万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

憲法第9条2項問題が問う日本国の主権

2018年01月31日 16時29分58秒 | 日本政治
【衆院予算委員会】安倍首相「9条2項変えたらフルスペックの集団的自衛権が可能になる」 2項削除に否定的見解 
 日本国憲法9条改正について、安倍首相は、2項削除案には否定的な見解を示しております。しかしながら、その説明を聞きますと、幾つかの疑問が湧いてきます。

 首相が第2項削除に対して消極的な理由とは、「書き込み方でフルスペックの集団的自衛権」が可能となるというものです。言い換えますと、日本国の集団的自衛権には制限を付すべきと言うことになります。ところが、国連憲章第51条には、個別的自衛権のみならず、集団的自衛権をも国家の当然の権利として認めています。ここから、日本国は、何故、他の加盟国とは異なり、同権限に特別の制限を設けなければならないのか、という問題が提起されるのです。

 集団的自衛権とは、国家の根幹に関わる極めて重要な権限ですので、主権的権限の一つと見なし得ます。とりわけ、一国の軍事力だけによる自国の防衛が困難となってきた今日では、その重要性は増すばかりです。中国が軍事大国として台頭する中、日本国だけ、同盟政策に関わる重要な同権限に制限を付すとすれば、それは、暗雲の垂れ込める現在の国際情勢ではなく、70余年前の過去、即ち、第二次世界大戦のおける敗北に根拠を求めざるを得ません。

 しかしながら、国際法においては、たとえ敗戦国と雖も、講和条約締結後にあっては、“フルスペックの主権”を回復するものです。日本国も、1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約の発効を以って独立した主権国家として国際社会に復帰しており、これ以降においては、一般の諸国と同等の権利を有しています。ですから、主権が不完全であった占領期に制定された日本国憲法を今般改正するとすれば、それは、国際法に国内法を合せる、即ち、集団的自衛権を含めた“フルスペックの主権”の回復をおいて他にないはずなのです。

 こうした視点から見ますと、首相の説明は、未来永劫にわたって日本国が第二次世界大戦時の敗北によるペナルティーを背負い、主権を制限された二等国としての地位に甘んじるべきと述べているように聞こえます。古来、戦争に負けた国の国民は奴隷、あるいは、二等市民とされたものですが、現代という時代にあって、こうした不条理を認めるかのようです。

 仮に自国の防衛や安全保障上の権限に制約を課すならば、国際スタンダードに沿った内容であるべきであり、それは、ドイツやイタリア等の憲法と同様に行動規範としての“侵略戦争の禁止”で十分なのではないでしょうか。権限よりも目的に制約を課す方が、国際社会で共有された平和の実現(国際社会の治安維持)という目的には効果的です。この憲法上の制約があれば、集団的自衛権についても、同盟国が侵略を目的に戦争を行う場合には行使できなくなりますので(国際法上も、集団的自衛権はその名称が示すように防衛目的にしか使えない…)、改憲反対勢力の批判をかわすこともできましょう。日本国は、独立した主権国家である以上、少なくとも、“戦力”や“交戦権”といった国家の主権的権限、及び、国際社会の一員として当然に備えるべき組織や権限までをも否定する文言は、日本国憲法に残すべきではないと思うのです。

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北朝鮮による対イスラエルサイバー攻撃は何を意味するのか?

2018年01月30日 16時03分49秒 | 国際政治
北朝鮮ハッカー集団、「サイバー防衛強国」イスラエル電力公社狙う インフラ攻撃「強化演習」
北朝鮮の脅威は、核やミサイルの開発には留まらないようです。報道によりますと、北朝鮮のハッカー集団が、イスラエル電力公社(IEC)に対して相当規模のサイバー攻撃を仕掛けていたことが判明したそうです。

 実質的な被害は発生していないものの、専門家の見解によると、北朝鮮のハッカー集団は「発電や送電のシステムに誤作動を起こすマルウェアを作り出す能力が高い」とのことです。朝鮮半島における緊張が高まった昨年頃から北朝鮮によるハッカー攻撃が増加していることから、おそらく、開戦を想定した日米等の電力インフラの破壊が目的ではないかと推測されていますが、この攻撃から、北朝鮮の対外戦略の一端が垣間見えます。

 第一に、北朝鮮は、イスラエルと対峙するイランをはじめとした中東諸国の戦列に加わっている点を挙げることができます。報道記事では、イスラエルを攻撃対象に選んだ理由として、長期的に中東地域からのサイバー攻撃に晒されてきた同公社の高い防御能力に鑑みて、自国の技術を試す一種の演習場として利用したとする見解が紹介されていました。イスラエルに対するサイバー攻撃を実行に移すに先立って、北朝鮮は、これらの友好国から何らかの関連情報を得ていた可能性があります。

 第二に、敢えて攻撃対象として電力公社が狙われたところから、仮に開戦となった場合には、相手国の電力インフラの破壊が戦力低下に効果的な手段であると北朝鮮が認識している点です。特に瞬時に大量のデータ解析を要するミサイル防衛システムや次世代型のハイテク兵器では莫大な電力を要するものが多く、サイバー攻撃で送り込んだマルウェアを起動させることで、電力供給を切断し、相手国の軍事行動を麻痺させることができます。軍事力では劣位する北朝鮮は、それを埋め合わせるべく、相手国の電力インフラ破壊能力において優位に立とうとしているのでしょう。

 第三として、ハッカー能力の向上により、北朝鮮が、日米のみならず、他の諸国に対する“脅迫手段”、あるいは、“攻撃手段”としても利用できると目論んでいる可能性を指摘することができます。しかも、核やミサイル開発・保持とは異なり、サイバー攻撃技術については、国際法の適用に関する議論や対策は緒に就いたばかりです。北朝鮮は、規制の網のかからない分野において、他の諸国に一歩先んじた高度技術を、逸早く手中に収めようとしているのです。

