万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

シリアと北朝鮮は運命共同体か

2013年09月17日 15時50分21秒 | 中近東
米露合意、アサド政権が体制存続へ利用(読売新聞) - goo ニュース
 シリアと北朝鮮は、武器密輸や技術協力といった軍事交流があることに加えて、共に特異な世襲独裁体制を敷いており、共通点の多い相似国家です。そして今日、両国とも、種類は違えども、どちらも国際法において禁止されている兵器をめぐって、国際社会から破棄を迫られています。

 化学兵器の使用の有無に拘わらず、シリアも北朝鮮も、非道な手段で国民を弾圧しており、人道的介入を受けても致し方ない立場にあります。本来、こうした弾圧体制は崩壊すべきなのですが、焦点は、化学兵器放棄問題に移ってしまいました。とは言うものの、ロシア提案に譲歩したとはいえ、米仏などの諸国は、軍事オプションを諦めてはいません。一先ずは、アサド政権は、化学兵器禁止条約への加盟を表明し、査察の受け入れも表明していますが、放棄の実現は危ぶまれているからです。時間を稼いでいる間に、化学兵器を隠蔽したり、査察団による十分な調査を妨害する可能性は十分にあります。虚偽の申請も、当然、あり得ることです。軍事オプションは、アサド政権による不誠実、かつ、詐術的な行為があった場合、化学兵器の破棄を確実にする最後の手段となるのです。北朝鮮の核問題を振り返りますと、軍事オプションを明確にしなかったために、結局、今日まで核放棄が実現していません。これと同じ轍を踏まないためにも、軍事オプションは捨てられないのではないかと思うのです。シリア問題において、最後に軍事介入を控えての放棄要求が実現すれば、北朝鮮に対しても、これまで以上に強く核放棄を迫ることができます。

 最低限、アサド政権に化学兵器を完全に放棄させないことには、米ロとも、国際社会からの信頼を失うことになります。シリアの化学兵器放棄が実現すれば、北朝鮮もまた、近い将来、シリアと運命を共にすることになるのではないかと思うのです。

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エジプトの混乱-権力分立なき民主主義の独裁リスク

2013年01月26日 15時40分25秒 | 中近東
現体制への怒り渦巻く=ムバラク政権打倒デモ2年―エジプト(時事通信) - goo ニュース
 2011年、エジプト国民は、長期にわたって君臨してきたムバラク政権を倒すことで、独裁体制から決別したはずでした。ところが、民主化されたにも拘わらず、新たに選出されたモルシ大統領に対して、再び国民の間から、独裁反対の声が沸き起こっています。

 民主的な体制とは、統治過程に国民が参加することができる体制を意味していますが、今日の制度においては、参政権を持つ国民が、自らの自由意思に基づいて公職に立候補したり、政治家を選ぶことに力点が置かれています。民主的選挙制度そのものは、権力の分立を定めているわけではないのです。このため、憲法において権力分立を制度化しませんと、常に、独裁に回帰する危険性があります。この状態では、集権的な独裁権力を抑制する仕組みを統治機構に組み込まない限り、何度でも独裁者が誕生するのです。つまり、独裁者の顔が入れ替わるだけであり、独裁体制そのものは、変わらないのです。このことは、民主化だけで満足してはならず、エジプトは、その先の権力分立の実現に取り組むべきことを示唆しています。権力分立が実現すれば、議会機能が強化され、国内の利害調整が円滑化されますし、独立性を保障された司法機関があれば、不当な政治介入などから国民の自由と権利が保護されます。権力分立は、民主主義と並ぶ重要な価値、すなわち、自由、法の支配、基本権の尊重といった、他の諸価値を実現するためには、不可欠な制度的な仕組みなのです。

 エジプトについては、分裂含みのアラブ諸国の実情を考慮すれば、強権的な独裁体制の方が相応しいとする意見もあります。しかしながら、アラブの春の勝利を自負するエジプト国民が、独裁体制の再来を許すとは思えず、再独裁化は、政情不安を深めるばかりです。エジプトが、真に安定した国家を築くためには、越えてゆくべき山が、もう一つ、聳えているのです。エジプト国民の勇気をもってすれば、必ずや、この山を越えてゆくものと、信じたいと思うのです。

