万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

東京五輪の開催条件はワクチンの強制接種?

2020年04月30日 11時55分56秒 | 国際政治

 昨日、毎年恒例の春の叙勲が発表されましたが、「旭日大綬章」の外国人叙勲としてマイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏の名が挙がっておりました。現時点にあっては、同氏は特別に日本国に貢献してきたわけではありませんので、授与の根拠となる功績は、ビル&メリンダ・ゲイツ財団による慈善活動ということなのでしょう。

 ビル・ゲイツ氏の「旭日大綬章」の授与は、近年、頓に傾斜を強めてきた日本国政府の‘グローバル化’の表れなのかもしれず、外国人叙勲の選考基準についても今後は議論を要するのでしょう。その一方で、安倍首相が延期となった東京五輪の開催に関連してワクチンに言及し始めた点はいささか気にかかるところです。その理由は、仮にワクチンの開発の成功を東京オリンピックの開催条件に位置づけるとすれば、日本国民、在日本外国人、全世界のオリンピック参加選手と同関係者、並びに、入国者の全員に抗新型コロナウイルス・ワクチンの接種を強制しなければならなくなるからです。

 何故、強制接種でなければならないのかと申しますと、日本国政府は、来夏の東京五輪において感染者ゼロを目標に設定していると推測されるからです。今夏に予定されていた東京五輪が延期となった理由は新型コロナウイルスの感染リスクにありますので、同大会を開催させるには、まずは、同リスクを完全に排除しなければならないのです。感染者ゼロ、あるいは、少なくとも一桁程度に抑えるための道筋として政府が想定し日本国内の集団免疫の獲得なのでしょう。全人口の60%以上程が抗体を有する状態を集団免疫と呼びますが、抗体の保有率が高ければ高いほど感染リスクは低下します。感染者ゼロを絶対目標に設定するならば、当然に、100%の抗体保有率を達成しなければならないのです。言い換えますと、2021年の夏までに集団免疫を何としても獲得しようとするならば、自然感染に任せては間に合いませんので(医療崩壊が起きてしまう…)、抗新型コロナウイルス・ワクチンに頼らざるを得ないのです。

 そこで、日本国政府が期待?を寄せたのが、ビル・ゲイツ氏のワクチン開発なのかもしれません。真偽は不明ながらネット上には、同氏は、新型コロナウイルスの登場以前にあって既に同様の型の抗コロナウイルス・ワクチンの特許を取得していたとする情報が流れています。同氏が中国と結託して新型コロナウイルスを散布したとする陰謀論が流布され、ネット上にあって批判を浴びる事態に至った理由も、この噂にあります。同情報については事実確認が待たれるところなのですが、唐突に同氏が日本国政府から叙勲されるとしますと、同氏との間に大量のワクチン提供の密約が結ばれている可能性もないわけではありません。

 もっとも、新型コロナウイルスについてはワクチンの効力について疑問があり、抗体を有していたとしても短期間で再感染したケースも見られます(もっとも、体内に残っていたウイルスの再活性化の可能性も…)。また、インフルエンザといった変異性の高いRNAウイルスでは、一度目の感染で抗体ができても、二度目に変異したウイルスに感染すると同抗体が上手に反応できず(同現象は「抗原原罪」あるいは、「ンプリンティング」というらしい…)、重症化するそうです。新型コロナウイルスは既に少なくとも3つの型に変異しているとされますので、全ての型のコロナウイルスに対して抗体を産生し得るユニバーサルワクチンを開発しない限り、ワクチン接種はむしろ重篤化や死亡リスクを高めてしまうかもしれません。

 そして、何よりも疑問に感じるのが、東京五輪の開催を理由としたワクチンの強制接種に国民が応じるのか、という問題です。確かに、ワクチンは天然痘、ポリオ、ジフテリア、結核といった様々な感染病から人々の命を救ってきました。ワクチンの人類に対する貢献は計り知れません。自然界に存在してきた既知のウイルスや細菌に対してはワクチン接種を恐れることはないのでしょうが、新型コロナウイルスは遺伝子を操作された人工ウイルスである可能性が高い上に、その有毒性も不明な部分が多すぎます。こうした混沌とした状況下にあってワクチン接種を強制されるとなりますと、リスクの高さから不安を覚える国民も少なくないはずです。

しかも、巨額のワクチン・ビジネスや利権も絡んでいるとしますと(日本国政府は、せめてワクチン開発については、官民を含めた国内の研究を支援すべきでは…)、ビル・ゲイツ氏との政治的な癒着も疑われましょう。それとも、日本国政府は、東京五輪の開催の断念を間接的に示唆するために、敢えて殆ど不可能に近いワクチン開発を条件に挙げたのでしょうか。何れにしましても、日本国政府にとりまして何が一番大切であるのか、日に日に疑問が増してゆくのです。


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ユースビオの一件が問う新興宗教政党問題

2020年04月29日 11時23分58秒 | 国際政治

 日本国憲法の第20条には、「…いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」とあります。この条文を素直に読めば、新興宗教団体である創価学会を支持母体し、今や連立政権の一角を成す公明党の存在が違憲であることは疑うべくもありません。ところが、1964年に公明党が結党されて以来、不思議なことに一度たりとも違憲訴訟が起こされていないのです。

 日本国憲法において政教分離が定められた理由は、第二次世界大戦後の占領期に制定された憲法であったこともあり、国家への神道界の影響力を排除するためであったともされております。つまり、分離の主たるターゲットは神道であったのですが、今日の日本国の政界を見ますと、日本国民は、むしろ新興宗教団体による政治権力の掌握という危機に直面しているように思えます。

神道は、仏教とともに古来、日本国の風土に溶け込み、人々の素朴な信仰心を集めてきた伝統宗教ですが、新興宗教団体は、特定の信仰(しばしばカルト)を共にする一部の人々によって結成された私的な集団に過ぎません。このため、新興宗教団体における政治権力の掌握は、権力の私物化という面においては、民主主義をも損ないかねないリスクがあります。国民のほんの一部でしかない宗教団体が国家権力を行使する、即ち、まさしく上述した憲法第20条が禁じる行為が行われることになるからです。公明党のケースでは、政党支持率が協力者も合わせて3~4%程度ですので、おそらく創価学会員の数はこの数を下回るのでしょうが、連立相手の自民党内でも、中国を共通項とする二階幹事長や菅官房長官など、公明党寄りの政治家が発言力を維持しており、日本国政府の政策決定過程における公明党の影響力は侮れないのです。

権力の私物化が禁じられるのは、権力の源が国民にあるからに他なりません(国民主権)。公共物を私物化することは、正当な権利なくして他者のものを奪う簒奪行為であり、れっきとした‘悪’なのです。とりわけ宗教団体ともなりますと、社会の内部に信者が多数おり、宗教ネットワークを構成しています。創価学会を見ますと、公明党の党組織に加え、全国各地に各種会館が設けられると共に、「創価系企業」とも称されている企業群をも擁しています。政治権力は、こうした信者や関連事業者への利益や便宜供与という形で分配されており、いわば、国から特別の優遇措置を受ける‘特権集団’を構成しているのです。

学会員3代目を称するユースビオの社長は、メディアに対して公明党との癒着は一切ないと釈明していますが、公明党の手元には当然に信者リストがあるはずですので、たとえ当人に直接に伝えなくとも、マスク配布利権を割り振った可能性も否定はできません。一事が万事であり、こうした信者に対する不当な利益供与が社会の隅々に渡って行われているものと推測されるのです。官界にも信者を送り込んでいるとしますと、官庁による許認可も例外ではないかもしれません。今般、厚労省から新型コロナウイルスの抗原検査キットの承認を得る山口県の事業者の社名も‘富士レビオ’なのですが、同社は無関係なのでしょうか(創価学会等の新興宗教団体の上部組織と目される国際組織にも頂が白い富士山への拘りがあるらしい…)。

中世にあって日宋貿易で得た巨万の富を背景に平清盛が権勢をふるった時代、‘平家にあらずんば人にあらず’とも称され、皇室とも結びついた平家一門が栄華を極めておりました。そしてこの時代は、平家が市中に放った‘かむろ’と呼ばれた童姿の若者(ユース)の一群が、一般の人々を監視して密告していた息苦しい時代でもあったのです。翻って現在の日本国を見ますと、信者以外の人々を権力やチャンスから排除して冷遇し、しかも自らの監視下に置こうとする公明党・創価学会の姿勢は、どことなく平家を髣髴させるのです。

今般のマスク配布の一件は、図らずもこうした宗教団体による政治権力の私物化問題を露呈しているように思えます。そしてそれは氷山の一角であり、この状態が放置されますと、日本国では自由、民主主義、法の支配といった諸価値が消え去り、国民が納めた税、あるいは、公共財としての歳入が、一部の特権的な人々にのみに再分配されるアンフェアで醜悪な全体主義国となるかもしれません(しかも、海外にも流出…)。こうした現状に鑑みますと、日本国民は、長らく避けてきた公明党の違憲問題に真摯に向き合う時期に至っているように思えるのです。平家滅亡を描いた『平家物語』は、哀愁を帯びた琵琶の音と共に‘奢れる者も久しからず’と語っております。


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マスク受注会社‘ユースビオ’とは?

