万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

習近平“主席”は現代のチンギス・カーンとなるのか―中国から世界へ?

2017年07月31日 15時15分15秒 | 国際政治
「強大、世界一流の軍に」=習氏、創設90周年で閲兵―中国
チンギス・カーンの一代記でもある『元朝秘史』には、現代の人道レベルでは、“閲覧注意”の警告が付されるほどの残酷な描写が散見されます。13世紀の出来事ですので、ユーラシア大陸に出現した無法者が世界の覇者となる展開は現代ではあり得ないように思われますが、今日の暴力を信奉する中国や北朝鮮等の行動を見ておりますと、楽観的な油断は禁物なように思えます。

 先日も、中国では、人民解放軍の創設を祈念するパレードが催されましたが、その開催地は内モンゴル自治区でした。何故、敢えてモンゴルの地が選ばれたのか、そこには、独裁体制の強化を狙う習主席の新たなる野望が見え隠れするのです。

 昨今、習主席の目指すべき目標は毛沢東体制の再来であり、“党主席”のポスト復活の要求も、自らを毛沢東と同列の地位に置きたい欲望の現れとされてきました。その一方で、同氏の最近の行動を見ますと、建国の祖である毛沢東を越える、すなわち、中国の枠を越えることに、自らの人生の目標を転じたようにも見えます。そして、新たな野望を達成するに際してお手本とした人物こそ、騎馬団を率いて世界征服に乗り出したかのチンギス・カーンあるかもしれないのです。トップの命令ひとつで動く人民解放軍こそ、現代のモンゴル騎馬団であり、近年の人民解放軍の再編でも、チンギスの軍制改革と同様に、中央集権と上意下達を徹底させています。現代中国が推進する一帯一路構想やAIIBの設立、そして、人民元が広域的に流通する通貨圏構想も、チンギスやその後継者が、積極的にイスラム商人やユダヤ商人を登用し、捕虜を商品とした奴隷貿易をも含むモンゴル経済圏を広め、世界で初めて不兌換の政府紙幣を発行した歴史を思い起こさせます。政治と経済が結託しながら世界制覇を目指す姿勢は、両者において共通しているのです。

 モンゴル軍の侵略の爪痕は深く、マルコ・ポーロの『東方見聞録』にも、往年の繁栄が見る影もなくなった征服地の荒廃ぶりが記されています。容赦のない殺戮と掠奪によって人類文明を崩壊寸前にまで追いやったモンゴル思想という残忍な負の思想の影響は、今日に至るまで、ユーラシア大陸には色濃く残っているようです。そして、その無法と暴力を許す思想が(今日の国際法では侵略は“犯罪”…)、共産党一党独裁の衣を纏った習近平体制の成立として現代に具現化されるとしますと、それは、人類にとりましては、悪夢の再来となるのではないかと思うのです。

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習近平国家主席の“党主席”復活の狙いとは?-世界支配の野望か

2017年07月30日 14時12分03秒 | 国際政治
 今日、中国において、国家組織の最高ポストである国家主席の座にあるは、習近平氏です。その習氏、国家主席では飽き足らず(共産主義では、党が国家を指導し、国家に上位すべきとする認識がある…)、“核心”という称号に加えて、今度は、党主席のポストの復活を提案したと報じられています。

 “党主席”とは、唯一、建国の父とされる毛沢東氏のみが就任し得たポストです。“核心”は、毛沢東氏に加えて鄧小平氏や江沢民氏にも与えられた呼称に過ぎませんので、“党主席”の地位には別格の重みがあります。併せて68歳以上の幹部定年の制度をも変えようとしているところから、その“党主席”の復活を提言した習氏の思惑が、長期独裁体制の樹立であることは言うまでもありません。国家主席や党総書記には2期までとする制限があり、現制度のままでは習主席は、引退せざるを得ないからです。現代における最高レベルの医療を施すことで同氏が100歳まで長生きをするとすれば、中国国民は、終身独裁制の下で30年以上にわたる暗黒の時代を生きることとなりましょう。

 そして、パーソナルカルトを伴う習近平長期独裁体制の成立に加えて、懸念されるのは、中国共産党という組織を世界支配の道具とすることです。かつて、ソ連邦が東側陣営の盟主となり得たのは、全世界の諸国に設立された共産党を陰から動かし、コミンテルンと呼ばれた国際組織で束ねることで、国境を越えた活動を指令することが可能であったからです。乃ち、政党とは、それが国家の枠組を越える時、いとも簡単に内政干渉、あるいは、外国支配の手段となり得るのであり、ソ連邦は、それを実行しているのです。

 ソ連邦なき今日、最後に残った“共産主義帝国”である中国が、類似する手法で世界支配を狙っても不思議ではありません。日本国内では、蓮舫民進党代表の二重国籍問題が批判を受けましたが、仮に、中国共産党が国籍条項を設けていないとすれば、中国国籍を保有してはいないものの、何処の国でも中国共産党の党籍を有する政治家が存在するかもしれないのです(二重国籍ではないが、極めて危険な存在…)。

東アジア情勢が緊迫する中、日本国政府は、中国共産党のリスクに対しても、予め対応策を講じておくべきではないでしょうか。中国における習主席を頂点とする長期独裁体制の成立は中国一国の国内問題に留まらず、その際限なき支配欲ゆえに国際法秩序全体を揺るがしかねないのですから。

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対北軍事制裁の現実味-日本国に求められる覚悟

2017年07月29日 15時18分50秒 | 国際政治
【北ミサイル】トランプ米大統領、北のICBM発射は「無謀で危険」 対抗姿勢強調 「あらゆる対策とる」
 報道によりますと、米陸軍のミリー参謀総長は、ワシントン市内で今月27日に開かれた講演において、北朝鮮問題について“時間切れが近い”とする認識を示したそうです。「百日計画」を念頭に置いた発言とも推測されますが、“朝鮮半島での戦争は悲惨だが、ロサンゼルスで核兵器が爆発するのも悲惨だ”とする解説も添えています。

