万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

核兵器使用禁止条約の多重抑止体制

2022年12月08日 13時28分59秒 | 国際政治
 核兵器の抑止力を最大化する一方で、攻撃力を最小化するには、核兵器については全諸国に対して保有を認める一方で、その使用を禁じる必要があります。この方向転換により、諸国間に相互抑止作用が働き、核使用の可能性、即ち核戦争に至る可能性は格段に低下することでしょう。しかしながら、核戦争の予防をより確実にするために、現行のNPTに代わる一般国際法としての新たな条約―核使用禁止条約―を制定し、国際的な核制御システムを導入するとすれば、その基礎となるのは、核兵器の保有禁止ではなく、使用の禁止、しかも、罰則規定付きの条約に基づくシステムということになりましょう。

 それでは、何故、罰則規定を設ける必要があるのでしょうか。NPTにおいては、「核兵器国」及び「非核兵器国」の何れに対しても、同条約に違反した国に対する罰則はありません(なお、核兵器はテロ集団と言った非国家組織が使用する可能性もあるので、同条約は適用対象を国家に限定せず、私的組織にまで広げる必要があるのでは・・・)。この欠落が、NPTの一般的な行動規範を定める法としての効果を著しく低下させる要因ともなるのですが、刑法における罰と同様に、罰則規定の存在自体が、強い抑止力として働きます。人には想像力がありますので、行動規範に反する行為を行なった場合、事後的に厳しい罰を受けること、重い制裁を科せられることが予測される場合、その行為を思い留まろうとする心理が強く働くのです。核の使用についても、保有による軍事的相互抑止作用に加えて、下罰や制裁によっても抑止作用が働くことが期待されますので、同条約に基づく体制は、いわば、二重抑止体制となるのです。

因みに、全面禁止型の条約である「生物兵器禁止条約」においても、問題が発生した際の協議や安保理理事会への苦情申し立て等については規定があるものの、明確な罰則規定は見当たりません。中国や北朝鮮等の諸国にあって同兵器の保有が疑われているように、罰則規定の欠落は、ここでも法的効果を損なう要因となっているのです。また、NPTと併存状態にある「核兵器禁止条約」では、その第5条において同条約の違反行為を防ぐための国内措置として罰則規定(the imposition of penal sanctions)について触れていますが、国内法である限り、自国の法域を越えた罰則を科すことはできないのです。

 罰則規定の必要性は、その抑止力によって説明されるのですが、ここで一つ、考えるべき点があります。それは、先の記事において既に指摘したように、国際社会では、国家モデルを適用することが極めて困難な点です。このため、執行から司法に至るまでの仕組みにおいて、警察機関や裁判所のように一つの機関に一つの機能を集約させるよりも、より分散的な方法を採用する必要がありましょう。また、未然防止の仕組みをどのように設計するのか、という難題もあります。難題である理由は、ロシアの「核抑止の分野におけるロシア連邦国家政策の基礎について」において示唆されているように、核兵器使用の未然防止のための措置が核による先制攻撃となりかねないからです。加えて、各国が備えるべき効果的な核の抑止力に関する計算作業も必要とされるかもしれません(抑止力を名目とした際限のない核軍拡競争の防止・・・)。これらの諸問題については慎重に考えてゆくべきなのですが、本日の記事では、核兵器が使用された場合について、以下の主要な論点のみを提起しておきたいと思います。

 先ず、罰則に先んじて確認しておくべきことは、核攻撃を受けた国による核使用国に対する個別的な下罰は許されるという点です。下罰と表現はしましたが、これは、核攻撃を受けた側の正当防衛権の行使であり(個別的自衛権・・・)、より直裁的な言い方をすれば、核による報復ということになりましょう。この反撃行為に合法性を与えませんと、相互抑止力が働かなくなるのです。実際に、「核兵器国」であるイギリスは、SLBMを搭載した潜水艦を配備することで、自らの核抑止力を維持する戦略を採用しています。

 もっとも、核兵器とは、多くの無辜の民間の人々が犠牲となる非人道的な兵器ですので、たとえ報復であったとしても使うべきではない、とする反対意見もありましょう。しかしながら、敵国国民のみならず、核兵器の使用が延いては報復による自国民の犠牲を意味するならば、兵器としての非人道性は第三の抑止力として働く可能性があります。核兵器を使用すれば、間接的には自国民をも大量虐殺する残虐で愚かな為政者にして人類に対する大罪人として歴史に名を残すこととなるからです(政府の基本的な役割の一つは国民の命を護ることにある・・・)。

 また、一国による核の使用が人類を滅亡させかねない全面的な核戦争に拡大しないための、連鎖性遮断措置も必要となりましょう。例えば、軍事同盟条約における集団的自衛権の発動要件において、核攻撃を受けた被害国以外の諸国は、通常兵器の使用は認めつつも核による反撃は控える、といった一定の制限を課すという方法も考えられます(ただし、核の抑止力を考慮すれば、同盟国による報復を認める方が効果があるかもしれないし、反撃に伴う核兵器の必要数や保有形態については緻密な戦略と計算を要する・・・)。なお、「核兵器使用禁止条約」の下では、核兵器の保有は全ての国に認められていますので、軍事同盟に基づいて「核兵器国」から‘核の傘’の提供を受ける必要はありません。

 そして次に考えるべきは、罰則や制裁の具体的な内容や仕組みです。執行の困難性については後日の記事に譲りますが、核攻撃を受けた被害国を含む全ての締約国は、分権かつ分散的な仕組みとして、条約に違反した核使用国に対して共同して下罰並びに制裁を行なう責任と義務を負うこととなりましょう。例えば、政治的には核兵器使用国を孤立化するための国交断絶が、そして、経済面では‘兵糧攻め’としての官民を含めた徹底した経済制裁や経済関係の停止などが挙げられましょう(つづく)。

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NPT体制に代わる核戦争回避システムとは?

2022年12月07日 13時07分35秒 | 国際政治
 核兵器の廃絶は、一国でも核兵器を保有する国が出現した時点で、殆ど不可能な目的となります。言い換えますと、核兵器の保有を禁止したいならば、誰もがそれを手にしていない段階、即ち、全ての諸国の立場や条件が同一である状態で行なうべきであったと言えましょう。しかしながら、核兵器は、戦時下にあって双方による勝利を決定づけるための‘絶対兵器’の開発競争の過程で登場していますので、全面的な核兵器の禁止が可能な状態まで時計の針を逆回りに戻すことはできないのです。

 核兵器の廃絶が絶望的であるとしますと、核戦争を回避するには、どのようなシステムを造ればよいのでしょうか。先ずもって、NPTは、適用の一般性に欠けた不平等条約であるために一般国際法の要件を欠いています。NPT、否、核に関する行動規範を定める国際法を定めるならば、その選択は、全ての諸国に対して核兵器を禁止するか、それを認めるか、の二つに一つとなるのですが、上述したように核廃絶が非現実的であるならば、その選択は後者とならざるを得ません。

この結論は、極めて現実的でロジカルなものですので、全諸国に対する核保有の解禁については、危険極まりない兵器の拡散として、倫理性を強調した批判的な見解もあるはずです。加えて、NPT体制において特権を保障されてきた「核兵器国」の強い反対も予測されます。暴力主義の国家が核を保有すれ事態ともなれば、核の脅威は格段に高まるという理由で。

しかしながら、北朝鮮やイランといった世界最悪とも言える狂信国家が核を保有したのは、あろうことかNPT体制の下でした。また、ロシアや中国と言った「核兵器国」が核の効果的利用を目指して核戦略を練り、それには‘存続危機事態’や‘国家統一’などを口実とした核の先制攻撃というオプションも含まれています。これらの諸点を考慮しますと、これらの反論には説得力がありません。今日の国際社会の現状は、NPTが無力どころか、同体制の危機増幅作用を人類に見せつけているのです。

全ての諸国が核を保有すれば、少なくとも「核兵器国」は「非核兵器国」に対して絶対的な有利性を誇示できなくなります。そして、このことは、抑止力の側面からすれば、国際社会において相互抑止体制が成立することを意味します。NPT体制では、「核兵器国」の間でしか作用していなかった核の抑止力は、ようやく「核兵器国」と現時点においては「非核兵器国」である諸国との間でも働くこととなるのです。これまでのNPT体制では、「非核兵器国」は、軍事同盟によって核の傘の提供を受けることはできても、自立的な抑止力を備える機会を奪われた形でしたので(常に自国の安全保障を「核兵器国」に依存せざるを得ない・・・)、全諸国による相互抑止体制の成立は、倫理的な観点に照らしても、必ずしも反平和主義者として批判を受けるとは限らないように思えます。核戦争回避が人類共通の目的である以上、倫理性には叶っていますし、合目的性も備えているとも言えましょう。

 もっとも、単に核兵器の保有を解禁したのでは、それを安易に使用する国が現れるリスクはゼロではありません。諸国家間の相互抑止力によって、核の使用は強力に制御されるものの、自滅、あるいは、差し違える刺し違えることを覚悟で核戦争に及ぶ狂信的な国家が出現しないとも限らないからです。自由意思を有するために、人の行動については100%の予測は不可能ですので、この点は、上記の批判の通りなのですが、国際社会全体において核兵器制御システムを構築するならば、全ての諸国が従うべき行動規範を設ける必要はありましょう。そして、この行動規範こそ、核兵器の使用の禁止と言うことになるのではないでしょうか。つまり、‘保有は許すけれども、使用は許さない’という一般原則です。この原則の下であれば、論理的には核の抑止力を最大限に生かしつつ、攻撃面における核の破壊力は極小まで抑えることができるのです。

力には、攻撃力と抑止力の二面性がありますが、核戦争の防止には、如何なる国であれ、勢力であれ、攻撃力として核を使用させない必要があります。この点、核兵器の保有禁止をもって核戦争を防止しようとする核兵器禁止条約は方向性が逆であり、無駄な努力となりかねません。法の支配の原則の下で新たな国際法を制定しようとするならば、全ての諸国に核の抑止力を認めた上での罰則規定付きの核兵器使用禁止条約であるべきであったと言えましょう(つづく)。

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NPT体制の不条理ー核廃絶は不可能では?

