万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

真逆の二つの皇室像-報道は正直に徹するべき

2014年10月31日 10時59分04秒 | 社会
宮内庁が抗議 愛子さまめぐる週刊誌報道に(朝日新聞) - goo ニュース
 近年、皇室報道においては、これまでにない奇妙な現象が起きるようになりました。それは、皇族について、全く正反対の姿が流布してしまっていることです。

 この現象は、特に東宮家に関する報道において顕著です。宮内庁、マスコミ、ネット…において、全く正反対の情報が流れており、国民は、その実像を掴むことができない状況にあります。宮内庁、並びに、テレビ各社は、東宮家を人品共に優れた模範的な一家として描き、手放しに礼賛する一方で、マスコミの一部やネットでは、全く逆の姿が実像として語られています。内親王についても、”将来、東大入学が期待できるほどの頭脳明晰、かつ、”心身ともに健康”なイメージと、何らかの障害や脆さを抱えている少女のイメージが併存しているのです。公開されている映像や実際の言動に関する情報から判断しますと、国民は、後者の方を信じがちとなるのですが、宮内庁が前者のスタンスなだけに、前者である可能性も否定はできません。そして、仮に、真の姿が後者でありながら前者を装っているとしますと、皇室が国民を騙すという、あってはならない事態となるのです。宮内庁は、週刊誌報道について事実無根と抗議したそうですが、そもそもの原因は、皇室や宮内庁側の情報隠蔽体質にあります。国民に情報を十分に提供しない一方で、意に沿わない報道がある度に抗議するのでは、北朝鮮風味の情報統制を疑われ、国民からの信頼を失う結果を招きかねません。

 皇室報道は、宮内庁であれ、マスコミであれ、正直に徹するべきです。そして、開かれた皇室を目指しながら閉ざされた皇室に至ってしまった理由についても、そろそろ包み隠さずに正直に考えてゆくべきではないかと思うのです。

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仁川アジア大会日本選手カメラ窃盗事件の謎

2014年10月30日 15時18分20秒 | アジア
窃盗事件の冨田選手、来月弁明会見へ=競泳(時事通信) - goo ニュース
 先月、韓国の仁川で開催されたスポーツの祭典、アジア大会。審判による韓国贔屓の判定や主催国選手有利な会場操作などが指摘され、韓国は、参加国諸国から手厳しい批判を浴びることとなりました。史上最低とまで酷評されたのですから、韓国の国際的な評価が著しく低下する大会となったのですが、日本国にも、一つだけ不名誉な事件が発生しております。それは、競泳選手によるカメラ窃盗事件です。

 この事件、窃盗の罪で略式起訴された選手が容疑を認めて謝罪し、被害者との示談が成立したことで一先ずは決着しました。しかしながら、韓国批判の嵐が吹き荒れる中での日本人選手による窃盗事件であっただけに、日本国内では、当選手のあまりに間の悪い行為に怒り、罵倒する声も湧きおこりました。”日本の恥”であると…。ところが、大会からひと月が経過した今になって、窃盗罪を問われた選手が、来月、容疑を否認する会見を開くというのです。仮に、当選手が主張する通り、カメラを盗んだ事実がないとすれば、忌々しき冤罪事件となります。言われてもみますと、当時の報道には、不自然な点が幾つか見られます。(1)韓国人の被害者は記者であり、プロがカメラの管理を怠るとは考え難い(競泳の競技場に置き忘れている…)、(2)カメラが趣味ではない限り、競泳の選手が敢えてカメラを盗むのは不自然、(3)証拠となるビデオがあると報じられながら公開されていない、(4)韓国のネット上では激しい日本バッシングが起きたものの、通常は日本人に対しては厳罰主義で臨む韓国としては、比較的穏便な対応をしている、(5)当選手は、早くも帰国時に空港で犯行を否定する言葉を口にしている…といった点を挙げることができます。盗まれたカメラは宿泊所の選手の部屋から発見されていますが、盗品を密かに罪を被せたい人の家宅には置いたり、所持品に混ぜるのは、窃盗の濡れ衣を着せる常套手段でもあります。日本オリンピック委員会が、即刻日本選手団から追放したのみならず、帰国後も、日本水連から2016年3月31日まで選手登録停止の処分の通達を受け、所属先のデサントとの契約も解除されていますので、冤罪であれば、当選手は、犠牲者となります。韓国の国を挙げてのジャパン・ディスカウント政策の…(韓国は、常々、ライバルを引き下げることで、自らの地位を上げようとする傾向にある…)。