 こうした中、翌28日には北朝鮮は、国際社会の懸念を一切無視して、再度、ICBMの発射実験に踏み切っており、アメリカ側の警告に対しても“どこ吹く風”の対応です。上述した講演でミリー参謀総長は、“熟慮の末の決断を下さなければならない”とも述べており、愚弄とも言える北朝鮮側の対応に業を煮やしたアメリカが対北空爆に踏み切るシナリオも現実味を帯びてきました。

 昨今のメディアの論調では、北朝鮮がミサイル搭載可能な核兵器、並びに、アメリカ領内に到達するICBMの開発に成功すれば、アメリカは、自国民の被害を考慮し、北朝鮮に屈せざるを得ないとする見方が大半を占めてきました。また、たとえ、アメリカに対する直接的核攻撃のレベルに達しない段階でも、同盟国である日韓等に配慮し、対北攻撃は思い止まるとする楽観的な見解も聞かれました。しかしながら、ミリー参謀総長の談には、武力行使に伴う犠牲の覚悟が窺えるのです。

 仮にこのまま北朝鮮の傍若無人な行動を放置しますと、近い将来、北朝鮮は、アメリカのみならず、全世界の諸国に対して核とICBMで脅しをかけることでしょう。否、韓国における新北派、文在寅大統領の誕生は、既に北朝鮮の核が脅迫効果を有している現実を示しています。暴力主義国家による覇権追求の悲劇は歴史が語るところですが、見境のない北朝鮮の行動を最終的には武力でしか止められないとしますと、如何なる犠牲を払ってでも戦わなければならないこととなります。古今東西の神話やおとぎ話では、人々を苦しめる怪物や邪悪な者が登場すると、勇気と力を有する正義の英雄が登場して成敗するものですが、この勧善懲悪のストーリー展開は、人類社会に普遍的に存在する“悪(自己中心的で貪欲な暴力主義者であり侵略者…)”との対峙を誰もが理解し得るように単純化して描いているのかもしれません(誰かが闘わなければならない…)。

 このように考えますと、アメリカが武力行使を実行する時期については、核を搭載したミサイルがアメリカの首都、あるいは、経済の中枢であるニューヨークに確実に届くミサイル攻撃能力を北朝鮮が有する以前の段階が最も可能性が高いと想定されます(それ故に、北朝鮮もICBMの実験を加速化させている…)。何故ならば、冷徹なリアリズムに徹すれば、この時期こそ、アメリカが払う犠牲が最小となるからです。そしてその選択は、日本国にとりましては、報復として北朝鮮から核攻撃を受ける覚悟を迫られていることを意味します。否、日本国は、アメリカに対して、“日本国のためにロサンゼルスへの核攻撃を甘受せよ”とは言えないはずです。国際法秩序が破壊され、人類が暴力国家に支配される将来が近づいている今日、日本国、並びに、日本国民は、犠牲を払ってでも守るべき価値はあるのか、という精神性をも含めた人類の存在に関わる根本問題を問われているように思えるのです。

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竹島は"韓国領”発言-米ロイス下院外交委員長は政治家には不向き

2017年07月28日 14時19分10秒 | 国際政治
下院慰安婦決議10年で集会=外交委員長、竹島は「韓国領」―米
 報道によりますと、アメリカの首都ワシントンD.C.では、米下院での慰安婦問題に関する対日非難決議から10年を記念する集会が開催され、その席で、ロイス下院外交委員長から“竹島は韓国領”との発言があったそうです。ロイス共和党下院議員は、米下院外交委員会の長という重職にありますが、氏は、政治家には不向きなのではないかと思うのです。

 その理由は、第1に、高度な政治判断を要求される政治家という職にあっては、情報収集を怠ることが許されないからです。特に、外交分野となりますと、政治家の情報不足は、国益を損ねる致命的な結果をもたらしかねません。上記の発言からしますと、竹島問題について、ロイス下院議員が何らかの調査をも行っていないことは確かです。アメリカ政府は、過去において竹島を韓国領として認めた事実はなく、否、当初よりICJでの司法解決を求めるなど、武力で竹島を占領した韓国側を批判してきました。また、日韓両政府とも、同問題について外務省が英文において情報提供を行っておりますので、少なくとも基本情報へのアクセスは容易なはずなのです。

 第2に、政治家が外国から便宜供与を受けたり、その意向に沿って行動してはならないことは、如何なる国にあっても基本的な政治家の規範です。ロイス下院議員が、自ら情報収取に努めることなく、韓国側の言い分のみに耳を傾けて“竹島は韓国領”と発言したとしますと、これほど、アメリカにとりまして危険な政治家はおりません。何故ならば、氏は、いとも簡単に外国政府に誘導されてしまう政治家であることを、自らの発言で証明しているからです。同氏は、おそらく韓国側より何らかの便宜供与を受けているのでしょうが、たとえ“同盟国”である韓国が贈賄側であったとしても、規範に反することには変わりはありません。しかも、本集会の本題である慰安婦問題の背後には中国や北朝鮮の工作活動も指摘されており、同氏の行動は“敵国”への正真正銘の“売国行為”ともなりかねないのです。

 第3に、政治家には、全方位的なバランス感覚が必要です。今般、ロイス下院議員は、韓国贔屓の発言をいたしましたが、この発言は、当然に竹島問題で争っている日本国側の反発を招き、日韓関係と共に日米関係をも悪化させます。政治家としてのバランス感覚を発揮し、せめて両国の主張を誠実、かつ、公平に聞く姿勢を見せ、司法解決を提言していれば、緊迫しつつあるアジア情勢へのマイナス影響を避けることができたはずです。あるいは、日米同盟に対するマイナス影響を予測した上での発言としますと、やはり同氏は、中国・北朝鮮側の隠れた協力者であるのかもしれません。

 歴史的な経緯をみましても、また、法的な根拠を調べましても、竹島が日本領であることは明白です。しかも日本国政府は、当問題の解決に際し、公平、かつ、中立的な立場からの司法解決への付託を求めています。にも拘らず、平然と竹島を”韓国領”と述べるロイス下院外交委員会委員長は全く以って信頼に値しない政治家であり、政治家としての資質も備えていないと思うのです。

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モンゴル思考を受け継ぐ北朝鮮-アメリカへの脅しは本気では?

