リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

きょうは堅い

2015-08-15 10:16:33 | 賃金・価値・権力
 こんにちは、お暑うございます。今日はお盆。関東地方は酷暑からず、波も高からずで、ようやく水泳日和となりました。今日ご予定の方はよかったですね。
 当方は退職後の時間が長くなってきたせいか、姿勢を今直さないと限界だ、という状況。ごろごろしてたりふててたり目に合わないパソコン机に座ってたりしますと、どうしても背中が曲がります。曲がってから直すのもたいへん。いやな宮仕えも、事務仕事なら体にはいいものですよ。

 さて本日は終戦の日。新聞はまず安倍の談話。えらそうに安倍日本帝国をぶち上げたかったようですが、これは安倍的には失敗だったようです。これから何かにつけて「閣議決定の談話にありますように」とやりたかったのでしょうが、うやむやになんとかメンツをたてた、というところ。国家の最高権力者は各国の顔をみて控えめにしないといけないですからね。
 安倍は今ごろは、「もっと戦力を増強してアジア雑国の口を支配したい」と思っていることでしょう。
 権力者はみな同じ。橋下が、府知事に返り咲いて市を支配しようと大阪都構想を出したようなもんです。(ところで、なんで橋下、まだ市長やってるんだ? 行政の長は政治家だぞ。政治はやめるっていっただろうが。)

 で、2、3日前、朝日には、戦後の経団連等がなんとか軍需生産を強化しようと策を練っていた、と書いてありました。件。
 こうゆうの、わたし、前にここに書いた気がして検索したんですが、みつかりません。書かなかったっけ、、、で、書いときましょう。ここんとこ、まじめな話は次回作品で消化しちゃって、こっちの質が薄くなってたし。

 よく、帝国主義は自らの生きる道を軍需生産に求める、という趣旨の論調がありますでしょ? もう聞かないか。
 しかし、軍備生産をすればどの国でもそこそこ資本主義が生き残れるだろうと思うのは、間違いです。
 軍需資源が自国にある場合は、国を揚げて軍需生産に走れます。それはたとえば石油国での合成繊維の生産と変わりありません。その国家は無事に過大な生産力を消費して、労働者も職にありつける、というわけです。
 しかし、そもそもの物資がない国においては、軍需生産は、売買に根拠付けられたただの一産業となるしかないのです。
 もしも軍事生産物が自国でしか売れなければ、すなわち税金でしか買えなければ、軍事会社はもうかりますが、その代わりに第1に、労働力が投じられなくなった労働者大衆の生活物資生産が消え、労働者大衆一般の生活は貧しくなります。第2に、軍需原材料を国外から買うために、そのバーターで、食えない鉱物資源等の代わりに労働者の生産物が海外に消え、さらに労働者大衆一般の生活は貧しくなります。こうして、その他の消費物資への購買力もなくなるということになります。かくて、社会不安が昂じ、資本家の首も怪しくなる。
 それでも崩壊期資本主義が軍需生産に走るのは、次の2点によります。
 第1に、軍需物資は、その生産によって労働者大衆は貧しくなろうが、しかし「売れる」ことが決まっていること。これがモノが多すぎて売れない過剰生産期には必要なのです。売れれば、とりあえず安いながらも社会に「給料」分のカネが回ります。(資本家のメリットをわかりやすく説明するのは長くなる)
 第2に、なによりも、民需生産を抑えても軍需生産を増大させなければならない、という国家対立状況下での「軍備競争」の必要です。つまり、安倍の要望ですね。 
 先に挙げた原材料なき国家に生ずる不利益は、『精巧な弾薬』を輸出することによって取り返せます。「武器」を売らずに「弾薬」を売ればいい。中谷防衛大臣が「ミサイルは武器ではない。弾薬である」っていったでしょ。
 先の経団連等の資本家も、まずはアメリカに売りたかったんでしょうね。朝鮮戦争はなんたって日本経済にとってはビフテキでしたから。
 
 これが軍需生産のアヘン。(なんか前に言った気もするんだけど、、、) そうやっていったん軍需に頼る経済ができてしまえば、これがなくなれば資本家も労働者も路頭に迷います。したがって「国民」は、これを廃止することはできません。革命以外には。 

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