万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

政府による‘国民騙しのテクニック’-危ない‘移民政策’

2018-11-15 13:47:26 | 日本政治
2020年に開催が予定されている東京オリンピック・パラリンピックを誘致する際に凡そ6000億円と見積もられた経費は、今では、3兆円にも膨れ上がるとする指摘があります。誘致段階で当初から3兆円の額が示されていたとしたら、国民の多くは反対したことでしょう。そして、今般、国会で審議が始まった入国管理法改正案もまた、政府による‘国民騙しテクニック’が駆使されているような気配がいたします。

 第1の‘騙しのテクニック’は、最初の数字だけを小さく見積もる手法です。これは、上述したオリンピック誘致の際に使われた手法ですが、今般の入国管理法改正案についても、最初の1年間では3万3000人から最大4万7000人とする一方で、5年間では26万人から34万人としています。この数字は、1年経過後には、最大で凡そ年間7.5万人の外国人労働者を受け入れることを意味します。つまり、初年度とその後の4年間とでは受け入れ数に違いがあり、後者では数字が凡そ倍増しているのです。

 第2の手法は、一定の期間に限っては具体的な数字を挙げつつも、その後の長期的な展望については曖昧にしておくことです。野党側から同法案について具体的数字の提示を求められた政府側は、一先ずは業種別の数字を挙げたものの、それは、今後5年間に限定されています。つまり、5年を超えた長期的な受け入れ数や日本国の人口に占める外国人数の比率の変化等については、全く口をつぐんでいるのです。同法案の内容は、あまりに曖昧で杜撰であると指摘されておりますが、むしろ、5年の期間が経過した後に、なし崩し的な移民拡大が可能となるよう、意図的に‘空白’部分を広く残しておいたのかもしれません。つまり、上限とされている数字は5年間に限定されているのであり、この‘公約’の期間が過ぎれば、上限なるものは事実上撤廃されると考えられるのです。

 第3に、国民からの反対を乗り切るために、将来に期待を持たせる説明をする方法もあります。同法案には見直し条項も付されるとされておりますが、必ずしも、国民の望む方向に見直されるとは限りません。また、特定技能1号から2号への移行、並びに、永住資格や国籍取得の要件は厳しいとも説明されていますが、今日、一般永住資格者が中国出身者を中心に40万人を超えている現状からしますと、資格や国籍付与の審査が厳格であるとは思えません。

 第4の手法は、一つ、あるいは、一部だけ事実を混ぜ込むことです。政府は、14の分野をピック・アップして人手不足を強調していますが、少子高齢化の影響を強くいける介護や外国人観光客が激増した観光等を除いては根拠も数字も曖昧です(これらの分野でさえ、中国経済の減速等の影響を受けて変化するかもしれない…)。この手法は、マスメディア等でもしばしば利用されていますが、一般の国民は、僅かな事実の部分だけを見て虚偽が混じった全体を信じるように誘導されるのです。また、同政策によって恩恵を受ける一部の人々の意見を恰も全体の意見のように装い、他の国民に対して同調圧力をかけるのも、この手法の一種となります。

 第5の手法は、他の選択肢を封じてしまい、自らが示した既定路線しかないように見せかけることです。少子高齢化の問題については、将来的な人口減少を前提とし、量よりも質の高さを追求する経済への転換も可能です(高度化やAI、並びに、ロボットの利用や機械化も…)。しかしながら、政府は、人口減少=労働力不足=移民受け入れとする路線を一方的に敷いてしまい、その道を強引に国民に歩かせようとするのです。

 第6に指摘し得るのは、不都合な情報を隠してしまうことです。例えば、政府は、第一次産業といった外国労働者は単純労働者を必要とする分野に限られているかのように説明しています。しかしながら、14分野によく目を凝らしますと、素形材産業、産業機械製造業、電気・電子情報関連産業など、先端技術を要する製造業も含まれています。国民の注目を5分野に集めつつ、その影で、日本国の産業競争力に関わり、かつ、日本人の雇用問題にも波及する分野にも外国人労働者の受け入れを拡大させているのです。

 民主主義国家において観察される第7の手法とは、総選挙といった民意を問う手続きを省いてしまうというものです。今般の法案についても、年内成立を目指す背景には、選挙という民主主義の正当なプロセスを経ることなく、‘白紙委任’の状態で同政策を進めたい政府の思惑が透けて見えます。
 
 そして第8の手法、これこそ最大の騙しのテクニックとなるのですが、それは、真の目的を隠すことです。外国人数の増加は、諸外国の事例が示すように、不可逆的な影響を広範囲に亘って及ぼします。国民を構成する民族の人口比の変化は、社会全体に変化を迫りますので、一つ間違えますと、国家の融解(事実上の国家滅亡)、祖国喪失、文化破壊等を招きますので、看過できる問題ではありません。政府は、同法案に付随して多文化共生化を目指していますが、‘本丸’は、案外、こちらの方にあるのかもしれません。

 以上に、主要な‘騙しのテクニック’を列挙してみましたが、日本国政府には、マキャベッリをも超える悪の指南師でも付いているのでしょうか。それとも、巧妙に隠してきた‘正体’がばれてしまったのでしょうか。日本国民も、そろそろ、政府は常に国民に優しく、国民に対して誠実であるとする‘政府性善説’を疑っても良い、あるいは、疑うべきなのではないかと思うのです。

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日本国政府は’隠れた植民地主義’の協力者か?

2018-11-14 13:42:15 | 日本政治
自公 外国人材の受け入れ拡大法案“会期内の成立目指す”
近代史とは、科学技術が目覚ましい発展を遂げた輝かしい時代であると同時に、アジア・アフリカにあっては、戦争や内戦の果てに植民地支配が蔓延った禍の時代でもありました。そして、鮮明なまでにコントラストを為すこの光と影は、現代という時代にもくっきりと映し出されているように思えます。

 日本国政府は、何としても年内に入国管理法改正案を成立させたい意向のようです。本法案には、‘日本消滅’のリスクが潜んでいるにも拘わらず、政府の説明はあまりにも曖昧であり、到底国民が納得し得るレベルには達していません。そもそも、政府は、来年度で60万人、5年間で130万人から135万人の人手不足を見積っていますが、その算出方法は不明です。過去のデータとは異なり、将来予測の数値は恣意的に操作できますし、全国津々浦々の全ての事業者に対して調査を実施した形跡もありませんので、所謂‘どんぶり勘定’である可能性も高く、信頼を置くことができません。当然に、この数字を基準として算出された、来年度で3万3000人から最大4万7000人、5年間で26万人から34万人とされる外国人労働者の受け入れ数もまた怪しいのです。

しかも、政府は、農業、介護、建設、造船、観光の5分野において特に人手不足が著しいと主張していますが、上記の数字には、どの分野でどれだけの人手が不足し、かつ、受け入れが予定されているのか、業種別の詳細も明らかにされていません。さらに14分野への拡大を予定しているとも報じられていますが、9分野を足すと受け入れ数はさらに増えるのでしょうか。また、不足数と受け入れ予定数との間には相当のギャップがあり、上限まで受け入れたとしても、数字だけをみれば‘焼け石に水’です。となりますと、政府は、‘後出しじゃんけん’のように、事業者から‘要望がある’の一点張りで‘分野規制’をも撤廃するつもりなのでしょうか。また、新在留資格の創設後も温存される外国人実習生制度や高度専門職制度によって入国する外国人数も加われば、在日外国人の数は相当数に上るはずです。これらの制度には上限が設定されていないため、国民が知らぬ間に、既に在日外国人数は256万人にも膨れ上がっております。

加えて、肝心要となる外国人労働者の具体的な出身国の国名についても、日本国政府は、国民に対して正直に語ろうとはしていません。特に注目されるのは、既に募集が始まったとする情報もある中国の動向です。今や、73万人もの数の中国人が日本国に居住しており、永住者にあっても最多勢力となりました。政府は、敢えて出身国の具体名を伏せ、曖昧にしておくことで、世論の反対を抑えようとしているのかもしれません。事業者による直接雇用が望ましいとは説明しているものの、派遣事業者の仲介もあり得るとしておりますが、法案成立を見越して水面下では、これらの業者は既に諸外国で活動を開始していることでしょう(再生エネ法成立時にあっても、法案成立に先立って、ソフトバンク等の事業者は用地買収に動いていた…)。少なくとも、政府は、国民に対する説明責任を果たすべきであり、出身国名、国別外国人労働者数、派遣事業者名、雇用企業名などの情報公開もその一つとなりましょう。

本法案は、あらゆる側面において隠し事が多く、その理由が、国民に対する‘リスク隠し’であるとしますと、日本国政府による日本国民に対する背信行為と言わざるを得ません。現代とは、理想郷に向かうように見えながら、その実、野蛮な世界へと逆戻りする逆さ鏡の世界のようです。近代における植民地支配の一般的な手法が、標的と定めた国の内部に事前に念入りに不和の種を播き、やがて内部に対立を引き起こした上で、一方に味方して権力を掌握する、あるいは、抵抗力を削ぐというものであった点を踏まえますと、今般の日本国政府の動きは、まさに現代に蘇った植民地主義の片棒を担いでいるように見えてならないのです。

