リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

歴史学と社会学の間の社会科学上の乖離

2018-07-14 14:14:54 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。酷暑ですね。週明けから蝉が鳴き始めました。蝉も暑いのに気がついたんでしょうけど、これでは7月中に生まれきっちゃわないかしら。今年の旧盆は蝉なしかね。
 当方ようやくひと段落。ってこの前言った? じゃ、二段落。先週はまたバイトのオーダーを受けたのですが、まだ平日の仕事がたくさんあるのでお断りしてしまいました。不義理が続いてますが、前回はお断りした2日後にあれだったので、無理なことはやめたほうがよい、と信じざるを得ません。

 さて、災害は大小問わず常に悲しいことばかり。
 それにしてもタイの洞窟脱出は、まずはよかった。6、7割は死ぬんじゃないかと思ってましたが、後から聞けば用意周到。一人亡くなったとき、「われわれはプロだ」といってましたが、精神・実力に加えてチーム力もプロでした。脱帽。脱帽ったってわたしゃ潜水関係者ではありませんが、人生的に脱帽。プロな人生はかっこいい。

 というわけで本日は、「面白くないよ」と予告の「歴史学方法論選択の必然性」、あるいは「学者の総転向の根拠」。または、「因果連関と現状分析」、あるいは「前衛がただの祭囃子になる根拠」。わたしも二足のわらじでもプロじゃけん。

【前提の1】
 歴史家にとって、昨日と今日、私やあなたが生きてきたことは、歴史ではない。
 歴史家は、自己の生理的必要、ないし価値観に沿って、自己の明日のために「重要な」過去の事象を見つけ、再構成する。
 つまり、自己の就職活動に有用な、指導教授の覚えのいい博士論文を書くために、あるいはもしかすると人民が幸せになるために有用であると信ずる行為を導くために、いずれにせよ、歴史家自身の意味に沿って、「必要で」「重要な」事象を選択して並び替える。
 もちろんこれは当たり前なのであって、わざわざ当ブログでお知らせするほどのことではありません。何を言いたいかといえば、自称客観的な価値評価者は、全て当該時代の当該社会の価値観に沿ってしか、評価を行い得ない、ということの確認です。

【前提の2】
 さて、では現時代の現社会にとっての歴史というものは、どう動くか。
 これは知らないとわからないので難しい。現在にとって歴史というものは、虐げられた者たちが社会の行為主体として認められていく過程です。いわゆる民主社会に生きる先進資本国人にとって、過去と現在の違いは奴隷から農奴を通って労働者や消費者や国民となっていく過程です。
 この前社会の最下層の人間以下の何かが、次社会の「人間」へとなっていく過程です。
 人間以下がどうやって人間になれるのか、それは人間以下の命を懸けた運動が、支配階級をおののかさせ譲歩させてゆく過程です。最下層と上層部との行為共同性の差を詰めて、自己の存在を考慮させていく、この過程の総体が歴史の進歩です。
 
【その結果の1】
 しかしてこの歴史の自由の進歩は、この慮外の徒と行為共同性を持たない人びと、すなわちそれまでの「国民」あるいは「歴史家」には理解できない、ということです。その行為は、当時の国民や発言権のある「歴史家」にとっては国民外の慮外の徒の無法で我儘な行為に過ぎない。
 
【その結果の2】
 「だから」歴史の本体である一方の行為主体たる「われわれ」の営為は、その現在的現実においては、ただ自分で顧みるしかない。
 慮外の徒の被支配人民は、自己の行為になんの賞賛と優越もなく、変革の運動に取り組まねばならない。
 これを助けるものがあるとすれば、それは第1に、宗教であり、第2には、社会学的な因果連関の法則の提示の「引き受け」によるしかない。
 まあ、現実の歴史は、一方では、人民を取り巻く運動の(観念上の)組織が持つ賞賛と、(抽象的貧乏ではなく)自分と家族の飢えと飢えの恐れが引き金なわけではあります。そして、他方、武力的支配階級をどこまで引くか、ということは、支配階級は別に負けているわけではなく「主体的」であり続けますから、この両者にとって、行為論的運動のほかに経済的契機が必要というわけです。
 このしばりが唯物史観的状況、先進諸国で、周りの途上国が追いついてくるのを待っている状況の本質です。 
 それ以後に、先進資本主義国の下層内部の(人数の多い)上層部分に飢餓的状況が発生する。ここで生ずる行為共同性の破綻。それが世界資本主義の終焉です。
 
 というわけで前に戻ります。歴史学は時代に人間と認められた人間の中での「大」衆と進むことによって神の口を手に入れる。彼は「学問」の名において、自己の趣味や主義を世間に広めることができる。社会学徒にいわせると笑止ですが。
 現在を未来へとつなぐ自由への行為は、世の「良識ある」学者や評論家によっては、決して評価されない。原理的にそうだ、ということが、今日の本題の第1です。
 もちろん、前衛という名で他人を鼓舞しようと思っている人々はその鼓舞される人びとと同じ社会の人間ですから、慮外の民のことなど考えるはずもない。(つまり、歴史評論家・前衛が知ったかぶりで評価できるのは、人民大衆がすでに評価し終わっている事象だけだ、といっております)
 しかし、本当に社会の歴史を切り開くその一歩は、誰からも省みられることもなく叩き潰される慮外の民が刻むものなのです。
 
 とはいえ、「何だ、人間はみんながバカか」といえばそうではない。人間には科学というものがある。因果連関の知識の束のことです。それが今日の本題の第2です。
 「理不尽な」「一部の『階級』ともいいがたい奴らの」「我儘な」「不法行為」を、歴史の中で評価できるのは、「イデオロギー」で評価しない「プチブル社会学者(徒)」だけです。彼らは表面上褒めもしないが怒りもしない。科学者(徒)だもの。彼らにできることは誰からも顧みられることなく敗れざるを得ない者を悲しむことだけです。科学者(徒)だもの。

 自分が社会学徒だからってそんな勝手なことを言うな?
 それより、左翼歴史学徒は自らの一派を恥じてください。
 怒涛のような計画経済国家の破滅に際して、自称「人民的」歴史学徒=学者の8割は、政治学者と共に、過去の自説にほっかむりしました。8割といいましたがこれは「9割」といったってよいのでは? 90年代のただの計画経済国家の崩壊でマルクス主義を放棄しなかった歴史学徒は、もう70歳過ぎていたヨイヨイだけでしょ。
 さてじゃあ、社会学者は? 
 誰も転向などしやしない、K氏は精神状態に不安があるとして(若干修正。45年前50歳の労働社会学者たちには名前は知られてませんがそこそこ左翼がいました、でも1990年、何をしてたか情報がない。もうみんな70歳だし。ま、そういうことです。10人の表明者の後ろには100人いるが、表明しない者は、その一把一からげの1人に過ぎない。)。歴史学はそれだけいいかげんだったのです。なにが「歴史科学」だ。社会学は成立当初から社会科学ですが。だから偉いわけではありませんが、少なくとも、論文上でイデオロギー操作を隠して「実証」なる手続きを取った結果を真理と言うにはたいそうな論理操作が必要で、普通は読めばすぐ気がつく。富永一派の所業のようなものです。
 あるいはそもそも社会学にマルキストがいたか、みたいな話を振られれば、いない分だけ普通並には頭がよかったんだ、と答えるだけですが。頭が水準以上を条件にすれば、私ほどの親マルキストは確かに他にいなかった。
 ま、ともかく、人民のために歴史学にいれこもうという見上げた気のある若人は、よくよく考えるように。
 
コメント
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