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万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

民族自決権の再確認が必要では-外国人問題

2025年07月17日 11時39分27秒 | 国際政治
 1980年代以降、全世界の諸国にグローバリズムの波が押し寄せ、国境に対する意識が低下の一途を辿ってきました。グローバリズムの中枢には、国境を越えて広がるマネー・パワーが座しているのですが、同パワーは、軍事強国がアジア・アフリカの諸国を植民地化した時代にあっても、これらの‘列強’の影に隠れた主役でもありました。しかしながら、二度の世界大戦は、これらの諸国に独立のチャンスを与え、三十年戦争を機に17世紀にヨーロッパ限定で成立した国民国家体系は、全世界へと拡大してゆくのです。

 アジア・アフリカにおける植民地独立の寄る辺となったのが、国際社会の大原則として民族自決の権利であったことは言うまでもありません。民族自決の起源とは、分散集住を経て今日に至る人類の多様化とそれがもたらす自然な集団意識(同胞意識)にあるのでしょうが、近現代の国際社会における原則としては、ナポレオン戦争にあってフランス帝国の支配を受けた諸国におけるナショナリズム(民族意識)に求めることができます。その後、悲願であった国家統一を成し遂げたドイツやイタリアのみならず、ギリシャやバルカン諸国もトルコ帝国から独立を果たしています。列強間の熾烈な勢力圏争いを背景としながらも、第一次世界大戦の講和条約にあって民族自決がウイルソン大統領の提案した14の講和原則の一つとして掲げられたことから、各々の民族に対して自らの国家を有する権利を認めるのです。

 民族自決の原則なくして今日の世界地図はあり得ず、現代の国民国家体系は、たとえ、民族の括りが曖昧なものであったとしても、民族的な多様性を特徴とする人類史に根ざしているとも言えましょう。そして、それは、国際社会が民族に対して国家を有する集団レベルの権利も認めていることを意味しており、第二次世界大戦後のイスラエルの建国も、東西ドイツの再統合も、チベット、ウイグル、スコットランド、カタロニア等の独立運動も、そして、将来の朝鮮半島の南北統一運動もあり得ないことでしょう。所謂‘新大陸’に建国された諸国、並びに、中国やロシアと言った過去の‘帝国’を引き継ぐ諸国は除くとしても、民族が国家の枠組みの決定要因であることは、揺るぎない歴史上の事実なのです。

 ところが、グローバリズム、並びに、リベラリズムは、旧来の帝国や国家の解体や戦争への誘導に関してはナショナリズムを利用するものの、‘民族’というものを敵視するようになります。‘民族’とは、時の為政者が造り出した人工物である、あるいは、空想の産物であるとする説も唱えられるのです。もちろん、今日に至るまでの‘民族’の形成には長期に亘る歳月を要しましたし、その間、征服等を機とした同化があったことも否めません。しかしながら、言語、伝統文化、生活習慣、道徳・倫理観等を共有する社会の存在自体が、民族の存在を証明しているとも言えます。それにも拘わらず、グローバリズムやリベラリズムが民族の消滅を願うのは、グローバリストの世界戦略にあって国家の枠組みは重大なる阻害要因と認識されているからなのでしょう。全世界を一つの市場に統合し、全人類を一括支配するには、国境はあってはならないからです。

 しかしながら、こうしたグローバリストの密かなる方針が、国際社会における民族自決の原則と真っ向から衝突することは目に見えています。そこで、前者は、人種や民族等に基づく差別反対を絶対的で無条件に遵守すべき‘社会規範’として掲げると共に(ナチスによるユダヤ人迫害も民族差別を糾弾する根拠に・・・)、多文化共生主義等を広げて国家の内側から民族の枠組みを崩壊に導こうとしたのでしょう。この状態で移民によって外国人人口を増加させれば、やがて国民国家を成り立たせてきた民族は消える運命を辿るからです。それは同時に、統治の枠組みとしての独立国家を有する集団的な権利の消滅をも意味しますので、自ずと世界は一体化されるのです。もちろん、グローバリストによる一元的な支配下において・・・(その一方で、ユダヤ系のグローバリストは、選民意識という強力な民族意識に囚われているという自己矛盾がある・・・)。このとき、国家の行政機構のみは、グローバル・ガバナンスの末端として残されるかも知れません。この未来像は、単なる妄想や空想ではなく、極めてロジカルな推測なのです。

 参議院議員選挙にあって外国人問題が争点となったのも、国民国家体系の廃絶を意図したグローバリストによる一方的な民族自決の原則の廃絶方針に対して、少なくない日本国民が、漠然とした不安感であれ、直感的な危機感であれ、静かなる抵抗を示している証なのかもしれません。国際社会における原則の変更や消滅は、それが支えてきた秩序や体制の変化や崩壊を必ずや伴いますので、外国人問題は、人類の行方をも左右する重大問題なのです。

 このように考えますと、外国人問題は、個人レベルにとどまらず、より広い国際社会全体に拘わる集団レベルでの権利の問題でもあります。そうであるからこそ、これを機に、人類は、国際社会における権利主体としての民族というものに正面から向き合い、その存在意義を再確認する必要があるのではないでしょうか。民族自決の原則の再確認を出発点として外国人問題に対応しませんと、日本国をはじめとした各国の社会も国際社会も、グローバリリストのシナリオ通りに国家喪失と国民国家体系崩壊の危機を迎えるのではないかと危惧するのです。

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フェンタニル問題は氷山の一角?

2025年07月03日 11時55分19秒 | 国際政治
 先日、アメリカから驚くべきニュースが届きました。それは、合成オピオイドであるフェンタニルの密輸拠点が、日本国の名古屋に存在していたというものです。より正確に述べれば、中国系企業のFIRSKY株式会社が名古屋を拠点としてフェンタニルの前駆体物質をアメリカに密輸したというものであり、目下、トランプ政権の怒りを買っているそうです。この事件、日米関税交渉にも影響するとの見方もありますが、あらゆる側面で‘氷山の一角’なのではないかと思うのです。

 フェンタニルは医療用の鎮痛剤として合法的に使用されているものの、比較的安価で製造できるために、アメリカ国内では麻薬として取引されており、深刻な社会問題を引き起こしています。モルヒネやヘロインよりも格段に効果が強く、かつ、依存性や耐性も高いことから、虚ろな中毒者が道ばたにたむろする「ゾンビ・タウン」が出現すると共に、過剰摂取による死者数も7万人に達しました(交通事故死数を上回る・・・)。同薬物のアメリカへの大量流入には中国共産党も関与しているとされ、既に米中間の摩擦要因の一つとされているのです。今年3月には、中国に次いでフェンタニルの‘サプライチェーン’に位置することを理由にメキシコとカナダに対して追加関税が課されたばかりです。この流れからしますと、日本国にも所謂‘フェンタニル関税’が課される可能性が高くなるのですが、この問題には、幾つかの疑問点があります。

 第1に、麻薬密輸の拠点が設けられていながら、日本国政府は、何らの対策も講じていなかった点です。名古屋港で取り扱われる一日の貨物数は膨大ですので、全ての輸出貨物がチェックされるわけではないそうです。しかしながら、これが偽らざる現状であるとしますと、日本国は、‘密貿易の天国’と言うことになりましょう。麻薬であれ、何らかの違法品であれ、おそらく‘密輸入’も同様の状況にあると推測されるからです。

 それでは、中国政府は、どうなのでしょうか。中国は、先端的な監視技術の先進国であり、国民個人や企業活動に関するあらゆるデータを収集できる立場にあります。フェンタニル問題の背後に中国共産党の‘国家戦略’の存在が強く疑われる理由も、少なくとも中国政府は、フェンタニルに関する自国民や自国企業の動きを知り得るからです。言い換えますと、犯罪行為を黙認して放置している中国政府こそ、フェンタニル密輸の張本人ということにもなります。そして、仮に、日本国政府が‘知らなかった’とすれば、中国政府は、日本国に対して犯罪情報を提供しないどころか、意図的に情報を隠蔽し、自国の国家犯罪の拠点として利用したことになるのです。第2の疑問点は、中国政府の関与です。なお、日本国政府がデジタル化を推進するならば、先ずもって犯罪防止や輸出入品の徹底管理に導入すべきかも知れません。

 第3の疑問点となるのは、名古屋の‘役割’です。これまで、フェンタニルは、中国から輸入した原材料をメキシコの犯罪組織が製造してアメリカに密輸しているとされてきました。この経路からすれば、名古屋は日本からの輸出品を装うための‘ロンダリング’に使われたことになります。FIRSKY株式会社は、バッテリーや化学品の輸出入も事業内容とする会社として2021年6月に沖縄で登記され、2022年9月に名古屋に移転したそうです。‘化学品’の名の下で中国から原料が輸入され、日本製品に‘化け’てアメリカ、あるいは、メキシコに向けに輸出されたものと推測されますが、数日前に、厚労省は、フェンタニルの原材料を取り扱う日本国内の事業者に対して、「違法な麻薬製造に使われる疑いがあるような取引を業者が確認した場合には積極的に届け出をさせるよう要請」する通知を出しています。また、となりますと、名古屋では、単なるロンダリングのみならず、原材料の仕入れが行なわれていた可能性も浮上するのです。

