万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ロシア軍は負けさせられている?-ロシア軍の士気低下の理由とは

2022年03月31日 15時11分29秒 | 国際政治

 本日の報道によりますと、ウクライナにおけるロシア軍の士気低下は著しく、ロシア軍兵士の中には命令を拒否する者も現れたそうです。同情報は、双方による激しい情報戦が繰り広げられる中にあって、英国の情報機関の一つである政府通信本部(GCHQ)のフレミング長官からもたらされており、必ずしも‘事実’であるとは限らないかもしれません。しかしながら、仮に同情報が正しいとすれば、どのような理由からロシア軍の士気が落ちてしまったのでしょうか。ロシアのプーチン大統領は、ウクライナ侵攻に際してロシア系住民に対する虐殺行為を挙げ、ロシア人の愛国心を煽っています。ロシア・メディアも、同大統領の戦争政策に沿って戦意高揚のためのプロパガンダを積極的に行っておりますので、本来であれば、兵士による命令拒否といった事態は起きないはずです。

 

 そこで、第一に推測される理由とは、ロシア軍兵士にあって士気が低下しているのは外国人の傭兵である、というものです。ロシアは、同戦争に際してシリアなどから兵士をリクルートしていますので、もとよりロシアに対する忠誠心や愛国心があるわけではありません(『君主論』では、傭兵に対して否定的な見解が示されていますので、プーチン大統領は、少なくとも軍隊の組織構成についてはマキャベリの指南には従わなかった…)。あるいは、そもそも、ロシア人の多くがその内心にあってウクライナ侵攻に対して批判的であったため、外国人傭兵を雇わざるを得なかったのかもしれません。そして、さらに想像を逞しくすれば、外国人傭兵の中には、ロシア軍を内部から弱体化させるための’工作員’が送り込まれていた可能性もありましょう。

 

  もちろん、外国人傭兵のみならず、ロシア人将兵にあっても、プーチン大統領に対する不満が高まっているのかもしれません。第二の推測は、ロシア軍内の反プーチン感情の広がりなのですが、同大統領に対する忠誠心の低下に関しても、幾つかの理由が考えられます。軍事力においてウクライナを圧倒しながら、現実には戦局は思わしくなく、ロシア軍将兵の死亡者数も増加傾向にあります。このため、前線で戦う現場の将兵たちが、同大統領の軍を統率するトップとしての能力や資質に疑問を抱き、見限り始めているとも考えられます。

 

そして、もう一つ、あり得る理由があるとすれば、それは、ロシア軍は、’わざと’負けさせられているのではないか、という疑いが兵士の間に広がっているというものです。先日、ネット上にあって、戦闘の最中にあって軍の半数を失ったロシア軍の部隊が、指揮官に対して制裁を加えたとするニュースが報じられていました(本日、同記事を探したのですが、見つかりません…)。ロシア軍については、ソ連邦時代から継承した強大な軍事力を誇示しながら制空権さえ奪えない現状があり、不自然なほどの’弱さ’を見せています。’勝てるはずの戦争に勝てない’状況に直面したロシア軍将兵たちが、プーチン大統領の真の意図を疑うようになったとする推測も成り立ち得ましょう(もっとも、そのプーチン大統領も、外部の何者かに操られているか、騙されているか、あるいは、踊らされいる可能性も…)。

 

今般のウクライナ危機を見ますと、双方譲らずの膠着状態となるように、どこか巧みにコントロールされている感があります(1日凡そ3兆円もの戦費を要し、兵力をも失いつつあるロシア軍が、北方領土近海で示威的行動をとる余裕があるとも思えない…)。仮に、同危機が外部からコントロールされているとすれば、ロシア軍の想定外の苦戦もこの文脈から説明されましょう。そして、真偽不明ながら、ウクライナ軍が自国民にも被害を与えているとする情報も気になるところなのです。仮に、これらの情報が事実であれば、同戦争の実像は、ロシアのプーチン大統領がロシア人の、ウクライナのゼレンスキー大統領がウクライナ人の命をそれぞれ奪っているという、奇想天外な様相を呈しても来るのです。今後、ロシア軍、並びに、ウクライナ軍の双方が瓦解する展開があり得るとすれば、それは、双方の将兵、並びに、国民が上部から操る勢力による’偽旗作戦’に気が付いた時ということになりましょう。

 

情報の真偽が正確に確認できない現状にあっては、何れの推測も、あり得るシナリオの一つに過ぎません。特に最後の推測については、陰謀否定論者から、即、’馬鹿馬鹿しい陰謀’というレッテルを貼られることでしょう。しかしながら、人類の大半が双方の情報戦に巻き込まれている現状において、ウクライナで実際に何が起きたのか、そして、その背景には何があるのか、事実が確認されていないことだけは紛れもない事実です(極々少数の人々を除いて…)。

 

得てして、真偽不明のままに物事を決めますと、後々、禍根を残すものです。裁判にありましても、証拠に基づく事実認定は最も重要な手続きですので、ウクライナ危機についても、先ずは検察機能を担う中立・公正な調査機関を設けるべきなのではないでしょうか。同提案に対しては、正当防衛としての人道的介入を主張するロシアも拒否はできないはずです(被告はロシアとは限らない…)。そして、事実が厳密に検証されたとき、人類は、小説より奇なる事実に驚愕するかもしれません。


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ウクライナ危機が招く日本国のエネルギー危機-’持続可能性’の追求を

2022年03月30日 13時42分52秒 | 日本政治

 ウクライナ危機は、ロシアが世界屈指の石油・天然ガスの産出国故に、地理的に離れている日本国に対しても、深刻なエネルギー問題を突き付けることとなりました。エネルギー自給率が著しく低い現状にあって、エネルギー資源の国際価格が上昇すれば、一般家庭の家計や企業経営を圧迫しますし、貿易収支の一層の悪化も懸念されます。それでは、ウクライナ危機がもたらすエネルギー危機に対して、日本国は、どのように対応すべきなのでしょうか。先の福島県沖地震では、頼みの火力発電所も故障事故を起こし、電力供給不足から広域的な停電をも招いています。今日、国際情勢であれ、脱炭素であれ、資源の枯渇であれ、エネルギー政策は、ポスト・ウクライナ危機の時代をも見据えた重要課題となりつつあります。

 

今般のエネルギー危機への即応という側面では、たとえ反・脱原発論者からの強い反対はあったとしても(加えて、ロシアがウクライナの原子力発電施設を攻撃・占領したことから、有事における原発リスクから反対する声も…)、現在、発電停止状態にある原子炉の再稼働の促進が、最も速効性の高い対策であることは論を俟たないかもしれません。発電施設を眠らせているよりも、原子力規制委員会による安全性の確認を急ぎ、再稼働させれば、当面のエネルギー危機は大幅に緩和されます。一方、中長期的な方針としては、アメリカも既に高速炉の開発に乗り出しているように、より安全性が高く、かつ、発電効率や資源の有効利用に資する新たな原子力技術の開発も(核融合技術も含めて…)、日本国のエネルギーの安価かつ安定的な供給、並びに、エネルギー自給率の向上に繋がることでしょう。

 

原子力の利用が有力視される一方で、 折しも、ウクライナ危機以前から、世界の潮流は脱炭素へと急激に流れています。この文脈にあっても原子力の利用は提唱されてはいますが、その主流として期待されているのは、再生エネルギーの普及拡大です。日本国の基本的な方針も、メガ・ソーラや風力発電所のといったさらなる再生エネルギー施設の建設促進なのでしょう。しかしながら、これらの発電方法には、以下のような問題点があるそうです。

 

第一に、火力発電がエネルギー資源の調達に伴う脆弱性を有すると同様に、太陽光発電や風力発電にも、輸入だよりという問題があります。しかも太陽光発電パネルにはレアアースも使われていますので、価格競争における中国系企業の絶対的な優位性に加え、原材料における中国の’独占’により、中国依存を余儀なくされます。風力発電の分野においても、国際市場にあっては凡そ中国系企業並びに欧米系企業によって世界市場のシェアが占められておりますので、同分野にあっても海外依存体質が深まる一方となります。発電地は国内ですのでエネルギー自給率が上がるようにも見えるのですが、その実、海外依存性においては化石燃料による発電と変わりはないのです。

 

 

第二に、太陽光発電も風力発電も、輸入依存度が高いという問題点に加えて、天候依存というもう一つの欠点があります。前者では、曇り空や雨空では発電量が減少しますし、既に問題視されているように、台風の来襲や暴風雨といった状態になりますと、設置パネルが吹き飛んだり、施設そのものが土砂崩れや河川の氾濫などで崩壊するリスクもあります。後者の場合には、風が吹かなければ発電量がゼロとなるのは言うまでもありません…。

 

そして、第三の問題点として挙げられるのは、太陽光発電や風力発電の耐用年数です。火力発電所の場合、老朽化が懸念されているとはいえ、現在、35年を超えて稼働している施設が全体の4割に上るそうです(東京電力)。また、原子力発電所の場合には、耐久年数は40年とされております。もっとも、アメリカでは、原子力発電所の9割以上が60年運転許可を行使済みとされており(80年運転許可を得た施設も…)、設備としては物理的に長期運転に耐えられるようです。その一方で、太陽光発電も風力発電も、その耐用年数は、凡そ20年とされております。言い換えますと、長期的な視点からしますと、後者の方が建て替えコストがかかる上に、処理費用を要する大量の産業廃棄物が生じるかもしれません(太陽光パネルなど…)。

