リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

人民的社会科学概念の生成(その2)

2024-05-19 13:28:25 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。今日は大谷が無安打で面白くない。投稿で気分を変えます。
 というか、題がいい加減なので、間が空くと(その2)が何だかわからなくなりますし。

 さて、では人民は概念による社会現象把握ができないのか、といえば、そうではありません。人民は自分の力によって、当時の社会の現実を科学的に把握する。これは社会に既存の、各種利害に混乱した概念を豊富化して把握していくのではなく、豊富な現実を、自分(たち)にとって、意味のある現実として概念的に再構成するのです。
 
 1 史的構築性
 
 人民は、過去・現在・未来について、自己の人生と、自己の仲間の人生を未来に向けて成功的に豊富化するために、時間の移行過程に自己と仲間の生活上の必要を適用します。
 明日はうまくやろう、それには現実が「本当は」どう動くか知らねばならない。俺については過去こうだった。あいつについてはどうもこうしているらしい。結局、現実というのは「こうして動いていくようだぞ」。
 この作業こそ、ブルジョワ思想家の「史的唯物論」を実質的に凌駕する時間的唯物論です。
 この唯物論は、人民の、第1にイデオロギー意義、第2に理論が常に引き受けている因果連関の評価を含みます。「なんだ、結局政府や資本家の言うことは嘘ではないか、みんなにあれはウソだと伝えよう」。また「ストを打ったら賃金が上がった。スト権論というのは正しいじゃないか。ブルジョワ新聞では賃金が上がったのは労資の連携策だ、とかいうが、そうじゃない。俺らがストを打ったから賃金が上がったのだ」。
 
 2 社会科学性
 
 人民は周囲の人間の現実に生じた対応の諸事実から、関係性についての法則を取得します。これが学者や評論家の観念が作った空語ではない、「本当の」関係性の要素です。
 
 3 認識と実践の統一
 
 人民の外界の現実の把握は、それ自体実践を含むしかありません。正しく、かつ、分かりやすくいえば、実行をめぐる瞬間瞬間の忍耐です。あるいは逆から言えば、人民の一見した非実践は、その中に当然にも外界の把握を含むのです。
 ここに必ず存在するのが「現実」です。人民の行為は、前衛主義者の独りよがりや組織大事の空語を排斥せざるを得ません、すなわち、科学以外ではありえないのです。

 4 運動概念の必然性
 
 「3」の契機によって、また、人民の認識は「運動」から離れることができません。外界の運動と、主体としての自己の運動です。人民は外界が次の一瞬に変わらないか、そればかりを気に掛ける、と同時に、外界をどうにかして変えられないか、それもまた不断に注意し続けることになります。
 
 5 諸概念の統合的把握
 
 こうした人民の自分(たち)のための科学的メリットは、しかし、常にブルジョワ思想家からの切り崩しにさらされています。
 ここで研究者の役割は、第1に、社会に広まり続ける傾向性をもつブルジョワ論理の排斥です。
 ついで第2に、人民の個的認識と仲間全体の認識の統合です。この統合には、個的行為と人民全体の賞賛と優越への統合を含むことになるのです。
 
 というわけで、隈の次回作には、生産、消費、分配、交換などという概念は、否定するためにしか登場しません。それが本来あるべき「経済学」批判なのであります。


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「概念的把握」作業の問題点(その1)

2024-05-18 15:54:05 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。春真っ盛り。初夏まっさかり? いやあ、「夏」は禁句、自律神経に悪い。
 ともかく、あっちこっちに花が咲いて良い季節で。みなさまにはお仕事だけじゃもったいないけど、そうは休めず、で。どうもGWって昔から中途半端な時期だと思うな、今時分、休みがいいのに。
 
 今日のニュースもたいしたことない。
「空飛ぶクルマ、都内で初飛行 操縦士乗せ高度10m、観客拍手」(共同通信)
 って、写真を見たらなんともヘリコプターより大げさ。まあ安全てことかね。
 災害地物資輸送ならドローンより信頼がおけそうなので許す。
 
「発表前日のツーショットを独占撮! 電撃引退の宇野昌磨…選んだのは恋人・本田真凜とずっと一緒の日々」(FRIDAY)
 いや、フライデーの写真なんだけどさ、宇野が本田に「連れられて」て可愛い。
 こういう可愛さがスケートダンスには余計だったんだよね、まあ幸せに暮らすのがいい。彼、900gの未熟児だったんだって。大事にしてあげよう。

「ロコ・ソラーレ吉田夕梨花が結婚発表 お相手はスピードスケート日本代表・新濱立也 姉の吉田知那美らメンバー祝福」(スポーツ報知)
 おめでたいけど、一時代が終わったな。といってもまだ6、7年しか経ってない? そんなもんかねえ、、
 
「「共同親権」 DV・虐待被害者 置き去り
参院法務委 民法改定案を可決」(赤旗)
「自民、公明、立民、維新の賛成多数で可決」って、なに立憲民主党。男の票稼ぎか? 今日は本会議で成立したって。
 弱い者の味方をしない党は、リベラルでも左翼でもない。 どうせ嫌いだけどね。

「与野党は「伝統重視」で足並み 国民の理解がカギ」(産経新聞)
 これじゃ主題がわからねえ。変な見出し。
 主題は皇位継承。
 「安定的な皇位継承策などに関する与野党協議が17日、衆参両院正副議長のもとで始まった。伝統に背を向けた近視眼的な議論を避け、先人から託されたバトンを後世へと引き継げるのか。国民の理解を深めることが重要な責務となる。」
 サンケイだからいうのは構わないが、なんで国会と国民の意見が違うんだ?
 もちろんわたしにはわかってるが、新聞がそんなことを書くのは変だろうが。「国民の意見をないがしろにする国会議員たち」とかの見出しにしろよ。
 

