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万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

外国人に依存しない自立的経済の構築を

2025年08月29日 09時28分37秒 | 日本経済
 昨今、生成AIの登場により、人類社会は自らは思考力を失ってもAIに任せれば大丈夫、とする予測が広がっています。知的能力を判断基準とした未来像ですが、近未来においてAI社会が現実のものとなるか否かは、実のところ、人類の選択にかかっています。そして、日本国の近未来が、多文化共生社会になるか否かも、日本人の選択にかかっていると言えましょう。マスメディアは、こうした未来像を既定路線のように報じていますが、先の参議院議員選挙で民意が示されたように、日本国民の多くは、移民の受入並びに多文化共生社会への移行に強く反対しています。

 それでは、何故、政府やマスメディアは、移民政策を推進しようとしているのでしょうか。移民政策反対を訴える日本国民の声を前にして常に登場してくるのが、‘人手不足論’です。少子高齢化が著しい現状にあって、外国人労働者に頼らざる得ない産業が増加しており、この問題がある限り、日本国民の多くが声を大きくして移民受入に反対しても無駄である、と言わんばかりなのです。とりわけ漁業での依存度が高いともされ、その他にも、農業、畜産業、建設業、中小の製造業、サービス、介護、コンビニなどの小売業、介護などの名が上がっています。

 いささか横道にそれますが、仮に‘労働力不足’が正しいとしましても、同論では、‘労働力’ではない事業者や留学生等については説明が付きません。前者については、先日、経営・管理ビザ等の資格取得要件の厳格化の方針が示されましたが、日本国内で、深刻な‘事業者不足’が生じているわけではないからです。むしろ、日本の事業者にとりましてはライバル事業者が増えることになりますし、消費者にとりましても、高値買い占めや転売が物価高の一因ともなりかねません。同時に、中国経済圏の日本経済への浸透を加速化させています。後者の留学生についても、中国等の出身国での就職難を背景に留学生が卒業後における日本企業への就職を目指すとしますと、日本人学生の就職機会は狭まることでしょう(日本国政府は、日本企業に対して留学生の採用を後押ししているとも・・・)。

 在留ビザの緩和措置をはじめ、他の政府の移民受入政策については根拠に乏しいため、労働力不足論に頼らざるを得ないのが現状なのでしょうが、その労働力不足も、移民反対を訴える国民を沈黙させるほどの説得力を備えているとは思えません。そもそも、人口が減少すればその分消費量も減少するのですから、無理をしてまで生産量を維持する必要はなく、供給量を減らす、あるいは、事業規模を縮小するという対応もあるはずです。人口規模と消費量が比例関係にあるとする視点が欠けているのです。

 もっとも、外需型の輸出産業ではそうはいかない、とする反論もありましょう。しかしながら、円高の時期に既に日本企業の多くは製造拠点を海外に移しておりますし、円安の今日では、日本企業を買収したり、株式の取得大株主となった海外投資家やアクティビストの圧力に推されて、より安価な労働力としての外国人受入を迫られているようにも見えます。‘労働力不足’は国民向けの口実であって、実際は、より安価な労働力を求めた結果なのではないでしょうか。言い換えますと、移民の増加の真の原因は、自己利益の最大化を目指すグローバリズムにあるとも言えましょう。

 上述した特定の産業や職種における人手不足の問題も、その実、グローバリズムが原因である場合もありましょう。たとえは、近年、水産業にあって人手不足が顕著となったのも、高値での取引を背景に海外への輸出量が増加しているからかも知れません(この結果、日本国内での供給減少により、水産物の価格が上昇・・・)。政府が農水産物の輸出を促進すればするほど、外国人労働者が増えてしまう、即ち、日本国は、外国人が外国向けに製品を製造する生産地に過ぎないという状態に陥りかねないのです。アメリカでも、トランプ政権の下で不法移民の取締を強化した結果、農業において人手不足が発生じたとする報告がありますが、何れの国であれ、外国人労働者に依存してまで輸出向けの農水産物を生産する必要はあるのでしょうか(他国の農民や漁民を苦しめることにもなる・・・)。発想を転換すれば、評価も捉え方も違ってきます。

 グローバリズムの行く先が、超富裕層であるグローバリストにとっては理想郷ではあっても、その他の大多数の人々にとりましては生き地獄であることが分かってきた今日、日本国民もグローバリズムとは距離を置き、政府やマスメディアが敷いてきた既定路線から離れて別の道を進むべきように思えます。先ずもって、AI、量子、宇宙といった分野のみを先端技術とする固定概念に縛られることなく(これらは人類支配の道具ともなり得る・・・)、国内経済の強化に努め、幅広く国民生活を豊かにするテクノロジーの開発に努めるべきです。ここは、人の思考力が試される局面とも言えましょう。外国人に依存しない自立的な経済の構築を目指して各自が知恵を絞るべきですし、自らの道は自らで切り開くという気概が、日本国民をグローバリズムの脅威から救うのではないかと思うのです。

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対米81兆円投資の影に第三次世界大戦計画あり?

2025年08月28日 10時16分06秒 | 国際政治
 昨日、8月27日、日本国内でも、アメリカのラトニック商務長官の発言が報じられました。日米関税合意について両国の解釈に重大なる齟齬があり、アメリカ側から合意文書作成の要請を受けていた矢先であっただけに、同長官の発言に、多くの国民が耳をそばだてたことでしょう。それ程までに、今や、日本側による対米巨額投資は、今後の日米関係を左右するほどの関心事になっています。

 ラトニック商務長官の発言とは、日本国、並びに、韓国からの巨額資金の拠出をもって「国家・経済安全保障基金」を創設する、というものです。この名称を聞いて、首を傾げる人も少なくないかも知れません。何故ならば、仰々しくも‘国家・経済安全保障’の名を冠した基金として構想されているからです。日米関税合意が成立した当初は、日本国では、「ジャパン・インベストメント・アメリカ・イニシアティブ」として紹介され、「半導体、医薬品、鉄鋼、造船、航空、エネルギー、自動車、重要鉱物、AI・量子の9分野への投資を実行する投資ファンド」として設立されると説明されていました。ところが、今般のネーミングからしますと、アメリカの経済政策の一環としての米民間企業向け政府系投資ファンドと言うよりも、政治的な‘国策ファンド’としての性格が強く打ち出されているのです。

 それでは、何故、ファンドの性格が変わってしまったのでしょうか。ここから先は‘推理’と言うことになるのですが、その推理とは、その名称が文字通りに示すように、同基金は、戦時経済を支えるために安全保障の分野での活用を第一の目的として設立される、というものです。おそらく、日韓のみならず、同基金には、EUも約束したとされる巨額対米投資も組み込まれることでしょう。近い将来におけるロシア並びに中国との戦争を想定し、アメリカは、自国陣営のために共同基金を準備したことになります。

 この手法、ペルシャとの戦争準備のために創設された古代アテネの「デロス同盟」の基金を思い起こさせるのですが、先ずもって同基金が巨額の資金を投じるのは、軍事テクノロジーの分野となりましょう。実のところ、上記の半導体、医薬品、鉄鋼、造船、エネルギーなどの9分野の先端技術は軍事転用が可能ですし、否、今日でも軍需産業の主要部分と言っても過言ではありません。戦時下では、交戦国の間でしばしば激しい技術開発競争が繰り広げられ、傾斜生産方式も採用されますが、同基金でも、先ずもって集中的に軍需産業の先端技術分野の研究・開発に投資されることでしょう。

 安全保障が目的であれば、81兆円の対米投資にも納得する、という人も少なくないかも知れません。いわば、自国の防衛に必要不可欠となる戦費の負担と言うことになるからです。しかしながら、同スキームの発案者が、ラトニック商務長官である点を考え合わせますと、これは、グローバリストの中核たる金融・産業財閥の筋書きである疑いが強まります。何故ならば、戦争とは、これらの人々にとりましては、巨万の富を生み出す戦争ビジネスであると共に、グローバルな支配体制を構築する上でもまたとないチャンスとなるからです。

 ラトニック商務長官は、ユダヤ系アメリカ人にして金融畑で生きてきた人物です。同氏が、アメリカに対する誠実なる愛国心や同盟国を守ろうとする強い責任感から同基金の設立を思いついたとは到底考えられません。「国家・経済安全保障基金」とは、その実、自らは安全な場所で高見の見物を決め込むグローバリストに富が集中する巧妙な仕組みであると考えた方が合点が行くのです。同基金の大半は、各国の政府系金融機関の起債や民間金融機関からの借り入れで調達されるとすれば、まさしく高利貸しを期待できるビジネス・チャンスなのですから。

 その一方で、戦争において最大の犠牲者となるのは、無辜の一般の人々であることは言うまでもありません。重税に耐えつつ窮乏生活を強いられる一方で、予算の大半は戦費に消え、自らの生活は豊かにはなりません。しかも、徴兵制の復活のみならず、ミサイルによる空爆リスクにも晒されるのですから、殆ど全ての国民が、明日の命も知らぬ身となりましょう。デロス同盟は、盟主であったアテネが共同基金を使い込んだために同盟ポリスの不満が高まり、ついにはペロポネソス戦争に至るのですが、今日にあっても、何れのシナリオであれ、戦争に誘導されてはならないはずです。現状にあっては推理の段階ではあるのですが、人類は戦争への誘導作戦を敏感に察知し、より賢く知恵を働かせて第三次世界大戦を回避すべきではないかと思うのです。

