万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

北朝鮮は自滅する?-食糧価格上昇問題

2019年03月31日 11時57分29秒 | 国際政治
北朝鮮で食糧価格が上昇か ロシアに支援要請の情報も
核・ミサイル開発をめぐり厳しい経済制裁下に置かれている北朝鮮では、食料価格の上昇が懸念されているそうです。食糧価格が上がる原因は、経済制裁のみならず、天候不順による作物の生育不良等が重なってのことなのですが、買占め行為も価格上昇の一因と報じられています。

 1948年に共産主義国家として建国された北朝鮮は、以来、経済分野にあって計画経済を実行し、食糧や衣料品等の生活必需品の供給も配給制度が採用されてきました。ソ連邦でも、凍てつく空気の中を国民はパンの配給を受けるために長蛇の列をなして時間を浪費していましたが、北緒戦もまた、営業の自由、職業選択の自由、ましてや消費の自由といった経済的自由は保障されておらず、国民は、ひたすらに政府からの配給を待つ受け身の立場であり続けたのです。北朝鮮の国民が極貧と飢餓に苦しみ、同国が最貧国となった最大の要因は、まさに経済システムの誤りにあります。

 しかしながら、近年、徹底した計画経済は、若干の緩和を見せています。一部であれ、市場経済のメカニズムが導入され、モノの価格も一先ずは市場で決定される方向へと転じました。今般の食糧価格の上昇も需要と供給のバランスの変化を反映させており、自然現象に起因する生産量の減少であれ、人為的な買い占めであれ、食料品関連の市場における供給不足が原因なのです。

 メディアは、経済制裁継続に対する不安による買い占めと説明されており、‘買占め’というよりも一般市民による‘買い貯め’のニュアンスで報じていますが、実情はどうなのでしょうか。消費税増税を前にして、日本国内でも駆け込み需要が増加しますので、北朝鮮の一般国民も食糧価格のさらなる上昇を予測して、食料品の買い込みに走っているのかもしれません。しかしながら、北朝鮮という国の国情からしますと、国民の生活苦をよそに人為的な買い占めを行っているのは、経済自由化に伴って利権や営業権を凡そ独占的に入手した金一族、あるいは、その取り巻きの特権階級である可能性も否定はできないように思えます。

計画経済から市場経済への改革に際して共産党員等の特権階級が変わり身早く‘労働者’から‘資本家’に変身する現象はソ連邦や中国でも観察されていますが、個人独裁国家である北朝鮮であれば、より極端な形でこの事業権の独占が起きていると推測されます。市場価格に影響を与える程の食料品の買い占め行為には、相当の資金力を要するのですから。供給不足を緩和するためにロシアに対して食糧10万トンの支援を要請したとする情報もあるそうですが、食品価格上昇に特権階級が関わっているとなりますと、身内に‘反対勢力’を抱え込んでいるようなものです。

 限定された範囲であれ市場経済化を図った北朝鮮では、会社法はおろか、競争法や消費者保護法といった各種法律の整備が十分なわけでもなく、むしろ、レッセフェール流の自由主義経済が内包する悪しき面が表面化し易い状況にあります。如何なる行為も自由なのですから、利益のためには国民生活が困窮しても構わないのです。その一方で、一般の北朝鮮国民は、強欲な‘事業者’による食品買占めによって生命をも脅かされるのですから、表立っては批判できないにせよ、政府に対する不満は鬱積してゆくはずです。そして日々高まりゆく国民の不満は、経済制裁継続という失政と相まって、やがて同国の体制崩壊へのカウントダウンの始まりともなりかねないのです。

 北朝鮮の現状は、共産主義の悪しき部分と資本主義の悪しき部分の両者を兼ね備えているかのようです(‘良いとこどり’の逆の‘悪いとこどり’…)。近い将来、これら二つの悪の相乗効果により同国に体制崩壊が起きるとすれば、それは、左右両方向から少数に権力や富を集中させる超利己主義体制の自滅とも言えましょう。人類が北朝鮮の崩壊から学ぶべき教訓は、決して少なくないように思うのです。

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米中貿易戦争の行方-自由貿易と貿易収支の均衡は両立しない

2019年03月30日 10時30分35秒 | 国際政治
世界経済の停滞要因としての米中貿易戦争については、アメリカのトランプ大統領と中国の習近平国家主席との間のトップ会談により終結に向かうのではないかとする楽観的な観測があります。対米貿易黒字の削減を求めるアメリカの要求に中国側が折れて、アメリカ製品の輸入拡大を約するのではないか、というのが大方の予測です。

 自由貿易主義、あるいは、グローバリズムの堅持を掲げる側からしますと、米中貿易合意が成立するにせよ、不成立により対中高額関税が維持されるにせよ、これらの結末は不本意となるのでしょうが、自由貿易のメカニズムからしますと、至極当然の結果なのかもしれません。リカード流の古典的な自由貿易理論では自由貿易はウィン・ウィン関係となり、そこでは貿易収支の問題は捨象されています。しかしながら現実に貿易を行う双方の収支がぴったりと一致するのは極めて稀であり、多少の違いこそあれ、貿易収支には不均衡が生じます。この現実は、自由貿易主義を無制限に行うことができないという厳粛なる事実を表しているのです。

 今日では、殆ど全ての諸国が管理通貨制度に移行しているため、貿易不均衡問題は表に現れ難くなりましたが(特にアメリカは自国の米ドルが国際基軸通貨として通用するので貿易決済に不自由しない…)、金・ドル本位制とも称されたブレトンウッズ体制を含め、国際通貨制度として金本位制が採用されていた時代には、国内的な不況やインフレと連動する深刻な問題を引き起こしています。何故ならば、国際的な金本位制下では、貿易赤字国の国庫から金地金・金貨幣が流出すると共に、貿易黒字国の国庫には金地金・金貨幣が流入するからです。通貨発行量は金保有量に比例するため、前者では通貨発行量の減少によるデフレが発生する一方で、後者ではインフレに見舞われるリスクがあったのです。

例えば、第一次世界大戦後、各国とも金準備不足となり、全世界的に金輸出禁止措置が拡がりました。その後、日本国では、1930年に浜口雄幸内閣が金解禁に踏み切りましたが、円高となる旧平価の下で解禁したため、大量の金流出が発生しています。金解禁による混乱は、高橋是清内閣の下で再禁止措置が採られ一先ずは終息を見るのですが、金本位制は、経済混乱の主要な要因ともなったのです。因みに、目下、各国が外貨準備として金の保有量を増やす傾向にあるため、金本位制への復帰も取り沙汰されていますが、貿易収支と国内経済が連動する金本位制の仕組みからしましても(為替相場も均衡優先で決定…)、国際通貨制度としての金本位制の再登場は不可能と言わざるを得ません。1970年代のブレトンウッズ体制も、崩壊すべくして崩壊したのです。

 金本位制が放棄されたとはいえ、今日でも、この側面には変わりはありません。金であれ、国際通貨であれ、外貨準備が底をつけば、それ以上、貿易を継続することは不可能となるからです(支払手段の不足による取引の継続不可は、全ての商取引にも普遍的に言える…)。今日の保護主義の復権は、トランプ政権による利己的な自国優先主義の結果というよりも、自由貿易自体に内在する貿易不均衡をもたらすメカニズムにこそ根本的な原因のように思われるのです。貿易収支の不均衡は、金融分野での逆流によって国際収支としては均衡できるとする見解もありますが、貿易黒字国から貿易赤字国への資本の流入は、融資や投資の形態をとるので、過剰債務や経済支配といった別の問題を引き起こしてしまいます(ただし、中国は、急激な経済成長のための資金を外資に依存したため、貿易黒字国でありながら債務国でもある…)。

