万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

国連機関トップは抽選制を採用しては?-中国の’ポスト漁り’問題

2021年05月31日 12時36分28秒 | 国際政治

 軍事及び経済の両面において大国に伸し上がった中国は、国際機関の’ポスト職漁り’に奔走しています。現状にあって、国連に設置されている15の専門機関の内、国際電気通信連合(ITU)、国連食糧農業機関(FAO)、国際民間航空機関(ICAO)、並びに、国連工業開発機関(UNIDO)の4つの機関において中国人がトップを占めています。WHOのテドロス事務局長の親中ぶりは既に知られるところですが、中国人が直接にトップの椅子に座らなくとも、他の国際機関でも、中国に擁立されているトップは少なくないのです。中国による国際機関の’ポスト漁り’で問題となるのは、凡そ以下の2点です。

 

 第一の問題点は、中国による票の’買収工作’です。国際機関の多くは、トップの選出に当たって凡そ加盟国間による多数決に基づく投票制度を採用しています。いわば、国際社会にあって、完璧ではないにせよ、加盟国を’有権者’とする民主的制度が取り入れられているのですが(各専門機関によって多少選出制度には違いはある…)、非民主国家である中国は、この制度の弱点を悪用しています。何れの民主主義国家にあっても、国内の何れの選挙に際しても立候補者や政党による票の買収が問題となり、刑罰を科すなど様々な対策を講じています。ところが、国際機関の選挙にあっては、票の買収工作に対する取り締まりの仕組みがありません(時には、個人的な買収ではなく、政府に対する支援であることも…)。賄賂文化は、共産主義体制下にあっても中国の伝統的な政治文化なのですが、この悪しき腐敗体質が、国際社会にあっては国際機関の’ポスト漁り’として表面化しているのです。言い換えますと、国際社会における民主的制度は、民主主義を否定する大国によって崩壊寸前に追い込まれていると言えましょう。中国による積極的な’買収工作’が存在しなければ、中国人が、これほど多くの国際機関において要職を占める事態はあり得ないことなのです。

 

 第二の問題点は、中国による権力の’私物化’です。中国が国際機関のトップを狙う動機は、名誉や権威を求めて「○○機関トップ職」というタイトルを得るためのみではありません。より国家戦略的、あるいは、実利的な目的があります。この側面については、新型コロナウイルス感染症のパンデミック化に際してのWHOのテドロス事務局長の動きを見れば一目瞭然です。また、2015年から中国人の柳芳氏が事務局長を務めるICAOでは、総会から台湾を締め出すと共に、ITUでも、趙厚麟事務総局長が「一帯一路構想」との協力を推進し、ファウェイ押しの発言も見られるそうです。国際組織を中国の下部組織へと改革し、これらに付随する国際利権をも独占することこそ、世界支配に向けた国家戦略なのです(中国の背後には、超国家権力体が控えているのかもしれない…)。

 

 以上に2点ほど中国による国際機関に’ポスト漁り’の問題について述べてきましたが、この状態を放置しますと、中国人をトップとする国際機関が増加してゆくこととなりましょう。2020年3月に行われた世界知的所有権機関(WIPO)の事務局長選挙では、かろうじてシンガポール出身のダレン・タン氏が当選しましたが、決戦投票に残った対抗馬は、中国出身の王彬穎氏でした。WIPOのトップまで中国が握るとなりますと、その数のみならず、知的財産権に関する制度そのものが危機に晒されるリスクもあり、冷や汗が出るような一幕もあったのです。

 

 もっとも、WIPOの事務局長選にあって中国の躍進にストップがかかったことは、国際社会において中国警戒論が広がっている証左でもあります。このことは、上述した問題点に関する理解や認識が国際社会に広がっていることをも意味しますので、トップの人選に関する制度改革は国際世論の支持を得ることでしょう。日本国政府は、自国出身者を国際機関のトップに据える戦略を描いているようですが、他の諸国が、中国と同じように買収工作も厭わずの行動をとれば、国際機関の腐敗をむしろ加速化させてしまうリスクもありましょう。ミイラ取りがミイラになってはならないのです。

 

現実に照らして、不正なき自由で公平な選挙の実現が難しいのであれば、国際機関のトップを抽選制とするのも一案であるように思えます。古代ギリシャの民主的制度は、投票制よりも抽選制が主流であったのですが、国際機関のトップという役職が、全ての加盟国に対して開かれるとなりますと、様々なプラス方向への変化が期待されます。国際機関には、中立・公平性が強く求められており、否、これこそが国際機関がその職務を果たすための絶対条件です。少なくとも、国際機関のポストが、事実上、資金力がものを言う’買官制度’と化し、国際的な権力が私物化されるよりは、遥かにましであると言えましょう。

 

今年の2月には、WTOの事務局長にナイジェリア出身のンゴジ・オコンジョ=イウェアラ氏が選ばれましたが、この事例は、途上国出身者でも、事務局長を務めるに際して問題がないことを示していますし、WHOのテドロス事務局長も出身国はエチオピアです。抽選制であれば、事前に結果は予測できませんので、選出に際して背後で巨額の買収資金が動く懸念は低下します。また、途上国にとりましても、国際機関にあって大役を務めるチャンスやその実務的な経験は、国際社会に対する責任感が増すと共に、統治能力の向上や自国の自立的な発展にも資することにもなりましょう。

 

もっとも、抽選によるポスト就任後にあって、中国や超国家権力体等からマネー攻勢を受けるリスクは残りますので、通常の業務における透明性の確保や腐敗防止も課題となります。何れにしましても、人類は、国際機関が特定の国や勢力の下部機関と化す事態は阻止せねばならず、国際機関に関する制度改革は急ぐべき課題ではないかと思うのです。


陰謀の存在認定こそ最大のリスク管理では

2021年05月28日 11時58分57秒 | 国際政治

 武漢における新型コロナウイルス感染症の発生報告が報じられたその時から、同ウイルスは武漢ウイルス研究所漏洩したのではないかとする説が実しやかに囁かれるようになりました。’悪事は万里を走るが’如く、同説は世界大での拡散することとなったのですが、これに危機感を抱いたのか、いち早く野生動物起源説を主張した中国政府は、頑なに同説を否定し、その打ち消しに躍起となってきました。中国の打ち消し工作が功を奏してか、同国の息のかかったWHOも、遅ればせに現地調査を実施はしたものの、同説が事実である可能性は極めて低いとする見解を示すこととなり、起源をめぐる疑惑は、一旦は、幕が下ろされそうになったのです。ところが、ここに来まして、武漢ウイルス研究所起源説は、再燃の兆しを見せています。同調査結果を不満としたアメリカ政府は、真相を究明すべく、同国の情報機関に対して徹底調査を命じたからです。果たしてこの一連の動きは、何を物語っているのでしょうか。

 

 切っ掛けとなったのは、先日、明るみになった同国情報機関による大統領宛ての報告書です。同報告書には、未だ感染第一号が報告されていない2019年11月の時点にあって、武漢ウイルス研究所の研究員3名が体調不良で入院していたと記されていたとされます。これが事実であれば、体調不良の原因が新型コロナウイルス感染症によるものである可能性は極めて高く、最初の感染は、武漢ウイルス研究所の内部で起きたことになります。同ウイルスは無症状であったとしても感染力を有するとされていますので、自覚のないまま市中を歩き回った感染研究員3名は、スプレッダーとなったことでしょう。当初、有力であった実験用コウモリの海鮮市場への’卸売説’は否定されることとなるのですが、少なくとも、武漢ウイルス研究所起源説は、証明まであと一歩のところまで迫っているのです。

 

 アメリカ政府が本格的に真相究明に乗り出したという事実は、陰謀の存在を誰もが認めざるを得ないことをも意味しています。武漢ウイルス研究所起源説については、日本国内のマスメディアの多くは、どちらかと言えば’どんでも説’の部類として扱っており、ネット上でも、同説を主張する人々、あるいは、中国の公式見解に異議を唱える人々は、陰謀論を信じる愚かな人々として揶揄されていました。陰謀否定論者の立場からしますと、アメリカ政府もまた、陰謀論を信じる愚者であり、情報リテラシーの低い人々ということになりましょう。しかしながら、今や、武漢ウイルス研究所起源説は、根も葉もない陰謀どころか、国際社会における公式の嫌疑であり、れっきとした国際事件です。アメリカ政府のみならず、国連の枠組みにおきまして中立・公平な調査を実施すべき事案ともいえましょう(なお、中国は、アメリカに対する反発から、米国内のウイルス研究所の調査を要求している…)。こうして明るみになった事実には、陰謀否定論を吹き飛ばす威力があるはずです。

 

 新型コロナウイルスをめぐっては、起源に関する疑惑に加え、人工ウイルス説や生物兵器説などの様々な疑いがあります(因みに、フェイスブックは、人工ウイルス説を投稿削除対象から除外…)。今般、各国政府が接種を推進しているコロナ・ワクチンにあっても、副反応や中長期的な健康被害リスクのみならず、成分、効果、持続性、そして、目的に至るまで不透明感が漂っています。こうした謎深き事件に遭遇した場合、陰謀論、とんでも説を以って条件反射的に疑惑を否定してしまう硬直した態度こそ、最も危ういように思えます(陰謀否定論者は、最も陰謀に対して脆弱であり、騙されやすい人ということに…)。陰謀が事実である可能性が高いからです。否、陰謀の存在を否定しては、永遠に事実に行き着くことはできないかもしれません。あり得る可能性として陰謀の存在を認めてこそ初めて視界が開け、水面下に潜むリスクを警戒し、その顕在化に備えることができるようになりましょう。陰謀の存在認定こそ、リスク管理には必要にして不可欠なのではないかと思うのです。


