札幌の職場にいると、道内の様々な自治体の知人が出張のついでに訪ねて来てくれます。
地域の事情を聞くのは、とても勉強になるのですが、気になるのは人口の減り方が早いこと。
「え?もうそんなに減ってしまったの?」と驚くことがしばしばです。
つい最近もある都市の知人が訪ねて来てくれて、人口減少の話になりましたが、彼は、「それでも故郷を一度は出ても、戻りたいという人は多いんですよね」と言います。
「田舎が嫌で飛び出すんじゃないんですか?」と聞くと、「地元には大きな大学がないので、やはりそこで相当市外へ流出します。でも例えば市役所の採用試験なんかは、市外の大学を出た、地元出身者が結構応募してくれていて、今の私の職場なども皆地元出身者ですよ」
「そうですか。やはり市役所などは、Uターン組の希望の就職先なんですかね」
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「日本は明治以来、向都離村で国づくりをしてきた」と看破したのは掛川市でお世話になった榛村純一市長(当時)さんでした。
地域で一番頭の良い人が、東京へ出てきて就職し日本を支えた。地方都市の若者は、『都へ向かって村を離れ』官僚も民間企業人となって、この日本を支えました。
都会の人材供給源は、まさに地域で一番勉強のできた子供たちであり、逆に大学で都へ出ながら、様々な理由でそこで就職せず故郷へ戻って来たりすると、『都落ち』なのではないか、というやや後ろめたい気分すらあったのではないでしょうか。
榛村さんは、「元々、村に残らざるを得なかった人たちや、一度は都へ行ったが戻ってきたような人たちは、都でやれなかったのではなく、『自分は自分の意志で故郷に住むことを選んだのだ』と思えば良い。そして自分が住むことを選んだ土地を、少しでも良くしよう。そのためには自分たちの土地をよく知り、地域づくりに貢献する。それが生涯学習まちづくりだ」と言い続けました。
今日、生涯学習運動は高齢化社会の到来によって、お年寄りの生きがいづくりのような社会教育の分野で語られがちです。
しかし、元々の言いだしっぺである榛村さんは、住民が地域をよく知ることで、「生まれた時よりも良い町にして死のう。生まれた時よりも良い町にならなければ死ねない」というほどに、まちづくりに参加することを説きました。
誰しも、「自分だけは幸せに生きたい」という願いはありますが、それが自己完結した、自分一人の趣味や道楽だけに生きる【べきではない】、自分が使える時間や能力を地域社会に活かす【べきだ】、というのが首長としての強い思いでした。
「人間たる者、かくあるべし」という教えは、しばしば教育の分野で行われていますが、若い人たちを対象とする学校教育では、まちづくりに参加すべし、というところまでは教えてはくれません。
では社会人になってから、そういう教えを聞く場面があるでしょうか、誰かがそう教えてくれる場面があるでしょうか。
かつては祭りなどを通じた、地域での縦社会がそれを支えていましたが、そうした社会システムが崩れかけている都市などでは、行政がそれをやるしかないのではないか、というのが私の持論です。
しかしそういうことを堂々と語り、明確にそこを意識した行政手腕を発揮する首長さんは、珍しいとも言えますし、それが行政そのものなのだ、という認識をもっと多くの首長さんを始め行政マンには持ってほしいものです。
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社会が自分を支えてくれるのは一つの理想だけれど、支えられる前に自分は社会を支えるのだ、とまず考えるのが『修己』であり、人をそう導くのは『治人』。
そう説いたのが朱子学であり儒教の世界。
そういう目で見ると、儒学の古典は人生の良いお手本ですね。
これからは皆が参加する社会システムを作ると同時に、一人一人がもっと力を社会に尽くす機運を醸成して人口減少社会を乗り切りたいものです。