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‘移民は弱者のマイノリティー’とは限らない

2018-11-13 15:24:21 | 日本政治
外国人材の受け入れ拡大 5年間で最大34万人を想定
 今般、国会での審議が始まった入国管理法改正案は、政府が懸命に否定するにも拘わらず、その内容からして移民政策としか考えられず、多くの国民に不安を与えております。そして、移民政策に関して盲点があるとすれば、その一つは、‘移民は弱者のマイノリティー’という固定概念なのではないかと思うのです。

 移民政策については、常々主張されるのは、移民は受け入れ国の国民に比して立場の弱いマイノリティーとなるから、手厚く保護すべき、と言うものです。その前提には、‘少数派は多数派から迫害を受けるもの’とする一般的な認識があります。しかしながら、この固定観念、概念は必ずしも全てのケースに当て嵌るわけではなく、少数派が多数派の迫害者となる事例も枚挙に遑がありません。異民族に征服されたり、植民地化された国や地域では、少数の強者によって支配されますので、人類史には‘多数派が少数派から迫害を受ける’逆の事例も前者に負けず劣らず多いのです。つまり、少数派と多数派との関係は、数に加えて、軍事力、政治力、経済力、国民性、文化や科学技術のレベル、あるいは詐術的手法・悪用も含めた知力といった様々な要素によって変化するのです。

 加えて、一国を枠組みとした少数派と多数派の比率は、広域的、あるいは、世界全体から見た比率とは一致しません。例えば、日本国に在住する中国系の住民は、日本国内の人口を基準とすれば確かにマイノリティーですが、全世界を基準にして比較しますと、13億を擁する中国の人口は日本国の人口の凡そ10倍ですので、圧倒的に中国人の人口が上回ります(その他にも、無国籍児や海外華僑の数も膨大…)。アジアでは、中国の他にも、インドやインドネシアなど既に人口で日本国を越える国が少なくなく、朝鮮半島の南北両国も合計すれば凡そ7600万人ほどを数えます。さらに、東南アジア諸国では人口増加傾向が続いており、既に1億人を越えるフィリピンに加え、ベトナムも、近い将来1億人に達することが予測されています。出生率を考慮すれば、今後とも、世界全体から見た‘日本人のマイノリティー化’はさらに進行することでしょう。ヨーロッパ諸国が、特にイスラム系住民に対して警戒心を抱くのも、その出身国である中近東諸国の全イスラム教徒の人口数とその高い出世率を考慮すれば、必ずしも少数派とは言えない側面があるからなのかもしれません(しかも、イスラム勢力と激しく闘ってきた歴史がある…)。

 少数者と多数者との関係の相対性を考慮しますと、今般の入国管理法改正案に潜むリスクも見えてきます。日本国政府が、外国人労働者受け入れ拡大の整備方針として示す多文化共生主義の原則も、少数者保護の立場から説明されていますが、外国人労働者、あるいは、将来的に定住化すると予測される移民の人々は、必ずしも、弱者、かつ、マイノリティーとなるとは限らないのです。外国人労働者の出身国が強大な国力を備えた人口大国である場合には、移民の側が‘少数の強者’となる可能性は格段に高まります。

かつて、内閣府は、2110年を目途に‘6000万人移民案’を公表しましたが、日本国の人口の約半数にあたるこの数字も、中国の余剰人口からすれば容易に達成できる数字です。同国には、華僑ネットワークが既に全世界規模で存在しておりますので、日本国は、瞬く間に中華圏に組み込まれてしまうことでしょう。しかも、本国の中国共産党政権が強大な軍事力を背景に周辺諸国を恫喝し、覇権主義を唱えているとなりますと、日本国の主権国家としての独立さえ危うくなります。入国管理法改正案はダムの壁に生じた小さな亀裂であり、ダムから漏れ出た僅かな水がやがて激流となって、日本国という国家の決壊にまで繋がりかねないのではないかと懸念するのです。

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移民政策と植民地主義の共通点-日本国も危ない

2018-11-12 13:55:57 | 日本政治
外国人受け入れ容認14.6%=人口減少、半数以上「感じる」―時事世論調査
今般、政府から提出された入国管理法改正案は、特定技能2号の設置により外国人労働者の定住化をも視野に入れ、さらに多文化共生主義の元での地域受け入れ態勢の整備をもセットとしているため、事実上の移民政策とする評があります。先進国におけるグローバリズムに伴う移民問題の発生は近年来の出来事であるため、同問題は現代社会が抱える固有の問題の一つと見なされがちですが、人類史を俯瞰しますと、人の移動は戦争や内戦、あるいは、奴隷制度など様々な禍の元凶ともなってきました。

 アジア・アフリカにおいて植民地化された歴史を有する諸国を見ましても、人為的な人の移動は今日に至るまで癒しがたい傷跡を残しています。例えば、昨今、国際社会の関心を集めているミャンマーのロヒンギャ問題の背景には、英東インド会社による同地帯の支配があり、同社から領土を引き継いだ大英帝国の負の遺産とも言えます。歴史的経緯からすれば、ミャンマーを追われたロヒンギャの帰還先も、出身地であるバングラディッシュとする見方もできるわけですので、国際社会がロヒンギャの人々はミャンマーに‘帰還’すべきと決めつけ、ミャンマー政府を一方的に批判するのは、どこか不条理なようにも思えます(既に東インド会社は解散しており、真の責任者は常に歴史の背後に隠れているという問題もある…)。

ミャンマーよりも深刻な問題を抱えたのは南太平洋のミニ国家の一国であるフィジーです。同国では、英領時代にあって、砂糖プランテーションの契約労働力としてインドから労働者が強制的に送り込まれました。この結果、インド系住民の人口の増加によりフィジー系が56.8%、インド系が37.5%となり(2007年時統計)、1995年には初のインド系首相も誕生しています。現在では、フィジー系とインド系との融合も進んでいるとはされますが、外部からのインド系住民の流入により、フィジー島の社会が大きく変質せざるを得なくなったのは否定し難い事実です。

上記の二つの事例は、移民側も受け入れ側も双方とも植民地の住民であり、東インド会社、あるいは、宗主国が、現地社会の混乱や負担、並びに、長期的な影響を全く考慮せず、経営者、あるいは、統治者の立場から、支配地の人々を人為的に移動させた結果として発生した問題です。こうした問題は、両国に限らず、植民地支配を受けた諸国に共通してみられ、移住させられた側に‘侵略’の意識はなくとも、異質なものに対する本能的な警戒心や拒絶感から、現地住民との間に軋轢や対立が生じてしまうのです。植民地支配の罪深さは、その経済優先主義による植民地社会の破壊と混乱にあり、入国管理権を失った側は、絶え間ない外部からの人の移入というリスクに晒され続けるのです。

そして、今日、こうした傲慢な植民地主義が、グローバリズムという‘美名’をもって再び全世界を闊歩しているように見えます。かつての植民地主義程には露骨ではなく、外国人労働者の移住に強制力を伴うものではないにせよ、経済的目的を全てに優先させ、受け入れ国社会の負の影響を無視して人を移動させようとしているからです。東インド会社の如くに世界大でのビジネス拡大を目指す民間企業であれ、余剰人口を覇権主義的戦略に利用したい中国のような国家であれ、‘グローバリズム’は、移民政策、否、世界規模での移転を伴う‘人材利用’を推進するための格好の口実となっているのです。なお、周辺の諸民族を支配したソ連邦も、統制経済の下で‘計画的’に領域内の民族を定住地とは異なる他の土地に強制的に移住させたことで知られています(共産主義も新自由主義も、そのサイコパス的、かつ、合理的冷酷さにおいて共通点がある…)。

このように考えますと、日本国の入国管理法改正案も、新たな植民地主義の顕れなのかもしれません。そもそも、同法案の発案者が日本国の政治家であったのかさえ不明です(年内成立は外国、あるいは、国際組織から命じられたミッション、あるいは、密約?)。人手不足を根拠としている点は経済利益優先であり(農地集約化が進む中での農業分野での外国人労働者の受け入れ拡大もプランテーション化の徴候か…)、また、日本社会における長期的なマイナス影響を無視している点も、植民地主義と共通しています。現代という時代は、近代にあって宗主国の地位を得ていた欧米諸国も、体よく‘植民地’にされている時代なのかもしれません。

あまりに多くの問題とリスクを含むため、与党からも疑問の声が上がり、国会の審議にあっても紛糾が予測されるため、同法案が国会ですんなりと可決されるかどうかは不透明です。今であれば、将来における移民問題の発生を未然に防ぐことができます。欧米諸国にあって反移民・難民の世論が勢いづく中、本法案は廃案とし、これを機に、人類史を踏まえた上で移民政策を抜本的に考え直してみるべきなのではないでしょうか。