 さて、本日は本の紹介が先にあるんで、ニュースははしょり。
 本は松田卓也「間違いだらけの物理学」
 いろいろ面白い話が載ってますが、ショックなのが
   【「太陽にゴミを捨てられる」は間違い!】 
 だってさ。ええ~~てなもんです。ここで「ゴミ」とは放射性廃棄物ですが、それは技術的にも費用的にも端にも棒にもかからない案だと。
 知らなかった。太陽でなくとも宇宙に捨てられるかと思ったら、ロケット打ち上げはいつも成功するわけではないと。いわれてみればおっしゃる通り。世界の上で廃ウランをぶちまけたら、原発崩壊の類じゃないカタストロフ。
 
 で、これは前振り。この本は、「「飛行機がなぜ飛ぶか」分からないって本当?」を松田氏がネットでしゃべってたのを使おうかと、でもネットじゃ文献じゃないんで、松田氏の著作を調べて読んだ本。
 飛行機が浮かぶについてはそこらの教科書等の説明は単純に間違ってるんだってさ。ほんとうは翼周りの空気の循環によるのだと。
 「ここに循環があると“仮定する”と、大変よく説明できるのです」というわけで、それは眼で見えない。数式は昔からあるんだけど、「非線形」だからとけやしないんだそうな。 近似式を解くだけ。
 しかし、近似式は実験とあっている。
 かくて
松田:数学者、あるいは「全てを疑え」という科学哲学者の目からすれば「飛行機が飛ぶ理由は、まだ完全に分かっていない部分がある」と見えるのかもしれませんが、工学者としては、計算と実験がほとんど合っているのですから「完全に分かっている」と言ってかまわないと私は思います。
 んだそうな。
 なるほど。
 
 さて、なぜこんな話をする必要があるのか?
 マルクスの意図はおいて、「資本論の労働価値のめちゃくちゃな「論証」は、案外目くじらを立てることでもないのか」という疑問が湧いて。資本論第三巻まで読めばトータルとして現実把握になるのだから、ま、いいか、ですむのではないか、ということです。そういえば物理学だってやっているはず、と思い出したのが上の話。労働価値説で現実と合ってんだから文句はあるまい、というわけで。
 もっとも若人は宇野経済原論で正しく認識してくださいませ。上記はもっと大きな観点からみれば些細な問題に過ぎない、ということです。
 
 で、もっと大きな観点、本日は社会科学作業としての「概念的把握」。ヘーゲルの言葉遊びの話ではありません。
 これにつきましては本ブログで、マルキストが当然のように持ち上げる「概念的把握」が、実践につながらない静的な状態であることを何回かいいました。本日は、それ以前に、「概念的把握」自体が抜きがたく持っている性格を問題にします。

 人の世の諸概念の内実は、その言葉を使う優勢な人々によって規定されます。これは誰もが当然と思うことでしょう。言葉は使う人のもの。ではその概念を分析すればどうなるか。その優勢な人々の規定性が現象してきます。この状態が、いわく概念的把握です。
 (「優勢な」とはアメリカ社会科学でよく使う、「内実は問わないが社会で立場が上になっている」という意味です。内実を問わないのが大事)
 と、本日の言いたいことは半分言いました。
 
 概念的把握で現れてくることは、その言葉を使う優勢な人々の規定性、経済学概念でいえば、資本家と国家におべんちゃらを使う評論家、他称学者の規定性です。 
 いわく、生産、消費、分配、交換。まことに「経済学」です。
 K.マルクス「経済学批判への序説」(岡崎次郎訳)『経済学批判』所収、大月書店、1966.
 そう、マルクスの資本論があまりにも狭小な世界なので何でかと思って、出版はされたけど草稿である「経済学批判」のほうをめくったら、ごまかしようもなく書いてあった。
 まったく人民とは関係のないことをしかも関係のないように書いてあるので気づきました。
 何だ、ブルジョワ、ヘーゲルの徒ではないか。
   いまさらだね。
 
 仮にその露わになるはずの規定性に意味があるとしたらそれは、その規定性の、第1にイデオロギー意義、第2に理論が常に引き受けている因果連関の評価による。つまり第1に、われわれ支配者は労働者の貧窮にはなんら関与しておらず、我々資本家は労働者と対等の交換契約をしているにすぎない、という自己弁護と、第2に、これを正当ならしめる観念構築です。これもなんどもいいますが、因果連関は立場次第でどうとでも書ける。
 
 そんな都合の良い結論が内包されている、社会に優勢な彼らの使う「概念」について、われわれ人民はそこに現れた規定性を真に受けることができるでしょうか?
 これ以上いうのも馬鹿のようですが、そんなものは人民には一切関係がないのです。

 さて、本日の残った半分。
 では人民にはなにがあるのか。人生の事実そのものです。
 私の好きな滝沢克己、「「歎異抄」と現代」、三一書房、1974.p74の表現より。

 もともと概念の把握などという作業の意味は、人間の情報一般の中においては、説明の便宜上都合がよい、というものでしかありません。へいこらするのは、資本家と国家におべんちゃらを使う評論家、他称学者にまかせておけばよい。
 人民には、上級国民とは異なり、説明の体系の伝統などというものはありませんが、その代わり、仲間に普遍的な彼(当初は単数)の生活体験というものがあるのです。
 かくてわれわれは、指示語としての言葉はやむを得ないものとして使用しつつも、その言葉が通例指す現実については、普遍的なプロレタリアートの人間的規定性を分析することになります。それがブルジョワ思想家の言う「概念的把握」と同等の位置になる、ということです。 
 ブルジョワに重要な生活上の事実は労働者の生産であり、消費のための購買です。さらに自分の取り分と労働者へのおこぼれの額であり、交換という名の強制的雇用です。
 人民に必要な生活上の事実は、自分の生産手段の行方であり(毎日働いてるのに明日で首になっちゃうよ)、かつかつの毎日の消費の内容です(またキャベツが買えないよ)。さらに賃金をいくらもらえるか、なのですが、それが、「交換」!!! なんだそれは。
 
 本日は、概念的把握など人民とは一切関係がない、というところまで。次回は、じゃあどうしろというのか、の話。
 
 ううむ、こんなシンプルに「概念的把握」をけなした人間は、少なくとも歴史上世界にいないな。
 未来には、いるかもしれないが。
 
 
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実はほんとうには知ってなかった

2024-05-11 16:16:17 | 断片
 こんにちは。日本全国春爛漫。昨年の酷暑のベランダで瀕死だったゼラニウム、冬には枯れた茎の根元に5mmの葉が2枚残っているだけでしたが、じっと耐えて1枚1枚葉を増やし、今日はその先に赤いつぼみが見えました。すごい。がんばるものです。わたしゃぜんぜん負けるな。
 
