万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ソロス氏の民主主義擁護は本心?

2019年02月28日 15時34分57秒 | 国際政治
ジョージ・ソロス氏と言えば、1992年9月に大量のポンド売りを仕掛けて‘イングランド銀行を潰した男’として全世界にその名が知れ亘るようになりました。ウォーレン・バフェット氏、並びに、ジム・ロジャース氏と共に世界三大投資家の一人なのですが、その活動の場は、金融の世界にのみ留まるわけではありません。潤沢な資金を背景に全世界の民主化活動を支援しており、世界各地で発生した民主化革命もその背後には「ソロス財団」の支援があったとも囁かれています。

 氏の経歴からしますと、筋金入りの民主主義者のように見えるのですが、よくよく観察してみますと、そうとばかりは言えない一面も見えてきます。そもそも、ソロス氏は、一民間の投資家でありながら、国家の中央銀行の地位にあるイングランド銀行を‘潰し’ております。この事は、氏が、たった一人の人間の行動が国家の政策を変え、経済や全国民の生活を混乱に陥れても構わないと考えていることを示しています。1992年のポンド危機に際しても、職を失い生活に困窮したり、苦境に追い込まれた人々も少なくなかったことでしょう。こうした他の人々への負の影響を考えず、氏は、自らの決断でイングランド銀行に対する‘奇襲攻撃’を仕掛けたのですから、氏が民主主義の擁護者であるはずはありません。真の民主主義者であれば、国民的なコンセンサスを重視しますし、たとえその能力があったとしても、国民に被害が及ぶような一方的な行為は慎むはずであるからです。独裁体制を批判して民主化運動を支援しながら、自らは国家の独裁者以上に独裁的に振る舞ったのですから、同氏の態度は自己矛盾しているのです。

 また、ソロス氏は、今でこそ「習近平は最も危険な敵」として中国の習近平国家主席を批判しているものの、それまでは、同主席を高く評価し熱烈なる礼賛者であったそうです。態度を一変させた理由は、同氏が習主席、あるいは、中国を操ることが難しくなったからとも推測されていますが、真の民主主義者であれば、自らの意向に対する態度、あるいは、投資利益の如何に拘わらず、民主主義の基礎となる中国国民の政治的自由や政治に参加する権利を擁護するはずです。ここにも、ソロス氏の‘二枚舌’が見え隠れするのです。

 僅かに残された共産党一党独裁国家の一つである中国を称賛していたぐらいですから、ソロス氏の‘民主主義の擁護者’としての姿はあくまでも‘ポーズ’であり、本心においては、自らの利益にさえなれば上意下達が徹底した独裁体制の方が望ましいと考えているのかもしれません。命令一つで、国家全体を変えることができるのですから。仮に独裁者と対立する要素があるとすれば、それは、金融界に君臨する氏と政治的独裁者がライバル関係となる時なのでしょう。あるいは、対中強硬論が高まる中、水面下では協力関係を維持しながらも、世論の批判を逃れるための保身術として表向きは中国を批判しているのかもしれません。

 何れにしましても、政治や政策への介入を試みる投資家につきましては、政府も一般の国民も警戒して然るべきなように思えます。フランス革命以来、今日に至るまで“暴君”や旧体制を倒して革命を成し遂げても、結局は、人々の期待を裏切ってさらに醜い独裁体制に帰結したり、収拾困難な混乱と無秩序に見舞われるのも、革命の‘出資者’が、公正なる善き社会の実現や人々の幸せを願う真の民主主義の擁護者ではなかったからなのかもしれません。ソロス氏に対しては、自らの自己矛盾についてどのように考えるのか、問うてみたいと思うのです。

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第2回米朝首脳会談-劇場型政治から卒業しては?

2019年02月27日 12時46分40秒 | 国際政治
北が実務報告まで異例の報道、金正恩氏の“余裕”をアピール
第2回米朝首脳会談がベトナムのハノイで開催されるのを前にして、北朝鮮側は、同会議の‘演出’に余念がないようです。特別列車でのベトナム入りも、ベトナム建国の父とされるホー・チミンと友好を深めた故金日成主席の軌跡に因んだものであり、出迎えのベトナムの要人が居並び、赤絨毯も敷かれたドンダン駅のプラットフォームに颯爽と降り立つ‘シーン’こそ、金正恩委員長にとりましては重要なのでしょう。こうした行動パターンは、共産主義諸国のみならず、秘密列車での移動を好み、国家全体を劇場化したアドルフ・ヒトラーをも彷彿とさせます。

 共産主義、ナチズム、並びに、ファシズム等の独裁容認思想が体制化されたイデオロギー国家には、プロパガンダや演出を主たる政治的道具とする特徴があります。もちろん、古今東西を問わず、何れの諸国も儀式等に際しては多少の演出は行われますし、国民の支持を得るためには政治家の演説力も重要です。しかしながら、イデオロギー国家では殊更に政治との繋がりが強く、特に独裁者の一挙手一動は、あたかも舞台の上で脚本通りに演じる俳優のように、観客、即ち国民が感動するように計算し尽くされているのです。言い換えますと、民心の掌握は、独裁者が如何に‘指導者役’を上手に演じ、大道具から小道具までの舞台装置を整えるかにかかっているのです。

 中国においては既に高速鉄道網が整備される中、敢えて半世紀以上も前の古めかしい列車でハノイ入りしたのも、金日成の威光を最大限に利用し、自らの存在をアメリカと渡り合った北朝鮮の歴史的な‘最高指導者’として印象付ける狙いがあったのでしょう。ハノイに到着した金委員長を載せた最高級のリムジンには、独裁者を護るかのように数人の側近が徒歩で伴走しており、TVや動画等でこの光景を目にした視聴者を驚かせるのですが、こうした手法自体が、既に時代遅れの感は否めません。演出が露骨で過剰であればあるほど、自由主義国の国民からは失笑さえ漏れかねないのです(下手な演技や大げさな表現では学芸会レベルとなってしまう…)。つまり、北朝鮮側の芝居がかった演出は、同国の思惑とは逆に、60年余りにわたって国を閉ざし、冬眠状態にあった北朝鮮の時代錯誤を強く印象付けているのであり、一般の人々はタイプスリップしたかのような感覚にさえ襲われるのです。

 北朝鮮が描いたシナリオに依れば、来る第2回首脳会談では、アメリカや国際社会が拘るCVID方式ではなく同国が主張してきた‘段階的な核放棄’の路線に沿い、米大統領との歴史的な合意が成立し、平和条約締結への道筋が付けられると共に、経済制裁の緩和も実現するというものなのでしょう。明確な合意がなくとも、最低限、将来にこの路線を残す形で会談を終える必要があります。このためには、‘共演者’であるトランプ米大統領をも、自らのシナリオに巻き込む必要があります。

 それでは、トランプ米大統領は、北朝鮮側が準備している舞台に上るのでしょうか。同大統領を観察しておりますと、実務派の大統領というよりも、劇場型の側面がないわけではありません。案外、秘密主義であり、本心を決して明かさない点は、独裁者の政治手法に近いとも言えまし、見え透いた歓待やご機嫌取りに対してもそれ程には嫌がる様子も見られません(ノーベル平和賞受賞への意欲からしますと、権威にも弱いかもしれない…)。言い換えますと、北朝鮮側にとりましては操り易い人物であるとも言え、第1回米朝首脳会談が玉虫色に終わったのも、同大統領の親独裁者的な性格が災いしたのかもしれません。となりますと、今般の米朝首脳会談も、第一回会談の再現となる可能性も否定はできなくなります。おそらく、今後、第3回、第4回と首脳会談を重ねても、結局は埒が明かず、かつての六か国協議のように暗礁に乗り上げてしまうかもしれません。先日のトランプ大統領による、‘時間をかけて解決する’との発言も、この展開を見越してのことかもしれないのです。

