万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

米軍負担軽減の究極策‘核の解禁’では?

2019-11-18 14:01:13 | 国際政治
 トランプ政権の下で、米軍の駐留経費削減を進めるアメリカ。後日否定されたとはいえ、日本国も、‘思いやり予算’を現状の4.5倍に増額するよう要求を受けたとの報道もありました。防衛コストを駐留国側に求める方針はトランプ大統領の選挙戦以来の持論であり、その背景には、巨額の財政赤字と米国民の不満があることは想像に難くありません。

 第二次世界大戦後、アメリカは、日本国を含む世界各地に駐留基地を設け、米軍を世界規模で展開してきました。軍隊の維持や戦争には、古来、膨大な費用を要してきましたので、先端兵器をも開発してきたアメリカの財政負担もその限界を超えているのかもしれません。加えて中国の軍事的台頭と兵器の近代化も著しく、今や一国で全ての同盟国を防衛し、かつ、国際法秩序を支えるには無理が来ているのでしょう。

ここに、‘アメリカの財政負担をなくすと共に、全ての諸国の安全も守られる’、という両立困難な問題が設定されるのですが、アメリカの負担軽減と全国家の安全保障という二つの条件を同時に満たす解は存在しているのでしょうか。この難しい問いに対して、憲法第9条の精神を以って絶対的な平和主義を唱える人々は、核兵器のみならず全ての軍隊並びに兵器の完全廃絶を訴えることでしょう。しかしながら、軍事力を以って他国を威嚇し、脅迫しようとする国が存在する今日の世界情勢を見ますと、この解は非現実的であると言わざるを得ません。現実には、人類は全面禁止や全廃を目指したばかりに何度となく酷い目に遭っているからです。

 その最たるものが、NPT体制です。同条約では、明示的な条文は欠けているものの、国連安保理の常任理事国といった‘世界の警察官’の任務を託された諸国のみに核保有を認める一方で、他の全ての諸国に対しては核の保有を禁じています。禁止理由は、同兵器が非人道的であると共に人類を滅亡させかねない破壊力を有するからに他なりません。この理由は、近年、その成立を見た核兵器禁止条約とも共通していますが、今般、北朝鮮やイランが国際的な制裁を受けている理由もまさにこの‘禁破り’にあります。そして、他の諸国が開発・保有禁止義務を誠実に履行している中、極少数の国が大量破壊兵器を保有する状態が、如何に他の諸国、並びに、国際社会にとりまして脅威であるのか、ということをもこれらのケースは如実に語っているのです。

 ここで考えるべきは、力、あるいは、その一種である軍事力の効果です。軍事力には、有事の攻撃力と平時の抑止力という二面性があります。核兵器の廃絶を目指す方向性は前者の危険性への対応であり、危険な兵器がなくなれば平和が自ずと訪れるという楽観的な発想に基づいています。しかしながら、攻撃力の放棄が抑止力の同時放棄を意味するならば、攻撃面だけを考慮した全面放棄の判断には慎重にならざるを得ません。北朝鮮やイランといった狂信的な国家が核兵器を保有してしまう事態とは、丸腰の一般の人々の中にあって、犯罪者のみが殺傷兵器を持つことを意味するからです。警察が職務を放棄し、かつ、犯罪者のみが銃を保有している状況下では、一般の人々の生命、身体、財産が危うくなり、銃による脅迫によって犯罪者に支配される世界が出現します。力の二面性は、アメリカにおいて銃規制が遅々として進まない理由でもありますが、憲法に第9条の条文を持つ日本国でも、一国のみの軍隊放棄が世界平和の実現には無力であることを理解する国民は少なくありません。つまり、核兵器の全面禁止という対応は、それが少数の狂暴で狡猾な者によって破られた時、全ての国々に核兵器の保有が容認されている状態よりもさらに危険度が増してしまうのです。

 こうした善なる目的を悪が利用するという善悪逆転のパラドクスを直視すれば、今日の核兵器の全面禁止は、理想ではあっても、必ずしも唯一の‘正解’とは言えないように思えます。現状では、米朝間における核・ミサイル放棄に向けた交渉は行き詰まりを見せており、北朝鮮がアメリカの要求するCVID方式による核兵器に応じるとも思えません。北朝鮮やイランによる核保有が時間の問題であり、かつ、中ロといった核保有国が核による先制攻撃をも軍事オプションに加えているとしますと、むしろ、全ての諸国が核の抑止力を備えた方が、遥かに安全性が高まるとする意見も説得力を帯びてくるのです。

それでは、全面禁止ではなく全面解禁に180度方向転換するとしますと、それは、第一の要件であるアメリカの負担軽減をも満たすのでしょうか。実のところ、アメリカが自らの軍事力を以って国際秩序を維持するよりも、各国が核武装した方が低コストであることは疑いようもありません。皮肉なことに、核兵器、並びに、その運搬手段である長距離ミサイルを開発すれば、たとえ経済的には豊かではない国であったとしても、軍事大国と対等に交渉し、核攻撃を回避し得ることを、北朝鮮が証明してしまったからです。つまり、核保有が解禁されれば、核技術そのものは然程に高度ではありませんので、アメリカが‘世界の警察官’の役割を放棄したとしても、同盟国を始め各国に対して特別に財政的な支援なくして各国の核武装はコスト的に可能であり、かつ、アメリカも、他国を防衛するための経費を大幅に削減できるのです。

仮に、実行可能、かつ、合理的な結論として、核の解禁が最も現実的な解であったとしますと、アメリカは、これをどのように判断するのでしょうか。唯一の被爆国である日本国も含め、国際社会では、ノーベル平和賞の受賞者が示すように核保有=悪と云う構図が定着しております。しかしながら、それは、他の選択肢を一切排除する思考停止を意味しているのかもしれず、中ロが配備している膨大な数に上る核ミサイルのみならず、北朝鮮の短・中距離核兵器による脅威に晒されている日本国としても、核武装の抑止力を考えれば悪い選択肢ではないはずです。

核の解禁と申しますと、ショッキングな響きがあるのですが、倫理や道徳に照らしても、必ずしも絶対に間違っているとは言い切れないようにも思えます。まずは議論の俎上に上げてみるべきとも思うのですが、皆さまがたは、どのようにお考えでしょうか。

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‘リブラ取り付け騒ぎ’が起きたならば-無責任なリブラ構想

2019-11-17 14:29:28 | 国際政治
 フェイスブックのデジタル通貨発行計画、即ち、リブラ構想は、弱者救済を大義名分として登場してきました。全世界の銀行口座を持てない貧しい人々にモバイル・ウォレットを提供すると共に送金コストの負担を低減し、かつ、スマートフォンのワンタッチで送金が完了するのですから、多くの人々の利便性が向上するのですから、良いこと尽くしのようにも聞こえます。福祉目的のはずなのですが、同構想は、その発表直後から批判の嵐に見舞われるのです。

 本日もリブラ批判として同構想が実現すれば、‘取り付け騒ぎ’が起きるとするFRBの懸念が報じられてきました。リブラはドルやユーロ等の国際通貨を準備として発行される‘ステープル通貨’ですが、仮に、リブラに信用不安が生じた場合、利用者が、一斉にドルやユーロへ換金に走る状況が予測されるからです。実のところ、この批判からも、如何にリブラが無責任であるのかが浮き上がってくるのです。

 ここで問題となるのは、リブラの発行体となるスイスを拠点とするリブラ協会、あるいは、フェイスブックには、全ての通貨に対して‘兌換責任’を果たすことができるのか、という点です。発行者が‘兌換責任’を負わないビットコインとは異なり、リブラは‘ステープル通貨’ですので、ユーザーから交換要求(兌換要求)があったばあい、それに応える義務があるはずです(それとも、準備と兌換性は切り離す?)。例えば、戦後のブレトンウッズ体制をみますと、兌換紙幣であった米ドルは、1オンス35ドルと相場が決められており、それ故に、諸外国の通貨当局からの兌換要求に耐えられず、ブレトンウッズ体制はあえなく崩壊しました。当時、世界最大の金準備を誇ったアメリカでさえ、貿易収支が赤字に転じたのを機に金準備の流出が始まり、管理通貨制度への移行を余儀なくされるのです。

