万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

‘グローバル化の波’の呪縛こそ脱すべき固定概念では?

2018年06月30日 15時05分42秒 | 国際経済
 本日の日経新聞朝刊の一面は、日本企業の役員報酬にも‘グローバル化’の波が押し寄せ、「1億円プレーヤー」が500人を越える現状を伝えていました。上位10人の内、5人は外国人ですが、その理由は、グローバル化競争を強いられる企業は、「プロ経営者」と呼ばれる外部人材を登用せざるを得ない状況に追い込まれているためと説明されています。

 役員報酬を高く設定することこそ、恰も当然の既定路線の如くに扱っているのですが、‘グローバル化の波’に呑まれなければならない、というその考え方こそ、実のところ、根拠なき固定概念ではないかと思うのです。何故ならば、役員報酬を高くすればするほど、比例的に高い経営パフォーマンスが実現するとする説は、信憑性が薄いからです。

 日本企業よりも桁違いに役員報酬が高いアメリカ企業を見ましても、必ずしも全ての企業が経営に成功しているわけではなく、むしろ、高すぎる役員報酬が問題視されるに至っています。著しい報酬格差は他の一般社員の労働意欲を削ぎますし、自社に対する帰属意識や愛社精神も低下させます。海外企業の社員は、”職業とは生活に必要となる所得を得るための手段でしかない”と割り切っているのでしょうが、‘働く’ということが、人々の活動時間の大半を占めている以上、個人主義に徹し、役員と一般社員との間に高い垣根を設ける‘グローバル・モデル’というものが、人類にとって必ずしも最適な企業モデルであるとは言えないように思えます。しかも、社員への利益還元が低い状態では、個人消費も伸び悩みますので、経済の連鎖性が働いて企業自身もめぐりめぐってマイナス影響を受けます。

こうしたマイナス点を踏まえますと、日本企業の役員報酬上げは、いわば、周回遅れの失敗策となる可能性も否定はできません。日本モデルでは、終身雇用や正社員主義等に加えて、企業内部における報酬格差の小ささが社員間の連帯性を強め、全社員の目的の共有が各自の意欲を引き出すことで、組織としての強みを発揮してきました。もちろん、‘村社会’と揶揄されてきたように、連帯性や協調性を尊ぶ企業共同体的な日本モデルにも欠点がないわけではありませんが、必ずしも、‘グローバル・モデル’よりも劣っているとは言えないはずです。仮に、日本モデルが’ダメ・モデル’であるならば、今日、経済大国とはなり得なかったでしょうし、むしろ、‘グローバル化の波’に同調し始めてから日本企業は自らの強みを失い、日本経済の衰退も加速化しているようにも見えるのです。

‘グローバル化の波’とは、一見、開放性が強調されるために、より自由な世界へと人々を誘っているかのようですが、その実、他のモデルを追求するのを許さないという硬直した不寛容性があります。グローバル・スタンダードに関連して指摘されるように、画一化された規格や基準が最適ではない場合、一体、どのようにしてより優れたスタンダードに移行するのか、という問題にしばしば直面するのです。自由な競争状態が確保されていれば、より優れた方の採用が拡大したり、新たな参入者の挑戦を受けてスタンダードが変更されることもあり得ますが、一旦、グローバル・スタンダードが確立し、不動の地位を得てしまいますと、そこには自ずと独占問題が発生するのです。

自由を標榜してきたはずのグローバル化が自由を失わせるという深刻な矛盾を直視すれば、日本国は、むしろ、企業モデル間競争を通した経済の伸びやかな発展のためにこそ、日本モデルを維持する、あるいは、欠点を是正しつつ長所を生かして改良し、その良さを世界に向けてアピールしてゆくべきではないかと思うのです。この考え方は、競争メカニズムに照らしても是認されますし、脱するべきは、‘グローバル・モデル’を唯一絶対の企業モデルとみなす硬直した思考なのではないでしょうか。

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フランスの徴兵制復活の断念―動機が不純なのでは?

2018年06月29日 10時41分22秒 | 国際政治
仏 兵役導入見送り 16歳男女に1か月間の集団生活義務化
かねてより徴兵制の再導入を公言してきたフランスのマクロン大統領。結局、この案は実現を見ずに御箱入りとなったようですが、断念にはそれなりの理由があるように思えます。

 マクロン大統領が廃止された徴兵制の復活を目指した理由とは、‘国民統合’の強化にあるそうです。フランス国内には、現在、移民の増加により多数のアフリカや中近東等からの移住してきた人々が居住しています。フランス国籍を取得したフランス国民ではあっても、イスラム教の信仰を捨てずに堅持し、出身国やイスラム教団の一員としてのアイデンティティーを保持している人も少なくありません。こうした国籍とアイデンティティーとの分離が、イスラム過激派によるテロを招くフランス国内の深刻な社会的分裂の主要な要因とする認識が、マクロン大統領をして、この問題の解決方法として徴兵制の再導入という考えに至らしめたとされています。

 それでは、何故、徴兵制が‘国民統合’を促す効果があるのか、と申しますと、それは、法律で定められた一定期間の間、徴兵に服する全ての‘フランス国民’は、人種、民族、宗教等の違いに拘わらず、フランス防衛のために命を賭して闘うという共通の目的の下、集団で寝食を共にするため、相互に連帯感を強めることができるからです。言い換えますと、‘共通の敵’の存在、並びに、共同生活の強制が国民間の仲間意識を醸成し、社会的な対立を緩和する効果が期待されているのです。しかしながら、この政策に疑問を感じる人も少なくないはずです。

 第一に、政策目的と政策手段との間に合理的な関連性が欠如していることです。近代の国民皆兵制は、フランスにおいて革命戦争を機に世界に先駆けて導入されていますが、徴兵制とは、大方、戦争という目前の危機を前提としています。一方、現在のフランスを取り巻く国際情勢を見ますと、徴兵制の導入を急ぐほどの緊迫感はありません。敢えて脅威を挙げればロシア、あるいは、中国なのでしょうが、現実に戦争が発生した場合、ドイツを主敵とした二度の世界大戦とは違い、フランスはロシアや中国と国境を接しているわけではなく、想定される主たる戦力もNATO軍となります(中ロからのミサイル攻撃に対しては、徴兵制では防備できない…)。戦争という国民全員が共有する国家存亡の危機が欠如している以上、徴兵制の復活に心からの賛意を送る人が多数を占めるとは思えません。しかも、予定されている徴兵期間は僅か一ヶ月であり、国民間の相互的絆を育成するには時間的にも不十分です。別の政策手段があるにもかかわらず、最もリスクの高い方法を選ぶのでは、その裏の意図が疑われてしまいます。