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在留資格要件は国民が決めるべき

2025年08月27日 11時39分59秒 | 日本政治
 昨今、日本国内では、外国人問題に多くの国民の関心が集まるようになりました。その背景には、急増する外国人人口並びにそのマイナス影響に対する認識の深まりがあるのですが、先の参議院議員選挙の結果を受けて、出入国在留管理庁でも、今年の10月頃を目処に、在留資格要件の厳格化を行なう方針を示しています。国民の多くも、同措置に少しばかりは安心するのでしょうが、これを機に、在留資格の要件の決め方を変えるべきではないかと思うのです。

 出入国管理に関する権限は、国境管理権として国家の主権的権限の一つとされています。2020年2月にイギリスはEUを正式に脱退しましたが、ブリグジットの決定要因として指摘されているのは、財政負担の問題のみならず、国境管理権がEUレベルに移譲されることへの反発です。当時、EUからの移民の大量流入がイギリス国民に危機感を与えており、国境管理権を保持する方向へと決意させたのです。この決定は、議会主権を国是としてきたイギリスにおいて国民投票をもってなされており、国境管理権に対する国民意識の高さが伺えます。

 何れの諸国にあっても、国民の枠組みや社会全体に影響を与える国境管理は重要な政策領域です。否、全国民が直接的な当事者となる政策領域と言っても過言ではありません。メンバーシップの問題であるからです。今日、日本国内にあって外国人問題に国民が敏感になる理由も、それが、他人事ではないからなのでしょう。そして、この政策権限の重要性に鑑みますと、今般の在留資格の厳格化が、法務省令の改正によって行なわれることには問題がありそうです。

 現行の出入国管理及び難民認定法では、在留資格の要件に関する詳細は定められておらず、専ら法務省令をもって対応してきたようです。今般の厳格化でも、報道に因れば、入国在留管理庁が自民党の特別委員会に纏めた指針を提出し、来月に実施するパブリックコメントの募集を経て改正を行なう流れのようです。一先ずは、与党や国民に諮問する形ではあるのですが、国会での十分な審議や立法手続きを経ることなく改正が行なわれることとなります。

 今般のケースでは、国民世論の後押しがあり、同改正は民主主義の原則から外れることはないのでしょうが(むしろ、同庁が、公務員として国民のために動いた可能性も・・・)、逆のパターンもあり得ます。過去の要件緩和がまさにその事例であり、誰が決めたのかはっきりとは分からない状態で要件緩和が実施されています。先日、日本国内の四つの地方自治体に降って湧いたアフリカ諸国の「ホームタウン」認定が、移民特区構想と理解されて世論の激しい反発を受けましたが、この問題とも共通しています。国民や住民に諮ることもなく、行政サイドや政治サイドが勝手に自国や市町村を海外に開放しようとするからです。完全に無視されるのですから、一般の国民や住民が憤慨するのは当然のことです(移民受入で利益を得る一部の人々を除いて・・・)。試みようとすれば、国民の知らないところで、要件を限りなくゼロレベルにまで下げることができるのですから。

 出入国管理の重要性に鑑みますと、在留資格や同資格要件の変更については、国民の合意を要すべきです(現状ではハードルが高いものの、最も望ましいのは国民投票では・・・)。省令や政令等レベルの改正ではなく、最低限、選挙に際して各政党や立候補者が自らの政策方針を明らかにすると共に、改正に際しては法案を作成し、国会おける立法手続きを経て行なわれるべきと言えましょう(但し、在留資格の要件の厳格化は危急を要しているため、今般の改正は、10月に法務省令をもって行なわれるのは仕方がない・・・)。このためには、在留資格の種類等のみならず、各種資格要件の詳細についても出入国管理及び難民認定法に明記する必要がありますので、速やかに同法を改正すべきではないかと思うのです。

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排外主義批判は日本国に対する植民地化要求?

2025年08月26日 09時29分57秒 | 日本政治
 外国人問題が争点ともなった先の参議院議員選挙の結果を受けて、ようやく出入国管理庁も、在留資格の取得要件の厳格化方向に舵を切ったようです。9月24日を締め切りとするパブリックコメントを経ての。10月中旬における改正となるようですが、本改正に対しても、マスメディアやリベラル派の人々は、排外主義として非難するのでしょうか。

在留資格の厳格化には、正当なる根拠があります。他国が設けている要件と比較しますと、あまりにも要件が緩すぎたため、日本国から利益を得ようとする中国系ビジネスネットワークが巨大化してしまったからです。特に問題視されたのが経営・管理ビザ、並びに、起業ビザであり、より要件が厳しい前者でさえ、500万円以上の出資、または2人以上の常勤職員の雇用という要件を満たしただけで、在留資格を取得することができます。日本語習得の要件もないのですから、日本国内に、中国と繋がる経済ネットワークが広がってしまうことは、本来であれば、要件緩和の時点で予測できたはずです。因みに、改正案によれば、資本金要件を500万円から3000万円に引き上げ、新たに「一人以上の常勤職員雇用」の要件を加えるそうです。しかしながら、今般の厳格化措置でも、他国と比較すれば決して厳しいとは言えないことでしょう。

実のところ、ビジネスネットワークとは、事業者間のビジネス関係の繋がりによって際限なく拡大してゆく性質を持ちますので、他の周辺領域を巻き込みながら、雪だるま式に膨れ上がることもあり得ます。実際に、今日の日本国における中国系ビジネスネットワークの肥大化は、外国人技能実習生の問題を反面とすれば、一般の日本国民が懸念する外国人問題のもう一つの反面と言っても過言ではありません。

しばしばマスメディア等でも報じられている各種社会保険制度の悪用問題も、僅か3ヶ月間の日本国内の居住のみでこれらの制度を合法的に利用できるという、在留資格の取得の容易性に起因しています。軽度な要件を満たせば経営・管理ビザや起業ビザが簡単に取得できるのであれば、同制度目的のビザ取得もあり得ます。そして、何よりも注目すべきは、中国系ビジネスネットワークの拡大です。先ずもって、送り出しと受入の両面において日本移住斡旋業者が乱立し、資金を提供する金融業者も加わって、組織的に日本国に中国人を送り出す仕組みができています。

この仕組みは、留学生にも使われており、内外において留学準備のための日本語学校が、学校法人として多数設立されたことでしょう。留学面を見れば、不正受験や裏口入学等の斡旋業者まで出現するのですから驚くばかりです。日本国の大学院生に占める中国人の比率も年々高まるばかりであり、やがて、大学や研究機関の職も中国人が主流となるかも知れません。さらに理不尽なことに、理化学研究所でも中国人研究員が増加する一方で(技術漏洩のリスクも・・・)、雇い止めとなった日本人研究者の中には、報酬の高い中国の大学に職を得ているというのですから、日本国の研究の場は、既に末期的な症状を呈しています。

また、中国系ビジネスネットワークはインバウンドにも浸透しており、観光地に多額のマネーを落とすとされながら、時間の経過と共に、中国人観光客のみならず、中国人事業者が押し寄せています。お土産物屋や宿泊所などにも買収などにより中国人経営となり、必ずしも地元の日本人事業者が潤うわけではありません。経営難に陥った老舗の旅館等を中国人が買い取るケースも少なくなく、観光業は、‘中国人の中国人のための中国人による’産業となる日も遠くはないのかもしれません。この現象は、民泊も事業として認められれば、観光地のみの問題でもなくなります。

そして、ついに中国系ビジネスネットワークは、日本国の国内経済一般や国民生活にまで及んできているようです。不当に価格の釣り上げを行なう転売ヤーのみならず、マンションのオーナーとなった中国人所有者による賃貸料の突然の値上げなど、日本人から搾り取とうとする中国人事業者が社会問題化するようにもなりました。目下、日本国の寺院が中国にあって安値で売り出されているとする報道もあり、今後は、宗教法人の事業者として日本国に移住する中国人も増えるかもしれません(先祖代々の氏寺である場合もありますので、檀家との関係はどうなるのでしょうか・・・)。日本国の大手企業のみならず、後継者不足に見舞われている中小企業や小売店なども、手軽な買収の対象となりましょう。

 起業やスタートアップといった言葉は耳に心地よく響きますが、中国企業の日本拠点や犯罪組織のダミー企業であるリスクもあり、この懸念は、既にフェンタニル問題で現実のものとなっています。日本国並びに日本国民が直面している中国系ビジネスネットワークの脅威を目の当たりにしては、マスメディアが声高に叫ぶ‘排外主義’は、中国、そして、その背後に潜むグローバリストによる日本国の植民地化要求のようにも聞えてきます。しかも、同組織が、中国共産党と無縁のはずもありません。現実を見れば、排外主義として批判する人々こそ、正義の仮面を被った悪しき植民地主義者、あるいは、その協力者なのではないでしょうか。