2020年04月28日 12時45分27秒 | 国際政治

 日本政府が、国内のマスク不足への対応策として、鳴り物入りで始めた全戸布マスク配布事業。ところが、蓋を開けてみますと、届いたマスクには異物混入などがあり、不衛生な輸入品でした。そして、マスクの品質に輪をかけて政府に対する国民の信頼性を下げたのが、発注先の事業者の名称を明かそうとはしない政府の態度であったのですが、いざ、全5社の名称が公表されますと、日本国内が騒然となったのです。そこには、殆どの日本国民が知らない‘ユースビオ’という事業者の名があったからです。

 他の4社を見ますと、伊藤忠商事はよく知られている大手企業ですし、その商社としての海外調達力が期待されたのかもしれません。2社目の興和は、布製マスクは海外縫製であるものの、マスクを実際に製造しているメーカーです。三社目のマツオカコープレーションもアパレル事業をグローバルに展開しており、マスクには縫製を要する点が選定の理由とはなりましょう。また、4社目として名の挙がった横井定も、名古屋の国内マスクメーカーの一つなそうです。これらの何れの受注事業者も、一先ずは、政府の発注先としてそれなりの理由を見出すことはできます。ところが、福島市に本社を置く‘ユースビオ’なる会社だけは、全くこうした要件を欠いているのです。

 ネット情報によりますと、同社の社長が2018年に脱税で摘発されたこと、社屋は11社が同居する安普請の平屋であること、公明党のポスターが張ってあること、社長が公明党員であること、木質ペレットの輸入会社であることなど、マスクはベトナムからの輸入品と説明されていること(会社側の説明ですので真偽は不明…)、事実だけ並べましても受注事業者としては適性を有しているとは思えません。このため、同社側が如何に否定しても、ダミー会社説、トンネル会社説、韓国系企業説、公明党・創価学会への利益供与など、様々な憶測が飛び交うこととなったのです。

 本日の大手紙の紙面には、‘ユースビオ’に関する記事を見出すことはできなかったのですが、今後、ネットをはじめ、同社に関する詳細な報道がなされることでしょうし、あるいは、‘令和の疑獄事件’へと発展するかもしれません。真相の解明が待たれるところなのですが、本記事では、‘ユースビオ’という社名から同社について推理をしてみたいと思います。あくまでも推理ですので、事実であるとは限りませんので、間違っておりましたらお許しくださいませ。

 近年、自民・公明連立政権の下で、グローバリズム、否、新自由主義を基調とした、およそ保守政権らしからぬ政策が矢継ぎ早に実施されております。中国企業等に対する国内市場の開放、非正規雇用の拡大、移民受け入れ政策、情報・通信分野におけるIT化もトップダウン型で進められており、急激な経済・社会の変化に戸惑う国民も少なくありません。ところが、世論調査を実施いたしますと、若年層が安倍政権を支持しているとする結果が報告されるのです。実のところ、新自由主義的な政策は、若者にとりまして必ずしも有利というわけではありません。近い将来、移民やAIに仕事を奪われれば雇用機会は減少しますし、所得水準も低下することでしょう。しかも、安倍政権や現皇室を熱狂的に支持し、反論や批判は許さない、という態度の人に限って、‘若者が自公連立政権を支持している’と主張するのです。

 マスメディアもそれが事実のように報じているのですが、どこかに違和感があり、不思議に思ってきました。しかしながら、今般、‘ユース’という社名を見たとき、点と点が繋がって線になったようにも感じたのです。実のところ、歴史的に見ましても、‘ユース’という言葉は全体主義との繋がりが強いからです。その代表的な事例は、ヒトラーユーゲントであり、ドイツ語では Hitlerjugend、英語では Hitler Youth(ヒトラー・ユース)と表記されます。若者の支持とは、必ずしも自由や民主主義といった価値との親和性を意味するわけではなく、むしろ、紅衛兵に代表されるように、その逆のケースも少なくないのです。因みに、ドイツ語で若者を意味するJugendは、ユダヤ人を意味するJudenとその音において似通っているのです(何故か、ナチスの幹部には、ユダヤ系の人々も多かった…)。

 今般、疑惑の対象となっている事業者の社名にはユースビオ(Youth Bio?)にも、ユースの言葉が含まれており、しかも、創価学会系であることは確かなようです。目下、創価学会は布教活動を全世界に広げているとされていますが、むしろ流れは逆であり、イエズス会や共産主義勢力、あるいは、その背後に潜む国際金融財閥といった全体主義体制の全世界的な拡大を企図する国際組織が日本支部として創価学会を設立した、あるいは、取り込んでいると考えた方が自然であるかもしれません。

以上のように考えますと、現在、日本国内において成立している自公による保守政権とは、日本国や国民を護るのではなく、国際組織の要望に応えて日本国を上から全体主義へと変革し(国家社会主義…)、同組織に日本国の予算や利益を流すために存在しているのかもしれません。宗教団体を通して日本国内には、‘細胞’とも称される組織や団体が数多く設立され、政界、官界、財界、マスメディア、芸能界…などあらゆる分野にわたって‘利権のネットワーク’が張り巡らされているかもしれないのです。

果たして、‘ユース’という言葉に注目したこの推理は、マスク事件の真相の一端を明かしているのでしょうか。点と点が繋がり線となり、さらにその先に立体的な像が結ばれるとしますと、その全容に、多くの日本国民を驚愕させるのではないかと思うのです。

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古代の公孫氏の運命が重なる金正恩委員長

2020年04月27日 14時27分45秒 | 国際政治

 中国大陸で魏呉蜀の三国が鼎立していた2から3世紀にかけて、古代の朝鮮半島には、公孫氏という人物が支配した時期があったそうです。しかしながら、その支配は長くは続かず、中国の魏によってあえなく滅ぼされる運命を辿ることとなりました。それでは、何故、公孫氏は、滅亡の憂き目にあったのでしょうか。

 その理由は、覇権をめぐって鋭く対立する魏と呉の間にあって、同氏が‘二重外交’を展開したことに求められます。魏と呉のどちら国に対しても‘味方のふり’をしたので、どちらの国からも信頼されず、むしろ、‘寝返りリスク’の高い国と判断されてしまったのです。魏としては、信用の置けない国に翻弄され、自国を危うくするぐらいならば、一層のこと滅ぼしてしまおうと考えたのでしょう。

 大国の間を巧みに泳ぎ、両者から利益を得ようとする‘二重外交’については、しばしは大国を‘手玉に取る’という意味で肯定的な評価も聞かれます。その一方で、公孫氏の事例は、同政策に失敗すると手痛い仕打ちを受けるリスクを物語っています。朝鮮半島とは、古来、地政学的に見ますと大国の勢力が鬩ぎあう地域ですので、その歴史を通して‘二重外交’がしばしば見受けられ、現代という時代もその例外ではないように思えます。南北両国の分断も冷戦期の米ソ対立を背景としていますが、米ソ間の冷戦終結後は、新たに軍事大国に伸し上がった中国とアメリカとの間で、南北両国とも‘二重外交’を試みているように見えるからです。

 そして、昨今、噂されている北朝鮮の金正恩委員長の死亡説や脳死説も、米中対立とは無縁ではないのかもしれません。生死を含め、同委員長が現在どのような状態にあるのかについては不明なのですが、中国から医師団が派遣されたことは確かなようです。原因については、新型コロナウイルス感染説をはじめ、軍事訓練視察時における偶発的事故(あるいは、朝鮮人民軍による暗殺?)、持病を治療するために実施した手術の失敗、肥満体質のための脂肪吸引中の事故など、諸説が飛び交っています。何れにせよ、正恩氏に替わって現在の北朝鮮において最高決定権を握る人物が中国に対して支援を求めたとしますと(正恩氏の妹の与正氏?)、正恩氏の生死の如何は、中国の手の内にあるのかもしれません。

そして、支援要請を受けた中国が、必ずしも正恩氏の命を助けるとは限らないように思えるのです。何故ならば、中国と北朝鮮との間には中朝友好協力相互援助条約が締結されおり、今日に至るまで軍事同盟関係が維持されているものの、正恩氏は、アメリカのトランプ大統領とは個人的な友好関係を築いており、いつ何時、アメリカ側につくか分からないからです。つまり、北朝鮮の‘二重外交’は中国にとりまして脅威となりかねず、同リスクを完全に取り除き、北朝鮮を中国ブロックにしっかりと組み込むために、金正恩氏を廃し、親中一辺倒の人物を‘労働党委員長’の座に据えようとするかもしれないのです。

果たして、朝鮮半島では歴史は繰り返されるのでしょうか。情報統制が徹底されているため、北朝鮮国内の動向を外部から知ることはできませんが、北朝鮮の今後については、米中対立という背景を抜きにしては語れないように思えるのです。


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全戸布マスク配布の謎

2020年04月26日 13時43分09秒 | 日本政治

 政府が新型コロナウイルスの感染防止策として打ち出した466億円をかけた全戸布マスク配布策。当初よりウイルス対策効果の面から疑問視する向きがあったものの、配布済みのマスクから非衛生的な欠陥品や中古品?が見つかったり、子供用と考えられる小さなサイズであったり、また、一時的であれ、政府が発注先の企業名の公表を拒んだことなどから、多くの国民の失望を買っています。それにいたしましても、この全戸布配布、何故、かくも常識では考えられないような惨憺たる顛末となったのか、むしろ、その方が余程謎ともいえましょう。