2022年12月06日 12時32分55秒 | 国際政治
考えてもみますと、「非核兵器国」にとりましてNPT体制ほど不条理なものはないかもしれません。何故ならば、大航海時代来、軍事大国が競うように勢力圏を広げる傍ら、金融財閥を中心とした世界権力によるコントロールが浸透した結果こそ、今日の国際社会におけるNPT体制であるからです。核兵器を生み出したのはこれらの勢力であるにも拘わらず、その危険性を理由に中小国が核を保有することを‘国際犯罪化’し、自らはそれを寡占してしまったのです。

これは、いわゆる自ら仕掛けて自らを利する‘マッチポンプ’であり、大多数の中小諸国は、核の抑止力を得ることも、核兵器国に対して正当防衛権を発動することも、事実上、封じられてしまいました。しかも、核技術は、原子力発電にも利用されますので、NPTは、「非核兵器国」のエネルギー供給手段をもコントロールしているのです。かくして「核兵器国」の横暴に対して「非核兵器国」はなすすべもなく、「核兵器国」との間で戦争ともなれば、その結果は決まっています。

法の主要な役割の一つが、属性の相違にも拘わらず等しく権利を保障すること、即ち、弱者の保護であるならば、NPTは、法としての存在意義に重大な疑義があるのです。‘力に勝る国が劣る国を支配しても良い’となりますと、この発想は、野蛮な時代への回帰であり、他者の自由や自己決定の権利を認めない奴隷制を認めたにも等しくなります。アーサー・デスモンドの唱えた反道徳主義とも言える「力は正義なり」にも通じましょう。

 ところが、大多数の「非核兵器国」は、NPT体制の不条理に気がついていません。不平等条約であることを認識していても、「非核兵器国」の多くは、核廃絶の美名をもって自らのNPT遵守の姿勢を堅持することで平和に貢献していると信じ込んできたのです。唯一の被爆国である日本国はとりわけこの傾向が著しく、核武装やNPT体制の見直しを言い出そうものなら、核兵器廃絶の方針に反するとして激しいバッシングを受けかねません。しかしながら、NPT体制の構造的な欠陥からしますと、「非核保有国」=平和国家という自己陶酔的な評価は疑わしくなります。

果たして、全ての国家の安全を保障しない国際制度を、今後とも維持すべきなのでしょうか。NPTは一般国際法としての要件を欠いており、かつ、意図的に杜撰な制度設計で済ませたことで、戦争利権と深く関わる故に「核兵器国」並びにその背後にあって隠然たる影響力を及ぼす世界権力が、全世界をコントロールし得る体制を構築しています。言い換えますと、NPT体制を抜本的に見直さない限り、人類は、繰り返されてきた戦争の歴史に終止符を打つことができず、近い将来、第三次世界大戦並びに核戦争を再び経験することとなりかねないのです。そして、NPT改革において最大の抵抗勢力となるのは、イスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮と言った不法並びに違法に核兵器を保有する諸国を含めた「核兵器国」となることは疑い得ません。

手強い‘抵抗’が予測されるものの、NPT改革は、現下のウクライナ紛争や懸念される台湾有事のみならず、そして日本国を含む各国の防衛政策にも関連しますので、緊急の課題です。そして、この問題に取りかかるに際して原点に返って考えるべきは、核兵器を保有する国が一国でも出現した場合、最早、核廃絶は不可能なのではないのか、という根本的な問いかけです。何故ならば、核保有国に核兵器を強制的に放棄させようとすれば、それを上回る物理的な強制力を有するからです。歴史を振り返りましても、マンハッタン計画にもって他国に先駆けて核兵器の開発に成功したアメリカは、それが人類滅亡を招きかねないほど危険であることに気付いても、自ら核兵器を捨てようとはつゆとも思わなかったことでしょう。戦争の勝敗を決定づける威力があったからこそ、そして、それが自国への攻撃を思いとどまらせる絶対的な抑止力となり得ることを熟知していたからこそ、これを使用したのであり、ソ連邦も他の核保有国も、非合法的手段を用いてまでこれを手に入れようとしたのです。

どの国も、同時、唯一の核保有国であるアメリカに対して力をもって核を放棄させることは不可能であることを十分すぎるぐらいに理解していたはずです。仮に、これを試みたとしても、核による報復を受けて無残な結果に終わったことでしょう。そして、核保有国が増加した後は、核保有国でさえ、他国に核兵器を放棄させようとすれば、自滅ともなりかねない核戦争を覚悟しなければならなくなったのです。核兵器を上回る破壊力を有する兵器が存在しない以上、あるいは、核兵器を確実に無力化する技術が確立していない状況下では(もっとも、これが実現すれば、通常兵器による戦争となり、また、結局は‘いたちごっこ’となる可能性も・・・)、一国でも核保有国が存在する場合、最早手遅れなのです(核禁止条約も、夢のまた夢では・・・)。

この側面に注目しますと、たとえ、NPT体制を抜本的に改革し、国家の統治機構レベルと同様に執行機能を整備し、中立・公平な執行機関を設けたとしても、核を放棄させることが極めて困難であることが分かります。NPTの執行機関は、国家の警察機関のように違反国を取り締まるだけの物理的強制力、即ち、核兵器を上回る武力を持ち得ないからです。となりますと、核戦争を回避するためには、立法、執行、司法機能の何れにあっても、国家の統治機構とは、根本的に異なる制度設計が必要と言うことになりましょう(つづく)。

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脆弱にして強固というNPT体制のパラドックス

2022年12月05日 12時54分53秒 | 国際政治
 NPT体制が内包する構造的欠陥は、今や誰の目にも明らかです。否、‘核なき世界’という理想郷へ誘う幻想が隠してきた実像が、核兵器国による核使用の可能性の高まりと共に、明確に姿を見せてきたと言っても過言ではありません。

 核戦争を未然に防止することを目的として成立したNPT体制は、制御システムとしてはあまりにも強度も耐性も不足しており、制度設計における決定的な誤りがあります。国内における法制度に照らしますと、先ずもって制度設計に際して必要となるのは、最低でも中立公平な立場が保障されている立法、執行、司法の三つの機能が必要とされます。そして、各々の機能を担う中立・公平な機関、あるいは、仕組みを設けなければ、法の実効性は殆ど期待できないのです。

 ところが、NPT体制を見ますと、立法段階である条約制定過程を見ますと、核兵器国を既に保有していた米ソ等の軍事大国、あるいは、世界権力の意向が強く働いています。核戦争の脅威を背景に大多数の国が締約国となったことから、多数決の原則からしますと手続き上の正当性を有するように思われがちです(そもそも、国際社会における立法機能は弱い・・・)。しかしながら、その内容は、‘不平等条約’とも称されるように、必ずしも全ての締約国に対して公平ではありません。法の前の平等原則に反しており、このため、一般国際法としての要件を欠いているのです。おそらく、同条約の‘立案者’は、核を独占する超大国による同盟国に対する‘核の傘’の提供により、同条約が冷戦構造をさらに強固にすることを十分に理解していたのでしょう。そして、NPTへの加盟圧力そのものが、核保有国による武力、あるいは、核による威嚇であった可能性をも示唆しているのです。

 加えて、NPT体制には、執行並びに司法の仕組みも欠落しており、査察を担うIAEAを除いて中立・公平な立場が保障されている国際機関はありません。否、IAEAの監視の下で厳しいチェックを受けるのは「非核保有国」のみであり、核使用のリスクが最も高い「核兵器国」に対しては殆ど野放し状態なのです。このため、現在、中国は核兵器の更なる増強に向けてひた走っています。

 また、「核兵器国」は、過去にあってはイラクやリビア、そして、今日では北朝鮮やイランといった核開発を試みた「非核兵器国」に対しては一先ずは拳を振り上げる一方で(もっとも、NPTは、「非核兵器国」が核兵器を保有した場合、核兵器の強制排除を「核保有国」が行なうとは規定していない・・・)、「核兵器国」自身が核軍縮を怠ったとしても罰則がありません。つまり、「核兵器国」は、自らを安全地帯に置きつつ、「非核兵器国」の核保有の動きに対しては厳罰を以て臨んでいるのです。

 加えて、核軍縮については、「核兵器国」による一方的な単独核放棄を促すのではなく、あくまでもライバル国、あるいは、相手国の存在を前提としています。これは、「核保有国」間における‘核の均衡’を強く意識した結果と推測されるのですが、裏を返しますと、核を独占する「核兵器国」間の‘談合’によって国際社会全体がコントロールされる可能性を示唆しています。また、NPTは、核の平和利用、すなわち、原子力活動に対して字数を割いており、このことは、「非核保有国」は、核兵器のみならず原子力発電についても「核保有国」のコントロール下に置かれることを意味しています。NPT体制は、軍事のみならず、締約国のエネルギー政策の権限を縛っており、重要な経済問題でもあるのです。

 なお、同条約が‘不平等条約’であることから、NPTは全ての国家に等しく適用される行動規範を定めた一般国際法ではなく、「核兵器国」と「非核兵器国」との間の合意を記した任意の協定に過ぎないという見方もありましょう。NPT合意文書説に基づけば、核を放棄した「非核兵器国」に対する「核兵器国」側からの条約上の反対給付は、第6条の核軍縮ということになります(核の不拡散については、「非核兵器国」には「核兵器国」に対して譲渡や移転等を要求する権利はないので、反対給付とは言えない・・・)。ここで注意を要することは、同条約は、「核兵器国」による反対給付を‘核兵器の不使用’とは明記していない点です。同条約の目的は核戦争の回避ですので、核の有する絶対的な攻撃力並びに抑止力を考慮すれば、核軍縮交渉という反対給付は、あまりにも「核兵器国」に有利な条件です。もっとも、仮に単なる合意であるならば、一国でも同合意に反する行動をとる義務不履行の国が出現すれば、即、同合意は解消できますので、現時点にあってNPTは既に空文化していることとなりますが、NPTは、第10条において脱退要件を定めていますので、あくまでも一般国際法として自己規定しているのでしょう。