 以上の諸点から、サイバー攻撃技術は、核弾頭の小型やアメリカ本土に到達するICBMの開発と並んで、達成すべき第三の重要目標に位置付けられているものと推測されます。電子パルス弾の可能性の浮上に際しても議論となりましたが、攻撃対象とされる日本国も、北朝鮮によるインフラ破壊に備え、防御技術の開発を急ぐべきです。それにいたしましても、核、ミサイル、サイバーの何れの分野におきましても、北朝鮮の独自技術による単独開発とは思えず、その背景に、友好国、あるいは、何らかの国際組織の暗躍が疑われるのです。

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横綱白鵬問題と国際情勢

2018年01月29日 15時20分09秒 | 国際政治
元横綱日馬富士関が貴ノ岩関を暴行した事件に関連し、横綱白鵬関の行動にも疑問が寄せられるようになりました。角界で発生したこの問題、今日の国際情勢との間に共通点が見受けられます。

 それは、“ルール破りは強い”という、当然でありながら目を逸らされがちな事実です。白鵬関は、貴ノ岩関暴行事件のみならず、お相撲の取り口についても批判を浴びています。八百長の噂も絶えないのですが、白鵬関が多用する張り手やかち上げの技は、“横綱たるものが使ってはならない”とする伝統的な慣習があるからです。

しかも、近年の力士の巨体化に伴い、これらの技は、相手方に傷害を与えかねない危険性も指摘されております。ボクシングやアメフト等の頭部への打撃リスクを伴うスポーツでは、選手は頭を衝撃から守るための保護ヘルメットを装着していますが、土俵上の力士には、こうしたプロテクターはありません。張り手やかち上げは、一時的な脳震盪のみならず、相手力士に長期的な後遺症を残しかねないのです。

危険な技を禁じる横綱相撲の仕来りは、横綱ほどの力自慢が、自らより弱い相手に使えば、相手を負傷させる恐れがあることを、多くの人々が深く認識していたからなのでしょう。“強きは弱きを無闇に打ちのめしてはならない”とする強者に求められる自己抑制の慣習は、日本人、並びに、日本国の美徳であり、正々堂々と戦うことを誓うスポーツマンシップの精神とも共通します。

週刊誌などは、白鵬関が特注したサポーターは半ば凶器であるとも指摘しており、掟破りに加えて、素手で戦う力士の中で‘武器もどき’まで持ち込むのでは、白鳳関の40回の優勝という前人未到の偉業にも首を傾げざるを得ません。モンゴルでは、おそらく、“強きは弱きに何をしても構わない”、あるいは、“手段を選ばず勝てばよし”とする価値観があるのでしょう。白鳳関は、横綱の地位にあるからこそ、不当な手段も特権的に使えると考えたのかもしれません。白鳳問題は異文化間の衝突とされるのも、両国の間には、埋めがたい価値観の違いがあるからです。

翻って国際社会を見ますと、白鵬関は、国際ルールを無視して軍事的拡張主義を邁進する中国の姿と重なります。仮に、中国が、紳士協定をも含めて国際ルールを誠実に守り、姑息な手段を用いていなければ、同国が、南シナ海を軍事拠点化することもなければ、周辺諸国のみならず、全世界を軍事力で脅すこともなかったことでしょう。中国は、国際社会におけるルール破りによって軍事強国として伸し上がってきたと言っても過言ではないのです。

張り手やかち上げが封じられた途端、白鵬関は、平幕の力士にも負けるほど弱体化してしまいました。国際社会は、中国に対しても、ルール破りを封じる一手を考案するべきではないかと思うのです。

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南シナ海問題を置き去りにすることなかれ―中国支配の構造化の前兆?

2018年01月28日 16時17分49秒 | 国際政治
日中外相、関係改善へ会談=東シナ海や対北朝鮮協議
報道に拠りますと、今月27日から28日にかけて中国を訪問していた河野外相は中国の王毅外相と会談し、日中首脳の往来の調整、東シナ海問題についての協議、並びに、北朝鮮問題における連携などが確認されたそうです。日中関係改善の兆しとして好意的な報道が多いのですが、この三つの確認事項を見る限り、中国の狡猾な戦略に絡め取られそうな気配がいたします。

 実のところ、両国間の確認事項には、中国問題の核心とも言える重大な問題が含まれておりません。それは、南シナ海問題です。常設仲裁裁判所の判決を無視した南シナ海問題こそ、日本国は直接の当事国ではないにせよ、国際社会における法の支配の確立を目指す日本国と、自国中心の華夷秩序の構築を狙う中国とが、国際秩序を支える価値と原則において決定的に対立する問題領域なのです。

 仮に、中国側が、対日関係改善の条件として、南シナ海問題を議題にすることを拒んだとしますと、その時点で、日本国側は、中国に対して大幅な譲歩したことになります。否、日中間の関係改善を優先するばかりに、国際法秩序の崩壊を容認するとなりますと、日本国政府は、優先順位を間違えたとしか言いようがありません。日本国は、第二次世界大戦後の国際法秩序構築の意義を認め(主権平等と民族自決の原則の下における法秩序の形成という方向性…)、連合国による東京裁判を甘受したのですから、国際社会の無法化の容認は戦後の出発点を自ら否定することにもなりましょう。

 こうした懸念に対しては、上述した両国間の首脳会談が実現すれば、将来的には議題に上げることができるとする反論もありましょうが、たとえ今後、両国首脳間の相互訪問が実現したとしても、中国ペースで議題が選別されるのでは、首脳会談の意味するところは、日本国政府に対して、中国、否、独裁者と化した習近平国家主席からその意向が伝達される機会の提供に過ぎなくなります。首脳会談において、双方があらゆる問題を提起し、自由に忌憚なく意見を述べ合うとは思えず、中国共産党の官僚主義からすれば、両政府間で事前に調整された筋書き通りに会談が進行することになるでしょう。仮に、日本国側が、事前に南シナ海問題を含めるように要請したとしても、中国側は、首脳会談のキャンセルも辞さない態度で、ヒステリックな拒絶反応を示すと予測されるのです。