 配布マスクに欠陥が多数混じっていた理由は、製造国が中国、並びに、ミャンマーであったからなそうです。中国’という国名を見て唖然とした国民も少なくなかったはずです。何故ならば、新型コロナウイルス禍の震源地であった中国が同ウイルスの猛威に苦しむとき、日本国政府を含め全国各地から中国支援のために高品質のマスクが寄贈されていたからです。その後、同ウイルス禍に見舞われた日本国に対して中国の各界からお返しのマスクが寄贈され、‘マスク外交’の名の下で日中友好がアピールされもしたのですが、今般、日本国民への配布用に中国から輸入されたマスクは、何十年も前の製品かと疑うぐらいの旧式、低品質、かつ、不衛生な製品であったのです。

中国から調達したのは日本企業であったとはいえ、一体、誰が、どのようなプロセスで、マスクの配布を発案し、配布マスクの品質やデザイン等の仕様を決めたのか、全く以って謎なのです。一方、日本国政府からの発注品である以上、中国側もある程度の気は遣うはずなのですが、粗悪品を以って提供したともなりますと、日本国、並びに、日本国民を侮辱したとも受け取られかねません。反中感情を高める可能性もあるのですから、政府の判断は理解に苦しみます。

 第2の謎は、何故、日本国政府が、日本国内のマスク製造業者、あるいは、縫製事業者ではなく、海外からの輸入が想定される事業者を選んだのか、という疑問です。受注事業者として社名の挙がった3社を見ますと、まず、伊藤忠商事は商社ですし、マツオカコーポレーションは、日本国内の福山に本社こそあれ、縫製拠点は中国やミャンマーなどにあり、グローバルなネットワークを構築しています。このことから、マスクの多くが輸入品となることを、政府は当初より予定したことになります。そして、残る一社の興和はマスク製造会社ではありますが、国内で生産販売しているのは「三次元マスク」のみのようなのです。

マスクの発注に際して日本国政府が公開入札を実施したとする形跡は見られませんし、当初の政府の説明では4社としておりましたので、公開された3社以外に‘謎の一社’が存在している可能性もあります。何れにせよ、今日、非常事態宣言の発令により、多くの人々が働きたくとも働けない状態にもあります。アパレル企業などの中にはコロナウイルス禍による売り上げ減少に対応すべく、布製のマスク製造に乗り出す事業者も現れているそうですので、むしろ、こうした国内における民間の努力を支援すべきではないでしょうか。当初、予算は466億円と説明されていましたが、その大半は中国にも流れたのでしょうから、一体、どこの国のための政策なのか疑問を抱かざるを得ないのです。

 第3の謎は、政府のマスクに対する認識が、国民意識とは著しく異なっている点です。民主主義国家における政治家というものは、選挙を経て公職に就くため、国民世論を読もうとするものです。ところが、国内におけるマスク不足が深刻化したとはいえ、国民の多くが政府からのマスク配給を強く求めていたとは思えなないのです。高性能の不織布を用いたマスクの配布であるならば国民が入手することは困難ですが、布製であれば、誰もが本気で作ろうと思えば作れるものです(メディアやネット上には簡単な作り方が紹介されてもいる…)。つまり、466憶円もの予算を計上するほどの事業であるとも思えず、何らかの利権さえ疑われるのです。

 そして第4の謎は、事業予算のいい加減さです。先述したように、当初予算は466億円と見積もられていましたが、実際には、90億円で収まったとされています。あるいは、‘謎の一社’が残りの376億円分を受注している可能性もあるのですが、かくも予算と実際の事業費との間に開きがありますと、政府は、厳密に見積もせずに所謂‘どんぶり勘定’で予算を付けた疑いが濃くなります。仮に、90億円であったといたしましても、マスク配布にこれ程の予算をかける余裕があるのであれば、医療体制の充実や検査・治療法の開発の支援、そして、事業継続が危ぶまれている人々への支援に振り向ける方が、余程、国民も納得するはずです。

 以上に幾つかの謎を述べてきましたが、常識に照らして多くの国民が‘何かおかしい’と感じるような政策には、表向きの説明とは違う‘何か’が潜んでいるものです。政府は同事業を中止するつもりはないようなのですが、このまま同事業を続けるとしますと、国民の政府に対する視線はいよいよ冷ややかなっていくように思えるのです。

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国連へのWHO調査要請は名案―外堀を埋められる中国

2020年04月25日 13時51分02秒 | 国際政治

 新型コロナウイルスのパンデミック化の事態を受け、国際社会においてWHOと中国との癒着が問題視される中、アメリカの共和党上院議員が国連のグテレス事務総長に対してWHOの調査を要請する書簡を送ったそうです。この方法、名案なのではないかと思うのです。

 武漢にあってSARSに類する深刻な感染病が発生している事実を知りながら、中国は、同情報を隠蔽し、必要となる措置を採らずに全世界に感染を拡大させました。しかも、新型コロナウイルスの出所については武漢のウイルス研究所である疑いが濃厚であり、誰もが中国を怪しんでおります。アメリカでも中国の責任を問う声が日増しに高まっているのですが、当の中国は、自国に対する責任追及に‘逆切れ’こそすれ、武漢のウイルス研究所に対する現地調査をも拒絶しており、誠実に対応つもりは毛頭ないようです。巨額の賠償問題も生じますので、同国は、真相を闇に葬りたいのでしょう。

 かくして中国は目には見えない‘紅いカーテン’を固く閉ざして外の世界から自らを遮断し、自国を隠れ処にしようとしているのですが、このままでは、同国は、国際的な責任から逃げおおせてしまうかもしれません。そして、アメリカも打つ手を失い、捜査の行き詰まりも予測されていた矢先に登場してきたのが、上述した国連に対する調査要請です。

 同案が名案である理由とは、調査の要求先が国連であり、かつ、調査の対象も中国ではなく、WHOである点にあります。仮に、直接に中国政府に対して自国を調査せよと要求しても、即、拒絶されるのは目に見えています。あくまでも白を切ろうとするかもしれず、先述したように、返答を催促してもなしの礫となりましょう。しかしながら、国連が調査の実施機関となり、その対象がWHOともなりますと、事情は違ってきます。何故ならば、両機関とも条約に基づいて設置されている国際機関ですので、共に国際社会に対して責任を負っているからです。国際社会において問題が発生した場合、国連は、中立・公平な立場から国際法に基づいてそれらを迅速に解決する義務を負いますし、WHOも国連の枠組み1948年に設立された専門の国際連合機関の一つですので、中国のように、主権を盾に国連による調査を拒絶することはできないからです。

 中国には‘将を射んと欲すれば先ず馬を射よ’という故事がありますが、まさにこの言葉の通り、国連による厳正な調査の結果、WHOと中国との腐敗した関係が明らかとなれば、当然に、中国の罪も白日の下に晒されることとなりましょう(既に、テドロス事務局長への賄賂や便宜供与などが囁かれている…)。本丸である中国を落とすには、遠回りに見えながらも‘チャイナ・マネー’に染まったWHOの腐敗体質を暴く方がむしろ近道なのです。国連によるWHOの調査によって、中国は、いわば外堀を埋められてしまうことになるのです。

 もっとも、難があるとすれば、上院議員団からの要請であり、アメリカ政府から、すなわち、加盟国政府の立場からの要請ではないため、グテレス事務総長が同要請に応じない可能性はないわけではありません。しかしながら、WHO、並びに、中国に対する疑惑が深まる中、同事務総長が調査を躊躇するとなりますと、国連もまたWHOと同類と見なされ、国際社会からの信頼を失うことになりましょう。また、国家レベルに置き換えますと、法律上の罪は公務員の贈収賄罪、即ち、WHOの事務局長の汚職ということになるのですが(WHOが収賄側で中国が贈賄側…)、こうした国際公務員による行政組織内部における犯罪に対しては、国連は十分に対応し得る仕組みを備えていない現状も難点となります(国際警察組織は存在せず、また、ICJは国家間の法律的紛争にしか対応していない…)。国連、並びに、国連の専門機関には、内部統制や外部チェックの仕組みが欠けているのであり、それ故に、これらの組織は腐敗の温床となり、中国にいとも簡単に乗っ取られてしまったとも言えましょう。しかも、今般の新型コロナウイルス禍にあってWHOが医療物資を中国企業に大量発注した事例が示すように、国際組織は巨大な利権をも有してもいるのです(新型コロナウイルス問題は、こうした国際機関の持つ欠点をも白日の下に晒す機会となったのでは)。

 同案をより確実に実現するためには、トランプ大統領にも働きかけるなど、アメリカ政府、あるいは、他の加盟国諸国と共同で正式に事務総長に調査を依頼する、あるいは、安保理に提起するといった方法もありましょう(国連憲章第6章上の問題とすれば、中国は拒否権を使うことはできない…)。もしくは、国連総会において事務総長に同件に関する調査を委任すれば、事務総長には同任務を遂行する義務が生じます(国連憲章第98条)。また、強制捜査権を付与された中立・公平な調査団を結成する必要もありましょう。

今後については難しい局面も予測されますが、潔白を主張する限り、中国にはこれらの調査を拒む理由はないはずです。中立・公平な立場による調査の実施は、中国にとりましても反論のチャンスとなるのですから。何れにいたしましても、今般のアメリカの議員団による国連に対する調査要求は、中国の外堀を埋めることになったのではないかと思うのです。a


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コロナ禍で日中両国政府は共倒れ?

