万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

5Gの規格争いから見える米中戦争の行方

2019年11月30日 17時35分59秒 | 国際政治
報道に依りますと、米政府の高官は、12月3日から4日にかけて開催が予定されているNATO首脳会議において、トランプ大統領が中国への対応を最優先課題として提案する予定である旨を語ったそうです。経済から政治へ、そして、終に軍事の分野にまで米中対立は拡大し、両国、あるいは、両国を中心とする陣営間の軍事衝突もあり得る展開となっています。

 それでは、仮に両者が戦闘状態に及んだ場合、一体、どのような事態が起きるのでしょうか。デジタル時代を迎えた今日、戦争の形態も大きく変化してきています。今日では、ステルス機といった第二次世界大戦当時には存在していなかった兵器が数多く登場しており、無人ロボットやドローンといった遠隔操作で闘う兵器が実用化される日も間近に迫っています。こうした新兵器を支えているのはITやAIといった電子・通信分野で発展してきた高度な技術であることは言うまでもなく、白兵戦や人海戦術が通用する時代は過ぎ去り、これらの分野におけるテクノロジーの高さが戦争の勝敗を決すると言っても過言ではないかもしれません。

 電子・通信テクノロジーが戦争における兵器の優位性の決定要因であるならば、それは、より優れた、即ち、高速の通信ネットワークを実現した側が有利であることを意味します。一瞬の差がものを言うと言えましょうこの点、5Gへの移行に当たって、アメリカと中国との間に規格争いが存在することは注目に値します。前者は、国防省を中心に高周波数領域(mmWave)の開発を進めており、後者は、低周波数領域(sub-6)において強みを持ち、両社の間には規格に違いがあるのです。この二つの方式、実のところ、速度に違いがあります。mmWave方式は、届く距離が短いために多数の基地局の設置こそ必要とするものの、sub-6方式よりも速度が速いのです。

 そこで、想定されるのは、三つのパターンです。その第一のパターンは、アメリカのmmWaveがグローバル・スタンダードとなるシナリオです。尤も、このパターンは、独自にsub-6方式を率先して開発している中国は、対米依存、あるいは、有事に際しての通信遮断を回避するためにも自国への導入を見送ることでしょう。このため、mmWaveがグローバル・スタンダードとなる可能性は極めて低く、同方式は、同盟国に限って採用されるものと推測されます。

第二のパターンは、sub-6のグローバル・スタンダード化です。しかしながら、sub-6もmmWaveと同様の理由により、中国陣営に加わった諸国のみにおいて採用されるかもしれません。もっとも、価格競争力を有するファウェイ製品が、5G時代にあって安価で各国に輸出される場合には、同製品を採用した諸国では、知らず知らずのうちにチャイナ・スタンダードに適用した通信システムを導入したことになります。このことは、自国領域内での人民解放軍の展開を可能としますので、仮に自由主義陣営にありながら通信規格だけはsub-6を採用した国は、中国から攻撃を受ける事態に直面した場合、苦渋の決断を強いられかねません。何故ならば、人民解放軍のハイテク兵器の運用を阻止するためには、自軍のハイテク兵器にも使用されているG5の通信システムを破壊しなければならないからです(G5用の基地局を撤去すれば、通信は遮断される…)。

以上に述べた諸点を勘案すれば、最も高い確率であり得るシナリオは、米中がそれぞれ異なる規格を採用し、それぞれの同盟国もその規格に合わせると言うものです(中国が、既にG6や量子テクノロジーの開発に乗り出しているのはG5における劣勢を自覚しているからかもしれない…)。そして、この状況下では、少なくともmmWaveが使用可能な地域にあって米中がハイテク戦争に至った場合、通信速度に優るアメリカ軍が勝利することを意味します。乃ち、5G規格の分裂は、アメリカ陣営の諸国を中国の軍事的脅威から守る防御的効果があるのではないでしょうか。かつて、スペインは、ナポレオン軍の鉄道を用いた進軍を阻止するために、フランスのものと敢えて異なる鉄道規格を設けましたが、デジタル時代にあるからこそ、規格の問題は、より重要性を増しているように思えるのです。

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香港人権民主主義法はアメリカの妙手

2019年11月29日 10時59分07秒 | アメリカ
 アメリカでは、議会両院での可決の後、トランプ大統領が速やかに署名を済ませ、香港人権民主主義法が成立しました。共和・民主の与野党とも同法案に対する立場に違いはなく、議会での採決に際しては上下両院共に凡そ全会一致で可決したのです。同法をめぐる政界の動きは、中国の暴力主義的な弾圧姿勢に対して批判的なアメリカ国民の世論をも強く反映させているのでしょう。大統領から一般市民に至るまで同法を支持するアメリカを前にして、中国側は、同法案の成立を内政干渉として報復を示唆しています。しかしながら、アメリカに打撃を与えるような具体的な報復策が存在するわけでもなく、中国側が窮地に陥っているのが実情のようです。

同法を機に米中交渉が決裂して困るのは、凡そ全ての中国製品に高率の関税が課される中国側です。トランプ大統領としても、人権や民主主義といった価値観の問題に敏感なアメリカ国民の世論が大きく反中に強く傾く中、何としても中国との合意を成立させる必要性は薄れてきています。中西部の農業地帯が同大統領の支持基盤であるたとえ、中国への大豆輸出がご破算になったとしても、健康食品としての大豆需要の世界的な高まりからすれば、代替輸出先を見つけることは不可能ではありません。また、部分合意であれ、米中交渉がたとえ成立したとしても、これを以って同法が廃止されたり、無効化される可能性はなく、中国を取り巻く状況が好転するはずもないのです。つまり、中国は、米中交渉を‘報復手段’として用いることはできないのです。

報復どころか、何よりも中国が恐れているのは、同法案に含まれている内容を一般の中国国民が知ってしまうことではないかと思うのです。何故、国民が知ることが脅威となるのかと申しますと、それは、香港を介して本土の共産党幹部や政府高官、そして、富裕層が、アメリカに秘かに資産や家族を移してきた実態が明らかとなるからです。同法には、香港において人権侵害等に加担した中国政府、並びに、香港政府の人物に対する制裁措置として、資産凍結や入国禁止等の制裁を定めています。同条項が最も効果的であるとも評されていますが、この条項は、国民に対しては共産主義者として清廉潔白なポーズを取り、‘虎もハエも叩く’をスローガンに腐敗撲滅に積極的に取り組みながら、その実、‘敵国’であるはずのアメリカに‘逃亡先’を準備してきた中国の特権階級の存在を浮き上がらせています。つまり、同条項の存在自体が、中国の共産党一党独裁体制の実態を暴露しているのです。

中国本土では、目下、政府当局が全国民を完全監視体制の下に置き、ネット情報をも徹底的に統制していますが、海外諸国にまでは同統制は及びません。実際に、日本国内での中国人居住者の数は200万人を越え、中国人訪日客も2018年には800万人を突破しています。日本一国だけでこの数ですから、アメリカをはじめ全世界には相当数の海外在住の中国人がいます。国内にあっては完璧な情報統制を実施していても、こうした人々は、自由に情報を入手できますので、中国本土の一般国民の間でも、情報が当局に筒抜けとなるスマートフォンやネットの使用を回避すれば、やがては口コミによって同法の内容が伝わることでしょう。

今後、中国は、国民の愛国心を煽り、アメリカを‘敵国’とすることで国内の体制を引き締めようとすることでしょう。しかしながら、‘外部に敵を造る’という使い古された同手法は、国民の現体制に対する不信感の高まりにより足元から崩れるかもしれません。この意味において、香港人権民主主義法の制定は、アメリカの妙手であったと思うのです。

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世界は分裂した方が望ましい!?-米中対立の行方

2019年11月28日 14時01分32秒 | 国際政治
 ‘世界は分裂した方が望ましい’とでも発言しようものなら、グローバル化の時代に逆行するとして四方八方から袋叩きに遭いそうです。‘世界は一つ’という言葉は常々人類の理想として掲げられてきたからです。この言葉は、人類に協調を促す象徴的なスローガンでもありますし、‘時’と‘場合’によっては、分裂していた方が望ましいケースもあるように思えます。

 それでは、分裂状態の方が望ましいのは、一体、どのような‘時’と‘場合’なのでしょうか。具体的なケースによって様々なのでしょうが、一般論として言えることは、‘世界が一つ’になった結果として‘悪’が栄え、それによって世界全体が支配されてしまう状態が人類にとりましての最悪の‘一つの世界’と言えましょう。この状態に至りますと、何処を探しても‘善’には生きる場所が見当たらず、自らの良心を殺して‘悪’に染まるか、この世から自ら消え去るかのいずれかしか選択肢がなくなるのです。こうした観点から今日の米中対立を見てみますと、予想以上に人類は危機にあるように思えます。

