万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

原発再稼働と悪魔の証明

2012年12月20日 16時08分38秒 | 日本経済
 昨日の記事では、原子力規制委員会について制度面から疑問を呈しましたが、本日は、独立性にまつわる悪魔の証明問題を扱ってみようと思います。

 統治機構には、制度的に独立性が保障されている機関が数多く存在しています。特に、司法分野では、警察や検察を始め、裁判所の独立性は、権力分立の観点からも、とりわけ神聖視されてもいます。過去に起きた出来事については事実は一つですので、証拠さえ揃っていれば、事実認定は、比較的容易にできます。司法分野では、独立性は、中立・公平な判断には不可欠の要素なのです。一方、将来に起きるであろう出来事についてはどうでしょうか。この場合、想定されるシナリオは無限となり、誰も、100%の確率で将来の出来事を判断することはできません。将来の出来事を証明することは、いわゆる”悪魔の証明”であり、ほとんど不可能に近いことなのです。もちろん、予測しやすい分野もありますし、相当高い確率でリスクを把握できることもあります。しかしながら、地震による被害リスクの発生予測となりますと、地震予知が困難であるのと同様に、それは、極めて困難な作業となります。つまり、原子力規制委員会は、地震による被害発生を100%証明できないと同時に、再稼働を求める側も、地震が発生しないことを100%証明できないのです。双方とも、悪魔の証明となるのですから…。こうした場合、片方のみに極めて裁量の幅が広い決定権を与えますと、損害を受ける側(産業や一般国民…)の利益は保護されず、不公平が生じます。しかも、法律問題でもありませんので、不服があっても、訴訟を起こしてその決定を覆すことも簡単ではありません。

 司法分野のように過去の確定された事実を扱うのではなく、将来予測、しかも、発生確率が極めて低い、あるいは、幅広いシナリオがあり得、かつ、公共性が高い問題を扱う場合には、独立的な規制機関が、排他的に是非の判断することには、やはり、疑問があります。むしろ、国民は、どこまでリスクを受容できるか、という議論を踏まえた政治的な判断の方が相応しいと思うのです。

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コメント (2)
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