リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

「貧困の哲学」が訳されてました

2014-11-24 10:04:04 | その他
 こんにちは、本日も月曜ですね、一週間カゼで。そもそも土曜日仕事だけど。
 昨日は快晴の秋なのでカゼだけどハイキング。そこらの駅前ハイクですが、尾根道でふと下をみれば幅20センチの道の両脇は斜度80度、高さ100メートルの崖。さっき、小学校入ったかどうかの兄弟のガキが飛び跳ねて歩いてくのと出会ったぞ(親も後ろにいた)。親はなにをやってるんだ、こんな道を。と思いました。ほんと生きてるなんて毎日の偶然ですぜ。

 
 さて、この前テレビ見てたら、国会解散で万歳してるのをやってました。なんだあいつら、クルクルパーか、と思いましたが、さらに詳しく放送が再度流れ、なんだらかんだら「ギョメイギョジ」とかいってバンザイをしている。なんだこいつら、ウヨか。
 と納得はしましたが、ネット話題になったようで、自民党以外のやつらも普段やるそうな。やっぱクルクルパーでした。
 ネットもアホだからあれは出陣の掛け声だとかしたり顔で書いて。出陣というのは、エイエイオーっていうんだよ。組合ならガンバローだな。ギョメイギョジにバンザイはテンノーヘーカバンザイ以外あるわけねーだろーが。

 
 ついでさて、この前図書館にいったらプルードンの「貧困の哲学」がおいてありました。これは今までぜんぜん訳のなかった本で、ほー、これはこれはと期待してしばらく立ち読みしました。なにしろ,wikiの知ったかぶり情報にもありますようにマルクスが書いたそこそこの本である「哲学の貧困」は「しかしマルクスはプルードンをかなり曲解して批判している」とのことで、この訳者のHPだったと思うけどまともそうなプルードン学者もそう書いておりましたし。
 と思って中開いたら、なにこれ、でしたぜ。曲解とかそんな解釈をわざわざしなきゃいけないレベルじゃないじゃん。無視で十分。
 なるほど ”「哲学の貧困」はマルクスがプルードンの名声を利用しようとした売名行為”という評が当たっている。本の論旨がぜんぜん関係ないの。
 「貧困の哲学」の自分に関係あるところだけ取り出して、それがさも全体であるかのごとく、「哲学の貧困」などとぎょうぎょうしい題をつけて売ろうとした、と。情けねえやつだ。前から思っていたが。

 
 で、若い人へのこの文の趣旨
 その1 「哲学の貧困」はよい本だが、プルードンとは関係がない。
 その2 「貧困の哲学」はくだらない本だ。意味不明な本。どこがアナーキズムだ。斉藤悦則というこの訳者の論文でも読んでるほうが良い。
   にもかかわらず、本の自画自賛評に ”時代を超えて生きる名著”とか書いてありやんの。冗談じゃないぜ。これが時代を超えたらわたしの本など何十世代まで超えるぜ。 もちろんその程度超えることは前から知ってたけど。
 その3 かといってプルードンをけなしているわけではありません。なんたって彼は活動家ですから。わたしは活動家は、人殺しや裏切り者以外は、それだけで評価しますので。それも当然ですよね。同じ一つの人生だし。

  (後日、これ題間違えて書いてた。『哲学の貧困』だって。いやはや失礼)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする