万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

オリンピック関係者はサイコパスなのか?

2021年07月23日 12時58分19秒 | 国際政治

 本日、7月23日、いよいよコロナ禍にあって迷走し続けてきた東京オリンピック・パラリンピックの開会式を迎える日となりました。従来の大会であれば祝賀ムードに包まれているはずなのですが、’煽り役’のメディアでさえ控えめの報道に終始しています。その要因の一つには、開会式を直前にして過去の差別的な発言や非常識な行動が問題視され、職を解かれた小山田圭吾氏、並びに、小林賢太郎氏といったオリンピック関係者の存在があるのでしょう。そして、今般、両氏に輪をかけて国民の反感を買っているのが、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の参与を務める実業家の夏野剛氏の発言です。

 

 問題視されている夏の氏の発言とは、「そんなクソなピアノの発表会なんてどうでもいいでしょう、五輪と比べれば。それを一緒にするアホな国民感情に、今年選挙があるから乗らざるを得ないんですよ」というものです。同発言を言葉を補って解釈しますと、「国民が楽しみにしている行事やイベントなどは、世界的な大イベントであるオリンピックと比較すれば取るに足りないもの。そもそも、オリンピックと国民の行事を同列に論じることが間違い。両者の区別が分からずに批判する愚かな国民感情に配慮する必要など、本来はない。それでも日本国政府(自民党と公明党)は、今年の衆議院選挙を控えているので、表向きはこの愚かな国民感情に付き合わざるを得ない。ああ、馬鹿馬鹿しい…」ということになりましょう。

 

 この発言、TVのニュース番組「ABEMA Prime」に出演しての発言ですので、内輪での発言や独り言ではなく、国民一般に向けられていることは疑いようもありません。即ち、国民に面と向かって、上から目線で民間行事やイベントを貶し、国民を愚か者として侮辱しているのです。常識的に考えれば、現状にあってさえオリンピックに対する国民感情が悪化しているのですから、火に油となることは容易に予想できるはずです。あからさまな侮辱を受けて、素直にそれを受け入れて納得する人など殆どいないからです。

 

 案の定、同発言は多くの国民から激しい批判を浴びることとなったのですが、その主たる批判点は、一般の国民は、オリンピックよりも自らの一生の思い出ともなる身近な行事やイベントの方を大事にしているというものです。オリンピックとは、確かに莫大な国費が投じられる国際的な大イベントですが、国民からしますと、たとえささやかであっても、運動会や修学旅行、さらには学芸会や発表会などは一生に一度の出来事ですし、かつ、自らの体験として記憶に残るもののほうが重要です。

 

しかも、夏野氏は、’クソなピアノの発表会’という具体性のある一つの事例で表現することで、自らも両者を混同してしまっています。何故ならば、オリンピックは’一つ’ですが、民間の行事は全国津々浦々無数にあり、数においてはオリンピックを圧倒的に凌駕するからです。つまり、イベントの規模において両者を区別し、オリンピックの優位性を主張しながら、量においてはオリンピックが劣位することに気が付いていないのです。

 

 また、夏野氏はオリンピックに至上の価値を置いていますが、これも怪しくなってまいります。しばしば、オリンピックに出場するアスリートに対しては、常々、オリンピックの舞台に立つために涙ぐましい努力を重ね、厳しい訓練に耐えてきたとして賛辞を惜しみません。しかしながら、よく考えてみますと、目的の達成を目指して一生懸命に努力する姿は、アスリートに限らずあらゆる職業において見られます。否、今や娯楽産業の一部門となったスポーツよりも、国民生活や公共の福利において貢献度が高い産業や職種も少なくないのです。また、’クソなピアノの発表会’という言い様からしますと、夏野氏は、芸術の価値も低く見ているのでしょう。

 

国民からの反発が予測されるにも拘らず、同氏がこうした国民侮蔑的な発言をして憚らないとしますと、サイコパスを疑わざるを得なくなります。そして、こうした国民を見下すような傲慢な態度は、IOCのバッハ会長をはじめオリンピック関係者に多々見受けられます。それとも、敢えて利権に塗れ、堕落した’オリンピック・ソサイエティ’の本性を自ら暴露することで、将来に再生を期した自滅を試みているのでしょうか


’デザインベビー’の盲点-子の’他人化’では?

2021年07月22日 13時06分35秒 | 国際政治

 今日、遺伝子工学は長足の進歩を遂げています。DNAの塩基配列の操作も自由自在であり、商品作物や家畜を見ても、遺伝子組み換え技術によって劇的に品質が向上した品種も少なくありません。テクノロジーの発展には際限がなく、遺伝子組み換え技術の先には、’ヒトの遺伝子組み換え’も見えています。親が遺伝子を選び、完璧な容姿と超人的な能力を備えた赤ちゃん、即ち、’デザインベビー’の誕生も夢ではないのです。

 

 親とは、できることならば、自らの子が容姿も端麗で才能にも恵まれ生まれてくることを望むものなのかもしれません(もっとも、この問題は、センシティブです…)。’デザイン・ベビー技術’とは、まさしく親の願望を実現してくれるのですから、同技術の実用化を待ち望む人も少なくないことでしょう。最近のカズオ・イシグロの作品は、AIがテーマであるものの、遺伝子改変が日常化した近未来が舞台となっているそうです。何れにしましても、今日の技術力からすれば、遠くない未来にあって’デザインベビー’は一般的な存在となっているかもしれないのです。

 

 その一方で、自由主義国の多くでは、ヒトを対象とした遺伝子操作は法律によって禁じられています。遺伝子の領域は神の領域とする観念が強いことに加え、ヒトの遺伝子を人為的に操作することは、出生前とはいえ、他人が他者の生命や身体に手を加えることになりますので、重大な人権侵害にもなりかねないからです。ここに、親の子に対する権利の問題も持ち上がってくるのですが、もう一つ、デザインベビーには盲点があるように思えます。それは、親による遺伝子操作とは、自分の子の’他人化’ではないか、というものです。

 

 近代以降の遺伝学は、今日に至るまで技術的な側面のみならず、生命に対する様々な仕組みを解明してきました。その一つは、遺伝子は、生殖細胞の減数分裂によって凡そ半数となるものの、両親から子へと受け継がれるというものです。言い換えますと、親子とは、遺伝子の継承によって繋がっていることとなりましょう。そして、このことは、親が子の遺伝子を改変してしまった場合、少なくともその改変部分に関しては、両親の何れの遺伝子をも引き継がない’他人’になってしまうことを意味します。つまり、遺伝子に’デザイン’を施した部分が多いほど、親子関係が薄れていってしまうのです。

 

 DNAの塩基配列の組み換えによって遺伝子の継承部分が減少した場合、果たして、親は、自らで設計しながらも、’デザインベビー’を自分の子として愛情を抱き、慈しんで育てるのでしょうか。親から見れば確かに子ではあるのですが、姿形には親と似たところがなく、長じれば、性格や物事の考え方まで親とは正反対となるかもしれません。もちろん、血の繋がりがなくとも親子の情というものは生まれるものですし、自然な親子でも、真逆の容姿や人格である場合も少なくありません。このため、決めつけることはできないのですが、中には、継父母の継子苛めに類するような児童虐待が増加する原因となるケースも予測されます。それとも、親は、デザイナーの立場となり、’デザイナーベビー’は、その’作品’として見なされるのでしょうか。後者の場合には、親は、子を自らの’作品’として’披露’したり、’展示’することに喜びを感じるかもしれません。

 

 また、富裕層のみならず、デザイナーベビーの技術が広く普及しますと、人類の画一化問題も起きてくることでしょう。何故ならば、誰もが容姿端麗、頭脳明晰、性質温和、かつ、様々な分野の才能に恵まれた子を望むとしますと、デザイナーベビーとして生まれてくる子供たちは、およそ同一の’優れた遺伝子’が組み込まれて生まれてくるものと想定されるからです。この結果、人類は、幾つかの’優れた遺伝子’の組み合わせでしかなくなり、遺伝子が平準化した人類の未来も見えてきます(もっとも、全人類が一人残らず優秀者のみによって構成されれば、戦争や犯罪、そして、陰湿な苛めや搾取等もなくなり、思いやりに満ちた平和で理性的な世界が出現する?)。あるいは、ファッションのデザインと同様にデザインベビーにも流行り廃れがあり、その外見や思考パターンから〇〇年代生まれのヒトと判断されてしまうのでしょうか。

 

 想像は尽きないのですが、何れにしましても、今日、人類は、自らをも改変してしまう高度なテクノロジーを手にしてしまいました。そして、政府もまたムーンショット計画を堂々と掲げるなど、カルト的なテクノロジー信仰に毒されています。この方向性が、果たして人類にとりまして望ましいのかどうか、一旦、立ち止まって考えてみる必要があるようにも思えるのです。テクノロジーとは、不可逆的な破壊力ともなりかねないのですから。


