万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

アメリカの政治に見る献金問題-恐るべきユダヤ系のマネー・パワー

2023年11月30日 11時33分47秒 | アメリカ
 日本国内では、ビル・アッカマン氏の名は、それ程には知られていないかも知れません。しかしながらここ数ヶ月の間に、同氏の名前を続けて二度目にすることとなりました。一度目は、イスラエル・ハマス戦争に際してハーバード大学に圧力をかけた人物として、そして、二度目は、時期アメリカ大統領選挙において現職のバイデン大統領を見限った人物として。それでは、ビル・アッカマン氏とは、どのような人物なのでしょうか。そして、同人物は、アメリカの政治における寄付問題を象徴しているようにも思えるのです。

 ビル・アッカマン氏、正式にはウィリアム・アルバート・アッカマン氏は、アメリカの運用会社であるパーシング・スクエア・キャピタル・マネジメントの創業者であり、保有する純資産は3000億円を超えるとされています。もっとも、ビル氏一代で財を築いたわけではないようです。

 アメリカにおけるアッカマン家の始まりは、1887年の祖父のアブラハム・アッカマン氏のロシアからの移住に求めることができます。同氏はアシュケナージ系ユダヤ人ですので、当時、ロシア国内で吹き荒れていた‘ポグロム’から逃れるための移住であったのでしょう。次いで祖父のヘルマン氏の代になると、1926年に兄弟と共にアッカマン・ブラザーズという名の不動産投資会社を設立しています。同社が、今日のアッカマン・ツィフ不動産グループの母体となるのですが(サイモン・ツィフが同社に加わることで、1995年に社名を改名・・・)、三代目となる父親であるローレンス・D.・アッカマン氏は、長らく同グループトップの座にあって、不動産関係の金融商品の開発や住宅ローンの仲介業などを手広く手がけるのです。そして、ビル・アッカマン氏こそ、アメリカン・ドリームを体現し、億万長者への道を歩んできたアッカマン家の四代目と言うことになります。

 かくして、ビル・アッカマン氏は、巨額の資金をバックとして‘アクティビスト’として活動することとなります。‘アクティビスト’と申しますと、日本語ではしばしば‘物言う投資家’と訳されるため、企業の経営に積極的に口出しをする大株主という印象があります。しかしながら、アッカマン氏が‘物言う’のは、自らの投資先のみではありません。上述したように、同氏は、寄付や献金等を手段とするマネー・パワーを活用して、先述したように教育界にも口を出しますし、政界にも多大な影響力を発揮するのです。

 こうしたマネー・パワーを有する‘アクティビスト’の活動が、アメリカの民主主義を著しく歪めてしまう、あるいは、内部から破壊してしまうことは、言うまでもありません。何故ならば、マネー・パワーは、あくまでもその保有者の私的なものであって、民主主義と凡そ同義とも言える国民自治の精神に基づく公共性や公益性が欠けているからです。アッカマン氏を見ましても、その言動の根底には、自らがユダヤ人であり、イスラエル支持という同氏の属性に関わる個人的な信条があります。同氏が物を言う時には、自分あるいは自分たち以外の他の国民の考え、即ち、国民世論の動向などは全く頭にはなく、ひたすら自ら、あるいは、自らが属する集団の私的な意向や思惑を、他の国民全員に押しつけようとしているのです。そして、その最も簡単で効果的な方法が政治家を自らのコントロール下に置くことであるのでしょう。かくしてアッカマン氏は、寄付や献金等を手段として、アメリカ大統領の椅子にさえ、自らの都合の良い人物を座らせようとしているように見えるのです。

 同氏は、民主党のディーン・フィリップス候補のみならず、「共和党候補指名をトランプ前大統領と争うニッキー・ヘイリー元国連米大使、クリス・クリスティー前ニュージャージー州知事」をも支持していると述べていますので、民主党のみならず共和党にも‘保険をかけている’ことが分かります。言い換えますと、当選後に自らの意向を忠実に実行する候補者であれば、政党やイデオロギーには関係なく、誰でもよいのです。この両天秤は、二頭作戦の現れでもあります。

 加えて、選挙に際して候補者には莫大な費用が準備する必要がある現状が、‘アクティビスト’の発言力をより一層高める方向に作用しています。寄付や献金がなければ選挙に勝利できないのであれば、寄付者や献金者の要望を断れないからです。共和党の有力候補者であるトランプ前大統領も、イスラエル支持の立場を表明していますので、アメリカの政界は、アッカマン氏のみならず他のユダヤ系勢力のメンバーからの寄付や献金によって身動きがとれず、がんじがらめにされているのかもしれません。つまり、アメリカの政界は、今やユダヤ系のマネー・パワーに支配されていると言っても過言ではないのです(なお、この問題は、アメリカに限ったことでもない・・・)。

 アメリカ政治の現状は、‘自由で民主的な国’というアメリカのイメージが幻想に過ぎないことを示しています。そして、今日、理想と現実との乖離を目の当たりにして、アメリカ国民は、建国以来はじめて、真に自由で民主的な国の再構築という、構造的な改革を要する重大な課題に直面しているのかもしれません。そしてこの問題は、アメリカ国民の一員として、ユダヤ系の人々も共に考えるべきことではないかと思うのです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アメリカの大学に見る寄付問題-ユダヤ脅威論の自己証明?

2023年11月29日 11時42分40秒 | アメリカ
 寄付という行為は、一般的には、特定の活動をしている団体や個人への資金的なサポートを意味します。活動の理念や基本方針、並びに、具体的な活動内容に賛同し、善意で自らの資金を提供するというものです。慈善的なニュアンスが強いため、寄付に対しては多くの人々が好意的な印象を持つことでしょう。しかしながら、イスラエル・ハマス戦争を機に、寄付に対するイメージは脆くも崩れつつあります。

 事の発端は、アメリカの東部名門大学であるハーバード大学における、30ほどの学生団体によるイスラエルのパレスチナガザ地区に対する攻撃に対する非難声明の発表にあります。同非難声明については、アメリカ国内におけるイスラム系学生の増加に伴う親パレスチナ派の抗議活動とする見方もありますが、むしろ、大学生としてパレスチナ紛争の歴史的経緯を詳しく知るからこそ、イスラエルを非難したという側面がありました。「何もない状態で突如起きたわけではない」とした上で、「イスラエルによる暴力は75年間にわたり、パレスチナ人の存在に関わる全ての側面において構造化されてきた」と述べているのですから。学生達の非難には正当な根拠が認められるため、抗議活動は同大学を超えてコロンビア大学、スタンフォード大学、エール大学、並びにペンシルバニア大学など、他の大学のキャンパスにまで広がっていったのです。

 学生達の間からイスラエル批難の声が上がる一方で、大学側は、これに対して厳しい態度で臨みます。ユダヤ系学生に対するヘイトクライムに対する対応を根拠としながらも、ハーバード大学創立以来、初めて黒人系にして女性の学長に就任したクローディン・ゲイ学長は、ハマスによるテロの非人道性を強調し、イスラエルへの批判を封じ込めようとしたのです。ゲイ学長の声明には、元米国務長官にして元学長のローレンス・サマーズ氏、同校出身のマサチューセッツ州選出の民主党議員ジェイク・オーキンクロス氏、及び、ドナルド・トランプ前大統領からの、同学長の対応の緩さへの批判とイスラエル支持への圧力があったとされます。

 こうした政治家による大学への‘政治介入’も大問題なのですが、大学当局並びに学生達をより震撼させたのは、寄付者達からの‘脅迫’であったようです。各大学の高額寄付者には、ユダヤ系の富裕層や大企業のCEO等が名を連ねています。こうした人々の中には、イスラエル批判の声明に署名した学生の採用を拒否する方針を示す者が現れると共に、寄付の中止をも示唆したからです。ユダヤ系の人々からの寄付が途絶えれば大学の経営も傾きかねません。そこで、大学側も、こうした寄付者達の要求、すなわち、学生によるイスラエル批判の封じ込め要求を、大学側も無視するわけにはいかなかったのでしょう。

 
 そして、ここで問題になるのは、仮に寄付を受ける側が寄付者の意向に沿った行動を取らなければならないとすれば、それは、合法的な賄賂や買収、あるいは、公共物の私物化を意味するのではないか、と疑問です。アメリカの大学では、高額寄付者の子弟に対して特別入学枠を設けている点が、公平性を損なうとして批判されてきましたが、学長が、寄付者の要求に応じざるを得ない状況を齎すとしますと、大学の存在意義さえ失われかねないからです。

