先日6月25日付の北海道新聞夕刊に、「ドカ雪下敷き 遊具泣く」というタイトルの記事が掲載されていました。
記事の趣旨は、ドカ雪により地域の住民が公園に雪を捨てたことで、その雪の重みによって遊具が破損した事例が数多かった、というもの。
札幌市では、当初予算で1億円しか計上していないのにもかかわらず、遊具以外のベンチも含めた公園施設の修繕費の試算として、5億9千万円がかかりそうだ、として、「多くが来年以降まで使用禁止のままとなる可能性が高い」と語ったとのことです。
このことに対して記事では、「札幌市は、市民による公園への排雪を原則認めておらず、今回の事態を受け、遊具が破損した地元町内会に除雪マナーの徹底をあらためて要請する方針」とする一方、小樽市公園緑地課の、「雪捨て場がない狭い地域で、公園内への排雪の全面禁止は現実的ではない、と悩む」という声を紹介しています。
さて、皆さんはどのように考えるでしょうか。
かつて私が建設省(当時)の公園緑地課にいたときに、雪国で公園に雪を捨てることの是非を議論したことがありました。
そのときのまわりの論調は、「道路に降った雪をかたづけるのは道路事業の予算でやるべきで、公園がそのために割を食う必要は無い」といったものでした。
道路事業と公園事業のような縦割りの事業意識が強かった頃の話だと言ってしまえばそれまでですが、その頃から比べると現在は地方分権の考え方も進んできて、首長さんの意志がかなり反映されるようになりました。
ところがそれでも、まだ役所の中自体にそうした縦割りの意識があるのかもしれません。
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私としては、かねてより「雪国では公園に雪を捨てても良いような考え方に転換すべき」と主張してきました。
ただしそれは、遊具が壊れてしまうようなことも仕方が無い、というものではなくて、最初から、雪を捨てる都市内インフラとしての公園のあり方を考えた上で、作り方、維持の仕方、予算の確保を行った上で、地域の雪捨て場とすべきだ、というものです。
本来雪を捨ててはいけない、と考えているから、雪を防ぐ措置もやらないし、結果雪を捨てられた後始末もできないことになっているのではないでしょうか。
私は、公園は都市に必要なオープンスペースなのであって、「都市に必要」とされるニーズは何かを考えたときに、夏の間は子供たちの運動や子育て、地域の憩いの場というニーズが高く、冬は遊ぶと言うよりは雪を置いておくスペースが求められているのだ、と考えています。
だから、夏の憩いと、冬の雪置き場を兼ねられるような作り方や維持管理の仕方を最初から考えておかなくてはならないのです。
たとえば、公園の周りに「車止め」と称して、大きな石を配置したりフェンスで囲ったりします。
ところがそうした施設は冬に雪を運ぼうとすると大変邪魔になります。
フェンスや車止めは冬の前に一部でも撤去できるような作りにあらかじめしておけばよいのです。
今回の遊具も、冬になる前に撤去してどこかの倉庫に補完するような措置を講じれば良いのです。
公園に雪を捨てれば、春先には溶けるのが遅くなったり融けた後にゴミが散乱していることもしばしばです。
それならば春先には雪割りをして、清掃をすると言うことを前提にした維持管理が必要になります。
そしてそのためには、公園を日頃使い、冬は雪捨て場として使いたいという地域の皆さんとの合意を果たした上で、地域の協力の下に経費負担や労働力負担をお願いして、地域の役に立つ公園になればよい。
そうした役に立つ都市インフラであれば、「住宅地の中にはもっと公園が欲しい」という声だって強くなるはずです。公園はもっと求められる施設になり得るのです。
公園利用について、このような地域の合意が得られれば雪捨て場として使うことを認め、逆に合意が得られなければ雪捨て場としては使わせない、という判断をすると言うことで良いのではないでしょうか。
予算だって、道路事業で運搬排雪しなくてはならない雪の量が減った分を公園の管理費に回してもらえばよろしい。そうした柔軟な予算運用だって自治体の中ならばできるはずです。
ここでのキーワードは、あくまでも「地域の合意」です。
地域の合意がとれて、公園の使い方が地域の総意となってこそ、民主主義によって支えられる公共インフラの名にふさわしいのだと思います。
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さて、もう一つの視点は、北国に生きる我々のライフスタイルについてです。
私はかつて札幌市南区にある滝野すずらん丘陵公園の建設に携わっていましたが、この公園の特徴の一つは、夏の利用と冬の利用を全く分けて考えていることです。
夏の管理用道路が冬は歩くスキーコースになり、夏の花畑は冬にスキーゲレンデに変わります。
この公園のパンフレットを見ると、夏利用の案内図と冬利用の案内図があります。
つまり、積雪寒冷地に住む私たちは、同じ施設でも夏の利用・管理と冬の利用・管理を違うものだとはっきり分けて考えなくてはいけないのです。
私たちは『一年の間に、二つの異なる土地柄を持つ場所に住んでいる』のです。
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実はそうしたことは知らず知らずのうちに行われていて、たとえば自動車は夏タイヤと冬タイヤを履き替えて使います。
夏のファッションと冬のファッションは全く違います。女性ならばはっきりした冬のファッションを楽しめることでしょう。
今でこそなくなりましたが、家の中では秋になるとストーブを据え付けて、窓にビニールを貼りました。
春にはそのビニールをはがして、煙突掃除をするのが風物詩とも言えました。
北海道の道路は、歩道と車道の間が本州よりも広く作られています。これは冬に雪を置くためのスペースで、雪国に必要なスペースとして認められていますが、このスペースは夏には格好のサイクリングのための道になります。
私の今いる機械課では、冬の除雪車のロータリー部分を夏は草刈り機に取り替えて、冬も夏も働けるような車を投入し始めています。
北海道の夏と冬は全く違う国なのです。
東京が考える公園利用は、年中子供たちが遊具で遊ぶ公園ですが、北海道では夏は遊び、冬は地域の役に立つスペースで良いし、公園は夏の利用方法と冬の利用方法が異なっていても良いし、異なっていることを前提とした設計・施工・維持管理があるべきなのです。
この考え方を、役所の公園担当部局だけではなく、北国に住む私たち全員があらためて自覚をした方が良いと思います。
知らず知らずのうちの夏の過ごし方と冬の過ごし方を、一年で二つの国に生きていると思うこと。
そのための備えは本州の二倍かかるかも知れませんが、それも含めて受け入れてライフスタイルの前提にしましょう。
そこから北国で暮らすライフスタイルをあらためて考えようではありませんか。