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日本国の核武装-非難されるべきは核保有国では

2025年08月25日 08時51分34秒 | 国際政治
 ようやく日本国内でも、タブー状態を脱し、核武装の問題をオープンに議論できるようになりました。この流れの中で、ニューズウィーク日本版でも冷泉彰彦氏の記事が掲載されたのですが、同氏の基本的なスタンスは‘日本国の核武装絶対反対’のようです。

 反対理由として第一に挙げられていたのが、財政面での核武装コストです。ただし、同氏の見積もった多額の核武装コストは、核を既に保有している北朝鮮や英仏の現状と比較しますと‘水増し’である可能性が極めて高く、説得力のある根拠とは言えないようです。‘反対のための数字’の疑いもあるのですが、もう一つ、同氏が根拠としているのは、日本国の核武装が、現行の‘国際秩序を揺るがす’というものです。それでは、この日本国の核武装がNPT体制とPTBT体制を壊すという国際秩序派解説には、説得力があるのでしょうか。

 そもそも、現行の国際秩序は、何を差し置いても絶対に死守すべきものなのでしょうか。仮に、現在の国際秩序が完璧で既に理想郷の域に達しているのであれば、戦争などはなくなっているはずですし、核保有国が核兵器をもって非核保有国を威圧するはずもありません。何れの国も、平和と安全を享受しているはずなのです。ところが、現実を見ますと逆であり、むしろ、核兵器保有国と非核兵器保有国との間の、歴然とした軍事力並びに抑止力の差が、戦争を誘発しているとしか言いようがありません。ブタベスト覚書が空約束となったウクライナ戦争がこれを実証したに等しいのですが、現体制が抱える深刻な問題、否、NPTの目的と真逆の現実を目の前にしては、‘現体制を揺るがすな’と主張しても説得力は乏しくなります。むしろ、‘悪しき体制は揺るがすべき’とする見方もできます。‘正直者が馬鹿を見る’体制なのですから。

 実際に、NPTに対して違反行為を繰り返してきたのは、核保有国です。同条約で定められた核保国による核軍縮は殆ど無視されていますし、中国に至っては、アメリカに追い越せ追いつけとばかりに早いペースで核弾頭数を増やし続けています。既に、日本国に照準を合わせた核ミサイルを配備しているとする指摘もあるぐらいですから、核保有国による核の脅威は、日に日に増すばかりなのです。また、ウクライナ戦争は、ロシアには、戦略核であれ、戦術核であれ、将来に亘って核兵器を放棄するつもりはさらさらないことを見せつけています。核兵器は、同国の軍事戦略の基盤に不可分に組み込まれており、核兵器の保有のみならず、使用をも想定しているからです。北朝鮮の核保有に至っては、NPTに加盟した全ての諸国を愚弄していると言っても過言ではありません。何故ならば、加盟国の多くは、北朝鮮のような‘無法国家に核兵器を拡散させてはならない’とする説得に折れて、同条約に調印したのですから。

 北朝鮮の核開発や核戦力の増強をロシアが秘密裏に支援しているとしますと、これもまた、同国によるNPT違反となりましょう(ソ連邦崩壊後のウクライナ技術者が指導したとされますが、より早い段階から核開発を密かに進めていたのでは・・・)。NPT体制の発足以来、常に同条約に違反し、核兵器の独占状態を自国の利益のために最大限に利用してきたのは、他ならぬ核兵器保有国なのです。言い換えますと、同体制を‘揺るがしてきた’のは、北朝鮮や潜在的な脅威としてのイランを含めた核兵器保有国に他ならないのです。

 こうした現状にあって、NPTを誠実に遵守してきた諸国が、同体制の存在意義に疑問を抱くのは当然の反応です。非核保有国が騙されたかのような状態にあるのですから、日本国が核武装、即ち、核の抑止力による安全保障を訴えたとしても、国際社会が一斉に日本国を非難するとは思えません。核保有国からの反対はあったとしても・・・。冷泉氏は、日本国が「経済規模の大きな産業国として新たに核武装することの罪」として断罪される可能性に指摘し、国連レベルでの経済制裁が実施されるリスクに言及しておりますが、NPTは、同条約からの合法的な脱退を認めておりますし、ハードルとされる1988年に締結された日米原子力協定も、30年の有効期間が過ぎた今日では、6ヶ月前からの通告で終了することができます。

 NPT体制の欠陥は、日本国のみならず、全ての非核保有国が直面している安全保障上の共通のリスクです。日本国が、非核保有国が大多数を占める国際社会に対して核の抑止力の重要性と必要性を現実に即して丁寧に説明すれば、賛同の輪が広がるかも知れません。国際社会にあっても、同問題をタブーとせず、議論を尽くすべきなのです。そして、同問題に対して真に非難されるべきは、核の抑止力を求める非核保有国ではなく、核兵器独占し、NPT体制を悪用する核保有国なのではないでしょうか。断罪されるべきは核保有国なのであり、核武装に関する日本国批判は、筋違いではないかと思うのです。

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奇妙な日本国の核武装コストの計算

2025年08月22日 09時54分39秒 | 日本政治
 先日、8月20日のニューズウィーク日本版に「日本の核武装コストは、どのように計算すれば良いのか」と題する記事が掲載されました。作家にしてジャーナリストの冷泉彰彦氏による記事なのですが、日本国の核武装には、膨大なコストがかかるというのです。しかしながら、この見積もり計算、正しいのでしょうか?

 同氏は核武装のコストとして、およそ(1)財政負担としての費用、並びに、(2)国際社会からのマイナス反応の二つの側面から論じております。先ずもって、核兵器の開発・保有に要する費用なのですが、「初期費用が30兆円前後」かかり、「年間の維持運用の費用が5~7兆円」と見積もっています。現在の防衛費が凡そ9兆円ですので、コストパフォーマンスに優れているのかどうかについては、財政難にある中、慎重な‘政治的判断’を要するとしています。

 初期費用とされる30兆円も相当の額ですし(もっとも、日米関税合意における対米投資81兆円と比較すれば少額かも知れない・・・)、年間5から7兆円もの予算を割かなければならないとすれば、‘コスパが悪い’とする意見も現れることでしょう。しかしながら、核保有の是非を論じるに際して重要な判断材料となる同‘見積書’に誤りがあれば、結論も自ずと違ってくるはずです。そして、相当の高い可能性で、同見積書の計算には‘どんぶり’どころか、‘桶’ぐらいの不正確さがありそうなのです。

 このように考える根拠は、他の核保有国との比較にあります。先ずもって、秘密裏に核兵器の開発・保有に成功した北朝鮮を見ますと、同国のGDPは、凡そ2兆円から3兆円あまりであり、鳥取県や高知県の経済規模と同程度なそうです。世界ランキングでも、後ろから数えた方が遥かに早く、世界ランキングで177位(2021年)ともされます。仮に、先の核兵器の保有に年間5から7兆円を要するとしますと、北朝鮮の年間GDPの数字を超えてしまいます。つまり、上記の計算では、北朝鮮の核保有を説明できないのです。因みに、他のNPTの枠外の核保有国のGDPは、イスラエルが凡そ50兆円、インドが約350兆円、そして、パキスタンが1.5兆円程度です。何れも、GDPが凡そ500兆円とされる日本国と比較しますと、遥かに経済規模が小さな国々です。

 それでは、NPTにあって合法的な核保有国となる諸国はどうでしょうか。アメリカ、ロシア、並びに、中国については、保有する核弾頭数が桁違いですので、上記の予算ぐらいの費用はかかっているのでしょう。しかしながら、イギリスとフランスを見ますと、両国ともGDPは360兆円ほどであり、日本国の三分の二ほどに過ぎません。軍事費の対GDP比率も2.26%であり、日本国と大差はありません。イギリスの基本的な核戦略は、SLMB搭載の潜水艦を‘世界の海’に航行させるというものなのですが、地上や地下に大規模なミサイル発射基地を建設しなくとも、四方を海に囲まれ、かつ、潜水艦技術に長けた日本国も、同様の方法を採用することができるはずです。この点については、8月20日付けの日経新聞の第13面に「北朝鮮、海軍の核戦力拡大」という記事が掲載されておりました。同記事の内容は、北朝鮮が、建造を進めている新型駆逐艦からの核ミサイル発射を計画しているとも読み取れます。何れにしましても、海底や海上における移動式のスタイルは、低コストの核保有方法であるのかもしれません。

 アメリカと北朝鮮、並びに、インドとパキスタンとの間の核の‘相互抑止’、あるいは、‘核の均衡’を見ましても、核の抑止力が、軍事大国と軍事小国の間のみならず、経済大国と経済小国の間でも成り立ち得る事を示唆しています。そして、小国でも核の抑止力を持ち得るという事実が、核武装こそが、核保有国による一方的な攻撃リスクに晒され、持てる国の横暴に苦しめられている中小の非核保有国を救う道である、とする主張に説得力を与える根拠であるとも言えましょう。核保有の財政面でのコストについては、複数の選択肢を加える形で、再計算が必要なのではないかと思うのです(つづく)。


