万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

岸田内閣改造を三次元構造論から見ると-深まる世界支配?

2022年08月12日 12時05分46秒 | 国際政治
 安部元首相の暗殺事件は、山上容疑者が供述した動機が世界平和統一家庭連合(元統一教会)に対する恨みであったことから、同教団との癒着問題が、元首相に留まらず自民党全体に波及することとなりました。今般の岸田内閣改造も、国民からの批判をかわすための措置とされており、同首相も、組閣に際して‘統一教会外し’を行ったと説明しています。ところが、岸田改造内閣の顔ぶれをみますと、事態はむしろ悪化しているのではないかと疑わざるを得ないのです。

 当初より、今般の内閣改造が‘とかげのしっぽ切り’となることは予測されていたのですが、新たに任命された閣僚には、世界平和統一家庭連合との関係が指摘されていた政治家が多数含まれています。教団との関係が判明している7人の閣僚を交代したものの、改造内閣では、山際経済再生担当相、加藤勝信厚労相、寺田稔法相、西村明宏環境相、岡田直樹地方創生兼沖縄北方担当相など、既に7人の教団関係者が見出されているのですから。同教団との関係から職を解かれた萩生田光一経産相も自民党の政調会長に起用されています。新内閣ナンバー2とされる高市早苗経済安保相にも同教団系雑誌のインタビュー記事に登場した過去があり、濃厚な疑いがあるのですが、自民党の保守系議員を主要メンバーとする「日本会議」そのものも同教団と同系列との指摘もあります。

 それでは、何故、自民党、あるいは、自公政権は、世界平和統一家庭連合と絶縁することができないのでしょうか。仮に同教団が、数ある新興宗教団体の一つに過ぎないのであれば、あっさりと縁を切ることができたはずです。自民党に対する国民の信頼を根底から崩壊させるリスクをとってまで、同教団との関係を温存させるとは考えられないからです。このことは、それほどまでに同教団の‘パワー’が日本国の政治に浸透していることを示しているのですが、この常識では考えられない現象は、三次元構造から見ますと、案外、すんなりと説明できるように思えます。

 三次元構造論とは、国際社会を国家間関係から成る平面的な二次元世界としてのみ見るのではなく、国家を越える私的な超国家権力体の存在を仮定して三次元的に理解しようとするものです。超国家権力体の存在は作業仮説と言うことになるのですが、同権力体の最終目的は世界支配にありますので、まずもって、全世界において構築されている支配装置のからくりを推理し、現実と照らし合わせながら解明することが重要な作業となります。

 この視点からしますと、超国家権力体は、日本国を自らの支配体制に組み込むために、先ずもって、新興宗教団体や左翼活動団体を含む政治団体など、自らの息のかかった様々な組織を設立すると共に、皇室を含め、政党、官僚組織、企業、学校、伝統宗教法人などの既存の組織をその権力、並びに、権威もろとも乗っ取るという作戦を展開しているものと推測されます。これらの組織の末端のメンバーは、気がつかぬうちに超国家権力体の‘駒’や‘手下’として使われてしまうケースも少なくないことでしょう。

また、愛国心は、同権力体にとりましては世界支配の障害となりますので、できれば自らの縁者や海外に出自を遡る人物を上部に配置するか、あるいは、保守を装おり、国民の愛国心を煽りつつ、それを自らの目的のために利用する必要があります。戦争を遂行するためには、国民の自発的な愛国心の高揚も不可欠であるからです。自民党、世界平和統一家庭連合、日本会議、公明党との奇妙な連携はこの目的から理解されますし、その背後に、アメリカのCIAが韓国のKCIAが蠢いており、そのさらに深部には、同権力体がしっかりと手綱を握っているのでしょう。極右と称される政治団体が、必ずしも国民国家の枠組みに拘らず、超国家主義と称される理由も、その実態が超国家権力体の下部組織であるからなのかもしれません。こうした視点から見れば、岸田首相による防衛力増強の方針も、日本国民に対する戦争誘導策の一環であるとも推測されます。

そして、行政のデジタル化も国境を越えた世界の一元的な支配の強力な道具となりますので、早急に進める必要性を同権力体は感じているはずです。グローバルに接続したネットワークを用いれば国民の個人情報を含むあらゆる政府の情報を収集できますし、情報統制も思いのままとなります。ワクチンリスクの全否定から‘デマ太郎’という異名をとった河野太郎氏がデジタル相に起用されたのも、国民からの如何なる批判や反対をも押し切る‘突破力’が期待されているからなのでしょう。ITやAIといった現代的なテクノロジーが活用されつつも、超国家権力体の支配の手法は、皇帝に権力を集中させる一方で、広域的な官僚制(現代のグローバル・デジタル・ネットワーク・・・)を敷いた古来の帝国とさして変わりはないようです。

三次元構造論からしますと、岸田改造内閣は、超国家権力体による世界支配を強化するための布陣としての側面が浮かび上がってくるように思えます。経済を見ましても、円安の流れは、輸入インフレによる物価高のみならず、割安感から日本の資産が安値で外資に買い取られる事態を招いています。また、今日、中国の手先と揶揄され、かのビル&メリンダ財団が‘大株主’となっているWHOが日本国内に支部を設置することに、岸田首相が独断で同意したとする報道もありました。三次元構造論は単なる仮説なのでしょうか、それとも、現実を説明するのでしょうか。仮にそれが現実であるならば、今や、日本国の国家の命運、並びに、国民の命に関わる重大な危機が迫っているのではないかと思うのです。

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ペロシ下院議長がすべきは台湾核提供法案の採択では-何よりも強力な抑止力

2022年08月09日 10時45分44秒 | 国際政治
今年の8月6日、日本国は、人類史上初めて大量破壊兵器として広島に原爆が投下されてから77年目の日を迎えることとなりました。過去の原爆投下への反省、並びに、ウクライナ危機で高まるロシアによる核の先制使用への懸念から、この日に広島で開催された「平和記念式典」に参列した国連のグテレス事務総長も、8日に設けられた日本記者クラブの記者会見の席で、核保有国に対し「核の先制使用は絶対しないということを約束し、核の脅しをしないよう求める」と述べています。

この日に先立ってニューヨークで開催されたNPT再検討会議でも、日本国の岸田文雄首相は、核の不使用を「ヒロシマ・アクション・プラン」の第一プランとして位置づけています(因みに、創価学会の名誉会長も核の先制不使用の誓約を核保有国に求める緊急提言を行っており、新興宗教団体と超国家権力との関係を示唆している・・・)。何れの提案も、核の先制不使用を核保有国の自己規律に求めているのですが、自己拘束の脆弱性については、誰もが経験から知るところです。特に、自己や身内の生命、身体、財産に拘わるような重大な危機に直面した場合には、日頃の言葉は当てにならない場合は少なくありません。しかも、詐欺師のように最初から相手を騙すつもりで、‘自分は絶対に○○しません’といったような心にもない口約束をするケースもあるのです。中国に至っては国際法さえ平然と破るのですから、自らの行動を縛るような口約束や誓約などは、わずかな水面の揺らぎでも一瞬にして消えてしまう泡のごときなのです。

となりますと、核の先制不使用をより確実にするためには、自律ではなく‘他律’を要するのは言うまでもありません。核兵器の先制使用のリスクを実質的に低減させるには、外部から抑止するしかないのです。この厳粛なる事実に鑑みますと、核兵器の抑止力の活用は理に叶っています(ミサイル防衛システムや他の核兵器無力化テクノロジーは未だ開発段階・・・)。核兵器は、最大の破壊力を有する故に、最大の抑止力をも備えているからです。破壊力と抑止力とは表裏一体であり、前者に対する後者の効果をより高めるためには、むしろ、抑止目的における核保有を増やす必要さえあるのです。

NPT第10条は、NPT体制が‘平時の体制’であることを示していますので、有事、あるいは、有事となるリスクが高い場合には、自ずと同体制は消滅せざるを得ません。核保有国と非核保有国との間で戦争に至った場合、非核保有国は、アンフェアな状況下にあって‘絶対に勝てない戦争’を戦わざるを得なくなるからです(非核保有国の通常兵器での優勢は核保有国の核兵器使用で逆転されてしまう・・・)。

核の抑止力の重要性に思い至れば、真に中国による台湾侵攻を止めようと考えているのならば、ペロシ米下院議長がすべきは、台湾を訪問することではなく、本国の議会にあって台湾に対して核の傘を確実に提供するための法案を成立させることであったように思います。米中国境正常化の後、米台間には「台湾関係法」が成立しており、両国は、事実上の軍事同盟関係にあります。同法により、アメリカは台湾に武器を提供でき、同武器に核兵器を含めることもできる状態にありますので、新たな法律は、これを確実にするための二重保障となりましょう。

その一方で、台湾の武力併合を公言している中国は、アメリカが台湾に対して核兵器を提供するはずはないと思い込んでいる節があります。おそらく、台湾への核兵器供与については、アメリカ国内にあっても十分には議論されておらず、敢えて曖昧のままにしておくという戦略を選択しているのでしょう。そしてそうであるからこそ、台湾危機に直面する今日、アメリカは、議会による立法であれ、大統領の声明であれ、中国に対して、仮に軍事侵攻計画を実行に移した場合には核による報復があることを明言しておく必要がありましょう。米ソ冷戦時代のように、超大国である核保有国相互の間では、相互確証破壊の論理が作用する可能性が極めて高いのです。