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日中間の農産物貿易拡大は最悪のトレード

2018-11-11 11:25:50 | 国際政治
日韓と農産品貿易を倍増=中国担当相が表明―北京
中国の首都北京では、11月10日に日中韓の三か国による農相会合が開かれたそうです。同会合において、中国の韓長賦農業農村相は、「中国と日韓の農産品貿易額を今後10年で倍増させて300億ドル(約3兆4000億円)以上にしたい」とする希望を述べたそうです。しかしながら、この中国側の提案、日本国側からしますと最悪のトレードなのではないかと思うのです。

 中国側が農産物分野において日本国との貿易拡大を目指す背景には、激しさを増す米中貿易戦争があります。中国では、米国産大豆等の輸入減少により食料品価格が値上がりし、一般の国民の不満も高まっているそうです。日本の農産物は割高ですので、米国産の代替にはならないのですが、それでも購買力を有する富裕層向けには不足分を補うことはできるかもしれません。あるいは、将来的には、中国が、日本国に対してより安価な中国向け農産物の大規模生産を求めるといったシナリオもあり得ましょう。

また、品不足状態にある大豆に限らずとも、日本国産のくだものといった高級品は、その美味しさから中国でも人気が高いそうですので、日本国を中国のための食糧生産地として利用する思惑が透けて見えます。しかも、中国の土壌は長期に亘る劣悪な農地管理のために重金属等で汚染されているとされ、清潔な環境で丁寧に栽培されている日本産農産物は、その安全性からしても評価が高いのです。日中間の農産物の取引拡大で最も恩恵を受けるのは、共産党幹部といった都市部に住む一部の富裕な特権階級となりましょう。一方の日本国では、高級品は高値が付く中国へと輸出され、一般の日本国民の食卓には上らなくなります。しかも、13億の中国市場、あるいは、1億とも推定される中間所得者層を考慮すれば、輸出拡大により日本国内では品不足となり、食料品価格も上昇することでしょう。

 加えて、自由貿易推進の立場からの提案であったとしますと、日中両国は、農産物分野において関税率を引き下げたり、保護的制限を撤廃する方向で合意することとなります。価格競争力と生産量で優る中国側としては、対日関税引き下げによって農家は然程の打撃を受けませんが、劣位にある日本国の農家は(対中輸出向け生産農家を除く…)、安価な中国産の農産物の輸入拡大という脅威に晒されます。とりわけ日本国は人口減少の傾向にありますので、農産物市場の規模拡大も見込めない中、日本国内でのパイの取り合いとなりましょう(日本国内にあって中国でしか生産できない特産物は少ないため、多くの品目で競合関係に…)。中国の農産物の安全性の低さは日本の消費者には知られており、一般家庭での消費は中国側が期待するほどには伸びないでしょうが、安全性よりもコストを重視し、かつ、生産国の表示を義務付けられていない外食産業等では、中国産農産物を積極的に採用するかもしれません。かくして、日本国内では、食糧自給率の低下のみならず、安価な中国産農産物との競争に敗れて廃業に追い込まれる農家が出現すると共に、一般国民の食の安全も脅かされるのです。

 さらに、今般の入国管理法改正案では、農業が受け入れ対象分野の筆頭に挙がっている点も気に掛かるところです。既に‘嫁不足’から配偶者を中国から迎える農家も多く、かつ、今後は、農村での中国人定住者が増加するとしますと、長期的には、中国系住民が多数を占める自治体が出現するかもしれません。農業分野における民間企業参入に向けた規制緩和も、中国系企業に参入機会を開くことともなりましょうし、間接的な手法を用いて農地が取得されるケースも想定されます。あるいは、今般の農業分野での貿易拡大は、日本国の農業を自国に取り込みたい中国の対日戦略の一環なのかもしれません。

 以上に述べてきたように、日中間の農産物貿易の拡大は、中国国内の少数の富裕層と日本国内の少数の中国輸出向け生産農家との間ではウィン・ウィン関係が成立しますが、包括的に見れば、日本国の一般国民が‘負け組’となってしまうトレードです。中国産農産物の摂取量増加による健康へのマイナス影響、食料品価格の上昇、国産品の入手機会の減少、食の安全保障の低下など、負の部分を一身に背負わされてしまうのですから。今のところ、中国側の‘希望’的な提案として報じられておりますが、近年の日本国政府の‘海外ファースト’の傾向を見ますと、自国民にとりまして最悪のトレードを積極的に推進するのではないかと心配になるのです。

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外国企業の外国人労働者雇用による移民増加-入国管理法改正案の隠れたリスク

2018-11-10 14:06:30 | 日本政治
今般、国会に提出された入国管理法改正案は、成立すれば日本国全体に長期的、かつ、広範に亘る負の影響を及ぼすことが予測されます。同法の施行に伴う重大なリスクに関しては、十分な国民的な議論もないまま、日本国政府は、あくまでも年内成立を目指すようです。あたかも、時間的余裕を与えない奇襲作戦のように…。

 同法改正案の提出に際して、政府は、農業、介護、造船、観光、建設の5分野における深刻な人手不足を強調していましたが、その後、‘希望’が寄せられたとして、受け入れ分野を素形材産業、産業機械製造業、電気・電子情報関連産業といった先端産業分野を含む14にまで拡大させています。中小企業の人手不足も根拠とされていますが、これらの企業は日本企業に限定されるているわけではりません。

 先進国において移民数が増える最大の要因は、企業による外国人雇用です。EUからの離脱を決意したイギリスのケースでは、失業率が比較的高く、深刻な人手不足に苦しんでいたわけでもないにもかかわらず、企業は、労働コストの削減を目的に外国人労働者を積極的に雇用してきました。そして、こうした企業は、英国企業に限られてはいません。産業革命発祥の地でありながら、金融偏重の政策、並びに、グローバル化の煽りを受けて英国製造業は衰退の一途を辿り、同国の産業の主要プレーヤーは今や外国企業なのです。英国に製造拠点を設ける日本企業も少なくなく、その一つ、日産自動車の経営戦略を観察しますと、同法案成立後の日本国の未来の姿も朧気ながら浮かんできます。

 日産は、仏ルノーグループの一員であり、現在、同社のリストラに辣腕を振るったカルロス・ゴーン氏がトップを務める、押しも押されぬグローバル企業です(ゴーン氏自身、レバノン系ブラジル人を父にナイジェリア生まれのレバノン人を母としてブラジルに生まれ、フランスで教育を受けたまさにグローバリスト…)。1986年、同社は、欧州市場全域への輸出拠点としてイングランド北部の港湾都市サンダーランドに製造拠点を設けています。当時、サンダーランドは伝統産業であった造船業と鉱業の衰退に苦しみ、雇用状況も悪化していました。日産による自動車製造工場が建設は、同市が世界各国の企業の製造拠点が集積する産業都市として息を吹き返す契機ともなり、初期の段階では、日英双方のウィン・ウィン関係が成り立っていたのです。しかしながら、グルーバル化のさらなる進展と1993年における欧州市場の誕生もあり、同工場を始め、サンダーランドに進出した各国企業が雇う従業員は、必ずしもイギリス人のみではなくなっていったようです。パキスタンなどEU加盟国以外の外国出身者も多く、外国企業による外国人雇用という構図が見られるようになるのです。今日では、サンダーランドは全国的に見ても移民の比率が高い地域となり、それ故に、2016年6月に実施されたEU離脱を問う国民投票でも賛成率も高かったのです。そして、イギリスのEU離脱が決定されると、ゴーン氏は、同市からの工場撤退を示唆しつつ、イギリス政府に対して賠償を請求する声明を発表します。日産のみならず、既に英国内に製造拠点を構える他の外国企業も、グローバルレベルでの経営戦略の見直しを迫られることとなるのです。

サンダーランドの事例は、外国企業による外国人雇用の形態が、進出先国を振り回すリスクを示しています。仮に、ブレグジットに伴い、イギリス国内で外国企業に雇用されていた外国人が一斉に解雇された場合、一体、どのような事態が起きるのでしょうか。雇用側である外国企業は、別の国に工場を新設、あるいは、移転し、その地で新たに人員を採用すれば経営上の問題は解決します。その一方で、被雇用者となる外国人労働者本人、並びに、その家族が既に永住資格や国籍を取得している場合には国内の失業率は跳ね上がり、政府は大量に発生した移民系国民の失業対策に苦慮することとなりましょう。グローバル企業は、経営環境が変われば、臨機応変にグローバルレベルでのサプライチェーンの組み換え等を実行して対処できますが、雇用される側は、企業と共に移動するわけではありませんので、最悪の場合には、企業が去った後に移民問題だけが残されてしまう可能性もあるのです。実際に、2018年4月には、日産は、サンダーランドの工場において数百人規模の人員削減を発表しています。今般の削減理由はディーゼル車需要の縮小ですが、理由が何であれ、グローバル企業と国家や国民の利害は必ずしも常に一致するわけではないのです(自国企業の場合には、国内経済への配慮から外国人雇用率は比較的低くなるのでは…)。