2017年07月27日 15時39分20秒 | 国際政治
北朝鮮「米は滅亡の奈落に転がり落ちる」と威嚇
 北朝鮮のアメリカに対する挑発的発言は、しばしば失笑を買っています。国力において雲泥の差がありながら、核とICBMの開発に半ば成功したことで舞い上がり、大国アメリカまで屈服させると意気込んでいるのですから。

 傍から眺めますと滑稽なようにも思えるのですが、朝鮮半島もまたモンゴルの支配を受けた地域であることを思い起こしますと、北朝鮮は、案外、本気であるのかもしれません。北朝鮮にしてみますと、モンゴル帝国こそ、“小が大を呑み込む”模範とすべき前例であり、彼らにしてみますと決して不可能なことではないからです。

 『元朝秘史』によれば、周辺諸部族を征服、あるいは、糾合しながらモンゴル帝国を建設する台頭過程にあって、最初の頃の軍団の数はそれほど多くはありません。例えば、ケレイド族との戦いへと赴く途中にチンギス・カーンが兵数を数える場面がありますが、そこでは、2600と言う数字が記されています(第六巻175)。この数字が正確であるかどうかは分かりませんが、東西両軍の兵数が20万を数えたとされる関ヶ原の戦いと比較しても少ない数です。ところが、モンゴル族は帝国支配の技術を手にしたことで、東は西夏、金、南宗を滅ぼして元を建国し、南はホラズムやバクダード・カリフ朝等を征服し、西はロシアにまで支配下に置いたのですから、モンゴル帝国は、人類史上空前の領土拡張を記録したと言えます。北朝鮮もまた、たとえ数では劣っていても、モンゴルと同様に、戦争法や人道法を一切無視し、手段を選ばない戦いを展開すれば、たとえ相手が大国アメリカであろうとも、勝ち目はあると考えているかもしれないのです。

 加えて、もう一つ、モンゴルと北朝鮮との間の共通点を挙げるとすれば、それは、“我”に対する強い拘りです。『元朝秘史』には、一人称の表現が極めて多く散見され、収録されている詩にも、フレーズの末に“我”や“我等”を付している作品が見られます。

  “…黒き、足早き馬にのれり 我
  鋼の己の衣をまといたり 我
  鋼鉄の、己が槍を把れり 我…”

というように。北朝鮮の体制を支える国家イデオロギーの名称が主体思想であり、それが独裁者の自我としての主体のみを認める思想であるのは、モンゴル的な“我”の今日的な表現なのかもしれません。そして、“自我”への常軌を逸する執着は、“他者”の主体性の否定と侵害という“侵略”や“侵害”を帰結する傾向にあり、北朝鮮の自己中心的な思考回路を説明するようにも思えるのです。

 北朝鮮の発想の根源にモンゴル的帝国主義と自己中心主義が潜んでいるとしますと、アメリカに対する脅迫や攻撃予告も侮ってはならないのかもしれません。核やICBMさえ手にすれば、北朝鮮にとりましては(何れの国か何らかの国際組織が背後で支援している可能性も…)、大国アメリカへの挑戦は決して非現実的な行為ではなく、むしろ、世界征服までをも描く軍事大国化への現実的なシナリオの一歩であるのかもしれないのですから。

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オーストラリアの二重国籍閣僚の辞任―日本国にも安全装置を

2017年07月26日 16時34分29秒 | 日本政治
 報道によりますと、民進党の蓮舫代表の国籍関連書類の公表については納得しない国民も多く、未だに疑惑が燻っているようです。日本国内で政治家の二重国籍が問題視される中、海を隔てたオーストラリアでも、二重国籍の判明によって閣僚や議員の辞職が頻発しているそうです。

 オーストラリアと言えば、白豪主義は過去のものとなり、今日では、世界各国から移民を受け入れる多民族国家となりつつあります。“多様性を尊重する国”としてのイメージが強いため、今般噴出した二重国籍問題については、意外に感じる人も少なくないことでしょう。しかしながら、逆から眺めて見ますと、移民国家であるからこそ、他国に先駆けて二重国籍の問題を認識し、国制上に明確な安全装置を設けたとする見方もできます。移民の受け入れには、内政干渉、あるいは、外国支配のリスクが常に伴うからです。アメリカ合衆国憲法がその大統領就任資格において厳しい国籍要件を設けたのも、移民国家の自覚あってこそとも言えます。

 その一方で、日本国の場合には、国籍法において二重国籍は禁じられているため、二重国籍の政治家は当然に存在しないものとして統治機構の制度設計がなされています。蓮舫代表は、この制度上の盲点を突いた形で政治家となったのであり、既成事実化を目指していることは、代表続投や衆議院議員選挙への鞍替え出馬の表明からも分かります。それでは、日本国は、こうした現状を放置しても大丈夫なのでしょうか。

 国籍法は国によって違いがあるため、日本国一国が法律で二重国籍を禁じていても、他国籍を強制的に喪失させるための実行手段が欠けていたため、現実には日本国にも二重国籍者が存在しています。このため、政治家にも二重国籍者が存在する可能性があったのですが、これまで、誰もこのリスクに触れてきませんでした。二重国籍者が議員選挙に立候補するとは、常識的に誰も考えなかったからです。ところが、蓮舫代表の国籍疑惑が浮上し、疑惑が疑惑を呼ぶにつれ、俄かに、二重国政治家のリスクが表面化することとなりました。つまり、蓮舫代表こそ、国籍関連文書の公表により、二重国籍政治家の存在を証明した最初の政治家であったと言えるのです。