 米中関係については、両国の間に横たわる問題は経済のみではなく、台湾海峡や南シナ海等で高まりつつある軍事的な緊張や過酷さを増すウイグル人弾圧や国民監視体制の強化等の人権問題もあります。こうした諸問題を考慮しますと、米中首脳会談は、政治的な理由から決裂するかもしれません。何れの結果を得るにせよ、時代の転換点を迎える今日、米中首脳会談は、自由貿易主義、あるいは、グローバリズムの限界を象徴しているように思えるのです。

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イスラエルはゴラン高原を購入しては?-アメリカの主権承認問題

2019年03月29日 14時02分49秒 | アメリカ
ゴラン高原問題で米孤立=イスラエル主権承認「決議違反」―安保理
紀元1世紀のディアスポラ以来、流浪の民とされたユダヤ人は、クルド人やチベット人、そして、祖国を持つことができない他のあらゆる民族よりも遥かに幸運な人々です。1948年5月14日、シオニズム運動が実って遂に中東の地にユダヤ人の国家であるイスラエルを建国することができたのですから。

 それでは、凡そ2000年の時を経て、どのようにして中東の地にイスラエルは建国されたのでしょうか。イギリス政府の‘二枚舌外交’どころか‘三枚舌外交’が中東問題を拗らせた原因とされていますが、同問題の解決に当たって主要な役割を果たしたのは国連です(イギリス政府内部の分裂状態に起因しているとも…)。トルコ帝国の解体過程にあって同地を委任統治領として管理していたイギリス政府は、第二次世界大戦後に至り、その解決を国連に委ねたからです。かくして、国連総会における分離案の採択を以って、イスラエルの国名はユダヤ人国家として再び歴史にその名を記すこととなったのです。

 イスラエル建国に際して重要な点は、この時、同国と周辺諸国とを隔てる国境線が引かれていることです。言い換えますと、イスラエルの領域は建国と同時に法的に確定されたのであり、イスラエルに対する国家承認は同国の領域の承認でもありました。このため、イスラエルには、国連が定めた自国の国境線を維持する国際的な義務があり、本来、武力による変更は許されないはずでした。ところが、イスラエルは、国境を越えてパレスチナ側に入植地を拡げるのみならず、第3次中東戦争の最中に軍事力を以ってシリア領であったゴラン高原を占領したのであり、いわば、国際法にも国連憲章が定める規範にも反した行動をとったのです。

 この点に鑑みますと、今般、アメリカのトランプ政権がゴラン高原の主権をイスラエルに認めたことは、国際法上の違法行為の追認となりますので、国際法秩序にとりましては極めて危険な行為と言わざるを得ません。仮に、大国による主権承認を以って領有権が確立されるならば、他の諸国もこれを模倣する可能性があるからです。既にロシアはクルミアを一方的に併合していますが、軍事大国を自負する中国もまた、軍事力で占領した土地の‘自己承認’を以ってその領有の正当性を主張することでしょう。否、地球上の全ての国境線が流動化するといっても過言ではないのです。

 ここで考えるべきは、中東問題を国際法秩序を壊さずに平和裏に解決する方法です。中東とは、文明誕生の地であると共に、過去の歴史を遡りますと様々な国家が興亡を繰り返してきた紛争の地であります。また、長期に亘って奴隷制が敷かれていた歴史から人種や民族の混合も甚だしく、歴史的定住の事実に基づき、一民族一国家を原則として国境線を引くことが極めて難しい地域でもあるのです。このため、必ずしも1948年に国連が人工的に引いた国境線が‘適切’であるとは限らず、仮にイスラエルがこれに不満であるならば、武力に訴えるのではなく、国際法において認められた正当なる手続きを経て相手国との合意を模索すべきが筋となります。

 この観点からすれば、最初に試みるべき方法は、周辺諸国との領土をめぐる再交渉です。相手国側は自らの領地を無償で割譲する案には合意しないでしょうから、仮にゴラン高原の領有権を確立したいならば、イスラエルもまた、シリア側に何らかの‘見返り’を提供する必要があります。喩えは、同程度の面積をシリア側に割譲するのも一案ですが、最もユダヤ人らしいのは、‘お金による解決’なのではないでしょうか。ユダヤ人は拝金主義者として知られており、‘お金’があれば何でもできると信じているとされます。人の心までも買うことができると言い放つ傲慢さが批判の的となっていますが、ここはユダヤ人らしく、シリアに対して多額の購入費の支払いをもってゴラン高原の主権を譲ってもらうべきなのではないかと思うのです(ユダヤ人であれば、全世界の富豪から寄付を募ることもできる…)。この方法は、パレスチナとの間の入植地問題にも適用することができます。

アメリカによるアラスカ州のロシアからの購入のように、領土の売買は過去に前例がないわけではありません。ディーリングに長けたトランプ大統領がイスラエルと関係国との間の誠実なる仲介者の役を務めれば、同大統領は、中東に平和をもたらした偉大な政治家として後世に名を残すことにもなりましょう。シリアは内戦のただ中にあるため、実現性の乏しい案ではありますが、法に則った解決策もないわけではない、とする認識が生まれれば、中東問題も自ずと平和的解決の道が開かれるのではないかと思うのです。

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‘徴用工訴訟’の狙いは日本国の知的財産の奪取では?

2019年03月28日 14時14分06秒 | 日本政治
【独自】三菱重工「ロゴマーク」も差し押さえ 韓国「徴用」裁判で
‘徴用工訴訟’において賠償を命じた日本企業に対して、韓国の裁判所は、原告側の申請を受け入れて資産の差し押さえを開始しています。目下、新日鉄住金に続き、三菱重工、並びに、不二越の三社の在韓資産が売却の危機にあるのですが、韓国側の真の狙いは、賠償の獲得以外にあるように思えます。

 仮に、訴訟の当事者である韓国人原告が賠償金を得ることを純粋に目的としているならば、資産の差し押さえの対象は、日本企業が所有する土地建物といった不動産や現金、あるいは、有価証券等であったはずです。こうした資産の方が売却価格が算定しやすく、かつ、市場が存在していますので現金化も容易です。ところが、今般、韓国裁判所が差し押さえたのは、何れも日本企業の知的財産権に関わる資産なのです。

 例えば、三菱重工が差し押さえられた在韓資産を見てみますと、2つの商標と6つの特許です。6つの特許とは発電所などで使用されるガスタービンに関するものであり、同社は、既に韓国に同特許を用いた製品を納入した実績があるそうです。仮に、これらの特許が韓国の同業者に売却された場合、三菱重工は韓国市場を失うと共に、特許を買い取った韓国企業が輸出向けの高品質製品を製造するようになれば価格競争に敗北し、海外市場でのシェアを大きく落とすかもしれません。半導体や液晶技術等と同様の運命を辿るかもしないのです。

また、差し押さえられた商標とは、三菱重工、並びに、三菱重工グループのロゴマークです。これらは社員の名刺や展示会等で使用されているそうですが、仮に、これらの商標を買い取る個人、あるいは、団体が現れるとすれば、一体、どのような目的でこれらを使用するというのでしょうか。韓国国内であれば使用可能となりますので、‘偽ブランド’が合法的にまかり通る事態も予測されます。さらには、特許権を取得した韓国企業が一括して商標までも手に入れるとしますと、白昼堂々と三菱重工のコピー製品が市中に出回るという事態もあり得ないわけではないのです。

特許であれ、商標であれ、そもそも売却価格を決定すること自体が困難な性質のものであり、差し押さえ財産には不向きでもあります。しかも、三菱重工にとりましては、その損失は命じられた賠償額を遥かに上回る可能性さえあります。差し押さえを申請した原告側は、これらの資産を8000万円相当と見積もっていますが、この算定に合理的な根拠があるわけではないからです。つまり、実際には億単位の資金を投じて開発に成功し、かつ、長期的な収益源となる特許であっても、裁判所は、現金化を名目に実質的な価値を下回る安値で韓国企業に売り渡すことになるのです。因みに新日鉄住金のケースでは、ポスコとの合弁会社の株式が差し押さえられましたが、同合弁会社は、新日鉄住金が独自開発したリサイクル技術を基盤として設立されています(不二越のケースでも合弁会社の株式が差し押さえ対象…)。