ワクチン開発メーカーがリスクを知らないという事実が怖い

2021年05月27日 12時33分55秒 | 日本政治

 先日、新型コロナウイルスの抗体依存性免疫増強を引き起こす’悪玉抗体(AED抗体)’が発見されたとするニュースが、日本国内を駆け巡ることとなりました。この発見は世界初の快挙なのですが、ここで、一つの重大な問題が人類に突き付けられているようにも思えます。それは、何故、ワクチン開発メーカーは、この事実を知らなかったのか、というものです。

 

 新型コロナウイルスのワクチン開発については、同感染症がパンデミック化した初期の段階から、それを危ぶむ声が支配的な状況にありました。その理由は、新型コロナウイルスが一本鎖プラス鎖RNAウイルスであり、同タイプのウイルスにあってワクチン開発に成功した事例が皆無であったからです。同じくコロナウイルス科に属するウイルスが引き起こすSARSもMARSに対するワクチンも、中長期的には深刻な抗体依存性免疫増強が発生し、承認・実用化するには至りませんでした。こうした前例がありましたので、誰もが、短期間で新型コロナウイルスワクチンが登場してくるとは思いもしなかったのです。ところが、新型コロナウイルスのパンデミック化から1年も経ずして、ファイザー社やモデルナ社、さらには、アストラゼネカ社など、アメリカ、イギリス、中国、ロシアといった軍事大国の大手製薬会社は相次いで新型コロナウイルスのワクチン開発に成功し、救世主の如く、華々しく表舞台に登場してくるのです。

 

抗体依存性免疫増強の現象は、自然感染の場合にも発生しますし、遺伝子ワクチンであれ、不活化ワクチンであれ、あらゆるタイプのワクチンにおいて発生するそうです。いわば、ウイルスから分解生成される抗原に対する人体の抗体生成反応において生じる問題のようです。おそらく、個々の体質によって善玉抗体(中和抗体)、悪玉抗体(AED抗体)、並びに、役なし抗体の出現比率が違っているのでしょうが、少なくとも、’抗体’とは、全てがウイルスの細胞への感染を妨害する善玉とは限らず、その構成比率に、あるいは、出現比率よってウイルスへの対抗能力に違いが生じるらしいのです(なお、この比率は、時間の経過によって変化するらしく、仮に変化するものであれば、長期的な治験は不可欠なはず…)。このため、感染であれ、ワクチン接種であれ、全員とは言わないまでも、一部の人々は、同ウイルスに接した際に3倍感染し易くなることが予測されるのです。

 

懸念されてきたADE抗体の存在が確認された時点で、何れのタイプであれ、新型コロナウイルスワクチンの抗体依存性免疫増強のリスクが確定的となったと言えましょう。そして、このADE抗体の存在こそ、ワクチン製薬会社が、当局から緊急承認を得る以前にあって、あるいは、同製品が一般の人々に使用される以前にあって、絶対に知らなければならなかった事実なはずです。上述したように、開発に先立って最も懸念されていたのは、まさしくこのADE抗体であったのですから。莫大な研究・開発費用を投じたからこそ、短期間で開発されたとされていますが、ADE抗体の存在を把握せずしてワクチンを製造・販売したとなりますと、たとえ、被害者への民事上の損害賠償については政府が肩代わりするという免責契約によって回避できたとしても、倫理的な責任、さらには、刑事責任をも問われることとなりましょう(あるいは、同事実を既に把握していたからこそ、免責を要求したのかもしれない…)。

 

一事が万事であり、ファイザー社の元副社長の方の警告が正しければ(同警告は、内部告発に近いので、同社が既にリスクを把握していた証左とも…)、抗体依存性免疫増強のリスクのみならず、シンシチン遺伝子などに関する他の諸リスクも、今後、世界各国の研究機関等において確認される可能性もありましょう。ワクチン開発メーカーがリスクを‘知らない’、あるいは、‘知らないということになっている’事実が怖いのです。

 

報道によりますと、日本国内でワクチン接種後に亡くなられた方は既に85名にも上っているそうですが、政府は、一向にワクチン接種推進の方針を見直す気配は見られません。ワクチンとの関連性も政府が認めるとは思えず、結局、政府も製薬会社も何らの責任を取ることもなく、煽られるままに摂取した国民の自己責任ということで片づけられてしまいそうです。自らの判断による任意の接種であればこそ、国民は、マイナス情報をも積極的に収集し、賢明なる判断に努めるべきではないかと思うのです。


’ワクチン全体主義’の問題

2021年05月26日 11時30分13秒 | 日本政治

 今般の新型コロナウイルス禍への対応として、日本国を含む各国の政府が推進しているワクチン接種プロジェクト。通常の開発期間を経ずして緊急承認されたワクチンである上に、遺伝子工学を用いた人類初のワクチンの実用化ともあって、様々な未知のリスクが指摘されています。ワクチン・リスクへの不安から接種を躊躇する人も少なくなく、世論も大きく分かれています。ワクチン推進派とワクチン警戒派の両者を比較しますと、両者の関係は、全体主義と自由主義との対立構図と重なるように思えます。

 

 ワクチン推進派の主張の根拠には、集団免疫論があります。実のところ、集団免疫論は、全員ではないにせよ、大多数の人のワクチン接種を前提としています。つまり、6割以上の接種が実現しなければ達成できない集団免疫論に立脚する限り、個人の自由な選択は、論理上は許されないこととなるのです。各自の自由を尊重すれば、接種率ゼロ%もあり得るからです。

 

 何れの政府も、この集団免疫論をワクチン接種政策の基礎理論として採用しているとしますと、如何なる手法であれ、できる限り多数の国民にワクチンを接種させるための策を講じる必要が生じます。立法措置を講じることにより強制的に全国民に接種させるという方法もあるのでしょうが、自由主義国では、この手段は国民からの抵抗や批判を受けやすいという側面がありますので、よりソフトな手法が模索されたことでしょう。そして、その手段として最も効果が期待された手法こそ、マスメディアを総動員し、マイナス情報を規制すると同時に社会全体に同調圧力を醸し出すという、古典的な世論誘導作戦であったのでしょう。実際に、現状を観察してみますと、まさに同作戦進行中と言えそうです。既に、ネット上の書き込みなどを見ますと、’社会全体のために個人が犠牲になるのは当然’、つまり、’ワクチン接種には個人的な自由はない’という主張も散見されます。あるいは、ワクチン接種者を第二次世界大戦時の’特攻隊’に喩える声も聞かれます。

 

 このように、集団免疫論に基づきますと、たとえ自由主義国であったとしても、その政策手法は、限りなく全体主義のものに近づいてゆきます。個に対する全体の優位、厳しい情報統制と情報隠蔽、個人的選択権の否定、社会全体における官製の同調圧力など、全体主義体制の特徴が揃ってしまっています。’上からの一方的な強要ではなく’、’下からの自発的参加’を演出しているところも、案外、全体主義的、否、’人民民主主義的’なのかもしれません。そして、全国民を対象としてワクチン接種を急ぐ背景には、ワクチン・パスポート制度といったデジタル技術による国民徹底監視体制が控えているとしますと、ワクチン接種の推進の目的が、全体主義体制への’体制移行’である可能性も否定はできなくなるのです。集団免疫論は、人々に全体主義を受け入れさせるための口実として利用されているのかもしれません。

 

 それでは、何故、ワクチン警戒は、自由主義と重なるのでしょうか。その理由は、先ずもって、自己に対する個人の自由な選択権を認めているところにあります。しかも、ワクチンの接種は、命や身体に直接的に関わりますので、基本的人権の核心的な部分です。海外勢力からの攻撃のように、全国民が運命共同体となり、生命の危機に直面している状況下にあっては、個の自由が制限されることは受け入れられるかもしれません。しかしながら、今般のワクチンについては、日本国内を見る限り、新型コロナウイルスの感染率、重症化率、並びに、死亡率も1%を下回り、しかも、中長期的なワクチン・リスクが’自滅装置’になりかねない重大な懸念があります。ワクチン懐疑派からしますと、ワクチン推進派は、過剰反応、あるいは、混乱に乗じて不当に他者の自己決定権を侵害しているように映るのです。

 

 また、ワクチン警戒派は、自由な言論空間を保持し、ワクチンのマイナス面についても自由闊達に議論することこそ、適切な判断や危機脱出のためには必要不可欠な要件であると考えています。政府の政策が常に正しいとはみなさず、誤りに備え、修正の機会は常に用意されるべきと考えるのです。一方、ワクチン推進派は、集団免疫の達成という政策目的のためには、言論の自由や報道の自由、そして、学問の自由といった基本的な自由を犠牲にしても構わないと見なしているのでしょう(’目的のためには手段を選ばず’…)。最近の報道には、世論誘導を目的とした明らかなフェイクニュースも見受けられます。同政策手法は、ワクチン警戒派にとりましては悪しき’禁じ手’であり、自由というものの価値を著しく損ねる行為と言わざるを得ないのです。そして、自由を尊重する人々が、ワクチン・パスポートといった国民監視・管理システムの導入に賛意を示すはずもありません。

 

 以上に、ワクチン推進派とワクチン警戒派との主張を比較してみましたが、人類には、全体主義体制の頸木に繋がれていた苦い歴史があります。そして今日なおも、中国といった全体主義国家が軍事大国として全世界に脅威を与えると共に、自由主義諸国もまた、ワクチン接種を機にデジタル全体主義に侵食されつつあります。日本国も決して例外ではありません(報道によれば、政府は、職場接種も検討しているとのこと…)。政治的側面を考慮することなく、また、ワクチンの持つ医科学的リスク情報にも乏しいことから、純粋にワクチン効果に期待している接種派の人々もおられるのでしょうが、国家体制の問題にまで発展しかねないだけに、国民は、徒に誘導されることなく、ワクチン接種を急ぐ政府の姿勢の背景を慎重に見極めてゆくべきではないかと思うのです。


新型コロナウイルスの’悪玉抗体’発見の波紋-ワクチンはやはり危ない?