 以上に述べてきましたように、NPT体制の構造的欠陥は疑いようなく、このため、「核兵器国」と「非核兵器国」とが戦争に至った場合には後者には全く勝ち目はありません。今日では、「核兵器国」による‘核の傘’も怪しくなっています。「非核兵器国」の敗戦は、NPTによって予め運命付けられているのです。核の不保持が「核兵器国」に対する「非核兵器国」の戦争における必敗を意味するならば、これは、後者による抑止力並びに正当防衛権の放棄と同義ともなりましょう。もっとも、たとえ「非核兵器国」が「核兵器国」から侵略を受け、通常兵器戦の末であれ、後者の核使用によって国家が滅亡しても、核による報復がない、即ち、核戦争には至らなかったとして同体制を擁護する意見もあるかもしれません。しかしながら、NPTへの加盟が国家滅亡のリスクを高めるのならば、「非核兵器国」に対してこうした過酷で非情な選択を迫る体制こそ間違っているように思えます。

 物事には、ポジとネガのように見方によって評価が正反対となる場合があります。NPT体制には、「非核兵器国」にとりましては極めて‘脆弱’でありながら、「核兵器国」にとりましては不動の核独占の体制固める、即ち、‘強固’となるというパラドックスがあるのです(つづく)。

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NPT体制の致命的欠陥-何故ロシアの核使用問題が発生したのか

2022年12月02日 17時29分51秒 | 国際政治
 NPT体制とは、人類史上にあって最も破壊的で非人道的兵器とされる核兵器による戦争、即ち、核戦争を未然に防ぐための国際システムとして一般的には理解されています。同目的を実現するために、NPTでは、核兵器の保有のみならず、使用の前段階となるテクノロジーの開発並びに核ミサイルの運搬手段(ミサイル等・・・)をも規制の対象としております。核戦争の回避という目的は正しいのですが、今日の状況は理想からほど遠いばかりか、逆に安全保障上のリスクを高める方向に作用しているかのようです。それでは、同体制の逆機能の原因は、一体、どこにあるのでしょうか。

第一に、NPTには、違反国を取り締まる仕組みが設けられていない点を挙げることができます。刑法がそうあるように、法律だけが存在していても、違反者がいなくなるわけではありません。警察という物理的な強制力を有する法の執行機関があってこそ、違法行為や犯罪を取り締まることができるのです。法に基づいてある特定の有害行為を封じようとすれば、執行機関は不可欠となるのですが、NPTは、執行レベルにあっては極めて不十分な仕組みしか設けていません。締約国の条約遵守状況を査察する国際機関としてIAEAが設立されてはいるものの、その役割は査察等の作業に限定されており、違反国が出現してもそれを確実に取り締まることができないのです。また、制裁や下罰等に関する罰則規定や訴訟手続き関する条項もありませんので、司法機能も欠落しています。

第二の問題点は、「核兵器国」という存在が、あまりにも曖昧な点です。言わずもがな、NPTは、核兵器国の存在を認めています。同条約の名称が‘不拡散’と表現されているのも、「核兵器国」の存在を前提としているからに他なりません。それでは、合法的に核を保有できる国、即ち、「核兵器国」はどのような国かと申しますと、NPT第9条3項によれば、「核兵器国」は「1967年1月1日以前に核兵器を爆発させた国」と定義されています。多くの人々が、NPT体制の維持について国連安保理の常任理事国が責任を負っているものと信じがちですが、NPTでは、国連安保理常任理事国の五カ国=「核兵器国」ではないのです。つまり、条文をよく読みますと、国連が同体制の維持に必要となる執行機能を担い、それを保障するわけではないことが分かります。NPTは、「核兵器国」のみに同兵器の保有を許されるのか、その理由を明確には語っていないどころか、これらの‘特権国’に対して責任さえ負わせてはいないのです。

第三に、「核兵器国」の攻撃力が問題となります。核戦争をなくすためには、核兵器の不使用が不可欠となるのですが、NPTは、核軍縮交渉の実施を「核兵器国」に誓わせつつも、核使用の禁止については全く言及していません。条約の主たる内容は、あくまでも、核兵器並びに運搬手段等の非核兵器国への‘拡散防止’であって、「核兵器国」の核兵器の不行使ではないのです。NPTが掲げる目的は核戦争の防止ですので、この‘沈黙’は、同体制が抱えている致命的な矛盾と言っても過言ではありません。核戦争の制御を訴えながら、核兵器を独占し、その当事国となる可能性が最も高い「核兵器国」に対しては全く制御装置を設けていないのですから。これでは、NPT体制が健全な制御システムとして機能しないのは当然のことです。

このため、実際に、ロシアは、その使用の可能性を織り込んだ上で、既に戦略核並びに戦術核を自国の防衛・安全保障政策に組み込んでいます。このことが、ウクライナ紛争におけるロシアによる核兵器使用の可能性を高めており、核戦争の危機を招いていると言えましょう。ロシアのみならず、NPTに加盟していない、あるいは非合法的に核を保有しているイスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮などを含めた全ての「核兵器国」も、公表の如何に拘わらず、核戦略の自国の軍事政策の基盤となっているものと推測されます。結局、NPT体制下では、「核兵器国」のみが抜きん出た攻撃力を有することで、特権的地位を自国のために利用しているのです。

そして、第4に挙げるべき欠点は、抑止面に見られます。先ずもって指摘されるのが、「核兵器国」相互おける奇妙な核の抑止力です。NPTは「核兵器国」の存在を認めているために、これらの諸国間で核戦争が起きる可能性を残しているのですが、現実あって核戦争が起きていない理由は、「核兵器国」相互に抑止力が働いているからです。核兵器は危険として「非核兵器国」からは核の抑止力を取り上げる一方で、「核兵器国」自身は、その抑止力を積極的に肯定しているのです。なお、相互確証破壊の論理は、「核兵器国」間の‘核の均衡’をもって説明されますが、同論理に従えば、「核兵器国」にあって一方的に核を放棄する国が現れた場合、同均衡が崩壊することを意味します。このため、一国でも核兵器国が存在していれば、均衡の維持を正当な根拠として「核兵器国」は核放棄を拒否できるのです。そして、この均衡論の主張は、本来、「核兵器国」と「非核兵器国」との間にあっても正当性をもつはずです。

 また、抑止力の面に関しては、‘核の傘’も問題点となりましょう。何故ならば、NPT体制にあっては、‘核の傘’という抑止力は、「核兵器国」の軍事同盟国のみにしか提供されないからです。言い換えますと、NPT体制は、全ての「非核兵器国」の安全を守ってはいないのです。2度の世界大戦が諸国を2分化するような2大陣営が築かれたことにも原因があるにもかかわらず、“核の傘”の理論は、再び諸国の陣営化を促しているとも言えましょう(世界の大多数となる「非核兵器国」は、「核兵器国」の何れかと同盟を結ばなければ、核の抑止力を得られない)。

その一方で、「核兵器国」は、NPTを根拠として「非核兵器国」の核保有を核兵器をもって阻止しようとするかもしれません。実際に、ロシアが2020年6月2日に公表した核抑止の分野におけるロシア連邦国家政策の基礎について」では、核使用の基準が示されると共に、同国の核の抑止戦略の対象をも明らかにしています。その中には、NPTの内容と重なる要件も多く、この場合には、たとえNPTから合法的に脱退したとしても、「核兵器国」は、「核兵器国」の侵略を未然に防ぐために核武装を試みた国に対して核攻撃を加えるという本末転倒の事態も想定されるのです(つづく)。

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ゼレンスキー大統領のロシア核不使用発言を考える

2022年12月01日 11時37分45秒 | 国際政治
今日の国際社会ではNPT体制が成立しております。このため、現在、核を保有している国は、国連安保理の常任理事国をはじめとしたごく少数に過ぎません。このNPT体制下における核兵器保有国と非保有国との間の非対称性が、今日、国際の平和と安全を脅かす様々なリスクをもたらしているのですが、核保有国による同兵器の使用はあり得るだけに事態は深刻です。ところが、昨日の11月30日、ウクライナのゼレンスキー大統領は、ロシアの核兵器使用について否定的な見解を示しています。同大統領の楽観的な発言は、一体、何を意味しているのでしょうか。
 
ロシアの核戦略を見ますと、2020年6月2日にプーチン大統領は「核抑止の分野におけるロシア連邦国家政策の基礎について」を公表し、核使用条件を明らかにしています。回使用の条件とは、(1)ロシア及びその同盟国の領域を攻撃対象とする大陸弾道弾ミサイル発射に関する信頼し得る情報を得たとき(武装解除打撃)、(2)ロシア及び同盟国の領域に対して核兵器その他大量破壊兵器を使用したとき(反撃報復)、(3)核による反撃報復を凡そ不可能とするような政府施設や軍事施設に対する干渉があったとき、そして、(4)通常兵器によるロシアへの侵略により存立危機に瀕したときの4者となります。

(4)の条件だけを取り上げましても、ロシアは既に自らが武力で占領した4州を国内法によって併合していますので、同国が核兵器を自国に対して使用する可能性は否定できないはずです。戦争当事国の大統領である以上、ゼレンスキー大統領もロシアの核兵器使用の条件については熟知しているはずですので、仮にロシアの核不使用を確信しているとすれば、同大統領の発言には、以下のような推測が成り立つように思えます。

第1の推測は、同大統領がウクライナ東・南部の4州の完全奪還は諦めたというものです。この推測が正しければ、ロシアがウクライナ軍による占領地奪還作戦を‘侵略’とみなし、かつ、存立危機事態と認定しない程度において紛争を収める準備があることを暗に示したことになります。いわば、停戦交渉、あるいは、領土交渉に向けたロシアへのメッセージということになりましょう(核兵器使用を決断するまでロシアを追い詰めるつもりはない・・・)。なお、ウクライナ紛争は局地的なものであり、ロシア全土を脅かす程ではないとの反論もありましょうが、敗戦が確実となれば、ウクライナ側から巨額の賠償金を請求される可能性が高く、比較的経済規模が小さいロシアにとりましては、死活的な存立危機となりましょう。

第2に推測されるゼレンスキー大統領の意図とは、ウクライナ紛争を通常兵器の使用に留めることで、敢えて紛争を長期化させようというものです。核兵器の使用は戦争の勝敗を決しますので、この推測に基づけば、同大統領の真の戦争目的は、戦時体制維持の必要性を国民に納得させつつ、ウクライナに長期的な‘ゼレンスキー体制’を敷くことにあるのかもしれません。