11月27日、アメリカでは、トランプ大統領の署名により香港人権民主主義法案が終に成立しました。両国の対立軸は、同法案の名称が明示するように、正反対とでもいうべき両国間の価値観の違いにあることは否定のしようもありません。アメリカは、その人格を含む国民一人一人の基本的な権利と自由を尊び、国家体制の基本原則に民主主義や法の支配といった諸価値を置いていますが、共産党一党独裁体制の下にある中国では、人類普遍とされるこれらの諸価値には背を向け、共産主義に基づく同体制の維持のためにはこれらの全て犠牲にしても構わないと考えています。実際に、近年の中国の動きはより攻撃性を増しており、あたかも普遍的な諸価値を暴力によって破壊しようとしているかのようです。米中対立は、いわば、自由主義対全体主義のイデオロギー対立が火花を散らす主戦場なのです。こうした現状を考慮すれば、アメリカ、並びに、中国が‘新冷戦’、あるいは、‘熱戦’に勝利した場合の‘その後の世界’を予測してみることは、決して無駄ではないように思えます。

まず、アメリカが中国に、あるいは、自由主義陣営が全体主義陣営に勝利するケースを予測しています。このケースでは、一党独裁体制の崩壊を招くことでしょうから、中国の国民も人類普遍の諸価値を享受し得るようになりましょう。香港の区議会議員選挙における民主派の勝利が証明したように、これらの諸価値はより善き国や社会を目指す人間の本性に合致していますので、中国国民の多くは、あるいは自国の敗北を心ひそかに望んでいるかもしれません。また、アメリカがたとえ中国に勝利したとしても、アメリカは、チベットやウイグル等の独立を認めることはあっても、中国の領土を併合したり、その国民に対してジェノサイドを実行することもないでしょうから、およそ、第二次世界大戦において敗戦国となった日本国、ドイツ、イタリアのような状態が想定されます。もちろん、アメリカによる占領政策については今日に至るまで様々な問題を残してはいますが、この点を差し引いたとしても、一先ずは、各国の独立性が認められ、自由で民主的な体制が全世界の諸国に広がることとなりましょう(もっとも、アメリカが、ITを支配する非国家主体に乗っ取られた場合には不安が残る…)。

それでは、中国が勝利した場合には、どのような事態が想定されるのでしょうか。中国は、第二次世界大戦後の混乱期にあって、チベットやウイグルを詐術的手法によって併合し、今なお支配の頸木で縛りつけています。今般、報道された共産党の内部文書は、ウイグル人に対する弾圧はまさしく暴力と洗脳によるジェノサイドであることを示しています。加えて、一般国民に対してさえ、高度なテクノロジーを駆使した監視システムが24時間、各自の言動を見張っています。こうした現状から想定される中国勝利のシナリオとは、形ばかりは独立国家の体裁のみは残しつつ、全世界レベルで中国中心の冊封体制が復活するか、ソ連邦によって東側陣営に組み込まれたかつての中東欧諸国のように、衛星国か、あるいは、属国の立場しか認められないこととなりましょう。そして、全人類は、中国による全体主義体制維持システムとしての完全監視体制の下に置かれるのです。つまり、中国が勝利した場合には、文字通り、全体主義に染め上げられた‘一つの世界’が出現するのです。

それでは、米中の何れが、同対立において勝利を収めるのでしょうか。過去のデータ分析に基づけば、仮にアメリカをはじめ他の諸国が何らの対抗策を講じなければ、近い将来、軍事力、並びに、経済力において中国側がアメリカを凌駕するとする予測が少なくありません。残念なことに、上述した最悪の‘一つの世界’は現実のものとなる確率は極めて高いのです(但し、中国有利を示す予測は工作活動による情報操作の可能性もある…)。このような未来が予測されている以上、その国力に幻惑されて中国に迂闊に靡く、あるいは、座して死を待つ態度が正しいとは思えません。分裂を怖れるばかりに最悪の事態を招くのは偽善の末路、あるいは、愚かさと云うものなのではないでしょうか。

実際に、米中対立が‘熱戦’と化すのかどうかその予測は困難ですが、少なくとも、中国が支配する‘一つの世界’が出現するよりは、世界が分裂していた方が遥かに‘まし’なことは確かなように思えます。全世界ではないにせよ、自由な空気が吸うことができる空間が残されており、普遍的諸価値を根幹に据える国家体制もサバイバルできるのですから。

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国連SDGs基準なら中国系はアウトでは?

2019年11月27日 16時41分33秒 | 国際政治
 最近、メディアや企業広告等でもSDGsという言葉を目にする機会が増えました。SDGsとは、Sustainable Development Goals(持続可能な発展)の頭文字をとった略語であり、国連総会が2015年9月に採択したアジェンダに基づいて2030年までに達成すべき目標等を定めた行動指針です。17の目標が設定され、各目標には具体的な達成基準も定められています。つまり、国連レベルで設定されたグローバルな共通目標なのです。

 国連が、いささかリベラルな色調を帯びた人類共通の目標や基準を事細かく一方的に定める手法にも問題がないわけではなく、特に環境分野においては、原因をめぐって議論の分かれる気候変動への関心が高いと言った難もあります。完璧なわけではないのですが、SDGsがメディア等でも持て囃される理由とは、強制力はないものの、‘同指針は、’あらゆる種類の人々、大学、政府、機関、組織’など、政府のみならず民間に対しても目標達成への協力と参加を促しているからです。乃ち、一般の民間企業も同指針に沿った行動を取ることが推奨されており、実際に、企業投資などの審査に際しても評価基準となっているケースも少なくないのです。

例えば、先進国の企業が途上国において現地の人々に対して搾取的な労働を課している場合には、SDGs基準の評価は大幅に下がり、同企業は資金調達に苦しむ可能性があります。逆に、現地のスモール・ビジネスであっても、途上国の飢餓問題の解決に貢献し、生活水準を向上させるような事業を始めようとする組織や個人に対しては、全世界から起業資金を集めるチャンスに恵まれます。SDGsに合致した事業内容や経営方針を示すほどに資金集めも容易となるため、広告などにも積極的にSDGsをアピールするようになったのです。いわばSDGsとは、自ずと全人類が豊かになるメカニズムとも言えましょう。

そして、仮にSDGsを基準として今後の全世界の経済成長を予測するとしますと、その成長や発展に赤信号が点るのは、中国となるのかもしれません。中国は、改革開放路線の選択によりSDGsの第1、並びに、第2目標に掲げられている貧困や飢餓を克服したとして自らを高く評価するのでしょうが(むしろ、統制経済が貧困や飢餓を創り出していたのでは…)、その他の目標の達成度を見る限り、低評価とならざるを得ないからです。

とりわけ第10の目標と第16の目標の達成は絶望的と言ってもよいかもしれません。まず、前者の達成基準の一つには、‘2030年までに、年齢、性別、障害、人種、民族、出自、宗教、あるいは経済的地位その他の状況に関わりなく、すべての人々のエンパワーメント、および社会的、経済的、および政治的な包含を促進する’というものがあります。チベットやウイグルでの現状を見れば、現在の北京政府はSDGsの方針に逆行しています。また、後者にも、‘あらゆる場所において、すべての形態の暴力および暴力に関連する死亡率を大幅に減少させる’、‘国家および国際的なレベルでの法の支配を促進し、すべての人々に司法への平等なアクセスを提供する’、並びに、‘国内法規および国際協定に従い、情報への公共アクセスを確保し、基本的自由を保障する’といった、中国の行動様式とは正反対の達成目標が並んでいるのです。中国は、香港における民主派の抗議活動に対しては暴力を以って封じ込めようとし、南シナ海問題では法の支配を踏み躙って仲裁判決を無視しました。また、権力分立が否定される状況では全ての中国国民に司法へのアクセスが平等や基本的な自由が保障されているわけでもありません。細かく見れば中国にはさらに多くの多くのSDGs違反があるのですが、これらの二つの目標に限ったとしても、SDGs基準に照らしますと、今後、中国の企業が積極的な投資先となるとは思えないのです。

人々が、誰もが納得するような共通の行動規範を定めて社会悪を排除し、社会全体の発展を促すのは、‘モーゼの十戒’のみならず、古代文明の諸法にも見られる人類ならではの知恵です。SDGsも、幾つかの問題を残しつつも、基本的にはこの手法を踏襲していると言えましょう。そして、中国が、SDGsが定める行動規範に従わず、むしろ、共産党一党独裁体制への支持を基準に取引国や取引企業を選別しようとする時、他の諸国は、‘チャイナ・スタンダード’への適応の行き着く先を見通す必要がありましょう。それは、自由も民主主義も、そして、法の支配も失われた、腐敗と停滞が支配する暗黒の世界であるかもしれません。

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ローマ教皇の‘核の全否定’の前提条件とは

2019年11月26日 13時10分55秒 | 国際政治
 歴代教皇の中で初のイエズス会出身者となるフランシスコ教皇は、11月23日の夕刻、搭乗機のタラップを降りて日本国の土を踏むこととなりました。日本国のキリスト教の布教は、イエズス会士であったフランシスコ・ザビエルに始まりますので、時を経て再びフランシスコという名を持つイエズス会士が日本国を訪れたのは、何とも奇妙なめぐりあわせのような気もいたします。