 その存在が明らかになった以上、二重国籍政治家に対するリスク対策を制度として実現しませんと、日本国の安全と独立が内部から脅かされる可能性があります(実際に、二重国籍状態において蓮舫代表が閣僚として行った政策は、日本国の国益を著しく損ねている…)。図らずも蓮舫代表は、自ら二重国籍政治家の存在証明をすることにより、安全装置設置の必要性をも証明することにもなったのです。具体的な安全装置に関しては、政治家に限りましては、立候補者や閣僚候補を対象として、二重国籍者を事前にチェックする予防制度を設ける必要があります。未然防止制度が完備されれば、以後は、二重国籍議員は生じません。過渡的な措置としては、現職の議員や閣僚もチェック対象とし、二重国籍の議員についてはその資格の停止も検討すべきです。チェックの手法については、調査機関を設けるという案もありますが、憲法、並びに、公職選挙法上の手続きの厳格化ですので、新たに立法措置を講じなくとも、立候補に際して提出する申請書の記載項目の変更や添付書類の追加、あるいは、他の国籍国への照会といった方法で対処できるかもしれません。

 なお、ネット上などでは、“日本国では、二重国籍の政治家を禁じていない”と、法律に明文の禁止規定がないことを盾に強弁を通そうとする識者も見受けられますが、それは、上述したように、存在していないことを前提としているからに他なりません(悪しき反対解釈…)。明文の規定がないにせよ、二重国籍政治家は国家の安全と独立に対する重大なリスクなのですから、参政権に関する法解釈は、二重国籍を禁じる日本国の国籍法に基づいてなされるべきではないでしょうか。

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共産主義国家中国はモンゴル帝国の再来か?

2017年07月25日 17時31分35秒 | 国際政治
 13世紀のはじめ、ユーラシア大陸東部のモンゴル高原に突如現れたチンギス・カーンは、騎馬団を率いて周辺諸国に攻め入り、アジアからヨーロッパ東部にかけて広大なる帝国を築きます。草原の彼方から土煙が上がるのが見えたが最後、モンゴルの騎馬団に襲われた村々は、凄惨なる掠奪と虐殺の場と化したとされます。モンゴル軍の強さの秘密は騎馬軍の移動、並びに、戦闘能力の高さによって説明され、しばしば現代における戦車の登場にも喩えられます。しかしながら、『元朝秘史』を読み通しますと、モンゴル帝国出現の要因は、その野蛮性のみではないようなのです。

 チンギス・カーンを帝国の主に押し上げたもの、それは、侵略の自己目的化と、それに伴う被征服民族をも組み込んだ国家ぐるみの“掠奪・分配システム(集・配システム)”の構築です。『元朝秘史』の前半部分には、統治機構について触れる箇所は殆どなく、昔ながらのモンゴル族やその周辺諸族攻防が描かれています。この段階での部族間抗争は、洋の東西を問わず、人類史上、特に、古代においてしばしば見られるありふれた光景です。ところが、第六巻におけるケレイド族の殲滅あたりから様子が変わってきます。そして、同巻の後半部分に、以下の興味深い一文を見出すことができます。

「オングッド族のアラ・クシ・ディギド・クリの許より、アサンという“商人”(サルタクチン:回回)が駱駝を連れて、…そこでチンギス合罕に会った。」

 オングッド族とはトルコ系の遊牧民であり、商人の漢語表記は回回であることから、トルコ系遊牧民族と取引をしていた諸国をめぐる人、即ち、ここでは商人と訳されています。しかしながら、回教徒、即ち、イスラム教徒との解釈もあり、この人物の名がアサンであることから、ハッサンというイスラム系の商人であったのかもしれません。何れにしても、軍事的な記述が大半を占める『元朝秘史』にあって、外国人商人の名がはっきりと記されているのはこの箇所のみです(その後の巻でも、アサンに関する記述はない)。次いで第七巻に入りますと、突然に、単純な部族社会であったモンゴルが、帝国へとその統治機構を編纂、変貌させてゆく過程が克明に描かれるようになります。そして、その組織化の手法には、ペルシャ帝国、ローマ帝国、中華帝国などの統治技術が散見されるのです。

 かくしてモンゴル族の支配地には、チンギス・カーン独裁体制を維持するための親衛隊(宿衛人)なども組織される一方で、非征服民族、並びに、服属民族をも対象とした軍制が敷かれ、一万戸、千戸、百戸といった住民編成に基づく徴兵制度も整えられます。いわば、征服のための常備軍を設けたのであり、周辺民族や他国は征服事業のターゲットとして位置付けられることになるのです。こうした統治技術が、アサンといった“お雇い外国人”から齎されたことは想像に難くなく(『元朝秘史』には記述はないが、遼の耶律楚材も登用…)、征服事業に伴って獲得した略奪品や捕虜奴隷は、イスラム商人やユダヤ商人等の手で遠方に売り払われたのでしょう。そして、“鉄車”なる兵器の記述は、征服事業で得た資金を先端兵器の購入に充てていたことを窺わせるのです。

 モンゴル帝国建設の過程は、見境なき殺戮を許す“野蛮性”と帝国の統治技術との結合の恐ろしさを伝えています。そして今日の中国も、共産主義体制と言う“集・配システム”の下で中央集権化が進められております。統治目的が国民一般の福利ではなく、国際社会における覇権の確立へと向かう時、それは、モンゴル帝国の再来になりかねないと思うのです。

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中国は文明国か?-古代文明の幻想

2017年07月24日 14時52分50秒 | 国際政治
劉暁波氏追悼の集会、複数の人権活動家を連行か
 中国の民主化運動の象徴でもあった劉暁波氏の死は、全世界に中国共産党政権による民主化弾圧の過酷さを知らしめることとなりました。劉氏の遺骨は当局の圧力により海に散骨され、この世に留まることさえ許されませんでした。