2020年04月24日 12時44分04秒 | 日本政治

 報道によりますと、中国では、同国の頂点にあって君臨する習近平国家主席が、遂に新型コロナウイルスに対する政府、並びに、共産党の対応に不備があったと認めたそうです。‘コロナ対応の不備認める’とするタイトルだけを読みますと、同主席が自らの責任を認めたと早合点しがちなのですが、実際に語った言葉は「一部の党組織でリーダーシップが不足し、一部の党幹部の能力が不足していることを露呈した」です。部下に責任を擦り付けこそすれ、自己反省など微塵もなく、逆に‘一部の共産党幹部’をスケープゴートに仕立てることで国家主席への集権を強め、一党独裁から個人独裁体制へと歩を進めようとする強い決意さえ伺えるのです。

 コロナ禍を機に、中国では、現体制に対する国民の不満や批判をよそに、習主席が自らの権力基盤を固める踏み台にしようとしているのですが、日本国でも、別の意味で同様の現象が起きているように思えます。本日の日経新聞の朝刊一面には、自民党の菅義偉官房長官のインタヴュー記事が掲載されておりました。「コロナと世界」と題する同欄にあって、菅官房長官は今後の日中関係についても触れているのですが、その語るところ、日本国民一般の意識とは真逆なのです。感染症対策については中国を含めた国際連携の深化の必要性を強調すると共に、習主席の来日については、「習近平国家主席の来日は日中が責任を果たしていくことを内外に示す機会として非常に大事だ」と述べているのですから。

 この言葉の後には「きたんのない意見交換ができる関係を維持するのが、アジアだけではなく世界経済の発展や安全保障に極めて大きなことだ」と続くのですが、菅官房長官のあまりにも好意的な中国観には唖然とさせられてしまいます。今日、世界の多くの国々において、緊急事態宣言の下で全国民は外出自粛を求められ、医療機関も崩壊の危機に晒されています。営業停止を要請されたサービス業の人々は死活問題に直面しており、今後とも企業業績の悪化により、コロナ禍によるマイナス影響は拡大してゆくことでしょう。このため、対中感情の悪化のみならず、パンデミック化を招いた中国の責任を厳しく糾弾する声も少なくありません。都市封鎖が敷かれ、コロナ禍の犠牲者が数万人にも達した米欧諸国からは元凶となった中国に対する怨嗟や損害賠償を求める声すら聞こえてくるのです。国際社会でも脱中国の流れが加速してきており、日本国民の多くも日中関係が元の状態に戻るとは考えていないことでしょう。しかも、日本国政府による国民軽視の対中忖度が中国からの渡航全面禁止が遅れた原因の一つでもありますので、積極的に脱中国政策を支持する国民が多数を占めるようになるのが自然の流れです。

 加えて、今月23日に習主席が陜西省を視察した際に地方当局の幹部に対して絶対服従を要求したとも報じられています。日本国内の世論に背を向けた菅官房長官の見解は、あたかも習主席に忠誠を誓っているようにも聞こえてくるのです。

 こうした現象から見えてくるのは、情報隠蔽体質に染まった中国の一党独裁体制に対する批判を強めた点においては日中両国民とも一致している一方で、日中両国政府は、民意とは逆の方向に歩調を揃えて動いているという忌々しき現実です(あるいは、菅官房長官、二階幹事長、公明党のイニシアチブ?)。そして、このシンクロナイズ現象は、日中両国政府の運命をも暗示しています。コロナ対応の不備が習政権の躓きとなり、中国国内では一党独裁体制崩壊への序曲となる可能性が指摘されている一方で、日本国政府、否、自民・公明連立政権が今後とも媚中外交を貫くとしますと、日本国にあっても近い将来において‘政変’が起きる可能性も否定はできなくなるからです。とりわけ民主主義国家である日本国にあっては、次回総選挙が重大な転機となるかもしれません。

 とは申しますものの、与野党を含め、日本国の政界にあって親中派に与さない政党や政治家を見出すのは難しく、コロナ後の最大の危機は日本政治そのものにあるかもしれません。可能性としては、自民党内部における脱中国化、既存の野党側の勝利による政権交代、あるいは、より民意を反映する新党の登場などが想定されましょうが、上手に難局を乗り越えませんと、日本政治がカオス化する可能性もあります。あるいは、仮に、中国の現体制が‘健在’となれば、日本国に対する中国の支配志向はさらに強まるかもしれません。何れにしましても、日本国民は、コロナ後にあって日本国の政治がどのようにあるべきなのか、ともに考えてゆく必要がありましょう。そしてそれは、日本国のみならず、全世界の諸国に共通した課題であるとも思うのです。


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コロナ禍を増幅させる政治不信

2020年04月23日 13時21分16秒 | 日本政治

 新型コロナウイルスの感染拡大を阻止するために、目下、多くの諸国では強制力を伴う都市封鎖といった強硬な措置が採られています。海外諸国の厳格な都市封鎖と比較しますと、日本国政府の措置は甘く、感染リスクの高いサービス業についても営業停止を命じるのではなく、自粛要請という形態に留めています。日本国政府の対応の緩さについては、経済的な打撃の回避や国民の自由に対する制限への躊躇といった様々な要因が指摘されています。中にはそれを日本国の国民性に求め、‘政府が規律正しい日本人に期待していたから’とする見解も見受けられます。政府が敢えて法律を以って強制しなくとも、社会的な規律を重んじる日本国民の多くは自発的に政府の要請に応じるはずである、とする…。

 確かに、過去の自然災害の事例を見ますと、被災地にあって食糧や支援物資を受け取るに際しても、被災者の方々は整然と列をなして並び、我先を争うのではなくお互いに譲り合う姿が見られました。その一方で、全てではないにせよ、今般のコロナウイルス禍に際しては外出の減少が殆ど見られない地域もあり、また、マスクや消毒剤、果ては紙製品等の買占めといった忌々しき行為も後を絶ちませんでした。3月お彼岸連休では、各地で例年通りのお花見の光景が見られたとされましたし、緊急事態発令後に至っても、いつもと変わらない賑わいを見せていた街も少なくないそうです。同じ国の出来事とは思えないのですが、政府の要請に対する国民の非協力的な行動の背景には、根強い政治不信というものもあるように思えます。

 武漢のみならずイタリアやニューヨーク等の医療崩壊が起きてしまった諸外国からの情報や映像は、目を覆わんばかりの惨状を伝えています。明日の我が身かもしれず、日本国民もより高い危機意識を持たなければならないのでしょうが、新型コロナウイルスの発生以来、甘い政策を採り続けてきた日本国政府に対する国民の不信感が、ここに来て裏目に出ているように思えるのです。初期段階にあっては、習主席の国賓訪日、東京オリンピック、並びに、中国人訪日客のインバウンドに配慮し、極めて危険なウイルスであったにも拘わらず、厳しい入国規制を課さずに事態を半ば放置しています。ところが、自粛要請という形であれ、今に至って危険なウイルスであると政府が声高に叫んでも、国民としては、その言葉をそのまま信じてもよいのか戸惑ってしまうのです。また初動体制の不備に加え、その後も救済策については迷走を続けており、全国民マスク配布事業も情報公開を拒んだことから新たな疑惑を招く原因ともなりました。

 死亡者数こそ比較的少ないものの、政府が公表する感染者数は増加傾向が収まらず、累計で遂に1万人を超えています。マスメディアでも、連日の如く著名人の感染や死亡を報じています。ところが、道端で突然に通行人がばたばたと倒れたり、サイレンを鳴らした救急車が頻繁に行きかうなど、人々が直接に感染の危機を実感する光景に遭遇することは殆どありません。マスク不足や衛生用品の不足は実際に起こってはおりますが、ご近所や親族・知人が感染したとするお話もほとんど耳にしないとなりますと、‘政府が主張するほどのことではないのではないか’、あるいは、‘政府はまた現実とは逆のことをしているのではないか’、とする猜疑心が国民の心に湧いてしまうのも不思議ではないのです(かく言うわたくしも、政府に対して半信半疑…)。

 しかも、ネット上では新型コロナウイルス禍そのものが国際的に仕組まれた事件であるとする陰謀論も散見されます。否、米中対立が先鋭化する国際政治の表舞台でも、コロナ問題は既に国際紛争の様相を呈してきているのです。同ウイルス禍の背景には、感染病の蔓延による経済の弱体化、経済・社会の抜本的な変革への誘導といった政治的な目的が潜んでいる可能性もあるからです。このように考えますと、日本国に出現した日本人らしからぬモラルハザードさえも、何れかの国や組織の動員による演出であるかもしれず、コロナウイルス禍にあって真に信じるに足る情報は皆無に近いのです。

 誰もが認識しえる地震や津波などの自然災害の時であれば、多くの人々がその災害の只中にあるのですから、日本国民本来の国民性から規律を重んじ、皆が協力し合って危機を乗り切ろうとすることでしょう。しかしながら、人災、しかも、様々な政治勢力が関与している可能性が高く、しかも、真偽が入り乱れた様々な情報も錯綜しているともなりますと、前者と同様の行動を国民に期待するのは難しくなります。新型コロナを共通の敵とみなし、一致団結して闘うように促されても、政府の言うことを信じてよいのか迷いますし、一次情報から遮断されている国民にとりまして、広大な情報の海から事実だけをピックアップすることはほとんど不可能なのです。