 第二に、現在、フランスが抱えるロシア、あるいは、将来的には中国の脅威以上に深刻な問題は、実のところ、当政策の主要目的と関連するイスラム過激派によるテロです。そこで、目的と手段を一致させるために、イスラム過激派を‘共通の敵’として徴兵制を実施するとしますと、ここでも幾つかの点で重大なリスクが発生します。イスラム系フランス国民の中には、フランスに固く忠誠を誓う人々ももちろん多数存在しているのでしょうが、依然としてアイデンティティーをイスラム側に置くイスラム教とも多数いるはずです。となりますと、信仰の自由を盾とした徴兵拒否の問題に加えて、フランス政府は、軍の組織内部にイスラム過激派組織の要員やその信奉者をも多数抱え込む、あるいは、親過激派側の国民にも軍事訓練(対人殺傷技術)を施してしまう、という忌々しき問題が発生します。これでは、フランスの防備を強化するどころか、仏軍の弱体化やテロ組織の狂暴化を助長しかねないのです(このリスクは、仮想敵が中ロの場合でも同じ…)。

 徴兵制の復活が阻止された理由としては、この他にも個人の自由の問題も指摘されておりますが、上記の問題を考えますと、マクロン大統領の提案は、そもそもその動機が不透明、かつ、不純な上に、安全保障や治安の面からもリスク含みなように思えます。そして、目的と手段の不一致は、しばしば国民を騙して誘導する詐術的な政策手法となり得ますので、この政策提案は、同大統領の信頼性をも揺るがしたのではないでしょうか。現代という時代の政治家は、国民に対してより誠実、かつ、正直であるべきと思うのです。

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米ロ首脳会談の目的は対中協力要請か?

2018年06月28日 16時14分32秒 | アメリカ
米ロ首脳、第三国で会談へ=プーチン大統領と合意―ボルトン米補佐官
日本国の国会では“モリ・カケ問題”で審議の大半が費やされる中、国際情勢は刻一刻と流動性を増しています。各国首脳によるトップレベル会談の頻度もペースも上がっておりますが、この流れは、一体、何を意味するのでしょうか。

 そもそも、国際社会において何らの問題も懸案もなければ、時間や労力を要する首脳会談の場を設ける必要はないはずです。伝統的に外交儀礼を重んじるアジアとは違い、政治において実務を重んじるアメリカの大統領が、かくも頻繁に首脳外交を展開するのは、異例といえば異例の事態です。既存の政治を批判し、型破りな行動で支持を集めてきたトランプ大統領がアメリカの外交スタイルを根底から変えた、とする見方も可能ではありますが、それにしましても、同大統領の動きは何かに追われているかのようです。

 ビジネス界出身の現実主義者でもあるトランプ大統領が首脳会談に奔走しているとしますと、そこにはそうせざるを得ない理由があるはずです。そして、その動機を対中包囲網の形成と想定しますと、同大統領の堰を切ったような積極的な外交攻勢も説明が付かないわけではありません。一見、対北融和政策に見える米朝首脳会談での合意も、アメリカ陣営への北朝鮮の取り込みと見れば対中戦略の一環となり得ます。予定されているプーチン大統領との米ロ首脳会談も、公表されるか否かは別としても、来るべき米中対立を見据えたロシアへの対中協力要請を目的としているのかもしれません。中ロの軍事的な結束は、アメリカ陣営にとりましては最大の脅威となるからです。ユンケルEU委員長やイタリアのコンテ首相との会談も、‘陣営固め’として理解されます。

 折も折、訪中したマティス国防長官と会見した習近平国家主席は、国際的な批判を浴びている南シナ海問題について、「祖先が残した領土は一寸たりとも失うことはできない。他人のものは少しもいらない」と語ったと報じられています。2016年7月12日の常設仲裁裁判所の判決によって、南シナ海の諸島に対する中国の領有権主張の歴史的、並びに、法的根拠は既に否定されておりますので、“祖先が残した領土”など南シナ海には存在しておりません。また、“他人のものは少しもいらない”と語りつつ、中国が、南シナ海のみならず、チベットやウイグルなどを不法に併合するに留まらず、日本国の尖閣諸島を含む周辺諸国の領域に対して領有権を主張していることも紛れもない事実です。中国は、自己弁護すればするほどその言行不一致が際立ち、自らが‘信頼できない国’、否、‘信頼してはならない国’であることを証明してしまっているのです。

 中国が不誠実な侵略的国家である以上、今後とも、米中関係が好転するとは考え難く、周辺諸国のみならず、全世界規模での中国脅威論が高まることでしょう。仮に、トランプ大統領が、ロシアから対中協力を取り付けることに成功すれば、同大統領は、北朝鮮に対して軍事、並びに、経済的圧力を極限までかけようとしたように、中国に対しても、制裁レベルを一段と上げてゆくことが予測されます(もっとも、裏の裏があり、全ての諸国が国際組織のシナリオの下に操られている可能性もありますが…)。日本国内にも親中派の勢力が影響力を保持しておりますが、中国が‘信頼してはいけない国’であることは証明済みですので、日本国政府も、中国との対立激化を前提とした政策への転換を図るべき時期が来ているのではないかと思うのです。

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多文化共生主義とヘイトスピーチの脅威

2018年06月27日 15時07分06秒 | 社会
 ‘ヘイトスピーチ’というものが一種の言論統制の手段となっていることに、多くの人々が、既に薄々気が付いてきております。そしてそれは、移民の増加に伴う多文化共生主義とセットになることで、既存の社会に対する極めて強い攻撃力を秘めているのです。平等という美名の下で。

 全人類レベルからしますと、人種、民族、宗教等の違いから自らとは異なる集団に属する人々を差別したり、中傷したりすることは、一般論としては平等を良しとする倫理・道徳には反しています。しかしながら、地球上に存在する全ての文化、特に、倫理・道徳を含む社会的文化が同等に尊重されるべきか、と申しますと、そうとは言えないように思えます。

 例えば、今日では既に姿を消したとされてはおりますが、地球上には、無垢な子供達を人身供養に捧げる文化、人食いの慣習を持つ文化、女性を‘物’として扱う文化、あるいは、窃盗や嘘が許容される文化も存在してきました。自らの利益のためには、法の網目を巧妙に掻い潜ったり、他者を上手に騙すことを奨励する文化もないわけではないのです。昔よりは安全になったとはいえ、現在でさえ、治安状況が芳しくなく、渡航には相当の注意や備えが必要となる国や地域はあります。

こうした人類社会に散見される倫理・道徳レベルにおける違いに鑑みますと、‘全ての文化の価値は平等である’とする主張には疑問を抱かずにはいられません。多文化平等主義、否、多文化共生主義に盲点があるとすれば、それは、平等原則を徹底することで、利己的他害性=悪を許容する文化に対してまでも‘寛容’の精神を発揮してしまうことです。乃ち、そもそも人種差別反対という人道的な精神の発露としての平等主義が、その実、人々の生命、身体、財産等を危険に晒すという人道上の逆効果を生んでいるのです。

