万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

感染病と人権保護の問題を考える

2020年01月31日 12時44分12秒 | 日本政治

 中国側の働きかけにより、WHOが先延ばしにしてきた新型コロナウイルス肺炎に関する緊急事態宣言。そのWHOも、昨日30日に開かれた第3回目の緊急委員会においてようやく同宣言を発するに至りました。その間、既に感染者数はSARSを越え、感染拡大は一向に収まる気配はありません。こうした中、日本国政府も、発生源地である武漢に邦人退避のためのチャーター機を派遣し、29日にその第一陣の206名が無事日本国に帰還しました。いわば救出劇ともなったのですが、今般の政府による退避措置は、幾つかの問題や課題を提起することともなったのです。本記事では、先ずは感染症と人権の問題について考えてみることにします。

 日本国政府による武漢からの邦人退避措置は、希望する全邦人を航空機で帰国させるだけで完了する性質のものではありません。感染症の発生地からの避難である以上、同時にウイルスの日本国上陸を防がなければならないからです。すなわち、新型コロナウイルスは人を宿主としますので、退避してきた邦人を無チェックで入国させますと、ウイルスも一緒に国内に持ち込まれる可能性が高くなるからです。そこで、政府は、コロナウイルスを指定感染症に定めるとともに、機内等でも感染の有無を厳重にチェックし、症状の現れている人や疑わしい人は病院に搬送する一方で、無症状の人々にも指定されたホテルでの一定期間の滞在を促したのです。しかしながら、こうした政府の措置には法的拘束力がないために(指定感染症の指定施行以前…)、政府側の熱心な説得にも応じず、二名の邦人が感染検査を拒否して帰宅してしまったというのです。

 この二名の行動を許した点については、国会でも野党からの追及があり、安倍首相は、人権保護の観点から致し方がなかったと説明しています。国民には自由意思に基づく行動の自由が原則として保障されていますので、それを政府が制限することは、重大な人権侵害に当たるということなのでしょう。しかしながら、今般のようなケースが人権侵害となるのか、いささか疑問でもあるのです。

 第1の問題点は、‘誰の人権を守っているのか’というものです。もちろん、日本国政府の立場としては検査を拒否した二名の邦人の人権ということなのでしょう。しかしながら、人権というものは、全ての人々に対して保証されるべき普遍的な権利です。この点に鑑みますと、今般の一件では、特定の個人に対する人権の保障が、他の人々の人権、すなわち生存権を損ねるリスクは小さくはありません。新型コロナウイルスでは、無症状であっても人から人への感染があり得ますので、これらの二人の人から他の人へと二次感染、三次感染してゆく可能性は否定できないからです。つまり、これらの二人から感染する恐れのある不特定多数の人々の人権は守られていないこととなるのです。人権保護に人権侵害のリスクが伴う場合にあって、前者のみの人権を保護するとする政府の姿勢には疑問を抱かざるを得ないのです。

 第2に、‘仮に二次感染等が発生した場合、誰が責任をとるのか’という問題があります。自由には責任が伴いますので、自己責任論からすれば、全責任は二人の検査拒否者にあるということになりましょう。しかも、これらの人々は、政府からの説明を受けて自らが感染源となることを十分に承知していたのですから、弁明のしようもありません(二次感染者から損害賠償等を訴えられる可能性も…)。しかしながら、現実に感染が爆発的に拡大した場合には、個人が負う得る限界を軽く越えてしまいます。つまり、検査拒否者から不幸にも感染した人々は泣き寝入りということになりましょう。

 その一方で、感染拒否者の無責任な行動を許した政府にこそ責任があるとする政府責任論も主張されるかもしれません。二名による感染拒否の主たる理由は法的拘束力の欠如にありました。このため、退避者の意思に任せた生温い政府の対応が批判され、政府が糾弾の矢面に立たされるかもしれないのです。法的に政府に対する責任を問えない可能性もあり、二次・三次感染の被害者は泣き寝入りになりかねません。

 第3の問題点は、幸いにして検査拒否者は二名という少数でしたが、206人の大多数が拒否した場合に生じるリスクを政府が考慮していない点です。これらの206人が自宅のある全国各地に分散した場合、感染は、全国レベルに一気に広がる可能性があります。最悪のケースを想定すれば、退避者による検査拒否は許されるという政府の解釈・見解には問題があったと言えましょう。

 報道によりますと、結局、検査を拒否した二名は、その後、自発的に検査の受診を申し出たそうです。しかしながら、僅かな時間であれ、日本国内にあって交通機関などで他の乗客と乗り合わせ、不特定多数の人々が集まる場所を歩き、家族や知人とも接触しているかもしれません。検査拒否による二次感染は絶対にない、とは言い切れないのです。自由と権利、そして責任との間の適切な関係を考えますと、今般の政府の対応は甘すぎたと言わざるを得ないように思えます。WHOは渡航や貿易の制限は勧告しないものの、こうした措置については各国の裁量に任されるとしていますので、日本国政府は、武漢市滞在者のみならず、中国からの全ての出入国に最低より厳重な封鎖的措置を講じるべきなのではないでしょうか。

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新型コロナウイルス肺炎から見る‘フェイクニュース’の功罪

2020年01月30日 13時01分17秒 | 国際政治

 中国の武漢から全世界に新型コロナウイルスの感染が拡大する中、ネット上では様々な情報が行きかっています。中にはデマ、すなわちフェイクニュースも混在することから、一般の人々への注意を喚起するために、メディアなどでは明らかにデマである悪質情報を列挙して紹介する記事も見られます(感染者の到死率は15%、抗インフルエンザ薬や飲酒が感染を予防するなど…)。しかしながら、フェイクニュース問題とは、一般的に考えられているよりも複雑なのではないかと思うのです。

 政府も既存のメディアも、ネット上のフェイスニュースに対しては極めて批判的です。フェイクニュースという‘風説の流布’が不当な人権侵害や時には迫害や虐殺を招くとして、その取り締まりに対しては積極的な姿勢で臨んでいます。このため、‘ネット情報は信頼に値しない’とするイメージが振り撒かれているのですが、その一方で、今日の情報空間を見ますと、政府やメディアも同罪であることに気づかされます。今般の新型コロナウイルス肺炎の感染拡大に際しての政府、地方自治体、そしてメディアの情報発信は、これらのフォーマルな発信者もまたフェイクニュースの流し手であることを示しているからです。

 同肺炎の感染がかくも広く拡大した主要な要因は、政府や自治体による国民に対する偽情報の発信にあります。感染者数、死亡者数、並びに、新型コロナウイルスの特性に関する情報はすべて過小に公表されており、同情報を信じた市民達は、然したる警戒もしなかったため、感染予防のための十分な措置をとることはできなかったからです。因みに、今月29日にチャーター機の第一便で帰国した206人の邦人の内3人の感染が確認されていますので、1.5%程度の感染率で単純に計算すれば1100万都市とされる武漢では少なくとも16万人が既に罹患している可能性があります(上記のデマ紹介記事では感染者9万人は悪質情報としていますが、実は、それ以上である可能性も…)。つまり、ネット上のフェイクニュースを目の敵にしている政府が自らフェイクニュースを発信し、多くの国民の命と健康を危機に晒しているのです。この現状からしますと、国民保護の観点から取り締まるべき対象は、全国民に対して情報を発信し得る最大にして最も‘権威’ある広報機関である政府自身ということになりましょう。言い換えますと、政府による虚偽の情報提供は、民間による‘風説の流布’による被害を遥かに上回る甚大なる災禍を国民にもたらすのです。

 そして、政府が公然と嘘を吐きますと、政府発表の情報と異なる全ての情報が‘フェイクニュース’として扱われるという忌々しき事態も発生します。ここに真偽が逆転し、事実に基づく情報が公権力によって偽情報に貶められる一方で、紛れもない偽情報が‘事実化’してしまうのです。もちろん、フェイクニュースの中には人々を混乱させて面白がる愉快犯によるものや、集団パニックを起こさせることを目論んだ意図的な偽情報の流布もあるのでしょう。しかしながら、国民が自らの生命や身体を護るために必要となる情報までもがフェイクニュースとして情報空間から排除されるとしますと、‘角を矯めて牛を殺す’ということにもなりかねません。さらに偽情報に加えて、政府が国民に対して十分な情報を提供せず、不都合な事実を隠蔽している場合には、事実を知しりたい人々は、‘フェイクニュース’とされている情報の中から真実を見出そうとするものです。公的機関が嘘を言う、あるいは、情報を隠蔽するのは、‘フェイクニュース’とされている情報こそが正しい証拠と見なされるのです。程度の差はあれ、自由主義国にあっても、こうした真偽の逆転現象は見られます。

