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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

頑固者の三段階

2013-06-17 22:24:57 | Weblog

 

 人間は歳を取ると次第に頑固になると言われます。

「何を言われても自分の考えがあって、頑なに考えを変えようとしない」というのが頑固者の定義で、確かにお年寄りにはそういう傾向があるかもしれません。

 ではなぜ自分の考えを変えようとしないのか。

 一つには、「自分は相手よりも多くのことを知っていて、何か言われても、それよりも正しい判断ができている」と思っているから。

 二つ目には、「自分の知らないことを言われたときは、新しい世界の新しいことを考えたくないので思考停止している」から。

 三つ目は、それらを全てわかっていながらなお、「自ら変えるべきではないと折れない心を持ち続ける」という確信的な生き方を貫いているから。


 大きくは、これらの理由が主なものだと思います。

 
 つらつら考えるに、いわゆる勉強をした人ほど1番目の考え方に陥りやすいところがあるのではないでしょうか。

 本を読んだ、勉強した、経験を積んだ、という自分への自信があればあるほど、自分の判断の方が正しいという思いになりがちで、そして実際、ほとんどの場合自分の判断の方が結果として正しく、そんな正しい結果がまた自分に自信をつけさせる。

 ところが、ごく稀に判断を間違えることもあるはずです。

 そしてそこで、「なるほど、世の中には自分が知らなくて判断を間違えることもあるものだ」と思えるかどうかが単なる頑迷からの脱却のチャンスです。


     ◆   ◆   ◆


 ギリシャの哲人ソクラテスは、「私は自分が知らないということを知っている」と言って世界の四聖人にまで数えられています。

 その生き方は、ただ知らないことを放っておくのではなく、人間の限界まで知を追及するように努力して、多くのことを知ってなお、届かぬ領域に敬意を払う謙虚さと思慮深さにあるのではないでしょうか。

 このことは二つ目の「知らないことを言われたときに思考停止する」のではなく、知らないということを自覚しつつ、その知らない世界を軽んずるのではなく敬意を払うべき、という姿勢に繋がります。

 そしてこれら二つを超えたところに、三つ目のそれらすべてを理解したうえでなお、全ての責任を取る覚悟をもって自らを変えないという決断もありえるというわけ。

 
     ◆   ◆   ◆


 人は学ぼうと思えば、幼子との触れ合いからでも学ぶことができます。

 そんな謙虚さと、柔らかな心と、そして自分の確信には命を懸けるという、そんな組み合わせを持った頑固でいるなら、頑固もありかもしれません。

 さて、私も頑固だと言われることが多いのですが、こういう頑固でいられるかどうか…、難しいかなあ。
  

コメント
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