韓国の司法制度では、原告が差し押さえ財産を予め指定できるとしますと、一見、歴史認識の問題にも見える‘徴用工訴訟’とは、用意周到に仕組まれた知的財産奪取計画であったのかもしれません。原告は支援団体にバックアップされているそうですが、あるいは、そのさらに背後には、技術力の底上げを狙う韓国経済界が控えている可能性もありましょう。日本国政府は、日韓請求権協定が定める手続きに従い、まずは仲裁委員会での解決を求めるそうですが、韓国の真の目的や全体像を掴むためにも同訴訟の背後関係を徹底して調査しておく必要があるのではないかと思うのです。

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結局ファウエイ採用はコスト高では?-EUの容認条件

2019年03月27日 12時48分26秒 | 国際政治
EU、5Gからファーウェイ排除せず リスク巡る情報を共有
EUの対応が注目されてきたG5の政府調達をめぐるファウエイ製品の排除問題は、加盟国政府の判断に任せる方向で決着を見るようです。一先ずは、アメリカからの排除要請を跳ね除けて‘独自路線’を選択することとなったのですが、その採用コストも無視はできないように思えます。

 ハンガリー、スロバキア、ポルトガルに続き、イタリアなどがファウエイ製品の導入に積極的な姿勢を示した最大の要因は、その安価な価格にあります。これらの諸国は経済が停滞傾向にあり、独仏やベネルクス3国等のように財政的な余裕はありません。また、独仏や北欧諸国のように、自国にグローバル競争に打ち勝てるようなIT大手企業も育っていません。その大半が、EU予算での財政支援を受けている諸国ばかりなのです(もっとも、政治的な理由からか、ドイツも容認の方向へ…)。こうした諸国ができる限り政府調達コストを低く抑えたいと考えるのは至極当然なのですが、EU全体からしますと、長期に及ぶファウエイ対策のために膨大な出費を強いられる可能性も否定できません。

 その理由は、セキュリティーに関する懸念を払拭するために、EUは、ファウエイ製品の導入に当たって厳格な監視体制の構築を求めているからです。今般、EUは、10月1日を目途に域内のG5に関するサイバーセキュリティーリスクを検証すると共に、年内に加盟各国間でリスクを最小化する措置について合意を形成する方針を示しました。言い換えますと、バックドアなどのスパイ装置内臓疑惑があるファウエイ製品を使う以上、常に、中国による情報盗取や工作活動への利用がないよう厳格にチェックしなければならないのです。ファウエイ製品の核心的部分はブラックボックス化されているか、解析不能な技術が用いられているでしょうから、監視体制の構築は言う程には容易なことではありません。人間のスパイであれば尾行したり、通信内容を完全に傍受すれば監視体制下に置いたことになりますが、高度なサイバー技術を有する中国の製品ともなりますと、その性能を上回るセキュリティー技術の開発を要します。言い換えますと、ファウエイ製品の導入には、研究開発から日常的な監視業務に至るまで、セキュリティー関連の追加コストがかかるのです。

 ファウエイ製品の導入を目指す加盟国は苦しい財政状況にありますので、こうした追加コストは導入コストの上昇を意味しますし、ファウエイ製品を排除する加盟国に至っては、本来、自国が負担しなくてもよい余計なコストとなります。G5が国境を越えて接続され、単一のデジタル空間となる以上、ファウエイ製品のセキュリティー・リスクは自国にまで及ぶからです。となりますと、新たに生じるファウエイ対策費はどの国がどの程度負担するのか、EU内の排除国と採用国との間で激しい論戦が起きるかもしれません。

 グローバル市場で互角に戦える欧州企業の育成という欧州市場設立の目的に照らせば、同市場がリスク含みの中国製品に席巻される今日の状況は、EUの敗北に近い忌々しき状況とも言えます。仮に、セキュリティー対策のコストが上積みされるぐらいならば、採用予定国に対して、ファウエイ以外の企業からの製品調達を促すべく、補助金を支給した方がまだ‘まし’であるかもしれません。あるいは、一部であれ、G5関連の製造拠点を採用予定国に移転させれば(移転先国では雇用効果が期待できる一方で、民間IT企業も販路を拡大できる…)、これらの諸国の政府も翻意する可能性もあります。何れにしましても、ファウエイ・リスクを抱えたままEUがG5時代を迎えるとしますと、それは、経済のみならず、軍事的にも域内に、何時、発火するか分からない火種を持ち込むに等しいのではないかと思うのです。

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元号極秘決定への素朴な疑問

2019年03月26日 13時02分17秒 | 日本政治
新元号の保秘、政府ピリピリ 関係者の携帯預かり足止め
新天皇の即位に伴う改元をめぐり、日本国政府は、極端なまでに情報漏洩に神経をすり減らしております。こうした政府の態度には、元号に関する情報を絶対に国民には知らせてはならない、とする確固たる意志が感じられるのですが、元号の極秘決定につきましては、素朴な疑問があります。それは、何故、国民に元号の考案者や決定者、並びに、その過程を知られてはならないのか、という疑問です。

 4月1日に予定されている公表当日の手続きを見ましても、前例に従い、新元号は、有識者による元号に関する懇談会に始まり、官房長官による新元号の発表に至る一連の手続きを経て決定するそうです。平成への改元に際しては、この間に要した時間が凡そ1時間半でしたが、今般の改元では、2時間から2時間20分を予定しているそうです。しかも、絶対に外部に情報が洩れぬよう、出席者の携帯電話の保管や電波遮断も検討するといった念の入れようなのです。それでは、政府がかくも元号の決定を隠したがるのは、一体、どのような理由からなのでしょうか。

 今日に至るまで一貫して用いられている元号制度が始められたのは701年の文武天皇の時代です(『日本書紀』によると645年の「大化」ですが、以後、数次にわたり中断がある)。もっとも、701年の「大宝」の制定は、文武天皇の在位四年目のことですので、天皇即位と同時に改元(代始改元)が行われたわけでも、かつ、治世を通して一つの元号が使われていたたわけでもありませんでした。天皇の諡号(崩御後に贈られる尊号)をその在位期間の元号となす今日の一世一元の制は明治に始まるのであり、また、皇室典範等も明治期に制定されておりますので、現行の元号制定の手続きは、日本古来の伝統とは言えないようです。

 伝統の踏襲が理由ではないとしますと、政府による元号極秘決定の方針は、天皇の神聖性や権威を高めるためなのでしょうか。ベールに覆われていた方が神秘性を纏うことができるとする考え方は確かにありますし、突然の公表の方がサプライズ効果もあります。しかしながら、国民の知る権利が保障されている今日という時代にあっては、政府による秘密主義は、逆効果となるリスクがあります。国民は、‘知らないこと’で神秘性を感じるよりも、‘知らされていないこと’に不信感と不快感を募らせるかもしれないからです。仮に、政府が天皇の神聖性を理由に国民に対する情報遮断を選んでいるとしますと、どこか時代感覚がずれているようにも思えます。

 あるいは、新元号が国民に不人気であり、厳しい批判や様々な憶測が飛び交うような状況に至った場合を想定し、予め、責任の所在を曖昧にしておきたいのかもしれません。国家的な秘密事項にしておけば、誰の責任でもなくなるからです。

