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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

教師よひるむことなかれ

2013-06-05 23:04:14 | Weblog

 いじめ問題がクローズアップされる中、中村学園大学の占部先生は、教師に対して強い指導力を求められています。

 いじめに加担せざるを得ない、子供の心を開きながら、加害者となった子供への積極的な関わりを求めています。

 そんな考えさせられる文章がありましたのでご紹介します


   -----【以下引用】-----


日本の教育を取り戻す
 「いじめ問題の決め手」教師よひるむことなかれ
    中村学園大学教授 占部賢志 (月刊「致知」6月号より)


 いじめ問題をここまで深刻にさせた根因は、教育界に蔓延する怪しげな「子供至上主義」にあると筆者はみています。

 とりわけ、子供の自主性を尊重し、出来るだけ子供同士で解決させるべきだという考え方が教師の間には定着しています。

 結果、いじめは放任され、指導方法も実績も積み上げられることなく、今日を迎えてしまった。残念ながらそれが実情です。

 こうした無責任な教育観を外から剔抉(てっけつ=暴き出すこと)したのが、いじめ問題の世界的権威としてしられるノルウェー・ベルゲン大学のダン・おるべ薄教授の研究でした。

 …(中略)…、これまでわが国では、なぜ陰湿ないじめが起きるのかと言えば、それはいじめる側の子どももまた、心の底に不安を抱えているからだという見方が大半でした。

 その不安をもたらす元凶こそ学校の管理強化であり過度の受験戦争だ。だからいじめを子供のせいにするな。そう息巻いて社会批判ばかりにやっきになっていた組合所属のイデオロギー教師の声が現場に充ち満ちていたのを筆者は鮮明に覚えています。

 ところが現実のデータが示した結果はそうではありませんでした。

 いじめ加害者は、ほとんど不安や恐れを見せないか、仮に見せても、ごく平均的なもので、悩みを抱えているケースもなかったそうです。しかもこれらの結果は、民族の違いを超えて類似性が認められることがあきらかにされています。

 かくて世界の権威は次のように注意を喚起しました。

 いわく、「大人たちが生徒一人ひとりに温かなまなざしを注ぎ、関心を寄せ、その一方で、秩序を乱す行為に対しては毅然たる態度で臨まねばならない。そして、学校においても家庭においても、大人たちが率先して範となることだ。多少なりとも権威ある態度を示さない限り、子供たちはついてこない」と。

 …(中略)… とにかく、必要とあらば、加害生徒をマン・ツゥ・マンで徹底して指導すべきなのです。

 被害者を守るためであるのは当然のこと、いじめる子供もまた等しく教育すべき対象だからです。


   ◆   ◆   ◆


 いじめる側の児童生徒を変革すべきなのは、当該生徒の手記にもはっきりと伺えます。

 …いじめに荷担する子供の中には、その仲間に加わらないと自分がいじめのターゲットになりはしないかと怯え、したくもないいじめに手を貸す者もいます。

 いじめや無視に加担しなければ友人関係が保てないというのは残酷以外の何者でもありません。そうした事態に至る前に徴候はいくらでもあったはずです。

 次の手記はいじめを傍観していた自分を悔いるB夫の告白です。

「いじめの場面を見たことがある。いじめている人は冗談のつもりかもしれないけれど、ぼくにはいじめに見えた。まわりで見ていた人には助ける人はいなかった。いじめに参加している人もいた。そのときぼくは見て見ぬふりをしていた。もしその人を助けてやったら、今度はぼくがいじめられると思ったからだ」

 このように傍観者も内心忸怩たるものを抱いているのです。だからこそ、内に潜む正義の兆しを育てる教育がいかに大切か、改めて痛感させられます。

 的確な指導の手が入れば、それが梃子(てこ)となって傍観者から仲裁者に転換する子供も出てくるに違いありません。子供がいじめに麻痺し煩悶(はんもん)すらしなくなる前に、いじめる側の変革に最優先で当たることが求められているのです。

 ではどうしたら、そうした力量が養えるのか、ヒントを一つ。剣の達人だった宮本武蔵は、「見(けん)の目」ではなく、「観(かん)の目」の大事を説いたことがあります。

 見の目は対峙した相手の動きを注意深く探る。したがって、どこを防御すればよいか対策が立てられる。

 これに対して、観の目は特定の意図を持たず相手の全体をなごやかに見る。この観の目がいちばん恐い。この目こそ剣の極意であると武蔵は言うのです。

 全体を鳥瞰する眼差し-教師たる者、すべからくこの目を磨かねばなりません。そのうえで、大人としての構えと迫力、悪童もうなずかざるをえない卓越した説得力が欠かせません。

 未熟で力不足なら、お手本となるような師匠を見つけ出して日々腕を磨くことです。

  -----【引用ここまで】-----

 本文はもっと長いのですが、途中を割愛しながら文意を損なわない範囲でつなげました。

 占部先生は最後に、「イデオロギー色の強かった組合勢力が退潮しているにも拘らず、なにゆえ教育界は内部崩壊が進行し、かくも不信の対象と化したのでしょうか」と疑問を投げかけます。

 ちょっと辛口の教育エッセイは、今月号から連載されます。本文は是非「致知」を購読して欲しいと思います。

 

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