そして、第3の推測は、ゼレンスキー大統領がNATOを巻き込む方針を放棄した、というものです。これまで、同大統領は、ロシアの脅威を煽りつつ、事あるごとにNATO参戦の必要性を訴え、同方向に誘導しようとしてきました。しかしながら、上述した(1)から(3)までのロシアの核兵器使用の条件を知りながらロシアの核使用がないとみなしているとすれば、‘NATO参戦の可能性は最早ない’と判断したことになりましょう。

もっとも、NATOにつきましては、ゼレンスキー大統領は、ロシアの核不使用に言及することで同紛争へのNATO参戦のハードルを下げようとした、とする見方もありましょう。しかしながら、高度な情報分析能力を備えたNATOが同大統領の楽観的憶測とも言える発言を鵜呑みにするはずもなく、仮に、NATOの好意的な反応を期待していたとすれば、同大統領の戦時下の指導者としての資質が問われることにもなりましょう。

 以上に、ゼレンスキー大統領の発言について推測してみましたが、これとほぼ同時に、ロシアのラブロフ外相も、核保有国同士の間では、核兵器のみならず通常兵器による軍事衝突も回避すべきと述べています。同発言には、アメリカをはじめとするNATOによるウクライナ支援が紛争を長引かせているとの批判が込められているのですが、両者の発言は、偶然の一致でもないのかもしれません。同外相の抑制的な態度からしますと、既にロシアとアメリカ及びNATOとの間で何らかの‘手打ち’が済んでいるようにも思えるのです。あるいは、背後で世界権力がコントロールしているとすれば、今般のウクライナ紛争についてはこの程度で事態を収め、核保有国が絶対的に有利となるNPT体制の維持、即ち、安全保障理事会常任理事国の5カ国のみならず、イスラエル、インド、パキスタン並びに北朝鮮をも含めた核保有国の特権維持を優先したとも推測されましょう(つづく)。

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防衛には合理性の徹底が必要では-勝てない戦争の問題

2022年11月30日 11時27分05秒 | 国際政治
 日本国政府は、NATO諸国の基準に合わせて防衛費をGDPの2%に当たる額まで増額する方針を示しています。財源は増税と言うことなのですが、防衛の分野では、予算の配分に際して合理性に徹しませんと、全くの無駄になってしまうことも稀ではありません。

 昨日、11月29日に米国防総省が発表した中国の軍事活動に関する年次報告書によりますと、中国は、1935年を目処に核兵器の保有数を現在の4倍強となる1500発まで増強する方針なそうです。‘持てる国’と‘持たざる国’との格差は広がるばかりなのですが、NPT体制の致命的な欠陥を考慮しますと、日本国政府の軍備増強は、無駄などころか日本国を滅亡させかねないリスクがあります。

 それでは、何故、軍備を増強すると日本国が消滅するのでしょうか。力には攻撃力と抑止力の両面がありますので、今般の防衛力増強の方針については、反撃能力を備えることも目的の一つとされていますので、攻撃・抑止の両面を強化する一石二鳥の策と言えましょう。自公政権の説明は、抑止力の側面を強調しているものの、同時に攻撃力が強まることも確かなことです。しかしながら、今日、国際社会には、NPT体制が成立している点を考慮しますと、必ずしも反撃力への傾斜的予算の配分が、自国の安全と繋がるとは限らないことに気がつかされます。

 何故ならば、NPTを遵守している限り、日本国は、通常兵器のみで戦わざるを得ないからです。その一方で、中国は、上述したように核兵力の増強に踏み切っています。NPTでは、核保有国に対して核軍縮の協議を行なうように義務づけているのですが、中国には、同義務に従う意思はさらさらないのです。言い換えますと、仮に中国が核兵器の使用に踏み切った場合、現時点でさえ400発程の核ミサイルを保有しているのですから、非核保有国は、核ミサイルの一斉攻撃を受け、国家滅亡を運命付けられてしまうのです。この運命は、たとえ日本国が反撃能力を備えたとしても、免れることはできません。先制攻撃となる第一撃において中国が日本国の反撃力を予め完全に排除するために核兵器を使用するケースも想定されるのですが、通常兵器による戦いから始まったとしても、日本国並びに日本国民の置かれる状況はあまりにも悲劇的です。

 ウクライナ紛争にあっては、ロシアは、現段階では核兵器を使用しておらず、双方共に通常兵器の戦いに終始しています。また、国際社会では、核保有国に対して核の不使用が強く訴えられています。このため、核の使用は考慮から外しても構わないとする楽観的な見解もないわけではありませんが、通常兵器による戦いは、日本国にとりまして悲惨な結果しか予測できないのです。

 第一に、使用兵器を通常兵器戦に限定した場合、戦争の長期化が予測されます。日本国政府の計画が実現すれば、今後、防衛費は5年間の総額で凡そ40兆円に増額されますし、GDP2%の予算原則を継続してゆけば、防衛力が強まることは確かです。また、日米同盟に基づく米軍の援軍も期待できますので、通常兵器戦での戦いは必ずしも不利とは言えません。しかしながら、GDP規模で日本国を上回る中国の軍事予算は日本国を遥かに上回ります。しかも、同年次報告書が指摘するように、中国の兵器開発は、宇宙空間をも視野に入れており、「インテリジェント化」も積極的に推進しています。近い将来、中国の軍事力は量と質の両面においてアメリカを上回るとする予測もありますので、時間の経過と共に、通常兵器戦でも日米側が不利に傾くと同時に、戦争は、泥沼化してゆくものと予測されるのです。

 通常兵器のみによる戦いは、戦争の長期化に伴う延々と続く双方の人命の犠牲と国土の破壊を意味します。勝敗を決するような決定的な出来事が起きない限り、戦争状態がだらだらと続く一方で、国民は、たとえ休戦協定が成立したとしても、長期に亘り凡そ全体主義と同義となる戦時体制下に置かれます(オーウェルが描いた『1984年』の世界・・・)。人的、物的被害が日本国を蝕み、資源も軍備に優先的に配分されますので、経済が衰退すると同時に国民生活も困窮することでしょう。

 第二に、通常兵器戦で日本国側が優位な戦況となっても、核保有国が相手国となる戦争では、戦争の勝敗はいとも簡単に覆されてしまいます。日本国の勝利が目前となれば、最終兵器として中国は核を使用することでしょう。現在、ウクライナに対して核兵器が使用されていないのは、劣勢が報じられつつも、ロシアは核兵器使用を決断するほどには追い詰められていないからとされます。日本国内でも、集団的自衛権の発動や反撃能力については、「存立危機事態」に際しては許されるとする見解が示されていますが、ロシアであれ、中国であれ、核保有国は、同様の論理によって核兵器の使用を躊躇わないものと推測されます(中国の1500発の核兵器は日本国を壊滅させることはできても、日本国は、その逆はできない・・・)。

 中国の核使用については、日本国に同盟国であるアメリカがさしかけている‘核の傘’を以て抑止されるとする期待があるものの、対日核攻撃を目の当たりにしたアメリカが、自国への報復核攻撃を覚悟してまで核兵器による対中反撃を試みるかどうかは未知数です。否、自国の安全を優先し、核による対中報復を思いとどまる可能性の方が高いと言えましょう。この観点からニュークリアシェアリングを見ますと、日本国への米軍の核配備は、双方の報復による核戦争の舞台が日中両国になるか、あるいは、核のボタンを握るアメリカの判断により日本国配備の核ミサイルは発射されることなく放置されるかもしれません。

 以上に述べましたように、通常兵器による戦いは、決定的に日本国側に不利となります(ただし、‘通常兵器’が、中国から発射された核ミサイルをすべて打ち落とす能力がある場合のみ、購入配備する価値はある)。となりますと、この否定しがたい事実を前提とした防衛政策を策定しないことには、日本国政府による軍備増強は気休めにしか過ぎなくなります。そこで、より現実的な対応を試みるとすれば、反撃能力を備えるならば日本国は独自に核を保有すべきですし、「武力攻撃事態」並びに「存立危機事態」に直面しても、あくまでもNPTを遵守するならば、防衛予算は、ミサイルによる大規模攻撃に備えた反撃能力よりも地対空ミサイルやミサイル防衛システムの導入といった防衛面に重点的に配分すべきと言えましょう(原子力発電所の周辺にも配備が必要かもしれない・・・)。防衛政策には徹底した合理性並びにリアリズムが必要であり、これらをなくしては、国家や国民を守ることはできないと思うのです(つづく)。

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中国国民による反体制デモの吉凶

2022年11月29日 10時39分44秒 | 国際政治
 厳格な情報統制が敷かれ、徹底した国民監視体制を整備してきた中国において、遂に習近平国家主席並びに共産党一党独裁体制の退陣を求めるデモが起きたそうです。現体制の幕引きを求める声とは、即ち、自由化並びに民主化を求める声に他ならず、天安門事件以来の反体制運動とする指摘もあります。その背景には、新型コロナウイルスの感染者数をゼロに封じ込めようとする習政権強硬政策があるのですが、同運動、吉と出るのか、凶と出るのか、現段階では判断が難しい状況にあります。

習政権が推進してきた‘ゼロ・コロナ’とは国民向けの表向きの理由に過ぎず、その真の目的は、国民管理体制の一層の強化であったかのもしれません。感染者や陽性者に対する隔離政策は、あたたかも自宅軟禁や強制収容所への収監の如くであり、‘ゼロ・コロナ’は、国民を監獄に閉じ込めるための絶好の口実です。‘国民の命を感染症から守るため’と称しつつ、その実態は、‘習近平独裁体制を国民から守るため’であったのかもしれないのですから。しかも、目下、中国では不動産バブルの崩壊も懸念されており、経済成長も著しく鈍化しています。若年層の失業率も20%台ともされ、自らの将来に絶望した人々が、権力も富も一部の特権階級が独占する現体制の打破を目指してもおかしくはありません。今後、同運動がさらなる拡大を見せ、多くの国民が参加、あるいは、賛同する中で国民を独裁者や共産党による圧政から解放し、民主主義体制へと転換する契機ともなれば、同運動は、民主国家中国の出発点ともなりましょう。

中国が民主化されれば、国際社会もまたチャイナ・リスクの低下に安堵するのですが、こうした‘吉’となる展開が期待される一方で、中国は、権謀術数に長けた国であり、かつ、外部からの狡猾な‘入れ知恵’も推測されますので、それなりの警戒も必要なように思えます。最大の懸念材料は、同運動が、習政権あるいは世界権力の‘罠’もしくは‘カバー・ストーリー’である点です。