 そもそも首脳会談とは独裁者向きの外交手法であり、権力基盤を固めたい習主席にとりましては、外交権を含む対外政策権限の独占を内外に示すチャンスともなり得ます。因みに、アメリカをはじめとする自由諸国との間では、こうした首脳会談の制度化は試みられていません。議題の選択に限らず、中国に主導権を握られた形での日中関係の改善は、華夷秩序の路線に沿った中国支配の国際レベルにおける構造化という意味において、日本国のみならず、国際社会にとりましても極めて危険なように思えるのです。

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日中関係改善と公明党―法輪功の逆パターンか?

2018年01月27日 16時20分54秒 | 日本政治
急速な軍拡により、中国の軍事的脅威が高まる中、日本国の政界では、何故か、日中関係改善を唱える声が響いています。自民党の二階幹事長の働きかけも然ることながら、公明党の日中関係改善に対する積極的姿勢も目立っております。

 自民・公明両党による連立政権は、自民党が保守政党と見なされているために、保守政権のイメージがありますが、現実には、必ずしも保守層の期待に沿う政策を進めているわけではありません。日中改善はその最たる事例であり、真の保守であれば、自国の安全が脅かされる場合には、相手国に対する警戒を強めこそすれ、迂闊に関係改善に動くはずはありません。しかも、相手国が無法国家である以上、両国間の関係改善は、日本国の一方的対中譲歩、並びに、国際法秩序崩壊の是認をも意味します。

 かくも危険な相手国でありながら安倍政権が日中関係改善を口にする背景には、政権内部にあって連立相手の公明党からの強い要望が推測されます。それでは、何故、公明党は野党にも優って親中派なのでしょうか。推測される理由とは、公明党、あるいは、その支持母体である創価学会が、法輪功の逆パターンであることです。

 創価学会とは、日蓮宗の信徒衆が設けていた講に始まるとされており、その起源においては、中国との関係は希薄です。否、日蓮が蒙古襲来を機に布教に努めた歴史を考慮しますと、外敵に対しては厳しい立場にあったはずです。しかしながら、今日の創価学会は、幹部にも信者にも外国出身者が少なくないとされ、日本国の一般保守層とは重ならない立ち位置にあります。中国の王毅外相は、創価大学に留学していた経歴の持ち主ですが、同氏が反日政策の急先鋒であることは、創価学会の体質をも如実に表しています。

 常識的に考えれば、日本国に留学していながら王毅外相が親日派ではないことは訝しいお話なのですが、逆に、創価学会こそが、中国共産党、あるいは、その国際的な母体の支部であると考えれば、この謎は解けるように思えます。中国は、法輪功を、国内にあって民主化や自由化を国民に広め、一党独裁の体制を崩壊させる“危険分子”と見なし、厳しい取り締まりを実施していますが、その一方で、中国自身は、日本国内において自らの政策方針に忠実に協力する宗教団体を組織している可能性があるからです。何時の頃からか、創価学会は、海外勢力に乗っ取られたのではないでしょうか(恐らく、池田大作氏が“教祖”として支配的地位を固めた時点では…)。

 宗教団体が政治権力を行使する行為は、日本国憲法に定めた政教分離の原則に反するのですが、マスメディアも口を噤み、公明党が既成事実化している現実は不可解でもあります。憲法第9条については、あれほど違憲論が、かしがましいにも拘わらず…。日中関係の改善が日本国の属国化を招くリスクがある以上、日本国民、そして、国際社会も、公明党の真の姿を見極める必要があるのではないでしょうか。

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警戒すべき平昌五輪テロ

2018年01月26日 16時42分55秒 | 日本政治
オリンピックとは、全世界の諸国が集う“平和の祭典”ですが、必ずしも平和裏に閉会式を迎えるわけではありません。1972年9月にドイツのミュンヘンで開催された大会では、「黒い九月事件」と称されたテロ事件が発生しています。

 同事件は、中東におけるパレスチナ紛争を背景としており、パレスチナのテロ組織であった「黒い九月」によってイスラエルの選手等が人質に取られ、11名が死亡しました。オリンピックは、テロリストが自らの存在を全世界にアピールし、人々に恐怖心を植え付ける格好の舞台として利用されたのです。同事件は、国際的なテロ協力が実現する契機ともなりましたが、この事例は、朝鮮半島有事が囁かれる中での開催となる平昌大会においてもテロが起き得ることを示唆しています。

 テロへの懸念は、韓国の文大統領が対北融和政策の一環として北朝鮮を同大会に自ら招き入れたことにより、さらに強まっています。そして、テロリストの標的となる可能性が最も高いのは日本国なのではないかと思うのです。アメリカは、言わずもがな北朝鮮の主敵であり、トランプ大統領は、昨年11月に、既に北朝鮮をテロ支援国家に再指定しています。しかしながら、アメリカ選手団等にテロ行為を行えば、即、開戦となりかねませんので、たとえ計画はあったとしても、北朝鮮が対米テロを実行に移す可能性は比較的低いかもしれません。

 一方、日本国は、核・ミサイル問題に加えて拉致事件等もあり、積極的に対北制裁を実施して圧力を強めていますが、その対立関係は、朝鮮戦争を戦ったアメリカのように直接的ではありません。加えて、朝鮮半島の南北両国は、韓国併合の歴史から反日政策において足並みを揃えており、日本国はいわば“共通の敵”です。しかも、五輪開催地の韓国では、日本国の初代首相を務めた伊藤博文を暗殺した安重根が英雄視されるなど、対日テロに対して“寛容”な国柄でもあります。また、日本国による統治時代において、最初に結成された抗日団体の名称が「暗殺団」であったのも気がかりなところなのです。

