万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

オリンピック差別発言追放事件の自己矛盾

2012年07月31日 15時22分07秒 | 社会
韓国選手へ差別発言…つぶやいたスイス選手追放(読売新聞) - goo ニュース
 戦後、長きにわたり韓国から日本蔑視の罵詈雑言を投げつけられてきた日本人からしますと、スイス選手が韓国選手への差別発言を理由に追放されたというニュースには、どこか、釈然としない感覚が残ります。韓国には、常々、被害者になりたがる傾向がありますので、スイス選手の発言の裏には、対韓国戦において、何か憤慨するような出来事が起きていたのかもしれません。

 ところで、この差別発言事件には、解き難い自己矛盾が潜んでいると思うのです。先日も、ギリシャの陸上選手の発言が、アフリカ系の人々に対する差別と判断され、オリンピックから追放される事件が発生しています。こうした”差別発言”は、全ての国を対象に認定されているのかと言いますと、そうでもないようです。例えば、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス…といった諸国に対する悪口が、差別発言として糾弾されたというお話は聴きませんし、対戦国同士が相互に貶し合いをしても、”お互い様”ということで、誰も気に留めずに流されてしまうこともあります。その一方で、差別発言の取り締まり対象が、特定の人種や国民に偏っているとしますと、実のところ、オリンピック委員会自身が、擁護対象国を認定するという”差別”を行っていることになります。選手達に対して、”ある国や地域の人々に対しては、差別発言をしないように気を付けましょう”という、その言葉や暗黙の態度自体が、差別となるのですから。

 差別をなくそうとして差別をしているとしますと、これは深刻な自己矛盾なのですが、こうした問題は、オリンピックのみならず、各方面で見られる現象でもあります。正当な批判が”差別発言”として封じられては腐敗体質は改善されませんし、差別とは、厳格な言論監視や制裁ではなく、誰も気にしなくなったところで、初めて解消されるものではないかと思うのです。

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深刻な地方の沖縄化―マスコミの圧力と不誠実な政治家

2012年07月30日 16時02分08秒 | 日本政治
山口県知事に山本氏初当選 脱原発の飯田氏ら破る(朝日新聞) - goo ニュース
 岩国基地のお膝元である山口県では、昨日、知事選が実施され、開票の結果、自公推薦の山本繁太郎氏が当選しました。この選挙戦を見ておりますと、米軍基地を抱える全ての地方自治体において、沖縄県と同様の問題が発生しそうな予感がするのです。

 沖縄県では、沖縄タイムスを始めとする地元マスコミの強硬な基地反対姿勢が影響してか、沖縄県民は、なかなか本音で基地問題を論じることができない状況にあります。基地の県外移設や普天間基地の移設問題も、職場がなくなることを考えれば、内心では、是が非でも早期実現を求めているわけではないものの、それを口に出すことが憚れると言うのです。政治家も、民意は基地反対にあると見なし、選挙においては、基地反対は、全ての候補者の共通標語と化しています。基地の必要性を住民に誠実に説明することなく、地元マスコミに同調しているのです。こうした現象は、今回の山口県知事選でも観察され、当選した山本知事を含め、全ての候補者が、オスプレイ配備反対と脱原発を政策方針として掲げていたそうです。マスコミの圧力と政治家の不誠実な迎合主義が合わさりますと、本音と建前が分離する二枚舌現象が出現するのです。

 山口県知事選挙の投票率は45.32%と低く、過半数を下回っていたそうです。低投票率の原因の一つは、候補者達のマスコミに媚びた自己保身的な政治姿勢にもあるのではないでしょうか(県民の多数が、脱原発賛成、オスプレイ配備反対とは限らない…)。マスコミの圧力と不誠実な政治家の態度は、日本国の安全保障と経済を、内側から揺るがすことになるのではないかと危惧するのです。

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反原発デモとサイレント・マジョリティー―政治家は国民の”御用聞き”に

2012年07月29日 15時47分57秒 | 日本政治
 毎日新聞の報道によりますと、毎週金曜日に首相官邸を包囲するかのように開催される反原発デモに対して、既成政党は、焦りを感じているそうです。一般の参加者が多いために既成政党とのパイプが弱く、対応を誤ると、国民の選挙に行動にも影響を与えるのではないかと・・・。