 北朝鮮問題の行き詰まりを避けるためには、ここは、別の方向への方針転換が必要なようにも思えます。トランプ米大統領は、オバマ前大統領の‘戦略的忍耐’の方針を転換はしたものの、現状では対北融和路線へと回帰しており、違いがあるとすれば、核・ミサイル実験の有無しかありません。仮に、トランプ大統領が北朝鮮の劇場型政治によって誘導されたとすれば、先ず修正すべき点とは、北朝鮮が造った劇場の舞台から降り、実務重視の交渉に徹することなのかもしれません。実務型の政治に立ち返れば、曖昧模糊とした共同宣言を作成する必要もありませんし、‘歴史的な和解’といった言葉に惑わされることもなくなります(なお、本日、金委員長が宿泊先で実務代表団から報告を受けている映像が公開されましたが、これも、演出なのかもしれません…)。トランプ大統領はビジネス界出身なのですから、当時者双方の具体的な権利と義務を詳述する契約書の作成手続きと見なして対北交渉に当たった方が、余程、同大統領の手腕が発揮されることにもなりましょう。時代遅れの劇場型政治に迂闊に同調しますと、国際社会もまた、時計の針を逆戻りさせられることになりかねないのではないかと思うのです。

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利便性と家畜化の‘抱き合わせ販売’-体内埋め込みチップ問題

2019年02月26日 13時13分32秒 | 社会
手の甲に極小チップ、埋めたい? 鍵や電子決済「便利」
終に、日本国内でも手の甲への極小マイクロチップの埋め込みが実用化されるようになりました。現状では、スマホやカードを携帯しなくとも手をかざせばドアが自動的に開く程度のことしかできませんか、将来的には電子決済などにも用途が広がる見込みなそうです。チップの人体埋め込みは、人々の生活や活動の利便性を高めているようにも見えますが、利便性と引き換えに失うものも多いように思えます。

 体内チップについては、個人の利便性の向上が強調され、街を歩けばオフィスや店舗の入り口が開き、お財布やスマホがなくともお買い物もできます(もちろん、チップ上の信用格付けで問題がなければ…)。もしかしますと、同システムが普及すれば、購入した商品は、即座にドローン等によって自宅に配送され、帰宅する頃には既に部屋まで届いているかもしれません。チップに音声機能が内蔵されていれば、自らの手の甲に語りかけて他の誰かと通話したり、外出先でも自宅の家電を操作することもできましょう。体内チップは、便利で快適な生活を人類にもたらす先端技術の一つと見なされているのです。

しかしながら、体内チップは、人類に恩恵のみを与えるわけではありません。人体へのチップの埋め込みは、‘埋め込む側’に視点を移しますと、利便性の向上とは異なる別の側面が見えてきます。それは、個人やメンバーの認証を確実にすることで、社会や組織の安全性を高めるという利点です。実際に、スウェーデンなどの‘チップ先進国’において同システムの導入を検討しているのは企業であり、不審者の侵入を阻止する防犯や労務管理への利用が検討されているそうです。つまり、社員以外は社屋に立ち入ることはできなくなりますし、一般の社員資格では入室できないCEO専用会議室や技術開発フロアといった特別の場所や密室を設けることもできるのです。また、チップは、仕事をさぼっていたり、職場を勝手に離れている社員を感知することでしょう。かくして組織内部における情報の機密性が保持され、外部への漏洩が防止されるのですが、体内チップで管理される側となる労働組合は、同システムの導入に不快感を露わにしているそうです。

そして、牧畜では、管理のために、全ての家畜の体に焼印を押されてきました。現在では、もしかしますと、位置情報等を得るために焼印を押す代わりにマイクロチップを埋め込んでいるかもしれません。こうした家畜管理の手法を思い起こしますと、人に対してチップを埋め込む行為には、人々を不快、あるいは、不安にさせる何かがあります。中国のファウエイ製品にバックドア等のスパイ・スパムが組み込まれているとされるように、チップにも利用者には秘密にされている何らかの‘情報漏洩’の仕組みが組み込まれているかもしれません。氏名、年齢、性別、誕生日、国籍、出生地といった個人情報から、個々の所在場所、日々の行動や発言、身体情報、健康状態に至るまで、全てが情報として収集されてしまうリスクがあるのです。さらに恐ろしい危険性があるとすれば、外部からの操作によってチップが埋め込まれた人の心身を操ったり、あるいは損傷を与えるかもしれず、最悪の場合には殺害してしまうかもしれません。体内チップとは、使い方次第ではSF小説に描かれるような邪悪な者の支配の道具となりかねないのです。

体内埋蔵型のマイクロチップの怖さは、利便性の向上と家畜化のリスクとが同時進行するという、今日の人類が抱えている深刻な問題を象徴しているように思えます。スマホの普及も人々の利便性を劇的に高める一方で、中国に見られるように、国民監視システムとして機能してもいます(自由主義国でも民間IT大手による同様のリスクが懸念されている…)。前者を評価するあまりに後者の危険性に見て見ぬふりをしますと、何時の間にか人類は家畜化されてしまうかもしれません。こうした悪しき‘抱き合わせ販売’については、人類はより賢く知恵を働かせ、後者への至る道を開かぬよう両者を切り離し、人類の福利向上や道徳性を基準としたテクノロジーの取捨選択ができるよう方向付けるべきではないかと思うのです。

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アイヌ新法問題-北海道攻略のための危ない伏線?

2019年02月25日 14時24分17秒 | 日本政治
今月2月15日、日本国政府は、北海道のアイヌ人を先住民族と認める「アイヌ新法」の法案を閣議決定しました。今国会会期での成立を目指すそうですが、何故、今の時期にこのような法案を閣議決定したのか、疑問でなりません。

 アイヌ人とは、江戸時代に至るまで倭人とは異なるコミュニティーを形成してきたため、異民族と見なされがちです。‘アイヌ人’とは申しましても、由来の異なる幾つかの部族がありますので全てとは言えないまでも、DNAレベルで見れば、倭人との間に共通性が見られます。現在の日本人は、縄文人の系譜と弥生人の系譜の混合民族とされており、前者の縄文人は、本州、九州、四国にあって弥生人と混血する集団と、北海道、並びに、沖縄方面に逃れ、縄文文化をそのまま継承した集団に分かれたと推測されているからです。乃ち、北海道のアイヌ人とは全くの異民族ではなく、政治的な国家統合のプロセスにあって、朝廷や幕府の統治権に服することなく日本国の枠外で独自の社会を保ってきた日本人とも言えるのです。

 こうしたアイヌ人の歴史からしますと、日本国政府が、明確に先住民族と認定することにはどこか違和感、否、政治的な意図さえ感じられます。何故ならば、アイヌ人をめぐっては、これまでにも、不自然な動きが報告されているからです。そもそも、アイヌ人の認定についても、自らのアイデンティティーをアイヌに求め、自己申告すれば‘アイヌ人’と認められる、というものなそうです。つまり、客観的な事実がなくとも、主観的な自己主張があればそれで済むのです。となりますと、血統的にアイヌ人の血を引き、先祖代々北海道に居住してきた人ではなくても、法的には‘アイヌ人’になることができるのです。その一方で、明治以降、アイヌ人の同化も進んでおり、今では、一般の日本人と変わりなく生活している人々も少なくありません。