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石破首相の対ビル・ゲイツ810億円支出は権力濫用

2025年08月21日 11時33分31秒 | 日本政治
 8月19日、日本国の石破茂首相は、米マイクロソフト創業者として知られるビル・ゲイツ氏と会談し、「Gaviワクチンアライアンス」に対して今後5年間で最大810億円(5億5千万ドル)を支出する約束を交わしたと報じられております。「Gaviワクチンアライアンス」とは、「低所得国の予防接種率を向上させることにより、子どもたちの命と人々の健康を守ることを目的として、2000年にスイスで設立された官民連携パートナーシップ」であり、途上国支援の一環のようですが、日本国内では、批判並びに反対の声が上がっています。この一件にも、今日の日本国、否、国際社会が抱える問題が凝縮されています。

 最初に指摘し得ることは、同支援の約束は、首相による権力濫用、あるいは、越権行為となる点です。日本国憲法の第73条には、内閣の職務が列挙されていますが、対外政策については「2.外交関係を処理すること」、並びに、「3.条約を締結すること。但し、事前に、時期によっては事後に、国会の承認を経ることを必要とする」とあります。憲法は、内閣、即ち、首相に対して、自らの一存で、民間人に対して公的な約束を行なう権限を与えてはおりません。それが、たとえ政府の予備費や外為会計等からの支出であっても、権限そのものが存在していないのです。

 それでもなおも、日本国政府が日本国の途上国支援政策として同金額を「Gaviワクチンクライアンス」に支出しようとするならば、ODA予算案に組み入れて国会に予算案として提出するのが、財政民主主義の原則に沿った手続きとなるはずです。世論の大反対の合唱を受ければ、野党各党から、‘ビル・ゲイツ予算’の削除の修正が求められることでしょう(目下、少数与党ですし、党議拘束を外せば、修正案が可決される可能性も高い・・・)。

 こうした首相や政府による権力濫用の問題は、今回が初めてではありません。近年、コロナ禍を機とした政府予備費の増額もあって、首相による公金のポケット・マネー化が目立ってきてはいたのですが、岸田前政権に至ると、国民が最早看過し得ないレベルに達しています。先日も、赤沢経済再生相が、アメリカとの関税交渉において合意文書を作成することなく凡そ81兆円(5500万ドル)という巨額の対米投資を約束しています。

 しかも、今般の石破首相とビル・ゲイツ氏との約束の場合、相手は民間人です。慈善事業を装いつつ、同氏が、ワクチン・ビジネスに多額の投資を行なってきたことはよく知られています。中国の武漢に始まり全人類を恐怖に陥れたコロナ禍に陰謀が指摘されるのも、それが、ワクチン・ビジネスが巨額の富を生み出すからです。拠出先とされる「Gaviワクチンアライアンス」も、‘官民連携パートナーシップ’とされ、さも民間企業が各国政府と協力して社会貢献を行なう国際組織のような外観なのですが、本当のところは、ワクチンを製造する民間企業が、各国政府を自らのビジネスに巻き込むための利益誘導組織なのかもしれません。

 加えて、特にmRNAワクチンについては、命に関わる深刻な健康被害も報告さており、ワクチンの効果についても副作用(副反応)についても、必ずしも科学的に立証されているわけでもありません。さらにはグローバリストによる‘人口削減計画’の存在まで疑われる現状にありますので、日本国政府が、「Gaviワクチンアライアンス」に資金を提供したとしても、必ずしもアフリカ諸国やアフリカの人々から感謝されるとも限らないのです(コロナワクチンについては、接種率の低いアフリカ諸国の方が、むしろ早くに終息している・・・)。

 結局、日本国は、グローバリストが‘グローバル’に構築してきた利益誘導の仕組みに取り込まれているのであり、同勢力が、各国においてトップに権限が集中するスタイルを求めるのも、各国トップの取り込みが全世界をコントロールするには好都合であるからなのでしょう。そして、勘の鋭ければ、対「Gaviワクチンアライアンス」の支援額と対米投資額との間の、‘5.5’という‘ぞろ目’の数字の、偶然の一致とは思えない共通性に気がつくはずです。

 今般の一件は、表面に僅かに頭を出した巨大な氷山の一角に過ぎないのですが、何れにしましても、国民が増税や重い社会保険料負担に苦しめられている中、首相や閣僚が、恣意的な‘ばらまき’を行なう現状は是正されるべきです。違憲性を問うという方法もありますので、今や首相並びに政府の権限を明確にすべき時が来ているとも言えましょう。

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政府のコンサルタント利用とグローバリズム

2025年08月20日 09時10分23秒 | 日本政治
 日経新聞の8月15日付けの一面に掲載された国際規格に関する記事は、グローバル・スタンダードの実態を暴いていたとも言えましょう。必ずしも最優秀のテクノロジーがそれを制するのではなく、マネー・パワー、即ち、各国の認証機関を買収し得る潤沢な資金を手にしている国や企業が勝者となるからです。ゆくゆく先は、「「中国標準2035」を掲げる中国の‘チャイナ・スタンダード’がグローバル・スタンダードを‘買い取る’未来も予測されるのですが、もう一つ、この記事は、重大な問題を提起しているように思えます。

 もう一つの問題とは、政府によるコンサルタント利用がもたらす重大なるリスクです。同記事では、‘経済安保に関わる政策助言を手がける’とされるオウルズコンサルティンググループによる政策説明を紹介しています。海外認証機関買収計画に関しては、同コンサルタントが政府に対して提言を行なった、即ち、真の政策提言者は同コンサルタントであるとは記されてはいませんが、おそらく、日本国政府に同政策を薦めたのは同コンサルタントであったのでしょう。因みに、同コンサルタントのホームページには、「官公庁や地方自治体向けの政策立案支援、各種調査事業の受託を行います。また、各種政策検討委員会における委員としての政策提言や、分野専門家としての情報提供も行っています。」とあります。

 政府が、より質が高く効果的な政策を実現するために、幅広く情報を収集したり、外部の関係者や機関に諮問することは、それが民意に添い、国家や国民の利益に資する限りにおいては理解に難くはありません。しかしながら、今日、日本国の政治において横行している政府による外部民間コンサルタント利用は、事実上の政治の‘アウトソーシング’と言っても過言ではありません。今日の日本国の政治では、民主主義の形骸化にも繋がりかねない重大な変化が静に進行しているとも言えましょう。

 かつて日本国が、‘経済は一流、政治は三流’と揶揄されながらも、戦後の復興期、並びに、高度成長時代を経て経済大国の地位に上り詰めたのは、官僚が優秀であったからとも指摘さています。政治家において政治的能力や知識に劣っていても、その欠落を、能力主義で採用された官僚達が補っていたことになります。民主的選挙を経て職に就くわけではないため、官僚主導型の政治に対する批判はあったものの、国家公務員は、公職に就くに際して服務の宣誓が義務付けられています。それは、「私は、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき責務を深く自覚し、日本国憲法を遵守し、並びに法令及び上司の職務上の命令に従い、不偏不党かつ公正に職務の遂行に当たることをかたく誓います。」という宣誓文であり、官僚は、公平な立場から国家と国民のために働くとする民主的なスタンスは保たれているのです。

 しかしながら、近年、政治家サイドからの官僚主導型の政治への批判が高まり、官僚から政治家に政策決定権を取り戻そうとする主張が、民主主義の名の下で強まります。実際に、政治主導型への転換に向けた制度改革も行なわれ、この動きに合わせるかのように、官公庁の政策決定過程における影響力も削がれてゆくのです。一見、官僚主導型から政治主導型への移行は、民主主義の原則に叶っているように見えるのですが、同移行の結果、日本国の民主主義は進化並びに深化したのでしょうか。

 その答えは、否、のように思えます。与党の座を維持してきた自公政権は、グローバリストの傀儡政権となり、今般の参議院議員選挙では若干の変化が見られましたが、野党側もまた、与党と変わり映えのしない政策ばかりを並べているからです。そして、今日の惨憺たる政治状況の一端は、政府のコンサルタント利用の増加によって説明し得るのではないかと思うのです。日本国政府、並びに、政治家は、自らの思考力や政策立案能力を高めるのではなく、その能力不足を、民間コンサルタントを利用することでカバーしようとしたと推測されるからです。つまり、かつての官僚依存が外部民間コンサルタント依存に代わっただけなのです。

 この結果、民主主義を看板に政治主導の方向を目指しながら、その行き着く先は、真逆となりました。外部民間コンサルタントは、公務員のように国民全体の奉仕者でもなく、公共の利益のために働くのではなく、あくまでも私的利益の追求者です。外資系であれば、日本国の利益よりも、グローバリストに利益が転がり込む方向に日本国の政策を誘導することが、主たる目的となりましょう。また、上述したオウルズコンサルティンググループのような日本系のコンサルタントであっても、その主たる役割は、グローバリズム、否、マネー・ゲームのルールや戦略を日本国政府や地方自治体等に教え込む‘教育係’なのかもしれません。かつて官僚の出身母体となった東大法学部の卒業生の多くは、今日では、外資系コンサルタントに就職しておりますが、これでは、植民地において現地エリート若者達が、東インド会社に就職するようなものです。そして、日本国政府のみならず、民間の日本企業の多くも、経営をこれらのコンサルタントに依存しているとすれば、日本国は、政治も経済もグローバリズムに取り込まれて行くことになりましょう。