遺伝子ワクチンリスク説と武漢ウイルス研究所流出説-コペルニクス的転換はあるのか

2021年07月21日 13時09分01秒 | 国際政治

新型コロナウイルス感染症の起源をめぐっては、今日、武漢ウイルス研究所から流出説が信憑性を増してきています。アメリカの情報機関による報告書を受けてアメリカ政府も、自然発生説から流出説へと態度を変えたとされていますが、影の立役者として名が挙がっているのは、有志の専門家によって構成されている「ドラスティック」という匿名のネット調査団なそうです。

 

 発生当初、同ウイルスの起源は、武漢市の海鮮卸売市場において売買されていた野生のコウモリとされてきました。中国政府も公式にこの立場を主張しており、同国に追随するかのようにマスメディアも自然発生説を’正統’とみなしてきました。親中派のテドロス事務局長をトップとするWHOも中国と立場を同じくする共に、権威ある英医学誌である『ランセット』にも、自然発生説を支持する記事が27名の科学者による連名で掲載されたのです。

 

 一方、新型コロナウイルス自然発生説に対しては、疑問の声も少なくありませんでした。発生直後から中国屈指のレベル4を誇る武漢ウイルス研究所からの流出説が唱えられており、ネット上にあっては、自然発生説を凌駕する勢いで全世界に拡散されることとなったのです。しかも、武漢ウイルス研究所からの流出説は、根も葉もない流言の類ではありません。ウイルス学や遺伝子工学等に基づく科学的な根拠もあり、流出説を支持するノーベル賞受賞者の科学者も存在したのです。

 

 かくして、政府やメディアレベルでは自然発生説が’正統’とされる一方で、ネット上では優勢であった流出説は’異端’とみなされ状態が続くこととなりました。しかも、ネット側にいるはずのSNSも前者に与し、流出説に対して事実上の検閲を実施するに至るのです。現代という時代にあって、異端者弾圧という中世さながらの状況が出現してしまったのです。しかも、正統説は政府公認ですので、いわば’国教’として位置づけられたのです。

 

 実のところ、同様の現象は、コロナ・ワクチンをめぐっても観察されます。ワクチン問題にあっては、’正統’側がワクチン安全説であり、’異端’側がワクチン危険説です。後者は、言論の表舞台にあっては政治的に迫害され(ワクチンパスポートの導入でやがて社会的にも迫害?)、悪魔崇拝者であるわけでもないのに’異端者’扱いです。否、医科学的なリスク認識に基づいてワクチンの危険性を指摘しているのですから、客観的な事実に誠実であり、かつ、危険を知らせようとする善意から発しているにも拘わらず、’社会悪’と見なされているのです。

 

 もっとも、中世にあって見られた非科学的な異端迫害は、事実を前にして終止符が打たれるケースも少なくありません。その象徴的な出来事は、天動説から地動説への転換です。正統な教義では前者が宗教的に正しいとされてきましたが、コペルニクスは、異端とされてきた地動説方が科学的に正しいことを証明したのです。かくして中世の人々の世界観は一転してしまうのですが、今日にあって、新型コロナウイルスの自然発生説から武漢ウイルス研究所流出説への転換は、まさに現代におけるコペルニクス的な転換と言えましょう(もっとも、完全に証明が済んだわけではありませんが…)。そして、治験中の遺伝子ワクチンの安全性についても、厳密な医科学的な検証の末に180度の転換が起きないとも限らないのです。遺伝子ワクチンについても、「ドラスティック」のような存在が必要なのかもしれません(もっとも、生物兵器説や機能拡張研究にまで踏み込んでいない点は気にかかる…)。

 

 なお、目下、日本国政府は漸次にワクチン接種対象年齢を広げ、12歳から15歳までの中高生もその対象に含まれるようになりました。低年齢層への拡大に伴い、できる限り接種率を上げるべく、教育現場に対してワクチンの安全性の説明に努めるよう要請することも予測されます。しかしながら、本問題を教育に生かすとすれば、それは、一方的に安全説を吹き込むのではなく、科学的な事実によって’定説’が覆されるケースが存在することを教えることではないでしょうか。’遺伝子ワクチンには未知の部分があり、将来的にリスクが証明される可能性もあり得る’、あるいは、’あらゆる疾病から人々を救う免疫システムの完全なる解明は、君たちの世代の使命である’とする説明のほうが、自由な知性の働きを重んじる自由主義国に相応しい教育の在り方のように思えるのです。


何故、’資本家’はヒーローになれないのか

2021年07月15日 13時17分06秒 | 国際政治

 ドイツはフランクフルトのマイヤー・アムシェル・バウアー・ロスチャイルドを祖とするロスチャイルド家の歴代当主達は、ソフトバンクグループの孫正義氏にとりましては目指すべき’ヒーロー’なのでしょう。マネーのパワーで産業革命を牽引し、全世界を一変させたのですから(少なくとも、孫氏はこのように信じている…)。しかしながら、孫氏といった金融やITの世界で蠢くセレブな人々を除いては、資本家がヒーローとなるのは至難の業です。孫氏もSNSがフォロワー数においてトップとなった時期もありましたが、現在ではどうなのでしょうか。

 

 それでは、何故、’資本家’は、ヒーローになれないのでしょうか。その理由を見つけるに際して参考となるのは、『市民ケーン』という米国映画です。もちろん実話ではないのですが、映画には、この世で実際に起きている出来事を誰もが分かりやすいストーリーに仕立て直して娯楽とするカリカチュア的なものがあります。フィクションであるにも拘わらず、観客の頭には実在のモデルが自ずと浮かび、思わず納得とさせられてしまったりするのです。おそらく『市民ケーン』もその一つなのでしょう。

 

主人公は、世界屈指の大金持ちであり、政界への進出をも目指すカーン(邦訳では「ケーン」)氏です。興味深いことに、同映画には、選挙に立候補するカーン氏について新聞が「フビライ・カーンの再来!」と書き立てるシーンがあります。ロスチャイルド家の旧名は’カーン’とされ、また、ユダヤ人とモンゴル帝国との歴史的な関係を思い起こしますと、このシーンは意味深長です(モンゴル帝国では、ユダヤ人とイスラム教徒は、色目人として重用されていた…)。

 

 カーン氏が大富豪となったのは、雪深い寂れた田舎町で宿屋を営んでいた父親が、見知らぬ客人が宿賃代わりとして置いていった債権の価格が、その後、証券市場にあって急騰したからです。一夜にして世界第6位の大金持ちとなったのですが、この財産に早速目を付けたのが銀行です。銀行は、’お世話人’を使わして、この宿屋の息子であり、粗暴な子供であったカーン氏を引き取り、上流階級に相応しい養育を施すのです(『二都物語』にも登場するように、欧米では、銀行が顧客の子弟を養育するシステムがあったらしい…)。銀行の後ろ盾の下でカーン氏は、大統領の姪を娶り、政界進出へのチャンスをも掴みます。腐敗した既存の政界に挑む若き正義派の看板で’市民’を味方につけ、当選まであと一歩と言うところまで行くのですが、結局、政界のドンであった対立候補者によって歌手とのスキャンダルがリークされることになり、選挙には落選するのです。

 

 その後、大統領の姪と離婚して歌手の女性と再婚したカーン氏は、自らが経営する新聞社も含めて、お金の力で背後からマスコミを動かし、礼賛記事を一斉に書かせることで、歌手としての才能の無い同夫人を一躍スターに押し上げます(一方、前妻並びに前妻との間に生まれた男の子は謎の交通事故で死亡している…)。もっとも、マスコミによって作られた自らの虚像の虚しさに耐え切れずにカーン夫人は歌手から引退してしまうのですが、カーン夫妻は、あたかも’おとぎの国’ででもあるかのような、動物園を備えた大邸宅でリッチな生活を送ることとなるのです。しかしながら、豪華な装飾品や高価な調度品がそこかしこに飾られ、贅を尽くした館の広々とした広間にあっても、そこには、どこか言い知れない寂寥感が漂っています。夫人は、来る日も来る日もジグソーパズルで暇な時間を潰し、カーン氏もまた無為な日々を送っています。退屈し切っている夫人を楽しませるために数十台にも及ぶ車列を組んで豪勢なピクニックに出かけても、その心を満たすことはできず、遂に夫人はカーン氏を残して館を出て行ってしまうのです。

 

 本作品の最後には、カーン氏亡き後、カーン氏の身近で仕えていた執事が、カーン氏の奇妙な性質や行動を回想するシーンがあります。それは、カーン氏には、破壊衝動があるというものでした。夫人に置き去りにされた際も、怒り狂ったカーン氏が、凄まじく暴れまわり、部屋中のものを悉く破壊し尽くしてしまうのです。そして、同作品は、カーン氏が死を前にして残したいまわの言葉が映し出されて幕となります。’ローズ・バット’、それはその昔、銀行の’お世話人’が、雪深い寒村からカーン氏を連れてゆこうとする際に抵抗した同氏が、この’お世話係’を激しく叩いた’そり’の名であったのです(このシーンも、『東方見聞録』の最後にモンゴル族の源流としてエスキモー系の部族が野蛮な人々として紹介されているところを思い起こすと興味深い…)。