もっとも、同法案の成立をめぐっては、アメリカ国民の命にも関わる議論となるだけに、慎重論や反対論も予測されましょう。親中派議員等による妨害のみならず、アメリカの提供した核の傘は開かないと踏んだ中国が台湾に侵攻した場合、台湾のためにアメリカが中国から核による報復攻撃を受ける覚悟を問われるからです。仮にアメリカが従来通りの曖昧戦略をとるならば(核の傘が開かない可能性が高い・・・)、台湾は、自らの核武装を急ぐ必要があるかもしれません。台湾国内には原子力発電所が稼働していますので(プルトニウムの貯蔵・・・)、同国の科学技術力をもってすれば、台湾は、自前で核爆弾を製造することができましょう。

何れにしましても、台湾危機にあって急ぐべきは、中国を挑発することでも(意図的?)、道義心に訴えて中国に対して核の先制使用を求めることではなく、同等の物理的な力を以てそれを外部から止めることなのではないでしょうか。そしてそれは、間接的ではあれ、アメリカ、あるいは、米中両国を背後から操る超国家権力体の本心を人類の前に明かすことでもあると思うのです。

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元統一教会が‘だめ’で創価学会が‘よい’わけはない

2022年08月08日 10時19分09秒 | 国際政治
 ネット上に配信されているニュース記事を見ておりますと、元統一教会に対する批判にあふれる一方で、最近、おかしな論調の記事も見受けられるようになりました。それは、‘元統一教会と創価学会を同一視すべきではない’というものです。こうした記事は、安部元首相暗殺事件と関連し、かつ、自民党と癒着している元統一教会は批判されて当然であるけれども、自民党と一線を画する創価学会には問題はない、という創価学会擁護論として書かれたのでしょう。しかしながら、その教義や教団としての体質を見る限り、創価学会が不問に付されてよいはずもありません。

 これらの記事やそれに賛同するコメントが創価学会を擁護する主たる根拠の一つは、自民党と創価学会との間の政治信条の違いにあります。要約しますと、元統一教会は、対中脅威論や憲法第九条改正を含む軍備増強を訴えてきた自民党のタカ派を支えてきた教団である一方で、創価学会は、世界平和を志向するハト派的な教団であり、日本国を中国との戦争に導くような危ない組織ではないとしているのです。防衛や安全保障に対する基本姿勢が根本的な違うのですから、両者を同列に論じることはできず、平和の使徒である創価学会を批判するのは誤りであると言いたいのでしょう。

 しかしながら、創価学会が憲法20条に定める政教分離の原則に反する存在であり、かつ、非民主的な独裁体質を備えた教団であることは疑いようもありません。また、「総体革命」という名の日本国乗っ取り計画の下で、積極的な政界、官界、財界、教育界・・・への信者浸透戦略を実行してきたことも事実です。元統一教会であれ、創価学会であれ、近現代に設立された新興宗教団体とは、超国家権力体の実行部隊である可能性も高く、政治信条の違いは、同教団の存在を決して正当化しないのです。

 むしろ、元統一教会と創価学会との正反対とでも言うべき違いは、自公連立政権が、超国家勢力による二頭作戦の一環であった可能性を強く示唆しています。先ずもって、反日政策を国是とし、極東において軍事的な脅威となるのは、中国、北朝鮮、並びに、韓国の三国です。自公政権とは、これら三国を二つの党に振り分ける形態となります。つまり、自国連立政権とは、自民党=元統一教会=韓国(冷戦崩壊後は+北朝鮮・・・)から成る右派グループと、公明党=創価学会=中国・北朝鮮によって構成される左派グループとによる連立政権として理解されるのです。そして、どちらのグループを探しても、肝心の‘日本国’が存在していないのです。

 しかも、自民党も公明党も、極めて巧妙に国民に対して自己を欺いています。統一教会=韓国が裏から糸を引く自民党の軍備増強や愛国心の高揚は、日本国並びに日本国民を再び世界大戦へと駆り立てるためのポーズであり(偽旗作戦・・・)、創価学会=中国・北朝鮮がコントロールする公明党は、共産党や社民党といった革新系の政党を名乗らずして内部から日本国を弱体化する左派の役割を果たしているのかもしれません(偽装政党・・・)。公明党による国土交通相ポストの長期独占により、尖閣諸島周辺海域を含む日本国周辺海域の海上警備も手薄となることでしょう。外国人への地方参政権の付与や多文化共生主義など、公明党の主張は、左派政党のそれと殆ど差異がないのです。

陰謀の冷戦崩壊後、左派政党の存在意義が薄れたことと、安定を好む日本国民の国民性から政権交代が難しいことを察知した超国家権力体は、自民党と公明党の双方において内部化している新興宗教団体をもって、‘日本国’を挟み撃ちにする体制を整えたとする見方も、あり得ないことではありません。そして、いざ、戦争ともなりますと、これまでの日本国弱体化工作が致命的な弱点となって、甚大な被害と無慈悲な犠牲が日本国民に降りかかってくることでしょう。

 合理的、かつ、科学的な見地から山上容疑者による単独犯行があり得ない安倍首相暗殺事件は、日本国民の多くが陰謀の実在性をより強く意識せざるを得ない状況をもたらしています(コロナ・ワクチン接種推進もその目的が疑わしい・・・)。人々が危険性と隣り合わせにある今日、政治の世界、とりわけ‘世界政治’の世界にあって、詐術的な手法が乱用されてきた歴史は、ゆめゆめ軽視してはならないのでしょう。騙されないためには、新興宗教団体が醸し出す有形無形の同調圧力に屈することなく、自らの懐疑心に正直であるべきなのかもしれません。今日ほど、疑いという内面から発する知性や理性の正常な働きを尊重する、懐疑主義の復権を必要とする時代はないのではないかと思うのです。

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軍事的脅威に直面する国はNPTから脱退できる-中国の対日恫喝

2022年08月05日 12時24分18秒 | 国際政治
中国軍関係者の談として報じられたところによりますと、今般、ペロシ下院議長の訪台に対する‘報復’として中国が実施した軍事演習の対象には、日本国も含まれるそうです。実際に、日本国のEEZ内にある沖縄県周辺の海域にも、中国軍が発射した11発のミサイルのうち5発が落下しております。否が応でも米中間のみならず、日中間の緊張も高まっているのですが、戦争に発展する事態が想定されるからこそ、改めて考えてみるべき点があります。

8月1日より、ニューヨークにおいてNPT再検討会議が開催されていますが、西のウクライナ危機に続き、東の台湾危機が発生している今であるからこそ考えてみる点とは、NPTの条文です。同条約の第10条には、脱退に関する以下の条文が記されています。

「各締約国は、この条約の対象である事項に関連する異常な事態が自国の至高の利益を危うくしていると認める場合には、その主権を行使してこの条約から脱退する権利を有する・・・」

以下に、国連安保理に対する3ヶ月前の通知という脱退手続きが記されているのですが、この条文から理解されることは、NPTは平時における条約であって有事、あるいは、軍事的衝突が懸念される状況下における適用は想定されていないという点です。考えても見ますと、同脱退条項は、当たり前と言えば当たり前です。何故ならば、物理的な力によって勝敗を決する戦争にあっては、兵器の能力が最大の勝利要因となりますので、一方にのみ絶対的な優位性を約束する兵器の保有、並びに、使用を認めると言うことは、合理的に考えればあり得ません。たとえ通常兵器において勝利を目前にしていたとしても、核保有国が非核保有国に対して核兵器を使用すれば、戦局はいとも簡単に逆転してしまうからです。勝利まで至らなくとも、少なくとも‘相打ち’まで持ち込むことはできましょう。現代に登場した核兵器は、古代ヒッタイトの鉄製武器、アレキサンダーのプランクス戦法、モンゴル帝国の騎兵そして近世の鉄砲や大砲の登場に勝る威力があるのです。

NPTの条文を丁寧に読みますと、戦時あるいは戦争リスクが強く認識される状況下においては、何れの締約国も核兵器の保有が国際法において許されているとしか解釈のしようがありません。この点を考慮しますと、ロシアによる軍事介入に直面しながら核保有という選択を怠ったウクライナの行動の方が、余程、不可思議なのです。あたかも、戦時にあってもNPTは厳格に遵守しなければならず、核兵器は保有できない、という条約上の拘束があるかのようにウクライナは振る舞っているのです。

同国がNPTからの脱退する正当な権利がありながらこれを行使しなかった理由としては、三次元戦争の視点から推理しますと、あえてNPT体制を維持するために同オプションを無視したのかもしれません。超国家権力体にとりましては、世界支配のためには、安保理理事国にして軍事大国でもある五カ国のみならず、イスラエルや北朝鮮(脅迫要員?)のみに核を独占させる方が好都合なのでしょう。ウクライナの非合理的な対応は、ウクライナ危機もまた、裏から操られた、あるいは、演出された可能性を示唆しているのです。

そして、台湾危機が中国による攻撃の可能性を高めている今日、日本国もまた、現状を‘この条約の対象である事項に関連する異常な事態が自国の至高の利益を危うくしている’として、NPT第10条に基づいて同条約から脱退することができるはずです(なお、NPTでは、3ヶ月前の通告を義務づけていますが、奇襲攻撃を受けるリスクが高い場合には、正当防衛権の行使として事後的であれICJ等に対して脱退の合法性を主張できるはず・・・)。中国の脅威に対抗するために、NPT再検討会議における議論の如何に拘わらず、日本国政府は、早急にNPTからの脱退に舵を切り替えるべきなのではないでしょうか。仮に、ウクライナと同様に、日本国もまた核保有に二の足を踏むならば、台湾危機にも超国家権力体が準備したシナリオがあるとする疑いがより一層濃くなるのではないかと思うのです。