 連休はゆっくりできましたか? わたしは二子玉川へ出て(歩いてける)、鮎ラーメンを所望。知ってる? 246の下。ごくローカルなラーメンで、ラーメンの上に開いた焼き鮎が1匹乗っかっているもの。多摩川にも鮎はいる(放流してる)んですが、食うにはさみしい。岐阜の鮎だって。鵜飼の岐阜。太ってて食べがいはあります。特製ダレとタレ漬用のご飯付きで1500円。味はというと美味しいタレで。鮎は?? まあ、話の種でしたので今書いております。
 鮎のことをいえば稚鮎の天ぷらというのがあって、一尾350円、これは美味しかった。問題は、小さくてビールのつまみにしかならないこと。しょうがないね。
 ちなみに、もしも多摩川下流で鮎を食べようと思うなら、登戸の柏屋(法事屋)で売ってる時期があるはず。多摩川産じゃないだろうけど。下流は都会で漁業はもう無理。

 連休の街歩き番組で知りましたが、二子玉川とセットの九品仏の大行事おめんかぶり。ほんとはお盆に3年ごとでやるものでしたが、5月5日に変更だって、しかも4年ごと。暑くてお賽銭が集まらないのかねえ、、菩薩扮装の年寄りが熱中症で倒れたか、、しかし付近じゃ数少ない夏まつりなのにさ。というより、地獄の釜開きに合わせた極楽行事なのに、なぜ子供の日??
 
 昨日のニュース。
 「核のゴミ「文献調査」熟慮の受諾…佐賀県玄海町長「議論の呼び水に」「お金目的ではない」」(読売新聞オンライン)
 人口5000人。これで20億円、1人40万。まあ、おいしいことで。
 ところで、2,3週間前、洗い物してたら後ろのテレビで、原発がある町は、処分場も拒否してはいけないなどと殊勝なことをいう自治体首長の声が聞こえたけど、ここかい? そりゃあいい根性だ。富岡が怒るぜ。空想ならなんでもいえる。
 
 さて、本日はそんな世間には背を向けた、宇宙の話。わたしのオカルト話ではありません。
 三木成夫「胎児の世界」と「海・呼吸・古代形象」。
 生物の教科書とかで聞いたことのあるでしょう、ヘッケル。「「個体発生は系統発生を繰り返す」という風に言われる。つまり、ある動物の発生の過程は、その動物の進化の過程を繰り返す形で行われる、」ウィキペディア。それをとても説得力のある文章で書いてあって、いたく感心いたしました。
 鶏の卵とか、人間の卵で自分で実際にいちいち見てスケッチして、って。グロだけど。
 そうするとさ、受精卵がフカの胎児になって、ニュージーランドのムカシトカゲの胎児になって、とつぜんケダモノの胎児になるんだとさ。その文章がうまくって。生物好きにはお薦め。
 類の話だと他人事だけど、一人の自分がフカやムカシトカゲを経由してからこの自分になって産まれたって、なかなか示唆的じゃないかね。
 いまだに定説になってないのが不思議だけど、毛唐は狂信的だから、神様の行いを信じたいんだよね。
 しかし、理屈は違う。
 つまり、ちょっとだけ遺伝子が変って成獣ができる。次にそいつがたまたま生き残る。そしたらその遺伝子が次世代に伝わる。これが何億年も連鎖する。シンプルな話。
 だけどこのシンプルさを人間は知っていたほうがいい、傲慢だからね。魚あっての人間、爬虫類あっての自分。
 げ。
 不愉快ではあるけど、人間、それでも自己の原罪を見つめなければ。
 原罪。げ。
 (p.s. ここで昨日の昨日、いいたいことばかりいってもいけないようです。どうしようかなあ、と思って。
    知ったほうがいいのか悪いのか、どういう伝え方をしたらいいか思いつかない。困ったなあ、、
    三木先生というのはやはりアイデアの貧しさに規定されてるね。わたしならもう少し踏み込んで、「しかしこっからここは形態に過ぎない、人間の規定性はそこから始まり終わるのだ」と知ってから本を書くね。うん、そこだよ、まずもって必要なのは。
    偉い? 何言ってるかわからない? 昨日のネットニュースだけど(翌日書いてる)、とりあえず本を読むまでわからなくていいや。)
 
 で、動物はいいや。植物はどこにいっちゃった、ていうと、口から肛門までの消化器が植物なんだってさ。ただし裏返しの。〈動物は、食糧という肥料を注ぎながら身体という大地を自前で持ち運んでいるわけだ。「身体」は「消化器」のほうが第1歩としてはわかるでしょうが、ここは「身体」にして、壮大なアイデアを追加作成したいところ〉。
 これもシンプルでよろしい。
 
 三木先生、惜しむらくはちょっとアイデアが乏しい。文学的なんだけどね。わたしやエンゲルスだったら、この本の百倍は新しい知見を書けると思うのだけれど。今書いた前パラグラフの〈 〉だって私が書けばそうなる、というアイデアの片りんを見せたところ。これをもっと発生学的に書けば本になるわけだ。
 まあ、謎が残ってないと科学なんかつまんないから、書きすぎないのも悪くないし。
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引っかかること

2024-05-04 16:52:37 | 断片
 こんにちは。東京地方、ゴールデンウィーク真只中。日本全国そう? ま、ともかく東京地方は快晴続き。これは暦通りの人の勝ち。混んでてしゃあない? それはぜいたく。
 なんて言って、退職者は散歩くらいでちょっとやりすごします。天気悪くなるけどね。
 メーデー参加の方はご苦労さまでした。高齢者の身体に雨は悪いけど、まあそういうもので。わたし? は行ってない。
 お天気でなくても後のビールとかね。知らない人でも一緒にいるといいとこも見えてくるし。
 