 果たして仁川アジア大会の日本選手カメラ窃盗事件は、冤罪であったのでしょうか。この判断は、当選手の記者会見を待つしかありませんが、仮に韓国側が意図的に仕組んだ事件であるとしますと、仁川アジア大会は、開催国による想像を絶する底なしの不正において、後世に語り継がれることになるのではないかと思うのです。

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エボラ隔離は我慢すべきでは?-”歩く大量殺人者”になる恐れ

2014年10月29日 14時17分31秒 | 国際政治
エボラの恐れで登校禁止、女児の親が市を提訴(読売新聞) - goo ニュース
 アメリカでは、エボラ対策の行き過ぎが人権侵害ではないかとする議論があるそうです。本日も、ナイジェリアから帰国した女児が学校側から投降禁止処分を受けたことから、父親が、登校の許可と損害賠償を求めて提訴したとの報道がありました。

 確かに、粗末なテント生活を強いられたり、自宅に閉じ込められるのですから、隔離された人々の訴えたくなる気持ちも分からないでもありません。しかしながら、仮に保菌者であった場合、その後に起きる悲惨な出来事を想像すれば、少々の苦痛は我慢すべきではないかと思うのです。アフリカでエボラ出血熱の感染力は侮ってはならず、アフリカでは、既に1万人程の感染者が報告されています。罹患者の死亡率が50%とのことですので、感染が広がれば、多くの人々の命を奪うことになります。登校禁止となった女児が保菌者であるかは分かりませんが、エボラ出血熱の感染源となるようなことがあれば、同級生やその家族、さらには、知人や同僚…の命が危険に晒されます。これらの人々の命を護りたいと思う心があれば、多少の不便は辛抱できるはずです。逆の立場となれば、自分中心にしか物事を見れない人ほど、危険地域からの帰国者を厳格に隔離するよう叫ぶのではないでしょうか。

 殺人ウイルスの保菌者は、他者の命を殺める積極的な意思はなくとも、その無責任な行動が、自らを”歩く大量殺人者”にしてしまいます。エボラ出血熱を封じ込めるためには、感染の可能性のある人々に対して、他者や社会に対する責任と封じ込め作戦への理解を呼びかけることも一つの方法であると思うのです。

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香港民主派デモの武力弾圧は相打ちとなる

2014年10月28日 15時56分08秒 | アジア
梁長官、失言で混乱に拍車=親中派からも批判―香港(時事通信) - goo ニュース
 香港の民主派デモは、香港政府側との対話が平行線を辿ったことで、膠着状態が続いております。こうした中、梁長官の”失言”が注目を集めておりますが、香港の民主派デモは、第二の天安門事件にはならない可能性が高いのではないかと思うのです。

 そもそも、香港基本法では、香港駐留の人民解放軍は、香港の内政には介入してはならないと定められています。たとえ治安の維持や災害救援に際して香港駐留軍の支援を仰ぐ場合にも、要請を行う権限は行政長官にあり、要請なくして軍が介入することはあり得ません。となりますと、軍の介入が予測されるケースとは、行政長官が、(1)外国の関与を仄めかし、安全保障問題であると主張する(しばしば、梁長官は外国の関与を示唆している…)、もしくは、(2)治安の悪化を理由に駐留軍の出動を要請する、などが考えられます。しかしながら、(1)では、争点が行政長官選挙の改悪であることが知れ渡っていますので、安全保障問題にすり替えることは困難です。残るは(2)のケースですが、香港市民の多くが民主派デモを支持し、支援している状況において軍を出動させれば、行政長官は、内外からの囂囂たる批判にさらされます。そして、厳しい国際批判が各国による経済制裁を招くとしますと、梁長官にとりましては、最悪の事態を迎えることになります。何故ならば、経済制裁は、梁行政長官にとりましては、何よりも大事な利権を失うことを意味するからです。しばしば、デモによる香港の経済的損失が取り沙汰されておりますが、香港の利己的な”指導者達”にとりましては、外国からの投資が激減し、私腹を肥やせなくなる事態こそ最も恐れるべき結末です。豪企業から賄賂を受け取っていた疑惑も報じられていますが、梁長官が自らの職に固執するのは、利権漁りの目的あってのことなのです。そして、この事情は、中国の共産党幹部たちにも言えることです。