 

 おそらく、見る人が見れば、より多くの隠されたメッセージを同作品から読み取ることができるのでしょう。もっとも、映画館で鑑賞する一般の人々であっても、同映画から資本家というものが持つそれ固有の悲哀を感じ取ることができます。それが偶然の賜物であっても、莫大なお金さえあれば立派な教育を受け、名家とも縁組ができ、実力がなくても’名声’を得られ、大邸宅で豪奢な生活を送ることができます。資金力を以って市民派を気取って政治家となり、マスメディアを買収して経済や社会を動かし、さらなる投資で財産を増やすこともできるかもしれません。自尊心が強く利己的なカーン氏の専らの関心事は、自らの財産を増やし、マスメディアを操って自らが都合がよい方向に人々をコントロールし、あわよくば大統領や市長など、人々から礼賛されるポジションを得る事であったのでしょう。

 

 しかしながら、たとえ人々から一目も二目も置かれる存在となったとしても、カーン氏は、王家などの高貴な家柄でもなく、騎士道精神を発揮して命がけで領民を護る中世の貴族でもなく、自らの才覚で事業を起こしたわけではなく、’市民ケーン’の看板とは裏腹に真に’市民’の味方でも労働者の味方でもありません。その粗暴さや品性の欠如からしますと、根の性格は、子供の頃と変わりはなかったのでしょう。たとえマスメディが同氏の虚像を振りまき、慈善事業(偽善事業?)に熱心であったとしても、現実の世界にあってカーン氏が人々のために自らを犠牲にして働いたり、人々の生活を豊かにしたり、社会に役立つ仕事をしているわけではないのです。しかも、一部の運に恵まれた人々を除いては大富豪にはなれませんので、人々が、自らの将来を投影させて憧れるモデルともなり得ません。実態が伴わないのですから、カーン氏は、現実の社会からは遊離してしまい、誰からも心からの尊敬を得ることができないのです。大邸宅での侘しく孤独な生活こそ、これを象徴していると言えましょう。

 

 『市民ケーン』をカリカチュアとして見ますと、今日にあっても、それが発するメッセージは色褪せていないように思えます。幸せを得ることができなかった一人の資本家の生涯を描くことで、資本家がヒーローになれない理由をそれとなく語っているのですから。


行き詰まりのワクチン戦略

2021年07月14日 13時08分54秒 | 国際政治

コロナ・ワクチンをめぐっては、アメリカにあってファイザー社が既に3回目の追加接種に向けて承認申請を行ったと報じられています。その一方で、CDCは、ファウチ所長が今月12日にブースターの必要性を否定する見解を示すと共に、翌13日にはバトラー副所長は、3回目の接種にはさらに激しい副反応が生じる可能性を認めています。この二つの情報を考え合わせますと、ワクチン戦略は、既に行き詰まり、あるいは、行き止まりとなってしまったようにも思えます。

 

 ファイザー社が3回目の接種を必要とした理由は、凡そ半年前から始まったワクチン接種の効果が薄れてきているというものです。デルタ株の拡大もあって接種率が比較的高いアメリカやイスラエルでは、減少傾向にあった感染者数が上昇に転じています。未接種者の間で感染が広まっているとの説もありますが(この説が正しければ、集団免疫説は説得力を失う…)、イスラエル保健省のデータによれば、5月に実施された調査にあっておよそ94%とされた予防効果が、6月から7月にかけて64%にまで低下しているそうです。新型コロナウイルスの感染、並びに、ワクチンによって生成された抗体量が時間の経過とともに減少することは以前より知られおり、およそ6か月から8か月程度で効果が消えるのではないかとする予測もありました。変異株への感染であったにせよ、今般のデータは、ワクチン効果の短期消滅説を裏付ける形となったのです。そして、ファイザー社は、3回目の接種を主張したことで、自らが製造した遺伝子ワクチンの効果の限界を認めたことにもなりましょう(仮に、メモリーB細胞がリンパ節に温存されていたとしても、少なくとも変異株には反応しないのでは…)。

 

 その一方で、CDC側は、現時点にあってワクチン効果の持続性は認められるとした上で、ファイザー製のワクチンにあって2回目の接種時に激しい副反応が生じることを重く見ています。抗原への暴露を重ねる程に免疫反応が激化する現象についてはADE(抗体依存性増強)が疑われているのですが、3回目の接種ともなれば、接種者がさらに深刻な副反応に襲われるリスクが高まると予測しているのです。同見解は、CDCがADE、あるいは、過剰摂取のリスクを公式に認めたに等しいと言えましょう。

 

 両者の見解から分かることは、2回のワクチンを接種済みの人々は、その効果を維持するために追加接種を要するにも拘わらず、同追加接種は、自らの命に関わるほどの深刻な健康被害をもたらす可能性が高いという、接種者が置かれている二律背反の状況です。3度目の接種を拒めばワクチン効果を失い、これに応じれば、副反応によって自らの命や健康を危険に晒すこととなるからです。いわば、今日、ワクチン非接種者が置かれている立場をより先鋭化された形で厳しい選択を迫られることになりましょう。そして、この’打つべきか、打たざるべきか’という命を懸けた選択は、接種の回を重ねるごとに、副反応被害を受けるリスクの方が上昇してゆくことが予測されるのです。

 

 早かれ遅かれ、接種者にも非接種者と同様の二者択一が待っているならば、最初から打たないという選択であっても構わないのかもしれません(ワクチン推進派の人々は’愚か者’と見なしていますが…)。あるいは、既に接種してしまった人も、1回あるいは2回の接種で止めておくという選択もありましょう。中長期的な免疫に対するマイナス影響は未知としても、度重なる人工mRNAの体内への投入は、同時に体内における有害なスパイク蛋白質の大量生成を意味しますし、何よりもCDC自身が追加接種によるリスク上昇を認めています(治療薬や治療法による対応という方法もある…)。国民は、ワクチン接種の是非をその行く先を見極めた上で判断すべきですし、政府も、既にワクチン戦略が隘路に陥っている現状を理解し、抜本的な方向転換も検討すべきではないかと思うのです。

 


ワクチン情報統制の逆効果-安全神話のリスク

2021年07月12日 12時44分39秒 | 国際政治

今般のコロナ・ワクチン際して、政府もマスメディアも懸命に’安全神話’を国民に刷り込もうとして必至のようです。河野太郎ワクチン相に至っては、科学的に立証することなく因果関係を全否定する、あるいは、’自分は聞いていない’として、あらゆるリスク情報を’デマ’として葬り去ろうとしました。主観に基づくリスク否定ですので合理性も説得力もないのですが、’ワクチンの安全性を疑うことは、許されざるべき神への背信行為’とでも言わんばかりなのです。そして、今日、Youtubeではリスクを指摘する動画が削除され、ツイッター社も、’誤解を招く投稿は制限する’としてワクチンの安全神話への協力を表明しています。

 

ワクチンのリスク情報に対する政府やメディアの態度は、あたかも現代の’魔女狩り’のようです。ワクチン安全神話を疑う人は’魔女’であり、異端者なのです。しかしながら、理性が尊重される今日という時代にあって、非合理的な’ワクチン神話’の成立を目指す方が余程魔女的なように思えます。事実から目を逸らさせ、人々を誑かそうとしているのですから。今日の状況は、魔女が常識的な一般の人々を、逆に魔女として迫害している構図に見えてしまいます。

 

コロナ・ワクチンにリスクが伴うことは、製薬会社自身も認めています。ファイザー社やモデルナ社の説明書にも、「新しい種類のワクチンのため、これまでに明らかにされていない症状が出る可能性があります」と明記されています。安全性が保障されていない治験中のワクチンであることは、誰もが否定のしようもないのです。そもそも、仮にコロナ・ワクチンが100%安全であれば、製薬会社が各国政府に対して損害賠償の支払いの肩代わりを求めるはずもありません。また、最近に至り、アストラゼネカ社のワクチンと血栓症、次いで、ファイザー社のワクチンと青年層の心筋炎や心膜炎の発症との関係が公式に認められるようになりましたが、これらの事実は、ワクチン・メーカーが自社のワクチンが接種者の体内において作用するマイナス影響を完全に把握することなく販売に踏み切った実態を如実に示しているとも言えましょう。

 

一方、日本国の厚労省も、ワクチン接種後に因果関係が疑われて報告された死亡者数を556名として公表しています。この数字を前にしては、国民の大半はワクチンの安全神話が怪しいことに気が付くことでしょう。実際に、SNSでも、自らの身近な人がワクチン接種後に亡くなったとする記事が拡散されていますが、ツイッター社は、こうした実体験に基づく記事をも’誤解を招く’として制限するのでしょうか。’誤解’という意味が、’安全神話に対する懐疑心’を意味するならば、あらゆるマイナス情報がツイッター社の私的情報統制の対象となってしまいます。