 

以上の諸点を考慮しますと、太陽光発電も風力発電も、日本国の主力電源には適さないように思えます。原子力については上述したように新型の原子炉やイノベーティブな技術の開発に努めるべきでしょうが、再生エネルギーに関しても、最低限(1)低い輸入依存性(2)低い天候依存性、(3)長い耐用年数、の三つの条件を満たす必要があるように思えます。例えば、日本列島は複数の火山帯を抱えていますので、地熱発電の方が永続的な安定供給源となりましょうし、四方を海に囲まれていますので、潮の満ち引きを利用した潮力発電なども有力候補となりましょう。日本国政府は、自国に適した’持続可能’な電源の開発・実用化にこそ取り組むべきなのではないかと思うのです。同方向性に向けた努力は、技術立国としての日本国の復活への道を開くかもしれません。そして、エネルギー自給率の向上は、延いては日本国の政治的立場をも高めるのではないかと思うのです。


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民主主義と陰謀論-支配の時代の記憶

2022年03月29日 15時06分43秒 | 国際政治

 今日、メディアが報じる記事を見ておりますと、あるパターン化された現象が観察されます。それは、様々な分野における識者による陰謀否定論が一定の間隔を置いて繰り返し登場することです。しかも、これらの記事は、根拠は違っても、陰謀説を唱える、あるいは、それを信じる人々を知的レベルの低い騙されやすい人々とみなすという論調において共通しています。手を変え品を変え、言論空間にあって陰謀否定論が繰り返されているのです。

 

 おそらく、陰謀否定論がかくも頻繁に登場する時代は、過去にはなかったのではないかと思います。それでは、何故、陰謀否定論が執拗にメディアを介して発信されているのでしょうか。そこには、何らかの意図があるように思えます。

 

 最もあり得る、あるいは、陰謀否定論者が主張する理由とは、陰謀など実際に存在しないにもかかわらず、人々がそれを信じている現状を是正する必要があるというものです。情報とは人々の基本的な判断材料となりますので、陰謀説を偽情報の発信源とみなし、人々を徒に不安にし、社会を混乱させる元凶として糾弾しているのです。

 

 この説明は確かに尤もらしいのですが、現実はむしろ逆であり、不条理がまかり通り、不安定な時代であるからこそ、多くの人々が陰謀論の信憑性が増しているという側面があります。ウクライナ危機を含めて理解に苦しむ出来事が、実際に頻発しているのですから。そして、何故、かくも世界が不安定であり、あるいは、人々が漠然とした不安を抱く要因はどこにあるのか、という問題を突き詰めてみますと、今日にあって既に制度的にも確立しているとされる諸価値―民主主義、自由、法の支配、個人の自由・権利の尊重、平等・公正、平和…―であっても、これらの実現を妨げている’何らかの権力体’の存在を想定せざるを得なくなるのです。ある要素の存在を仮定しなければ対象となる現象を説明できない場合、それは、存在証明の方法の一つとなります。

 

 例えば、何れの諸国にあっても、メディアの論調は画一的であり、全世界が脱炭素、デジタル、ワクチンの凡そ三つの潮流に流されているかのようです。仮に、世界規模で同一方向に向かわせることができる’何らかの権力体’が存在しなければ、全ての諸国が、’右向け右、左向け左’のようにこれらの潮流に同時期に飲み込まれるはずもありません。ウクライナ危機にあっても、ウクライナ側であれロシア側であれ、双方のメディアは偽情報を流してまで敵愾心を煽っています。また、今日、何れの国の国民も、民意から離れた政治家たちの売国的な政策に悩まされています。民主主義が実現しているはずなのに、現実には、外部の’何らかの権力体’によって派遣された代理人(悪代官…)のような政治家ばかりであり、国民が真に望むような国民本位の政治家はなかなか現れないのです。

 

 そして、人類には、古今東西を問わず、為政者たちが支配の術を身に着け、それらを磨いてきた歴史があります。もちろん、為政者の中には、名君とも称され、国民から慕われた為政者もあったことでしょう。しかしながら、世襲制にあっては名君の登場は運に任されますし、熾烈な権力闘争や内乱、あるいは、征服によって権力を掌握した為政者が必ずしも国民思いとは限りません。近代政治学の祖とされるニコロ・マキャベリの『君主論』も、為政者に捧げる指南書として著されたものでした。、目的のためには手段を選ばないような非情な手段も、支配術の一つであったのです。民主主義を当たり前とする現代の価値観からしますと、為政者向けの支配のノウハウは過去のものとみなされがちですが、陰謀論において指摘されている’歴史の動かし方’や人心掌握や操作の手法などは、むしろ、民主主義なき時代の支配術との間に高い親和性が認められるのです。

 

 帝国型の国家であるロシアや中国では政府が堂々と実践しているのも、自由や民主主義といった現代の諸価値を考慮することなく、独裁者たちが古来の手法を踏襲しているからなのでしょう。ITやAIが発展し、大衆心理を研究しつくした今日では、支配や操作のテクニックはさらに巧妙になり、徹底した情報統制、並びに、国民監視体制を敷いている中国は、‘人民支配テクノロジー’の最先端にあります。そして、自由主義国家にあってより陰謀説が広く信じられるに至った理由も、過去に葬ったはずの非民主的な支配の記憶が現実味を帯びて人々の記憶の奥底から蘇るからなかもしれません。しかも、現代の‘何らかの権力体’は、国境を越えた独占的なネットワークを構築し、金融や経済をその力の源泉としているようなのです。

 

 このように考えますと、陰謀否定論こそ、陰謀の存在を強く示唆しているのかもしれません。公的な決定が、民主的に選ばれた政治家ではない人物により、しかも、公式の統治機構から離れた場所においてが密かになされているという意味において。陰謀説のすべてが真実というわけではなく(即、嘘だとわかる陰謀説はむしろ実在する陰謀を全否定するための‘囮’である可能性の方が高い…)、常に虚実が入り混じって入るのですが、陰謀説を嘲り、頭から否定したのでは、権力体の狡猾な支配術に無知・無防備な状態のままとなりましょう。そして、自由や民主主義、平和といった諸価値の実現を妨げている真の要因に行き着くことはできないのではないかと思うのです。


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遺伝子ワクチンとオートファジーに関する素朴な疑問

2022年03月28日 13時29分13秒 | 社会

 ウイルスに起因する感染症に対する人体の防御反応といえば、誰もが、真っ先に免疫システムを思い浮かべるのではないかと思います。このため、事前のワクチン接種による予防という方法も開発されてきたのですが、最近に至り、オートファジーにも有害な細菌等を隔離除去する機能があることが分かってきたそうです。そこで、遺伝子ワクチンを接種しますと、体内の細胞にあってオートファジーがどのように働くのか?という素朴な疑問も湧いてきます。

 

 オートファジーと申しますと、2016年に大隅良典博士がノーベル賞を受賞したことで、細胞のリサイクルシステムとして広く知られるところとなりましたが、『生命を守るしくみ オートファジー』(吉森保、ブルーバックス、講談社、2022年)によりますと、オートファジーとは、「細胞が自己成分などを分解する機能」と凡そ説明されています。同書には目から鱗が落ちるようなお話も多く、その一つが、痛風が腎障害を発生させてしまう機序にオートファジーが関わっているというものです。

 

 同書で説明されている尿酸とオートファジーとの関係を要約しますと、血液中の尿酸濃度の上昇⇒尿酸の結晶化⇒腎臓の細胞における尿酸結晶の取り込み⇒リソソーム(加水分解酵素を備えたオルガネラ)の損傷⇒オートファジーによる損傷リソソームの除去…ということになります。最終的にオートファジーが正常に働いて損傷リソソームは排除されるものの、それでも、マウスに高尿酸血症を誘発する実験を行った結果、血中の尿酸値の濃度が高い場合には、軽度であれ腎機能の低下が見られたそうです。その一方で、遺伝子操作によってオートファジーの機能を完全に除去したマウスでは、著しく腎機能が低下し、オートファジーが腎障害と関連していることが確かめられています。

 

 それでは、体内に大量のスパイクたんぱく質を作り出す遺伝子ワクチンについても、体内の細胞にあってオートファジーが作用しているのでしょうか。尿酸結晶も’とげとげ’ですが、スパイクたんぱく質も’とげとげ’です。このため、細胞内においてリソソームを含む何らかのオルガネラに損傷を与えているのかもしれません。遺伝子ワクチンとオートファジーの関係については、以下のような可能性があるように思えます。

 

 第1の推測は、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)は、スパイク部分のACE2との結合によって細胞内に入り込む性質を有するため、人工mRNA由来のスパイクたんぱく質も、ACE2が発現していない他の細胞内に侵入することはない、というものです。この場合、遺伝子ワクチンを接種しても、細胞内のオートファジーは殆ど作用しないということになりましょう。

 

 第2の推測は、スパイクたんぱく質は細胞内部にあってオートファジーを働かせるというものですが、この推測は、同たんぱく質の性質によって凡そ二つに分かれます。スパイクたんぱく質が無害であれば、身体へのマイナス影響はありませんし、スパイクたんぱく質が有害であれば、リソソームやミトンドリア等のオルガネラに損傷を与えることとなりましょう(接種後の倦怠感は、ミトコンドリアの損傷による?)。

 