 寄付とは、冒頭で述べたように寄付者が寄付先を無条件で支援するという構図でこそ慈善行為となります。しかしながら、マネー・パワーによって主客が逆転し、寄付を受ける側が、寄付者の意向を忠実に実現する機関に出してしまいますと、大学の目的まで歪められてしまいます。そして、自由であるべき学究の場の私的利用や私物化が、学問の自由のみならず、言論の自由や表現の自由等を著しく損ねることは言うまでもありません。しかも、今般の介入は、国際紛争にあって、寄付先に所属するメンバー、この場合には自由意志で入学して学んでいる学生に対して、事実上、一方の側の立場のみの支持、あるいは、沈黙を強要しています。寄付者によるこの行為は、個人の政治的自由をも束縛することとなり、民主主義の危機をも招きかねないのです。さらに宗教対立が絡むとなりますと、信教の自由の保障も怪しくなります。また、ゲイ学長の就任にも、寄付者達の意向が働いたのではないか、とする私的人事介入の疑いも生じます。多くの人々は、大学は、マネー・パワーによって腐敗したと言うことでしょう。

 今般の事件が、ユダヤ系の富裕層のマネー・パワーとそのパワーの‘使い道’を人々にまざまざと見せつけたとしますと、ユダヤ脅威論を自ら証明するようなものです。陰謀論も絵空事ではなく、イスラエルによる国際法違反の行為さえ反ユダヤ主義の名の下で封じられるならば、その国の国民は、決して自由で民主的な国家で生きているとは言えないと思うのです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヨーロッパ極右の不可思議-反イスラム主義と反ユダヤ主義

2023年11月28日 12時28分58秒 | 国際政治
 先日、オランダで行なわれた議会下院総選挙では、反移民・反イスラム・反EUを訴えてきたヘルト・ウィルダース氏率いる自由党(PVV)が議席数を大幅に増やし、ヨーロッパ諸国の右傾化を印象づけることとなりました。自由党の獲得議席数は全150議席中37議席に過ぎませんが、議席数を17から37まで20も増やしたのですから躍進です。その背景には、イスラム諸国からの移民の増加というヨーロッパ諸国が共に抱える問題が指摘されていますが、この現象、どこか不可思議なのです。

 今日のヨーロッパにおける極右政党は、民族主義あるいは国家主義においては戦前のナチスやファシスタ党と共通し、かつ、それ故に‘極右’と表現されながらも、両者、とりわけ、ナチスとの間には決定的な違いがあります。それは、現代の極右は、何れも反イスラム主義を掲げ、親ユダヤの姿勢を鮮明にしている点です。ドイツのネオ・ナチさえ必ずしも反ユダヤではなく、フランスの極右として知られるマリーヌ・ルペン氏も同様です。もちろん、極右の反イスラム主義の背景には、上述したイスラム系移民の増加とその社会問題化があり、おそらく、身近な問題として移民問題に敏感になっている一般の国民を自らの支持層として取り込みたい思惑があるのでしょう。

 その一方で、同党の躍進は、イスラエル・ハマス戦争とは無縁ではないように思えます。もちろん、ハマスのイスラエル奇襲に際しての蛮行が報じられたことにより、ヨーロッパの人々がイスラム過激派によるテロを恐れるようになった、とする説明もあり得ましょう。イスラエル国民のように自らもテロの被害者になるかもしれない、という恐怖心が、極右勢力を政界に押し上げたのかもしれません。もっとも、ヨーロッパにおけるイスラム過激派によるテロ事件が頻発したのは、2001年にアメリカにて9.11事件が発生してからの十数年ですし、フランスのパリのように社会的分断による暴動が起きつつも、イスラムホビアは今に始まったことではありません。

 ‘今’というこの時期に反イスラム主義を掲げた政党がオランダで台頭した点を考えますと、この現象は、ヨーロッパの人々のイスラムに対する恐怖心や一般的な反イスラム感情、あるいは、残忍なハマスに対する怒りに起因しているのではないのでしょう。むしろ、反ユダヤ主義の広がりを抑えるための、ユダヤ系勢力による高等戦術である可能性も否定できないように思えます。

 反ユダヤ主義で知られる戦前のナチスを見ましても、その幹部の多くはユダヤ系でした。18世紀にユダヤの宗教家として一世を風靡したヤコブ・フランクの思想では偽装や偽旗作戦は許されており、ユダヤ系勢力の行動を理解するには、その思想の系譜まで遡って理解する必要があります。今日のヨーロッパの極右も、その言行やメディアを介したプロパガンダなど、表面だけを見たのではすぐに騙されてしまうのです。しかも、他者を分断して相互に戦わせる作戦はお手のものなのです。

 そして、ヨーロッパにおいて反イスラム主義を招いた移民の増加も、その原因を突き詰めてゆきますと、特定の金融・経済財閥、イエズス会、そして東インド会社等が合流したグローバリストに行き着きます。世界権力とも称すべきグローバリストの多くはユダヤ系ですので、反移民を政策に掲げるならば、こうしたユダヤ勢力を批判するのが筋であり、かつ、合理的な判断なはずです。イスラム教徒と対立しても根本的な問題解決に至るわけではなく、各国政府の政策にも多大な影響を与えている世界経済フォーラムが掲げる移民推進策こそ止めさせないことには、移民の増加は止まるはずもないのです。因みに、オランダ東インド会社の会員には、オランダがかつてスペイン・ハプスブルク領であった歴史を背景に、多数のセファルディ系のユダヤ商人が見られます。

 また、イスラエル・ハマス戦争では、イスラエルによるパレスチナ国に対する侵略、並びに、パレスチナ人に対する虐殺が問題視されるに至ると、イスラエルに対して逆風が吹くようにもなりました。この逆風は、必ずしもイスラム系移民のみではなく、イスラエルの攻撃が国際法違反の戦争犯罪である以上、一般国民からも吹いてくるのです。ホロコーストによる同情すべき被害者というユダヤ人のイメージは崩れ、加害者としての側面が露わとなったのですから、ユダヤ人は、目下、反ユダヤ主義の亡霊を恐れる事態に直面しているのです。

 オランダの自由党は、ウィルダース党首のみが党員であり、他の人々は同氏に賛同するサポーターといういわば‘独裁政党’なところもユダヤ勢力好みでもあります。オランダにおける同党の躍進は、ヨーロッパにおける反イスラム主義の拡大と言うよりも、反ユダヤ主義の再燃を恐れた、潤沢な資金力並びにメディア操作に長けたユダヤ勢力による防御的なリアクションなのかもしれません。反ユダヤ主義が国民一般に広がる前に先手を打ち、保守層を親ユダヤ主義に誘導するという・・・。この作戦では、基本的な対立構図もオランダの一般国民対イスラム系移民となり、ユダヤ勢力は‘自らは安全な場所に身を置く’ということになるのですが(他者二分して両者を戦わせる・・・)、果たして、オランダ、否、ヨーロッパ諸国は、どちらの方向に向かってゆくのでしょうか。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハマスの人質解放は和平への道を意味するのか?

2023年11月27日 11時52分54秒 | 国際政治
 かねてよりイスラエルのネタニヤフ首相は、ハマスによる人質の解放がハマスとの停戦の条件であると明言してきました。この言葉通り双方による停戦が合意され、今月24日からハマスは人質の解放を始めたのですが、同解放は、イスラエル・ハマス戦争に恒久的な和平をもたらすのでしょうか。

 ハマスとイスラエルによる停戦の合意は、11月22日にカタール政府によって発表されました。カタールやエジプトと言ったアラブ諸国の仲介が功を奏したと報じられていますが、その背後では、アメリカが水面下で働きかけを行なったとされています。何れにしましても、少なくとも外交の表舞台では、仲介者の登場によってイスラエルとハマスとの間に交渉ルートが開かれたこととなったのです。

 今般の停戦条件とは、ハマス側が10月7日の奇襲攻撃に際して奪った人質240人のうち50人を解放する一方で、イスラエル側も自国に拘留していたパレスチナ人150人を釈放するこという交換条件です。この結果、24日から四日間の停戦が開始されています。なお、ハマス側が、ガザ北部に対する支援物資の搬入をイスラエルが妨害していると批難していますので、同停戦条件には、ガザ地区住民への水、食料品、緊急医療品などの人道的支援も含まれているのでしょう(自由な通行の保障・・・)。

 かくして、24日からハマス、イスラエル双方による停戦条件の履行が始まり、イスラエルによるパレスチナ人大量虐殺を伴うガザ地区壊滅作戦を前にした緊迫感も、一先ずは和らぐこととなりました。初日の24日には、ハマスは24人の人質を解放し、その後、第二回目ではタイ人4人を含む17人を、第三回目ではアメリカ人やロシア人など外国籍4人を加えた17人を解放しています(アメリカのバイデン大統領は、アメリカ人少女の解放を自らの外交的成果としてアピール・・・)。赤十字国際委員会(ICRC)に引き渡す形ではありますが、人質の一部は無事に解放されたのです。

 停戦期間は、四日間、即ち、11月28日までを予定していますが、その後については未定です。もっとも、ハマス側が一日に10人の人質を解放する代わりにイスラエル側も30人のパレスチナ人を釈放する条件の下で、1日づつ停戦を延長するとする案も検討されていると報じられています。しかしながら、同停戦延長が実現したとしても、それが恒久的な和平に繋がるとは限りません。何故ならば、人質の人数には限りがあるからです。