 もっとも、日産は、これに先立つ2018年3月に、パキスタンでの生産再開を公表しています。もしかしますと、サンダーラド工場で雇用していたパキスタン人をその出身国に帰還させる予定なのかもしれませんが、外国の製造拠点で外国人労働者を呼び寄せて大量に雇用するよりは、現地に工場を建設した方が、移民問題の発生を防ぐ、あるいは、その深刻度を緩和することはできるのかもしれません。

 何れにしても、日本国政府は、移民問題に直面してきた諸外国の事例に学ぶべきです。そして、内外企業を同等の待遇を与える方向に法律が改正される傾向にあるからこそ、外国企業による外国人労働者の雇用の問題にも関心を払うべきなのではないでしょうか。近年、日本国内では、政府の旗振りの下で外国人による起業も増加しており、外国企業による外国人雇用の問題は他人事ではありません。初年度は4万人を見積もっても政府は外国人労働者数に上限を設けない方針ですので、中国系を含む外国企業による外国人雇用を含めれば、膨大な数の外国人労働者が流入してくるかもしれません。そして、何らかの外的要因で経済が変調をきたすようなことがあれば、それによる負の影響は、受け入れ国の政府と国民がすべて引き受けなければならないのです。このように考えますと、入国管理法の改正は、将来において予期せぬ危機を招きかねないのではないかと思うのです。

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‘コンス問題’から予測する多文化共生主義の行方

2018-11-09 10:55:00 | 社会
 しばらく前から日本国内では、女性の礼儀作法に関して‘コンス問題’なる文化摩擦が起きています。事の始まりは、メディアや一般企業等において、女性が両肘を張り、手先を伸ばしつつ両手を合わせるというスタイルが、‘正式の作法’として登場し始めたことによります。あれよあれよという間にスーパーマーケットやコンビニエンスストアなどにも広まり、古来の日本の礼儀作法を押しのけて、日本全国に拡散してしまったのです。

 しかもこの新スタイルの礼儀作法、その起源は、朝鮮半島の儒教文化に基づく礼儀作法にあるとする説が有力であり(儒教の発祥地は中国ですので、元の元を辿れば中国かもしれない…)、いわば、朝鮮、あるいは、韓国式の礼法です。「コンス」とカタカナ読みで称されるのも、同礼法が朝鮮半島ではハングルで‘コンス’と呼ばれているからです。言い換えますと、‘コンス問題’とは、日本国古来の伝統的な礼法が、朝鮮半島由来の新来の礼法に取って替られてしまった事例なのです。

 かくも急速にこうした儒教式の礼儀作法が日本国内で広がった理由としては、小笠原流の家元を詐称して名乗る朝鮮・韓国系の女性が日本古来の礼法であると嘯いて教えたとする説や、企業研修などに講師を派遣している日本プロトコール協会の会長が、何故か、韓国系の人物であったからとする説などがあります。正確なところは分からないのですが、あるいは、メディアを含む多数のチャンネルを介して一斉に‘コンス普及活動’が展開された結果なのかもしれません。何れにしても、伝統さえも権威として利用した‘上から’の普及戦略が読み取れるのですが、一般の日本人からしますと、‘コンス’が日本国の正式の礼法となることは、日本社会から自らが親しんできた伝統的な礼法が失われることを意味します。また、日本人同士でも、自国の伝統に従う人と’コンス’に変える人とに分かれますので、強力な社会的分断が生じます。

 そして、この‘コンス問題’こそ、多文化共生主義の未来を予測させるものはありません。何故ならば、程度の差こそあれ、礼儀作法を始め、慣習の多くは、有限の時空を枠組とする社会において広く通用する共通の行動様式でもありますので、‘多文化’が併存することは極めて困難な分野であるからです。‘コンス’に対して一般の日本人が強い違和感を覚える理由も、この点にあります。日常にあってお店で買い物をした一般の日本人は、店員の女性達から韓国・朝鮮式の礼法で挨拶されるのですから、日本国内にいながら、あたかも異国に来たような感覚を持つのです。結果として、日本社会が自らの文化空間を失う一方で、その場を異文化が占めてしまうのです。

 ‘コンス’の全国的な普及の背景には、在日韓国・朝鮮人の人々が多数居住し、社会的な影響力を及ぼしている現実がありますが、今般、入国管理法改正案が成立すれば、今後、朝鮮半島出身者のみならず、中国を含む様々な諸国の出身者の数も増え続けることでしょう。日本国政府は、多文化共生主義を基本に‘移民受け入れ政策’を推進する方針を示しており、‘コンス’と同様に、日本の固有文化は徐々に侵食され、正式な作法や礼法さえも外国由来となるかもしれません。イスラム教徒が増えれば各地にモスクも建設され、礼拝の時間ともなれば、コーランの声が街に響き渡ることでしょう(既に、‘除夜の鐘は騒音であるから廃止せよ’との声もある…)。政府が主導して特定の文化を抹殺すれば、ジェノサイドの構成要素の一つである民族的文化の抹殺行為として批判を浴びるのですが、移民政策の場合には、政府は多文化共生主義に潜む自国文化の排除という側面を巧妙に隠していますし、民間レベルでも一般国民の同調圧力を利用していますので、より悪質であるとも言えます。

 文化とは、特定の時間と空間を枠組みとして成り立ちますので、異文化同士がゼロ・サム関係とならざるを得ない分野が多数存在しています。この事実に目を瞑りますと、一国の内部にあって激しい‘文化闘争’が永遠に続く事態にもなりかねません。この点は、多民族国家よりも、一民族一国家の原則の下にある単一民族国家のほうがより深刻です。多文化共生主義の行き着く先を予測しながらも、日本国政府が移民推進の方針を掲げているとしますと、それは、一般の日本国民、並びに、日本文化に対する背信、あるいは、破壊的行為となるのではないかと思うのです。

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中間選挙結果は米国民のバランス感覚か

2018-11-08 14:02:33 | アメリカ
トランプ大統領「上院勝利は歴史的快挙」民主党に連携呼びかけ
昨日、11月18日、全世界の注目を集める中、米議会上下両院の議員を選出する中間選挙が行われました。開票結果を見ますと、上院は共和党、下院は民主党が過半数を制し、少なくとも今後2年間は、両院間のみならず、大統領と下院との間にも‘捩じれ状態’が続くこととなります。

 同選挙結果に関しては、共和党が下院で多数派の地位を失ったにも拘らず、トランプ大統領が‘大成功であった’とツウィートする一方で、熱心な民主党支持者や伝統的に民主党を支持してきたマスメディアも、手放しで勝利の美酒に酔いしれているようにも見えません。また、選挙結果に対する街頭インタヴューでは、民主党に対する積極的な支持というよりも、‘下院での民主党勝利の結果は、米市民のバランス感覚の結果では…’とする意見も少なくないのです。

 バランス感覚論とは、アメリカ政治において共和党が大統領、上院、下院の何れの統治機関をも単独で独占すると権力の暴走が起きやすくなるので、安全装置としての制御作用を働かせるために、下院は民主党優位の状態に敢えてバランスをとったというものです。アメリカの統治制度は、建国以来、相互制御の仕組み=チェック・アンド・バランスを組み込んで設計されていますので、今般の選挙は、米国民の多くがこの仕組みを利用したことになります。おそらく、上院選挙では共和党の候補者に一票を投じる一方で、下院選挙では民主党候補者を選択した有権者も少なくなかったことでしょう。

 第2に、バランス面から今般の選挙で注目される点は、女性議員数の急増です。民主党の当選者の中には、史上最年少にして中南米出身の女性やイスラム教徒の女性が当選を果たしており、いかにも多様性を志向する民主党好みの展開も見られました。その一方で、女性議員の増加は、今回の選挙結果が、マスメディアを始めとした伝統的な民主党支持層から歓迎を受けない理由の一つでもあるように思われます。何故ならば、女性は一般的に治安を重視する傾向にありますので、共和党であれ、民主党であれ、女性議員たちが、ホンジュラス等から押し寄せる大規模移民集団を無条件で受け入れるよう主張するとは思えないのです。つまり、民主党から選出された女性議員たちは、移民・難民政策に関しては、同じく民主党選出の男性議員たちよりも寛容ではないかもしれず、むしろ共和党と協力する可能性もあるのです。

また、当選した民主党女性議員の全員がマイノリティー出身者というわけではなく、白人系の女性達も少なくありません。ここに第3のバランス感覚が働いたとすれば、前回、共和党に投票した有権者も、民主党内の無制限の移民の容認などの極端で破壊的でもある政策を制御するために、あえて民主党の白人系女性候補者に投票したのかもしれません。テキサス州上院選での共和党現職のテッド・クルーズ氏の、オバマ前大統領の再来との呼び声の高かったベト・オルーク民主党候補者を破っての勝利は、民主党の男性議員にとっては不利な選挙戦であったことを示唆しています。つまり、共和党に対する外部からの制御と同時に、民主党に対する内部からの制御の働きをこれらの女性議員に期待したのかもしれません。いわば、二重の意味でバランスをとったとする見方もできるのです。