 第4に、密輸事業は、FIRSKY株式会社一社によるものなのでしょうか。FIRSKY株式会社は、昨年の2024年7月には既に清算手続きを完了し、姿を消してしまっています。となりますと、上述した厚労省の通達も意味がないようにも思えるのですが、仮に、現在なおも同通達を要するとしますと、FIRSKY株式会社の清算は偽装のようなものであり、中国人がいとも簡単に起業できる日本国の現状を考慮すれば、別の中国系企業に密輸事業が引き継がれている、あるいは、FIRSKY株式会社の他にも複数の中国系企業がフェンタニルの原材料を密輸していた可能性もありましょう。実際に、7月1日は、愛知県が原材料を取り扱う‘事業所’に立ち入り調査を行なったと報じられています。

 そして第5の疑問点を挙げるとすれば、同問題は、フェンタニルに留まらない可能性です。FIRSKY株式会社は、中国湖北省武漢市に所在する「Hubei Amarvel Biotech(湖北精奥生物科技)」の一部とされています。先ずもって注目されるのは、その所在地が新型コロナウイルスの発生地として知られるようになった武漢市であり、この社名をみますと‘バイオテック’、つまり、バイオテクノロジーに関連した物質を扱う企業であることが分かります。しかも、同社を中心に、アメリカや韓国を含む国際企業ネットワークも形成されているそうです。今なお武漢市にはBSLレベル4のウィルス研究所がある点も考慮しますと、これらの企業は、フェンタニルに留まらず、中国共産党が極秘で研究・開発している生物・化学兵器等を含め、‘国策’の実現に必要となる化学物質の調達機関であったとする疑いも拭い去れません。そして、同様の中国系国策企業は、他にも数多く存在しているかもしれないのです。

 以上に主要な疑問点を述べてきましたが、フェンタニル問題は、これを発端として水面下で進行してきた巨大な国際犯罪組織を暴くことになるかもしれません。そして、日本国政府の今後の対応は、同政府が誰のために働いているのかを国民が知る上での、一つの試金石になるのではないかと思うのです。

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アメリカを動かすイスラエル

2025年07月02日 11時38分18秒 | 国際政治
 アメリカの直接的な軍事行動を引き起こしたイスラエルの対イラン攻撃の目的は、イランの核開発を物理的に阻止することにありました。しかしながら、イスラエルには、核拡散の防止を目的として他国を攻撃する法的根拠が欠けていることは明白です。NPTの加盟国ですらないのですから。それにも拘わらず、イスラエルは、自らの対イラン攻撃を平然と正当化し、アメリカのサポートまで引き出しております。同国が、自らを‘特権的な国家’であると自認していることだけは確かなようです。そして、イスラエルをめぐっては、アメリカを筆頭に自由主義国のダブル・スタンダードが甚だしいのです。

 それは、核保有に対する対応を見れば一目瞭然です。イスラエルは、正式には核保有を認めていないものの、イスラエルが既に核を保有していることは公然の秘密であり、凡そ確定事項です。ところが、アメリカの態度は、北朝鮮やイランに対する態度と真逆なのです。もちろん、イスラエルがNPTに未加盟の状態である事実をもって、核保有を容認する見解もあり得ましょう。これは、印パ戦争を背景に共に同条約の枠外にあるインドとパキスタンと同様のケースとなります。しかしながら、核開発の阻止を目的とした今般の対イラン攻撃は、自らを印パと同列とするこの立場を捨てたに等しくなりましょう。

 インドとパキスタンの両国の核保有については、一先ずは、核の相互抑止力が働くことを期待して国際社会が容認している側面があります。誰もが、両国の間で核戦争が起きるとは考えていないのです。むしろ、紛争当時国である両国が共に核を保有することで、戦争の激化が回避されていると見なす人の方が多いのではないでしょうか。同事例は、核兵器に対しては、攻撃力よりも抑止力への期待の方が優っていることを示しているとも言えましょう。仮に相互抑止力を全く考慮しないならば、国際社会の反応も違っていたはずです。

 その一方で、イスラエルは、核保有国が非核保有国を攻撃するという挙に出ています。このケースでは、イランとの間の相互抑止力の成立、あるいは、中東全域における核のバランスの成立を阻止するために行動したことになります。イスラエルとイランとの間の非対称のパターンは、インド・パキスタンのケースとは著しく異なっているのです(インドやパキスタンが同様の理由でイランを攻撃したケースを想定してみると分かりやすい・・・)。この結果、これまで軽く見られていた、あるいは、関心の枠外に置かれてきたイスラエルの核保有問題が、俄に国際社会全体の脅威として持ちがあることになります。NPT非加盟国の立場で自らは核を保有しながら、NPT加盟国の核保有の可能性を実力で排除しようとするイスラエルの身勝手極まる行動を、非難こそすれ、誰もが納得しないことでしょう。

 ところがアメリカは、イスラエルの対イラン攻撃を支持し、自らも手を貸すこととなりました。NPT違反ではないにせよ、他国に対する一方的な武力行使は国連憲章上の違反行為でもあります。いわば、国際法秩序に対する公然たる挑戦ともなるのですが、アメリカは、イスラエルの行動を全面的にバックアップしたのです。軍事においても経済においても、イランがそれ程にアメリカの脅威となるわけではありませんし、アメリカ国民や同国の国益を危機に晒す死活的な問題でもありません。

 この常識では理解しがたい不可解な現象は、イスラエル、否、ユダヤ系がアメリカ政界において保持する隠然たるパワーなくして説明できないことでしょう。国際法秩序を無視し、道理を曲げてもイスラエルの要求を叶えようとするのですから、そのパワーは計り知れません。大統領であれ、上下両院の議員であれ、地方政治家であれ、全人口の2%に過ぎないユダヤ系の支持や支援がなければポストに就くことは最早困難な状況にまで至っているとも推測されます。アメリカの政治とは、表看板としてきた民主主義とはかけ離れ、今や背後に蠢くマネー・パワーによって支配されているとも言えましょう。アメリカ政治の現実を理解しようとすれば、否が応でもその表と裏によって構成される二重構造に行き着いてしまうのです。

 もっとも、この二重構造にあっては、裏の構造が必ずしも一枚岩とも限りません。米民主党、EU、イギリス、中国並びに日本国政府等のグループは、少なくとも表面上は、トランプ政権、ネタニヤフ首相、プーチン大統領を結ぶラインと対立しているように見えるからです(ただし、この対立も、上部が仕組んだ巧妙な‘茶番’であるのかもしれない・・・)。イランへの攻撃も、イスラム革命の経緯からすれば、イランが前者の拠点の一つである可能性もないわけではありません。

 何れにしましても、国民主権や民主主義を形骸化してしまう表裏の二重構造はアメリカのみの問題ではなく、日本国を含めた全世界の諸国が直面する問題でもあります。将来に向けて法の支配を原則とし、公平且つ公正な国際社会を構築するためにも、‘陰謀論’という名の陰謀に惑わされることなく(イスラエルは世界有数の諜報・工作機関であるモサドも有する・・・)、人類は現実を直視すべきではないかと思うのです。

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NPTはトリッキーな三段論法では

2025年07月01日 12時13分44秒 | 国際政治
 NPTが‘マジック’に思えるのは、その条文の論理構成における巧妙な隠蔽性にもあります。一種の悪しき‘三段論法’が用いられていると仮定しますと、この隠蔽性は、より理解しやすくなります。

 NPTに用いられていると推測される三段論法とは、単純化しますと(1)核兵器は危険である(核戦争のリスク)、(2)危険は拡散してはならない、(3)核兵器は拡散してはならない、となります。この論法、結論までの流れとしては完璧ですので、誰もが疑いを持たないことでしょう。常識過ぎるほど常識的に思えます。しかしながら、同論法は、至る所で‘トリック’を潜ませることができます。

 最初に第一段目を見ますと、‘核兵器は危険’という命題自体は、一般論としては間違ってはいません。しかしながら、核兵器は、第二次世界大戦末期には既にアメリカによって使用されており、その後、ソ連邦、イギリス、フランス、中国等が核実験に成功しています。出発点となる初期状態において、全ての諸国が核兵器を保有していない状態であれば、一先ずは同論法も筋が通ったことでしょう(不平等条約とはならない・・・)。核兵器全面禁止条約として。ところが、NPTの場合、危険であるはずの核を既に保有している国が、核拡散防止を推進するという自己矛盾を抱えた状態で出発しています。この矛盾は、核兵器の危険性を殊更に強調することで巧妙に隠されています。核兵器保有国の‘危険性’については、あえて触れないようにしているとも言えましょう。なお、近年成立した核兵器禁止条約は、核保有国に対して等しくその放棄を迫りつつも、その出発点において核保有国が存在する以上、NPTと同様の欺瞞性が潜んでいます。

