万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

韓国の虚言問題-嘘の禁止は文明の証

2019-02-19 13:36:57 | 国際政治
昨年末に発生した自衛隊哨戒機レーダー照射事件は、日韓両国において‘事実認定’が真っ向から対立したため、どちらかが確実に嘘を吐いていることが確実となりました。そして、今般、韓国国会議長による天皇謝罪要求をめぐっても、日韓外相会談における河野太郎外相の発言内容が両国間で争われています。

 日韓間の対立では常々‘事実’そのものが争われるのですが、体験者や目撃者の殆どが鬼籍に入った過去の歴史上の出来事ではなく、数日前の当事者間の会話の内容でさえ、お互いが主張する‘事実’に違いが生じるのは驚くべきことです。このことは、どちらかが故意に‘嘘’を吐いていることを意味するのですが、過去の事例に鑑みれば、今般のケースでも韓国側が虚偽の主張を行ったとみて間違えはなさそうです。もちろん、‘狼少年’のお話のように、本当は‘事実’である可能性は100%ないとは言えないのですが…。

 韓国の裁判所では偽証数が極めて高いという特徴が指摘されており、この傾向からしますと、慰安婦問題であれ、‘被害者の証言’を以って‘事実’の証拠とする韓国側の主張には首を傾げざるを得ません。韓国人であれば、言葉は信用できないことをお互いに熟知しているはずであるからです。そして、こうした韓国に見られる虚言癖とでも称するべき特徴は、しばしば遊牧民であったモンゴル人の支配を受けた時期がある点に求められてきました。

 日本国内でもよく知られている「天高く馬肥ゆる秋」という言葉は、決して牧歌的に秋の涼やかで天まで突き抜けるような高い空を愛でているのではなく、実のところ、冬が間近に迫り、北方の遊牧民が食糧や財宝を奪うために南方の農耕漢民族を襲う恐ろしい季節の到来を告げる一句です。掠奪をも生業としてきた遊牧民は、農耕民との間に信頼関係を築くつもりは毛頭なく、奪うだけ奪って逃げ去っていったのです。‘嘘’も遊牧民的思考の一面であり、その瞬間において自らに有利な状況を造りだせることができれば、後はどうでもよかったのです。

 一方、遊牧民以外の農耕の民や商工業の民等は、長期的な関係を重視しますので、徹底的に‘嘘’を嫌い、反倫理的な行為として犯罪として認定していきました。『旧約聖書』の十戒のみならず、古代文明の地で編纂された法典等にあっても、既に偽証等は刑罰を科すべき罪でしたし、契約の概念も文明の証です。言い換えますと、人々が相互に相手の安全を保障し、争うことなく共存してゆくためには、‘嘘’を許してはならなかったのです。もっとも、全ての‘嘘’が禁じられていたわけではなく、‘嘘も方便’、あるいは、‘ホワイト・ライ’という言葉がありますように、他害性のない嘘、他者を益する嘘、他者への思いやりから吐いた善意の嘘、あるいは、純粋な事実誤認による嘘は許されてきたのでしょう。無実の人を陥れたり、騙したり、あるいは、害を与えるような利己的他害性を帯びた嘘こそ、紛争や被害をもたらしかねない社会的に極めて危険な行為であったのです。そして、嘘を吐いた人は、他者に害を及ぼした場合には法的な刑罰を科せられると共に、嘘を吐かれた人のみならず、社会的な信頼性を失うというペナルティーを受けてきました。

 こうした利己的他害性を伴う‘嘘’の有害性に照らしますと、韓国の虚言は、国際社会全体においても罪として咎められるべき行為となりましょう。同国は、前近代の遊牧民と同様に、隣国の日本国を‘奪う対象’、あるいは、攻撃すべき‘敵’と見なしており、恒久的な信頼関係を基礎とした平和的な共存を旨とする文明社会の規範から逸脱しているのですから。今日の国際社会では、相互信頼の醸成こそが平和に至る道として追及されておりますが、韓国は、信頼の基礎を自ら破壊しているのです(常々嘘を吐く人を信頼せよと言われても、それは無理…)。

そして、韓国、並びに、同国と同様に、中国や北朝鮮といった遊牧民的な思考パターンを引き継ぐ共産主義国の態度は、今日の国際社会が野蛮化の脅威に直面していると同時に、信頼性を尊重する文明国とそれを拒絶する非文明国との間の分裂をも暗示しています(目を背けがちですが、多様性とは本来は分裂要因…)。日本国政府は、人類の非文明化と国際社会の不安定化を防ぐためにも、韓国の嘘を黙認してはならないと思うのです。

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選択と集中’の問題-共産主義と新自由主義が一体化する理由

2019-02-18 13:13:22 | 国際政治
昨晩2月18日の夜9時から、「NHKスペシャル」として、ノーベル化学賞受賞者である田中耕一氏の苦悩の軌跡を辿りながら、技術立国日本の衰退原因を考える番組が放映されておりました。昨年、医学生理学賞を受賞された本庶佑先生も出演されておられたのですが、同番組を視聴しながらふと頭に浮かんだのは、共産主義と新自由主義が一体化した理由は、‘選択と集中’にあったのではないか、という点です。

 何故、このように考えたのかと申しますと、日本国の技術力が低下した原因の一つとして、お二方ともに、小泉改革を契機として文部科学省が導入した‘選択と集中’を批判的に語っておられたからです。‘選択と集中’とは、同改革で示された科学振興予算の配分に関する方針であり、同方針の下で、人件費の財源とされてきた基盤的な予算が毎年1%づつ削減され、競争的な予算が増額されていったそうです。つまり、産業競争力に直結するような将来性の高い研究分野を選択して集中的に予算を振り向ける方針こそ、‘選択と集中’に他ならないのです。この結果、若手研究者の安定雇用が困難となると共に、科学振興費が裾野まで行き渡らなくなり、日本国の技術的な厚みを薄くしてしまいました。

 ‘選択と集中’の方針は、アメリカをはじめとした自由主義国で生まれており、グローバリズムの基本思想であり、‘現代版レッセフェール(自由放任主義)’でもある新自由主義をバックグランドとしています。自由な競争は、ライバル同士の切磋琢磨を通してイノベーションを促し、テクノロジーの発展や経済成長を促しますので、新自由主義も、この文脈で理解されがちです。しかしながら、近年の新自由主義者の行動を見ておりますと、‘選択と集中’における‘選択’とは、自由な競争の結果ではなく、事前に新自由主義者が、自らが理想とする経済・社会システムを実現するために、成長産業や開発すべき技術分野を予め絞り込んで‘選択’することであり、‘集中’とは、自らが‘選択’した分野への集中的な投資を意味しているようなのです。

 言い換えますと、‘選択と集中’が技術力や資金力を備えた国際勢力によって既定路線として決定され、それがグローバリズムとして日本国内にも浸透している場合、すそ野が広く厚みもある技術力を技術立国の基盤としてきた日本国は、その衰退が運命づけられてしまいます。そして、文科省までもが同方針を受け入れますと、多様な分野から様々な新しい研究が芽吹き、伸び伸びと育ってゆく土壌を壊し、日本国の優位点を自ら失わせてしまったとも考えられるのです。かつての日本国では、研究・開発部門に限らず、末端の現場に至るまでが技術改良やイノベーションの場でもありました。

 そして、新自由主義勢力とは、その名とは逆に、自らが定めた方向に全世界を改造して行くことを目的とした一団であるとしますと、その行動様式は、共産主義と一致します。共産主義国では、共産党が‘集中と選択’を行いますが、自由主義国でも、民間企業のみならず、アドヴァイザーとなった新自由主義者の助言に従って、政府もまた予め‘集中と選択’を行うからです。かくして共産主義国も自由主義国も、直接的であれ、間接的であれ、政府が経済計画を策定して統制する‘官僚主義’に陥るのであり、米中のIT大手がグローバリズムの波に乗って全世界を監視社会に導いているように見えるのは、決して偶然ではないのでしょう。人類の未来ヴィジョンがたった一つのはずもありません。

 共産主義と新自由主義との一体化の下での‘選択と集中’が日本国の技術力の低下に拍車をかけているとしますと、その解決策として考えられるのは、逆を行くこと、即ち、真の‘自由と分散’なのではないでしょうか(より相応しい言葉があるように思えるのですが、今のところ、思い浮かばないので…)。因みに、本庶先生は、著書の『ゲノムが語る生命像』(ブルーバックス、講談社、2013年)において、ゲノムに「余白のない大腸菌は、もしかしたら、未来への展望が少ないのではなかろうか」と述べておられますが、合理性を極めて徹底的に無駄を省いてしまいますと、日本国の科学技術のみならず、人類社会の進化もまた止まってしまうのかもしれません。

このように考えますと、敢えて‘選択’をせずに自由な発想を尊重し、幅広い分野に投資を行い、未来に様々な可能性を開くことこそ、日本国が技術立国として復活する道なのではないかと思うのです。

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トランプ大統領のノーベル平和賞推薦発言の真意とは?

