万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

原子力規制委員会と原子力安全・保安院は合わせ鏡

2012年12月27日 15時25分33秒 | 日本政治
東通「活断層」覆らず 規制委、東北電を一蹴(産経新聞) - goo ニュース
 福島第一原発の事故は、原子力の安全確保を司る組織の改革を促すことになりました。批判の的となった原子力安全・保安院に代わって、今年9月19日に原子力規制委員会が発足しましたが、両者の体質は、基本的には変わらないのではないかと思うのです。

 原子力安全・保安院が激しい批判を浴びた理由の一つは、経産省の外局であったため、経済が優先され、原子力リスクが過小評価されていたことにありました。規制当局が、原子力推進の立場にある経産相の影響下にあっては、事故リスクが軽視されがちとなることが、問題視されたのです。そこで、新たに設置された原子力規制委員会は、経産省から切り離し、第3条委員会として独立性を保障した上で、環境庁の外局とされました。ところが、この改革は、経産省から環境省に規制権限が移管されたに過ぎず、基本的な体質改善には繋がらなかったようです。今度は、環境重視による原子力リスクの過大評価という、前者と真逆の問題が持ちあがるようになったのですから。両者とも、方向性こそ違うものの、一面からしかリスク評価を行わず、他のリスクについては、軽視するか、無視を決め込む点で共通しています。専門家による科学的な見地からのリスク評価であるならば、それは絶対に正しいと見なされがちですが、決してそうではなく、例えば、同じ0.01%確率のリスクであっても、評価者の主観によって、それは、過小にも過大にもなり得ます。原子力規制委員会は、99.9%安全であっても、0.01%の可能性としてのリスクがあれば、それは、極めて危険であると主張しているのです(原子力規制委員会の調査団の判断が間違っている可能性もある…)。一方、原発の稼働停止は、経済や国民生活には、100%の確率で確実に損害を与えます。

 過小評価であれ、過大評価であれ、将来のリスクに対する一方的で主観的な偏った評価は、別の面における災難と損害をもたらすのではないかと心配になるのです。

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コメント (4)
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