 フランシスコ教皇の訪日はアジア歴訪の一環であり、かつてキリスト教国であった西欧諸国におけるカトリック衰退の傾向を前にして、アジア諸国において新たな信者の獲得を目指した旅とされます。アジアでの布教であれば、まさしく宣教師フランシスコ・ザビエルと目的を共にすることとなるのですが、特に訪日に際して強く希望したのが、被爆地である広島と長崎への訪問であったそうです。翌24日には広島を訪れ、核兵器に関する重要な演説も行っています。

 同演説において注目を集めたのは、核兵器を‘絶対悪’とするカトリック、イエズス会、あるいはフランシスコ教皇の立場です。これまでの歴代教皇さえ踏み込まなかった核の抑止力さえ否定しており、その反核平和主義は徹底しています。一般市民の生命を一瞬のうちに奪ってしまう大量破壊兵器が道徳的に正しいはずもなく、一般論としては、核兵器は‘悪’とまでは言えましょう。この点については、人類の認識は凡そ一致しているのでしょうが、破壊と殺戮を以って他国の権利を奪い、争いを解決しようとする国が存在するという悲しい現実があります。悪魔が存在する場合(中国の暴力主義はサタニック…)、人類はどうすべきなのか、核兵器の絶対悪論は、この問題を問いかけています。

 ‘汝の敵を愛せ’と説き、‘誰かが右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい’と諭した.キリスト教の精神からすれば、たとえ核保有国に脅され、実際に核攻撃を受けたとしても、神を信じてこれを受難として甘受すべきということになるのかもしれません。しかしながら、これでは暴力を独占した悪魔の支配に人類を委ねることをも意味しますので、ここに絶対善であるはずの神がサタンの支配を認めるという矛盾が生じます。つまり、この設問は、神が悪魔に奉仕する構図となるため、永遠に決着の付かない神学論争ともなりかねないのです。フランシスコ教皇が同難問にどのように応えるのかは定かではありませんが、信心深い人でも全ての人が核の抑止力までをも否定する見解に賛意を示すのかと申しますとそうではなく、首を傾げる人々も少なくないはずです。神は易々と悪魔の支配を認める程愚かではないとして…。

 それでは、この問題、どのように考えるべきなのでしょうか。確かに、神の立場からすれば、人類の最終的な目的は全ての国や組織による核兵器の全面的な廃棄なのでしょう。しかしながら、その目的に至るまでには、適切なプロセスを要するはずです。そして、このプロセスにおいて最も重要な作業とは、暴力や脅迫を是とする悪魔的な思考の国を地球上から消し去ることではないかと思うのです。

 そもそも、イエス・キリストが人々に善性を育む教えを説いたのも、現実の世界が‘悪’に満ちていたからです。‘悪’とは、自己保存を本性とする人間性に起因するものであり、これが過剰となりますと、他者を犠牲にし、手段を選ばずして自らの生存や利益のみを求める人々も現れます。過剰な自己愛や‘欲’は、他者の自由や権利を損ない、社会を腐敗させるのです。キリストは、この人間性の悪しき面を見抜いた故に(この点は仏教とも共通する…)、敢えて逆の心の持ち方や行動を人々に薦めたのでしょう。乃ち、できる限り多くの人々に、自己に内在する自己保存の本性を行き過ぎとならないように抑え、自らの内なる‘悪’を制御するよう導きたかったのでしょう。キリストにとっての‘悪魔を消し去る作業’とは、人々に自己抑制と他者尊重の大切さを芽生えさせることではなかったのかと思うのです。

 このように考えますと、フランシスコ教皇は、先ず以って真の意味でのキリスト教精神の布教、即ち、‘悪魔を消し去る作業’に努めるべきであったのかもしれません。それは、近世の宣教師のように殉教を覚悟してでも、中国といった暴力主義の国の指導者、並びに、国民を改心させ、悔い改めさせることに他ならないのではないでしょうか。カトリックに改宗させると言うのではなく、‘利己心’や‘欲’の自己抑制がもたらす社会的効用に気付かせ、心の中から悪魔を追い出すことの方が重要なのです(もっとも、サイコパスの存在は知られているので、一定の限界がある…)。そしてそれは、自由で民主的な国家体制への移行の薦めかもしれません。

核の全廃は、この作業が済んでから実現すべきであり、その時に至って初めて全ての諸国を安全にすると共に、その恩恵が全ての人類に及ぶことでしょう。核兵器全廃の前提条件が暴力主義国家の消滅である以上、現状では、時期尚早なのではないかと思うのです。

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香港区議選民主派の圧勝-否定される‘人民民主主義’

2019年11月25日 16時06分01秒 | 国際政治
 今月24日に実施された香の港区議会議員選挙で、事前の予想通り、民主派が勝利を収める結果となりました。これまで3割程度の議席数に過ぎなかったところ、今般の選挙では452議席のうち380議席を越える議席を獲得し、議会の80%を占めるまでに躍進しています。圧勝と言っても過言ではないのです。そして、香港市民の民意の表出は、対中抗議活動を後押しすると共に、共産党一党独裁の正当性にも疑問を投げかけることになりましょう。

 共産主義には、民主主義に関する奇妙な主張があります。それは‘人民民主主義’と呼ばれており、近代思想にあっては、人民主権の文脈で一般意思を唱えたルソーの思想にまで遡るとされています。主権者である人民は不可分であって、その総体の意思である一般意思は、‘常に正しく、常に公の利益を目指す’という…。この考え方は、共産主義にあっては、三段論法的に共産党一党独裁を正当化してしまいます。主権者は人民⇒人民はプロレタリアートによって代表される⇒プロレタリアートは共産党であるから共産党が主権者という論法なのです。この論法を用いれば、‘人民民主主義’は、共産党一党独裁体制を正当化すると同時に、人民の代表として‘民主主義’をも主張し得る‘便利な言葉’となるのです。

 世襲独裁王朝国家である北朝鮮の正式国名が、朝鮮民主主義人民共和国であり、民主主義を冠していることに誰もが首を傾げますが、これも、共産主義の詐術的な論法に因ります。共産主義では、党であれ、党の指導者であれ、人民の名を語った独裁が成立してしまうのです。そして、党や独裁者の個人的な考えに過ぎないにも拘わらず、‘人民’は、自国の体制を支持しており、現状の統治に満足していると決めつけるのです。‘朕は国家なり’と豪語したルイ14世よろしく‘人民の意思は、独裁者の意思なり’なのですから。

 共産主義が描いてきた人民=独裁者の構図は、普通選挙と云う国民が自らの政治的意思や選択を表す機会となる民主的制度が存在しない状態であれば、暴力と恐怖を背景に国民に押し付けることができます。誰も、国民の真意を知ることができませんし、それが公になる機会もないからです。否、共産党が民主的選挙を毛嫌いする理由とは、まさにこの点にあります。共産党は、自由で公平な選挙が実施されれば、共産党一党独裁体制が崩壊してしまうことを十分に承知しているのです。仮に、共産党一党独裁体制が人類史上最高レベルの国家体制であり、人民も本心からこの体制の維持を望んでいるとする揺るぎない自信があれば、堂々と民主的選挙を実施することでしょう。因みに、誕生間もないソ連邦では、自らの党の敗北を予感した共産党は、曲がりなりにも国民に約束していた民主的選挙を決して実施しなかったそうです。

 かくして共産主義体制の国家には民主的選挙が存在しないのですが、香港での区議会選挙の実施は、見事なまでにこの共産主義の欺瞞を暴いているとも言えましょう。何故ならば、香港行政府が「一国二制度」を形骸化し、共産党一党独裁の軍門に降る中で、同選挙は、‘人民の声’を直接に問うたからです。いわば、同選挙は、共産主義体制にあって実施された民主的選挙ということになりましょう。そして、その結果、香港市民は、自由意思で投じた自らの一票を以って一党独裁体制を拒絶し、北京政府の統治に「No」を突き付けたのです。

 香港での選挙結果は、北京政府のみならず、中国本土の一般の人々にも少なからぬショックを与えたかもしれません。人民=共産党と云う一党独裁を正当化してきた構図は崩れ、‘人民’は、民主主義体制を選んだのですから。選択肢が多数あれば、敢えて権力や富を独占し、かつ、国民監視を徹底する共産党政権を選ぶ理由もなく、当然といえば当然の結果なのですが、香港での民主的選挙における民主派の勝利は、抗議デモ以上に中国の現体制をその根底から揺さぶるかもしれません。人々を騙し続けてきた‘人民民主主義’の論法は、今やその終焉を迎えつつあるようにも思えるのです。

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米中交渉から垣間見える中国の‘対日構想’

2019年11月24日 14時50分13秒 | 国際政治
トランプ大統領にとりましては対中交渉の優先度は高く、香港人権民主主義法案の署名を明言しないのは、トップ同士の米中交渉を睨んでのこととの憶測もあります。同法案も交渉材料の一つとされる可能性も否定はできず、懸念を以ってその成り行きが注目されるところです。