 ハマスは、三日間で58人の人質を解放しており、残りの人質の数は、単純計算で182人です(もっとも、条件の対象がイスラエル人人質とすれば、解放人数は50人丁度・・・)。つまり、一日10人の人質解放で停戦を延長したとしても、最大で19日しか停戦期間を設けることができないのです。むしろ、ハマス側は、人質の解放によって停戦交渉の材料を失うのですから、その後は、交渉の余地なくイスラエルから攻撃される可能性が高まると推測されます。

 実際に、ガザ地区を訪問したネタニヤフ首相は、「勝利まで続ける。誰も止めることはできない」と述べて、四日間の停戦期間が終了した後に、ガザ地区に対する攻撃を再開する方針を示しています。また、ガザ南部に対する攻撃姿勢も強まっており、ガザ地区第二の都市とされるハンユニスに対する地上作戦も進行中との指摘もあります。さらには、イスラエル軍は、ヨルダン川西岸地区に対しても攻撃を加えており、一夜にして6人のパレスチナ人がイスラエル軍によって射殺されたと報じられています。ネタニヤフ首相の戦争目的の第一は、‘ハマスの壊滅’ですので、遅かれ早かれ、あるいは、人質の解放が一部であれ全員であれ、矛を収めるつもりはないのでしょう。

 以上に、簡単に停戦の経緯を述べてきましたが、ネタニヤフ首相がガザ地区を訪問し、かつ、戦争継続を宣言したところからしますと、今般の停戦は、やはりイスラエルにとりまして有利に働いているように思えます。これまで、イスラエルが停戦に応じなかったのは、ハマスに体勢を整え直す余地を与えないためと説明されてきました。しかしながら、今般の停戦後の様子からしますと、同停戦は、逆に、イスラエルにこそガザ地区南部を含めた地上作戦の準備期間を与えているように見えるのです。否、‘ハマス居るとこと全て攻撃対象’というイスラエルの基本的な立場からしますと、西岸地区をも継続的な攻撃の対象として視野に入れているのかもしれないのです。

 さらに、今般の停戦が、イスラエルに対する国際社会における人道上の批判を和らげたとしますと、イスラエルにとりましては、一層好都合であったと言えましょう。また、ハマスとの交渉ルートを一先ずは確保する一方で、イスラエル批判の高まりや国際世論の反発等を受けて計画を断念せざるを得なくなった場合にも、和平の演出、すなわち、体の良い幕引きという選択肢を手にすることもできました。そして、このイスラエル側に見られるこれらの有利性こそ、同戦争がハマスとの共謀であり、全世界を巻き込む世界権力による‘茶番’である疑いを強めているように思えるのです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イスラエルの誤算

2023年11月24日 11時25分29秒 | 国際政治
 イスラエルによるガザ地区及び西岸地区に対する軍事作戦は、おそらく事前に策定されていたのでしょう。パレスチナ国側の内紛による両地区の分離も、後ろから糸を引いていたのはイスラエルであったともされており、ハマスはイスラエルあるいはアメリカが育てたと言われる所以でもあります。PLOの流れを汲む西岸地区のファタハ政権もイスラエル寄りとする批判もありますし、他にも多くのイスラム系武装政党や過激派組織が乱立している状況からしますと、‘分割して統治せよ’、あるいは、サラミ作戦が実行されているのかもしれません。

 何れにしましても、ハマスによる奇襲攻撃は、イスラエルにガザ地区を完全掌握する絶好の機会を与えることとなったのですが、その後のイスラエルの素早い対応が、テロ行為に対する同害報復、あるいは、正当防衛の範囲を超えた過剰防衛に至り、かつ、‘ハマス壊滅’どころかガザ地区制圧に及んだのも、ガザ地区に対する作戦が前もって策定されていたとすれば容易に理解できます。奇襲攻撃に対する反応としては、あまりにも迅速かつ計画的なのです。

 おそらく、ハマスの奇襲攻撃に対して猛然と反撃を開始したあたりまでは、イスラエルの思惑通りであったかもしれません。しかしながら、その後は雲行きが怪しくなり、幾つかの誤算が生じたように思えます。

 第一の誤算は、イスラエルによるガザ地区に対する苛烈を極めた空爆が、イスラエルへの同情論を吹き飛ばしてしまい、国際世論を反転させてしまったことです。イスラエル側が国際人道法や戦争法に等に反する行為を繰り返したために、ハマスによるテロ行為の残虐性をアピールしたとしても、イスラエルは説得力を失ってしまったのです。むしろ、ネタニヤフ首相の暴走を止めるべく、国際社会では停戦を求める声が高まってしまったのです。

 第二の誤算は、イスラエル・ハマス戦争が、イスラエル建国をめぐる歴史的経緯や背後関係に対する国際的関心を高めてしまったことです(藪蛇効果・・・)。とりわけ、イスラエル建国の法的根拠となった1948年11月29日に成立した国連総会のパレスチナ分割決議は、ユダヤ系の国とアラブ系の国の二つの国家の共存、並びに、分割線を定めています。この歴史的事実は、むしろ、イスラエルが‘侵略国家’であることを明らかにていますので、一層、イスラエルに対する批判が高まる要因ともなったのです。

 そして、第二の誤算に関連して第三に挙げられることは、イスラエルが目指したガザ地区の併合は、国際法によってブロックされる可能性が強まった点です。たとえイスラエルが、戦争における無制限報復の原則に沿ってガザ地区を軍事的に完全制圧したとしても、法的根拠を欠きますので、イスラエルの行為は、国際法において禁じられている‘武力による現状の変更’であり、かつ、戦争犯罪を構成する他国の領域に対する侵略ともなります。その過程にあって、集団殺害犯罪(ジェノサイド)、人道に対する犯罪、戦争犯罪、侵略犯罪の全てを揃えていますので、たとえ国内法を制定してガザ地区を併合したとしても、イスラエルは、国際法にあっては合法的にガザ地区を併合することはできないのです。このことは、パレスチナ一帯をイスラエル領とする大イスラエル主義の夢が潰えることを意味しましょう。

 そして、第三の誤算として述べた武力による併合の無効性は、台湾問題を含め、今後、戦争という手段を‘無駄な行為’としてしまう可能性を示唆しています。何故ならば、多額の戦費を費やし、全国民が多大なる犠牲を払ったとしても、法的根拠がない、あるいは、それが国際法上の違法行為の結果であるならば、他国の領域を合法的に併合し、領有することはするはできないからです。言い換えますと、武力による併合は、紛争を終結させることも、最終的に解決させることもできないのです(正当なる領有権は確立しない・・・)。その後、永遠に領土を奪われた側の国、あるいは、その国民から返還要求を受け続けることとなりましょう。

 イスラエル並びにその背後で全世界のコントロールを試みようとしている世界権力にとりましては誤算続きとなるのでしょうが、戦争の時代が終演(終焉)する道を照らす一条の光が差し込んだことにおいて、人類にとりましては、これらの誤算は朗報となったのではないかと思うのです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イスラエル・ハマス戦争におけるイスラエルの狙いとは

2023年11月23日 17時03分33秒 | 国際政治
 イスラエル・ハマス戦争の真の目的は、どこにあるのでしょうか。同戦争の展開を具に観察しますと、イスラエル側の計画性が疑われてもいた仕方がないようにも思えてきます。何故ならば、シオニストが掲げる大イスラエル主義にとりましては、今般のハマスによる奇襲は、またとない千載一遇のチャンスともなったからです。そして、イスラエルは、戦争が違法化された時代にあって残された不公平な無制限報復の許容、並びに、戦争激化要因としてのイデオロギー・思想・宗教等の価値観や世界観をめぐる対立があってこそ、自らの計画を実現するチャンスとし得るのです。

 ネタニヤフ首相に代表されるシオニストの理想とは、カナン、すなわち、パレスチナ国の全域を含むパレスチナ地域一帯をイスラエルに併合することなのでしょう。そのためには、パレスチナ国を世界地図から消し去らなければならないのですが、イスラエルは、軍事力の行使こそ、この目的を実現する手段として見出したのでしょう。幸か不幸か、イスラエルは、建国と同時に4度に亘る中東戦争を戦うこととなり、軍事力増強の根拠は確保されています(密かに核兵器も開発・保有することに・・・)。

また、中東諸国との敵対関係のみならず、PLO、さらには、ハマスをはじめとした反イスラエルを掲げるテロ組織との長期に亘る戦いも、イスラエルがハイテク兵器などの先端的軍事テクノロジーを開発する口実を与えたとも言えましょう。言い換えますと、イスラエルは、戦争やテロが横行し、中東情勢が不安定な状況のままである方が、強大な軍事力をもって自らの存在を保障するのみならず、パレスチナ一帯の併合という目的にも好都合であったのでしょう。この側面は、紛争を抱える国ほど軍事力が強大化し、結果として周辺国との軍事力格差が広がりますので、いざ、戦争ともなれば、平和な環境にあった国ほど不利な状況に陥るという現代国際社会の由々しき問題でもあります。