 脱原発路線を支持する毎日新聞社の記事ですので、敢えて過大評価することで(実際には、一般の参加者は、全体の5分の1ぐらいらしい…)、反原発デモを梃として利用したい思惑も見え隠れしています。あるいは、社として、反原発を政策方針に据えている「維新の会」や「国民の生活が第一」といった”新生政党”を応援したいのかもしれません。もっとも、既成政党の側も、国民の不満の対象とはなっても、その受け皿となり得ていない現状に、危機感を覚えているようです。既成政党であれ、新生政党であれ、国民との距離感を本気で心配するならば、イデオロギー色の強いデモの言い分を聴くよりも、一般の国民の職場にこそ足を運ぶべきです。電力危機は、進歩的な知識人、退職年齢に差し掛かった全共闘世代、社会経験のない学生などではなく、現役世代にこそ甚大な影響を与えるのですから。世論調査でも、原発再稼働反対は過半数を下回っていますので、デモの声は、決して民意の代表でも、国民の総意でもありません。

 現行の政治システムでは、国民一般の声を吸い上げる仕組みが不十分であるために、サイレント・マジョリティーが大量に発生しがちです。制度改革は今後の課題ですが、政治家は、現行制度にあっても、永田町から外に出て(ネットでも構いませんが…)、積極的に国民の”生の声”を聴くことはできるはずです。政治家の側から、多国籍化した大企業から地方の中小企業…まで、経営者から社員や職工…の方々まで、幅広く、かつ、きめ細かく意見を聴いて回れば、事前に意見を方向づけできる政府開催の聴取会よりも、はるかに、国民の本音を知ることができるかもしれません。政治家は、国民の”御用聞き”であるとする意識なくしては、国民のための政治は、実現するはずもないと思うのです。

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大津いじめ事件―タブーに毅然と立ち向かうべき

2012年07月28日 15時32分38秒 | 日本政治
フジテレビが黒塗り改善策 大津自殺報道で(朝日新聞) - goo ニュース
 大津市で発生したいじめ事件は、他殺の可能性もあるそうですので、マスコミが、”自殺事件”と報じることにも、どこか圧力を感じるのですが、文部科学省も、世論の批判に配慮してか、全国を対象にいじめ対策を実施するそうです。しかしながら、この事件で最も憂慮すべきは、ある一部の地域が、無法地帯化していることではないかと思うのです。

 いじめが社会問題化して以来、これまでにも、全国の学校でいじめ対策は採られてきました。今回の事件のような、恐喝や暴行などを伴う犯罪事件については、より一層の厳格な対応が必要であり、警察の介入も致し方ない側面があります。いじめ一般に対する対策強化は、当然、あって然るべきなのですが、この事件で浮き彫りになった問題は、ある一部の地域では、学校も、教育委員会も、地方自治体も、そして警察さえも、加害者側に立って犯罪の隠蔽に協力したことです。犯罪者側のために公権力が用いられたのであり、その結果が、犯罪の黙認と無法地帯化であったのです。大津いじめ事件が発生した地域では、ネット情報によりますと、在日韓国・朝鮮人組織、同和団体、新興宗教団体といった、戦後、タブーとされてきた各種の圧力団体が根を張っているそうです。こうした団体が絡む事件では、被害者が泣き寝入りを強いられるとしますと、それは、日本国の治安維持機能が正常に働いておらず、逆に、犯罪者を擁護するために機能していることになります。これでは、圧力団体は、他者の権利を侵害しても法的責任を問われない”特権階級化”することを意味していますし、日本国では、全ての国民に対して基本的な人権が保障されていないことになるのです。圧力団体が、”人権団体”を名乗ってきたことを考えますと、何とも皮肉な状況が発生しているのです。

 大津いじめ事件が、国民の関心を集めたのも、国民の多くが、犯罪を助長するようなタブーを捨てて、この問題に毅然と立ち向かうべきと考えているからなのではないでしょうか。大津いじめ事件は、いじめ問題として一般化、あるいは、希薄化するのではなく、日本国の膿み出しのための一歩とすべきと思うのです。

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反原発デモは時代錯誤

2012年07月27日 15時42分56秒 | 日本政治
 毎週金曜日に首相官邸前で開催される反原発デモは、安保闘争以来、デモらしいデモが起きていない日本国において、新たな民主的手段の登場として評価する声も聞かれます。政治に無関心であったく国民が、デモに参加することで、ようやく政府に対して直接に声をぶつけるようになった、ということのようです。