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ムバラク前大統領―独裁者は自分の命だけは惜しい

2012年06月12日 17時51分28秒 | 中近東
「獄中で殺される」と訴え=ムバラク前大統領が弁護士に―エジプト(時事通信) - goo ニュース
 先日、裁判所から終身刑を言い渡されたエジプトのムバラク大統領。国民の多くが死刑を期待しており、この判決には不満があるとも報じられていますが、報道によりますと、”獄中で殺される”と訴えて、助けを求めているそうです。

 自らの命が風前の灯となる至って、ようやくムバラク前大統領は、”命”の尊さに気が付いたようです。独裁的な権力をふるっていた頃は、国民を虫けらのように扱い、抵抗する者の命は容赦なく奪ってきました。権力を独占し、大統領職という絶対的な安全地帯に身を置いていたからこそ、同氏は、他者の命を粗末にできたのです。当時からしますと、現在の元大統領の立場は逆転しており、裁かれる場にある今や、助命に必至であり、死の恐怖に青ざめているのです。自らが奪った命を忘れて・・・。

 ムバラク前大統領が気付いた命の尊さとは、”自分の命”という限定つきです。独裁者は、自分の命だけは惜しいのです。その一方で、エジプトの民主化に参加した多くの国民は、死を恐れずに、自らの命を独裁体制の打倒に捧げました。両者のコントラストは、独裁体制が、滅びるべくして滅びたことを示しているように思えるのです。

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シリアのアサド体制―剥がれた社会主義の化けの皮

2012年06月10日 14時03分05秒 | 中近東
露、アサド退陣容認 シリア国民の合意 条件(産経新聞) - goo ニュース
 シリアで発生した反政府運動は、当初は、アサド独裁体制に対する反乱と見なされていました。しかしながら、ここにきて、アラウィ派とシーア派の対立構図が、背後から浮かび上がってきています。

 一般的には、平等の実現を理想に掲げる以上、社会主義体制とは、全ての国民を等しく扱うはず、と信じられてきました。しかしながら、これは、先入観に過ぎず、一皮むけば、先代のアサド大統領の時代から、政権は、アラウィ派の人々によって占められていたそうなのです。シリアのアサド体制とは、1割のアラウィ派が7割のシーア派を含む多の9割を国民を支配する体制であり、政府側が、自国民を虐殺する無慈悲さもまた、宗派対立に起因しています。他の宗派に属する国民は、殺しても構わないと…。そして、反体制派もまた、体制崩壊に至るまで銃を手放さず、断固として戦い続けることでしょう。

 シリア内戦の本質が宗派対立にあるならば、これまでのアプローチでは解決するはずもありません。ロシアは、国民の合意を条件に、アサド退陣を容認する一方で、体制の維持を図ろうとしているようですが、体制維持、すなわち、少数者支配の固定化を、他の9割の国民が容認するとは思えないのです。言い換えますと、シリア国民の大多数は、自由に体制を選択できるならば、現体制には、NOを付きつけるであろう、と言うことです。

 ですから、この対立を、もし平和裏に解決しようとするならば、普通選挙の導入といった単なる民主化では足りず、民主化を前提としつつも、アラウィ派とシーア派を分離した上で連邦を形成するか、あるいは、少数派に転落するアラウィ派の保護を保障する一方で(報復の対象となる…)、長期的に宗派対立を解消していく、といった方法を取らざるを得ません。社会・共産主義では、多数派であるプロレタリアートの独裁を容認していますが、その実体が、党と一宗派の二重の意味における少数者の権力独占であったことは、シリア問題の解決を、より複雑にしていると思うのです。

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シリア国軍は国民の盾となれ

2012年06月01日 11時12分18秒 | 中近東
シリア各地で衝突、98人死亡 民間人処刑の情報も(朝日新聞) - goo ニュース
 シリアでは、アサド体制に抗議する国民に対する痛ましい虐殺が続いており、死傷者は、日に日に数を増すばかりです。調停案も破綻寸前であり、シリアの混乱は、一向に収まりそうにもありません。

