金融機関に勤める友人と久しぶりに会いました。
彼は元々本州の企業の方ですが、なぜか北海道に縁が深くて、何度も北海道勤務をしています。
その彼が、長年の北海道勤務を振り返っていかがですか、という私の問いにこう答えました。
「いやあ、住むには良いところですがね。仕事をするうえでは…、もう離れたいですね」
「ええ?それはいったいどういうことですか?」
「何よりも、判断が遅い!スピーディにやらないと勝てないような分野でも、平気でいつまでも内部調整に時間をかけているんです。前々から、そうは感じてはいましたが、そろそろ気持ちの限界が近づいてきましたよ(笑)」
苦笑いをしていますが、本当にモチベーションがすっかり下がっている様子がうかがえます。
「それは官庁ですか、民間ですか?」
「はっきり言って、どっちもですね。ただ民間でも、金融機関系の人たちと話していると、『あ、それは面白そうじゃないですか、大いにやりましょうよ』となるのが、道内大手と呼ばれるような大企業の人たちと話すと、『関係者と調整はしましたか?』なんてことを平気で言い出すんですよ」
「官庁でも北海道から出た経験がないとか、少ない人が特にだめかなあ。そんなスピード感でいることになんの痛痒も感じていないようなんです。だんだんこちらの方がイライラしてきましてね」
顔は苦笑いなのですが、なんだか北海道に対して絶望しているような感じがありありです。
「まあ、愚痴を言っても仕方がないので、そのうち一杯やりましょう、ははは!」
そういって、そのうち飲もうということになりましたが、彼の言う北海道のスローな感覚に私も浸ってしまっているかもしれないと、ちょっと考え込んでしまいました。
新聞も本も読まず、情報を仕入れることもなく、「なんもさ」、「いいっしょ、ねえ」と言っていることが許されるのが北海道だという印象で良いのか。
「田舎の三年、京の昼寝」という諺があります。
田舎で黙々と勉強をするよりも、京都で一流の人たちと交わっている方がはるかに勉強になるということのたとえです。
少なくても、最前線で働いて地域社会をリードするべき立場の人は、もっとこれからのことを考えて、もっと素早い判断と行動を示さないといけないのかもしれませんね。