第1の可能性は、習主席をはじめとした体制派が、敢えて反体制派の国民や不満分子を炙り出し、一網打尽に排除するために、その‘おとり’としてデモを仕組んでいる、あるいは、内部からコントロールしているというものです。この場合、弾圧の手はずは既に整えられており、天安門事件や香港での経緯と同様に、抗議運動が一定の段階まで進行した段階で、人民解放軍の投入も辞さずの構えでデモ参加者の人々を一掃してしまうことでしょう。天安門事件でも、学生側の組織内部に工作員が送り込まれており、事態がエスカレートする方向に煽ったとされます。

第2に、同運動もまた、‘カラー革命’の様相を呈しています。今回は、自由を象徴するとして白色が選ばれていますが、‘オレンジ革命’や‘パープル革命’といった特定の色に反体制や共闘の意味を持たせる‘カラー革命’の背後には、しばしばソロス財団といった世界権力が潜んでいると指摘されてきました。今般の反体制デモが‘白色革命’であれば、その狙いは、民主的で安定した新生中国の誕生ではなく、利権を漁るに好都合な長期的な混沌・混乱状態であるかもしれません(もっとも、敢えて’無カラー’の白を選んだ可能性、あるいは、共産主義の’赤’への対抗という可能性も・・・)。たとえ‘白色革命’が成功し、共産党一党独裁体制が崩壊したとしても、いつまで経っても民主的制度が整わず、国民が自由も安定した生活も享受できないという事態も想定されるのです。

第3に、反体制デモの首謀者が、独裁体制を強化したい習国家主席であれ、体制崩壊に導きたい世界権力であれ、そして、両者の共謀であれ、その目的は、戦争への導火線を引くことである可能性もあります。これは、カバー・ストーリーのための‘アリバイ造り’とでも表現すべき策略であり、‘国民の不満を外部の敵に向けるため’と称して戦争を始めるというリスクです。奇妙なお話なのですが、国情が不安定な国家が、死活的な国益の衝突がないにもかかわらずに戦争に訴える場合、‘国民の不満が高まったから’とする説明に納得してしまう人は少なくないのです。

これらの3つのケースの場合、反体制デモは‘凶’となるのですが、もう一つ、吉凶のどちらとも付かないケースがあるとすれば、それは、先の共産党全国大会にあって、習主席によって失脚を余儀なくされた胡錦濤派(共青団)、あるいは、江沢民派(上海幇)による巻き返しである可能性です。天安門事件の激化も、民主派とされた胡耀邦氏の死去を機としており、胡錦濤前主席はかつて胡耀邦氏を後押ししていただけに、この線もあり得るように思えます。指導層内部の権力闘争が絡んでいるとすれば、国民の支持、あるいは、アメリカをはじめとした諸外国の対応次第では、天安門事件とは異なる展開となるかもしれません。

以上に、中国で発生した反体制デモについて述べてきましたが、‘凶’とならないためには、事態の慎重な見極めを要しましょう。現体制を変えたいとする中国国民による自発的な参加やサポートが増え、かつ、罠や外部からの工作に対する警戒を怠らずに賢明な行動を心がけるほど、‘吉’と出る可能性は高まります。中国の国民には、自らの手で自由と民主主義を勝ち取っていただきたいと願うのです。

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ロシアによる日本攻撃計画を読む

2022年11月28日 12時35分41秒 | 国際政治
今月11月25日付でニューズウィーク誌が報じたある記事が、日本国内で、注目を集めることとなりました。その記事とは、ウクライナへの軍事介入に先立つ2021年8月頃に、ロシアが、かなり真剣に対日攻撃を準備していたというものです。にわかには信じがたい記事の内容なのですが、同記事は、一体、何を意味しているのでしょうか。

同記事が正しければ、プーチン大統領の第一義的な目的は、ウクライナ国内のロシア系住民を保護することでも、東南部も分離独立を支援することでもなく、‘戦争を起こすこと’であった、ということになりましょう。ウクライナは選択肢の一つに過ぎず、戦争さえ引き起こすことができれば、どこでも構わなかったのです。もっとも、日本国が相手では、国際社会に対して正当性や合法性を主張し得る戦争の口実を‘創る’のが難しく、準備はしたけれども、結局は断念したと言うことなのでしょう。昨年の8月8日に、ロシアは、第二次世界大戦時の日本軍に関する機密文書が解除しましたが、同月中旬頃になると報道の論調が過激となり、「日本は残忍な生物化学の実験を行い、残酷で、ナチズムへと向かう性向がある」とする方向に世論を誘導しています。対日糾弾の激化は、開戦を前にした敵愾心を煽り、自らを‘被害側’と位置づけるための戦争プロパガンダの一環と見られますので、同情報は、ある一面、事実を述べているのでしょう。しかしながら、同記事には、不審な点もいくつか見られます。

第一に、記事の出所は、ロシアのロシア連邦保安庁(FSB)に潜んでいる‘内部告発者’としています。「変革の風」を名乗る同内部告発者は、フランスに亡命した元実業家にして人権擁護活動かであり、かつ、ロシア内部の腐敗を告発する「グラグ・ネット」の運営者であるウラジミール・オセチキン氏に情報を提供しており、今般の対日攻撃準備の件も、同氏からのメールによるそうです。記事の信憑性については、専門家がお墨付きを与えていますが、厳格な情報統制が敷かれているロシアにあって、かくも容易に内部告発のメールが送信できるのも、不審な点の一つです。むしろ、‘内部告発者’が二重スパイ、あるいは、偽情報を掴ませるための工作である可能性もありましょう。

第二に、同情報を公開した目的についても、不審点があります。何故ならば、ロシアによる対日攻撃準備が事実であれば、同情報によって最も‘得’をするのは、ウクライナであるからです。ウクライナは、‘自国は日本国の身代わりとなった犠牲者である’とする立場を国際社会に対してアピールできます。ポーランドへのミサイル着弾事件を機に、ゼレンスキー大統領に対する風当たりも強くなり、アメリカでも、ウクライナへ支援の見直しを求める声も上がっています。窮地にあるウクライナが、他の諸国、特に日本国の支援を引き留めるために、‘身代わり説’を流布しようとした可能性も否定はできません。

第三の不審点は、ロシアの計画があまりにも無謀である点です。同記事では、北方領土問題が発火点となるかのように説明していますが、現在、北方領土は、既にロシアの占領下にあり、同国の国内法によって併合されています。仮に、北方領土が発端となるとすれば、ロシアではなく、日本国が、領土奪還を口実にロシアに対して武力攻撃しなければ、戦争は始まらないのです。このシナリオは、日本国内の世論や政治状況にあっては不可能に近いと言えましょう。また、日米同盟が存在していますので、ロシア側が日本国を攻撃すれば、米軍と戦うことをも覚悟しなければならなくなります。同記事では、局地戦になるとしていますが、プーチン大統領の真の目的は、対日戦争を越えた第三次世界大戦の誘発であったと考えざるを得ないのです。もっとも、日本国側からの先制であれば、日米同盟は発動されませんので、何らかの方法で日本国を挑発しようとしたとも考えられます。

そして、第4の不審点は、記事が述べている「反日情報キャンペーン」の内容が、中国の主張と重なる点です。731部隊については、同部隊が人体実験の対象としたとされる人々が、主として捕虜やスパイ容疑で拘束されていた中国人であったことから(もっとも、真偽については議論がある・・・)、中国側が積極的に対日プロパガンダに用いてきました。少数ながらもロシア人も実験の犠牲者となったとする指摘もありますが、対日攻撃の根拠としてはあまりも薄すぎます。むしろ、ロシアではなく、中国の計画なのではないかとする疑いも生じます。

 以上に主たる不審点として4点ほどを挙げてみましたが、今般の対日攻撃計画は、どこか、‘ちぐはぐ感’が拭いきれません。その一方で、ある一つのシナリオを想定しますと、ロシアや同情報を発信する側の不審行動に説明が付くように思えます。それは、同計画は、ロシアというよりも、ロシアをも背後からコントロールする‘世界権力’によるものではなかったのか、というものです。第三次世界大戦を渇望しているのは‘世界権力’であり、今なおも、傘下のメディアを駆使して同シナリオを実現すべくグローバルな情報操作を実行しているのかもしれないのです。どの国のどの地域であれ、第三次世界大戦さえ起こせば、彼らの野望は達成されるのでしょう(それ故に、中国が同計画を実行に移す可能性も・・・)。

 同記事を書いたのは、イザベル・ファン・ブリューゲンという名の記者であり、オランダ系である点も気にかかるところです。本記事への日本国内での反応として対ロ戦争を想定した軍備増強論も聞かれますが、煽られた末に戦争への道に引きずり込まれないよう、情報作戦や世論誘導のリスクには十分に気をつけるべきではないかと思うのです。

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現代の政治制度に欠けている理系思考-強度設計への無関心

2022年11月25日 11時10分31秒 | 統治制度論
 今日の政治の世界は、不条理かつ筋の通らない出来事が多々見受けられ、しかも政治家による利己的欲望が目に余る腐敗をもたらしています。国際社会にあっては紛争や戦争が後を絶たず、外部から迫り来る安全保障上の脅威は、自由や権利の制限並びに増税といった形で国民をも圧迫しています。加えて、世界権力によるデジタル全体主義の影も忍び寄っており、状況は悪化する一途を辿っているかのようなのです。こうした状況を目の当たりにしますと、現代の政治には、決定的に欠けているものがあるのではないかと、ふと、思うようになりました。欠けているもの、それは、理系思考です。

 例えば、民主主義という価値を具体化する制度について考えてみましょう。前回のアメリカ大統領選挙のみならず、今般のアメリカの中間選挙でも、不正選挙疑惑が持ち上がることとなりました。政権の正当性を揺るがす大問題に発展したのですが、デジタル技術の有無に拘わらず、民主的選挙制度が極めて脆弱であり、十分に民主主義を具現化していないことは疑いようもありません。従来型の買収や組織票の問題もありますし、地割りとなる選挙区自体がそもそも適切であるのか、といった根本的な疑問もあります。この結果、政治と民意との間には真逆ほどの相違が生じる事態を招いています。つまり、制度設計上に重大な欠陥があるにも拘わらず、政治家の誰もが、自らの損得勘定ばかりに関心を向けてそれを是正しようとしないのです。