2021年05月25日 12時54分19秒 | 国際政治

 新型コロナウイルスのワクチンについては、かねてより抗体依存性免疫増強(ADE)が、中長期的なワクチンリスクの一つとして指摘されておりました。抗体が生成されたからといって喜んではならず、抗体には、逆に感染を促進したり、症状を悪化させてしまう’悪玉抗体’も存在しているからです。今般、この’悪玉抗体’が大阪大学の研究グループによって発見されたとするニュースが報じられています。

 

 発見された悪玉抗体は6種類あり、新型コロナウイルスのスパイク部分の先端部分を変質させ、ACE2との結合を3倍強めてしまうそうです。つまり、感染率が3倍跳ね上がってしまいます。報道によりますと、重症化された人ほど’悪玉抗体’を保有している率が高くなりますので、重症化と悪玉抗体との関係性がエビデンスを伴って半ば証明されたとも言えましょう。そして、この発見から、ワクチンに関する幾つかの疑問点が浮かび上がってくるように思えます。

 

 第1の疑問点は、重症化が悪玉抗体の作用によるものであるならば、それは、個人の体質に依存するものなのか、というものです。つまり、同じく新型コロナウイルスに感染しても、重症化する人は、悪玉抗体を生成しやすい体質を有する人に限定されるということになります。仮に、感染者の’悪玉抗体’の生成状態を調べることで事前に重症化のリスクを判断できるならば、国民全員にワクチンを接種させる必要はなくなることにもなりましょう。

 

 第2の疑問点は、コロナ・ワクチンには抗体生成作用がありますので、ワクチン接種により、抗体依存性免疫増強のリスクを抱え込む人が激増するのではないかとするものです。全員ではないにせよ、体質により、一定の割合で体内の免疫反応により悪玉抗体を造ってしまう人が存在するとしますと、ワクチン接種は、感染していない人にまでその機会を与えてしまうことにもなりましょう。コロナ感染率が1%にも満たない現状にありまして、ワクチン接種率が上昇するほどに、将来的に抗体依存性免疫増強による重症者数も比例的に増加する事態が予測されるのです。

 

 第3に疑問となりますのは、非感染者の中にも悪玉抗体を保有している人が存在していることです。この現象は、一体、何を意味するのでしょうか。アジア一帯は古来コロナウイルスに晒されてきた歴史があり、日本人の重症化率や死亡率が低いのは、過去の免疫記憶によるものとする見解もあります(交差免疫…)。新型コロナウイルスに対する’悪玉抗体’も、各種の’旧型コロナウイルス’の感染時に生成された可能性もあるのでしょうが、仮に、無感染状態で悪玉抗体を持つ人が感染により重症化するとしますと、重症化予防は容易となりましょう。すなわち、未知のリスクを負ってまでワクチンを接種するよりも、悪玉抗体検査の方が、遥かに効果的に同感染症に対応し得ることとなります。

 

 第4の疑問点は、中和抗体が比較的短期間で消滅するように、’悪玉抗体’もやがて消えてしまうのか、というものです。この場合は、仮に短期間で消滅するとすれば、抗体依存性免疫増強も発生しないこととなりましょう。もっとも、細胞性免疫においても’悪玉メモリーT細胞’、あるいは、自己免疫性を有する’悪玉キラーT細胞’が生成される可能性もあるのかもしれません。

 

 なお、抗体依存性免疫増強は、他のウイルスによる感染やワクチンでも起こり得るとして、遺伝子ワクチンであれ、何であれ、新型コロナウイルスに対するワクチンばかりを特別視する必要はないとする意見もあります。しかしながら、これは、ワクチン開発に際しては、変異しやすい一本鎖プラス鎖RNAウイルスであるコロナウイルス科のウイルスであるからこそ、共通して直面する問題であるのかもしれません。そして、同科のMARSやSARSにあって抗体依存性免疫増強の発症によりワクチン開発に失敗しつつ、何故、新型コロナウイルスのみ成功したのか、謎は深まるばかりなのです。

 

 抗体依存性免疫増強のリスクは、数ある未知のワクチンリスクの一つに過ぎず、同リスクの他にも重大な健康被害が将来において生じる可能性は否定できない状況にあります。’悪玉抗体’等の研究、並びに、治療薬や治療法の開発によって、国民に重くのしかかるワクチンリスクを回避できるのであれば、それに越したことはないと言えましょう。少なくとも、他に解決方法が存在するにも拘わらず、リスクに目を瞑りつつ全国民を対象にワクチン接種を進めようとする政府の方針には、疑念を抱かざるを得ないのです。


オリンピックは民間興行or国家イベント?

2021年05月24日 12時34分45秒 | 国際政治

 クーベルタン男爵の提唱から始まった近代オリンピックは、平和の時代の象徴としての古代オリンピック精神を受け継いだアマチュアリズムにその真髄がありました(古代ギリシャの諸都市国家には、オリンピックの開催期間のみ、戦争を行わないという伝統があった)。国旗を背負った選手たちが、戦場ではなく、競技場にあって、国家の名誉をかけて真剣勝負に臨むのですから、人々は自ずと熱狂することとなったのです。そこには、純粋な愛国心はあっても、商業主義が入り込む余地は殆どなかく(競技(戦争)を見世物にすることはあり得ない…)、むしろ、同精神からしますと、オリンピックが営利目的のショーとなるなど、その創始者たちは想像さえしていなかったことでしょう。

 

 しかしながら、戦後のテレビの登場は、オリンピックを著しく変質させることとなります。テレビなき時代にあって、海外で開催されているオリンピックでの競技の様子を人々が知る手段は乏しく、新聞での報道を待つか、あるいは、ラジオによる実況などに頼るしかありませんでした。新聞やラジオ等では臨場感に欠けていたのですが、テレビの登場は、この状況を一転させることになります。誰もが、テレビを前にしてオリンピックの競技会場での観客と同じ視線、あるいは、それ以上に近いところから競技を観戦できるようになったからです。しかも、アナウンサーや専門家による詳しい解説も付くのですから、オリンピックは、’興行’としての価値が飛躍的に跳ね上がることとなったのです。

 

 この変化にいち早く目を付けたのが、長らくIOCに君臨したかのサマランチ会長であったと言えましょう。同会長は、アマチュア精神を骨抜きにし、オリンピックを巨万の富を生み出す世界最大のスポーツ・イベントに変えてしまったのです。ところが、オリンピック本体は、商業主義をベースとした興行に衣替えしても、IOCと開催地との関係については、この変化に対応した見直しが行われたとは言い難く、旧来の方式が踏襲されてきました。そして、この問題は、今日、東京オリンピック・パラリンピックの開催をめぐる混乱として表面化してきているように思えます。

 

 アマチュア精神の下でオリンピックが開催されていた時代には、開催地が、資金的な負担をすることは当然のことでした。何故ならば、IOCには収益はなく、選手たちも手弁当で参加していることを前提としていたからです。オリンピックには権威や名誉はあっても、’無一文’と見なされていたからこそ、観客向けの観光業収益など派生的な利益も期待でいる開催地の負担は、その国の政府も国民も快く受け入れていたと言えましょう。

 

 しかしながら、オリンピックが一大興行とへと変質したとしますと、同前提条件は、今や大きく崩れています。オリンピックは、もはや全人類の公的なイベントではなく、営利目的の民間興行事業の一つに限りなく近くなってしまったからです。ところが、IOC側は、公的事業の衣を着たままに’従来の権利’を主張する一方で、開催都市、並びに、各国政府ともオリンピックをこれまで通りに公的なものとして扱っています。このため、開催都市やその国の政府は、自らの予算、即ち、国民負担の下で巨額の開催費を支出し、メイン・スタジアムをはじめ、各種競技の会場や交通アクセスまでも整備にまえ予算を割いています。国家を挙げての行事として位置づけられおり、今や、海外の選手団を指定された開催国の市町村や学校が応援するなど、公的な関連行事まで登場しています。因みに、東京オリンピック・パラリンピックのケースでは、当初予算は6000億円ほどとされていましたが、今では、その5倍の3兆円にまで膨らんでいます。しかも、オリンピックの開催には経済効果もあるとされながら、現実には、開催後に財政赤字に苦しむ開催地も少なくないのです。