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台湾有事が示唆する日本国の核武装の必要性

2022年08月04日 10時30分17秒 | 国際政治
アメリカのペロシ下院議長の訪台により、米中両国が双方とも台湾周辺海域に空母を派遣するという事態が発生しています。同議員の訪台については、米国内外を取り巻く政治事情を見据えた英断であるとする評価が見受けられる一方で、中国の過剰とも言える反応を考え合わせますと、いたずらに軍事的緊張を高めたとする批判もあります。仮に、両国間において軍事衝突が起きれば、第三次世界大戦への道も絵空事ではなくなります。しかも、今般の米中両国による一触即発の状況は、世界支配のためのシナリオの一環である可能性もあり、何としても、米中開戦は回避しなければならない重要課題となりましょう。

日本国にとりましても、米中戦争は他人事ではありません。先ずもって、開戦と同時に米軍の前線基地を叩くべく、人民解放軍が既に照準を合わせて準備してきたミサイルが在日米軍基地に向けて一斉に発射される可能性も否定できないからです。在日米軍基地は、「日本国の施政下にある領域」にありますので、日米安保条約の第5条が発動されることでしょう。言い換えますと、米中開戦は、日中開戦をも意味しかねないのです。

ここで注目すべきは、台湾有事に端を発する中国による日本列島への最初の攻撃は、米軍基地が対象となると想定される点です。仮に在日米軍基地を狙うならば、人民解放軍の攻撃手段は、上述したようにミサイルを用いざるを得ないこととなりましょう。米中戦争の段階では、中国には、日本国に対して攻撃を加える正当な口実はありません(もっとも、人民解放軍が、台湾と同時に尖閣諸島を侵略する可能性もありますが・・・)。日本国の領海や領空で自衛隊並びに米軍と闘い、日本国の制海権や制空権を奪うには相当の戦力の消耗を要しますし、否、返り討ちに遭うリスクもあります。中国にとりましては、人民解放軍を無傷なままで温存させ、在日米軍基地を含む日本国を壊滅させる最も効率的で効果的な手段はミサイルなのです。

中国による軍事行動にあって、最も恐れるべきはミサイル攻撃となりますと、日本国の防衛はあまりにも脆弱です。ミサイル防衛システムの開発は遅々として進まず、ミサイル攻撃に対してはいわば丸腰の状態にあります。日本国政府は、ウクライナ危機を目の当たりにして、防衛費の増額を伴う防衛力の増強を約束していますが、中国によるミサイル攻撃を防御できないのであればば意味はありません。現時点で米中戦争が起きれば、座して死を待つ状況となりかねないのです。

もっとも、最初の在日米軍基地に対する攻撃に際しては、中国は、核ミサイルの使用は控えることでしょう。即、アメリカによる核による報復を受けるからです(核大国間における相互確証破壊の作用・・・)。もっとも、米中戦争から日中戦争へと拡大した場合には、中国は、小型核兵器を含めて日本国に対してのみ核兵器を使用する可能性は相当に高いと言わざるを得ません。ウクライナ危機で明らかとなったように、アメリカが自国に対する核攻撃のリスクを負ってまで同盟国のために核の報復を決断するとは思えないからです(もっとも、対日核使用の報復として、米国が中国に対してミサイル発射基地、並びに、SLBM搭載の中国軍潜水艦の全てを壊滅するような一斉核攻撃を行う場合に限り、中国から米国本土への核による反撃は封じられる・・・)。

将来的には、ミサイル攻撃を完全に防御する、あるいは、無力化する軍事システムが確立するのでしょうが、それまでに間、ミサイル攻撃に対して無防備、あるいは、防御力不足の状態は続くこととなります。となりますと、完全ではないにせよ、唯一の防御手段は、核の抑止力に、核保有国に対する軍事行動のハードルを飛躍的に高める戦争抑止力をも期待する、核保有と言うことになりましょう。年初にあって、核の不使用は、安保理常任理事国でもある核保有5カ国が合意し、かつ、岸田首相も、今般のNPT再検討会議において公表した「ヒロシマ・アクション・プラン」の一つに挙げていましたが、戦時にあっては、如何なる局面にあっても核が使用され得る可能性があります。否、核の不使用は、むしろ、核の抑止力までも弱めてしまうのです(抑止力の源泉は、核使用の可能性に対する恐怖心にある・・・)。

このように考えますと、台湾海峡における米中間の緊張の高まりにより、日本国は、核武装の必要性に迫られているように思えます。この必要性は、中国による軍事侵攻の危機に直面している台湾にも認められましょう。そして、各国による核武装が第三次世界大戦への発展を防ぐ効果もあるとしますと、人類が、三次元戦争において勝利を収める未来も見えてくるのではないかと思うのです。

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ペロシ下院議長の訪台を三次元戦争の視点から見ると-米中合作?

2022年08月03日 13時42分15秒 | 国際政治
ウクライナ危機は、ウクライナを支援するアメリカの対ロ関係のみならず、覇権主義においてロシアと同質とみる中国との関係をも悪化させる要因となりました。今般のペロシ下院議長の台湾訪問も、自由主義並びに民主主義体制を擁護する姿勢を中国に見せつける対中牽制の狙いもあるのでしょう。ペロシ下院議長を乗せてマレーシアを飛び立った航空機は、米軍機であったそうです。

一日足らずとはいえ、ペロシ下院議長の訪台に対しては、勇気ある行動として評価する見方もあります。‘アメリカは、台湾を決して見捨てない’とする強いメッセージであり、台湾政府も国民も、さぞや心づく強く感じたことでしょう。本日、8月3日には、同議長は、台湾総統の蔡英文女史との会談のみならず、同国の議会である立法院の訪問も予定しており、権力分立を否定する共産党一党独裁国家、中国に対する‘当てつけ’なのかもしれません。

 その一方で、ペロシ下院議長の訪台に対する中国の反応は‘激烈’です。同議長は、過去にあって天安門事件を厳しく批判すると共に、チベット人やウイグル人への弾圧、並びに、香港問題についても人権問題として糾弾してきました。中国にとりましては、同議長はもとより‘好ましからざる人物’なのです。そのペロシ下院議長が、習近平国家主席が併合の方針を公言して憚らない台湾を訪問したのですから、中国は、「中国の主権と領土の侵害」とまで述べて猛反発しているのです。しかも、‘国家の主権と領土侵害’との認識にありますので、その反発は、外務省声明という名の共産主義国家ならではの口汚い‘口撃’に留まりません。

 報道によりますと、中国政府は、8月4日から7日にかけて「台湾を取り巻く海域6か所で実弾射撃訓練を実施する」と通告しているそうです。中国側では、既に中国軍用機「Su(スホイ)35」が「台湾海峡を通過している」とする中国国営新華社通信等による報道があります。その一方で、台湾のメディアも、‘中国軍のミサイル駆逐艦の航行が確認され’ると共に、‘空母「遼寧」と「山東」が出港した’とも報じています。‘台湾海峡波高し’の状況にあるのですが、米軍もまた、米海軍の関連団体「米海軍協会」によれば、米空母ロナルド・レーガンがフィリピン海に、強襲揚陸艦トリポリが沖縄周辺に展開しているそうです。

かくして、メディアは、偶発的な事件が米中間の軍事衝突を招きかねない危機的現状を報じることになるのですが、果たして、この米中間の対立激化は、両国間の応酬による偶然の成り行きなのでしょうか。このまま事態がエスカレートすれば、第三次世界大戦を招きかねないのですが、三次元戦争の視点から見ますと、以下のようなシナリオもあり得るようにお思えます。

 三次元戦争における第三の当事者は、国家ではなく超国家権力体です。そして、この勢力の目的は、第三次世界大戦を引き起こすことであり、二次元における当事国の一国は、ロシアであっても中国であっても構わないのです。ウクライナ情勢は、今日、膠着状態に陥っている上に、各国とも第三次世界大戦、あるいは、核戦争を警戒して、思い通りに戦線を拡大することができません。そこで、次なる‘発火点’として白羽の矢を立てたのが台湾であり、このためには、偶発的な事件を装って米中間の軍事的衝突を起こす必要があります。同シナリオにあっては、ペロシ下院議長の訪台は中国に対する‘挑発’であり、中国の過激とも言える軍事的対応も戦争への道を自然に見せるためのカバーストーリーの一幕なのです。

もっとも、超国家権力は、中国に対してはより手の込んだシナリオを準備しているかもしれません。体何故ならば、習主席の立場が危ういとする報道があるからです。同主席は、人事を掌握し切れていないとする報道もあります。同報道が事実であるならば、習主席は、自己を頂点とする独裁体制を維持するために、戦争に訴えるかもしれませんし、河北省の避暑地である北戴河にて毎年開かれている、歴代指導者や共産党幹部が結集する秘密会議において、アメリカに対する手ぬるい対応を責められ、開戦の決断を迫れるかもしれません。あるいは、上述した習体制の動揺が事実であるならば、同会議にあって、超国家権力体は習主席の首をすげ替えて、中国のトップにより戦争遂行にふさわしい人物をキャスティングするかもしれません。何れのシナリオであっても、誰もが納得してしまいそうなカバー・ストーリーです。

過去の二度の世界大戦に遭っても、背後から超国家勢力が各国を巧妙に操っていた節があります。ウクライナ危機にせよ、台湾危機にせよ、各国政府も国民も、三次元戦争の視点からシナリオの存在を疑ってみることも大事な作業なのではないかと思うのです。‘時代の潮流’なるものに流されて、多大なる犠牲を払わされないために。