 ‘危険は拡散してはならない’といする二段目も、一般論としては正論です。ところが、この第二段目でも、核の‘拡散防止’に衆目が集まるように仕向けられています。条約では、常々第一条に最も重要な事項が記載されるものですが、NPTの第一条には、「核兵器国」の拡散防止義務が明記されています。素知らぬ顔をして「核兵器国」が登場し、核保有国の危険性は棚に上げて、核の‘拡散’を禁じているのです。因みに、「核兵器国」が定義されているのは条約後半部分であり、その文面は、「この条約の運営上「核兵器国」とは、1967年1月1日に核兵器その他の核爆発装置を製造しかつ爆発させた国をいう。」となります。このことは、「核兵器国」の条件とは、国家体制、並びに、倫理観や順法精神の有無とは全く関係なく、核開発に成功した国だけが、合法的に核を保有し得る事を意味します。しかも、明確に期日が設けられていますので、以後、核独占状態は固定化され、NPT体制が成立することとなるのです。

 そして、第三段では三段論法が完成し、結果として、他の非核兵器国の核保有は禁止されます。NPT加盟国の大半は、核兵器の拡散が禁じられたことで、核戦争の脅威が取り除かれ、地球上に自ずと平和が訪れることを期待したことでしょう(同時に核保有国に対する抑止力をも放棄したことには気がつかない・・・)。しかしながら、核戦争の危険性とは、核の使用によって起きるのですから、「核兵器国」というリスクの根源が残されている以上は、核の脅威がなくなるわけではありません。三段論法の結論は、NPTの目的とは一致しないのです。

 NPT成立後も、米ソ冷戦が、「核兵器国」相互の核開発競争に根拠を与えたため、国際社会では、相互確証破壊理論も手伝って「核兵器国」の核保有が容認される一方で、NPT体制を絶対的正義とする見方も定着してゆきます。そして、‘核なき世界’の声が高まれば高まるほど、NPT体制という核独占体制は強化されてゆくのです。その一方で、現在に至るまでイスラエル、インド、パキスタン、南スーダンの四カ国はNPTには加わっておらず、北朝鮮も核を保有するに至り、核拡散が現実のものともなりました。これらの非加盟国は、何故か、他の加盟諸国に対してNPTの欺瞞性を訴えることもしないのです(NPTを利用し、自らは特権的な地位を確保・・・)。

 こうした由々しき現実からしますと、NPT体制とは、‘核の管理’ではなく、核保有国、即ち、国連常任理事国と‘鉄砲玉’となり得る別働隊国家をコントロールすることによって成立する、グローバリストによる‘世界管理’のための支配体制にも見えてきます。NPTとは、第二次世界大戦を機に成立した、いわば‘戦後体制’とも言えましょう(同条約の発効年を基準とすれば、‘70年体制’・・・)、同世界大戦から80年以上の月日が経過し、北朝鮮のみならずイランの核開発が取り沙汰される今日、未来永劫に亘って同体制を維持すべきなのか、改めて考えてみる必要があるように思えるのです。

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NPT成立はマジックか?

2025年06月30日 11時56分04秒 | 国際政治
 NPTが成立した時、地球上から核の危機が去った、あるいは、低減されたとして安堵した人も少なくなかったことでしょう。しかしながら、今に至って考えてみますと、NPTは、人々を幻惑させたマジックであったようにも思えてきます。

 軍事の常識からすれば、最強兵器の独占は、それを有する者の勝利と支配を、そしてそれを有しない者の敗北と従属を意味します。例えば、江戸時代にあって徳川幕藩体制が凡そ300年に亘って安泰であったのも、島原の乱で見せつけた大筒の威力とその独占にあったとされます。因みに、この時使用された大筒は、幕府側がオランダ東インド会社に特注して製造させたものです。また、世界史の大局から見れば、アジア・アフリカが西欧列強の分割の対象となり、植民地支配体制が確立したのも、近代科学技術の発展が、西欧諸国に兵器に関する圧倒的な優位性を与えたからに他なりません。力が支配する時代には、優位兵器の独占は、戦争のみならず、体制をも決定してしまうのです。

 この歴史が証している厳粛なる事実は、否定のしようがないように思えるのですが、NPTが成立するに至る1960年代後半を見ますと、多くの諸国、とりわけ、核放棄を自発的に放棄した非核兵器国は、すっかり最強兵器の意味するところを忘れていたようです。この‘無警戒ぶり’は、1994年にNPTに加盟したウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンよりも深刻です。何故ならば、曲がりなりにもソ連邦の一部であったこれらの諸国は、アメリカ、イギリス、ロシア等と「ブダベスト覚書」を締結し、核放棄後の自らの安全の保障を核兵器保有国に求めたからです。見方を変えますと、同覚書は、非核兵器国の安全を保障し得るのは、核兵器国しかないことを示していたとも言えましょう(最早、自衛は不可能・・・)。

 1968年にNPTが採択され、その後、多くの諸国が同体制に参加したのは、同条約の成立に奔走した人々が、平和を全面的に打ち出し、核兵器に対する恐怖心をかき立てたからなのでしょう。核兵器が全世界の諸国に拡散すれば、無法国家やテロ支援国家も手にするようになり、国際社会は、常に予測不可能な核の脅威に晒されるとする、核の恐怖に訴える作戦です。NPTを推進した核保有国が、催眠術をかけるかの如くに自らがもたらす脅威を忘却させたという点において、この説得術は、マジックとでも言うべき絶大な心理的な効果を発揮したようです。実際に多くの諸国は、核の脅威=核の拡散という等式を信じ込むようになったのですから。

 しかしながら、核の脅威とは、核の拡散とイコールなのでしょうか。NPT成立後にあって、冷戦を背景に米ソ間の軍拡競争は激しさを増し、核弾頭数を見れば、核を独占する軍事大国の保有数は大幅に増加しています。近年に至っては、軍事力の増強を図ってきた中国が保有する核弾頭数も飛躍的に増えており、核保有国に対して義務としている核軍縮交渉の条文も今や空文と化しています。ロシアや中国をはじめ、核保有国は核兵器を自らの軍事戦略に組み込んでいるのですから、核の抑止力を持たない非核兵器国の安全は、むしろ核軍拡に邁進する核兵器国によって脅かされていると言えましょう。軍事力の格差は、拡大する一方なのです。この現実を白日の下にさらされたのが、ロシアの軍事介入に始まるウクライナ戦争であったと言えるのかも知れません。ウクライナのケースでは、アメリカをはじめとした‘西側諸国’の強力なサポートがありますが、こうした軍事的なバックを欠く国では、核兵器国の前ではひとたまりもないことでしょう。

 今後、いずれかの国が、核兵器に優る破壊力を有する兵器の開発に成功した場合、それが生物化学兵器であれ、指向性エネルギー兵器であれ、宇宙兵器であれ、国際社会は、その拡散の脅威を平和の名の下でアピールし、一部の開発成功国のみにその合法的な保有を認めるのでしょうか。この事態を想定してみますと、NPTの成立が、如何に常軌を逸した出来事であったのかが理解されましょう。主権平等の原則に基づく相互抑止体制による平和という選択肢もあるのですから、人類は、現実を直視し、‘NPTマジック’から目覚める必要があるのではないかと思うのです。

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対イラン攻撃と北朝鮮の核保有問題

2025年06月27日 11時16分46秒 | 国際政治
 NPT体制の枠外に身を置きながらイランの核施設を攻撃したイスラエルの行動は、国際法上にあって全く根拠がない不法行為であり、かつ、国連憲章にも違反する違法行為であることは疑いようもありません。それでは、イスラエルの‘国益’のためにイランに対して武力を行使したアメリカの行動はどうか、と申しますと、これは微妙になってきます。何故ならば、アメリカもイランもNPTの締約国であるため、アメリカは、同条約の‘執行’を主張し得るからです。NPTの‘空白’を利用すれば、アメリカは、自らの行為を正当化できないわけではないのです。

 仮に、アメリカが、北朝鮮の核問題が持ち上がったときに、同様の軍事力の行使を同国に対して行なっていたならば、おそらく、国際社会もこれを支持したかも知れません。朝鮮戦争は停戦中でしたので、対イランよりも対北朝鮮のほうが武力行使のハードルは格段に低かったはずです。実際に、‘北朝鮮の核’に自国の安全を脅かされ得る日本国でも、アメリカに対して対北攻撃を期待する声もあったほどです。しかしながら、同国の核開発疑惑に対してアメリカは、1994年10月にクリントン政権下で「米朝核合意」と呼ばれる二国間協定を締結し(同年6月に北朝鮮はIAEAからの脱退を宣言・・・)、話し合いでの解決の道を選びます。ところが、2003年1月には、国際社会を欺く形で北朝鮮はNPTからの脱退並びに米朝核合意の破棄を表明し、2005年2月には核保有を宣言するのです。2003年8月から始まった日本国を含む「六カ国協議」も全く以て無駄な努力であり、北朝鮮に時間的な猶予のみならず、資金・資材をも与えるに過ぎませんでした。

 上述した北朝鮮のNPT脱退については、同条約10条が定める3ヶ月前の安全保障理事会への通告という脱退手続きを踏んでいます。このため、北朝鮮としては、自国をイスラエルやインド、パキスタンと同様の非加盟国と見なしているのですが、アメリカは、同国の脱退については曖昧な態度をとっています。おそらく、対北武力行使の法的根拠を残そうとしたとも推測されますが、脱退に際して安保理、あるいは、安保理常任理事国全ての承認を得なければならない、とする‘慣行’が成立しますと、これもまた、問題が生じます。例えば、日本国が中国からの攻撃リスクに備えて核の抑止力を持とうとしても、当の中国のみならずロシアも、あるいは、同盟国のアメリカされも承認しないことでしょう。