 信用とは一旦失われますと取り戻すのは困難なものです。政府もまた例外ではなく、国民の深刻な政治不信という現実を認識しませんと、たとえ高い効果が期待できる政策や措置であったとしても、国民の協力を得られない可能性があります。国民全般に協力を求める以上、政府には、でき得る限り正確、かつ、誠実な情報の開示、並びに、事実に基づく道理に適った政策説明など、国民からの不信感を払拭する努力が必要とされているのではないでしょうか。


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新型コロナウイルス禍は‘事件’である

2020年04月22日 11時28分06秒 | 国際政治

 中国の武漢にあって新型コロナウイルスによる感染症が発生した当初から、武漢市民の間ではウイルス研究所からの流出説が囁かれていたそうです。アメリカでもトランプ大統領が同説に言及し、マスコミ各社も報じたことから、武漢のウイルス研究所の存在が全世界的に注目を集めるようになりました。

 アメリカが徹底調査の姿勢を見せる中、かねてより米国との間で軋轢が深まっていたWHOは、ファデラ・シャイーブ報道官を介して武漢にあるウイルス研究所からの流出を否定する見解を示しています。「客観的な証拠はこのウイルスが動物に由来するもので、研究所で誰かに細工されたものではないことを示している」と…。

 コロナ禍の発生以来、WHOは中国と結託して誤った情報を発信し続けてきたため、同発言も信頼性に乏しく、その信憑性を怪しむ人も少なくないはずです。実際に、HIV発見の功績でノーベル医学・生理学賞を受賞者したフランスのリュック・モンタニエ博士は、新型コロナウイルスは研究所で作成された人工ウイルスであると明言しています。同博士に先立って人工ウイルス説を唱えた研究者も少なくなく(中国国内では排除・処分されてしまう…)、WHOの見解が唯一絶対なわけではありません。もっとも、同ウイルスの目的については、モンタニエ博士は、HIV感染症のワクチン製造であったのではないかと善意に解釈しており、生物兵器説は支持していないようなのですが(南京軍事科学院も関与しているのでは?)、専門家の目からすれば、遺伝子の塩基配列の分析結果から人工ウイルスであることだけは間違いないようなのです。

 アメリカに続いて、フランス、イギリス、ドイツ等も情報を隠蔽してきた中国に対する批判を強めており、巨額の賠償問題にも発展する勢いを見せています。日に日に高まる国際社会における中国批判が、WHOをして中国擁護の発言をさせたのでしょうが、この展開、もはや新型コロナウイルス禍が‘災害一般’ではなく、‘事件化’していることを示しています。つまり、同ウイルスによる被害が発生しており、それが、故意、あるいは、過失に因るものであるならば、一般の刑事事件と同様に司法解決を要する事件となるのです。つまり、国際法廷にあって、中国は被告席に座り、他の被害を受けた諸国は原告団として裁判に臨む構図となるのです。主たる論点としては、(1)同ウイルスは人工ウイルスなのか、自然界の有害ウイルスなのか、(2)発生源は研究所なのか、海鮮市場なのか、(3)同ウイルスは、過失により漏洩したのか、故意に散布されたのか、(5)人民解放軍は関わっているのか、否か…などがあり、そして、これらの諸問題の如何に拘わらず、とりわけ、中国の情報隠蔽によるパンデミック化の責任は、確認されえている事実なだけに強く問われることになりましょう。

 新型コロナウイルス禍が国際犯罪であるとしますと、その手続きは、一般の刑事訴訟の手続きに準ずるべきものとなります。WHOは、国際司法機関ではありませんし、しかも、中国に与して偽情報を発信した過去がありますので、共犯者として被告席で中国と並ぶ立場ともなりかねません。また、仮に中国ともども‘無罪’を主張するならば、自らの潔白を示す証拠を提示する必要もありましょう。なお、シャイーブ報道官は‘客観的な証拠’と言葉でのみ述べていますが、同ウイルスに関する塩基配列に関する解析結果等が証拠として示されているわけではありません。

そして‘事件’である以上、現場検証、即ち、武漢ウイルス研究所の立ち入り捜査や関係書類の押収等も必要となりましょう(武漢ウイルス研究所は、既に、中国政府によって爆破されている?)。如何に中国やWHOが声高に‘無罪’を叫んだとしても、確たる証拠がない限り、少なくとも無実を証明することはできないのです。否、案外、全世界の研究機関によって、何らの政治的な圧力を受けることなく、中立・公平な立場から同ウイルスの塩基配列の徹底分析が一斉に行われれば、少なくとも人工ウイルスか否かについては、比較的容易に判定できるのではないでしょうか。

 南シナ海をめぐる常設仲裁裁判所の判決を‘紙屑’として破り捨てたぐらいですから、中国が国際裁判所に大人しく出頭するとは思えず、おそらく、無視を決め込むか、恫喝、買収、利益供与、マスコミ動員といったあらゆる手段を使って諸外国の対中断罪の動きを阻止しようとすることでしょう。しかしながら、アメリカでは既に対中賠償請求の手続きが進んでいるように、国際司法の場に引き出せないとすれば、国家レベルの司法制度を以って中国を裁くかもしれません。WHOの規約違反、情報隠蔽、並びに、必要措置を怠った怠慢といった事実のみで、十分に有罪判決を受ける可能性があります。有罪判決ともなれば、賠償責任をも問われ、中国政府、あるいは、共産党幹部が有する対外資産の差し押さえや売却といった事態も想定されましょう。

 新型コロナウイルスがパンデミック化し、多くの人々の命と健康を奪い、経済や社会を著しく損なっている現状にあって、中国は、同ウイルス禍による被害を‘内政問題’として言い逃れることは最早できなくなっています。中国には、他国の惨状に乗じて覇権を追及するよりも、人類に対する自らの大罪に向き合うべきではないかと思うのです。

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一律10万円給付は通貨発行益の分配では?

2020年04月21日 13時35分04秒 | 日本政治

 新型コロナウイルス対策の一環として、日本国政府は、紆余曲折の末に30万円給付案を取り下げて、国民一律10万円を給付する政策を打ち出しました。最初に野党側が主張し、その後に自民党の二階幹事長や公明党が追随したことから、安倍首相の指導力に陰りが指摘される一方で、同政策への転換が、政界における親中派の発言力の高まり、あるいは、中国の影響力の浸透を意味するならば、ポスト・コロナ後の日本政治に不安を抱かざるを得ません。国民世論も賛否が分かれているようですが、ここでは、一先ずは、政府による一律給付策の性質について考えてみたいと思います。

 一律10万円給付策に先立って検討された30万円給付策は、所得制限に加え、コロナ禍による所得の激減などの比較的厳しい受給条件を付していたため、困窮者に対する救済措置としての側面が際立っていました。支給対象の狭さや手続きの煩雑さ等から不評を買っていたのですが、一律10万円案もその代案として捉えられたため、救済策、すなわち、社会保障的な意味合いで理解されていました。政府の基本的なスタンスも、どこか‘コロナ禍に苦しむ国民に等しく公金を下賜する’という上から目線での態度でしたし、国民の中にも’お上から支援金を頂戴して有難い‘といった反応もあったかもしれません。

 しかしながら、今日の経済・財政・金融システムからしますと、一律10万円給付政策をめぐって見られた政府と国民との関係は、江戸時代の感覚を引き摺っているように思えます。米本主義とも称された江戸時代には年貢がいわば今日の税金であり、幕府や藩の財政にあって官民両者はゼロ・サム関係にありました。年貢率はそのままお米の収穫高の官民間の配分率であり、仮に災害時等に幕府や藩から臨時に下賜されたとすれば、それは、幕府や藩が自らの取り分を減らして民に分け与えたことを意味したのです(幕府や藩は年貢として集めたお米を堂島の取引所等で換金していた…)。権威主義体制とも言える幕藩体制にあって、民は‘上’からの給付金をお恵みとして有難く受け取ったのです。

 一方、今日の日本国は、江戸時代とは違い、政治体制として国民主権を原則とする民主主義国家であると共に、経済システムにあっても自由主義経済を基本としています。しかも、国家が通貨発行権を独占しており(ビットコイン等の仮想通貨も出現していますが…)、とりわけ金本位制度から管理通貨制度へと移行した後は、中央銀行によってマネー供給量をコントロールできるようになりました。このため、政府と国民との関係は、少なくとも建前としては上下関係ではなく前者は後者の代表によって構成されており、官僚組織が支えているとはいえ、国家の財政も民主的コントロールの下にあるのです。歳入もまた主として国民が納めた税収に依存しており、今般の一律10万円給付も、基本構図としては一旦納めた税金が納税者に還付されるに過ぎないこととなりましょう。国庫は、政治家のポケットマネーではなく、むしろ、国民の共有財産なのですから。

 とは申しますものの、巨額の国債残高を有する日本国の場合には、一律10万円給付策の財源を税収に求めることはできません。赤字国債の発行で賄わざるを得ず、財務省、あるいは、IMFの従来の立場からすればコロナ禍収束後の増税要求も予測されましょう。しかしながら、実のところ、国家には、通貨発行益というものがあります。‘輪転機を回す’という言い方は無尽蔵に紙幣を刷るというイメージがあり、政府紙幣の発行は、財源に乏しい政府が無から有を生み出す悪しき政策として捉えがちです。歴史的にも、戦間期のドイツで発生したハイパーインフレーション等、芳しくない事例ばかりが目立ちます。