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岸田政権もカルト政権?-「核なき世界」のお花畑

2022年08月02日 12時54分54秒 | 国際政治
 昨日、8月1日からニューヨークにて始まったNPT再検討会議は、核戦争へのエスカレートが危惧されるウクライナ危機の最中での開催だけに、国際社会からかつてない注目を集めています。唯一の被爆国である日本国を代表して岸田文雄首相も出席し、各国代表を前に演説を行ったのですが、同演説、どれほどの諸国の代表の心に響いたのでしょうか。これが怪しい限りなのです。

 岸田首相の演説の内容とは、大まかに言えば、‘核戦争の危機にある今だからこそ、非核化に向けて前進しよう’というものです。岸田首相が被爆地である広島出身ということもあり、同演説では、5つの行動計画からなる「ヒロシマ・アクション・プラン」も公表されています。5つの行動とは、(1)威嚇を含めた核兵器不使用の継続、(2)透明性の向上、(3)核兵器の減少傾向の維持、(4)核兵器不拡散と原子力の平和利用の促進、(5)各国首脳の被爆地訪問となります。この他にも「ユース非核リーダー基金」なるものを国連に設け、若者世代が被爆の悲惨な実態を知るためのネットワークを構築すると共に、各国の現・元首脳向けには、「国際賢人会議」の第一回会合を広島で開催するとも語っています。しかしながら、このプラン、‘お花畑’としか言いようがありません。

 第1に、核兵器の不使用を提起していますが、ウクライナ危機にあってロシアは既に核兵器の使用を示唆し、威嚇に用いている現実があります。今年の1月3日には、米英仏ロ中の国連安保理常任理事国の五カ国によって「核戦争の防止と軍拡競争の回避に関する共同声明」が発表されていますが、ロシアのみならず、中国が同声明の内容を誠実に遵守すると信じる人は殆どいないことでしょう。また、この行動規範は、核保有国を対象としていますが、首相のいう‘核保有国’にイスラエル、インド、パキスタン、そして、北朝鮮が含まれていなければ意味がありません。これらの諸国には何らの義務も課されませんので、非核保有国は、核による威嚇や攻撃の危機に晒され続けるのです。なお、核を保有していても使用さえしなければ‘問題なし’ならば、この核不使用の原則の下で、日本国を含む中小の非核保有国が抑止力として核を保有することも許されるはずです。つまり、核不使用の原則は、抑止的核保有の原則ともなり得のです(この点は、肯定的に評価できるかもしれない・・・)。

 第2、透明性の向上につきましても、あまりにも非現実的と言わざるを得ません。昨日、日経新聞の8月1日付の朝刊の一面には、「新疆核実験再開の兆候」とする見出しの記事が掲載されていました。この記事を読みますと、解析に用いた疑惑の衛星画像は、アメリカの民間企業であるPlanet Lab社よってもたらされたことが分かります。つまり、中国は、常に核開発や核戦略等の実態を隠しているのです。台湾有事を睨んで米中両国が小型核の開発競争にしのぎを削る中、今後とも、非核国の日本国の首相の呼びかけによって、中国が、自らの核戦略をオープンにするとは考えられません。なお、首相は、頓挫している核兵器用核分裂性物質生産禁止条約(FMCT)の交渉開始を求めていますが、この条約は、むしろ、原子力発電で生じるプルトニウム生産をも規制することとなるため、非核保有国の潜在的な核保有オプションを封じることが目的であるのかもしれません。

 第3に、岸田首相は、核兵器の減少傾向の維持と述べておりますが、核弾頭の削減が進展したのは米ロ間のみです。中国については今なおも野放しの状況にあり、同国が、対米バランスを目指して核弾頭数を増やしていることは疑い得ません。米中対話を後押しするともありますが、両国とも、それが結局は‘化かし合い’となることに内心気づいているはずです。

 第4につきましても、核保有国でさえ北朝鮮の核を放棄させない現状を全く無視しております。否、北朝鮮の事例は、経済的には最貧国であっても、核兵器さえ保有していれば、対等な立場から核保有国、すなわち、軍事大国を牽制し得る事例となっているのです。その一方で、ウクライナの事例は、「ブタペスト合意」を信じて核を放棄したものの、決して核保有国によって安全を保障されることがなかった悲劇を国際社会にまざまざと見せつけています(「ブタペスト合意」によってウクライナは、核保有を断念することの見返りとして、ロシア側から軍事侵略を受けないことが約束されていた)。

 そして、第5の各国首脳の被爆地訪問につきましても、その効果は期待薄です。何故ならば、原子爆弾の非人道性、並びに、その被害の凄まじさを知れば知るほどに、各国ともに、核攻撃を受けないがための抑止力としての核を保有しようとする意識も強まるからです。また、威喝として保有しようとする国も出てくるかもしれません。ミサイル防衛システムが未完成な今日において、核攻撃を防ぐ唯一の現実的な手段は、残念なことに核の抑止力しかないのが現状なのです。

 楽観的な見通しや油断が許されない国際社会の現状を知る各国の代表にとりましては、首相の演説は、いかにもこの世離れしたように聞こえたかもしれません。今般、安倍首相暗殺事件を機に自民党と新興宗教団体との関係が問題視されることとなりましたが、岸田首相の演説を聞く限り、同政権もまたカルトに染まっているのではないかと疑いも生じます。「核なき世界」を無責任に唱えていられるほど暢気な時代ではなく、目下、現実を見据えた合理的で冷静な思考を要する局面にあります。カルトというものが洗脳によって人の正常な認識力や合理的思考を歪めるならば、同提案は、まさしくカルト的なのです。

 もっとも、岸田首相の提案は、世界支配の観点からしますと、「核なき世界」という美名の下で中小の非核国を自発的にNPT体制に従わせるという意味においては理解の範疇に入りますし、詐術的ではあっても‘合理的’ではあります。新興宗教団体が超国家勢力によって組織された実行部隊である可能性を考慮しますと(NPT再検討会議については、政教分離の原則を無視して創価学会の池田大作氏も緊急提言を行っている・・・)、岸田政権は、やはりカルト政権にして傀儡政権なのかもしれないと思うのです。

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自民党の‘保守’は大日本帝国系?

2022年07月29日 12時16分25秒 | 国際政治
 保守主義と申しますと、自国が歩んできた歴史や今日に息づく伝統を大事にし、後世に末永く伝えてゆくことを良しとする考え方、というイメージがあります。国民一般が抱いてきた保守政党としての自民党のイメージも、対外政策に関しては親米という基本路線はあるものの、同党から当選を確実にした候補者が常々神棚を背に万歳しているシーンが報じられるように、日本古来の伝統の擁護者というものです。よもや、朝鮮半島系の新興宗教と密接な繋がりがあるとは思いもよらなかったことでしょう。

元統一教会は、同教団の親米路線、否、CIAの協力機関としてのポジションから発しており、延いてはアメリカの諜報機関であるはずのCIAを掌握している超国家勢力による世界支配に問題に行き着いてしまうのですが、自民党が、親朝鮮・中国でありながら、‘保守’を自称する背景として、戦前のその領域を台湾や朝鮮半島にまで広げた大日本帝国の存在があるように思えます(帝国の勢力範囲という観点からは、満州国や日本軍の占領下にあった中国の一部地域まで・・・)。

北は大ブリテン島から南は北アフリカまで版図を広げた古代ローマ帝国は、その末期にあって、‘ローマ人はいなくなった’と言われています。異民族が居住する周辺諸国を次から次へと征服したために、征服者であるローマ人は多民族国家におけるマイノリティになると共に、混血により古来のローマ人の血筋が希釈化されてしまったからです。しかも、皇帝の位にも、北アフリカやガリアなどの出身者などの非ローマ系の軍人などが就任するようにもなりました。自国民の消滅は、征服という業を背負う帝国の運命であったとも言えるかもしれません。

一方、今日の国民国家体系にあっては、一民族一国家を一般原則として成立していますので、帝国という存在は例外的な国家形態です。もっとも、中国やロシアは帝国の形態を維持しており、帝国的思考回路が、ウクライナ問題や台湾問題のみならず、日本国の安全保障をも脅かしていると言えましょう(もっとも、背後で両国を操る影の存在や地政学的思考にも問題が・・・)。主権平等、民族自決、内政不干渉等を原則として成立している国民国家体系こそ、国家間にあって支配・被支配の関係を造らず、フラットで自由な国際社会を約束しているのです。このことは、勝者であれ、敗者であれ、特定の民族が消滅する、という悲劇を生まない国際体系なのです。

いささか脇道にそれてしまいましたが、明治維新以来、日本国も、異民族を包摂する帝国となった時期がありました。台湾の併合は日清戦争による割譲によりますが、朝鮮半島のケースは条約による併合であり、満州国は‘日清合作’という側面もあります。何れにしましても、日本国の勢力は、今日の領域を越えて広がっており、アジアの大国の地位を不動のものとしていたのです。一般的な認識からすれば‘栄光の時代’となるのでしょうが、帝国の時代は、戦後にあってこれが消滅した後も、過去の栄華を取り戻すという復古主義的な意味における‘保守’という立場を生み出したように思えます。

このような大日本帝国系の保守系の人々の世界観、あるいは、国家観では、日本国という国の枠組みは、戦後のサンフランシスコ講和条約で確定された今日の領域に留まりません。頭の中の地図では、台湾、朝鮮半島、満州国、そして中国の一部も含まれているのでしょう。そして、戦後にあっては、戦前に外地に渡った日本人の引き揚げ者を含めて、朝鮮半島や満州と縁のある人々が、日本国内にあって民主的選挙を経て政治家となるのです(この際、アメリカ、あるいは、超国家勢力からの支援を受けていたかもしれない・・・)。元統一教会との関係が確認されている岸信介氏が、満州国の国務院高官であったのは単なる偶然ではないのでしょう。