 NPTからの脱退には安保理の承認を要しないとしますと、NPT並びに「米朝核合意」を根拠としてアメリカが北朝鮮に対して合法的に武力行使をし得るとすれば、厳密に法を適用すれば、1994年6月から2003年1月までの期間(およそ9年間・・・)となります。それ以降では、法的な根拠が疑わしくなってしまうのです。因みに、北朝鮮の核開発には、ソ連邦崩壊で職を失ったウクライナの技術者が協力したとされております。仮に、「ブタベスト覚書」によりウクライナがNPTに加盟した1994年12月以降にあっても、同国が対北核協力を行なっていた場合、これもNPT違反となりましょう。

 北朝鮮が核保有に至った経緯からしますと、今般の対イラン武力行使が‘奇襲攻撃’とされるのは、イランがNPTの加盟国である間に実施する必要があり、また、核物質や設備の移動といった回避手段の時間を与えないためであったとも推測されます。核施設の破壊に関する評価は分かれるものの、イランから核開発能力を奪うことが目的であれば、一先ずは、この目的は達成されたのかも知れません(施設の修復と核開発の再開には時間がかかるとも・・・)。核施設の空爆については、トランプ大統領が広島と長崎を引き合いに出したため、とりわけ反核運動に参加している人々からも強い反発を受けましたが、それが武力の行使を伴うものであれ、‘核なき世界’の観点からすれば、必ずしも否定はできないという難しさがあります。

 しかしながら、これで一件落着したわけではありません。実のところ、今後に噴出する諸問題こそが、人類の運命を左右する重大な局面となるのです。第一の問題は、イランがNPTから脱退した場合、如何なる国も国際機関も、同国の核開発・保有を止められない点です。イランが核兵器を抑止力として使っている限り、中東一帯におけるイスラエルの軍事優位性を損ねはしても実害はありませんので、反対のしようもないのです。そして、第二番目の問題が、既にNPTを脱退している北朝鮮の核保有です。今般の対イラン攻撃を機に、北朝鮮が核開発を加速化させるとする予測もあります。NPTは、‘危険な国家に核兵器を持たせてはならない’とする国際社会の共通認識の下で制定されていますので、予測不可能な世襲軍事独裁国家である北朝鮮の核保有は、NPTの無力さと馬鹿馬鹿しさを体現していると言えましょう。最も持たせてはならない国が、核兵器を保有しているのですから。

 これら二つの問題は、ウクライナの再核武装のみならず、対中抑止力としての台湾の核保有、さらには、日本国を含む全ての諸国の核保有の是非に関する議論へも当然に広がってゆきます。その一方で、仮に、イランが脱退に動かないとすれば、核兵器をめぐる一連の騒動は、核の独占による支配体制の強化を目的とするグローバリストのシナリオである疑いが一層深まるのではないかと思うのです。

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トランプ大統領の発言はNPT体制崩壊の序曲か

2025年06月26日 12時01分09秒 | 国際政治
 先日発生したイスラエル、並びに、米軍によるイラン攻撃は、イランによる核開発の阻止を目的として行なわれました。両国に対する非難の声は止まず、同攻撃を決断したとされるトランプ大統領も釈明を迫られることともなりました。ところが、この釈明、広島並びに長崎の原爆投下を正当化してきた‘戦争早期終結論’であったことから、少なくとも日本国内では、火に油を注ぐ状態ともなっています。そしてこの発言、NPT体制の崩壊をさらに加速させるのではないかと思うのです。

 このように考える理由は、同発言は、戦争における勝敗の最大かつ最終的決定要因は、核保有の有無にあることを白日の下にさらしてしまっているからです。そもそも、何故、イスラエルが対イラン攻撃を急いだのか、と申しますと、イランによる核保有が、中東におけるイスラエル優位体制を揺るがし、自らの安全保障を脅かすからに他なりません。言い換えますと、イスラエルは、国際社会からの批判を十分承知の上でイランを攻撃せざるを得ない立場に置かれていたことを示しています。核兵器の保有こそが国際社会における軍事バランスを固定化し、国家間の軍事的優劣の決定要因であるとする認識なくして、イスラエル、並びに、同国に手を貸したアメリカの決断はあり得なかったことでしょう。この文脈からすれば、トランプ大統領の上記の発言も、戦争の早期終結と言うよりは、‘イランの戦争遂行能力あるいはイスラエルと並び得る力を破壊した’という意味合いとして理解されます。

 核保有国の認識が核保有のもたらす絶対的優位にある一方で、逆の立場からしますと、現状は、決して望ましいものではありません。NPTにおいて核保有を認められていない非核兵器国にとりましては、軍事的な絶対的劣位を意味するからです。核保有国を‘極’として国際社会全体を見れば、NPT体制とは、極少数の諸国のみが核を保有する多極構造であり、それは、主権平等の原則を有名無実化させているとも言えましょう。核保有国から核の傘の提供を受けている同盟国も、それが喩え条約の文面において双務条約であったとしても、軍事力のパワー・バランスにおいては決して対等な関係とはならないのです。

 しかも、非核兵器国は、ヒエラルヒーにおいて下位に置かれるのみならず、攻撃を受けるリスクも高まります。また、相手国が核保有国の場合、通常兵器において戦局が優位に展開しても、核兵器の使用により瞬時に優勢は覆されてしまうのです。この点は、既にウクライナ戦争で指摘されています。‘持たざる側’は核の抑止力を欠いており、無力と言えるほど、‘持つ国’に対する抑止力が脆弱なのです。この文脈からすれば、トランプ大統領の先の発言は、先に核兵器を開発・保有した側の勝利宣言にも聞えてきます(核保有国の先手必勝・・・)。第二次世界大戦にあっても、末期における日本国を含む激しい原子爆弾開発競争の結果、同競争を制したアメリカが勝利を手にしているからです。第二次世界大戦では核兵器が実際に使用されましたが、核を使用しなくとも、相手国を核を持たない状況に置いておけば、それは、自ずと自国の勝利を意味するのです。

 理不尽までに核保有国が有利となる今日の国際社会に鑑みれば、NPT体制は、論理上、既に破綻しているとも言えましょう(支離滅裂になっている・・・)。NPTから脱退すれば、条約違反を根拠とした攻撃リスクがなくなりますので、非核保有国にとりましてはより安全であり、かつ、核保有国に対する抑止力を備えることができるからです。イランがNPTからの脱退を宣言しても、最早、誰も驚かないことでしょう(ただし、条約の手続き上は三ヶ月前に国連安保理に対して理由を付して脱退を通知する必要がある・・・)。

 もっとも、トランプ大統領の発言をよそに、イランは、イスラエルに対して勝利宣言を行なっていますし、イランの核施設に対する重要部分を温存させた攻撃、並びに、イランからの在カタール米軍基地への報復攻撃もどこか中途半端な観もあります。急転直下、イスラエルとイランとの間には停戦の合意も成立しており、どこか申し合わせたパフォーマンスのようにも見えてくるのです。イランがNPTからの脱退を表明しなければ、さらに怪しさが増すことでしょう。今般の一連の出来事は、戦争ビジネスや石油利権を握り、核独占体制を維持したいグローバリストの茶番劇である可能性も排除はできず、真相を見極めるには、各国の今後の動向を注意深く観察する必要がありましょう(つづく)。

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対イラン攻撃とNPT体制の行方

2025年06月25日 12時11分32秒 | 国際政治
 イスラエルによるイランの核施設に対する攻撃は、アメリカの対イラン軍事行動を引き起こすという思わぬ事態に発展しました。この展開は、NPT体制の今後に多大な影響を与えずにはいられないことでしょう。何故ならば、今般の一連の出来事は、NPT体制が内包する矛盾や不条理を余すところなく暴露してしまっているからです。

 第一に、同攻撃が、NPT非加盟国による加盟国に対する核保有の阻止を目的としたものであったことが、NPTの無意味さ、あるいは、無力さを物語っています。イスラエルは、同条約の成立当初からNPT体制に加わっておらず、NPTの法的効力は全く及んでいません。核兵器の保有は‘自由’である一方で、当然に、核保有国としての核兵器不拡散の法的義務も負ってはいません。自らはNPTの埒外に置いて核兵器を保有しながら、他国の核保有に対してはそれを許さず、武力をもってでも排除するというイスラエルの態度には、誰もが唖然とさせられるのですが、この状態を許しているのも、現行のNPT体制もあるとも言えましょう(もっとも、同武力攻撃は、国連憲章をはじめとした国際法違反ではある・・・)。一国でも非加盟国が存在する場合、本来、NPT体制は機能しないのです。

 ‘無法国家イスラエル’の印象をさらに強める結果となったのですが、この一件は、 国際社会において‘無法国家’が出現し得る現実を示したことにもなりましょう。NPT非加盟国は、核兵器に関するあらゆる法的義務から解き放たれている上に、同国には強力なる‘核の抑止力’も備わっているからです。如何なる国際法上の違法行為を行なったとしても、核保有国に対しては、国際機関も他の諸国も少なくとも軍事的な手段による制裁を科すことができないのです(事実上の‘野放し状態’に・・・)。

