リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

ニッポンイデオロギー概況(その1)

2023-10-28 16:36:41 | 上部構造論
 こんにちは。やっと秋と思ったらもう10月も最後。紅葉のネット情報によると、五色沼(標高700m)、裏磐梯(800m)は色づき初めというとこだそうで。なのに、今日のyahoo写真によると、岐阜の高山付近の1000mあたりでは綺麗に色づいてるもよう。岐阜のほうが寒い? 裏磐梯は開けて明るいからか?
 この辺じゃ、駅前のフラワーボックスにサクラソウが。いまどきはプリムラというのね。俺らの頃にはこんなの2月3月の花なのに、年齢と共に花の表す季節を変えられてしまうというのも差別だな。
 
 いいけどこの間(かん)ずっとスーパーの買い物つらくない? トマト(359円)は買わなくても生きていけるが、なにからなにまで高くて買えない。お金はないとは言わないが、手が動こうとしない。こういうのを「手が出ない」というんだね。
 物価上昇3%とかいってやがるので計算してみました。
 日常食料の30%アップは(50%と言いたいが、ならして)、当家のようにエンゲル係数35%の家では、この35%について3割上がるので、35×0.3で、本当は10.5%の物価上昇です。(それに残りの65%について3%だかアップする勘定です)(あってるかな?)。、
(どこの国でも、自国の国語と、算数だけは必須教育です、し、それだけであとはだいじょぶ。夜間中学の方、算数と国語だけは頑張ってください。もちろん三角関数なんか、そういうのがあると知れば十分)
 もとい、何の話でしたっけ? 国会議員の給料は高すぎないか? 議員再選は不可にして、失職議員は一から職業を始め直したらいい。 

 さて、風呂場の電球がイカれて、と前書いたのが5年前。こいつが新品の電球の会社を選ぶんですが、今回OHM社のもだめ。前はYAZAWAの電球が点かなかったのだけれど、結局、点くASAHIが異常なのだろうか、、、
 ま、ともかく、白熱電球(シリカ電球)なんかもう売ってなくて。安い電球でも5年もっのに。
 ところで何倍もする値段のLED電球、常夜灯のように使ってたやつ、暗くなって明かりの意味なさなくなったから5年で取り替えました。世の中そんなもんです。電気屋の陰謀。
 確かにLEDは使用電力は少なくなってるけどね、大枚はたいてそれだけのこと。高いから暗くなっても切れはしないから我慢してしまう。
 
 またところで、7月にガス台をIHヒーターに替えたと言いましたが、電気代が高くなるのを恐れていたところ、いまだにガス代(減少)との差っ引きは月に千五百円ほどの黒字になってます。
 その点では問題ないというところでしょうか。ただし、ずいぶん料理がまずくなりました。火入れの加減の工夫がたいへん。若人が料理をしてくれる老人家庭以外には奨めません。あくまで安全との交換です(アクリルセーターでも大丈夫)(言ったけど、鍋をハンカチで持ってたら火が丸い鍋底を回ってハンカチ燃え出したんだよね。)。

 さて、ニュース、ってゆうか。最近クマへの風当たりが強くて。わけわかんねえクマ擁護者がいるので輪をかけて話題を複雑にして。いやだなあ、、

 「日没後の道 人と思って「こんばんは」とあいさつ→熊と判明、全力で逃げた 大学サイクリング部員が恐怖体験明かす」(まいどなニュース)
 これは秋田。当たり障りのないニュースで。
 「こんばんは」「ウォ。ウォンウォンウォ」
 かわいいじゃん。
 わたしなんか犬と暮らすよりはクマと暮らしたい。ニャンコと暮らすならトラのほうがいいな。哺乳類みな兄弟。
 ま、牡グマや牡トラは悪いのもいるだろうが、なんでも人間と一緒。

 ずっと昔さあ、「動物占い」ってのが流行って、職場でやって貰ったら、「お前は黒豹だ」っていうの。かっこいいじゃん、すっかりその気になってたら、最近ネットでやったら「虎だ」っていうのさ。おっかしいなあ、、まあ世の中なんてそんなもの。後に広めたほうが勝ち。
 みなさんも自分の動物がいやだったらほとぼりの覚めたころにネットに「古式伝来のやり方ではこうだった」として打ち出せば、10年もすればそっちが定説になるよ。

 なんか長くなりました。そのうち調子悪い、、、ふつうの方はまたね。

 
 さて、本日のお題ではこっちも長く。

 とっかかりはネット情報。最近のマルキストの品質低下には目を覆うばかり。
 痛々しいハマス・テロとガザ無差別爆撃の評はこうです。
「堪えに堪えながら怒りにうち震えてきたガザ人民とその指導部たるハマスが、いまや〝座して死を待つよりは撃って出ん〟の精神で越境攻撃を決行したのだ。全世界の労働者階級・人民は、、、、いまこそ奮起し闘いに起ちあがるのでなければならない。」(K派機関誌)

 おめでてえ。
 そしたら生き残りのマルキストが反論してました。

「ハマスが感じ怖れた「死」とは何であったのか。それは、「パレスチナ・ブルジョア国家の樹立」の展望がなくなる、ということだったのである。
 今回のハマスの軍事攻撃の目的は、イスラエルとサウジアラビアの国交樹立の動きをぶち壊す、ということにあったのだ、といわなければならない。もしも、この動きが進展するならば、パレスチナに国際法上認められた国家を樹立するという展望が遠のいてしまうのだからである。、、、
 中央官僚は「ガザ人民とその指導部たるハマス」と言う。だが、ハマスはガザ人民の指導部なのでは決してない。ハマスは、ガザの労働者・人民を支配している行政諸機関、この行政諸機関を握っている地域権力者なのである。、、、
 パレスチナの労働者・人民とイスラエルの労働者・人民と全アラブの労働者・人民は、ガザ戦争を阻止し、この地域全体の労働者・人民のプロレタリア的解放をかちとるために、プロレタリアートとして団結しよう!」
(北井信弘のブログ)より

 世の中バカばかりではない、とほっとしました。
 K派の下部同盟員は,案山子だろうか。50年の月日というのは人間を案山子に変える?!

