朝九時に仙台市内のホテルを出発して石巻市の漁業共済施設へ向かいます。
こちらに石巻市や女川町など宮城県内で、これまでに釧路へ水揚げをしてくれていた船主さんたちに集まって頂いてお見舞いを差し上げるということで地元と調整がつきました。
今日現地に集まって頂いた皆さんは8人。こちらに来られないという方々には後ほど直接お届けもする予定です。
漁業組合長と私から挨拶をして、それぞれのお見舞い金に加え漁業組合からは組合で作っている美味しい魚の詰め合わせも届けられました。
【お見舞いとおいしい魚が届けられました】
集まってくれた船主たちは案外元気でしたが、「8月には漁に行きたいし、行かないと生活が成り立たないのさ」とその思いは切実です。
漁の準備もしているとのことですが、「船だってもう買う算段をしているし、漁のための資材も流されているから買わないとなんない。サンマだったら今年の夏にはなんとしても漁に出て稼がないと収入にならないから、そうしたいと思っているんです」
船については、国や県でも支援を考えていて、船主たちが組合を作って新しく造船するか修理をし、組合所有の船にするのであれば費用の2/3は支援をするという政策を考えています。
実際にはもう漁を止めるという人から船を譲り受けることも多いのだそうですが、個人が買い取るという形には支援はできないというのが公共の立場。【個人資産の獲得】には公的な資金は出せないというのが行政の限界でもあります。
ひとたび個人資産に公的なお金を入れることを認めると、車や家まで広範な個人資産も対象になって収拾がつかなくなることでしょう。制度と現実の狭間で現場は悩んでいます。
※ ※ ※ ※
お昼頃までに石巻での会合を終えると、集まれなかった方たちを直接訪ねてお見舞いをするために気仙沼方面へ海辺の道路を通ってゆきました。
さすがに道路だけはがれきが片づけられていて走れるようになっていますが、道路の脇には大量のがれきが今も残されています。石巻市内でも大量のがれきは見られましたが、そこから先の南三陸町へ入るとその惨状のすさまじさには言葉を失いました。
このあたりはリアス式海岸で狭い沢筋ごとに集落が広がっていたのでしょうが、そのおよそ全てが壊滅状態となっています。南三陸町の役場や、女性職員が防災無線で最後まで避難を呼びかけていた建物もありました。
このあたりは小さな沢ごとに集落があるので、ちょっとした峠を越えると次の沢筋の集落が見えるのですが、まさにどこも集落が壊滅している姿が延々と続いています。
漁業者の間には「市場も近々再会するつもりだ」という前向きで元気な発言もあるようですが、どこかでそうでも言って自らを鼓舞しないといたたまれないという心情が見て取れます。
なにしろ市場を作っても、生鮮の状態で送り込む以上の原魚は冷凍施設を作って保存しそれを加工場で加工して市場に出すという供給全体の枠組みが全て破壊されているのです。
その上怖いのが放射能の風評被害です。宮城県沖ではワカメやカキ、ホタテなどの増養殖事業が生産の主力であるのですが、それらに放射能の風評被害が広がると取っても売れないという状態になりかねません。そのリスクがある土地に再び生産の拠点を作れるのだろうか、それが最大の課題として地域の復興に大きく立ちはだかっています。
おまけに上下水道を始めとするインフラも壊滅している状況で復興を考えたとしても、多くの住民が亡くなりまた産業がない中でどれだけこの土地に戻るか分からなくては将来の事業計画をつくることができません。
【高台で助かった家もありますが、町の機能は失われたままです】
※ ※ ※ ※
今回お見舞いで訪ねた船主の方の中にはなんとか家が残った方もいましたが、電気が通ったのが4月29日のことで、いまだに上下水道の復旧はめどが立っていない状態だとおっしゃいます。
しかしサンマ漁船の皆さんは「なんとか8月には漁に出て釧路に行きたいと思っていますから」と力強くおっしゃってくださいます。
釧路でも今回のお見舞い以外にも、実際に釧路へ来てくださった方たちへの支援も用意しています。皆さんの元気な姿を釧路でお待ちしています。どうぞお気をつけて!