人種、民族、宗教等の違いによる文化の多様性は、たとえ、道徳・倫理レベルにおいて違いがあろうとも、それぞれの集団が棲み分ける形で定住している場合には、それ程の集団間のトラブルは起きないかもしれません。しかしながら、近代以降、人々が自らの定住地を離れて他の集団の内部に移住する移民が増加しますと、言語や習慣等の相違に留まらず、道徳・倫理レベルにおける違いが深刻な社会問題を引き起こすケースが頻発します。特に、他害性に対して許容度の高い文化を有する移民が増加すると、受け入れ国の治安が悪化すると共に、当該国が多文化共生主義を採用している場合、自国に持ち込まれた加害性許容文化を批判することも許されなくなるのです。ヘイトスピーチとみなされ、取締りの対象とされかねないのですから。

このように考えますと、多文化共生主義を背景としたヘイトスピーチ規制は、受け入れ国と移民、並びに、移民送出し国の両者に対してマイナス要因として働くのではないでしょうか。受け入れ国の国民にとりましては、正当なる批判が封じられると共に、治安の悪化や道徳・倫理レベルの全般的な低下をも受け入れるリスクを負わされます。そして、多様な文化の一つとして‘ありのまま’が許される移民、並びに、その送出し国の側も、自らの道徳・倫理レベルを向上させるというチャンスを失うのです。今日の所謂‘知識人’の大半はヘイトスピーチについて肯定的であり、その態度を以って‘進歩’を自負しておりますが、そのマイナス面を無視する、あるいは、その隠された真の目的を探求しない態度は、知性に対して誠実とは言えないように思えるのです。

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対北非核化協議無期限の危うさ-アメリカには期限がある

2018年06月26日 15時31分22秒 | 国際政治
北朝鮮の非核化協議に期限設けず=ポンペオ米国務長官
米CNNの報道に拠りますと、同社との電話インタヴューにおいて、アメリカのポンペオ国務長官は、北朝鮮との非核化協議に期限を設定するつもりがない意向を示したそうです。北朝鮮の行動を逐次検証するとはしておりますが、この発言、事実上のアメリカによる北朝鮮の核保有の黙認となる可能性も否定はできません。

ポンペオ長官の発言は、アメリカと中国との間で金正恩委員長が揺れている状況にあって、強いてアメリカが2か月や半年といった短期的な期限を設定して北朝鮮に迫れば、北朝鮮は、中国を後ろ盾にして非核化に応じなくなるのではないか、とったニュアンスで語られています。つまり、米朝首脳会談で漸く金委員長から非核化の確約を引き出したのだから、その合意の土台を壊すような行動は控えたい、ということなのでしょう。いわば、アメリカによる対北懐柔策の一環と言えます。

しかしながら、対北非核化協議の無期限化は、北朝鮮の非核化の実現を遠のかせるリスクがあることも確かです。何故ならば、独裁国家である北朝鮮には期限はなくとも、民主主義国家であるアメリカには、大統領の任期という期限があるからです。両国の国家体制の非対称性は、期限が政治的な焦点となる場合、政権交代があり得る後者を不利な状況にする場合があります。

因みに、トランプ大統領の任期は、2021年1月までです。米朝首脳会談に先立って指摘されていたのは、同会談において両国が曖昧な内容で合意した場合、北朝鮮側がトランプ大統領の任期切れを待つ作戦に出るのではないか、とする懸念です。この予測が的中すれば、金委員長の口約束を信じたばかりに、アメリカは、三度も同じ手で騙されるという信じがたい結末を迎えます。もっとも、トランプ大統領が二選を果たせば、期限はさらに4年延長されますので、北朝鮮の非核化は二期目において実現するかもしれません。あるいは、アメリカは、国際社会に対しては北朝鮮に非核化を迫ったという‘アリバイ’を残しつつ、その裏では対中戦略を優先し、北朝鮮の核保有を認める代わりに、同国がアメリカ陣営に与することを確約させた可能性もあります。このシナリオではNPT体制が崩壊しますので、日本国を含む他の諸国の核武装が現実味を帯びますが、少なくとも、米陣営の一員となった北朝鮮と国境を接する中国は、軍事的に不利な状況に追い込まれます(この構図の変化は、純粋に対中防衛政策としては、日本国にとっても必ずしも不利というわけではない…)。

しかしながら、もう一つ、より危険に満ちたシナリオがあるとすれば、それは、トランプ大統領の退陣後に、北朝鮮が早々にアメリカを裏切り、中国陣営に加わるというものです。その徴候は、既に金委員長の三度目の訪中と習近平国家主席との会談でも現れております。しかも、トランプ政権下において在韓米軍も縮小、あるいは、撤退が実現されていれば、近い将来、朝鮮半島全域は、中国の軍事的コントロールの下に置かれることでしょう(このシナリオこそ、米中朝のトップ、あるいは、その背後に潜む国際組織による“茶番説”に一定の信憑性を与えている…)。あるいは、アメリカは、朝鮮半島の両国に信頼を置いておらず、日本国まで防衛ラインを下げる決断を下しているのかもしれません。

ポンペオ国務長官は、対北強硬派として知られておりましたが、最近の言動を見ておりますと、対北宥和的な姿勢が目立っております。トランプ大統領の見解とどこまで一致しているのかは分かりませんが、同長官の発言の真意を掴むには、今後の北朝鮮側の具体的な行動、並びに、中国の反応を注意深く見てゆく必要があるように思えます。

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EUの移民・難民をめぐる不協和音―統合逓減の法則?

2018年06月25日 14時53分23秒 | 国際政治
難民対策、全EU加盟国合意断念 有志国での協力体制へ
フランスにおいてマクロン政権が誕生したのを契機として、目下、ドイツのメルケル首相との二人三脚によってEU統合が推進されています。独仏間ではユーロ圏共通予算の創設等で合意しつつも、他のEU加盟各国の足並みは乱れています。とりわけ、移民・難民問題をめぐっては、欧州難民庁の設置が独仏共同で提案されつつも、EU分裂の危機さえ囁かれる始末です。

 ところで、EUの前身であるEEC、あるいは、ECの時代に、一部の分野で始まった統合が徐々に周辺の分野を巻き込み、自動的に‘超国家’に行き着くとする説が唱えられていた時期がありました。この説が有力視されたのは、ECが経済分野に限定されていた点に負うところが多く、連鎖反応を特徴とする経済メカニズムの生態系的な繋がりを欧州統合のプロセスに投影させた説とも言えます。しかしながら、ECとは違って、EUは、政治や法務分野をもその政策領域に含むようになりました。このことは、最早、統合を直線的に描くモデルは、説得力を失う命運にあることを示唆しています。