そして、第4のバランスとして指摘し得る点は、外政と内政との一種の‘棲み分け’です。アメリカの有権者は、対外政策に関する権限を有する大統領や上院に関しては、よりタカ派のポジションにある共和党に任せ、より全体に対するきめ細かな気配りや弱者への配慮を要する内政部門に関しては、民主党に期待したのかもしれません。もっとも、リベラルなグローバル志向の強い民主党が必ずしも米国民に‘やさしい’とは限らず、自国民軽視が前回の選挙戦での敗北の原因でもありました。

今般の選挙では1億人を越える米国民が投票所に足を運び、アメリカの政治史上、空前の選挙ともなりました。上記の分析が正しければ、国民の政治への関心の高まりは、バランス重視の方向へとアメリカ政治を導いたこととなります。とは申しますものの、バランスに配慮したつもりが制御作用のみが強まりますと、相互にデッドロック状態となり、統治機能が機能不全に陥るリスクもあります。中間選挙後のアメリカ政治の行方については、もうしばらく、慎重に様子を見てゆく必要があるように思えるのです。

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韓国の徴用工判決と多文化共生主義の問題

2018-11-07 13:40:17 | 国際政治
韓国外交省「日本、節度ない過剰な対応」 徴用工判決
先日、所謂‘徴用工問題’に対して韓国の最高裁判所が下した判決に対し、日本国内では、そのあまりにも非常識な内容に同国に対する怒りや批判の声が上がっております。その一方で、韓国側は、“我が国の国民感情を刺激する”として‘逆切れ’状態にあり、双方ともに譲る気配はありません。両国間の対立は、今般、一見、何らの関連性もなさそうに見える日本国政府が推進している事実上の移民政策についても、一石を投じているように思えます。何故ならば、‘文化’とは、時にして真っ向から対立するものであるからです。

 多文化共生主義に基づけば、地球上の全ての文化は平等であり、相互に対等なものとして扱われます。価値相対主義が原則ですので、それがその国の歴史や伝統に根差した固有の文化であっても、優越的な地位は認められないのです。ところが、文化とは、特定の民族集団が有限の時間と空間を枠組として形成してきたものですので、地球上の諸文化の間には相当の違いがあります。言語がその最たるものですが、こうした違いは、服飾文化、食文化、建築文化といった基本的な衣食住に関わる物質的な文化のみならず、礼儀や慣習、道徳・倫理観、家族観、美意識など、社会の隅々にまで及ぶのです。多文化共生主義が‘サラダ・ボール’と称され、一国の内部で出身国を異にする多様なマイノリティーのコミュニティーが併存する形態となるのは、文化の集団性に求めることができます。そしてそれは、文化の枠組を‘境界線’とする国家内部の制限のない細分化を意味するのです(既存の国民は居場所を狭められ、地球上の民族の数だけコミュニティーが形成され得る…)。

 政治文化や法文化もまた、文化の中の一つです。そして、今般の‘徴用工判決’こそ、日韓、そして、国際社会と韓国との間の政治や法における文化の違いを際立たせた事件はありません。何故ならば、韓国の文化では、法よりも感情が優先されることが明らかとなったからです。『魏志倭人伝』にも、「その法を犯すや、軽き者はその妻子を没し、重き者はその門戸および宗族を没す」とあり、現代の基準からすれば刑罰が過重ではあるものの、古来、日本国では法が存在し、法に照らして違法行為が罰せられてきたことが分かります。明治に至って法制度が初めて導入されたのではなく、日本国は、2000年を越える歴史を通して常に法治国家であったのです。

一方、中国の儒教文化の影響をより強く受け、かつ、遊牧民族が建国したモンゴル帝国の支配をも受けた朝鮮半島では、李朝時代の悪政もあって、法の一般性よりも上下の身分関係が人々の行動を律してきました。言い換えますと、同地域では、法の支配や法の前の平等に関する共通意識や価値観が育つ余地がなく、法よりも人が支配する人治国家であった歴史が長いのです。つまり、人>法、並びに、上>下が相まって、今日でも、国民感情>法であり、韓国>日本、あるいは、被害者>加害者の構図を以って、現代の国際社会において行動しているように見受けられます。そして、日本国のみならず、現代の国際社会において法の支配が普遍的な価値の一つとして成立している以上、韓国の文化は、日本国の文化のみならず、国際社会における普遍的価値に裏打ちされた法文化とも衝突せざるを得ないのです。社会とは、構成員による価値の共有を特徴ともしていますので、韓国は、国際社会全体から見れば、普遍的価値を否定し、利己的な理由から社会的規範を破る‘無法者’の立場とならざるを得ないのです(この点は、中国や北朝鮮等も同罪…)。

多文化共生主義を支持する人々は、果たして、‘無法者’の文化をも受け入れるべきと主張するのでしょうか。欧州諸国における多文化共生主義失敗の原因の一つは、イスラムの政治・法文化における政教一致、並びに、他宗教排斥や異教徒殺害を容認する文化まで受け入れたところにあります。また、アメリカで激化している‘分断’とは、ホンジュラスからの大移民集団の北上が中間選挙の争点ともなったように、犯罪発生率の高い国、即ち、比較的犯罪に対して寛容な文化を有する人々が国内に移住してくることに対する一般国民の危機感の表れなのかもしれません(ホンジュラスは最も殺人率が高い国の一つであり、かつ、移民集団の人々は、アメリカが当然に受け入れるべきと利己的に考えている…)。そして、この常識的な危機感を‘差別’の一言で片付けても良いのか、と申しますと、そうとばかりは言えないように思えるのです。‘人道’の名の下で移民や難民を受け入れたとしても、その‘人道’とは、受け入れ国側の文化における価値観に過ぎないのかもしれないのですから。

今のところ、日本国内では、韓国の国民感情や政治文化を尊重し、同国裁判所の判決に従って日本企業が損害賠償金を支払うべきとする意見は殆ど聞かれません。乃ち、このことは、世の中には、決して譲ることはできない価値観や文化が存在することを示しています。犯罪容認のみならず、移民と共に非民主的な独裁容認、ネポティズム、政治腐敗、違法性への寛容、自民族優越主義、侵略志向といった異文化が自国に流入してきた時、日本国民は、これらを認めるのでしょうか。多文化共生主義による社会の分断は、国家としての共通の価値観や政治・法文化の在り方を問われるとき、必然的にゼロ・サムの対立を生み出すのであり、それは、国際問題ではなく、国内問題として内在化するのです。今般の徴用工裁判を機とした日韓の間の価値をめぐる対立は、多文化共生主義の偽善をも暴いているように思えるのです。

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日本国政府による対韓提訴―自己矛盾に陥る韓国

2018-11-06 15:18:40 | 日本政治
徴用工問題「手の内明かさず」=ICJ提訴報道で菅官房長官
先日、韓国の最高裁判所は1965年に締結された日韓請求権協定を蔑にし、戦時における所謂‘徴用工問題’について日本企業に対して損害賠償を命じる判決を下しました。これまで日本国政府は、竹島問題に関する動きはあったものの、外交上の対韓配慮から司法解決を自ら封印してきた嫌いがありました。しかしながら、今般の判決には堪忍袋の緒が切れたのか、司法解決をも辞さない構えを見せております。韓国政府が必要な措置を取らない、即ち、日韓請求権協定に誠実に従って同国政府自身が自国民に対して賠償を怠った場合とする条件付ではあるものの、司法解決に向けて大きく一歩を踏み出したことになります。

 取り沙汰されているのはICJ(国際司法裁判所)への提訴ですが、同裁判所に解決を付託するためには、手続き上、日韓両国政府の合意を要します。そしてここで、韓国は、まずもって自己矛盾に陥るのです。韓国の歴代政権の公式の立場は、同問題は日韓請求権協定によって解決済みというものでした。それにも拘らず、韓国の裁判所が外国との間で締結した条約の解釈にまで司法判断を及ぼし得たのは、近代国家の制度上の原則である三権分立を体よく利用したからです。行政部は司法部の判断に立ち入らないとして、韓国政府は、裁判所による判決を黙認する姿勢を示したのです。

しかしながら、この近代国家の権力分立の仕組みを口実とする作戦は、今般の日本国政府によるICJ提訴によって裏目に出ることとなります。何故ならば、韓国の歴代政権は、日韓請求権協定による徴用工問題の解決済みを認めてきたわけですから、司法部の判断はどうあれ、行政部としては解決済みの見解を貫く立場にあるからです。つまり、韓国政府には、日本国政府の共同提訴の申し出を断る理由がないのです。そして、同政府は、日本国政府と共に、日韓請求権協定における徴用工問題に関する解決済み解釈を確定する、同協定に関する司法管轄権は国内裁判所にはないことを確認する、あるいは、自国の裁判所の下した判決の効力の無効を訴える、といった極めて奇妙な裁判をICJの法廷で闘わなければならないのです。何れにしても、一国レベルで見れば自分が自分を訴えるという矛盾に満ちた構図となります(韓国司法部の信頼性も面子も丸潰れに…)。