 前ちょっと書いた、故友人のおくさん、新しいお友達と順調に過ぎてて楽しそう。
 なんだけど、ブログによるとどこぞで蹴つまづいて私と同じ薬指を骨折したそうな。写真が出てたけど、私よりぜんぜん軽そう。まあ、わたしも骨折だったんだろうね、医者のやることは想像がつくんで行かなかったけど。そしたら想像通り、隣の指をギブスにして包帯で固めたと。それじゃ風呂にも入りがたい。めんどくさくて生活できない。
 若いうちは折れないんだろうねえ、聞いたことないし。常に目に入れる視界が狭すぎというもんだいとも思うけど。
 
 さて、サッカーU-23アジア杯優勝だって。PK良く止めたもんだ、かっこいい。
 とはいえ、誰一人名前を知らない。監督さえ知らないぞ。昔だってサッカー見なかったから私のせいではない。全員新入りみたいなもんだ、オリンピックなんてやめりゃいいのに。W杯でいいじゃん。
 
 スポーツは大リーグ。大谷の出来次第で1日気分が決まるところ、昨日は「史上初の日本人3投手同日白星の快挙 いずれも背番号18」だって。
 あ、そうなのか、背番号18。藤田や堀内と一緒なんだ。野球は巨人だねえ。
 菅野だろうって? 知らない。
 
 「仙台市内で半世紀以上営業を続けてきた駄菓子店が、5月6日で閉店します。売り場に立ち続けた「名物おばちゃん」の思いを取材しました。仙台市太白区長町のフラワー通りにある「ハトヤ」。」(東北放送)
 よくある閉店記事?
 いや、ハトヤってちょっと大きくなったわたしが通ったパン屋兼駄菓子屋の名前で。(あと緑ヶ丘小学校わきのツルヤね。) ジャムパンとかバナナアイスとか風船ガム、もうずうっと前に消えて商店街も残ってない。そんなのあったよねえ、という人もいないんで、ここに記載。
(p.s. あ、違うよ、ウサギヤさんじゃん。アイロンかけてて気づいた。ボケ。でもせっかく書いたから残しとこ)
 
 きのうは憲法記念日で、憲法はどうでもいいけど、朝日新聞取ってると
「朝日新聞阪神支局襲撃から37年 散弾銃で2記者死傷、未解決のまま」
 みたいに、記念日化した襲撃事件が眼に入ります。右翼が「小尻知博記者(当時29)」を殺害。前も書いたね。(2017-05-06)「朝日新聞の元記者のH氏」が執念を燃やしているという。H氏って樋田毅君。年上だけどね。もうみんなの人生も時効かな、と思って気が付いたとき、昔書いたイニシャルを直してます。
 写真を見ると好々爺になってしまった、72年早大正常化共闘議長(わたしは学部は早稲田でないので正式名称は知りません)。同じく好々爺になった書記長と一緒に大学院の間ゼミの同期。昔は時代だからピリピリしててね、二人とも同期なのに先生経由以外では一言も話したことがない。危なくってさ。他人のことは言えないが。危ないから私のお友達はだいたい佐藤慶幸ゼミの人。(今検索したら間先生のネット情報も増えてよかった。昔はこのブログが1ページ目に出たんだから。)
 ま、ともかく、樋田君の思いに少し乗って、小尻氏の存在を記録しております。
 
 
 今日は近くを散歩、はいいけど、眩しいんで驚き。白内障手術後まぶしくなることがある、とか書いてあるけど、他人ごとだと思ってた。これは困った、遠方用のメガネは度付きサングラスかなあ、、わたしサングラスすると恐い顔なんだよね、、
 もういい加減わたしも好々爺だからいいか、、、 

(p.s.1 TBSこどもの日特集、バイオリニスト高嶋ちさ子が、バイオリンの練習をするラオスの子どもを褒めるったら、すごい。それに反応する子供の笑顔! 実は私もバイオリン初心者の上手い下手はわかるのですが、それにしても下手くそな彼の引きっぷり。しかし、褒められた満面の笑み。
    すげえなあ、、これをそこまで手放しでほめるられか。高橋ちさ子って褒めるべき人間じゃない??
    わたしはタモリ亡きあと、金曜日、高橋茂雄「の」、「ざわつく! 金曜日」のファン。)

(p.s.2 「あたため中 ツバメの子育て始まる 巣の中で愛を込めて/兵庫・丹波篠山市」(丹波新聞)
 かわいい。ツバメの母親。)

(p.s.3 パンダの故タンタン、高年太りの後ろ姿、かわいい。新聞に出てた。)
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ばかばなし

2024-04-27 15:38:49 | 断片
 こんにちは、なぜか空き地にヒメジョオンが多い今年、ゴールデンウィークですね。みなさま、大連休取れそうですか? 東京地方、うまく暦通りの方はだいたい良い天気のようで。
 わたしは大連休はとくにありがたくなかったけど、何といっても通勤電車が空いててうれしかったよ。なんとなく世間が浮かれてるのもいいし。今日の昼は生まれて初めてビッグマックなるものを食べてしまった。あんな箱に入ったマックは初めて。味が濃いからポテトと合うね。値段のことをいわなきゃお薦めだな。値段のことをいえば、並みマック3個のほうがいいけど。味、さっぱりとね。
 
 世間は国内旅行が15%だって。海外旅行は1%。
 わたしは行きたいのはBBQ。ネットに、ワンピースを着て行くとどうの、という記事があって、あ、そういえば、と思いつきました。問題は一人二人で行っても面白くないことで。5,6人でビール飲みながら焼肉つまむのって最高。そこらの原っぱでいいからだれか誘ってくれないかな。
 
 それ以下で目を引くのが「デ・キリコ展」都美術館、2200円。
 といっても最近の人は知らないだろうね、昔のマンガ絵描き。なんちゅうと怒られるね、新聞とかには「巨匠」だって書いてある。見たって別に感動はしないのだけれど、明るくて好き。でも行かないだろうな。都美術館はいつも私と趣味が似ている。一人の主任学芸員が仕切っていると見た。