 特に、仮に後者であれば、同たんぱく質は、mRNAによって細胞内で生成されますので、生成の場となった細胞の内部にあって各種オルガネラを、即、傷つけてしまうかもしれません。また、他の細胞内で生成されて外部に送り出されたスパイクたんぱく質が、一般的なエンドサイトーシスの経路によって体内の他の細胞一般に取り込まれる場合も考えられましょう。何れであれ、上述した実験の結果が示すように、たとえオートファジーが正常に働いたとしても、若干であれ臓器の機能低下が起きるかもしれません。そして、何らかの体質、疾病、並びに、加齢等によってオートファジーの機能低下が既に起きている場合には、臓器の著しい機能低下に見舞われるリスクもありましょう。

 

 そして、ワクチン・メーカーが想定しているように、遺伝子ワクチンによって大量に産生されたスパイクたんぱく質は、オートファジーが作用する以前の段階で免疫システムによって処理されてしまうというのが第3の推測です。同ケースでは、オートファジーによる遺伝子ワクチンの副作用や有害事象は起き得ないのですが、この場合でも、何らかの体質、疾病、並びに加齢等によって免疫力が低下し、免疫システムの対応力を越える接種者にとりましては、上述したような健康被害のリスクがありましょう。

 

 以上に、遺伝子ワクチンとオートファジーに関する主たる疑問を挙げてみましたが、私は専門家ではありませんので、上記の推測は何れも的外れであったかもしれません(お恥ずかしい限りです…)。専門家の一言でこれらの疑問が氷解する、あるいは、推測が瓦解するかもしれないのですが、ワクチン接種後の死亡例も多数報告されており、かつ、深刻なワクチン後遺症も懸念される中、遺伝子ワクチンにつきましては、より徹底した安全性の確認が必要なように思えます。生命は、まだまだ神秘に満ちているのですから。


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皇族の進学問題が問いかけるもの

2022年03月25日 15時16分26秒 | 日本政治

 今般、皇族の進学問題が多くの国民の関心を引くこととなりました。その理由は、皇族の高等学校への進学に際して、特別優遇制度が設けられたのではないか、とする疑いがもたれるに至ったからです。この問題、皇位継承権を有する故に、天皇の役割に関する根本的な問いかけをも含んでいるように思えます。

 

 日本国憲法における天皇は、形式的には国事行為として立憲君主的な役割を残しつつも、’統合の象徴’として位置づけられています。このため、天皇には、憲法上の法的な役割においてさえ、’統合の象徴’と’立憲君主’という全く次元の異なる二つの役割が重ねられています。その一方で、日本国の歴史における天皇は、天皇親政の時代は少なく、主として皇統を引く神聖な存在として国家祭祀を司ってきました。法律上の地位や役割はさておき、天皇の権威は、万世一系とされる血統に裏打ちされた伝統に由来しています。今日の天皇には、凡そ三つの立場役割が混在していることとなりましょう。そして、これらの三者では、それぞれ’理想的な天皇像’として求められる要件や適性が異なりますので、しばしば相互に矛盾したり、不整合をきたすのです。しかも、皇族の個人としての権利や自由の尊重も加わりますと、さらに状況は複雑にならざるを得なくなります。

 

たとえ今日にあって形骸化しているとはいえ、立憲君主の理想像とは、統治権を行使し、国家存亡の危機ともなれば、国民を護るために自ら軍を率いて戦場で戦う勇ましい姿となります。この姿は、軍隊に号令をかけた明治天皇のイメージに近く、日本国の近代化に際し、ヨーロッパの立憲君主国に倣って天皇に求められた理想像とも言えましょう。現行の日本国憲法では、天皇に対して政治的権能を認めていませんが、保守系を中心として、天皇に君主の姿を見出している国民もいないわけではありません。この理想像からすれば、皇位継承者は、将来にあって国民に尊敬される立派な君主となるべく厳しい養育され、帝王学こそ学ぶべき、ということとなりましょう。

 

方や’統合の象徴’ともなりますと、その理想像も公的な活動の内容も曖昧模糊となり、皇族自身を含む個々の主観や認識によって分かれてきてしまいます。しかも、社会の多様化が進むほど、’統合の象徴’としての存在は、この表現があまりにも抽象的であるが故に、具体的な活動を見出すことが困難となるのです。すべての国民が納得し得る’統合’のための’活動’とは、そもそも存在しないのかもしれないのですから。

 

その一方で、日本国民の大多数が天皇に対してイメージしている、あるいは、少なくとも権威の源泉として認識しているのは、現状がどうであれ、宮中にあって御簾の内におわす伝統的な天皇像です。同天皇像の理想に照らしますと、皇位継承者は宮中深くにあって国家祭祀を担うべく特別の教育を受け、身を清めて世俗から離れた生活を送ることとなります。天照大神に由来する皇統の神聖性を維持するために、婚姻も狭い範囲に限定されますし、国民との距離も遠ければ遠いほどに権威が保たれます。

 

加えて、個人の権利や自由が尊重される今日にあっては、皇族に対しても、一般の国民と同様に個人としての意思を認めるべきとされています。個人の意思が最優先されるとすれば、上記の3つの天皇像の何れにあっても、天皇自身によって否定されることもあり得てしまいます。私的感情の赴くままにふるまう自由な天皇を支持するリベラル派も少なくありません。

 

以上に分散・分裂した天皇像について述べてきましたが、これらを一人の天皇が体現することは極めて難しい、否、不可能なことは一目瞭然です。今般の皇族の進学問題が国民世論において反発を招いた根本的な原因も、おそらく現代という時代における天皇像の多重性、あるいは、それに基づく存在意義の不明瞭化にあるのでしょう。誰もが、何故、皇族が提携校制度を利用(創設)して名門校に進学するのか、国民が納得するような説明ができないからです。少なくとも、立憲君主像、統合の象徴、並びに、伝統的な天皇像の何れに照らしても、正当化し得る根拠を見出すことができないのです(大学であれば、立憲君主像では国防を専らとするための防衛大学、統合の象徴では大学への進学そのものも議論されるかもしれず(修正)、そして、伝統的な天皇像であれば、神祇祭祀を習得するための国学院大学や皇学館大学なのでは…)。

 

報道によりますと、秋篠宮家が同校の校風を気に入って入学を希望したということのようですが、仮に、皇族個人の私的な意思によるものであるならば、権力の私物化の疑いも生じてきます。筑波大付属高校は国立ですので、皇族が、自らの意思によって国家制度に介入したことにもなりますので、国民の多くも警戒感を抱くことでしょう(法的根拠もない…)。一事が万事、今後とも、皇族の私的な要望が国家の制度を変えてしまうかもしれないからです。そして、この問題は、今日、既にマスメディアの皇族報道の姿勢にその兆候が見られるように、民意操作のためのパーソナルカルト(個人崇拝…)へと変貌してしまうリスクをも示唆しているように思えるのです。


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’侵略の予防的ツール’とは?-ゼレンスキー演説の提言

2022年03月24日 16時12分13秒 | 国際政治

 昨日23日、日本国では、衆議院第一議員会館の国際会議室に設置されたスクリーン上に映し出されたゼレンスキー大統領の演説が全国に向けて放映されました。注目されていた演説内容は、日本国に対する謝意と対ロ経済制裁の継続を求めるといった比較的穏当なものであり、‘安全運転’に徹しようとした同大統領の姿勢が伺えます。日本国の政界並びに世論を徒に刺激しないための配慮なのでしょうが、もう一つ、注目すべき発言があったとすれば、それは、日本国に対して‘侵略の予防ツール’の考案を求めたことかもしれません。

 

そこで、本日の記事では、ウクライナ危機に照らしながら、侵略を予防できるツールについて考えてみたいと思います。ゼレンスキー大統領は、同ツールの欠如が、今般の’侵略’をもたらしているとみなしているからです。’侵略の予防的ツール’には、凡そ力(軍事力)、合意(外交)、法(司法)の三つの側面からアプローチする必要がありそうです。

 

 第1のアプローチは、力の均衡を利用するものです。ウクライナを含む全ての諸国が核兵器を保有し、国の規模にかかわらず、相互牽制が成立しているという状況であれば、抑止力という予防効果が期待されます。この状態であれば、ロシアもまたウクライナから核による報復を受ける可能性がありますので、100%とまでは言わないまでも、迂闊にウクライナとの国境線を越えて軍隊を進めることには躊躇することとなりましょう。ブタペスト覚書に従ってウクライナが核を放棄しなければ、今般の危機は防止できたとする説は、こうした核の相互抑止力に基づいています。なお、防御面からすれば、全ての諸国が完璧なる高性能のミサイル防衛システムを導入するという方法もありますが、軍隊による侵攻を防ぐことはできませんし、今日の技術レベル、並びに、コスト面からしますと、同方法のハードルは相当に高いかもしれません(加筆)。

 

 それでは、ロシアによる’侵略’は、両国間の合意によって防ぐことができたのでしょうか。合意による解決とは、主として当事国政府双方の外交交渉によるものです。もっとも、今般のウクライナ危機のケースでは、ロシア側にも口実が存在したことにおいて状況は複雑です。ロシア側は、これらの民族主義組織によるロシア人に対するジェノサイドを阻止するために、緊急措置としての軍事介入が必要であったとアピールしているからです。仮に、ロシア人虐殺が事実であるとすれば、ロシアの軍事行動も、国際法においても人道主義、並びに、国民保護の観点から正当防衛権の行使として認められる余地がありましょう。そして、