 そして、もう一つ考えられる理由とは、新元号は、実のところ、国民のあずかり知れないところで既に決まっているというものです。この推測では、政府は、決定済みの新元号をあたかも公式の手続きを踏んで選定されたかのように、国民の前で発表しているに過ぎないこととなります。この推測を補強するのが、政府高官によるとされる「丁寧に意見を聴いた感じを出さなければならない。最長で前回の倍かかってもいい」とする発言です。上述したように、今般の改元手続きでは、前回よりも30分から50分長く時間が採られています。この時間の長さは議論の紛糾が予想されているために手続きに時間を要するという意味ではなく、同高官によれば、‘丁寧に意見を聞いた感じを出す’ためと説明されているのです。この発言のニュアンスからすれば、‘手続き上、有識者や出席者の提案や意見を聞くには聞くけれども既に新元号は決まっている’とする憶測が真実味を帯びてきます。政府が情報漏洩の阻止に躍起になるのも、新元号が外部に漏れるのを恐れてのことではなく、新元号が決定済みであった事実を隠すためである可能性も否定はできないのです。

 ‘隠れたるより現るるはなし’という諺がありますが、隠そうとすればするほどに態度や言動が不自然となり、人々に気が付かれてしまうのが世の常です。新元号につきましても、日本国政府の神経質なまでの秘密主義は、その不自然さ故に国民の怪しむところとなるのではないかと思うのです。我が国が民主主義国家を国是としている点を踏まえますと、国民が公的に使用せざるをえないことになる元号もまた、国民の合意の上で制定されるべきなのではないでしょうか。

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イタリアはヴェネツィア共和国の末裔?-一帯一路覚書問題

2019年03月25日 14時07分18秒 | 国際政治
イタリアのコンテ政権が中国の一帯一路構想への協力を表明し、同国と覚書を交わした一件は、イタリアという国について考えさせられる契機ともなりました。一帯一路構想に隠されている帝国主義的な戦略を見抜けないとしますと、到底、ローマ帝国の末裔とは言い難いのですが、イタリアをかのヴェネツイィア共和国の末裔とみなしますと、今般の行動も合点がゆきます。

 ヴェネツィアは、今日ではアドリア海に面するイタリアの一地方都市であり、中世の面影を残す街並みの中を手漕ぎのゴンドラが行き交う‘水の都’として知られる世界的な観光名所ともなっております。しかしながら、君主制が主流であった時代に総督が選挙で選ばれる古代の民主的な都市国家の形態を残す一独立共和国であり(もっとも、選挙制度が存在していたとはいえ、富裕商人が支配する寡頭政治であった…)、地中海貿易の要所に位置したことがその富の源泉でもありました。同国には、東方貿易を商うユダヤ商人やイスラム商人も多数居住し(もっとも、13世紀以降は居住地を制限されましたが…)、さながら海に浮かぶ国際色豊かな‘グローバル都市’の様相をも呈していたのです。

 そして、東ローマ帝国、並びに、イスラム系の東方の諸国とも貿易協定を結ぶことで商業上の特権を得たヴェネツィアは、11世紀に始まる十字軍の遠征によっても莫大な利益を得ています。ヨーロッパ各地から聖地へと向かう十字軍に対して食糧や武器等の用立てから宿泊施設の斡旋までの一切を請負い、本業の交易に加えて一種の旅行業のような事業をも担ったからです。かくして、ヴェネツィアは、敵対するキリスト教陣営とイスラム教陣営の両者から利益を巧妙に吸い上げることに成功したのです。

 ‘戦争ビジネス屋’としてのヴェネツィアの一面は、モンゴル帝国との関係においても見出すことができます。それは、人に知られたくはない黒歴史でもあります。13世紀にチンギス・カーンの孫にあたるバトゥがヨーロッパの征服を企てた際に、ヴェネツィアは、ある事業をモンゴル側から請け負います。その事業とは、キエフ攻略をはじめ次々と中東欧諸国を征服しながら西進し、同地で掠奪や虐殺の限りを尽くしたモンゴル軍が現地で捕虜とした住民を、奴隷=ホワイト・スレーブとして海外に売却するというものでした。ヴェネツィア共和国はキリスト教国の一国であり、連帯してモンゴルと対峙すべき立場にありながら、ビジネス・チャンスを求めてモンゴル側にも接近していたのです。悪名高い奴隷貿易であれ…。

 さしものヴェネツィアの繁栄も大航海時代に至りインド航路などが開拓されると急速に失われてゆきますが、今般の中国との間の覚書の締結は、バトゥの征西に際しての同国の振る舞いとどこか重なって見えます。バトゥの征西の道筋を辿るかのように、既に中国と覚書を交わし、同国の前に膝を折る中東欧諸国も少なくありません。そして、G7にも名を連ねるイタリアは、政経両面における中国の脅威が差し迫った現実のものでありながら、同国がもたらす利益に目がくらみ、自ら‘敵方’にすり寄っているように見えるのです。

先日、ユンケル欧州委員会委員長は、中国との関係を見直す方針を示しましたが、近い将来、EUと中国との関係が本格的に悪化した場合、イタリアは、両者の間を上手に泳いで双方から利益を引き出すつもりなのでしょうか。このように見立てますと、イタリアは、ローマ帝国ではなくヴェネツィア共和国の末裔と見なした方が、よほど現状を説明しているように思えるのです。

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イタリアはローマ帝国の末裔なのか?-一帯一路覚書問題

2019年03月24日 11時26分14秒 | ヨーロッパ
伊、一帯一路に正式参画 G7で初、中国と覚書
‘ローマは一日にしてならず’という有名な言葉があります。古代にあって北はブリテン島から南は北アフリカまで広大な領域を自らの版図に納めたローマ帝国も、一日で出来上がるわけではなく、数百年という長い年月をかけて構築されてきたことを言い表しており、偉大な構想も長期的なプロセスを要する時にその喩えとして使われてきました。そして、ローマ帝国の建設過程で費やした時間の長さ以上に驚かされるのは、その統治テクニックの巧みさです。こうしたローマ帝国が残した知の遺産からしますと、今日のイタリアは、ローマ帝国の末裔なのか、甚だ疑問に思うのです。

 上述した諺の他にも、ローマ帝国由来の統治関連の諺や格言は少なくありません。特に知られているのが、‘全ての道はローマに通ず’です。前者は、ローマ帝国が全領域に張り巡らした道路網を意味しており、アッピア街道をはじめ、ローマ帝国では、首都ローマを起点として放射状に道路網が張り巡らされていました。現代にあっては、道路の敷設は生活関連並びに産業インフラの整備事業として理解されていますが、当時にあって最大の目的であったのは、軍隊の迅速な移動です。周辺諸国を軍事力で併合したローマは、遠方の国境地帯で反乱が起きた際に即応できるよう、大規模な軍隊が移動可能な堅固な道路を建設したのです。つまり、‘全ての道はローマに通ず’には、首都を中心道路敷設が帝国支配の道具として活用された歴史が含意されており、帝国の覇権主義を象徴しているとも言えます。

 この諺に照らしますと、今般のイタリア政府による中国が主導する一帯一路構想への協力に関する覚書への署名は、自ら中国による‘全ての道は北京に通ず’戦略を呼び込むようなものです。ローマ帝国にあっても軍用道路は域内交易路としても機能したように、表向きの目的は広域的な通商網の建設であったとしても、それは、即、軍事目的に転用可能です。つまり、積極的に一帯一路構想に協力するとします、イタリアは、自国のみならず、同構想が予定している交通ネットワーク上に位置する全ての諸国の安全をも脅かすこととなるのです。

加えて、もう一つ、ローマの著名な統治テクニックを挙げるとしますと、それは、‘分割して統治せよ’です。周辺諸国を征服するにつれ、広大な被征服地を抱え込んだローマが恐れたのは、征服した諸国が秘かに結託してローマに立ち向かう事態でした。被征服地の反乱を防ぐための方策こそ分割統治であり、征服した諸国同士がローマを外す形で軍事同盟等を締結しないよう、予め楔を打っておいたのです。