 また、全てとは言わないまでも、マスメディアもまたこの点については政府と同罪のように思えます。特に中国では全メディアが中国共産党、並びに、中国政府のコントロール下にありますので、これらから報じられる情報は、公的機関から提供された情報の解説か補強に過ぎないのです。一方、報道の自由が保障されている自由主義国であっても、ポリティカル・コレクトネスが強力に働きますので、全ての事実がありのままに報じられているわけではありません。また、メディア各社の政治的、あるいは、イデオロギー上のスタンスによる偏向報道や歪曲も日常茶飯事ですし、‘報道しない自由’をも謳歌しているのが現状です。つまり、情報の真偽については、マスメディアの報道も‘フェイクニュース’の真偽を判断する基準とはなり得ないのです。なお、ネット上にあって事実上の‘検閲’を行っているIT大手も、同様の理由から真偽の判定者には相応しくはないと言えましょう。

 新型コロナウイルス肺炎の拡大は、政府発のフェイクニュースの問題が絡むゆえに、中国国内にあっては国民の政府に対する信頼を著しく低下させ、延いては共産党一党独裁体制をも揺るがすかもしれません。一方、自由主義国において今後注目されるのは、日本国政府を含めた各国政府の情報公開の基本方針です。同肺炎の発生原因については、中国政府は野生動物からの感染と説明していますが、中国科学院武漢ウイルス研究所微生物毒種保存センターからの流出の方が余程説得力があります(因みに、メディアでもこの説については黙ってはいてもデマ扱いはしていない…)。つまり、新型肺炎の蔓延は、中国による生物兵器の開発・保有という防衛や安全保障に直結しかねない問題領域へと一気に拡大する可能性があるのです。

感染拡大によって中国経済が麻痺する中での経済への甚大影響に加え、中国の病原性ウイルスの管理が杜撰であり、かつ、国際法に違反する行為を行っていた‘事実’が判明すれば、各国とも、中国との関係は見直さざるを得なくなることでしょう。そして、こうした中国にとりまして不都合な情報が明るみに出るほどに、習近平国家主席が苦境に立たされるのですから、中国政府は、各国に対して強い情報統制圧力をかけることが予測されるのです。日本国政府は、果たして、中国のために情報統制に加担するのでしょうか、それとも、日本国民のために情報を包み隠さずに公表するのでしょうか。仮に前者であれば、日本国民もまた中国国民と同様に、政府に対する信頼を失うのではないかと思うのです。


厚労省の感染者国籍非公開への疑問

2020年01月29日 15時00分53秒 | 国際政治

 日本国の厚生労働省は、今般、全世界を震撼させている新型コロナウイルスの国内発生事例について、国籍や人種・民族的属性を公表しない方針で臨んでいます。確かに、同省のホームページを訪問しても、国籍等に関する情報は掲載されていません。公開されているのは、年代、性別、居住都道府県、症状、滞在国、滞在国での行動歴のみです。

メディアによっては、‘神奈川県に居住する中国人’、‘武漢から来日した中国人観光客’といった表現で中国国籍の中国人であることを仄めかしていますが、政府としては、公式に感染者の国籍等については明らかにしていないのです。因みに、昨日報じられた奈良県で確認された二次感染者のケースでは、武漢からの訪日した中国人団体客を乗せたバスの運転手であったことから、日本国籍の日本人であることが伺われます。国内感染者の国籍を公表しない日本国政府の対応について、‘人権への配慮が徹底している’など、中国のネット上では称賛する声が寄せられています。しかしながら、この日本国側の対応、事が感染病という国民の命に関わる問題なだけに、適切であるのかどうか疑問なところなのです。

第1の疑問は、国民の命と健康を護るためには、できる限り詳細、かつ、正確な情報を提供すべきではないか、というものです。日本国政府としては中国への配慮から国籍を伏せたのでしょうが、日本国政府が、中国政府と同様に情報を隠蔽しているようにも映ります。国籍や民族性が不明では、日本国民は、確認された国内感染者が、中国国籍の中国人なのか、同国籍の日本人なのか、日本国籍の中国人、もしくは日本人であるのか、それとも、これら以外なのか、全く分かりません。自らの身を自らで守らなければならない日本国民からしますと、感染者の属性に関する情報は、感染予防に役立つはずです。

第2の疑問は、既に全世界において武漢発の新型コロナウイルスが中国全土に拡大している事実が報じられている以上、同情報を隠しておく必要性が低い点です。感染者の人権への配慮が指摘されていますが、氏名や住所が公表されているわけでもなく、個人も特定はされません。それとも、全体主義国家である中国にとりましては、感染者が中国人であること自体が、国家に対する侮辱と見做しているのでしょうか。何れにしましても、感染者の属性を頑なに隠そうとする日本国政府の態度は、国民からしますとその不自然さの方が目立つのです。日本国政府は、中国国民を守っても、一般の日本国民は守らないのでしょうか。

第3に疑問を抱く点は、人種や民族的属性によって、ウイルスへの感染度や症状の重さに違いがある可能性がある点です。一般の感染症でも、特定の人種や民族にのみに多発するケースがあります。特に今般の新型コロナウイルスは、人工的に作成された生物兵器が何らかの理由で外部に流出した可能性が極めて高く、このことは、同ウイルスが、特定の人種や民族的属性に強い感染性を示す可能性を示唆しています。言い換えますと、どの国がターゲットなのか、すなわち、中国人のみならず日本人が感染するか否かは、人民解放軍の生物兵器に関する戦略を日本国民が知る上でも重要な情報のです。中国人の間で爆発的に感染が広がっている現状を見れば、中国は、自国民をも対象に生物兵器を開発していることになる一方で(体制維持のため?)、日本人、あるいは、他の人種や民族も罹患したとなれば、それは、外国への使用を想定していることとなりましょう。

新型コロナウイルスに関しては、中国政府の隠蔽体質、あるいは、虚偽の公表に対して内外からの批判が高まっております。隠蔽が感染を拡大させた元凶であるとする…。日本国政府もまた、隠蔽に伴う様々なリスクの方を重くみるべきであり、徹底した情報公開に努めるべきではないかと思うのです。

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武漢からの自国民退避措置が国内感染拡大を招かない対策を

2020年01月28日 13時02分21秒 | 国際政治

 武漢市で発生した新型コロナウイルスの拡大は止むところを知らず、中国国内では遂に感染者数が5000人に迫る勢いを見せています(もっとも、公式の数に過ぎませんが…)。日本国内でも4人目の発症者が確認されるとともに、感染者が報告された国の数も日に日に増加しています。こうした中、アメリカやフランスはいち早く武漢在住の自国民を退避させる方針を発表し、凡そ560人ほどの邦人が武漢に居住している日本国政府も、帰国希望者のためのチャーター便の派遣を準備しているそうです。

 報道によりますと、日本国政府は、空港での医師や看護師等による感染チェックを徹底するとともに、感染者、あるいは、その疑いがある帰国者以外に対しては二週間ほどの自宅待機を企業に要請するそうです。仮に帰国者に新型コロナウイルスに感染していた場合、自由な外出を認めますとスプレッダーにとなる可能性があるからなのでしょう。しかしながら、この報道で疑問に感じることは、同措置では感染拡大を防止するには不十分なのではないか、ということです。

 第一に、感染の有無を確認するには帰国者の血液採取と陽性陰性の判断を要しますが、現時点にあって、日本国政府は、確実に判定し得るウイルスの抗原検査を実施し得るのでしょうか。日本国内にあって既にコロナウイルス感染者が確認されていますので、日本国内の医療機関、あるいは、ウイルス研究所等では、既に同ウイルスを入手しているはずです(中国政府は、各国に同ウイルスに関する情報を提供しているのでしょうか…)。変異が生じやすいRNA型のウイルスとされてはいるものの、遺伝子の解析等も進んでいることでしょう。しかしながら、感染者第一号の発生から1週間足らずしか経過していませんので、凡そ560人分の新型コロナウイルス用の検査キットが用意されているとも思えません(因みにワクチンの開発製造には凡そ1年かかるとされている…)。このことは、感染の有無が曖昧なままに帰国邦人が帰宅することを意味します。

 第二の疑問は、新型コロナウイルスの感染力に対する評価が低い点です。この点については、WHOも自らの過小評価を認めていますが、潜伏期間とされる発熱や咳等の症状が出る以前の段階で人から人へと感染するそうです。飛沫感染や接触感染のみならず、空気感染もあり得ますので、自宅に閉じこもっていても感染を完全に防ぐことは困難です。何故ならば、チャーター機の乗員をはじめ、帰宅途中に接触したすべての人々に感染するリスクがありますし、自宅にあっても家族に感染した場合には、保菌者となった家族が外出した際にウイルスは拡散されるからです。通勤通学の際には公共の場にあって不特定多数の人々と接触しますし、会社員であれば職場に、そして、学校に通っているとすれば、教室にウイルスがばらまかれることとなりましょう。