 

そしてここに、今般のアメリカ大統領選挙にあって問題ともなった、民間の一企業であるツイッター社には、社会におけるリスク情報、あるいは、’政治的に不都合な情報’を事前検閲する正当な権利があるのか、という問題が再燃されることとなるのですが、アメリカであれ、日本国であれ、政府、あるいは、政権を担う特定の政治団体が、メディアやSNSの事業者と結託して自らの政策方針に障害となる情報を封鎖しようとする強権的な姿勢は、言論の自由を尊ぶ自由主義国が目下直面している深刻な危機とも言えましょう。

 

 新発見の無人島に人々を送り出す際に、‘危ないことなど一切ないのだから安心して行っておいで’と言いながら背中を押して船に乗せる場合と、‘何があるか分からない’として無人島にありがちなあらゆるリスクについて伝え、‘危険を察知したらすぐに引き返すように’と言って見送るのとでは、どちらが船出する人々を大事にしているのかは一目瞭然です。言葉だけを聴けば前者のほうが優しく響くのですが、明白にリスクが認められる事柄の場合には、それが必ず起きるとは限らないまでも、リスク情報こそが命綱となります。そして、リスク情報が多方面にわたり、その量が多ければ多いほどサバイバルの可能性も高まることとなりましょう。

 

 政府は、接種率を上げるべくワクチン安全神話の確立を急いでいるようですが、メディアを動員してのリスク情報の隠蔽は、リアルなリスク情報に接している国民の不信感を募らせるのみとなりましょう。あくまでもワクチンが安全と主張するならば、リスクの指摘に対して医科学的な根拠を示して正々堂々と反論すべきなのです。一般的には、議論から逃げている側を人々は’敗者’と見なすものです。政府やメディアによるワクチン安全神話の流布は、この意味においても逆効果となるのではないかと思うのです。


孫氏のロスチャイルド発言が暴露する私的世界支配の問題

2021年07月08日 11時46分26秒 | 国際政治

 先日、ソフトバンクグループを率いてきた孫正義氏が、19世紀にあって産業革命を牽引したのはユダヤ系金融財閥のロスチャイルド家であったとして称賛し、自らも’現代のロスチャイルド’となる決意を表明したと報じられておりました。何故、この時期にロスチャイルド礼賛発言があったのか、不思議なところなのですが、デジタル社会化の波が押し寄せている今日、同氏の発言は、本人の意図を越えた’何か’を暴露しているようにも思えます。

 

 近代という時代はヨーロッパにおいて啓蒙思想が広がり、人は生まれながらにして自由で平等な存在であるとする意識が根付いた時代でもありました。ギリシャ哲学に起源を遡る同思想が(古代ギリシャの民主主義が再生…)、近代人権思想、延いては民主主義の定着に貢献したことは疑いなく、自由、民主主義、法の支配、平等・公正といった諸価値は、今日、自由主義国家にあって制度化されています。人類史からしますと、人道が普遍性の下で全世界に広がった点において近代という時代にあって’光’の側面であったと言えましょう。

 

 しかしながら、近代は、’光’のみをもって語られる時代ではなかったことは、誰もが知るところです。そして、近代の’闇’の部分とは、まさしく産業革命から生まれているのです。もちろん、産業革命は、生産力の飛躍的な向上により人々の生活を豊かにし、様々な発明によって利便性を増したことは、’光’の側面として指摘することはできます。しかしながら、物質面における’光’は、必ずしも人道面におけるそれとは限りません。産業革命の時代にこそ、炭坑や工場での過酷な労働条件下での重労働のみならず、都市のスラム化、農村における伝統的なコミュニティーの崩壊、賃金労働や株式発行による人や企業の商品化、拝金主義など、人類の精神的な危機にも繋がる重大な問題を抱え込むことともなったのです。戦争が激化したのも、近代兵器や生物化学兵器の開発など、無制限なテクノジーの発展を許したからに他なりません。

 

 産業革命という時代は、一般の人々の意向などお構いなく、テクノロジーの発展に丸投げする形で遂行された時代でもありました。ようやく芽吹いた民主的な制度も、産業革命による社会全体の大変革には為す術もなかったのです(社会の社会主義・共産主義化や全体主義化もその一環では)。そして、孫氏いわく、こうした時代を画する大変革を実現した立役者こそ、産業革命の強力な推進力ともなったテクノロジーの開発に巨額の投資を行ったロスチャイルド家ということになるのでしょう。孫氏の歴史観によれば、近代という時代を動かしたのは資本家であり、デジタル化が人類に大変革をもたらしつつある現代にあっても、見習うべきモデルと見なしているのです。

 

 そして、ここで考えるべきは、ロスチャイルド家とは、一民間ユダヤ人、あるいは、民間のユダヤ系一族に過ぎないことです。つまり、孫氏が褒め讃えるように産業革命を成し遂げたのがロスチャイルド家であるならば、一人の個人、あるいは、一つの血縁集団の人間の私的な意志によって、全世界が大改造されてしまったこととなるのです。ロスチャイルド家は、政治の枠外にありますので、統治の正当性を有しているわけでもなく、国民、あるいは、人類から統治権を託されているわけでもありません。言い換えますと、最も金融力を有する一個人、あるいは、一族による私的支配が成立してしまったとも言えましょう。

 

この側面からしますと、資本主義と民主主義とは全くの別物です。人類に人道主義や民主主義を広げた近代啓蒙思想は、産業革命の波を受けて脇に追いやられ、結局、近代固有の対立構図を形成した資本主義も共産主義も、共に’闇の子’なのです。民主主義は、自由主義国にあって表面上は命脈を保ちつつも、政治の世界を含め、人類は、私的な金融支配の許に置かれることとなったのです。

 

ロスチャイルド家を以って資本家を世界の改革者、否、支配者であると公言した孫氏の発言は、図らずも、陰謀論として揶揄されてきたディープ・ステート論の信憑性を高めたことにもなりましょう。ディープ・ステートと言う表現が怪しげに響くのであれば、本ブログにあってしばしば登場する私的な超国家権力体と表現してもよいかもしれません。何れの表現であれ、グローバルレベルの金融ネットワークを以って全世界の経済のみならず政治にまで多大な影響を与える私的な勢力の問題は深刻です(ロスチャイルド家はその一角に過ぎず、イエズス会や東インド会社の系譜を引くより規模の大きな勢力、すなわち、イルミナティ―である可能性も…)。

 

日本政府が進めているムーンショット計画も半ばカルトである点は再三指摘がありますが、今日、パンデミック化によって全世界を覆うコロナ禍も、先端的バイオテクノロジーやナノテクノロジーがより徹底した人類支配の目的のために投入された結果であるのかもしれません。そして、今日にあっても、産業革命時と同様に、テクノロジーによる利便性の向上は、人道や民主主義といった諸価値に優先されるかもしれないのです。

 

孫氏を含めて同勢力が牽引する全面的なデジタル化やAIの導入、あるいは、量子コンピューターなどの次世代技術が全人類の完全管理を現実のものとする中、超国家権力体が推し進めるテクノロジーの発展の先に何があるのか、人類は、しっかりと見極めるべきと言えましょう。全人類が、私的勢力の支配に服さなければならない理由や根拠など、全くないのですから。


’ワクチン警戒派デュープス論’を三次元構造で見ると

2021年07月07日 13時20分28秒 | 国際政治

 本日、ネット上に興味深い記事が掲載されておりました。それは、「SNSの偽情報を信じて中国やロシアのデュープスになる人々(JBpress)」と題する記事です。ワクチンの危険性を訴えている人々を’デュープス’、即ち、愚か者扱いしているのですから、堂々と喧嘩を売っている、あるいは、’挑発’しているようなものです。しかしながら、冷静に考えてみますと、この記事こそ、’陰謀’、あるいは、ネット工作であるのかもしれません。

 

同本記事の論旨は至って単純です。現在の国際社会は情報戦に満ちている⇒中ロは前回の米大統領選でも影響工作を実行している⇒Qアノンやトランプ支持者も中ロの影響下にある⇒遺伝子ワクチンに関するリスク情報の流布も中ロによる情報操作である⇒ワクチン・リスク情報を信じる中ロに操られる’愚か者’である、という三段論法です。この論法は、先日、全てのワクチン・リスクを’デマ’と断言した河野太郎ワクチン担当相の主張とも通じています。何れにしましても、ワクチン・リスクを懸念する人々は思考力に劣り、偽情報に騙される’愚民’という烙印が押されているのです。そして、言外に述べられている真の結論とは、’故に、ワクチンのリスク情報を信じ込んでいる人々も早く目を覚まし、安心して遺伝子ワクチンを接種すべし’なのでしょう。

 