 

一方で、IOC側は、放送権や関連グッズの商標権使用料やチケット収入などにより、莫大な利益を上げているのですから、ここに、明らかな不合理、あるいは、不条理が認められます。民間興行であれば、興行会場は、自らのコストで建設する、あるいは、使用料を払って借りるものですし、参加する選手たちにも出演料を支払う義務があります。一民間事業者のために政府が交通アクセスの便宜を図るはずもなく、公的な関連イベントが実施されることもありません。宣伝やチケット販売等も、自らが行わなくてはならないのです。仮に、興行が中止されることがあったとしても、その興行開催地の政府は、何らの責任を負う立場にもありません。否、仮に、興行の開催により、現地の住民等に何らかの被害が及ぶことにでもなれば、損害賠償の請求先は、興行事業者となりましょう。

 

先日、アメリカのワシントン・ポストが、‘ぽったくり男爵’としてIOCのバッハ会長を痛烈に批判しましたが、この批判は、上記の不条理からしますと根拠のないものではありません。オリンピックは、既に大きく変質しており、その実態は民間営利団体でありながら、あらゆる負担を開催都市、並びに、開催国とその国民に押し付けているのですから。今夏に予定されている東京オリンピック・パラリンピックの行方は未だ定かではありませんが、何れにしましても、オリンピックの公私の線引き問題、即ち、国家との関係については、抜本的な見直しを要するように思えます。アマチュア精神を取り戻すのであれば、開催地国民の負担を考慮し、各国持ち回り制度でも成立する程度によりコンパクトで低コストの大会を目指すべきでしょうし、営利追及路線を歩むならば、IOCを完全に’民営化’し、数ある民間興行事業者の一つと見なした上で、全てのコストはIOC負担とすべきではないでしょうか。


アストラゼネカ承認に見るワクチンの血栓リスク

2021年05月21日 12時39分42秒 | 日本政治

 本日、日本国の厚労省は、正式にモデルナ社、並びに、アストラゼネカ製両社のコロナ・ワクチンを承認しました。とりわけ、後者の製品については、’極めて稀なケース’としながらも、既に欧州医薬局が血栓発症との関係を渋々ながら認めているだけに、ワクチンに対する不安、否、日本国政府の姿勢に対する不信感を強めた国民も少なくなかったことでしょう。明確なリスクが判明していながら、既定路線を言われるままに歩くが如く、あっさりと承認してしまったのですから。

 

 アストラゼネカ社のお膝元であるイギリスでは接種が継続されているものの、同社ワクチンに対する態度を二転三転させたフランスでは、血栓疑惑が事実であると確定したことで、国民の多くが同社のワクチン接種を自ら拒否し、その多くが破棄されているそうです(ドイツでも、当初は予約者多数であったにもかかわらず、同情報が拡散したことにより、実際に接種会場に現れた人の数は激減したとも…)。デンマーク政府に至っては、4月15日にアストラゼネカ製のワクチンの全面使用停止に踏み切っています。日本国政府もメディアも、こうしたマイナス情報を積極的には報じようとはしませんが、アストラゼネカ製のワクチンの周回遅れの承認は、日本国政府が血栓リスクを黙認したと言わざるを得ないのです。

 

現状を見ますと、日本国政府に独立的な医薬品の承認権があるのかどうかも疑われてしますのですが、ワクチンの血栓リスクは、アストラゼネカ製に限定した問題なのでしょうか。ファイザー製のワクチンにあっても、関連性は‘評価’されてはいないものの、ワクチン接種後にくも膜下出血等の病名で亡くなられた方々の事例が報告されています。血栓関連の事象が散見されており、血栓リスクは、コロナ・ワクチンに共通する問題なのかもしれません。そして、思い起こされますのが、新型コロナ・ウイルスに感染した場合にも、血栓の生成が数多く見られる点です。つまり、新型コロナ・ウイルス用に開発されたワクチンであるからこそ、血栓が生じてしまうとも考えられるのです。

 

mRANワクチンであれ、ベクターウイルスワクチンであれ、体内にあって生成されるのは、新型コロナ・ウイルスのスパイク部分の蛋白質です。ワクチン投与によってナノ脂質粒子に包まれたmRNAが注入されますと、細胞内部のリボゾームが翻訳して同蛋白質を造り出します。この時点で、接種者の体内には、大量のスパイク蛋白質が出現することになります。同蛋白質が、樹状細胞などの免疫細胞によって抗原提示されますと(なお、異物を取り込んでしまった細胞も抗原提示を行う…)、獲得免疫系が働き始め、B細胞によって中和抗体が生成されると共に、キラーT細胞も活性化されて異物を取り込んだ細胞も除去されるとされています。

 

ワクチンについては、抗体の効果のみに関心が集まりがちですが(体液性免疫)、短期的な反応としては(細胞性免疫)、スパイク蛋白質を取り込んでしまった自己の細胞へのキラーT細胞による攻撃が起きます。必然的に’自己破壊’が伴いますので(もちろん、抗体による自己免疫疾患のリスクはあり得る…)、この側面にも健康リスクがあるのですが、血栓に関連して素朴な疑問となるのは、たとえmRNAがDNAに逆転写されず、完全に分解されたとしても(DNAに逆転写されなくとも、mRNAが残存するとするリスクもあるらしい…)、これから翻訳されたスパイク蛋白質そのものが体内に残存する可能性はゼロなのか、というものです。

 

 キラーT細胞やナチュラルキラー細胞等がスパイク蛋白質を含む細胞を全て短期間に完全に除去し、マクロファージ等によって分解されればリスクは低下するのでしょう。しかしながら、免疫反応が弱くて完全除去ができない、あるいは、マクロファージ等が分解し切れない場合には、スパイク蛋白質のみが残ってしまうケースもあるように思えます。これらの一部は血管やリンパ腺に流れ出ることもあり得るのかもしれません。そして、仮に、スパイク蛋白質そのものに血栓生成作用があるとしますと、血栓の発生は、スパイク蛋白質のmRNAを用いた全てのワクチンに共通するリスクとなりましょう。また、コロナ・ウイルスのスパイク蛋白質には、血栓の生成以外にも何らかの有害な作用を中長期的に及ぼす可能性も否定はできず(逆転写やmRANの残存が起きた場合には同リスクはさらに増大する…)、この点も懸念されるところです。コロナ・ワクチンについては、ワクチンによって体内に発生するスパイクタンパク質おいても未知なるリスクがあるように思えるのです。

 

以上に述べましたリスクは私の推測に過ぎませんので、本当のところは、今後の調査と研究に俟つしかありません(この点においても、’人体実験’としか言いようがない…)。しかしながら、ワクチンと血栓との関連性は、未だそのメカニズムが解明されていないとしても、客観的に観察された否定のしようもない事実です。少なくともアストラゼネカ製のワクチンについては、これを好んで接種しようとする国民は殆ど存在しないのでしょうが(一先ず、政府も公式には使用しない方針のよう…)、リスクに目を瞑り、マイナス情報を隠そうとすればするほどに、日本国政府は、国民からの信頼を失ってゆくのではないかと思うのです。


’国策会社化’するグローバル企業

2021年05月20日 12時34分01秒 | 国際政治

 日本国政府が打ち出したムーンショット計画は、紛れもない国家プロジェクトです。ところが、その並べられている目標を見ますと、目眩がしそうです。第一の目標からして「 2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」とあるのですから。イメージ図のイラストを見ますと、未来の人類は、’分身の術’の如くアバターが自らに代わって幾つもの分野で活動し、頭脳はAIが補佐しますし(あるいは、遺伝子組み換えで機能拡張?)、労働もロボットが代替すると共に、人体装着型の労作補助器によって重労働も楽々とこなされています。

 

 ムーンショットのネーミングは、史上初めて月に人間を送り込んだアポロ計画に因んだものなそうです。「従来の延長にない、より大胆な発想に基づく挑戦的な研究開発」を意味しますが、このネーミングからして日本国政府が自ら発案しとは思えません。もちろん、日本国民が望んだわけでもありません。何らの議論もなく、同計画が策定され、日本国の国庫から予算まで配分されているのです。SF小説で描かれた未来ヴィジョンを、わずか30年の余りで実現しようとするあまりにも現実離れした計画なのですが、その背景には、一体、何があるのでしょうか。

 

 今日、合理的には説明のつかない事件の数々を目の当たりにして、陰謀というものの存在を信じる人が急増しています。否、’目が覚めた’という表現が相応しいかもしれません。CIAの元高官は、堂々と事実を隠すために大衆向けに’別の物語’を用意する’カバーストーリー’の存在を認めていますし、政府もマスメディアも、’嘘吐き’であることがその言動によって判明してしまっています。そして、陰謀の存在を前提にしてこそ、理解される事柄が多すぎるのです。夢物語のようなムーンショット計画も、その一つと言えましょう。

 