 第三に、新型コロナウイルスは既に中国全土に広がっており、もはや武漢市のみの問題ではない点です。武漢市在留の邦人のみを帰国させたとしても、完全に在外邦人の安全と健康が守られるわけではありません。中国からの全ての訪日者に対して同様の対応を取らないことには、日本国内での感染を防ぐことはできないのです。

 以上の主要な問題点を踏まえますと、武漢市からの退避措置が日本国内に新型コロナウイルスを拡散させる引き金となるリスクが見えてきます。否、変異しやすい性質を有する同ウイルスは、中国人とは遺伝子や体質の異なる日本人への感染によりさらに毒性を増し、感染者は、無意識であれ国内においてスーパースプレッダーともなりかねないのです。こうしたリスクがある限り、政府は、中国との間の人の往来を全面的な止めると共に(全世界は、中国自体を封鎖すべきかもしれない…)、武漢からの退避者については、たとえ症状が確認されなくとも、チャーター便から直接に病院に搬送し、感染の有無が確認されるまでの間、一時的な隔離措置をとるべきかもしれません。閣議決定により新型コロナウイルスは指定感染症に指定されましたので強制入院も可能なはずです(施行日は2月上旬とされていますが、帰国者も同措置には納得するのでは…)。

何れにいたしましても、日本国政府は、武漢のみならず中国にあって帰国を希望する全邦人の退避の実現に全力を尽くすとともに、日本国内での感染拡大を何としても阻止すべきではないかと思うのです。


武漢市民500万人逃避説は何を語るのか

2020年01月27日 14時16分48秒 | 国際政治

 中国のメディアによりますと、新型コロナウイルスが猛威をふるう武漢市では、既に500万人の市民が武漢市を離れたそうです。武漢市長の談として報じられたのですが、仮にこの数字が事実であれば、中国という国家は崩壊寸前にあるのかもしれません。

 このように考える理由は、第一に、習近平国家主席が強制隔離措置をとったにも拘わらず、その指令がほとんど実行されていない現実を表しているからです。500万人ともなれば、人口1100万人を数える武漢市ではその凡そ半数に上ります。国家のトップによる大号令を無視して市民が我先にと逃げ出したのですから、中国政府による地方自治体、並びに、国民に対する統制が緩み、制御不能状態に至っている証ともなりましょう。全体主義体制にあっては、組織上の指揮命令系統の崩れは国家体制の崩壊を招きかねません。

 第一に関連して第二に指摘し得るのは、習主席のメンツが潰れ、その権威が失墜する点です。これまで、同主席は権謀術数を駆使してライバルを粛清しつつ自らへの権力集中を進め、‘建国の父’である毛沢東をモデルに個人独裁の体制樹立を目指して邁進してきました。同主席の権威を絶対化で体制を固めてきたものの、その命令が無視される事態が起きたとなりますと、中国国民の感情も変わってきます。すなわち、武漢市民のみならず、全中国国民が同主席の命令には素直に従わなくなる可能性があるのです。

 もっとも、仮に習主席の強制封鎖以前に既に500万人の市民が武漢市から退避していた可能性もありますが、それでも、市民の半数が逃げ出すまで国は何も手を打たなかったことになり、習主席に対する責任追及は否が応でも高まることでしょう(もっとも、報道によりますと、中国政府は、地方自治体に責任を押し付けたいらしい…)。

 そして、凡そ500万人が市から脱出しているとすれば、親族であれ、知人であれ、中国国内の何れかにおいて500万人の武漢市民が受け入れられていることになります。このことは、中国政府は新型コロナウイルスの拡散経路を完全には把握し得ず、保菌者である可能性のある武漢市民が全国に散らばっている可能性を示唆しています。もっとも、スマートフォンに搭載されているGPS機能によって、当局は移動先を把握できるはずです。しかしながら、市民の多くは、封鎖中に当局の目を逃れて‘密航’を試みているわけですから、スマートフォンを自宅に置いたまま携帯せずに移動しているのかもしれません。仮に後者であれば、最先端のITを活用した徹底した国民監視体制は、危機に際しては国民の生存本能が働いて無力化することを示唆しています。

 以上に、500万人逃避説が事実であった場合の展開を予測してみましたが、本当に市の人口の半数が市から逃げ出すことはできたのでしょうか。ここで考えてみるべきは、同説の信憑性です。仮に500万人が短期間で一斉に移動したとすれば、人、あるいは、自動車の流れは(鉄道等の大量輸送型の交通機関は閉鎖…)、上空の人工衛星が撮影した映像から分析し得るはずです。武漢から市外への通じる道路は渋滞となりましょうし、徒歩での逃避行ともなれば、あたかも戦地から逃れる難民のような人の列が続くはずです。果たして、このような映像は存在するのでしょうか(あるいは、中国政府、あるいは、地方自治体が意図的に保菌者である可能性のある500万人を全国に拡散?)。

 中国発の公表数字は常々上方にも下方にも桁が違う傾向にありますので、実際には50万人かもしれませんし、5万人であるのかもしれません(お金とコネのある人は、その力で脱出できるとも…)。その一方で、他所への移動ではないとすれば、この数字からは別の恐ろしい光景が浮かんできます。それは、武漢市の人口が半減しているという…。武漢市にあって人通りがまばらで閑散としているのは、感染を恐れて自宅に閉じこもっている、あるいは、既に市民の半数に感染が広がっており、全員を病院で治療することができないために自宅で療養しているのかもしれません。もちろん、500万人とは言わないまでも、中には武漢を脱出した市民もおりましょう。そして、推測されうる最悪の事態とは、文字通りに人口が半減してしまっている状態です(極めて高い死亡率…)。
 
 中国国内で発生した事件は、昔も今も深い霧によって視界が遮られており、外部から正確な状況を把握することは困難です。とは申しますものの、断片的な情報を集めて繋ぎ合わせ、その裏の真意や意図を読み取ろうとすれば、自ずと真実に近づくことができるかもしれません。武漢市長の500万人逃避説は、今後の中国の行方を予測させる重要な情報となる共に、何らかのメッセージが込められているようにも思えるのです。


新型コロナウイルスは生物兵器用の人工ウイルス?

2020年01月26日 12時24分37秒 | 国際政治

 中国の武漢を震源地として爆発的な広がりを見せている新型コロナウイルス。メディアの多くは、武漢の海鮮市場で取引されていた野生動物からの感染と報じています。ところが、驚くべきことに、同ウイルスは、1979年から建設が始まり、2017年1月には中国国家承認機関からバイオセフティーレベル4の認定を受けた中国科学院武漢ウイルス研究所微生物毒種保存センターから何らかの原因で流出したものではないか、という疑惑が浮上してきているのです。

 この疑惑、武漢の新型肺炎の病毒に関する5つの事実として香港でツウィートされた科学的な分析によれば、フェイクニュースの部類とみなして無視することはできないように思えます。5つの事実とは、(1)人から人への感染、(2)2018年に南京軍事科学院が発表した船山コウモリウイルスと類似(3)船山コウモリウイルスは人に感染しない(4)自然的な突然変異では必ずE蛋白質が変化する(5)武漢のウイルスではE蛋白質に変化はない(100%船山コウモリウイルスと一致)というものです。つまり、この5つの事実は、極めて科学的、かつ、論理的に、武漢の新型コロナウイルスが、船山コウモリウイルスを人に感染するように遺伝子操作した人工ウイルスであるとする結論に導いているのです。

 そこで同研究所についてネット上で調べますと、2017年にバイオセーフティーレベル4を認定された際の、中国科学アカデミーのジョージ・ガオ氏へのインタヴュー記事を紹介するサイトを発見しました。同氏によれば、研究計画の中には、SARSの原因となったコロナウイルスも含まれるそうです。また、中国の新華社通信は、武漢の新型コロナウイルスの自然宿主はコウモリである公算が高いとも報じています。武漢には、コロナウイルスを研究対象とする機関が存在しており、‘武漢ウイルス’が人工ウイルスであり、かつ、船山コウモリウイルス(おそらく中国固有種では…)に遺伝子操作を加えたものであるならば、その出処は、同研究所以外にはあり得ないこととなりましょう。