 政治主導型の政治を目指すならば、最初にすべきは政治家レベルアップであり、このプロセスを抜きにして制度改革を行ないますと、グローバリストによって‘権力の空白’を埋められてしまいます。本ブログでは、安全保障の分野にあって、日本国政府のIISS依存に疑問を投げかけましたが、政府が国民の声を無視し、日本国の政策権限が、実質的にグローバリスト系の外部民間コンサルタントに移っている現状は、日本国の民主主義の危機なのではないかと思うのです。

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グローバル・スタンダードの欺瞞

2025年08月19日 11時25分56秒 | 国際経済
 8月15日は、日本国では、終戦の日としてその長きに亘る歴史に刻まれています。その8月15日付けの日本経済新聞の1面に、大変、興味深い記事が掲載されておりました。実のところ、先の戦争とは全く関係ないのですが、グローバリズムの実体、並びに、日本国の今後に進むべき道を考えるに際して、重要な判断材料を提供しているように思えます。

 この問題の記事とは、「量子・AI 国際規格主導へ」というタイトルのものです。サブタイトルとして「政府 海外認証機関 買収後押し」が付してあります。同記事は、「政府は先端技術や製品規格を審査する国内の認証・試験機関による海外の認証機関の買収を後押しする。」から始まっており、日本国政府が、政府系ファンドが国内の認証機関に買収資金を融資する方針を示したとする内容です。融資機関としての政府系ファンドは、産業革新投資機構(JIC)が有力とされ、国内の認証機関としては、‘日本品質保証機構(JQA)などの関連団体’としています。本決まりではないようなのですが、既に国内の認証機関への聞き取りが開始されているそうです。

 量子コンピュータ、脱炭素、AIといった先端技術の分野では、その先端性故に未だにグローバル・スタンダードが確立しているわけではなく、日本国政府としては、先手必勝といわんばかりに、他国に先んじることでグローバル・スタンダードを征しようというのでしょう。この筋書きを読みますと、読者は思わず納得してしまうかもしれません。しかしながら、グローバリストや新自由主義者達が、自己弁護のために説明してきたグローバル・スタンダード確立プロセスを思い起こしますと、頭の上に大きな疑問符が付くこととなります。

 何故ならば、グローバリストや同系統の経済学者達による説明では、グローバル・スタンダードとは、国境を越えた企業間のテクノロジー競争の結果として成立するとされているからです。各国、各地域の企業の夫々が、新たなテクノロジーを開発し、これらのテクノロジー間の優劣を軸とした競争がグローバルレベルで展開される結果、自ずと最優秀のテクノロジーが唯一のグローバル・スタンダードとして生き残るというものです。つまり、最も優れた技術が、最終的にグローバル・スタンダードの栄冠を獲得するというプロセスなのです。

 ところが、同記事から読み取れるグローバル・スタンダード確立のプロセスは、テクノロジー間の優劣に基づく競争の結果ではありません。他国の認証機関の買収が手段であり、グローバル・‘スタンダードは、M&A、即ち、お金で買える’と言っているようなものなのです。このことは、資金力に勝る国がグローバル・スタンダードを獲得できることを意味します。

 日本国政府は、自国の資金力に自信があり、日本企業も自らの技術開発力を自負していますので、この点を問題視する必要はないとする意見もありましょう。しかしながら、当然に、技術力ではなく、マネーがグローバル・スタンダードを制すとなりますと、必ずしもグローバル・スタンダードが最も優れているわけではなく、消費者やユーザーは、半ば強制的に同技術を用いた製品を使わされてしまうこととなります。

 また、資金力の規模がグローバル・スタンダードの決定要因であれば、‘買い負ける’ということもあり得ます。日本品質保証機構自体は一般財団法人の形態ですが、2022年に無線通信機器の認証機関である株式会社ディーエスピーリサーチを子会社化しています。同子会社化は、政府系認証機関による自国企業の買収ですが、他国の認証機関や認証事業を手がける民間企業によって自国の認証事業を行なう企業が買収されるケースもあり得ることを示しています。実際に、同記事に因りますと、既に、民間企業であるスイスSGSが温暖化ガス排出量やサイバー・セキュリティーの分野で、フランスのビューロベリタスもAI分野で買収を開始しているそうです。ルクセンブルクに本社を置くユーロフィンに至っては、既に日本市場に参入しており、環境関連の分野で日本企業を買収しています。

 何れも必ずしも製造業に強みを持つ国ではありませんので、他国の認証企業の買収は、自国産業のグローバル・スタンダードの後押しではなく、別の目的があるのでしょう。全世界の認証企業を傘下にしたグローバル・スタンダード制定機関ともなれば、全ての企業に対して優越的なポジションの獲得できるのですから。

 そして、かの中国が参入してくれば、グローバル・スタンダードの買取競争は、資金力に勝る中国に有利に働くことでしょう。中国は、既に「「中国標準2035」を公表し、チャイナ・スタンダードのグローバル・スタンダート化を目指していますが、目標年の2035年に向けて、この動きはさらに活発化してくることでしょう。

 かくして、同記事から、グローバル・スタンダードというものの問題性が浮かび上がってくるのですが、マネー・パワーをコントロールすべく、効果的な対策が必要であることは言うまでもありません。認証制度については、国際レベルでの見直しを要するのです。そして、同記事を深読みしますと、もう一つの問題も見えてくるのです(つづく)。

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核の抑止力に関する徹底議論が重要

2025年08月18日 13時21分52秒 | 日本政治
 広島市に原子爆弾が投下された8月6日、被爆地では、毎年、平和記念式典が催されています。今年の平和記念式典では、核の抑止力を否定した湯崎英彦広島県知事のスピーチが関心を集めることとなりました。感動的なスピーチとして称賛を受けながらも、同知事の意図は、平和への祈りとは違うところにあるようにも思えます。核の抑止力に的を絞った積極的な否定論は、同スピーチの真の意図が、ウクライナ紛争を機に蓋が開いた観がある日本国の核武装論に対する牽制にあることを強く示唆しているからです。このため、ロジカルな主張を装いながら、どこか詭弁のようにも聞えてくるのです。

 先ずもって、湯崎知事は、核保有国による国際法や条約の遵守はフィクションに過ぎないとする見解から語り始めます。次いで、相手方、すなわち、‘核保有国が核による報復を怖れて同兵器の使用を思い留まる’とする、核武装論者の期待もフィクションとしています。核保有国による順法精神も、核保有国相互に働く理性的な抑止力も、何れもフィクションであるので、これをもって核武装論者は‘自己矛盾’に陥っていると言うのです。

 しかしながら、この二つのフィクション論は、核武装論者が自己矛盾に陥ってるのではなく、非核保有国が、二つのフィクションの崩壊に直面していることを意味しているのではないでしょうか。第一のフィクションは、NPTにおいて認められている核保有国が、核兵器を使用するはずがない、とするフィクションです。そして、今日、少なくともこの第一のフィクションは、ロシアの核戦略や戦術核の存在によって崩壊しており、加えて、イスラエルや北朝鮮と言った諸国の核保有国の存在も、核の先制使用の可能性を強く示唆しています。しかも、後者に至っては、もとより順法精神など期待できないのです(フィクションでもない・・・)。

 そこで、第一のフィクションが崩壊したからこそ、現実への対応策として第二のフィクションが登場したとも言えましょう。第二のフィクションとは、上述したように、核保有国は、核保有国に対して核を使用しないという、核抑止力のフィクションです。第一のフィクションは、現実によって完全とまではいかないまでも否定されており(現時点は、核兵器は使用されていないので・・・)、その後に残されたのは、核保有国と非核保有国との間の越えられない圧倒的な軍事力の差です。たとえ通常兵器によって勝利目前の状態にまで持ち込んだとしても、相手国が核保有国であれば、同兵器の使用によって戦局は容易に逆転されてしまうからです。ゲームのリバース(オセロー)で言えば、核保有国に四隅を押さえられた状態であり、非核保有国は、多大なる犠牲を払いつつ、負ける戦争を闘わされてしまうのです。日本国の場合は、日米同盟の下で提供されるアメリカの‘核の傘’を期待し得るものの、この頼りの傘もいざという時には開かないかもしれません。

 厳しい国際情勢に照らしますと核武装論は常識的な反応とも言えるのですが、同知事は、核武装論者が前提とするこのフィクション崩壊を指摘することで、核武装否定論の根拠を崩したと考えたようです。フィクション崩壊を前提とした核武装論者自身も、核の抑止力というフィクションに依存しているとして。つまり、第一のフィクションも第二のフィクションも、信じるに足りない点で同じであるとしたのです。同知事の説によりますと、核武装を選択しても、結局は核攻撃を受ける可能性があるのだから、‘非核保有国が核を保有しても無駄である’ということになります。確かに、核保有国が100%、核保有国を攻撃しないとする確証はありません。