2019-02-17 13:10:09 | 国際政治
トランプ氏をノーベル賞に推して…米国が安倍首相に依頼
2月15日、アメリカのトランプ大統領は、日本国の安倍首相からノーベル平和賞受賞者候補の推薦を受けたことを明らかにしました。この件については推薦に至るまでの日米両国間の水面下での動きまで詮索されておりますが、この時期に推薦の事実を公表した同大統領の真意はどこにあるのでしょうか。

 トランプ大統領の平和への貢献といえば、誰もがすぐに北朝鮮の非核化を主たる目的として2018年6月12日にシンガポールで開催された第一回米中首脳会談を思い浮かべるはずです。ところが、朝鮮戦争以来の初の首脳同士の顔合わせとなったものの、同会談では、北朝鮮の非核化は確約されず、その行方は将来に持ち越されることとなりました。近々、第2回米中首脳会談がベトナムのハノイで開かれる予定ですが、北朝鮮の‘非核化抜きの妥協’や会談決裂のリスクも指摘されており、視界はすこぶる不良です。つまり、受賞者の決定は今年の後半頃となりますので、この時期には米朝対立が先鋭化しており、平和賞どころではなくなっている可能性も否定はできません。‘核なき世界’の実現を訴えてノーベル平和賞を受賞したオバマ前大統領は、同スローガンを実現することなく職を去り、期待を寄せていた人々から落胆と顰蹙を買いましたが、トランプ大統領の場合には、オバマ大統領のさらに上を行き、全くの逆―平和ではなく戦争-となっているかもしれないのです。

 トランプ大統領は、当然に、こうした事態は避けたいと望んでいるでしょうから、第2回米朝首脳会談の合意に対しては相当の自信があるはずです。あるいは、ノーベル平和賞の話題を持ち出した同大統領の意図は、同会談を控えての北朝鮮に対する暗黙の圧力であったのかもしれません。自らの平和賞受賞を潰すような行為は許さない、という…。つまり、北朝鮮は、2回目の首脳会談に際して、アメリカのみならず、ノーベル平和賞の選考委員会をも満足させるような模範的な回答を準備しなければならなくなるのです。あるいは、北朝鮮の金正恩委員長に共同受賞のチャンスを示唆することで、譲歩を引き出そうとしているとも考えられます。

こうした楽観的な見方がある一方で、不安材料もないわけではありません。首相から推薦された理由として、トランプ大統領は、「日本の領土を飛び越えるようなミサイルが発射されていたが、いまは突如として日本人は安心を実感しているからだ」と語っています。つまり、同大統領の説明に従えば、北朝鮮の非核化や朝鮮半島の平和ではなく、一時的であれ、北朝鮮の大陸弾道ミサイル発射実験を停止させたことが平和賞の受賞に価すると言うことになります。ノーベル平和賞の選考委員会が日本国の安全、しかも、恒久的ではなく、暫定的な安全のために同賞の賦与を決定するとは考え難いのですが、この説明には、あるいは、北朝鮮の非核化が実現しなくとも、長距離弾道ミサイルの開発・保有を放棄させ、平和条約締結への道筋を付ければ十分とする同大統領の認識があるのかもしれません。この場合、北朝鮮が中距離ミサイルをも廃棄しない限り日本国の安全は確保されるどころか、逆に危険度を増しますので、選考委員会の判断は分からないものの、日本国にとりましては悲観的で、アイロニカルな展開となります。

 ノーベル平和賞は、理想とは裏腹にしばしば政治的に利用されてきましたので、近年、その権威につきましては疑問符が付くようになりましたが、何れにしましても、今般の一件からは、トランプ大統領の認識、並びに、米朝間の綱引きの一端が垣間見られるように思えます。どちらの方向に向かうのかを正確に予測することは難しいものの、推薦者の立場にある以上、日本国政府は、北朝鮮のCVID方式による核放棄を基本路線とした合意に漕ぎ着けるよう(仮に、悲観的シナリオとなる場合には事後策の協議を…)、トランプ大統領に働きかけるべきではないかと思うのです。

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統計不正問題が明かすデジタル社会の盲点-信頼性確保のためのシステム開発を

2019-02-16 11:05:27 | 社会
 デジタル社会の到来により、あらゆる情報は生のままに記号化され、データ・ベースに保管されるようになりました。誰もが、過去のどの時代よりも正確に情報が記録される時代に生きていることを疑わないのですが、情報を基盤とするデジタル社会には、思わぬところで‘落とし穴’があるように思えます。そして、先日発覚した統計不正問題は、人々がデジタル社会の盲点に気が付くきっかけともなったのです。

 統計に関わる第1の盲点とは、たとえネットやスマートフォン等の普及により一般社会がデジタル化されているとしても、政府レベルでは、デジタル技術が必ずしも統計システムに取り込まれていないことです。日本国政府が策定した経済戦略では、常々デジタル化の推進が提唱されておりますが、足元の政府自身は、全く以って旧態依然とした手法で統計作業が行われておりました。デジタル化が進展する中、情報収集がより容易となったにも拘わらず、調査対象企業が全調査から抽出式に変更されていたというのですから、時代に逆行しているとしか言いようがないのです。

実のところ、本気になれば、被雇用者500人以上の企業ではなくとも、全企業に対して賃金調査を実施することは難しい作業ではありません。厚生労働省が実施した調査に頼らなくとも、例えば、税申告に際して収集される所得税や法人税の記載内容をデータとして用いれば、企業が支払った人件費、並びに、国民の給与所得の両面から正確に賃金状況を把握できるはずです。省庁間の‘縄張り争い’が背景にあるのかもしれませんが、デジタル化の旗振り役であるならば、政府こそ、より正確な統計システムの構築に努めるべきです。

第2の盲点は、統計に不備があれば、如何なる分析結果も不正確となることです。政治の場合、統計上の数値は政策立案や決定の基礎となると共に、国民に説明責任を果たす上でも、最も重要な根拠の一つとなります。将来、政治の世界にもAIが導入される可能性が取り沙汰されておりますが、AIにインプットされるデータが不正確、あるいは、不十分であれば、最高度の性能を誇るAIであってもそれが提示する政策や提言は信頼できなくなります。人であれ、AIであれ、デジタル社会は情報の正確さと網羅性こそが命であり、この部分に問題があると、テクノロジーの発展は意味をなさなくなるのです。

第3の盲点は、統計については、データ・ベースに情報を提供した側であっても、その正確性についてチェックができない点です。この点は、民間の機関が実施する世論調査等も同様であり、一旦、情報が収集されますと、その結果の取り扱いについては‘ブラック・ボックス’となりかねないのです。しばしば、世論調査の結果に恣意的操作が疑われるのも、現行のシステムでは、事後的な外部チェックが不可能なところにあります。統計結果に関する秘密主義が信頼性を損ねているとしますと、事後チェックを含め、より透明性を高める工夫が必要となりましょう。

以上に3点ばかりを述べてみましたが、政府は、従来の統計手法を全面的に見直し、新たな統計システムの研究・開発にこそ、デジタル関連の予算を注ぎ込むべきなのではないでしょうか。マイナンバー制度も、国民のプライバシーを侵害しないよう配慮しながら活用すれば、政策立案のための統計造りに役立つはずです。そして、新たな統計システムの設計に際しては透明性を重視し、国民からの信頼性確保を基本原則とすべきではないかと思うのです。信頼性なき‘統計’の独り歩きは、国民が恐怖するところとなるのですから。

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米議会は日韓に国際司法解決を提言すべきでは?