 それでは、何故、政府は、敢えてアイヌ人の先住民族の地位を与えようとしているのでしょうか。もちろん、同法案は、国連等が進めている少数民族の伝統や文化の保護の文脈で理解することはできます。しかしながら、北海道をめぐっては、中国やロシアの動きが活発化している事実も見逃してはならないように思えます。今日の国際社会では、民族自決の権利は原則として確立しておりますので、民族的な枠組みは、政治的な独立を主張する正当な根拠となり得ます。中国が積極的に独立を仕掛けている沖縄でも、日本人意識の希薄化を試みています。北海道では、目下、中国資本による水源や山林の買収のみならず、中国系住民の数も増加傾向にあり、今後、4月1日から改正入管法が施行されればその数はさらに増加することでしょう。

 中国が北海道に領土的な野心を抱いているとしますと、「アイヌ新法」は、同国の北海道攻略作戦の伏線である可能性も否定はできません。主観的な‘アイヌ人’認定は、真の異民族を先住民族となすと共に、国際社会においては、行く行く先に北海道を日本国から分離するための正当な根拠として利用されるかもしれないからです。あるいは、文化振興の名目で交付された給付金が、別の目的に使われてしまうリスクもあります。

西欧諸国にあってアイヌ人はゲルマン系民族との説が提起された幕末には、プロシアなどは北海道の領有を狙っておりました。今日、北海道が中国から狙われている時期にあればこそ、アイヌ人はもとより同系なのですから、日本国政府は国民統合を推進するべきなのですが、「アイヌ新法」の動きを見る限り、現実には逆の方向を向いているようです。同法案に潜む政治的な危険性を除去するためには、アイヌ人の伝統や文化の保護に力点を置き、先住民認定は取り下げるべきではないかと思うのです。

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経済の戦争責任が問われない不思議

2019年02月24日 11時54分55秒 | 国際政治
戦争と言えば、兎角に政治家に責任がある、あるいは、専ら政治分野の問題と決めつけられがちです。ニュルンベルク裁判でも、東京裁判でも、政治家が戦争の全責任を負って絞首台に立つこととなりました。しかしながら、人類の歴史を振り返りますと、特定の利益団体の思惑、あるいは、経済上の利権争いが戦争の原因となった事例は決して少なくはありません。経済的要因を捨象して戦争の全体像を理解することはできないように思えるのです。

 人類は二度の世界大戦を経験しましたが(ナポレオン戦争を含めて3回という説もある…)、その起源を辿ってゆきますと、まずは、ポルトガルのエンリケ航海王子のセウタ攻略に始まる大航海時代に行き着くことできます。その後、西欧列強は、全世界に多角的な貿易網を巡らすと共に、現地諸国のインフラ等のコンセッションを手に入れ、徐々に統治権をも侵食して行きます(中南米大陸は直接的に植民地化…)。その典型例はイギリス東インド会社であり、後に大英帝国に吸収されて解散となるものの、民間の株式会社でありながら、独自の軍隊までをも擁する地域支配組織としてアジアに君臨するのです。

世界史の教科書では、局地戦から世界大戦へと拡大した主たる理由は、国家間の複雑に絡み合った軍事同盟関係に求められ、世界を二分する連鎖的な陣営化こそが主因とされています。表面的な動きの説明としてはその通りなのですが、西欧列強に拠点を置く国際経済組織の利権、とりわけ、金融財閥の存在を抜きにしてこの現象を説明することは困難です。金融財閥は、政府に対して融資したり、国債の引き受けにも応じましたし(独占的に銀行券を発行する中央銀行の地位は政府貸付によって得た…)、民間企業に対しても海外進出のための貸し付けを行う立場にありました。いわば、全世界に利権が散らばっていたのであり、植民地主義の時代には、政府と二人三脚、あるいは、政府を巧みに操りながら経済的利益、並びに、その目的を達成するための権力を貪欲に追及していたのです。

資本主義対共産主義の対立構図が見せかけに過ぎないとされる理由も、結局は、両者とも、利権の独占や一方的な人類支配に行き着くからであり、フランス革命に際してのスローガンであった‘自由、平等、博愛’も、ロシア革命が掲げた‘権力を人民の手に’も、人々の理想を求める心理に訴え、‘大衆’を動員して暴力に駆り立てるための方便に過ぎずなかったのでしょう。戦争も、革命も、自らが望む方向に人類を誘導する手段であり、石原莞爾が信じていたとされる‘最終戦争’も、その総仕上げなのでしょう。そして、グローバリズムの時代とされる今日にあっても、見た目はよりソフトになったとはいえ、自由で多様性に富んだ社会といった理想郷を掲げつつ、その実、全人類を自らの支配網に追い込んでゆく米中両IT大手の露骨なまでの行動は、まさしく両者が同根であることを示しているようにも思えるのです。

先の二度の世界大戦も、金融財閥の行動を含め、経済的な視点から見直せば、より正確なる戦争要因の分析が可能となるかもしれません。そして、第三次世界大戦を事前に防ぐためにも、これまで‘陰謀論’として軽ろんじられてきた経済的要因に注目し、政治の背後に隠れて私益を漁ってきた金融財閥の戦争責任の如何を含め、過去の世界大戦の全容を詳細に解き明かすべきなのではないでしょうか。戦争責任とは、政治家のみにあるのではなく、別のところにあるかもしれないのですから(所謂‘歴史修正主義’の批判とは、責任追及を逃れるための戦略かもしれない…)。人類のより善き未来のために真に変わるべきは、変革を迫られる既存の社会ではなく、戦争要因ともなってきた巨大な国際経済組織ではないかと思うのです。

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イギリスは二度寝返る?-ファウエイ問題とAIIB

2019年02月23日 11時38分21秒 | 国際政治
スパイ容疑をかけられ、アメリカから5G導入に際しての政府調達から排除された中国IT大手のファウエイ。イギリス、オーストラリア、ニュージーランドといった‘ファイブ・アイズ’諸国も追随するかのようにファウエイ排除に動き始めたのですが、ここに来て、イギリスが中国寄りに態度を変え始めたと報じられております。ファウエイ製品のリスクは管理可能として。

 この展開、過去にも一度見ているように思えます。それは、中国が、AIIB(アジアインフラ投資銀行)の設立を決定して加盟国を募った時のことです。この時、一帯一路構想の融資機関としての性質を帯びるAIIBの設立を既存の国際秩序へのアグレッシブな兆戦と見なしたアメリカは、自らの不参加を表明すると共に、同盟国諸国に対しても自国に同調するように訴えています。日米同盟の絆から日本国はAIIBへの参加を見送り、AIIBの融資姿勢を問題視することもあって不参加のままに今日に至るのですが、他の諸国は違います。当初、イギリスをはじめとしたNATO加盟国の多くも、アメリカの不参加方針に従う意向を示していました。ところが、‘血の絆’とも称され、二度の世界大戦をアメリカと共に闘ったイギリスは、突如、不参加方針を転換してAIIBへの参加を公表するのです。かくしてイギリスの方向転換がドミノ崩しの最初の一押しとなり、ドイツやフランス等も‘バスに乗り遅れるな’と言わんばかりに参加を決定し、AIIBの参加国数はアジア開発銀行のそれを上回る93ヶ国を数えることとなったのです。