 さて本日のやくにたつきじ、
 「足の小指を脅威から守る!「ギリギリ役に立つ」発明品に賞賛の声」(おたくま経済新聞)。これが、家具に足をぶつけても大丈夫なガンダムの足のようなガード。なかなか信頼感がある。
 薬指は対象外だろうか? 私の薬指の靭帯損傷は3カ月経ってようやく癒えてきましたが、小指も毎日あちこちにぶつけてる。今日もぶつけた。あと、頭ね。これも毎日のようにどこかしらぶつけている。今日はまだ。屋内ヘルメットがいるかも。気の利いた機能を持ったヘルメットをつくって欲しい。ぶつけると閃光を発する、とか、どうだろうか。頭が活性化するかも。
 (どうでもいいけど、この「おたくま経済新聞」表記って、テキストコピーで発見した、「おたくま」の飾り文字に隠されたテキストデータ。どうやって作るんだろうか、、、)。

 といったばかげた記事にちょうど合う
 「「子どもの票は僕のもの、って」吉村知事の「0歳児に選挙権」提案にSNSドン引き 蓮舫も苦言」(女性自身)
 ゼロ歳児にも選挙権を与えれば政治が未来志向になるってさ、吉村が「僕は子どもが3人だから、僕は4票の影響力」と書き連ねたそうな。
 ばか。
 奥さんが逃げた吉村。ほんと大阪民て、と思うぞ。
 
 これは感心
 「実写『シティーハンター』海坊主役が話題 ビジュアルそっくり!マフィア梶田が担当で「配役ナイス!」「本物」」(ORICON NEWS)
 マフィア梶田なる俳優が、ほんと「海坊主」氏にそっくり!!
 これだけで実写見たくなる。
 冴羽リョウ(鈴木亮平)もまあまあ。ただ、槇村香(森田望智)がちょっとシリアスさに欠ける顔だけど。香、原作の一途さがいいんだけどなあ。
 
 ちょっと現実に戻って、
 「カスハラ「対応いたしません」=厳格な方針発表―JR東グループ」(時事通信)
 ヒマなじじいどもの発言は無視するって。素晴らしい! めったにない朗報。
 パワハラ、セクハラ、マタハラ、ケアハラ、モラハラ、アルハラ、、、自動車に乗れば若人をひき殺す、悪いことは全部クソじじいのせい。
 
 なんていっててもしょうがない、本日のまとめ。 
「あしなが育英会奨学金 応募の高校生6割余り給付受けられず」(北海道 NEWS WEB)
 各都道府県で募金キャンペーンをやっているもよう。お近くで見かけたら、ぜひ、1票(?)を。
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連帯が求める唯一の因果連関

2024-04-20 16:03:30 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。東京地方、今日もいい天気。明日から良くないけど、温度はきちんとあるって。ただ洗濯は今日のうちが良かったみたい、もう遅いけど。
 わたしは毛糸のカーディガンを洗えばよかったところ、今日は薄いパジャマをamazonで買ったのでそれを水洗い。臭いしなんか薬品ぽいし。で場所取るから。

 日用衣類は隣町のイトーヨーカドーで買ってたんだけど、パジャマ見に行ったら最低4500円(税込)って何の話だろう。信じられない、なんのためのスーパーか。ヨーカドーもつぶれていくわけだね。ここももういらない、買うモノ、ゼロ。下着さえM以上しかない。もうわたしの御用は靴下だけ。靴下なんかドンキがあるし。
 というわけで、宅配便さん、お世話をかけます。

 今年はタケノコ豊作で安いんだって。100g38円だって(練馬区)。でも家の近くのスーパーで家人が65円で買ったやつ、下茹でして皮剥いたらぐずぐずに崩れて、臭いったら。前からそういうスーパーなんだけどね。食品スーパーは複数欲しい。今回はヨーカドーでそこそこ大きいのを750円(税込)で買いました。問題なかった。フキノトウもタラノメも売ってなくて買えなかったので、せめてタケノコくらいアクを感じるやつを食べないと。ヨーカドーはつぶれてもそのあとに食品スーパーは入るから問題ない。
 
 ネットに「サクランボ狩りをする子供たち=山形県東根市で」なんて写真がでてます。まだ早すぎ? たしかに。いや、まだ寄り目の年長さんほどの子どもたちがサクランボ狩りしててね、可愛い。

 食べ物だと、
「新幹線車内で「豚まん」を食べるのはNG?ネットの“マナー違反論争”にJR東海が示した「回答」」(女性自身)なんてのもあるよ。豚まんが臭くて迷惑だって。
 こうゆうのもなんなんだろうねえ、、こんなどうでもいいことを声高に言いたがるって、どこの人間たちなのか、と思って。たとえば、SNSやってる3%の人間か、若人の6割の人間なのか、、、ばっかばかしい。けど、日本のどっかにいるんだよね、これも信じられない。わたしが時代遅れなのかね。
 
 まともなニュースがありました。
「一本指で奏でた第九 脳性まひの少女、夢かなえた「だれでもピアノ」
ショパンのノクターンを弾きたい――。手足に障がいがある少女の願いと、それに共鳴した研究者の情熱、AI(人工知能)も活用したメーカーの技術力が、「夢のピアノ」に結実した。名づけて「だれでもピアノ」。一本指の演奏が、ベートーベンの「第九」の壮大な調べをホールに響かせた。」(朝日新聞)
 指一本で第4楽章を引いたって。技術の、あるいは技術をひっさげた人間の心の、勝利だね。

 も一つ、乗りかかった船で、子供支援金の税金増、後期高齢者分が出ました。
被用者保険で年収200万円で月350円、年収400万円で月650円のところ
「加入者1人あたりの見込み額は、年収250万円で月額550円、300万円で750円。」(朝日新聞デジタル)
 だってさ。可哀そうな年寄り。
 さて、しかし、これは自称平均。
 後期高齢者医療というのは、当然、県によって違う。子供が多けりゃ拠出も多いし、所得が低けりゃ、その県で人数は少ないけど所得が多い少数派に負担がしわ寄せされる。で、dodaのサイトによれば、わが熊本県では平均と比べて子供が1割以上増し、所得が1割減。こうして平均と2割違うことが規定されます。
 年収250万円で月額660円、年額8000円。300万円で900円、年額1万円強。ま、国保と比べて同情するには当たりませんが、世の中の政府発表とは、こういうものです。ほんと、そもそも官僚なんて、生活者のことなど何も知りゃあしねえ。