 しかも、テロとの闘いにあっては、そもそもテロリストには領域や国民が存在しませんので、この主体殲滅型の戦争の側面はさらに強まります。イスラエルが宣言しているように、‘ハマスに対しては壊滅あるのみ’ということになりかねないのです。同組織との闘いは、長期間に及ぶと共にその目指すべき最終目的は、ハマスという存在そのものをこの世から消し去ることとなるのです。

 そして、ハマスが事実上のガザ地区の統治権、否、主権を握っていたことは、イスラエルにとりましては、同地区を併合する環境が整ったことを意味します。何故ならば、自らが被害国となり、かつ、ハマスを事実上の‘国家’と見なす対ハマス戦争に持ち込むことができれば(ハマスを‘国家’に仕立てあげる・・・)、正当防衛権の名の下で同地区全域を強大な軍事力で併合するチャンスを得ることとなるからです(ガザ地区の住民は、ジェノサイドか追放・・・)。イスラエル・ハマス戦争には、主権あるいは統治権の最終的な掌握を目的とする無制限報復戦争という条件が揃っているのです。

 以上の見方からしますと、ハマスの行動はイスラエルにチャンスを与えているようにしか見えません(目下、報道されているハマスによる人質の解放も、イスラエルのために逃げ道を造っているようにも見える・・・)。そして、イスラエル、並びに、その背後に潜むユダヤ系世界権力の行動は、今日の国際社会における戦争というものの問題点を浮き彫りにしていると思うのです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イスラエル・ハマス戦争が激烈化した理由

2023年11月22日 13時32分05秒 | 国際政治
 今般のイスラエル・ハマス戦争は、‘武装政党組織’とも称するべきハマスによるイスラエルに対する奇襲攻撃から始まったとされます。一先ずは、イスラエル側が不意打ちを打たれ、正当防衛権を主張しての開戦となったのですが、この戦争、幾つかの不審点があることは、これまでの記事でも述べてきました。本日の記事では、同戦争の計画性について考える思考材料として、現代の戦争における激化の要因について述べることとします。

 国際社会では、侵略戦争は国際法の犯罪とされており、とりわけ、領土の拡張を目的とした軍隊による侵攻や占領は、侵略のわかりやすい典型的なスタイルです。自国内のある一定の地域、例えば一方的な領土割譲要求を受けてきた国境周辺の地域に隣国の軍隊が進軍し、かつ、武力で同地域を支配し始めるともなれば、誰の目にもそれが武力で領土を奪おうとする行為であることが分かります。この場合、個別的であれ、集団的であれ、侵略を受けた国は、即座に自衛権を発動し、隣国の軍隊を力で排除しようとすることでしょう。こうした明確な侵犯に対する領土奪回を目指す戦争は、国際法においても自衛のための戦争として当然に合法性が認められています。そして、同戦争は、侵略軍を国境の外に排除すれば、およそ終息することともなるのです(もっとも、後に、被害国側が加害国側に損害賠償を求めることも・・・)。

 その一方で、それが最多であったとしても、必ずしも領土争いのみが戦争の原因ではありません。例えば、軍隊の侵攻や占領を伴わない一方的な武力攻撃や国民への加害行為が戦争の原因となることもあります。前者については、自国領域内からのミサイルやロケット弾による攻撃等がありましょうし、後者については、拉致や強制連行といった行為を挙げることができます。そして特に問題となるのは、主権あるいは統治権の存在や所在そのものが戦争の目的となるケースです。

 主権あるいは統治権とは、その国の体制そのものを含意します。何故ならば、国家としてのあらゆる行動や政策の決定は、主権によって法的効力が保障されており、かつ、あらゆる決定権の所在や決定の手続きは、主権の具体的な表現体である憲法おいて定められているからです。このため、他国の行動や政策を自国の望む方向に向けて変えようとすれば、同国の主権を掌握する必要があります。力によって主権あるいは統治権を掌握しようとするならば、相手方を‘無条件降伏’を受け入れざるを得ない状況に追い込むか、あるいは、その存在自体を‘抹殺する’ということになりましょう。

 この側面は、主権や統治権をめぐる戦争が凄惨を極める闘いとなることを物語っています。相手国を徹底的に叩きのめし、殆ど壊滅状態にしなければ、無条件降伏の状態に持つ込むことができないからです。あるいは、あくまでも相手方が降伏を拒む場合には、選択肢は‘抹殺’のみと言うことにもなります。言い換えますと、相手国の政権を倒し、国家体制を転換させるには、広域的かつ大規模な攻撃、あるいは、長期戦を覚悟しなければならないのです。しかも、それは、しばしば相手国の首都の破壊や制圧をも伴います。

第二次世界大戦は、この事例の典型例に含めることができるかもしれません。ナチス・ドイツは、ソ連軍の進軍による首都ベルリンの陥落と総統ヒトラーの自決により無条件降伏の状態に至っています。枢軸国の一員であった日本国は、ドイツの降伏後も戦闘を継続させるものの、結局、二度の原爆の投下とソ連軍の参戦という国家滅亡の危機を前にしてポツダム宣言の受託を決意せざるを得ませんでした。戦争末期の惨状に鑑みて、‘短期決戦計画が頓挫した時点で、早期に講和を求めるべきであった’とする‘反省の弁’もありますが、連合国側がこれを望まず、様々なルートで終戦交渉が妨害されたとは、フーバー大統領の回顧録にも記されているところなのです。

 このことは、現代の戦争の特徴とも言えるイデオロギーや国家体制、あるいは、価値観の違いを対立軸とする戦争が、総力戦化と相まって多大なる国民の犠牲と国土の焦土化を伴うことを意味します。そして、今日、この側面は、ハマスが事実上ガザ地区の統治権を掌握しており、ハマス政権なるものを成立させている以上、イスラエル・ハマス戦争にも当てはまるのではないかと思うのです(つづく)。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦争は不公平-イスラエルの過剰防衛問題

2023年11月21日 12時46分18秒 | 国際政治
 「目には目を、歯には歯を」というハンムラビ法典の条文は、同害報復を定めた古代法典の一文として知られています(ハンムラビ王の在位は紀元前1792年から1750年)。同法典は、古代バビロニア王国の奴隷制度が反影されているため、‘同等の者’同士の間という時代的な制約はあるものの、罪と罰との間の公平性、即ち、刑法の基本原則を、法文をもって定めたことにおいて歴史的な一文と言えましょう。もっとも、罪と罰との公平性については、人類の大半が有する一般的なバランス感覚に基づいており、ハンムラビ法典は、同普遍的な感覚を法文として表現したところにその画期性があったのかもしれません。

 何れにしましても、罪と罰、あるいは、加害行為とそれに対する償いは釣り合うべきとする原則に対して反対する人は、殆ど存在しないことでしょう。何故ならば、同均衡が崩れたり、被害者と加害者のどちらかに向けた偏りが生じますと、何れにしても、事件や争いが円満な解決に至らないからです。ハムラビ法典に喩えてみれば、目や歯を奪われたのに、加害者側の償いが銅貨1枚であれば、被害者はその罰の軽さに憤慨することでしょう。反対に、目や歯を奪った被害者に対して、加害者は、その罪の償いに己の命を差し出さなければならないとすれば、今度は、加害者側が納得しないことでしょう。罪と罰は均衡してこそ、社会の平和は保たれるということになります。どちらであれ、不均衡パターンでは、憎悪や復讐の連鎖が止まらなくなるかもしれないのですから。古今東西を問わず、復讐という行為は、罪と罰との間の不均衡に起因する理不尽さが認められる場合のみ、多くの人々の共感を読んできたのでしょう。

 かくして、古代にあっても罪と罰との均衡は社会の安寧を保つ原則として認識されていたのですが、古代バビロニア王国から凡そ4000年という年月を経た今日にあって、罪と罰の間の均衡原則が及んでいない、あるいは無視されている領域があります。それは、戦争です。戦場とは、対峙する兵士達が自分が死ぬか相手を殺すかの、究極の二者択一を迫られる場でもあります。おそらく、命の取り合いに関する双方の‘合意’は、解決手段を力に頼ってきた古代中世の時代においてこそ、許容されたのでしょう。双方共が同程度の力を有する場合、その原因が何であれ、剣に優れた方が相手の倒すことによる解決もあり得たのです。この場合、‘力は正義なり’とされ、道徳・倫理における正当性は看過され、罪の意識さえありません(強欲で利己的な加害者側が勝利者となることも当然にあり得る・・・)。戦争が合法的な行為であった時代には、究極的には相手の存在を抹殺することさえ許されたのです。

 ところが、戦争が違法化された今日にあっても、戦争における攻撃の無制限性だけは変わっていません。否、20世紀にいたり、戦争が国際法において犯罪と位置づけられたことにより、被害者側の無制限報復の許容という問題も持ち上がることにもなったのです。つまり、時代が力による解決を容認していた戦争の合法時代から違法時代へと転換したにも拘わらず、古来の戦争における攻撃の無制限性が、無制限報復の許容という形で残ってしまったのです。近代以降、騎士道あるいは武士道的なマナーとして戦争法や人道法が制定されてはいても、相手国を屈服させるまで戦争を継続しても良いとする原則が、司法上の同害報復の原則、あるいは、罪罰均衡の原則に反するにも拘わらず・・・。