分割統治の側面から見ましても、今般のイタリアと中国との間の協力の約束は、EU、並びに、自由主義諸国に打ち込まれた楔とも言えます。今般、G5の政府調達をめぐるファウエイ排除の問題でもEU構成国の間で不調和音が生じていますが、米中貿易戦争にあって苦境に立たされた中国は、自由主義諸国の切り崩しに躍起になっています。イタリアを引き込めば、EU、並びに、自由主義国の足並みが乱れ、結束が緩まってばらばらになれば、各国との直接交渉を以ってその全体を攻略できると中国は考えていることでしょう。まさに、ローマ帝国由来の分割統治の発想なのです。

イタリアが一帯一路構想に協力的となった理由は、独仏といったEU内大国の企業に経済を支配されつつある中小国の不満があるとされています(ターゲットとなる国の国内的な不満を吸収するのも外国攻略の常套手段…)。この事情は旧社会・共産主義諸国も同じなそうですが、反グローバリズムとナショナリズムを以って政権の座に就いたコンテ首相の下で、グローバリズムの旗手を自認する中国の経済パワーに靡き、かつ、自国に留まらずヨーロッパ全域の安全保障が脅かされるとしますと、本末転倒の事態とも言えましょう。そして、ローマ帝国の末裔であるはずのイタリアが、現代にあって、長期的な計画の下で中国が同帝国の統治テクニックを巧みに活用していることに気が付かなかったとしますと、あまりにも無防備であり、自国の歴史を忘れていると思うのです。

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懸念されるトランプ大統領の対北融和-‘個人的好意’の危険性

2019年03月23日 14時13分28秒 | 国際政治
トランプ氏、対北追加制裁を撤回 金委員長への「好意」で
本日の報道に拠りますと、アメリカのトランプ大統領は、第2回米朝首脳会談の事実上の決裂を受けて財務相が発表した対北追加制裁案を撤回したそうです。同撤回について、サラ・サンダース米大統領報道官は「トランプ大統領は金委員長に好意を持っており、この制裁が必要だとは考えていない」と説明しています。

 追加制裁の対象は、北朝鮮の制裁回避に協力していたとされる中国企業2社なそうです。このため、同措置は対北融和というよりも対中融和との見方もできますが、何よりも気にかかるのが、撤回の理由として挙げられているトランプ大統領の金正恩委員長に対する‘個人的好意’です。リップ・サービスであれ、敵国の長に対する好意を以って制裁を取りやめるのは、前代未聞の異例の出来事であるからです。

 二回の首脳会談を通してトランプ大統領と金委員長が個人的に親交を深めたとはいえ、朝鮮戦争は未だ休戦状態にあり、米朝は公式には敵対関係にあります。会談後も核兵器の開発継続のみならず、ミサイル実験場を再建する動きも観察されており、北朝鮮の脅威が消え去っているわけでもありません。それにも拘らず、トランプ大統領は、いともあっさりと対北追加制裁案を撤回してしまったのです。同撤回は、北朝鮮にとりましてはアメリカの譲歩に映ることでしょう。

 仮に、トランプ大統領が主張するように追加制裁が必要ではないとするならば、同大統領は、現状の制裁レベルにあって北朝鮮がCVID方式の非核化に応じると見込んでいることとなります。その自信があってはじめて、必要性はないと言い切れるからです。一方、期待通りに金委員長が非核化の決断を行わなかった場合、今般の措置は、将来的に同大統領の立場を危うくするリスクがあります。何故ならば、‘アメリカ・ファースト’を掲げて大統領選挙に勝利した以上、金委員長に対する好意の優先は、アメリカ国民に対する背信を意味するからです。つまり、大統領による同委員長に対する個人的な好意がアメリカの安全保障を脅かしたとなれば、アメリカ国民の信頼を失いかねないのです。

 こうしたリスクの発生は、トランプ大統領が度重なる中国や北朝鮮との首脳会談を経て、独裁者の流儀に染まりかけていることに起因しているのかもしれません。国家間の関係のはずが、首脳のパーソナルな関係に重心が移っているのです。この側面は、君主の個人的な感情によって政治が左右された時代を髣髴させるものであり、一般の国民は、君主の恣意的権力行使に振り回されたり、苦しめられてきました。マッキャベッリなどは、君主に対して感情表現を人心操作の手段として活用するよう指南するのですが、一般の国民は、君主の感情の変化が予測不可能な故に戦々恐々とした面持ちで日々を過ごすこととなります。そして、君主が敵国のトップに好意を寄せた場合、あろうことか、国民の方が犠牲を強いられるケースもあり得たのです。

近代とは、政治の世界から個人的な感情をでき得る限り排除し、国益の概念の下で政治的安定性と合理性を追求した時代なのです。しかしながら、今日、再び‘人の支配’が蘇る気配がします。全世界は数人の独裁者によって巧妙に操られてしまうのでしょうか。中国や北朝鮮程の個人崇拝に至らないまでも、‘自由の国アメリカ’におけるトランプ大統領にその徴候が見えるとしますと、人類は、政治家という存在に対して十二分に警戒すべきではないかと思うのです。

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台湾は中国の‘固有の領土’に非ず-日本国とオランダが証明できる

2019年03月22日 14時48分35秒 | 国際政治
年頭の談話において、中国の習近平国家主席が台湾を併呑すべく武力行使をも辞さぬ意欲を示したことで、目下、台湾海峡は、波静かながら軍事的な緊張状態にあります。台湾について、中国は‘昔から中国大陸の不可分の領土’と主張し、争う余地のない‘固有の領土’と見なしています。台湾は、海峡を隔てて中国の隣に位置していますので、この主張を鵜呑みにする人も多いのですが、歴史を辿りますと、台湾が中国の固有の領土ではないことは明白です。

 国際社会では、一国のみの主観的な主張のみに基づいて領有権が認められることはありません。領有の正当性が法的に認められるには客観的な証拠が必要なのですが、台湾の歴史は、逆に、同島が中国の領土に含まれていなかったことを示しています。そして、この領土外である証拠を握っているのは、日本国、並びに、オランダなのではないかと思うのです。

 最近、永積昭氏の『オランダ東インド会社』(講談社、2000年)を読み返して気が付いたのですが、同書には、16世紀から17世紀にかけての台湾をめぐる日本国とオランダの興味深い動きが記されています。‘タイワン’は先住民がつけた呼称であることに加えて(中国由来ではない…)、特に注目すべきは、オランダが台湾を拠点として領有するに至る経緯です。

まず、「…一六二二年に司令官コルネリス・レイエルセンの率いる艦隊がマカオを攻撃したが、成功しなかった。そこでかねてから目をつけていた台湾島西方の澎湖島に行き、ここで要塞を築いたが、中国の福州の当局はこれを中国の領土として譲らなかったため…(一一八頁)」とあります。この一文から、中国が自国領として認識していたのは、澎湖諸島までであったことが分かります(その澎湖島も元の時代に巡検司が置かれたが、明時代の1388年には廃止されている…)。次いで、1624年に同要塞を引き上げて台湾西岸の安平地方に移ったとする記述が続き、「なるほど、澎湖島とは事情が違うので、中国もゼーランディアの要塞構築には文句は言わなかったが…(一一九頁)」とあり、台湾本島については、中国が領有権を主張していなかった事実を記しているのです。

 上記の記述はオランダで保存・管理されている東インド会社関連の史料(植民地文書)に基づくのでしょうが、明の時代における中国の領土意識を窺うことができます。また、当時、日本人商人が活発に朱印貿易を行っていた日本国と、中国船から生糸等を買い付ける出会い貿易の場であった台湾との間には、独自の関係を見出すことができます。1593年には、豊臣秀吉が台湾の高砂族の国である「高山国」の朝貢を求めていますし、幻に終わったものの、1627年にはゼーランティアにおいてオランダ側の非協力的な態度に憤慨した日本商人が、あまり誉められた計画ではないものの、日本国に連れ帰った高砂族の16人に将軍の御前で「台湾全島を日本に差し上げる」と言わせる計画もあったそうです(一二〇~一二一頁)。なお、高砂族や「高山国」の実態については詳細な調査・研究を要しましょうが、少なくとも、台湾の先住民はマレー・ポリネシア系であり漢民族ではないのです。