 さて、本日はひさしぶりの社会(科)学。
 眼も良くなったから図書館借本を再開して、一通りできた原稿諸メモに、新しい知見でも添えていこうか、なんて思って、図書検索で2000年以降出版の社会学本を検索して6冊借りてきました、ら、箸にも棒にも掛からない。呆れかえった惨状。
 こんなのを大学で読まされる若人は、社会学をなんだと思って卒業するんだろう?
 学者は何を考えて研究しているのかねえ、、誰にとって、何の意味があるのか。本を買う若人が可哀そう。
 まあいいけどね、他人のことだし。若人は今の社会学なんて勉強しようと思わないように。大学は卒業証書のためにある。大学に行かなかった人は無駄な人生の時間を費やさずに済んでラッキー。
 でさ、面白くないのが、誰とは言わないが昔はマルクス主義社会学でならした転向学者。いいたいこといってたくせにソ連崩壊で左翼から足を洗った証拠でも示したいのか、(私は山田盛太郎のような)「日本農村に対するイデオロギー的批判の観点をできるだけ排除して、具体的な事実に関する記述を拾い上げ、「日本の農村」の姿を描き出すことにしよう」だとさ。何だよ、イデオロギー的批判の観点て。いい歳した社会学者がそういう存在非拘束性に無知な発言はやめて欲しいものだ。マルキストたちはかえって存在非拘束性って知らないんだよね、知ってたらブルジョア社会学批判なんてできなかっただろうしね。
 
 では、あらためて、
 
 まずは(当該諸本は)「無意味だ」と。
 意味があるってどんなことでしょう? 自分が想定する範囲内の行為主体について、なんか役に立ちそうだ、ということでしょ? 自分の役に立ちそうだ、とか、友だちのA君には役に立ちそうだ、とか。
 だからね、難しく言うと、「意味」は、その情報が、想定される行為主体の未来行為について、適用可能なものだ、ということです。
 だから、原理的に個人的なものなのです。
 それが政治的に役に立とうが、自分の学者の経歴に役に立とうが、その違いを説く資格は誰にもない。同じ価値を持ったものです。これが、誤解を避けて強調すれば、ウェーバーの価値自由の本当の意味です。イデオロギーで結構。逆に言って、事実だけを述べて筆をおけばそれはイデオロギーから逃れている、などという素朴な見解、つまり学問が政府のものであった100年前の時代錯誤の見解は、まさか現代の社会学者の取る見解ではないのです。つまり、第1に、事実だけしか書かない選択をして、保守反動に資する著述行為をあえて行った点について、第2に、その著述行為以前に、政治イデオロギーを退けたその選択について、それは当該筆者のイデオロギー的選択なのです。
 
 と、まあね、こんなことは社会学の常識。こんな低レベルのことをこのブログではわざわざいわない。
 本日のお題は、無意味な本に頭にきた研究者として、「意味があることを綴る意義について」です。
 
 まず、ある論は視点と視座によって因果連関の学となることを既に述べました。去年の3月以降のブログ連載、ね。因果連関などいくらでも、在る。ただし、それは視点と視座によって決まる、と。
 今日は、その視点と視座。それらは、行為主体の想定対象によって決まる、ということを強調します。理論者に十分に想定された行為主体にとっては、彼の行為の目的は決定されている。それはほかの誰のものでもない、唯一、その行為主体に属する目的である。それをイデオロギーだ、偏っている、と「批難」しようと、それはお門違い、というものなのだ。想定対象にとって、それ以外の未来の目的とは無意味である。実はある事象に1000の理由や原因があろうとも、想定対象の目的に集約されないそれは、無意味なのである。
 もちろんそれによって決定された視座による因果連関とは、唯一、それ以外ない当該事象に対する因果連関なのである、論理のつじつまがあってれば、だが。
 
 このくらいきっぱり言えば、いかに転向マルキストでも誤解の余地はないでありましょう。
 では、理論者と批難者の違いは何か。
 想定行為対象との連帯の有無です。
 何がイデオロギーだ。
 イデオロギーを放擲し連帯の立場を放擲し、事実だけを書く、ってじゃあそんな人間が読まそうという相手は誰なんだ??? (ちなみに放擲はほんとうに「ほうてき」で「ほうちゃく」じゃないのかねえ。打擲は「ちょうちゃく」じゃないか)
 

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強度近視と(核)白内障手術(その3)

2024-04-19 10:07:56 | その他
 こんにちは。東京地方すっかり春で。桜は終わったけれどもハナミズキが街路樹で青空に映える季節。昔、武蔵境にいたころ春闘かなんかで国電が止まって、三鷹まで歩いたとき綺麗だったな。中央線の窓から見れたやつ。今は知らない。もう大木かと思えば、ハナミズキは成長が遅い、って。遅いったって、高木は間違いない。もう切られたかね。

 さて、もう3回目のお客様限定ブログ。前々回の続き(その1は、2024.4.5)。

 白内障手術の本は事前に8冊ほど読みましたが(なんだ、読めたんじゃん、とか。メガネの目を5センチにくっつけて読んだよ)、7冊までは強度近視なら手術で良く見えるようになるぞ、とか書いてある。「やめとけよ」というのは1冊のみ。新聞広告にだってよく載ってるし。
 そりゃ素人としては憧れますよね、憧れない? わたしゃ、それいいなあ、、と思ったんですが。

 近視が2通りあって、水晶体(レンズ)の屈折率が上がるのと、目のガラス体の奥行が伸びたという原因。核白内障は前者。

 そこで話が変わるようですが、手術後、視界は驚くほどクリアである一方、現状、右目で足元を見ると、降りている階段のふちが湾曲して見える。おや、と左目で見ると、階段のふちが波打ってる。
 乱視のせいかも、と思いましたが、診察時に医者が、「そうとう強いレンズが入ってる」などと言いました。
 んんん? てことは、単に強いコンタクトレンズを固定しただけ?
 これはちょっとまずい。医者に、「近視進みますかね」と聞いたら「ふつうは中年すぎりゃ進まないけど、その年で強度近視の人は、もともとが年とっても眼の奥行が伸びるんだよね」だと。
 ええええ、、、
 「でも、僕の患者にあなたみたいに近視の強い人はめったにいないけど、手術後それほどひどくなった例もないから」だと。
 
