万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

銃規制とNPT体制-少数の凶暴な狼と多数の無防備な羊

2012年12月18日 15時32分00秒 | 国際政治
虐殺見て変わった…銃規制強化へ米議員転向次々(読売新聞) - goo ニュース
 アメリカの小学校で起きた銃乱射事件は、幼い子ども達が犠牲となり、アメリカ国民に深い悲しみを与えるとともに、あらためて、銃規制の問題を問いかけることにもなりました。これまで銃規制反対であった議員の中には、この事件をきっかけに、銃規制反対派に転向する人も現れているそうです。

 誰もが、他者の命を奪う凶器が、この世から一掃されれば、平和が訪れるに違いない、と考えたがるものです。日本国でも、1588年に秀吉が刀狩を実施した歴史がありますが、現在観察されるNPT体制の欠陥を考えますと、銃規制は、それほど簡単には結論を出せない問題かもしれません。NPTは、核の脅威から人類を護るために、核兵器の放棄と徹底管理を目指して成立したものの、現実には、北朝鮮やイランなど、遵法精神の欠如した最も危険な国だけが、核兵器を密かに保有しようとしています。無法国家の核保有は、普通の国のそれよりも何倍も脅威であり、しかも、他の国は、核保有が禁じられているのですから、無法国家は、絶大な攻撃力を手にすることができます。この結果、NPT体制の維持に協力している国が、核保有国からの脅威に晒されるという事態が発生し、NPTの精神を根底から揺さぶっているのです。この現象を銃規制に当て嵌めてみますと、犯罪集団だけが、違法を承知で銃を保有するかもしれず、この状況-少数の凶暴な狼と多数の無防備な羊-を想像してみますと、背筋が寒くなります。

 提案されている銃規制法案は、殺傷力の高い攻撃的な銃に限定されているそうですが、こうした問題点を考慮しますと、むしろ、順番を変える必要があるのではないかと思うのです。つまり、最初に、他者に対して危険を加える可能性が高い人々を対象に銃規制を行うのです。それは、第一に、犯罪者や犯罪集団であり、第二に、今回の事件の犯人がそうであったように、精神を病んでいる人々です。最も危ない人々に対する銃規制が完璧に出来ない限り、凶器による社会的なリスクは低減せず、むしろ、危険が増幅されてしまうのではないかと思うのです。

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コメント (6)
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