 第二に、仮にイランの核開発が未完成であったとすれば、今般のイスラエルの攻撃は、NPT体制における‘持たざる国’の‘持つ国’に対する絶望的とも言える軍事的な劣位性を示す事例ともなりました。‘持たざる国’は、秘密裏での核兵器開発の疑いを持たれただけで、その可能性の排除を根拠とした攻撃を受けかねないからです。疑惑の段階でも攻撃を受けるならば、NPTへの加盟は、非核兵器国にとりましては、むしろ核保有国から一方的な攻撃を受けるリスクを自ら招き入れたようなものです。リスク低減どころか、武力攻撃を受けるリスクが高まるのですから、NPT体制が核の管理を介して平和に貢献しているという‘安全神話’が崩壊してしまうのです。

 イスラエルによる対イラン攻撃に国際法上の根拠がないことは明白なのですが、それでは、アメリカの対イラン攻撃はどうなのでしょうか。同条約には、核の拡散、すなわち、核兵器の開発、保有、運搬などを行なった非核兵器国に対する制裁規定は設けられていません。アメリカは、NPTにおいて合法的に核保有が認められている核兵器国の立場にありますが、合法的な核保有国に対して取締の役割を付与しているわけでもなりのです。喩えれば、刑法にあって犯罪行為は明記されていても刑罰が記されておらず、しかも、同法を執行する警察も存在しないようなものです。となりますと、‘誰が法を執行しても構わない’ということにもなりかねません。同様の事例としては、ウクライナに対するロシアの‘特別軍事行動’に対しては、アメリカをはじめ日本国政府も、国際法違反の‘侵略’と認定して自国のウクライナ支援を正当化しています。

アメリカの対イラン軍事行動は、‘NPTの執行であった’とする解釈が成り立たないわけではないものの、このことは、NPTには、違反国が出現した場合の対応や制裁に関する手段や手続きの詳細が定められていないという重大な欠陥があることを示しています。つまり、中立的な国際機関による厳正なる捜査や公平な裁判を経ることなく、任意の国が恣意的に‘刑’を執行してしまう余地を与えているのです。第三点として、今般のアメリカの対イラン攻撃は、NPT体制の制度的欠陥を露わにしていることを指摘することができましょう。

 そして、以上の諸点が示唆しているのは、NPT体制そのものの崩壊です。アメリカからの攻撃を受けたイランは、NPT体制は自国を護らないとして同条約からの脱退の意向を示すと共に、ロシアも、イランに対する核兵器譲渡の可能性に言及しています。イスラエルのようにNPTに加わらずに核兵器を保有する国が存在している以上、イランがNPT脱退を決断した場合、イスラエルはもとより他の諸国はそれを阻止できないはずです。上述したように、核を持たない方が安全保障上のリスクが高くなるならば、イランの判断は理解に難くはないからです。イランがNPTの法的枠組みから外れれば、アメリカを含めて他の加盟諸国も、NPTを口実とした軍事行動は最早とれなくなります。イランからすれば、核の抑止力をも備えることができますので、NPTからの脱退は、最善の策となりましょう。NPTには脱退条項がありますので、イスラエルは、むしろイランに対して核兵器保有の機会を与えたことにもなりましょう。

 ウクライナのNPT加盟を実現させた「ブタベスト覚書」がロシアの対ウクライナ軍事介入を招いた点を考慮しますと、ロシアがイランに対して核の抑止力を提供しようとしている現状は、立場が逆転してしまった観もあります。その一方で、現実を直視するならば、NPTからの脱退の動きは、イランのみならず、核兵器国から一方的に安全を脅かされている他の非核兵器諸国にも広がってゆくかもしれません。果たして、今後、NPT体制は、どのような方向に向かってゆくのでしょうか(つづく)。

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米のイラン攻撃では第三次世界大戦は起きない

2025年06月24日 12時24分05秒 | 国際政治
 先の二度の世界大戦には、それに先だって、戦火を全世界に広げる仕組みが準備されていたように思えるのは、‘後知恵バイアス’というものなのでしょうか。後知恵バイアスとは、「物事が起きてからそれが予測可能だったと考える傾向」と説明されています。各国の軍事同盟関係を具に検討すれば、一端、戦端が開かれますと、戦火が飛び火してゆく未来が容易に浮かび上がってくるはずです。この点からしますと、過去の二度の世界大戦も予測できたように思えるのですが、それでは、今般、懸念されている第三次世界大戦はどうなのでしょうか。

 グローバリストの世界支配構想は、三度の世界大戦を経るとする説があります。第二次世界大戦前夜には、世界各国は、およそ英米陣営と日独伊陣営、並びにソ連の三つ巴状態にあり、ソ連邦の立ち位置が定まっていないのですが、これも、二大陣営による最終戦争へ向かう一里塚であると見なしますと、どこか納得してしまいます。そして、実際に、今日の世界地図を軍事関係から色分けしますと、およそ二つの陣営に分かれているように見えてきます。言い換えますと、第三次世界大戦を事前に予測できる状態にあるとも言えましょう。

仮に第三次世界大戦が起こされるとすれば、それが人類滅亡の危機であることは言うまでもありません。この世界大戦が、グローバリスト達が計画したものであれば、おそらく自らは生き残る手段は既に準備していることでしょう。人工光による屋内栽培技術などは、将来の宇宙ステーションでの利用を想定されているとされますが、あるいは、グローバリストが求めるサバイバル・テクノロジーの一つなのかも知れません。何れにしましても、第三次世界大戦は人類の大半にとりましては大惨事であり、仮にグローバリストの計画であれば、それは、人道に悖る人類大虐殺であると共に、傲慢な私欲による地球の破壊ともなりましょう。

 第三次世界大戦が起こり得る、あるいは、起こされ得る現状にあるとしますと、警戒すべきは軍事同盟網です。アメリカの一挙手一動に関心が集まるのも、同国を中心とし同心円状の同盟網が敷かれているからに他なりません。NATO然り、日米同盟然りです。アメリカが戦争の当事国となれば、その同盟国も戦争に巻き込まれかねないのです。

 これまでのところ、ウクライナのゼレンスキー大統領が‘熱演’しても、イスラエルのネタニヤフ首相がガザ地区を無慈悲に攻撃しても、そして、インドとパキスタンとの間で小競り合いが起きたとしても、アメリカは支援は惜しまなくとも直接的な参戦は控え、米軍も動かきませんでした。しかしながら、イスラエルとイランとの対立が前者による後者への空爆へとエスカレートすると、遂にアメリカは、自国の軍隊をもってイランに対する軍事的アクションを起こすのです。この事態の急変は、日本国を含むアメリカの全ての同盟国を震撼させたことは言うまでもありません。イランとロシアとの関係からしますと、第三次世界大戦へと発展しかねないリスクに満ちているのですから。

 しかしながら、軍事同盟を介した戦火の拡大については、それほど心配するには及ばないのかも知れません。報道に因りますと、アメリカと歴史的に特別な関係にあるイギリスでさえ、トランプ大統領に対してイラン攻撃には加わらない旨を事前に伝えていたそうです。このことは、イギリスが、自国の軍事政策上の判断としてのみならず、NATO加盟国としての条約上の参戦義務も考慮しなかったことを意味します。この側面は、他のNATO加盟国も同様であり、アメリカのイラン攻撃はNATOを引き込むことにはならなかったのです。

 この態度は、当然と言えば当然のことでもあります。何故ならば、アメリカによる武力攻撃は、防衛行為ではないからです。国選憲章の第51条は、個別的自衛権、並びに、集団自衛権の何れにしても、攻撃を受けた側の正当なる防衛権の発動としてこれらを認めています。北大西洋条約の第5条にも、国連憲章第51条への言及がありますので、アメリカがNATOの一員ではあっても、他の加盟国は、イランに対して集団的自衛権を発動する法的な義務がないのです。この側面は、日米安全保障条約にも言えます。少なくとも法的な側面からすれば、今般の事態が、即、第三次世界大戦を招く可能性はそれ程には高くはないと思われるのです。

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グローバリストの国家の利用価値―戦争

2025年06月23日 13時01分25秒 | 国際政治
 今日に至るまで、世界地図に全ての大陸を包摂する‘世界帝国’が出現した時代はありませんでした。歴史上最大の帝国と言えば、ティムール帝国やムガール帝国といった継承国を含めれば、おそらくチンギス・ハーンに始まるモンゴル帝国なのでしょう。しかしながら、今日、巨万のマネーをパワーとするグローバリストは、刻一刻と世界支配体制を強めてきているように思えます(もっとも、モンゴル帝国でもユダヤ人やイスラム教徒が色目人として登用されていた・・・)。そしてこの近未来の‘世界帝国’は、ジョージ・オーウェルが描く『1984年』の如くに支配者の顔が見ない、すべてが‘あべこべ’な反理性的な全体主義体制なのでしょう。