 何故ならば、政治や社会分野では、国家レベルでの枠組みが強固であり、国境を越える方向に向かう経済統合が国家の枠組を維持しようとする国家統合からの抵抗を強く受けるからです。乃ち、EUの政策領域が政治や社会の分野にまで及ぶと、もはや、‘超国家’へと前進する直線的な統合は望むべくもなく、統合のプロセスは逓減曲線を描かざるを得なくなるのです。自然科学とは違い、社会科学の分野では、法則を以って説明することには慎重であらねばなりませんが、経済統合と国家統合が別方向のベクトルを持つ力学的な力の作用であることは確かなことです。前者に対する後者の反発、あるいは、両者の間の軋轢は起きるべくして起きる当然の現象なのです。

 実際に、EU加盟国間で紛糾するのは、国家統合の要となる主権的な権限に抵触した場合です。移民・難民問題は、まさに今日の国民国家にあって国民そのものの枠組の瓦解を招きかねないが故に、国家統合の側面からの強い反発が起きたとも言えます。実際に、イギリス国民は、移民問題の深刻化や過度な財政負担等を理由にEU離脱を選択しています。また、ギリシャや南欧諸国で発生したソブリン危機がユーロやEU脱退の議論にまで及んだのも、財政が国家主権の根幹に位置する政策領域であるからに他なりません。

 EUが政治・社会分野の政策領域に踏み入った以上、たとえ欧州統合の旗振り役であった独仏が他の加盟国をさらなる統合へと牽引しようとしても、‘統合逓減の法則’が働きますので、自ずと限界があるはずです。否、現在の統合レベルが既に行き過ぎているとしますと逓減曲線は、下方に向かう可能性さえ否定できないのです。そして、直線モデルの発想から無理にでも統合レベルを引き上げようとすれば、EUそのものを引き裂いてしまうのではないかと思うのです。

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日朝平壌宣言の事実誤認-‘植民地支配’問題

2018年06月24日 15時36分29秒 | 日本政治
日朝首脳会談の可能性が取り沙汰されるにつれ、暫くの間忘れられていた日朝平壌宣言も、再度注目を集めるようになりました。と同時に、その成立過程や内容についても疑問が呈されるに至っております。

 先日も、同宣言をめぐる日朝交渉を記録したはずの公文書が見当たらない、とする記事が産経新聞上に掲載されておりましたが、同宣言には、「日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大な損害と苦痛を与えたという歴史の事実」という事実に反する記述もあります。1910年から1945年までの35年間に亘る日本国による朝鮮統治は、併合条約に基づくものであり、一般のアジア諸国の植民地化とは異なっています。この件に関しては、先に挙げた産経新聞記事でも触れられており、特に、日本国からの莫大な投資の下で北朝鮮地域は大工業地帯として発展しており、こうした事例は他のアジア諸国の植民地には見られないそうです。

 そして、‘植民地支配’とは何か、という問題について考える時、その一つの特徴として挙げられるのが、鉱物資源やインフラ敷設権などの経済的な権益の確保です。西欧列強、あるいは、東インド会社等は、アジア・アフリカの国や地域を直轄領として植民地化するに先立ち、現地における様々な利権を手にしています。植民地化とは、宗主国による統治権の掌握のみならず、経済的な利権の独占をも意味したのです。それでは、朝鮮半島はどうであったのか、と申しますと、日本国による韓国併合以前にあって、李氏朝鮮は、様々な権益を既に西欧列強に売り渡していました。

このため、日本国が国際社会において韓国を併合する方針を公にした際に諸外国から寄せられた最大の懸念は、併合に伴う日本国による朝鮮半島における権益の独占でした。そこで日本側は、これらの懸念を払拭するために、韓国併合以降も朝鮮半島における諸外国の権益を保障する旨を国際社会に対して約したのです。この事実は、仮に朝鮮半島の植民地化が進行していたとすれば、それは李氏朝鮮時代に始まるのであり、折からの財政難から権益を次々に海外諸国に売却した李氏朝鮮政府に第一義的な責任があったことになります(併合後、日本国が諸外国から買い戻した権益もあったらしい…)。また、日本国政府は、併合後、朝鮮半島から資源を搾取することなく現地においてインフラ整備を含む先進的な工業地帯を建設し、産業の近代化と発展に努めているのです。

こうした歴史的経緯を踏まえますと、平壌宣言に明記されているように、日本国が‘植民地支配’によって一方的に損害と苦痛を与えたとする一文は、北朝鮮側の主観的な‘歴史認識’ではあっても客観的な‘事実’とは言えないように思えます。しかも、戦前にあっては李氏朝鮮時代よりも国民の生活レベルが上昇し、戦後にあっては北朝鮮の建国を境に最貧国のレベルまで経済が縮小したのですから(その一因は、ソ連邦による工業設備の持ち去り…)、日本国による統治時代が、朝鮮半島の人々に損害を与えたはずもありません。況してや両国は、相互に甚大な人的・物的被害をもたらす戦争さえしていないのです。

平壌宣言にかくも重大な事実誤認がある以上、日本国政府は、既に空文化している平壌宣言に拘る必要はなく、歴史的な事実に基づく新たなる対北戦後処理の基本方針を策定すべきではないかと思うのです。

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新幹線殺傷事件と憲法第9条-無抵抗主義は正しいのか?

2018年06月23日 15時22分31秒 | 国際政治
先日、東海道新幹線の車内において、乗客として乗車していた男が突然に凶器を振りかざして隣席の女性に切りかかり、男女3名が死傷するという痛ましい事件が発生しました。被害者の内、男性一人は、女性達を逃がすために犯人を押さえにかかったものの反撃を受け、全身60か所を刺されて命を落とされております。自らの命を賭して他者を護ろうとした勇気には、頭が下がる思いがいたします。この場を借りて、心よりご冥福をお祈り申し上げたいと思います。
 
 同事件に関しては、現場の状況の詳細が明らかになるにつれ、犠牲となられた男性の果敢な行動こそ死傷者の拡大を防いだとするコメントが、ネット上に多数寄せられるようになりました。仮に、誰一人として犯人の凶行を制止せず、全員が逃げるのみであったならば、逃げ遅れた女性や子供たちが次から次へと犯人の刃に掛かっていたことでしょう。犯人に立向かう人があってこそ、多くの人々の命が救われているのです。犯人には精神疾患があったとはされていますが、他者の命を虫けらのように扱うその冷酷さと残忍性には言葉を失います。命に対する感覚は犯人と被害男性とでは正反対であり、両者は全くの対称を成しているかのようです。一方は利己的な動機から他者の命を奪い、もう一方は利他的な心から他者の命を守るために行動したのですから。