アゾフ大隊といった元は独立的な民間組織であった軍隊の部隊が虐殺を実際に行っていた場合、こうした行為をやめさせる第一義的な責任はウクライナ政府にあるからです。

 

ロシア人虐殺が事実であれば、ウクライナ政府が黙認していたことになりますので、ロシア政府が、急遽ウクライナ政府に対して協議を申し入れたとしても、即時的には虐殺を止めることはできないことでしょう。一方、ロシア人虐殺が、ロシア、あるいは、何らかの組織による事実無根の’でっち上げ’であった場合にも、そもそもの目的が軍事侵攻の口実造りにありますので、この場合にも、話し合いによる侵略の事前阻止は望めません(最も効果的な防止策があるとすれば、それは、人道上の理由であれ、決して介入の’口実’を造らせないこと…)。

 

誰の仕業であれ、虐殺といった人道的介入の根拠となる出来事が発生してしまいますと、軍事介入を止めることは難しくなります。また、たとえ双方による話し合いの場が設けられたとしても、合意が成立するまでの間、虐殺並びにそれを口実とした侵略は続くことでしょう。合意を手段とする侵略予防の制度を設けるならば、それは、虐殺等が起きる根本原因となる多民族混住地域の統治制度の問題を平和的に解決する仕組みを作る必要があります。事前解決の仕組みについては後日に考察を譲るとしても、少なくとも人道介入を口実とする’侵略の予防ツール’として合意を手段とする国際制度を設けることは、極めて難しいと言えましょう。

 

 それでは、人類が獲得した最も理性的な手段である法による解決はどうでしょうか。法に依る解決の最大の問題点は、裁判は、事件が起きてからしか開くことができない点にあります。今般のウクライナ危機では、国際司法裁判所は、ロシアに対して軍事侵攻の即時停止を保全措置として命じましたが、これは、いわば仮処分です。ところが、現行の制度では、仮処分命令を確実に執行する強制力が備わっていませんので、ロシアによって完全に無視される格好となりました。そして、裁判所による事後的な保全命令そのものは、’侵略の予防ルール’でないことは言うまでもありません。

 

仮に、法的な手段によって侵略を予防できるとすれば、侵攻の口実とされる’事実’の真偽を確かめる任務を担う、国際警察・検察機関の設置ということになりましょう。即ち、何れの国も、自国内における国家犯罪行為が疑われ、他国からの訴えがあった場合には、同機関の調査団を即時に受け入れる義務を負うものとするのです。その一方で、訴えた側の国も、軍事介入を控えることが義務付けられます。国連安保理は、事実上、常任理事国によって仕切られている政治色の強い機関ですので、同機関は、権力分立(司法の独立)の原則に従い、国連安保理とは切り離した別機関として創設し、中立・公平な立場を保証する必要もありましょう。そして、調査の結果、国際司法機関によって違法性や非人道的行為が確認された場合には、安保理は、裁判所による命令、あるいは、判決の執行機関に徹することとなります(同執行は、拒否権の行使を含め、政治的な多数決に依らない…)。

 

いささか長くなりましたが、以上に、ゼレンスキー大統領の日本国に対する提案について考えてみました。人類史の大局からしますと、‘侵略の予防的ツール’にとどまらず、あらゆる紛争を解決し得る国際司法制度の構築を急ぐべきなのでしょうが、新たなシステムの確立には時間を要しますし、暴力主義を是として国際法を踏みにじる国や組織もありますので、当面の間は、最初に述べた相互的な核の抑止力を利用するのが現実的な対応なのかもしれません。何れにしましても、新たなシステムを考案することは、ウクライナ危機のみならず、現在、人類が直面している様々な問題への適切な対応という意味においても、意義のあることのように思えるのです。


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非道なロシアと怪しいウクライナ

2022年03月23日 11時15分20秒 | 国際政治

 本日、3月23日の午後6時に、日本国の国会ではウクライナのゼレンスキー大統領がビデオ演説を行う予定です。アメリカ議会の演説にあって先の大戦における真珠湾攻撃に擬えたこともあり、同大統領の演説内容には、メディアのみならず多くの国民も関心を寄せています。演説は、コメディアン俳優出身のゼレンスキー大統領の得意とするところなのでしょうが、同大統領の国際社会に向けたメッセージを読みますと、自ずと疑問も湧いてくるのです。

 

 ロシアが非道であることは疑いようもなく、報道によれば、ウクライナでは’悪魔の仕業’としか言いようのない行為が行われているようです。ゼレンスキー大統領も、とりわけロシアの残虐性を強調しており、都市部の住宅施設をも攻撃したため、女性や子供を含む民間人の犠牲者も多数に上ると報じられています。ロシアは、意図的に家族を破壊・離散させ、大量の難民を意図的に生み出すべく、作戦を遂行しているようにさえ見えます。ロシアは、先の大戦のソ連軍と同様に戦時国際法を順守する意思はさらさらなく、一般の民間人も標的にされているのが現状のようです。

 

 このため、ロシアは国際社会から厳しい批判を浴びることとなったのですが、一方の当事国であるウクライナにつきましても、ここかしこに不審な点が見受けられます。その最たるのが、ゼレンスキー大統領が再三にわたって国際社会に訴えている第三次世界大戦誘発論です。これまで、同大統領は、各国がウクライナへの支援を控えれば、やがて第三次世界大戦に至ると力説してきました。しかしながら、よく考えてみますと、この主張、逆なのではないかと思うのです。

 

 ゼレンスキー大統領の予測する第三次世界大戦への道は、ロシアのウクライナ侵攻⇒国際社会のウクライナへの軍事上の無支援⇒ウクライナの降伏⇒ロシアによる他の周辺諸国への侵攻⇒第三次世界大戦(ロシア陣営VS西側陣営)というものです。このシナリオに従えば、国際社会がウクライナに支援の手を差し伸べませんと、第三次世界大戦という望ましくない結果を招いてしまいます。このため、第三次世界大戦を回避せんがために、同大統領の訴えに思わず賛同してしまう人も少なくないことでしょう。

 

 ところが、現実には、他の諸国、とりわけ、アメリカをはじめとするNATO諸国がウクライナに対して表立って軍事支援をしますと(もっとも、現在でも設備や武器供与等は実施している…)、上述したシナリオの中間プロセスを通り越して、即、第三次世界大戦へと直結してしまいます。つまり、ロシアのウクライナ侵攻⇒国際社会の対ウクライナ軍事支援⇒第三次世界大戦というふうに、一気に世界大戦にまで至ってしまうのです。各国政府がウクライナに対する軍事支援に一歩引いた姿勢を示しているのは、ウクライナ支援が第三次世界大戦を引き起こすからに他なりません。

 

 このように考えますと、ゼレンスキー大統領が、何故、自国への軍事支援を獲得するために、かくも第三次世界大戦の脅威を持ち出すのか、疑問を抱かざるを得ません。ロシア側も核兵器の使用や第三次世界大戦への発展を’脅し文句’として用いていますが、ウクライナ側も、各国に対して恐怖心を煽るという点において変わりはないのです。合理的な視点からしますと、世界大戦化を回避するには、軍事支援、あるいは、同盟を通じた連鎖性を断つのが最も効果的です。となりますと、先ずもってウクライナ危機を当事国の二国間に抑え込む方が、よほど、世界大戦化を防ぐことができます。

 

 ゼレンスキー大統領は、本日の国会での演説ではウクライナ支援を訴えるのでしょうが、同大統領の主張に潜む非論理性、即ち、現実にはウクライナ支援が第3次世界大戦をもたらすという点には注意を要するように思えます。対応を誤りますと、日本国もまた、第三次世界大戦に巻き込まれる事態に直面することとなりましょう。そして、ロシアの動きをも考慮しますと(ベラルーシの参戦も懸念されている…)、両国が、二方面から人類を第三次世界大戦へと追いつめているようにも見えてきてしまうのです。


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ロシアの唯一の根拠が正当防衛という問題

2022年03月22日 11時40分53秒 | 国際政治

 目下、ウクライナにあっては、東部のマウリポリをめぐる攻防戦が激化しています。ロシアによる同市の降伏要求は拒絶されたそうですが、マウリポリと申しますと、ネオナチともされるかのアゾフ大隊の本部の所在地でもあります。そして、このアゾフ大隊こそ、ウクライナ危機の真相解明の鍵を握る重要な存在となるかもしれません。何故ならば、今般の軍事行動においてロシアが唯一合法性を主張し得るとすれば、それは、同大隊によるロシア系住民、あるいは、ロシア人虐殺が紛れもない事実である必要があるからです。果たして、ロシアの正当防衛論(人道的介入)は成り立つのでしょうか。

 

 ウクライナ危機を前にして、日本国政府を含め、自由主義国の政府の大半はウクライナ支持を表明しています。大手メディアが提供する情報のみを信じれば、ウクライナはロシアの一方的な侵略による被害国であり、ロシアは、戦争犯罪国家ということになりましょう。しかしながら、その一方で、ウクライナには、アゾフ大隊のネオナチ疑惑という、いわば‘とげ’が刺さっていることも見逃せない点です。

 