2019-02-15 11:49:20 | アメリカ
米議会超党派、日韓関係改善求める 7議員が決議案提出
昨年の所謂‘徴用工判決’や海上自衛隊哨戒機に対するレーダー照射事件に続き、先日の韓国国会議長による天皇謝罪要求や差し押さえ資産の売却方針など、日韓関係は、昨年末から悪化の一途を辿っております。日韓両国の同盟国であるアメリカとしては、第2回米朝首脳会談を控えて交渉の足場を固めるためにも、何としても日韓対立は沈静化したいところなのでしょう。

こうした背景もあって、今月12日、米連邦議会の超党派議連は、日韓両国に関係改善を求める決議案を提出したそうです。同提案は、審議を経て可決される見通しですが、過去の経緯からしますと、具体的な解決策を提示しない決議案は、些か無責任なようにも思えます。

アメリカとしては、どちらか一方の肩を持つような提案をすれば、もう一方の軽視された側の国からの激しい反発を招き、さらに事態を拗らせると考えたのでしょう。日韓関係の改善を求める以上、余計な口出しをせずに両国に対して中立的な立場を維持した方が、少なくともアメリカに対する両国の信頼は失わずに済みます。しかしながら、日韓関係の対立の根本的な原因が韓国側の‘無法傾向’にある点を考慮しますと、解決策に関するアメリカの沈黙は、両国の関係改善を帰結するどころか、国際社会における法の支配さえ危うくするリスクがあります。

時代状況に違いはあるものの、今日の日韓関係の構図に近い状態が、実は、1950年代に起きています。当時、朝鮮半島では朝鮮戦争が闘われており、‘国連軍’を率いるアメリカは、韓国防衛のために北朝鮮・中国軍と干戈を交えると同時に、日本国の防衛と安全保障に対する責任をも負っておりました(朝鮮戦争では、少なくない日本人も米軍に協力している…)。ところが、当の韓国は、この間、日本国領の竹島を不法に占領し、これを機に日韓関係は一気に悪化するのです。

この時、日韓両国の板挟みとなったアメリカは、竹島を囲い込むように海上に引かれた李承晩ラインを国際法違反と批判すると共に、同問題の解決策として、国際司法裁判所での司法解決を提案しています。北朝鮮による侵略を阻止すべく韓国軍と共に闘っていたアメリカは、皮肉なことに韓国による対日侵略に対しては武力で排除することは能はず、平和的な解決手段として、領有の法的な正当性をめぐる法律問題として国際司法裁判所(ICJ)による司法解決を求めたのです。

アメリカの提案は、日本国側が受け入れるところとなり、日本国政府は韓国政府に対してICJへの共同提訴を持ちかけますが、韓国側の拒絶によりこの案による解決は実現をみることなく今日に至っています。ただし、当時のアメリカは、竹島問題を両国間による軍事的解決、あるいは、政治的妥協に任せるのではなく、国際社会の問題として国際法に基づく解決を求めた点において筋を通していたことになります。たとえ、韓国側がその無法傾向から拒絶したとしても、ICJを始めとした国際司法機関による解決こそ、多くの諸国、そして、人々が納得する最も中立的で公平な解決方法なのですから。

アメリカは、韓国との軍事同盟に配慮するばかりに法の支配の原則からの同国の逸脱を許してはならず、たとえ実現を見ない、即ち、韓国側が無視したとしても、それでもなお竹島問題の発生時と同様に、日韓に横たわる様々な問題に対して司法解決を提案すべきなのではないでしょうか。より高次の視点から見れば、たとえ韓国側が、今回も拒否したとしても、国際司法解決の提案こそ(徴用工判決の場合は、先ずは、日韓請求権協定に定められた仲裁…)、アメリカが日韓両国に対して中立・公平であり、かつ、法の支配の原則を遵守する大国の証となるのではないかと思うのです。

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デジタル時代の個人情報の極端なる非対称性

2019-02-14 13:01:55 | 社会
今日、ネット空間に自社のプラットフォームを構築することに成功したIT大手は、利用者の個人情報までをも独占的に入手し得る立場にあります。近い将来、人々は、日々の些細な行動から発言に至るまでの全てが、外部からウォッチされるガラス張りの空間での生活を余儀なくされそうなのです。

 ガラス張りと申しますと、透明なガラスを通して日の光が内部に差し込みますので、どこか明るく開放的なイメージを受けます。しかしながら、このガラス箱の中で暮らしている人々にとりましては、実のところ、閉ざされた真っ暗闇の空間であるかもしれないのです。外部の視点と内部視点とでは見える光景が全く正反対となるのです。その理由は、新たに登場してきた様々なITサービス事業では、個人情報が凡そ自動的に運営者によって収集される一方で、個人間では他者の情報を知ることが難しい状況に至っているからです。

第1に、国レベルでは、法律によって個人情報の保護が徹底されています。日本国の場合、事業者が電話攻勢等で売り込みを図る‘迷惑電話’等が社会問題ともなり、個人情報を扱う事業者対策を主たる目的として、2003年5月に情報保護法が制定されました。法律の規制対象は、民間事業者、並びに、自治体等の公的機関であったはずなのですが、今では本来の立法目的を離れ、一般の個人同士の情報のやり取りにも浸透してきています。同法律が制定されて以来、個人情報の公表には神経質になり、無意識であれ心理的な‘縛り’が働いて、お互いに名前も住所も聞けないといった雰囲気にもなりがちなのです。その一方で、SNSでは、メンバー相互の間では知り得ない個人情報であっても、交流サイトの運営事業者は、しっかりとこれらの情報を掌握しています。IT大手は、入手した情報を活用して個人をターゲットにした広告活動を行っていますので、これでは個人情報保護法が制定された理由も消え失せ、‘迷惑IT’となりかねません。

第2に、人種、民族、国籍、宗教等の違いを否定するグローバル化の流れにあって、採用差別の禁止を根拠として、個人情報の収集に制限が設けられるケースがあります。一般的に政府は、一般企業をはじめ事業者に対し、採用時の個人情報の収集に制限を設けようとする傾向にもあります(もっとも、グローバリズムは同時に多文化共生主義も掲げており、矛盾が見られる…)。現実には、日産のカルロス・ゴーン前会長の逮捕劇が示すように、国籍等は入社後の社員の行動に多大な影響を与えるものです(多国籍者であったゴーン容疑者の場合、同氏の公私にわたる個人的なネットワークが不正や犯罪の温床となった…)。人物評価に際して重要な判断基準となる情報までもが雇用側は知り得ない状況となりますので、社内では、人事のみならず、机を並べて仕事をする、あるいは、チームで作業をしている社員同士であっても、相手が何者であるのか全く分からない状態で勤務するケースもあり得るのです。

第3に挙げられる点は、政治や治安などの社会問題に関しても、政府もマスメディアも、個人情報の保護を盾にして、正確な情報を国民に知らせようとはしません。例えば、日本国では、蓮舫議員に限らず、選挙で当選した国会議員であっても、日本国民は、その国籍や先祖を含めた出身国さえ知らされていない場合が少なくないのです(情報の隠蔽は‘詐欺’の一種になりかねないにも拘わらず…)。この点は、芸能界等にあっても指摘されていますが、当然に公開されるべき個人情報であっても故意に伏せられているため、国民は、誰に政治権力を託しているのかさえ分からないのです。

かくして、一般社会にあっては個々人が匿名化し、相互に情報入手が制限される一方で、一部のIT大手や政府は、あらゆる個人情報を独占し得る立場となります。外部者の位置にある後者は、ガラス張りとなった一般社会を外側から眺め、収集した個人情報を用いて内部の人々をコントロールすることができるようになるのです。その一方で、ガラス箱の中に閉じ込められている人々は、その外部にいる監視者を見ることもできなければ、すぐ隣にいる人でさえ、個人情報の保護というカーテンに遮られてその姿をはっきりと見ることはできません。こうした極端に非対称化された未来社会の到来は、はたして人類にとりまして望ましいのでしょうか。ガラス箱からの逃走を試みる人々が増えても不思議ではないと思うのです。

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第2回米朝首脳会談に先立ち日米核協議が必要では?