 国際社会にあって法の支配の確立を目指すのであれば、司法に適した方向に原則の転換を図り、先ずもって戦争にも罪と罰との均衡を基本原則とすべきであったと言えましょう。第二次世界大戦に際しては、日本国によるハワイの真珠湾の一軍港に対する攻撃は、日本国の国土の焦土化を招きましたし、今日、イスラエルは、ハマスによる奇襲攻撃を口実としてパレスチナのガザ地区に対して殲滅作戦を遂行しています。因みに、ポツダム宣言は、「右以外の日本国の選択は、迅速且完全なる壊滅あるのみとす。」の一文で締めくくられています。

被害者側による無制限報復が許されている現状は、被害側となるための偽旗作戦、挑発、内部工作などへの強い誘因ともなりましょう。戦争において無制限の報復が許されている現状を変えない限り、戦争は凄惨なる虐殺と国土の徹底的な破壊ともなりかねず、攻撃による被害に対しては、少なくとも同害報復に留めるべきです。あるいは、それが正当防衛としての自衛権の発動であったとしても、実力行使としての報復ではなく、金銭等による賠償、あるいは、法的権利あるいは原状の回復という平和的な手段に切り替えるべきなのではないでしょうか。

 因みに、ハムラビ法典の第1条は、殺人罪で誣告した者の死刑を定めています。この条文は、殺人が死刑であった点を踏まえているのですが、被害の捏造や偽旗作戦は、この意味においても罪深いと言わざるを得ません。虚偽の供述によって自らを被害者の立場にできれば、加害者に仕立てた他者を死に至らしめることができるのですから。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

深まるハマスに対する偽旗疑惑

2023年11月20日 12時06分18秒 | 国際政治
 ガザ地区北部に集中していたイスラエルの攻撃は、ハマスの存在を理由に南部にまで広がりを見せています。遂にガザ地区全域が攻撃対象となるに至ったのですが、南部への避難を呼びかけながら、同地域を攻撃するイスラエルの行動は‘騙し討ち’に等しく、国際社会におけるイスラエル批判の声をさらに高めることとなりましょう。そして、ここで最初に問われるべきは、イスラエルが自己正当化のために主張している‘テロリストが存在するところは攻撃しても許される’という口実の是非です。

 イスラエルをはじめ、同国を支持している政府や人々は、ハマスによる‘人間の盾’という名の作戦を人道に反する行為として厳しく批難しています。‘人間の盾’とは、無辜の人の命を奪ってはならないとする、人類共通の倫理観を前提としており、民間人を相手からの攻撃を回避するために‘盾’として使う‘卑怯’な作戦です。ハマスを攻撃しようとすれば、一般市民や人質の命が犠牲とならざるを得ませんので、イスラエル側は、ハマスへの攻撃を躊躇するものと期待されているのです。‘人間の盾’は、人命尊重の倫理観が弱みとなるからこそ、‘悪魔の作戦’なのです。

 それでは、イスラエルの南部攻撃の論理はどうなのでしょうか。実のところ、イスラエルの作戦には、‘人間の盾’の逆パターンとでも言うような反倫理性があるように思えます。‘人間の盾’では、少数の盾にされた無辜の人、あるいは人々が、後ろに隠れている多数のテロリストの命を守る構図となります。ところが、イスラエルが主張は、たった一人でもテロリストが存在していれば、区別なく全員の命を奪っても構わないとするものなのです。色彩で表現すれば、前者が黒の中に一点の白があれば、全員の命が守られるという構図であるとすれば、後者は、白い中に一点の黒があれば、全員の命が奪われるという残忍な構図となりましょう。そして、この作戦が、人道法や戦争法等の国際法に反していることは言うまでもありません。

 実際に失われる命の数は後者の方が遥かに多く、結果として全員抹殺、即ち、ジェノサイドになりかねないのですから、残虐性においては後者の方が上回っています。そして、イスラエルの言い分を迂闊に認めてしまいますと、‘ハマスあるところ全て敵地’ともなりかねず、ガザ地区に限らず、ハマスが国境を越えて全世界に離散すれば、同メンバーが居住する国もイスラエルから攻撃を受けるリスクを負うことにもなりましょう。因みに、2001年に始まるアフガニスタン戦争では、テロリストを匿ったという理由でアメリカはアフガニスタンに宣戦を布告しましたし、テロとの戦いは、‘グローバル’に展開されています。

 何れにしましても、ここに、再び‘ハマス疑惑’がもたげてきます。ハマスは、一体、誰のために戦っている、あるいは、働いているのか、という疑問です。イスラエルが、大イスラエル主義に沿って当初から南部を含めたガザ全域の掌握を計画していたとすれば、ハマスは、イスラエルに対して南部地域に対する攻撃の口実を与えていることになるからです。言い換えますと、イスラエルの攻撃目標となる場所には、必ずハマスが出没することとなりましょう。

 今日、イスラエル・ハマス戦争自体が計画された陰謀であったとするハマス偽旗説は半ば封印されていますが、現状を見る限り、同戦争を説明する仮説としては十分に検討に値するように思われます。否、むしろ、現実をより無理なく説明しているとも言えましょう。ハマスとは何者なのか、その正体の解明こそ、同戦争を終息に向かわせるための鍵となるのではないかと思うのです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シファ病院制圧の意味

2023年11月17日 11時30分34秒 | 国際政治
 戦争当事国でアルイスラエルは、国際法によって保護されるべき病院に対する攻撃を予告したため、国際社会から批判を浴びてきました。しかしながら、こうした批判の声をものともせず、同国は、ガザ地区の中心部に位置するシファ病院には、ハマスの司令室が設置されていると共に、地下トンネルも存在しているとして制圧作戦に踏み切っています。若干の戦闘の後、現在、同病院は、イスラエルの支配下に置かれたようなのですが、同病院の制圧劇は、一体、何を意味するのでしょうか。

 制圧からしばらくの間、病院内から発見されたと報じられたのは、ハマスが使用・備蓄していたとされる武器・弾薬類であり、次いで作戦司令室でした。今朝方のニュースに依りますと、イスラエル軍は、遂に地下トンネルをも見つけたそうです。同情報が正しければ、イスラエル、並びに、同国をサポートするアメリカの主張どおりであり、シファ病院は、軍事利用された施設、すなわち、ジュネーブ諸条約の保護対象外であることが、物証によって裏付けられたことになるのですが、事は、そう簡単ではないように思えます。

 その一方で、ここで注意を要する点は、シファ病院における司令室並びに地下トンネルは誰が建設したのか、と言う問題です。これらの施設の建設者については、イスラエルであったとする興味深い情報があります。1983年にイスラエルがガザ地区を占領した際に、イスラエル側が、堅固で安全な‘手術室’を設けると共に、地下トンネルをも建設したというのです。‘安全な手術室’としていますが、特別に頑丈に造られているとしますと、おそらく、設置目的は医療目的ではなかったのでしょう。また、地下トンネルに至っては、医療に必要となるとは考えられませんので、この施設も、別の目的があったものと推測されます。

 シファ病院こそ、イスラエルが占領期にあって‘軍事拠点化’した施設であったと考えますと、今般の制圧劇に対する見方も自ずと変わっていきます。先ずもって、これらの存在に対する懐疑論が噴出しつつも、イスラエルとアメリカの両国が、自信をもって司令室と地下トンネルが存在すると主張する理由が説明されます。自らが設置した施設であれば、間違いなく‘発見’できるからです。実際に、上述しましたように、これらの施設は、イスラエル兵による捜索の結果として病院内で‘発見’されています。そしてここに、もう一つの謎も浮かんでくることとなります。それは、頑強な‘手術室’はイスラエル軍の司令室であった可能性が高いのですが、地下トンネルもイスラエルが設置したとしますと、一体、その目的は、何であったのか、というものです。

 地下トンネルと言えば、ガザ地区一帯に張り巡らされているとされるハマスのテロ、隠密行動、並びに、籠城用の軍事施設として知られています。しかしながら、1980年代にはハマスは存在していませんので、先だってPLO等といった組織が、防空壕や避難所など、防衛施設として建造に着手していたとも推測されます。しかしながら、地下トンネル施設の最深部地下80メートルにも及ぶとされますので、技術面からも自力で採掘したとは考えられず、仮に、パレスチナ側の建設であれば、おそらくソ連邦等から地下トンネル敷設に関する技術協力を得ていたのでしょう。

 あるいは、地下トンネルを掘り始めたのがイスラエルであるとしますと、ハマスは、イスラエルがガザ地区から撤退した後に、司令室と同様に、同トンネルを自らの施設として再利用したこととなります。あるいは、シファ病院の地下トンネルをさらに掘り進め、ガザ地区一帯に拡大したのがハマスであったかもしれません。敵の残した施設を、いわば乗っ取ったことになります。