中国からしますと、イギリスの‘籠絡成功’が、一先ずはAIIB設立を成功に導いた決定的な要因です。そして今日、ファウエイ問題でも、アメリカと歩調を合わせてきたイギリスは、同国からの排除要請に突然に背を向けようとしているのです。いわば、イギリスは、二度‘寝返る’こととなるのです。AIIBを前例とするならば、イギリスがファウエイ容認に動いた途端、ファウエイ排除の包囲網の一角が崩れ、なし崩し的にファウエイ導入国が増加するかもしれません。またしても、中国によるイギリス籠絡作戦が功を奏することとなるのです。

もっとも、鳴り物入りで登場し、アメリカから寝返ってまでイギリスが参加した当のAIIBは、一帯一路構想に対する周辺諸国の警戒感の高まりを受けて殆ど活動休止状態にあり、期待された程の投資成果も事業利益も上げていません。おそらく、ファウエイ問題についても同様の展開も予測され、情報漏洩事件等の発生により、むしろ、5Gの信頼性を低下させる要因ともなりかねません。5G上の情報が全て中国に筒抜けとなれば、誰もが5Gを使用したがらなくなりますし、それを利用した新たなシステムの構築や新ビジネスの提供も難しくなるからです。AIIBと同様に‘ファウエイ製品内臓’の5Gも自然消滅してしまうかもしれないのです。

 イギリスの方針転換の背景としては、ロンドン、パリ、フランクフルトに拠点を置く国際金融勢力が中国に対して多額の投資を行っており(ロスチャイルド財閥系?)、いわば、習近平政権の黒幕的な存在となっている点を推測することができます。巨額の外貨準備を積み上げているとはいえ(その実態は不透明…)、中国経済は、目下、‘借金漬け’状態にあります。対中融資通貨の大半は米ドル等の外貨であるため、官民ともにデフォルトのリスクが懸念されているのです。既に投じられている巨額の対中投資を焦げ付かせないためには、国際金融勢力の融資先でもあるファウエイを含めた中国IT大手の失速は望ましくない展開なのでしょう。AIIBへの参加もファウエイ容認も、国際金融というキーワードで読み解けば、両者を繋ぐ地下水脈が見えてくるのです。

イギリスの二度の寝返りは、同国の政策決定や行動を理解するためには政治的要因のみでは不可能であり、その背後に潜む経済的要因にも関心を寄せる必要があることを示しています。イギリスは、イアン・フレミングのスパイ小説、「007」シリーズの母国でもありますが、‘事実は小説よりも奇なり’かもしれないと思うのです。

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第二次世界大戦の‘結果’は未定-支離滅裂ロシアの主張

2019年02月22日 14時29分47秒 | 国際政治
ロシア外相、「旧敵国条項」挙げ主張 北方領土問題
日ロ間での平和条約締結交渉は、予測されていた通り、北方領土問題をめぐって両国間の主張が平行線を辿り、膠着状態が続いているようです。こうした中、ロシアのラブロフ外相は、同問題について国連憲章に記された「旧敵国条項」を持ち出し、日本国に対して北方領土の割譲を主張していると報じられております。

 国連憲章第107条には、「この憲章のいかなる規定も、第二次世界大戦中にこの憲章の署名国の敵であった国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり、又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない」とあります。ラブロフ外相は、この条文における‘この戦争の結果’の部分に注目し、北方領土のロシアによる軍事占領とそれに続く併合は第二次世界大戦の結果であるから、旧敵国である日本国はこれを覆すことができないと主張したいようなのです。

 そもそも、敵国条項は、国連総会での決議において将来的に憲章改正が行われるに際して削除されることが決定されており、既に空文化されております。にもからわらず、敵国条項の亡霊を呼び出してまでラブロフ外相がロシア領の正当性を主張するのであれば、この態度は、ロシア側が自国に法的根拠が欠如していることを自覚し、対日交渉に際して焦りを感じている証であるのかも知れません。法的側面において不利な状況を一転させるには、国際社会の憲法とも称される国連憲章の‘権威’を利用するしかないと考えたのでしょう。

 しかしながら、同外相の試みが成功する見込みは薄いように思えます。何故ならば、第二次世界大戦の‘結果’は未定であるからです。国際法上の正当な手続きにあって、戦争の最終的な終結には当事国による講和条約の締結を要します。言い換えますと、現在、日ロ間において進められている平和条約の締結こそ、第二次世界大戦に最終的な幕を降ろし、その‘結果’が確定する時なのです。

 しかも、他の連合国諸国は、戦時中におけるソ連邦の‘行動’を認めてもいません。日本国の領土放棄を定めたサンフランシスコ講和条約の第2条においても、ソ連邦による北方領土の割譲を承認していませんし、アメリカは、1965年の日ソ平和宣言に際しても、領土問題において日本国政府がソ連邦に対して安易に妥協しないように牽制しています。ヤルタ協定の法的効力をも否定しているのですから、第二次世界大戦の‘結果’=戦時中におけるソ連邦の不法行為ではなく、連合国さえもラブロフ外相が主張する‘結果’を否定しているのです。

 ロシア側の反論を聞いておりますと、同国の法に関する考え方が全く以って一般の諸国とは違っていることに気付かされます。この点は、中国や朝鮮半島の諸国とも共通するのですが、ロシアにとっての法とは、公平・中立なる超越的な立場から人々の人格や権利等を等しく護るために存在するのではなく(倫理や道徳と不可分に結びついている…)、自らの欲望を正当化するための道具に過ぎないのかもしれません。日ロ平和条約交渉は、むしろ、両国間の隔たりを浮き上がらせると共にロシアに順法精神を根付かせるという、国際社会の問題に対して日本国がどのように取り組むのか、という領土問題とは別の課題に直面している現実を思い知らされているように思うのです。

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日本企業のイギリス撤退と移民問題の’ちぐはぐ’

2019年02月21日 14時44分52秒 | 国際政治
先日、日本国の自動車メーカーであるホンダが、イギリスの工場を閉鎖する方針を発表しました。合意なき離脱が濃厚となったBrexitとの関係は否定されてはいるものの、現地のイギリスでは、BBCがトップ・ニュースとして報じる程の衝撃が走っているそうです。

 イギリスがEUから離脱すれば、同国を製造拠点として無関税で大陸のEU加盟国に自社製品の輸出を行ってきた企業が、これらの拠点を他の加盟国に移す動きが起きる可能性は以前から再三指摘されてきました。自動車であれば離脱後には10%の関税がかかり、価格面での競争力を失うからです。ホンダの工場閉鎖のニュースは、‘終にその時が来た’とする実感をイギリス国民の多くに抱かせたのかもしれません。テレビ報道の映像では、ホンダのイギリス工場で働いている従業員の人達も、インタヴューに答えて口々に失業への不安を語っていました。

 マスメディアの論調では、ホンダの決断を外資系企業の撤退ラッシュの先駆けてと見做し、イギリス経済が壊滅的な衰退に向かうとする悲観論が大半を占めています。しかしながら、この問題、自由貿易や市場統合について、しばし考えさせられる問題点を提起しているように思えます。グローバリズムの波が押し寄せている今日、イギリスの問題は、全ての諸国にとりまして対岸の火事ではないのです。

 例えば、Brexitの最大要因が、EUにおいて‘人の自由移動’が原則として認められていることによる移民の増加であった点を考慮しますと、失業への不安は、どこか奇妙な印象を受けます。何故ならば、離脱決定当時、イギリスへの移民流入数は年間で30万人を超えており、増加傾向に歯止めがかからない状況にあったからです。ロンドンをはじめ、大都市では、移民の人口比が50%を越えており、外国人人口が高い都市や地域ほど、離脱支持票も多かったとされています。そして、この増加数は、イギリスにあって年間30万人程度の新たな雇用が生まれていたことをも意味するのです。