 しかしながら、デモは、果たして、新たな民主的な手段なのでしょうか。歴史を振り返りますと、デモとは、最も古典的な手段であることが分かります。フランス革命が、民衆の抗議行動から始まったように、今日のような民主的な選挙制度が整っていない時代にあっては、デモこそ、唯一ともいうべき国民の不満表明の手段でした。昨年の”中東の春”では、デモによって独裁体制が倒されましたし、現在でも、中国を始めとした非民主的な国家においてこそ、政府に対する抗議デモが、日常茶飯事の如くに起きています。こうした側面を考えますと、日本国で発生しているデモは、決して新奇なものでも、時代の先端でもなく、むしろ、道具箱から古い手段を取り出してきているのです。しかも、デモによる要求は一方通行であり、拡声器による”反対””反対”の連呼では、民主主義が成立するための基盤である議論など、成り立つはずもありません。そこには、大衆動員と直接行動による圧力という、社会・共産主義の戦法さえ垣間見えるのです。

 反原発デモに対する民主的な評価は、これらの点を考え合わせますと過大評価であり、それどころか、将来に向けての方向性を誤る可能性もあります。選挙制度に見られる間接民主主義の限界は、一部の団体が政治に圧力をかけるスタイルではなく、国内のあらゆる利害関係を包括的に調整する真に民主的なシステムの開発によって乗り越えるべきなのではないかと思うのです。

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ギリシャ選手追放事件―SNSは言論統制の手段になる?

2012年07月26日 15時34分13秒 | 社会
差別的投稿で五輪除外=ギリシャの陸上女子選手〔五輪〕(時事通信) - goo ニュース
 言論の自由は、近代の人々が、弾圧に抗して苦闘の末に手に入れた重要な自由の一つです。否、この自由が保障されていなければ、民主主義も空事となりますし、言論空間そのものが窒息させられてしまいます。その一方で、言論の自由にも、一定の条件下に制約が必要との意見もあります。その一つが、人種差別的発言です。

 開催を間近に控えたロンドンオリンピックでも、ギリシャの陸上女子選手が、アフリカ系の移民を揶揄する発言をしたとして、出場が取り消されました。事の発端は、twitterへの書き込みであり、つぶやきが見咎められた、ということになるのですが、この事件、SNSをめぐる幾つかの問題をも提起していると思うのです。
 第1に、SNSは、私的な空間なのか、公的な空間なのか、その境界が曖昧であることです(ブログは公的な色彩が強いけれども、SNSになると微妙…)。仮に、私的な空間と見なすならば、他者による言論統制が、私的領域に踏み込むことを許したことになります。
 第2に、公的な空間であったとしても、言論統制であることには変わりはなく、規制を設けるとしても、客観的な基準を欠いては、監視者の主観によって判断が左右されかねません。今回の事件も、直接的な表現でにアフリカ系移民を侮辱する発言をしたのではなく、否定的なニュアンスが伝わる、というものです(”ギリシャにはアフリカ人がたくさんいる。西ナイルの蚊は吸い慣れた血にいくらでもありつける”)。言葉は、受け手側の主観によって理解が違ってくることがままあり、誤解や曲解から、冤罪が頻発することも予測されます。
 第3に、ネット上では、不適切な発言や犯罪に関する情報などは削除されることがありますが、削除を越えて、発言者に対して制裁を加えるならば、より一層の明確な基準を要します。罪刑法定主義に照らしますと、基準なき制裁は、法の支配に反します。
 第4に、SNSでは、仲間内の受信によって発言が広まるのですが、この事件では、これらの受信者の誰か、あるいは、運営者が、この選手の発言をギリシャ・オリンピック委員会に通報したことになります。つまり、この事件は、SNSでは、常に監視が行われていることを示唆しているのです。

 言論統制は、恐怖政治の最強の手段でしたが、SNSにも、その魔の手が伸びているのでしょうか。日本国でも、人権侵害救済法案が世論の反対を受けていますが、弱者の保護を根拠に、言論の自由や個人の私的空間を侵害したい人々もいることに留意すべきと思うのです。