 国民に銃口を向けた時点で、アサド大統領が、統治者として資格を失ったことは歴然としています。政府とは、国民を護るために存在するのですから、アサド大統領は、シリアと国民の守護者としての役割を放棄し、国家権力を私物化したのです。シリア国軍もまた、民兵組織と共に、アサド大統領の武力弾圧の手先となり、国民の命を無残にも奪っています。独裁体制を葬ったリビアでは、国軍や政府幹部の離反が相次ぎ、政権崩壊への転換点となりました。シリアにも、国軍と袂を分かった自由シリア軍が存在しているそうです。政府側からの離反者が増えれば、強固と見られるシリアの体制もまた、自ずと揺らぐはずです。

 シリア国軍が、本来闘うべき相手は、国民ではなく、国民を虐待する”暴君”なのではないでしょうか。シリア国軍の中から、虐殺の危機に晒されている国民の盾となる勢力が現れれば、混迷にあるシリアに、一筋の希望の光が差し込むのではないかと思うのです。

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トルコ地震―クルド人支援で国民統合を

2011年10月26日 15時23分06秒 | 中近東
トルコ地震 死者432人、なお不明多数(産経新聞) - goo ニュース
 トルコでは、大地震によって倒壊した建物から生存者を救出しようと、今もなお、懸命の捜索が続いています。地震発生から72時間が勝負とも言われており、一人でも多くの人が無事に救出されることを祈るばかりです。

 昨日までは、地震が発生した地域が、クルド人住民が多数を占める微妙な土地柄であることから、トルコ政府が、外国からの救援隊の受け入れを拒否していると報じられていました。国家建設のチャンスを逸したクルド人は、国なき民族としても知られ、しばしば、分離・独立運動を展開してきたことでも知られています。トルコ政府の警戒心も、こうしたクルドの歴史を背景としてのことなのでしょうが、大地震で被害を受けたクルド人を、トルコ政府があらゆる手段を尽くして救うことは、クルド人がトルコ政府に対して信頼を寄せる一つのきっかけとなるかもしれません。全てとは言わないまでも、危機にあってこそ、国民の間で連帯感が生まれることもあるのですから。

 ようやく、支援受け入れを表明したとの報道もなされ、国際的な災害支援も始まるようです。この報道が事実であるならば、日本国もまた、ハイパー・レスキュー隊の派遣を急ぐべきです。トルコ政府の、そうして、諸外国の助け合いの心が通じれば、困難な問題を、わずかなりとも和らげるかもしれないと思うのです。

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自由なリビア―反省なきシルトの人々

2011年10月25日 15時35分29秒 | 中近東
カダフィ時代懐古する住民=解放に沸くリビアで不気味な静寂―大佐故郷シルト(時事通信) - goo ニュース
 自由で民主的な国家の建設に向けて、その大事な一歩を踏み出したリビア。激しい内戦を闘ったために、国民統合も新政権の重大な課題もあります。こうした中、カダフィ派の中心地ともなったシルトでは、独裁時代を懐かしむ声が聞こえるそうです。”カダフィ時代には、自由があったが、今はない”と…。

 カダフィ独裁体制下にあっては言論や思想の自由が弾圧され、独裁者に対して国民が批判をしようものなら、過酷な運命が待ち受けていたことは、よく知られています。カダフィ時代のリビアには、自由は抑圧されていたのですが、一部の人々だけは、自由を謳歌したようです。それは、独裁者とその家族、そうして、その取り巻きということになります。独裁者の出身地に近いシルトは、まさに、この”取り巻き”であり、他の国民には許されない”自由”も”権利”も特別に与えられていたのでしょう。いわば、社会主義型の独裁体制における極少数の特権階級であったわけです。カダフィ氏の財産も15兆円にも上ると報じられていますので、シルト周辺にも特別に予算がつぎ込まれたことも想像に難くありません。こうした独裁体制における国家の”私物化”こそが、内戦を引き起こしたのであり、他の国民に対する冷淡な無関心と自己の自由と特権さえ享受できればよしとする利己主義こそが、国土を引き裂いたのです。

 シルトの人々が、カダフィ時代における独裁の悪弊も、他のリビアの人々の不自由と不幸をも理解していないとすれば、これは、大いに問題です。リビアの運命を担う新政権は、全ての国民の基本的な自由と権利が守られる、自由なリビアを建設することによって、シルトの人々を含む全リビアの国民に、この内戦の意義を伝えるべきと思うのです。