満州国や中国大陸の事業や開発に携わった経歴を持つ自民党の首相経験者としては、岸信介氏以外にも、吉田茂氏(奉天総領事)、田中角栄氏(満州国にて兵役)、福田赳夫氏(汪兆銘政権の財政顧問)、大平正芳氏(興亜院勤務)、伊東正義氏(興亜院勤務)、中曽根康弘(主計科士官として台湾勤務)、並びに宇野宗佑氏(シベリア拘留)がおります。先代や先々代等を加えれば、森喜朗氏、小泉純一郎氏、菅義偉氏、岸田文雄現首相なども外地との関係が見られるのですが、しばしば首相候補として名が上がる山崎拓氏なども満州生まれです。こうした自民党政治家の経歴が、大日本帝国系の保守色を強める一因となったと推測されるのです。

もっとも、大日本帝国系の保守と国民一般がイメージしている伝統保守とは、時にして正反対の方向性を示します。前者が元統一教会や創価学会と言った朝鮮半島由来、あるいは、中国との関わりの深い新興宗教団体との間に強い親和性を有し、自国や自国民が消滅しかねない‘帝国化’を容認する一方で(移民やグローバル化も歓迎・・・)、後者にとりましては、これらの外来の団体は自国の独立性や独自の文化を壊しかねない危険な存在であるからです。否、後者にとりましては、自民党の保守は‘偽旗作戦’にしか見えず、とりわけ故安倍元首相は伝統保守を装っていただけに、多くの国民は、なおさらに騙されたように感じるのでしょう。

おそらく、米中両国を背後から操っている超国家勢力は、戦後、外地運営の経験者が多く(同ノウハウを戦後の日本支配に利用?)、大日本帝国系の保守色が強い自民党に、内側からの開国政策(グローバル化)を期待して支援すると共に、そのお目付役並びに動員手段の提供の意味を込めて元統一教会と創価学会というおよそ二つの新興宗教団体を‘貼り付け’たのかもしれません。そしてそれは、伝統保守を政治から排除するに等しく、かくして、伝統保守が大多数を占める一般の日本国民は、今日、支持政党を失ってしまうと言う危機的事態に陥っているのではないでしょうか(続く)。

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結果から見る自公政権と元統一教会との関係

2022年07月28日 14時43分37秒 | 国際政治
 日本国民は、自民党が創価学会という新興宗教団体を母体とする公明党と連立政権を成立させた時から、同党の‘保守’という立ち位置を疑うべきであったかもしれません。自公連立政権については、右に偏りがちな自民党を公明党が政権の内部から牽制してバランスをとる、といった説明がなされてきましたが、自民党と元統一教会との関係は、この説に疑問を投げかけています。自公連立政権の実態とは、日本国のコントロール装置として各種宗教・宗派の新興宗教団体を設立させた超国家勢力の、いわば傀儡政権であったことになりましょう。

 安部元首相暗殺事件を機に噴出している同疑惑について、自民党側は、組織的な関係はなかったと釈明しています。政治家各自の個人的関係やモラルの問題として片付けたいのでしょうが、元統一教会はアメリカのCIAやイスラエル等とも関係しており(かのウクライナにも支部が・・・)、同教団の政治性は、組織ぐるみの疑をさらに強めています。イスラエルは言わずもがな、CIAもユダヤ系超国家勢力の下部組織とする指摘もあり、アメリカという国家もまた日本国と同様に内部に支配装置が組み込まれている半ば傀儡国家であるのかもしれません。何れにしましても、自民党と旧統一教会、並びに、創価学会といった新興宗教団体との関係は、一般の日本国民にとりましては、自国を植民地にされかねない脅威以外の何物でもないのです。

 もっとも、自民党と元統一教会との関係を立証するのは必ずしも容易なことではありません(証拠も隠滅しようとするかもしれない・・・)。しかしながら、証拠には、状況証拠というものもあります。両者の関係性を確認するためには、戦後の自民党政権、とりわけ、安倍政権以降の自公連立政権が推進してきた政策を具に検証してみる必要がありましょう。
 
 例えば、最も国民の目に明らかであったのは、日本国民の学力低下政策とも言うべきゆとり教育の導入(今日では改善されていますが・・・)、多文化共生主義政策の推進、外国人優遇政策、そして、何よりも安倍政権下における移民受け入れ政策への転換であったのかもしれません。長期保守政権でありながら、日本国は、外国人にとりまして‘住みやすい’国へと変貌を遂げてゆくのです。しかも、バックが元統一教会と創価学会ですので、全ての外国人に対して等しいわけではありません。

おそらく、ビル・ゲイツ氏といったユダヤ系外国人は別格なのでしょうが、優遇の対象は、創価コネクションとしての中国人(台湾系も含まれるかもしれない・・・)、並びに、元統一会コネクションの韓国・北朝鮮人に限定されています。特に、国土交通大臣のポストが長らく公明党に独占されてきたため、今では、英語も併記されてはいるものの、公共交通機関にあっては駅名の表示などでは中国の簡体字、台湾で使われている繁体字並びにハングルが並んでいます。構内アナウンスもこれらの言語で行われますので、日本語は時空の両面において浸食を受けています。地方自治体レベルでも、行政サービスのウェブサイトでは、これらの言語が併用されており、今後は、東南アジア諸国出身者が増加するにつれ(信者の増加や現地での教団の利権に比例?)、他の言語も加わってゆくかもしれません。歴史に鑑みますと、海外(帝国内の他の地域・・・)から異民族を移住させる移民政策は植民地支配の伝統的な手法ですし(ミャンマーのロヒンギャやフィジーのインド系住民など・・・)、前借りをさせて海外に移民を送り出す移民ビジネス・モデルは、東インド会社以来の超国家勢力の利権なのでしょう。

また、教育分野における一般の日本国民に対する冷遇も際立っています。多くの日本人学生が奨学金という名の借金に苦しむ一方で、相当数の中国人留学生が、日本国政府から無償で学費のみならず生活費の支給を受けています。大学入試センター試験の外国語科目に韓国語が追加されたのも、元統一教会の圧力があったのかもしれません(民団や朝鮮総連の圧力もあったかもしれない・・・)。大学の教職員のポストを見ましても、人口比からしますとあり得ないほどのパーセンテージで中国や韓国出身者が採用されており、そのうち、日本人の研究者は‘絶滅危惧種’となるかもしれません。

経済の分野でも、ソフトバンクグループの孫正義氏は、日本国政府に取り憑いて利益を吸う‘政商’としても知られていました。さらには、韓国系のLINEが国や地方自治体の行政サービスに採用されていますし、平井卓也デジタル相がファウェイと懇意であり、危うく同社の製品が政府機関のデジタル化に伴い採用されるところでした。アリペイ等の中国系IT大手の日本市場参入を許したのも自公政権ですし、安全保障上のリスクを知りながら日本企業の中国進出を後押ししたのもの同政権です。

対外政策を見れば、竹島問題や尖閣諸島問題にあっても、単独提訴の道がありながら自公政権は煮え切らない態度をとり続けているのも、韓国配慮としか言いようがありません。慰安婦や徴用工問題についても、韓国の顔色をうかがって玉虫色の解決でお茶を濁そうともしています。およそ保守政権らしからぬ妥協を見せているのです。

芸能界には殆ど日本人はいないのではないか、とする疑念の声もあるのですが、そもそも、政治家にあっても殆ど個人的な情報が公開されていないため、国並びに地方自治体にあって、日本国籍は有しながらも、ルーツを朝鮮半島や中国等に遡る議員も少なくないと言います(なお、歴代首相には、満州等からの帰国者の家系が多いという特徴がある・・・)。芸能界やスポーツ界から政界に転身したタレント議員につきましても、その背景を調べてみる必要があるのかもしれません。

これらは主要な事例に過ぎないのですが、長期保守政権のはずが、日本国では、戦後一貫して日本社会の朝鮮半島化、ついで中国化とも言うべき現象が続いており(コンスの普及も・・・)、否が応でも、政治レベルにおける信者動員を含む元統一教会や創価学会といった新興宗教団体の組織的な活動、並びに、その背後に潜む超国家勢力の世界支配の戦略の存在を疑わざるを得ないのです(続く)。

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新興宗教団体による国家乗っ取り問題

2022年07月27日 14時57分25秒 | 国際政治
 自由には相互・平等性という制約があります。悪、すなわち、利己的他害性を容認する教義を信奉する教団は、信教の自由の名において保障を受けることはできないのです。そして、自由というものが、国家レベルにおいて独立性や自治(国民主権・民主主義)とおよそ同義となることに思い至りますと、‘宗教団体は、政治活動を行ってはならない’とする、政教分離の原則の重要性も自ずと理解されるのです。

今般の安部元首相暗殺事件が日本国の政治史において重大な転換点となるとしますと、それは、政治と宗教との関係を改めて問うたことにあったのかもしれません。山上容疑者の動機は、元統一教会の信者であった母親への教団への巨額の献金でした。このため、マスメディアは、同教団の集金マシーンとしての側面を社会問題として報じているのですが、この事件は、教団と信者、あるいは、信者家族との間のトラブルといった小さな問題ではありません。むしろ、元統一教会が教義として掲げていた対日攻略計画が、日本国の独立性、並びに、民主主義に対する重大な脅威であることが問題なのです。

同教団が公言している日本観は、言葉にするのも憚られるような内容なのですが、教祖の文鮮明は、日本国や共産主義国をサタンの国と見なす一方で、韓国は、イエス・キリストが再臨する地と捉えています(文氏は、自らをイエスの生まれ変わりと主張)。共産主義を批判しているように、基本的なスタンスは反共であり、このため、アメリカのCIAとの関係も指摘されています。また、同教団は韓国・朝鮮人をユダヤ系とも見なしている節があり、イスラエル政府とも繋がりがあるそうです。自民党と元統一教会との協力関係は、反共・親米という同一の立場から説明されるのですが、ユダヤ系というもう一つの共通項があるのかもしれません。