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グローバルな問題の矮小化―反原発・反オスプレイの背景

2012年07月25日 16時17分24秒 | 日本政治
「オスプレイ」は何が本当の問題なのか?【山崎元コラム】(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース
 ここ数年来、日本国のマスコミの基本的な論調は、グローバル化時代に備えよ、というものでした。実際に、あらゆる分野においてグローバル化の波が押し寄せていますので、国民も無関心ではいられません。

 ところが、政府もマスコミも、グローバル化の大波を被っているにも拘わらず、敢えてその現実に目を瞑ろうとしている分野があります。エネルギー政策や安全保障政策は、まさにこうした”非グローバル化”が懸命に試みられている政策領域です。反原発運動も、反オスプレイ運動も、日本国内において、周辺諸国や特定の外国勢力が活発に工作活動を展開していると想定した方が、よほど、合理的な説明が付きます。マスコミは、こうした運動を、政治に目覚めた一般国民による自発的な現象として報じ、政府もまた、その背景については、何一つ、言及していません。あくまでも、国内問題に留めたいのです。その一方で、ネット上では、こうした過激な反対運動の背後には、外国勢力が潜んでいるとする見方が多数を占めています。一般の人々の方が、政府やマスコミよりも、よほどエネルギーや安全保障をめぐる外部要因を正しく理解しようとしているのです。

 政府もマスコミも、掛け声としては”グローバル化”を唱えていますが、その実、肝心なところでは、国外勢力が関与している可能性を無視し、国内問題として片付けようとしています。こうした矮小化や隠蔽は、工作活動を幇助しているようにも映ります。国益や利権をめぐって、様々な国外勢力が蠢くエネルギーや安全保障の問題こそ、外部要因を分析に加えるグローバルな視点が必要であり(政治が絡むので国際政治的な視点も…)、こうした視点を欠いては、誤った政策判断に至るのではないでしょうか。

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原発反対・オスプレイ反対に抗する勇気を

2012年07月24日 17時40分06秒 | 日本政治
関電の節電目標10%維持 大飯4号機フル稼働でも(朝日新聞) - goo ニュース
 マスコミが煽ったためにか、日本国では、反原発運動のみならず、オスプレイ配備反対の騒ぎまで巻き起こっています。どちらの騒ぎも、大半は左派の活動組織によるものなのですが、原発やオスプレイ配備を容認する発言でもしようものなら、圧力がかかるとの指摘もあります。

 仕事を減らされるといった実害も懸念されているようですが、現実にこうした”制裁”が課されたとしても、被害を蒙るのは、多く見積もっても二桁か三桁の人々です(私も含めて…)。もちろん、こうした”制裁”は言論弾圧に当たりますので、憲法違反の行為ではあるものの、民主党政権がバックとなれば、あるいは、現実のものとなるかもしれません。その一方で、内心では、原発やオスプレイ配備を容認しながらも、多くの国民が、マスコミの風潮に流され、あるいは、圧力を怖れて事なかれ主義に陥り、反原発や反オスプレイに同調するならば、職を失う人の数は、前者を遥かに上回ります。何万、何十万…の人々が働く場をなくし、それ以上の人々が、所得の減少に見舞われるのです。そして、オスプレイ配備への反対と日米間の軋轢は、自国の安全保障さえ、危うくするかもしれません。全ての国民にマイナス影響が及ぶことを考えますと、個々の保身的な態度は、自らの首を自らの手で絞めることになります。

 原発やオスプレイの配備なくして、将来にわたって日本国が安全と繁栄を維持できるとは思えません。反対運動の圧力に抗する勇気なくしては、日本国は、左翼や反日勢力に操られるままに、衰退の一途を辿るのではないでしょうか。職を失う覚悟を以ってしても救うべきは、自国の安全と国民生活の安定なのではないかと思うのです。

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反原発・反オスプレイ配備―”命”を盾にした人質作戦

2012年07月23日 15時01分49秒 | 日本政治
「タイミング悪すぎる」オスプレイ到着…首相周辺(読売新聞) - goo ニュース
 原発が再稼働されますと、電力危機が解消し、日本経済は息を吹き返しますし、オスプレイの配備は、米軍の活動範囲を飛躍的に拡大し、日米同盟を強化します。原発は産業と国民生活を、オスプレイは安全保障の向上に貢献するのですが、日本国の政経両面における発展と強化を抑えたい勢力にとりましては、”目の上のたんこぶ”であることも確かなことです。