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独裁者カダフィ氏の最期―”処刑”か”戦死”か

2011年10月23日 16時26分37秒 | 中近東
「処刑」の証拠隠しか=カダフィ大佐遺体、傷口見せず―リビア(時事通信) - goo ニュース
 独裁者カダフィの死により、リビアでは、一日延期はされたものの、今日にもリビア全土の解放宣言が発せられる予定なそうです。配信される映像からは、リビア国民が、長期にわたる独裁体制からの解放感に沸く様子が伝わります。

 自由で民主的な国家の誕生は、国際社会にとりましても、大いに歓迎するところなのですが、マスコミの一部には、独裁者であったカダフィ氏が狙撃されて落命したことに対して、国民評議会側を批判する論調も見られます。批難のポイントは、刑事被告人を裁判なしで処刑した、つまり、犯罪者の人権を無視した、ということなのですが(国際刑事裁判所から訴追されている…)、この見方は、カダフィ氏を司法上の被疑者とする立場に立脚しています。しかしながら、この狙撃が、内戦という戦争状態で行われたことを考えますと、カダフィ氏は、戦死したことになります。カダフィ氏の肩書が”大佐”であれば、なおさらのことですし、国民評議会側の停戦の申し入れを拒否して、自ら闘うことを選択したのですから、銃撃を受けての死は、自ら選んだ道でもあります。有力な情報によりますと、投降するのではなく、”撃つな”と国民評議会の兵士に命令したそうですので、最期の最期まで、リビアの”最高指導者”を自認していたのでしょう。

 現在、国際社会では、政治と司法が混在しており、国際刑事裁判所の機能も不完全です。にもかかわらず、司法的な観点のみに基づいて、”処刑の証拠を隠した”として国民評議会を批難することには、著しい偏りがあると思うのです。

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カダフィ派はリビアの未来のために”無血開城”を

2011年09月01日 15時45分43秒 | 中近東
カダフィ氏次男は徹底抗戦、三男「投降の用意」(読売新聞) - goo ニュース
 リビア内戦もついに最終段階を迎え、カダフィ派の本拠地とされるシルテが、最後の決戦の場となりそうです。この機に及んで、カダフィ派の内部でも、投降派と徹底抗戦派との路線対立が表面化していると報じられています。

 徹底抗戦派の二男、セイフイスラム氏は、2万人の兵を準備して応戦すると息巻いているようですが、シルテの陥落は時間の問題です。新聞報道によりますと、リビア内部では、カダフィ派の住民に対する批難の声も強く、この内戦は、終結後も、国民の間に深刻な”しこり”を残しそうです。もし、リビアの国の将来を思うならば、セイフイスラム氏は、自らの非と責任を潔く認め、無血開城を選択すべきなのではないでしょうか。国民評議会側も、その行為に対して、一定の評価を与える可能性もありますし、国民の間の相互反目も、あるいは、緩和されるかもしれません。処罰を受けることを覚悟で、自らの一身を投げ出し、内戦を終わらせることこそ、セイフイスラム氏に残された、最後の名誉ある撤退であり、リビア国民に対する最大の奉仕なのではないかと思うのです。

 40年以上にわたる独裁体制を敷いて、国民の自由を奪ってきたこと、そうして、批難する国民を無慈悲に虐殺したことが、人道に反する許し難い罪であることは、自由主義国に留学経験を持つ氏は、内心では理解しているはずです。内戦後のリビアの安定のためにこそ、自由と民主主義を尊ぶ新たなリビアの再出発に、潔く道を譲るべきであると思うのです。

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ユダヤ人は人類の教訓のために選ばれた民か

2011年06月05日 15時26分37秒 | 中近東
オバマ大統領の中東政策演説 “踏み込んだ提案”と評価も(産経新聞) - goo ニュース
 古来、読み継がれてきた神聖なる書物である聖書に対して、新たな解釈を付すことは、いささか気後れすることなのですが、最近、あるテレビ番組で、モーゼは、エジプトの傭兵隊長であったとする仮説を目にしました。この番組によりますと、約束の地、カナンを手にするために、モーゼは、40年もかけて大軍隊を鍛錬・育成し、その地に住んでいた他の部族を尽く虐殺したそうです。このテレビを見て、ふと、ユダヤ人とは、人類に歴史の教訓を示すためにこそ、神に選ばれた民なのではないか、と思えてきたのです。