 ムーショット計画、そして、脱炭素化を含む全世界的な動きの背後にある陰謀とは、おそらく、超国家権力体が長年にわたって温めてきた宇宙移住計画にあるのでしょう。この計画の中心にいるのは、おそらく、地球上に安住の地を得ることができなかったユダヤ人であるのかもしれません。移住先の最有力候補こそ火星であり、イーロン・マスク氏に留まらず、中国までも火星を目指しているのは(中国の報道によると、無人探査機「天間1号」が火星着陸に成功し撮影開始…)、米中間の宇宙開発競争の結果と言うよりも、自らの目的を達成するために、両国に対して競争を煽る勢力、あるいは、双方を裏から操る勢力の影が見え隠れしています。

 

 超国家権力体の目的が宇宙移住であると仮定しますと、「人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会」が意味するところも朧気ながら分かってきます。それこそが、地球外の惑星にあって実現すべき社会であるからです。アバター化やそれを支えるロボット開発が急がれるのは、移住先の惑星では、生身の人が野外で活動することはできず、かつ、恒常的な’人手不足’で予測されるからであり、人体装着型の労作補助装置も、惑星での活動を想定しているのかもしれません。さらには、テラフォーミング、すなわち、不毛の地である惑星を人類が生存可能な状態にするには、高度な環境改変技術も要します。

 

この文脈からしますと、唐突に2050年に達成目標年が設定された脱炭素化とは、生命の歴史のない惑星におけるエネルギー問題の解決策として理解されましょう。化石燃料は、数千万年前から数億年前の植物に由来しており、地球における生命の賜物でもあります。地球外では、植物由来のエネルギー源に依存することはできませんので、宇宙の至る所で得ることができる水素の利用こそ、宇宙移住計画には不可欠の要素であったはずです。そして、量子コンピューターも、惑星間の迅速な通信にとりましては、なくてはならない技術なのでしょう。

 

 イーロン・マスク氏のみならず(火星では電気自動車しか走らせることができない…)、アマゾンの元CEOのジェフ・ベゾス氏など、グローバル企業のトップ達は、揃いも揃ってムーンショット計画と同じ方向を目指して奔走しているように見えます。ITやAIの開発やIoTの推進なども、宇宙移住計画、並びに、それに伴う人類管理計画の一環であるとしますと(ESGなども誘導装置?)、近年、何故、グローバル企業と称される企業ほど、消費者が望んでもいない製品や技術開発に熱心なのか、この謎にも説明が付きます。超国家権力体のまたの名が’ディープ・ステート’であるならば、グローバル企業とは、’ディープ・ステート’の’国策企業’なのではないかと思うのです。そして、’ディープ・ステート’と称されながら、その実、どの国からも国家承認を受けおらず、一部の富裕で利己的な民間人による私的団体に過ぎませんので、宇宙移住計画は、地球の悪しき私物化なのではないでしょうか。ムーンショット計画は、図らずも陰謀の存在証明となったのかもしれません。

 

そして、この計画は、技術的に無理であり、人類に破滅を齎す可能性が大きいとも言えます。「人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会」とは、まさに’死の世界’であると感じるのは、私だけでしょうか。


何故、中国は遺伝子ワクチンを開発・製造しなかったのか?

2021年05月19日 12時09分38秒 | 国際政治

 明日、日本国の厚労省は、モデルナ製とアストラゼネカ社製のワクチンの承認の是非を決定するそうです。後者については、EUの欧州医薬品局は既に血栓症と同社ワクチンとの関連性を認めており、使用を停止する国も少なくありません。厚労省の判断が注目されるところですが、仮に、両社のワクチンともすんなりと承認されるとしますと、日本国政府は、国民の命や健康を軽視している証左ともなりましょう。

 

 日本国内で使用されているワクチン、並びに、使用予定のワクチンは、何れも遺伝子ワクチン(核酸ワクチン)という従来にはない、全く新しいタイプのものです。遺伝子工学における最先端技術を実用化したものであり、人工的に造られたmRNAやDNAが用いられています。このため、短期的のみならず、中長期的なリスクについては全く分かっておらす、人類は、いわば、未知の世界に足を踏み入れたと言えましょう。

 

 その一方で、遺伝子ワクチンには、短期間において安価、かつ、大量に生産が可能というメリットがあります。しかも、人工mRNAの塩基配列を組み替えれば、いかなるウイルスに対しても即応できますので、RNAウイルスのみならず、生物化学兵器による攻撃に対しても高い防御効果を有しています。新型コロナウイルス禍は有事に喩えられておりますので、遺伝子ワクチンは、まさにその強みを十二分に発揮したと言えましょう。

 

 しかしながら、ここで一つの疑問があります。それは、何故、中国は、遺伝子ワクチンを開発し、それを使用しなかったのか、という疑問です。現在使用されている中国製のワクチンは、感染力を失わせたウイルス、あるいは、その一部を使う不活化ワクチンとされています。先日、WHOは、中国の製薬会社であるシノファーム社製のワクチンの緊急使用を承認しましたが、WHOの推定によれば、ファイザーやモデルナといったmRNAワクチンの有効性が90%程度であるのに対して、同社製のワクチンは79%に留まります(因みに、アストラゼネカ製は76%)。また、実際に中国製のワクチンを使用した諸国にあっては、住民の大半が接種したにも拘わらず感染拡大が止まらないとする報告もありますので、79%という数字も怪しい限りです。冷凍保存の必要性はないものの、効果については明らかに見劣りするのです。

 

 遺伝子工学における中国のレベルは、決して低くはありません。新型コロナウイルス生物兵器説も、武漢に設置されているレベル4のウイルス研究所がハイレベルな研究を行ってきたからに他なりません。数年前に、中国では、HIVに感染しないように遺伝子操作された赤ちゃんを誕生させて全世界を驚愕させましたが、倫理・道徳、あるいは、良心という歯止めが存在しない中国では、自由主義国では不可能な非人道的な実験もあり得るのです。

 

中国の先端的な技術力を以ってすれば、遺伝子ワクチンの開発もお手の物であったはずです。13億ともされる人口規模からしますと、中国こそ、遺伝子ワクチンの開発を急ぐ動機があったはずです。しかしながら、中国が選択したのは、不活化ワクチンでした。不活化ワクチンは、その製造過程にあって鶏卵などでウイルスを増殖させる必要もありますので、開発から実用化まで相当の時間を要します。このため、中国が開発を開始した時期を逆算しますと、新型コロナウイルスが出現する以前に遡ってしまい、新型コロナウイルスの起源が武漢のウイルス研究所にあったとする説の信憑性を高めているのですが、何れにしましても、最先端の技術を誇るはずの中国は、敢えて’旧式’の方法を選んだこととなるのです。

 

この選択は、一体、何を意味するのでしょうか。最も単純な推理は、技術力においてアメリカの製薬会社に及ばず、遺伝子ワクチンの開発に乗り出しはしたものの、’失敗’したというものです。特に、mRNAは極めて脆弱であり、細胞内に壊れることなく浸透さるためにはカプセルとなる脂質ナノ粒子の開発、即ち、高度なナノテクが不可欠です。こうした周辺技術において劣るため、中国は、遺伝子ワクチンを開発できなかった、という推理は成り立ちます。

 

あるいは、中国は、ワクチンを戦略物資、あるいは、外交上の取引材料と見なしており、ワクチン開発を自力で行うことができない諸国を‘ワクチンの頸木’で自国に縛り付けておくためには、敢えて不活化ワクチンを選択したのかもしれません。不活化ワクチンは、冷凍保存の必要はなく、冷蔵保存で済みますし、その低い有効性や効果の短期性は、ワクチンの提供先国を自国に長期的、かつ、恒常的に依存、あるいは、従属させるためには好都合と考えたのかもしれません。

 

そして、もう一つの可能性があるとすれば、それは、中国は、実際に、遺伝子ワクチンの開発に成功したものの、人体実験を実施した結果、重大な健康被害が発生することを知ってしまっていた、というものです。中国では、倫理的な拘束がありませんので、既に、遺伝子ワクチンに関する中長期的、少なくとも、3年や5年といった中期的な人体実験が行われていた可能性は否定できません。さしもの非人道国家中国も、遺伝子ワクチンの人体実験の結果報告に血の気が失せてしまったのかもしれないのです(遺伝子ワクチンの失敗を確信し、ワクチン市場を自国製の不活化ワクチンで独占しようとした?)。

 

米中企業が結託して役割を分担し、何れの手法のワクチンが優れているのかを確かめるために、それぞれが市場分割的に実験を行った可能性も否定はできないのですが、最後の推測が事実であれば、遺伝子ワクチン接種には慎重にならざるを得なくなります。何れにしましても、何故、かの中国が遺伝子ワクチンを採用しなかったのか、というその理由の問題については、各国政府、並びに、専門家を含む各国民とも真剣に考えてみる必要があるように思えます。それは、多くの人命を護ることにもなるのですから。


ワクチン・パスポート世論調査の怪

2021年05月18日 12時30分57秒 | 日本政治

ワクチン接種が本格化するにつれ、ワクチン・パスポートに対する関心も高まっているようです。テレビ局や新聞等でも世論調査が実施されているようなのですが、俄かには信じがたい数字が並んでいるのです。同制度を60%超える人々が支持しているというのですから。

 