 かくしてICJへの共同提訴となれば一種の‘自滅行為’ともなりますので、韓国政府は、ICJでの共同提訴には同意しないであろう、とするのが一般的な見方です。となりますと、日本国政府は、単独提訴という手段に訴えることとなりますが、この場合でも、韓国政府は、深刻なジレンマに苦しめられます。ICJでの共同提訴を拒絶する以上、韓国政府は、徴用工問題は解決済みとしてきた従来の立場を翻し、自国の最高裁判所の判決と足並みを揃えざるを得なくなるからです。ここで韓国政府は、三権分立を盾にした国内裁判所に対する黙認主義を放棄せざるを得ない状況となり、自らが日本国との間の国際紛争の矢面に立たつのです。

ICJの共同提訴を拒絶した国は、その理由を説明する義務がありますので、文在寅政権は、その説明に窮するはずです。韓国の歴代政権が解決済みの立場にあり、かつ、その立場を転換するだけの合理的で説得力のある理由もないからです。もっとも、韓国では、伝統的に‘上の者は下の者との約束を破ってもよい’とする考え方があるとされ、同協定が締結された1965年の時点より自国の国力が上がり、日本国との力関係が変化したことを理由に協定破棄ができると考えているかもしれません(韓国は日本国を自らより下位と思い込んでいる?)。しかしながら、儒教的な厳しい身分制度にあって合意破棄が上の者が下の者に自らの力を見せつける手段であるならば、近代と前近代を画する‘身分から契約へ’というH.メインの言葉が示すように、韓国は、未だに前近代的な国家であることを自ら証明するようなものです。今後、如何なる国も、韓国と条約等を締結することに躊躇することでしょう。

以上に日本国政府によるICJへの提訴のケースについてあり得る展開について述べてきましたが、合意であれ、不合意であれ、どちらを選択しても、韓国は国際社会において厳しい状況に置かれます。そして、日本国政府が、ICJではなく単独提訴が可能な常設仲裁裁判所による解決を選択するとなりますと、韓国の逃げ道は凡そ全て塞がれることとなりましょう。日本国政府は、今度こそ、安易な妥協に堕すことなく、法の支配の原則を貫くべきではないかと思うのです。

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日本国政府の‘海外ファースト’のリスク

2018-11-05 13:57:27 | 日本政治
 多文化共生主義に基づく入国管理法の改正案は事実上の移民政策であり、かつ、‘海外ファースト’の原則の確立を意味するのですが、日本国政府の海外優先の姿勢は、この問題に限ったことではありません。人手のみならず、中小企業の後継者不足の問題までも、常に海外から人を国内に呼び込むことで解決しようとしております。あたかもそれが唯一絶対の方法であるかのように。また、日本から海外への逆方向の流れも加速させようとしています。例えば、食糧自給率が低下傾向にあるにも拘わらず、農産物の輸出にも熱心ですし、TPP11についても、中小企業の海外での事業展開を支援する方針を示しています。

 グローバル化はビジネス・チャンスでもありますが、こうした‘海外ファースト’を原則とする一連の日本国政府の政策は、モノ、サービス、マネー、人、情報、技術といったあらゆる要素が国境を越えて自由に移動する‘グローバル市場’の形成に向けた国際レベルでの統合計画の一環なのでしょうか。現実の世界では、国民国家体系が国際秩序を保っており、経済分野であれ、様々な政策権限を国家が有し、国家の領域を枠組みとした法域を形成し、かつ、国家間の経済レベルには格差があります。この状態では、経済原理のみが支配する純粋な‘グローバル市場’は成立するはずもなく、無理にでもこの方向を進めようとしますと、国内経済が、幾つかのリスクや危機に直面するケースも予測されます。グローバル化に付随する問題は、昨今、関心を集めている移民問題のみではないのです。

 第1のリスクは、他の国で発生したリスクが自国にまで連鎖的に波及する点です。1929年の世界恐慌の事例や2008年のリーマンショックを挙げるまでもなく、世界規模での経済の一体化は、一国の政策の失敗が他国の経済をも破滅に追いやるリスクがあります。特に、経済大国が震源地となる場合の世界レベルでの被害や損害は甚大です。経済自由化の流れの中で、各国とも自由化措置を急いできましたが、国境という危機を遮断するファイアー・ウォールが取り除かれた状態にあっては、最早延焼を防ぐことはできません。今般、トランプ政権の対中制裁関税は、自由貿易主義の流れに逆行する政策として批判を浴びていますが、ファイアー・ウォールの視点からしますと、中国発の世界規模の金融・経済危機の発生に備えた米経済の予防的遮断措置なのかもしれないのです。

 第2のリスクは、グローバル市場への依存体質の深化による国内経済の脆弱化です。このリスクの事例としては、IMF主導で通貨危機をかろうじて乗り切った韓国経済を挙げることができます。同国は、IMFからの支援を受けるのと引き換えに、徹底したリストラ、並びに、選択と集中を含む新自由主義に軸を置く構造改革の実行を受け入れました。この結果、外需向けのサムスン、LG、現代、SKといった少数の財閥はグローバル企業として生き残りましたが、内需面での成長は疎かにされ、財閥系企業がコスト面から国外に製造拠点を移す動きと相まって、若年層を中心に失業率が高止まりした状態が続く結果をもたらしています。しかも、これらの財閥系企業も、中国系企業の急速な台頭により‘グローバル市場’で苦戦するに至りますと、同国は、内外両面において苦境に陥ることとなるのです。

 第3に指摘すべきリスクは、不利な国際分業の固定化です。市場のグローバル化は、垂直的国際分業のみならず、水平的国際分業をも加速化させますが、それは、必ずしも、全ての諸国や国民に対して公平、かつ、利益となる体制の成立を意味するわけではありません。例えば、グローバル市場では、規模の経済が強く働きますので、日本国の場合には、国内では大企業であってもグローバルレベルでは中小企業となります。このため、近い将来、大企業は淘汰であれ外資による合併吸収であれ姿を消し、利益率の低い素材や部品提供の国、あるいは、観光地として位置付けられるかもしれません。また、グローバル企業群は、利益が最大化する国際分業体制の長期的な固定化を望みますので、この体制が崩れるような分業の再編、並びに、国レベルでの経済発展や独自の新産業創設に対しては否定的となりましょう(例えば、製造拠点国での賃金上昇は事業利益からすればマイナス要因であるため、現地の国民生活の向上にも後ろ向きに…)。

第4のリスクは、人材の流出です。グローバル市場の主要プレーヤーとなるグローバル企業群は、全ての国から最良の人材を集めることを願っています。このため、国家予算を投じて自国民に高いレベルの教育を施しても、その成果が自国の発展に還元されるとは限らないのです。グローバル企業群からしますと、義務教育過程であれ、各国の教育は自社のための人材養成、あるいは、選抜の場に過ぎず、国家の教育政策への‘フリーライド’こそが利益最大化の鍵です。また、個人負担による資格や技能制度の拡充も、社内教育のコストを下げるための方法の一つかもしれません。言い換えますと、国家レベルの教育は、人材の海外流出によって公費を費やすだけの意義が薄れてゆくのです。

 第5に懸念すべき点は、資本移動の国際的な自由化によって生じる自国経済の全般的な外国支配です。株式会社制度とは、資金力を有する個人、あるいは、団体が経営権を握ることができるシステムです。国境を越えた資本移動が自由化されれば、自国内の企業の多くは、株式の取得によって外資系企業の傘下に入る可能性が高まります。さらに、近年、農業、漁業、エネルギー、並びにインフラ等分野でも民間企業の参入が目立っておりますが、資本移動の自由化と並行して民営化が行われますと、産業基盤や国民生活に直結する分野までもが国民の手を離れるかもしれません。‘現代の東インド会社’とも喩えられるような、民間企業による植民地支配が成立するかもしれません。

 この他にも、人口大国にして共産主義国家である中国による政経一体化した覇権主義など、問題は多々ありますが、このまま日本国政府が‘海外ファースト’の方針を貫けば、日本経済は弱体化するでしょうし、最悪の場合には、海外発の恐慌の波に攫われるかもしれません。グローバル化がもたらす諸問題が明らかになった今日、むしろ、リスク管理の方向に向けた取り組みを要する時代が到来しているのではないでしょうか。この点からしますと、ファイアー・ウォールの再構築や内需の振興を含め、‘自国ファースト’の考え方は、グローバリズムに伴うリスクや危機に対する耐性強化という意味においても、方向性としては間違っていないように思えるのです。

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菅官房長官の説明責任は重大-不透明な‘移民政策’の決定プロセス