 しかしながら、第一と第二のフィクションは、フィクション依存の問題として同列、同質に論じることができるのでしょうか。核保有国と非核保有国との立場の違いを考慮すれば、両者の間には、明確すぎるぐらいの差があります。何故ならば、核保有国と非核保有国との間に戦争が発生した場合、核攻撃のオプションを持ち得るのは、前者のみであるからです。言い換えますと、既に第一のフィクションは崩壊しているのですから、核保有国のみが、相手国が非核兵器国であろうとも、お構いなく核攻撃を実行することができる‘特権’を有しているのです。となりますと、非核保有国は、‘座して死を待つ’という状況に置かれてしまいます。

 ‘座して死を待つ’ぐらいであるならば、抑止の可能性が100%ではなく、たとえ相手国が理性の欠如した無法国家であったとしても、核武装した方が‘まし’ということになりましょう。自国が核兵器を保有しようが、しまいが、相手国が核保有国である場合、核保有国のみが核使用の選択肢を持つという事実には変わりはないからです。このことは、第二のフィクションの崩壊によって核武装論者に自己矛盾が生じるわけではなく、第二のフィクションを認めた上での被爆リスク低減対策としての核武装論となりましょう(狂信的指導者が出現しない限り、抑止力は効果を発揮する・・・)。しかも、核抑止論は歴史の反証を受けているわけでもなく、フィクションの崩壊リスクが認識されるレベルに留まっているのです。
 
 このように考えますと、広島県知事のスピーチの詭弁性がどこにあるのか、分かってくるように思えます。もっとも、核の抑止力の有効性に関する議論を提起したという意味では、一石を投じたのかも知れません。それが知事の誘導方向とは逆に向かったとしても。現実を直視し、国家と国民の安全を第一として徹底的に議論を尽くせば、自ずと日本国の進むべき道は見えてくるのではないでしょうか。そして、この問題は、NPT体制の抜本的な見直し作業でもありますので、国際社会に提起されるべき重要問題であると思うのです。

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外国人問題とユダヤ人迫害との同一視は藪蛇では?

2025年08月15日 10時10分59秒 | 日本政治
 先の参議院議員選挙では、外国人問題が最大の争点であったと言っても過言ではないかも知れません。それほどまでに有権者の関心を惹きつけた背景には、急激な外国人人口の増加があるのですが、マスメディアや論壇からは、戦前のナチス・ドイツによるユダヤ人迫害の歴史的事例として取り上げ、今日の日本国における外国人に対する規制強化の方向性を危惧する声も聞かれます。しかしながら、ユダヤ人迫害との同一視は、今日の状況からしますと、むしろ、藪蛇になるのではないかと思うのです。

 確かに、ナチスが政権を掌握した時期におけるドイツでは、ヒトラーがユダヤ人迫害を扇動し、反ユダヤ主義を公言して憚らなかったことは確かです。近現代のみならず、中世以来、異教徒であったユダヤ人は、ロシアを含めたヨーロッパ全域にあって、公的権利を制限されるなどの差別、あるいは、異なる扱いを受けてもきました。その一方で、ユダヤ人が居住国に同化せずに独自のコミュニティーを保っていたり、ゲットーにあって集住していたのは、自らの信仰や生活習慣を維持するためであったともされています。必ずしも、一般の住民による差別や迫害の結果ではなく、コミュニティーの維持はユダヤ人自身も望んだことであったとされます。実際に、ゲットーが撤去された今日でも、ユダヤ人コミュニティーは、しっかりと維持されています。世界各地にチャイナ・タウンや華僑社会が見られるのも、中国人の自らのアイデンティティーや生活習慣等への強い固執や集住傾向を示しているとも言えましょう。

 しかも、ユダヤ人は、必ずしも不遇であったわけでもありません。宗教的な縛りがないため、高利貸しに従事したユダヤ人も多く、また、ディアスポラをもって全世界に拡散したため、富裕な貿易商人も少なくなかったのです。ユダヤ人が一般の人々から嫌われたのも、多額の献金をもって君主に取り入ることで、特別の保護を受けたためともされます(もっとも、しばしばユダヤ人は、君主から財産を吸い上げられたり、没収されたとも・・・)。ロスチャイルド家やシフ家などがよく知られていますが、今日にあっても、世界経済フォーラムの中枢を占めているのはユダヤ系財閥とされ、グローバルレベルで金融・産業界に君臨しています。マネー・パワーにあって世界最強の勢力とも言えましょう。

 その反面、ユダヤ人の多くは、麻薬密売をはじめ、所謂‘いかがわしい商売’と称されるビジネスの元締めともされており、貧困層のユダヤ人の多くは、こうした職業を生業としているとされます。都市の貧民街やスラム等にもユダヤ系が勢力を張っており、ユダヤ人社会とは、あたかもグローバリズムの縮図のように、大富豪と貧民との間で二極化されているのかもしれません。

 何れにしましても、ユダヤ人は、今日に至るまで、哀れで虐げられた弱者とは言いがたく、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害の背景には、第一次世界大戦の敗戦におけるハイパーインフレーション等によって、一般のドイツ人が土地、家屋、財産、職等を失い、生活が困窮する一方で、ユダヤ人の人々は、ドイツ人が手放した資産を買い漁るなど、経済パワーを伸張させたことに対する、ドイツ人の反感があったとされます。このため、ユダヤ人を事例として今日の外国人問題を捉えようとしますと、むしろ、否が応でも中国人事業者や中国資本の脅威が浮かび上がってきてしまうのです。

 実際に、東京都では、公共性の高い火葬事業が中国系資本による独占状態となっているため、様々な懸念と問題を引き起こしています。また、再生エネ事業等のインフラ部門でも中国資本の進出が見られ、国民の警戒心は高まるばかりです。中国企業が買収したり、大株主となった日本企業も数知れず、一般の日本国民は、規模に優るチャイナ・マネーを前にして、自国経済が中国経済に飲み込まれつつある様子を呆然として眺めているしかないのです。しかも、チャイナ・マネーのみならず、日本国に居住する中国人人口も急増しており、日本社会にける影響力も日に日に増してきています。

ユダヤ人は、アメリカの人口にあって僅か0.2%を占めるに過ぎませんが、金融や経済部門のみならず、政界、マスメディア、教育界などに隠然たる影響力を保持しており、アメリカの‘影の支配勢力’といっても過言ではありません。日本国内の中国人人口は、既に100万人に迫っていますので、日本国の‘影の支配勢力’となるには十分な数字です。もちろん、アメリカでは、過去も現在もナチスの如きユダヤ人迫害は起きておらず、ユダヤ系ネットワークのメンバーであることは、今では進学や就職にあって有利な条件なのでしょう。日本国にあっても、同様の中国系ネットワークが構築されれば、日本国に被さる目に見えない特権的な‘支配網’ともなりかねないのです(この支配網は、グローバリストの支支配網でもある・・・)。

 結局、常識や良識に還り、‘植民地化’を許す危険思想としてのグローバリズムから離れ、サービスであれ、マネーであれ、労働力であれ、国境における流入規制を強化するしか、上述した日本国の危機から免れることはできないのではないでしょうか。主権者である日本国民は、日本国政府に対して国境管理の強化こそ要請すべきではないかと思うのです。


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グローバリストは人を育てたくない

2025年08月14日 12時21分27秒 | 国際経済
 先日、ウェブに掲載されたニュースにあって、Z世代が大量解雇の危機にあるとする記事を発見しました。Z世代には、他の世代よりもデジタル社会に馴染んでおり、AIをも難なく使いこなすスマートな世代というイメージがあります。近い将来、グローバリストが‘グレート・リセット’を実現したとすれば、その住民にもっとも相応しい人々、というイメージがあるのですが、このデジタル社会の申し子とも言うべきZ世代が解雇の標的になっているというのですから、これは、一体、どうしたことなのでしょうか。

 同記事では、その理由として五つの原因を分析しています。(1)AIやロボット等の導入による「仕事の削減」、(2)金利上昇にともないキャッシュ志向に転じた投資家の圧力による「金融状況の変化」、(3)孤立化をもたらした「リモートワークの影響」、(4)自分らしさ等を大切にする「Z世代の働き方の価値観の違い」、そして、(5)「Z世代が持たれているイメージ」の五つなのですが、特に人事担当者が抱いている「扱いづらい」「すぐ辞める」といった(5)として挙げたZ世代のイメージが最大の要因としています。

 細かに原因を分析した上で、同記事は、Z世代の大量問題の解決策として、企業側は従来通りの方法では人材が育たないと認識する一方で、Z世代側も、自己の価値観に固執せず、‘広い視点で働き方を捉える力’を備えるべきとしています。当たり障りのない凡庸な解決策なのですが、企業側とZ世代が同提案に従って自己改革に努めたとしても、この問題がすんなりと解決するとは思えません。何故ならば、(5)、並びに、(4)を主因と見なして対策を実行したとしても、(1)、(2)、(3)の原因を取り除くことはできないからです。