 何れにいたしましても、日蘭両国は、証拠を以って歴史的に台湾が‘中国大陸の不可分の領土’ではなかったことを証明することができます。中国は、‘一国二制度’と言う甘言を以って平和裏に台湾を併合するシナリオをも温めているようですが、同制度の行方は民主主義が消滅の危機に瀕する香港の現状を見れば明らかです。中国には、台湾領有の正当な根拠に欠けているのですから、如何なる手段であれ中国が台湾併合を実行に移そうとする際には、日蘭を含む国際社会は、正当性の欠如を根拠としてその企てを阻止すべきではないかと思うのです。

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韓国‘戦犯企業’ステッカー問題-‘徴用工問題’は戦争犯罪ではない

2019年03月21日 13時48分04秒 | アジア
「日本戦犯企業が生産」学校所持品に明示 韓国で条例案
韓国では、またも一般の日本国民の想像を絶する事件が発生しております。今般の事件とは、京畿道議会において学校で使用している日本企業が製造した2万円以上の備品に対して‘戦犯企業’のステッカーを貼るよう義務付ける条例案が提出された、と言うものです。

 ‘戦犯企業’レッテル問題は昨年末の‘徴用工判決’と関連しており、第二次世界大戦当時、朝鮮籍の人々を徴用工として雇用した日本企業の製品を対象としているそうです。韓国の抗日抵抗期強制動員被害調査委員会によって既に「日帝強占期徴用企業」なるリストが作成されており、仮に同条例案が可決されれば、京畿道の全学校では直ぐにでもステッカー貼りの作業が始まることでしょう。先生達が何かに憑りつかれたかのように血眼になりながら学校中の備品をチェックし、‘戦犯企業’の製品を見つけ出してはステッカーを張っている姿は恐怖映画のシーンにも近い光景となるのですが、そもそも、戦犯という用語の使い方からして間違っているのではないかと思うのです。

 ‘戦争犯罪’とは、狭義の法律用語としては戦時中において行われた戦争法に反する行為を意味しています。仮に、韓国側が戦争犯罪という言葉を自らの国を被害国と想定して使用しているとしますと、日韓間に横たわる‘徴用工問題’は、教義の意味での戦争犯罪には当たりません。その最大の理由は、第二次世界大戦当時、日本国と韓国は戦闘状態にはなかったからです。戦争をしていないのですから、当然に、‘戦犯’も存在するはずもないのです。また、戦闘行為に従事していない民間企業が‘戦争犯罪’を問われることもありません。

 それとも、韓国側は、同用語を国際軍事法廷における有罪判決を根拠として‘戦犯’という言葉を使用しているのでしょうか。第二次世界大戦にあって敗戦国となった枢軸国の諸国の戦争責任者は、戦後、連合国側が設置した軍事法廷において裁かれ、有罪判決を受けて処罰されましたが、韓国の謂う‘戦犯’とは、こうした軍事法廷における‘有罪’を根拠としているとも考えられます。しかしながら、軍事法廷を根拠とするならば、ドイツもまたニュルンベルク裁判においてナチスの幹部が多数有罪判決を受けております。この基準に従えば、ドイツの企業もまた‘戦犯企業’とされなければならず、ドイツ製品にも戦犯企業のステッカーを張る必要があります。第二次世界大戦にあっては、ドイツの大企業の殆ど全てが国策企業としてナチス政権に協力しております。今日の企業でも、IGファルベン等の国策企業の流れをくむドイツ企業も多いのです。

 あるいは、韓国は、当時の徴用を韓国人に対する強制労働と見立て、「強制労働二関スル条約(1930年採択)」における違反行為として‘戦犯’という表現を用いているのかもしれません。しかしながら、この用法におきましても、徴用工に対しては国家総動員法に基づいて賃金が支払われていましたし、民間企業による募集による雇用の場合にも、契約関係に基づいて当給与は支払われていましたので、強制労働には当たりません。給与未払いがあったとしても、この問題は、日韓請求権協定で解決済みであり(もっとも、韓国大法院は未解決とする判断を示していますが…)、当時、朝鮮籍の労働者を雇用していた日本企業が‘戦犯’として批判される筋合いはないのです。日本国政府も日本企業も、朝鮮籍の人々に強制労働など課していないのですから。

そして、この立場に立てば、実のところ、韓国は、従来の自らの主張を否定するに等しくなります。韓国の人々は、これまで、カイロ宣言に記された‘朝鮮の人民の奴隷状態…’という政治的に誇張された表現を後追いするかのように、朝鮮半島の日本統治を日本国による過酷な植民地支配とみなし、自国民が奴隷状態に置かれた時代として位置付けています。仮に奴隷化が事実であれば、徴用工に限らず全ての存命の韓国人が対日訴訟を起こすはずです。‘徴用工訴訟’の原告が徴用工、あるいは、日本企業に雇用されていた朝鮮籍の労働者に限られていることこそ、日本国が朝鮮半島の人々を奴隷化していなかった証拠ともなるのです。

以上に、韓国による‘戦犯’の使用法につきましてその誤用を述べてきましたが、ソウル市議会ではさらにエスカレートして、‘戦犯企業製品’の不買条例案が発議されているそうです。こうした過激な動きに対しては、韓国国内からもWTO違反となるリスクなどが指摘され、反対の声もないわけではないものの、採択される可能性は相当に高いとも報じられています。一方的にリストにアップされた日本企業は冤罪の被害者となるのですから、これらの条例が成立した場合、日本国政府は、当時の朝鮮籍の人々の労働実態を明らかにするためにも、法廷での解決を目指すべきなのではないでしょうか。

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ニュージーランドの銃規制強化―正当防衛権放棄の問題

2019年03月20日 13時50分27秒 | 国際政治
先日、クライストチャーチで無差別銃乱射事件が発生したニュージーランドのみならず、アメリカでも、銃乱射事件が起きる度に銃規制強化の運動が活発化するものの、事件の記憶が薄れるにつれ、その勢いは下火となって行きます。銃規制賛成派は遅々として進まない現状に苛立ちを覚えるのでしょうが、銃規制が実現しない理由は、反対派が強調するように、利益の喪失を恐れる銃器メーカーや全米ライフル協会の抵抗のみではないように思えます。

 銃規制を強化する必要性は、社会において銃を所持する人物が存在する限り無差別銃乱射事件はなくならない、とする安全面から主張されています。確かに、この世から素手では立ち向かえない強力な殺傷能力を有する武器なるものが消えてなくなれば、一方的な殺人事件も起きなくなります。銃の脅威とは、殺傷能力における絶対的な優位性にあり、それを持っているのか、いないのかによって、生死を左右してしまうのです。つまり、持つ側が圧倒的に有利な立場となり、他の人の命を自らの殺意のみで奪うことができるのです。この非対称性こそ、人々が、銃を怖れる最大の理由となります(この側面は、日本国憲法第9条や国際社会における核兵器にも言えるかもしれない…)。

 例えば、メディアは、クライストチャーチでの事件に際してモスクのイスラム教徒たちが‘スマホを投げつけた’、‘銃を投げつけた’、あるいは、‘丸腰で応戦した’と報じ、‘平和的に闘った’ことを強調しています。しかしながら、50人もの人々の命が奪われる一方で、犯人は自らの命を失うことなく逮捕されているのです。仮に、より高性能のライフル銃や爆薬等を使用すれば、犠牲者の数はさらに増えたことでしょう。銃さえ保持すれば、一人の人間が、自らの能力を超えて多数の人々を殺害することができます。同事件の犯人対犠牲者の0対50の数は、この恐ろしさを余すことなく語っているのです。