 世論調査とは、その実、世論誘導のための’数字造り’である疑惑はかねてより指摘されてきたのですが、ワクチン・パスポートに関する調査も怪しさに満ちています。何故ならば、日本国は、mRNAを用いた実験的な遺伝子ワクチンということもあり、ワクチンそのものに対する懐疑がとりわけ強い国であり、今なお、半数以上の人々が接種に対して消極的であるからです。特に、新型コロナウイルスに感染しても無症状者が大多数となる若い世代ほど忌避者が多く、ワクチン接種を希望する人も年齢が低いほど減少する傾向にあります(高齢者にとりましても、決して安全とは言えない…)。即時的な副反応のみならず、遺伝子ワクチンに潜む中長期的なリスクを考慮すれば、ワクチンを接種するメリットは、殆ど見当たらないのです。なお、ファイザー製ワクチンを使用したイスラエルにあって、独立した専門家組織であるイスラエル人民委員が調査した結果、死亡率は、若年層ほど上昇したそうです(前年比で平均22%の増加ですが、20から29歳の年齢層では凡そ32%増加…)。

 

 メディアが報じる程には、ワクチン接種希望者が高くない現状は、様々な特典を用意して接種に誘導しようとする行政側の対応からも伺えるのですが、一方、ワクチン・パスポートとは、若い世代を含めた現役世代が接種しなければ成り立たない制度です。これらの世代が経済・社会活動の主たる担い手なのですから。つまり、世論調査に見られるワクチン・パスポートに対する高支持率と実際のワクチン接種希望率との間には、著しいギャップが見受けられるのです。ワクチン接種は忌避しながら、ワクチン・パスポート制度の導入だけは支持するという態度は二重人格者のようであり、本来あり得ないのです。

 

 また、ワクチン・パスポートの制度設計からしましても、問題が山積しています。ワクチン効果は永続的ではありませんので、同制度を恒久化しようとすれば、一年に一回や二回といったペースでワクチンを生涯にわたって打ち続けなければならなくなります(若年層ほど、添加物を含めた成分の長期的蓄積による健康被害のリスクが増大…)。ワクチン効果を回避する変異株が出現すれば、その回数はさらに増えることとなりましょう。また、ワクチン効果の持続性については個人差もありまし、ワクチンは他者への感染そのものを防ぐわけではないそうですので(他者への感染には、体内におけるウイルスの増殖を伴うので、重症化は防げても他者に対する感染は防げないというワクチンは、あり得ないのでは…)、必ずしもパスポートは、所持者が感染源とならないことを証明することにもなりません。抗原検査やPCR検査を併用するという案もありますが、この案ですとワクチンの接種圧力は緩和されるものの、無感染性の証明力の持続期間に関する脆弱性があります。

 

 それでは、何故、メディアは、ワクチン・パスポートに向けて国民に同調圧力をかけようとしているのでしょうか。おそらく、政府、あるいは、その背後に控える超国家権力体が、ワクチン・パスポート制度こそ、全国民にワクチンを接種させるための’最終手段’と考えているからなのでしょう。否、同制度こそ、全人類をデジタル監視体制の下に置くためのプラットフォームであり、最終目的を達成するための手段なのでしょう。そして、同制度は、法的根拠が欠けていますと導入できませんので、政府は、立法に向けた布石として世論調査の数字を利用したいのかもしれません。国民の大多数が支持しているとして。

 

 治療薬による事態の収拾もあり得るにも拘わらず、ワクチン接種、並びに、ワクチン・パスポートの導入のみがコロナ禍脱出の唯一の道のように煽る姿勢は、不自然としか言いようがありません。しかも、国民に使用される遺伝子ワクチンの安全性も保障されてはいません。近年、世論調査の信頼性は低下の一途を辿っているのですが、ワクチン接種推進に加え、ワクチン・パスポート制度に関する政府とメディアの動きにも要注意なように思えるのです。捏造された民意、あるいは、国民の要望を装って、自由主義国にあっても国民徹底監視・管理体制が敷かれるかもしれないのですから。


ウイルス研究にも核兵器並みの査察制度を-’隠れ生物兵器’の問題

2021年05月17日 12時10分26秒 | 国際政治

 新型コロナウイルスについては、発生当初より、武漢に設けられているレベル4のウイルス研究所からの漏洩説が信憑性を以って語られてきました。その背景には、中国による生物兵器の研究があり、兵器のハイテク化に走る同国には、強毒、かつ、感染力の高いウイルスを開発する動機があったからです。その一方で、アメリカ、イギリス、ロシアといった諸国がいち早く新型コロナ・ワクチン開発に成功したのも、生物兵器の使用に備えた長期に亘る軍事研究があったからとも指摘されています。今般の新型コロナウイルスのパンデミック化、並びに、即応的なワクチン提供の背後には、水面下で繰り広げられてきた生物兵器をめぐる軍事大国間の攻防戦が見え隠れしているのです。

 

 現実にあって’隠れ生物兵器’の存在が推測される一方で、国際社会にあっては、生物兵器は全面的に禁止されています。その歴史を遡りますと、第一次世界大戦後の1925年6月17日に署名された「毒ガス等禁止議定書」に行き着くことができます。同議定書の正式名称には’細菌学的手段’が明記されており、当時にあって、既に生物兵器が人道に反する兵器として認識さえていたことが分かります。第二次世界大戦後には、1972年4月10日に署名された「生物毒素兵器禁止条約」においてさらに規制が強化され、使用の禁止のみならず、兵器本体のみならず運搬手段等を含め、あらゆる生物兵器の開発、保有、並びに、拡散が禁じられることとなったのです(既存の生物兵器については、締約国は廃棄する義務を負う…)。

 

そして、同条約にあって重要な点は、NPT(核拡散防止条約)や核兵器禁止条約とは異なり、アメリカ、イギリス、ロシア、中国といった軍事大国が締約国として加わっていることです。しかも、一部の締約国に核保有を認めるNPTのような’不平等条約’でもなく、全ての加盟国には等しく同条約の順守義務が課せられています。いわば、核兵器以上に厳しい禁止措置が採られているのです。ところが、その監視体制を見ますと、核兵器の足元にも及びません。核拡散防止条約では、IAEAによる査察が制度化されており、厳しい監視体制の下に置かれていますが、生物兵器禁止条約には、このような査察制度が欠けているのです。いわば、締約国の順法精神任せの状況にあり、たとえ違反国が出現しても、それを外部の独立的な国際機関、あるいは、他の締約国がチェックすることもできなければ、廃棄させることもできないのです(もっとも、IAEAでさえ、十分に機能しているとは言えない…)。

 

こうした現状は、人類が、今なおも、生物化学兵器の脅威の許に置かれていることを意味しています。上述した新型コロナウイルス生物兵器説も中国に対する不信感の現われでもあり、WHOが懸命に否定したとしても、多くの人々が中国ならば隠れて生物兵器を開発するに違いないと見なしています。しかも、核兵器と同様に、生物兵器にも、’平和利用’という絶好の’隠れ蓑’があります。兵器用のウイルス研究であっても、’感染症予防のための研究’という表看板を掛けることができるからです。武漢のウイルス研究所にあって、アメリカでは規制されていた機能拡張研究を行ったのも、その名目上の目的は感染症対策でした(もっとも、オバマ政権下にあって、国内で実験ができないために中国を支援したとする指摘も…)。

 

そして、今日、ウイルス研究の平和利用、即ち、ワクチンを含む医薬品や治療法の開発目的での利用は、生物兵器の脅威をさらに拡大させています。何故ならば、先端技術としての遺伝子工学は、レベル4の政府系の研究機関のみならず、既に民間のベンチャー企業にまで広く拡散してしまっているからです。現在のテクノロジーをもってすれば、人工ウイルスの製造も自由自在であり、アメリカでは、遺伝子の配列情報に基づいて人工ウイルスの製造を請け負うベンチャー企業も登場しています。生ウイルスを入手しなくとも、技術的には中国政府が公表した新型コロナウイルスの遺伝子配列に基づいて、何処にあっても同ウイルスを再現することができますし、変異株も遺伝子配列の操作一つで簡単に造り出せるのです。核兵器に関しては、核技術がテロリストの手に渡らないよう、厳重な監視が行われていますが、生物兵器の分野では、国家のみならず、テロリスト、あるいは、何らかの私的集団が生物兵器の技術を使用するリスクは高まる一方なのです。

 

人類が’隠れ生物兵器’の脅威に晒されているとしますと、まずは、全世界に設けられているレベル4のウイルス研究機関に対しては、研究内容の公表を義務付けるなど、透明性を高める必要がありましょう。もっとも、中国に正直な報告を求めることには無理がありますので、独立的な国際査察機関、あるいは、査察チームを設け、査察任務を委託するという方法もありましょう(WHOでは心もとない…)。そして、同様の外部チェックは、大手製薬会社からベンチャー企業に至るまで、全ての組織に及ぼす必要もあります。「生物毒素兵器禁止条約」を根拠とする、全世界レベルでのウイルス研究に対する監視体制の強化は、少なくとも悪意による人為的なパンデミックを防ぐことになるのではないかと思うのです。


メディアは国民にワクチンリスクについて情報を-悪しき偏向報道では?