 しかしながら、当初、デマとして嘲笑された新型コロナウイルス武漢研究所流出説が今では信憑性を増してきているように、フェイクとされていた情報が後から事実と判明する事例は枚挙に遑がありません。否、工作を目的として政治的な意図のもとで流布された情報であっても’真っ赤な嘘’ではなく、事実が混ぜ込んであるからこそ、多くの人々が同情報を信じるとも言えましょう。バイデン氏の長男であるハンター氏に関するチャイナ疑惑も事実に基づくものでした。フェイク・ニュースというものは100%の作り話ではなく、人々を信じさせるに十分な事実が含まれている場合が多く、しばしば正真正銘のリークであるケースも少なくないのです。国民の知る権利に照らしてフェイク・ニュースの排除が問題となる理由は、それに内包する事実をも同時に葬り去るリスクと背中合わせであるからに他ならないのです(フェイクの名の下で、国民が知るべき事実も闇に葬られてしまう…)。

 

 そして、ここで、一つの疑問点が浮かび上がってきます。同記事の筆者は、中ロの工作活動に対する批判からワクチン接種を薦めています。その基本的なポジションは、’敵国’の工作から自国民を護ろうとする’愛国者’のものです。しかしながら、その一方で、ワクチン・リスクは、デマとして片付けられるレベルのものではありません。ワクチン接種後の死亡や重篤な有害現象は多数報告されておりますし、医科学的な根拠を伴うリスクの指摘も少なくないからです。即ち、ワクチンは安全とする主張は、医科学的に証明されているわけではなく、’因果関係は評価できない’あるいは’絶対にこれを認めない’とする頑ななまでの信念に過ぎないのです。SNS情報信じる人々を’デュープス’とするならば、確かな根拠もなく因果関係を頭から完全否定する人々も、’デュープス’ということになりましょう。そして、ワクチンのリスクは実在するのですから、同記事の筆者は、愛国者の立場を強調しながらも、逆に、自らの国民に対して命を危険に晒す、つまり、結果的には自国民の’自滅’となりかねないワクチン接種を薦めているということになるのです。こうしたあたかも’愛国者の仮面’を被ったアンチ愛国者であるかのような態度の謎を解くカギは、近代以降、国際社会を覆ってきた三次元構造にあるのかもしれません。

 

国際社会を平面的に捉える見方からすれば、同記事の筆者の見解は、自由主義国(アメリカ)対全体主義国(中ロ)という二項対立、二次元対立に基づいています。同構図において、アメリカの製薬会社であるファイザー社やモデルナ社が開発した遺伝子ワクチンは、自由主義国の救世主であり、多くの国民をコロナ禍から救っていることになります。つまり、ワクチン接種は、中ロという脅威を前にした国民間の結束の要に位置することとなりましょう。

 

その一方で、国際社会における構図を把握する視点を二次元から三次元に転換しますと、同記事こそ、’影響工作’である可能性も見えてきます。国際社会における三次元構造とは、表面的には平面的な国家間対立の様相を呈しながら、その実、敵対する両者をさらに上から操る’上部’が存在しているというものです。所謂’両頭作戦’双方を巧妙に欺く’偽旗作戦’というものなのですが、’上部’の目的が’人類にできる限り多くのワクチンを接種させる’というものであるならば、二次元における国家間の対立構図を巧みに利用して、自由主義国において一定数を占めるワクチン警戒派の人々を接種に追い込むという手法が選択されても不思議ではありません。

 

同記事がファイザー社の意向を受けて執筆された可能性もありますが、今日の国際社会は、もはや単純な平面図では理解できない状況にあります。三次元の立体構造として冷静に観察すればこそ、危機の本質が把握され、それからの脱出方法も見出されるかもしれません。あらゆる可能性を考慮しつつ、騙されないことこそ、肝心なのです。


「ワクチンパスポート」のナンセンス

2021年07月02日 11時30分20秒 | 国際政治

 EUでは、いよいよ「ワクチンパスポート」の運営が開始されるそうです。メディアの解説によれば、夏季における観光地へのバカンス客の出足復活を期待しての導入とのことですが、その真の目的は、国民のデジタル管理の強化とする有力説もありますので、否が応でも人々の関心を集めています。日本国政府も、EUの動きに呼応するかのように7月末からワクチン接種証明の発行を行う方針を示していますが、「ワクチンパスポート」ほどナンセンスな制度はないのではないかと思うのです。

 

 第1の理由は、医科学的な見地からのものです。ワクチンパスポートの最大の欠点は、感染拡大防止の観点からしますと、ワクチンの接種は全く以って’安全証明’とはならない点です。その理由としては、(1)生成される中和抗体の量・質両面における個人差(免疫反応の弱いワクチン接種者が感染源となるリスク…)、(2)ワクチンによってもたらされる中和抗体や免疫力の短期消滅、(3)同一の人における接種時期による効果の違い(接種直後と半年後では雲泥の差…)、(4)ワクチンメーカーや製造法の違いに因る効果差(二度の接種を必要とするワクチンの扱いや効果のレベルなど…)、(5)変異株の出現による効果の激減、(6)変異株に感染したワクチン接種者の見落とし(変異株の持ち込みやADEの発生もあり得るため、むしろワクチンパスポートの取得者の増加が感染拡大に繋がる)…などを挙げることができます。こうした致命的な欠点に満ちているのですから、「ワクチンパスポート」は導入の根拠とされる安全証明の役割を果たすことはできず、受け入れ国の側からしても安心材料とはならないことでしょう。つまり、「ワクチンパスポート」は’ざる’なのです。

 

 第2の理由は、他にも多くの選択肢がありながら、自ら選択肢を狭めているところにあります。確実に無感染性を確認する方法とは、精度の怪しいPCR検査よりも病原体となるウイルスの直接的な検出や抗原検査なのでしょうが、感染性の有無を調べる方法としては、他に採り得る選択肢はあります。ところが、「ワクチンパスポート」の導入を推進している人々は、ワクチンパスポートの無感染性証明力が著しく低いにもかかわらず、同制度こそ、人々の移動の自由を取り戻す唯一の方法としてアピールしているのです。こうした非科学的、あるいは、非合理的な態度こそナンセンスなのです(この点は、新型コロナ対策として、治療法の確立よりもワクチン接種を偏重する態度にも見られる…)。

 

 第3の理由は、非接種者に対する理不尽な差別です。本当のところは、非接種者ほど高い割合で無害である可能性が高いと推測されます。コロナ禍にあっても感染していないということは、元より免疫力が強い、あるいは、抗コロナの体質であり、「ワクチンパスポート」保持者よりも安全な人々であるのかもしれないのです。たとえ無症状の感染者であったとしても、他者に対する感染リスクはワクチン接種者とは然程には変わらないことでしょう。少なくとも、全ての非接種者は感染者ではないにも拘わらず、全員が’感染者’と見なされて様々な局面で自由の制約を受け、隔離的な扱いを受けるのはナンセンスであると共に、著しい人権侵害にも当たると言わざるを得ないのです。

 

第4の理由は、「ワクチンパスポート」の存在が、海外渡航者へのワクチン接種の暗黙の義務化をもたらしてしまうリスクです。今般のワクチン接種は、日本国を含めて大半の諸国では、ワクチン接種は任意であって法的に義務化されているわけではありません。しかしながら、とりわけ海外出張を伴うような職務にある人々にとりましては、ワクチン接種の拒否は、配置転換や失業を意味しかねません。同制度がなければ、こうした苦しい二者択一の選択を迫られることはなくなるのです。その一方で、ワクチン接種そのものによる健康被害のリスクのみならず、ワクチンを接種したパイロットが血栓症により死亡する事例を報告されています。海外渡航の目的でワクチンを接種したところ、航空機への搭乗によって命の危機にまで直面するとなれば、これ程のナンセンスもありません。

 

 以上に述べてきましたように、「ワクチンパスポート」は、どう考えてもナンセンスな制度です。それにも拘わらず、政府レベルにあって強引に同制度を導入しようとしているとしますと、そこには隠れた意図があるのではないかと勘繰られても致し方がありません。そして、その最もあり得そうな目的こそが、冒頭で述べた人類のデジタル管理の強化なのです。例えば、ワクチン接種による免疫効果の個人差問題の解決策として、政府は、国民に対してあらゆる生体情報の提供を義務付けようとするかもしれません。あるいは、国境を越えたワクチン接種の統一的な運営を根拠として、全人類を網羅する個人情報のデジタル・プラットフォーム化が推進されるかもしれません。「ワクチンパスポート」がナンセンスであればあるほど、人々の自国政府、あるいは、その背後に潜む超国家権力体を見つめる視線は厳しさを増していくように思えるのです。


日本国はスパイク蛋白質排除技術でトップランナーに

2021年06月29日 13時42分22秒 | 国際政治

 今日、日本国内では、既に2000万人を越える人々が少なくとも一回目のコロナ・ワクチンを接種したようです。ワクチン接種を自発的に希望した人のみならず、職場等での同調圧力から接種せざるを得なくなった人もおり、ワクチン接種は深刻な社会問題となりつつあります。ワクチン接種が急速に進んだ背景には、政府、並びに、マスメディアを挙げての’安全アピール’があったのですが、治験中の遺伝子ワクチンということもあり、接種を推奨し得る程の安全性が確認されたとは言い難い状況にあります。しかも、抗原として細胞内で生成されるスパイク蛋白質に有毒性があるとしますと、既にワクチンを接種した人々は、永続的な健康被害に苦しむことにもなりかねません。