 こうした非対称性は、物理的な力の差によって銃を保持しない側は最早自らの正当防衛権を行使し得ないことを意味します。乃ち、銃を保持しない人は、銃を保持する側に対して‘お手上げ’の状態となり、自らの命を自らの力で護ることはできないのです。こうした厳しい現実を考慮しますと、上述した‘銃の保持を禁じれば殺人も起きなくなる’とする主張には疑問符が付きます。何故ならば、この主張が現実の世界で通用するには、‘全ての人が銃を所持しない’という絶対条件を満たさなければならないからです。一人でも銃を保有していれば、上述した非対称性な関係が出現してしまうのです。

 そして、この‘全ての’という条件こそ、実のところ、充足するのが極めて難しい問題なのです。今般、銃規制が強化されれば、善良で順法精神の高い国民は、法律に誠実に従って銃を保持することはないでしょう。その一方で、犯罪傾向の強い人、あるいは、銃の保持が圧倒的に自らを有利にすることを知っている人は、銃を隠し持つことでしょう。仮に、警察当局がこれらの人々から一人残らず銃を取り上げることができるならば、あるいは、銃規制の強化は功を奏するかもしれません。しかしながら、それが不可能であるならば、銃規制は、人々から正当防衛の権利を奪い、一般の人々の身を危険に晒すかもしれないのです。このように考えますと、一般の人々を対象に銃規制を行うよりも、人々の正当防衛権を認めた上で、まずは犯罪者やマフィア組織に対象を絞って銃等の暴力手段の所持を厳しく禁じる方が、余程、治安の改善には繋がるのではないかと思うのです。

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偽旗作戦を考える-法規制が必要では?

2019年03月19日 12時48分14秒 | 国際政治
最近、ネット上等で偽旗作戦(False flag)なる見慣れない用語を目にすることが多くなりました。真面目でナイーブな国民性のためか、日本国内ではどこか陰謀めいた言葉として‘日陰者’のように扱われがちですが、同作戦は、有事平時を問わずに軍事目的で実践されてきた戦術の一つでした。過去の歴史を紐解きますと偽旗作戦の事例は多々あり、例えば、1939年9月1日のナチス・ドイツ軍によるポーランド侵攻に先立つ8月31日に起きたグライヴィッツ事件は、ドイツ側がポーランドに対して‘自衛権’を発動するために仕組まれたポーランド系住民を装った親衛隊謀略部隊による自作自演の襲撃事件でした。

 第二次世界大戦の引き金となった同事件一つ見ても、開戦にまで持ち込む偽旗作戦の威力とヒトラーの謀略志向のほどが理解されるのですが、関心の薄い日本国もまたこの作戦とは無縁ではありません。実のところ、マルコ・ポーロの『東方見聞録』には、蒙古襲来に際して日本国の朝廷がモンゴル軍残留兵の偽旗作戦に騙されて首都を占領されてしまったとする伝聞記事が掲載されています。同書は‘黄金の国ジパング’の存在をヨーロッパに伝えたことで知られていますが、史実とは異なるにせよ、日本国が偽旗作戦の舞台とされたことにこそ、注目すべきかもしれません。また、満州事変の発端となった盧溝橋事件や柳条湖事件の真相の究明が手間取るのも、同事件に際して偽旗作戦が使われているからです(ちなみに、盧溝橋事件の「盧溝橋」は、「マルコ・ポーロ橋」の意)。

 今日では、敵国や他国の国旗を掲げて戦ったり、敵国や他国の軍服を着て戦闘に臨むような行為は戦争法を以って禁じられております。しかしながら、この偽旗作戦、軍事以外の分野では未だに実践的な戦術として使用されているようにも思えます。経済分野では、偽旗作戦を使いますと詐欺罪に問われたり、海賊版や偽ブランド商品を販売したとして商法上の違反行為として罰せられますが、特に政治の分野では要注意です。

 例えば、2016年にヘイトスピーチ規制法案が成立しましたが、その際、「在日特権を許さない市民の会」なる団体が過激な排外主義を掲げて登場し、大規模なデモ等を繰り広げています。保守層を中心に相当数の支持者を獲得しながらも、法案が成立した途端に活動が急速に沈静化しているのもどこか不自然な感を否めません。また、海外で発生した事件につきましても、偽旗作戦の疑いが濃いものも多く、特に、無差別大量殺人を伴うテロといった大事件の発生後に、当局の規制が国民の自由の範囲を狭める形で強化される場合には、偽旗作戦が仕組まれた可能性が脳裏を過るのです。

特定の政治勢力が、自らが望む方向に規制を強化するためには、それを正当化するための根拠が必要となります。誰もが心を痛めるような残虐な事件の発生は、国民から強い反対や抵抗を受けることなく規制を強化し得る絶好の機会ともなるのです。もちろん、全ての事件が偽旗作戦であるとは限らないのですが、偽旗作戦が絶大な効果を発揮してきた歴史がある以上、否が応でも懐疑的にならざるを得ないのです。しかも、必ずしも、“国民思い”という観点からの発案ではなく、逆に国民への管理・監視の強化といった観点からの発案である場合も多いのです。

それでは、日本国民を含めて人類は、この世の地獄に落とされかねない偽旗作戦の脅威を免れることはできるのでしょうか。偽旗作戦とはもとより秘密工作作戦ですので証拠を掴むことは難しいのですが、少なくとも、政治活動において偽旗作戦を禁じる法律が存在しない現状は、立法措置を以って改善されるべきです。軍事分野でも経済分野でも同作戦は禁止事項なのですから、政治にあっても、無辜の一般国民を騙し討ちするような手法は、当然に人類の道徳・倫理に照らして法を以って禁止すべきことです。政府が真に取り組むべきは、国民の言論の自由や正当防衛の権利等の制限ではなく、秘密裏に国民を騙す悪質な行為なのではないでしょうか。

古来、戦場にあって正々堂々と自らの名を名乗って戦いに臨み、平和な時代にあっても武士道を育んだ国であればこそ、日本国は偽旗作戦を現実の問題として捉え、政府も国民も、政治的偽旗作戦にはより厳しく対応すべきなのではないかと思うのです。

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仏ルノー・日産・三菱自動車の三社連合は‘同君連合’から‘同盟’へ?

2019年03月18日 13時27分21秒 | 国際政治
ルノー会長、連合指揮官にならず 3社の立場を尊重、仏紙
仏ルノー、日産、並びに、三菱自動車による三社連合は、カルロス・ゴーンの元会長の逮捕劇を境に新たな統治体制へと変貌を遂げようとしています。こうした企業間の結合と分離の問題を、政治の世界における国家間の関係に当て嵌めてみますと、興味深い側面が見えてきます。

 国家間の結合の一つの類型として、同君連合というものがあります。今日では、連邦制が最も一般的な形態となりましたが、かつては、複数の由来の異なる国が一つの国家を形成しようとする場合、統一国家の下部構成国となる諸国が同一の人物を共通の君主として戴くという方法が多用されていました。1603年のスコットランド国王ジェームズ6世のイングランド国王即位による両国の合邦も象徴的ながらも同君連合の事例でしたし、オーストリア・ハンガリー帝国も、同君連合と言えるでしょう。そして、近くは1910年の日本国による韓国併合も、日本国の天皇に対して韓国皇帝が統治権を移譲するとした韓国併合条約の文面を読みますと、天皇の下で国家が合邦される‘同君連合’の一種であったとも解されます。