 統計によれば、イギリスの失業率は2016年から2018年の3年間では5%を切っており、産業間移動が困難な失業者を想定すれば、決して悪い数字ではありません。仮にイギリスの雇用状況が良好であれば、たとえ日本企業を始め、外国企業がイギリスから撤退したとしても、当面は、失業率に対して然程の悪影響を与えることはないはずなのです(ホンダの英国工場の従業員数は凡そ3500人)。それとも、この数字は、外国人家庭の高い出生率を反映しており、雇用数とは全く関係はないのでしょうか(出生による自然増加となりますと、EUから離脱したとしても、移民問題の解決効果は期待できない…)。また、イギリスに進出した外資系企業が外国人を積極的に雇用していたとしますと、製造拠点の海外移転と共に外国人労働者も国境を越えて移動するだけですので、イギリス人の雇用には問題は生じないはずです。否、EU離脱を選択した国民の目的は、半ば達成されることともなるのです。

 以上に、イギリスからの外資系企業の撤退と移民問題との関連を様々な側面から推測してみましたが、果たして、両者には、どのような因果関係があるのでしょうか。どこか全ての統計が‘ちぐはぐ’しており、説明に一貫性が欠けており、全体像が見えてきません。統計の数字とは、それを正確に分析しないことには、実際に、何が起きているのかを正確に知ることはできませんし、経済への影響を予測することも困難です。英国経済については、徒に騒ぎ立てるよりも、絡まっている様々な要因を慎重に解きほぐすような冷静な分析が必要なように思えるのです。

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‘学習’アプリが中国を滅ぼす?-精神の監獄

2019年02月20日 13時39分20秒 | 国際政治
「習氏に学ぶ」アプリ、党員悲鳴 ポイント少ないと指導
中国では、ある奇妙なアプリがダウンロード数第一位を記録し、内外で話題となっております。1月に配信が始まった途端、9000万人もの利用者を獲得したというのですから、もしかしますと、ギネスブックの世界記録をも更新しているかもしれません。そして、同この‘大人気’のアプリの名は?と申しますと、「学習強国」という厳つい名称なそうです。

 「学習強国」とは、字面をそのままなぞりますと‘強国について学ぶ’という意味になります。世界屈指の大国としての在り方を学ぶことが目的のようにも見えますが、実のところ、学習の‘習’は、習近平国家主席の氏姓である‘習’と掛けてあり、いわば、全党員に習近平思想を学ばせることが、同アプリが配信された理由なのです。つまり、スマホの利用者が自らの自由意思で同アプリをダウンロードしたのではなく、同アプリのダウンロードは全共産党員の義務なのです。

 この事情を知れば、たとえ利用者数において抜きんでいても、中国共産党員以外の一般の人々はダウンロードする気が失せるのですが、同アプリを開発した習政権の発想はまさしく共産主義というイデオロギーの怖さと傲慢さを如実に表しています。何故ならば、共産主義思想に暴力を以って無誤謬性を与え(信仰化)、絶対化された思想に基づいて他の全ての人々の内面までをも統制しようとするからです。そして、その究極的な目的は、一人、あるいは、党による権力の独占と全人民の支配に他ならないのです。

 カール・マルクスやウラジミール・レーニンが全知全能の神の如き完全無欠な人であったわけではなく、その生い立ちを記した伝記等を読みましても、模範的な人生を歩んだとは、到底言えないような人物です。習主席にあっても事情は同じであり、欠点や欠陥のない人はこの世に存在していません。単純に考えれば、こうした人が自らの頭の中で編み出した思想もまた完全無欠なはずはなく、誤謬に満ちていることは誰もがすぐに気が付くはずです。プロレタリア独裁を唱える共産主義の論理破綻や反倫理性は明白であり、ソ連邦の崩壊が思想上の誤りではなく、制度や運営の不備にあったとする擁護論も、共産主義が‘信仰化’した証でもあるのです。

 近代合理主義は、ルネ・デカルトが唱えた懐疑主義に始まるとされ、理性の時代とは、たとえ過去において絶対視されてきた権威や慣習等であっても、根底からそれを疑ってみる、すなわち、人々に知性や思考の自由を与えた時に開かれました。疑いの対象は宗教にも及ぶことになりましたが、人の知性とは自由なくして働かせることはできず、近代以降の人類の発展も、精神的な自由に負うところが大きいのです。共産主義とは、理性の時代の先を行く先端思想を装いながら、その実、人類を非理性的な存在に陥れるべく、理性の時代の幕引きを狙った反知性的な暴力志向の思想であったのかもしれません。
 
 こうした知性と自由との密接不可分な繋がりを考慮しますと、今日の中国では、人々が知性や理性を十分に働かせることは殆ど不可能です。論理破綻を来している以上、一党独裁体制を維持するためには、暴力や制裁で威嚇すると共に、これまで以上に人々の思考を押さえつける必要があるからです。おそらく、「学習強国」で学ぶことを拒絶した共産党員は、党員資格を剥奪されるか、ポスト等において冷遇されることでしょう。そして、中国にあっては、「学習強国」以外に他の教育アプリが登場することは決してないでしょう。

 中国において恒常的に知性や理性が抑圧されるとなりますと、中国の発展はもはや望めないこととなります。自由な発想を許す空間が僅かに残されたとしても、習主席が指定した人民支配に資する分野に限定され、軍事技術ばかりが異様に発展したソ連邦のように異形の大国と化し、やがて活力を失って滅んでゆくことでしょう。「学習強国」という頸木に縛られた共産主義国家中国は、まさに精神の監獄なのではないかと思うのです。

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韓国の虚言問題-嘘の禁止は文明の証

2019年02月19日 13時36分57秒 | 国際政治
昨年末に発生した自衛隊哨戒機レーダー照射事件は、日韓両国において‘事実認定’が真っ向から対立したため、どちらかが確実に嘘を吐いていることが確実となりました。そして、今般、韓国国会議長による天皇謝罪要求をめぐっても、日韓外相会談における河野太郎外相の発言内容が両国間で争われています。

 日韓間の対立では常々‘事実’そのものが争われるのですが、体験者や目撃者の殆どが鬼籍に入った過去の歴史上の出来事ではなく、数日前の当事者間の会話の内容でさえ、お互いが主張する‘事実’に違いが生じるのは驚くべきことです。このことは、どちらかが故意に‘嘘’を吐いていることを意味するのですが、過去の事例に鑑みれば、今般のケースでも韓国側が虚偽の主張を行ったとみて間違えはなさそうです。もちろん、‘狼少年’のお話のように、本当は‘事実’である可能性は100%ないとは言えないのですが…。

 韓国の裁判所では偽証数が極めて高いという特徴が指摘されており、この傾向からしますと、慰安婦問題であれ、‘被害者の証言’を以って‘事実’の証拠とする韓国側の主張には首を傾げざるを得ません。韓国人であれば、言葉は信用できないことをお互いに熟知しているはずであるからです。そして、こうした韓国に見られる虚言癖とでも称するべき特徴は、しばしば遊牧民であったモンゴル人の支配を受けた時期がある点に求められてきました。

 日本国内でもよく知られている「天高く馬肥ゆる秋」という言葉は、決して牧歌的に秋の涼やかで天まで突き抜けるような高い空を愛でているのではなく、実のところ、冬が間近に迫り、北方の遊牧民が食糧や財宝を奪うために南方の農耕漢民族を襲う恐ろしい季節の到来を告げる一句です。掠奪をも生業としてきた遊牧民は、農耕民との間に信頼関係を築くつもりは毛頭なく、奪うだけ奪って逃げ去っていったのです。‘嘘’も遊牧民的思考の一面であり、その瞬間において自らに有利な状況を造りだせることができれば、後はどうでもよかったのです。