 度重なる中国共産党政権による人権弾圧は、中国に対する評価さえ変えつつあります。鄧小平氏による改革開放路線以降、自由主義国の多くは中国も民主化プロセスを歩むものと信じてきましたが、今や、時計の針は逆回りに転じたかのようです。目下、中国では、習近平国家主席への権力集中が加速化し、北京市に次いで重慶市でもトップに習主席の側近を据えた人事は、同主席が、全国規模で人事権を掌握しつつある現状を示唆しています。

 20世紀に至り、共産主義革命によって共産党による一党独裁国家を建設したとはいえ、中国の伝統的な国家体制は、皇帝1人にあらゆる権力が集中する中央集権体制です。一党独裁体制もその変形であり、経済力をばねに軍事大国化した今日、習主席は、中華帝国の復興を公然と唱えて憚りません。その背景には、中華帝国は、世界に先駆けて出現した誇るべき文明大国であり、その復興を当然とする中華文明礼賛論があります。しかしながら、現代において文明と野蛮とを区別する軸を“他者に対する一般的な主体性承認”に置くとしますと、中華文明は、文明の名には値しないように思えます。中国の古来より、専ら自らを世界の中心とみなし、周辺国、否、全世界は自国に従属すべき存在にすぎないと見なしているのですから。

 紫禁城などに代表される中華帝国の過去の威光に目を奪われて、今日なおも中国を文明国と見做している人々も多く、こうした人々は、現在の人道問題や人権問題にも目を瞑りがちです。しかしながら、現代の価値基準からしては野蛮に分類される中国の伝統的国家体制(共産党一党独裁体制も含む)が、中国国民、並びに、国際社会にとってさえ望ましいはずもなく、主体性を無視された他の諸国は、常に、中国から侵害を受けるリスクに晒され続けるのです。北朝鮮等にも同様のことが言えますが、人類全体の文明化のためには、中国の体制移行こそ必要不可欠なのではないでしょうか。

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“文明の衝突”ではなく“文明と野蛮の衝突”では?

2017年07月23日 15時17分17秒 | 国際政治
 イギリスのEU離脱、並びに、アメリカでのトランプ政権の誕生を背景に、サミュエル・ハンティントン氏が提唱した文明の衝突論が再び議論の俎上に上るようになりました。メディアでも盛んにリベラル派の知識人の見解が取り上げられ、“文明の衝突”を避ける道として、多様性を認める寛容の精神を読者に説いています。

 しかしながら、今日、国際社会が直面しているのは“文明の衝突”なのでしょうか。メディアに颯爽と登場してくる知識人は、何の疑いもなく異文明間の衝突を議論の前提に自説を展開しています。ところが、現実を直視しますと、今日の国際社会で起きている問題の多くは、異なる文明間の衝突ではなく、文明と野蛮との間の衝突に思えてならないのです。

 ここで確認すべきは、現代における“文明”とは何か、という文明の定義と判別基準です。今日において人々が安心して生きるためには、まずは、個人であれ、集団であれ、自他の主体性(存在そのもの…)の一般的な承認を要します。超越的な視座に位置する法によって、全ての構成主体が承認されなければ、統治上の価値とされる民主主義も、自由も、法の支配も、そして平等・公平も成り立たないのです。現代の文明は、主客両面における主体性承認を普遍的な制度として実現していると言うことができるでしょう。

 このような現代の文明の定義に照らしますと、“文明”の対義語としての野蛮”は、“他者の主体性の一方的無視”を意味します。イスラム教も共産主義も、異性(女性)の主体性の軽視や無視、異教徒や異なる階級の人々の主体性の抹殺を肯定している点において、“野蛮”に分類されると言えます。北朝鮮の政治イデオロギーである主体思想も、独裁者の主体性を絶対化する一方で、国民を含めた他者の主体性を認めない野蛮思想に他なりません。

 そして、現代の人類が直面している問題を“文明の衝突”と見なしているリベラル派の立場は、個人のレベルでは基本権や多様性の尊重を唱えても、集団のレベルでは、国家の主権や民族の自決権は容認していません。この意味において、リベラル派は、国家や民族(国民)の主体性を一方的に無視しているのです。否、国家の歴史や伝統、そしてこれらに基づくナショナリズムに対する排他性と迫害の容認においては、イスラム教や共産党などと然程の差はありません。もしかしますと、それは、“無自覚の野蛮”、あるいは、“隠れ野蛮”と称した方が適切であるかもしれないのです。

 異なるとはいえ、文明同士の衝突であれば、何れが勝っても文明は残りますが、文明と野蛮との闘いであれば、野蛮の勝利は文明の消滅を意味します。文明と野蛮の衝突と野蛮側の勝利こそ、人類文明の真の危機と言えるのではないでしょうか。

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“慰安婦強制連行”の発想の起源は大陸にあり-韓国の思い込み

2017年07月22日 15時15分15秒 | 国際政治
 韓国の文在寅大統領は、先日、「国政運営5カ年計画」を発表しましたが、特に日本国において注目されるのは、2018年に予定されている“慰安婦被害者を讃える日”の制定です。関連事業として研究所や歴史館の建設にも言及されていますが、この問題がフェークニューズから発しているだけに、その実現性には疑問があります。

 ところで、最近、モンゴル帝国建設の基礎を築いたチンギス・カーンの一代記でもある『元朝秘史』を読んだのですが、この書は、モンゴルのみならず、ユーラシア大陸の遊牧民の発想を知る上でも貴重な資料となります。漢訳史書としての成立は明代の永楽帝の治世ですが(1408年)、同時代を生きたチンギス家の縁者による筆とも推測されてます。その『元朝秘史』で驚かされるのは、“皆殺し”や掠奪をも是とする征服の凄惨さのみならず、他部族や他民族の女性や子供に対する扱いです。基本的発想としては女性も子供もの戦利品であり、“もの”に過ぎません。征服の度に、打ち負かした相手の女性達、特に容姿の優れた若い女性達を連行し、論功行賞として部下達に分け与えたのですから。そこでは、女性の人格や尊厳に対する尊重はひとかけらもなく、勝った側の当然の“権利”と見なされています。