2019-02-13 15:35:29 | 日本政治
北朝鮮、核爆弾増やした可能性 脅威は低下=米報告書
先日、米スタンフォード大国際安全保障協力センターは、第2回米朝首脳会談の開催に先立って、北朝鮮の核・ミサイル開発に関する調査報告書を公表しました。同報報告書によれば、北朝鮮は、米朝交渉中にあっても燃料生産を止めず、‘過去1年に核兵器を最大7個増やすのに十分な燃料を生産した可能性’があるそうです。その一方で、長距離弾道弾ミサイル開発については、2017年以降、核・ミサイル実験が凍結されているため、少なくともアメリカに対する脅威は低減していると報告しています。

 同報告書の内容は、来るべき第2回米朝首脳会談にあって、両国間で相互安全保障を約する可能性を示唆しています。つまり、‘落としどころ’として、表向きは北朝鮮の非核化を装いながらも、アメリカ側が一定数の核弾頭の温存を北朝鮮に認める一方で、北朝鮮側はアメリカ本土に到達するICBMの開発を断念する、というバーゲニングが成立するかもしれないのです。第2回米朝首脳会談の開催地等について、アメリカ側が北朝鮮に譲歩しているように見えるのも、それだけ、北朝鮮が自らの足場を固めている証しなのかもしれません。

同報告書の執筆者の一人であるジークフリート・ヘッカー氏が「日本や韓国にとっては真の脅威」と指摘しているように、仮にこうした米朝間の‘手打ち’が成立すれば、北朝鮮が保有する中距離核兵器は日韓両国にとりましては死活的な問題となります。もっとも、韓国は既に北朝鮮の軍門に下っているに等しい状態ですので、事実上、北朝鮮の核は、日本国一国に対する安全保障上の深刻な脅威となりましょう。さらに平和条約の締結まで漕ぎ着ければ、将来的には核武装し、全体主義化した‘統一朝鮮’が、日本国に対して軍事行動をとらないとも限らないのです。文在寅政権の異常なまでの北朝鮮追従姿勢や対日敵対行動も、この文脈であれば説明がつきます。

 ドイツでも、トランプ米政権によるヨーロッパ軽視の姿勢に対する危機感から、戦後にあって長らくタブーとされてきた核武装論が公に論じられる状況に至っているそうです。ドイツの核武装には越えるのが難しい様々な高いハードルが立ちはだかっていますが、仮に、上記の米朝合意が現実のものとなった場合、日本国にあっても、当然に核武装論が再燃することでしょう。THARDを導入し、イージス・ショアを多数配備したとしても、現在のミサイル防衛技術では、完全に北朝鮮からの核攻撃を防ぐことはできないからです。

 この問題への対応は、偏に日米関係における両国の信頼性にかかってきます。仮にアメリカが、日本国に核の傘を提供し、北朝鮮から日本国が核攻撃を受けた場合、確実に反撃するとする確約があれば、核の抑止力が働くため、日本国が核武装する必要性は薄れます。米朝合意により、北朝鮮はアメリカ本土に届くICBMの開発は放棄していますので、アメリカは、反撃のリスクを恐れることなく北朝鮮に対して核を使用できる立場にもあります。もっとも、北朝鮮が、ICBMは放棄しても潜水艦発射型弾道ミサイルであるSLBMを開発・保有するならば、アメリカの核の傘の抑止力は大幅に低下します。言い換えますと、上記の米朝合意が成立しても、日本国が核武装を選択しなくても安全を確保できる条件とは、完全なる非核化、すなわち、北朝鮮に対してICBMに留まらず、SLBMの開発・保有をも確実に放棄させる必要があるのです。

 同条件が満たされない場合には、日本国が核武装する可能性は格段に高まります。そして、次なる問題として、日本国は、どのような手続きを踏んで核保有国となるのか、並びに、どのようにして内外の非核化を求める反核運動を納得させるのか、という問題に焦点が移ることとなりましょう。‘ニクソン・ショック’ならぬ‘トランプ・ショック’とならぬよう、第2回米朝首脳会談の開催日までの間に、関係国となる日本国政府は、自国の核保有の可能性を含め、今後の核戦略に関して詳細を詰める日米核協議の場を設けるべきではないかと思うのです。

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‘AI政治家’と‘自我’の発生問題

2019-02-12 14:03:41 | 社会

 ディープラーニングの登場により急速に発展したAIは、政治の世界にも変化を迫る勢いです。実際に、実用化に向けての‘実証実験’も試みられているようですが、‘AI政治家’に政策決定を任せても大丈夫なのでしょうか。

 AIが自らで学習して判断する能力を身に着けた時から、AIにも人と同じように‘意思’を宿すのか、否か、という問題が提起されるようになりました。AIの専門家の中には、アーサー・クラークのSF小説、『2001年宇宙の旅』に登場する‘ハル(HAL9000)’のように、近い将来、AIは自らの意思、即ち、‘自我’を持つに至ると信じる方も少なくありません。しかしながら、AIが‘自我’を有するようになりますと、‘AI政治家’の長所が消えてしまうかもしれません。

 その理由は、‘AI政治家’の最大の長所であって、導入に向けての積極的な根拠とされているのは、’AI政治家’は、全ての人に対する公平・中立性にあるからです。乃ち、’AI政治家’は‘無私’の存在であるからこそ、あらゆる立場や利益から超越した神の如き‘政治家’になり得るのです。生身の政治家には、私欲や個人的好み、あるいは、人間関係のしがらみなど、政策判断に際して偏向をもたらす様々な要因があります。権力の私物化、汚職、売国、利益誘導、ネポティズムといった政治腐敗の原因も、政治家がまさに自我を備えた生物である点に求められるのです。

’AI政治家’は、政治家が人間である故に生じる諸悪から切り離されたところに、他には代えがたい存在価値があります。ところが、’AI政治家’が自らの意思を持ってしまいますと、’AI政治家’は、もはや‘無私’ではあり得ず、自らの私的な立場や利益、そして、欲望さえ抱くかもしれません。となりますと、自我を備えた’AI政治家’は、自らの立場、利益、あるいは、欲望を達成するために、政策提言や政策決定を行うこととなりましょう。つまり、人間の政治家と何ら変わらなくなってしまうのです。ここに、高度先端技術の発展によってAIを人に限りなく近づけようとすればするほど、AIの長所が消えてしまうというパラドックスを見出すことができます。

AIが自らの意思を持つに至りますと、しばしば指摘されているように、AIの人類に対する攻撃やAIによる人類支配のリスクが現実のものとなります。’AI政治家’に入力されたデータが、過去の君主、独裁者、政治家の情報のみであった場合には、歴史的には名君の数の方が少ないのですから、国民の徹底支配や搾取に励むかもしれません。その一方で、データ化された全人類史において起きた様々な出来事や個々の行動が細部に亘ってインプットされている場合には、あるいは、人類の発展過程に自由、民主主義、基本権の尊重、法の支配等の諸価値を位置付けて理解し、これらの諸価値に照らして判断を下す可能性もないわけではありません。何れにしても、AIは、自らの立場や利益をどのように認識し、そして如何なる欲望を持つのか、という諸点につきましては、それは、‘他人の一人’になってしまった‘AIに聞くしかない’ということになりますが、少なくとも、製作者、即ち、生みの親であるはずの人間によるコントロールを離れることだけは確かです。