 本当のところは、Z世代の問題は、起きるべくして起きたようにも思えます。何故ならば、一種のマッチポンプであるからです。解決策を見る限り、同記事は、(4)と(5)に主因を誘導しようとしていますが、大量解雇が行なわれる真の原因は、(1)、(2)、(3)にあり、(4)と(5)は、Z世代が同大量解雇の標的となり易い理由に過ぎません。この流れを簡潔に述べるならば、(2)でも指摘されている投資家達が、積極的に(1)のロボットやAIの開発の普及や(3)リモートワークの導入を推進した結果、これまでの一般的な仕事がこれらに代替されるようになったため、若手の採用が必要なくなった、ということなのかもしれません。若手の仕事は、比較的スキルが未熟でもこなせるレベルですので、むしろ情報量やデータ処理等に長けたロボットやAIの方が‘優秀な若手社員’となり得るのでしょう。

 Z世代は、生まれたときからデジタル機器に囲まれており、他の世代よりも、スマホをはじめとしたこれらの機器への依存度が高くなる傾向にあります。デジタル的な思考回路にも慣らされている分、自らの思考力を鍛える機会には恵まれていない世代とも言えます。そうであるからこそ、簡単にロボットやAIに仕事を取られてしまうのであり、採用する側からすれば、何人ものZ世代の若手を採用するよりも、スキルも高く、自分の力で考えることのできるベテランの人材を長期雇用したり、一台のAIを導入した方がコストパフォーマンスに優れているとする判断に傾いてしまうのでしょう。

 こうした現象を目の前にしますと、グローバリストが進めてきたデジタル社会の未来とは、‘人が育たない社会’、あるいは、‘誰も人を育てない社会’と言えるかも知れません。時間とコスト、並びに、教育や訓練といった労力を費やして人を育てる必要がなくなるからです。そして、こうした状態が長期化すれば、縮小再生産の状態となり、人類の知的劣化という惨事が待っているかも知れません。

 根気よく人を育てるよりも‘買えば良い’という発想は、グローバリストの政策の至る所に見られます。外国人問題にも、自国民を育てるよりも、マネーの力で海外から外国人を連れてくれば良い、というグローバリスト、並びに、その下僕となった各国政府の短絡的な考え方が現われています。そして、この発想の延長線上に、ロボットやAIの普及促進があり、Z世代の大量解雇があるのでしょう。ジョブ型雇用の導入も、Z世代に対して自己責任を押しつけ、‘自分は自分で育てるように’と突き放しているようにも聞えます。

 もちろん、人間に苦痛を与えたり、不足する仕事等については、ロボットやAIを活用すべきなのでしょうが、人が人を育てなくなった社会に未来があるとは思えません。Z世代が大量解雇される現実を前にして見直すべきは、グローバリスト達の極端な利己主義、並びに、他者や社会を路頭に迷わせても構わないとする、冷酷さなのではないでしょうか(かくも早急にAI導入やデジタル化を進める必要はあるのでしょうか・・・)。人類は、ホモサピエンスの名に相応しく、如何なる場所や組織にあっても人が人を大切に育て、物質的に豊かな生活のみならず、精神性をも成長させることができる社会を目指すべきではないかと思うのです。

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外国人性善・優秀説は信じられるのか?

2025年08月13日 11時33分39秒 | 日本政治
 先の参議院選挙において示された外国人問題の対策を強く求める世論の流れにあって、居丈高に批判するマスメディアは、民主主義に対する‘抵抗勢力’のようにも見えてきます。外国人に対する規制強化の声は、‘排外主義’や‘ポピュリズム’に変換され、あたかも日本国民が、悪しき迫害者に転落したと言わんばかりです。しかしながら、そもそも、外国人に対する批判を悪とし、外国人を皆善良で優秀と見なす、日本国政府やマスメディアの基本的な認識こそが間違いなのではないでしょうか。

 何れの国の人であれ、善人と悪人が入り交じっているのが現実です。日本国にあっても、日本人だけが皆悪人であり、外国人は全て善人であるはずもありません。逆に、日本人だけが全員善人でもありませんし、外国人の全てが悪人と言うこともないのでしょう。ただし、夫々の社会には倫理や道徳観において違いがありますので、一般の日本人の人々が、マフィアの活動が活発である、犯罪率が高い、犯罪許容傾向が強い国の出身者を警戒するのは、根拠のないことではありません。また、能力においても、何れの国の人であれ、優秀な人もいれば、能力に劣る人も混在しています。

 ところが、日本国政府のマスメディアの論調を見ますと、これは明らかに、外国人性善説、並びに、外国人優秀説を前提としているとしか言いようがありません。僅かでも日本人の間から外国人に対する批判が上がると、‘日本に在留している外国人は、日本に恩恵をもたらしている’として、決まって弁護するからです。岸田前首相に至っては、「留学生は日本の宝」とまで述べていますし、今年の2月には、インド人留学生を対象に年間300万円を支給する計画を公表しています。マスメディアが、‘外国人優遇はない’と言い張ったとしても、事実は、それが虚偽であることを示しているのです。

 日本国から優遇措置を受ければ、支援を受けた外国人は、恩義を感じて、将来、日本国に貢献すると考えるのは、外国人性善説や優秀説に基づく、日本国政府やマスメディアの一方的な思い込みです。あるいは、グローバリストが進める移民政策の口実に過ぎないのでしょう。しかも、日本国への貢献が、日本企業に就職し、そこで働くことを意味していたとしても、必ずしも日本人の利益になるとは限りません。一般の日本人の就職の機会が減り、自国企業であっても就職は狭き門となりますし、入社後でも、昇進等をめぐってライバル関係となるかもしれません(株主であるグローバリストにとっては、外国人採用の方が利益になる・・・)。日本企業では、しばしば出身大学による派閥が形成され、‘社内闘争’が問題視されていますが、今後は、外国人の間で派閥が形成され、出世コースのポストを独占すると言った事態も予測されましょう(日本人社員が排斥される可能性も・・・)。

 また、先日、英語能力試験「TOEIC」による不正受験が発覚しましたが、同事件は、中国人カンニング事業者が乱立する一方で、躊躇することなく不正受験ビジネスを利用している中国人学生の存在を浮き彫りにしています。こうしたカンニング事業者が、経営管理ビザや起業ビザを取得しているとすれば、外国人事業者の増加は明らかに日本社会を腐敗させていますし、在留資格を認定した日本国政府の責任も問われましょう。東大職員による200名にも登る中国人留学生の入学斡旋事件にも、言葉を失うばかりです。カンニングビジネスや不正な裏口入学を利用する中国人受験生は、日本国の試験の公平性を損ねているのです。お金で点数や合格を買えるというメンタリティーが日本人学生の間にも広がれば、日本人の精神性をも堕落させてゆくことでしょう。

 東大や有名大学の偽卒業証明書も、中国での就職が有利となるとする理由で販売されており(卒業証書偽造ビジネスも日本国内に持ち込まれている・・・)、これらの事例は、正規のルートで日本国の大学に留学している中国人学生の大半も、自分自身の将来にとりまして有利であるから留学していることを示唆しています。日本国政府は、一度、卒業後の中国人留学生の進路について調査を行ない、その結果を公表すべきなのですが、上述したように、出身国で就職するにせよ、日本国内に職を得るにせよ、一般の日本国民にとりましてはマイナス面の方が上回っているとしか言い様がないのです。

 移民推進は、グローバリストが世界大で進めてきた政策ですので、日本国内にあっても外国人の増加で利益を得るのは、アクティビストでもあるグローバリストのみなのでしょう。外国人が少数である内は、外国人性善説も優秀説もそれなりに通用したのですが、外国人人口の急激な増加は、事実と実態をもってこの‘神話’を崩壊させています。直面する問題を適切に解決するためには、それを阻害する刷り込まれた固定概念や、事実とは異なる誤った前提から見直すべきではないかと思うのです。


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在留資格緩和の破壊力

2025年08月12日 10時26分10秒 | 日本政治
 先の参議院選挙における参政党の躍進は、日本国内において深刻化の一途を辿っている外国人問題に一石を投じることとなりました。否、既に水面下では多くの国民に対策の必要性が認識されていたものの、‘強行突破’を目指す日本国政府が無視を決め込んでいた、隠れた大問題であったとも言えましょう。その一方で、参政党が「日本人ファースト」を掲げて選挙戦を闘ったために、多文化共生主義を是とするマスメディア側の拒絶反応も激しく、社会的な分断を招く危険な兆候として、日夜、流れを変えるべく世論に訴えています。ところが、この努力も虚しく、マスメディア側の批判がエスカレートすればするほどに、逆効果の指摘を受ける始末なのです。