仮に、リブラに兌換性を与えた上でフェイスブックが、全世界の人々を対象として送金サービスを開始し、かつ、リブラが一般の通貨と同様に商品やサービスの支払い、さらには、金融サービスにまで利用されるとしますと、リブラ協会、あるいは、フェイスブックには、当時のアメリカの金準備額を上回るほどの米ドルやユーロ等の準備を要することとなります。しかしながら、世界屈指の大手IT企業と雖も、フェイスブックが巨額の国際通貨準備を用意できるとは思えません。しかも、かつての兌換紙幣のように、金との交換比率を変更すること、即ち‘平価引下げ(ドルやユーロ等の交換比率を変更する)’で準備不足を補うことも困難です。自ら‘取り付け騒ぎ’の引き金を引くようなものなのですから。

それとも、ユーザーからリブラと引き換えに受け取った米ドルやユーロ等をそのまま自社の兌換準備として組み入れるのでしょうか。それでも、一旦、リブラが一般の通貨として流通しますと、銀行、あるいは、フェイスブック自身の貸し出し業務を介して信用創造も働きますし、信用取引やデリバティブを含めた様々な金融商品にも使用されることでしょうから(派生的に生じたデジタル通貨はブロックチェーンでトレースできるのでしょうか…)、同時に全世界において‘取り付け騒ぎ’が生じた際には、同社が兌換義務を果たせるとは思えません。そして、この局面に至った時にこそ、世界規模の金融危機に発展しかねないリブラのリスクが露わとなります。何故ならば、送金サービス事業として出発しますので、この時には、既にリブラは準法定通貨の地位、即ち、米ドルやユーロ等の国際通貨に加えて全世界の諸国との通貨との間で交換可能な通貨となっているからです。

それでは、リブラの信用が崩壊した場合、全世界においてどのような事態が起きるのでしょうか。準備金以上の額の交換要求を受けた途端、フェイスブックは破産します。フェイスブック自体は民間企業ですので、清算手続きを経ればリブラ事業を合法的に店じまいすることができますが、リブラの利用者の損害は計り知れません。逸早く情報を入手して、リブラ側の交換窓口となるネットサイトであれ(交換申し込みが殺到し、一瞬で準備が底を突く可能性も…)、如何なる手段であれ、手持ちのリブラを米ドルやユーロ等の準備、並びに、他の既存通貨と交換できた人々は逃げ切れます。しかしながら、想定されるのは、圧倒的に大多数の人々が、一瞬にして保有リブラを失う事態です。硬貨や紙幣と違い、リブラはデジタル通貨ですので、跡形もなく消滅してしまう可能性もあるのです(too big to failで政府が公的に救済するかもしれませんが…)。特に、送金システムを利用していた途上国の人々の大半は、被害者側となるのではないでしょうか。

通常、‘取り付け騒ぎ’とは、民間の銀行において発生します。ところが、リブラの場合には、リブラ協会が事実上の中央銀行の役割を果たしますので、‘中央銀行の取り付け騒ぎ’、並びに、その破綻と云う人類史上前代未聞の事態が起きてしまうのです(もっとも、前近代にあって、元朝のように王朝の滅亡とともに紙幣が紙くずになるケースもありましたが…)。何れにしましても、リブラ構想は、フェイスブックのユーザーが20億人を越える現状を考慮しますと、あまりにも無責任であると思うのです。

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自らの国の将来を語る自由-一党独裁は劣悪な体制

2019-11-16 16:39:16 | 国際政治
香港では、習近平主席からの弾圧要求に従うかのように、警察による抗議デモへの暴力がエスカレートしています。命を落としたり、傷を負う市民の数も日ごとに増しているのですが、北京政府をバックとした香港行政府の強硬姿勢は緩みそうにもありません。こうした流血の事態を目の当たりにしてふと思うのは、そもそも権力と云うものには、国民が自らの国の将来を語る自由を奪う権利があるのだろうか、という素朴な疑問です。

 誰にでも、‘こうした国や社会に自分は住みたい’という希望や願いがあるものです。人間に備わる理性の本質からしますと、一個の人格として個々の尊厳が認められ、自らのことは自らで決めることができ、考えていることを自由に述べられる国や社会に住みたいはずです。そして、皆に関わる事柄、及び、争いや対立があれば、暴力ではなく、話し合いやルールを決めることで解決できる国や社会を理想とすることでしょう。自由、民主主義、法の支配、平等・公平といった人類普遍とされる諸価値は、その響きからすれば形式ばったお固いイメージを受けますが、それほど難しいことではなく、普通の人々が思い描く理想から抽出されたものです。いわば、人類の理想郷の全体像を複数の角度から立体的に分析して本質を導き出し、そのそれぞれを単語として並列的に列挙した言語表現なのです。しかも、これらの諸価値は、統治機能を果たすに際して相互調整や調和を要しつつも、互いに分かちがたく結びついています。自由なき世界には民主主義もないように…(自由と平等は両立しないしばしば言われますが、自由の範囲を平等に定めれば両立する…)。

 このように考えますと、自由、民主主義、法の支配、平等・公平といった諸価値の全てが適切に調和され、かつ、制度として具体化されている国家こそ、全ての諸国の国民が望む人類の理想的な国家体制と云うことになりましょう。否、如何なる国も、理想にできる限り近づくべく、この方向を目指して日々国制改革に勤しむべきとも言えます。そして、政治思想やイデオロギー、並びに、それに基づく国家体制は、これらの諸価値を基準としてこそ評価されるべきであり、そのうちの一つでも欠損していれば、それはすなわち欠陥を意味することとなるのです。

 それでは、共産主義思想、並びに、それに基づく一党独裁体制はどのように評価されるのでしょうか。共産主義思想は、一般的には平等の実現を優先価値とする思想とされています。しかしながら、その平等の価値でさえ全く実現はしておらず、富の格差のみならず、共産党と云う特権階級が存在する権利の格差も著しい不平等国家です。自由、民主主義、法の支配、平等・公平の何れの項目を基準にしても、国家体制としての評価は低いと言わざるを得ないのです。劣悪な国家体制の下にある国民が、現体制に対して不満の声を上げたり、理想を求めて政府に改善を要求するのは当然です。自らの国や社会を善くして行こうとする国民の声を力で封じ込めようとする政府は、国民の自らを発展しようとする力を削ぐのですから、国民にとりましては障害物でしかないのですから。国家体制の正当性は普遍的な諸価値の実現を以って問われるべきであり、決して偏狭なイデオロギーを基準にしてはならないと思うのです。

 習近平主席が、民主主義や自由を求める香港市民を国家に対する反逆者として糾弾し、一国二制度を破壊しているのは香港市民であると訴える時、自由主義国とは異質であり、価値観までもが逆転してしまった中国という国家の姿が見えてまいります。そして、この倒錯性、すなわち、自らの国の将来について自由に語るという当然のことが許されない体制こそが、人々が中国による世界支配を怖れる最大の理由なのではないかと思うのです。

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天皇家とロックフェラーとの密約説について

2019-11-14 15:03:35 | 国際政治
 本日11月14日、皇居では新天皇の大嘗祭がとりおこなわれます。同儀式は室町時代に一旦途絶えたものの、江戸時代に幕府の許可の下で復興されたそうです。秘儀とされてきたためにその始終は詳らかではなく、古くから伝わる伝統には常々謎があるものなのです。そして、現代にあっても天皇家は謎に満ちているように思えます。本ブログでも、ここ数日にわたりまして日本国の未来ヴィジョンの観点から天皇の位置づけ等の問題について記事を認めてきたのですが、読者の方からいただいたコメントの中に、天皇家とロックフェラーとの密約に関する情報がありました。本日の記事では、同密約について考えてみたいと思います。

 天皇家とロックフェラーとの密約とは、ロックフェラーが100年間皇室を維持することを約したと言うものです(皇室なのか、天皇と云う位なのかは分からない…)。しかも、天皇とロックフェラー家との関係は深く、ロックフェラーが自らの私邸に招いたのは日本国の天皇のみなそうです。ここで云う天皇訪米が、1975年秋の昭和期なのか、1994年6月の平成時の時なのかも分かりませんし、フェイクニューズの疑いもありました。そこで早速ネットの検索で調べてみたところ、早急には偽情報であると断言はできないようにも思えてきました。昭和天皇は、訪米中の1975年10日4日にロックフェラー邸を訪問しておりましたし、宮内庁の公式サイトにも、1994年の明仁天皇訪米時のスケジュールの6月16日の欄に「ロックフェラー家との晩餐会(ロックフェラー邸)」と記されているからです。他のスケジュールは全て、大統領、州知事、市長といった公人や教育・福祉関係者、並びに在米邦人等との面会や晩餐会で占められていますので、天皇が直々に私人であるデイヴィット・ロックフェラー氏の自宅を訪問したのには、異例中の異例の出来事なのです。