 一方、遊牧民以外の農耕の民や商工業の民等は、長期的な関係を重視しますので、徹底的に‘嘘’を嫌い、反倫理的な行為として犯罪として認定していきました。『旧約聖書』の十戒のみならず、古代文明の地で編纂された法典等にあっても、既に偽証等は刑罰を科すべき罪でしたし、契約の概念も文明の証です。言い換えますと、人々が相互に相手の安全を保障し、争うことなく共存してゆくためには、‘嘘’を許してはならなかったのです。もっとも、全ての‘嘘’が禁じられていたわけではなく、‘嘘も方便’、あるいは、‘ホワイト・ライ’という言葉がありますように、他害性のない嘘、他者を益する嘘、他者への思いやりから吐いた善意の嘘、あるいは、純粋な事実誤認による嘘は許されてきたのでしょう。無実の人を陥れたり、騙したり、あるいは、害を与えるような利己的他害性を帯びた嘘こそ、紛争や被害をもたらしかねない社会的に極めて危険な行為であったのです。そして、嘘を吐いた人は、他者に害を及ぼした場合には法的な刑罰を科せられると共に、嘘を吐かれた人のみならず、社会的な信頼性を失うというペナルティーを受けてきました。

 こうした利己的他害性を伴う‘嘘’の有害性に照らしますと、韓国の虚言は、国際社会全体においても罪として咎められるべき行為となりましょう。同国は、前近代の遊牧民と同様に、隣国の日本国を‘奪う対象’、あるいは、攻撃すべき‘敵’と見なしており、恒久的な信頼関係を基礎とした平和的な共存を旨とする文明社会の規範から逸脱しているのですから。今日の国際社会では、相互信頼の醸成こそが平和に至る道として追及されておりますが、韓国は、信頼の基礎を自ら破壊しているのです(常々嘘を吐く人を信頼せよと言われても、それは無理…)。

そして、韓国、並びに、同国と同様に、中国や北朝鮮といった遊牧民的な思考パターンを引き継ぐ共産主義国の態度は、今日の国際社会が野蛮化の脅威に直面していると同時に、信頼性を尊重する文明国とそれを拒絶する非文明国との間の分裂をも暗示しています(目を背けがちですが、多様性とは本来は分裂要因…)。日本国政府は、人類の非文明化と国際社会の不安定化を防ぐためにも、韓国の嘘を黙認してはならないと思うのです。

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選択と集中’の問題-共産主義と新自由主義が一体化する理由

2019年02月18日 13時13分22秒 | 国際政治
昨晩2月18日の夜9時から、「NHKスペシャル」として、ノーベル化学賞受賞者である田中耕一氏の苦悩の軌跡を辿りながら、技術立国日本の衰退原因を考える番組が放映されておりました。昨年、医学生理学賞を受賞された本庶佑先生も出演されておられたのですが、同番組を視聴しながらふと頭に浮かんだのは、共産主義と新自由主義が一体化した理由は、‘選択と集中’にあったのではないか、という点です。

 何故、このように考えたのかと申しますと、日本国の技術力が低下した原因の一つとして、お二方ともに、小泉改革を契機として文部科学省が導入した‘選択と集中’を批判的に語っておられたからです。‘選択と集中’とは、同改革で示された科学振興予算の配分に関する方針であり、同方針の下で、人件費の財源とされてきた基盤的な予算が毎年1%づつ削減され、競争的な予算が増額されていったそうです。つまり、産業競争力に直結するような将来性の高い研究分野を選択して集中的に予算を振り向ける方針こそ、‘選択と集中’に他ならないのです。この結果、若手研究者の安定雇用が困難となると共に、科学振興費が裾野まで行き渡らなくなり、日本国の技術的な厚みを薄くしてしまいました。

 ‘選択と集中’の方針は、アメリカをはじめとした自由主義国で生まれており、グローバリズムの基本思想であり、‘現代版レッセフェール(自由放任主義)’でもある新自由主義をバックグランドとしています。自由な競争は、ライバル同士の切磋琢磨を通してイノベーションを促し、テクノロジーの発展や経済成長を促しますので、新自由主義も、この文脈で理解されがちです。しかしながら、近年の新自由主義者の行動を見ておりますと、‘選択と集中’における‘選択’とは、自由な競争の結果ではなく、事前に新自由主義者が、自らが理想とする経済・社会システムを実現するために、成長産業や開発すべき技術分野を予め絞り込んで‘選択’することであり、‘集中’とは、自らが‘選択’した分野への集中的な投資を意味しているようなのです。

 言い換えますと、‘選択と集中’が技術力や資金力を備えた国際勢力によって既定路線として決定され、それがグローバリズムとして日本国内にも浸透している場合、すそ野が広く厚みもある技術力を技術立国の基盤としてきた日本国は、その衰退が運命づけられてしまいます。そして、文科省までもが同方針を受け入れますと、多様な分野から様々な新しい研究が芽吹き、伸び伸びと育ってゆく土壌を壊し、日本国の優位点を自ら失わせてしまったとも考えられるのです。かつての日本国では、研究・開発部門に限らず、末端の現場に至るまでが技術改良やイノベーションの場でもありました。

 そして、新自由主義勢力とは、その名とは逆に、自らが定めた方向に全世界を改造して行くことを目的とした一団であるとしますと、その行動様式は、共産主義と一致します。共産主義国では、共産党が‘集中と選択’を行いますが、自由主義国でも、民間企業のみならず、アドヴァイザーとなった新自由主義者の助言に従って、政府もまた予め‘集中と選択’を行うからです。かくして共産主義国も自由主義国も、直接的であれ、間接的であれ、政府が経済計画を策定して統制する‘官僚主義’に陥るのであり、米中のIT大手がグローバリズムの波に乗って全世界を監視社会に導いているように見えるのは、決して偶然ではないのでしょう。人類の未来ヴィジョンがたった一つのはずもありません。

 共産主義と新自由主義との一体化の下での‘選択と集中’が日本国の技術力の低下に拍車をかけているとしますと、その解決策として考えられるのは、逆を行くこと、即ち、真の‘自由と分散’なのではないでしょうか(より相応しい言葉があるように思えるのですが、今のところ、思い浮かばないので…)。因みに、本庶先生は、著書の『ゲノムが語る生命像』(ブルーバックス、講談社、2013年)において、ゲノムに「余白のない大腸菌は、もしかしたら、未来への展望が少ないのではなかろうか」と述べておられますが、合理性を極めて徹底的に無駄を省いてしまいますと、日本国の科学技術のみならず、人類社会の進化もまた止まってしまうのかもしれません。

このように考えますと、敢えて‘選択’をせずに自由な発想を尊重し、幅広い分野に投資を行い、未来に様々な可能性を開くことこそ、日本国が技術立国として復活する道なのではないかと思うのです。

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トランプ大統領のノーベル平和賞推薦発言の真意とは?