 こうしたグローバリストの野望の実在性を、多くの人々が現実味をもって認識するきっかけとなったのは、近代以降の歴史に顕著に観察される説明しがたい不可解な事件の頻発のみではありません。それは、今日における各国政府の‘悪代官化’にもよります。普通選挙制度が定着したとはいえ、民主主義とは名ばかりなのが実情です。政府はグローバリズムに迎合した政策を有無も言わさずに推進する一方で、海外ばかりを優先して自国民を軽んじ、国民の成長を阻害する一方で伝統や公序良俗をも壊し、国民生活を向上させるどころか搾取に喜々として勤しんでいるかのようです。誰もが、政府が何らかの外部組織の‘悪代官’に成り下がっているとしか考えようがない状態が続いているのです。

 政治の現状は、グローバリストによる自らの支配体制への国家機構の組み込みを疑うに十分なのですが、それでは、グローバリストにとりましての国家の利用価値とは、一体、どのようなものなのでしょうか。

 例えば、戦争を見ますと、その当事者となるのは‘国家’に他なりません。グローバリストにとりましては、国家は‘邪魔’な存在のはずなのですが、戦争が自らの利益になる、あるいは、目的達成に好都合であるならば、その実行者である国家に利用価値を見出すこととなります。経済を基盤とするグローバリストには、古来、最大かつ最も効果的な征服の手段となってきた物理的な力、すなわち、自らに直属する軍隊を保有しているわけではありません(もっとも、各国の東インド会社は、それ自体、植民地化の先兵を担ったように軍隊を有していましたし、現代では、テロ組織を‘雇用’することもできるかもしれない・・・)。しかしながら、国家間の戦争ほど絶大なる当事国双方に対する破壊力あるいは強制力を発揮するものはありません。戦争は、自らの手を汚すことなく、国家の軍事力、国民の命、並びに、国家予算で己の目的を達成する機会となりますし(戦争ビジネスとしての軍需産業も潤う・・・)、世界支配の抵抗勢力を体よく排し、支配体制構築のプロセスを加速させるチャンスともなるのです。

 過去の二度の世界大戦にもその痕跡が見られるのですが、戦争へと誘導するには、当事国の内部に‘実行者’あるいは‘協力者’を配置するのが最も確実な方法です。あるいは、自らの配下の者を政府や政治家として背後から操らなくとも、挑発や情報操作等で戦争に追い込むことで同様の効果を得ることも出来ます。国連といった国際機関が期待されたようには機能せず、結局、無力であるのも、意図的な‘設計ミス’であるのかも知れません。

 また、仮に、戦争当事国の一国あるいは数国がグローバル支配に対する抵抗勢力であるならば、戦争は、これらの物理的排除を意味します。この意味において、まさしく上述した‘世界支配の抵抗勢力を体よく排し’ということになるのですが、もう一つ、排除されてしまう手強い抵抗勢力があります。それは、敵味方に関係なく戦争を遂行する国の国民です。しかも、愛国心が強いほど、自らの命を顧みずに危険が伴う任務を志願し、勇敢に戦いますので、戦場にあって命を落としてしまうのです。また、総力戦の時代を迎え、兵器の破壊力も高まりますと、民間人の犠牲者の数も飛躍的に増加します。民主主義国家では主権は国民にありますので、グローバリストにとりましての国民は本質的に最大の‘抵抗勢力’ですので、‘排除’の対象となりかねないのです。

 そして、爆撃機やミサイルの開発により、戦場のみならず、戦火が一般国民の暮らす都市や村落等にまで及ぶようになりますと、戦争は、‘土地の更地化’をも伴うようになります。平時にあっても、都市部等の再開発のための用地買収は困難な作業であり、このため、地上げ屋なる反社会勢力と結びついた不動産ブローカーも現れるものです。古くはローマ大火(64年)をめぐって、新都を建設したかったネロ帝の仕業と囁かれましたが、マウイ島火災をはじめ、住宅密集地帯を焼き付くような火災に際して陰謀説が唱えられるのも、グローバリストが推進しているスマートシティーの建設には、広域的な更地化を要するからなのでしょう。復興事業には利権もビジネスチャンスも伴いますし、特にスマートシティーとして復興されるとすれば、それはグローバリストによる人類監視・支配体制の基盤ともなりましょう。

 グローバリストが戦争を必要としなくなったとき、それは、グローバリストによる支配体制が確立したときなのかも知れません。あるいは、『1984年』の世界のように、三国鼎立状態で固定化し、戦争ビジネスを温存するとも考えられます。何れにしましても、グローバリストにとりまして、戦争の実行者となる国家は利用価値があるものと推測されるのです。

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グローバリストによる国家攻略作戦

2025年06月20日 11時27分30秒 | 国際政治
 今日の国際社会には、複数の独立国家によって構成される国民国家体系が成立しています。世界地図を眺めれば一目瞭然であり、地球上の陸地には国家間の境界線として国境線が引かれています。世界地図からすれば、今日の世界とは、国家のそれぞれが国民、領域、並びに主権を有する独立的な地位を保持している状態ということになります。その一方で、マネー・パワーをもって全世界の支配を目指すグローバリストが手にしている地球儀には、国境線は描かれていないかもしれません。地球を丸ごと支配すること、これこそが、グローバリストの究極の目的なのですから。

 国境線、否、国家の枠組みを消す方法の一つが、移動の自由化であったことは疑いようもありません。仮に、人、モノ、マネー、企業を含めてあらゆる要素が自由に国境を越えて移動できるならば、地図上に描かれている国境線は殆ど無意味となりましょう。地図という紙の上に印刷された線でしかなくなります。しかしながら、移動の自由化だけでは世界支配体制を確立するには不十分です。個々人が勝手気ままに移動したり、何処にでも住み着くことができるならば‘烏合の衆’となりかねませんし、グローバリストによる支配の網から逃げたり、抵抗する勢力も現れるかも知れません。自由移動のみでは事足りず、全世界を支配するには統治機構を要するのです。

 そこで、最も手っ取り早くこの目的を実現しようとすれば、既存の国家制度を利用するに越したことはありません。新しく一から構築するよりも、既に整備されている統治制度を利用した方が、スムースかつ手強い抵抗を受けることなく自らを中心とした‘グローバル・ガバナンス’を実現できるからです。自らを決定機関として頂点に位置づける一方で、各国の統治機構を実行機関として配下に置き、これらをネットワークで繋げるのです。

 グローバル・ネットワーク化は、おそらく二つのレベルにあって試みられることでしょう。その一つは、国家の官僚組織、即ち、行政機構の掌握です。官僚組織とは、そもそもは政治レベルにおける決定事項を執行する実行機関として設けられていますので、決定機関が変わったとしても、職務を忠実に遂行さえすれば事済む機関です。しばしば戦争後に戦勝国が自らの占領下にある敗戦国に対して行なってきた手法でもあり、最小限に混乱を抑えつつ、国家の隅々まで自らの統治を行き渡らせる方法でもあります。また、EUの事例を見ましても、EUレベルでの政策を実行するに際には、加盟国の行政機関が実行機関の役割を担っています。現代にありましては、何れの国でも行政機構が整備されていますので、これらを自らの支配機構に組み込んでしまえば、グローバルな支配も夢ではないのです。今日、日本国内では、国民からの搾り取ることしか頭にないとして財務省に対して批判の声が高まっていますが、重税政策の真の決定者は、外部者である可能性についても考えてみる必要があるのかもしれません。

 そして、第二のグローバリストの攻略の対象は、政府や議会と言った政治機関、並びに、政治家です。グローバリストには絶大なるマネー・パワーがありますので、政治献金やロビー活動のみならず、‘袖の下’やハニー・トラップといった方法によって、各国の政治家を籠絡することは容易なことなのなのでしょう。こうした古典的な方法のみならず、最近では、世界経済フォーラムやIISSのように‘権威’ある国際組織や研究機関、あるいは、コンサルタントを装いつつ、政府や政治家に対して影響力を及ぼそうとする事例も見られます。また、アメリカの前大統領であったバイデン氏のファミリーが何故かウクライナや中国において利権を持ち、日本国でも河野太郎議員の中国利権が問題視されたように、白羽の矢を立てた各国の有望な政治家にビジネス上の利権を‘ばらまく’という方法も採られているのかもしません(政治家やその親族が海外においてビジネスの利権を持っていること自体が不自然・・・)。政治家をグローバリストの‘利益共同体’にしてしまえば、外部から操ることは決して難しくはないのです。

 日本国の政治を見ましても、与野党を問わず、余りにも民意からかけ離れた政治が行なわれています。度を超した海外や外国人に対する優遇・優先、歯止めのかからない移民受入政策、治安の悪化、増税に次ぐ増税、増え続ける社会保険料、物価高の放任、教育や研究開発の軽視(学力向上や研究者育成の放棄を含めて・・・)、拙速で議論なきデジタル化、リスクを無視したワクチン接種の推進など、事例を挙げたら数限りがありません。これらの問題は、多くの一般国民が対処や改善を求めているにも関わらず、政治サイドは聞く耳を持とうとはしないのです(選挙を意識したパフォーマンスやポーズはあっても・・・)。

 何れにありましても、グローバリストによる裏からの国権の奪取は、一般の国民にとりましては民主主義の危機となることは言うまでもありません。民主主義はおろか、事実上の国家滅亡の危機ともなりかねないのです(つづく)。