 こうして両天皇共にロックフェラー氏と直接に会談の場を持つ機会があったことが確認されたわけですが、それには、それ相応の特別の理由があったはずです。ロックフェラー家は金融界において財をなし、アメリカ経済、否、世界経済を支配するほどの大富豪に伸し上がった一族です。同氏は親日家としても知られ、仮に天皇家と同家との間に接点があるとしますと、両者の間に何らかの金融に関する関係があったと推測せざるを得ません。となりますと、スイスの秘密口座、あるいは、規制強化によって東南アジアの何れかの国に移したと噂される皇室の秘密財産が関係しているとも疑われるのですが、謎は深まるばかりです。なお、仮に莫大な皇室の隠し財産が存在しているとしますと、それは天皇家の私有財産ではなく日本国の国有財産ですので、国に返還され上で日本国政府よって管理されるべきものとなりましょう。

 また、ロックフェラー邸訪問が事実であったしても、皇室を100年間維持するとする密約の方はフェイクである可能性もあります。真偽のほどは分からないのですが、仮に事実であるとしますと、1975年10月を起点にすれば2075年9月まで、1994年6月を100年を数える起点とすれば、2094年5月までとなります。もっとも、約束した時期が訪米時とは限りませんので、戦後の1945年9月から数えるとすれば、2045年8月が期限となります。何れにしましても、この説が正しければ、日本国は、アメリカではなく、私人であるロックフェラー家の庇護の下にある、あるいは、冊封を受けた属国か‘私有国家’ということになるのです。しかも、100年間の維持を約束したとすれば、その期間にあっては日本国民がその‘総意’によって現皇室の廃止を求めたとしても(天皇という役割を廃止するとは限らない…)、ロックフェラー家がそれを許さないことを意味します。果たして日本国民は、このような状態を受け入れるのでしょうか。また、ロックフェラー家には、日本国の政治を動かし、日本国民の言論の自由を封じるほどの、かくも巨大な権力を保持しているのでしょうか(なお、デイヴィッド・ロックフェラー氏は、2017年3月に死去…)。同情報が事実であれば、日本国は、もはや独立した主権国家とは言えなくなります。

 天皇家と海外勢力との関係については戦国期、並びに、明治期に注目すべきであり、特に後者では、東インド会社やイルミナティー、フリーメイソン等の秘密結社の関与、並びに、これらの組織の主要メンバーでもあるロスチャイルド家等のユダヤ系金融財閥が暗躍していた形跡があります(戦後はロックフェラー家に変えた?)。日本国は、全世界が植民地化される時代にあって独立を維持した稀な国として評価されていますが、植民地化の主要な手法は王家の懐柔や乗っ取りですので、直接支配ではなくとも、間接支配を受けてきた可能性を否定はできないのです。否、世界支配を目指す勢力が、日本国の皇室に対して無関心であり、そのまま気にも留めずに放置したとは思えません。日本国から利益を吸い取り、自らの目的をも達成するために、日本国民には気が付かれないように皇室を利用しようとしたとしても不思議ではないのです。

 状況証拠からしますと、上述した密約説の信憑性は相当に高いのですが、皆さまがたは、どのようにお考えでしょうか。中国共産党政権の異様なほどの皇室接近が見られる中、日本国民は、今日、もしかしますと国家の独立性と云う最も重大な政治問題に直面しているのかもしれないと思うのです。

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アメリカの皇室軽視の意味とは?

2019-11-11 15:13:40 | 国際政治
 先月10月22日、日本国では新天皇の即位の礼がとりおこなわれました。この際、海外からも賓客を招いたのですが、同盟国であるアメリカは、当初予定されていたペンス副大統領に替えてイレーン・チャオ(趙)運輸長官を出席させるという‘異例’の変更を行っています。この件については政府もマスメディアも何故か詳しくを語ろうとしません。触れたくない話題のようにも見えるのですが、アメリカの皇室に対する冷たさにはどのような意味が込められているのでしょうか。

 即位の礼への出席を見送ったペンス副大統領は、僅か3日後の10月25日に、トーンは落としてはいるものの、昨年に引き続き厳しい対中批判の演説を行っています。ペンス副大統領にはトランプ大統領よりもさらに反中のイメージがあるのですが、中国側もまた、日本国の皇室に対して‘異例’の好意を示しているところを見ますと、アメリカ側の皇室に対する‘格下げ’の背後には、米中対立が潜んでいる可能性もあります。日本国内でもサーチナやレコードチャイナなどの中国系メディアでも、期待を込めてなのか皇室に関する所謂‘よいしょ記事’が並んでおり、習近平主席に対する礼賛と然程に変わりはありません。

 加えて、イレーン・チャオ運輸長官がトランプ政権の閣僚にあって唯一の中国系の政治家である点にも、何らかの米側のメッセージが込められているに思えます。日本国でも、国土交通省のポストにしがみついて離れない公明党は、親米保守と見なされてきた自民党との連立政権にあって親中政党として知られています。その母体である創価学会は皇室の新たな藩屏の役割を担うと共に、同宗教団体を介した皇室の中国接近が懸念されてきました。チャオ運輸長官は台湾系ではありますが、父親は上海出身の運輸事業者ですので、ここに、運輸を介して上海、台湾、皇室を結ぶ線が見えてくるのであり、それは、明治以来、日本国民には隠されてきた歴史と関連している可能性もあります。アメリカは、皇室をめぐる何らかの機密情報を入手しており、チャオ長官の人選は、皇室、並びに、中国に対する‘意趣返し’的な意味があったのかもしれません。

 そして、第三に指摘すべき点があるとすれば、それは、皇室側の民主党寄りの姿勢です。上皇后の美智子さんとヒラリー・クリントン氏は古くからの親交があるとされてきましたし、数年前、愛子さんの卒業作文が公表されましたが、文中にはオバマ前大統領の広島訪問に触れた件もありました。「世界の平和を願って」という題ですので一般論として作文なのでしょうが、同作文を敢えて公表した背景として政治的意図が疑われても致し方がないかもしれません(これまで、皇族の作文が公表されるのは稀ですので、政治性に配慮して非公開にするという選択もあったはず…)。愛子さんの作文におけるオバマ前大統領の登場は、共和党の候補者として就任したばかりのトランプ大統領の皇室に対する心象を損ねたかもしれないのです。

 あるいは、二期目を目指すトランプ大統領としては、日本国の皇室を厚遇しても票にはならないと読んだのかもしれませんが、些細な事柄であっても、皇室の政治的な動きは思わぬ波乱要因ともなりかねません。国益を害するリスクさえあるのですから、要注意であるとも言えましょう。そして、アメリカの冷めたい態度は、皇室にのみ向けられたものなのでしょうか、それとも、日本国並びに日本国民に対しても向けられてしまっているものであるのでしょうか、大変、気になるところなのです。

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民営化とは私物化?

2019-11-10 13:23:41 | 国際政治
 80年代以降、グローバリズムは、民営化の流れと共に全世界を席巻しました。東欧革命を機に社会・共産主義国諸国は相次いで市場のメカニズムを導入し、国営企業や公営企業を民営化しましたし、自由主義国でもインフラ事業の多くは株式公開により民間の手に移ったのです。軍隊や刑務所の民営化さえ主張されたのですから、民営化原理主義者の主張は留まるところを知らなかったのです。

 しかしながら、今日、水道事業の民営化に対する反対論が強まっているように、全ての事業を民営化の対象とすることには疑問が呈されております。何故ならば、一つ間違えますと、民営化は公的事業の私物化を招き、民営化を正当化してきた消費者負担軽減論とは逆に負担増に帰結しかねないからです。

 旧社会・共産主義国であれ、自由主義国であれ、民営化の一般的な手法は、新規に株式を発行するというものです。同時に事業体自体も組織改革が行われ、職員は公務員採用手続きから一般の民間企業と同様の採用形態に移行すると共に、経営陣の人事も政府から切り離されます。つまり、資本関係や人事・経営面における政府とのリンケージを断つことにより、他の企業と同列の独立した事業体となるのです。