 北朝鮮では、目下、高度な技術を備えたテロ部隊が訓練されているでしょうし、競技に参加する選手のみならず、派遣される大規模な応援団や芸術団等、あるいは、観客にもテロリストを潜ませている可能性もあります。韓国でも、2015年にリッパート駐韓米国大使が危うく暗殺されかけた事件も発生しており、韓国のテロ対策は十分とは思えません(特に日本人に対しては警備が手薄になるかもしれない…)。平昌オリンピックに際しては、日本国の選手や役員のみならず、政治家や一般の観戦者も十分にテロを警戒する必要があるのではないでしょうか。

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安倍首相の平昌五輪開会式出席は“危険な賭け”

2018年01月25日 15時03分13秒 | 日本政治
自民党内では反対論が噴出したもの、マスメディアの報道ぶりからしますと、安倍首相の平昌五輪開会式への出席は本決まりの模様です。しかしながら、今日の日韓関係からしますと、首相の出席は、日韓関係を決定的に悪化させるリスクを孕んでいるように思えます。

 米韓同盟の当事国でありながら、韓国の文政権の外交的な軸足は対北融和に置かれていることは、最近の突出した親北政策の推進ぶりからも窺えます。平昌五輪が“南北共同開催”の様相を呈するのも、五輪開催が同国の政策プロセスに組み込まれたからであり、その主たる目的が、中国の路線に沿う形での、北朝鮮問題の“話し合い解決”への誘導であることは疑いなきことです。北朝鮮の核・ミサイルの放棄の実現は二の次である韓国にとりましては、本心では、対日政策として北朝鮮の核保有を望んでいる可能性を指摘することもできます(将来的には自国の核保有を意味するため…)。五輪という華々しい国際舞台で南北融和の既成事実を造り、それを内外にアピールすることで既定路線化することこそ重要なのでしょう。

 ただし、韓国側がこのシナリオを実現するためには、北朝鮮の協力を得ることが必要不可欠です。この条件を満たすためには、同国は、日米に対して敵対関係にある北朝鮮の立場に同調する必要があります。軍事大国の中国が韓国の融和政策を支持しているとしますと、なおさらのことでしょう。国内的にも、韓国国民の不満に応えるべく、日韓慰安婦合意の不履行を表明しておりますので、現時点にあって、文政権が支持率低下に繋がる親日政策に舵を切るとは思えないのです。

昨年のトランプ米大統領の訪韓にあっては、想像を絶する“底意地の悪い”反日接待を見せつけた文政権のことですから、安倍首相の訪韓を手ぐすねを引いて待っているかもしれません。中国や北朝鮮を喜ばせ、日本国を侮辱する絶好のチャンスとして…。反日パフォーマンスは、韓国では、支持率の低下に悩む政権にとりましては回復を約束する万能薬でもあり、北朝鮮に対する文政権の大幅譲歩に対する韓国国民の反発を打ち消す効果も期待できるのです。

一方、このように韓国側の政治状況や思惑を想定いたしますと、安倍首相の平昌五輪開会式の出席は、政治的なリスクに他なりません。何故ならば、“日韓慰安婦合意の履行を強く求める”と意気込んで訪韓しても、韓国側が素直にこの要望に応じる可能性は極めて薄いからです。にべもなく拒絶された上に、冷遇されたのでは、もとより首相出席に反対であった日本国民のみならず、多くの国民がいたく失望することでしょう。安倍首相は自民党の総裁の3選を目指しておりますが、平昌五輪開会式の出席は、支持率の急落をも招きかねない“危険な賭け”となるのではないでしょうか。

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安倍首相平昌五輪開会式出席は誰の意向?

2018年01月24日 15時59分09秒 | 日本政治
「間違ったメッセージ」「支持率下がる」安倍晋三首相の平昌五輪出席に自民党内から反対論続出 官邸に見送り申し入れも
 先日発表された各社の世論調査によると、韓国の文大統領が示した日韓慰安婦合意に関する新たな方針に対して、何れも80%を越える圧倒的多数の人々が否定的な回答を寄せています。その一方で、首相の平昌五輪開会式への出席については、賛成が反対を上回るという不可解な調査結果も見られます。後者の結果についてはいささか信憑性を疑うのですが、出席に難色を示してきた安倍首相も、“事情が許せば”という条件付きながら、開会式に出席する意向を表明したと報じられております。

 日本国の首相の開会式出席は、慰安婦問題関する最交渉の糸口を探っている韓国にとりましては、“渡りに船”となる可能性が高く、実際に、両国による首脳会談も調整中なそうです。首相自身は、文大統領との会談の席では慰安婦合意の確実な履行を求めるとしていますが、韓国側が首相の出席表明に歓迎の意を示しているところを見ますと、文大統領としては、日本国側の譲歩を期待しているのでしょう。あるいは、少なくとも国内向けには、日本国の首相の出席を、文政権による外交的勝利として宣伝したいところなのかもしれません。

 それでは、安倍首相は、何故、欠席から出席へと翻意したのでしょうか。その背景としては、自民公明両党の幹事長の動きに注目する必要がありそうです。両幹事長は、昨年末に中国を訪問しており、習近平国家主席とも会見しております。同主席は、対米戦略や北朝鮮情勢、並びに、一帯一路構想の推進を睨んで、は日本国との関係改善に取り組む方が得策であると判断したとされ、中・北・韓連合を前提とした日米離反、並びに、対北融和政策への誘導の画策は当然に予測され得ます。この文脈から推測しますと、日中関係における両幹事長の役割とは中国側の意向を日本国側に伝えるメッセンジャーであり、中国は、安倍首相に対して幹事長ルートを介して働き掛けたのかもしれません。