 軍を動かせば利権を失うという二者択一に対して、梁長官も中国共産党幹部も、後者を選択するのではないでしょうか。そしてそれは、民主派デモに、要求を実現するチャンスをもたらすかもしれません。天安門事件後、中国政府は、急速な経済発展によって国民の不満を逸らそうとしましたが、共産党による富の独占と金満体質による腐敗が民主化の声を蘇らせているとしますと、中国の民主化運動は、武力弾圧が指導層にとりましても自殺行為になりかねない点において(相打ちとなる…)、天安門事件時とは異なる新たなステージに進んでいるように思えるのです。

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アメリカの韓国軍指揮権返還延期―戦前も韓国は自立防衛が不可能であった

2014年10月27日 15時28分00秒 | 国際政治
 日露戦争を機とした日本国による保護国化から1910年の併合への流は、韓国の歴史教科書では、軍国主義国家日本による侵略的な朝鮮半島植民地化へのプロセスとして描かれています。独立を奪われた忌まわしき歴史として…。しかしながら、今日なおも、韓国が朝鮮戦争時の指揮権をアメリカから返還されることに躊躇している姿を見ますと、韓国の立場は、100年ほど前と然程の違いはないのかもしれません。

 統帥権とは、軍の最高指揮権ですので、国家の主権的な権限の一つです。韓国の憲法でも、名目上は統帥権は大統領権限とされていますが、米韓同盟では、朝鮮戦争時の戦時統帥権は在韓米軍にあり(日本語訳では統制権や指揮権と訳されていますが、実質は統帥権…)、事実上、この重要な権限がアメリカに移譲されています。通常の同盟では、締約国の一方からもう一方へ統帥権が移動することはありませんので、朝鮮戦争に限定されているといえ、米軍が統帥権を握る米韓同盟は、今日では特殊な同盟スタイルと言えます(一種の保護国化?)。米韓両国がこの状態を維持してきた理由は、韓国軍を米軍の指揮下に置かない限り、韓国の防衛が不可能であるからに他なりません。そしてこの状況は、100年ほど前の日韓関係にオーバーラップしています。当時の韓国の軍事力と作戦能力では、一国で北方の軍事大国、ロシア帝国の南下を防ぐことは到底できなかったからです(併合により、日本国の統帥権の下で朝鮮半島も防衛…)。韓国国内において、全ての政治勢力、並びに、国民が賛成ではなかったにせよ、国際社会は今日よりもさらに過酷な生存競争下にあり、かつ、民族自決の原則も確立していなかった時代にあって、日本国による保護国化と併合に、防衛上の利点を見出した人々も少なくなかったはずです。まさしく今日、指揮権返還の延長に韓国が自発的に合意しているように。

 一方のアメリカ政府もまた、近年、韓国が急速に中国への接近を強めたことに警戒し、対露防衛に奔走したかつての日本国政府と同様に、中韓同盟、あるいは、中国による韓国併呑を阻止する目的をも込めて、返還を見送った可能性もあります。結果を見れば、日本国の韓国併合は”恩を仇で返された”という意味で大失敗であったわけですが、果たして、歴史はまた繰り返されるのでしょうか。

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日韓議員連盟訪韓団への質問-日本国の名誉回復はどうなるの?