 同研究所の表向きの顔は、ジョージ・ガオ氏も説明するように‘新しい感染病の予防と制御’なのでしょう。しかしながら、5つの事実の(2)では、船山コウモリウイルスの発見は南京軍事科学院によるものとしています。このことは、ウイルスの研究が軍事目的で行われている可能性を示しており、武漢の研究所は、同軍事科学院からウイルスを入手した、あるいは、人民解放軍から委託を受けたのかもしれません。そして、自然界にあっては人には感染しないウイルスを、人から人へと感染するように敢えて遺伝子に操作を加えたとしますと、その真の目的は、生物化学兵器としての利用以外にはあり得ないのです(善意の疫病対策であるならば、全く必要のない改変…)。思い起こしますに、同ウイルスの感染が報じられるようになった頃、感染者の病状の体験談として、手足が動かず脱力状態に陥ったとする報告がありました。仮に、敵国兵士に対する使用を想定しているとすれば、この病状も説明できます(ネット上の動画では感染者がバタンと地面に倒れ込むケースが多い…)。相手兵士の戦闘能力を奪うからです。また、完全防備の体制で患者の治療に当たっていたはずの医師や看護師等も感染していることから、敵方の防御システムをも破ろうとする攻撃性も伺えます。そして、この一件は、中国が生物毒素兵器禁止条約に違反し、既に生物兵器を保有している実態をも露わにしているのです。

 ウイルスの流出原因については、そもそもセーフティーレベル4の認定は中国国内の認証機関によるものですので、同研究所の管理体制そのものが杜撰であったのかもしれません。また、ウイルスに感染している実験用の動物が外部に逃げ出した、あるいは、実験に使った動物を研究所の職員が海鮮市場に持ち込んで売り払った…といった憶測も飛び交っているようです。さらには、中国政府、あるいは、人民解放軍が中国の一般国民を生物兵器の実験に使ったとか、ウイルスをばら撒いたのはアメリカである(船山コウモリウイルスの変種であればこの可能性は低い…)…といった陰謀論も見られます。

 何れにしましても、最も警戒すべきは、新型コロナウイルスは、生物兵器用に人工的に造られたが故に一般のウイルスとは違う特異な性質を有する可能性です。つまり、通常のコロナウイルスよりも遥かに感染力が強く、もしかしますと公表されているよりも死亡率も高いかもしれず、さらには短期間で変異を繰り返す可能性すら否定はできません。日本国政府は、今般の感染阻止に際しては、通常の検疫体制の強化のみならず、生物兵器の専門家、並びに、自衛隊の対生物化学兵器の専門とする部門の協力をも要請する必要もあるかもしれません。中国人観光客、あるいは、中国人の来日は、それが意図的ではないにせよ、事実上、‘中国側による日本国内のおける生物化学兵器の使用’になりかねないのですから。
 

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新型コロナウイルスの災禍が示す‘知らされない怖さ’

2020年01月25日 15時58分21秒 | 国際政治

 中国と言えばIT先進国として知られ、スマートフォンの普及率も日本国を上回っているそうです。都市部であれば凡そ100%とされ、スマホ決済も浸透し、人々の日常生活にとりましても欠かせないツールとなっています。新型コロナウイルスの発生現地となった武漢市でも市民の大半がスマホを保有していることでしょう。

 ITとはインフォメーション・テクノロジー(Information Technology)の略語ですので、本来であれば、IT大国である中国では、様々な情報があらゆる垣根を越えて行き交い、人々が自由に自らの欲する情報にアクセスし、そして、コミュニケーションをはかることができる社会が実現するはずでした。ところが、武漢を発生源地として全世界的な拡大を見せている新型コロナウイルスは、中国の現実が、情報化社会の理想とは真逆であることを示しているように思えます。

 当初より、中国におけるスマートフォンの高い普及率は、中国政府による‘国策’であると指摘されてきました。国民一人一人にスマートフォンを携帯させることで公私にわたるあらゆるデータを収集し、国民を徹底監視下に置くことが、一党独裁体制を維持したい中国共産党の真の目的であるとされているのです。1000万都市とされる武漢市でも、市民はスマートフォンを所持しているでしょうから、感染者に関する個人データも当局が既に入手していることでしょう(もっとも、国民各自のデータ管理が北京で一元化されている場合、武漢市には情報がない…)。

 先端的なITを利用して政府が国民の個人情報までをも独占的に入手する一方で、国民の側の情報空間はどうなのでしょうか。強制封鎖の状態にある武漢市では、ネット上に動画等の情報がアップされているものの、一般市民には真偽の判断は難しく、中にはフェイクニュースも交じっているようです(‘風説の流布’は放置状態…)。また、武漢市に在住する邦人の現地報告によりますと、同市の置かれている現状を正しく把握するのに必要となる信頼し得る情報には乏しく、その情報の少なさに不安を感じるそうです。習近平主席が情報隠蔽を禁じつつも全ての情報が包み隠さずに公開されているわけではなく、当局によって相当に厳しい情報統制がなされている様子が伺えるのです。つまり、中国は世界最先端の情報化社会を称しながらも、一般の国民は、自らに必要となる情報については入手することも、アクセスすることもできないのです。

 ここに、全体主義国家の情報空間における著しい非対称性を見出すことができます。それは、国家による情報の独占と国民の側の情報の欠乏です。そして、この‘情報格差’こそが、暴力にも増して、国家が国民を支配する有効な手段ともなり得るのでしょう。正しい情報から疎外された国民は、そもそも判断材料がないのですから、情報に基づいて自らの頭で的確に判断することはでず、国民は、情報を独占する国家の判断に従うしかなくなるからです。つまり、情報の独占は、国家が国民から思考、言論、行動等のあらゆる自由、あるいは、能動的な自発性を知らず知らずのうちに奪う手段でもあるのです。

 仮に、新型コロナウイルスの発生時から、政府当局が武漢の市民に対して正しい情報を提供していたならば、これ程までに広い範囲での感染拡大は防げたかもしれません。少なくとも、市民の多くは、春節の連休を機に国内外に出向いたり、武漢閉鎖寸前に駆け込み式に同市から脱出を図るような無謀な行動は慎んだことでしょう。市民の一人一人が自らがウイルスのキャリアーとなる可能性を自覚していれば、市民の行動も自ずと変化したはずなのです。

 ‘IT先進国’で発生した感染病の拡大は、情報化社会の到来が必ずしも一般の人々に自由な情報空間を与え、必要な情報を必要な時にもたらすものではない現実を示しています。政府によって国民が取得できる情報の量や範囲は厳格にコントロールされ、時にして国民は、情報なき暗闇に置き去りにされる場合もあるのです。今般の新型コロナウイルスの一件は、情報化社会にありながら、‘知らされない恐怖’が現実にあり得ることをも教えているように思えるのです。


新型コロナウイルスは中国の独裁体制を揺るがす?

2020年01月24日 16時00分43秒 | 国際政治

 中国の武漢を発生地とする新型コロナウイルスは、中国国内のみならず、国外にも感染の拡大を見せています。日本国内でも二人目の感染者が確認されたのですが、新型コロナウイルスは、人体のみならず中国の一党独裁体制をも揺るがすかもしれません。

 報道によりますと、中国政府が本格的に新型コロナウイルスの感染拡大防止に動き始めたのは、発生が確認されてから一か月以上が過ぎた頃です。それまでの公式の報道は、武漢市当局によるものであり、中国国内のネットでも噂され、また、海外のマスメディアが高い関心を示しつつも、中央の北京は口を閉ざしたままでした。年が明けて1月20日に至り、国のトップである習近平国家主席が徹底的な感染拡大の封じ込めを命じたため、武漢の封鎖といった前代未聞の強硬措置が採られるようになったのです。新型のウイルスは、SARSと比較して潜伏期間が9日と長く、かつ、発熱などの症状も出ないケースも報告されているため、封じ込めはより困難との指摘もあります。それにも拘わらず、初動体制があまりにもお粗末であったために、今日の危機を迎えているとも言えましょう。そして、同感染病の拡大をめぐる一連の中国政府の不手際は、同国の独裁体制が内包している幾つかの問題点を露わにしています。

 第一の問題点は、独裁体制では、トップが判断して部下に命じない限り、事態の深刻さを知りながら、誰もが自発的に対応しようとはしない点です。しばしば、独裁体制のメリットとして、上意下達による迅速なる組織的対応が挙げられています。今般の新型コロナウイルスに対策についても、習主席の‘鶴の一声’によって武漢閉鎖の強権発動がなされ、このフェーズだけを切り取りますと、独裁体制のメリットが十二分に発揮されているようにも見えます。海外メディアからのインタヴューを受けた一般市民からも‘政府が厳重なる対策を採っているから大丈夫’とする声も聞かれるほどです。