その一方で、同教団は、日本国の関係を共産主義国家という共通の敵に対する共闘関係に留めているわけではありません。文鮮明は、自らの‘恨’、すなわち、戦前の韓国併合の恨みを晴らすのは「エバ国家日本をアダム国家韓国の植民地にすること」「天皇を自分(文鮮明)にひれ伏させること」としている」とも述べています。仮に、韓国が日本国を植民地化すれば、自らも同じ罪を犯すことになると思うのですが、ここがカルトのためか、信者の誰もがおかしいとは思っていないようです。何れにしましても、公然と日本国の植民地化、すなわち、日本国民から主権を奪うことを目標に掲げているのですから、日本国のみならず、国際法上におきましても、主権侵害という犯罪行為を容認していることとなりましょう。言い換えますと、こうした国家の支配、あるいは、乗っ取りを目指している新興宗教団体との関わりは、政党にとりましては、外患誘致罪となりかねない危険な行為と言えましょう。

そして、この国家乗っ取りの問題は、創価学会についても同様です。創価学会が目標として掲げている‘総体革命’もまた、日本国の乗っ取り計画であるからです。しかも、創価学会の方が、日本国の伝統宗教である日蓮宗から分派しているため、韓国・朝鮮系であることがはっきりしている元統一教会よりもより危ない存在です。創価学会は、‘総体革命’の名の下で、信者を、皇室、政治家(別働隊としての公明党)、官僚、財界、法曹界、メディア、教育・・・など、あらゆる分野の中枢ポストに送り込むことで、合法的に日本国の国権を掌握しようとしてきたからです。政治家は民主的選挙を経なければならず、全議席を掌握することは困難ですが、官僚であれば信者が国家公務員試験に合格し、採用されればポストを得ることができます。信者官僚は、国家よりも教団を優先しますので、日本国憲法第15条1項に違反する可能性もありましょう。また、法曹界や教育界といった資格試験に合格すれば職を得られる分野も要注意ですし、人事権を教団側に掌握された私企業なども要注意です。さらには、メディアや芸能界といった民間部門であれば、資金力と組織力によってより簡単に信者を送り込むことができます。そして、ここに、新興宗教団体による国家乗っ取りを許してもよいのか、並びに、国家の乗っ取りを目的とする新興宗教団体に宗教法人の認可を与えてもよいのか、という問題が提起されるのです。

創価学会も、教祖とされた池田大作氏の朝鮮半島出身説に加え、‘インターナショナル化’するにつれて、統一教会と同様の海外勢力による日本国の乗っ取りという側面が強くなります。しかも、中国と強い‘友好’の絆で結ばれており、公明党を介して日本国の安全保障も内側から切り崩される事態が既に現実的な問題として認識されているのです。元統一教会も創価学会も、全体主義体制の成立を標榜していますので、政治、経済、社会などあらゆる分野を含む‘日本国全体’に対する脅威とも言えましょう。そして、両者の背後にあって、新興宗教団体を操って日本国をコントロールしたい超国家権力体が蠢いていることは、極めて蓋然性の高い推測なのです。

 このように考えますと、政教分離の原則は、宗教団体による国家乗っ取りを防ぐ作用を有していることが理解されます。同原則の成立背景には、フランス革命期におけるカトリック排斥があるのですが、同原則は、伝統宗教のみならず、新興宗教団体に対しても個人の自由のみならず、国家の独立性と民主主義を守るための有効な手段なのです(続く)。

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民主主義を内部から壊す新興宗教団体

2022年07月25日 12時45分40秒 | 国際政治
君主という存在は、かつては統治者であり、かつ、伝統的な権威をまとっている以上、本質的に、民主主義という価値との間に摩擦を起こしやすいという問題を抱えています。しかも、外部の組織に操られているとなりますと、民主主義のみならず、国家の独立性や安全保障にとりましても脅威となり得ます。そして、新興宗教団体もまた同一の外部組織の支部である可能性は極めて高く、いわば、上下から挟む形で一般国民を追い詰める作戦が遂行されていると推測されるのです。そこで、新興宗教団体を政治学的に見てみますと、以下のような非民主的な要素が確認されます。

第1に、統治の正当性は、人ではなく、神に求められます(近代民主主義体制では、統治の正当性は国民から発する)。神からの神授をもって自らの正当性を主張する形態は、歴史的にはヨーロッパの王権神授説、中国の天命思想、そして日本国の‘天壌無窮の御神勅’にも見受けられ、近現代では、太平天国の乱の洪秀全などもこの事例となります(ユダヤのメシア思想か・・・)。そして、今日、新興宗教団体の教祖が国家や世界の支配を主張するに際しても、自らを‘神から選ばれし者’として振る舞うのです。この主張に対しては、大多数の一般の人々は認めないものの、教団の信者たちは信じ込んでいますので、大変、厄介です。

第2に、新興宗教団体が目指す国家体制とは、全体主義の一類型としての神権政治です。神権政治である以上、建前としては神が人々を統治するという構図となりますので、人々が、国家体制の選択を含めて自らの事は自らで決定する、という民主主義の基本原則とは相容れません。イスラム宗教国家であるイランのように指導者を国民が民主的選挙を経て選ぶことはできても、国家体制そのものの選択は、原則としては許されないのです。この側面は、共産主義国と言ったイデオロギー国家とも共通しております。

第3に、新興宗教の教祖が夢見る国家や世界とは、教祖を頂点とした独裁体制と言っても過言ではありません。信者達がその実現を熱望し、熱心に協力するのも、同体制が成立すれば、自らは‘特権階級’に取り立てられると期待しているからなのでしょう。教祖独裁体制では、人々が自らの問題について自由に議論し、合意を形成してゆくという民主的なプロセスは存在しません。神の名の下で命令が下され、人々は、それに従うのみの存在となるのです。

第4として指摘されるのは、全てではないにせよ、新興宗教団体の教祖の座は、神から選ばれた特別な血統という文脈において世襲される傾向にある点です。言い換えますと、民主的な選挙をもって統治に携わる者が選出されるのではなく、王族や皇族と同様に、教祖の子孫達によって閉鎖的に継承されるのです。元統一教会の教祖に至っては、日本国の皇統のみならず、他の諸国の王統にも自らの血統を加えようという野望を抱いていました(実際に、既に起きている可能性も・・・)。因みに、正統を乗っ取る作戦も、新興宗教団体の特徴かもしれません。バチカンのフランシスコ法王は、歴代法王にあって初めてのイエズス会出身の法王となりましたが、カトリックは、ついに‘元祖新興宗教団体’とも称すべきイエズス会に乗っ取られたと言えるかもしれません。

そして第5点としては、その積極的な政治活動を指摘することができましょう。元統一教会や創価学会は言わずもがな、オウム真理教などの新興宗教団体の多くは、自らの理想をこの世に実現するための手段として政治権力を求めています。国家権力の完全掌握に至るまでの過渡的な段階にあっては、政党の利用が目的地までの最短距離と考えているかもしれません。歴史には、共産党、ナチス、ファシスタ党と言った思想団体の成功例もあります(イデオロギー政党と新興宗教団体には共通性がある・・・)。創価学会は公明党という別働隊の政党を造りましたが、他の新興宗教団体もまた、元統一教会のように政治家と癒着したり、組織力を背景に、政治資金の提供や選挙活動への協力など様々な手段を用いて裏道から政治に影響を与えようとするのです(統一教会は自民党?)。そして、政治の側にとりましても、その信者集団は大量動員し得る圧力、あるいは、同調圧力団体としての利用価値が高いのです。

仮に、宗教団体ではなく、同様の教義を掲げて政治団体として設立されたとすれば、即座に民主主義を否定する危険思想団体と見なされたことでしょう(公明党は、創価学会が目指したとされる総体革命の構想については、国民に隠している…)。言い換えますと、新興宗教団体とは、民主主義体を内部から破壊する装置という警戒すべき側面が見られるのです(続く)。

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世界支配と王族・皇族との関係は?