2014年10月26日 15時10分52秒 | 日本政治
慰安婦問題で「共に努力」=日韓・韓日議連が共同声明(時事通信) - goo ニュース
 昨日、日韓両国の超党派の議員連盟の代表が韓国のソウルで会合し、合同総会において共同声明を発表したそうです。立法府には外交権限はありませんので、この共同声明には、法的な拘束力があるわけではありませんが、一体、この共同声明を作成に携わった日韓議員連盟の訪韓団は、どこの国の議員達なのでしょうか。

 共同声明では、「当事者たちの名誉回復と心の痛みを癒すことができるよう日韓双方が共に努力する」とする文言が盛り込まれています。確かに、家族や業者に騙されて戦地に赴いたとしますと、元慰安婦達は犯罪の被害者であり、同情を寄せるべき人々なのですが、被害者の”名誉の回復”の意味するところは、日韓において著しく違っています。少なくとも韓国国内では、元慰安婦の人々は、”日本軍によって自らの意に反して強制的に連行された”と見なされておりますので(実際には、自発的に応募した女性たちが多数…)、既に”名誉回復”は、実現しているはずです。今では、被害者としての韓国を象徴する”ハルモニ”として、国を挙げてヒロイン扱いされております。一方、日本国において”元慰安婦の名誉回復”の意味するところは、”日本軍が国家権力で朝鮮の女性たちを大量に強制動員した”とする韓国の主張を認めることです。朝日新聞社が自らの記事を否定したように、この説は今では資料にもとづいて論駁されており、今後とも日本国政府が正式に認めるとは思えません。否、逆に、政府も国民も、韓国の偽りの主張によって著しく傷つけられた名誉の回復こそが、日本国の今後の政治課題と考えているのです。日韓議員連盟の訪韓団は、名誉回復に向けた政府の努力も国民の願いをも無視し、共同声明で”日本国に汚名を着せることに努力する”と述べているのですから、驚くばかりです。

 日韓議員連盟の訪韓団に問うべきは、”日本国の名誉回復はどうなるのか”ということです。日韓議員連盟の方々は、この質問に対して何と答えるのでしょうか。

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日本の電力市場自由化は”中間搾取”の解禁?-統制経済と新自由主義の握手

2014年10月25日 13時55分03秒 | 日本経済
電力会社に原発の電気、拠出義務づけ…政府検討(読売新聞) - goo ニュース
 電力自由化に向けて、政府は、電力会社に対して原発で発電した電気を卸売り市場に拠出することを義務付ける案を検討しているそうです。この案から推測しますに、日本国の電力自由化とは、その実態は、統制経済と新自由主義が手を結んだ中間搾取の解禁なのではないでしょうか?

 この案における統制経済的な側面とは、”自由化”と銘打ちながら、電力会社に電気卸売市場への電力拠出を義務付けていることです。真の自由化であれば義務付けの必要はなく、電力会社は、自らが製造した電気を卸売市場を介さずに、誰に対しても自由に”産地直売”できるはずです。ところが、政府は、最低価格が実現できる産直方式を否定し(全てではないにしても…)、電力会社から電力を強制的に拠出させたのでは、卸売市場は、国家事業の一つとなります。そして、この”国家卸売市場”に群がるのが、新自由主義者たちです。電気卸売市場には、誰でもが参入できる点で自由ですが、自前の発電設備を保有する発電業者も参入することができます。つまり、卸売市場で買い取った電力を小売りし、その間にマージンを取るのが、彼らのビジネスなのです。おそらく、外国企業もこぞって参入して来るでしょうから、日本国の電気市場は、中間搾取の場となりかねません。

 拠出義務付け対象が、原発の電力に限定されている理由は、やはり、火力や再生エネよりも原発電力の方が安値であるからなのでしょう。つまり、原発で造りだした低価格電力は、卸売市場における事業者の中間搾取で価格が上乗せされ、国民には低価格の恩恵は及ばないことになります。統制経済と新自由主義の握手は、国民にとりましては、最悪のパターンであると思うのです。