 ま、いいや、で、ここでの問題は、なんでこんな「評」が存在しうるのか。
 それはつまりさ、「やる気がない」。もう一歩踏み込めば、当該集団の目的にあっていない、ということだね。
 そもそも主義者の理論は、仮に主意的に進めば(事態を自分たちの思うとおりに進めることができるのなら)、すべての弱者を救える、という方向で洗練されている。この1点を放棄したら、それはただのリベラル、ないしセンチメンタリスト(感傷主義者)にすぎなくなる。耐えに耐えたものが反乱すれば肩を持つなど、50年前同じことをいってみたらどうだったんだ。B派ともC派とも共闘して、日本の歴史も少しは変わっただろう。なんだ、政治主義者のくせに。
 いや、ここでいいたいのはK派も変質しきったな、ということです。
 つまり、威張りくさってみたって、結局、彼らは気づいていないが彼らの究極的目的は放棄された状況なのだ。全ての弱者が勝利する社会など、そんなものは「我々の目的ではない」というわけだ。

 といって、それは他人にはどうでもいいことではあります。リベラル思想も感傷主義思想も、それを欲しい人間には役に立つイデオロギーです。
 ただね、それで左翼だと言わないでほしいだけです。胸糞が悪くなる。
 ましてやマルキストなどと。そんなていたらくでは草葉の陰で泣く人間も何人もいるだろうに。「そんなことで私は命を落としたのか?」。大丈夫、あなたはそんなことで死んだのではない。
  
 ところで「事態を自分たちの思うとおりに進めることができる」なんてことがあるでしょうか? ありません。だってさ、人は利害で動く。なんていうと若人は反発もするでしょう、それじゃウェーバーの利害状況などという現象学だ。しかしそういう意味ではありません。これを言い換えるなら、「人は1週間ご飯を食べなければ死んでしまう」からです。大人は明日ご飯を食べられるためにいやいやながら何かをしている。明日ご飯を食べるために、その「いやいや行為」を正当化させるのがイデオロギーです(したがってウェーバーの机上の空論ごときと一緒にされては困る)。かくて、イデオロイギーは社会の利害通りに「多様に」自分の正当性をがなりたてる、にすぎない。この「すぎない」ことが理屈の上で「事態を思うとおりに進めることができ」なくさせるのです。
 マルクス主義のイロハ。これだけは昔っから本家の黒田にも理解できなかった。

 さてまたところで、それはなんか騙されているようだ、正しいものは正しいのではないかとふつう若人は思う。
 ここで、若人や学者やイデオロギー闘争当事者らの社会に身をおいてみましょう。
 そこでは勝利は(優越は)正しさの如何に関わります。「少しでも正しい理論を」。そこで「理論のK派」の存在意義です。一番まともなマルキスト集団の美名こそ、その集団的根拠です。「事態を自分たちの思うとおりに進めることができる」ならば。個別の唯我独尊の世界でなら、ですが。
 しかし、その地位も消えた、というより自身で放棄した。これからどうなるんでしょうねえ。

 まだ若人には疑問がありそうです。
 そんな政治的なイデオロギーを持っているのは一部の人では?
 そう、そうでない人のイデオロギーを政治被排除イデオロギーと呼んでおきましょう、って名前が悪い?
 もともと「正当性」とは、社会の賞賛と優越がなんらかの権力に維持されている状態を指します。
 政治から排除された人たちにとって、まず第1に、イデオロギーは当時の公認道徳や民衆道徳(仲間内の道徳)を根拠として持たれます。井戸端会議の95%の根拠です。
 ついで第2に、権力に対抗することが許可されている社会にあっては、そうした道徳に対抗する地点で、個別に紡がれます。ネットのストレス解消の95%の根拠です。
 いずれも理解不能なごく少数の意見が交じります。
 
 上記の状況は、具体的には、行為者の自意識を形成した「時代」と、それを保持することがエリートのしるしである所属集団・準拠集団の様相で雑音が入ります。自民党国会議員集団のようなものです。その結果
「戸籍上の性別変更に「手術必要」の規定は「違憲」…最高裁が初判断」(読売新聞オンライン)
 などという、そもそも誰がそんな法律作ったんだ、と耳を疑う現実が生ずるわけです。初めから違憲に決まってるじゃないか。
 思い出したよ、「シャイロック」。ベニスの商人。ちょっと前ならユダヤ人差別で思い出しても口にはしないが、今となってはちょうどいい。シャイロックの契約は民法違反で成立しないと習ったが、そもそも憲法違反だ。
 
 しかし、この類の雑音は、時代の中で消し飛びます。それは政治イデオロギーによるものではなく、政治被排除イデオロギーの発現によるわけで、支配社会においては常にイデオロギーは政治的なのです。
 
 と、(その1)終了。なんか心が暗くなった。わたしには明るさが必要、、、

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