リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

後進国家の「暴力装置」なき暴力

2011-09-03 21:31:28 | 歴史への視角
 こんばんは。東京地方ひどい風で。
 四国はもっとすごいんでしょうねえ。
 風も雨も嫌いではありませんが、風の音が嫌い。
 本人たちも嫌われるより好かれたいのではないかと思うんですが、世の中ままなりませんね。

「本人たち」って、あめかぜ。

 そんなもん、ただの水や空気の太陽熱への対応形態だって、そう言う人はいるかもしれませんが、って「いるかも」じゃなくてみんながそう言うでしょうが、世の中そうかんたんなもんではござんせん。
 人間だってただの生命の分割的現象への対応形態で、その割には、いきしには人間の最重要課題でしょう。ま、冗談好きの隈。

 そんなこんなで今日は休日。ゆっくりと一休み。
 世間では新組閣とか。
 結局いまのところ、大方の人間が「現在」を変えて欲しくないようですね。
 また政権は自民党ですか。
 私などは自民党独裁に慣れてますが、若い人はそう思わないのがわれわれの世代の「普通」ですけどね。
 いやさ、「普通でした」か。情けなし。 
 「とんでもない、沖縄県民はそう思わない」 って、声は聞こえれどそれにしちゃ選挙結果が違うし。
 「ばかやろう、そりゃしかたがないからだろう」って、そりゃそうだね、でもキミらだけじゃなくみんながしかたがないんだぜ。
 
 いや、暗い。
 ほんとゆっくりすると暗くないかい? 人間て、日々自転車操業をして暗さを忘れるんだよね、なんて同意を求めても、それにしちゃみんな明るすぎるし。
 
 さて、本日の暗いブログ、、、違うか。
 
 本日は「暴力装置的国家の明るさ」
 国家はなんどもいうように暴力装置ですが、それも悪くないんじゃん、ともいえるな、みたいなところで。
 
 昔の若い人間のような立派なお若い方がいたとしたら、怒る前にまず、ブログの題名をみてね。
 変な悪口はかったるいから。
 
   (ここまでもだらけているのにさらにだらだら書くので読みづらいかと思い、先に道案内を。
   (以下は次のように進みます。
   (後進国にとっては、アナーキズムもその他反政府勢力も、現象的に変わりはない。
   (にもかかわらず、アナーキズムはその原理主義性により、どの歴史的段階でも主張を変える必要がない。
   (しかし、それだけに、資本主義国でそれを主張するとバカに見える。
 
 やはり、国家というものは統一されてないと具合が悪いもので。
 資本主義国家は嫌でも統一されざるを得ない。それが商品経済的に進展して政府を乗っ取るという資本主義の歴史的意義です。
 レーニン「国家と革命」の世界ですね。
 一方、帝国主義的分割にさらされた後進諸国は、その宗主国の資本諭義的進展に伴って、国家形式の意義を持たなくなっても(  =本来資本主義本体にとっては、資源供給・商品需要地域が存在すればよい) 武力統治者の存在だけは残る。
 こいつらがどうしようもねえ。
 あらたな統一国家の大契機が生じない限り、たまたま巻き込まれた無関係人民は右往左往するばかり。
 そんな人民にとっての国家は、アナーキズム以前の問題。
 ある境界地域では全人民にとって、国家とは、ただの「異民族」支配の道具に過ぎない。
 こんな国家への対応では、アナーキストもへったくれもない。右であれ左であれ、「敵は倒す」しかない。
 「国家? それは乗っ取るものではない。倒すものだ。」
 
 これは、歴史が進んで、資本主義国家にあっても同じです。
 「国家? それは乗っ取るものではない。倒すものだ。」
 レーニンに対するアナーキストの立場ですね。
 レーニンにしてみれば、「バカいってんじゃないよ、どうやって倒すんだ。乗っ取るしかないだろう」 ってわけですな。
 しかしそんなものを乗っ取っても国家は変わりはしない。マルクスが口先でいったように、国家過程とは上部構造にしかすぎない。マルクスが何も言わなかったように、(国家過程ではなく) 国家本体は、それが依拠する下部構造において武力支配根拠が消え去らない限り、変わりはしない。号令をかけるのが「何階級」であろうと支配根拠は消えはしないのだ。
 
 とまあ、しかし、そういう正しいことを (アナーキストが) いうことが特異になるだけ、やはり資本主義的国民国家というものは、世界史的に進んでいるのですね。中央コンゴその他でいっても何も意味がない。政府に対しては、逃げるか戦うかその一員になるかの選択肢しかない。
 「って、そりゃいつの時代も同じだろう。今だってそうだ。みんな隠し通しているが」 って。
 そうなんだけど、歴史的状態で主張をつむぐ意義が違う、という趣旨です。
 
 と、「国家と革命」のページをめくっていて思ったところです。
 
 というわけで、これも、次回配本『行為の反逆』に反映させますです。


コメント
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