 その一方で、もう一つの可能性があるように思えます。その可能性は、ハマスの真の姿がイスラエルの協力者、あるいは、両者が同一の組織に属している場合に生じます。それは、イスラエルが、将来的、あるいは、現下におけるガザ地区全域の監視・支配のためにハマスにトンネルを掘らせた、というものです。しかも、このトンネル網は、国境を越えてイスラエルと地下で通じているという・・・。この推測が正しければ、ハマス幹部には、‘逃げ道’も用意されている一方で、激しい空爆並びに地上侵攻作戦によって一般市民の多くの命が無情にも失われてゆくことになりましょう。

 イスラエル政府は、既にガザ地区の制圧後における自国による統治形態について語っており、‘ハマスの壊滅’は織り込み済みのようです。シファ病院をハマスの司令部と見なすならば、同施設の支配権の掌握をもって戦争の勝利を宣言するかもしれません。そして、シファ病院の名称がアラビア語では、‘アル・シファ’である点も、どこか示唆的で気に掛かるところなのです(ルシファーは、神に反逆する堕天使、すなわち、悪魔を意味する・・・)。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハマスの奇襲攻撃は陰謀なのか?-トンキン湾事件の前例

2023年11月16日 12時54分02秒 | 国際政治
 10月7日に起きたハマスによるイスラエルに対する奇襲攻撃については、幾つかの不審な点が見受けられます。‘チャンス到来’とばかりに攻勢をかけるイスラエルの様子から、イスラエル・ハマス戦争とは、計画された謀略であった疑いも払拭できない状況にあります。こうした謀略説については、政府もメディアもその可能性さえも決して口にはしないのですが、陰謀の実在性は歴史がその端々で証明しています。その一つは、アメリカをベトナム戦争の泥沼へと引き込んだトンキン湾事件です。

 1964年8月2日に発生した‘トンキン湾事件’には、当時のジョンソン政権が公表した公式の説明と後に判明した事実としての経緯の二つがあります。前者に依れば、事の発端は、南ベトナム軍の哨戒艇と誤認したとはいえ、北ベトナム軍の魚雷艇3隻がアメリカ海軍の駆逐艦「マドックス」に対して魚雷並びに機関銃で攻撃を加えたというものです。この北ベトナム軍からの攻撃に対して「マドックス」は即座に反撃し、米軍空母艦載機の支援をうけつつ北ベトナム海軍の同3隻を撃破したとされます。

 トンキン湾事件の報を受けて、アメリカ国内では二日後の8月4日にジョンソン大統領が演説を行ない、7日には上下両院で同事件に関する決議が成立します。次いで10日には、大統領と同議会との合同という形で通常兵器の使用を認める決議が成立するのです(Gulf of Tonkin Resolution)。因みに、同決議は、議会による正式の宣戦布告なく戦争が行なわれる事例となり、また、SEATOのメンバーを支援するために軍事支援を含む‘必要とされるあらゆる措置’を執ることができる権限を大統領に与えたことでも知られています。

 以上が公式の説明とその後の経緯なのですが、後日、トンキン湾事件の真相が明らかにされることとなります。事件が起きたのは、南ベトナムではなく北ベトナムの領海内であり、「マドックス」による戦果も実のところは確認されていないというのです。しかも、同事件後に米軍が実行した北ベトナムに対する攻撃作戦-ピアス・アロー作戦―は、上述した決議の成立前に大統領が発動を命じていますし、同決議文と北ベトナムに対する攻撃リストは、二ヶ月前に大統領府において作成されていました(もっとも、後日の公表を考慮すれば、同文書の記述の全てが必ずしも事実であるとは限らないのですが・・・)。

 トンキン湾事件の真相は、1971年6月に、ベトナム戦争に関するアメリカの機密文書であった「ペンタゴン・ペーパーズ(公式名称「ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年-1968年」)」を入手したニューヨーク・タイムズが最初に暴露したものですが、2011年に全文が機密解除されたことで確認されています。このことは、政府が常に‘正直者’であるとは限らないこと、つまり、戦争を国民に承認させるためには虚偽の説明をすること、そして、何よりも、政府によって戦争が既定路線として定められた場合、口実を得るために、自らを‘被害者’の立場に置くように積極的にチャンス‘造る’という点です。被害者側となれば、正当防衛をもって戦争を正当化できるからです。国民や世論を欺く‘カバー・ストーリー’の作成は、政府の自己正当化にとりまして必要不可欠なのです。

 それでは、今般のイスラエル・ハマス戦争はどうなのでしょうか。イスラエルは、奇襲攻撃を受けた直後からの素早い反応から、おそらくトンキン事件に際して即座に発動されたピアス・アロー作戦と同様に、ガザ攻略作戦も策定済みであったと推測されます。そして、虎視眈々と同計画を正当防衛の名の下で実行できる日を待っていたのでしょう。しかも、相手側から手を出させる、つまり、自らが被害者側となることが重要ですので、政府、あるいは、軍部内部では、挑発、捏造、並びに、偽旗作戦と言った手法が検討されたはずです。

 トンキン湾事件で採られた手法は‘捏造’なのですが、イスラエル・ハマス戦争では、イスラエルと内通しているハマス、あるいは、その一部幹部による偽旗作戦であった可能性の方が高いようにも思えます。ハマスは、奇襲に際して誰もが’ハマス’に対して怒りに震えるような、想像を絶する残虐なテロをイスラエルに対して実行するなど、激しくイスラエルと敵対しているように見えながら、その実、要所にあって事態がイスラエルに有利な方向に動くように行動するからです。

 果たして、イスラエル・ハマス戦争も、後年驚くべき事実が判明するのでしょうか。もちろん、社会・共産主義諸国、あるいは、全体主義国が‘正直者’であったわけでもなく、双方とも謀略については長けています。敵対関係にある諸国や勢力の全てを操ることで利益を得る存在もあるのですから、陰謀の可能性は、歴史を動かすような事件が発生した際には、常に頭に入れておくべきことなのではないかと思うのです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テロと正当防衛の難しい問題-撲滅には平和解決の制度構築が必要

2023年11月15日 13時58分37秒 | 国際政治
 イスラエルによるガザ地区への攻撃が激化するにつれ、ハマスから奇襲テロ攻撃を受けたイスラエルに対する同情論は萎み、今では、同国に対する批判の声のほうが高まっています。世論の変調に焦りを感じたのか、イスラエルのコーヘン外相は、イスラエルとハマスの両者を等しく批判した国連のグテーレス事務総長の資質を問うに及んでいます。テロ、とりわけ非戦闘員や民間人の無差別殺人は当然に許されるはずもなく、糾弾されて当然なのですが、その一方で、正当防衛権の文脈からしますと、なかなか難しい問題が含まれているように思えます。

 戦争とは、人類社会における集団、特に国家間の、他方に対する一方的な要求を含めた紛争や対立に際しての、力を手段とする解決方法の一つです。力に勝る側が、相手方を自らの意思を受け入れざるを得ない状況に至らしめることで、勝利を手にするのが戦争の常です。究極的には、相手方の存在、すなわち生命をも奪い取るのですから、この残虐性が、戦争が多くの人々から忌み嫌われてきた理由でもあります。

 力による解決は、かつては国家間のみならず、国内の個人や集団間でも用いられてきました。決闘や果たし合いなどが一般的な解決方法として定着していた時代や地域もあり、この方法が犯罪や違法行為として咎められることもありませんでした。個々人の身体能力に然程の差がない場合や、刀剣や刀と言った武器にあっても歴然とした性能の差がない場合には、対等の立場で闘うことができます。このため、力による残虐性の抑制は、騎士道や武士道といった双方が遵守すべき闘いのマナーの発展という形態をとることとなったのです。今日の国際法上の戦争法も、同文脈から理解することができます。

 しかしながら、国内にあっては、各自の権利を保護する司法制度が整うにつれ、力による解決は非合法的な行為とされるようになります。その理由は、‘力は正義ではない’からです。いわば、‘強者必勝’なのですから、強者が自らの野心や強欲に駆られて他者から暴力で命を奪ったり、身体を傷つけたり、物を奪おうとも、その結果は許容されてしまうのです。そこで、国内にあっては、立法制度や司法制度等の発展と整備により、合意や法による解決へと移行し、力の行使は、正当防衛のみに限定されることとなりました。強き者も弱き者も、等しくその権利が護られるようになったのです。その一方で、国際社会にあっては、今日、国家レベルと同様に力の行使は正当防衛に限定されつつも、国際法並びに司法制度が未整備である故に、いざ、戦争ともなれば、‘強者必勝’の理に従わざるを得なくなるのです