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グローバリストによる‘ジャパン・ハンドリング’の仕組み

2025年06月09日 11時34分49秒 | 国際政治
 イギリスのロンドンに本部を置きながら、国際戦略研究所(IISS)がイギリスのシンクタンクとは言い切れず、世界経済フォーラムと同様にグローバリストの組織であることは、その幹部の顔ぶれにも見ることができます。

 事務局長兼最高経営責任者(所長)のポストを見ますと、初代の所長は、イギリスの防衛研究者であったアラスター・フランシス・バカン氏です(任期:1958–1969年)。イギリス人とは言いましても、スコットランド系であり、バカン氏の父ジョン・バカン卿も、文筆家にして政治家でした。なお、父バカン卿は、第15代カナダ総督を務めた人物であり、反ユダヤ主義者とする批判がある一方で、シオニズムを支持したとして「ユダヤ人と祖国の支持者として、イスラエル・ユダヤ人国家基金の黄金の書」にその名が刻まれているとのことです。

 初代こそイギリス人でしたが、その後に同職を務めた人物の殆どが同国人ではありません。二代目のフランソワ・ドゥシェーヌ氏は、欧州統合に関する執筆で知られたジャーナリストであり、スイス、フランス、イギリスの三つの国籍を持つ多重国籍者であったようです(任期:1969–1974年)。三代目のクリストフ・ベルトラム氏は、ドイツ国際安全保障研究所所長であったドイツ人ジャーナリストです(任期:1974–1982年)。同氏は、かのビルダーバーク会議のメンバーでもありました。オーストラリア出身の歴史学者であったのが、第四代のロバート・オニール氏です。第五代所長は外交官出身のフランス人のフランソワ・エイスブール氏なのですが、その著作リストを見ますと、テロに関するものとならんで株式等に関する著作も多々あります(任期:1982-1987年)。第六代所長のボー・ハルト氏はスウェーデン出身であり、スウェーデン国防大学の教授を務めた経歴を持つ人物です(任期:1992–1993年)。

 そして、第七代所長を務めたのが、以前にご紹介したジョン・チャップマン卿です(任期:1993–2023年)。初代から長らく途絶えていたイギリス人の返り咲きであり、現在、IISSの会長職にあるようです。チャップマン卿から2023年に所長職を引き継いだのが第八代、即ち、現職の所長となるバスティアン・ギーゲリッヒ氏です。ドイツ出身のゲーリッヒ氏は安全保障分野の研究者であり、ドイツ連邦防衛省の調査部門勤務する傍ら、IISSにあってコンサルタント分野のシニア・フェローも務めていました。今年10月に設立が決定されている「グローバル・セキュリティー・イノベーション・サミット」の開催地がドイツのハンブルグに決定されたのも、同氏の影響ともされます。

 歴代所長の出身国や経歴からしますと、IISSがイギリスという一国家の機関ではないことは一目瞭然です。そして、何と申しましても驚かされるのは、IISSの諮問理事会のメンバー・リストに見える竹中平蔵氏の名です(もう一人の日本人のメンバーは、船橋洋一氏)。竹中平蔵氏は、新自由主義者にして日本国の政策を指南したことで知られますが、世界経済フォーラムの理事の一人でもあります。

 加えて、IISSがグローバリストの下部組織の一つ、あるいは、‘ジャパン・ハンドラー’である可能性は、13年間に亘ってイギリスの経済誌である『エコノミスト』の編集長を務めたビル・エモット氏が、評議委員会の理事長のポストあることからも覗えます。同氏は、日本国ともが関係が特に深く、同社の東京支局長を務めた経歴に加え(1983~86年)、1990年には、日本国のバブル崩壊を予測したとされる『日はまた沈む』を執筆し、ベストセラーとなりました。ロンドン日本協会の理事長をも務めており(1891年の同会の設立に際しては、準備委員会にかのアーネスト・サトウも参加している・・・)、2016年7月には、日本国政府より旭日章を授与されているのです。

 以上に述べてきましたように、IISSとは、表向きは中立的な国際問題の研究機関でありながら、その実、グローバリストの戦争ビジネス、並びに、世界戦略のために設立されたフロント機関である疑いは濃厚です。実際に、IISSによって日本国政府が誘導されている形跡も随所に見られ、国民からは見えないところで、グローバリストの計画に組み込まれてしまうリスクも否定はできません(もっとも、ジャパン・ハンドリングは明治維新からでは・・・)。推測される同計画が、第三次世界大戦並びに破壊による更地化の後のデジタル全体主義体制の確立であればこそ、日本国民は、自国の政府を監視すると共に、政府もまた、迂闊にグローバリスやIISSの提言や要望に応えてはならないのではないかと思うのです。

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自由貿易主義がもたらす‘グローバルな悪循環’

2025年06月06日 10時43分51秒 | 国際政治
 自由貿易主義と戦争ビジネスが不可分に結びついている現状は、軍事大国あるいはその背後に潜むグローバリストが、自らの利益のために安全保障上の危機を演出しようとする動機を説明します。この側面を逆から見ますと、今日の自由貿易主義が抱える構造的な悪循環も露わとなるように思えます。

 今日の途上国の経済成長には、特徴的なパターンがあります。それは、海外から工場や最先端のテクノロジーを含む投資を積極的に呼び込む一方で、海外市場に自国生産の製品を輸出するというものです。これは、戦後の復興期の日本国も改革開放路線に舵を切った中国も辿った経済成長の成功パターンなのですが、輸出が経済成長の原動力となっているところにその特徴があります。いわば、自由貿易主義体制での成長モデルであり、今日、東南アジア諸国も同じ道を歩もうとしていると言えましょう。

 生活レベルの向上と豊かさの実現という観点からしますと、途上国の発展は望ましいことです。その一方で、有力な投資先を探すのに抜け目のないグローバリストにとりましても、伸びしろの大きな途上国への投資はハイリターンを約束することでしょう(ただし、グローバリストの重点的な投資先の選定や変更により、BRICSやグローバル・サウスのように投資が一部の選ばれし国に集中したり、先行して経済が発展した諸国の成長率は頭打ちとなる・・・)。しかしながら、輸出牽引型の経済成長の行く先には、落とし穴が潜んでいるように思えます。このリスクこそ、上述した構造的悪循環というものです。この構造的悪循環とは、現状のまま自由貿易主義、あるいは、グローバリズムが推進され、途上国の経済が上記の成長モデルをもって発展すればするほど、国際社会における安全保障上の脅威も比例的に上昇してしまうというものです。

 巨大な軍需産業を擁する軍事大国やグローバリストが、戦争ビジネスからさらに利益を得ようとすれば、新たな兵器市場の開拓を必要とします。その売り込みのターゲットとなるのが、経済成長を遂げ、相当の外貨を獲得するようになった諸国であることは言うまでもありません。しかしながら、平和で無風の状態では、これらの諸国は、兵器を積極的に購入しようとはしないことでしょう。軍需産業には、安全保障上の危機が必要なのです。この点、各国政府やメディアに及ぼすグローバリストの絶大なる影響力をもってすれば、安全保障上の危機を作為的に作り出し、世論を誘導することも決して難しいことではないことでしょう。‘鉄砲玉’として使える国は既に準備されていますし、可能な限り‘自然’や‘偶然’を装いながら、中国やロシアを含む軍事大国を背後から動かせばよいのですから。

 自由貿易主義が説く最適な国際分業や資源の効率的配分が、安価なコストによる消費財の生産と兵器製造との間で成り立つ、しかも、自然成立ではなく、軍事大国のパワーとグローバリストによる危機の演出をもってこの関係が押しつけられるとしますと、誰もが自由貿易主義には疑念を抱くはずです。そして、この悪循環が続く限り、途上国による兵器の重点的な輸入により、輸入はアジア諸国の国民生活を豊かにする方向には働くよりも、むしろ、苦しめる方向に作用するかも知れません。国民が輸出品の製造に励めば励むほど、安全保障上のリスクを口実とした、政府による高価な兵器購入も増えることでしょう。すなわち、何れの国民も、防衛費の増額により、増税を強いられるかも知れず、精神面でも、常に軍事大国から攻撃を受けかねないという恐怖の下で生きなければならなくなるからです。その一方で、アメリカを含めて国際競争力を有する輸出品として兵器を製造している諸国では、自国の産業の軍需産業への依存度が高まるにつれ、グローバリストとの間に戦争利権を共有する人が増えてしまいます。軍需産業を有する諸国では、平和を訴える声はかき消されてゆくことでしょう。

 この問題は、アジア諸国のみならず、今や、全ての諸国が直面している重大な危機とも言えましょう。日本国の防衛予算も右肩上がりに増え続けていますし、イギリスのスターマー首相も防衛費の増額を表明したように、ヨーロッパ諸国でも、少なくとも政府レベルでは、ロシアの脅威を口実として戦争モードに移りつつあります。実際に、第三次世界大戦によって多くの諸国が焦土と化したとしても、グローバリストにとりましては、焼け野原には‘スマート・シティー’を建設する、あるいは、絶好の‘グレート・リセット’のチャンスなのでしょう。否、まさにこれこそ、第三次世界大戦へと誘導する真の目的であるかも知れません。こうした予測される未来は、人類にとりまして望ましいこととは思えず、何処かでこの悪循環を断つべきではないかと思うのです(つづく)。