 一方、日本国の歴史を振り返りますと、既に3世紀から4世紀頃とされる神功皇后の事績として軍規の制定が記されており(『日本書紀』)、戦地に赴く兵士達に対して、女性への暴行を固く禁じています。また、16世紀の戦国時代にあっても、落城に際しては、敵方であっても女性と子供だけは城外から逃れて落ち延びるのを許す慣行がありました(このため、男性の武将が女装して城から逃げ出す事例もあった…)。ユーラシア大陸の遊牧民とは正反対の発想であり、女性や子供が危険に晒される戦時にあってこそ、これらの弱き人々を保護しようとしたのです。

 こうした発想の根本的な違いに注目しますと、先の大戦にあって、日本軍が朝鮮半島において若き女性達を大量に強制連行し、戦場において慰安婦を強要したとは考えられません。否、朝鮮半島が第四代モンケ・カーンの時代に征服され(1254~59年)、高麗王朝がモンゴルの支配下に置かれたことを想起しますと、モンゴル的発想は、朝鮮半島にこそ残されていたと推測されます。女性は、勝った側の処分自由な戦利品という…。

 韓国では、親北派の文大統領の就任により、慰安婦問題に関しても対日糾弾のボルテージを上げています。しかしながら、日本国による韓国併合時代を更に過去に向かって朝鮮半島の歴史を遡りますと、慰安婦問題発生の遠因は、モンゴルによる征服に求めることができるかもしれません。戦前にあって日本軍が朝鮮女性達を強制連行したというのは思い込みであり、韓国側が自らの歴史を投影させた発想で創り出した幻想にすぎないのではないでしょうか。このように考えますと、この問題の解決には、まずは韓国自身が精神史を含めて自らの歴史を真摯に見つめ直す必要があるのではないかと思うのです。

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二階幹事長は“愚かな味方”なのか?-米民主党への正露丸のプレゼント

2017年07月21日 18時46分09秒 | 日本政治
 訪米中の自民党の二階俊博幹事長は、米民主党のシューマー上院院内総務と会見した際に、日露戦争の名に因む正露丸をプレゼントしたと報じられております。その効果を推察しますと、同氏は、“愚かな味方”となるのかもしれません。

 かつてマキャベッリは、“無能な味方よりも有能な敵のほうが役にたつ”とする格言を残しましたが、“有能な敵”よりも“愚かな味方”を恐れる言葉は世界各地で見られるそうです(ハンス・フォン・ゼークト、ゲーテ、ナポレオン…)。 自陣営の足を引っ張る味方ほど危険な存在はいないわけですが、国際的にも二階幹事長は親中派を代表する日本の政治家として知られるだけに、正露丸の一件には、まずは中国が頭を抱え込むことになりましょう。

 大方のメディアでは、二階幹事長は、ロシアとの関係でトランプ政権を追及している民主党に対する応援アピールを込めたのではないか、と憶測されています。“正露丸”の名称は、今では“正”の漢字を当てていますが、本来は“征露”、即ち、ロシアを征するという意味であったそうです。日露戦争にあって日本軍の将兵の多くは、慣れない戦地での食事に胃腸を壊し、見えない病原菌との闘いに苦戦していました。そこに特効薬として登場したのが正露丸であったのです。この逸話は、二階幹事長の年齢の日本人であれば誰もが知っているはずです。先端的な医薬品が数多く製造されている今日、100年以上前に開発された胃腸薬を意図的にプレゼントとして米民主党に贈ったとしますと、そこには、明らかに対ロを意識した思惑が想定せざるを得ないのです。

 親中派の同氏が、正露丸を反トランプ政権=反ロシアの立場のメッセージとして用いているとしますと、その贈り先が米民主党であったことは、中国の米民主党支援の立場をも明るみにします。否、トランプ政権とロシアとの関係以上に、米民主党政権と中国との癒着は、アメリカの国益を著しく損ねてきた経緯があります(共和党内にも親中派政治家はおりますが…)。南シナ海問題をはじめとした中国の本格的な無法国家化は、オバマ前大統領による“世界の警察官”の職務放棄に起因しているといっても過言ではありません。その背後には、巨額のチャイナ・マネーや民主党支持勢力の中国利権が絡んでおり、米民主党は、トランプ大統領を“売国”の廉で責められるほど自らも潔白ではないのです。

 米中間での「百日計画」の期限が切れた今日、トランプ政権が、対中強硬策に転じつつあります。こうした国際社会の現状を見ますと、中国が米民主党をバックアップする形で、トランプ政権を揺さぶっているとする憶測も成り立ちます。二階幹事長の正露丸事件は、本人が意識しないまでも、米民主党と中国との関係を示唆しており、この意味において、中国による米国内での反トランプ工作活動を暴露しているとも言えるのです。攻撃は最大の防御と心得る中国にとりましては、民主党との関係は、何としても“隠しておきたいこと”の一つであったことでしょう。

 かくして二階幹事長は、中国にとりましては、“愚かな味方”となるのですが、一方、日本国政府にとりましても、同氏は、日本国の信頼性を失墜させる“愚かな味方”ともなります。アメリカの同盟国でありながら、政権与党の幹事長が中国の利益を最優先にして働く政治家なのですから。二階幹事長は、国連でも「水と災害」に関する特別会合でデビューを果たしておりますが、ここまで来ますと、日本国の政治家でありながら二階幹事長は日本国の”味方”であるのかさえ、怪しくなってくるのです。