 モーゼは、結局、自らはカナンの地を踏むことなく、謎の死を遂げます。この番組では、あまりに残虐な行為を民に命じたため、反感を抱いた民から殺害されたのではないか、と憶測していました。モーゼは、シナイ山で十戒を授けられながら、実のところ、自らはこの十戒を守らず、殺人と略奪をもってカナンの地を手に入れようとしたのです。モーゼが長年の願望の実現を間近にして世を去ったのも、そうして、最後には、イスラエルの民が国を失い、世界各地に離散する運命を辿ったことも、あるいは、十戒を破ったことに原因あるのかもしれません。神は、十戒に示したような、より友好的な方法でイスラエルの民がカナンに住むことを望んだかもしれないのです。神は、ユダヤ人を試した、ということなのかもしれません。そうして、このディアスポラの教訓は、聖書として人類に語り継がれることになったのです。

 出エジプトから3200年以上の時が過ぎた今日、ユダヤ人は、再び、神から試されているのかもしれません。今度こそ、イスラエルは、カナンの地に永遠に住むためにも、法を守り、パレスチナと共存する道を選ぶべきなのではないかと思うのです。

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国営テレビの声明はカダフィの遺言か

2011年05月15日 14時28分41秒 | 中近東
カダフィ氏「NATOは臆病者」 国営テレビで肉声(朝日新聞) - goo ニュース
 激しい戦いが続くリビアでは、首都トリポリへの空爆により、カダフィ氏が負傷したとするニュースが流れる一方で、国営テレビでは、この情報を打ち消すかのように、肉声の声明が放送されたそうです。”NATOは臆病”と罵って。

 しかしながら、この声明の内容を読んでみますと、どこか遺言のようにも思えるてくるのです。声明では、「臆病者の十字軍に言う。私はお前たちの手が届かない場所にいる。私は多くの人々の心の中に住んでいるのだ」と述べたそうです。”手の届かない場所”という表現は、天国といった死後の世界を想起させますし(国民を虐殺したカダフィ氏には、地獄の方が相応しいかもしれない・・・)、”人々の心の中に住む”という言い回しも、もはやこの世には存在しないことを暗示しています。

 実際のところ、カダフィ氏の生死は不明ですが、少なくともこの声明文を録音した時点において、氏は、空爆による死を覚悟していると推測されます。このことは、NATOを臆病者呼ばわりする強気な言葉とは裏腹に、カダフィ側が、相当に追い詰められていることを示しているのではないでしょうか。

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リビアの誤爆問題―敵味方を見分ける標識を

2011年04月09日 15時59分26秒 | 中近東
誤爆続くリビア空爆、NATOに限界 安保理議決の制約(朝日新聞) - goo ニュース
 内戦状態にあるリビアでは、NATO軍が、反政府勢力の部隊を誤爆するという事件が相次いでおり、反政府側の怒りと不審を買っているそうです。この問題、NATO軍が識別できるように、反政府側に属することを示す、何らかの標識を付ければ、解決する可能性があります。

 一般の戦争では、双方とも、兵士は自国の軍服の着用しており、また、戦車なども機種が違いますので、外観から敵味方を判別することは難しくはありません。一方、内戦の場合、特にリビアの現状では、反政府側の主力部隊は、カダフィ軍側から離脱した人々で構成されていることに加えて、敵側から奪った兵器を使用しているため、容易に両者を見分けることができないのです。このため誤爆が後を絶たず、今後とも、犠牲者が多数にのぼる怖れもあります。

 報じられるところによりますと、トルコ政府が、将来的な民主化に向けて、停戦案の提示を準備しているとのことです。独裁体制を維持したいカダフィ勢力側が、この提案を受け入れるかどうかは未知数ですが、まずは、誤爆を回避するために、敵味方を確実に識別する措置を講じるべきなのではないかと思うのです。なお、古典的ながら、標識とは、敵には分からないものがよいのかもしれません。