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自由貿易主義と戦争ビジネス

2025年06月05日 11時39分34秒 | 国際政治
 先日、国際戦略研究所(IISS)の主催の下、シンガポールにて各国の首相や国防相が顔を揃える中で開催されたシャングリア・ダイアローグは、今日の国際社会が抱えている構造的な問題を浮き上がらせた点で、極めて‘意義’のある会合であったと言えましょう。平和や信頼醸成の構築という文脈での‘意義’ではなく、危険性、あるいは、建前に隠れた本音の認識という意味での‘意義’です。そして、この構造的問題とは、自由貿易主義がもたらす安全保障と経済との関係に出現する‘悪循環’というものなのでしょう。

 デヴィッド・リカードがその比較優位説のモデルにおいて完全に無視し、最適な国際分業への自然到達という‘ユートピア’を描いたためか、今日でも、現実に生じる貿易不均衡の問題については軽視される傾向があります。しかしながら、ブレトン・ウッズ体制の成立をもって国際基軸通貨を提供する役割を担ってきたアメリカも、‘強いドル’をもって積み上がる貿易赤字による米ドルの流出に耐えかねず、70年代には金兌換を停止せざるを得なくなります。所謂‘ニクソン・ショック’を起こしたのですが、膨大なる貿易赤字にも拘わらず、アメリカがIMFから救済を受けずに済んだのは、米ドルが、国際基軸通貨、即ち、貿易決済通貨を提供し得る立場にあったからに他なりません。現実には、自然に貿易が均衡することなど殆どあり得ず、貿易を行なう以上、不均衡状態こそが世の常なのです。言い換えますと、貿易収支を均衡させようとすれば、貿易額や貿易量の調整や政策的な規制を要するのです(この点については、近代の経済学者の方がよく認識していた・・・)。

 今般のトランプ政権による高関税政策の目的の一つも、拡大する一方となっているアメリカの貿易赤字の解消とされています。シャングリア・ダイアローグにあって同政策を批判するアジア諸国側の発言に対し、ヘグセス国防長官が「私が関わっているのは戦車のビジネスだ」と返答したのも、極めて正直な本音であったとも言えましょう。アジア諸国に対するアメリカ製品の輸出量が増えれば、それだけ赤字幅も縮小することが出来るからです。ところが、このアメリカの本音、輸出拡大が期待されるアメリカ製品が国家の存亡に関わる重要品目である場合には、深刻なリスクをもたらします。

 自由貿易体制では、労働集約型の産業や日常的な消費財の生産は、相対的に低賃金、低物価水準、低原材料コスト、低設備投資の諸国が有利となりますので、世界第一位の経済大国にして一大消費市場であるアメリカは、これらの製品を海外から大量に輸入する立場となります。しかも、米ドルは今日にあっても国際基軸通貨ですので、一先ずは、デフォルトの心配もありませんし、輸入に有利となるドル高も維持できます。この状態は、安価な日用品を手にすることができますので消費者利益には叶っているのですが、国家の貿易収支の方は大きく赤字に傾かざるを得ません。そこで、貿易収支を均衡させようとすれば、輸出元の諸国を対象に貿易拡大政策を実施せざるを得なくなるのです。

 それでは、アメリカが圧倒的に優位となる輸出品とは何か、と申しますと、ヘグセス国防長官が‘戦車’という名称をもって象徴させていますが、その一つは、‘兵器’と言うことになります(最近では、ITやAI等のデジタル産業も・・・)。しかも単なる‘兵器’ではなく、高度な先端技術を搭載したハイテク兵器なのです。ハイテク兵器であれば、一台の価格は日本円にすれば億単位ともなりますので、僅かな取引数でも貿易赤字解消の効果は飛び抜けるのです(しかも、品質や性能を一つ落としたり、重要部分をブラックボックス化して兵器を輸出すれば、自らの軍事的優位も保つことができる・・・)。

 戦争ビジネスが自由貿易主義を支えているとすれば、アメリカ、否、その背後に潜むグローバリストが抱える軍需産業にとりまして、平和こそあってはならない‘敵’となりましょう。何としても、国際社会にあって軍事的緊張、領有権問題、そして、紛争や戦争の火を消してはならないこととなるのです。ここに、IISSをはじめとした平和のための活動機関が、その実、‘紛争メーカー’であるという二面性も説明されます。今般のシャングリア・ダイアローグが、結局は、米中対立が煽られる形で閉幕したのも、あるいは、後者が真の目的であったからなのでしょう。そして、それは、今や悪循環に陥りかねない構造的な問題となりつつあるように思えるのです(つづく)。

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シャングリア・ダイアローグは戦争ビジネスのための舞台?

2025年06月04日 12時08分45秒 | 国際政治
 IISSは、毎年、シンガポールにてシャングリア・ダイアローグ(IISSアジア安全保障サミット)を開催しています。今年も5月30日から6月1日にかけての日程で、各国の国防相等が集う形で第22回会合が開かれました。同会合の主たる目的は、地域的な安全保障の強化、即ち、国家間の信頼醸成による平和の実現なのですが、同会議の様子を見る限り、この目的も疑わしくなります。

 今年は、フランスのマクロン大統領が初めて同会合に出席し、基調講演を行なったことで注目されることとにもなりました。同演説にあっては、アジア諸国に対してアメリカか中国かの二者択一ではなく、第三の選択肢としてヨーロッパとの連携が訴えられたのですが、今般の会合にあって、米中対立の先鋭化という‘舞台背景’があったことは疑いようもありません。何れの出席者の発言を見ましても、強く米中対立を意識しているからです。

 仮に、米中対立が抜き差しならない状況にあるならば、ジャングリア・ダイアローグは、その設立目的に添ってアメリカと中国との間の対立を緩和し、両国間の信頼醸成を促進する場となるはずでした。ところが、同会合は、むしろ、米中対立を激化させる機会を提供しているとしか言いようがないのです。

 先ずもって注目されるのが、5月31日に行なわれたアメリカのピート・ヘグセス国防長官による演説です。ヘグセス長官は、同演説において中国による台湾侵攻は‘差し迫った’危機とした上で、アメリカがアジア諸国と連携して中国の‘侵略’に対して立ち向かう姿勢を鮮明にします。同演説に対して、同日、同会合に出席していた中国人民解放国防大学の胡鋼鋒副校長は、アメリカこそ一国主義により‘アジア太平洋地域を覇権争いの場’にしているとして素早い反応を示すのです。翌6月1日には、中国外務省もアメリカ政府に対して抗議の申し入れを行なったことを明らかにすると共に、重ねてアメリカを覇権主義国として批判しました。

 米中両国間の非難の応酬を見る限り、シャングリア・ダイアローグは、信頼醸成どころか、両国間の対立を激化させる場であったと言えましょう。しかしながら、この対立の激化、自然の成り行きであって、そこには作為性はなかったのでしょうか。アメリカ側の挑発的な発言も、中国側のヒステリックな反応も、どこかお芝居じみているのは、国際社会の背後には戦争利権を握るグローバリストが蠢いているからなのでしょう。

 この点、日経新聞の6月2日付け朝刊には、興味深い記事が掲載されていました。それは、マレーシアからの参加者からアジア諸国にも厳しいトランプ政権の関税政策と安保におけるアジア重視の姿勢との間の整合性を問われた際の、ヘグセス国防長官の返答です。ヘグセス国防長官は、「私が関わっているのは戦車のビジネスだ」と答えたと言うのです。この発言をストレートに解釈いたしますと、アメリカは、自国製の‘戦車の売り込み’のためにシャングリアを訪れていることとなりましょう。このスタンスからしますと、アジア諸国に対して中国の脅威を煽ることは巨大な軍需産業を抱えるアメリカの国益に叶いますので、先の基調演説での発言も、米中対立の激化を狙ったものと理解せざるを得ないのです。

 そして、この局面においてどこか行動が怪しいのが、日本国政府なのです。同会合に出席した中谷元防衛相が、唐突にOSEAN構想を提唱しているのですから。OSEAN構想(One Cooperative Effort Among Nations)とは、名指しは避けたものの、中国の脅威を念頭として、価値や利益を共有するアジア諸国の防衛当局が連携する枠組みを作ろうとする訴えです。もっとも、この構想は、おそらく麻生政権時代の「自由と繁栄の弧」にはじまり、安倍政権時代に加速化されたアジア・太平洋地域における対中包囲網構想の流れにあるのでしょう。

 しかしながら、過去における日本国発の構想の背景にもアメリカの新保守主義(ネオコン)の関与が推測されているように、今般のOCEAN構想も、形だけは日本政府の発案であるものの、日本国内にはジャパン・チェアも設置されていますので、その実、IISSが自らの戦略に沿って下書きを渡していた可能性も否定はできません。第二次トランプ政権が誕生し、かつ、‘ジャパン・ハンドラー’とも称されたリチャード・アーミテージ氏やジョセフ・ナイ氏も相次いで亡くなった今、グローバリストの戦争利権を護り、密かに温めてきた第三次世界大戦計画を遂行すべく、IISSの活動が積極性を増してきているのかも知れないのです。後者については、予め陣営の枠組みを作ってしまえば、容易に二大陣営が衝突する世界大戦に持ち込めるからなのでしょう(つづく)。

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