こんにちは。東京地方、平地でも錦織りなす晩秋です、が、休みの日ともなると寒い。若い人はいいね、気が若くて。
変? いや、若いなんてどうせ気持ちのことだから。気の若い若人は寒いことなんかあるものか。
じゃあ中高年だって気が若きゃいいだろうって、そのとおりだけど、気が若くないのが中高年さね。
ま、どうでもいいですが。
さて、ここんとこ勤めばっかで頭を使わないのでばかになりそう。何か手ごわい本はないかと図書館で探す岩波文庫。
これなんかどうか、と、漢字ばっかの表題は、野呂 榮太郎「日本資本主義発達史」。
ほほお、懐かしい、、、むかしむかしの若いころ、明治維新の勉強やったっけな。
若い方にお教えする意義もないんだろうけど、講座派という日本資本主義を勉強する上では避けて通れない理論集団の旗頭だった人です。そんな大事そうなのに意義がないとはなぜいうか。今ネット検索したらまったく無内容な情報しか出てこなかったから。
資本主義のしの字も知らない人たちにわざわざ語るにはレベルが高すぎです。
なので、本日はあえて特別に中高年用ブログ。
いやね、マルクスの知識のあるあなた、野呂ってこんな立派な人だったか、と感心したしだい。
講座派なんて、明治絶対王政とかってスターリニズムの御用聞きのはずだと思っていたら、そんなことゆうとらん。
まあ、若き晩年はしらんけどね。
悪いのは平野義太郎のせいのもよう。「機構」なんざ名前ばっかでなんも面白くなかった覚えが。盛太郎の「分析」はかっこよかったけどね。
ともかく、エクセレント! 20代でよく書けたもんだ。まさにマルクスくらいには匹敵する秀才。素晴らしい。
すばらしいんだけど、明治絶対王政論に連なる大きな誤りがある。
それが「所有」理論の陥穽です。まあ、若いんだからしょうがないしねえ。しょうがないけど、すべてのマルクス主義者は自分で考えればおんなじことを言い出すに違いないから(労農派系はなんも考えていない)、本邦初演でベスト理論家野呂栄太郎の誤謬をはっきりさせてあげましょう。
つまり、土地所有制度を経済体制と履き違えているということです。そんなことだから、封建的な土地所有がある限り日本は資本家による革命を必要とするのだ、などという夢物語へ移行する、と。
そういってやれば、ざわざわざわ、、、となるのが本来の中高年のマルクス主義者。そんなやつはボケボケで既に生存していないだろうけどね。
正統派マルクス主義者=スターリニストにしてみれば、所有制度=経済制度でなければならないからね。
なんでそうでなければならないか。
ソビエト連邦が人民国家であると強弁する理由は他にないから。
彼らの経済学教科書には所有制度=経済制度論を補強するためになんとかマルクス大先生の片言隻句を探し出す涙ぐましい努力のあとが、、、
アホのマルクスのことだからどっかにあるだろうとわたしなども思うのですが、これがめったにないようで。彼らがようやく見つけたのが「シュワイツァーへの手紙」とかいう、手紙の一文だと。へっつ。
マルクスがどういおうと、所有制度は国家を規定する経済制度ではありません。国家が規定する経済施策の一部に過ぎない。所有とは、国家武力が規定するものなのです。
大地主による土地所有など、国家の中で資本主義という経済制度を維持したまま、経済制度の発展を阻害するものとして、なし崩し的に壊れ、壊されていくものです。それが昭和20年までの大日本帝国の国家方針です。にもかかわらず、マルクスが後生大事にし、ソ同盟が主張する「所有」問題なんだからと国家を規定する「経済制度」と考えるよう強いられた秀才野呂は、自己のマルクス主義経済理論にのっとり、明治国家は絶対王政だ、次に来たるべきはブルジョワ革命、といわざるをえなくなった、というわけです。
もちろん、闘争課題としては反「半封建」は正しいんですけどね。って、これは逆に、労農派の教条主義者が目を剥くような発言。あほどもの相手はいくらスペースがあっても足りない。