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”王様は裸だ”と語ってしまった梁香港行政長官

2014年10月24日 15時08分48秒 | アジア
道路占拠現場で投票へ=政府提案で香港民主派(時事通信) - goo ニュース
 海外メディアとのインタヴューで、香港の梁行政長官が述べたとされる民主化反対の理由。梁長官は、このインタヴューの席で”王様は裸だ”と正直に語ってしまったのではないかと思うのです。

 梁長官の説明によれば、選挙の民主化に反対する理由とは、民主派の要求を受け入れれば”貧困層や労働者が決定権を持つことになるから”というものです。ところが、中国の国家イデオロギーである共産主義思想は、まさに長官が排除を明言した貧困層や労働者が権力を独占し、プロレタリアート(労働者)による政治を実現することを理想として掲げています。否、共産党一党独裁の正当性は、プロレタリアート独裁に支えられていると言っても過言ではないのです(労働者が決定権を持つために共産革命を起こしたはず…)。北京の共産主義政権を後ろ盾としている長官が、”王様”、つまり、共産党の真の姿を語ってしまったのですから、これは、驚くべきことでもあります。もちろん、梁長官のみならず、中国共産党による現在の一党独裁体制が、”労働者のための、労働者による、労働者の政治”を体現していると信じる国民はもはや殆どいません。国民は、”王様”が言うことを信じている”ふり”をしているに過ぎないのです。誰もが”王様は裸だ”と正直に言うことを憚り、口を噤んでいるだけなのです。こうした中、梁長官は、明確、かつ、簡潔に共産主義の真の姿を指摘したのですから、このあまりにストレートな発言に顔が青ざめたのは、むしろ北京政府ではなかったかと憶測するのです。着ていたはずの”プロレタリアート独裁”という王位を示す衣装が、消えてしまったのですから。

 北京政府の代理人と化した梁長官の一言が、共産主義政権の実態を明らかにしたことは、あまりに皮肉なことと言わざるを得ません。あるいは、この発言、北京政府を擁護している見えながら、香港人として北京政府に向けた、梁長官の隠れた抵抗であったのでしょうか。

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共産主義の源流は騎馬遊牧民族の農民管理政策では?

2014年10月23日 15時31分13秒 | 国際政治
 近代思想としての共産主義は、階級闘争史観に基づいてプロレタリア独裁を唱えたカール・マルクスに始まります。しかしながら、しばしば制度的な前例として、中国大陸における均田制が取り上げられることがあります。

 均田制とは、北魏の孝文帝が485年に初めて導入した制度であり、政府が一人当たり同一の面積の口分田を給付するというものです。この制度が共産主義と結びついているのは、(1)国民間において財産が平等であること、(2)土地の所有者は国であること、(3)口分田は世襲ではなく一代限りであること…などの特徴があるからです。平等の観点からしますと、確かに個々人の間には経済的な格差はなく、口分田が保障されており、生涯、生活が安定するのですから、熱心な共産主義者の中には、理想的な制度と礼賛する人も少なくありません。しかしながらこの制度、皇帝が、国民を慮って、国民間の平等を実現することを目的として導入したのでしょうか。実のところ、その逆ではないかと推測するのです。北魏とは、騎馬遊牧民族である鮮卑族が南下し、華北一帯を統一して建国した国であり、この際、漢人系農民をも支配下に置くことになりました。均田制とは、遊牧民ならではの発想であり、農民をあたかも”家畜”の如くに管理するために必要とした制度ではないかと思われるのです。この観点から見ますと、先に指摘した制度的な特徴は、(1)家畜は相互に平等であり、(2)家畜には土地の所有権は必要なく、(3)家畜には家族は存在しない、ということになります。日本国でも班田収授の法として導入されたものの、施行とほぼ同時に崩壊過程に入りますが、この制度の発想は、農耕民族から生まれるものではありません。実際に農業を営んできた農民は、水利、土壌、日当たり…によって口分田の平等が現実には不可能であることをよく知っていますし、土地への愛着、家族総出での農作業、知識や技術の伝承…などが一代給付制度とは相いれないことを熟知しているからです。