 その最重要とされる米中交渉ですが、アメリカが対中貿易に強い不満を抱く理由とは、言わずもがな、アメリカの巨額の対米貿易赤字の常態化です。IT製品から日常雑貨まであらゆる分野でアメリカ市場を席巻した中国製品の輸出攻勢の勢いは凄まじく、その赤字額はかつての日米貿易摩擦時の比ではありません。こうした極端な貿易不均衡が長続きするはずもなく、貿易収支を均衡させるには、アメリカが対中輸出を増やすか、中国からの輸入を減らすか、その何れかしか改善方法はありません。保護貿易主義への回帰との批判を浴びつつも、アメリカが中国製品に対して高い関税を設定したのは、先ずは前者の方法を試みた結果とも言えましょう。

 かくして対中貿易障壁を以って対中貿易赤字額を削減しようとはしたものの、米企業が生産拠点を中国から他国に移転するには一定の時間を要することもあり、劇的な効果を発揮したとは言い難く、対中貿易赤字問題は今もって解決していません。そこでトランプ政権は、第二の手段、即ち、アメリカからの対中輸出の拡大に赤字解消の望みを託したのでしょう。実務者級の米中交渉の席で、中国側が、制裁緩和のために大豆等の穀物の輸入再開をアメリカに約束したという情報も聞こえてきます。

 大統領選挙を控えたトランプ大統領としては、自らの支持基盤となるアメリカ中部の農業地帯の票を固めるためにも、中国に圧力をかけ、農産物の輸入拡大を飲ませれば、大きな外交成果ともなりましょう。しかしながら、ここで考えるべきは、アメリカが中国に輸出できる‘モノ’は何か、という問題です。アメリカと同盟関係にあれば、ハイテク兵器類を始め、アメリカが競争力を有する製品を比較的自由に輸出することができます。一方、‘新しい冷戦’と称されるように、米中関係は、政治・軍事的にも対立が深まっており、むしろ、アメリカが得意とする分野の製品を輸出することはできません。また、ITやAIの分野では、既に技術レベルが中国の方が上回っているとの指摘もありますし、中国がコンピューターやモバイルのOS等でも独自の規格を開発して普及させ、かつ、アメリカに依存していた部品や材料等も内製化するとなりますと、ますますアメリカの対中輸出は減少することでしょう。言い換えますと、アメリカが中国に売れる‘モノ’は、農産物しかなくなるかもしれないのです。

 となりますと、貿易関係のみを見れば、中国にとりましてのアメリカという存在は、将来的には13億の国民に食糧を供給する農業国となりますが(農業技術の進歩により、中国が自給できるようになればこの必要性もなくなるかもしれない…)、この関係は、日中関係においても当てはまります。先日、日本国の国会では、農産物輸出促進法が成立しましたが、この法案は、あるいは、将来的な対中輸出の拡大を目的としているのかもしれません。しかも、中国のための食糧生産国、否、‘植民地’となるリスクは、アメリカよりも日本国の方がさらに高いとも言えましょう。日本国内では、サーチナやレコードチャイナといった中国系メディアが‘自由’に情報を発信していますが、その中の記事に、日本国内において農業経営を志した中国人の成功譚が紹介されていました。この記事を読みますと、中国人であっても日本国内で農業を行うことはさして難しい事ではないようなのです。他の中国人にも薦めているようにも読めるのですが、これが事実であるとしますと、今後、農業就労人口の減少と過疎化が進む日本国内において中国人経営の農場が増加して行くことでしょう。そして、農産物輸出促進法がバックアップする形で、中国向けの農産物の生産を開始するかもしれないのです。ここに、日本国は、アメリカと同様に、農産物供給国として位置付けられる可能性を見出すことができるのです。

 もしかしますと、中国は、19世紀中葉に頂点を迎えたイギリス型の自由貿易体制の構築を目指しているのかもしれません。全世界から無関税、あるいは、低関税で原料や穀物を輸入し、それを自国の工場で製品化して全世界の市場に売りつけるという…。一極型の‘大英帝国モデル’ならぬ、それをバージョンアップさせた‘中華帝国モデル’なのでしょうが、日本国は、植民地主義の延長線上にある同モデルに組み込まれる危機に直面しているように思えます。独立国家である日本国の農業政策は、国土でもある農地を護り、かつ、自国民に安全で安価、かつ、安定的に食糧が提供されるよう、自国民優先を基本とすべきではないかと思うのです。

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韓国防波堤論が予感させる未来とは?

2019年11月23日 15時10分14秒 | 国際政治
韓国の文在寅大統領は、GISOMIAの失効を直前にし、アメリカの圧力を受ける形で同協定の失効時期の延期を決定しました。GISOMIA破棄そのものは撤回されたわけでありませんので、今後の日韓協議の行方次第で同協定は打ち切られる可能性もあり、予断を許さない状況が続いています。一先ず同協定の枠組が維持された日本国内のメディアでは安堵感が広がると共に、これを機に、安全保障分野における日米間の協力体制を再構築すべきとの主張も見受けられます。しかしながら、文大統領の韓国防波堤論からしますと、こうした楽観的な期待は幻に終わる可能性が高いのではないかと思うのです。

 韓国防波堤論とは、‘韓国は、中国、ロシア、並びに、北朝鮮の軍事的脅威から日本国を護っている防波堤の役割を果たしているのであるから、韓国に感謝して譲歩すべき’とする文大統領の持論です。この論を最初に唱えたのは文大統領自身ではないそうなのですが、歴史を振り返れば、この論のあまりの身勝手さに唖然とさせられることでしょう。

 文大統領の演説は、国内向けの反日パフォーマンスであったかもしれませんが、名指しでこの言葉を投げつけられた日本国としては、心中穏やかではないはずです。明治以降の戦争は何れも朝鮮半島が深くかかわっており、日清戦争にあっては下関条約で清国から李氏朝鮮を独立させ、日露戦争ではロシアの南下政策の脅威から朝鮮半島を護りました。両戦争を通して多くの日本人が戦地へと赴き、彼の地に斃れたのです。韓国の人々から見れば、これらの戦争は日本国の帝国主義に基づく植民地化の一環であり、かつ、日本国が自国の防衛のために朝鮮半島に介入した、否定されるべき歴史なのでしょうが、少なくとも、人的被害の側面から見れば、犠牲を払ったのは日本国側です。また、韓国併合後の第二次世界大戦にあっても、満州国を‘防波堤’としていた朝鮮半島の諸都市は日本国内のような激しい空爆は受けていないのです。

 中国が軍事大国として台頭し、北朝鮮がアメリカを直接に核攻撃し得る能力を獲得した今日、この主張は、日本国にのみ向けられているのではなく、アメリカに対しても転用し得るからです。激戦となった朝鮮戦争にあっては、瀕死の韓国を護るために、米兵をはじめ‘国連軍’に参加した諸国の兵士達の多くが異国の地で若き命を落としたのですから。そして、公にはされてはいないものの、国連軍に協力した日本国でも殉職された方がおられるのです。同論は、韓国の駐留米軍経費の負担増額を求めるアメリカに対する間接的な牽制であったかもしれませんし(もっとも、仮に韓国が‘アメリカを護っているのは韓国’と主張すれば、アメリカは怒り心頭に発するのでは…)、

こうした歴史的経緯からすれば、韓国防波堤論は、日米ともに受け入れがたいのですが、過去の‘恨’は決して忘れませんが、過去の‘恩’、否 利益は気にも留めない韓国の国柄からしますと、韓国防波堤論は、自国を優位な立場に置くことができる最強のカードなのでしょう。しかも、ソ連が共通の敵であった冷戦期とは違い、軍拡著しい中国は、歴史において韓国を保護する宗主国の役割を果たしてきた国でもあります。つまり、今や韓国は、中国陣営に与するオプションを有するに至ったのであり、この中間的、否、‘蝙蝠’的なポジションこそが、日本国、並びに、同盟国であるアメリカに対する絶対的な強みであると認識されているのでしょう。GISOMIAを外交カードとして使っている文大統領の姿は、端から見ますと‘火遊び’をしているように映りますが、韓国流の思考からしますと至極当然の行動なのかもしれません。

 しかしながら、相手国の思考を理解するのと、その行動を支持するのとは別問題です。たとえ韓国には韓国なりの理屈があったとしても、それを理解した国がその行動を必ずしも受け入れるとは限りません。仮に韓国の防波堤論を認めれば、日本国は、日韓請求権協定や慰安婦問題をはじめ、あらゆる分野に亘って韓国に対して譲歩を強いられ、経済的にも優遇措置をも与え続けなければならなくなりましょう。いわば、日本は韓国の‘属国’と化すのですが、日本国政府、並びに、日本国民がこの状態をよしとするはずもありません。

 日本国政府が韓国の‘ホワイト国’としての資格を取り消した際に、韓国側は、規制対象となる部品の内製化を進めることで対抗しようとしました。日本国もまた、韓国が最終的にはGISOMIAを破棄し、さらには、反米感情の高まりを背景に駐留米軍が撤退する事態にまで発展した場合には、韓国抜きの防衛、並びに、安全保障体制の構築を急ぐことでしょう。白兵戦が戦争の勝敗を決した時代は過ぎ、サイバー時代を迎えた今日では、韓国の防波堤としての役割も低下してきています(日本国は、軍事衛星を多数運営しているアメリカからミサイル情報を得られますし、アメリカは、太平洋上でミサイルを迎撃すればよい…)。また、文大統領は、韓国の核武装を以って日本国を脅しておりますが、同国が核を保有すれば日本国もまた核武装を以って対抗することでしょう(朝鮮半島の核保有を以って、NPT体制も崩壊しているのでは…)。