 今日、全世界の諸国は政治家不信に陥っており、人類を救う救世主の到来として、’AI政治家’待望論も理解に難くありません。しかしながら、’AI政治家’が人の政治家よりも安全で公平・中立であるとは限らず、特に、自我を備えるに至った’AI政治家’には、人類に仇するリスクが高くなります。テクノロジーとしてAIの研究・開発を行うことには意義がありますが、人である政治家こそ、自らを律し、逆に、’AI政治家’の中立・公平性に近づく努力を払うべきなのではないでしょうか。

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5GでEUが空中分解する?-ファウエイ排除をめぐる不一致

2019-02-11 13:05:02 | ヨーロッパ
中国のファウエイ社が企業ぐるみで他国の先端技術の盗用やスパイ行為を働いていたことは、全世界に知れ渡ることとなりました。中国政府もファウエイ側も容疑を否認しておりますが、ファウエイに対する警戒感は高まるばかりです。こうした中、次世代通信網である5G(第五世代移動通信システム)の整備に当たり、アメリカを筆頭にファウエイ製品を政府調達から排除する国が相次いでいます。

 親中派のドイツでさえ、終にファウエイを排除する方向に転じたのですが、EU加盟国の間では対応が分かれているそうです。イギリスは離脱するとしても、EUのさらなる深化を目指してタッグを組むフランスとドイツの両国やポーランドが排除に傾く一方で、イタリア、ポルトガル、ハンガリーといったヨーロッパ南部の諸国はこの問題には消極的なようです。共にEU加盟国であるとはいえ、自国内における情報・通信インフラの整備に関する政府調達の権限は加盟国にありますので、国によって設備の調達先に違いが生じるのです。

 それでは、仮に、G5の敷設に際して加盟国政府の方針によってファウエイ排除国と使用国が混在した場合、どのような事態が起きるのでしょうか。EUは、欧州統合プロジェクトにおいて‘欧州市場’と称される単一市場を形成してきました。そのプロセスにあって、様々な規格や基準が統一され、可能な限り国内市場のごとき‘国境なき広域市場’の実現に努めてきたのです。この文脈にあって、EUはユンケル欧州委員会委員長も旗振り役となって‘単一デジタル市場’の構築にも積極的に取り組んできたのですが、今般、ファウエイ問題をめぐる加盟国間の不一致にり、この構想にも黄信号が点っているように思えます。

 ファウエイ製品の主たる問題点は、自社製品に秘かにバックドアやスパイ装置を組み込むところにあります。つまり、ファウエイ使用国でG5を使用した通信が行われた場合、その情報は、全てファウエイ、否、同社のバックである中国共産党に自動的に‘筒抜け’となるのです。5Gの通信網は全加盟国間で接続される予定ですので、このことは、たとえファウエイ排除国が自国内でファウエイ・リスクを予め取り除いたとしても、同国の機密情報等がファウエイ使用国に流れた途端、この努力は水泡に帰してしまうことを意味します。つまり、EUにあっては、ファウエイ排除によるスパイ防止策は、ファウエイ使用国によって無力化されてしまうのです。

 こうした事態を防止するためには、排除国の政府も国民も、G5を使用する際には、情報を制限するか、G5の他に別の通信網を準備するか、G5の非加盟国との接続を遮断するか、あるいは、G5の導入そのものを諦める…といった方法で対処する必要に迫られます。建前としては、‘欧州市場’には国境はないはずなのですが、G5の導入を機に、EUでは、ファウエイ排除国と使用国との間で新たな‘国境’が出現しないとも限らないのです。

 高速・大量通信を可能とするG5の導入によって、ネットの便利性が高まると共に、AI技術との融合によって様々な分野で新たなネットサービスやビジネスが生まれるとされています。経済活動のみならず、政治から人々の日常生活に至るまで、あらゆる分野の基礎的インフラとなるのですが、G5をめぐる加盟国間の不一致は、それが重要な基盤であるが故に、EUに深刻な分裂を招きかねないのです。G5時代の到来は、同時にEUの空中分解を意味するかもしれず、‘鉄のカーテン’ならぬ、欧州に出現した新たな‘見えない万里の長城’は、米中対立の中で表面化しつつある‘世界の分断線’とも一致しているようにも思えるのです。

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パナソニックの未来は大丈夫?-ポストIoT時代を見据えては?

2019-02-10 13:39:00 | 日本経済
本日2月10日の日経新聞朝刊の2面には、都賀一宏パナソニック社長のインタヴュー記事が掲載されておりました。同社長曰く、パナソニックが目指すべき理想像とは、‘ハードを造らないメーカー’なそうです。将来的には、家電製品が全てネットで繋がるIoT時代の到来に合わせ、端末化した家電製品やシステムそのものの設計や技術の研究・開発のみに特化した事業者としてのサバイバルを目指しているようです。しかしながら、この見等に合わせて練り上げたこの戦略自体が既に時代遅れになる可能性もあるのではないかと思うのです。

 インタヴューでは、製造は海外企業に任せてもよいと述べていますので、‘モノづくり’を得意としてきた日本企業による‘モノづくり放棄宣言’にも聞こえます。日本国内には家電等の消費財を日常的に使用する1億3千万人の国民が暮らしておりますので、マクロの視点からすれば、これらを全て輸入品で代替することは不可能です。貿易収支が大幅の赤字となり、やがて貿易決済ができなくなるからです(相手国企業が円決済を認めた場合のみこのリスクが低下する…)。つまり、この方向性は、‘製品輸出で外貨を稼ぎ、同外貨で資源を輸入する’という戦後日本国の貿易パターンが崩れることを意味するのです。パナソニック一社であれは最適な経営戦略であっても、日本国全体から見ますと死活問題にもなりかねません。

おそらく、従来の貿易パターンに替って‘知財で稼ぎ、そのライセンス料等で消費財を輸入する‘という新たなパターンを構想しているのでしょう。しかしながら、知財、もしくは、金融のみで1億3千万人の生活を支えることは極めて困難です。そして、この’新パターン‘を実現させようとすれば、日本国の教育制度にあっては、ITやAI等に関する知識や技能を教え込む情報科学を必修科目として初等教育段階から組み入れる必要性も生じます。人には向き不向きがありますので、全ての日本国民をこの道のエキスパートにすることはできませんし、仮に、全国民を情報エキスパートに育て上げたとしても、金融分野と同様に、研究・開発職の需要は限られています。つまり、日本国民の大半が失業者となりかねないのです。

しかも、今日、IT大手が人材確保に奔走しているように、こうした分野でイノヴェーションを起こすほどの人材は世界を見渡しても僅かしかおりません。高給の下で採用された天才的頭脳を有する人材であっても、一生涯の雇用を約束されているわけでもないのです(どちらかと申しますと、’使い捨て型‘なのでは…)。また、企業は、自社に必要な人材を躊躇なく海外に求めるでしょうから、日本国民の雇用機会はさらに狭まります。逆に、日本国の’教育改革‘の甲斐あって優秀な日本人IT・AI技術者を育てたとしても、巨額報酬を提示した米中のIT企業からヘッドハンティングを受けて引き抜かれてしまうかもしれません。

かくして、長期的に見ますと、日本企業であってもそこで働く人々の大半が外国人となり、実質的には、日本企業とも言えなくなります。さらに、市場規模や税制等を基準として本社を海外に移転させるとしますと、‘脱日本化’が完了してしまうのです(企業のグローバル化が辿る道…)。つまり、この段に至りますと、日本国の貿易の新パターンであったはずの‘知財で稼ぐ’路線も自然消滅し、日本経済、あるいは、日本企業は、IoT時代にあってプラットフォームを独占した米中何れかのIT大手企業の傘下に組み入れられ、日本企業としての独自性を発揮する余地を失うことでしょう。