そして、こうしたリスクは、一般社会のみならず、国際社会においても見られます。まことに残念なことに、国際社会においても、利己的な理由から他国に一方的に暴力を以って危害を加えようとする国が存在するからです。仮に、他国が軍事侵攻を開始するような事態が発生した場合、攻撃を受ける国々は、果たして、どのように行動すべきなのでしょうか。反撃を一切試みない無抵抗主義こそ、唯一の正しい対処法とすべきなのでしょうか。少なくとも日本国憲法第9条は、平和主義の名の下でこうした態度を肯定しているようにも読めますし、実際に護憲派の人々も、日本国が無防備、かつ、無抵抗であることを望んでいるかのようです。

しかしながら、新幹線殺傷事件は、平和と云う善意を看板にした無抵抗主義こそ、犯人の悪意に満ちた利己的野望を満足させてしまうという、護憲派が認めたくない現実を人々に突き付けています。‘国民が虐殺されても抵抗すべきではない’とする主張は、たとえそれが誰もが希求する平和の名を付していたとしても、善悪が倒錯している、あるいは、間違っているとしか言いようがないのではないでしょうか。戦争に限らず、他者の命を奪うのではなく、他者の命を護るためにこそ命がけで戦わなければならない時、こうした時は、この世にはあるのではないかと思うのです。

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大麻解禁は人類劣化への道

2018年06月22日 11時09分13秒 | 国際政治
参院議員会館で大麻栽培? 記者の通報で現場は一時騒然
今年の10月17日からカナダでは大麻が解禁され、同国では大麻の栽培から使用に至るまで、合法化されると報じられております。その一方で、日本国内では、昨日、参院議員会館の敷地内で大麻草が発見され、一時、蜂の巣をつついたような騒ぎとなったそうです。日加両国では、大麻に対して正反対の現象が起きているのですが、大麻解禁は、一体、人類の未来にどのような影響を与えるのでしょうか。

 カナダが大麻解禁に踏み切った理由は、現実問題として、大麻の密売が犯罪組織の莫大な収入源となっているからです。禁制品ほど売買価格が釣りあがるのは世の常であり、その合法化は、犯罪組織の資金源を断つための有効な手法ではあります。もはや、高値では取引できなくなるからです。従来穀物を栽培してきた農家の中にも、政府の許可を経て‘大麻農家’への転身を図る者も現れ、人々は、商品作物として栽培された大麻を購入することでしょう。また、解禁日以降、カナダでは、苗木の4本までは栽培が許されるらしく、自宅で大麻を栽培し、自ら嗜好品として自宅で楽しむ、という人々が増えることでしょう。あるいは、成人は凡そ30グラムまでは公共の場での所持が許されるそうですので、多くの人々が集まって大麻を吸引する‘大麻パーティー’もあり得るのかもしれません。何れにしましても、制限付きとはいえ、大麻が一般商品化されることで、犯罪組織は有力な資金源の一つを失うのです(現在、カナダでは凡そ5000億円規模の闇市場が形成されているらしい…)。カナダが唯一の解禁国ではないものの、その国際大麻市場への波及的影響も予測され、同国における大規模栽培による大麻価格の下落により、ミャンマー、ラオス、タイ、あるいは、メキシコ、ブラジルといった‘麻薬地帯’の国際密売組織にも収入の減少という打撃を与えるかもしれません。

 犯罪組織対策としての大麻解禁には、確かに一定の効果は認められるのですが、その一方で、それと引き換えに失うもの決して小さくはないように思えます。大麻解禁に反対する人々は大麻使用の一般化を懸念しており、同法案が「カナダの次世代に破滅的なものになる」として危惧する声もあります。それもそのはず、医療における有効性が証明される一方で、大麻が及ぼす健康被害については各国で研究が為されており、WHO(世界保健機構)の2016年の報告書でも、「精神病と知能低下との関係について妥当性がある」と認めているのですから。つまり、健康な一般の人々が大麻を吸引すると、中枢部である脳にダメージを受けるのです。

 大麻が有する脳の能力低下作用に対しては、アルコールにも認められる同程度のマイナス作用を取り上げて反論する人もおります。しかしながら、アルコールは肝臓等で分解することができますが(分解能力を超えると健康被害が発生…)、大麻成分が体内で無害化されるという説は聞いたことがありません。しかも、合法化されれば、犯罪組織の資金源が断てるとも限らず、むしろ、密売業者が合法的な‘大麻事業者’に衣替えするに過ぎない可能性もあります(犯罪ビジネスの合法化?)。大麻そのものの単価は下がっても、消費者が増えれば収益も維持できますし、大麻以外の別の収入源を見つけ出すかもしれません。また、大麻によって国民の知的レベルが全般的に低下した場合、常識的な判断力も損なわれ、犯罪組織からの入会の勧誘に負けてしまったり、猟奇的犯罪や‘一匹狼’的な犯罪が増加したり、個人間のトラブルの頻発も予測されます。結果として、治安の悪化が加速され、社会が不安定化すると共に、犯罪組織対策という当初の目的も翳んでしまうかもしれないのです。治安維持費や増大する大麻中毒患者への医療や収容施設などにかかる社会福祉費の増加も懸念されるでしょう。

上記の‘破滅的’とする表現は、まさに大麻の人に対する破壊作用を意味しており、社会とは人によって構成されているが故に、脳にダメージを受けた人が多くなるほど、その社会全体が健全性を失い、常識が通用しない世界へと変貌してゆきます。政治家は、先の先を読み、人類の未来に対しても責任を負うべきではないかと思うのです。

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貿易戦争の評価は時期尚早では?-代替効果に注目を

2018年06月21日 15時49分21秒 | 国際政治
米、さらに対中制裁関税 輸入品22兆円に10%追加
米中貿易戦争は収束の兆しを見せず、6月22日には、EUもアメリカに対して報復関税を発動することとなりました。貿易戦争の‘戦線’はむしろ拡大傾向を見せており、戦後の国際経済体制の基幹とされてきた自由貿易主義体制は岐路に立たされております。

 相互に高率の関税を課す貿易戦争に対して、マスメディアも経済学者の大半も否定的な見解を示しており、恰も今後の国際経済は暗黒の時代を迎えるかのような印象を与えています。全世界における貿易の縮小は、各国のGDPを連鎖的に減らし、自由貿易主義、否、グローバリズムが担ってきた資源の効率的配分や、世界大の経営の最適ポートフォリオから遠ざかると共に、経済の深刻な停滞をもたらすとも予測しているのです。しかしながら、この予測は、マイナス面ばかりを切り取って強調した悲観論のようにも思えます。何故ならば、関税率引き上げに伴う短期、並びに、長期的な代替効果を無視しているからです。