2019年02月17日 13時10分09秒 | 国際政治
トランプ氏をノーベル賞に推して…米国が安倍首相に依頼
2月15日、アメリカのトランプ大統領は、日本国の安倍首相からノーベル平和賞受賞者候補の推薦を受けたことを明らかにしました。この件については推薦に至るまでの日米両国間の水面下での動きまで詮索されておりますが、この時期に推薦の事実を公表した同大統領の真意はどこにあるのでしょうか。

 トランプ大統領の平和への貢献といえば、誰もがすぐに北朝鮮の非核化を主たる目的として2018年6月12日にシンガポールで開催された第一回米中首脳会談を思い浮かべるはずです。ところが、朝鮮戦争以来の初の首脳同士の顔合わせとなったものの、同会談では、北朝鮮の非核化は確約されず、その行方は将来に持ち越されることとなりました。近々、第2回米中首脳会談がベトナムのハノイで開かれる予定ですが、北朝鮮の‘非核化抜きの妥協’や会談決裂のリスクも指摘されており、視界はすこぶる不良です。つまり、受賞者の決定は今年の後半頃となりますので、この時期には米朝対立が先鋭化しており、平和賞どころではなくなっている可能性も否定はできません。‘核なき世界’の実現を訴えてノーベル平和賞を受賞したオバマ前大統領は、同スローガンを実現することなく職を去り、期待を寄せていた人々から落胆と顰蹙を買いましたが、トランプ大統領の場合には、オバマ大統領のさらに上を行き、全くの逆―平和ではなく戦争-となっているかもしれないのです。

 トランプ大統領は、当然に、こうした事態は避けたいと望んでいるでしょうから、第2回米朝首脳会談の合意に対しては相当の自信があるはずです。あるいは、ノーベル平和賞の話題を持ち出した同大統領の意図は、同会談を控えての北朝鮮に対する暗黙の圧力であったのかもしれません。自らの平和賞受賞を潰すような行為は許さない、という…。つまり、北朝鮮は、2回目の首脳会談に際して、アメリカのみならず、ノーベル平和賞の選考委員会をも満足させるような模範的な回答を準備しなければならなくなるのです。あるいは、北朝鮮の金正恩委員長に共同受賞のチャンスを示唆することで、譲歩を引き出そうとしているとも考えられます。

こうした楽観的な見方がある一方で、不安材料もないわけではありません。首相から推薦された理由として、トランプ大統領は、「日本の領土を飛び越えるようなミサイルが発射されていたが、いまは突如として日本人は安心を実感しているからだ」と語っています。つまり、同大統領の説明に従えば、北朝鮮の非核化や朝鮮半島の平和ではなく、一時的であれ、北朝鮮の大陸弾道ミサイル発射実験を停止させたことが平和賞の受賞に価すると言うことになります。ノーベル平和賞の選考委員会が日本国の安全、しかも、恒久的ではなく、暫定的な安全のために同賞の賦与を決定するとは考え難いのですが、この説明には、あるいは、北朝鮮の非核化が実現しなくとも、長距離弾道ミサイルの開発・保有を放棄させ、平和条約締結への道筋を付ければ十分とする同大統領の認識があるのかもしれません。この場合、北朝鮮が中距離ミサイルをも廃棄しない限り日本国の安全は確保されるどころか、逆に危険度を増しますので、選考委員会の判断は分からないものの、日本国にとりましては悲観的で、アイロニカルな展開となります。

 ノーベル平和賞は、理想とは裏腹にしばしば政治的に利用されてきましたので、近年、その権威につきましては疑問符が付くようになりましたが、何れにしましても、今般の一件からは、トランプ大統領の認識、並びに、米朝間の綱引きの一端が垣間見られるように思えます。どちらの方向に向かうのかを正確に予測することは難しいものの、推薦者の立場にある以上、日本国政府は、北朝鮮のCVID方式による核放棄を基本路線とした合意に漕ぎ着けるよう(仮に、悲観的シナリオとなる場合には事後策の協議を…)、トランプ大統領に働きかけるべきではないかと思うのです。

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統計不正問題が明かすデジタル社会の盲点-信頼性確保のためのシステム開発を

2019年02月16日 11時05分27秒 | 社会
 デジタル社会の到来により、あらゆる情報は生のままに記号化され、データ・ベースに保管されるようになりました。誰もが、過去のどの時代よりも正確に情報が記録される時代に生きていることを疑わないのですが、情報を基盤とするデジタル社会には、思わぬところで‘落とし穴’があるように思えます。そして、先日発覚した統計不正問題は、人々がデジタル社会の盲点に気が付くきっかけともなったのです。

 統計に関わる第1の盲点とは、たとえネットやスマートフォン等の普及により一般社会がデジタル化されているとしても、政府レベルでは、デジタル技術が必ずしも統計システムに取り込まれていないことです。日本国政府が策定した経済戦略では、常々デジタル化の推進が提唱されておりますが、足元の政府自身は、全く以って旧態依然とした手法で統計作業が行われておりました。デジタル化が進展する中、情報収集がより容易となったにも拘わらず、調査対象企業が全調査から抽出式に変更されていたというのですから、時代に逆行しているとしか言いようがないのです。

実のところ、本気になれば、被雇用者500人以上の企業ではなくとも、全企業に対して賃金調査を実施することは難しい作業ではありません。厚生労働省が実施した調査に頼らなくとも、例えば、税申告に際して収集される所得税や法人税の記載内容をデータとして用いれば、企業が支払った人件費、並びに、国民の給与所得の両面から正確に賃金状況を把握できるはずです。省庁間の‘縄張り争い’が背景にあるのかもしれませんが、デジタル化の旗振り役であるならば、政府こそ、より正確な統計システムの構築に努めるべきです。

第2の盲点は、統計に不備があれば、如何なる分析結果も不正確となることです。政治の場合、統計上の数値は政策立案や決定の基礎となると共に、国民に説明責任を果たす上でも、最も重要な根拠の一つとなります。将来、政治の世界にもAIが導入される可能性が取り沙汰されておりますが、AIにインプットされるデータが不正確、あるいは、不十分であれば、最高度の性能を誇るAIであってもそれが提示する政策や提言は信頼できなくなります。人であれ、AIであれ、デジタル社会は情報の正確さと網羅性こそが命であり、この部分に問題があると、テクノロジーの発展は意味をなさなくなるのです。

第3の盲点は、統計については、データ・ベースに情報を提供した側であっても、その正確性についてチェックができない点です。この点は、民間の機関が実施する世論調査等も同様であり、一旦、情報が収集されますと、その結果の取り扱いについては‘ブラック・ボックス’となりかねないのです。しばしば、世論調査の結果に恣意的操作が疑われるのも、現行のシステムでは、事後的な外部チェックが不可能なところにあります。統計結果に関する秘密主義が信頼性を損ねているとしますと、事後チェックを含め、より透明性を高める工夫が必要となりましょう。

以上に3点ばかりを述べてみましたが、政府は、従来の統計手法を全面的に見直し、新たな統計システムの研究・開発にこそ、デジタル関連の予算を注ぎ込むべきなのではないでしょうか。マイナンバー制度も、国民のプライバシーを侵害しないよう配慮しながら活用すれば、政策立案のための統計造りに役立つはずです。そして、新たな統計システムの設計に際しては透明性を重視し、国民からの信頼性確保を基本原則とすべきではないかと思うのです。信頼性なき‘統計’の独り歩きは、国民が恐怖するところとなるのですから。

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米議会は日韓に国際司法解決を提言すべきでは?