 今日の国際社会にあっても‘強者必勝’が原則であれば、軍事力の差は勝敗を予め決定することになります。近代以前の時代とは違って、規模のみならずテクノロジーのレベルが優位性の決定的要因となる今日では、国家間の軍事差は開くばかりです。しかも、現時点にあって最大の破壊力を有する核兵器も、NPT体制の下で軍事大国及び同体制に加わらない諸国によって独占されています。中小国が軍事大国に対して勝利を望むのは不可能に近く、極論を言えば、戦争の勝敗は、核兵器保有国による開戦と同時に発射された一発の核爆弾の投下で一瞬にして終了しかねないのです。

 現代の国際社会における軍事力格差の拡大を考慮すれば、イスラエルとパレスチナ国との紛争は、前者が軍事大国、かつ、核兵器のみならず最先端のIT兵器をも保有する国である点を考慮しますと、真っ当な国家同士の戦争ともなれば、勝敗は誰の目に見えています。つまり、パレスチナ側は、イスラエルによって違法に国土を占領され、‘侵略’されようとも、手も足も出ない状況下に置かれているのです。戦争とは強者必勝なのですから。国連も動かず、今日のパレスチナ国の法的な国境線は、イスラエルに侵食されたままに放置せざるを得ないのが現状なのです。

 弱小国による正当防衛権の行使が始まる前から敗北を運命付けられているとすれば、国際社会とは、弱肉強食の世界と言うことになりましょう。そして、イスラエルのテロ批判は、双方が対等な関係においてこそ成り立った中世の騎士道や武士道、即ち、戦争法を持ち出して、マナー違反を咎めているに等しいとも言えましょう(ガザ地区に対する攻撃に際しては自らも戦争法に違反しているので、なおさら悪質・・・)。軍事力に歴然とした差がある場合、国連憲章第51条で認められている個別的自衛権、さらには集団的自衛権さえも無意味となりましょう。テロ以外に他に自らの正当な権利を護る手段がない状況こそが、テロリストや過激派組織が横行してしまう根本的な原因なのです。

 このことは、イスラエルを始め国際社会は、テロに替わる解決の手段やチャンスをパレスチナ国に対して提供すべきことを意味します。国内にあっては、弱者であってもその権利は様々な法や制度によって保障されていますし、救済手段も用意されています。しかしながら、国際社会は同状態には至っておらず、弱小国の権利が護られる体制の構築こそ、あらゆる国際的な紛争の究極的な解決手段ともなりましょう(この点、NPT体制は、軍事力の格差を固定化してしまう・・・)。ハマスについては、偽旗組織である可能性が高いのですが、テロについては、あらゆるケースを一緒くたにして批判するよりも、軍事力に劣る国が正当防衛権を行使できない現状こそ直視すべきではないかと思うのです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イスラエルに見るNPT体制のパラドクス

2023年11月14日 13時22分11秒 | 国際政治
 パレスチナガザ地区の完全制圧を企図しているイスラエルは、同地区に対する核兵器の使用をも視野に入れているのかもしれません。同地区の地下に張り巡らされているトンネルは最も深い箇所で地下80メートルともされ、通常の地中貫通爆弾では破壊できないからです。戦術核を使用すれば目的を達成できるのですから、少なくともイスラエル軍の核戦略上の選択肢の一つではあるのでしょう。何と申しましても、公表はされてはいないものの、イスラエルは、核兵器を保有しているのですから。

 先日、核兵器使用を‘選択肢の一つ’として仄めかしたアミハイ・エリヤフエルサレム問題・遺産相は、ネタニヤフ首相によって一時停職の処分を受けたのも、‘フェイク発信’が咎められたというよりも、迂闊にも極秘作戦を漏らしてしまったからなのかもしれません。しかも、同発言は、イスラエルが核保有国であることを、暗に認めたことをも意味します。何れにしましても、イスラエルは、核保有国という立場にあり、同兵器をめぐる発言は、自ずと国際社会全体に強い衝撃を与えてしまうのです。

 イスラエルは、核保有国とはいえNPTにおいて認められている合法的な‘核兵器国’ではありません。そもそも、NPTの締約国でさえないのです。言い換えますと、イスラエルは、NPT体制の枠外にあって、同法の拘束力の及ばないところにいるのです。しかしながら、非加盟国であることは、必ずしも同体制から切り離されていることを意味しません。同国の行動を観察しておりますと、意外なことに、NPT体制から最も大きな利益を得ている国は、イスラエル、あるいは、国境を超えたネットワークを擁するユダヤ系勢力であるようにも思えてくるのです。非加盟国、かつ、‘隠れ核兵器国’という地位は、ある意味において‘最強’なのです。

 それでは、何故、‘最強’であるのかと申しますと、自国のみは、密かに核兵器を保有することで抑止力を有する一方で(もっとも、それ故にテロ攻撃を受けてしまう・・・)、周辺諸国に対しては、‘核開発の疑い’をもって攻撃の口実を得る、もしくは、中東地域における対立軸を形成するチャンスを得ることができるからです。例えば、イスラエルは、1981年6月に、先制的自衛を根拠としてイラクに対して建設途中にあったオシラク原子力発電所を空爆しています。これは、オペラ作戦(バビロン作戦)と呼ばれていますが、この時、‘先制的自衛’とはいえ、イスラエルは先制攻撃を行なっています。同攻撃に対しては国際社会において批判の声が上がり、国連においても批難決議が成立するものの、異すられるに対して厳しい制裁が化されることはありませんでした。同事件は、その後のイラク戦争の前哨戦としても位置づけられるかもしれません(因みに、対イラクに関しては、イスラエルとイランは共闘関係にあり、オペラ作戦に先立つ1980年9月に、イランも、オシラク原子力発電所を奇襲攻撃している・・・)。

 そして、イランとの関係を見ましても、核開発が一つの両国間の関係悪化の転機となっています。2002年8月にイランによる核開発疑惑が浮上しますと、イスラエルは、イランに対する軍事攻撃を主張するようになるからです。アメリカをはじめ、イギリスやフランス等がイランとの核合意を急いだのも、その背景には、これらの諸国の政界に深く根を張るユダヤ系勢力の積極的なロビー活動があったからなのでしょう。昨年の8月に中東諸国を訪問した際に、バイデン大統領も、ネタニヤフ首相の前任者であるヤイル・ラピド首相との間でイランの核開発の阻止を約する共同宣言に署名しています。かくして、イスラエルとイランとの対立は深まり、イランもまた、レバノンのイスラム教シーア派組織であるヒズボラなどを支援するなど、イスラエルとの対立姿勢を強めてゆくのです。

 中東における核兵器開発をめぐる状況からしますと、核保有国となったイスラエルが、他のアラブあるいはイスラム諸国の核開発阻止を根拠として(核拡散の阻止・・・)、軍事的な行動計画を策定し、かつ、自らの軍事行動を正当化してきた様子が窺えます。しかも、同動きに対するリアクションとして、イラン等の支援を受け、反イスラエルを掲げる過激武装集団が生み出されることともなったのです。そしてそれは取りも直さず、中東地域における混乱と新たな対立軸の形成をも意味したとも言えましょう(中東の重大な不安定要因に・・・)。

 今日、イスラエル・ハマス戦争において、国境を接していない遠方のイランの介入、あるいは、参戦が懸念されるのも、NPT体制における加盟国と非加盟国との間のいびつな非対称性にその原因を求めることができましょう。平和のために成立したはずのNPT体制が、その実、戦争をもたらしているという現実は、NPT体制のパラドクスとも言えるのではないかと思うのです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一神教のパラドクス-ユダヤ教は‘隠れ多神教’だった

2023年11月13日 12時21分51秒 | 国際政治
 イスラエル・ハマス戦争の背景には、約束の地であるカナン全域をイスラエルの国土としたいシオニストの願望が潜んでいるとされます。ネタニヤフ首相もその急先鋒の一人であり、内外からの批判を受けて発言を撤回をしたものの、ガザ地区のイスラエルによる統治、即ち、イスラエルによる‘併合’が同戦争の最終目的であったのでしょう。おそらく、ガザ地区のみならず、ゆくゆくはヨルダン川西岸地区並びに東イエルサレムも自国の版図に組み込む予定であったのかもしれません(シオニストの運動を大イスラエル主義とすれば、全世界の支配を目指すグローバリストの野望は、大ユダヤ主義と表現できるかもしれない)。

あくまでも古代ユダヤ王国の版図を現代に復活させようとするシオニストの思想の原点には、『旧約聖書』の記述があります。『旧約聖書』と総称されていますが、幾つかの本によって構成されています。「創世記」の冒頭部分はシュメール神話由来ともされており、宇宙誕生を描く独立的な記述から始まります。しかしながら、始祖アブラハムのウル(シュメールの一都市)からの出立以降は、どちらかと申しますと、ユダヤ人の歴史書となります。そして、同歴史書の所々に‘神’が登場し、ユダヤ人の歴史の節々にあって重要や役割を演じるのです。ユダヤ人、あるいは、ユダヤ教徒とは、壮大な歴史書でもある『旧約聖書』を聖典とする民なのです。