その一方で、人類は、今日、未だに適切なマネー供給手段を獲得しているわけではありません。中央銀行による通貨供給も、公開オペレーション、公的金利の操作、最低準備率の設定といった何れの手段であれ金融機関を介しますし、利払いの負担も生じます。実体経済におけるマネー需要に必ずしも的確に応えているわけではなく、しばしば金融界への利益誘導も指摘されています。何れにせよ、今般の一律10万円給付に当たっても、政府は、形だけであれ、財源を確保するためにまずは国債発行という形態の‘借金’をせねばならないのです。

ここで再び本題の通貨発行益に戻りますが、中央銀行による国債引き受け(買い切りオペ)は、政府に借金返済の義務が課されないため、事実上の政府紙幣発行の意味を持ちます。現行では、法律上、政府紙幣の発行は認められておりませんし、中央銀行の正当な政策手段からすれば‘異端’なのですが、現実に行われている中銀による買い切りオペこそ(日銀も一定の範囲で買い切りオペを実施してきた…)、国家の通貨発行益と同義となるのです。

そして、国家の通貨発行益の源泉は、外国為替市場における為替相場と同様に、その国の総合的な経済力に求めることができます。つまり、政府というよりも、主として民間経済の強さに依存しているのです。通貨の信用力に裏打ちされる通貨発行益とは、基本的には企業の経営、人々の就労、並びに消費を含む全国民の経済活動が生み出しているのであり、政府の独占物でも特権でもないのです。

ここまで最終的には日銀が政府の赤字国債を引き受けるものと想定して述べてきましたが、このように考えますと、民主主義国では通貨発行益は、特別会計を含む歳入一般と並んで国民の共有財源となり、主権者でもある国民の間で一律に分配するのも道理に適っているように思えます(もっとも、消費を喚起できなかった場合や、インフレリスク等を考慮すれば、コロナ・ショックによって真に窮乏している人々を救うべきかもしれないのですが…)。少なくとも、日本国民は今般の一律10万円給付に際し、政府に対して負い目を感じる必要はないのではないかと思うのです。


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非情な中国のマキャベリズム

2020年04月20日 12時25分15秒 | 国際政治

 

 新型コロナウイルス禍に多くの諸国が苦しむ中、メディアやネット上では、中国の軍事的行動が連日のように報じられるようになりました。武漢のみならず全国規模で都市封鎖を実施し、経済活動も一時的には殆ど休止状態にありましたので、中国が受けた傷は深く、その影響は長期に及ぶのではないか、とするのが一般的な見解でした。また、封鎖解除後にあっても、同ウイルスのパンデミック化の責任は同国にありますので、謝りはしないにせよ、国際社会に対しては低姿勢で接するものと予測されていたのです。

 しかしながら、この期待、あるいは、希望的観測は悉く裏切られ、中国は、医療物資の一大生産国である強みを以って他国に恩を着せる狡猾な戦略を遂行するのみならず、拡張主義的な活動を活発化させています。新疆ウイグル自治区のロプノール実験場にあって、核兵器の実験の動きが活発化しているとの報告に続き(核実験全面禁止条約違反…)、常設仲裁裁判所の判決で敗訴したはずの南シナ海でも、既成事実化を急ぐために一方的に自国の行政区を設置し、ベトナムとの間で緊張が走っています。また、日本国も例外ではなく、中国の公船による尖閣諸島周辺海域での活動は一向に収まる気配はありません。むしろ、コロナ前よりも中国の対外的な姿勢は積極的、かつ、挑発的になってきているのです。

 計画原理主義の共産主義国のことですから、習近平国家主席は、何としても当初の目的、即ち、一帯一路構想を完成させ、中国を頂点とした世界支配体制を確立したいのでしょう。そのためにはマキャベリズムの実践こそ近道であり、手段を択ばず、あらゆる状況を利用し尽くす決意を固めたのかもしれません。中国が目的の絶対化を特徴とする共産主義国家である点を考慮しますと、新型コロナウイルス禍による計画の遅れは許されず、むしろ、コロナ後にはこの遅れを取り戻すべくなりふり構わずにスパートをかけてくるとも予測されます。一般的な常識や良識に照らせば信じがたい暴挙ですが、徹底したマキャベリズムからしますと、中国にとりましてはコロナ禍のパンデミック化こそ最大のチャンスであり、軍事力の利用さえも合目的的な行動なのです。

 中国、あるいは、その背後に潜む組織による世界支配を歓迎する人は殆どおりませんので、今日の事態は人類の危機なのですが、中国に情けや容赦を期待しますとそれは災いとなって自らに返ってきます。獰猛な肉食動物は、弱い相手こそ格好の獲物ですし、否、追い詰めて弱わらせたところを狙うといった行動をもとります。人に対しては憐憫の情や同情を誘い、攻撃性を緩める効果が認められる‘弱さのアピール’も、中国に限っては逆効果となりかねないのです。
 
 そして、今般の新型コロナウイルスのパンデミック化についていささか穿った推理が許されるならば、昨年10月に武漢で開催された軍人オリンピックにも注目してみる必要があるように思われます。何故ならば、アメリカからの反論を受けて後には引き下げたものの、中国政府の高官は、同ウイルスの起源についてアメリカ発症説を唱えた際に、その根拠として‘同オリンピックではアメリカの軍人は一つも金メダルを獲得できなかった’と説明しているからです。この発言の意味するところは、‘既にアメリカ国内で感染が拡大していた‘インフルエンザ’の中には新型コロナウイルスが混じっており、後者に罹患した米軍の軍人が武漢に同ウイルスを持ち込んだ‘というものです。しかしながら、中国の主張とは逆のパターンもあり得ます。それは、同大会に参加した米軍の軍人が、同地にあって新型コロナウイルスに感染したというものです。武漢には人民解放軍とも関係のある各種のウイルス研究所が設けられていますので(もっとも、最有力の説は武漢ウイルス研究所からの漏洩…)、米軍人の優勝を阻むために、同ウイルスが使用された可能性も否定はできないのです。

米軍内部でも新型コロナウイルスの感染者が多数報告されており、軍事的な対中抑止力の低下が懸念されています。最悪を想定すれば、新型コロナウイルス禍も、パンデミック化も中国共産党の‘スケジュール’に書き込まれていたかもしれず、新型コロナウイルスの未解明な有毒性と同様に、一早くポスト・コロナとなった中国の行動については決して油断は許されないのでしょう。危機に際してはじめてその人の本性が現れるとも申しますが、今日の中国の行動を見る限り、その非道な獰猛性こそしっかりと見据えるべきではないかと思うのです。

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コロナ禍がもたらした歴史の教訓から人類の未来を読む

2020年04月19日 12時14分11秒 | 国際政治

 アメリカのトランプ大統領がWHOへの拠出金支払いを止めたのを機に、マスメディアでは、対コロナ国際協力の重要性を訴える記事が目立つようになりました。申し訳程度にWHOのテドロス事務局長の中国追従を批判しつつも、国際協力に背を向けた同大統領の態度は中国と同程度に国際社会にとりまして有害であると決めつけているのです。

 しかしながら、新型コロナウイルス禍の経緯を具に観察すれば、中国、並びに、同国と結託した国際機関こそ世界規模のパンデミック化をもたらした元凶であることは疑いようもありません。‘チャイナ・マネー’の力で自らの息のかかった人物を事務局長の椅子に座らせ、WHOを自らのコントロール下においた中国は、同組織の枠組みを利用して偽情報を全世界に向けて発信し続け、かつ、同組織を情報隠蔽の共犯者としたのですから。春節を過ぎた後にあっても、WHOは各国の中国への渡航禁止措置を過剰な対応として批判していましたが、感染症対策の基本原則に従い、初期の段階で全面的に中国を封鎖していれば、パンデミックに至ることなく新型コロナウイルスは抑え込めたはずですので、WHOの罪は重いのです。

今日、かくも多くの人々の尊い命が失われ、一般の人々の日常が奪われた原因を問うてみますと、そこには腐敗した国際組織の害悪が見えてきます。経済的損失も全世界で500兆円を超えるとも試算されておりますが、今般のコロナ禍は、人類史における国際機関の失敗例の一つと言っても過言ではありません。結局、日本国政府をはじめ、各国政府とも、自国民の命を護るために、WHOの勧告を敢えて無視しなければならなかったのです。そして、ここから引き出される歴史の教訓とは、たとえそれが誰もが認めてきた‘権威’であったとしても、‘国際機関を妄信してはならない’というものです。コロナ禍を機に全世界の人々が目にしたのは、国際機関には加盟国の国民、否、人類を救おうとする崇高な使命感も意志もさらさらなく、自らの保身のために中国に媚びへつらい、同国の国益のためには他国を犠牲にしかねないトップの姿です。利己的で腐敗を体質とする大国に乗っ取られた国際機関ならば、存在しない方が‘まし’であったのかもしれません。

