってゆくことでしょう。

 

そして第2に、「歴史決議」なる行為そのものが、人治の時代への回帰の象徴でもあります。同決議は、中国共産党の100年の歩みを総括しており、習主席は、唯一、歴史や過去の指導者たちを評価し得る超越的な立場に置いています。近現代における’歴史’とは、客観的に検証し得る事実であって、’時の為政者が歴史を書く’とするのは過去の発想です。中国では王朝交代のたびに、現王朝が前王朝の歴史を編纂するという慣習がありましたように、’為政者は時をも支配する’という前近代的な思考から抜け出ていないのです。習主席にとりましては、江沢民氏や胡錦濤氏といった過去の指導者のみならず、毛沢東氏も鄧小平氏も、上から目線で自らが評価を与える対象に過ぎないのです。

 

第3に指摘し得るのは、「中華民族の偉大な復興」という目標です。このスローガンには、過去の中華帝国回帰への願望が臆面もなく表されています。かつてアジアに成立していた冊封体制にあって中心国であり、かつ、華夷秩序にあって「高度な‘文明’を‘野蛮’な周辺国に授ける」という幻想のもとにあった中華帝国を、今日に蘇らせようとしているのですから。しかも、近年、中国は、グローバリズムの旗振り役を買って出ています。国境をなき世界を目指すグローバリズムとは、自民族中心主義とは対極にありますので、ここにも、メビウスの輪が見え隠れするのです。

 

そして第4点として挙げられるのが、一党独裁体制という国家体制です。古今東西を問わず、国家権力とは、大方武力によって勝ち取る場合もありました。その一方で、ギリシャの民主政治のように、民主主義の制度化は、武力ではなく、国民による投票を経て政権の付託者が決定される体制をもたらしてきました。そして、民主主義の前提となるのは、国民に政治的な選択肢を保障する複数の政党の存在であり、多党制こそ民主主義の成立条件であったともいえましょう(もっとも、今日では、政党政治の弊害も顕著に…)。しかしながら、暴力革命を経た一党独裁体制の成立とは、20世紀という近現代に起きた事件でありながら、その本質にあっては武力による政権の奪取であり、過去の歴史における忌まわしい建国や王朝交代とは変わりはありません(この点は、ナチスやファシスト党も同じ…)。言い換えますと、革命、並びに、一党独裁体制とは、過去への逆戻りなのです。

 

「歴史決議」を経て、中国は、一体、どのような国家へと変貌してゆくのでしょうか。後世の歴史家は、そこに未来を志向しながら過去へと向かっていた’メビウスの輪’を見出すからもしれません。


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子供給付の最大の問題点は発想の貧困では?

2021年11月11日 12時02分30秒 | 社会

 18歳以下の子供たちに対して10万円の給付金を支給する案につきましては、対象を世帯主年収960万円未満とすることで自民党と公明党が合意したと報じられております(同制限は両親+子供二人のモデル世帯の場合…)。公明党の強い要望を受けての政策だけに世論も賛否両論に分かれており、国民にあっても歓迎一色というわけではないようです。

 

 反対論としては、(1)給付政策そのものに対するもの、(2)対象世帯に対するもの(子供のいない家庭は排除…)、(3)所得制限に対するもの、(4)給付の形態(現金+クーポン)に関するものなど、様々な側面からの批判の声が上がっています。(1)の政策自体への批判にあっても、将来の増税を恐れるもの、景気、あるいは、コロナ対策としての効果の薄さを懸念するものなど、さらに論点は細かく分かれているのです。また、選挙に際して給付政策の公約を掲げて闘うという手法が、’票を買う’悪しき前例ともなれば、日本の政治がさらに堕落しかねないリスクもありましょう。

 

 かくして子供給付策は嵐の中の船出ともなったのですが、もう一つ、同政策の問題点を挙げるとすれば、子供たちへの教育効果をも踏まえた上での熟慮に欠けている点ではないかと思うのです。同政策の発案者である公明党も、所得制限に関しては、子供たちの分断、即ち、子供たちの間で’もらえる子供’と’もらえない子供’に分かれることを危惧していると報じられています。確かに、どちらの側であれ、給付政策を機に’苛めに会う’可能性があります。9割のマジョリティーとなる’もらえる子供たち’が、裕福ではあるけれどもマイノリティーとなる1割の’もらえない子供たち’を仲間はずれにするケースもあり得ますし、逆に、給付金を’もらえない’のは富裕層の証として、その優越感から’もらえない子供’が’もらえる子供’を見下すケースも考えられましょう。

 

 しかしながら、家庭にあって、親たちは、自らの世帯への給付の有無を子供たちに伝えるのでしょうか。年収を子供に教える親も、親から聞いた年収を教室にあって他の同級生たちに話す子供もそれ程には多くないことでしょうから、給付の有無をめぐって全国津々浦々の教室内で深刻な分断が起きるとは思えません。また、教室では、しばしば’いじめっ子グループ’と’いじめられっ子グループ’、’アウトドア系’と’おたく系’、あるいは、’スクール・カースト’なるグルーピングが生じる傾向にありますが、仮に、今般の給付の有無が教室に分断を持ち込んだとしても、それは、既存の分断線とは必ずしも一致せず、より複雑な様相を呈することでしょう。