 そこで、こうした勢力は、”命”を盾に再稼働や配備の見送りを迫る、一種の人質作戦に出たのではないかと思うのです。反原発も、反オスプレイも、事故の発生による人的な被害を、主たる反対理由として挙げています。”命を守れ”は、活動家達の常套句でもあります。戦争に際しても、攻撃目標とされている軍事施設の前に民間人を並べ、攻撃を思い留まらせようとする”人間の盾”という作戦方法があり、人道的な見地から、国際的な非難を浴びることがあります。反原発や反オスプレイは、これほど露骨ではありませんが、国民の命を盾に、自らの要求を相手に呑ませようとする手法は、”人間の盾”の手法と共通しているのです。しかも、国民は、反原発・反オスプレイの活動家達によって、勝手に盾にされています。こうした主張は、一見、命を尊重しているように見えますが、他者の命を自らの作戦に利用しているのですから、実のところ、利己的な手法と言わざるを得ません(日本国民のためではなく、真の目的は別にある・・・)。

 岩国基地を擁する山口県では、県議会において全会一致でオスプレイ配備反対の決議が成立したそうですが、こうした決議によって、誰がほくそ笑むのか考えたことがあるのでしょうか。国民の命の尊重を前面に打ち出しながら、その陰で日本国の弱体化を目論む勢力が蠢いていることに気付くべきではないかと思うのです。

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理想追求型より現実対応型の政治家を

2012年07月22日 15時28分19秒 | 日本政治
「原発、明日にも全部止めたいが…」 枝野経産相が吐露(朝日新聞) - goo ニュース
 原発の再稼働問題について、枝野経産相は、個人的には全原発を停止したいが、日本経済への打撃を考えれば、再稼働もやむなし、といった趣旨の見解を示したそうです。枝野経産相は、これまで、陰に日向に原発再稼働を遅らせてきたのですが、少なくともこの発言は、鳩山元首相や菅前首相より、はるかに職業政治家らしいのではないかと思うのです。

 理想と現実との間で板挟みとなった際に、個人的な理想や心情を優先する政治家は、何時の時代にも存在するものです。鳩山元首相や菅首相は、まさしくこのタイプであり、政治とは、理想の実現に向けたパフォーマンスを自らが演じ、あわよくば、国民から喝采を受ける舞台でしかないのです。実際に、反原発デモに参加した人々からは、大いに歓迎されたそうです。しかしながら、かつて、マックス・ウェーバーが、その著書、『職業としての政治家』で指摘したように、政治家の個人的な心情と公益とが衝突した場合、結果責任を重んじるのが、プロの政治家というものです。原発を全停止した結果、経済活動に重いコストがのしかかり、1億3全万人の国民が生活してゆけなくなるとしますと、理想の追求は、多くの人々を路頭に迷わすことになります(確率の低い原発事故再発よりも、はるかに莫大な現実的な損失が生じる…)。

 反原発デモの参加者もまた、鳩山元首相や菅前首相と理想主義者のメンタリティーを共有しているのでしょう。前衛よろしく、先頭に立って民衆を主導していると信じているようですが、現実の犠牲を厭わないのですから、一般の人々からは遊離するのみです。現在、日本国に必要とされているのは、理想追求型の政治家ではなく、結果責任を重んじる現実対応型の政治家なのではないかと思うのです。

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尖閣諸島中台共同世論調査―”中台同盟”への布石か?

2012年07月21日 15時39分38秒 | アジア
尖閣巡り日本と一戦辞さず…中国で9割も(読売新聞) - goo ニュース
 尖閣諸島をめぐって、中国の「環球時報」と台湾の「中国時報」が共同世論調査を実施したところ、中国では9割、台湾では4割ほどの国民が、軍事行動を容認するという結果が出たそうです。この共同世論調査、もしかしますと、”中台同盟”の布石ではないかと思うのです。

 中台共同世論調査の実施が、どちらの国の提案に基づくものであるかは詳らかではないのですが、台湾側が積極的に世論調査を提案する動機は薄く、おそらく、尖閣諸島問題に敏感に反応している中国側が、台湾側に申し出たのでしょう。尖閣諸島については、中国側の公式の言い分では、台湾に所属する島嶼と位置付けており、武力行使に先だって、台湾の動向を探りたかったのかもしれません。あるいは、太平洋におけるリムパックの実施など、国際社会における中国包囲網が強まる中で、尖閣諸島を中台両国に共通する”核心的な利益”であることを打ち出すことで、台湾をこの対中包囲網から引き離し、密かに”中台同盟”を模索している可能性もあります(この際、中国は台湾を独立国家として認めることにもなりますが…)。