しかしながら、とりわけ独占や寡占が生じ易いインフラ事業といった公共サービスの必要性に基づく事業分野である場合には、それが経済活動や人々の生活にとりまして必要不可欠であるために、同事業体の経営方針、料金設定、並びに、事業収益の使途や分配等により、消費者は‘搾取’されかねない立場となります。例えば、水道事業の民営化に伴い水道料金が上がるのも、株主が存在すれば国営や公営時代には必要のなかった配当金を払わなければなりませんし、自治体等からの赤字補填がなくなれば、民間企業として黒字経営を目指して水道料金を値上げするのは理解に難くありません(民営化されても、その分が減税されるとも思えない…)。また、政府の規制が緩く、かつ、民間事業者が公共性よりも利益幅の拡大を優先すれば、料金設定も自由自在となりましょう(特にインフラ事業は独占・寡占となり易いので、価格引き下げ競争も起きない…)。

また、天然資源の採掘や輸出入に関する事業である場合には、株式保有者による国家財産の私物化と云う問題をも起きます。目下、サウジアラビアでは、国営石油会社のサウジアルコムが株式の公開を計画していますが、その公開数は全体の数パーセントとは言え、石油採掘販売事業の性質からしますと、国家の資源に関する権利を売り渡したに等しくなります。

しかも、上述したようにグローバル化と民営化は一体化して進行していますので、問題はさらに深刻になります。加盟国のデジタル時代を迎えた今日では、IT大手によるプラットフォームの構築が問題視されていますが、こうした問題も、インフラ事業の私物化を理解するのに役立つことでしょう。例えば、先日、ソフトバンクが赤字決裁を公表した際に、ウィワークへの出資が指摘されていましたが、グローバル化と一体化した民営化は、日本国の通信事業等で得た利潤は必ずしも国内の消費者に還元されるわけではなく、むしろ、有望な投資先があれば優先的に海外に流れる現実を示しています(本当に有望な投資先であるのか否かは別として…)。さらに、上述したサウジアラコムの民営化では、中国の国有企業や政府系ファンドが同社の株式引き受け先の候補として名が挙がっていますので、このケースでは、民営化を介してサウジ権益の中国への譲渡と云う、主は違えども新たな‘国有化’とも言える状況、すなわち、サウジの石油企業の中国国営企業化が出現しているのです。

 こうした現状を見ますと、‘民営化信仰’には要注意なように思えます。民営化が私物化を招き、さらには、外資や外国企業による国内市場の支配や国家資産の海外移転(新たな植民地化の手法?)にも繋がりかねないリスクがあるのですから、グローバリズムと共に民営化についても再検討すべき時期に至っているように思えるのです。

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米ドルvs.人民元-注目されるサウジアラビアの動向

2019-11-09 15:08:36 | 国際政治

 サダム・フセイン政権を崩壊に導いたイラク戦争の背景には、イラクが、石油輸出の決裁通貨を米ドルから別の国際通貨に替えようとしたためとする説があります。真偽は不明なのですが、同説は、貿易決済に際してどの通貨を使用するのか、という問題が、戦争を誘発するほど重要であることを物語っています。

 

 全世界において使用される単一の‘世界通貨’が存在しない現状にあって、米ドルこそが、戦後の国際通商体制において‘自由で多角的な貿易’を支える基盤を提供してきました。少なくとも自由貿易主義を採用している西側諸国であれば、何れの国もブロックに囲い込まれることなく他の諸国と自由に通商関係を築くことができたのも、米ドルと云う国際基軸通貨がどこでも通用する国際決裁通貨として機能したからに他なりません。しかしながら、冷戦が終焉しますと、EUを基盤にユーロが誕生すると共に、中国の人民元が国際基軸通貨の地位を窺うようになります。IMFにおいても、今年に予定されていた出資比率の変更は見送られたものの、2016年9月から人民元を含む新規SDRバスケットが導入されています。

 

 人民元の国際基軸通貨化については、2019年3月の時点の統計では、36.5%の米ドルには及ばないものの、中国政府による自由化が不十分なために遅れているとはいえ、13.5%にまで拡大しています。近い将来、デジタル人民元の発行により個人レベルでの送金等にも利用されるようになれば、同通貨の利用率はさらに上昇することでしょう。先端的なITをも武器とした人民元圏拡大政策とも相まって、通貨の分野でも中国はその覇権主義を露わにしているのです。

 

こうした中、注目されるのがサウジアラビアの動向です。同国の独裁者とも称されるムハンマド・ビン・サルマーン皇太子は、昨今、国営石油会社であるサウジアラコムの再民営化を打ち出しております(国営化は1962年に始まり1980年に実質的に完了…)。当初、同社の再民営化に際しては、東京を含む海外の証券取引所が候補として挙げられていましたが、同国の石油施設に対する攻撃という事態を受けて延期となっています。こうした中、中国の国有企業、並びに、政府系ファンドとの間で最大100億ドルの新規株式の引き受けが検討されているとの情報が報じられています。サウジアラコムIPOの時価総額は1兆から2兆ドルを超えるとされ、この数字からしますと、中国の株式保有率は然程には高くはないようにも見えます。しかしながら、新規株式の大半はサウジ国内の証券市場で公開され(その大半は王族の保有になるのでは…)、海外での上場は1%から2%に過ぎないそうです。既に安定株主の役割を期待する声があるように、100億ドル分の株式を保有すれば海外上場予定分の大半を占めますので、海外株主としての中国の地位は決して低くはありません。

 

サウジアラビアの歴史を見ますと、1927年5月の独立に際してはジッダ条約をイギリスと締結する一方で、アメリカとの関係も深く、サウジアラコムの正式名称も国営企業でありながら「サウジアラビア・アメリカン・オイル・カンパニー」なそうです(因みに、1944年の設立時にはスタンダード・オイル系のカソックとテキサコが同社株式を50%づつ保有していた…)。反米色が強い中東にあって親米色の強い国としても知られており、そのサウジアラビアが中国を特別に優遇するとなりますと、その影響は決して小さくはないはずです。そして、仮に中国がサウジアラコム株を取得するとしますと、注目されるのは、その際に使用される通貨です。果たして中国は、人民元での取得をサウジアラコム側に提案するのでしょうか。そして、サウジアラビアもこの提案に応じるのでしょうか。

 

中国の拡張主義的な通貨戦略は、それが全体主義体制の拡大を伴うだけに、何れの国であれ、一般の国民にとりましては脅威ともなります。また、米ドルが国際基軸通貨である限り、ロシア、北朝鮮、イランといった国際法に反する行為を行った諸国に対して経済制裁の効果を及ぼすことができるのですが、人民元が国際基軸通貨ともなれば、無法国家はもはや経済制裁を怖れなくなるかもしれません。

 

 世界屈指の石油産出国であるイランをめぐる問題の背景にも、貿易決済通貨の問題が潜んでいるのかもしれません。サウジアラビアをはじめ、中東諸国が雪崩を打つように米ドルから人民元へとシフトするとしますと、同地域から石油資源を輸入している日本国もまた対応を迫られることとなりましょう。米ドルを唯一の基軸通貨とするブレトンウッズ体制の再構築も難しく、かつ、中国人民銀行のみならずECBもデジタルユーロの発行に言及し、そして、フィンテックの導入を伴いながら国際基軸通貨の問題が政治的にも国際社会を揺るがす現実を目の当たりにしますと、人類は、未だに誰もが納得するような通貨制度の構築に至っていない現実を痛感させられるのです。

 

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中国の輸入拡大は罠では?