2021年05月14日 13時11分16秒 | 国際政治

 今般のコロナ・ワクチンの接種については、接種の是非の判断は、国民の一人一人に任されています。政府もマスメディアも、’接種が当然’という空気を造り出そうとしていますが、あくまでも希望者に対する任意接種であり強制ではありません。言い換えますと、接種によって何らかの健康被害が生じたとしても、国民の自己責任となりかねない状況にあります。’決めたのは、あなた自身です’の姿勢なのです。

 

 即時的な副反応のみならず、中長期的な有害事象を含めて、接種によってもたらされるあらゆる影響や被害が自己責任となりますと、最も重要となるのが情報です。情報の有無が、いわば、生死を分けることにもなりかねないのです。ところが、政府や大手メディアの報道を見る限り、ワクチン接種のマイナス面に関する情報は、殆ど見当たりません。新聞を読んでも、ワクチン接種の遅れを指摘し、予約システムの不具合等も取り上げて早急な制度構築を促す社説が多く、テレビの報道番組でも、多くの高齢者がワクチン接種会場に足を運ぶ様子を報じています。そして、インタヴューを受けた接種済みの高齢者は、決まって’これで安心です’とうれしそうに回答しているのです。

 

誰もが先を競うようにワクチン接種に殺到しているかのような報道を朝から晩まで見聞きした国民、とりわけ、情報を既存メディアに依存し、ネット情報に触れることのない高齢者の人々は、’コロナ・ワクチンは100%安全’と信じ込むことでしょう。そして、’自分も早く打たねば’と、焦りを覚えるかもしれません。政府が積極的に接種を推奨していますし、マイナス情報が欠けているのですから、こうした心境は、当然といえば当然のことかもしれません。しかしながら、大手メディアが報じないものの(大手掲示板等でも事情は同じでは…)、ネットでは、ワクチンのリスクに関する情報が散見されます。実際にワクチンを打たれた医療従事者の方々からの実体験の投稿や専門家による警告もありますので、決してフェイク・ニュースではありません。むしろ、治験段階にあった遺伝子ワクチンのリスクが、少なくとも即時的な副反応についてのエビデンスを以って明らかにされてきているようにも思えます(中長期的な安全性については誰も保証ができない…)。大手メディアは大きくは報じてはいませんが、厚労省によりますと、因果関係は不明としながらも、現時点にあってワクチン接種後に亡くなられた方は既に39人に上るそうです。

 

アメリカでは、バイデン政権が懸命にワクチン接種の旗振り役を務めるものの、接種率がワクチン忌避者の‘壁’にぶつかって頭打ちとなり、また、二回目の接種を取りやめる人も多いそうです。共和党支持者ほどワクチン接種に対して消極的ともされていますが、政治的な理由というよりも、ワクチンのリスクに関する情報が国民の間に広まってきたことも一因であるかもしれません。因みに、接種率を向上させるための苦肉の策として、ニューヨーク市では、デブラシオ市長がワクチン接種者にはハンバーガー券をプレゼントすると発表していますが、人の命をハンバーガーと同程度と見なしているとしますと、むしろそら恐ろしい気もいたします。

 

何れにいたしましても、アメリカ大統領選挙時における報道と同様に、ワクチン安全説ばかりを報じるメディアの方針は、いわば悪しき偏向報道として批判されても致し方ないように思えます。メディアによる‘報道しない自由’の行使という一種の情報統制であり、国民の知る権利を侵害しているからです。そして、政府やマスメディアが片側の情報しか流さない場合、得てしてそれは、禍の前触れでもあることが多いのです。

 

 ワクチン推進派の人々は、マイナス情報を流すと接種率が低下するとして、リスクの指摘や警戒論をあたかも妨害行為のように批判しています。しかしながら、事実や合理的な根拠に基づくものであれば、たとえマイナス情報であっても、国民の重要な判断の基礎となるのですから、インフォームドコンセントの観点からも国民が’知らなければならない’情報です。しかも、ワクチン接種は国民の自己責任としながら、判断に必要となる情報を十分に提供しないようでは、政府は、国民に対して説明責任を果たしているとは言い難くなりましょう。偏向報道に走るマスメディアもまた、報道者としての自らの使命を放棄しているようなものです。今後、こうした政府やマスメディアの報道姿勢によってさらに接種者数が増えることが懸念されますが、マイナス情報を隠す行為は、国民を騙すに等しいのではないかと思うのです。


RCEPは弱肉強食の世界へ?

2021年05月13日 12時34分43秒 | 国際政治

 自由貿易理論、あるいは、グローバリズムの理論に従えば、関税や非関税障壁を取り払いさえすれば、自動的に水平、並びに、垂直的な最適分業が実現し、全ての諸国に富をもたらすこととなります。共産主義国家である中国は、今やこれらの理論の最大の信奉者であり、貿易交渉に際しては、常々、互恵性を強調しています。アジアにあってRCEP協定の発効が現実味を帯びている今日、今一度、この問題を考えてみる必要があるように思えます。

 

 仮に、これらの理論が正しいとすれば、何故、他の地域に先んじて市場統合を実現したEUでは、共通の財源を設け、経済レベルの地域間格差を是正するための財政移転政策、即ち、地域政策を実施されているのでしょうか。地域政策とは、日本国で言えば地方交付税交付金制度のようなものであり、富める地方(加盟国)から資金を集め、貧しい地方(加盟国)に予算として再配分する政策です。関税や非関税障壁を撤廃し、モノ、サービス、資本、人の移動を完全に自由化すれば、理論上は何らの政策を実施する必要もなく、全ての加盟国が順調な経済成長を遂げ、国民の生活レベルや所得水準は平準化するはずです。

 

しかしながら、EUの事例は、むしろ、これらの理論を基礎として単一の欧州市場を構築しながら、その実、これらの理論の誤りを自らで証明しています。財政移転政策の存在そのものが、同理論に内包する矛盾の象徴でもあるからです。しかも、EUからの予算配分が十分ではないため、ギリシャといった南欧諸国や中東欧諸国は、EUの外に救いを求め、’チャイナ・マネー’に依存するようにもなりました。言い換えますと、欧州市場にあっては、期待されていた自律的な最適分業化も互恵的発展も起きず、経済の停滞に苦しむ国は、対中債務にも苦しむこととなったのです。

 

 EUの現実を見ますと、競争力に抜きんでた’ドイツの一人勝ち’状態であり、ドイツこそ、EU最大の受益国となるのですが、その反面、同国は、財政面においてはEU最大の負担国でもあります。EUの財政はドイツの経済力に大きく依存しており、ドイツ市場からの歳入、あるいは、同国からの拠出金等によって、EUの財政移転政策は実施されているといっても過言ではありません。イギリス離脱後は、EUの歳入におけるドイツの負担率はさらに上がったことでしょう。’ドイツ一人勝ち’とはいえ、財政の負担面からしますと、ドイツにとりましてのEUは、’痛し痒し’の側面があるのです。

 

 それでは、RCEPは、どうでしょうか。同協定の発効によって、EUのような’政府機構’が誕生するわけではありませんので、当然に、財政移転の仕組みは設けられていません。このことは、近い将来、同枠組みにあって’中国一人勝ち’の状態が出現したとしましても、競争において敗者となった諸国(規模を基準とすれば、中国以外の全ての諸国が敗者に…)、あるいは、元より経済レベルの低い諸国は、そのまま放置されることとなりましょう。仮に、中国がこれらの諸国に’救いの手’を指し伸ばすとしても、それが、ギリシャなどのEU諸国と同様に借金漬けにさせられ、経済分野のみならず、中国の政治的支配力の伸長を帰結することは、容易に予測されます(借金のかたに租借地化…)。一帯一路や経済支援で用いられた手法は、RCEPの枠組みにおいても繰り返されることでしょう。

 

 日本国を含め、人類は、そろそろ自由貿易主義やグローバリズムの幻想から目を覚ますべきなのではないでしょうか。得てして理想論とは、逆の方向に人々を誘導するための巧妙な’罠’である場合があるのですから。RCEP協定は、こうした意味においても、時代に逆行しているように思えるのです。


ワクチン失業の大問題

2021年05月12日 11時57分10秒 | 国際政治

 報道によりますと、平井卓也デジタル改革担当相は、昨日5月11日の記者会見においてワクチン接種予約システムの全国共通化の可能性について言及したそうです。平井デジタル相といえば、中国のファウェイとの親交が指摘されており、同報道には、中国による日本国民のデジタル支配への布石かと身構えるのですが、同報道から窺えるのは、ワクチン接種システムの恒久化、並びに、そのデジタル管理を目指す日本国政府の方針です。

 

 政府としては、やがてはワクチン管理システムをマイナンバー制度と一体化して国民管理のプラットフォームとしつつ、各国と歩調を合わせてワクチン・パスポート制度を導入したいのでしょう。あるいは、この方針は、’世界政府’による人類デジタル管理計画の一環なのかもしれません。何れにしましても、政府の積極的な姿勢には不安のみが募るのですが、仮に、ワクチン・パスポートが出入国管理のみならず、国内にあって国民管理システムとして機能するとしますと、様々な問題が持ち上がることでしょう。

 

 ワクチン・パスポートの基本的なデザインは、ワクチンを接種した人のみに経済・社会活動の自由、並びに、権利を与えるというものです。いわば、ワクチン接種者のみに’法人格’を認めるに等しく、このため、ワクチン非接種者は、あらゆる経済、並びに、社会活動から排除されることとなります。この措置は、国民の間に資格の違いを生み出しますので、ワクチン非接種者に対する市民権剥奪といっても過言ではありません。ワクチン接種の有無によって、ワクチン差別が発生することは否定のしようもないのです。