 その手始めが平昌五輪開会式への出席であり、韓国に対しては、THAAD配備等をめぐる制裁の意味を込めて自国の首脳出席は見送るものの、日本国に対しては首脳の出席を求めることで、慰安婦問題で日本国から譲歩を得たい韓国に対して便宜を図ると共に、日本国をも中・北・韓連合への参加の方向へと巧みに誘ったのかもしれません。平昌五輪開会式への安倍首相出席は、アメリカが反中政策に明確に転換したことで対米関係が冷却し、かつ、国際社会において警戒感が高まっている中国にとりましては一石二鳥なのです。因みに、首相の方針転換に先立って、二階・井上両幹事長は、平昌五輪開会式への首相出席を要望したと報じられています。

 この件については、既に自民党内でも、韓国に誤ったメッセージを送る、あるいは、国民の支持を失うとして異論が噴出しているそうです。韓国との話し合いが無駄であることは、既に慰安婦合意で証明されていながら、日韓首脳会談の意義を説いても、国民からしますと、過去の失敗の繰り返しにしか見えません。しかも、上述したようにその背後に中国等の勢力が蠢いているとしますと、ここは、否が応でも平昌五輪開会式への首相の出席は、慎重にならざるを得ないのではないかと思うのです。

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日中国交正常化20周年の天皇訪中―対中融和のリスク

2018年01月23日 15時37分50秒 | 日本政治
河野外相、今月27〜28日に訪中へ…就任後初
 昨日、年頭に当たり、安倍首相は、国会において施政方針演説を行いました。NHKの解説に依れば、日中関係の改善が主要項目として挙げられておりましたが、実際に、河野外相が1月下旬に、次いで谷内正太郎国家安全保障局長も2月下旬に中国を訪問する予定とのことです。

 日中国交正常化40周年を迎える今年、両国首脳の相互訪問を実現し、冷却化していた日中関係を本格的に改善したい安倍政権の意向の現れとされていますが、この件について思い起こされるのは、日中国交正常化20周年に当たる1992年10月の天皇訪中の一件です。当時、中国は、1989年6月4日に発生した天安門事件における政権側の苛烈な弾圧が国際的な批判を浴び、国際社会から孤立した状態にありました。改革開放路線を進もうにも各国の協力は得られず、経済発展の道も閉ざされつつあったのです。

 今となって振り返ってみますと、天皇訪中は、日中両国の国民、並びに、国際社会にとりまして善き結果をもたらしたとは思えません。なぜならば、自由・民主化や人権問題等を置き去りにして、中国を再び国際社会に招き入れ、経済発展路線を順当に歩ませる役割を果たしてしまったからです。

 一方、同訪中を肯定的に評価する人々は、中国に対する制裁解除の流れを作り、同国を救済した点、並びに、国際社会に大国中国を取り込むことに寄与した点を挙げて、賛意を示しています。しかしながらこの評価の視点はあくまでも中国政府、並びに、中国利権を期待する経済勢力のものであり、日中両国の一般国民のものでもなければ、人類の良識や良心にも一致していないのです。

 訪中当時、中国が孤立していた理由は、中国の民主化と自由化を求めて天安門広場に集まった学生に対して政府が銃口を向け、無慈悲な虐殺行為に及んだからです。その残虐性故に中国は国際社会から弾き出されたのですが、その中国を国際社会に招き入れる行為は、非人道的行為を不問に付すことを意味します。言い換えますと、中国救済とは、天安門広場に散った若者たちの命を無駄にしてしまうことに他ならなかったのです。

 この顛末から、日本国をはじめとした自由主義諸国もまた、中国共産党による一党独裁体制を許容し、抵抗運動も無駄であるとする認識を抱いた中国国民も少なくなかったことでしょう。天安門事件は、中国共産党の思惑通りに国民に対するいわば“見せしめ”となったのです。そして今日、中国政府は、天安門事件そのものをなかったことにしようとし、あらゆる手段を尽くして民主化運動も徹底的に押さえつけています。

 今なお家族の元に帰ることなく、秘かに当局によって葬られた学生が多いと聞きます。日中国交正常化20周年における天皇訪中の一件は、トップ訪問が、必ずしも善き成果を上げるわけではない現実を示しています。今般、日中首脳の相互訪問も検討されていますが、さらに強大化した中国が、なおも自国民を弾圧し続けており、かつ、軍事的野心に満ちて他国の安全をも脅かしている現状に鑑みますと、日本国政府は、20年前の失敗を繰り返してはならないと思うのです。迂闊な対中融和は、対北制裁網の弛緩を招くリスクもあるのですから。

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“トランプノミクス”に一理がある理由

2018年01月22日 16時08分08秒 | 国際政治
 ドナルド・トランプ氏が鳴り物入りでアメリカ大統領に就任してから、早、一年が経過しました。保護主義的な政策を打ち出しての登場であっただけに、グローバル企業からの風当たりも強かったのですが、懸念されたようなアメリカ経済の失速には至っていないようです。

 あらゆる国境規制を取り払うことを是とするレッセフェール的な自由貿易主義者にとっては予想外の展開となったわけですが、“トランプノミクス”には、一理あるように思えます。何故ならば、もの、サービス、お金、人、技術、情報等の国境を越えた移動を完全に自由化した場合、必ずしも全ての諸国が繁栄する共存共栄に至るとは限らないからです。しばしば自由貿易主義の理論的根拠として引き合いに出されるリカードの比較優位説も、経済力において抜きんでた地位にあった19世紀イギリスの自由貿易体制の正当化理論であり、同氏は、かのカール・マルクスと同時代に活躍した人物です。200年前と市場統合が進展する現在の経済状況は著しく違っていますし、それが喩え貿易利益に関する一面を切り出しているとしても、マイナス面まで包摂して説明しているわけではありません。