 なんだよ、強いコンタクトかあ、、しかも身体固有の調整機能なし。あんましありがたくないなあ。そりゃ湾曲もするだろ。 
 メガネやコンタクトでよけりゃ、手術なしでそのまんま買い換えりゃいいじゃん。
 なんかだまされちゃったよ、って、核白内障近視は水晶体由来だけど、病気前の5年前に戻ったって極強度近視には変わらない。わたしは手術は「今しなきゃもうできな」かったそうだからだまされていいのですが。

 というわけで、白内障でない近視の方は手術なんかしない方がいいですよ。調節機能の有無は大きい。ただしかし、理屈、目の奥行近視の人もちょっとは水晶体レンズの影響があると思うんだけどね。水晶体レンズは調節可能なんだからね。身体だってまずはそっちで調節しようとするさ。
(医学情報? 諸説ふんぷん。ネット情報は医者だってコピペだし。)
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順調な時期へ

2024-04-13 11:32:50 | 断片
 こんにちは。東京地方、今日も晴れ(昨日は部分的にだけ通り雨)。世間はあちこちに若葉、いかにも4月が来たもよう。
 花見は行けましたか? 東北各地も福島、宮城、山形と満開前線が通り、あとは北東北を残すだけ。この土日は最後のチャンスでしょう。花見というのはお客がいないとつまらないところが不規則勤務の不利な点ですね。
 わたしも、先週お客見で近場に行ってきました。みんな楽しそうで、こちらも楽しい。お花見は、現状アルコール不可なので、しない。酒のない花見なんて、トッピングのないラーメンのよう。酒飲みに自販機のホットココアじゃ、子供の鬼ごっこでも見るのがお似合い。
 
 ところで今年の「サッポロ一番」、人気1位はサッポロ一番塩ラーメンだそうな。
 このところ、袋麺は、しっかり麺のラ王か正麺か、スーパーのPBブランドくらいしか食べてないので、懐かしの塩ラーメン買ってみました。
 たら、ちょっと味薄くなってない? あのパンチが消えた気が。昔とげとげしかったゴマふりかけが、なじんで汁に溶け込んでしまう。一緒にキャベツ(やモヤシ)を煮たのが失敗か。キャベツ臭くなるのは経験済みだけど、わざわざ炒めるのがめんどうで(最近は塩系だと生麺でちゃんぽん買うのでまあいいか、と。あれはなぜか煮キャベツが良く合う)。
 まあ、失敗でした。
 
 さて、ニュース。
 子育て支援金。まずは国保の負担額のニュース。
「加藤鮎子こども政策相が答えた。加藤氏は「機械的な計算」とした上、28年度時点では加入者1人あたり、年収200万円で月額250円▽400万円で550円▽600万円で800円」( 4/11朝日新聞)。
 で、ついで被用者保険の負担額のニュース。
「保険料を払う被保険者1人あたりの28年度の負担額は、年収200万円で月350円、年収400万円で月650円、年収600万円で月1000円」(4/9フジテレビ,政治部)
 へえ、会社の保険より国保のほうが安いのか、と思ったあなた、政治家も官僚のそんな善人じゃございませんよ。
 
 国保は「加入者」1人当たり。会社は被保険者1人当たり。
 4人家族がいるとしたら、「機械的な計算」をすれば、加入者4人で国保は年収200万で月額1000円、年額1万2千円。年収600万で3200円、年額3万8千400円の急増。
 間違ってないよ、先に「機械的な計算」を吹っ掛けたのは官僚だからね。
 
 「でも4人家族なら子供がいるでしょ?」って。
 お兄さん、手当の金額は今までと変わらないの。支援金の行方は
 「児童手当の所得制限撤廃や支給期間延長(高校まで)」。額は変わらず。(読売新聞と楽天インシュアランスプランニング㈱)
 貧乏人はふんだくられて、金持ちの政治家や官僚のガキたちに新しくカネが支給されるだけなの。
 どうして新聞ははっきりそう言わないかねえ、、 赤旗(のネット見出し)さえいわない。年寄りばかりで子育て党員なんていないんじゃないか? 不遇の小池書記長くらいしか知らないことなんだね。

 さて、最悪のニュースが。
 「陸海空3自衛隊を一元的に指揮する常設組織「統合作戦司令部」の創設を柱とした防衛省設置法などの改正案が4日、衆院本会議で審議入りした。」(共同通信)
 なぜ赤旗にニュースがない? レベルが知れるぜ。
 これは大きい。なんたって単なる「軍」の部署じゃないんだぜ、「国家」の行く末をトータルに考える部署だぜ。ここの司令官(参謀長)はどうでもいいが、若いもんの「参謀」、こいつらが怖い。左翼の政治局員のような空論アホのレベルじゃないのだから。そいつらが考えるのは、今現実の「国家」。軍事なんか刺身のツマ。左翼の「党勢」ごとき子供の遊びじゃないんだ。ほんとうにこれが怖い。現状、かなう人間なんていやしない。だから私も悪戦苦闘してるのだけれど、おしりに火がついた。そう思わない左翼は、遊び。


 というわけで、わたしの状況は5年くらい前まで戻ってきました。視力から言えば、小学生まで戻ってるし。次回作も少しづつ軌道に。ただ体力低下で、じっとして考えてると眠くなるのが問題。
 左目手術で病院にいったら、角膜移植した子供なんかいるのね。元気そうではありましたが、私のその時と一緒でいまいちのもようでした。かわいそうだねえ、、 最近は「可哀そうと言うな」というのが流行ってますが、可哀そうだと思わない奴なんか嫌いだな(これ他人の場合ね。友達は別。そもそもそんな暇なこと思うきっかけなんか、(かわいそうさんに)会ってる20回に1回あるかどうか)。いつの時代もそんなことを言いたい奴はいるんだよ、ただ、今は正義っぽく主張するのが流行りになって。同情は、いつの時代もどんな対象にも、わざわざ口に出すことじゃない、というだけ。他人は、自分はそれほど可哀そうじゃないんだ、と思って生きていけばいい。わたしなどは、自分に、ぶうぶういわずに自分の仕事をしろ、と内語しましたが。