2022年07月22日 12時42分05秒 | 国際政治
 今日、不思議なことに、毎日のようにイギリス王室の話題が日本国内でも報じられています。日本国民にあってそれほど関心が高いようにも思えないのですが、イギリス国内のイベントへの出席といった些細な出来事まで、ファッション情報などを交えて報じているのです。あたかも、芸能人のような扱いなのですが、イギリスの王室のみならず、日本国の皇室にも同様の傾向が見られます。

 戦前にあっては、王族や皇族はほとんど国民の前に姿を現さないのが一般的であり、それ故に、超越性を帯びた権威としての威厳や崇高性が保たれてきた感があります。しかしながら、今日にあっては、マスメディアが敬称を付けてうやうやしく報じる一方で、当の王族や皇族のメンバーは、いたって普通の人です。一般の国民との間に差異がないため、むしろ、メディアの畏まった報道ぶりがお芝居じみていて滑稽にも見えてしまうのです。

 それでは、何故、王室や皇室は、かくも奇妙な状況に置かれているのでしょうか。しかも、この現象は、王族や皇族が存在する諸国においておよそ共通しているのです。これまで、本ブログでは、世界支配の問題を扱ってきましたが、世界支配の観点から見ますと、同現象も不思議ではなくなり、その目的も見えてきます。

 現代という時代にあっては、民主主義という価値が尊重され、国家の統治権力は君主の手を離れています。英国でも、近代以降にあっては‘君臨すれども統治せず’と言われるように、少なくとも建前としては、国王は為政者ではありません。しかしながら、権威というものだけは世襲制をもって子孫に引き継がれており、国民に対しては一定の影響力を保持しています。世界支配の観点からすれば、これほど利用価値のある存在もないと言えましょう。少なくない国民が、その一言でひれ伏してしまう、あるいは、受け入れがたい要求であっても、自発的に応じるからです。○○様がおっしられるのならば、あるいは、△△様がなさっておられるので、私も・・・となるのです。新興宗教団体をしのぐほどの、最大の同調圧力装置ともなり得るのです。

 その一方で、超国家性を特徴とする世界を支配したい側は、王室や皇室を中心に国民が一致団結することも、その国が培ってきた伝統や文化が大事に保持されることも望みません。全人類を言葉巧みに誘導して画一化し、国家という枠組みを融解させると同時に、世界全体を一元的に支配したいからです。となりますと、同権力体にとりまして、王族や皇族という存在は、自らのシナリオ通りに‘王族’や‘皇族’を演じればよい、ということになります。本物であっても、偽物であっても構わず、そのメンバーを自らのコントロール下に置くことが重要なのです(しばしば、皇族は、時と場所によって同一人物に見えないとする指摘がある・・・)。王族や皇族の‘芸能人か’も、この文脈にあって理解されましょう。そして、最も望ましいのが、王族や皇族を自らの身内に変えてしまい、かつ、取り巻きも身内やメンバーで固めてしまうことであることは、言うまでもありません。

 このため、今日の王族や皇族の行動は、‘時代の先端をゆく’こととなります。宮廷や朝廷に伝わる古式ゆかしい生活をおくるわけでも、伝統的なモラルに従った敬虔にして慎ましやかな生き方をするのでもなく、むしろ、権力体が望む‘今風’であることが求められます。言い換えますと、今日の王族や皇族は、一般の国民からは伝統の継承者、あるいは、高潔な人柄であるよう期待される一方で、‘上司’である権力体からは、その逆に伝統の破壊者であることを命じられているのです。しばしば両要求は激しくぶつかるのですが、権力体にとりましては、たとえ国王や天皇が廃止されたとしても、むしろ一元的世界支配にとって煩わしい存在がなくなりますし、存続すれば存続したでその利権を含めて利用できるのですから、どちらであっても構わないのでしょう。

王族や皇族の振る舞いはどこか一貫性がなく、‘ちぐはぐ’な印象を与えるのも、これらの存在の二重性に起因しているのかもしれません。例えば、最近、日本国内でも、連日のごとくに皇居内の紅葉山御養蚕所にて行われている養蚕の行事の様子が‘伝統の継承’として報じられていました。この‘儀式’は明治期に始まったことを思い起こしますと、かくもメディアが同行事をクローズアップする理由が容易に理解できます。皇統の継続性の問題は別としても、明治以来の近代天皇とは、開国をもって日本国を清国に代わる絹糸や絹布の一大生産国としたい権力体によって擁立されているからです。日本古来の‘伝統’はいつの間にか消されてしまい、権力体が決めた‘伝統’にすり替えられてしまっているのです。

そして、新興宗教団体もまた、同権力体が所有する装置の一つであるとしますと、社会全体は、上下から中間層とも言える一般の人々を挟み込む形で、一定の方向に誘導されてしまう、ということになりましょう。両者が揃ってこそ、権力体が望む権威主義体制が維持されるからです。

現実に観察される様々な奇妙な現象や入手し得る情報に基づいて以上のように世界支配の王室・皇室利用を推測しますと、一般の国民は、今日、深刻な危機に直面しているように思えます。仕掛けられている罠に嵌まらないためには、まずもって、世界支配の‘からくり’に気付く必要があるように思えるのです。

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支配装置としてのメディア・芸能界支配の問題

2022年07月21日 10時52分32秒 | 国際政治
 アメリカ映画には、1941年に公開された『市民ケーン』という作品があります(オーソンウェルズ監督・主演)。ハリウッド映画には、見る人が見ればわかる、風刺、あるいは、暴露的な要素が強いのですが、同映画も、ウイリアム・ランドルフ・ハーストという実在の新聞王をモデルとしており、同氏が映画上演を妨害したことでも知られています。

極寒の地の小さな下宿屋に生まれた主人公のケーンは、親がひょんなことから金鉱の権利書を手にしたことからニューヨークの銀行家サッチャーの元で養育され、長じて37もの新聞社と二つのラジオの所有する大富豪となります。やがて、大統領の姪を妻としたカーンは、市民の味方を装って大衆受けする公約を掲げてニューヨーク州知事選挙に立候補するものの、ライバルである現職知事がスキャンダルを暴露したことにより、落選の憂き目を見ます。その後、大統領の姪とは離婚してスキャンダルの原因となった歌手スーザンと再婚し、自らが支配する全メディアに‘よいしょ記事’を書かせ、大々的にスーザンを売り出すのです。結局、スーザンは精神を病むにいたり、利己的なカーンをなじって彼の元を去るのです。

ちなみに、カーンのモデルとなったハーストは、新聞王にして、下院議員を務めるとともにニューヨーク市長選にも当選した政治家でもありました。私生活にあっても、パトロンとなった歌手を、自らが所有するメディア並びに財力を持って大スターへの階段を上らせようとしました。1906年のニューヨーク州知事選には落選するものの、今日でも、ハーストのメディア事業は、ハースト家が社主として経営しているハーストコーポレーションに引き継がれています。新聞部門はアメリカ国内が中心ですが、雑誌部門では、『コスモポリタン』、『マリークレール』、『セブンティーンズ』などの雑誌が海外展開しており、日本国内でもこれらの雑誌名を知る人は少なくないかもしれません。

1940年代の作品とはいえ、同作品で描かれている富裕者、政治家、メディア、芸能界との基本的な関係は、今日でも当時とさほどには変わりはないのでしょう。大富豪がメディアを所有し、その影響力をもって政治権力をも手にすると共に、芸能界をも支配しようとする基本的な構図は、そこかしこに見られます。

メディア支配の動機は、情報というものの重要性を考えれば容易に理解されます。今日、中国が最先端のITを用いて徹底的な情報統制体制を敷いていますが、‘情報を制するものは世界を制する’からです。新聞社といった情報提供機関は、報道に先立って、自らの判断で内容を取捨選択し、悪質な場合には改竄したり歪曲し得る立場にあります。また、記者たちが、根掘り葉掘りあらゆる情報を収集しようとしても、誰もが取材と思い疑いません。情報化社会を迎えた今日では、IT大手がこの立場を半ば得ているのでしょう。誰よりも早くに情報を手にし、あわよくば情報を操作したい者にとりまして、メディア支配は、あらゆる面で極めて有利なポジションを得ることを意味するのです。

それでは、何故、芸能界も同関係図に入っているのでしょうか。おそらく、それは娯楽である故に、反発を受けることなく人々を自発的に一定の方向に導くことができるからなのでしょう。あるいは、「パンとサーカス」の路線からすれば、政府や政治家に対する民衆の不満を紛らわすための、‘サーカス’を提供する役割を期待しているのかもしれません。民衆が‘サーカス’に熱中している間は、その興行主である大富豪も政治家も安泰です。また、人気のある芸能人と自らが一体視されれば、拍手喝采を浴びてヒーロになることもできます。つまり、自らの傘下にあるメディアを上手に操作すれば、芸能人の人気を自らの地位の安定のために利用できるのです。もっとも、架空のカーン氏や実在のハースト氏のように、巨額の‘投資’にもかかわらず、人々が踊らずに思い通りにはいかないこともあるのですが・・・。

今日、各政党とも、選挙に際して積極的にタレントを候補者として擁立するのも、それが有効な政治的目的を達成するために効果的であるからなのでしょう。そして、随分と回り道をしてきましたが、この芸能界支配の問題は、新興宗教団体の問題とも繋がってきます。芸能界には創価学会員が多いことで知られていますが、政府広報やNHKにあって創価タレントの起用が目立って多いことは事実です。おそらく与党公明党の意向なのでしょうが、政治と芸能界の関係には、娯楽を介した国民誘導、あるいは、支配という目的が透けて見えるのです。しばしば、ネット上では、‘○○押し’にうんざりする、という批判がありますが、これは、実力や実際の人気と、当該タレントが起用される頻度との間の不自然なギャップを表していると言えましょう(背後に何者かの意向が腹炊いている?)。

また、かつて日本国で流行った韓流というものが、自然発生的なものであったとは思えません。何故ならば、何らの背後の意図もなく、韓国の芸能人が日本国内で爆発的な人気を博するとは考え難いからです。『冬のソナタ』なるドラマが発端となったとされていますが、同ドラマの内容からしますと、熱烈的なファンとなるのは中高年の女性に限られています。それにもかかわらず、全国的な広がりを見せた背景には、組織的な宣伝活動があったと推測せざるを得ないのです。この現象にも、政治サイドによる後押し、並びに、韓国系の旧統一教会、あるいは、創価学会による信者動員が疑われましょう。

 ‘韓国押し’は芸能界に限ったことではなく、日本国内のウィキペディアでも言語版の選択にあって、どうしたわけか、デフォでハングルが表示されています。『市民ケーン』でも、映画の序盤にあってケーンの死去を伝える日本の新聞が映し出されるシーンがあり、その新聞名は韓国の新聞紙である『中央日報』となっているそうです。謎が謎を呼びますが、不自然な現象の背景には、何者かによる組織的な世界支配の戦略を想定する方が、余程、説明がつくのではないかと思うのです。