 1870年の普仏戦争が、フランスを共通の敵として闘うことで、南ドイツ諸国をドイツ帝国に統合する手段であったことを思い起こしますと、対日戦争で結びついた”中台同盟”の先には、”中台統一”のシナリオが待ち構えているかもしれません。この深謀遠慮のシナリオを想定しますと、台湾の戦争容認論が4割に留まったことに、内心、ほっと胸をなでおろすのです。

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国家の脆弱性―移民規制強化という防御反応

2012年07月20日 11時11分20秒 | 国際政治
中国新聞趣聞~チャイナ・ゴシップス 世界を買う中国人、各国で警戒感増す 中国人移民への対策、日本には2つの選択肢(日経ビジネスオンライン) - goo ニュース
 人口が13億を越える中国政府にとって、自国民を海外に送り出すことは、願ったり叶ったりの政策なのでしょう。今日では、留学や就業のみならず、いざという時の”国外逃亡”という目的も加わっているようです。

 その一方で、受け入れ国側では、中国系移民の増加や不動産投資の拡大に、警戒感が広がっています。欧米各国では、移民規制強化への動きとして表面化していますが、この反応、国家の脆弱性を考えてみますと、当然の防御反応なのではないかと思うのです。国民国家という枠組みを整備することで、異なる民族集団が、平和裏に共存できるようになってから、人類の歴史は、わずか半世紀ほどしか経っていません。それ以前は、と申しますと、植民地主義はもとより、ある国が、他の国に滅ぼされたり、乗っ取られたりすることは、日常茶飯事の如く起きていたのです。かの古代ローマ帝国もまた、その滅亡の原因は、長期にわたる異民族の移入にありました。人の移動とは、戦争による占領という形態を取らずとも、潜在的には、自国の脅威になり得るものであり、この基本的な性質は、今日においても変わりはないのです。識者によっては、移民の増加は、グローバル化に伴う自然な流れであるから、移民を自国に積極的に同化し、移民の活力を自国に取り込むべき、とする主張もあります。しかしながら、世界各地で社会問題を引き起こしているように、移民の取り込みは容易なことではなく、逆に、移民勢力に自国が飲みこまれてしまう可能性も決して低くはないのです。

 国家は、人々が考えるほどには強固ではなく、移民を自然に任せてしまえば、時代は逆戻りし、各国は、自国の枠組みを維持できず、分裂、融解、錯綜と混乱、異民族支配…の危機に見舞われます。国家の枠なき”世界”は、果たして、人類にとって望ましいのでしょうか。取り返しがつかなくなる前に、一度、国家の存在意義を、原点に帰って考えてみるべきではないかと思うのです。

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脱原発デモは”声なき声”なのか

2012年07月19日 14時16分45秒 | 日本政治
「脱原発デモ」の意味を理解していない野田首相【田中秀征 政権ウォッチ】(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース
 毎週金曜日、首相官邸前には脱原発派の人々が押し掛け、シュプレヒコールを上げているそうです。参加者は、ツイッターなどで集まった一般の人々とする見方がある一方で、中革派や元学生運動の世代の参加者が多いとの指摘もあります。

 デモ参加者が”誰か”によって、このデモの意味するところも違ってくるのですが、脱原発デモは、果たして間接民主主義に限界を感じた人々の”声なき声”なのでしょうか。金曜日の平日に敢えてデモに参加する人々が、一般の人々であるのかどうかについては、疑問な点はあります。しかしながら、少なくとも、デモの参加者は、自らの信念に従って意識的に行動に出た人々であり、デモに参加する時間もある人々であることは確かです。その一方で、一般の人々は、会社や家庭での日常的な仕事に追われており、体力や時間において、デモに参加する余裕はありません。”声なき声”とは、むしろ、デモに参加できない人々の声なのではないでしょうか。それは、必ずしも、反原発一辺倒ではなく、一般の人ほど、電力危機による損失や不便に直面しております。世論調査でも、国民の支持は、必ずしも反・脱原発に集中しているわけではなく、国民的な運動と化した中東の”アラブの春”における民主化要求とは違っているのです。

 また、デモを過大評価し、その声を政策に採用することを要求するとしますと、少数者の意見が、デモという圧力を背景に、優先されることを認めることになります(声の大きい方が勝つ?)。デモもまた、言論の自由を支える重要な手段ですので、それ自体を否定するつもりはありませんが、民主主義の欠陥を憂うならば、少数者の意見の押し付けではなく、全国民の多様な意見―真の”声なき声”―が政策に反映される制度を考えるべきではないかと思うのです。

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エネ政策聴取会―当事者の意見排除は望ましいのか?