 

 本ブログにおきまして再三に記事にしておりますように、スパイク蛋白質有害説は、決して’デマ’として片付けられるものではありません。アストラゼネカ製のベクターワクチンにありましては既に血栓の発生とワクチン接種との関連性が認められておりますが、ファイザー製やモデルナ製のmRNAワクチンにありましても、スパイク蛋白質を体内で生成する点においては共通しております。血栓の発生は、新型コロナウイルスの主たる症状の一つですので、その原因がスパイク部分にあるとしますと、ワクチンによって生成されたスパイク蛋白質にも毒性があるとする見方は極めて合理的な推測です。

 

 スパイク蛋白質の有毒性につきましては、生体検査や解剖等を実施すれば証明できるはずなのですが、政府もメディアも、リスク情報を’デマ’と断定するのみで、積極的に遺伝子ワクチンの危険性を検証・確認する作業は行っていないようです。こうした無責任な態度がワクチン不安を高める原因ともなっているのですが、6月23日に公表された厚労省の定期のワクチン副反応検討部会の報告によりますと、ワクチン副反応の疑い報告数13750、うち重篤報告数 1713、そして接種後の死亡は累計 で356人にも上っているそうです。現在、厚労省に報告された数だけでも相当数であり(氷山の一角とも…)、今後、接種が拡大するにつれ、さらにこれらの数字は増え続けることでしょう。因果関係は評価できないとされているものの、逆に、因果関係がないことも証明されていないのです。

 

 ワクチンが原因とみられる健康被害の実情が国民の間に広がりますと、政府は、自らのスタンスを変えざるを得ない状況に追い込まれるかもしれません。そして、この段に至って問題となるのは、既にワクチンを打ってしまった人々に対する救済です(もっとも、今すぐにでも取り掛かるべきかもしれない…)。ワクチン接種が死因として特定されたり、あるいは、同接種を原因とする健康被害については補償金が支払われることとなりましょうが、ワクチン接種者全員に必要とされ、かつ、急がれるのが、治療法としてスパイク蛋白質の除去手段の研究・開発です。

 

 例えば、’毒を以て毒を制す’の考え方からすれば、遺伝子ワクチンの害を遺伝子工学のテクノロジーを以って排除するという方法もありましょう(ただし、元より遺伝子の欠損を補うために開発された技術である故の困難が予測される…)。あるいは、スパイク蛋白質と結合して体外に排出させたり、同蛋白質を分解する作用のある物質の開発や、何らかの蛋白質分解酵素を利用するといった方法も考えられます。そして、安全性を確実に保障するためには、今後にあっては、遺伝子ワクチンの製造会社は、何れの病原体に対するものであれ、ワクチンによって生成されるタンパク質を除去する方法をセットとして開発すべきなのかもしれないのです。

 

日本国は、ワクチン開発において米中英ロなどに後れを取ったと批判されていますが、スパイク蛋白質除去テクノロジーにおいて先端的な医療技術の開発に成功すれば、技術立国としてトップランナーに返り咲くという道も見えてきます(同技術は、新型コロナウイルス感染症の治療薬としても応用できる…)。そしてそれは、日本国民のみならず、人類をも救うのではないかと思うのです。


ワクチンは安全証明よりも危険証明の方が早い

2021年06月23日 12時29分21秒 | 国際政治

 今般、各国政府が強力に推進しているコロナ・ワクチンについては、その何れも安全性が証明されていないという重大なリスクを抱えています。日本国政府が承認している各社のワクチンも、ファイザー社製であれ、モデルナ社製であれ、そして本日、60歳以上に使用が容認されたアストラゼネカ社製であれ、遺伝子ワクチンという特徴があります。このため、政府は積極的に接種を推進するものの、国民の多くはワクチン接種に不安を抱くこととなったのです。

 

  アナフィラキシーや発熱、倦怠感といった一般的な副反応については、政府は因果関係を認めていますが、ワクチンとの関係が疑われている接種後の死亡例については、基本的には’評価せず’の立場にあります。厚労省は、6月上旬にあって196名の接種後死亡を公表したものの(続報はない…)、この数字をリスク警告として国民に報じるマスメディアは殆どありません。あったとしても、偶然や他の要因の紛れ込みとされ、不安打消しの材料にされるのみなのです。

 

新たなテクノロジーが人類に対して初めて使用されたのですから、過去のデータに根拠を求めることはできず、将来における健康被害については誰も予測することができません。数年後、数十年後、さらには次世代への影響は、現時点にあって不明と言うしかないのです。こればかりは誰も否定はできませんので、同論争は、不毛な神学論争と化しています。双方一歩も譲らずの状況が続き、両者の主張はこのまま平行線を辿るかもしれません。推進派は安全性(何も起きない)を証明できず、反対派は現時点では、危険性(有害事象の発生、特に中長期的有害事象)を、その事例をもって科学的に証明できないのですから。安全性の証明を求めれば、人類は、100年後や200年後まで結論を待たなければならなくなりましょう(悪魔の証明のようなもの…)。

 

安全性が確実に証明されるまでの間、たとえ潜在的に有毒なワクチンであったとしても使用し続けることができるとしますと、人類は滅亡の憂き目にあう可能性も否定はできなくなります。これではリスクが高すぎますので、’何も起きないこと’を証明する安全証明の方法は、ワクチン問題については賢明な対応とは言えないようです。となりますと、ワクチン問題の結論を早期に、かつ、確実に得るためには、危険証明の方が適していると考えられるのです。

 

ワクチン接種派の人々は、常々、専門家でもなく、知識も乏しいワクチン警戒派の一般の人々に対して因果関係の証明を求めます。しかしながら、今日、急ぐべきは、ワクチン安全派であれ、危険派であれ、これらのワクチンの危険性の立証です。そしてこの証明は、実のところ、政治的な妨害さえなければ、然程に難しいことではありません。

 

とりわけ遺伝子ワクチンにつきましては、脂質ナノ粒子(ウイルスベクター型ではアデノウイルス)、mRNA、並びに、スパイク蛋白質という疑惑の三点セットがあります。そのそれぞれが、ワクチン接種後に死亡した人々の体内にあってどのような作用を及ぼしたのか、という点を解剖によって調べますと(血栓の生成、各種細胞への浸透性、臓器への蓄積、免疫システムへの影響、未知の活性作用…)、ワクチンと死亡、並びに、重篤な有害事象との関係が証明されることとなりましょう。この危険証明作業は、複数の独立的な研究機関に委託したとしても、比較的短期間で行うことができます。この他にも、幹細胞や生殖細胞への逆転写の可能性やシンシチン・ホモログ・蛋白質への有害性なども、生体の一部を検査することでも真偽が判明できるはずなのです。

 

今では、政府もマスコミも、マイナス情報を’デマ’と見なすことで国民の不安を解消しようとしているようです。しかしながら、この方法は逆効果となりましょう。何故ならば、多くの国民が、デマやフェークが混じってはいるものの、マイナス情報には医科学的な根拠があるものも少なくないと考えているからです。つまり、国民の目には、政府の全否定的な態度の方がよほど非科学的に見えてしまうのです。真に国民に安心感を与えようとするならば、上記の危険証明の作業において’無害’の結果を得たことを国民に示す必要がありましょう。もちろん、中立公平性が確保され、再現性も確認された上で。そして、有害性が判明したならば、即、ワクチン接種は中止すべきと思うのです。


第3次世界大戦は’3次元戦争’?