2019-11-08 18:59:52 | 国際政治
 中国の習近平国家主席は、11月5日から10日にかけての日程で上海にて開催されていた第2回中国国際輸入博覧会において、「保護主義や一国主義に断固として反対し、継続して貿易障壁を取り除く」と述べたと伝わります。続いて‘国際社会は壁を作るのではなく、壊し続ける’必要があるとも主張しており、北方遊牧民の侵入を防ぐために万里の長城を建設した時代とは隔世の感があります。

 中国ほどグローバリズムの恩恵を受けた国はなく、鄧小平氏が改革開放路線を選択して以来、中国は、外資導入を梃子とした輸出促進策を強力に推し進め、瞬く間に世界第二位の経済大国にまで成長しました。国策としての輸出拡大は貿易黒字に伴う巨額の外貨準備をももたらし、これを資源として一帯一路構想を打ち上げることができたのですから、中国が自由貿易、あるいは、グローバリズムを死守したい気持ちも分からないでもありません。しかしながら、中国の貿易黒字は他の諸国の対中貿易赤字を意味しますので、全ての諸国にとりまして歓迎すべき状況とは言えません。リカード流の自由貿易論では、自然調和的に相互利益が実現するはずなのですが、理論と現実間には雲泥の差があります。因みに、日本国の対中貿易赤字は、米中貿易戦争による対中輸出の減少が影響したこともあり、2019年上半期のデータでは2兆493億円にも上っています。アメリカの対中赤字のみが注目されていますが、日本国の対中貿易赤字も決して小さな数字ではありません。

 深刻化する対中貿易赤字問題からしますと、冒頭で述べた上海の国際輸入博は、グローバリズムの波に乗った輸出大国としての中国に対する不満を解くための国際社会に対するデモンストレーションなのでしょう。習主席の演説も、‘中国は自国の市場を開放する、すなわち、輸入を増やす用意があるので、諸外国も速やかに関税を撤廃し、中国製品を輸入して欲しい’と解されます。言葉では輸入増を約束していますが、現実は、期待通りとなるのでしょうか。

少なくとも、中国の国家計画である「中国製造2025」を見る限り、中国が、今後、自発的に輸出を減らすつもりは毛頭ないようです。否、同計画が実現されれば、これまで先進諸国から輸入してきた高度先端技術を用いた製品や部品、素材等も内製化され、さらに先進国の上を行くテクノロジーも独自開発されますので、中国製品の輸出競争力を増すと共に、先進諸国からの輸入も減少することが予測されます。最近に至り、アメリカからの強い要請を受けて中国市場に参入した国外企業の知的財産権の保護を強化する方針を示すようになりましたが、この譲歩も、ITやAIといった先端分野においても独自開発の目途がついたからなのかもしれません。

 そして、何よりも中国が輸入拡大に消極的である理由は、輸入の増加が外貨準備の減少を招く点です。先述したように、一帯一路構想は、周辺諸国のインフラ・プロジェクトに対する融資を手段としており、中国は、AIIB等の基金や個別融資に対して膨大な外貨準備を投じています。外貨準備の減少は、中国の覇権主義的な対外戦略のフィナンシャルな基盤を掘り崩しますので、輸入拡大策とは二律背反となるはずのです。

おそらく、輸入拡大に伴う外貨準備の減少問題の打開策こそ、デジタル人民元の発行なのでしょう。人民元の国際基軸通貨化と人民元圏の構築が同時に実現できれば、上述した問題を一気に解決できるからです。人民元が国際基軸通貨となれば、外貨準備の増減やデフォルトのリスクに頭を悩ませる必要はなくなりますし、国境を越えた広域的な人民元圏が実現すれば、貿易収支に関係なく輸入も増やせるのです。そこで推測されるのは、中国は、自国への輸出に際して人民元を決裁通貨として使用するように条件を付すことです。つまり、中国市場への輸出に際して海外企業は人民元の使用を義務付けられるのであり、上記の輸入博は、人民元戦略の一環である可能性が高いのです。ブロックチェーンを用いたデジタル化も手伝って、各国は金融政策の権限を中国に奪われかねないこととなるのですが、中国の輸入拡大方針につきましては、十分な注意を要するように思えるのです。

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‘徴用工問題’で自己崩壊する韓国-三権分立の果てに

2019-11-06 13:19:06 | 国際政治
 所謂‘徴用工問題’は、反日を国是とする韓国による日本国に対する‘嫌がらせ’とされています。同問題は1965年の「日韓請求権協定」にて解決したはずなのですが、戦前の日本国による朝鮮半島統治を違法な植民地支配として糾弾したい韓国は、同問題を蒸し返すことで‘謝罪と賠償’を何としても勝ち取りたいようなのです。かくして対日敵対政策として始まった‘徴用工問題’なのですが、今やその攻撃力が逆を向き、自らの国を壊しかねない勢いなのです。

 自己崩壊に拍車をかけているは、訪日の際に明らかにした韓国国会の文喜相議長の私案です。解決の糸口が見えないまま悪化する一方の日韓関係に業を煮やし、同議長は、一つの解決案を提示しました。それは、日韓両国の企業や個人に呼びかけて寄付を募り、‘徴用工’を救済するというものです。韓国側としては、この案ですと、上述した「日韓請求権協定」の枠組と切り離されますし、日本国政府が韓国裁判所の判決に従う形でもありませんので、日本国政府も受け入れ可能と読んだのでしょう。一見、妙案のようにも思えるのですが、細部を見ますと自己矛盾に満ちているとしか言いようがないのです。

 そもそも、‘徴用工問題’とは、韓国最高裁判所が原告側の訴えを認め、日本企業に賠償の支払いを命じたことに始まります。この判決に際し、韓国側は、司法の独立を意味する三権分立を盾にして日本国政府による対処要求を退けました。つまり、韓国側の対外的名基本スタンスは、‘司法判断に政治は介入せず’であったはずです。ところが、今般、韓国国会の議長が解決案を作成し、国会における同法案の成立を以って‘徴用工問題’に終止符を打つとしますと、立法府と雖も政治解決となるわけですから前言を覆す行為となります。

 そして、さらにここで問題がややこしくなるのは、他の二権、即ち、韓国の司法部と行政部の存在です。立法府である国会が解決に乗り出したとしますと、最高裁判所と韓国政府の両者は、どのように対応するのでしょうか。原告が訴えを取り下げる可能性もありますが、最高裁判所の判決は宙に浮くことになります(今後とも、同様の訴訟が起きる可能性もある…)。否、司法の独立を逆手に取り、韓国国会の法案を無視して粛々と日本企業の資産売却手続きを進める、あるいは、違憲立法審査権を発動して同法を葬り去るかもしれません。

司法部が独自路線を歩む可能性がある一方で、韓国政府もまた、対立法府にも苦慮することが予測されます。おそらく、同法案は、議員立法として国会に上程されるのでしょうが、まずは与党議員が同法案への対応をめぐって混乱するかもしれません。仮に、同法案に賛成票を投じれば、日本国政府に対しては司法の独立性を口実に政治介入を否定しながら、自国の議会による政治介入についてはこれを認めたこととなるからです。さらに、仮に国会において法案が成立したとしても、その後の文在寅大統領の動向が注目されます。何故ならば、韓国憲法では、大統領に対し、国会で成立した法案に反対の場合には再審議するよう差し戻す権限を与えているからです。(議会が原案を再可決するハードルは高い…)。また、大統領が同法案に反対しない、あるいは、原案どおりであれ、修正案であれ、国会が再可決しても、大統領が対外政策における権限の優位性を国会に認めたに等しくなり、自らの権限を損ねることにもなりかねないのです。

そして、実のところ、仮に民間企業や個人に寄付を募るという方法であれば、そもそも立法措置を経る必要さえないという問題もあります。法律とは、基本的には政策目的を実現するために公的な強制力を要する場合にのみ制定されるものであり、原告救済のための‘寄付法’を制定すれば、それは、‘自発的寄付’というよりも‘強制寄付’という性格を強くなります。しかも、その対象が日本企業ともなりますと(おそらく、韓国政府から寄付を強要される…)、請求権問題を完全に解決させた「日韓請求権協定」に抵触しますので、日韓間の対立は振り出しに戻ることにもなりましょう。

以上に述べましたように、三権分立論をご都合主義で持ち出したばかりに、韓国は、三権のそれぞれが異なる立場から自らを主張し、収拾がつかないレベルに混乱する事態に陥っているように見えます。国家崩壊の危機に瀕するに至れば、結局は、日本国政府の提案、すなわち、「日韓請求権協定」の規定に誠実に従って紛争の解決を仲裁に付すという、現代国家に最も相応しい解決案に帰着するかもしれません。あるいは、三権分立、否、’三権分裂’に疲れ果てた挙句、北朝鮮の独裁体制に向けてまっしぐらに逃走するのでしょうか。

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RCEPの幻想-アメリカと中国は違う

2019-11-05 14:06:47 | 国際政治
 年内にも交渉の妥結が期待されていたRCEP。今般、閣僚会議が開かれたものの、インドが対中貿易赤字を懸念して難色を示したことから、先行きに不透明感が漂うようになりました。メディア等の反応は交渉妥結の遅れを嘆く論調が強いのですが、自由貿易主義、あるいは、グローバリズムに内在する問題点を考慮しますと、RCEPの頓挫は歓迎すべきなのかもしれません。