 アゾフ大隊の設立過程を見ますと、確かにナチスの親衛隊と似通っています。もとより民間の組織であったものが、戦争を機として国家機関に正式に組み込まれているからです。アゾフ大隊も、クリミアをめぐるドンバス戦争を機に、民間の義勇兵部隊であったものが(前身はハルキウのサッカークラブ…)、2014年の国家親衛隊法によりウクライナ国軍組織であるウクライナ国家警備隊に編入されています。同組織のメンバーは、黒い制服に身を包んでいたとされますし(むしろ、ファシストの黒シャツ隊を思い起こさせる…)、そのエンブレムを見ますと、デフォルメされた鍵十字、並びに、黒い太陽が描かれています(黒い太陽はSSの創始者であったヒムラーと関連し、ネオナチ組織が使用している…)。

 

 初代の司令官であるアンドリー・ビレツキー氏は、ウクライナの極右支持団体である社会民族会議の共同創設者ですので、同組織は、ナチスと同じく、ボランティアの民間警察・民兵組織の域を超えた政治団体でもあります。この点もナチスとの共通点なのですが、白人至上主義を掲げつつも(対ロシアでは無意味では…)、必ずしも反ユダヤ主義とも言えず、ナタン・カジン氏のようにアゾフ大隊の創設者の一人を自認するユダヤ人も存在しています(ゼレンスキー大統領もユダヤ人であり、イスラエルにアイアンドームなどの武器提供を求めている…)。ナチスの幹部の多く(凡そ70%とも)もユダヤ系であったとされていますので、水面下では、ユダヤ系の人脈が深く関わっている可能性も否定はできないのです。

 

 以上に述べましたように、ウクライナには国家組織としてのアゾフ大隊は実在しますし、同組織が極右的な活動を行っていたことも事実のようです。そして、こうした日本国内では積極的に報道されない情報に接しますと、同組織がウクライナ東部でどのような行為を行ったのか、俄然、関心が高まります。否、ロシアの言い分にも耳を傾けるべき、との意見が現れてもおかしくはありません。言い換えますと、背後関係を含めてアゾフ大隊の実態を明らかにしないことには、ウクライナ危機の真相にたどり着くことは極めて難しいと言えましょう(ロシア、あるいは、超国家権力体がアゾフ大隊を操っている可能性も…)。

 

 明日、23日には、日本国の国会でもウクライナ大統領のゼレンスキーによるビデオ演説が予定されているとのことですが、当事国の一方の言い分のみを鵜呑みにするのではなく、日本国側からもウクライナに対してアゾフ大隊等に関する事情説明を求めるべきではないでしょうか。そして、当事国双方、並びに、関係諸国が真に平和的解決を求めているのであれば、それは、国際社会に対する中立・公平的な調査委員会の設置、並びに、司法解決への道を開くのではないかと思うのです(仮に、茶番でなければ…)。


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人工地震デマ説の真偽-環境改変技術敵対的使用禁止条約の存在

2022年03月21日 12時27分12秒 | 国際政治

 先日、3月16日に発生した福島県沖を震源地とする地震については、ネットやSNSでは人工地震説が飛び交っているそうです。翌日の17日には、NHKが専門家の言葉を借りる形で人工地震説を否定しており、メディア、あるいは、政府が同説の流布を何としても抑えようとする姿勢が窺えます。本日も、ネットにあって「人工地震を信じる人々が映す「陰謀論」の深刻な浸透、「情報の民主化」は「偽情報の民主化」でもある」とする記事を発見いたしました(東洋経済オンライン)。

 

 同記事では、今般の人工地震説をテーマとしながらも、「陰謀説」を容易に信じてしまう人々の心理的な傾向一般が分析されています。この傾向を端的に表すならば、同記事において引用されている認知科学者であるダニエル・C.・デネットの「行為主体を過敏に発見しようとする習慣の、想像上の産物である」という説明が分かりやすいかもしれません(「行為主体を敏感に検出する装置」という言葉を最初に使ったのは、心理学者のジャスティン・L・バレットであったという…)。すなわち、単なる自然現象であっても行為者を見つけ出そうとする人類の性向は、環境の変化に対応しようとする生存戦略の結果であり、今日なおも、それが「陰謀論」が蔓延る一因となっているというのです。

 

 人々の一般的な心理として’犯人捜し’をしてしまうという側面は確かにその通りなのかもしれないのですが、この心理学的傾向の指摘を以って人工地震説、並びに、その他の「陰謀説」をデマと決めつけることができるのか、と申しますと、それは相当に難しいように思えます。何故ならば、地震の発生が人為的なのか、あるいは、自然なのか、という問いは、科学的な事実の証明の問題となるからです。言い換えますと、たとえ人には行為主体を探す傾向が備わっていたとしても、そのこと自体は、具体的な現象に対して行為主体の存在の有無を科学的には証明しないのです。

 

 このように考えますと、今般の人工地震説についても、心理学、あるいは、認知科学における説を以ってデマやフェイクと決めつけることはできないように思えます。それどころか、国際法の分野に目を向けますと、人工地震説が荒唐無稽な「陰謀説」とは言い切れないことに気付かされます。何故ならば、今日、「環境改変技術敵対的使用禁止条約」という条約が既に制定されているからです。

 

 同条約は、1976年12月に国連第31回総会で採択され、日本国も、1982年6月に加入しています。ロシアをはじめ、アメリカ、そして、中国も締約国です(冷戦の最中に米ソが提唱…)。同条約の第1条は、「…締約国は、破壊、損害又は障害を引き起こす手段として広範な、長期的な又は深刻な効果をもたらすような環境改変技術の軍事的使用やその他の敵対的使用を行わないことを約束する」とあり、同第2条では、同技術を「自然の作用を意図的に操作することにより地球(生物相、岩石圏、水圏及び気圏を含む)又は宇宙空間の構造、組成又は運動に変更を加える技術」と定義しています。すなわち、人工地震装置や気象兵器等の使用など、自然現象を装った敵対的行為一般は、国際法を以って禁止されているのです。

 

 そして、この条約こそ、現実に環境改変技術が存在していることを強く示唆しております。日本国内では、人工的に地震を起こすようなテクノロジーなどはSFの世界のお話のようにみなされがちですが、国際社会では、こうした技術は、破壊リスクの極めて高い既存の技術として扱われていると言えましょう。存在していない技術に対して禁止条約を造り、多数の諸国が加盟するとは考えられないからです。

 

 国際社会の現実、並びに、今日のテクノロジーのレベルを考慮しますと、人工地震説は頭から’デマ’として否定することはできないように思えます。否、その可能性がある以上、日本国政府は、国民の命を護るためにこそ、自国で発生した疑わしい地震について厳正かつ詳細な科学的調査を実施するべきなのではないでしょうか。条約違反が疑われる場合には、同条約第5条に基づいて国連安保理に苦情を申し立てることができますので、仮に同技術が何れかの国、あるいは、組織によって使用されていた場合には、国際社会に訴える道も用意されています。

 

これまでにも政府やメディアが’デマ’と断定しながら、後々、事実であることが判明した事例も少なくありません(コロナワクチンの有害性もその一つ…)。陰謀説の信憑性が増す今日にあっては、デマとして退けるほうが余程怪しく、かつ、国民にとりましてはリスクが高いように思えるのです。


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ゼレンスキー大統領の演説行脚の不可解

2022年03月18日 12時31分40秒 | 国際政治

 ロシアによるウクライナ侵攻は、かつてないほど西側諸国の団結力を強めたとも評されています。アメリカを筆頭に各国は対ロシア制裁に踏み切っており、自由主義国の結束は揺るぎないように見えます。こうした中、ウクライナのゼレンスキー大統領は、リモート形式とはいえ、イギリス、カナダ、アメリカ、ドイツの順で議会演説の行脚を始めたのですが(次は日本の国会?)、同大統領の演説は、まことに不可解と言わざるを得ないのです。

 

 本日(3月18日付)の日経新聞朝刊には、各国議会における同大統領の演説内容を纏めて紹介する記事が掲載されておりました。もちろん、演説の主たる目的は危機に直面しているウクライナ支援の訴えにあるのでしょうが、中には、首を傾げざるを得ないフレーズも散見されます。イギリス議会においてハムレットの名セリフを引用したのは、如何にも俳優から政治家に転身したゼレンスキー大統領らしい’台詞’なのですが、とりわけ、アメリカ上下両院並びにドイツ連邦議会でのスピーチとなりますと、自らの聞く耳を疑う議員も少なくなかったことでしょう。何故ならば、逆効果となりかねない言葉が並んでいたからです。

 

 アメリカ議会にあって、ゼレンスキー大統領は、公民権運動のリーダーであったキング牧師の名言をもじるような形でウクライナへの支援の必要性を訴えると共に(I have a need…)、ロシア軍による攻撃を先の大戦における日本軍の真珠湾攻撃にも喩えています。前者を見ますと、キング牧師は、確かに教科書にあってもアメリカの歴史において誰もが知る偉人として扱われています。その一方で、敢えて公民権運動の英雄を議会演説において持ち出したことが、アメリカ国内において人種的分断を越えた結束を生む効果があったのか、と申しますと、この点についてはいささか疑問となりましょう。公民権運動とは、白人層に対して黒人層が異議を申し立て、平等な権利を勝ち取る運動でしたので、バイデン民主党政権に対するアピールとはなっても、アファーマティヴ・アクションへの批判、並びに、BLM運動に象徴されるような根深い対立が未だに解消されていない状況下にあって、この発言が、ウクライナ支援に向けたアメリカ国民の結束を促したとは思えないからです。

 