しかしながら、この一件は、逆の見方からすれば‘独裁者が何らかの対策を命じないことには国民は救われることはない’という、極めて危うい中国国民の置かれている状況を露呈してもいます。つまり、目の前に危機が迫っていても、決定権を独占している独裁者以外の人は、それが誰であっても自発的に行動することができないのです。自由主義国であれば、謎の伝染病が発生した場合、感染者が発見され次第、国の判断を待つまでもなく、地方自治体レベルや診療にあたった病院・保健所レベルにあって最善が尽くされるはずです。感染者の病棟での隔離・治療のみならず、一般市民に対しても速やかに情報を公開し、感染防止に努めるように呼び掛けたことでしょう。独裁体制には、制度においても、精神においても、人々が責任を分かち合い、自らの判断で社会を護るという姿勢に欠けているのです。

また、独裁体制では、あらゆる分野における決定権が独裁者に集中しているために、判断の基礎や材料となる情報は、正確、かつ、欠落のない完全さが要求されます。しかしながら、現実には、既に指摘があるように、自らの勤務評価が下がるようなマイナス情報は隠蔽され、独裁者の元には上がらないケースが頻発するのです。人事に関する権限も独裁者に集中していますので、下部組織のメンバーには自己保身のために情報を隠蔽する動機が強く働くからなのでしょう。かくして、独裁者による政策決定後の対応は早く、組織全体が一斉に動き出すものの、独裁体制では、その決断に至る過程において情報が不完全、かつ、歪められる可能性が高くなるのです。独裁体制に付随する第二の問題点は、情報伝達システムが機能不全に陥るリスクです。習主席は、情報隠蔽に対しては厳罰を科すと宣言していますが、一分一秒を争うような、時間との闘いとなる問題領域では、独裁者の耳に情報が届いた時には‘時すでに遅し’となる可能性も否定はできません。

第三の問題点は、二つ目として指摘した弊害とも関連するのですが、独裁者その人が、自らに上がってきた情報を握り潰してしまう、あるいは、耳を塞いでしまうリスクです。習主席がようやく対応に積極的な姿勢に転じるのは発生から既に一か月以上が経過した時点ですが、それ以前に、既に海外でも感染者が現れ、かつ、内外のメディアにあっても大々的に報じられていました。曲がりなりにも国家トップの地位にある習主席が新型コロナウイルスについて全く情報を得ていなかったとは思えません。たとえ武漢閉鎖等の大胆な措置が評価されたとしても、習主席は、対応の遅れを招いたとする国民からの批判から免れることはできないのです(もちろん、言論統制により、政府批判は封じ込めようとするのでしょうが…)。

以上に述べてきましたように、新型コロナウイルスの感染拡大は、中国の共産党一党独裁体制の制度的な欠陥を明らかにすることなりました。あるいは、同ウイルスがダメージを与えた最も重い感染者こそ、習主席、あるいは、中国共産党であったのではないかと思うのです。


‘資本主義’の変化が移民問題を解決する?

2020年01月23日 13時53分55秒 | 国際経済

毎年、この時期にスイスで開かれているダボス会議は、グローバリズムの全盛期に比べれば陰りが見えるとはいえ、その後の各国の経済政策をも方向づける絶大な影響力で知られています。先鋭的なグローバリストが集う総本山のようなイメージがあるのですが、今年の会議では、トランプ米大統領も顔を出したためか、‘資本主義’の見直しが重要なテーマとして位置づけられていたそうです。

 ダボス会議で提起された‘資本主義’の見直し論とは、株主の利益を最優先する株主至上主義から脱し、従業員、取引先、地域社会といった他のステークホルダーの利益をも考慮しようというものです。この方針は、昨年の8月に、アメリカの経営者団体であるビジネス・ラウンドテーブルで示された企業の行動規範とも一致しており、株主至上主義の見直しは時代の潮流でもあります。批判を浴びてきたグローバリズムの問題点は、株主至上主義にその主因が求められるからです。そして、資本主義の見直しは、格差拡大に並ぶもう一つの問題を解決する可能性を秘めているように思えます。それは、イギリスではEU離脱を招き、アメリカではトランプ政権を誕生させた移民問題です。

従来型の株主至上主義では、‘人’とは、単なる労働力に過ぎず、国境を越えた労働力の移動は、事業利益を最大化するための有効な手段でした。低賃金でも働く外国人労働者を大量に雇用すれば、人件費の大幅な削減に繋がるからです。アメリカ最大の社会問題とされてきた人種差別問題も、元を辿れば、大航海時代の到来とともにグローバルに奴隷を売買できるようになった奴隷商人達の利益第一の事業方針に求めることができましょう。この結果、移民を受け入れた国に深刻な社会問題が発生しようとも、外国人労働者への代替によって失業率が上がろうとも、外国人犯罪者の増加や外国の犯罪シンジゲートの上陸で治安が悪化しようとも、そして、外国人やその家族に対する生活支援等のために相当額の予算を要しようとも、企業側はお構いなしであったのです。むしろ、外国人労働者の受け入れに伴う負の部分については、国や地方自治体、そして地域の住民たちにその責任を押し付け、その解決や緩和策も丸投げしようとしてきたとも言えましょう。あたかも、それがグローバル時代における当然のことのように…。

一方、今般の見直しでは、地域社会といった企業が活動する場で生活している一般の人々をもステークホルダーと見なしています。このスタンスからすれば、コストのみを判断基準とした労働力の移動も同時に見直されるべきかもしれません。何故ならば、外国人の増加によって社会的変化や財政的な負担を一方的に強いられる地域の住民、あるいは、国民こそ、企業の経営判断によって多大な影響を受けるステークホルダーに他ならないからです。アメリカの人種差別問題のみならず、ヨーロッパにおいても古くはユダヤ問題から新しきはイスラム過激派によるテロ事件に至るまで、利益を求めた結果としての人の移動は、世界各地に解決困難な社会問題をもたらしてきました(もちろん、すっかりと同化した事例もありますが…)。ミャンマーのロヒンギャ問題なども根は同じであり、従来の‘資本主義’は、民族の違いや人々の心理に対して無神経、かつ、無頓着過ぎたのではないかと思うのです。否、現地社会に対する破壊的な影響を十分に理解しながらも、利益を優先させるために政治やメディアをも背後から動かし、教育方針や世論を誘導するなど、様々な手段を用いて地域の人々に順応、あるいは、変化の受容を強要しようとしたのかもしれません。

‘人は生まれた場所から絶対に移動すべきではない’とは申しているわけではないのですが、人とはモノとは違い、自らの意思と行動の能力を有するとともに、集団的な属性としての政治性、社会性、そして文化性をも宿しています。唯物論に立脚した共産主義もまた‘資本主義’以上に人を人とも思わぬ冷酷さがあるのですが、‘資本主義’が株主以外の人々をモノ扱いした結果として移民問題が発生したのであるならば(経済的な理由以外には、人が他の国に移住する動機はそう多くはない…)、最も解決、あるいは、緩和を期待し得る方策とは、企業がより人の多面性を尊重し、移民反対を訴える人々を‘ポピュリズム’の一言で一刀両断に切り捨てることなく、地域の人々や国民の声にも素直に耳を傾けることではなのではないかと思うのです。つまり、国境を越えた人の移動については、受け入れ側となる国家や国民の側の権利をも尊重し、より抑制的であるべきなのではないでしょうか。

 


携帯基地局は国が保有しては?

2020年01月22日 15時09分52秒 | 日本政治

 自由主義経済とはいえ、全ての事業が民営化に適しているとは言えず、公共性が高く、国民の生活や経済活動に必要不可欠となるインフラ等の分野では、国が関わる方が望ましい場合もあります。今日、ネット社会とも称され、多くの国民がスマートフォン等の携帯電話を使用していますが、情報・通信分野についても、その事業形態について官民の線引きの観点から見直しを行ってもみることも無駄ではないように思えます。

 

 昨日、1月21日付の日経新聞の朝刊一面には、‘5G全国整備への新制度’と題した記事が掲載されておりました。その内容を簡単に纏めてみますと、5Gの整備には4Gよりも数多くの基地局の設置を要するため、2024年を目度として利用者から整備費として負担金を徴収する新制度を発足さるというものです。詳細が煮詰まっているわけではないようなのですが、全国民にサービスを提供するためには、採算性の合わない地方にもサービスを提供している民間事業者に対して財政上の補助を与える必要がある、ということなのでしょう。

 

 民間の事業者にしますと赤字分が国費から補填されるのですから歓迎すべきことなのですが、その一方で、負担金は数円程度とはいえ、国民の側からしますと必ずしも諸手を挙げて喜ぶべきニュースではないのかもしれません。何故ならば、民間事業者が黒字となる採算地域では自らの収益とする一方で、不採算地域については国民に赤字分を転嫁する構図となるからです。もっとも同様の交付金制度は2002年に固定電話の回線を対象に導入されており、同電話回線を保有するNTT東日本と西日本が交付対象となっているそうです。

 