2018-11-04 11:39:34 | 日本政治
政府が今国会での成立を目指す入国管理法改正案は、事実上の移民政策、否、日本国の多民族国家化への転機として、国民の間でも徐々にその重大性に関する認識が広がりつつあります。国民的議論を要することは論を俟たないのですが、報道に拠りますと、同改正案を主導したのは、菅義偉官房長官であったそうです。

 日本国の国柄や民族構成を大きく変えることになる程の重要法案ですので、政府には国民に対する説明責任を果たす義務があります。そこで、まず説明すべきは、菅官房長官が同法の改正を安倍晋三首相に提言するに至ったプロセスの詳細です。ある政策の真の目的を理解するためには、その背後に存在する受益者や政界へのルートなどを明らかにする必要があります。上述した報道記事では、環官房長官に対して人手不足の解消を求める働きかけがあったとしか記されておらず、詳細は不明なのです。

 菅官房長官の経歴を見ますと、出身地である秋田の実家ではイチゴを栽培しているそうですので(父親は元満鉄職員で、北朝鮮地域から戦後に帰郷…)、イチゴ栽培業界からの要望を受けた可能性はあります。同業界では、現在、中国やインドネシア等から実習生を受け入れており、手摘み作業を要するくだもの等を栽培する農家一般では、慢性的な人手不足に陥っているのかもしれません。その一方で、新たな在留資格の創設と同時に外国人実習生制度が廃止されるわけではなく(もっとも、実習生の多くは特定技能第1号に移行するらしい…)、新資格では日本人と同等、あるいは、それ以上の賃金の支払いを定めていますので、低賃金労働となる実習生よりも農家にとりまして利益となるとは言えないはずです(それ故に、外国人に対して低賃金労働を敷いているとする農家批判もある…)。日本人と同一、もしくはそれ以上の賃金規定を定めている点からは、国内からの要請というよりは、むしろ外国人労働者(移民)側の要請による外国人労働者(移民)のための法改正であると言えるかもしれないのです。何れにしても、同官房長官と個人的なコネクションを有する一部の農家を救済するためであるならば、政治家による悪しき利益誘導行為であり、権力の私物化にも繋がりかねません。

 また、かつて、日本国内でも‘出稼ぎ’という形態があったように、収穫時期等の特定の期間にだけ単純労働力を要するならば、特定技能第2号といった定住を前提とする資格の新設は不要なはずです。季節労働者向けの制度設計で十分であり、ここに、人手不足は‘口実’に過ぎないのではないか、とする疑いが生じます。農家の一部業界をはじめ、介護、建設、宿泊、造船業から陳情を受けたことは事実であったとしても(当初想定されていた5分野)、同官房長官は、この要望に便乗して移民政策を推進させたのかもしれないのです(後に15分野に拡大…)。この点については、実際に同官房長官に陳情した団体が名乗りを上げて国民にも説明すべきでもあり、なぜ、多文化共生政策等まで踏み込んでいたのか、国民の前に業界の現状と具体的な要望内容を明らかにすべきように思えます。

 受け入れ対象業種については、同法案が政治日程に上った後に、急ぎ、各省庁が人手不足の現状を調査したとも伝わります。これが事実であれば、人手不足説は移民政策のもっともらしい理由付け、即ち、カモフラージュに過ぎず、真の目的は、日本国を外国に対して‘自由地帯’として開放し、融解させることにあったように思えるのです(おそらく、中国を含む国際勢力の意向では…)。人手不足問題については、業種ごとに事情や原因も異なるのですから、リスクを最小限にすべくそれぞれ個別の対策を採るべきであり、また、単純作業のロボット化など、技術開発の面からの解決を探る道もあります(現に、摘み取り作業も機械化が始まっている)。

政府は、法案成立後に具体的な各省庁が適用業種を決めるとしていますが、この方式ですと、国民の反対の声は届かなくなる上に(省庁レベルで一般国民からの意見募集を実施しても大抵は無視される…)、全体を俯瞰した判断もできなくなります(どの省庁も、所管の業種を基準に判断し、日本社会全体に対する影響等は考慮しない…)。ビッグ・バン方式による事実上の移民政策の実行は、なし崩し的な破壊と混乱を国内にもたらします。こうした疑いと懸念がある限り、菅官房長官をはじめ、日本国政府は国民に対して政策決定プロセスを開示すべきではないかと思うのです。

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多文化共生主義とは排内的差別思想では?

2018-11-03 13:57:18 | 日本政治
「移民政策ではないか」新在留資格、与党内からも疑問
保守本流とも目されてきた安倍政権の下でよもや行われるとは、誰もが想像もつかなかった事実上の移民政策。人手不足を根拠とした入国管理法の改正法案として報じられていますが、同法改正が拙速とされる理由の一つは、同時に多文化共生主義の採用が決定されている点です。

 多文化共生主義とは、多民族国家において議論されてきた社会統合政策上の原則の一つです。同化政策が受け入れ国の文化や慣習に従う‘郷に入っては郷に従え’を原則とし、融合政策が‘メルティング・ポット’と表現されるように異なる文化を混ぜ合わせて違いをなくす方法であるのに対して、多文化共生主義とは、出身国の文化をそのまま定住国に持ち込み、出身国別のコミュニティーを維持することを許す原則です(原形を残すため‘サラダ・ボール’とも…)。今般、日本国政府は、多文化共生主義の採用を明言しておりますので、今般の法改正は、もはや人手不足の解消といった経済分野に留まらず、日本社会全体に波及する社会統合問題を含む移民政策と言わざるを得ないのです(安倍総理は、主観的視点から‘移民政策とは考えていない’と説明していますが、客観的視点からすれば明らかに移民政策…)。

 時の政権がかくも重大な選択を行うのですから、民主主義の原則に照らせば総選挙を経るべきですし、決定を行う以前の段階で多文化共生主義の問題点を洗い出す作業を行うことも、国民に対する説明責任を果たす上でも、重要、かつ、不可欠なステップなはずです。強引にでも同法案を年内に成立させようとしている政府の態度は、シリア難民受け入れを突然に独断で決定したメルケル首相の手法にも類似しており、政府による‘白紙委任’的な既成事実化、すなわち、実質的独裁は国民が最も嫌う手法でもあります。

しかも、当のメルケル首相でさえ‘多文化共生主義は失敗であった’と明言しており、壮大なる‘社会実験’の結果は多大なる犠牲を払いながら既に出ています。そして、‘社会実験’とは、研究室という閉じられた空間における実験ではなく、現実の社会において行われるため、「覆水盆に戻らず」という諺がありますように、この種の実験の失敗は元の状態に戻すことが困難なのです。言い換えますと、実験の結果に不可逆性を伴う以上、‘社会実験’は、‘実験’と言う名の‘実行’に他ならず、安易に試してはならない行為となります。

それでは、多文化共生主義によって、日本国の内部にあって全ての出身国の文化を無条件に受け入れ、かつ、複数のコミュニティーが併存する状態に至った場合、どのような状況に至るのでしょうか。多文化共生主義とは、一つの国家の内部に‘世界’が出現するようなものです。‘世界’の諸文化間の関係は平等ですので、受け入れ国の文化は相対化されて多様な文化の中の一つに過ぎず、特別の地位は保証されなくなりましょう。つまり、あらゆる日本の伝統、風習、言語、宗教観、道徳・倫理観などは、移民の人々から見ますと平等原則を損ねる差別として映るのです。多民族国家であるアメリカでは、‘メリー・クリスマス’がタブーとされ、非キリスト教徒に配慮して今では‘ハッピー・ホリデー’が主流となっており、多文化共生の結果、既存の文化が消滅する事例は枚挙に遑がありません。世界の多様な文化の中には、異文化に対して非寛容で攻撃的な文化もあるのです。日本国内でも、‘日本的なるもの’に対する排斥要求が強まることでしょう。多文化共生主義とは、歴史において培ってきたあらゆる諸国の固有の文化を一斉に攻撃し、‘平等’や‘差別禁止’を盾に排除できる‘魔法の杖’なのです。そして、地球上の’多文化’もまた、全ての諸国が多文化共生主義を強いられることで、やがて消えてゆく運命を辿るのです。

そもそも文化というものが個人レベルでは形成し得ず、多数の人々の共有と時空の有限性を伴う以上、一つの社会における異文化同士はゼロ・サム関係となり、そもそも平等なるものはあり得ません。否、受け入れ国側の文化は、他の全ての移民系文化から差別を受けて排除されるか、同等の扱いを要求されるのです。多神教の国である日本国の伝統行事も一神教の信者にとりましては神の名の下で廃止すべき邪教の行為となりましょうし、多言語空間ともなれば、教育機関にあっては、生徒の出身国別に言語の授業を設けねばならず、一般の社会にあっても、全ての言論が多言語で表現しようとすれば、膨大な時間を費やさねばならず、もはや、コミュニケーションも不可能となりましょう。国内的な視点からしますと、多文化共生主義こそ、排外的ならぬ、排内的な差別容認思想なのです。