 自由貿易主義を支える経済理論が懐疑に晒される一方で、現実は、徹底したグローバリズムの行く先には、格差に沿った“都市部”や“グローバル企業”への偏った集中化を示唆しています。何れの国でも、国内には移動に関する境界が存在しないため、農村部からの人口流出による過疎化や地方経済の衰退に悩まされています。この現象は、グローバルレベルでもあり得ないわけではありません。グローバリズムは、国籍等に関係なく能力を認められた少数の人には等しくチャンスを与えますが、その他多数の人々は、廉価な労働力として扱われるか、あるいは、グローバリズムの波に乗れない‘見捨てられた人々’となるリスクが高いのです。世界大での分業の成立は、現実には国家や地域間に経済格差があり(移動は高きから低きへ…)、それに基づいて役割が決まる以上、グローバル企業の戦略上においてどの役割を担うかによってその恩恵は一律ではなく、グローバリズムの経済効果とは、全体から見れば不均等分散型なのではないでしょうか(仮に、世界レベルで完全に経済格差が収斂した場合には、移動の必要性もなくなる…)。

 このように、経済分野におけるグローバリズムの問題は、国民国家体系と抵触するが故に、社会分裂を伴う深刻な移民問題を引き起こしますが、経済面のみに注目しても、レッセフェール的なグローバリズムは、全ての諸国や人々にとりまして望ましい未来ではないように思えます。否、自由貿易原理主義が吹き荒れ、中国企業が強大化する現状にあるからこそ、弱肉強食、あるいは、相互破壊に陥らないよう、一定のルールを設ける必要があるのではないでしょうか。ルールとは、その本質において各自の自由を抑制し、かつ、全ての主体に対して保護的であることを考慮しますと、保護主義を打ち出す‘トランプノミクス’の方向性を無下には否定できないように思うのです。

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北朝鮮の五輪参加は国際社会への参加ではない

2018年01月21日 16時41分45秒 | 国際政治
【平昌五輪】IOC、北の参加認める アイホ、スキーなど3競技22人 合同行進は「コリア」、国歌代わりにアリラン
北朝鮮が平昌オリンピックへの参加に固めたことを受け、韓国大統領府は「平和五輪精神の達成に向けた重要な懸け橋になる」とし、もろ手を挙げて歓迎の意を表しているようです。

 親北派の文大統領としては、核・ミサイル問題をめぐって国際社会において孤立してきた北朝鮮の五輪参加を、平和への道、即ち、国際社会への参加の第一歩と位置付けたいようです。全世界の諸国が集うスポーツの祭典に北朝鮮も顔を揃えれば、世界平和を象徴すると期待しているのでしょう。閉会後もこの流れが維持され、あわよくば文政権の基本方針である対話路線に北朝鮮を誘い込むのが韓国側の思惑かもしれません。しかしながら、韓国側のこの思惑は、楽観的に過ぎると言わざるを得ないように思えます。

 第一に、古代ギリシャのオリンピックに遡る平和の精神とは、一時的な休戦を意味するに過ぎません。たとえ交戦状態にあっても、全てのポリス(都市国家)がオリンピックの開催期間に限っては相互に武器を置き、競技に参加したことを以って、平和の精神と呼んでいるのです。この歴史に鑑みますと、平昌オリンピックに朝鮮半島の永続的な平和を実現する効果は期待するのは、文大統領の過大な解釈です(この点は、IOCのバッハ会長も同じ…)。

 第二に、“社会”というものは、その構成員が共通のルールや価値観を共有しないことには、成立しない性質のものです。北朝鮮問題の本質とは、国際社会の行動規範から逸脱、即ち、無法をよしとする暴力主義にありますので、この国柄を変えずして国際社会に加わったのでは、反社会的組織の一般社会への参入に等しくなります。“オリンピックは参加することに意義がある”とされていますが、国際社会に脅威をもたらす暴力国家が参加しても、韓国以外の諸国は眉を顰めるのみとなりましょう。

 第三の問題点は、韓国の対北大幅譲歩は、国際的なコンセンサスに反する点です。韓国政府は、南北合同チームの結成に留まらず、北朝鮮が派遣する大規模な芸術団や応援団の受け入れをも表明しており、平昌オリンピックは、北朝鮮色に染められることでしょう。この点は、韓国国内でも、平昌オリンピックが“平壌オリンピック”に変わったと揶揄されているそうですが、そもそも同オリンピックの誘致に際して、韓国は、北朝鮮との合同開催をIOCに提案していたわけではありません。仮に、合同開催案での立候補であれば、各国の支持を集めて誘致に成功したかどうかは分からないのです。

 そして、第四に挙げられる点は、仮に、韓国が、北朝鮮から平昌オリンピックへの参加の“見返り”を求められた場合、その対応に苦慮する事態が予測されることです。おそらく、北朝鮮側は、韓国政府に対して自国に有利な方向、即ち、核・ミサイル放棄を前提としない条件下での対米関係の調整を求めることでしょう。この“見返り”は、話し合い路線を支持する中国やロシアには歓迎されますが、アメリカとの関係にあっては、米韓同盟に深刻な亀裂を生むことは必至です。中ロをバックとした韓国の対北融和策は、国際社会における対北制裁網をも弛緩させ、国際社会において暴力主義勢力を勢いづかせかねないのです。

 短期的には、韓国が開催国となる平昌オリンピックへの北朝鮮の参加は、一時的であれ、南北融和という平和を実現しているように見えます。しかしながら、長期的な視点から見ますと、その結果は逆となるのではないでしょうか。

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国際刑事裁判所への金正恩委員長告発が核・ミサイル問題に与える効果