 例えば、構造力学的な視点から見ますと、重大な欠陥を放置したままに設計図どおりに建設し、それを運営することはあり得ないことです。デザイン画が如何にすばらしく描かれた橋や建物でも、強度計算を怠ったり、それを無視しますと、橋はあえなく落下してしまい、建物も崩れてしまうからです。崩壊しない建造物を造るためには、極めて緻密に強度の計算をし、安全基準を満たさなければならないのです。

 構造物に作用する荷重は一つではなく、主荷重、従荷重、特殊荷重などを合わせると20以上にも及びます。加えて、力学、地質学、土質工学、水理学、振動学、地震学などの幅広い知識をも要します。建造物はこれらの全てに耐えなければならず、強度設計は、それを用いる人々の命を守るために必要不可欠となる極めて基礎的な作業なのです。普段は意識されないのですが、あらゆるインフラストラクチャーも、強度計算があってこそ初めて人々が安心して使うことができるのです。

 こうした観点からしますと、今日の民主的選挙制度とは、デザイン画の段階に過ぎないようにも思えてきます(イデオロギーに至っては、その最たるもの・・・)。選挙に際して内部、並びに、外部から加わるあらゆる‘荷重’について、それらに耐えるための工夫が十分になされているとは言い難いからです。力学的発想を加えれば、民主的選挙制度は、金融・財閥からのマネー・パワー、各種利益団体のロビイング、メディアの世論操作、外国からの政治・軍事的圧力といった外部荷重に耐えるよう設計されなければなりませんし、近年のデジタル技術の発展については、それが選挙に与える負の作用についても強度計算に加える必要がありましょう。また、新興宗教団体の動員パワーなども、国民と政治との繋がりを絶ちかねない危険な荷重となります。政治では、様々な要因が、民主的制度を脆弱化する荷重として働きますので、これら全てのマイナス影響をゼロ、あるいは、最小化し得る制度設計が望ましいと言うことになるのです。選挙の結果に対して疑いが生じている現行の選挙制度は、既に民主的制度としては崩壊しているとも言えましょう。

 こうした理系思考の欠如は、政治のみではなく、経済や社会においても見られます。度々バブル崩壊を起こす金融の世界も、‘水流’や‘水圧’が調整されておらず、‘治水システム’が未整備であるからなのでしょう。バブルを未然に防ぐためには、金融システムの設計に際しては、様々な荷重に関する複雑な計算を行なう必要があるのかもしれません。

 もっとも、理系の世界は基本的には物理的法則に従いますので、普遍的な計算式を導き出すことができますが、文系の世界では、人々の意思が決定要因となりますので、感情による制御不能や予測不可能性、並びに、情報の正確性や充足性の確保など、それ固有の問題があります。言い換えますと、民主的制度には、どのような人物が公職に就いたとしても(そもそも、不適格者が就任できないシステム設計が望ましい・・・)、また、様々な方面から破壊的な作用を及ぼす多様な荷重が加えられたとしても、決して制度崩壊が起こらず、国民と政治とを結ぶ機能を果たし続けられ得る強度計算が要とされるとも言えましょう(スーパーコンピューターなども活用できるのでは・・・)。民主的制度の強度強化には、従来の制度に拘らない新たなアイディアも必要かもしれず、理系思考に基づく発想の転換こそ、現代という時代にあって、民主主義を崩壊の危機から救い出すのではないかと思うのです。

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ウクライナ紛争の平和的解決には国際社会の中立化が必要では?

2022年11月24日 12時41分42秒 | 国際政治
 アメリカを筆頭とする自由主義国は、ロシアによるウクライナに対する軍事介入を‘侵略’と見なすことで凡そ一致しています。日本国政府も例外ではなく、NATO諸国に同調する形で対ロ政策に踏み切り、旗色を鮮明にしています。しかしながら、ウクライナ東・南部の歴史的経緯からしますと、同地域には、当事国双方のみならず国際社会が認めるいわゆる‘政治問題’があります。ここで言う政治問題とは、純粋に国際法上の違法性が問われる法律問題ではなく、双方の権利主張や利害が対立する問題領域を意味します(国内法の区別からすれば、犯罪に関する刑法ではなく、権利の所在に関する民法上の問題・・・)。

 ところで、政治問題と関連して、日中間に横たわる尖閣諸島問題については、しばしば‘領土問題’という言葉が使われています。同問題に対して、日本国政府は、‘同島の領有権を主張する中国には、一切の歴史的根拠も法的根拠もない’と主張する際に、‘領土問題はない’と表現するのです。日本国政府が、同問題を国際司法解決に託そうとしない理由も、‘提訴すると問題自体の存在を認めることになるから’と説明されてきました。用法からしますと、日本国内で用いられている領土問題という表現は、領土に関する政治問題として理解されましょう。余談となりますが、中国が同島を自国領と見なし、軍事力を用いて編入しようとしている現状があるのですから、日本国政府が国際司法機関に対して領有権確認訴訟を起こしたり、あるいは、国連安保理に‘侵略の兆候’として訴えたとしても、中国の主張を認めたことにはならないと考えられます(中国による侵略未遂行為、即ち、法律問題とするスタンスに徹するならば、司法解決を求める方が一貫性がある・・・)。

 それでは、仮に、日本国政府が領土問題であると認めますと、一体、何が起きるのでしょうか。尖閣諸島は、日米安保条約の適用対象から外されると共に、国連安保理において侵略認定の決議を求めることも難しくなります。例えば、北大西洋条約もリオ条約(米州相互援助条約)も、イギリスとアルゼンチンの両国が政治問題として認めていたため、フォークランド諸島については集団的自衛権を発動させませんでした。両条約の重複締約国であるアメリカのみならず、リオ条約の非締約国であるフランス、ドイツ、イタリアと言った他のNATO加盟国も動かなかったのです。

 もっとも、国連安保理決議については、イギリスが同理事会の常任理事国であり、同政府による提案であったことから、「国際連合安全保障理事会決議502」は、イギリス側に国連憲章第51条、即ち、自衛権の行使という選択肢を与えるものとなりました。しかしながら、同決議は、両国の即時停戦、アルゼンチン軍の完全撤退、並びに、外交的解決を促す内容となり、イギリスも個別的自衛権の行使に留まったのです。かくして、フォークランド紛争は、イギリス側の軍事的勝利によって幕を閉じます。

 以上に述べたように、政治問題と法律問題の区別は、集団的自衛権の発動にも拘わりますので、国際社会にあって極めて重要な判断基準となります。この点、政治問題化は、尖閣諸島問題については日本国に不利に作用するのですが、ウクライナ紛争に照らしてみますと全く利点がないわけではありません。

 第一の利点は、連鎖的な戦争の拡大が起き難いという点です。フォークランド紛争の場合には、NATOもリオ条約加盟国も、同紛争を二国間の領土問題として認識したために、集団的自衛権の発動を控えています。ウクライナ紛争も、その根本的な原因は、自国内の民族紛争から発展した内戦にあります。2014年9月5日にウクライナ、ロシア、ドネツク、ルガンスクの代表が調印した停戦協定であるミンスク議定書の存在も、同問題が、‘政治問題’であることを示しています。ましてや、ウクライナは、NATO加盟国でもありませんので、国際社会は、むしろ、領土拡張を目的としたロシアによる一方的な侵略とする見方を和らげるほうが、第三次世界大戦を回避することができましょう。

 第二の利点は、政治問題の場合、武力では完全解決には至らないという点です。フォークランド紛争はイギリス側の勝利で終わりましたが、戦争による勝利は、法的な領有権の確立を意味していません。現に、フォークランド諸島の領有権については未だ決着が付いておらず、真の解決は、両国間による将来の交渉に持ち越されているのです。尖閣諸島についても、仮に、中国が同島を軍事占領したとしても、日本国側は、同島に対する領有権を主張し続けることでしょう。このことは、ウクライナにおける戦闘もまた、結局は同問題を解決しないことを意味します。戦争が長引くほどに徒に人命が失われ、国土が破壊されるのですから、双方とも終戦の方向に転じた方が、これ以上の被害・損害の拡大を留めることができます。

 第三の利点としては、紛争地域が地理的に限定された政治問題であれば、当事国双方ともに‘国家滅亡の危機’まで追い詰められるリスクが低くなる点を挙げることができます。この点、ロシアがミサイル攻撃の範囲を広げており、楽観視は許されないのですが、少なくとも敗北を目前としたロシア側が、窮鼠猫をかむ形で核兵器を使用する口実は失われます。

 政治問題にも以上に述べたような利点があるとすれば、国際社会は、ウクライナ紛争の仕切り直しに努めるべきかもしれません。つまり、当事国以外の諸国は、自由主義国を含めて自国の対場を中立の方向に軌道修正すると共に、当事国間に敵味方の対立関係を徹底的に封じ込めつつ、全面包囲網的な圧力をもって平和的解決を目指すのです。先ずもって、当事国双方の代表が席に着くべく、和平交渉の場を設けることが重要となりましょう。国際機関、あるいは、双方が認めうる中立的な国が両国を交渉のテーブルに招く形が望ましいのかもしれません。もっとも、国連安保理におけるウクライナ寄りの姿勢が和平にとりましては障害となる可能性があり、国連の完全なる中立化も課題となりましょう。何れにしましても、当事国以外の諸国、並びに、国際機関の中立化こそ、戦争拡大を望む勢力をも押さえ込み、同紛争を平和的解決へと導くのではないかと期待するのです。

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民主主義には国家の枠が必要では?-独立性と自治の行方

2022年11月23日 13時34分50秒 | 統治制度論
 民主主義の価値を端的に表す言葉として、リンカーン大統領の「人民の、人民による、人民のための政治」というフレーズがしばしば引用されてきました。この誰もが知る有名な言葉は、民主主義国家とは、‘人民’自身による自治を実現する国家体制を意味することの表明であることは言うまでもありません。しかしながら、‘人民(the people)’とはどのような集団なのか、という点については、これまで深く議論されてはきませんでした。このため、今日では、‘人民’を‘人類’全体とみなすグローバル民主主義も提唱されることとなったのですが、果たして、国境も国民も消え去ったグローバルなレベルでの民主主義は成り立つのでしょうか。