 今日、多くの人々が自由貿易主義に全幅の信頼を寄せ、その推進こそが全世界を豊かにすると信じるようになったのは、第二次世界大戦後に成立した自由貿易体制の成功体験にあります。連合国諸国は、1941年8月に米英首脳が発表した大西洋憲章において、戦前の経済ブロック化への反省から既に戦後の自由貿易構想を示しており、戦争の終結を待たずしてアメリカで開催された連合国諸国による国際経済会議において具体案が合意され、ブレトンウッズ体制が成立しました。この時、貿易の多角化に伴う貿易決済を円滑にするための機関としてIMFの設立と共に、事実上、金との兌換性有する米ドルを国際基軸通貨とする固定相場制度が採用されたのです。

 ブレトンウッズ体制と呼ばれた同体制の下で、戦争で疲弊した世界経済は急速に回復し、戦後復興も順調に進むこととなります。敗戦国であった日本国も同体制の恩恵を受けたことは言うまでもなく、自由貿易主義の信奉者の多くは戦後モデルが理想像として刻み込まれているのでしょう。しかしながら、戦後の自由貿易体制の実像を具に見つめてみますと、リカード流の比較優位による国際分業が上手に働いたわけではなく、同モデルがアメリカの‘自己犠牲的’な政策によって支えられてきたことに気付かされます。

 どのような点において‘自己犠牲的’なのかと申しますと、アメリカが、米ドル高の相場を維持することで自国の市場を他の諸国に開放した点です(もちろん、米ドルが兌換紙幣であったこともありますが…)。乃ち、日独をはじめ戦後復興を成し遂げた諸国は、アメリカ市場と云う巨大な自国製品の輸出市場が存在したからこそ自国の産業を育て、経済成長を実現したと言っても過言ではありません。もちろん、米ドルレートの高値固定化により、アメリカの消費者も、安価な輸入製品に囲まれた生活を謳歌し、豊かなアメリカン・ウェイ・オブ・ライフを満喫できたのですから、‘自己犠牲的’という表現は相応しくないとする意見もありましょう。イソップ童話の『アリとキリギリス』に喩えるならば、キリギリスは自業自得とする冷たい見方もあることはあるのですが、産業力や輸出競争力の面からしますと、アメリカの製造業は衰退の道を辿った点は疑い得ません。長期的なスパンから見れば、自由貿易主義の最大の受益者であったはずの消費者も、失業や賃金の低下等に苦しめられることとなったのです。

 この‘自己犠牲的’な基調は70年代にブレトンウッズ体制が崩壊して変動相場制に移行し、80年代以降にグローバリズムが本格化した後も変わらず、21世紀に入っての中国の経済大国としての台頭も対米輸出がその踏み台となりました。アメリカ市場なくして今日の中国はなく、ソ連邦が喉から手が出るほどに欲していた自由主義国の先端技術もグローバル化の波に乗ることで難なく手にすることができたのです。一方、アメリカでのトランプ政権の誕生は、‘自己犠牲的’な自由貿易主義、もしくは、グローバリズムの放棄、あるいは、その軌道修正に他なりません。言い換えますと、戦勝国として繁栄を極めた戦後のアメリカの寛大さに依存した自由貿易主義は限界を迎えたのであり、戦後のアメリカ中心の自由貿易主義のモデルは破綻をきたしているのです。

 このように考えますと、戦後の自由貿易主義とは、人類史において例外的に生じた一極主義型のモデルであり、しかも、それは、中心国の自国通貨高と云う犠牲の下に成立した期間限定つきものに過ぎないように思えます。そして、同モデルの再来を期待してRCEP構想を進めるとしますと、期待と現実との間のギャップに呆然とさせられるかもしれません。中国が、自由貿易主義、あるいは、グローバリズムを支える中心国として、戦後のアメリカのように自己犠牲を払うとは思えないからです。中国は、輸入を拡大させたアメリカとは逆に自国製品の輸出を促進させ(’輸入博’は囮?)、日本国を含めた他の加盟国にこそ犠牲を強いることでしょう。RCEPとは、中国の市場開放ではなく、中国のための加盟国諸国の市場開放となる公算が高いのです。この点、RCEPへの加盟による対中貿易赤字の拡大を懸念したインドの判断は、賢明と言えるかもしれません。メディアはしばしば‘固定概念’や‘常識’を疑い、発想の転換を求めますが、何故、自由貿易主義やグローバリズムを疑おうとしないのか、不思議でならないのです。

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民主主義と独裁はどちらが国家の独立にとって危険か?

2019-11-04 16:50:26 | 国際政治
 戦前のドイツにあってはナチスの台頭を招いた一因ともされているため、今日では偽書とされている『シオンの議定書』では、全世界を支配する手段として各国に独裁者を配置する計画が記されています。この恐るべき独裁者コントロール構想、オーウェルの『1984年』にも通じるのですが、『シオンの議定書』の真偽は別としても、同書に記されている世界支配の構想は、純粋な比較統治論、あるいは、システム論的な見地から、注意深く考察しみるだけの価値があります。その理由は、民主主義、自由、法の支配といった人類の普遍的価値の弱点や盲点を狡猾に悪用しているからです。乃ち、サタニックな魅力に引き寄せられるというわけではなく、人類が知性と理性を以って発展させてきた統治制度の脆弱性を知る上で、同書は反面教師として大いに参考になるのです。

 例えば、冒頭で述べた独裁者の全世界的な配置というシステムを考えて見ますと、そこには、世界支配と中央集権体制との密接な繋がりを見出すことができます。世界支配を目論む者が存在するとすれば、各国ともに、自らの手下とななる独裁者の下で中央集権体制を敷くことが最も好都合なのです(もっとも、既存の国家を全て廃絶して世界政府を樹立させる方法もありますが、このケースでも、同政府のトップに据えられるのは世界支配者その人、あるいは、その忠実なる下僕として据えられた独裁者と云うことになりましょう)。

 その理由は、一人の人物に全ての権限が集中する中央集権体制では、内部のみならず、外部からの統治システムに対するチェック機能が一切働かないからです。このことは、独裁者の地位に自らの息のかかった人物を就任させることができれば、自由自在にその国を外部から操ることができることを意味します。このためには、被支配の側となる国民からの一切の抵抗、反発、批判等を封じ込めることができる体制が望ましいのは言うまでもありません。かくして独裁者は絶対的な権力者かつ、権威者として国民の頭上に君臨し、全体主義体制に帰結されるのです。

一旦、独裁体制が成立すれば、自らが裏から糸を引いて操れば、自らの利益となる政策を実行させることはできますし、同国に埋蔵されている天然資源の権益も自らの手中に収めたに等しくなります。また、全体主義体制と軍事体制は類似していますので、全世界に配置した独裁者達に命じて安全保障上の危機を煽り、国民の愛国心を利用して同体制を強化し、永続性を高めようとするかもしれません。『1984年』の世界でも、ビッグブラザーを独裁者とするオセアニア政府による国民徹底監視体制の維持には、オセアニア、ユーラシア、イースタシアの三カ国間の半永久的な覇権争いが利用されていますが、ビッグブラザーもまた、決して表舞台には姿を見せない‘世界支配者’の操り人形なのでしょう。あるいは、首脳間の会談を演出して紛争を解決すれば、国民の目には、外交手腕にも長けた頼りになる‘偉大なる指導者’に映るかもしれません。

独裁体制を擁護する人々は、常々、上意下達の軍隊的なシステムを以ってその効率性や迅速性を同体制の民主主義を基盤とする権力分立に対する優位点として挙げています。他国からの侵略に対しては強力なリーダーシップの下で国民が一致団結して戦う必要がありますので、この一面だけを切り取れば一理はあるのですが、同擁護論は、独裁者が外部勢力の操り人形と化すリスクを全く考慮していません。国内向けの閉鎖的体制として捉えられる傾向にある独裁体制には、実は権力も資源も全てを含めて国家が丸ごと外部に奪われるという重大な傀儡化リスクがあるのです。もっとも、スターリンや毛沢東にイメージされるような共産主義型の‘独裁者’に限らず、高度なテクノロジーを悪用し得る今日では、自由主義諸国の大統領や首相、さらには王室や皇室といった世襲のポストについても同様のリスクが認められます。そして、世界支配者の代理人達は‘救国の英雄’や‘偉大なる指導者’を演じるよう命じられていますので、国民に対しては常に‘偽旗’とならざるを得ないのです。

このように考えますと、世界支配者や侵略的な国家の魔の手から逃れ、自国の独立を保つためには、民主主義を手放してはならず、かつ、権力分立体制を維持する必要があることが理解されてきます。それと同時に、『シオンの議定書』を以って反ユダヤ主義を煽ったヒトラーこそ‘独裁者’であったことは、一体、何を意味するのかという疑問も湧いてくるのです。

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日中政治文書は悪しき慣習-属国化への道?