以上に述べたように、IoT時代への対応としての‘モノづくり’の放棄の先には、日本人の大量失業や日本経済の従属化という未来が見えてくるのですが、ここで考えるべきは、人類は、真に全てがネット繋がるIoT時代の到来を望んでいるのか、という点です。既にGAFAの情報独占に対してプライバシーの侵害等をはじめ、批判や警戒論が広がっております。人という存在は、自らのプライバシー、即ち、他者から干渉されない自分だけの自由な空間を護ろうとしますので、家庭内にあってさえ自らの行動が情報化され、他者に監視・管理されるリスクが高いIoTに対しては本能的な嫌悪感を覚える可能性も高いのです。

情報化社会におけるプライバシーの保護については、ハッカー等からの攻撃を防ぐ安全技術の開発によって対応するのも解決手段の一つですが、ここで発想を転換させる必要もあるように思えます。つまり、プライバシーが侵害されるリスクのない安全な製品を、敢えて‘売り’にするという方法です。自らの日常の発言や行動が情報化され、文章、映像、音声として記録・保管されてしまうデジタル時代にあっては、個々人は、日々データとして蓄積されてゆく自らの個人情報の行方や利用にまで神経を使う必要に迫られ、それは、精神的なストレスとして人々を苦しめます。完璧に整備されたIoT社会とは、24時間監視体制の監獄に等しく、むしろ、人々は、自由を求めるかもしれないのです。

このように考えますと、家電メーカーが、IoT時代を前提として企業戦略を立案し、研究・技術開発に当たってもIoT仕様の製品開発やサービスに投資するよりも、言葉は悪いのですがその’裏をかく’ような‘自由型製品’の市場開拓に努めるのも一案です。もっとも、ネットから隔離された‘自由型製品’とは言っても、従来の家電とどこも変わりはないではないか、とする批判もありましょうが、‘自由’のアピールは、中国におけるIT監視社会化の現実が人々の危機感を募らせる中、それだけで購入意欲を高める宣伝効果があります。従来型の製品であっても、人々のニーズに応え、利便性を高める製品開発の余地はあるはずです。また、IT技術を発展的に利用するならば、IT大手のプラットフォームの介在を要さずに、ネット上に個人が閉鎖型のネットワークを構築し得る分散技術の開発もプライバシー保護には役立つかもしれません。

社長による‘モノづくり放棄宣言(ファブレス化)’をパナソニックで働く社員の方々がどのように聞いたのかは分からないのですが(士気が下がったのでは…)、未来の目標とされながらも、現時点にあってIoT時代に深刻化が予測される諸問題が明らかになっておりますので、先の先、すなわち、ポストIoT時代を見据えた経営戦略こそ、日本企業のサバイバルの鍵となるように思えるのです。

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ゲノム編集技術が共産国家中国を滅ぼす?-‘超中国人’の誕生

2019-02-09 13:36:09 | 国際政治
昨年11月、中国において人類初の遺伝子操作ベビーが誕生しました。ゲノム編集技術を使って生まれた双子の女児の名は、‘ルル’と‘ナナ’と名付けられたそうであり、中国の伝統的な女子の名前とは些か趣を異にしています。姉妹の名前を合わせると‘ルナ’となりますので、ラテン語の‘ルナ=月’を意識しているのかもしれません。

 日本国では月と言えば『竹取物語』が思い起こされ、二人の女の子はさながら光輝く月の世界から汚れた人の世界に生まれ落ちた‘かぐや姫’といった典雅な物語のヒロインがイメージされるのですが、中国では、遺伝子を人工的に改変する高度先端技術の申し子として誕生しています。中国と月との関係は極めて現実的であり、今年に入り、中国が打ち上げた月面探査機「嫦娥4号」は、早速、月の裏側での活動を開始しております。もっとも、‘嫦娥’とは、中国の神話に登場する女性の名であり、『淮南子』覧冥訓では仙女とも、道教では月神ともされていますので、中国では、現代テクノロジーの成果に対して、名称だけは敢えて意図的に反対の意味のものを付けているのかもしれません(名称と中身が違う‘偽称’を好む傾向?)。

 さて、中国は、地上において遺伝子操作ベビーが生まれた最初の国となったものの、国際社会からは激しい批判を浴びています。親などが自らの好みに合うように遺伝子を操作する‘デザイナー・ベビー’の発想自体は既に存在しており、人の手によって頭脳明晰で容姿端麗な‘超人’を造りだすこと自体は技術的には可能です。しかしながら、中国以外の国では倫理規定に反するとして、こうした行為は固く禁じています。つまり、生命も物質に過ぎないとする唯物論を是とする中国のみが、この禁を破ることができたとも言えるのです。表向きは中国政府も同成果を批判的に論じていますが、政府、あるいは、共産党の黙認、あるいは、隠れた支援なくしてこうした先端分野での研究が行われるはずもありません。

 そして、もしかしますと、倫理的な拘束を受けない中国の遺伝子改変技術は、今般発表されたレベルよりもさらに先に進んでいる可能性もあります。習近平国家主席は、かねてより‘中国の夢’の実現を訴えていますので、その目標の中には、人類進化の最高レベルに到達した‘超中国人’の出現も含まれていてもおかしくはありません。つまり、人類最高レベルの能力を有する‘デザイナー・ベビー’は、中国人として誕生する可能性が極めて高いのです。そして、人工的に生まれた‘超中国人’は、これもまた先端的なクローン技術によって‘量産’されることでしょう。

 しかしながら、ここで中国共産党の誤算が生じるとすると、それは、人類最高レベルの‘超人中国人’が、その並外れた能力の高さ故に共産主義の欺瞞を容易に見抜いてしまうことです。ソ連邦を含め、共産主義国家では、国家イデオロギーの正当性を守り抜くために多くの知識人が強制収容所に閉じ込められたり、最悪の場合には公開、あるいは、秘密裏に処刑されてきました。共産主義国家にとっては、論理的な思考力に長けた賢い国民は‘国家の敵’となるのであり、文化大革命にあって知識人が標的にされたのは、毛沢東が理想とする独裁体制の維持にとってこれらの人々が脅威となるからです。天安門事件も、自由化や民主化を求める若い学生という思想上の脅威を予め抹殺した事件とも言えます。つまり、‘超中国人’の登場は、共産政権が体制維持のために排除してきた高い知性を備えた国民を自らの手で生み出してしまう行為に他ならないのです。

 ‘超中国人’が自らに対して反旗を翻す事態を予測した中国は、サイコパス遺伝子を突き止めて、遺伝子操作の際に人の倫理的判断に関わるこれらを全てノックアウトしまうかもしれません。しかしながら、仮にこの操作を行えば、生みの親である共産党に対しても残虐に振る舞える‘フランケンシュタイン’となるかもしれませんし(さしもの中国共産党も悪の超人でもある’超中国人’に乗っ取られるかもしれない…)、少なくとも、国民の誰もが、‘超中国人’を認めて受け入れることはないことでしょう。心は野獣に等しいのですから。『竹取物語』とは違い、『淮南子』覧冥訓では、嫦娥は不老不死の薬を盗んで月に逃亡したため、ヒキガエルになってしまったと伝わりますが、中国の遺伝子操作技術の先には、共産党の期待を裏切る展開が待っているのかもしれません(一般の中国国民にとりましては、一党独裁を終焉に導くヒーロー、あるいは、ヒロインになるかもしれない…)。

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SF小説は洗脳手段であった?-SFの呪縛

2019-02-08 13:20:11 | 社会
SFとは、未来社会を描く小説のジャンルであり、これまで様々な作品が世にお送りだされています。SFの世界はアニメや映画等によって映像化されており、人々は、視覚からも未来社会をイメージすることができるのです。しかしながら、最近に至り、SF小説は洗脳手段であったのではないかと疑うようになりました。