 

この制度の下では、ワクチン非接種者は、外出や他の人との接触については厳しい制限を受けると共に、公共交通機関や公共空間への立ち入りも許されないことでしょう。また、民間サービスから締め出され、職を失い、学校をも退学しなければならないかもしれません。そして、ここに、先ずもって重大な問題の発生が予測されます。それは、膨大な数のワクチン失業の発生です。

 

仮に、民間企業をはじめ、あらゆる組織がワクチン接種を雇用条件とした場合、ワクチン非接種者は、職を去らざるを得なくなります。一般の退職であれば、他に職を求めて転職することもできますが、ワクチン非接種者には、’就職資格’そのものがありません。何れの職にも就くことができない大量の人々が国内に発生することになるのです。世論調査等によれば、様子見を含めてワクチン接種に否定的な人々は過半数を越えていますので、日本国は、ワクチン失業者で溢れてしまう事態にもなりかねません。

 

新型コロナウイルス禍に失業率は上昇傾向にありますが、たとえワクチン接種者の増加によりコロナ禍が収束したとしても、今度は、ワクチン失業者の問題に直面することとなりましょう。その時、政府は、ワクチン失業者を見捨てるのでしょうか。それとも、ベーシックインカムのように、永続的に給付金を支給するのでしょうか(仮に、ワクチン失業者に対して生活保護制度を適用させますと、預金、不動産、宝飾類などの奢侈品をまったく所有しない最低限の生活を送る人々が、人口の過半数を占めることになり、日本は最貧国に・・・)。もっとも、公的な生活支援制度を設けたとしても’働きたいのに働けない人’が増えますので、日本国の労働人口は激減し、日本経済も人手不足によって縮小を余儀なくされることでしょう。しかも、ワクチン接種者に中長期的な深刻な有害事象が発生した場合、労働人口が皆無となり、壊滅的な状態になる可能性もあります。それとも、国民自らが、政府に頼ることなくこの問題の解決に当たるのでしょうか。

 

政府としては、ワクチン・パスポートの効力範囲を拡大させる、即ち、雇用条件にすれば、ワクチン非接種者を接種の方向に誘導できると読んでいるのでしょう。自発性を強要するところが、卑怯でもあります(全責任を選択者側に転化…)。失業の恐怖心を利用してワクチン接種率を上げようと目論んでいるとしますと、表向きは’ソフト’であっても、この手法、まさしくテロル、すなわち、恐怖政治に他なりません。国民の自由意思を封じ込め、恐怖で人々を支配しようとしているのですから。フランス革命のみならず、古今東西を問わず、恐怖政治は世界各地に散見されますが、人類は、この手法が誤りであることを歴史の教訓として学んでいます。

 

ワクチンを含め、新型コロナウイルスにつきましては不自然で辻褄の合わないことが多く(例えば、イスラエルはワクチン接種率世界1位であるものの、接種率が低いはずのパレスチナにおいて感染の爆発的な拡大は見られず、しかも、ガザ空爆を伝える報道写真を見ると、パレスチナ人はマスクも付けていない…)、闇の深さが感じられます。こうした真偽が入り混じる混沌とした状況にあっては、国民こそが、冷静に自国政府、並びに、国際社会の動きを観察すべきではないでしょうか。ワクチン接種についても、政府やメディアのプロパガンダに流されるのではなく、医科学的、並びに、政治的に指摘されているリスクを直視すべきですし、ワクチン・パスポートの導入につきましても、重大な人権侵害に加え、大量失業問題をも引き起こしかねないのですから、強く反対してゆくべきではないかと思うのです。


貿易決済通貨を考えないRCEP-’人民元圏’への道?

2021年05月11日 13時28分40秒 | 国際政治

 第二次世界大戦末期、1944年7月に、アメリカのブレトン・ウッズでは、連合国通貨金融会議が開かれました。自由貿易主義を基調とする戦後の国際経済体制の構築がテーマとなった同会議では、ブレトン・ウッズ協定が締結され、米ドルを基調とする固定為替相場制の採用が決定されたのです。以後、ニクソン・ショックを機に変動相場制へと移行するまで、ブレトン・ウッズ体制は、戦後の自由貿易主義を支えてきたのですが、同過程を観察しますと、今般のRCEP協定には、言い知れない不安が過ります。

 

 第二次世界大戦後の自由貿易体制の構築については、既に大西洋憲章において米英間で合意されていましたので、連合国諸国にあっては既定路線であったのでしょう。そして、何よりも注目すべきは、世界大で自由貿易体制を構築するためには、国際通貨体制の整備が不可欠であるとする認識が広く共有されていた点です。貿易には、必然的に国境を越えた決済が伴います。かつては、希少性の高い金貨や銀貨といった硬化が使用されていた時代もありましたが、19世紀にあってイギリスを中心とした自由貿易体制が形成された時期には、各国政府による金本位制の導入が貿易決済システムとして機能していました。戦後のブレトン・ウッズ体制も、特別引き出し権制度を備えたIMFが設立されながらも基本的には金本位制を基礎としており、兌換紙幣としての米ドルの価値が同システムを支えています。何れにしましても、自由貿易体制と国際通貨システムは、国際経済を繁栄へと導く車の両輪と見なされていたのです。

 

 その一方で、単一市場となる欧州市場を形成したEUを見ても、通貨問題は市場統合と切っても切れない不可分の問題として見なされてきました。今日では、単一通貨であるユーロが発行されていますが、ユーロ誕生に先立って、EU加盟諸国では、’調整可能な固定相場制’とも称されたEMSを導入しており、各国通貨のレートの変動幅を一定に押さえることで加盟国間での貿易決済の円滑化を図っています。ここでも、自由貿易体制、あるいは、市場統合と通貨制度とは、一対の問題として捉えられているのです。

 

 それでは、RCEPは、どうでしょうか。RCEP協定の批准に先立って、日本国の国会で、貿易決済通貨の問題が議論された形跡は皆無です。どうしたわけか、RCEPでは、貿易自由化に付随するはずの貿易決済通貨の問題が無視されてしまっているのです。となりますと、RCEPでは、貿易決済通貨については’成り行き任せ’ということになります。

 

 これまで、日中間の貿易にあっても、国際基軸通貨である米ドルが決済通貨として使用されてきました。中国の最大の輸出先国はアメリカでしたし、巨額の貿易黒字は米ドルの外貨準備としても積み上がっていたからです(もっとも、他国への戦略的な融資や米国債などに投資されている…)。一方、輸出志向の強かった日本国でも決済通貨としての米ドルの使用は望ましく、この点では、日中両国間にあって一致していたのです。しかしながら、米中対立にあって米中間の貿易が先細るとなりますと、この状況には、否が応でも変化が生じるかもしれません。中国は、米国に代わる輸出先をRCEP諸国に求めると共に、米ドル決済を止めるかもしれないからです。

 

第一のシナリオは、中国が、RCEP加盟国に対して輸出入ともに人民元決済を求めるというものです。このシナリオの行く先には、RCEPの枠組みが広域的な’人民元圏’へと転じる将来が見えています。人民元のデジタル化が実現すれば、貿易決済のみならず、RCEP加盟国の国内にあって人民元が流通する可能性も否定はできません。自国通貨の通貨価値の不安的な加盟国であれば、人民元に自国通貨が駆逐される事態もあり得るのです。

 

第二のシナリオは、双方の国の企業が、自国市場への輸入に際しては相手国通貨で決済し、自国から他国市場の輸出の場合には、自国通貨で決済するというものです。このケースでは、仮に、各加盟国が、中国からの輸入額に匹敵するほどの対中輸出品を有していれば、’人民元圏’の出現は防ぐことができます。もっとも、規模において有利な中国の輸出競争力が圧倒的に優りますと、他の加盟国との間で著しい貿易収支、あるいは、国際収支の不均衡が生じ、早晩、ドフォルトの危機に陥る加盟国が現れるかもしれません。

 

そして、第三のシナリオとして、何れの企業とも取引相手の企業との契約によって決済通貨を決定するというケースもあり得ます。この場合は、全くの’レッセフェール’となるのですが、政府間における何らの取り決めもなく、かつ、政府からの自国企業に対する要請もありませんので、取引企業間の関係において優越的な立場にある側の要求が通ることが予測されます。日中関係であれば、中国企業からの人民元使用の要求を断り、円決済を求める日本企業は、果たして、存在するでしょうか。

 

以上に三つのシナリオを想定してみましたが、何れにいたしましても、RCEPの枠組みにありましては、中国の人民元が貿易決済通貨として広域的に使われる可能性が高いように思えます。日本国政府が、決済通貨の問題を百も承知でRCEPへの参加を決定したとしますと、それは、日本経済が中華経済圏に飲み込まれる未来を暗に認めたことにもなりましょう(意図的無関心?)。今からでも遅くはないのですから、RCEPにつきましては、貿易決済通貨の問題を議論し、望ましくない未来が予測される場合には、RCEP離脱に向けて政策方針を転換させるべきではないかと思うのです。