2018年01月20日 17時00分34秒 | 国際政治
「人道への罪」で金正恩委員長を告発へ 被害者家族らが国際刑事裁判所へ申し立て
報道に拠りますと、拉致被害者、並びに、その疑いのある「特定失踪者」の家族の方々は、膠着状態にある同問題解決への圧力とすべく、国際刑事裁判所(ICC)に対して北朝鮮の金正恩委員長を「人道に対する罪」の廉で告訴する方針のようです。同告訴は、拉致事件に留まらず、核・ミサイル問題においても一定の効果を与える可能性があります。

 ICCとは、個人に対して、ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪、侵略犯罪の4つの重大な国際法上の犯罪を裁く機関として設立されています。実のところ、2016年12月19日には、国連総会において、北朝鮮において苛烈を極めている人権侵害の責任者をICCに付託して処罰するよう国連安全保障理事会に勧告する決議案が成立しています。一連の訴追に向けた動きは、国際レベルでの社会正義を実現するために、同委員長を国際法定の場で裁こうとする試みですが、訴訟手続き等を定める「国際刑事裁判所に関するローマ規定」を読みますと、そこには重大な欠落が見受けられます。

 ICCの仕組みにおける重大なる欠落とは、仮に検察官による厳正な捜査の結果、訴追が決定され、同裁判所から逮捕状や召喚状が発付されたとしても、被告人を拘束する強制力が欠けている点です。公判においても、被告人の在廷が定められていますので、被告人の身柄を拘束できない状況にあっては、有罪であっても、刑罰の言い渡しも叶わないのです。金正恩委員長のケースでは、北朝鮮では同氏をトップとする独裁体制が敷かれており、かつ、ICC規程の締約国でもありません。となりますと、ICCを以ってしても金正恩委員長に法の裁きを与え、被害者を救済することはできないかもしれないのです。

 確かにICCへの提訴には限界があるものの、全く効果が期待できないわけではありません。否、この限界の存在こそが、対北武力行使を正当化する根拠となり得るからです。現行の司法制度における強制手段の欠如は、何れかが、制度上の欠陥を補うために強制力を行使する必要性があることを示しているからです。言い換えますと、国際司法手続きを貫徹させるための武力行使は、司法制度の一般的原則に照らして是認されることとなるのです。

こうした強制手段の欠如は、ICCのみならず、国際司法裁判所等の他の国際司法機関が抱える共通の問題、課題でもあります。国際司法裁判所にあっても、同様の問題は最終的には国連安保理に付託されるとされているものの、常任理事国が拒否権を政治目的で行使すればその警察機能、並びに、司法機能は麻痺しますので、やはり法秩序を維持するための制度上の強制力が欠落していると言わざるを得ないのです。このことは、拉致問題に限らず、核・ミサイル問題においても、北朝鮮の国際法違反が問われている以上、アメリカによる軍事的解決を、単なる“戦争行為”として批判はできなくなることを意味します。法の下における平和を実現するための強制力の行使なのですから。このように考えますと、拉致問題における金正恩委員長の訴追に向けたICCへの申し立ては、アメリカの対北軍事行動の正当性を支える役割を果たすのではないかと思うのです。

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インド太平洋戦略-対中抑止目的をオープンに

2018年01月19日 11時19分08秒 | 国際政治
日豪両首脳が陸自習志野演習場視察 PAC3や輸送防護車試乗
 与党幹事長による訪中の直後となる新聞記事の中に、安倍首相の一帯一路協力の示唆と並んで、インド太平洋戦略について、“元より中国を対象としたものではない”とする説明があったと記憶しております。この際、対中排除の説明に首を傾げたのですが、中国に対する過度な配慮は、抑止効果を半減させてしまうのではないでしょうか。

 昨日、オーストラリアのターンブル首相が訪日日程を終えて帰国の途に就きましたが、これを機に日豪両国首脳はインド太平洋戦略に基づく両国間の軍事協力強化に向けて基盤造りを急いでおります。今般の訪日に関しては、報道各社とも凡そ中国の海洋進出に対する牽制の意図を隠さずに報じていますが、インド太平洋地域における最大の脅威は軍事大国化した中国おいて他にありません。一部太平洋に面してはいても地理的に遠方にあるロシアを、同戦略の主要封じ込め対象と見なすには無理があるのです(ロシアに対しては、NATOが対応している…)。

実際に、中国は、習近平体制の下、南シナ海の違法な軍事拠点化に留まらず、スリランカのハンバントタ港の長期借款による軍港化やパキスタンのダワタル湾への巨額投資など、「一帯一路構想」の実現に向けてひた走っています。表向きは互恵的な効果を謳ったインフラ投資を装いながら、その実、自国の支配圏を拡げるための軍事目的であることは、いわば“公然の秘密”です。仮に中国の行動を野放しにすれば、既にアフリカ大陸への進出が顕著なように、同国は、ユーラシア大陸を越えて全世界を自らの支配下に置こうとすることでしょう。今日、中国の留まるところを知らない拡張主義は、二度の大戦において多大なる犠牲を払って構築された戦後の国際法秩序を根底から覆すリスクを孕んでおり、平和、並びに、人類に対する重大なる脅威である点は否定のしようもないのです。

 軍事同盟とは、有事に際しては兵力の結集による量・質両面における増強効果がある一方で、平時にあっても、仮想敵国の攻撃的行動を抑え込む抑止力として働きます。日米同盟に加え、日本国がオーストラリアやインド等の諸国との間で準同盟関係の構築を目指すには合理的な根拠があるのです。万が一に備えての軍事的な対中包囲網の形成は、周辺諸国の自然、かつ、的確なリアクションであり、否、それ以外のオプションを探す方がよほど困難なのではないでしょうか。

 軍事面における対中包囲網の効果を考慮しますと、中国に対しては、正面から包囲網の存在をアピールする方がその抑止力をも高めることができるかもしれません。この際、曖昧さや保身的な妥協は、中国を増長させこそすれ、命取りともなります。耳に心地よい経済協力の口実を鵜呑みにし、“グローバリズム”をも旗印に掲げる中国の覇権主義に迂闊に同調しますと、その失うものは計り知れないのではないかと思うのです。

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起きるべくして起きたビットコイン急落-取引所は“カジノ”?