2019-11-03 11:22:40 | 国際政治
 来春に予定されている中国の習近平国家主席の日本国への公式訪問に際して、「第5の文書」の作成が日中両政府間で検討されているそうです。第5という数字が示すように、日中間にはこれまでに、両国間の協力関係の基本方針を定めた文章が公表されてきました。こうした国家主席の国賓としての訪日ごとの文書作成は、凡そ慣例化された感がありますが、こうした悪しき慣習は続けるべきではないように思うのです。

その理由は、第一に、国家の首脳の公式訪問の度に特別の文書を作成するのは、中国の国家主席に限定された特別の‘待遇’です。同盟国であるアメリカ大統領の訪日時に際してさえ、相当に重要な案件がない限り、日米首脳による共同声明が発表されることはあっても、以後の政策を縛るような政治的な協力文書を毎回作成することはありません。70年代の国交樹立に際しの日中共同声明(1972年)、並びに、日中平和友好条約(1978年)については国際法上の手続きにいて要する公式な文書であったとしても、少なくともその後の二つの文書―日中共同宣言(1998年)と日中共同声明(2008)年―については作成するだけの正当な理由を見出すことは困難です。

第2の理由は、中国では伝統的に道徳や法は他者を縛るために存在すると考えらており、同国に合意の双務的遵守を期待できない点です。例えば、「第1の文章」である日中共同声明の6には、「…相互の関係において、全ての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する」とありますが、今日、この合意は中国側によって一方的に破棄されています。一事が万事であり、政治文書が積み重なるほど、中国側による日本国側に対する一方的な縛りが強まることが予測されます。香港の抗議活動に対しても、北京政府は新法の制定で抑え込もうとしていますが、中国が積極的に法や文書を用いようとする時には警戒すべきです。それは、支配のための手段なのですから。

第3に指摘すべきは、今般の「第5の文書」の作成に際し、日本国政府が参考にしようとしているのが、宮沢喜一政権時代の92年に当時のブッシュ大統領との間で合意された「グローバル・パートナーシップ」の概念である点です。上述したように、アメリカ大統領の訪日に際しては必ずしも政治文書が作成されるわけではありませんが、冷戦終焉直後に当たる92年当時、日米両国は日米同盟を再定義する必要がありました。日米両国の共通の敵であり‘仮想敵国’であったソ連邦の消滅への対応であったわけですが、この文書がモデルであるとしますと、それは、あまりにも奇妙と言わざるを得ません。何故ならば、今日が歴史的な転換点であり、安全保障上の重要な政治文書を作成するならば、その相手国は同盟国であるアメリカのはずあるからです。軍拡著しく、今日、日米両国にとりまして共通の脅威となった中国を‘仮想敵国’とするならばお話は分かります。ところが、こともあろうことに、その中国との間に「グローバル・パートナーシップ」を結ぼうと言うのですから、正気の沙汰とは思えないのです。

「第4の文書」までの政治文書に携わった田中角栄、福田赳夫、小渕恵三、並びに、福田康夫の何れの政治家も政界屈指の親中派として知られております(福田親子と小渕氏は群馬県出身という共通点がある…)。仮に「第5の文書」の文中に‘新時代’という言葉が登場するとしますと、それは、日本国の政界全体が親中派に転じてしまったことを意味するのでしょうか。ネット上では朝鮮半島の南北両国の再冊封国化が揶揄されてきましたが、足元をしっかりと見ていませんと、日本国の方が先に中国の属国とされてしまう可能性も否定はできません。そして、属国化への道を敷くような悪しき慣習は踏襲すべきではないと思うのです。

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中国の統治体制の優越性は劣位性

2019-11-01 18:46:59 | 国際政治
中国では、第19期中央委員会第4回総会において「国を治めるシステムと能力の現代化」に関するコミュニケが採択され、‘「中国の特色ある社会主義制度と統治システム」の「巨大な優越性」を誇示し、先端技術を駆使しながら2035年までに統治体制の現代化を図り、党の支配を一段と強化する方針を示した’と報じられております。本方針は、‘ITやAI等の最先端技術を用い、2035年までにより一層の徹底した国民監視・管理システムを張り巡らし、何としても中国共産党による一党独裁体制を堅持する’との、内外に向けた宣言として理解されます。11年後の2035年の中国には、生体内チップの埋め込みや脳波の探知技術により、共産党が個々の国民の脳内活動や思考までも科学的にコントロールして管理する、牢獄よりも過酷な社会が出現しそうです。

それでは、「巨大な優越性」とは、一体、何を意味しているのでしょうか。上記のコミュニケの表現からしますと、まずは先端技術、即ち、テクノロジー面での‘優越性’を意味しているのでしょう。つまり、中国は、他の諸国が追い付けない程の超越したレベルのテクノロジーを手にすることで、他の諸国に抜きんでると述べているのです。劇的に計算速度が速まる量子コンピュータなども、こうした技術の一つなのでしょう。そして、開発された情報・通信分野における先端的なテクノロジーが国家機構そのものに組み込まれることで、‘特色ある社会主義制度と統治システムの’巨大な優越性‘が実現するのです。つまり、同コミュニケのロジックは、世界最高レベルのテクノロジー⇒統治システムへの投入⇒社会主義体制の優越性⇒共産党一党独裁の正統化というものなのでしょう。しかしながら、このロジック、よく考えてみますと統治の正当性の観点からしますと破綻しているように思えます。

何故ならば、統治の正当性を支え、真に評価基準となるべきは、人々が必要としている統治機能を果たす実行力、並びに、責任能力であるからです。つまり、基本的にはテクノロジーレベルの高低は、統治の正当性とは無関係なのです。ところが、現代の中国のロジックは、マルクスが提唱した共産主義理論におけるプロレタリアート独裁、即ち、労働価値と平等性に基づく正当化とも違い、テクノロジー上の優越性が共産党による一党独裁体制の正当性を支える根拠とされています。この論理は、中国が低テクノロジー国の状態にあれば、共産党も権力を失うことを意味しますが、少なくとも、今日の中国共産党は、世界最高の性能を誇るマシーンと化した統治システムを以って自らの統治を国民に受け入れさせようとしているのです。

もっとも、統治の正当性が機能上の実行力、並びに、責任能力であるならば、それが防衛力を遥かに超える攻撃力であったとしても、世界大二位の軍事力を以って中国の防衛を確かにしているのだから、共産党は‘巨大な優越’を有しているとする擁護論もあるかもしれません。しかしながら、統治機能とは、防衛に限られているわけではなく、特に重要となるのは国民の基本的な権利や自由を護るという保護機能です。

自由主義国と全体主義国との違いはこの機能に対する考え方において際立っており、全体主義国家にあっては同機能がすっぽりと抜け落ちているのです。そして、保護機能においてこそ、民主的選挙制度を有する自由・民主主義体制は、全体主義国家の統治システムに遥かに優っています。国民の選択によって政権を交代させることができない一党独裁体制では、政権が同機能を放棄したり、停止した場合、それを回復させることはできないのですから。言い換えますと、全体主義体制とは、それが如何に先端的なテクノロジーを駆使した統治システムであったとしても、重大な機能上の欠落がありますので‘巨大な劣位’を抱えているのです。しかも、正当性の根拠となるご自慢のテクノロジーは、国民に対する人権弾圧や自由の抑圧という云う反比例的な逆機能を強化しているのですから、修正されるどころか同欠陥は悪化する一方です。

このように考えますと、中国の自画自賛としての統治システムの優位性は、国民に対して果たすべき統治機能が一部欠落していることにおいて劣位性でもあります。おそらく、中国にとりましての「統治」とは、上からの一方的な人民支配の意味なのでしょう。そして、中国発の統治テクノロジーが他国にも拡散する中、全人類全体を俯瞰しますと、真の意味での統治が劣化するリスクが高まっているように思えるのです。

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世界を混乱させる米中ロの三つ巴-『1984年』のディストピア?