 こうした国と民間通信会社との曖昧な関係は、1985年の日本電信電話公社の民営化の時点に遡ります。同公社を分割するに際し、当時の政府は、全国を対象に事業を行ってきた公社を東西に分割する地域分割方式を採用しました。事業範囲を地域ごとに分ける手法は国鉄民営化とも共通していますが、電話回線の設備の所有権は、後身となるNTTが引き継ぐこととなったのです。このため、第二電電や日本テレコムといった新規参入組は、同回線を利用する形で事業を開始しています。

 

 ところが、携帯電話の登場は、NTTにインフラ保有者としての立場を失わせます。サービス提供に際して不可欠となる通信設備、すなわち、基地局の設置は、通信各社がそれぞれ個別に担うこととなったからです(因みに、ソフトバンクは、国鉄民営化の際に分離された鉄道通信事業会社を買収することで基地局の基盤を手に入れた…)。もっとも、基地局の設置には多額の設備投資が必要になりますので、誰もが事業に参入できるわけではありません。日本国の通信事業者が3社による寡占状態に至ったのも、全国をカバーする通信ネットワークの構築という高い壁が立ちはだかっているからです(この点、事実上の参入制限があるので、自由競争とは言えない…)。楽天にあって予定通りの携帯事業参入が危ぶまれているのも、基地局敷設に手間取っているからともされていますし、KDDIとソフトバンクの2社は、G5導入のための基地局新設について協力するとも報じられています。このような状況にあっては、G5の整備を進めたい政府も公的支援を行わざるを得ないのです(交付金制度の導入の他にも支援策を予定している…)。

 

 以上に通信事業の現状について述べてきましたが、ここから見えてくる問題点とは、(1)特定の民間一社のみがインフラ施設を保有する形態は、公平な競争の観点からすれば必ずしも望ましくないこと(もちろん、施設保有事業者には公平な施設の開放が法律で義務付けられているのですが…)、(2)通信事業といった公共サービス事業には、全国一律のサービス、すなわち、ユニバーサル・サービスを提供するためには公的支援を要すること、(3)民間事業者が基地局を個別に設置するスタイルは、施設の重複も見られ非効率であること、(4)基地局敷設のコストが新規参入の障壁となっていること、(5)5Gの先に6Gやさらにその先のより高度な量子通信システムの導入を展望した場合(これらの次世代通信システムについては必ずしも安全性が確認されているわけではないのですが…)、その莫大な新システム導入費を民間事業者では負担しきれない可能性があること…などです。もう一つ付け加えるとすれば、民間任せでは国家の安全保障が考慮されず、コスト面からファウェイなど安価な中国製品を購入するリスクがあることも重大な問題点と言えましょう。

 

 それでは、これらの諸問題は、どのようにすれば解決されるのでしょうか。一つのアイディアとしては、インフラとしての基地局のネットワークを国の保有とする案が考えられます。この場合、事業そのものを公営化するわけではありませんので(もっとも、民営化しても競争のメカニズムが働かず、国際基準からしても通信料金が割高な現状からすれば、国民は、事業そのものの公営化をも支持するかもしれない…)、政府が通信各社から既存の基地局についてはその所有権のみを適正な対価を支払って譲り受け、新たに新設する場合には、国家予算から建設費が拠出されることとなりましょう。あるいは、通信各社が資金を拠出し、基地局の開設とメンテナンスを担う共同事業体を設立するという案もあるかもしれません。もっとも、後者の案では、新規参入のハードルを下げる効果には乏しいのですが…。何れにしましても、デジタル時代を迎えた今日、通信事業とは、データの収集ともかかわる重要な位置を占めていますので、官民の線引きについて原点に返った議論があってもよいのではないかと思うのです。


不公平なヘイトスピーチ規制の問題

2020年01月21日 15時31分48秒 | 日本政治

 ヘイトスピーチについては、今般の川崎市におけるヘイトスピーチ条例の制定により、再度、人々の関心を引くようになりました。川崎市にあって、敢えて刑罰を科す条例を制定したのは、2016年に国家レベルで成立したヘイトスピーチ規制法には満足していないヘイトスピーチ規制促進派の人々が地方自治体をターゲットに積極的な‘ロビー活動’を展開した結果なのかもしれません。

 

川崎市議会では法案可決に漕ぎつけたものの、ネットのみならずメディアでも批判意見が散見され、国内世論は必ずしも支持一辺倒ではないようです。主要な批判点の一つは、ヘイトスピーチ規制法と同様に、川崎市が定めた条例でも、ヘイトスピーチの対象が外国人に限定されている点です。法であれ条例であれ、日本国民がヘイトスピーチを行った場合には取り締まりの対象とされる一方で、日本国民に対してヘイトスピーチを行った外国人に対しては‘お咎めなし’です。‘これでは差別解消を名目とした逆差別の容認となり、不公平である’と批判されているのです。

 

しかも、この問題をさらに複雑にしているのが、川崎市の条例制定の背景としてしばしば指摘されている同市における在日コリアンの存在です。ここに二つ目の欺瞞を見出すことができます。それは、ヘイトスピーチ条例は、普遍的な人権尊重の文脈における人種・民族差別の禁止を名目としながら、その実、在日コリアンという特定の民族を対象としているらしいのです。少なくとも、条例制定に向けて積極的に動く‘実行部隊’となったのは、同民族の団体であったことは容易に推測されます。

 

在日コリアンの主張とは、おそらく、‘日本国は歴史的に朝鮮半島を植民地支配し、その過程で多くの朝鮮人が日本国に強制的に移住させられたのだから、自らの存在は日本側の責任である。それ故に、日本人は、自分たちを侮辱したり、追い出すようなヘイトスピーチをしてはならない’というものなのでしょう。ところが、強制連行説は事実の反証を受けて既に説得力を失っていますし、今日では、土地の不法占拠や殺害を含め、戦後における在日コリアンによる日本人に対する犯罪の数々は誰もが知るところとなりました。また、出身国である韓国や北朝鮮を見れば、政府が率先して日本国に対してヘイトスピーチを行い、韓国国民の多くも、日本人に対して激しいヘイトスピーチを浴びせ続けています。被害者の立場がヘイトスピーチを正当化できるならば、被害者側にある日本国、並びに、日本人にもヘイトスピーチが許されることとなりましょう。朝鮮半島の南北共に反日政策を半ば国是としていえるからこそ、ヘイトスピーチ規制に対する一般日本人の不公平感は高まるばかりとなるのです。

 

ヘイトスピーチ規制をめぐって日本国内が混乱するのも、本音と建前が食い違っているからに他なりません。人種・民族差別の禁止という普遍的な価値を掲げながら、真の目的が日本国内の在日コリアンの擁護にあるからです。たとえ日本人対する著しい加害行為があったとしても…。このため、普遍性・公平性からすれば日本人も在日コリアンと同様に保護されるべきところがその対象から外されると同時に、普遍性に照らせば在日コリアンにもヘイトスピーチ規制がかけられるべきところが、在日コリアンには、むしろヘイトスピーチを受けない特権が与えられているのです。日本国民の多くがヘイトスピーチ規制に対して不満を抱くのは至極当然のことであり、本音を隠した規制の導入は、百があって一利なしともなりかねないのです。

 

ヘイトスピーチ規制の‘本音’が在日コリアンの擁護にあるとしますと、今という時期に、再びヘイトスピーチ規制が強化の方向で動き出した理由も見えてきます。‘実動部隊’の思惑は別としても、同条例の制定は、自公連立政権による事実上の移民政策とリンケージしているように思えるからです。普遍的な人種・民族差別の禁止も、在日コリアンの人権擁護も規制強化のための表向きの理由に過ぎず、その真の目的は、日本人を含む人類一般でも外国人でもなく、海外に出自を有する移民の保護にあると考えられるのです。

 

その‘本音’においてヘイトスピーチ規制が移民保護であるならば、むしろ、警戒すべきはヘイトスピーチ規制を根拠とした政治的な議論封じです。何故ならば、中国が国防動員法を制定している現状に鑑みますと、日本国内に居住する凡そ200万人とされる中国人の国外退去措置等はあり得る措置となりましょう。また、朝鮮半島の南北両国とも、日本国を半ば‘敵国’と認定していますので、在日コリアンにも両国の対人主権が及びます。因みに、国際法である難民条約にあっても、外国人の追放は国家の安全や公の秩序を理由とする場合には許されています。さらには、仮にAI等の普及により人手不足が解消された場合、外国人の在留資格をどのようにすべきか、といった問題も自由に議論すべき政治的課題と言えましょう。

 

ヘイトスピーチ規制については普遍的人権保護からの要請という建前論を止め、移民保護政策であることを認めた上で、ヘイトスピーチ規制の限界こそ論じられるべきなのではないでしょうか。正面から論じたほうが、言論の自由を損なうことも、また、偽善による不公平感をもたらすこともなく、様々な危機や事態に対応し得るより現実的な政策に繋げることができるのではないかと思うのです。