 

 そして、何よりも、分断=悪と見なすならば、そもそも給付政策を中止するという選択の方が余程筋が通っています。対象を特定のグループに限定した給付政策は、どのように線引きしても’分断’が生じるからです。しかも、’お金を配れば何でも解決する(’票’も’支持率’も買える?)’という拝金主義的な手法はいかにも短絡的であり、かつ、教育的にも褒められたものではないように思えます。本政策の根底にある少子高齢化は、教育費等の経済的な家計負担のみならず、子供たちが将来に対して希望を持てない状況も強く影響しています。ITが社会全体に浸透し、AIが職を奪いつつある今日、先行きが不透明な状況下にあって、子供たちが自らの道を見つけることは容易ではありません。全ての子供たちがITやAIに興味や適性があるわけではなく、また、同分野の専門職に就けるわけでもないからです。

 

世代を越えた所得格差の固定化も懸念されている中、再分配政策のみでは、構造的な問題を解決できないことは確かなことです。そうであるからこそ、大人たちが知恵を絞り、そして、子供たちにも一緒に考えてもらってこそ、様々なアイディアが生まれ、より善き未来を導くことができるのではないでしょうか。子供給付政策の最大の問題点はその発想の貧困にこそあり、それは、経済的な貧困よりも深刻なのではないかと思うのです。


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余りにも不可解な3回目のワクチン接種計画

2021年11月10日 13時12分37秒 | その他

新型コロナワクチンの接種が始まって1年足らずして、政府は、第3回目の追加接種を実施する方針を決定したようです。しかしながら、同追加接種につきましては、疑問の声も少なくありません。ワクチンそのものの安全性に加え、どの角度から検討しても、不可解な疑問点が多すぎるのです。

 

 国民の誰もが不可解に感じる第1の点は、日本国においては、新型コロナの感染が凡そ収束してしまっていることです。8月下旬頃をピークとして新規感染者数は激減しており、重症者数が100を切ると共に、死亡者数も11月7日には遂にゼロという数字を記録しました。コロナ感染がかくも劇的に減少した理由については諸説があり、現状にあっては原因不明なのですが、少なくとも今般日本国にあって感染の大半を占めていたデルタ株は、国内にあってほぼ消えてしまったと言えましょう(ワクチン接種率が高い国にあってなおも感染数の増加が見られることから、ワクチンとは凡そ関係なく、変異株の自滅説が有力…)。言い換えますと、政府による水際対策の徹底などによって現状がそのまま維持されるならば、第3回目の追加接種は必要ないということになります(少なくとも、現時点で決定しなければならないことではない…)。政府は、第5波を以ってコロナ禍は収まらず、今冬には第6波が到来することを予め知っているのでしょうか。

 

 第2の疑問は、第3回目の接種用として予定されているワクチンも、武漢株に対応して造られたものである点です。第5波での流行の主流はデルタ株であったのですが、上述しましたように同株は今や凡そ消滅しています。政府としては、既存のワクチンが変異株のデルタ株に対しても一定の効果があると説明し、ワクチン接種プロジェクトを強力に推進したのですが、それでは、第3回目のワクチンは、一体、どのような変異株を想定しているのでしょうか。

 

 第3に疑問に感じることは、日本国政府のワクチン・リスクに対して無視を決め込む態度です。海外では、第3回目の追加接種に対しては比較的慎重な姿勢を見せ、高齢者や基礎疾患等のリスクを抱えた人、あるいは、抗体量の減少が著しい人に限定する方針を示す国も少なくありません。ところが、日本国政府は、18歳以上の二回接種を終えた全ての国民を追加接種の対象に含めており、ワクチン・リスクに対する配慮は皆無なのです。12月には、医療従事者の方々を対象とした追加接種が予定されており、来年の3月からは職域接種も始まるそうです。二度の接種を終えたワクチン接種者にあっても、副反応や健康被害への懸念から3回目は回避したいとする人も少なくありません。デルタ株が凡そ消滅した現状にあって、確たる医科学的な根拠もなく同一のワクチンを打ち続けるとなりますと、効果も然ることながら、ワクチン・リスクに対する国民の警戒心と不安感は、さらに高まることとなりましょう(同一抗原の遺伝子ワクチンには、接種回数に比例して死亡率が上昇するという指摘が…)。

 

 以上に主たる疑問点を挙げてみましたが、追加接種に合理性が欠如しているにもかかわらず、政府が、追加接種を既定路線として定めているとしますと、そこには、国民には説明できない目的や理由を想定せざるを得なくなります。過激とも言えるワクチン政策を推進しているバイデン政権、あるいは、ワクチンによって莫大な利益を得る国際勢力からの指令に基づくものなのかもしれないのですが、推測される目的としては、(1)ワクチン・パスポートの恒久化による国民監視体制の強化、(2)遺伝子ワクチンにあって予測されるADEの発生の防止(ワクチン・リスクの隠蔽…)、(3)人口削減…などが挙げられましょう。もっとも、政府が正直に自らの目的を国民に明かすとは思えません。先日、日本国政府な出入国に際して設けてきたコロナ規制を緩和しましたが、計画通りに第6波を自ら呼び込もうとしているとしますと、国民の政府に対する不信感は募るばかりとなるのではないかと思うのです。


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