 輸入品に対する関税率が引き上げられますと、通常、これまで輸入品を使用してきた国内生産者の大半は、品質面等において輸入品に匹敵する製品が国内で生産されていない限り、関税で割高となった輸入品から国産品に切り替えます(もっとも、国内産ではなく、他の国からの輸入に切り替える場合もあり、この場合には、新たに輸出国となった国が恩恵を受ける…)。この際、国内生産者と消費者はコスト高と価格上昇という負の影響を受けますので、上述した悲観論にも一理があります。しかしながら、その一方で、輸入品からの切り替えによって国産品の生産量は増加しますので、同事業分野での国内の雇用は拡大し、国民所得の上昇による新たな消費も生まれます。こうした代替効果は、関税率引き上げの影響を受ける製品分野が広ければ広い程高く、価格上昇による消費の減退を差し引いたとしても、波及効果によりGDPを押し上げる効果が期待されるのです。

 昨今のアメリカ経済を見れば、貿易不均衡の是正のために‘バイ・アメリカン運動’を展開しようとしても、あらゆる消費財が輸入品で占められているため、もはや‘無理’との指摘もあります。それほどまでにアメリカ経済は輸入品、特に、中国からの輸入品に依存してきたわけですが、この高依存性ゆえにこそ、関税率引き上げによる国内製品への代替は、アメリカ経済に対して、マイナス影響を上回るプラスの効果をもたらすかもしれません。実際に、自国産業の保護を基本方針としたトランプ政権誕生以降、雇用統計等を見ましてもアメリカ経済は改善傾向にあります。加えて、同国は石油や天然ガス等を産出する資源大国でもあり、また、近年のAIやロボット技術の急速な発展は、コスト面における輸入品の有利性を削ぐ傾向にもあります。今や、安価な労働力を武器にした低価格の輸入品に頼る必要性が低下しており、むしろ、輸送コストを考慮すれば、国内生産の方が低コストを実現できる時代の入り口に立っているのです。

 しかも、長期的に見れば、国内生産者間における低コスト、かつ、効率的な生産を目指した製造技術の開発競争が起こり、イノベーションのチャンスが増す可能性もあります。マスメディアでは、多様性がぶつかることで思わぬアイディアが生まれるグローバリズムこそイノベーションの舞台と見なしていますが、イノベーションに時間や場所といった特定の条件があるとは思えません。多様性の掛け声とは裏腹に画一化に帰結してしまう今日のグローバリズムの下では、むしろ、‘規模の経済の勝利’が運命づけられた既定路線を歩むか、あるいは、陳腐なアイディアしか生まれないかもしれないのです。

 目先の貿易戦争にばかり注目しますと、‘この世の終わり’のような論評が多いのですが、短期的、並びに、長期的な代替効果を考慮しますと、この評価は時期尚早のように思えます。一党独裁体制を堅持する軍事大国の中国が自由貿易主義の勝者となる道を歩んでいる今日、自由貿易主義、並びに、行き過ぎたグローバリズムに対しては、理論面からの反論があってもよいのではないかと思うのです。

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米朝首脳会談の評価-‘会うことに意義がある説’への疑問

2018年06月20日 15時15分42秒 | 国際政治
朝鮮戦争時の米兵遺骨返還 数日内に開始か
今月12日は、朝鮮戦争で干戈を交えた米朝の首脳が歴史上初めて直接に顔を合わせたと云う意味において特別な日となりました。しかしながら、その評価は、公表された共同声明文の曖昧さ、北朝鮮の煮え切らない態度、そして、中国の思惑なども絡み、未だに定まってはいません。

 こうした中、同首脳会談については、その結果はともかくとして、両者が直接に対話したことを以って無条件に評価すべきとする主張も聞こえています。いわば、‘会うことに意義がある説’なのですが、この説は、いささか楽観的に過ぎるようにも思えます。何故ならば、歴史は、必ずしも直接会談が望ましい結果、即ち、平和をもたらすとは限らないことを人類に対する教訓として残しているからです。

 その最たる事例は、1938年9月のミュンヘンの宥和です。ミュンヘン会談とは、ナチスドイツがチェコスロバキアのズデーデン地方を武力併合する動きに出た際に、同問題の平和的解決を目指して開かれたドイツ、イギリス、フランス、並びに、イタリアの四か国による首脳会談です。この会談には、ドイツのアドルフ・ヒトラー総統をはじめ、イギリスのネヴィル・チェンバレン首相、フランスのエドゥアール・ダラディエ首相、そして、イタリアのベニート・ムッソリーニ首相が参加しました。ズデーデン危機が戦争へと発展するのを回避すべく、同会談では、二日に亘って首相達が角を突き合わすトップ会談が行われたのです。その結果は、と申しますと、他の三か国によるドイツの要求の丸のみでした。この凡そ1年後にヒトラーはポーランド侵攻を敢行したわけですので、ミュンヘン首脳会談は、長期的スパン、すなわち、歴史的に見れば失敗であったと評されているのです。

 それでは、何故、首脳会談を開催したにもかからず、問題解決には至らなかったのでしょうか。‘会うことに意義がある説’に従えば、ミュンヘン会談も肯定的な評価を受けるはずです。しかしながら、国際社会のみならず、一般社会でもしばしば散見さえるように、‘対話’には、幾つかのリスクがあります。

第1のリスクは、対話の参加者が、必ずしも誠実な人柄ではない場合があることです。対話の参加者が、常に自らの本心を晒す、あるいは、真の目的を正直に語るとは限らず、得てして、これらを巧妙に隠しているケースが見られます。ミュンヘン会談でも、ヒトラーはズデーデン地方の併合を‘最後の要求’と説明し、他の参加国の首相達を安心させています。

第2のリスクは、海千山千の政治家とはいえ、対話の参加者には、こうした相手の不誠実さを見抜く能力に乏しい人もいることです。ミュンヘン会談では、イギリスのチェンバレン首相は、「ヒトラーの人格を信頼するようになった」とされており、直接対面を介した信頼醸成は全く以って裏目に出たことになります。独裁者とは、しばしばその陰険なイメージとは違って、実際に会ってみると朗らかで人当たりが良かったと評されるケースも少なくありません(独裁者は、自らを演じるのに長けている…)。後に隠されていた真の人格が露呈し、‘見損なった’あるいは‘裏切られた’と憤っても、‘後の祭り’となってしまうのです。人とは、騙され易い生物でもあります。

第3のリスクとは、実際に会って対話を行ったとする安心感が、油断を呼んでしまうことです。乃ち、敵対してきた相手との直接対話には、相手に対する警戒心を解く効果があるのです(もちろん、実際に会ってみて、なおさら警戒心を強めるケースもありますが…)。況してや、一定の合意に達したともなりますと、相手に対する好感度は一気に上昇します。そして、この警戒心解除の効果は冷静な判断力を曇らせ、その後、相手が不審な行動をとったとしても、好意的な解釈をもたらしてしまうのです。

以上に述べてきましたように、直接対話には、誰もが持つ人の心理的な弱点に基づくリスクがあります。今般の米朝首脳会談の評価が分かれるのも、こうしたリスクが懸念されるからに他なりません。同会談については‘会うことに意義がある説’のように直接対話の実現を手放しに歓迎するよりも、リスク管理の側面から、金正恩委員長が‘ヒトラー化’する可能性を考慮した対策を講じておくべきではないかと思うのです。

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米中間を行き来する北朝鮮-米中朝三国の本当の関係は?