川崎市ヘイトスピーチ条例に潜むもう一つのリスク

2020年01月20日 15時11分50秒 | 日本政治

 昨年の12月12日、川崎市では、罰金最高50万円を科すヘイトスピーチ禁止条例が可決されました。同条例は、ヘイトスピーチに対して刑事罰を定めた最初の事例ともなったため、全国的な関心を集めることとなったのです。国レベルであれ、自治体レベルであれ、ヘイトスピーチに関する法律や条例の制定に際しては、常々、言論の自由を損ねるリスクや外国人に対するヘイトスピーチのみが取り締まりの対象となる逆差別の問題が指摘されてきました。論点は多岐に及ぶのですが、ここでは、川崎市のヘイトスピーチ条例に潜むもう一つのリスクについて述べてみたいと思います。

 

 もう一つのリスクは、川崎市の条例には、地方自治体が制定する条例でありながら、国レベルの法律には存在しない刑事罰が設けられているところに潜んでいます。何故、地方自治体が刑事罰を設けることが問題となるのかと申しますと、国家を枠組みとした刑法の一元性が損なわれてしまうからです。日本国は、アメリカ合衆国のような連邦制の国家ではありませんので、刑法の制定や改正等に関する権限は地方自治体ではなく国家にあります。これまで、一般的には国家の排他的な権限として見なされてきたのですが、今般制定された川崎市の条例は、国家レベルの法律、並びに、刑法の枠を超えています。2016年に成立したヘイトスピーチ規制法には刑事罰の規定は設けられていませんので、いわば、地方自治体が、条例によって新たな刑事罰を創設したに等しいのです。この点に注目しますと、幾つかの論点が提起されます。

 

最も基本的な論点は、刑法、あるいは、刑事罰に関する地方自治体の権限の有無です。この問題は、今般の条例制定に際して全く論じられていないのですが、地方自治体が国家レベルの法律には規定のない刑事罰を創設することができるとすれば、ヘイトスピーチ以外の分野にあっても新たな刑事罰を設けることができることになります。例えば、アメリカでは州によっては麻薬が解禁されていますが、地方自治体が条例によって刑法に反する行為を合法化することはできるのか、という問題が提起され得るのです。

 

第二の論点は、仮に地方自治体にも刑罰を創設する権限があるとすれば、その限界です。連邦制では、連邦レベルにおいてすべての州が守るべき最低限度を定め、それ以上については州の裁量に任せるといった方法が採られる場合があります。日本国では、地方自治体の条例の内容は法律や憲法との間に整合性を保つ必要性があるものの、今般のケースのように地方自治体が新たに刑罰を設ける、あるいは、より厳格な規定を設ける場合についての議論は等閑にされています。このため、仮に、地方自治体が憲法や法律に反する条例を定めた場合には、事後的には、憲法訴訟や行政訴訟が起こされる可能性もないわけではありません。

 

第三の論点として指摘できるのは、地方自治体には、国家のレベルを下回る刑罰を設けることができるのか、という点です。川崎市のケースでは、刑事罰というより重いペナルティが科されたのですが、地方自治体に刑事罰に関する権限があるとすれば、逆に刑法等の法律で定めた刑罰をより軽くすることもできるということになりましょう。

 

さらに第四の論点を挙げるとすれば、地方自治体のどのレベルにおいてこうした権限が認められるのか、という問題です。今般のケースでは、川崎市、すなわち、市のレベルにおいて条例が制定されましたが、市のレベルで認められるならば当然に都道府県レベルでも可能となりますし、区や村町といったよりも小さな自治体レベルにおいても刑罰条項を有する条例の制定が試みられるかもしれません。

 

川崎市が制定した条例の罰則規定は、刑事罰ではなく行政罰であるのかもしれませんが(マスメディアでは刑事罰と説明している…)、日本国の法秩序への影響について何らの議論もなく、地方自治体レベルで刑事罰を含む条例が制定される現状は憂うるべきかもしれません。川崎市の一例が、日本国の法秩序を壊しかねないのですから。このように考えますと、様々な問題を積み残した川崎市によるヘイトスピーチ条例の制定は、やはり拙速であったように思うのです。


怪しい武漢の新型肺炎患者数

2020年01月19日 13時51分14秒 | 国際政治

 武漢市の当局の発表によると、新型コロナウイルスに感染した患者は、19日現在で62人を数えるそうです。当局によれば、新型肺炎の発症は武漢市に限定されているそうですが、香港メディアは、上海と深圳にあっても3人が感染している疑いがあるとしています。

 

 新型肺炎の感染拡大については中国国内におけるパンデミックの発生の有無に関心が集まっていますが、つい先日、日本国内の神奈川県(横浜中華街?)でも同型の肺炎の感染者が確認されています。同感染者は、武漢に渡航した中国人男性であり、同肺炎に感染していた父親との接触が感染ルートとして報じられました。日本国内での感染確認は、既に新型コロナウイルスが中国国内に留まることなく、国外にも拡散している現状を示しているのです。

 

 仮に、武漢市の当局が説明したように患者数が僅か62人であったとすれば、日本国内で確認された感染者はその内の一人であったことになるのですが、このケース、感染確率が高すぎるようにも思えます。高熱といった特有の症状が現れる前の潜伏期間であった可能性もあるものの、罹患者である父親は外部と遮断された隔離病棟に移されることもなく、自宅、あるいは、一般病棟で自由に親族や知人と面会できたことになります。このことは、同型のウイルスの感染力は報じられているよりも遥かに高く、また、武漢市の衛生当局による感染拡大防止策が杜撰であることを示唆しているとも言えましょう。

 

 感染者確認の報に接した一般の日本国民の多くは、当然に武漢市が発表した62人の数字に疑いを抱くのですが、イギリスのロンドン大学の調査によれば、実際の感染者巣は1700人以上にも上るそうです。この数字は、患者数を一人一人数えたのではなく、中国国外の患者数、並びに、空港の利用者数に基づいて算出した推計です。つまり、日本国内で発見された感染者の他にも、他の諸国にあって同型の肺炎を発症した人が多数存在しているらしいのです。患者数が1700人以上であれば、日本国内での感染例も頷けます。死亡者数も同様に、当局の発表とは一桁も二桁も違うかもしれません。

 

 仮に、既に1700人を超える勢いで感染が拡大しているとすれば、既にパンデミックの初期段階に差し掛かっているとも言えるのですが、それでは、何故、武漢当局は、偽の情報を内外に向けて発信しているのでしょうか。この人為的な偽情報の拡散は、新型コロナウイルスよりも悪質であるかもしれません。何故ならば、感染者数の少なさやウイルスの感染力の弱さは他の諸国を油断させ、水際での防止体制を緩めてしまう危険があるからです。

 

新型コロナウイルスが国外拡散を阻止する意思が中国にあれば、意図的に低めに設定した数字を公表することなく、まずは、自国からの出国者に対する検査の強化、既に感染している患者の隔離、発症前に患者に接触した人々に対する外出や面会禁止等に努めるはずです。徹底したスマホによる国民監視体制を敷いている中国では、個人を特定した自由主義国よりも効果的な対応もできるはずなのです。それにも拘わらず、中国当局が、偽情報を流しつつ、WHOの加盟国としての拡散防止義務を怠っているとすれば、その無責任な態度は、未必の故意、あるいは、‘生物テロ’を疑われても致し方ないレベルなのではないでしょうか。

 

  年間1000万人に迫る勢いで伸びている訪日中国人観光客の数を考慮しますと、最も深刻な新型コロナウイルスの脅威にさらされている国は、日本国かもしれません。仮に中国でパンデミックが発生すれば、即、日本国内にも波及する可能性が高くなるからです。今日では、首都圏のみならず、全国津々浦々の地方空港でも中国人観光客の呼び込みに積極的です。折しも、中国では24日から国民の大移動を伴う春節が始まりますので、日本国内に居住する200万ともされる中国人の多くも中国に一時帰国するかもしれませんし、春節の休暇を楽しむために訪日する中国人観光客も増えることが予測されるのです。中国の当局が、偽情報を発信する理由の一つには、あるいは観光業への影響への配慮もあるのかもしれません(もっとも、中国人観光客の減少で経済的な損失が中国側にあるとすれば、この事業は、日本側よりも中国側のメリットのほうが大きいのでは…)。

 

  何れにしましても、少なくとも日本国政府は、新型コロナウイルスについては既に1700人以上が感染している感染力の強い肺炎であって、死亡率もかなり高いことを前提とし、中国人の入国規制も含めた対策を早急に実施すべきなのではないでしょうか(特に武漢等からの渡航者…)。中国の当局が放置しているとすれば、日本国内におけるパンデミックを防ぐことができるのは、日本国政府以外には存在しないのですから。