だから「いまの若人にいっても無駄」というわけですが。
変? いや、若いなんてどうせ気持ちのことだから。気の若い若人は寒いことなんかあるものか。
じゃあ中高年だって気が若きゃいいだろうって、そのとおりだけど、気が若くないのが中高年さね。
ま、どうでもいいですが。
さて、ここんとこ勤めばっかで頭を使わないのでばかになりそう。何か手ごわい本はないかと図書館で探す岩波文庫。
これなんかどうか、と、漢字ばっかの表題は、野呂 榮太郎「日本資本主義発達史」。
ほほお、懐かしい、、、むかしむかしの若いころ、明治維新の勉強やったっけな。
若い方にお教えする意義もないんだろうけど、講座派という日本資本主義を勉強する上では避けて通れない理論集団の旗頭だった人です。そんな大事そうなのに意義がないとはなぜいうか。今ネット検索したらまったく無内容な情報しか出てこなかったから。
資本主義のしの字も知らない人たちにわざわざ語るにはレベルが高すぎです。
なので、本日はあえて特別に中高年用ブログ。
いやね、マルクスの知識のあるあなた、野呂ってこんな立派な人だったか、と感心したしだい。
講座派なんて、明治絶対王政とかってスターリニズムの御用聞きのはずだと思っていたら、そんなことゆうとらん。
まあ、若き晩年はしらんけどね。
悪いのは平野義太郎のせいのもよう。「機構」なんざ名前ばっかでなんも面白くなかった覚えが。盛太郎の「分析」はかっこよかったけどね。
ともかく、エクセレント! 20代でよく書けたもんだ。まさにマルクスくらいには匹敵する秀才。素晴らしい。
すばらしいんだけど、明治絶対王政論に連なる大きな誤りがある。
それが「所有」理論の陥穽です。まあ、若いんだからしょうがないしねえ。しょうがないけど、すべてのマルクス主義者は自分で考えればおんなじことを言い出すに違いないから(労農派系はなんも考えていない)、本邦初演でベスト理論家野呂栄太郎の誤謬をはっきりさせてあげましょう。
つまり、土地所有制度を経済体制と履き違えているということです。そんなことだから、封建的な土地所有がある限り日本は資本家による革命を必要とするのだ、などという夢物語へ移行する、と。
そういってやれば、ざわざわざわ、、、となるのが本来の中高年のマルクス主義者。そんなやつはボケボケで既に生存していないだろうけどね。
正統派マルクス主義者=スターリニストにしてみれば、所有制度=経済制度でなければならないからね。
なんでそうでなければならないか。
ソビエト連邦が人民国家であると強弁する理由は他にないから。
彼らの経済学教科書には所有制度=経済制度論を補強するためになんとかマルクス大先生の片言隻句を探し出す涙ぐましい努力のあとが、、、
アホのマルクスのことだからどっかにあるだろうとわたしなども思うのですが、これがめったにないようで。彼らがようやく見つけたのが「シュワイツァーへの手紙」とかいう、手紙の一文だと。へっつ。
マルクスがどういおうと、所有制度は国家を規定する経済制度ではありません。国家が規定する経済施策の一部に過ぎない。所有とは、国家武力が規定するものなのです。
大地主による土地所有など、国家の中で資本主義という経済制度を維持したまま、経済制度の発展を阻害するものとして、なし崩し的に壊れ、壊されていくものです。それが昭和20年までの大日本帝国の国家方針です。にもかかわらず、マルクスが後生大事にし、ソ同盟が主張する「所有」問題なんだからと国家を規定する「経済制度」と考えるよう強いられた秀才野呂は、自己のマルクス主義経済理論にのっとり、明治国家は絶対王政だ、次に来たるべきはブルジョワ革命、といわざるをえなくなった、というわけです。
もちろん、闘争課題としては反「半封建」は正しいんですけどね。って、これは逆に、労農派の教条主義者が目を剥くような発言。あほどもの相手はいくらスペースがあっても足りない。
だから「いまの若人にいっても無駄」というわけですが。