 文大統領は、対日、並びに、対米交渉の‘切り札’を切ったつもりなのでしょうが、それは、敵国への寝返りを示唆して味方を脅すという背信的な行為であり、かつ、水面下で燻ってきた日本国の疑いを確信に変えたとも言えましょう。韓国が、中国側に寝返るという…。取り繕ってきた信頼関係の建前も崩れ、韓国を見る日本国の視線も自ずと変化することでしょう。そして、たとえ明白に韓国が中ロ陣営に加わったとしても、これらの諸国からも全幅の信頼を得られるとも思えず、むしろ、自らの国の安全保障を危うくしてしまったのではないかと思うのです。

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ファウェイの日本企業接近は罠か?-迫られる安全か利益かの選択

2019年11月22日 15時41分02秒 | 日本政治
アメリカから厳しい制裁を受けつつも、一先ずは好調な業績を維持しているとされる中国のファウェイ。先日、そのファウェイの梁華会長が来日し、来年度の日本企業からの調達額を今年度の2倍の1.1兆円に増やす方針を示したと報じられています。何らの問題もなければ、日本国からの輸出額が増え、日本企業が利益を上げるチャンスとなるのですから歓迎すべきニュースなのですが、日本国は、ファウェイからの‘厚意’を素直に喜べない状況にあります。

 日本国内におけるマスメディアの論調は、大きな‘商談’だけに、どちらかと言えばファウェイ擁護の論調の方が強いように思えます。例えば、ファウェイ製品によるスパイはあり得ないとするシステム面からの解説記事もありました。同記事に依れば、ネットワークのインターフェイス層を担うファウェイは、宅急便の宅配システムに喩えれば運送手段である自動車に当たり、運ばれている段ボールの中身を見ることはできないそうです。データを収取し得るのは、アプリケーション層にあるGAFAやBATであって、仮に段ボールを開けたとしても痕跡が残るので、ファウウェイがスパイを働くことは不可能と云う説明です。しかしながら、この説明でも同社に対するスパイ疑惑が完全に払拭されたとは言えないように思えます。

 梁会長は、上記の会見にあってもファウェイにかけられているスパイ疑惑を強く否定していましたが、ファウェイの抜きんでた技術力からすれば、段ボールの中身を‘透視’する技、即ち、暗号解読技術を開発している可能性が高いからです(バックドア…)。宅配の段ボールであっても、X線や各種のレーザー装置等を使用すれば、梱包されたままの状態で開封の痕跡を微塵も残さずして、それを手にし得る人がその中身を知ることができます。言葉でスパイ疑惑を否定したとしても、アメリカのIT大手を凌ぐとされるその折り紙つきの実力がある限り、暗号化された情報を秘かに解読しているとする疑いを晴らすことができないのです。

 一方、同記事では、アメリカがファウェイを叩く‘本当の狙い’として、G5時代の覇権争いにおける低周波数領域(sub-6)vs.高周波数領域(mmWave)の対立を挙げています。ファウェイを含む中国勢が前者を支持する一方で、アメリカは後者を押しており、現状では、基地局の増設投資を要しない前者がグローバル・スタンダードとして採用される可能性が高いそうなのです。そして、アメリカにおいてファウェイ攻撃の急先鋒となっているのは国防省であり、その理由は、同省こそ、高周波数領域を軍事システムとして採用しているからに他ならないからです。mmWaveは、sub-6よりも一つの基地局がカバーできる範囲が狭いとはいえ、速度においては優っています。今後、軍事面においても無人機やロボット等が活用される時代が到来するとすれば、通信速度が戦争の勝敗を決しかねませんので、国防省としてはmmWaveの使用継続を強く求めたのでしょう。ファウェイへの締め付け強化は、この問題に言及した国防報告書が発表された4月3日以降なそうです。

 そして、この問題において日本国が無関係ではいられないのは、日本国もまた、アメリカと共に5GにおいてmmWaveを開発の中心に据えているからです(韓国もmmWave派であり、アメリカが韓国のGISOMIA破棄に反対するのも、この問題が絡んでいるのかもしれない…)。現状では、mmWaveの開発を推進しているのは日米韓の3ヶ国のみであり、ファウェイ主導でsub-6が全世界の諸国に広がれば、同三か国はガラパゴス化するとも指摘されています。このことは、同時に、中国と同一規格となるこれらの諸国における人民解放軍の展開が容易になることを意味します。また、有事に際して中国が情報の遮断や攪乱等のサイバー攻撃を試みようとする場合にも、情報の伝達プロセスに介入できるインターフェイス層に同一規格のファウェイ製品が全世界規模で組み込まれている方が好都合なのかもしれなせん…。

仮に、日本国の企業がファウェイとの取引を拡大させ、同社によるG5事業を部品調達の面で支えるとなりますと、深刻な自己矛盾に陥ることとなりましょう。経済的な利益を求めれば、自国の安全保障を危うくするという…。しかも、日本国自身がsub-6を採用するともなれば、米中対立が政治・軍事分野に拡大する中、有事に際して自衛隊と米軍との関係にも支障をきたすこととなります。同盟国として通信技術分野での規格を共有することは重要ですし、有事に際しては、円滑な共同防衛を実現するからです。

 ファウェイによる積極的な日本企業への接近は、長期的に見ますと中国の世界戦略の一環であり、人民解放軍も得意としてきた‘敵を引き込んで殲滅する’という伝統的な作戦であるのかもしれません。ここは、ファウェイの申し出に飛びつかず、政治・軍事的なリスクについても十分に考慮すべきではないかと思うのです。

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ヤフー・LINE統合で日本市場は踏み台に?

2019年11月21日 16時36分22秒 | 日本経済
検索大手のヤフーとメッセージアプリをほぼ独占しているLINEとの統合案は、両社トップによる公式発表により、現実味を帯びてきました。同統合案の背景にはソフトバンク・グループの世界戦略も控えているため、統合案は複雑さを増しています。こうした中、日本国の公正取引委員会は、一般論として断った上で、同統合案の審査に際して海外市場をも勘案するとする方針を示しました。それでは、海外市場の勘案とは、一体、何を意味するのでしょうか。

 ヤフーとLINEの両業者は同一の事業を営み、かつ、ライバル関係にある同業者ではなく、事業分野が異なる異業者です。しかも、IT産業は誕生してから日が浅く、シェア・ビジネスなどの様々な新しいビジネスモデルも登場してきています。黎明期にある規模の小さなスタートアップ企業の買収等に対しては競争法の規制も弱いため、IT大手は、その莫大な資金力を以って様々な新種の事業分野に進出することができたのです。すなわち、デジタル社会の到来によって将来的に有望となる様々な事業を、IT大手が既存のビジネスを潰しながら独占してしまう可能性があり、先進諸国では既にこの問題が顕在化しているのです(デジタル時代の‘財閥化’…)。日本国内では、中国にWeChatを基盤に幅広い事業を展開するテンセント等が存在するため、日本国にも“すわ‘スーパー・アプリ’の登場か”と騒がれていますが、アメリカで活発になっているGAFA分割論も、IT大手による経済の囲い込み、否、経済支配に対する懸念がその根底にあり、自由主義国の流れは集中に対する規制強化に傾いています。

その一方で、両者とも、IT大手にしてプラットフォーマーという共通点があり、両者が構築したプラットフォームをインフラに喩えれば、共にユーザーのデータ収集が可能な同業者とする見立てもできなくもありません(両者の統合により、個人情報を含むデータ収集力が格段にアップ…)。同統合のメリットとして、両者がスマホ決済の分野での協力も指摘されていますが、プラットフォームの規模拡大は、他の‘スーパー・アプリ’化を目指すプラットフォーマーのみならず、既存の事業者、そして、アプリの使用により情報が筒抜けになりかねない個人ユーザーにとりましても脅威となるのです。

以上に述べたように同統合によるリスクは、従来型の単なる市場のシェアの問題ではなく、事業範囲の拡大とデータ収集を基盤となるプラットフォーム規模の拡大との相乗作用による経済支配ということになるのですが、ソフトバンク・グループの世界戦略としては、GAFAに匹敵するようなIT巨人をアジアからも誕生させる、ということのようです。公正取引委員会がこの主張をそのまま認めますと、同統合案が審査を通過する可能性は高いと言えましょう。何故ならば、グローバル市場を判断基準とすれば、たとえ両者が統合したとしも‘弱小連合’に過ぎないからです。同グループが、殊更にGAFAや中国IT大手による独占状態を打ち破る対抗馬としての姿勢をアピールするのは、グローバル市場における競争促進効果を訴えることで自らの統合案を正当化したいのでしょう。しかしながら、この説明には注意が必要です。