 また、既に日本国内のネット上にあって批判が沸き上がっているように、同大統領が、ロシアによる侵攻を真珠湾攻撃に喩えた点も、日本国とアメリカとの間に隙間風を吹かせる要因ともなり得ましょう。仮に、同大統領の真珠湾攻撃の喩えに反応してアメリカ国民の多くが’愛国心’を燃え上がらせ、ウクライナ支援の誓いを新たにするならば、それは、日本国民にとりましては心地よい出来事ではありません。むしろ、アメリカには未だに反日感情が潜んでいるのではないか…と疑うこととなりましょう(日米間の信頼関係に亀裂が…)。

 

 そして、ドイツ連邦議会における演説にあっても、積極的なウクライナ支援に向かうというよりも、議員達からは複雑な反応が返って来たようです。ゼレンスキー大統領は、ドイツの演説では、ベルリンの壁に擬えて「新しい壁壊して」と訴えています。もっとも、その全般的な内容は、「ノルドストリーム2(独ロ間の天然ガスパイプライン)」といったドイツとロシアとの過去の経済関係が戦争をもたらしたとする認識の上での、ドイツの煮え切らない態度への批判であったとされます。このため、上述した新聞記事によれば、「演説終了後、ドイツ側の議員たちは立ち上がって拍手したが、一様に厳しい表情だった」そうです。同演説もまた、ドイツにおけるウクライナ支援の機運に冷や水を浴びせてしまった観すらあるのです(真珠湾攻撃の喩えも、日本国民の多くにとりましては冷や水…)。

 

 ゼレンスキー大統領は、コメディアンの俳優でしたので、人々の心を動かす言葉や話し方を心得ているはずです。そして、チャーチルやヒトラーなど、政治家の多くも演説術に長けているのですが、今般の演説を見る限り、むしろ、西側諸国におけるウクライナ支援の結束を弛緩させてしまうという、逆効果が見受けられるのです。日本国での演説にあっても、さすがに真珠湾攻撃の表現は控えるとしても、手厳しい対日批判が含まれる可能性はあり、同演説の実現の難易度は高まったかもしれません。とは申しますものの、国会での演説は、同大統領、あるいは、’演説原稿のライター’の真の意図や目的を見極める重要な判断材料になるかもしれず、敢えて申し出

 ロシアによるウクライナ侵攻は、かつてないほど西側諸国の団結力を強めたとも評されています。アメリカを筆頭に各国は対ロシア制裁に踏み切っており、自由主義国の結束は揺るぎないように見えます。こうした中、ウクライナのゼレンスキー大統領は、リモート形式とはいえ、イギリス、カナダ、アメリカ、ドイツの順で議会演説の行脚を始めたのですが(次は日本の国会?)、同大統領の演説は、まことに不可解と言わざるを得ないのです。

 

 本日(3月18日付)の日経新聞朝刊には、各国議会における同大統領の演説内容を纏めて紹介する記事が掲載されておりました。もちろん、演説の主たる目的は危機に直面しているウクライナ支援の訴えにあるのでしょうが、中には、首を傾げざるを得ないフレーズも散見されます。イギリス議会においてハムレットの名セリフを引用したのは、如何にも俳優から政治家に転身したゼレンスキー大統領らしい’台詞’なのですが、とりわけ、アメリカ上下両院並びにドイツ連邦議会でのスピーチとなりますと、自らの聞く耳を疑う議員も少なくなかったことでしょう。何故ならば、逆効果となりかねない言葉が並んでいたからです。

 

 アメリカ議会にあって、ゼレンスキー大統領は、公民権運動のリーダーであったキング牧師の名言をもじるような形でウクライナへの支援の必要性を訴えると共に(I have a need…)、ロシア軍による攻撃を先の大戦における日本軍の真珠湾攻撃にも喩えています。前者を見ますと、キング牧師は、確かに教科書にあってもアメリカの歴史において誰もが知る偉人として扱われています。その一方で、敢えて公民権運動の英雄を議会演説において持ち出したことが、アメリカ国内において人種的分断を越えた結束を生む効果があったのか、と申しますと、この点についてはいささか疑問となりましょう。公民権運動とは、白人層に対して黒人層が異議を申し立て、平等な権利を勝ち取る運動でしたので、バイデン民主党政権に対するアピールとはなっても、アファーマティヴ・アクションへの批判、並びに、BLM運動に象徴されるような根深い対立が未だに解消されていない状況下にあって、この発言が、ウクライナ支援に向けたアメリカ国民の結束を促したとは思えないからです。

 

 また、既に日本国内のネット上にあって批判が沸き上がっているように、同大統領が、ロシアによる侵攻を真珠湾攻撃に喩えた点も、日本国とアメリカとの間に隙間風を吹かせる要因ともなり得ましょう。仮に、同大統領の真珠湾攻撃の喩えに反応してアメリカ国民の多くが’愛国心’を燃え上がらせ、ウクライナ支援の誓いを新たにするならば、それは、日本国民にとりましては心地よい出来事ではありません。むしろ、アメリカには未だに反日感情が潜んでいるのではないか…と疑うこととなりましょう(日米間の信頼関係に亀裂が…)。

 

 そして、ドイツ連邦議会における演説にあっても、積極的なウクライナ支援に向かうというよりも、議員達からは複雑な反応が返って来たようです。ゼレンスキー大統領は、ドイツの演説では、ベルリンの壁に擬えて「新しい壁壊して」と訴えています。もっとも、その全般的な内容は、「ノルドストリーム2(独ロ間の天然ガスパイプライン)」といったドイツとロシアとの過去の経済関係が戦争をもたらしたとする認識の上での、ドイツの煮え切らない態度への批判であったとされます。このため、上述した新聞記事によれば、「演説終了後、ドイツ側の議員たちは立ち上がって拍手したが、一様に厳しい表情だった」そうです。同演説もまた、ドイツにおけるウクライナ支援の機運に冷や水を浴びせてしまった観すらあるのです(真珠湾攻撃の喩えも、日本国民の多くにとりましては冷や水…)。

 

 ゼレンスキー大統領は、コメディアンの俳優でしたので、人々の心を動かす言葉や話し方を心得ているはずです。そして、チャーチルやヒトラーなど、政治家の多くも演説術に長けているのですが、今般の演説を見る限り、むしろ、西側諸国におけるウクライナ支援の結束を弛緩させてしまうという、逆効果が見受けられるのです。日本国での演説にあっても、さすがに真珠湾攻撃の表現は控えるとしても、手厳しい対日批判が含まれる可能性はあり、同演説の実現の難易度はさらに高まったとも言えましょう。とは申しますものの、国会での演説は、同大統領、あるいは、’演説原稿のライター’の真の意図や目的を見極める重要な判断材料になるかもしれず、敢えて申し出を受け入れるという選択もあるのではないかとも思うのです。

を受け入れるというのも、一つの選択肢なのではないかと思うのです。


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ウクライナ危機は司法解決できる?ー二つの提案

2022年03月17日 16時40分51秒 | 国際政治

 国連憲章は、紛争の解決に際して平和的手段を用いるように加盟国に義務付けています。ところが、国際社会の現実を見ますと、ロシアは武力による現状の変更を試みてウクライナに侵攻し、平和的解決の原則を破っているように見えます。その一方で、報道によりますと、ウクライナ側からの提訴を受けて、国際司法裁判所は、ロシアに対して即時の侵攻停止命令を発したとされています。果たして、ウクライナ危機は、司法解決し得るのでしょうか。

 

 実を申しますと、ウクライナの提訴によるものとはいえ、国際司法裁判所がウクライナ侵攻に対して具体的なアクションを起こしたことは、驚きでもありました。何故ならば、ロシアもウクライナも同裁判所の強制管轄受託国ではありませんので、紛争当事国双方の合意を要するとされる裁判手続きが開始されるとは思えなかったからです。ところが、’ロシアは、審理を欠席している’と報じられていますので、限られた情報ではありますが、国際司法裁判所は、ウクライナによる単独提訴を受理したようなのです(なお、国際司法裁判所は、裁判の他に勧告を行う権限も有する…)。

 

 同裁判所が命じたのは、’仮保全措置命令’とされていますので、国レベルの裁判所では、仮処分としての保全命令ということになりましょう(ただし、同命令は、通常は民事訴訟において用いられる…)。裁判所は、放置すれば、取り返しのつかない損害や不利益が生じることが予測される場合、緊急措置として、原告に対して問題となる行為を止めることを命じることができます。国際司法裁判所も、裁判による判決を待たずしてロシアに対して軍事行動の停止を命じたのでしょう。

 

 一先ずは、紛争の平和的解決のために司法解決が試みられたこととなるのですが、現行の国際司法制度には、国内裁判所のような強制執行を行う物理的な力を備えていません(同裁判所の判決の執行に関しては、法的には国連安保理が責任を負っている…)。このため、南シナ海問題における常設仲裁裁判所の判決を中国が踏みにじったように、ロシアもまた、同判決を無視するものと予測されているのです。このままでは、法の支配はさらに遠のき、人類は、’might is right’の没倫理的な野蛮世界に逆戻りしかねません。そこで、日本国政府は、国際社会に対して、ロシア側も受け入れざるを得ない提案を試みてはどうかと思うのです(必ずしも日本国政府でなければならない、ということではありませんが…)。国際司法制度は国家レベル程には整ってはいないもの、その提案は、以下の二つとなります。

 