こちらに石巻市や女川町など宮城県内で、これまでに釧路へ水揚げをしてくれていた船主さんたちに集まって頂いてお見舞いを差し上げるということで地元と調整がつきました。
今日現地に集まって頂いた皆さんは8人。こちらに来られないという方々には後ほど直接お届けもする予定です。
漁業組合長と私から挨拶をして、それぞれのお見舞い金に加え漁業組合からは組合で作っている美味しい魚の詰め合わせも届けられました。
【お見舞いとおいしい魚が届けられました】
集まってくれた船主たちは案外元気でしたが、「8月には漁に行きたいし、行かないと生活が成り立たないのさ」とその思いは切実です。
漁の準備もしているとのことですが、「船だってもう買う算段をしているし、漁のための資材も流されているから買わないとなんない。サンマだったら今年の夏にはなんとしても漁に出て稼がないと収入にならないから、そうしたいと思っているんです」
船については、国や県でも支援を考えていて、船主たちが組合を作って新しく造船するか修理をし、組合所有の船にするのであれば費用の2/3は支援をするという政策を考えています。
実際にはもう漁を止めるという人から船を譲り受けることも多いのだそうですが、個人が買い取るという形には支援はできないというのが公共の立場。【個人資産の獲得】には公的な資金は出せないというのが行政の限界でもあります。
ひとたび個人資産に公的なお金を入れることを認めると、車や家まで広範な個人資産も対象になって収拾がつかなくなることでしょう。制度と現実の狭間で現場は悩んでいます。
※ ※ ※ ※
お昼頃までに石巻での会合を終えると、集まれなかった方たちを直接訪ねてお見舞いをするために気仙沼方面へ海辺の道路を通ってゆきました。
さすがに道路だけはがれきが片づけられていて走れるようになっていますが、道路の脇には大量のがれきが今も残されています。石巻市内でも大量のがれきは見られましたが、そこから先の南三陸町へ入るとその惨状のすさまじさには言葉を失いました。
このあたりはリアス式海岸で狭い沢筋ごとに集落が広がっていたのでしょうが、そのおよそ全てが壊滅状態となっています。南三陸町の役場や、女性職員が防災無線で最後まで避難を呼びかけていた建物もありました。
このあたりは小さな沢ごとに集落があるので、ちょっとした峠を越えると次の沢筋の集落が見えるのですが、まさにどこも集落が壊滅している姿が延々と続いています。
漁業者の間には「市場も近々再会するつもりだ」という前向きで元気な発言もあるようですが、どこかでそうでも言って自らを鼓舞しないといたたまれないという心情が見て取れます。
なにしろ市場を作っても、生鮮の状態で送り込む以上の原魚は冷凍施設を作って保存しそれを加工場で加工して市場に出すという供給全体の枠組みが全て破壊されているのです。
その上怖いのが放射能の風評被害です。宮城県沖ではワカメやカキ、ホタテなどの増養殖事業が生産の主力であるのですが、それらに放射能の風評被害が広がると取っても売れないという状態になりかねません。そのリスクがある土地に再び生産の拠点を作れるのだろうか、それが最大の課題として地域の復興に大きく立ちはだかっています。
おまけに上下水道を始めとするインフラも壊滅している状況で復興を考えたとしても、多くの住民が亡くなりまた産業がない中でどれだけこの土地に戻るか分からなくては将来の事業計画をつくることができません。
【高台で助かった家もありますが、町の機能は失われたままです】
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今回お見舞いで訪ねた船主の方の中にはなんとか家が残った方もいましたが、電気が通ったのが4月29日のことで、いまだに上下水道の復旧はめどが立っていない状態だとおっしゃいます。
しかしサンマ漁船の皆さんは「なんとか8月には漁に出て釧路に行きたいと思っていますから」と力強くおっしゃってくださいます。
釧路でも今回のお見舞い以外にも、実際に釧路へ来てくださった方たちへの支援も用意しています。皆さんの元気な姿を釧路でお待ちしています。どうぞお気をつけて!