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エジプトの宗教対立には”平和維持隊”を結成しては

2011年03月11日 18時14分57秒 | 中近東
先鋭化する宗教対立 エジプト、イスラムとコプト教徒衝突 13人死亡(産経新聞) - goo ニュース
 本日午後、我が国では、国内最大級の巨大地震が発生しました(暫定マグニチュード8.9)。現在でも、余震が続いております。

 ところで、せっかくにムバラク政権を倒して民主化したエジプトでは、イスラム教徒とコプト教徒との間で宗教対立が再燃しているそうです。独裁政権を打倒しても、国民が分裂しては、よい国は造ることはできませんので、ここは、新政府が、宗教対立の鎮静化に積極的に取り組むべきなのかもしれません。特に、政府の役割の一つは、国民の自由と権利を等しく保障することですので、裁判所での公平な裁判を実現するとともに、治安維持に当たる軍も警察も、両派に対して公平であるべきです。もし、どうしても、暴力沙汰の衝突となるならば、国内向けの”平和維持隊”を派遣し、両派の引き離しや、敵対攻撃を防止してはどうかと思うのです。

 机が揺れる中で、日本国は、古来、自然災害と闘ってきましたが、知恵を絞れば、国民と国民が相闘う宗教対立という人災も避けることができると思うのです。

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リビア情勢―EUの介入という選択肢はあるのか

2011年03月10日 15時06分18秒 | 中近東
「今すぐにも戦場に」リビア反体制派、志願兵ら軍事訓練(朝日新聞) - goo ニュース
 伝えられるところによりますと、カダフィ派が、資金力に任せて外国人傭兵を増員している一方で、反体制派には、リビア国民の志願兵が各地から集まってきているそうです。”お金”のために殺戮する独裁者の手先と、”自由”のために命を賭して戦う国民兵、何という対称でしょうか。

 昨日は、反体制派の暫定政府である「国民評議会」の代表が、EUのアシュトン外交・安全保障政策上級代表とも接触を図っており、対外交渉も活発化してきているようです。その一方で、NATOの中心国であるアメリカは、中東での反米感情の高まりを警戒して、リビアへの介入には消極的とも報じられています。EUとの会談では、政府承認が議題となったようですが、それでは、地中海を挟んで対岸に位置するEUによる軍事介入はあり得るのでしょうか。これまで、EUは、人道支援や平和維持といった領域において活動しており、防衛や安全保障といった軍事行動は、NATOが主体とされてきました。しかしながら、今回のリビアの件については、カダフィ派による大量殺戮が起きているため、EUとして、人道的介入の文脈での反体制派への支援が全く不可能な訳ではありません。もし、この介入が実現するとしますと、EUの共通外交安全保障政策として、最初の軍事介入の事例となります。

 反政府側による自力の解放が望ましいことは、言うまでもないことなのですが、万が一への備えは必要です。EUの他にも、アラブ連盟の名も挙がっているようですが、米軍やNATO軍が介入に踏み切れない状況を考慮して、複数の選択肢を模索しておくに越したことはないと思うのです。

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トリポリの”カダフィ大佐”は本物か?

2011年03月09日 14時10分49秒 | 中近東
「安全保証するなら出国」カダフィ氏の亡命、側近が打診(朝日新聞) - goo ニュース
 昨日、トリポリのホテルで撮影されたとされるカダフィ氏の写真が、ロイターを通してネット上に配信されていますが、これまでの面立ちと、似ているようで、どこか違うように思えるのです(写真写りが原因か、それとも・・・)。

 カダフィ氏については、家族の身柄と資産の保障、ならびに、国際刑事裁判所への訴追免除を条件に、出国を認めるとする交渉案があるそうです。カダフィ側にとって破格的に有利な条件ですので、反体制派の中には、この案に対する反対の声も強いようです。72時間以内に、どのような反応があるかは予測できませんが、それ以前に、既にリビア国内にいない可能性も否定はできません。カダフィ氏の住居や官邸へのピンポイント空爆もあり得ますので、どこかに身を隠すか、逃亡しているかもしれないのです。

 独裁者には、複数の”影武者”が準備されていることは、よく知られた事実であり、一般の常識から逸脱した異常な行動こそが、独裁体制の狂気をあらわしています。反政府勢力側も、21世紀の出来事とは思えない、予想外の事態が発生する可能性を考慮しながら、独裁体制崩壊へと歩を進める必要があると思うのです。

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