 今日は早いね。仕事しないと。

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(核)白内障手術と眼圧上昇(その2)

2024-04-11 16:13:37 | その他
 こんにちは。東京地方、次第に微妙にでも気温が上がってきて、今日などさわやか5月の風。これが困る。現在、洗顔不可。汗かいちゃうとめんどう。
 
 というわけで、本日はお客さま限定、前々回の続き。
 神様の思し召しのため、その2。
 (当ブログの題はいい加減です)

 右目が順調に推移し、予定通り左目手術へ。
 ここで私には想定外のことに、手術翌日眼帯をとったら白くぼやけてよく見えない。視界にベールがかかっているよう。
 眼についていた抗生物質軟膏をとっても薄くベールがかかっていて、これは困った。
 医者に言わせるとこれは「眼圧が上昇して黒目が濁っているせい」とのこと。濁っている、って多分水分が溜まってるのかと思われますが。たしかに目にときどき押されるような圧迫感が。
 「不思議なことに右目に出なかったんだよねえ」とかいっております。
 強度近視で白内障も進んでたから出るものだろうって。白内障はきれいに取れてるから一過性のもので、1週間もすれば直るだろう、とのことでした。
 それが火曜手術で昨日のこと。ネットには「2,3日で直る」という情報もあって期待してましたところ、今日の午後にはベールは相当取れてきました。けど、まだ、血液の鼓動が目に反映してときどき視界が揺れる気がします。昨日も午後に少し良くなったのですが、これは昼ごはんの消化に血液を使うせいでしょうか、、(知らない)
 
 まあ、強度近視の皆様におかれましてはちょっと我慢してればいいようです。
 わたしは右目がクリアなので許す。
 
 なお、ネット等情報には「視力は1カ月経たないと収まらない」、というのがあります。
 実際、右目、1週間でずいぶん近くが見えるようになりました。これなら文庫本も苦労しない。、、、って、またガラス体が伸びて近視になったりして、、、

p.s. またなお、人によって花粉症だと、白内障の手術して目がかゆくなると(目に触れてはいけないので)困るがなあ、、という場合もあるかと。
 これは手術後は大丈夫でしょう。ステロイドの目薬をずうっとさせといわれますからその間は炎症は起きないでしょう。そのあとは知りませんが。

(p.s. ステロイドとは別に、ネバナックという抗炎剤を、これは長く2,3カ月つけさせられますが、要注意。
    1 固まるので、さかさまつ毛状態で、まつ毛が目に入る場合がある。
    2 白く固まるので、余分な薬が目やにのようについて、はたから見てみっともない。
      これは事後的にも目から流れるようで、1回拭いただけじゃダメ。
   です。
    相変わらず、ていねいなわたくし。)

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昨日の今日で

2024-04-06 16:28:28 | 断片
 こんにちは。珍しく東京地方(と九州南部)だけは、ぜんぜん花見日和じゃないですね。 来週は晴れ、東京の街路はソメイヨシノが散っても八重桜が綺麗です。ちょっと仕事の息を抜いてね。町会のブロック花壇でチューリップも盛りになるよ。

 さて昨日の今日で別に話題といってないのですが。
 両目が利くようになると世界が変わりそう。とりあえず観光パンフなんか見る気になったり、もしかして人のためになる役目があればまた働いてもいい気がしそうな。と思うと、ほんと昨今自信というものが消えてた気がする。
 うそつけ? はい半分だけうそです。
 ま、片目でも記録されたテキストデータが軽々読めるのさ(パソコン画面は40センチでピントが合う)。これだけで将来が明るい。 
 1カ月経ったら、眼鏡(2個)のレンズだけ遠方と近用で替えれば。しかも度は弱いので、最低価格のレンズで十分。う~~ン、明るい。
 
 昨日の夜は、テレビで、若人と昭和の花見を比較、という特集をやってました。昭和の花見、、知らん。職場で花見にいったことがない。「花見」と言って5分歩いてから居酒屋に行ったことは2,3度。その頃は目黒川沿い花火スポットなど提灯がつってあるだけでしたが。
 ともかくも上野公園とかのえげつない映像のオンパレード。野球拳やらチークダンスやら。あ、こりゃみんなこんな文化からは逃げちゃうわ、と同情しきり。世の中やらんでいい経験はたくさんあります。
 で、昨日の朝日新聞夕刊では、昭和のモーレツ社員なるものの写真特集が。社訓唱和やら絶叫合宿やら。これはちょっと知ってるけどな。
 結論。この数十年で世の中はうんとよくなりました。
 で、良き時代の人間は悪い時代があったことさえ知らん。平成生まれは戦後昭和のことさえ知らんのだから、戦前のことがわかるはずもない。ましてや江戸時代など。
 解釈歴史学が科学になるはずもない証拠です。
 
 さっき見た今日のgooニュースの見出し。 
「危険業務従事者叙勲 3615人受章」
だのというからトビ職の人の職業勧奨にでも勲章を作ったか、と思えば、『警察官、自衛官、消防吏員、刑務官、入国警備官、、、』要するに元公務員だってやんの。人を馬鹿にして。世の中危険な業務なんか山のようにあらあ。すぐ上の見出しは「【速報】窓の清掃中に転落か 45歳の男性作業員 心肺停止で搬送 静岡・伊豆の国市」だよ。
 どうにかしろよ公務員天国。
 そういやあ、公務員でも非正規は公務災害の本人請求権がないと昨日の新聞に出てた。親方公務員というのは実は「吏員」、天皇の召使のことだかんね。こんなもん今だって自治省官僚の常識。「公務員」とは民間委託できない仕事をする人間のこと。公務員なんて言わなきゃ誰も誤解しないで済む。

 とかなんとか。来週はどんなことが起こるか。神様の思し召し。
 
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