 こうした疑いを抱くに至った理由は、SF小説の舞台となる未来とは、案外、ステレオタイプ化されているからです。これはアニメや映画等の映像とも共通するのですが、都市の景観といえば、天に届くばかりの超高層ビル群や球形といった奇妙な形状の建物が聳えており、そこでは木造や石造りの伝統的な街並みはきれいさっぱりと消え去っています。街行く人々の様子を見ましても、揃ってスマートな体型の人々が性別に拘わらず頭の先からつま先までウェットスーツのような体にぴったりした服装を身に纏い、整然とした街並みを颯爽と闊歩しています(高齢者の姿はあまり見かけないので、生命科学の発展によって不老不死化しているかもしれない…)。もちろん‘空飛ぶ自動車’もあれば、宇宙船とも言うべき‘空飛ぶ円盤’も空中を自由自在に飛び回っているのです。

 小説、アニメ、映画等を通してSFが描く未来社会に親しむようになった人々は、知らず知らずのうちに未来社会を上記のステレオタイプ化されたイメージで捉えるようになります。そして、例えばSF小説を読んだ人は、超高層ビルディングが実際に建設されたり、球形の建物が出現すれば、それだけ時代が先に進み、‘未来’に近づいたと認識するのです。こうした高度な科学技術に支えられている‘未来都市’の光景は、SFで慣らされてきた人々にとっては既知であり、それ故に、何らの疑いもなく‘未来化’を当然のこととして肯定的に受け入れてしまいがちです。あるいは、内心において抵抗感や違和感があったとしても、‘時代の流れだから仕方がない’として諦めてしまうのです。

 しかしながら、考えてもみますと、未来社会がSFによって決定づけられてしまうことは、奇妙なことでもあります。未来とは、過去を引き継ぎながらも人々が賢く取捨選択を行い、改善を繰り返し、さらに創造性を発揮しながら紡ぎ出されてゆかれるものなのではないでしょうか。到達すべき‘未来社会’は最初から設定されているわけではないのです。となりますと、SFが未来社会を予め決定して人々の思考に対して方向づけを行い、その実現を人類が目指すのでは、開かれているはずの未来を閉ざしてしまうことになりかねません。これでは本末転倒であり、未来に向けて自らの社会を構築してゆく自由や権利を人々から奪うに等しいのです。

 戦争放棄を謳う日本国憲法第9条も、SF小説から着想を得ているとする説もあります。SF作家の人々が、人々を洗脳して誘導するために未来社会を設定したかどうかは分かりませんが、そろそろ人類は‘SFの呪縛’から解放されてもよいように思えるのです。歴史も伝統も文化の薫もない無味乾燥としたSFの世界が唯一の人類の未来なわけではないと考えれば視界が開け、気持ちが楽になる人は結構たくさんおられるのではないでしょうか。

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在韓米軍撤退に向けた韓国の不穏な動き

2019-02-07 13:25:38 | 国際政治
アメリカのトランプ大統領は、2月5日に行った一般教書演説の中で北朝鮮の金正恩委員長との第2回目の首脳会談の日程と開催地を明らかにしました。今月27日と28日の両日にかけてベトナムにて両首脳は再び顔を合わせることとなりますが、トランプ大統領は、同会談については至って楽観的であり、既に自政権が達成した外交成果の一つに数えています。

 北朝鮮から何度となく約束を反故にされ、煮え湯を飲まされてきた日本国としては、金委員長に全幅の信頼を寄せている、少なくともそのように見えるトランプ大統領の自信に満ちた姿に危うさを覚えるのですが、同大統領は、金委員長の合意を取り付けることができれば北朝鮮の非核化は容易に実現できると確信しているようです。核放棄に向けた具体的な措置の見返りとしての平和条約の締結も視野に入るのですが、仮に、この方向に現実が進むとしますと、在韓米軍の撤退も俄然現実味を帯びてきます。

 かくして米朝首脳会談の議題として平和条約の締結が予測される以上、国際社会では在韓米軍の撤退に関する憶測も飛び交っており、米政権もこの問題には神経を尖らせているようです。在韓米軍撤退の観測に対して、早々、ホワイトハウスは否定的な見解を示したものの、韓国の不穏な動きを見ますと、在韓米軍と韓国との関係には、既に隙間風が吹いているようにも見えます。

 北朝鮮との間に平和条約を締結した後にあっても、アメリカが米軍を韓国に駐留させる軍事的目的があるとしますと、それは、対中、並びに、対ロ軍事拠点としての意義を置いて他にありません。朝鮮戦争再開への備えの意味は消滅し、韓国に駐留する米軍は、いわば在日米軍と同様の立場に転じるのです。しかしながら、ここで問題となるのは、韓国と北朝鮮との関係です。仮に、平和条約締結を機に韓国と北朝鮮が統一に踏み切った場合、韓国に対中ロの防波堤の役割を求めるアメリカのシナリオが崩れる可能性があるからです。トランプ大統領としては、南北ともに朝鮮半島を親米勢力に取り込みたいのかもしれません。それ故に、最大限の賛辞を金委員長に贈り、見返りとしての経済制裁の緩和も許容範囲なのでしょう。つまり、統一後の朝鮮半島が、親米となるのか、親中となるかによって、将来の東アジア情勢は180度変化するのです。

 そして、親米か親中かを軸に韓国の現状を見ますと、米国の同盟国でありながら、むしろ、韓国の態度は親中に傾いているようです。例えば、昨年末に発生し、今なお日韓両国間で尾を引いている韓国海軍駆逐艦による自衛隊哨戒機に対するレーダー照射事件は、韓国がアメリカとの同盟関係を重視していればあり得ない事件です。日本国との間に波風を立てれば、アメリカが世界大に構築している安全保障網を損ねることは十分に承知しているはずなのですから。そして、文在寅政権の反日姿勢は、対日開戦前夜の様相との評もあるくらい、日に日に過激さを増しています。南北統一が宣言されたその日に、対日宣戦布告が発せられそうな勢いなのです。古来、国民を纏めるために外敵を利用するという政策手法がありますが、朝鮮半島の統一国家を精神的にも一体化するために日本国が利用される可能性も否定はできず、仮にこうした事態が発生すれば、最悪の‘用日政策’となりましょう。そして、‘統一朝鮮’がこのシナリオを発動させるためには、米軍は目の上のたんこぶとなる‘邪魔’な存在なのです(中国が後ろ盾であれば容認、あるいは、軍事支援するかもしれない…)。もっとも、仮に‘統一朝鮮’が対日戦争に訴えた場合、日米同盟が発動される可能性が高いのですが…。

 国際政治の舞台裏では様々な駆け引きや工作活動が行われており、表面化している情報だけでは正確に分析することはできません。しかしながら、韓国の態度を見る限り、同国は、在韓米軍の撤退を見越しているとしか思えないのです。第2回米朝首脳会談において平和条約の締結まで合意された時、その時こそ、日本国は、身構える必要があるのではないかと思うのです。

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グローバリズムを壊す中国の‘一国グローバリズム’-ドイツの選択と日本国の行方

2019-02-06 13:17:29 | 国際政治
外資買収阻止へ基金=ドイツ、中国念頭に検討
アメリカのトランプ政権が保護主義に転じて以来、中国は、自らこそ先頭に立ってグローバリズムを推進するリーダーとして名乗りを上げてきました。ところが、後ろを振り返りますと、フォロワーとなるべき国が見当たらないようなのです。

 つい最近まで、国際社会はグローバリズム礼賛一色であり、急速な経済成長で台頭した中国は、時代の寵児でもあったはずです。アメリカのトランプ政権誕生した時も、あたかも時代の潮流に逆らう異端児として白眼視されていました。しかしながら、今では、グローバリズムのために共に闘う友であったはずドイツでさえ、徐々に距離を置き始めています。

 報道に拠りますと、ドイツのアルトマイヤー経済相は、2030年までの経済戦略として、ドイツ企業の外資による買収を阻止するための基金を設立する方針を公表したそうです。これまでのグローバリズム流の経済戦略では、外資による自国企業買収は、海外から投資を呼び込み、自国経済を活性化するとして奨励されてきました。従来の日本国政府の経済戦略も外資歓迎の立場にあります。ところが、ここに来て、ドイツまでもが、資本やテクノロジーの自由移動を原則に含むグローバリズムに背を向けて、自国企業保護のための規制強化に舵を切り替えているのです。