 ユダヤ人にとりましては、『旧約聖書』は今なお日常生活のみならず、政治や社会の隅々にも浸透しており、中でもシオニストは、いわばユダヤ教原理主義者とも言えるかもしれません(なお、シオニストの他にも厳格に戒律を守る調整党派なども存在・・・)。イスラエル・ハマス戦争に見られるイスラエル軍によるガザ地区住民に対する残虐行為も、「申命記」において‘神’が異民族虐殺を命じた記述をもって正当化されてしまうのです。ジェノサイトは、‘神’がユダヤ人に許した行為であるとして。

 しかしながら、大多数のユダヤ人ではない人々は、‘神がジェノサイドを許した’とするユダヤ人の‘信仰’に首を傾げてしまいます。全知全能にして善なる存在である‘神’が、ユダヤ人だけを特別に寵愛し、かくも残虐な行為を許すはずはない、と考えるからです。ユダヤ教は一神教の始まりともされ、神は唯一無二の存在です。その神が、ユダヤ人を選民として特別な支配的な地位を与え、しかも、非人道的な行為をも許しているとなりますと、非ユダヤ人にとりましてこの世は地獄となりかねないのですから、当惑してしまうのです。

 そこで、ここに、ユダヤ人のみを特別に扱う‘神’とは、一体、どのような存在なのか、という疑問が生じてきます。この問いについては、実のところ、既に研究がなされています。ユダヤ教については、‘ホロコースト’を機としたタブー化のため、今日では自由な研究環境にはないのですが、戦前の方が、余程、学術的なアプローチがなされていました。とりわけマスクス・ヴェーバーの『古代ユダヤ教』は、ユダヤ教に対して極めて分析的にアプローチしています。そして、同書において何が画期的であるのかと申しますと、ユダヤ教とは、一種の‘混合宗教’であった点を詳らかにしている点です。これは、実のところ、ユダヤ教が一神教の衣を着た‘隠れ多神教’であったことを意味するからです。

 モーセの十戒の第一の戒めには、“汝は私以外の何者を神としてはならない”とありますので、この一文をもって、当時のユダヤ人はむしろ様々な神様の崇拝者の集まりであった、とする指摘は既にあります。その一方で、ユダヤ人は、十戒をもって多神教の世界からヤハウェを唯一の神とする一神教の世界へと移行したのではなく、逆に、単一である故に‘神’が、善なる神から邪神まで様々な性格の神々を吸収してしまったのではないか、とする疑いがあるのです。ヴェーバーも、そもそもヤハウェはシナイ半島の山の神を起源とした戦争神であったと述べています。古今東西を問わず、武人は戦を前にして自らの守護神に祈りを捧げるものですが、ユダヤ人も、自らの守護神に戦勝を祈願していたのでしょう。「申命記」等に登場し、残虐行為を奨励した‘神’も、唯一絶対の普遍的な‘神’として描かれながらも、ユダヤ人の守護神ヤハウェであったのかもしれないのです。

 しかも、ユダヤ人とは、その歴史を見ますと、様々な民族が合流した混合民族としての側面もあります。全世界にちらばったユダヤ人の離散は、内部的な多様性を一層増してゆく一因ともなったのですが、古来の多民族性は、人身御供を要求するモロクの神と言った古代宗教の取り込みのみならず、解釈をめぐるバビロニア・タルムードの分岐といったユダヤ教の多様性をも説明します。かくして、ユダヤ教は、一神教化が‘多神教’を招くというパラドックスを抱え込むこととなり(多重神格・・・)、それが、今日まで尾を引いているように思えるのです。守護神や邪神、あるいは、悪魔の言葉をも‘神’の言葉として絶対化した結果が、イスラエル、あるいは、ユダヤ人の選民意識であり、野蛮性の‘神’の名の下での解放なのでしょう。パレスチナ紛争を二国による平和共存という解決に至らしめるには、ユダヤ教の‘隠れ多神教’の問題まで掘り下げる必要があるように思うのです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガザ地区はもとよりパレスチナ国の領土では?

2023年11月10日 10時51分27秒 | 国際政治
 アメリカのアントニー・ブリンケン国務長官は、東京での記者会見の席で、パレスチナのガザ地区に関する戦後構想についてアメリカ政府の方針を明らかにしました。同長官が語るには、イスラエルがガザ地区を占領したとしても、一定の移行期間を置いた後に、ヨルダン川西岸地区のパレスチナ国の政府に統治権を移すとする案のようです。ネタニヤフ首相は、ガザ地区の再占領後は、同地域はイスラエルが安全保障の責任を負う、即ち、事実上の‘併合’を表明していましたので、ブリンケン国務長官の案は、ネタニヤフ首相の方針と真っ向方対立すると共に、より穏健で平和的な紛争可決案であるように見えます。しかしながら、細かい点に注しますと、そうとも言えないように思えてくるのです。

 第一に、ブリンケン国務長官は、停戦についてはきっぱりと反対しています。その理由としては、停戦期間中にハマスが体勢を立て直し、再びイスラエルにテロを仕掛けるリスクを挙げております。しかしながら、10月7日のハマスによる奇襲攻撃は、イスラエルが何故か警戒を怠り、情報入手に失敗したという‘偶然の幸運’があってこそ成功したのであり、今後、同様の奇襲作戦が行なわれるリスクは殆どゼロに近いと言えましょう。また、テロのリスクについては、ガザ地区に対して、国連のPKOであれ、米軍であれ、あるいは、有志軍であれ、停戦監視部隊を派遣するという防止方法もあるはずです。リスクが低く、かつ、同懸念を払拭する手段がありながら、それを真剣に考えようともしない姿勢からの発言は、説得力に乏しいと言わざるを得ないのです。

 第二に、停戦の否定は、即ちイスラエルによるパレスチナ人虐殺の‘見て見ぬふり’を意味します。国際法に照らしましても、ガザ地区に対して現在行なわれているイスラエルの攻撃はジェノサイドに該当する行為ですので、アメリカは、国際法秩序の維持という国際社会の一員としての責任を、蛮行の黙認という形で放棄したことにもなりましょう。

 第三に挙げるべき点は、ブリンケン国務長官の話しぶりからしますと、あたかも、ガザ地区の現状を‘帰属未定地’の如くに見なしている点です。ところが、ガザ地区は、れっきとしたパレスチナ国の領域であり、このことは、イスラエルの建国の法的根拠となった1948年11月29日の国連総会決議において認められています。アメリカは、同決議に賛成していますので、建国の時期がイスラエルよりも遅れたとしても、パレスチナ国の存在を認めなければならない立場にあるはずなのです。また、たとえ百歩譲り、1967年11月22日にアメリカを含む全会一致で採択された安保理決議242号が引いた分割線、即ち、‘武力による現状の変更’を認めたとしても、ガザ地区は、パレスチナ国の領域です。

 ところが、今日、どうしたことか、アメリカは、オスロ合意後にあってもパレスチナ国に対して国家承認を与えていません(多数の諸国がパレスチナ国を国家承認しており、かつ、国連でも、オブザーバー国の地位を得ている・・・)。イスラエルと共にユダヤ人人口が600万人を超えるアメリカにあっては、政界におけるユダヤ・パワーは絶大であり、パレスチナ国の未承認も、同状態がイスラエルにとりまして有利であるからなのでしょう。つまり、パレスチナ領として認めれば、アメリカも、イスラエルの行為は明白なる国際法上の‘侵略’と認めざるを得なくなるからです。ブリンケン国務長官の戦後構想に関する‘涼しげな顔’とウクライナ紛争で見せた怒りに燃え滾る顔との間のあまりにも露骨なダブル・スタンダードは、アメリカに対する信頼性を著しく損ねかねないのです。

 また、第4としては、沖縄の日本返還のように、必ずしもパレスチナ国に対する全面的な単独返還の形となるかどうかは曖昧である点を挙げることができます。ブリンケン長官は、「危機後のガザの統治にはパレスチナの声が含まれるべき」とも述べているからです。ガザ地区の将来については、国連による信託統治案やアラブ諸国を加えた共同統治案なども提起されており、むしろ、パレスチナ国への返還が法的には当然の措置でありながら、選択肢の一つにされかねないのです。

 事実上の併合を意味するネタニヤフ首相の方針よりは幾分かは‘まし’とはいえ、同案も実現するとは限らないのですから、ブリンケン長官の発言は、停戦を回避する口実なのかもしれません。イスラエルがたとえガザ地区を徹底的に壊滅させ、‘完全に軍事占領下に置いたとしても(戦争犯罪であるジェノサイドが行なわれたとしても・・・)、将来的にはパレスチナ国の領域とすれば問題はないでしょう’という・・・。それとも、ブリンケン国務長官の発言は、イスラエルによるガザ地区の軍事占領は、結局はパレスチ領となることで終わり、大ユダヤ主義が挫折する未来像を示唆することで、イスラエル側あるいはその背後の世界権力大して、暗に自制を求めたものなのでしょうか。何れにしましても、今般のイスラエル・ハマス戦争については、先ずもって原点に立ち返り、両国の共存、すなわち、ガザ地区がパレスチナ国に帰属することを前提として託すべきではないかと思うのです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする