軍事の分野におけるNPTと今般のトランプ関税との間には、重要なる共通点があるように思えます。もちろん、両者は、後者については文書化されてはいものの、‘不平等条約’という側面において共通していることは一目瞭然です。合意した当事者の間に、義務と権利において不平等が存在するからです。
NPTもトランプ関税も、自らのルールや合意を不平等とは見なさないはずです。あくまでも、主権平等の原則に則った国際社会の取り決め、あるいは、二国間の合意と見なしているはずです。実際に、不利な立場に置かれたはずの日本国政府さえ、国民に対しては、対等の立場で結ばれた日米双方のウィン・ウィンの合意であったように説明しています。しかしながら、その実態が不平等かつ不公平であり、両国が約した凡そ81兆円の対米投資の解釈次第では、奴隷契約的、すなわち、‘搾取や略奪の合意’になりかねないのです(仮に、アメリカ側の解釈を明記した合意文書に署名していれば、日本国政府は、奴隷契約書にサインをした‘売国奴’の誹りを免れることはできなかったことでしょう)。
結局、日米間の解釈の違いが表面化するのは時間の問題であり、日米再交渉となるのか、あるいは、決裂も覚悟しなければならない事態も予測されましょう。本ブログは、後者を日本国の立て直しのチャンスとすべき、とする立場なのですが、この方向性は、NPTとトランプ関税とのもう一つの共通点とも関わってきます。このもう一つの共通点は、両者とも、‘梯子を外される’という顛末となる点です。後々‘梯子を外される’ことが分かっているのであれば、最初から登らない、あるいは、先が見えた時点で、安全な場所に降りた方が得策となりましょう。
‘梯子が外される’という表現は、高見を目指して自らを預けて登っていたものが、突如として他者によって取り去られ、行き場を失ってしまう状態を示しています。否、梯子が消えるのですから、これを登る人の意思に関係なく、地面に落下する運命が待ち構えていると言うことにもなります。NPTとトランプ関税を当てはめますと、前者については、‘核なき世界の実現’がこの梯子となりましょう。ウクライナの事例のように、「ブタベスト覚書」並びにNPTを信頼しきって核を放棄しますと、独自の核戦略を有する核保有国に軍事侵攻されるという悲劇があり得るからです。核廃絶という頂点を目指して一生懸命に階段を一段一段と登ったところ、急に‘梯子’が消えて、目の前の地面には、無法者と化した核保有国が跋扈している世界が広がっていたのです。ウクライナの運命は、他のNPT加盟国にして非核保有国全てにとりまして他人事ではありません。
一方、トランプ関税における‘梯子’とは、グローバリズムです。戦後、アメリカも旗振り役となってグローバリズムが強力に推進されてきたのですが、グローバリズムもまた核廃絶と同様に、全ての諸国が登るべき‘梯子’とされてきました。中世の絵画が描く天国へと空に伸びる梯子のように・・・。この梯子を上に登れば登るほど、地上(現実)が遠ざかると共に、‘梯子’への依存度が高まります。そして、もはや‘梯子’なくして生きられない状態に至る寸前のところで(自国経済がグローバル体制に組み込まれ、外部経済に依存する状態・・・)、梯子は消えてしまったのです。
かくして、‘梯子’なき後で人々が目にする地上の光景とは、世界第一位の経済大国にして巨大な消費市場を擁する国家としてのアメリカの一人勝ちであり、その背後にあって、規模の経済が支配するグローバリズムの勝者であるマネー・パワーの横暴です。今後は、アメリカへの総計200兆円を超える巨大投資と高い関税障壁による保護等によって、先端技術面でも優位となった米系グローバル企業が世界市場を席巻することでしょう。その一方で、巨額の資本流出によって資金調達もままならなくなるのですから、日本企業を含め、他の中小諸国の企業は、競争において極めて不利な状況に置かれてしまうことでしょう。この‘梯子外し’は、グローバル経済への依存度が高いほど、関税交渉における見返りの要求のつり上げなどにおいて効果が発揮されます。また、アメリカの手法に倣って、スケールメリットに優る中国も、同様の理不尽な要求を自国市場に依存する諸国に対して迫ってくるかも知れません。
以上に、NPTとトランプ関税の共通点について述べてきましたが、このような未来が予測される以上、日本国は、‘梯子’から離れて新たなる国造りにチャレンジすべきなのではないでしょうか。狭くて不安的な一本道の‘梯子’という、既に失われた幻想にしがみつくよりも、余程、建設的で可能性の開かれた未来構想なのではないかと思うのです。