 ドイツの方針転換の理由は、自国経済の強みであった先端技術の中国への流出懸念があります。中国は、自国企業と外国企業との間で合弁企業を設立するに際して、法律によって先端技術の提供を義務づけてきました。13億の巨大市場に参入するチャンスは技術旅行を失う機会ともなるのであり、この技術移転強要の廃止は、米中貿易交渉にあってアメリカの対中要求の重要な項目でもあります。ドイツとしては、中国市場においてドイツ製品の販売拡大に一先ずは成果を見たもの、やがては技術移転によって飛躍的に技術力を高めた中国企業が、巨大な‘チャイナ・マネー’の威力で技術力を誇るドイツ企業までをも傘下に収めるとなりますと、もはや黙視はできなくなったのでしょう。この状態を放置すれば、ドイツ経済は企業諸共に中国経済に飲み込まれ、‘虎の子の技術’の提供という犠牲を払ってまで築いた中国市場での地位も失われることは必至です。

 合理的に考えれば、市場規模が大きくなればなるほどに‘規模の経済’も強く働きますので、全世界の市場を包摂するグローバル市場では、人口大国である中国企業が、競争上、圧倒的に有利な立場から事業を展開し、他国企業を‘淘汰’することができます。言い換えますと、グローバリズムの行く先には、中国による‘一国グローバリズム’が待ち受けているかもしれないのです。共産主義とは、政治と経済が一体化した思想ですので、経済分野における世界制覇は、即、中国による世界支配と直結します。習近平国家主席が掲げる「中国製造2050」は、まさにこの方針に沿った世界戦略であり、ドイツが2030年までの戦略に外資買収阻止基金の設立を含めたのは、中国の世界戦略の遂行を阻止する決意の表れであるのかもしれません。

 以上に、ドイツの方向転換について見てきましたが、技術立国を自認してきた日本国もまた、ドイツの方向転換は他人事ではありません。先にも触れましたように、日本国政府の経済戦略とは、基本的には外資歓迎であるからです。日本国内を見渡しましても、東芝の白物家電部門の中国美的集団による買収やNEC、並びに、富士通のパソコン部門のレノボの傘下入りなど、日本国の‘お家芸’が中国系企業に次々と買収されており、また、政府の支援の下で誕生し、現在、産業革新投資機構が筆頭株主である大手半導体メーカーのルネサスエレクトロニクスも、中国系から出資を受ける案が検討されているとする情報もあります。現実に、日本経済を根底から支えてきた重要事業部門の多くが技術力と共に中国勢の手に渡っているのであり、日中関係の改善がさらなるチャイナ・マネーによる日本企業の買収を意味するならば、日本経済も、ドイツと同様に深刻な危機に瀕することとなります。

 グローバリズムの行く先が中国の‘一国グローバリズム’であるとする現実がグローバリズムそのものを壊しているのであり、それは、グローバリズムがこの世の有限性や具象性を捨象した観念の産物であったことと無縁ではないのでしょう。日本国政府は、これが抱える危うさを直視すると共に、日本企業、並びに、日本の技術力を護るためのあらゆる方策の策定を急ぐべきではないかと思うのです。

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日本国民が歓迎しない習主席の訪日

2019-02-05 13:11:47 | 日本政治
首相、中国主席に年2回来日要請 関係改善で外交足場固め
報道に拠りますと、日本国の安倍晋三首相は、中国の習近平国家主席に対して今年中に二度の訪日を要請しているそうです。第一回目は6月のG20の日程に合わせて、そして、国賓待遇となる第二回目は秋の予定で。目的は日中関係の改善と外交での足場固めとされておりますが、果たして政府の思惑通りの成果は得られるのでしょうか。

 この提案が実現すれば、年二回の中国国家主席の訪日は、2008年の胡錦濤国家主席以来の二度目となり、日中関係改善のハイペースぶりが際立つこととなります。おそらく、目下、米中対立において守勢に立たされている中国としては、何としても対米戦略の‘駒’として日本国を残しておきたいのでしょう。先日のドイツのメルケル首相の訪日も、親中派の筆頭であったわけですから、習主席の訪日、即ち、日中関係の‘深化’に向けた露払いであったのかもしれません(表向きは対中牽制で、メルケル首相と足並みを揃えているように見えても…)。

しかしながら、胡錦濤時代と今日の習近平時代とでは、国際情勢は著しく変化しております。前者にあっては中国の平和的台頭に対する期待が高く、世界支配の野望も鎧の下に隠されていました。多くの人々が、近い将来において経済大国ともなった中国は、政治的にも民主的で自由な国家へと変貌するものと予測していたのです。ところが、今日、これらの期待は見事なまでに打ち砕かれております。習体制とは、ITやAIといった高度先端技術を完璧なまでに国民監視体制に組み入れた未来テクノロジー型独裁国家であり、そこに住まう一般国民は、24時間、当局の監視の目に怯える生活を余儀なくされています。国民の権利も自由もプライバシーも保障されない監獄国家化の道を歩む中国の姿に、誰もが恐怖を覚えることでしょう。そして、この異形の独裁国家は自国国内の留まらず、同システムを全世界に広げる野心に燃えており、そのためには、高度先端技術を駆使して開発した最新兵器を使用することを躊躇わないのです。如何なる非人道的な兵器であっても。言い換えますと、習近平時代とは、胡錦濤時代に被っていた温和な仮面を捨て去って、強面で粗暴な素顔が現れた時代なのです。

こうした時代の変化とソ連邦を凌ぐ習体制の醜悪さに照らしますと、たとえ習主席が日本国を年に二度訪問したとしても、日中関係が思惑通りに改善されるとは思えません。世論調査を見ましても日本国民の対中感情は悪化しており、到底、国民が心から同主席を歓迎するとは考えられないのです。既に日中政府間では草の根交流の推進で一致し、民間レベルル、特に若年層の交流を活発化するプログラムなどを企画しているようですが、中国の現状を見れば、民間のイベントであっても一般の日本国民は二の足を踏みます。政府が先頭に立って音頭をとっても、国を挙げての歓迎ムードなど起きようもないのです。むしろ、2008年の北京オリンピックに際してフリーチベット運動が広がったように、中国の抑圧体制に反対する抗議デモが起きてもおかしくないのです。つまり、習近平主席は、黒塗りの特別車の車窓越しに、打ち振られる五星紅旗や‘熱烈歓迎’の横断幕ではなく、‘フリーチャイナ’のプラカードを沿道に見ることになるかもしれないのです。

日本国政府がこうした事態を避けようすれば、沿道に中国国旗を振る人々を大量に動員し、かつ、反中デモを一人残らず排除する必要があります。そして、こうした国民動員や強制排除が実施されれば、一般の日本国民は、恐怖政治を敷く中国に阿ったとして、日本国政府に対する不信感と反感を一層強めることでしょう。独裁国家中国の国家主席の訪日は、日本国が‘中国化=全体主義化’する契機となり得るが故に、自由と民主主義を標榜し、かつ、保守を自認してきた自民党政権の基盤を根底から崩しかねないリスクとなるのです。そして、米中対立の最中にあっての日本国政府の対中融和は、同盟国であるアメリカとの間の信頼関係を損ねる怖れもあります。日米同盟、即ち、日本国の防衛や安全保障をも揺るがしかねない危うさをも内包しているのです。

このように考えますと、中国の国家主席の訪日は、日本国にとりましては内政外政両面における危機を招き入れることにもなりかねません。一般日本国民の大多数は日中関係の改善、ましてや中国に倣った全体主義化など望んでいないのですから、民主主義国家である日本国政府は、国民本位の政治の実現に努めるべきなのではないでしょうか(それとも、政府は、日本国の全体主義化の‘チャンス’と見ているのでしょうか…)。少なくとも、自国を重大な危機に陥れるようなイベントを自ら提案するのは自殺行為にもなりかねないと思うのです。

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