注意を払うべき理由は、第1に、メッセージアプリ事業には、この説明は通じ難い点です。プラットフォーム型の事業は、消費者のスマートフォンやPCを‘端末’とする広域的なネットワークによって構成されています。ところが、メッセージアプリ事業については言語による制約がありますので、ユーザー間のコミュニケーションを介する国境を越えた事業展開は容易ではないのです。LINEもタイにおいては相当数のユーザーを獲得しているそうですが、他の諸国では伸び悩んでいるそうです。つまり、表向きは海外展開を掲げながら、現実には、LINEがメッセージアプリ事業をほぼ独占している日本国においてこそ、‘スーパー・アプリ’競争に際して、圧倒的に優位なポジションを占める可能性が高いのです(他の事業者は、メッセージアプリのプラットフォームを保有していない…)。

第2の理由は、ヤフーとLINEの統合は、日本国の国益に適うとは言い難い点です。かつて、日本国では、国際競争力の向上の観点から、当事企業が両社とも鉄鋼大手でありながら新日鉄と住友金属との合併を認めました。グローバル時代における最初の大型合併承認の事例となったのですが、同判断には、グローバル時代を生き抜く規模を備えた‘日の丸企業’の誕生への期待があったと指摘されています。ところが、ヤフーとLINEの合併によって誕生する新会社の資本関係は、ソフトバンク・グループが親会社となるとはいえ、同グループの決定権を握る孫正義氏は韓国系ですし、かつ、LINEの親会社である韓国のネイバーが50%を出資するそうです。つまり、‘日の丸企業’というよりも‘大極旗企業’の色合いが強く、むしろ、LINEの利用者が8000万人に達している現状では、韓国の国益のために統合を認めるに近いのです。韓国が国策として自国市場を基盤としてグローバル市場に打って出るならば分かるのですが、これでは、日本市場が踏み台にされている感があります。米中のIT大手に対抗するために、今般の合併を認めたところ、別の外国企業、即ち、韓国系企業の日本経済への支配力が強まるのであれば、どこの国の利益ための政策であったのか、誰もが疑問に思うことでしょう。

 第3に指摘すべきは、日本国内での競争消滅のリスクです。ユーザーのスマートフォンやPCがネットワークの端末となるプラットフォーム型の事業は、プラットフォームの規模に比例して利便性も高くなるのですが、米中のIT大手に対する対抗勢力の結成を理由に同案が認められれば、今後とも、同様の理由によるIT企業間の合併案を承認せざるを得なくなりましょう。しかしながら、日本国内の企業規模からしますと、全てのIT企業が合併しても米中のIT巨大企業には到底及びません。結果として、日本国内での企業間競争が消滅する、あるいは、韓国系が認められるのであるならば、他の国の企業によって買収される可能性も否定はできないのです。

 以上に主要な問題点を述べてきましたが、これらの諸点からしますと、ヤフーとLINEとの統合計画には慎重にならざるを得ないように思えます(たとえ承認されたとしても、厳しい条件や制約が付されるかもしれない…)。果たして公正取引委員会は、どのように判断されるのでしょうか。

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アメリカの香港人権法は‘中国人権法’の序曲では

2019年11月20日 14時12分03秒 | 日本政治
 遂に北京政府は、これまで隠してきた牙を剥くこととなりました。抗議活動に身を投じ、香港理工大学に立て籠もっていた学生は、警察隊の突入を前にしてみな遺書を認めたと伝わります。死をも恐れず、自らの命をも犠牲にして彼らが手にしたかったのは、自由であり、民主主義であり、そして、香港の未来であったことを思う時、その覚悟に涙を禁じ得ないのです。それがたとえ何らかの上部組織によって利用されたものであったとしても…。

今般、メディアが公に報じる犠牲者の他にも、警察によって自殺扱いにされたり、留置所等に拘留されているデモ隊参加者の数も相当数に上るそうです。警察から手酷い虐待を受けていたとする情報もあり、抗議運動に参加した人々には暴力的な弾圧の危険が迫っています。香港が第二の天安門となるリスクが高まる中10月15日、香港情勢を懸念したアメリカの下院は、全会一致で香港人権民主主義法案が可決し、次いで上院も今月19日に同法案を採択しています(翌20日、上院で加えられた修正法案が下院でも可決された…(2019年11月加筆))。邦訳では‘香港人権法’と略されていますが、‘香港人権民主主義法案’、即ち、‘民主主義’を省略せずに訳した方が、香港問題の本質をよく表しているように思えます。何故ならは、同問題は、価値観、即ち、国家体制をめぐる対立であるからです。

 今後、同法が成立するには大統領の署名を要しますが、同法案は、香港市民の民主化を求める抗議活動を支持すると共に、イギリスからの香港返還時に制定された米国香港政策法に基づき、一国二制度の維持を前提として米国が香港に付与してきたヴィザや関税上の優遇措置を見直すと言うものです。毎年、国際公約でもあった香港の一国二制度が護られているかどうかをチェックし、仮にこの条件を満たしていない場合には、香港は、もはやこうした優遇措置を受けることはできなくなるのです。加えて、同法は、香港において基本的な権利や自由を侵害した者に対して、アメリカへの入国を拒否するよう大統領に義務付けてもいます。つまり、香港人権民主主義法とは、北京政府による香港の事実上の併呑、即ち、中国本土の共産主義体制への一体化―一国二制度の放棄―を強く牽制しているのです(香港に対する優遇措置によって、中国本土の共産党員や企業等も利益を得ているらしい…)。

これまで、イデオロギーの相違が米ソの対立軸をなした冷戦期とは違い、米中関係の対立は、貿易収支の不均衡や知的財産権の問題といった経済的な理由が主因とされてきました。中国は、経済分野にあって80年代に改革開放路線を選択し、経済体制は自由主義国とは変わらないのですから、政治を切り離して双方が経済的利益のみを享受できれば友好関係を保てるとする説が支配的であったのです。また、中間層の成長によりやがて中国も民主化するとする楽観的な予測もありました。しかしながら、こうした期待は、自由主義国の一方的な思い込みに過ぎなかったようです。政経が一体化した共産主義を奉じる中国側からすれば、経済成長を遂げ、一般の国民も情報や知識に触れるようになったからこそ、如何なる手段を使ってでも民主化を阻止し、権力と富を独占するために一党独裁体制を堅持しようとする強い動機、野望が生じたからです。つまり、自由主義国の期待とは反対に、経済が発展すればするほど、国民からの民主化要求は抑えつけられてしまうのです(もっとも、中国は、‘社会主義体制における民主主義’といった奇妙な論理で自国を民主主義国家と主張しているらしい…)。今では、ITや顔認証システム等を統治機構に全面的に導入し、体制に批判的な国民を一人残らず排除すべく、国民徹底監視体制を敷くに至っています。

香港で起きている一連の出来事は、まさに、自由・民主主義と社会・共産主義との対立の‘熱戦化’と言っても過言ではありません。そして、米中間の関係が双方とも絶対に譲れない価値をめぐる対立へとそのステージを移した時、香港人権民主主義法は、中国全土を対象とした‘中国人権民主主義法’制定への序曲となるのではないかと思うのです(タイトルでは目下の一般名称を使用…)。

来春、習近平国家主席が国賓として訪日する予定ですが、中国が民主化要求を暴力で封じ、国民の基本的な権利や自由を弾圧する国家である以上、アメリカと共に日本国民も、同訪日を取りやめるよう日本国政府に働きかけるべきではないでしょうか。人類普遍の価値を踏み躙る中国という国のトップ、即ち、弾圧者を、心から歓迎する日本国民はほとんど存在しないのですから。そして、日本国の要人達が弾圧者に対して卑屈な笑みを浮かべて阿る姿など、見たくはないのではないでしょうか。

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米軍負担軽減の究極策‘核の解禁’では?

2019年11月18日 14時01分13秒 | 国際政治
 トランプ政権の下で、米軍の駐留経費削減を進めるアメリカ。後日否定されたとはいえ、日本国も、‘思いやり予算’を現状の4.5倍に増額するよう要求を受けたとの報道もありました。防衛コストを駐留国側に求める方針はトランプ大統領の選挙戦以来の持論であり、その背景には、巨額の財政赤字と米国民の不満があることは想像に難くありません。

 第二次世界大戦後、アメリカは、日本国を含む世界各地に駐留基地を設け、米軍を世界規模で展開してきました。軍隊の維持や戦争には、古来、膨大な費用を要してきましたので、先端兵器をも開発してきたアメリカの財政負担もその限界を超えているのかもしれません。加えて中国の軍事的台頭と兵器の近代化も著しく、今や一国で全ての同盟国を防衛し、かつ、国際法秩序を支えるには無理が来ているのでしょう。

ここに、‘アメリカの財政負担をなくすと共に、全ての諸国の安全も守られる’、という両立困難な問題が設定されるのですが、アメリカの負担軽減と全国家の安全保障という二つの条件を同時に満たす解は存在しているのでしょうか。この難しい問いに対して、憲法第9条の精神を以って絶対的な平和主義を唱える人々は、核兵器のみならず全ての軍隊並びに兵器の完全廃絶を訴えることでしょう。しかしながら、軍事力を以って他国を威嚇し、脅迫しようとする国が存在する今日の世界情勢を見ますと、この解は非現実的であると言わざるを得ません。現実には、人類は全面禁止や全廃を目指したばかりに何度となく酷い目に遭っているからです。