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圧力あるいは同調圧力集団としての新興宗教団体

2022年07月20日 13時22分23秒 | 国際政治
新興宗教団体の信者たちとは、悩める者、海外出身者、あるいは、麻薬常習者といった人々である可能性が極めて高く、このため、必然的に社会全体からすればマイノリティーとならざるを得ません。否、新興宗教団体を創設し、‘使う側’は、必ずしもマジョリティーとなることを望んでいるわけではないからです。むしろ、上部の指揮命令が末端の信者まで行き届き、かつ、機動性に優れた小集団である方が望ましいのでしょう。なお、ここで言う‘使う側’とは、必ずしも教祖とは限りません。

 新興宗教集団が小集団であることが、それを‘使う側’にとりまして好都合である理由は、その目的にあるものと推測されます。新興宗教集団の特徴の一つは閉鎖性にありますが、同閉鎖性は、社会から完全に切り離された状態を意味しているわけではありません。自らが信じる、あるいは、目指す世界観を実現するためには、外部に対して積極的な働きかけをしなければならないからです。言い換えますと、新興宗教団体とは、それを‘使う側’にとりましては、自らの目的を実現するための実行部隊であり、いわば、‘手足’なのです。

 それでは、社会にあって新興宗教団体はどのような活動を行っているのでしょうか。一般的には、まずもって教説の布教や信者の勧誘を行っているものと考えられます。しかしながら、カルト的な教えを信じる人も入信しようとする人も、それほど多いわけではありません。最初から教団の名前を出せば、多くの人々は、慌てて逃げて行くことでしょう。そこで、教団側は、ステルス作戦を行っています。つまり、信者たちは、自らが教団の一員であることを隠した上で、外部の一般の人々と接触しようとするのです。

 ‘自分は、統一教会員である’、‘自分は創価学会員である’といった自己紹介を受けた人はほとんどいないことでしょう。信者たちは、自らが教団の一員であることを伏せた上で、少しづつ少しづつ教団の側に引き込もうとするのです。教団のメンバーであることが、発覚した場合、‘世間の噂話’となるのも、そのステルス性に起因しており、信者同士ではお互いをメンバーとして認識することがあっても、外部の人々には殆どわからないのです。この強いステルス性は、教団を‘使う側’にとりましては、大変好都合です。

 第1に、社会全体を内部から他の人々から気が付かれずに変る作戦を遂行することができます。例えば、マーケット戦略の一つに‘さくら作戦’というものがあります。それは、新製品などを販売したり、新しい店舗を開店するといった際に、報酬の支払いを以ってそれを使ってもらったり、お店の前に並んでもらうと言うものです。自らの世界観を実現しようとする場合、教団を利用すれば自然に社会全体に広げることができます。韓流の流行などもこの手法によるのかもしれません(併せてメディアの利用も…)。

 自由な言論空間であるはずのネット上でも、時事問題などについて、不自然なぐらいに同じようなコメントが並ぶことがありますが、世論を一定の方向に誘導しようとする意図が窺えます。こうしたケースにも、‘さくら作戦’が用いられているかもしれません。政府もまた国民を特定の方向に導くために‘さくら作戦’を採用しないとも限らず、この際、信者数の多い統一教会や創価学会は、願ってもいない実行部隊となり得ましょう。

 第1の手法は誘導ですが、新興宗教団体が、よりアグレッシブな‘同調圧力団体’となることもあり得ます。第2の利用方法は、同調圧力を生み出すことです。自らの方針に反する一般の人々に対して、一般人を装いながら圧力をかけていくのです。政府が積極的に推進した今般のコロナ・ワクチン接種に際しても、同調圧力が社会問題化しました。そして、この同調圧力については、与党公明党の母体である創価学会が協力したとの指摘もあります。この説の真偽は確認されていませんが、こうした‘噂’が流れるのも、新興宗教団体の政治・社会的な活動に多くの人々が警戒している証とも言えましょう。そして、ヒトラーユーゲントや紅衛兵といった組織的同調圧力こそ、独裁的な権力掌握の手法の一つであったことを思い起こしますと、新興宗教団体における政治的危険性が垣間見えるのです。

 そして、第3の利用方法とは、信者の大規模な動員により、権威主義体制、あるいは全体主義体制を強化する、あるいは、同体制に導く導火線となり得ることです。例えば、皇族の姻族については他の新興宗教団体との関連も報じられましたが、皇族の外出に際して街路から‘声かけ’なるものを行ってきたのは、動員された創価学会員であるとされてきました。権威が権威を保つためには、国民からの求心力を維持する必要があります。権威保持を演出するためには、演技者が要するのですが、新興宗教団体ほど、この役に適した組織はありません。一度に多数の信者を集めることができますし、指示通りに行動してくれるからです。

 以上に三つほど主要な利用方法を述べてきましたが、何れも、極めて政治・社会性が強く、宗教の領域に留まるものではありません。そして、それ故に、新興宗教団体と政治との関係は、一般の国民にとりましては極めて危険なものとなるのです(続く)。

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新興宗教団体に入信する人々の動機とは?

2022年07月19日 13時17分51秒 | 国際政治
新興宗教団体には、教団そのものに加え、信者の入信問題があります。信者が新興宗教団体に入信する場合、必ずしも動機は一つではないのでしょう。

 多くの人々がイメージしているのは、耐え難い苦しみや悲しみから救われるために、精神的な安寧を求めて特定の宗教団体に入会するというものです。しばしば‘新興宗教団体は、人の弱みに付け込む’として非難されるのも、精神的に不安定な状態にある人々、すなわち、判断力が低下している人々を主たる勧誘のターゲットとするからです。心神耗弱状態に近いわけですから、正常な判断力を欠いており、いわば、騙される形で入信してしまうのです。勧誘に際して、新興宗教団体側は甘言を弄し、様々な誘導トリックを準備しているのでしょう。教団側のマインドコントロールやカルトに嵌った信者の精神状態については多くの心理学者や専門家等が書籍なで説明していますが、おそらく、何らかの‘マニュアル’があるものと推測されます。この場合、入信者は、騙されてしまった被害者ということになります。

しかしながら、考えてもみますと、既存の伝統宗教・宗派の施設や団体もあまたあるのですから、心の救い説では、新興宗教団体の信者の数が多すぎるように思えます。一般の人々には、敢えて怪しい新興宗教団体に加入する必要性はないのです。そこで、別の動機を推理してみることとしましょう。

第2に推定される動機は、出身国を同じくする同朋意識です。例えば、キリスト教系の統一教会の創始者である文鮮明氏は現在の北朝鮮の地に生まれており、教団の本部も韓国にあります。日本国内の組織は支部に当たるのでしょうが、その信者の多くが、朝鮮半島出身者、あるいは、その子孫たちや縁者たちであることは容易に推測されます。一方、創価学会は、その母体は日本国の伝統宗教である日蓮宗なのですが、教祖である池田大作氏も、朝鮮半島出身と囁かれています。同教団の親中、あるいは、反日的な姿勢は、同氏の出自にも由来しているのかもしれません。同教団のインターナショナルな志向も加わって、今日の創価学会のメンバーの多くも、中国や朝鮮半島などの海外諸国に出自を持つ人々も少なくないはずです。日本国内において海外出身故の阻害意識が強いほど、教団の結束力も強まるのでしょう。

となりますと、新興宗教団体の入会動機には、同胞との親睦、並びに、民族的結束が加わります。すなわち、新興宗教団体には、民族団体、あるいは、移民系団体という性格を帯びることとなります。しかも、出身国が日本国に恨みを持つ、あるいは、敵対視する反日国ともなりますと、日本国内にあっては、反日活動、あるいは、出身国の文化拡大に従事することともなりかねないのです。安倍政権下にあって、保守層の反対を無視して移民受け入れ拡大へと大きく政策が転換し、LINEといった韓国系企業や中国系IT企業等が日本国内で幅を利かせるようになったのも、新興宗教団体と政治との繋がりによって説明し得るかもしれません。そして、このケースでは、信者による献金は、一種の‘政治献金’という色合いが強くなるのです。日本国を、自分たちの都合の良いように内部から変えてゆくための…。

第3の動機は、麻薬による誘引です。日本国を含め、多くの諸国で麻薬は禁止されていますが、新興宗教団体の内部では、信者たちが密かに使用しているとする根強い噂があります。今日、宗教法人は手厚く保護されていますので、警察も、むやみに立ち入ることはできません。言い換えますと、新興宗教団体の施設の内部は‘治外法権’となり易く、館内で違法行為が行われていたとしても発覚しずらいのです。麻薬による快楽によって教団から抜け出ることができない信者も少なくないのかもしれません。

 そして、麻薬利権がイエズス会や東インド会社等の流れをくむ超国家権力体の利権となってきた歴史を考慮しますと、新興宗教団体の存在は、急速に超国家権力体に近づきます。超国家権力体による許可や配分がなければ、新興宗教団体は、麻薬を入手することができないからです。かつて満州国にあったとされる麻薬利権も、当事の大日本帝国、あるいは、政府高官が、超国家権力体の強い影響下にあったことを示唆しています。今日でも、故安倍元首相時代を含め、自民党内から大麻解禁論が提起されていますが、麻薬は、超国家権力体を理解するキーワードかもしれません(自民党の保守とは大日本帝国系の保守では…)。因みに、地政学の泰斗であった曾村保信氏は、その著書『地政学入門』において「麻薬の製造と販売網を制する者は世界を制するということわざがあるかないかは知らない」と半ば本気で書いています。

 オウム真理教も凶悪犯罪集団となりましたが、新興宗教団体の閉鎖性は、信者たちを他の一般社会から隔離させると共に、犯罪の温床に閉じ込めてしまうリスクがあるのです(続く)。

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