第一の提案は、検察の役割を担う機関の設置です。ウクライナ危機とは、本来であれば国連安保理決議によって中立・公平な機関として特別調査委員会が設けられ、必要とあれば、現地に調査団が出向いて証拠等を収集すべき事案です。安保理においてロシアの侵攻を侵略と認定する決議であれば、ロシアは、即、拒否権を発動することでしょう。その一方で、初めからロシアを‘戦争犯罪国家’と決めつけるのではなく、司法における‘無罪推定’の原則の下で、中立・公平な機関による調査の実施を提案するのであれば、ロシアは、同提案に対して無碍には反対はできないはずです。同調査機関のメンバーが、中立的な立場にある国から選ばれるのであれば、ロシアにもウクライナにも不満はないことしょう。

 

第二の提案は、公開による裁判です。今般の紛争に際しては、ロシア側もウクライナ側も、国際社会に対して自らの正当性を訴えています。しかしながら、非当事国や一般の人々は、双方による激しい情報戦が繰り広げられていることもあり、どちらの言い分が正しいのか、正確には判断することができません。裁判の舞台は国際司法裁判所が望ましいのでしょうが、ロシアが拒絶する場合には、国連安保理、あるいは、総会の決議により、同ケースを対象とした特別裁判を開くという方法もありましょう。両国とも、誰もが納得する証拠等を提示せざるを得なくなりますので、裁判官のみならず、非当事国の政府や一般の人々も、事実の捏造や偽情報に惑わされない判断が可能となります。

 

第一の提案は、一先ずは、ロシアを被告人としてウクライナ紛争を刑事事件として扱うものですが、第二の提案は、民事訴訟に近い形態となりましょう。仮に、ロシアが自国を‘容疑者’扱いするのも許せない、というのであれば、検察のプロセスを介さずに、最初から第二の方法、即ち、裁判形式を以って双方が国際法廷で争うということでも構わないかもしれません。何れにしても、戦場から法廷へと対決の場を移行させるには、ロシア側にも弁明の機会を公平に与えることが肝要となりましょう。そして、これらの提案に対するロシアとウクライナの両国の反応こそ、ウクライナ危機の真相の解明に寄与するのではないかと思うのです(この最後の一文は意味深長です…)。


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ゼレンスキー大統領の日本での演説の意味とは?

2022年03月16日 15時17分50秒 | 国際政治

 ロシアからの侵攻を受け、国家存亡の危機に直面しているウクライナのゼレンスキー大統領は、自国への支援を訴えるべく、各国の議会において演説を行っています。オンライン形式ではありますが、8日はイギリス、15日にはカナダ、そして、本日16日には、アメリカの上下両院と続き、日本国政府に対しても、在日ウクライナ大使館を通して国会での演説を提案しているそうです。果たして、日本国でのゼレンスキー大統領の演説は、何を意味しているのでしょうか。

 

 報道によりますと、日本国政府は、同大統領の演説の実現に積極的な姿勢を示しているようです。もっとも、演説の内容を見ますと、ロシアの非道な行動への批判、並びに、同行為を止めさせるために飛行禁止区域の設定の呼びかけですので、同区域設定の実行力を有するNATOの加盟諸国において訴えるのは理解に難くはありません。ウクライナは非加盟国とはいえ、イギリスも、カナダも、そしてアメリカも、NATO加盟国であるからです。ところが、何故、日本なのか、という日本国が演説地に選ばれた理由を探しますと、少なくとも軍事上の理由は見当たらないのです。

 

 日本国は、アメリカの同盟国ではありますが、ウクライナとの間には直接的な同盟関係は存在していません。アメリカでさえ法的にはウクライナの同盟国ではありませんので、ましてや日本国に対して軍事支援を要請する根拠は一層薄いと言えましょう。

 

加えて、日本国には、今日、中国や北朝鮮などの周辺諸国からの軍事的脅威の高まりを受けて国民の意識に変化が見られるとはいえ、戦後の長きにわたって憲法第9条の精神が染み付いております。言い換えますと、防衛政策の基本方針として専守防衛を旨としてきましたので、日本国政府が、ウクライナからの軍事的支援の要請に応える可能性は高くはありません。戦争に巻き込まれる、あるいは、第三次世界大戦に参戦する事態も予測されますので、世論も必ずしも歓迎一色とはならないことでしょう(日本国民には、ウクライナのために自らの血を流す覚悟があるのでしょうか…)。

 

また、グローバリズムに伴う移民の増加もあって、イギリス、カナダ、アメリカといった諸国には、ウクライナ出身、あるいは、祖先をウクライナに遡る国民が少なくありません。一方、日本国の場合、今般の危機にあって政府がウクライナ難民の受け入れを表明してはいるものの、一般の国民については、ウクライナに対して特別の繋がりや同朋意識があるわけではありません。ウクライナは、大多数の国民にとりましては、馴染みの薄い国であったことでしょう。地縁のみならず、血縁においてもウクライナは遠方の国ですので、ゼレンスキー大統領の演説に賛同し、ロシアに対する敵意を燃え上がらせるという状況には至らないとも予測されるのです。

 

以上の諸点を考慮しますと、ゼレンスキー大統領の演説は、たとえ演説が実現したとしても、その内容において他の三つの国とは違う可能性が高いように思えます。ロシアの孤立化や対ロ制裁への協力とったより一般的な要請となるのかもしれませんが、敢えて日本国が演説地として選ばれた理由について、一つの推測があるとすれば、それは、グローバルレベルで全世界に構築されてきたユダヤ・ネットワークにあって、日本国がその重要拠点の一つであることに依るのかもしれません。’重要拠点’という表現は聞こえは良いのですが、近現代史をつぶさに観察しますと、日本国は、とりわけ明治維新を機にユダヤ・ネットワークに取り込まれており、今日にあっても、同ネットワークの中枢である超国家権力体の強いコントロール下にある疑いは濃厚なのです(いわば、ユダヤ人の’植民地’?)。

 

ウクライナとは、ハザール系ユダヤ人の故地であり、イスラエルと並んでユダヤ色の強い国です。そして、上述したようにハザール系ユダヤ人は、イギリス、カナダ、アメリカも多数移り住んでおり、これらの諸国は、同ネットワークの中心拠点でもあったと言えましょう。ポーランド系ユダヤ人とされるかのヤコブ・フランク(本ブログの1月11日並びに1月19日付記事参照…)も、現ウクライナ領のコロリヴカにおいて生誕しています(当時はポーランド領)。ウクライナとユダヤ・ネットワークとの関係を考慮しますと、今般のウクライナ危機は、日本史を含めた知られざる世界史を語り始めるかもしれません。


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中国の対ロ軍事支援問題-IT兵器戦争に発展する?

2022年03月15日 15時44分14秒 | 国際政治

 ロシアによる対中軍事支援につて、目下、アメリカ、ロシア、そして中国の間で激しい情報戦が闘われているようです。アメリカのメディア各社が、ロシアが中国に対して軍事支援を要請したと報じる一方で、当事者であるロシアと中国は、共に同支援要請を否定しているからです。

 

 同情報の真偽は別としても、ロシア側が支援要請を事実として認めない理由ははっきりしています。仮に、ロシアが中国の援軍を求めているとすれば、それは、ウクライナでの戦争にあって劣勢であることを認めたに等しくなるからです。ロシアとウクライナとでは軍事力に凡そ10倍の差があり、軍事テクノロジーにおいても前者が後者を圧倒しているとされているものの、いざ戦争となれば、軍事大国であるはずのロシアでさえ、自国一国ではウクライナを制圧できない実態が白日の下となるのです。ロシアのペスコフ大統領報道官は、支援要請の事実はないと否定した上で、「ロシアは自前で作戦を継続する能力を有している」と述べたと報じられています(インタファクス通信)。

 

 軍事支援の必要性という側面からしますと、現時点にあっては、ロシアが他国に援軍を要するまで追い詰められているとは思えないのですが、アメリカのメディアによりますと、支援の内容にはドローンなども含まれているとされていますので、戦術核兵器を含む核兵器や生物化学兵器等の使用への批判を恐れ、ロシアが保有していない最新IT兵器の提供を求めたのかもしれません(AIを搭載したロボット兵士もあり得る…)。中国からしますと、自らが密かに開発してきた新兵器を実戦で使用し、ウクライナを自国の新兵器の実験場にすることができます。アメリカを凌ぐ軍事大国の地位を狙う中国にとりましては、軍事テクノロジーにおいて一歩先んじる絶好のチャンスとなり得るのです。

 

 中国製IT兵器の投入により、米中間の軍事バランスが中国に大きく傾くきっかけになり得ることも、アメリカが、中国によるロシア支援に対して強く牽制する理由の一つとも推測されます。中国のIT兵器にはアメリカ発の技術が広く転用されていますが、自由主義国では、倫理的な拘束もあって非人道的な兵器の開発は抑制されています(ロボット兵士には兵士と民間人、並びに、大人と子供の識別もできない…)。こうした状況下にあってウクライナの戦闘地域にIT兵器が使用されれば、ウクライナは一気に制圧されてしまうかもしれません

 

もっとも、今日、民間のグローバル企業がウクライナを積極的に支援している点を考慮しますと、欧米系の民間IT大手が自社製の最新鋭の兵器を開発・製造し、ウクライナに提供する可能性もありましょう。ロシアのみならず、ウクライナ側もIT兵器を投入するとなれば(なお、ドローンについては、ウクライナが、既に2021年10月にトルコ製のバイラクタルTB2を使用していいるそうです…)、ウクライナでの戦争は人類史上にあって初めての’IT戦争’ということになるのですが、民間企業による軍事支援は、中国企業にも対ロ支援の口実を与えることとなりますので注意を要します。アメリカは、中国に対して支援を控えるよう警告を発していますが、中国は、自国の民間企業や海外の中国資本系企業による自発的提供という別ルートを以ってこれを行うかもしれないからです。