そして、‘自国民は自国が護らなければ、誰も護ってはくれない’という、国際社会の厳しい現実を嫌というほどに見せつけられることともなりました。これが、第二の教訓です。マスク、防護服、ECMO、人工呼吸器といった医療物資も半ば戦時の‘戦略物資’と化しており、生産量や供給量が限られている以上、何れの国も自国民の命を優先せざるを得ません。しかも中国に至っては、パンデミック化の大罪を背負っているにもかかわらず、医療物資不足の窮地にある他国の足元を見て‘マスク外交’による世界支配を画策する始末です。コロナ禍は、国際組織の腐敗した実態を明らかにすると共に、各国の統治能力、並びに、民間のサバイバル、あるいは、危機対応能力を強く問う方向へと向かったのです。

コロナ禍とは、人類共通の経験です。そして、この共有体験によって、人類が国際組織に対する妄信の戒め、並びに、国家レベルの統治の重要性を歴史の教訓として得たとしますと、ポスト・コロナの時代にあってWHOといった国際機関がさらに権限と影響力を広げ、国際協力をさらに深化させた未来ヴィジョンを描くことは困難です。少なくとも未だに多くの諸国がコロナ危機の只中にある現状にあっては、こうした楽観的な主張は虚しく空に響きます。

コロナ禍封じ込めの失敗の経験を糧とするならば、むしろ、WHOをはじめとした国際機関の機構を抜本的に改革する必要がありましょうし(国際機関は非民主的であり、かつ、腐敗に対して脆弱すぎる…)、そして、その方向性もまた、世界政府のように国家の権限を国際機関に移譲するような、中国好みの中央集権的なスタイルとはならないことでしょう。あるいは、人類は、各国の発信情報を相互に検証でき、また、アイディアや知見を共有し得るような、より分散的な国際協力の在り方を模索するようになるかもしれません。そして、途上国等への支援のあり方も、国際機関や大国への依存度を高めるよりも(依存は時にして支配に直結する…)、自立を促す方向に変わってゆく可能性もありましょう。何れにせよ、国際社会の基本単位でもある国家そのものの統治能力の向上、そして、善き統治を支える民主的で自由な国家体制の再構築こそ、ポスト・コロナの時代にあって人類が取り組むべき課題のように思えるのです。


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全国民ウイルス検査実施の薦め

2020年04月18日 13時43分11秒 | 国際政治

 中国との癒着によりすっかり信用を落としてしまったWHOですが、一先ずは、全世界に向けた新型コロナウイルスに関する情報発信は継続しているようです。昨日、4月17日にも、集団免疫に関する見解を公表しておりました。公表者は悪名高きテドロス事務局長ではなく、緊急事態対応を統括するマイク・ライアン氏ですので、同発言を頭から否定する必要はないのでしょうが、「抗体に効果があったとしても、多くの人が新型ウイルスに対する抗体を既に持ち、これによりいわゆる‘集団的な免疫’が獲得され始めていることを示す兆候はほとんどない」と述べています。

 同発言に先立って、WHOは、感染者の抗体産生についても疑問を呈していますので、抗体に関する関心の高さが伺えます。実のところ、新型コロナウイルスについては、その発生から日が浅いこともあり、その特性は十分には解明されてはいません。人工ウイルスであったとしても、その作成者でさえ、同ウイルスの多面的有害性や時間経過に伴うリスクを完全には把握し切れていない可能性さえあります。塩基配列の変異のみならず、生物では、同一の遺伝子が複数の役割を果たしていたり、予想外の波及的な作用を及ぼすことがままあるからです。新型コロナウイルスの場合には、証明はされていないもののHIVとの共通性が指摘されており、人体の免疫システムに何らかの阻害作用を及ぼしている可能性も否定はできないのです。

実際に、発生現地である中国のみならず、日本国内をはじめとした諸外国でも、ウイルス検査の結果、陰性の判定を受けた感染者でも退院後に陽性となるケースの報告が後を絶ちません。感染者のうちの3分の1には抗体が産生されないとする報告もあります。WHOの判断が主として中国からの情報に依存している点を考慮しますと、冒頭で述べた集団免疫に対する否定的な見解も、武漢において実施された、あるいは、実施中とされる大規模な抗体検査の結果を受けてのことかもしれません(もっとも、中国が正確な情報をWHOに伝えているとは限りませんが…)。

何事にあっても情報が錯綜する中での判断は難しいのですが、ここで立ち止まって、集団免疫とコロナ禍脱出策との関係について考えてみる必要があるように思えます。上述したように、抗体は産生されても短期間でその効力が消滅する、あるいは、3分の1の感染者には抗体ができないのであるならば、人口の大半が抗体を保持することで感染拡大が収まる状態、即ち、集団免疫の獲得は難しくなるからです。また、同時にこのことは、集団免疫を人工的に造りだすワクチンの集団予防接種も無意味となることを意味します。そして、抗体検査による「免疫証明書」も、その証明力は100%ではなくなりますし、回復者の抗体投与に期待する血漿治療にも影響を及ぼすことでしょう。新型コロナウイルスの抗体の如何は人類の行方を大きく左右するといっても過言ではなく、特に集団免疫に関しては、何れの国も、それを達成すべき目標とすべきか、否かの重大な岐路に立たされることになります。

仮に、WHOの説明が正しければ、正反対の二つの状態が想定されます。第一の可能性は、新型コロナウイルスがかくも全世界規模で猛威を振るいながらも、未だ多くの人々が同ウイルスに感染していない状態です。同ウイルスの感染力は、多くの無症状の人々が抗体を産生する程には高くなく、この状態では、抗体検査でもPCRでも多数が非感染者と判定され、感染者は全体に対して少数にとどまっています。第二の可能性は、同ウイルスの感染力は相当程度に高く、無症状ながらも多数の人々が既に感染しているものの、同ウイルスの免疫システム阻害作用により抗体を産生できないため、免疫保持者にはカウントされないというものです。後者は、抗体検査では抗体(免疫力)を確認できなくとも、体内のウイルスの有無を調べるPCRではしばしば陽性となり、こうした‘隠れ感染者’の存在により第一の可能性とは逆に感染者が多数となります。

 ハーバード大学の研究では集団免疫の獲得に至るまでには2年はかかるとする試算もあるそうですが、感染者が全体に対して少数となる状態、あるいは、その逆に感染者が全体に対して多数の状態の何れであったとしても、集団免疫を目標とすることには高いリスクを伴います。前者の場合には、健康な非感染者まで一生涯ワクチン漬けにしなければ目標に到達できませんし、同ウイルスに対する人体の抗体生産力の脆弱性を示す後者の場合には、そもそも集団免疫獲得は殆ど不可能であるからです。

 結局、新型コロナウイルスの感染力を失わせる、あるいは、体内から完全に除去する治療法等が開発されるまでの間、前者の場合には、少数の感染者に対して隔離的な措置を採り、後者の場合には、医療体制を大幅に増強して重篤化した感染者に対応するしかなくなるのかもしれません。もっとも、こうした重大な決断を下す前にあって必要不可欠な基礎的作業となるのは、何れの国であっても自国内の正確な感染状況の把握です。WHOの見解を鵜呑みにせずに、自国の患者の症例等から、前者であるのか、あるいは、後者であるのか、まずは自らの手で確認する必要があるのです(実態調査の結果、集団免疫が獲得されている可能性もないわけではない…)。

このように考えますと、他者に対する感染リスクの低い人々を経済活動に復帰させるためにも、ここは、全国民に対するウイルス検査を実施すべきなのかもしれません。そして、もしかしますと、精度の高い日本企業の検査キットを用いた全員検査の方が、国民に対して一律10万円を給付するよりも、余程、コロナ危機脱出には貢献するかもしれないと思うのです。


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生命・健康と経済が両立する道はあるのか?

2020年04月17日 13時43分42秒 | 国際政治

新型コロナウイルス禍によって、今日、全人類が直面している困難な問題は、生命・健康と経済の両立です。現状では、前者をとれば後者を犠牲にし、後者を優先させれば、前者を犠牲にすることになりかねないからです。両者の両立は至難の業なのですが、この問題を解決させるには、ウイルス検査を目的別に分けて実施するのも一案なのではないかと思うのです。そこで注目されるのは、本日の日経新聞に掲載されていた民間企業によるPCR検査の受託に関する記事です(4月17日付朝刊11面)。

同記事によれば、コニカミノルタ社は、同社傘下の米アンブリー・ジェネティクス社を通して、アメリカ国内で顧客企業に対してPCR検査を請け負うそうです。現状では実施国はアメリカに限られているようですが、日本国内での受託についても前向きに検討していると報じています。アメリカ国内では自宅勤務に伴って通販需要が増加しており、通販事業者の従業員に対するウイルス検査の実施を求める声が高まっているそうです。つまり、ウイルス検査で陰性判定を受けた従業員のみが勤務する状態となれば、人と人とが接触する機会となる宅配便を介した感染拡大を防ぐことができるのです。

ウイルス検査で陰性判定を受けた人のみによる勤務は、通販事業者のみならず、全ての企業にも応用することができます。検査の精度には疑問がもたれてはいますが、少なくとも、PCRの陰性であれ、抗体検査の陽性であれ、他者に対する感染力については、一先ずは微弱であるものと推定されます。全ての社員を対象に無差別に自宅勤務を強いるよりも、ウイルス検査によって選別し、通常のオフィス勤務が可能な人々については平時の出勤形態に戻す方が、経済に対するダメージを抑えることができます。同時に、感染判定や無抗体判定を受けた人々については、自宅勤務が可能な仕事内容に変えたり、配属転換を行えば、雇用を維持する、即ち、失業による生活不安を解消することもできます。