2018年01月18日 16時07分47秒 | 国際政治
ビットコイン、半値に=一時1万ドル割れ
仮想通貨ビットコインについては、かねがね投機によるバブルが懸念されておりました。今般、その価格は、僅か一か月半の間に一時一万ドルを割り、半値に急落したそうですが、その原因は、経済における同通貨取引所の空虚性にあるのではないでしょうか。

 ビットコインについては、中国や韓国など、厳格な規制が課せられている諸国があるものの、日本国を含む各国においては専門の取引所が開設されており、これらの取引所での売買が同通貨の相場を決めています。ところが、ビットコインの取引所を経済史に照らしてみますと、その存在理由は空虚と言わざるを得ません。何故ならば、通貨の取引、即ち、異なる価値を有する通貨を相互に交換する両替とは、貿易決済といった実体経済における“もの”や“サービス”等の取引に伴って必要とされる機能であるからです。広域的な銀行ネットワークが誕生する以前の時代にあっては、ヨーロッパ各地の市場には、必ずと言ってよい程、両替商が店を構えていました。通貨取引とは、通商に伴う必要性を母として生まれているのです。

 ビットコインを見ますと、その民間運営者による通貨発行が先行しており、マイニングも、実体経済上において何らかの付加価値をもたらす事業ではありません。また、その取引所は、貿易決済のために開設されているわけでもありません。況や、一部の事業者が顧客に対してビットコインによる支払いを認めるなど、決済手段としての貨幣機能が備わってきているとはいえ、その相場の不安定性から一般の消費者にまで広く普及するには至っていないのです。言い換えますと、ビットコインの取引所とは、相場上昇による売買益を狙う投機を目的とした人々が主として集う場であり(一種の“カジノ”)、実体経済からは凡そ乖離しているのです。

 経済活動上における合理的な必要性を基盤を欠く通貨の取引所は、経済メカニズムにおいても確固たる居場所を見つけることは困難です。ビットコイン急落は、起きるべくして起きているように思えるのです。

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ヘンリー王子婚約問題-国民の違和感と差別は別問題では?

2018年01月17日 16時52分43秒 | 国際政治
「黒人は醜く英王室の血を汚す」 英王子と婚約のメーガン・マークルさんに英独立党党首の恋人が差別メッセージ
イギリスのヘンリー王子とアメリカ人女優メーガン・マークル氏との婚約発表は、英国民のみならず、全世界を驚かせるニュースとして報じられました。特に人々の関心を惹いたのは、同氏の母親がスラムで育ったアフリカ系アメリカ人であったことです(両親ともユダヤ系との指摘もある…)。

 同王子の婚約にはイギリス人でも批判的な人々も少なくないのですが、こうした批判は、得てして差別として糾弾されがちです。先日も、英独立党のボルトン党首の交際相手の女性が“王室の血を汚す”とするメッセージを友人に送ったことが発覚し、人種差別主義者との批判を浴びています。この一件では、メッセージに侮蔑や中傷が含まれているために発言者に批判が集まったのですが、王室のメンバーに異質な人が加わることに対して国民一般の人々が抱く違和感や受け入れがたい感情そのものは、自然な反応である故に、人種差別として簡単に片づけることはできないように思えます。

 何れの国であれ、国籍取得に際しては言語、歴史、一般常識など、同化に関するテストを受けるものです。況してや王室ともなれば、その国の“顔”の役割をも果たしますので、一般の国民からしますと、自国を代表するに相応しい国民との絆が深い人であってほしいと願うのは自然な感情です。戦後、エリザベス女王に対する人気を支えたのは、戦時中に軍に勤務した経歴から、苦しい戦争を共に闘ったとする国民との間に“戦友意識”であったとされています。また、ヨーロッパでは、政略結婚の必要性から王族間の国際結婚は一般化していましたが、国民国家の形成過程と並行して民主主義が広まった近代以降にあっては、むしろ、王族の婚姻相手が自国民であるほうが国民からは歓迎されています。ダイアナ元皇太子妃の人気も、その容姿や伯爵家出身という高貴さに増して、イギリス出身に負うところが大きかったそうです。

 今日では、王室・皇室の婚姻は、個人の自由な選択の領域とされ、国民の意向は全く排除される状況にあります。誰もが王族・皇族になり得る時代となった反面、国民との共通性が希薄化し、両者の乖離が深まるリスクをも抱えています。一般の国民にとりましては、その存在意義は薄れる一方なのです(神聖でもなく、統治権は最早なく、血統的に高貴でもなく、歴史や伝統を背負っているわけもなく、セレブに過ぎない王室・皇室とは、一体、何なのか…)。こうした中でのヘンリー王子の婚約は、王室・皇室の存在意義に関する問題を顕在化しているように思えます。メーガン・マークル氏は、人種、民族、宗教、国籍…など、あらゆる面で一般の英国民とはかけ離れた存在であるからです。

 仮に、アフリカ諸国の世襲王室にあって、異人種・異民族・異教徒となる欧米キリスト教系の白人であり、かつ、外国籍の人が王族の一員となるケースでは、国民の間から反発の声も上がることでしょう。イスラム教国であれば、なおさらかもしれません。果たして、このヘンリー王子の逆パターンに対する国民の批判を、人種差別として批判することはできるのでしょうか。ボルトン党首の一件は、侮蔑や中傷表現が強調されたことで、かえって問題の本質が逸らされてしまったようです。ヘンリー王子の婚約は、現代という時代における王室、並びに、皇室の存在意義を改めて問い直しているように思えるのです。

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