 このように考えますと、案外、近代思想としての共産主義もまた、その隠れた目的は、労働者管理制度の創設であったのかもしれません。そして、ミニマムインカムや移民受け入れなどの政策を唱える新自由主義にも似たような危険性が潜んでいるように感じるのは、私だけでしょうか(この場合の”騎馬遊牧民族”は、人を単なる労働力としてしか見ない中国を含むグローバル金融資本?)。

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香港の指名委民主化案-北京政府は香港の決定を尊重すべき

2014年10月22日 15時58分18秒 | アジア
「指名委」を民主化=選挙改革で譲歩案―香港長官(時事通信) - goo ニュース
 報じられるところによりますと、香港の梁行政長官は、民主派の一部からの提案を受けて、指名委の選出を民主化する案を検討する方針を示したそうです。先日の対話は物別れに終わったものの、今後、両者が正式に合意するとすれば、香港の危機は峠を越える兆しが見えてきたことになります。

 合意の下で香港が纏まったとしますと、注目されるのは、北京政府の反応です。梁行政長官は、もとより親中派の立場にありますので、あるいは、既に裏で何らかの意見交換がなされている可能性はありますが、これまでのところ、北京政府は、この件については沈黙しています。しかしながら、返還時での英中共同声明にあっても、香港基本法にあっても一国二制度を約束し、高度な自治を承認しているのですから、北京政府は、香港が独自に下した決定を拒否できないはずです。仮に、香港の指名委民主化案を潰そうとするならば、香港内部の対立は、今度は、香港対北京政府の対立に転じる可能性も否定はできません。

 先日も、北京政府は、ポーズであれ、香港の問題は香港で解決すべきとする立場を表明しておりましたので、自らの言葉に忠実に従って、香港の決定を尊重すべきです。一方、民主派デモ側も、指名委民主化案を再度”骨抜き”にされないよう、改革案の具体化の過程にあって、細心の注意を払うべきと思うのです。

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ヘイトスピーチ問題が示す”3つの差別問題”

2014年10月21日 15時38分50秒 | 社会
「今後は僕を攻撃すればいい」橋下市長、ヘイトスピーチ問題で面談の在特会に(産経新聞) - goo ニュース
 昨日、大阪市の橋元市長とヘイトスピーチ団体と見なされている在特会が面談を行ったそうです。物別れとなったそうですが、ヘイトスピーチ問題は、差別には3つの問題が混在していることを示しております。

 差別とは、一般的には、特定の人種、民族、宗教、身分、門地、性別…に属する人に対して、何らかの不公平な扱いや不利益を与える行為を意味しています。人類は、不当な差別と闘ってきた歴史があり、今日では、国際レベルでも人種差別は否定されています。特にナチス・ドイツのヒトラーが、ゲルマン民族優越主義を唱えてユダヤ人を迫害したため(ユダヤ人の選民思想も差別主義なのですが…)、この問題に対して過敏になりがちです。このため、誰もが、”差別主義者”の批判を受けることを怖れるのですが、この差別批判恐怖症が、第二、第三の差別問題を引き起こすことになりました。第二の差別問題とは、差別主義者のレッテル張りが、政敵やライバル等を首尾よく失脚させたり、他者を脅す手段となったことです。この手段は、マスコミや差別反対運動の団体によって用いられてきました。そして第三の差別問題とは、差別は、正当な批判や言論を封じる盾としても使われていることです。差別を受けてきたとされる集団が犯罪や反社会的行為を働いたり、国レベルで政治的な敵対行為を行うような場合には、批判を受けるのは当然のことです。ところが、”差別反対”を叫べば、巧妙に批判を差別にすり替えることができますので、戦略的に差別問題を利用する人々も少なくないのです。

 以上に述べたように、差別問題には、(1)全く理由のない偏見による差別、(2)攻撃的差別利用、(3)防御的差別利用の三者があるようです。真になくすべきは(1)なのですから、ヘイトスピーチを議論するならば、(2)と(3)をどのように対処していくのかも合わせて論じてゆくべきではないかと思うのです。