 国境を越えた広域的な民主主義については、しばしばヨーロッパにおいて誕生したEUが引き合いに出されてきました。EUは、それ独自の統治機構を備えており、欧州議会選挙やイニシャチヴの導入等は、同機構が民主主義を基本原則として設計され、かつ、改良されてきたことを示しています。その一方で、加盟国からEUに政策権限が移るほどに民主主義のレベルが低下する、‘民主主義の赤字’問題に悩まされてきており、今日なおも、同問題は完全には解決されていません。否、むしろEUは、民主主義の広域化の限界を示しているとも言えましょう。

 EUが示す限界点とは、主に、加盟国間における文化や国民性の多様性のみならず、人口規模や経済規模における著しい格差に起因しています。とりわけ人口規模は、一票の価値の平等を求める民主主義にあって、政策決定や立法における主たる決定要因となるからです。‘政治は数’と揶揄されるのも数の力がものを言うからに他ならず、単純多数決という決定方法は、人口規模の大きな国に絶対的な優位性を与えます。その一方で、国家連合であるEUは国家の枠組みを維持していますので、一国家一票同価値では、今度は、人口規模の大きい国に不満が生じてしまうのです。

このため、EUでは、各国の理事会での票数や欧州議会の議席数に関しては、大国に対しては人口比よりも少なめに配分しつつ、小国には多めにすることで‘数の力’のバランスを取ろうとしています。大国の‘支配’と小国の‘反乱’の両者を封じると共に、国家間の平等と欧州市民間の平等の両者を満足させなければならないのです。こうした制度的な工夫にも拘わらず、今日、経済力においても優るドイツの一人勝ちが指摘され、また、トルコ加盟が人口問題から頓挫しているように(民主主義の‘数の論理’を徹底させてしまった場合、人口規模の大きいトルコが、ヨーロッパの命運を決めることになる・・・)、数の力は、EUの方向性をも決定する重要な作用を持つのです。さらに、欧州委員会が主導権を握りますと、’欧州益’なるものが優先され、構成国の国益は二の次とされるのです。

 以上に述べたEUのジレンマは、グローバル民主主義の実現が如何に困難であるのかを物語っています。国家の枠組みが維持されているEUでさえ、無制限にEUに政策権限を移譲しますと、自国の民主主義体制が融解してしまい、人口大国に決定権を握られかねないからです。政策決定権を手放すことは、国家としての独立性を喪失することと凡そ同義となります。仮に、国境をなくし、国民の枠組みをも融解させるとしますと、そこに待っているのは、人口大国による支配かもしれません。

国民の枠組みが維持されている限り、政治的独立の権利を有する各民族は、国家という枠組みにおいてマジョリティーであり、固有の文化や伝統、慣習などを維持し、自らの社会を築くことができます。しかしながら、一端、その枠組みが崩壊しますと、全体に対する人口比が劇的に変化しますので、もはや自治を実現することはできなくなるのです。しばしば、EUの形成期にあって、肯定的な意味において‘卵の殻を割らなければ、オムレツはできない’と言われたのですが、国境という殻を割った結果、不味くて食べられないようなオムレツができあがるかもしれません。否、不味いならまだしも、このオムレツは、人口大国、あるいは、言葉巧みに国家を消滅させることに成功した世界権力によって食べられてしまうかもしれないのです(後者のケースでは、最終的には、全ての人種や民族がメルティングされ、’人類益’あるいは’地球益’の名の下でITやAIによる官僚支配となるかもしれない・・・)。

日本国を事例として想像してみますと、その問題性がより理解されます。今日、日本国内での中国系やインド系の人口数は全人口の数%に過ぎませんが、国家の枠組みが消えた途端、人口大国出身者がマイノリティーからマジョリティーへと一気に躍り出るからです。全体的な枠組みでは日本人住民がマイノリティーに転落すると共に、グローバルレベルでの統治にあっては、常に同レベルで決定された事項に従う存在に過ぎなくなりましょう(もっとも、政治家が世界権力の支配網に組み込まれていれば、水面下では既に同状態に至っている可能性も・・・)。結局、古来人々を苦しめてきた‘異民族支配’を現代に蘇らせてしまうかもしれないのです。

たとえ普遍的な価値であっても、一定の限界や枠を設けませんと無意味となることも稀ではありません。ゼノンの「アキレスと亀」の詭弁のように、時間も空間もない無限世界での価値の追求は徒労となり、いつまでたっても追いつけないこともあるのです。民主主義もグローバルレベルでこれを追い求めても、それは虚しい努力となりましょう。「the people」を「国民」ではなく「人類」とみなし、「人類の、人類による、人類のための政治」を目指してひた走っても、結局、民主主義には到達せず、後ろを振り返りますと、民主主義の別表現である国民自治、即ち、国民主権が置いていかれているのですから。多くの人々がこのパラドックスに気がつくとき、民主主義の真の価値がより明瞭に理解されるのではないかと思うのです。

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ウクライナが問うIT兵器の問題-新たな対立とグローバルな戦争利権の誕生?

2022年11月22日 13時10分11秒 | 国際政治
日本国をはじめとした自由主義国におけるITに対するイメージは、中国というディストピアが隣にありながら、これまでのところ至って良好です。IT化された近未来はユートピアの如くに描かれていますし、その未来図には、戦争の影は一切見えません。誰もが先端的なITによって平和で快適な生活を享受している世界こそ、ITが約束する人類の未来なのです。ところが、ロシアが軍事介入したウクライナ紛争は、この未来像を打ち壊してしまいそうなのです。

その理由は、軍事大国ロシアに対する小国ウクライナの善戦は、ITによってもたらされていると説明されているからです。イギリスのフィナンシャル・タイムズ紙が2022年11月18日に掲載した記事に依りますと、「ウクライナの大義に共感する才能豊かな技術者のグローバルネットワークが誕生した」そうです。「戦場で花開く草の根イノベーション」とする見出しも付されており、民間レベルにおけるITの軍用化を礼賛しているのです。そこには懐疑心は微塵も見られないのですが、民間企業におけるITの軍用化は、果たして手放しで褒められるべきことなのでしょうか。

ゼレンスキー大統領をはじめユダヤ系の人口が多いウクライナという国の国柄を考慮しますと、‘技術者のグローバルなネットワーク’とは、取りも直さずアメリカのIT産業を支えると共に全世界に張り巡らされたユダヤ系ネットワークと言うことなのでしょう。同記事では、‘草の根’と称し、軍用技術を開発するスタートアップスに注目する一方で、グーグル社やマイクロソフト社といった大手ITが公然とウクライナを支援し、協力している事実を明かしています。表だった支援だけでも、前者はGoogleマップの一部を適宜に無効とし、後者はサイバーセキュリティー面で協力しているそうです。それでは、どのような点において、民間企業の戦争当事国支援は問題となるのでしょうか。

第一に、これらの民間企業のユーザーは、知らず知らずのうちに間接的に軍資金を提供していることになります。今日、脱炭素やSDGsに関しては、企業倫理が厳しく問われていますが、民間企業による軍用技術の開発やその開発部門への投資については、‘ウクライナの正義’の名の下であたかも‘良い行い’のようにプラスに評価されています。日本国内を見ても、日頃は技術の軍事利用に目くじらを立ててきた左派の人々も、この件については口をつぐんでいます。このため、自らが利用している企業の利益が戦争に‘投資’されたとしても、ユーザーは無自覚なのです。全てのユーザーがウクライナを応援しているわけではありませんので(ユーザーの大半が中立的あるいは無関心なのでは・・・)、企業とユーザーとの間に‘ねじれ現象’が生じることもあり得ます。

第二に、特定の戦争当事国への支援が、企業のトップの判断であるとしますと、国家の政府と企業との間にも‘ねじれ現象’が起きる可能性があります。今般の中間選挙により、議会下院で共和党が優勢となったことから、ウクライナ支援に対して懐疑的な意見も聞かれるようになりました。このことは、政府と民間企業との間で戦争当事国に対する方針が食い違ってしまう可能性を示しています。最悪の場合には、両者の支援先が敵味方に分かれてしまうリスクもありましょう。

第三に、民間企業同士の間で支援先国が分かれるかもしれません。今般、グーグル社とマイクロソフト社はウクライナを支援していますが、今般、ツイッター社を買収したイーロン・マスク氏はロシアよりとの見方があります。企業のCEOといったトップの私的な人脈や個人的な判断によって支援対象が決定されるともなれば、民間企業間は、各自ばらばらな‘対外政策’を遂行することとなりましょう。また、IT関連企業以外にもロシア利権を有する米企業が存在していますので、民間企業間の対立が経済活動にもマイナス影響を与えるかもしれません(双方とも相手陣営の企業に対して制裁や取引自粛を行なうかもしれない・・・)。

かくして、民間企業による戦争当事国支援は、外部で起きているはずの戦争を内部に持ち込むリスクを高めてしまうのですが、その他にも、以下のような問題点があります。

第4として指摘されるのは、民間企業である限り、軍用に開発された技術は、全世界に拡散される点です。現在、ロシアはイラン製のドローンを大量に投入しており、同記事も、「イスラム教シーア派の武装組織「フーシ派」はイエメンで3Dプリンターを使ってドローンを製造」している実態を紹介しています。ドローン技術は自由主義国のIT企業の独占ではありませんので、双方による技術開発競争はエスカレートの一途を辿ることでしょう。そして、いち早く優位性の高い技術を開発した企業は、それを、敵味方に拘わらず、全ての諸国に販売しようとするものと推測されるのです。同記事では、軍用に開発された技術が戦後の経済復興の牽引役となることを期待していますが、その一方で、戦争が起これば起こるほどに利益を得ることができる、グローバルIT軍需産業が新たに生まれるリスクも否定はできません(戦争を渇望する戦争利権団体となる・・・)。

そして、第5の問題となるのは、もはや何れの国も、ユダヤ系ネットワークの協力なくして戦争を闘うことが困難となる点です。ウクライナの善戦は、同国がユダヤ系ネットワークの重要拠点の一つであったことによります。ユダヤ系の支援を受けることができない‘普通の国家’であれば、軍事大国であるロシアと互角に闘えるはずもありません。非ユダヤ系の国同士の戦争にあっては、何れの戦争当事国も、ユダヤ勢力に対して三顧の礼で協力を求めることでしょう(悪名高きイエズス会や武器商人が行なってきたような両者への武器供与・・・)。むしろ、今般のIT企業のウクライナ支援は、ユダヤ勢力のパワーを全世界にアピールしているようにも見えるのです(三次元戦争・・・)。