 その最たるものが、NPT体制です。同条約では、明示的な条文は欠けているものの、国連安保理の常任理事国といった‘世界の警察官’の任務を託された諸国のみに核保有を認める一方で、他の全ての諸国に対しては核の保有を禁じています。禁止理由は、同兵器が非人道的であると共に人類を滅亡させかねない破壊力を有するからに他なりません。この理由は、近年、その成立を見た核兵器禁止条約とも共通していますが、今般、北朝鮮やイランが国際的な制裁を受けている理由もまさにこの‘禁破り’にあります。そして、他の諸国が開発・保有禁止義務を誠実に履行している中、極少数の国が大量破壊兵器を保有する状態が、如何に他の諸国、並びに、国際社会にとりまして脅威であるのか、ということをもこれらのケースは如実に語っているのです。

 ここで考えるべきは、力、あるいは、その一種である軍事力の効果です。軍事力には、有事の攻撃力と平時の抑止力という二面性があります。核兵器の廃絶を目指す方向性は前者の危険性への対応であり、危険な兵器がなくなれば平和が自ずと訪れるという楽観的な発想に基づいています。しかしながら、攻撃力の放棄が抑止力の同時放棄を意味するならば、攻撃面だけを考慮した全面放棄の判断には慎重にならざるを得ません。北朝鮮やイランといった狂信的な国家が核兵器を保有してしまう事態とは、丸腰の一般の人々の中にあって、犯罪者のみが殺傷兵器を持つことを意味するからです。警察が職務を放棄し、かつ、犯罪者のみが銃を保有している状況下では、一般の人々の生命、身体、財産が危うくなり、銃による脅迫によって犯罪者に支配される世界が出現します。力の二面性は、アメリカにおいて銃規制が遅々として進まない理由でもありますが、憲法に第9条の条文を持つ日本国でも、一国のみの軍隊放棄が世界平和の実現には無力であることを理解する国民は少なくありません。つまり、核兵器の全面禁止という対応は、それが少数の狂暴で狡猾な者によって破られた時、全ての国々に核兵器の保有が容認されている状態よりもさらに危険度が増してしまうのです。

 こうした善なる目的を悪が利用するという善悪逆転のパラドクスを直視すれば、今日の核兵器の全面禁止は、理想ではあっても、必ずしも唯一の‘正解’とは言えないように思えます。現状では、米朝間における核・ミサイル放棄に向けた交渉は行き詰まりを見せており、北朝鮮がアメリカの要求するCVID方式による核兵器に応じるとも思えません。北朝鮮やイランによる核保有が時間の問題であり、かつ、中ロといった核保有国が核による先制攻撃をも軍事オプションに加えているとしますと、むしろ、全ての諸国が核の抑止力を備えた方が、遥かに安全性が高まるとする意見も説得力を帯びてくるのです。

それでは、全面禁止ではなく全面解禁に180度方向転換するとしますと、それは、第一の要件であるアメリカの負担軽減をも満たすのでしょうか。実のところ、アメリカが自らの軍事力を以って国際秩序を維持するよりも、各国が核武装した方が低コストであることは疑いようもありません。皮肉なことに、核兵器、並びに、その運搬手段である長距離ミサイルを開発すれば、たとえ経済的には豊かではない国であったとしても、軍事大国と対等に交渉し、核攻撃を回避し得ることを、北朝鮮が証明してしまったからです。つまり、核保有が解禁されれば、核技術そのものは然程に高度ではありませんので、アメリカが‘世界の警察官’の役割を放棄したとしても、同盟国を始め各国に対して特別に財政的な支援なくして各国の核武装はコスト的に可能であり、かつ、アメリカも、他国を防衛するための経費を大幅に削減できるのです。

仮に、実行可能、かつ、合理的な結論として、核の解禁が最も現実的な解であったとしますと、アメリカは、これをどのように判断するのでしょうか。唯一の被爆国である日本国も含め、国際社会では、ノーベル平和賞の受賞者が示すように核保有=悪と云う構図が定着しております。しかしながら、それは、他の選択肢を一切排除する思考停止を意味しているのかもしれず、中ロが配備している膨大な数に上る核ミサイルのみならず、北朝鮮の短・中距離核兵器による脅威に晒されている日本国としても、核武装の抑止力を考えれば悪い選択肢ではないはずです。

核の解禁と申しますと、ショッキングな響きがあるのですが、倫理や道徳に照らしても、必ずしも絶対に間違っているとは言い切れないようにも思えます。まずは議論の俎上に上げてみるべきとも思うのですが、皆さまがたは、どのようにお考えでしょうか。

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‘リブラ取り付け騒ぎ’が起きたならば-無責任なリブラ構想

2019年11月17日 14時29分28秒 | 国際政治
 フェイスブックのデジタル通貨発行計画、即ち、リブラ構想は、弱者救済を大義名分として登場してきました。全世界の銀行口座を持てない貧しい人々にモバイル・ウォレットを提供すると共に送金コストの負担を低減し、かつ、スマートフォンのワンタッチで送金が完了するのですから、多くの人々の利便性が向上するのですから、良いこと尽くしのようにも聞こえます。福祉目的のはずなのですが、同構想は、その発表直後から批判の嵐に見舞われるのです。

 本日もリブラ批判として同構想が実現すれば、‘取り付け騒ぎ’が起きるとするFRBの懸念が報じられてきました。リブラはドルやユーロ等の国際通貨を準備として発行される‘ステープル通貨’ですが、仮に、リブラに信用不安が生じた場合、利用者が、一斉にドルやユーロへ換金に走る状況が予測されるからです。実のところ、この批判からも、如何にリブラが無責任であるのかが浮き上がってくるのです。

 ここで問題となるのは、リブラの発行体となるスイスを拠点とするリブラ協会、あるいは、フェイスブックには、全ての通貨に対して‘兌換責任’を果たすことができるのか、という点です。発行者が‘兌換責任’を負わないビットコインとは異なり、リブラは‘ステープル通貨’ですので、ユーザーから交換要求(兌換要求)があったばあい、それに応える義務があるはずです(それとも、準備と兌換性は切り離す?)。例えば、戦後のブレトンウッズ体制をみますと、兌換紙幣であった米ドルは、1オンス35ドルと相場が決められており、それ故に、諸外国の通貨当局からの兌換要求に耐えられず、ブレトンウッズ体制はあえなく崩壊しました。当時、世界最大の金準備を誇ったアメリカでさえ、貿易収支が赤字に転じたのを機に金準備の流出が始まり、管理通貨制度への移行を余儀なくされるのです。

仮に、リブラに兌換性を与えた上でフェイスブックが、全世界の人々を対象として送金サービスを開始し、かつ、リブラが一般の通貨と同様に商品やサービスの支払い、さらには、金融サービスにまで利用されるとしますと、リブラ協会、あるいは、フェイスブックには、当時のアメリカの金準備額を上回るほどの米ドルやユーロ等の準備を要することとなります。しかしながら、世界屈指の大手IT企業と雖も、フェイスブックが巨額の国際通貨準備を用意できるとは思えません。しかも、かつての兌換紙幣のように、金との交換比率を変更すること、即ち‘平価引下げ(ドルやユーロ等の交換比率を変更する)’で準備不足を補うことも困難です。自ら‘取り付け騒ぎ’の引き金を引くようなものなのですから。

それとも、ユーザーからリブラと引き換えに受け取った米ドルやユーロ等をそのまま自社の兌換準備として組み入れるのでしょうか。それでも、一旦、リブラが一般の通貨として流通しますと、銀行、あるいは、フェイスブック自身の貸し出し業務を介して信用創造も働きますし、信用取引やデリバティブを含めた様々な金融商品にも使用されることでしょうから(派生的に生じたデジタル通貨はブロックチェーンでトレースできるのでしょうか…)、同時に全世界において‘取り付け騒ぎ’が生じた際には、同社が兌換義務を果たせるとは思えません。そして、この局面に至った時にこそ、世界規模の金融危機に発展しかねないリブラのリスクが露わとなります。何故ならば、送金サービス事業として出発しますので、この時には、既にリブラは準法定通貨の地位、即ち、米ドルやユーロ等の国際通貨に加えて全世界の諸国との通貨との間で交換可能な通貨となっているからです。

それでは、リブラの信用が崩壊した場合、全世界においてどのような事態が起きるのでしょうか。準備金以上の額の交換要求を受けた途端、フェイスブックは破産します。フェイスブック自体は民間企業ですので、清算手続きを経ればリブラ事業を合法的に店じまいすることができますが、リブラの利用者の損害は計り知れません。逸早く情報を入手して、リブラ側の交換窓口となるネットサイトであれ(交換申し込みが殺到し、一瞬で準備が底を突く可能性も…)、如何なる手段であれ、手持ちのリブラを米ドルやユーロ等の準備、並びに、他の既存通貨と交換できた人々は逃げ切れます。しかしながら、想定されるのは、圧倒的に大多数の人々が、一瞬にして保有リブラを失う事態です。硬貨や紙幣と違い、リブラはデジタル通貨ですので、跡形もなく消滅してしまう可能性もあるのです(too big to failで政府が公的に救済するかもしれませんが…)。特に、送金システムを利用していた途上国の人々の大半は、被害者側となるのではないでしょうか。