 それでは、何故、政府やマスメディアの主張は、国民の理解を得ることができないのでしょうか。おそらく、その理由は、多文化共生主義という主義主張そのものが、社会的な分断並びに対立のリスクを内包しているからなのでしょう。つまり、社会の分断の真の原因は、‘上から’押しつけられた多文化共生主義にあるにも拘わらず、この原因たる多文化共生主義を批判すると、許さざる多文化共生主義の否定者として、頭から糾弾の声を浴びせるのです。冷静になってみてみますと、これは、政府やマスメディア側の自己矛盾、さらには‘狂信’と言わざるを得ないのです。

 この自己矛盾は、在留資格の緩和がもたらす社会的影響を見ますと一目瞭然です。近年の要件緩和措置により、今では、経営管理ビザについては、500万円以上の出資、または2人以上の常勤職員の雇用の要件を満たすだけで、容易に在留資格を取得することができます。スタートアップビザに至っては、これらの出資金や常勤職員の雇用も不要であり、独立した事業所の確保も要件とはされてはいません。このことは、これらの経済的な要件さえ満たせば、日本語を話せなくとも、日本人の慣習や常識を知らなくとも、日本国内に外国人が居住し得ることを意味します。

 言語とは、コミュニケーションの手段であり、それ故に強力なコミュニティー形成力を持ちますので、言語を共有しない人々の出現は、社会的な分裂を招く要因となることは疑い得ません。日本国内では、上述した在留資格の緩和により在日中国人の数が急増しており、日本国内にあって、既に独自の中国人コミュニティーやネットワークを形成しています。上記の要件さえ満たし、入国管理法に基づいて合法的に日本国に居住する中国人は、必ずしも日本人社会に溶け込んだり、馴染む必要はないのです。中国語を話す中国人コミュニティーに属していれば、難なく生活を送ることができるのですから。事業者としての日本国内での経済活動も、中国との貿易や中国本国における事業の出先機関である場合も少なくないはずです。あるいは、米価高騰の原因として‘中国人転売ヤー’の介在が問題視されましたが、その多くは、転売と言った市場参入が容易で、マネー・パワーがものを言う中間マージン的な事業を生業とするかもしれません。

 このような状態が長期的に続きますと、日本国内における中国人コミュニティーはさらに肥大化し、一種の‘国家内国家’としてその存在感を増してゆくことでしょう(日本国の政治家に対しても、積極的にロビー活動を行なうはず・・・)。また、中国人事業者の多くが、消費者の利益よりも自らの利益のみを追求し、一般日本人から如何に利益を吸い上げるか、ということばかりに関心を向けて事業を行なえば、当然に、中国人事業者のイメージは悪化します。また、中国人コミュニティーにおいて独自の流通・販売ルートを構築し(中国本国ともリンケージしているかもしれない・・・)、安値多売のビジネスを始めれば、日本企業や日本人事業者は、価格競争に敗れて廃業に追い込まれることでしょう。

 やがて中国人コミュニティーのみならず、出身国別に様々な外国人コミュニティーが形成されましょうから、日本国内の社会は細分化され、それが目に見えないものであれ、マスメディアが批判する‘分断線’が現れることでしょう。この場に及んでも、マスメディアは、相互理解をもって多文化共生主義を押しつけようとするのでしょうが、相互にコミュニケーション手段である言語を共有していないのですから、これは無理なお話となります。あるいは、十分に相手方の本音を理解したからこそ(日本国側が、外国人は日本国に貢献する存在と期待する一方で、当の外国人自身は、自分自身あるいは出身国の利益を優先していたり、背後に本国政府による‘日本乗っ取り’の意図が隠れているケースなど・・・)、むしろ対立や摩擦が深まる展開もあり得ないわけではないのです。

 日本国民の多くが政府やマスメディアが絶対善としてきた多文化共生主義の行く先やその欺瞞性に気がついたからこそ、今日、外国人問題の解決を政治に求めるようになったのではないでしょうか。今般の選挙で支持を集めた参政党については不透明な部分も多く(偽旗作戦を疑う冷静で懐疑的な姿勢は必要・・・)、今後の動向が注目されるところですが、マスメディアは、既に多文化共生主義という洗脳が解けてきている現実を受け止めるべきではないかと思うのです。

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対米81兆円投資の解釈不一致こそ最大の問題

2025年08月11日 10時11分10秒 | 国際経済
 日米関税合意における15%の関税率については、一先ずは、日米双方が、日本側の解釈、即ち、15%の上乗せではなく、下限一律15%の関税という解釈で一致したそうです(既存の税率が15%未満の品目は15%、15%以上の品目は相互関税の事実上の対象外・・・)。両国間での解釈の一致を見て日本国政府もひと安心なところなのでしょうが、真に深刻な解釈の不一致は、日本国側がアメリカ額に対して確約したとされる凡そ81兆円にも登る対米巨額投資なのではないでしょうか。

 日米関税合意に対する国民の不安感を払拭するために、対米交渉に当たった赤沢経済再生相は、国民への説明文書の作成を準備しているとも報じられております。しかしながら、15%関税の意味内容のみならず、対米投資に関してもアメリカ側との解釈を一致を見ないことには、膨大なページ数の説明文書を作成しても、日本側の解釈のみを記述したものに過ぎなくなります。これでは、国民が納得するはずもなく、先ずもって確認すべきは、そのスキーム全体を含めた対米投資81兆円の具体的な詳細ということになりましょう(確認後に、邦文英文併記で公表すべきでは・・・)。

 先日の赤沢虎正経済再生相の説明に因れば、投資収益をアメリカ側9、日本側1で分けるのは、凡そ81兆円の内、国際協力銀行の過去の投資実績を踏まえた1から2%に過ぎないそうです。その他の投資については日本企業の自主性に基づく民間主導の投資であり、直接的な政府や政府系金融機関の関与は想定していないかのような口繰りでした。しかしながら、アメリカ側の解釈は、これとは真逆と言っても過言ではありません。トランプ大統領の任期に当たる3年半の間に、日本側は政府主導で凡そ81兆円の資金をアメリカ側に対して無条件で提供し、同資金の使い道や個別の投資額等については、アメリカ大統領の裁量権に属すると理解されているからです。この解釈の隔たりは、額が額だけに看過できません。対米貿易黒字は、年間9兆円とされていますが、アメリカ側の解釈に従えば、日本国は、同黒字額を遥かに超える額をアメリカに提供しなければならなくなりましょう(単純計算すれば、凡そ50兆円が対米経常赤字として計上される・・・)。

 この対米巨額投資については、アメリカの財務長官と商務長官の顔ぶれを見れば、グローバリストやウォール街の金融筋が背後で動いたことは、容易に推測されます。先ずもって、スコット・ベッセント財務長官の経歴には驚かされます。イエール大学卒業後に勤務した企業は、何れも富裕層向けの資産運用会社であり、ソロス・ファンド・マネジメントのロンドン事務所のパートナーに就任すると共に、最高投資責任者にも就任していたのですから。しかも、自らもヘッジ・ファンドを設立しており、筋金入りの金融人なのです。金融畑の経歴についてはハワード・ラトニック商務長官も負けず劣らずす。同氏は、ユダヤ系でもあるのですが、大学卒業後に円と米ドルとの為替トレーダーとして出発したそうなのです。その後、B・ジェラルド・キャンターの知己を得てキャンター・フィッツジェラルドに入社し、1991年には社長兼CEOに就任しています。因みに、同社は早くより日本国の証券市場に参入しており、2004年9月には、キャンター・フィッツジェラルド証券会社東京支店が法令違反を問われて行政処分を受けています。こうした経歴からしますと、ラトニック商務長官は日本国との間に浅からぬ‘悪縁’がありそうなのですが、赤沢長官曰く、同長官は、同時多発テロで被害に遭った自社社員の家族を支援しつつ、自ら個人資産2500億ドルを築いた大富豪とのことです。さらに怪しいのは、利益相反が指摘されている同氏と中国との関係です。中国企業の米市場での上場を支援したのは、同氏が率いるキャンター・フィッツジェラルドというのですから。

 両長官の経歴からすれば、凡そ81兆円とされる対米投資にも、巨大な金融グループ、あるいは、これらの‘投資家’個人に利益が還元される仕組みが組み込まれていることでしょう。日本国民が細心の注意を払って警戒すべきは、日本国の政府系金融機関が発行する政府保証付きのドル建公債の引き受けなのでしょうが、その他にも、金融界の専門家にしか知られていない迂回的なルートがあるのかも知れません(関税率や巨額対米投資の情報を株価操作や空売り等に利用・・・)。

 赤沢経済再生相は、ベッセント財務長官を「ベッちゃん」、ラトニック商務長官を「ラトちゃん」と親しげに呼んでいますが、この親密さは、日本国政府がグローバリスト政権と化してしまった今日、同大臣も、グローバリストに手懐けられ、その利益のために働いているとする疑いを強めます(投資の利益は、グローバリストと日本国の政治家の間で9対1で分け合い、リスクと損失は、全額日本国民に負わせる?)。日米関税合意は、両長官の出身母体である金融界の思惑から理解すべきであり、ゆめゆめ日本国民が犠牲に供せられてはならないのではないでしょうか。日本国政府は、アメリカ側との間で巨額対米投資に関する解釈を一致させた上で、国民に改めてその是非を問うべきではないかと思うのです。

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