2018年06月19日 15時02分53秒 | 国際政治
米国務長官、再訪朝示唆=非核化の具体策協議か
本日6月19日、北朝鮮の金正恩委員長は三度目となる訪中の途に就き、中国の習近平国家主席と会談するとの情報が伝わってきました。こうした矢先、アメリカのポンペオ国務長官も北朝鮮を再訪する意向を示しており、あたかも北朝鮮が米中両国の間で右往左往しているかのようです。しかしながら、米中朝の三か国の関係については、全く異なる二つの見方が成立つように思えます。

 第一の見解は、米中対立を前提とした、北朝鮮の‘蝙蝠外交’です。マスメディアでは、金委員長が習主席に対して米朝首脳会談について説明に赴いたとされていますが、トップ訪問である以上、単なる事後報告であったとも思えません。そこで、第一の見解とは、金委員長の訪中は、中国の後ろ盾を得て12日の米朝首脳会談に臨んだものの、アメリカの要求するCVIDによる非核化要求を事実上丸呑みした北朝鮮が、切羽詰って中国に援けを求めたとする見立てです。おそらく、金委員長としては、共同声明へのCVIDの書き込みが回避できたことをよいこととして、実際には、核の温存を目論んでいたのでしょう。しかしながら、アメリカ側がこれを許さず、非核化の実施を強く求めてきたため、アメリカに対する盾として中国にすがるしかなかったと推測できるのです。そして、この動きを受けたポンペオ国務長官の訪朝は、再度、北朝鮮をアメリカ側に繋ぎとめ、具体的スケジュールの下で非核化を実現するための‘念押し’ということになります。

 米中対立を想定した上記の見解は、表面上の動きを見れば、誰もが理解し易いシナリオです。しかしながら、その一方で、別の見解がないわけではありません。それは、トランプ大統領内通論です。この説は、アメリカ在住の岩田太郎氏が唱えているのですが、口では極めて攻撃的な発言を繰り返しつつも、結果だけを見れば、トランプ大統領は、中国、ロシア、北朝鮮を利していると言うのです。確かに、この見解には首肯すべき点があり、米中朝の関係は、裏ではしっかりと手を取り合っている協力者となります(もっとも、裏の裏があるかもしれませんが…)。しばしばトランプ氏、習氏、金氏の三者は似た者同士とも評されていますが、仮に三者が協力関係にあるとしますと、その背景には、さらに三者を上部から操る何らかの国際組織の存在を想定せざるを得なくなります。ロシアも協力者であるならば、この隠れた権力体としての国際組織の力は絶大です。つまり、トランプ大統領内通論は、必然的に全世界を蔭から支配する国際謀略論に行き着いてしまうのです。かの『シオンの議定書』には全世界に傀儡独裁政権を樹立させることで、世界を支配する手法が描かれていますが、現実は、まさにこの計画通りに進んでいることとなります。

 以上に二つの見解を述べてきましたが、米中朝の三国の真の関係は、一体、どのようなものなのでしょうか。第二の見解は、荒唐無稽なようにも思われますが、仮に、北朝鮮危機が、最終的に中国、ロシア、並びに、北朝鮮を利する形で終わるのであれば、俄然、信憑性を増してきます。米中朝三国の真の関係を見極めるには、‘まさかこのような事が現実にあるはずはない’とする先入観を排し、今しばらく、事の成り行きを注意深く観察してゆく必要があるように思えるのです。

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韓国軍の‘竹島軍事演習’-朝鮮半島の平和は‘偽りの平和’

2018年06月18日 13時59分08秒 | 国際政治
韓国軍の竹島訓練に抗議=外務省
6月12日に開催された米朝首脳会談では、米韓合同軍事演習の中止という予期せぬ副産物をもたらしました。同会談への導火線を引いたのが、韓国の文政権による対北融和政策であったことを考慮しますと、演習中止は自然な流れのようにも見えます。しかしながら、朝鮮半島の平和は、真の平和を意味するのでしょうか。

 朝鮮半島の南北両国とも、今般の一連の流れを世界平和への貢献として積極的にアピールしています。米朝首脳会談で合意された共同宣言文も、‘平和条約’の文字は見えないものの、将来的な朝鮮戦争終結を視野に入れていることは確かです。北朝鮮側が非核化を約し、南北間の対立関係も大幅に緩和された以上、トランプ大統領がもはや巨額の軍事予算を費やしてまで米韓合同軍事演習を実施する必要性はない、と判断するのも理解に難くはありません。また、同大統領は、ノーベル平和賞の受賞者候補としてノミネートされるそうですので、平和への貢献という観点から、国際社会の一部からは一定の評価を受けてはいるようです。

 ところが、昨日17日、こうした‘平和’のイメージを覆すニュースが報じられました。それは、韓国軍が竹島において‘防衛’のための軍事訓練を実施する、というものです(マスメディアは‘訓練’と表現していますが、実質的には‘演習’と同義…)。竹島とは、自衛隊が未だに存在していない戦後の混乱期において韓国側が不法に占拠した日本領であり、日本国側から見ますと、‘防衛’のためのではなく、不法占領状態を軍事力で維持するための演習です。韓国によるこの決定は、一体、何を意味するのでしょうか。

 竹島における韓国軍の軍事演習は、今に始まったことではありませんので、韓国側は、年間スケジュール上の日程をこなしているに過ぎない、と説明するかもしれません。しかしながら、時期が時期なだけに、韓国側の決定は、東アジアの将来に極めて深刻な問題を投げかけています。それは、再統一の如何に拘わらず、近い将来、朝鮮半島の融和が現実となった場合、南北は一丸となって日本国に対して敵対的な軍事行動をとるのではないか、とする懸念です。