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”中国式法治”-中国を法の籠に閉じ込めたいのは国際社会

2014年10月20日 15時38分08秒 | アジア
「法治」向け本格討議=4中総会が開幕―中国(時事通信) - goo ニュース
 中国の北京では、本日、中国共産党の第18期中央委員会第4回総会が開催されたそうです。テーマは、「法治中国の新天地を切り開く」ことなそうですが、国際社会から法の支配に反する行為を批判されてきたことへの反応と憶測されます。

 ところで、中国式法治の詳しい内容は今のところ不明ですが、報じられるところによりますと、習主席は「権力を制度の籠に閉じ込める」と説明しているそうです。権力は、制度、すなわち、法の定めた範囲の中において行使されるべきとする意味ならば、確かに立憲主義に通じるものがあります。汚職の撲滅運動を念頭に置いた国内向けの発言なのでしょうが、国際社会が中国に対して最も言いたいのは、まさにこの言葉です。何故ならば、中国は、国連等の国際制度や国際法を無視して、野放図な国家権力を以って自らの要求を他国に押し付けてくるからです。国際社会における中国の姿とは、籠を壊して外に逃げ出した虎の如くであり、周辺諸国を牙で脅しながら虎視眈々と獲物を狙っているのです。香港の民主派デモの発生原因も、中国が、返還時の公約や香港基本法の規定を無視して、民主主義を権力で壊そうとしているからに他なりません。

 中国が法治を唱えは始めましても、言行の不一致が甚だしい現状では、然したる変化は期待できないそうにもありません。しかも、”法”と言うものが、共産党、あるいは、習主席の一存で制定されるならば、それは、フェアで一般的なルールではなく、単なる人による命令に過ぎないのではないかと思うのです。

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再生エネの欠陥制度-問われる民主党政権の責任

2014年10月19日 15時09分24秒 | 日本経済
小渕経産相辞任へ=「政治とカネ」で引責―首相側に伝達・20日にも表明(時事通信) - goo ニュース
 菅前首相が自らの辞任と引き換えに、国会で可決・成立された再生エネ法。この制度、遂に限界に達し、抜本的な見直しを迫られる状況に至っております。

 再生エネの高値買取制度は、導入時に際して既に重大な欠陥が指摘されておりました。先行して導入したドイツやスペインでは、この時、既にマイナス面が表面化していたのですから、民主党政権の見切り発車の裏には、菅前首相と太陽光発電事業への参入を狙うソフトバンクとの利権絡みの癒着を疑う声もあったのです。通常、先例から行き詰ることが始めから分かっている制度は導入しないものです。不自然で不合理なことには、必ずや何らかの良からぬ思惑が隠れているものですが、この責任は、一体、誰が取るのでしょうか。再生エネ法では、良質の電力供給を安定的に提供する必要性から、電力会社に買い取りを拒否できる権利を認めており、法案が早期に成立したのも、この権利が明記されたからとされています。ですから、今般の電力会社の権利行使は驚くことではないのですが、太陽光発電事業への参入のために既に多額の投資を行ってしまった事業者からは、怨嗟の声も上がっています。再生エネ法を政治的取引まで駆使して強引に通した”つけ”は、結局、後発参入組が、無駄な投資という形で払うことになったのですから(この点、制度の見直しに際しては、最も”得”をした先行組からの買い取りを制限する案は良案…)。その一方で、一般の消費者にとりましては、当制度による電力料金の値上げに歯止めがかかりますので、歓迎すべきことでもあります。再生エネを普及させるためには、価格低下化を促すメカニズムを備える必要がありますし、経済や国民に負担を押し付ける政策は悪政と言うものです。

 民主党は、小渕経産相の政治資金問題を厳しく追及しておりますが、自らの政権時に残した負の遺産については、素知らぬふりを決め込んでいるようです。今般の辞任騒ぎが、制裁エネ制度の見直しを遅らせることがないよう願うばかりです。

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企業戦略の”選択と集中”は正しいのか?-短期戦略と長期戦略

2014年10月18日 15時29分23秒 | 日本経済
 昨日も、日経新聞の社説では、日本企業再生の処方箋として、選択と集中をしきりに勧めておりました。収益性の高い部門に投資を集中し、その他の部門は速やかに切り離すように、と…。しかしながら、この戦略、果たして正しいのでしょうか?