 

 ウクライナでの戦争は、IT兵器戦争という新たな戦争形態をもたらす可能性も否定はできないのですが、最大のリスクとしては、中国によるロシア支援が、第三次世界大戦の導火線となりかねない点は、多くの人々が認めるところなのではないかと思います。そして、IT兵器戦争への発展は、同技術を牽引してきたのは超国家権力体であっただけに、世界大戦誘導プランの信憑性をも高めるのではないかと思うのです。


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ウクライナ危機が問うグローバリズムの政治性

2022年03月14日 15時31分06秒 | 国際政治

 グローバリズムとは、全世界を枠組みとした一つの市場を造ろうとする動きですので、非政治性をその特色の一つとしています。経済分野を中心とした非政治的な流れであるからこそ、国家からの然したる抵抗を受けることもなく国境を易々と越え、国民多数から警戒されることもなく時代の潮流として受け入れられてきたとも言えましょう。たとえ、それが、実態として政府の自立的な政策決定権限の浸食を伴うものであったとしても…。

 

 かくして、メディアが拡散しているグローバリズムのイメージとは、世界市民社会の理想が実現したごとく、人種、民族、宗教、国籍、伝統、慣習…といった一切の属性や固有性が消し去られた世界であり、そこには、国家を枠組みとした政治的な要素は殆ど見られません(リベラル志向の社会的要素は強い…)。否、全世界が一つの’グローブ’となった世界には、政治なるものは、存在しないが如きなのです(なお、グローバル・レベルでの民主主義は、実現が極めて難しい…)。世界が一つになれば永遠の平和が訪れ、あらゆる対立や紛争も消滅するとでも言うかのように。

 

 ところが、ウクライナ危機は、一瞬にしてこのイメージを覆してしまった観があります。何故ならば、IT大手をはじめグローバル企業と称される企業の多くが、ウクライナ支援に雪崩を打つように動き始めたのですから。メディアが率先してロシア批判を繰り広げた欧米では、グーグル、アマゾン、メタ、アップル、テスラなどがウクライナ支援を表明し、地理的に遠い日本企業にあっても、ファミリーマート、ファーストリテイリング、資生堂、楽天、ソニー、ZOZOといった名だたる有名企業が名を連ねています。

 

こうしたグローバルな動きとしてのウクライナ支援、即ち、グローバル企業が’政治的中立性’を放棄した理由としては、国連を中心として提唱されてきたSDGsと同様に、社会貢献に積極的に取り組む企業としてのイメージ戦略とする指摘もあります。その一方で、企業が’軍事資金’を特定の戦争当事国に対して提供するのですから、必ずしも企業イメージのアップに繋がるとは限りません。とりわけ、憲法第9条を有する日本国の場合には、戦争=絶対悪論も根強く、平和主義の立場から逆に反感を持たれてしまうリスクもありましょう。

 

 また、自らが支払った代金や使用料の一部が事業とは殆ど関係のない戦費となることに疑問を抱く一般消費者やユーザーが現れても不思議ではなく、また、株主達も、軍事への支出を必要経費、あるいは、投資と見なすのかも疑問なところです。タックスヘブンを利用してまで、何れの国家に対しても税金を納めることを回避してきたグローバル企業が、自らアピールしてきた非政治性を捨て去り、突如として国籍国でもないウクライナの支援に走る姿は、どこか奇異に映るのです。

 

 ロシアの非道は許せない、ということなのかもしれませんが、今般のウクライナ危機に際してのグローバル企業の動きは、国境を越えた連動性があるだけに、民間企業と政治との関係について様々な問題を提起しているようにも思えます。例えば、国籍国でもない国の民間企業が特定の国に対して経営判断として軍事支援をすることは許されるのか(政府の承認は不要?)、許されるとすれば、どのような条件が求められるのか(国際法違反の行為の有無?)、さらには、中国が戦争の当事国となった場合、全世界の中国系企業が自国のために活動することもあり得るのか…といった問題が浮上してきます。

 

 民間企業と戦争との関係に関する十分な議論や国際的なコンセンサス、あるいは、国際ルールが設けませんと、国際社会は、将来において官民が入り乱れて収拾のつかない混戦状態となりかねません。そして、グローバル企業群の連動性には超国家権力体の影も見え隠れしていますので、本問題については、三次元的な視点からの分析やアプローチも必要なように思えるのです。


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NPT体制の見直しはアメリカにも一考の余地があるのでは?

2022年03月11日 15時21分25秒 | 国際政治

 ロシアによるウクライナ侵攻は、軍事力を絶対悪と見なす平和主義の理想を打ち砕いてしまったかのようです。今日、全世界の人々が目の当たりにしている現実は、日本国を含む多くの諸国に、自国の防衛、並びに、国際社会における安全保障体制をめぐる問題を突き付けているとも言えましょう。核の抑止力の如何が安全保障上の論点として浮上してきたのも、国際社会の構造的な変化に起因しているのです。

 

 そして、この変化の過程で明らかとなったのは、アメリカの’世界の警察官’としての役割の後退です。冷戦期にあっては、国連安保理の常任理事国でありながら既に’警察官’としての実力を半ば失っていたイギリス並びにフランスをよそに、アメリカは、西側陣営の盟主としてソ連邦と対峙すると共に、強大なる軍事力を以って全世界をパトロールしてきました。しかしながら、冷戦が崩壊すると、グローバルな脅威への対抗としてテロとの戦いが新たな’警察活動’の対象に加えつつも、大局的にはアメリカが自らの役割を縮小する方向に向かった点は否めないのです。

 

 その’極めつけ’とも言うべきはオバマ元大統領の宣言でした。同大統領は、最早アメリカは’世界の警察官’を続ける意思がないことを国際社会に向かってアピールしたのですから。そして、今般のウクライナ侵攻の原因も、元をただしますと、オバマ政権時代の政策方針、否、安全保障体制に関する認識の誤りに遡ることができるかもしれません。何故ならば、オバマ大統領が目指した’世界の警察官なき未来のヴィジョン’が、あまりにもナイーブで、脆弱であったからです。

 

 同大統領は、核保有国、かつ、原子爆弾を使用した唯一の国の大統領でありながら、核兵器廃絶を訴えた2009年のプラハ演説が評価されてノーベル平和賞を受賞しています。このことは、オバマ政権の国際社会に対する基本的な政策方針が、自国の‘世界の警察官’からの離職と核兵器廃絶の組み合わせであったことを意味しています。当時にあって、オバマ大統領の方針は、リベラルな平和主義者のみならず、世界各国から称賛を浴び、マスメディアも褒めそやかしたのですが、今になって考えても見ますと、この組み合わせは、無責任であったようにも思えるのです。

 

 警察官がいなくなれば治安が乱れ、犯罪が横行することは、誰もが予測できることです。この点については国際社会も変わりはなく、アメリカが睨みを利かせなくなりますと、暴力主義の国家が幅を利かせてくることは当然の帰結とも言えましょう。実際に、ポスト冷戦期におけるアメリカの軍事力の相対的な低下は、無法国家である中国の軍事的台頭を招いています。

 

 テロ組織のみならず、暴力主義国家による脅威の高まりが予測されるならば、アメリカの警察力に護られてきた各国にとっては、自衛力の強化に努めるのが合理的な対応策となるはずです。そして、現状にあっても、最も強力な力の抑止力となるのが核兵器の保有であるという現実を直視しますと、この手段を封じてしまうのは、リスクに晒されている諸国にとりましては酷なこととなりましょう。喩えるならば、これまで人々の暮らしと安全を守ってきた警察官が、市民を前にして突然に’私は、本日をもって警察官を退任します。これから治安が悪化し、拳銃を持った強盗が現れるかもしれませんが、皆さんは、治安が悪化しますので拳銃を持ってはなりません。’と述べるようなものなのです。’この論理、どこか倒錯しているように思えます。

 

 すなわち、警察官としての職務を放棄するならば、自らの警察活動に代る安全確保の手段を人々に提供しなければ、無責任ということになりましょう。もちろん、一般市民による拳銃の携帯の他にも、時間を掛ければ他の防御手段や治安維持のための制度整備といった方法もあるかもしれません。しかしながら、拳銃の携帯が即時的な抑止効果を持つのみならず物理的な反撃の手段となる以上、拳銃の保有という手段を初めから排除するのは、警察官自らが犯罪者に有利な状況を造り出すようなものです。

 

 アメリカの世論の動向を見ますと、ウクライナのために自国の兵士が命を失いかねない米軍の軍事介入には、過半数以上の国民が反対しているそうです。アメリカの世界の警察任務からの撤退が自国民の犠牲を厭う世論を背景としているならば、各国の自立的防衛力を高める方向を促した方が理に適っているように思えます。バイデン大統領は、オバマ政権時にあって副大統領を務めており、核兵器廃絶の方向を修正するかどうかは未知数です。しかしながら、現状の綿密な分析と議論の末に、その最も効果的な方法が、当面であれ、国家の規模に関わらず全ての国家による核武装であり、全世界レベルで相互的な核の抑止力を働かせるという結論に至ることもあり得るのではないかと思うのです。


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