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蓮舫代表の国籍問題-差別問題へのすり替えはナンセンス

2017年07月20日 15時10分28秒 | 日本政治
 民進党の蓮舫代表は、二重国籍問題を解決するための書類を開示したものの、むしろ疑惑が事実であったことを証明する結果となりました。その一方で、左派の人々は、政治家の国籍開示は“差別”とする糾弾姿勢を崩してはいません。

 自国の国籍法に基づく国籍の保有は、法律において定められている政治家の資格要件ですのでその証明は当然の義務なのですが、仮に、政治家の要件についてあらゆる差別をしてはならないとしますと、どのような事態が発生するのでしょうか。国籍が差別であるとしますと、性別、学歴、年齢、職歴等のみならず、政治家としての能力さえ不問に付さざるを得なくなります。

 実際に、国民の中には、性別によって政治家を選んでいる人々もいるかもしれませんし(性差別)、年齢を判断材料とする人も少なくありません(年齢差別)。学歴や職歴も、立候補者の知的活動分野や社会人としての経験を示す重要な情報です(学歴・職歴差別)。国籍と同様の理由で他のあらゆる差別を禁じますと、立候補者は、自らの性別や年齢を明かすことも、学歴を開示することも、職歴を記すこともできなくなるのです。また、通常、他の諸国と同様に日本国でも名前は性別をも表しますので、名前さえ名乗れなくなる可能性もあります(外国の氏姓で帰化した候補者は名前のみならず、苗字さえ名乗れない…)。さらには、個人の間には能力にも違いもありますので、差別禁止は、政治家としての能力にも及ぶことになりましょう。個人の間のあらゆる“違い”や“差”は、全て差別となり得るのですから。

 政治家の選出に際して差別禁止を徹底すれば、政治家とは、全世界の誰でもよいことになります。そして、このことは、国籍問題を差別問題にすり替えることが、如何にナンセンスであるのかをも示しています。敢えて国籍差別だけを糾弾する人々は、その本心においては外国や国際勢力による内政干渉のルートを確保したいのではないか、と疑わざるを得ないのです。

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不穏な「人づくり革命」のネーミング

2017年07月19日 08時08分46秒 | 日本政治
 日本国政府は、2018年の概算要求に設定した4兆円の特別枠において、幼児教育から大学までの教育費無償化を目指す事業を実施する方針のようです。教育費無償化については、議論が始まったばかりであり、国民的なコンセンサスが形成されているとも言い難い状況での見切り発車となりますが、その事業の名称が「人づくり革命」というところからも、何やら不穏な空気が漂っています。

 そもそも、政府が推進する“革命”とは、一体何を意味するのでしょうか。“革命”という言葉は、天命によって王朝が代わる事象を意味し、今日では、既存の体制や価値観を根本から変える行為を言います。“体制側”に対して“反体制側”が使用する言葉であり、政府自身が使う言葉ではないのです。特に日本国では、革命が起きるとされた辛酉の年にはわざわざ改元を行うほど、この言葉を避けてきた歴史があります。

 常識的に考えれば、政府自身が自らの政権の打倒を訴えるとは思えませんので、その意味するところは“上からの革命”であり、それは、政府による国民に対する改革の強要となります。しかも、連立政権の相手方である公明党は、新興宗教の教団である創価学会を母体としております。「人づくり革命」の文字を見て、同学会の名誉会長である池田大作氏の著書のタイトル『人間革命』を連想した国民も少なくなかったのではないでしょうか。また、人は“つくる”ものではなく“育てる”ものであり、この言葉使いからも、人間改造的な発想が垣間見えるのです。

 創価学会と国連との繋がりを考慮しますと、「人づくり革命」で掲げている教育無償化等の基本方針は、教育分野を含む持続可能な発展(SDGs)に取り組んでいる国連、否、国際支配勢力からの要請であるのかもしれません。そして、しばしば、宗教であれ、イデオロギーであれ、人の心の支配を目指す組織は教育分野の掌握を目指し傾向にあり、この事業にも、国民洗脳の目的が潜んでいるかもしれないのです。日教組然り、創価学会然りです。

 教育無償化の必要性や効果が不透明な段階にあっての“革命”とは、実のところ、人間改造計画(家畜化政策…)の一環であるかもしれません。人間から動物への転換ほど、劇的な“革命”はないのですから。

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奇妙なキッシンジャー元国務長官の日本嫌い

2017年07月18日 17時00分04秒 | 国際政治
ヘンリー・キッシンジャー元米国務長官と言えば、ニクソン政権時代に米中国交正常化への道筋を付けた政治家として知られています。93歳の高齢ながら今日なおも隠然たる影響力をホワイトハウスに及ぼしており、外交顧問として迎えているトランプ大統領もその例外ではありません。

 そのキッシンジャー氏ですが、最近、ネット上でキッシンジャー氏は筋金入りの日本嫌いとの説を目にしました。その理由は、田中角栄政権による日中国交正常化にあり、“アメリカを出し抜いた日本国は裏切り者である”とする認識があるそうなのです。しかしながらこの日本嫌いの理由、あまりにも支離滅裂なように思えます。

 第1に、アメリカの同盟国であって、同国に先んじて中国と国交を正常化したのは、日本が最初の国ではありません。1949年10月の建国から僅か半年あまりを経た翌50年の1月には、イギリスが西側諸国として初めて中華人民共和国を国家承認しています。フランスも1964年には承認に踏み切っておりますので、国交正常化を理由に日本ばかりが“裏切り者”扱いされるのでは筋が通りません。

 第2に、キシンジャー氏は、日本国があたかもアメリカの頭越しで中国と交渉を開始したかのようにみなしていますが、1972年の日中国交正常化に先立つ1970年頃には、中ソ関係が対立への転換したことを背景に、米中関係も水面下で改善が模索されていました。この時期、カナダ(10月)やイタリア(12月)も、中国との関係を正常化させています。1971年3月には、キッシンジャー氏自身が大統領補佐官の肩書でニクソン大統領の密使として北京を訪問しており、日中国交正常化が同氏にとって“青天の霹靂”であったはずもないのです。同年7月15日のニクソン大統領の訪中が、米ドルの金兌換の停止と並んで“ニクソンショック”と呼ばれたように、アメリカの対中政策の転換に驚いたのは、日本国政府の方であったかもしれません。

