リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

上部過程論、原稿状態にして、出来。

2017-11-01 20:50:00 | 上部構造論
 こんにちは。11月1日。お待たせしました、次回予告。隈行為論3部作の最終巻、 「行為の集成」「行為の反逆」に引き続いた3行為論、最終、「行為の戯れ」。……違うし。だいたい何だ、「行為の反逆」って、とかいわれたり。(「歴史としての支配」のことなんですが、、、)
 ともかく、上部過程論。題して
 「『上部構造』の社会学 ―主体の意思と歴史過程」
 誤字脱字を残し、原稿完成!
 昔ならそのまんま万能書店に送るところ。私には決断力があります。このいい加減さで暮らしてきた数十年。

”およそ社会の経過は唯物史観が示すとおり、人間の主観的意思の如何によるわけではない。下部構造たる経済過程に規定されたものである。
 しかし、それでは人間は歴史に流されるだけか、といえばそうではない。あるいは人間は歴史の必然を生きることが自由だ、などというマルクス主義者の言が真実であるわけでもない。
 逆である。人間は主体的に人間社会を変更することができるから、この移り変わる歴史が不可避的に存在するのである。
 本書は、人間が下部構造に規定されている、かのように見える規定性を明らかにしつつ、社会に現れた人間の主観的意思の観念性の秘密を暴き、他方、その下部構造の規定性を形成する行為者としての人間の行為論的自由の意志の歴史過程を明らかにするものである。”
 
 もう知ってる? ホームページそのままだろって? すんません。いつもお世話になりありがとうございます。
 もっと後にしようと思ったのですが、今までのカテゴリー「上部構造論」って、ファシズム体制しか書いてないことが分かり、この辺で「活」をいれてもいいんじゃないか、と。
 
 というわけで、ぐずぐず言い訳を言いながら、さすがにできました、上部過程論。
     まだホームページだな。
 ともかく、プリントして見直すと誤字脱字、あっちもこっちも修正、ということになりますので「まだ」といってはおきますが。ほんと、校正の人にあっちやこっちやと間違いを指摘すること(のため)で読まれるのもつらい。ちゃんとプリントして自分で1回は読まないと。なんていうと博論の人には怒られそうな。俺らは5度は書き直しているとか。
 ま、そういうことはよくて。ちゃんと内容だけはできた、ということでご報告をしておきます。次いで、早々に次々回論文の触りがここに載るでしょう、というのもご報告の理由ですが。「「国語に関する世論調査」では,「さわり」の意味を「話などの最初の部分のこと」と考える人が半数を超えているという結果が出ました。」。朝日にもきのうおととい載ってましたね。半数を超えたらこっちの勝ち。ざまあ。

 ま、そういうことで、本日は切りよくご報告まで。
 たとえば上に書いた「現れた」っていうのも考えると悩むのですよね、表れた、というのが一番本質的なのに、それではどうも校正の人に誤字だと指摘される。でも次に正しいのが顕れたで、これは現象的に過ぎる。しょうがない現れたか、とか、ヒマならいくらでも時間をかける悩みもある、がそれはヒマ人の悩み、とか、まあわたしゃ「いい加減」と呼ばれればそれでよいす。
   ん、書いたけどブランクが空かないのはなぜ?


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