以上に主要な問題点を挙げてきましたが、大手並びに新興企業の両者含めて民間のIT企業による戦争当事国支援については、批判的な見方あって然るべきように思えます。戦争というものをなくそうとするならば、あらゆる危険な兆候を見逃してはならず、今般の民間IT企業による軍事技術の開発も、その一つではないかと思うのです。

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危ういゼレンスキー大統領と日本国内の世論

2022年11月21日 13時13分17秒 | 国際政治
 先日、ポーランドに着弾したミサイルは、ロシアではなくウクライナ軍による迎撃ミサイルの流れ弾である可能性が濃厚となってきたようです。事の真相はポーランドによる調査の結果を待つしかないのですが、ウクライナのゼレンスキー大統領は、当初よりロシアによる攻撃であると強く主張していました。同発言を信じ込んでNATO諸国が反応すれば戦火は瞬く間に広がり、今頃、全世界は第三次世界大戦に巻き込まれていたことでしょう。日本国内でも、ロシアによるミサイル攻撃を警戒してJアラートが発動される事態へと発展したかもしれないのですが、同事件は、一先ず事なきを得ています。

ミサイル着弾が大事に至らなかった理由は、ひとえに多くの諸国がゼレンスキー大統領の主張を鵜呑みにせず、慎重姿勢に徹したところにあります。第二次世界大戦時における日本軍による真珠湾攻撃のように、奇襲作戦が、本格的な戦争の戦端を開く事例は歴史にあっては珍しくはありません。攻撃を受けた側は、応戦せざるを得なくなるからです(それ故に、奇襲作戦にはしばしば陰謀説が付きまとう・・・)。ところが、今般の事件に限っては、アメリカのバイデン大統領は、即座にロシア攻撃説に疑問を投げかけ、逸るゼレンスキー大統領との間に一定の距離を置きました。NATOもまた一息置いて事態を見守る冷静さを見せる共に、着弾地であるポーランドも、NATO加盟国に対して集団的自衛権の発動を求めることは控えたのです。当のロシアも自国による意図的な発射ではないと明言したため、今般の事件が連鎖的に第三次世界大戦を引き起こす可能性は殆どなくなりました。

着弾したミサイルがウクライナ軍によるものであったとしても、同国は、ロシアによる激しいミサイル攻撃に晒されているために、誤爆も致し方ないとする擁護論もあります。また、獰猛で狡猾なロシアならば奇襲攻撃もあり得るとして、ゼレンスキー大統領の誤認を容認する見方もありましょう。しかしながら、第三次世界大戦に発展しかねない極めて危険な発言であったのですから、不問に付してよいとも思えません。上述したように、最悪の事態を回避できたのは、周囲の関係諸国が賢明に振る舞ったからに他ならないからです。

戦争においてはプロパガンダも戦略の一環であり、双方とも、真偽が入り交じる情報戦を繰り広げるものです。戦時下における政府は、他国に諜報部員や協力者を忍ばせて情報収集に努めると共に、入手した情報を正確に分析して真偽を確かめると共に、可能な限り情報を自らに有利に用いようとするのです。そして、しばしば、内外拘わらず虚偽の情報を流すという詐術的な行為も行なうのです。

この点に鑑みますと、先ずもって疑問となるのは、ゼレンスキー大統領は、どのような根拠からロシア製のミサイルであると判断したのか、という点です。仮に根拠があるとすれば、その情報源は、ポーランド国内にウクライナが張り巡らした情報網からということになりましょう。あるいは、スパイ衛星による軌道の画像解析といった可能性もありますが、アメリカがいち早くロシア攻撃説に疑問を呈していますので、この説は、信憑性に薄いと言わざるを得ません(むしろ、アメリカは、着弾点の付近のウクライナ側国境地帯にあってウクライナ軍がミサイル迎撃体制を整えていた様子を確認している・・・)。となりますと、ゼレンスキー大統領は、確たる証拠もないままにロシア攻撃説を主張し、故意に第三次世界大戦への道を開こうとしたこととなりましょう(ポーランドに着弾したミサイルがどちらの側のミサイルなのかは調査中ですが、迎撃ミサイルに敢えて‘ロシア製’のミサイルを使用し、偽装作戦を行なった可能性も・・・)。

同大統領が、意図的に戦争拡大のためにロシア攻撃説を主張したとしますと、その罪は重いと言わざるを得ません。ウクライナにとりましてはNATOの援軍を得て有利とはなっても、全世界において多数の尊い命が失われ、人々の生活も無残なまでに破壊されるからです。しかも、戦時体制への転換は、自由で民主的な諸国をも、全国民を統制し得る全体主義体制へと変えることでしょう。第三次世界大戦という未曾有のリスクを考慮すれば、それが意図的ではなかったにせよ、ゼレンスキー大統領の発言はあまりにも人類に対して無責任なのです。
 
 そして、もう一つ、懸念されるべきは、日本国内の世論のように思えます。アメリカでは、民主党のバイデン大統領に加え、議会下院で多数派となった共和党内でもゼレンスキー大統領の言動に対する批判が強まっています。また、ここに来て、ゼレンスキー大統領自身も発言を修正してきています。ところが、日本国内では、僅かでも同大統領を批判しようものなら、激しいバッシングが起きかねない状況があります。積極的にウクライナを支援しているアメリカ以上に熱狂的に‘ネット世論’がゼレンスキー大統領を応援しているのです。

森元首相のように発言者の信頼性に問題がある場合もあるのですが、仮に、同大統領の主張を信じたばかりに第三次世界大戦が発生する事態を招き、日本国にもミサイルが飛来する状況に至ったとしても、擁護論者の人々は全く構わないのでしょうか。日本国内にもアゾフ連隊のような極右、新興宗教団体、あるいは、海外の組織が暗躍しており、ネットへの大量書き込み作戦に動員されている可能性もあるものの、冷静さや公平性を欠いた‘ゼレンスキー大統領無誤謬’のスタンスにはカルトに通じる危うさを感じます。戦争は人災の最たるものですので、如何なる国の為政者も国民も、最優先事項としてその阻止や拡大防止にこそ努力を傾けるべきではないかと思うのです。

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無意味な日中首脳の‘一致’

2022年11月18日 10時47分30秒 | 国際政治
日本国の岸田文雄首相は、昨日11月17日にタイの首都バンコクにおいて中国の習近平国家主席と初の首脳会談を行ないました。今朝方、両首脳が‘核兵器の不使用で一致’とするニュースが速報として伝えられると共に、‘基本的考え方においても習主席と一致した’と報じられています。‘一致’という文字が並び、どこか、情報統制されている気配があるのですが(一致を使うように‘上部’から指令?)、この一致、無意味なのではないかと思うのです。

例えば、‘核兵器の不使用で一致’という見出しを目にした多くの人々は、中国が、自らの核兵器不使用を決断したものと錯覚したかもしれません。しかしながら、同記事を読みますと、日中両首脳は、ロシアはウクライナに対して核兵器を使用すべきではない、とする見解において一致したのであって、中国が核の不使用を約束したわけではありません。もちろん、日本国に対して核を使用しないとする確約を与えたわけでもないのです。習主席は、台湾併合という目的を達成するためには武力行使も辞さないとする方針を明言していますので、必要とあれば、通常兵器のみならず、核兵器も躊躇なく使用することでしょう。しかも、ロシアは当会談において部外者、すなわち、第三国であるため、両首脳の合意に拘束されるはずもなく、ロシア限定の核兵器不使用の‘一致’は、全くもって無意味なのです。

また、基本的な考え方の一致についても、一体、具体的な内容が明らかにされていません。首相の言葉をつなぎ合わせ、かつ言葉を補えば、おそらく、‘地域と国際社会の平和と繁栄のために、アジアの責任ある大国である両国は、建設的かつ安定的な日中関係を構築してゆくという方向性を共有し、これを双方の努力で実現してゆく‘ことで一致したということなのでしょう。しかしながら、そもそも中国にとりましての’平和と繁栄‘とは、台湾併合によって大中華帝国を建設し、かつ、一帯一路構想を実現して大中華圏をユーラシア大陸一体に広げることであるのかもしれません。否、この認識以外にはあり得ないことでしょう。

このため、この先、中国側が、首相の言質を取ったとばかりに日本国に対して広域中華圏への参加を求める事態も想定されます。あるいは、平和と繁栄の名の下で、内外からの対日攻略作戦を強化するかもしれません。中国も二重思考の国ですので、中国の言う平和とは戦争であり、繁栄とは搾取であると疑って然るべきです。平和と繁栄の実現という誰もが否定し得ない理想において両首脳が一致したとしても、両者が描く未来像が全く違っていれば、これもまた無意味となりましょう。

なお、日本メディアの報道とは異なり、中国外務省は、習主席は、尖閣諸島問題について「互いの「食い違い」に適切に対処するべきだとも訴え」、台湾問題や人権問題についても、「いかなる者のいかなる口実による内政干渉も受け入れない」と述べたとしています。同方針は以前のものと何らの変わりもありませんので、結局、今般の日中首脳会談の‘成果’はなかったと言うことになります。

さらに、より本質的な意味において両首脳の‘一致’が無意味と言える理由は、中国が、習主席独裁体制を敷く人治の国であるところにあります。上述したように、メディアの表現の多くは、中国政府ではなく「習主席と一致した」というものです。同国の独裁体制からすれば当然のことなのですが、人の支配には、決定者が代われば政策も変わるという不安定性が付きまといます。また、たとえ同一の人物であっても、決定者の気が変わっても、政策は変化します。言い換えますと、人治の国との間に安定的な関係を構築することは不可能に近いのです。この意味においても、今般の日中首脳による一致が無意味であることが理解されるのです。

以上に述べてきましたように、岸田首相と習主席による日中首脳会は、メディアが騒ぐほどの両国間における合意が形成されたわけではなく、むしろ、中国側から自国の立場に日本国側が‘一致’させるように求められたというのが真相なのかももしれません。中国は、‘不一致は一致なり’という二重思考を日本国側に強要しているとなりますと、日本国は、全体主義体制に飲み込まれないよう、いち早く中国から離れるべきではないかと思うのです。

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