 選択と集中の手法とは、GEの最高責任者を務めたジャック・ウェルチ氏が提唱したものであり、2000年以降、企業の経営方針として全世界で採用されてきました。おそらく、日本企業はこの方法の採用が遅れている、とする認識があるのでしょう。しかしながら、入社時に花形部門であった部署が、退職時には、リストラ対象部門となっている事例は少なくありません。また、以前は、日陰であった部署から、突然に新たな革新的技術やヒット商品が生まれることも少なくありません。市場や産業構造が変化しないと仮定すれば、短期戦略として”選択と集中”を実行することは、企業の最大のパフォーマンスを実現することになるのでしょうし、実際に、それを達成した企業もあるのでしょうが、前提を市場や産業構造は時間の経過とともに変化するもの変えますと、企業の変化への対応性という面において、”選択と集中”にはリスクがあります。恐竜の如く、何らかの劇的な変化に晒された場合、ひとたまりもなく絶滅する可能性があるからです。無駄なように見えても、企業内部に様々な成長の芽を育てていた方が、あるいは、周囲の環境の変化に柔軟に対応し、サバイバルには成功するかもしれないのです。

 短期的戦略の採用は、長期的戦略としては失敗することもあり、合理性や収益性の最大化が、時には、組織としての寿命を縮めることもあります。”選択と集中”の戦略については、変化への対応力の弱さの側面から、慎重に検討する必要があるのではないかと思うのです。

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香港民主派デモ対話の行方―”裏の裏をかく”作戦は?

2014年10月17日 09時26分07秒 | アジア
来週にも民主派と対話希望=選挙制度「撤回あり得ない」―香港長官(時事通信) - goo ニュース
 香港の民主派デモの発端は、北京政府が、一方的に行政長官選挙の方法を改悪し、民主主義を骨抜きにしようとしたことにあります。本来、民主的な普通選挙の導入は、同時に住民の政治的自由の保障を意味しますが、中国は、制限的な立候補者条件を付すことで、共産党の息のかかった人物しか立候補できないようにしたのです。

 北京政府は、いわば普通選挙導入の”裏をかいた”わけですが、民主派デモ側も、”裏の裏をかく”作戦を検討してはどうかと思うのです。報道によりますと、梁行政長官は、対話の条件として、民主派デモに対して中国全国人民代表大会常務委員会の決定の受け入れを求めています。条件付き対話は、中国側が自らの要求を強要する際の常套手段ですが、問題は、指名委員会による候補者の絞り込みにあります。改悪案では、指名委員会の推薦レベルを高めたため、民主派の立候補者を締め出す格好となると共に、参政権のうち、被選挙権に関しては厳しい制約が課されたことになります。この指名委員会なるもの、親中派で固められると予測されておりますが、指名委員会選出の方法を変えることができれば、民主派の立候補も可能となります。現在、指名委員会は、(1)商工金融界、(2)専門家、(3)労働界・社会サービス、宗教・その他、(4)立法府・全人代代表等の4部門から同数が選出されています。この構成を変えて、学生運動家や一般住民から選ばれた指名委員が、少なくとも全体の過半数を超えるように調整する(人数構成の変更やカテゴリーの新設…)、各部門での選出方法をより民主化する、あるいは、候補者の人数を絞り込むに際して、非共産党系の候補者を必ず一人は含める…、といった条件を付ければ、民主派からの立候補は可能となります。

 梁長官は、「長官候補を認定する「指名委員会」に関しては「具体的構成などは討議の余地がある」と述べた」と報じられておりますので、民主派は、中央の決定の受け入れと指名委員会の改革とをワンセットにして交渉に臨めば、瀕死の民主主義を蘇らせることができるかもしれません。中国大陸に灯された希望の灯を絶やしてはならないと思うのです。

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