2021年06月14日 12時30分51秒 | 国際政治

 戦争というものは、古来、国家と国家との間の戦いというイメージが染み付いています。このため、戦争の背景を分析するに際しても、その観察者の視点は、主としてどの様な対立要因や背景があって両国がぶつかるに至ったのか、という点にあります。両国間、あるいは、同盟関係による両陣営間にあって複雑に絡まった利害関係を解き明かせば、戦争の要因も特定できると信じられてきたのです。実際に、二国間の戦争であれ、陣営対立となった戦争であれ、その殆どは国家間の戦争と見なされ、歴史の教科書にあっても、当事者はいずれも’国家’に限られています。

 

 戦争を国益の衝突の力による解決として見なす場合、戦争とは、平面上、即ち、二次元の空間で行われる行為と見立てることができます。しかしながら、この国家を中心とした戦争観、本当に実際の戦争の要因を解き明かしているのでしょうか。近代以降、急速な産業の発展により、金融をはじめとした私的な経済勢力は、経済のみならず政治や社会に対して甚大な影響力を及ぼすに至っています。実際に、民間の出資団体から始まりながら、軍隊を備え植民地を獲得した東インド会社のような事例もあります。’

 

 フランス革命やロシア革命の’黒幕’として、しばしばロスチャイルド家の名が上がるのも、ワーテルローの戦いで巨万の富を手にした同家、あるいは、ユダヤ系金融組織が国家体制を転覆させ得るような’財力’、あるいは、超国家的なネットワークを有していたからなのでしょう。しかも、このような民間の経済団体は、国家そのものではないために、国家間の対立とは距離を置きつつ比較的自由に経済活動を行うことができます。第二次世界大戦前夜まで、アメリカの大企業の一部はドイツのナチス政権を支援していましたし、直接的な脅威を受けていたイギリスにあってもドイツとの経済関係が完全に遮断されていたわけではなかったようです。今日にありましても、間接的ではあれ、中国を軍事大国に育てたのは、同市場を有望な収益源と見た自由主義国の民間企業であったのかもしれません。諸国家が2次元空間に存在しているのであるのならば、超国家的ネットワークは、いわば’3次元’空間に存在していると言えるでしょう。

 

 毎年、スイスで開かれていたダボス会議は、あたかも’世界政府’の如くに各国の政府に対して政策を指南してきましたし、今年は、コロナ禍で年次総会の開催を見送ったためか、G7が半ばダボス会議化しているようにも見えます(デジタル化、カーボンニュートラル、ワクチンはグレートリセットの3本柱?)。そして、今般のG7において’新大西洋憲章’が発表されましたのも、戦争へと向かうどこか危うい空気が感じられるのです。第二次世界大戦にあっては、アメリカが未だ参戦していない1941年8月の段階にあって、米英両国の首脳が大西洋憲章で合意し、戦後の’世界構想’を公表しています(同年12月の真珠湾攻撃に先立って、既に、アメリカの参戦は織り込み済みであった…)。

 

 今日では、超国家権力体と化した国際金融・経済勢力の隠然たる影響力を考慮しますと、仮に第3次世界大戦が起きるとしますと、何れの国の国民も、それが’3次元戦争’であることを理解しなければならなくなるかもしれません。第二次世界大戦までは、国民の大多数は、それが国家間、あるいは、陣営間のいわば’二次元戦争’であると信じていました。しかしながら、国境を越えた超国家権力体の存在は、この見方が最早通用しないことを示しております。国家間の対立のさらにその上層部には、両国から利益を得る、あるいは、戦争そのものを操る組織が存在している可能性が極めて高いからです。同存在は、今では陰謀論では片付けられないリアリティーがあります。

 

 戦争そのものは、自由主義陣営対全体主義陣営の構図で始まることでしょう。最もあり得るシナリオは、第二次世界大戦時のドイツ・ナチス政権と同様に’鉄砲玉’となった中国が、国際法違反となる侵略を実行し、同行為を咎めた自由主義陣営が大義名分の下で戦いに挑むというものです。中国が侵略行為を働いた以上、この戦争は不可避です。何故ならば、仮に、中国の行動を黙認すれば、中国による世界支配が成立してしまうからです。そして、これもまた、超国家権力体のシナリオであるかもしれず、同組織は、どの様な展開になっても、あるいは、どちらが勝利しても自らは安泰なように準備しているはずなのです。

 

 このように考えますと、日本国民は、自国の防衛、並びに、国際法秩序を維持するために中国と闘うと共に、超国家権力体に対しても防御を固める必要がありましょう。従来の二正面戦争とは次元が異なる、水平と垂直の両方向における3次元対応の防御を同時遂行しなければならないのです。そして、この問題は、日本国に限ったことではありません。近現代の戦争を三次元構造として捉え、第3次世界大戦もまた’3次元戦争’であるとする認識なくしては、人類は、今般の危機に対して適切に対応できるとは思えないのです。


二階幹事長の「インド・太平洋議連」設立を推理する

2021年06月11日 12時13分31秒 | 国際政治

 今日、日本国の政界では極めて奇妙な現象が起きています。それは、親中派の’ドン’として知られる二階俊博自民党幹事長が自ら中国包囲網とされてきた「自由で開かれたインド太平洋」の実現を目指す議連を設立したというのです。中国の視点から見ますと’寝返り’ということになるのですが、二階幹事長の行動は、一体、何を意味するのでしょうか。

 

 第一に推測されるのは、二階幹事長が、文字通り中国からアメリカに鞍替えしたというものです。海千山千の政界を生きてきた同幹事長のことですから、政治的臭覚は人一倍であるはずです。また、中国との関係が親密であることから、一般の日本国民はおろか、政治家でさえ知らない中国政府、あるいは、中国共産党の内部情報をも入手し得る立場にあることでしょう。政権与党の幹事長として知り得たアメリカ側の情報を勘案し、米中対立にあって’中国必敗’を確信したのかもしれません。そこで、旗色の悪さに怯え始めた二階幹事長は、早速、自ら議連を発足させてアメリカに媚びを売り始めたのかもしれないのです(以前、アメリカの政府系研究機関の報告書にあって二階幹事長は親中派と名指しされていた…)。利権漁りと自己保身の本能のみで生きてきた政治家であるとしますと、二階幹事長の行動は、分かり過ぎる程よく分かります。

 

 しかしながら、事はこれほど単純なのでしょうか。現状にあって、中国側からも二階幹事長を’裏切者’として名指しで激しく糾弾する声は聞こえてきません。同国が静観を決め込んでいるとしますと、同幹事長の行動は中国の織り込み済みであり、むしろ、議連設立の真の提案者は中国自身であったのかもしれません。第二の推測は、中国による’偽旗作戦’というものです。古今東西を問わず、内部化された’敵’ほど危険な存在はありません。二階幹事長は、議連のトップの座を利用し、もっともらしい理屈や口実の下で「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向けた活動を内部から邪魔しようとするかもしれないのです(もっとも、今日、自由貿易主義も見直しを必要とされていますが…)。つまり、中国は、中国包囲網そのものの’乗っ取り’を画策しているのであり、こうした’乗っ取り作戦’が中国の得意技であることは、WHOといった国際機関を観察しましても一目瞭然です。この推測が正しければ、同議連の真の名称は’自由で開かれたインド太平洋を阻止する会’ということになりましょう。

 

 あるいは、’偽旗作戦’とまでは言わないまでも、中国は、同議連の枠組みを利用して野党を含む国会議員の政治的スタンスを探ろうとしているのかもしれません。参加する議員は、反中派と予測されます。同議連は、これらの議員に関する情報収集の場となりかねず、同幹事長を介して、議連での発言内容等の情報が中国側に筒抜けになりかねなしのです。

 

 もっとも、同議連の発足が中国による日米攻略戦略の一環であるとしますと、これもまた、あまりにも露骨すぎるように思えます。二階幹事長が不審な行動を見せれば、直ぐにでも’ばれ’でしまうからです。そこで、もう一つ考えられる第3の憶測は、実のところ、二階幹事長は中国ではなく、超国家権力体のエージェントであったいうものです。ナポレオン戦争、あるいは、三十年戦争から第二次世界大戦に至るまで、大規模の戦争の裏には戦争により巨万の利益を手にした超国家権力体が蠢いていたとの指摘があります。激化の一途を辿る米中対立にあっても、第三次世界大戦へと導くシナリオが準備されている可能性も否定はできません。中国が共産党一党独裁、かつ、非人道的な国家であることは疑い得ないのですが、超国家権力体による世界大戦への巧妙な誘導には警戒が必要とも言えましょう。そして、仮に戦争に向けたシナリオが水面下にあって密かに進められているとしますと、同シナリオにおける二階幹事長の役割とは、日中両国における人脈をも生かしながら、日中間、並びに、米中間の対立を煽ることにあるのかもしれません。

 

 そして、第4の憶測は、仮に二階幹事長が稀有な政治家であるとすれば、中国、アメリカ、そして日本国を手玉に取り、自らをキーパーソンの位置に置くというものです。即ち、同幹事長を通さなくては、日米中の三国関係は動かないという状況を造り出そうとしているのかもしれません。

 

 同議連の初会合は15日に予定されているそうですので、どのような顔ぶれになるのかは分からないのですが、果たして、どのような議員が同議連に参加するのでしょうか。不可解な行動には必ず’裏’というものがありますので、政府も国民は、先ずは、その背景こそ的確に見抜かなければならないように思うのです。


ワクチン接種は誰のため?-’おもてなし発言’が語る政府の本音

2021年06月10日 12時39分43秒 | 国際政治

 昨日6月9日、記者会見の席で東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長が述べた言葉が波紋を広げています。その発言とは、「海外の方々らをお迎えするため、できるだけ接種することが、組織委としてのおもてなしだと思っている」というものなのですが、この発言には、ワクチン接種に関する日本国政府の本音も見え隠れしているように思えます。

 