通常、‘取り付け騒ぎ’とは、民間の銀行において発生します。ところが、リブラの場合には、リブラ協会が事実上の中央銀行の役割を果たしますので、‘中央銀行の取り付け騒ぎ’、並びに、その破綻と云う人類史上前代未聞の事態が起きてしまうのです(もっとも、前近代にあって、元朝のように王朝の滅亡とともに紙幣が紙くずになるケースもありましたが…)。何れにしましても、リブラ構想は、フェイスブックのユーザーが20億人を越える現状を考慮しますと、あまりにも無責任であると思うのです。

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自らの国の将来を語る自由-一党独裁は劣悪な体制

2019年11月16日 16時39分16秒 | 国際政治
香港では、習近平主席からの弾圧要求に従うかのように、警察による抗議デモへの暴力がエスカレートしています。命を落としたり、傷を負う市民の数も日ごとに増しているのですが、北京政府をバックとした香港行政府の強硬姿勢は緩みそうにもありません。こうした流血の事態を目の当たりにしてふと思うのは、そもそも権力と云うものには、国民が自らの国の将来を語る自由を奪う権利があるのだろうか、という素朴な疑問です。

 誰にでも、‘こうした国や社会に自分は住みたい’という希望や願いがあるものです。人間に備わる理性の本質からしますと、一個の人格として個々の尊厳が認められ、自らのことは自らで決めることができ、考えていることを自由に述べられる国や社会に住みたいはずです。そして、皆に関わる事柄、及び、争いや対立があれば、暴力ではなく、話し合いやルールを決めることで解決できる国や社会を理想とすることでしょう。自由、民主主義、法の支配、平等・公平といった人類普遍とされる諸価値は、その響きからすれば形式ばったお固いイメージを受けますが、それほど難しいことではなく、普通の人々が思い描く理想から抽出されたものです。いわば、人類の理想郷の全体像を複数の角度から立体的に分析して本質を導き出し、そのそれぞれを単語として並列的に列挙した言語表現なのです。しかも、これらの諸価値は、統治機能を果たすに際して相互調整や調和を要しつつも、互いに分かちがたく結びついています。自由なき世界には民主主義もないように…(自由と平等は両立しないしばしば言われますが、自由の範囲を平等に定めれば両立する…)。

 このように考えますと、自由、民主主義、法の支配、平等・公平といった諸価値の全てが適切に調和され、かつ、制度として具体化されている国家こそ、全ての諸国の国民が望む人類の理想的な国家体制と云うことになりましょう。否、如何なる国も、理想にできる限り近づくべく、この方向を目指して日々国制改革に勤しむべきとも言えます。そして、政治思想やイデオロギー、並びに、それに基づく国家体制は、これらの諸価値を基準としてこそ評価されるべきであり、そのうちの一つでも欠損していれば、それはすなわち欠陥を意味することとなるのです。

 それでは、共産主義思想、並びに、それに基づく一党独裁体制はどのように評価されるのでしょうか。共産主義思想は、一般的には平等の実現を優先価値とする思想とされています。しかしながら、その平等の価値でさえ全く実現はしておらず、富の格差のみならず、共産党と云う特権階級が存在する権利の格差も著しい不平等国家です。自由、民主主義、法の支配、平等・公平の何れの項目を基準にしても、国家体制としての評価は低いと言わざるを得ないのです。劣悪な国家体制の下にある国民が、現体制に対して不満の声を上げたり、理想を求めて政府に改善を要求するのは当然です。自らの国や社会を善くして行こうとする国民の声を力で封じ込めようとする政府は、国民の自らを発展しようとする力を削ぐのですから、国民にとりましては障害物でしかないのですから。国家体制の正当性は普遍的な諸価値の実現を以って問われるべきであり、決して偏狭なイデオロギーを基準にしてはならないと思うのです。

 習近平主席が、民主主義や自由を求める香港市民を国家に対する反逆者として糾弾し、一国二制度を破壊しているのは香港市民であると訴える時、自由主義国とは異質であり、価値観までもが逆転してしまった中国という国家の姿が見えてまいります。そして、この倒錯性、すなわち、自らの国の将来について自由に語るという当然のことが許されない体制こそが、人々が中国による世界支配を怖れる最大の理由なのではないかと思うのです。

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ヤフー・LINE統合問題-デジタル時代は‘財閥支配’の時代?

2019年11月15日 18時30分00秒 | 日本経済
先日、ネット検索大手の一角を成すヤフーと日本国内のメッセージアプリ事業をほぼ独占しているLINEとの統合案が公表されました。統合の目的としては金融サービス部門での投資の効率化等が挙げられていますが、この統合案、スムースに実現するとは思えないのです。

 グローバル化の時代とは、民営化の時代であると共にデジタル化の時代でもありました。これらの3つの新しい波は一体化するかのように全世界を覆ったのですが、それは同時に、財閥化の時代でもあるのかもしれません。日本国では、戦後にGHQの手によって財閥解体がなされ、経済は‘民主化’されています。こうした経緯もあって、多くの人々は、集権的な財閥は過去の遺物であり、来るべき未来には、より自由で分散的であり、消費者や企業を含むあらゆる経済主体が伸び伸びと活動し得る経済ヴィジョンを思い描いていたことでしょう。そして、グローバリズムにこの未来の実現を託していたのです。

 しかしながら、しばしば理想と現実とは違うものです。否、メビウスの輪の如くに逆になることもあります。この点、近年の状況を観察しておりますと、グローバル化と共に分散化よりも集中化の方が遥かに高スピードで進展しており、新たな財閥が登場してきているのです。例えば、フェイスブックの行動を見ましても、デジタル通貨の発行を目論んだリブラ構想でも知られるように、本業のSNS事業で構築したプラットフォームを基盤として、他の事業へも幅広く進出しようとしています。一方、中国でも「スーパーアプリ」が急速な成長を見せており、テンセントの事業は、対話アプリ、ネット通販、決裁、動画配信、ゲームといったあらゆる分野に亘ります。

 こうしたプラットフォーマーの財閥化に関しては、データの独占問題もあり、近年、批判が頓に高まっています。アメリカでは、既に巨大IT企業であるGAFAに対する分割論も大統領選挙の争点に数えられ、日常的に利用される故に国民の関心が高いのです。競争法の世界では、一つ、あるいは、少数の企業が複数の分野に亘って広く事業を展開する‘財閥’の形態は、経済を支配し、競争を阻害する‘集中’として規制の対象となってきました(もっとも、日本国では財閥を解体した当のアメリカでは、既存の財閥に配慮して集中規制が緩いという問題もあったのですが…)。プラットフォーマーの強みを活かして事業分野を拡大し、そこから収集される様々なデータをも囲い込もうとする企業戦略は、公正公平であるべき競争において他の企業や起業家を不利な立場に置きますし、消費者を含む取引相手にも不利益を与えかねないからです。先日、ソフトバンクの孫正義氏が講演会においてデジタル社会は‘勝者総取り’と述べていましたが、実のところ、勝者による独り占めは競争法上の違法行為なのです。

かくして、少なくとも自由主義国における今日の潮流は、巨大IT企業に対する規制強化の方向性を示しているのですが、今般のヤフーとLINEの統合は、許されるのでしょうか。同統合には、アメリカがファウィエを排除した理由と同様に、LINE側が韓国企業であるネイバーの子会社であり、ソフトバンクグループのトップである孫氏も韓国系であることから、情報収集・管理に関する安全保障上の問題点もないわけではありません(ネイバーは反日を国是とする韓国政府に対して情報提供義務を負っている…)。政治的問題に加えて、やはり競争法上の集中が問題となる可能性は低くはありません。日本国でも持ち株会社が解禁され、持株会社が子会社を束ねる企業グループが多数出現しましたが、ソフトバンクグループは、携帯電話等の電気通信分野に加え、太陽光発電等の電力事業、投資事業など、企業買収を繰り返すことで既に巨大な‘財閥’と化しています(‘孫財閥’?)。LINEとの統合が実現すれば、SNSのプラットフォーム諸共LINE傘下の事業をも吸収することになりますので、経済支配力は一段と増すことになりましょう。

最近、日本国の公正取引委員会は、企業規模を主たる基準とする従来型の規制では十分には対応できないとして、データの価値を考慮するなど等の新たに審査指針を示し、デジタル・プラットフォーマーに対する審査を強化する方向性を示しております。事実上のソフトバンクグループによる買収を意味するヤフーとLINEとの統合案は(共同出資の新会社はソフトバンクの子会社に?)、金融サービス事業におけるライバル排除効果のみならず、経済支配を意味する集中問題をも含みますので、同委員会が、すんなりと承認するとは思えないのです。グローバル化がデジタルの世界における財閥支配を帰結するとしますと、警戒論が自ずと高まるのも無理もないのではないかと思うのです。

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