 第3に、当時、将来的には、同氏は、日米同盟の解消を前提とした米中同盟さえ想定していた節があるそうです。しかしながら、この構想も、アメリカの主敵がソ連邦であったことを思い起こしますと、奇妙と言わざるを得ません。何故ならば、キッシンジャー氏自身が、敵の敵は味方の論理で現実主義に徹し、米中国交正常化に向けて動き出していた時期なのですから、対ソ戦略を最優先とすれば、日米中の多国間同盟を提案するほうが合理的であるからです。キッシンジャー氏が対ロ戦略として中国に接近していたのなら、日米中でロシアを牽制した方が効果的であり、日中国交正常化は、むしろ歓迎すべきシナリオであったのではないでしょうか。また、仮に、キッシンジャー氏の言うとおりに、米中が手を結んで日本国を敵視した場合、当然に日ソ接近の可能性は高まります。当時の中国の脆弱な軍事力と日本国の経済力を考えれば、”日ソ同盟”の出現は、米国にとりましては不利であったはずでなのです。

 以上の諸点からしますと、キッシンジャー氏の日本嫌いの理由は矛盾に満ちています。となりますと、同氏の語る理由は後付けに過ぎず、真の要因は、別のところにあると推測されます。その理由を特定することは困難ですが、ナチス支配を逃れてドイツからアメリカに移住した経歴からしますと、私怨による日本嫌いである可能性もありますし、また、キッシンジャー氏の背後には、国際情勢の全般的なコントロール、あるいは、中国利権に関連した何らかの勢力の思惑があったのかもしれません。キッシンジャー氏の日本嫌い、否、中国贔屓の真の理由の探求こそ、今日のチャイナ・リスクの起源を解明する鍵が潜んでいるようにも思えるのです。

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ヒアリ・テロ説の信憑性

2017年07月17日 14時47分07秒 | 国際政治
 南米を原産地とする殺人蟻のヒアリは遂に日本国にも上陸し、神戸港を始めとして日本各地の港湾で発見されています。全国的なヒアリの発見に、ネット上ではヒアリ・テロ説が飛び交っています。

 ヒアリ・テロ説を否定する立場からは、“仮に意図的なテロであるならば、公園といった人々が集まる公共の場でヒアリ・テロを実行するはず”とする意見も聞かれます。しかしながら、イスラム過激派による自爆テロといった犯行声明を伴う都市部での“公開テロ”とは異なり、ヒアリの場合には、実行組織は“隠れたテロ”を狙っている可能性があります。公園等の公共の場においてヒアリ・テロを実行すれば、即、テロと認定されてしまうため、“隠れたテロ”を目論む場合には、自然な侵入に見せかける必要があるはずなのです。このように考えますと、あながちヒアリ・テロ説は完全否定にはできなくなりますが、その他にも、この事件には、不自然な点が散見されます。

 第一に不自然な点は、横浜港など港湾のコンテナヤードでの発見例もあるものの、その多くが、中国から出港したコンテナ内部において発見されている点です。神戸港、名古屋港、そして、東京港の何れのケースも、広東省の南沙港から出港したコンテナやその周辺に付着していました(大阪港のケースは香港から入港したコンテナ周辺…)。同時期に日本の港湾に入港したコンテナに、かくも多くヒアリが付着していたとすると、南沙湾、あるいは、広州市では、ヒアリが大量発生しているはずです。しかしながら、これまでのところ、こうした情報は伝わってきません。

 また、草地を好み、土塚を造る習性があるヒアリにとって、コンテナ内部が快適な生息環境であるとは思えません。コンテナは、鉄鋼やアルミニウムで製造されていますし、餌となる動植物も生息していないからです(もっとも、コンテナの積荷が農産物であった可能性はある…)。コンテナ内にヒアリが自然に侵入して棲み着いたとは考え難く、人為的に混入された可能性も否定できないのです。

 第二に不自然な点は、日本国政府の対応です。一連のヒアリ騒動は、6月21日の神戸港での発見に始まります。しかしながら、10年以上も前からヒアリはアメリカや中国などでは既に拡散しており、日本国政府もヒアリ情報を入手していたはずです。この時期に至って、急遽、政府がヒアリ調査に乗り出し、かつ、実際にヒアリの発見が相次いだ背景には、何らかのルートから“ヒアリテロ情報”が伝わった可能性があります。

 そして、逆の意味で不自然な点は、日本国政府のヒアリ対策です。報道に依りますと、一旦、全国の港湾で一斉に毒入り餌を撒く計画を立てたのですが、専門家の意見によって中止となったそうです。一般の在来種のアリも駆除してしまい、かえってヒアリが生息し易くなるという…。しかしながら、この反論、非科学的な推論としか言いようがありません。何故ならば、毒餌を撒いてもヒアリだけが生き残ると主張しているのですから。ヒアリだけが生き残る毒餌を蒔くともりなのでしょうか。また、ヒアリが国内に棲み着けば死亡者が出ることはほぼ確実なのですから、港湾周辺の土地に限定して“アリ無生息地帯”となるのですから、従来種が絶滅するわけでもありません。日本国政府が、何故、人命優先の原則を放棄したのでしょうか。この点も謎です。

 ヒアリに関するマスメディアの基本的な論調は、“必要以上に恐れるな”であり、このフレーズは、テロ事件が起きる度に何度も耳にしました。以上に述べてきた不審点の他に、こうしたマスメディアの態度からしますと、ヒアリ・テロ説は、なおさらもって否定はできないように思えるのです。

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