2019年02月15日 11時49分20秒 | アメリカ
米議会超党派、日韓関係改善求める 7議員が決議案提出
昨年の所謂‘徴用工判決’や海上自衛隊哨戒機に対するレーダー照射事件に続き、先日の韓国国会議長による天皇謝罪要求や差し押さえ資産の売却方針など、日韓関係は、昨年末から悪化の一途を辿っております。日韓両国の同盟国であるアメリカとしては、第2回米朝首脳会談を控えて交渉の足場を固めるためにも、何としても日韓対立は沈静化したいところなのでしょう。

こうした背景もあって、今月12日、米連邦議会の超党派議連は、日韓両国に関係改善を求める決議案を提出したそうです。同提案は、審議を経て可決される見通しですが、過去の経緯からしますと、具体的な解決策を提示しない決議案は、些か無責任なようにも思えます。

アメリカとしては、どちらか一方の肩を持つような提案をすれば、もう一方の軽視された側の国からの激しい反発を招き、さらに事態を拗らせると考えたのでしょう。日韓関係の改善を求める以上、余計な口出しをせずに両国に対して中立的な立場を維持した方が、少なくともアメリカに対する両国の信頼は失わずに済みます。しかしながら、日韓関係の対立の根本的な原因が韓国側の‘無法傾向’にある点を考慮しますと、解決策に関するアメリカの沈黙は、両国の関係改善を帰結するどころか、国際社会における法の支配さえ危うくするリスクがあります。

時代状況に違いはあるものの、今日の日韓関係の構図に近い状態が、実は、1950年代に起きています。当時、朝鮮半島では朝鮮戦争が闘われており、‘国連軍’を率いるアメリカは、韓国防衛のために北朝鮮・中国軍と干戈を交えると同時に、日本国の防衛と安全保障に対する責任をも負っておりました(朝鮮戦争では、少なくない日本人も米軍に協力している…)。ところが、当の韓国は、この間、日本国領の竹島を不法に占領し、これを機に日韓関係は一気に悪化するのです。

この時、日韓両国の板挟みとなったアメリカは、竹島を囲い込むように海上に引かれた李承晩ラインを国際法違反と批判すると共に、同問題の解決策として、国際司法裁判所での司法解決を提案しています。北朝鮮による侵略を阻止すべく韓国軍と共に闘っていたアメリカは、皮肉なことに韓国による対日侵略に対しては武力で排除することは能はず、平和的な解決手段として、領有の法的な正当性をめぐる法律問題として国際司法裁判所(ICJ)による司法解決を求めたのです。

アメリカの提案は、日本国側が受け入れるところとなり、日本国政府は韓国政府に対してICJへの共同提訴を持ちかけますが、韓国側の拒絶によりこの案による解決は実現をみることなく今日に至っています。ただし、当時のアメリカは、竹島問題を両国間による軍事的解決、あるいは、政治的妥協に任せるのではなく、国際社会の問題として国際法に基づく解決を求めた点において筋を通していたことになります。たとえ、韓国側がその無法傾向から拒絶したとしても、ICJを始めとした国際司法機関による解決こそ、多くの諸国、そして、人々が納得する最も中立的で公平な解決方法なのですから。

アメリカは、韓国との軍事同盟に配慮するばかりに法の支配の原則からの同国の逸脱を許してはならず、たとえ実現を見ない、即ち、韓国側が無視したとしても、それでもなお竹島問題の発生時と同様に、日韓に横たわる様々な問題に対して司法解決を提案すべきなのではないでしょうか。より高次の視点から見れば、たとえ韓国側が、今回も拒否したとしても、国際司法解決の提案こそ(徴用工判決の場合は、先ずは、日韓請求権協定に定められた仲裁…)、アメリカが日韓両国に対して中立・公平であり、かつ、法の支配の原則を遵守する大国の証となるのではないかと思うのです。

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デジタル時代の個人情報の極端なる非対称性

2019年02月14日 13時01分55秒 | 社会
今日、ネット空間に自社のプラットフォームを構築することに成功したIT大手は、利用者の個人情報までをも独占的に入手し得る立場にあります。近い将来、人々は、日々の些細な行動から発言に至るまでの全てが、外部からウォッチされるガラス張りの空間での生活を余儀なくされそうなのです。

 ガラス張りと申しますと、透明なガラスを通して日の光が内部に差し込みますので、どこか明るく開放的なイメージを受けます。しかしながら、このガラス箱の中で暮らしている人々にとりましては、実のところ、閉ざされた真っ暗闇の空間であるかもしれないのです。外部の視点と内部視点とでは見える光景が全く正反対となるのです。その理由は、新たに登場してきた様々なITサービス事業では、個人情報が凡そ自動的に運営者によって収集される一方で、個人間では他者の情報を知ることが難しい状況に至っているからです。

第1に、国レベルでは、法律によって個人情報の保護が徹底されています。日本国の場合、事業者が電話攻勢等で売り込みを図る‘迷惑電話’等が社会問題ともなり、個人情報を扱う事業者対策を主たる目的として、2003年5月に情報保護法が制定されました。法律の規制対象は、民間事業者、並びに、自治体等の公的機関であったはずなのですが、今では本来の立法目的を離れ、一般の個人同士の情報のやり取りにも浸透してきています。同法律が制定されて以来、個人情報の公表には神経質になり、無意識であれ心理的な‘縛り’が働いて、お互いに名前も住所も聞けないといった雰囲気にもなりがちなのです。その一方で、SNSでは、メンバー相互の間では知り得ない個人情報であっても、交流サイトの運営事業者は、しっかりとこれらの情報を掌握しています。IT大手は、入手した情報を活用して個人をターゲットにした広告活動を行っていますので、これでは個人情報保護法が制定された理由も消え失せ、‘迷惑IT’となりかねません。

第2に、人種、民族、国籍、宗教等の違いを否定するグローバル化の流れにあって、採用差別の禁止を根拠として、個人情報の収集に制限が設けられるケースがあります。一般的に政府は、一般企業をはじめ事業者に対し、採用時の個人情報の収集に制限を設けようとする傾向にもあります(もっとも、グローバリズムは同時に多文化共生主義も掲げており、矛盾が見られる…)。現実には、日産のカルロス・ゴーン前会長の逮捕劇が示すように、国籍等は入社後の社員の行動に多大な影響を与えるものです(多国籍者であったゴーン容疑者の場合、同氏の公私にわたる個人的なネットワークが不正や犯罪の温床となった…)。人物評価に際して重要な判断基準となる情報までもが雇用側は知り得ない状況となりますので、社内では、人事のみならず、机を並べて仕事をする、あるいは、チームで作業をしている社員同士であっても、相手が何者であるのか全く分からない状態で勤務するケースもあり得るのです。

第3に挙げられる点は、政治や治安などの社会問題に関しても、政府もマスメディアも、個人情報の保護を盾にして、正確な情報を国民に知らせようとはしません。例えば、日本国では、蓮舫議員に限らず、選挙で当選した国会議員であっても、日本国民は、その国籍や先祖を含めた出身国さえ知らされていない場合が少なくないのです(情報の隠蔽は‘詐欺’の一種になりかねないにも拘わらず…)。この点は、芸能界等にあっても指摘されていますが、当然に公開されるべき個人情報であっても故意に伏せられているため、国民は、誰に政治権力を託しているのかさえ分からないのです。

かくして、一般社会にあっては個々人が匿名化し、相互に情報入手が制限される一方で、一部のIT大手や政府は、あらゆる個人情報を独占し得る立場となります。外部者の位置にある後者は、ガラス張りとなった一般社会を外側から眺め、収集した個人情報を用いて内部の人々をコントロールすることができるようになるのです。その一方で、ガラス箱の中に閉じ込められている人々は、その外部にいる監視者を見ることもできなければ、すぐ隣にいる人でさえ、個人情報の保護というカーテンに遮られてその姿をはっきりと見ることはできません。こうした極端に非対称化された未来社会の到来は、はたして人類にとりまして望ましいのでしょうか。ガラス箱からの逃走を試みる人々が増えても不思議ではないと思うのです。

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