 君主が統治権をも直接に行使し得る場合には、‘同君連合’は、全ての構成国の統治権が上部に君臨する君主の手に集中することを意味しました。君主は、構成国を束ねる統合の要となるに留まらず政治的な権力をも手にしたのであり、統合と統治の二重の役割を担ったのです。かくして、‘同君連合’によって領土を拡げた君主は、国際社会においてその地位や権威を高めると共に、連動して拡大した財政を基盤として軍事力の強化や産業振興政策等にも邁進し得ることとなりました(もっとも、韓国併合の場合には、領域は拡大したものの財政基盤は強化されず、日本国側の持ち出しとなった…)。規模の拡大の観点からすれば、政経両面において競争が激しく、‘量’が圧倒的に物を言う時代には、特に対外的な側面において同君連合は規模のメリットを享受し得たのです。その一方で、同君連合にはデメリットもないわけではありません。

第1のデメリットは、連合国家全体を動かすためには、要に位置する一人の君主に統治権限を集中させる必要性が高いため、独裁化のリスクが高い点です。とりわけ同形態にあって独裁傾向が特に強まる理由は、君主が超越的な地位にある統合の象徴である以上、他の公的機関が牽制したり、国民がチェックすることが難しくなるからです。制度的なチェック・アンド・バランスが欠けた状態では、君主の暴走を止めたり、誤りを修正することができなくなります。

 第2のデメリットは、個別の下部構成国の利害を越えた立場にある君主は、連合国家全体の利益を慮って政策を決定するため、一部の構成国が不利益を被るケースがあることです。下部構成国間の財政移転はその最たる事例ですが、全体的な戦略遂行の必要性から犠牲や損失を強要されたり、切り捨てられる下部構成国もないわけではないのです。また、中立・公平な立場にあるべき君主が、特定の下部構成国を贔屓にして優遇的な利益供与を図る場合には、構成国間の反目や対立感情が高まります。

 第3に挙げられるのは、同君連合はあくまでも頂点における結合に過ぎず、下部構成国の国民の合意を得られない点です。この問題は、政治的には民主主義の欠落であり、住民の合意なき合邦となる同君連合が地球上から殆ど姿を消した主要な要因でもあります(アンドラのみが‘二君連合’であれ唯一この形態を残しており、英国でも、スコットランドが独立した場合、統治機構は切り離しつつも象徴的なレベルで同君連合を形成する案もあった…)。構成各国の国民にとりましては、民意とは無関係に政治的な決定が常に上から降りてきますので、

 第4点としては、君主が権力を私物化した場合のリスクです。君主は下部構成国から超越的な地位にあるため、この地位に利己的で強欲な君主が就けば、全ての下部構成国は同君主による搾取の対象にされかねません。国費の私的流用や横領も日常茶飯事となり、上述した同君連合のメリットがもたらす利益も下部構成国やその国民には還元されないのです。

さらに、第5点として、権限集中によって君主の激務化がもたらされ、これによって行政の遅延が起こることが指摘できるかもしれません。オーストリア・ハンガリー二重帝国の最後の君主となったヨーゼフⅡ世は、国政・外交に関する決裁事案があまりにも多かったため、毎日、その就寝は午前2時に及んだそうです。しかも職務怠慢な君主や私事に熱心な君主が出現した場合、国家的損失や国民の不利益は計り知れないものともなりましょう。

 以上に同君連合の主要なデメリット、及び、リスク挙げてみましたが、同君連合の君主の立場をルノー・日産・三菱自動車の三社連合におけるゴーン会長に当て嵌めますと、同連合がガバナンス改革に乗り出した理由も理解できます。つまり、三社の上部に共通のトップを置く統合形態は、そのメリットにも増してリスクが高過ぎるのです。三社連合は、当面はゴーン容疑者が座っていた‘君主’の椅子は空席とするそうですが、持ち株比率の変更如何に拘わらず、仮に今後とも連合を維持するならば、三社間の関係は各社の独立性を尊重するより対等な関係、即ち、同君連合から同盟へと変化するのではないでしょうか。

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‘平和を脅かす研究の禁止’=‘平和を護る研究’ではない問題-日本天文学会の声明

2019年03月17日 13時28分17秒 | 日本政治
天文学会が声明「平和脅かさず」 軍事応用可能な研究への助成に
 報道に拠りますと、日本天文学会は、昨日3月16日に「人類の安全や平和を脅かすことにつながる研究や活動はしない」とする声明を公表しました。同声明の背景には、近年、テクノロジーの発展によって宇宙空間が軍事的対立、とりわけ米中ロ間が覇権を競う前線と化している現状があります。天文学を取り巻く世界も、未知なる宇宙に思いを馳せてロマンに浸れる世界から、軍事大国が技術開発に凌ぎを削り、鋭く対峙するリアルな世界へと変貌しているのです。

月の裏側の探索に乗り出した中国をはじめ、宇宙空間は、地球上の軍事大国による軍事目的での利用が急速に進んでいます。アメリカのトランプ政権も、宇宙軍の創設を唐突に発表して全世界を驚かせました。そもそも宇宙の軍事利用は、1980年代におけるアメリカのレーガン政権によるSDI構想に始まるのですが、今では、月面に建設されたレーダー基地から全方位的な監視を受けたり、あるいは、月面発射型のミサイルや宇宙空間を飛翔するレーザー兵器によって上空から垂直的な攻撃を受ける可能性も否定はできなくなっています。どの国も、そして、如何なる人も、宇宙空間からの攻撃に晒されつつあるのです。宇宙時代の到来に危機感を強めた日本国の防衛省も、軍事応用可能な基礎研究に対して助成制度を発足させています。

 宇宙戦争もSF小説の中での空想のお話ではなく現実にあり得る今日、日本国の天文学会も、こうした国内外の潮流に対して改めて宇宙研究に対する基本姿勢を示す必要性に迫られたのでしょう。しかしながら、ここで注意を要する点は、‘平和を脅かす研究の禁止’は‘平和を護る研究’とは必ずしも同義ではないことです。

‘平和を脅かす研究’の意味するところは他国を攻撃するような宇宙兵器の開発であり、同声明は、日本国の研究機関で開発された宇宙技術が‘侵略’を支えるようなことがあってはならないとする基本方針の表明なのでしょう。この方針は、2017年に公表された日本学術会議の方針とも一致しています。しかしながら、日本国の自衛隊が、将来、他国を‘侵略’する事態は起こり得るのでしょうか。むしろ、他国から‘侵略される’可能性の方が遥かに高いのが現実なように思えます。中国の宇宙技術の開発こそ、まさに‘侵略’、あるいは、‘恐喝’が目的であり、日本国は、宇宙空間に設置された中国のハイテク兵器によって、無防備なまま一方的な攻撃を受けかねないのです。

日本国政府は、憲法第9条の下で専守防衛に専念してきましたが、仮に、同声明がいう‘平和を脅かす研究’が、全ての軍事転用可能な宇宙関連のテクノロジーを意味しているとしますと、今般の天文学会の平和に対する基本的なスタンスは、最も極端とされる憲法解釈である自衛権の無条件放棄論に近いと言わざるを得ません。日本学術会議の方針に沿っているとしますと、同学会は、防衛省の公募制度への協力を控えるよう全国の研究機関に呼びかけているとも解されます(その一方で、理化学研究所をはじめ、日本国の研究機関と中国の研究機関との間でのレーザー技術などの共同研究は野放しにされている…)。しかしながら、平和に対する脅威を取り除くためには、軍事力を使用せざるを得ないのは、古今東西の歴史が示す否定し得ない事実です。人類の平和を実現するためには、平和に対する脅威、即ち、侵略行為を阻止し、平和を護るためのテクノロジーを要するのであり、この意味において‘平和を脅かす研究’と‘平和を護る研究’は同次元にはないのです。

このように考えますと、日本天文学会の方針は、日本国民を侵略から護る防衛技術の研究を放棄したのですから、自国民に対して極めて冷酷で無慈悲な決定となりましょう。あるいは、敢えて‘平和を脅かす研究’と限定することで、‘平和を護る研究’を許容する道を残したのでしょうか。後者であることを祈るのみなのです。

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コメント (2)
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