そして、日本国内ではマイノリティーであっても、世界全体から見ればマジョリティーとなる中国等の人口大国からの移民が増加すれば、やがて、人口パワーによって日本国の諸都市もチャイナ・タウンへと変貌し、差別的な日本人排斥はさらに加速してゆくことでしょう。中国や東南アジア諸国でも、スマートシティという名の安全で快適な未来都市が建設されていますが、その実態は、共産党員、特権階級、華僑や外資系企業の駐在員などが居住する安全地帯、即ち、一般の国民が居住することができない‘現代の租界’なのかもしれません。多文化共生主義の行き着く先は、移民受け入れ国の文化や国民に対する容赦のない差別ともなりかねないのです。

 多文化共生主義とは、反差別主義の思想に見えながら、その実、‘差別反対’を唱えながら究極の差別を実現してしまうトリッキーな思想とも言えましょう。このように考えますと、今般の入国管理法改正は、やはり廃案とすべきではないかと思うのです。

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既に中国では‘対日移民’の募集開始?-仕組まれた移民政策の推理

2018-11-02 10:35:06 | 日本政治
入管法案を閣議決定=人手確保へ外国人材―政府・与党、今国会成立目指す
本格的な審議を前に、外国人労働者に対して新たな在留資格を設ける入国管理法改正案は、日本国の国柄を変えるほどの広範な影響が予測されております。唐突に浮上したこの事実上の移民政策は、不透明、かつ、不可解な部分が多く、国民の多くが疑念と警戒感を抱いているのではないでしょうか。

 こうした中、真偽は不明なものの、同法案の成立を見越して既に中国では、日本国への移民の募集が開始されているとする情報があります。しかも、同法案の成立は一帯一路構想の一環であるとされており、これが事実であれば、日本国は、法改正によって大量の中国人を移民として受け入れるべく国内整備を進め、付随して示された多文化共生主義も、同化を厭う中国人のための方針として理解されます(家族帯同によって、当該外国人労働者の親類縁者の中国人が大量に日本に移民)。李鵬首相は、1993年にオーストラリア首相を前にして日本国は40年後には地上から消えゆく国と‘予言’したそうですが、この発言は、中国共産党が秘かに温めてきた‘計画’を漏らしたに過ぎないのかもしれません。日本国には、近い将来、広域中華圏に飲み込まれる、否、中華圏によって消滅される未来が待ち受けているかもしれないのです。

 オーストラリアでは、既に中国による‘静かな侵略’に対する防御段階に入っておりますが、日本国では、マスメディアの報道姿勢が親中であるためか、凡そ13億の人口を擁する中国市場をビジネス・チャンスとして持て囃す記事はあっても、日本国に対する‘静かな侵略’に警鐘を鳴らす記事はそれ程多くはありません。同法案についても、この文脈において解説する報道も皆無に近く、外国人労働者の出身国については、強制送還を拒否する国、並びに、不法就労目的の難民認定申請や不法滞在者が多い国は排除するといった条件のみが報じられています。前者については、おそらく韓国や中東、並びに、アフリカ諸国が対象となるのでしょうが、中国についても、後者に当てはまりそうなものです。しかしながら、何故か、法務省もマスメディアも、中国が排除対象となる可能性について指摘していません。もしかしますと、上述した真偽不明の情報通り、中国からの移民受け入れは、日中政府間での合意済みの既定路線なのかもしれないのです。もしくは、むしろ、中国からの要請によるものであるかもしれないのです。

 こうした懸念は、受け入れ対象分野からも推測されます。当初は5分野に限定されていましたが、最近に至り、政府は、14分野にまで拡大させる方針を示し始めました。その中には、素形材産業、産業機械製造業、電気・電子情報関連産業が含まれており、これらの分野の技術や技能は、中国がその野心的な「中国製造2025」を実現するためには不可欠となります(李鵬首相の日本滅亡予言の年とも凡そ一致…)。報道によりますと、新たに増やした分野は、特定技能第2号の対象から除外するとしていますが、5年の期間があれば技能習得には十分ですし(中国人労働者が工作員である可能性もあり、技術流出の恐れも…)、むしろ、本国への帰還が約束されている方が中国側としては好都合です。

 入国管理法改正については、政府もマスメディアも人手不足論のみで押し切ろうとしておりますが、辻褄が合わない点も多く、同法案の成立を急ぐ背景には何らかの別の意図の介在が推測されます。上記の推測は、未確認情報からの推理に過ぎないのですが、政府の説明が不十分であり、かつ、‘状況証拠’からも、強ち頭から否定はできないように思えます。本法案をめぐっては、中国による‘静かな侵略’のリスクを根拠とした廃案論があって然るべきなのではないでしょうか。

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事実上の移民政策-日本国民は騙されてきた?

2018-11-01 13:44:53 | 日本政治
安倍政権が今国会での成立を目指す出入国管理法改正案は、自公両党の承認を得たことから可決される可能性が高まっております。同改正法案では、外国人労働者に対して新たな在留資格を設けることから、野党のみならず、保守派からも事実上の移民受け入れ政策ではないか、とする批判も上がっています。左右両派からの移民政策論に対して安倍首相は否定しておりますが、どう考えましても、移民政策以外の何ものでもないのではないかと思うのです。同改正案が移民政策に他ならない第一の理由は、定住や国籍付与を前提としなくても、同法の改正によって在留資格を得ることができる外国人労働者は、国際移住機関(IMO)において定められた移民の定義に合致する、という点にあります。これ以外にも、移民政策と認定せざるを得ない理由があります。

まず、第一に、法改正に伴って、受け入れ外国人に対する日本語教育の実施、地方自治体に対する支援、さらには、‘多文化共生庁’なる行政機関が設置されるなど、日本社会全体の大変革とも言うべき大規模な受け入れ態勢の整備が予定されている点を挙げることができます。仮に、報じられる通り、’多文化共生庁’と命名されるとしますと、日本国政府は、国民に是非を問う総選挙さえも経ることなく、外国人の文化やコミュニティーをそのまま認める共生政策を決定したことを意味します。多文化共生政策であれ、同化政策であれ、社会統合政策とは、移民の存在を前提にした政策なのですから、‘移民政策ではない’という弁明は、どうしても詭弁に聞こえてしまうのです。

 第二に、同法案が定める新資格の内の特定技能2号は、日本国政府が認識している‘移民’の定義にも合致している点です。特定技能1号から2号への移行に際しては、熟練した技術の保有が条件とされ、試験に合格しなければ取得できないものの、在留期間には制限がない上に(更新可)、家族の帯同も許されます。2号への移行を以って5年以上の居住が可能となるため、入国管理法が定める永住資格の取得条件、並びに、国籍法第5条が列挙する帰化条件の重要部分をクリアできるのです(なお、国籍法第6条では、10年以上の居住であれば第5条の要件を充たさなくとも帰化が容易となるとしている…)。

第三に挙げる理由は、帯同家族、並びに、その子孫達が移民化することです。アジア諸国の多くの伝統的の家族形態は大家族であり、帯同者として来日外国人数も無視はできません。加えて、比較的出生率が高い外国人世帯の増加により、日本国内で出生する外国人の子供達の数も増え続けることでしょう。しかも、日本国内で出生した外国人、あるいは、その子孫の帰化要件はさらに下がります(居住期間3年等…)。また、帯同家族が永住資格や国籍を取得した場合、如何なる産業分野や職業であっても自由に就職することができますので、人手不足の根拠は早晩意味を失います。政府は、特定技能1条に関心を向けることで、‘移民’という言葉を回避したいのでしょうが、入国管理法や国籍法等に照らせば、特定技能第2号は、明らかに日本国での定住や国籍付与を前提とした正真正銘の移民政策と言わざるを得ないのです。

 家族帯同の問題については、‘現行の高度人材受け入れ制度にあって既に許可されてきた’とする反論もありますが、この反論も説得力に欠けています。何故ならば、家族の帯同の可・不可が移民政策の認定基準であるならば、既に政府が、移民政策を別の名称を以って実施してきたことを告白したに過ぎないのですから(OECDの統計によれば、既に日本国は世界第4位の移民受け入れ国家…)。諸外国では、高度人材受け入れ政策も移民政策の文脈で議論されておりますので、日本国だけ‘移民政策’ではないと言い張ることには無理があります。言い換えますと、日本国では、既に随分と前から移民政策が採られてきたにも拘わらず、今般の法改正で注目が集まることで、ようやく一般国民がその事実に気が付いたとも言えます。

アメリカは大規模移民集団の越境に備えて国境地帯で米軍を展開するのみならず、国籍法における出生地主義の廃止へと動き、ドイツでは難民問題で躓いたメルケル首相の党首辞任が確定した中、本改正法案は、日本国内でも日に日に関心が高まっております。国会での審議も始まりますが、日本国の姿そのものが変わる程の重要な案件ですので、国民的議論もコンセンサスもないままで年内に成立させれば、国民を欺く背信的な行為にもなりかねないのではないかと思うのです。

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