もっとも、ウイルス検査数を増やせば、しばしば指摘されているように医療崩壊が発生するリスクが高まり、生命・健康と経済が両立しなくなる恐れがあります。感染判定を受けた人々が病院に殺到する事態ともなれば、医療機関のキャパシティーを超えたイタリア、スペイン、ニューヨーク等の二の舞となりましょう。ここに、ウイルス検査の目的を二つに分ける意義を見出すことができます。つまり、企業が行うウイルス検査はあくまでも勤務形態の振り分けを目的とし、医療機関や保健所で実施される治療目的の検査とは区別するのです。企業で実施したウイルス検査で感染性のリスクが判明した人々は、発症しない限り、これまで通りに感染性を失うまで自宅勤務、あるいは、ホテル等の感染者収容施設において職務を継続することとなります。

民間企業によるウイルス検査の広範な実施に伴い、日本国の感染者数が数としては増加したとしも、それが事実であれば、むしろ国民が自らが置かれている状況を正しく知る上では歓迎すべきことです。ネット上には、実際の感染者は、ウイルス検査の精度の低さを根拠に公表されている数よりも少ないとする説と逆に多いとする説の両者が唱えられていますが、ウイルス検査の実施は、どちらの説が正しいのかを確認する機会ともなりましょう。仮に、前者であれば、重篤患者の激増による医療崩壊の可能性は低下しますし、後者が現実であれば、長期的な健康への影響や治療の必要性の問題については別としても、既に日本国内では集団免疫が成立しているのかもしれません。また、感染者と非感染者が拮抗している場合には、逆に、無症状の感染者のみによる職場を設けるという方法もありましょう。

何れにしましても、勤務形態を選別するためのウイルス検査の実施は、比較的安全な状態で経済活動を再開することができますので、メリットの方がデメリットを上回るように思えます。仮に問題があるとすれば、それは、感染者差別というものに起因するウイルス検査に対する人々の恐怖心かもしれません。しかしながら、誰もが意図せずして感染者となる可能性がありますし、将来的には、画期的な治療法も確立するでしょうから、社会全体の寛容さこそ培うべきかもしれません。生命・健康と経済の両立させるために必要なのは、事実を知り、それを受け入れようとする勇気なのかもしれないと思うのです。


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対コロナ給付政策に潜むリスク

2020年04月16日 12時41分48秒 | 日本政治

 新型コロナウイルス禍の経済に対するダメージは当初の予測を遥かに超え、IMFをはじめ、エコノミストらも全世界で500兆円を越える巨額損失を被ると予測しているそうです。各国政府は、800兆円を超える財政出動を以ってコロナ禍に対応しようとしており、日本国政府も夏頃にはコロナ禍によって所得が半減した世帯や事業主を対象とした給付を開始するとも報じられていますし、国民一律10万円給付案も浮上しています。生計や事業存続の危機に直面している人々を支援するという意味においては必要とされる政策なのですが、それに潜むリスクに思い至ってみますと、いささか考えてみるべき点もあるように思えます(政府は、リスク面については殆ど語っていない…)。

 世論調査等によりますと、国民の多くが政府に対してより迅速、かつ、十分な額の給付を求めており、国や地方自治体から休業を要請された事業者の方々への補償を要求する声もあります。国民の窮状を前にして政府は冷淡であり、かつ、‘けち’であると…。確かに、国民が危機とあれば、全ての財を投げうって救済するのが善い政府なのかもしれません。その一方で、長期的なマイナス影響を考慮しますと、ことはそう簡単ではないようなのです。

 もとより財務省は、消費税率を引き上げるに際して、世界一とされる国債の巨額残高を示し、日本国の財政が危機的状況にある点を強調してきました。円建てによる国債発行のため、ギリシャやアルゼンチンのようにデフォルトの危機に陥ることはないものの、国債の価格が暴落したり、不安感から投資家等に投げ売りされたりする事態になれば、日本経済は立ち行かなくなるからです。仮にこの説が正しければ、あるいは、一律10万円給付だけで12兆円ともされる巨額の財政出動を行えば、近い将来、日本国は財政破綻の危機に瀕します。コロナ禍では、個人所得の減少に加えて赤字決算となる企業も続出しますので、所得税も法人税も共に激減することでしょう。そして、財源は国債頼りとなりましょうから、コロナ禍収束後の財政破綻の回避を目的とした大規模な増税が実施されることでしょう。紆余曲折の末に10%に上げたばかりの消費税率も、20%あるいは30%とその率を上げてゆくかもしれません。

 こうした従来の財務省の立場からしますと、上記の増税シナリオは必然的な展開ともなるのですが、実のところ、政府には、財政破綻を避ける奥の手があります。それは、中央銀行による公債に引き受けです。独自の給付政策を実施する地方自治体も少なくありませんので、いざとなれば、中央銀行は、直接、あるいは、市中から間接的に国債のみならず地方債をも買い取るかもしれません。今日、中央銀行の独立性は保障されていますが、事態の緊急性に鑑みて、政府は中央銀行に公債引き受けを迫ることでしょう(あるいは、中央銀行が独自に判断するかもしれない…)。中央銀行の公債引き受けはいわば‘打ち出の小槌’であり、無限大にマネーを供給することができます。売戻条件を付さない買い切りオペであれば、事実上の‘政府紙幣’を意味します(この側面は、通貨発行益の是非や配分問題でもある…)。しかしながら、この手法にも重大なデメリットがあります。それは、悪性のインフレを引き起こしかねない点です(なお、コロナ禍の場合、特定の市場に投機マネーが流入したり、海外に緩和マネーが流出する可能性は低い…)。

従来の恐慌や不況とは違う新型コロナウイルスの最大の問題点は、生産やサービス活動を休止せざるを得ず、需要がありながら供給を満たせない点にあります。言い換えますと、今般のコロナ禍は、インフレが起きやすい条件を備えているのです。仮に、失業者が増加の一途を辿る状態で物価のみが上昇してゆく悪性のインフレが発生すれば、‘インフレは隠れた増税’と称されるように、全般的な物価高によって家計が圧迫されるのみならず、国民の金融資産も目減りしてゆきます。預貯金のない若者層は影響を受けない、あるいは、学費等の借り入れ等では有利となりますのでインフレを歓迎するかもしれませんが、退職後に備えて堅実に資金を積み立ててきたシニア以上の世代では老後の生活に不安を感じることでしょう。そしてもちろん、公的年金制度も無傷でいられるはずもありません。

後者を選択すれば、消費税増税は必要がないことにもなるのですが、どちらを採りましても難があり、長期的には国民の大半が苦境に陥ることも予測されます。それでは、今後、事態はどのよう推移してゆくのでしょうか。少なくとも、コロナ禍によって税収の大幅な減少が予測される中、日銀による公債引き受けなしで100兆円を越える新規国債が市中で消化される見込みは薄く(アメリカでは、株式市場からの逃避マネーは国債に流れなかった…)、政府は、財源を否が応でも中央銀行に頼らざるを得なくなると予測されます(GPIFによる購入もあり得るものの、最近、ポートフォリオを外国債の購入割合を拡大させている…)。となりますと、政府の巨額財政出動によってもたらされる最も可能性が高いシナリオとは、中央銀行による公債引き受けによる悪性のインフレ発生となりましょう。通貨価値の低下に加え、コロナ禍による各国の生産停止の影響による輸入の減少や穀物不足も報じられている折、人々は物価上昇にも直面するかもしれないのです。

 ここまで書いてゆきますと八方塞がりのようなのですが、悪性インフレの発生を防ぐための手段が全くないわけではありません。それは、増税あるいは中央銀行の売りオペによる余剰マネーの吸い上げ、並びに、国内における生産と消費の維持です(もっとも、全面的な価格統制という手段もありますが、この方法ですと、社会・共産主義体制に移行してしまう…)。つまり、インフレの原因となる余剰マネーを、官民の何れかが吸収しなければならないのです。もっとも、増税は、それが上述したような財政再建を目的としたものではなくとも、インフレが亢進する不況下にあっては国民の反発を招きますし(あるいは、富裕層を課税ターゲットにする?)、中央銀行の売りオペでも、公債の信頼性が低下している状況下では引き受け手が現れないかもしれません。

となりますと、最後に残された道は、生産と消費の維持となりましょう(もちろん、官による上記の吸収策の併用もあり得ますが…)。厳格な都市封鎖を実施した諸外国では失業者が激増しており、日本国もまた、コロナ禍の長期化により同様の問題に直面する可能性があります。外出や各種サービス業の営業自粛が要請されている状況下にあって、経済活動の維持は困難な課題なのです。それでも官民を挙げて、コロナ経済に合わせた積極的な起業、転職、並びに産業間の移動を促し、生産と消費の両面を支えることができれば、財政出動によるリスクは軽減されます。その際、脱中国をもかねた国産化や内製化、そして、‘バイ・ジャパン’も有効な手段となりましょう。もっとも、仮に悪性のインフレを阻止できない、すなわち、国内での生産と消費を維持できないのであるならば、政府による財政出動は、‘ばらまき政策’よりも、コントロール可能な規模にとどめた方が経済破綻のリスクは低いということにもなります。

経済は生きものとも申します。仮に新型コロナ禍に勝者があるとすれば、それは、生態系に近い柔軟性と多様性を備えた経済であるのかもしれないと思うのです。

 


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