 コロナ禍におけるオリンピック開催の是非をめぐり、日本国内のみならず国際社会においてもIOC並びにオリンピックの在り方に関する疑問が呈されることとなりました。’五輪貴族’と称される人々の存在も明るみとなり、アメリカのワシントンポスト紙によってバッハIOC会長は’ぽったくり男爵’という異名を取ることともなりました。IOCの幹部にとりまして、オリンピックの開催、並びに、それに付随するグローバルな活動はかつての王侯貴族のようにゆく先々で贅を尽くした接待を受けることができる、豪遊のチャンスらしいのです。

 

これを裏付けるかのように、先日、オリンピック誘致を計画していたスウェーデン?が、IOCからの度を越した’おもてなし要求’が知られるところとなり、同計画を中止したとする報道もありました。そして、東京都の誘致決定に際してカギを握ったのが、’おもてなし’という言葉であったことを思い起こしますと、IOCと開催都市並びに開催国との関係は、IOC絶対上位の関係が成り立っている様子が窺えるのです。今般、コロナ・パンデミックにあって東京大会の中止が取沙汰されていますが、IOCとの間で締結された開催地契約もまた’不平等条約’です。大会が中止となった場合、東京都、JOC、並びに組織委員会が‘補償’責任を負うと解釈し得るアンフェアな条項が設けられているのですから。

 

IOCの強い特権意識と金満体質を見ますと、開催地の決定要因とは、IOCの要求を丸呑みし、最も手厚い‘おもてなし’をIOCに提供する国であったとも推測されるのです。開催地の誘致合戦とは、その実、立候補都市が‘おもてなし’のレベルを競う‘おもてなし合戦’であったのかもしれません。つまり、東京都の開催が決定されたその時から、東京都並びに日本国は、IOCに全力で奉仕する義務を負わされてしまったようなものなのです。そして、’おもてなし’という日本古来の客人を迎える際の美徳は、この厳しい上下関係の存在を、国民の目からカバーするに好都合な言葉であったのでしょう。

 

冒頭で述べた橋本会長の発言もこの延長線上にあり、同会長は、開催国である日本国は、ひたすらにIOC、並びに、大会に参加する選手を含む各国派遣団を’おもてなし’する立場とする意識が染み透っているのでしょう。そして、これは、一種の奴隷根性の植え付けと言えるかもしれません。何故ならば、同会長の発言は、’如何に危険なワクチンであったとしても、オリンピック様の身の安全のためには国民は率先して接種せよ’と聞こえてしまうからです。つまり、’お前たちはご主人様に奉仕する奴隷、あるいは、サーバントなのだから、自らを犠牲にしてでもご主人様の身に危険が及ばぬようにせよ’と…。橋本会長の立場は、ご主人様から奴隷やサーバントの中から選ばれた監督者なのかもしれません。

 

一方、この政府の隠れた本音は、国民意識とは著しく乖離しています。日本国民の多くは、オリンピックの開催によって感染が拡大すると共に変異株なども持ち込まれ、国民の健康が害されることを懸念しているのですから。オリンピックの中止を求める声が強いのも、国民による自然な防御反応と言えましょう。

 

いささか過激な記事とはなりましたが、巨大な利権を有する超国家的な特権組織による興行となったオリンピックは、今日、明らかに曲がりかどに差し掛かっているように思えます。先日公表された東京大会のメダル授与式用コスチューム・デザインの言葉を失うような美意識の欠如もさることながら、ロンドン大会でのマスコットが一つ目であるなど、近年のオリンピックには、カルト祭典のような独特の不気味さも漂っています。開催国の政府までもが自国民を奴隷やサーバントとして扱うようなオリンピックでは、到底、開催国の国民からの心からの‘おもてなし’を受けられるとは思えないのです。


陰謀を陰謀論の世界から引き出す科学技術

2021年06月09日 12時42分57秒 | 国際政治

 今日に至り、ようやく新型コロナウイルスの起源が中国の武漢ウイルス研究所にあるとする陰謀説が事実として認定されようとしています。同説が唱えられた当初、各国ともマスメディアは一斉に根拠のない陰謀論として批判し、一笑に付そうとしました。イギリスの権威ある医学雑誌であるランセットに否定声明が掲載されるなど、陰謀論の立場をとる科学者も少なくなかったのです。日本国内でも、たとえ武漢ウイルス研究所流出説を報じられたとしても、それは所謂’デマ’扱いでした。しかしながら、アメリカをはじめとした各国情報機関による調査が進むと、陰謀論はようやく中国が引き起こした事件として扱われるようになったのです(もっとも、実行犯は中国としても、中国の背後に隠れている’真犯人’が存在する可能性もありますが…)。

 

 陰謀論とは、しばしばそれが非現実的で荒唐無稽のお話であるため、それを信じる人々は、洗脳された新興宗教の信者のように見なされがちです。この世ではあり得ないことを信じて真剣に語る人は、得てして’騙されやすい愚かな人、あるいは、’胡散臭い人’として扱われてしまうものです。いわば、’合理的な思考から外れた人’と見なされてしまうのですが、先端的な科学技術が急速に発展した今日、合理的な思考の持ち主ほど、陰謀論が事実である可能性を認める傾向へと大きく変化してきているように思えます。

 

 例えば、コロナ・ワクチンをめぐっても、様々な陰謀論が渦巻いています。先日、ワクチンを接種した人が一夜にして半獣半人の姿へと変化したとする記事を目にしましたが、時間の経過とともにゾンビ化するといった説も含めて、こうした説は確かに愉快犯によるフェイクなのかもしれません。誰もが怪しむ極端な陰謀論があるものの、今日の科学技術のレベルからすれば、あり得てしまう陰謀論も少なくありません。その最たる事例が武漢ウイルス研究所流出説であり、そして、コロナ・ワクチンをめぐる疑惑なのではないかと思うのです。

 

 日本国政府を含め、各国政府とも、ワクチンの安全性や真の目的に対する疑問の提起は’陰謀論’扱いです。遺伝子ワクチンの技術は、最先端の科学技術の成果であるのだから、それを疑う人は、’合理的な思考から外れた人’と見なしているのです。しかしながら、コロナ・ワクチンを疑う人は、科学技術を信じているからこそ、遺伝子ワクチンの危険性に気が付いているとも言えましょう。すなわち、今日、遺伝子工学やナノ技術かなり発達しているとはいえ、遺伝子の役割や機能に関してはまだまだ未解明な部分が大きく、現在の人類の知的レベルではその全容解明は不可能である可能性さえあるのです。

 

ワクチン接種を受けた人の体内にあって大量に投与されたmRNA入りの脂質ナノ粒子が血管やリンパ節を流れて全身をめぐり、脳を含む各種臓器の細胞に入り込んでスパイク蛋白質を産生することは紛れもない事実です(脂質ナノ粒子については、接種2日後では肝臓に最も多く蓄積とも…)。投与された成分は接種部位の筋肉に留まり、大人しく中和抗体のみを生成するわけではないのです。しかも、ファイザー社からの流出文書によれば、このmRNA、新型コロナウイルスのスパイク部分の全長の塩基配列の再現というのですから、体内にあって全身のACE2と結合可能なスパイク部分が全身に存在してしまうことにもなります。スパイク部分こそが同ウイルスの核心的な有毒要素であるとする説がありますので、ワクチン接種が必ずしも安全であるとは断言できないはずなのです(同ウイルスに感染して発症したに等しくなる…)。また、脂質ナノ粒子から外部に放たれたmRNA、並びにこれから生成されたスパイク部分、さらにはスパイク部分に対する免疫反応として生成された各種抗体が、その後、どのような経緯を経て最終的にどのような状態となるかについては、製薬会社の企業秘密ともされて分かっていません。

 

可能性としては、全てではないにせよ、一部のmRNAが幹細胞等のテロメラーゼといった酵素、あるいは、未知のDNA作用などによってDNAへ逆転写され、一生涯に亘って体内にスパイク蛋白や抗体を産生し続けるケースから(中長期的には甚大な健康被害が発生するリスクが高い…)、抗体を含めてこれら全てが短期間で代謝を経て消滅するケースまで、リスクレベルの異なる様々な可能性があります(中には、ADE抗体のみが残るケースも…)。科学は、むしろ、将来における影響のレベルや種類の幅広さを示しているのであり、政府の見解は、数あるリスクの内でも、最もリスクの低い楽観的な見通しに過ぎないとも言えましょう。

 

 コロナ・ワクチンの安全性に関する疑惑こそ科学的な見地に基づくものですので、これを陰謀論として片付けてしまいますと、事実に基づくリスクに目を瞑ることとなります。そして、今日のナノ技術のレベルを知れば、マイクロチップ埋め込み論が事実であっても驚きはしません。何故ならば、ナノエレクトロニクスの分野では、10年以上も前にタバコモザイクウイルスの内部空間を利用したナノワイヤーの作成に成功しているからです。科学こそ、陰謀を陰謀論の世界から引き出し、白日の下に晒しているのであり、そうであるからこそ、政府も国民も’陰謀論’を決して無視してはならないと思うのです。陰謀こそ事実である可能性があるのですから。