2012年07月18日 15時29分57秒 | 日本政治
電力社員の意見表明認めず=「疑念生じさせるな」と首相指示―エネ政策の聴取会(時事通信) - goo ニュース
 政府は、広く国民から意見を募るため、エネルギー政策に関する聴取会を全国各地で開催しています。仙台市や名古屋市で開かれた聴取会では、電力会社の社員が意見表明したため、野田首相は、今後は、”疑念を生じさせない”ために、電力関係者の発言は認めない方針を示したそうです。

 政府は、参加型の民主主義の文脈から、国民一般からの意見を聴くことを目的としているのでしょうが、聴取会の制度にこそ、疑問があります。政策形成過程に国民の直接的な参加や関与を求める場合、参加者に対して(1)中立性が要請されるもの、(2)利害関係があるもの、(3)特別なアイディアの提示が求められるもの、(4)参加者各位が様々な意見を代表していること…などがあります。裁判員制度などは(1)であり、参加者が訴訟の両当事者に対して中立的な立場の人々が選ばれます。それでは、エネルギー政策に国民の意見を求めるとしたならば、それは、どのようなタイプなのでしょうか。少なくとも、(1)でも、(3)でもないはずです。エネルギー政策では、エネルギー供給事業者は当事者に当たりますので、本来、電力会社の意見が排除されることは権利の無視であり、まずは(2)の方法が採られるべき分野です。経産省には総合資源エネルギー調査会内に基本問題委員会が設置されていましたが、この委員会からも電力会社の代表は排除されました。もし、聴取会から電力会社の意見を排除するならば、別に発言機会を設けませんと、自らの利害に関わる政策領域において、当事者が意見を述べる権利が蔑にされたことになります。また、政府が、国民の多様な意見を集めたいならば、(4)の方法が採用されるべきです。ところが、参加者が抽選で選ばれるとはいえ、聴取会の開催地は都市部のみですし、発言者も希望者に限定されています。これでは、発言者が、全国民の多様な意見を代表しているとも思えないのです。

 結局、この制度は、機関乱造による混乱に乗じた政策誘導のための手段であり、民主党政権は、責任を他者に巧妙に転嫁しながら自己の都合のよい政策を実現したいのでしょう。政府は、怪しげな聴取会を設置し、利害関係者や当事者の発言を排除するよりも、こうした人々の意見を含めた政策形成にこそ、努めるべきではないかと思うのです。

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政府も国民をいじめないで

2012年07月17日 17時57分54秒 | 日本政治
首相、異例の呼びかけ「いじめられたら…」(読売新聞) - goo ニュース
 中学2年生の少年を死に至らしめた大津市のいじめ事件は、その壮絶さゆえに多くの国民にショックを与えました。野田首相も、国民に対して、”いじめられたら誰でもいいから相談するよう”、異例の呼びかけを行ったそうです。

 首相は、いじめは、”とても恥ずかしい卑怯な行為”と断言したとも伝わります。その一方で、日本国の現状は、政府が国民をいじめ、周辺諸国が日本国をいじめるという、いじめの連続です。政府は、国民の生活レベルの低下にも、日本経済の6重苦にも、横暴な周辺諸国の脅しにも”見て見ぬふり”し、何らの対策をも採ろうとはしていません。大津市では、学校、日教組、教育委員会、地方自治体、警察など、本来、問題解決に尽力すべき人々が、責任逃れと隠蔽に終始しましたが、日本国にあっても、政府の態度は、大津市の責任者達とそう変わりはないのです。

 野田首相は、国民にいじめの対策を訴える前に、まずは、民主党政権が、国民に対するいじめを止めるべきです。そして、周辺諸国から日本国が理不尽ないじめを受けた場合には、毅然と対応すべきでもあります。自ら範を示さないことには、首相の言葉は、虚しく響くのみなのではないでしょうか。

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