2019-10-31 15:14:10 | 国際政治
 今日のアメリカと中国との関係は、米中貿易戦争に象徴されるように対立関係として捉えられています。米ソ間の冷戦に擬えて‘新冷戦’という言葉も聞かれるようになりましたが、両国の対立は、経済分野に限らず、世界観、あるいは、価値観の相違も相まって政治・軍事レベルにまで及んでします。しかしながら、その一方で、ロシアを含めた米中ロの三か国の関係に注目しますと、そこには、奇妙な三つ巴を見出すことができます。

 アメリカとロシアとの関係については、少なくともトランプ大統領に関しては、同氏が勝利を収めた前回の大統領選挙戦において既に疑惑が寄せられていました。同大統領とロシアとの協力関係、並びに、ロシアの選挙介入の真偽のほどは分からないのですが、個人的な感情であれ、トランプ大統領がロシアに好意的であるのは確かなことのようです。先日、全世界を驚かせたシリアからの米軍撤退の決定も、もしかしますとロシアへの配慮である可能性も否定はできないように思えます。今日の国際社会にあって米ロが鋭く対立する場面は殆ど見られず、米ロの両国は一先ずは良好な関係を維持しているようなのです。

 次に、ロシアと中国との関係を見ますと、対米共闘を目的とする軍事同盟の可能性さえ囁かれるほどに、近年、政治・軍事面での協力を深めています。両国は直接的な軍事同盟条約は結んではいないものの、1996年4月に中国、ロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタンの上海ファイブと称される5ヶ国を原加盟国として発足した上海協力機構が、両国の絆を強める枠組みとして機能しています。そして、最近に至り、日本国近海において実戦を想定した共同軍事訓練も実施され、中ロ関係は新たな段階に入ったとする説も唱えられています。

 かくして、米中ロの三大軍事大国は、アメリカ対中国・ロシアの国家体制を軸とした対立構図の輪郭を見せながらも、きれいに二つの陣営に分かれているとは言い難く、三国が絡み合う三つ巴のようにも見えます。しかも米中関係も、しばしばトランプ大統領が習近平国家主席に対して親近感を示しているように、大統領の一存で軟化する可能性も残しているのです。いわば、三国間の複雑な三つ巴が、国際社会を不安定化していると言っても過言ではありません。

 そして、ここで思い出されるのがジョージ・オーウェルの著した『1984年』というディストピア小説です。同作品については、近年のITの発展を背景に、テレスクリーンといった高度なテクノロジーを用いた国民監視システムとの類似性が指摘されてきました。その一方で、『1984年』には、全世界が何者かによってコントロールされている様子をも描かれています。主人公であるウィンストンはオセアニアの国民ですが、同小説では、全世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの三つの国によって三分割されています。これらの三者は頻繁に同盟を組み換えており、‘昨日の敵は今日の友’の状態が続いています。常に防衛体制が敷かれており、これを理由にオセアニアにも、得体のしれないビッグ・ブラザーが独裁者として君臨しているのです。全世界を俯瞰しますと、ビッグ・ブラザー、並びに、他の二国の指導者も‘操り人形’に過ぎず(その実在すら疑わしい…)、背後には、これら三国を操って人類を巧みに支配している何者かの存在が窺われるのです。

 テクノロジーの発展が『1984年』の世界を髣髴させるのと軌を同じくして、全世界もまた同小説に描かれた状況に似通ってきているのは偶然の一致なのでしょうか。三すくみの米中ロの三大国がその底流において気脈を通じているとしますと、人類にとりましては、危機の時代の到来となるかもしれません。全世界が全体主義化されるという…。ディストピアを実現させないためにも、自由を奪われかねない一般の人々こそ、詐術の罠を見抜き、そこから脱するための知恵を働かせなければならないのではないかと思うのです。

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量子通貨‘goo’が最強の通貨となるのか?

2019-10-30 16:47:57 | 国際政治
先日、アメリカのIT大手のグーグル社の研究チームが量子超越性を実証する実験に成功したとするニュースが全世界を駆けめぐりました。量子コンピュータを用いれば、スーパーコンピュータが1万年かかる計算を僅か3分20秒で解いてしまうのですから、この技術が人類に与える衝撃は計り知れません。アナログからデジタルに移ったばかりなのに、そのデジタルも旧式になりそうなのです。

 時代が急速にデジタルから量子に向かうとしますと、現在、リブラやデジタル人民元といった民間企業や国のレベルで発行が検討されているデジタル通貨も、その誕生を見る前に、政治ではなく技術的な理由によって‘お箱入り’となる可能性もあります。ビットコインに始まる仮想通貨とは、ブロックチェーンといった暗号技術によってその価値が支えられていますが、量子コンピュータが実用化されれば、量子通貨の発行も当然に現実味を帯びてきます。

上述したグーグルの実証実験において最も懸念されたのは、既存の暗号化されたデータが全て解かれてしまうリスクです。このことは、反面、量子通貨が発行されれば、同技術を有さない以上、国であれ、民間企業であれ、デジタル通貨を発行しても、その信頼性や安全性はもはや維持できないことを意味します。グーグルによる実験成功の報が伝えられた途端、ビットコインの市場価格が急落しましたが、それは、現行の仮想通貨システムへの信頼が大きく揺らいだためです。技術上の信頼性の高さを評価基準とすれば、量子通貨には、最強の仮想通貨の地位が約束されているとも言えましょう。

そして、ここでもう一つ考えるべきは、量子通貨とデジタル通貨との管理体制の違いです。現行のブロックチェーンの特徴は、誰もが‘台帳’をチェックできる分散型データベースにあり、管理者のいないフラットなシステムが広く支持を集める要因ともなってきました。そして、この分散性とオープン性こそが、データの改竄や不正等を防ぎ、通貨としての信頼性をあたえてきたのです。その一方で、量子コンピュータが実用化され、かつ、量子通貨が発行されれば、発行された同通貨は全て中央集権型データベースによって一元的に管理されるかもしれません。量子コンピュータは、全世界におけるマネー・フローの管理に耐えうる能力を有するからです(もしかしますと、全世界のビッグデータの一元的な管理も可能であるかも…)。言い換えますと、量子コンピュータ技術が確立すれば、もはや分散型のデータベースを用いる必要性は低くなり、国家レベルとは別の次元の中央管理型データベースによる通貨発行が行われるに至るかもしれないのです。

量子通貨の優位性からしますと、現時点において、最も量子通貨の発行体として有力視されるのは、他に先んじて量子超越性の実証実験に成功したグーグル社と云うことになりましょう。グーグル社が発行する通貨の名称は‘goo’であるかもしれません。フェイスブックのリブラよりも、量子コンピュータを擁するグーグル社の方が遥かに信頼性の高い通貨を発行することができますし、IT事業の世界では他に先んじてネット空間にプラットフォームを構築した企業が独占的な地位を得ることもできます。‘goo’こそ、グローバル通貨に最も近い位置にあると言えましょう。

 もっとも、グローバルレベルでの‘goo通貨圏’の成立を、金融・通貨覇権を狙う中国が黙認するとも思えません。分散性とオープン性に注目すれば、中国の習近平国家がブロックチェーン技術において世界最先端を目指すのは矛盾しているようにも思えますが、実のところ、ブロックチェーンには、分散性とオープン性を特徴とするパブリックチェーンとは別のプライベートチェーンと呼ばれる形態があり、中央管理型データベースは現状でも可能なそうです。デジタル通貨発行のシステムはマイニングを要するビットコインとは異なりますので、中国は、デジタル通貨であれ、量子通貨であれ、ブロックチェーンを全通貨の取引データのトレースのためにのみ応用するかもしれません(ハッシュ値を次のブロックに埋め込む際に何らかのマーキングを行う?)。ましてや量子コンピュータであれば、最小単位に至るまで取引履歴のデータをリアルタイムで収集し、全マネー・フローを把握することもできましょう。

 グーグル社の量子コンピュータ開発はNASAとの協力の下で行われていることから、あるいは、アメリカの‘仮想(隠れ・クリプト)国家プロジェクト’であるの可能性もないわけではありません(この意味では、中国の仮想通貨も同国をコントロールする勢力のクリプトかもしれない…)。あらゆる分野において新たなテクノロジーが、支配の道具となるリスクを伴いながら否応なく既存のシステムを揺るがし、人々の生き方をも問う今日、既成事実に押されることなく、先端的なテクノロジーの使用目的については、国際レベルでの議論と幅広い合意の形成が必要とされているように思えるのです。

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