オランダ東インド会社と明治という時代

2020年01月18日 12時59分23秒 | 日本政治

 およそ400年にわたる江戸時代にあって、日本国は、海外との通商はオランダと中国に限定し、日本人の海外渡航と居住を禁じる鎖国政策を行ってきました。このため、海外に居住する日本人が江戸時代に存在したいたことはほとんど忘れられています。僅かに名が知られているのは、江戸初期にタイのアユタヤ朝に日本人傭兵隊長として仕え、高位高官の位に上り詰めた山田長政ぐらいですが(同国のチャオプラヤー川に関する通行税の徴収権を得ていたらしい…)、ベトナム、マレー半島、カンボジア、フィリピンなど東南アジア各地に建設されていたとされる日本人町は、やがて現地に溶け込むように消滅していったとされています。

 

 日本人が傭兵として雇われたのは、戦乱の世で磨かれたその戦闘能力の高さが評価されたからなのですが、日本人を雇ったのは、国家のみではありません。1623年に起きたアンボイナ事件の発端がイギリス東インド会社側に雇われていた七蔵に対するスパイ容疑であったように、各国の東インド会社もまた、日本人を自らの傭兵として雇っていたのです。そして、昨日、本ブログで紹介いたしました永積昭氏の『オランダ東インド会社』によれば、オランダ東インド会社の拠点であったバタヴィアにも日本人が居住していたと記しています(ただし、同調査は岩生成一氏による…)。当時のバタヴィアは、東南アジア系のスンダ人、アンボン人、ブギ人、マカッサル人、マライ人島の他に、アジア系の中国人を筆頭に日本人やモール人(ムガール人、あるいは、モンゴル人?)も居住するグローバル化を先取りするような多民族都市であったのです。

 

それでは、オランダ東インド会社は、どのようにして多民族都市と化していたバタヴィアを統治していたのでしょうか。オランダ東インド会社が採った方法とは、今日の社会学の用語で表現するならば、‘サラダ・ボール政策’でした。各民族の枠組みを残しつつそれぞれのコミュニティーに自治権を与える共生政策であり、特に団結心が強かった中国人と日本人に対しては、オランダ東インド会社の総督が‘民族の首長’を‘カピタン’として任命していたとされます。そして、ここで目を引くのは1632年頃にカピタンに任命されていた日本人の名です。大阪出身とされるその人物の名は、楠市右衛門というのです。

 

楠という氏姓にはっとする方も少なくないのではないかと思います。楠と申しますと、まず先に脳裏に浮かぶのは、14世紀にあって後醍醐天皇に仕えた南朝方の忠臣、楠木正成です(楠木は『太平記』では楠と記している…)。出身地は大阪ですので、楠木正成と同じく河内の国を出自としています。血縁関係は定かではなく、単なる偶然なのかもしれませんが、この名に歴史の謎を解く鍵が隠されているようにも思えるのです。

 

 明治天皇は、系図にあっては北朝系の孝明天皇の嫡嗣でありながら、明治政府は、南朝正統論を採っています。忠臣の鏡として教科書等でも取り上げられ、いわば国民的なヒーローに祀り上げられています(明治政府からは正一位を追贈されている…)。明治政府の南朝正統論は皇統と矛盾しているとしばしば指摘され、不可解な謎とされてきましたが、仮に、オランダ東インド会社も背後にあって明治維新に関わっていたとしますと、バタヴィアの楠市右衛門こそが、この謎を解くキーパーソンである可能性も否定はできないのです。

 

楠市右衛門の存在は、様々な想像を掻き立てます。市右衛門は、戦国期にあってバタヴィアに渡ったのではなく、あるいは、湊川の合戦での南朝方の敗北の後、海外に逃れた楠木正成その人、あるいは、その嫡流の子孫のそのまた子孫であるのかもしれません(正成の首が六条河原に晒された際に偽首が噂されている…)。日本人の海外渡航が禁止されたのは江戸期に至ってのことですし、楠木正成はゲリラ戦を得意とした‘悪党’ですので、何らかの人脈や手段を用いれば海外に逃げることもできたはずです。明治天皇自身にも南朝出自説が存在するのですが、明治維新と南朝との関係は、あるいは、海外においてこそ接点を見出すことができるかもしれないのです。果たして、歴史の事実は、どこにあるのでしょうか。


イギリスとイスラムとの不思議な関係

2020年01月17日 13時24分34秒 | 国際政治

 日本国内では、キリスト教、ユダヤ教、並びに、イスラム教の三者は相互に対立しているとするイメージが定着しています。キリスト教とイスラム教との敵対的なイメージは十字軍の遠征に依るところが大きく、いわば、この時代から時間の流れが止まり、関係性が固定化されている観があります。また、キリスト教系の国家であるアメリカやイギリスの後ろ盾の下で建国されたユダヤ人国家イスラエルが、アラブ諸国との間で激しい中東戦争を戦い、今なお、スラム国家のイランがイスラエルを攻撃対象としていることは、ユダヤ教対イスラム教の対立構図のイメージ形成に寄与しています。そして、よく知られているように、キリスト教国では、ユダヤ人が迫害されてきた歴史もありました。

 

過去であれ、現在であれ、一般の日本人の目からしますとキリスト教とイスラム教、そして、ユダヤ教とイスラム教は三つ巴を成しつつ相互に敵対しているように見えるのです。しかしながら、これらの三つの宗教の関係は、人々が信じているほどには対立一辺倒ではないかもしません。とりわけ、イギリスの歴史を見ますと、大変、三者の関係における興味深い側面が見えてきます。本日の記事では、ある書物の一文を読み解いてみたいと思います。

 

その一文とは、永積昭氏による『オランダ東インド会社』(講談社学術文庫、2000年、142頁)に記されているインドネシアのジャワ島にあったマタラム王国に関する記述です。そこには、「この頃(1640年頃)、バンテンの王がメッカからスルタンの称号と旗を贈られたことが、マタラムを大いに刺激し、ジェパラ港にほそぼそと商館を営んでいるイギリス人を仲立ちとして、メッカから称号を受けた」と記されており、当時のマタラム王(スルタン・アグン)が、1641年にイスラム教国の君主の称号であるスルタンを正式に名乗るに至った経緯を説明しています。

 

短いながらもこの一文から当時の国際情勢の様々な知られざる一面を読み取ることができます。(1)メッカ、おそらく、当時メッカを支配していたのはオスマン帝国なので、イスラム教世界の最高権威者であるカリフには、直接的には統治権は及ばないとしても、海外諸国に対してスルタンの称号を与える権限があった、(2)当時の東南アジアにあってスルタンの称号獲得は、内外に対する国王の権威を高めた、(3)スルタン・アグンはオランダ東インド会社と激しく対立しており、それ故に、同国のライバルであったイギリス人(イギリス東インド会社?)に接近した、(4)イギリス(イギリス東インド会社)は、メッカとの間に人脈があった(ユダヤ系国際ネットワーク?)、(5)1641年はまさに清教徒革命の前夜に当たるので、東インド会社は、英国王から自立した‘独自外交’を展開していた可能性がある…などなど。

 

今後、精緻な検証を要するのでしょうが、同一文からは、17世紀中葉にあって、キリスト教諸国、ユダヤ人、そして、イスラム世界が複雑に絡まりあいながら歴史が展開しており、利害関係が一致した場合、時にしてこれら3者、もしくは、3者のうちの2者が協力関係にあった様子が伺えます。イギリス東インド会社の得意技は貿易で得た潤沢な資金力で君主を篭絡させることにあったそうですので(後に、ジョサイア・チャイルドがその本領を発揮…)、推測されるのは、イギリス、あるいは、ユダヤ人脈を内包したイギリス東インド会社がオスマントルコ帝国に取り入り、オスマントルコ帝国は、その権威を以って東南アジア諸国にまでイスラムの威光を広げ(イギリスも同帝国の権威を利用…)、東南アジア諸国は、イスラムの権威を自らの統治の正当化に役立て、東インド会社もこれらの諸国で利権を獲得する、といったように(もっとも、同地域のイスラム諸国も、最終的には完全に植民地化されるのですが…)…。

 

イギリスのジョンソン首相は、オスマントルコ帝国宰相の血を引いているとされていますが、イギリスとイスラムとの関係は単純ではありません(13世紀にあって、ジョン王はイスラムへの改宗を試みましたし、その交渉にあたった当時の外交官にはユダヤ系、あるいは、イスラム系も存在したらしい…)。三つの宗教の関係は対立構図という固定概念からでは見えない部分にこそ光を当てるべきですし、グローバル時代と称される今日こそ、東インド会社の歴史に注目すべきかもしれないと思うのです。