 そもそも、日本国は、憲法第9条の縛りもあり、竹島問題については、自衛隊による奪還ではなく、司法解決を基本路線としてきました。言い換えますと、日本国は、一貫して平和解決を韓国側に求めてきたのです。それにも拘わらず、韓国側は、日本国の自衛隊による武力奪還を想定した軍事訓練を実施しているのですから、同国が、真に平和を愛する国であるとは思えません。北朝鮮に対しては平和的な手段による南北統一を語りながら、日本国に対しては武力行使を公然と示唆しており、その態度には一貫性が見られないのです。仮に、真に平和を愛する国であるならば、同様に竹島問題に対しても平和的解決手段を追求するはずです(日本国側の提案を受け入れて、ICJでの解決を選択する…)。

 韓国による竹島軍事演習の実施は、韓国の謂う‘平和’とは、所詮は同一民族が居住する地である朝鮮半島限定であり、他の国際問題、特に日本国との紛争についてはその枠外にあることを自らの行動で示すようなものです。そして、この事実は、朝鮮半島の‘平和’が必ずしも東アジアの安定に寄与するとは限らず、今後の展開によっては、中国をバックとした南北両国が(米韓共同軍事演習の中止は習近平主席の要望とも…)、日本国、あるいは、日米両国と軍事的に対峙する構図が出現する可能性をも示唆しているのではないでしょうか。

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トランプ大統領の方が日本国民を理解している?-移民大量送り込み発言

2018年06月17日 12時31分17秒 | 国際政治
トランプ氏、安倍首相に「日本に2500万人のメキシコ移民送れば君は退陣」
先日、カナダのラマルベーで開催されたG7において、トランプ米大統領が安倍首相に投げかけた発言が注目を集めています。その発言とは、「晋三、君はこの問題を抱えていないが、私なら日本に2500万人のメキシコ人を送り出すことができる。そうすれば君はあっという間に退陣することになる」というものです。

 メディアでは、暴言として扱っていますが、この発言、なかなか意味深長です。文脈としては、ヨーロッパ諸国で紛糾している移民問題に言及した際に放たれたとされています。おそらく、移民受け入れ政策に対する安倍首相の態度が、どちらかと言えば好意的であったのに対して、受け入れ反対の立場を貫くトランプ大統領としては、皮肉の一つでも言いたくなったのでしょう。そして、その皮肉が、移民政策に対する安倍首相と一般の日本国民との間に横たわる認識に‘ずれ’を衝いているところに、この発言の妙味があるように思えます。

 即ち、トランプ大統領は、一般の日本国民は、移民受け入れ政策に反対であるとする認識の下でこの発言をしているのであり、仮に、2500万人もの移民が日本国内に押し寄せることにでもなれば、当然に、日本国内の世論は一気に反安倍政権に傾き、内閣総辞職に追い込まれるか、もしくは、三選目はないであろう、と述べているのです。その真意は、もちろん、移民政策に反対である‘アメリカの立場を支持せよ’、というものなのでしょう。つまり、安倍首相は、移民反対への転換を暗に求められたこととなります。

 トランプ大統領が日本国側に反移民政策への転換を促していたとしますと、その後の安倍首相の対応は、その逆と言うことになります。何故ならば、メキシコ移民でもなく、2500万人とまではいかないまでも、昨日、閣議決定された「骨太方針2018」では、単純労働者を含む移民受け入れの拡大方針を示しているからです。安倍首相は、トランプ大統領の‘忠告’に耳を貸すこともなく、自らが政権の座を追われる可能性が高くなる道を、自ら選択しているのでしょうか。

日本国政府に対して政策の転換を示唆した点においてトランプ大統領の発言は確かに内政干渉的なのですが、その一方で、一般の日本国民の心情に基づいていると言う点では、むしろ、日本国民本位の提言であったことになります。日本国民を無視する日本国政府と、その目的はどこにあるにせよ、日本国民の心情を理解して日本国政府の政策に苦言を呈するアメリカの大統領。この両者のクロスした構図からしますと、トランプ発言を単なる暴言として批判することはできないように思えるのです。

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日朝平壌宣言は日本国の外交カードか?

2018年06月16日 15時40分33秒 | 日本政治
6月12日の米朝首脳会談を機に、日本国内のマスメディアでは、暫くの間、影を潜めていた日朝平壌宣言に注目する論評が目立つようになりました。同宣言こそ、日本国の対北外交の切り札ともなるとする意見もありますが、この宣言の内容を思い起こしますと、手放しでは評価できないように思えます。

 そもそも、同宣言は、‘サプライズ外交’で知られる小泉純一郎元首相が突然の平壌訪問により北朝鮮の金正日前委員長と交わした合意文書であり、国会で審議されることもなく、日本国民のあずかり知れぬところで作成されています。いわば、‘密約’といっても過言ではなく、しかも、その歴史認識も、かの‘村山談話’を踏襲しています。このため、同宣言では、日本国側が過去に朝鮮半島において過酷な‘植民地支配’を行った、謂わば‘加害者’と認定されています。現実には、日本国による朝鮮半島統治時代には、日本国が近代化を推し進め、毎年財政移転を実施していたにも拘わらず…。そして、日朝国交正常化に至った暁には、日本国側は北朝鮮に対して日韓請求権協定に準じて1~2兆円もの経済支援をすべし、とする意見も、同宣言に基づいているのです。

 拉致問題に端を発した電撃的な訪朝が日朝平壌宣言の契機となった経緯を振り返れば、同宣言の効力こそ疑われてしかるべきなのですが、大方のマスメディアは、同宣言内容の履行を既定路線の如くに捉えています。そして、北朝鮮の「完全な非核化」の行方があやふやなまま、来るべき日朝首脳会談で拉致問題に進展があれば、日本国政府は、直ぐにでも平壌宣言に基づいて経済支援を開始する用意があるかのように報じているのです。

 この展開は、拉致事件が一種の‘人質事件’である点を考慮しますと、極めて奇妙です。何故ならば、一般の人質事件の犯人のセリフは、“人質の命が惜しければ、身代金を払え”なのですが、拉致事件では、被害者側が、“身代金を払うから人質を開放せよ”と犯人側に迫っているようなものであるからです。つまり、拉致事件にあっては、平壌宣言は、犯人に身代金を払うための正当な根拠を与えており、犯人側、すなわち、北朝鮮のためのお膳立としか言いようがないのです(北朝鮮側があからさまに身代金を要求しなくとも、一部であれ、拉致被害者を解放すれば、日本国から莫大な経済支援が転がり込む…)。

 こうした日朝平壌宣言が日朝交渉に果たす役割を考えますと、同宣言は、日本国の外交切り札ではなく、北朝鮮側の外交切り札となりかねないリスクがあります。北朝鮮側は、平壌宣言を盾にして、日本国に経済支援を要求することができるからです。こうした懸念がある以上、日本国側から平壌宣言を拉致問題解決の呼び水にすることは、自らを窮地に陥らせる結果を招きかねません。日本国の政府も国民も、平壌宣言の危うさこそ、深く認識すべきではないかと思うのです。

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