市議会議員選挙後最初の臨時市議会が開会。大きな議題は議会人事で、議長、副議長、各委員会の委員長などが今日と明日の二日間の会期で決められることとなる。
朝十時からの開会予定も、会派同士の調整による方向性が見えないうちは開かれず開会は午後にずれ込みました。
まず今日のところで調整がついたのは議長のK議員と副議長にT議員のお二方。議長・副議長選挙の結果、共産党以外の方による支持でお二人の就任が決まりました。残りは明日に持ち越しです。
※ ※ ※ ※ ※
東日本大震災による被災地において、多くの冷静で秩序正しくそして健気な日本人の姿に心打たれる場面は数知れずありました。
天災という不条理にさいなまれながら希望を持って明日に向かって立ち上がろうとする同胞の姿に日本中ができることを探してその痛みを分かち合おうと心を一つにしています。
そんな日本の今を象徴するような記事がありましたのでご紹介します。
---------------≪ ここから引用 ≫--------------
【サンケイ[ライフ]ニュース 両陛下の祈り 「なぜか」への至上の答え 文芸評論家・竹本忠雄
http://bit.ly/mUy8Hb
4月28日付の本紙1面に私は大きな衝撃を喫した。
天皇皇后両陛下が、畳(たた)なわる瓦礫(がれき)に向かって黙祷(もくとう)されるお姿に-。
衝撃は、この写真の左側に載った「迷惑をかけない日本人」という記事とのコントラストで倍加した。ソウル支局長、黒田勝弘氏のリポートで、そこで投げられたある問いに対して両陛下のご姿勢以上に絶妙の答えはありえないと思われたからである。
黒田氏は、いま外地でも評判の、なぜ被災地の日本人はかくまでも「冷静で秩序正しい」のかとの疑問を取りあげ、韓国人の間では「諦念」「遠慮」といった評語まで飛びかっていると伝えている。
これまでにもメディアは諸外国でのこの「なぜか」を報じてきた。そのつど私は、このようなメンタリティについて下される種々の憶測を興味深く思ったが、同時に、本当の理由がどこにも指摘されていないことにもどかしさを禁じえなかった。その「なぜか」への至上の答えを写真は黙示していると思われたのである。
このことは私に忘れられないある対話を思いださせる。昭和49年5月、アンドレ・マルロー(仏の作家、政治家)が出光佐三(さぞう)氏(出光興産の創業者)をその美術館に訪ねたときのことである。「日本人は精神の高貴さを持っています。なぜですか。仏教も、その理由の一つではないでしょうか」との単刀直入のマルローの問いに、間髪を容(い)れず出光翁はこう答えたのだ。
「そうじゃありませんね。二千六百年続いてきた皇室が原因ですよ」と。
たしかに、国難のいま、私たちを斉(ひと)しく打つものは、皇室、何よりも両陛下の、あの同床同高とも申しあぐべきご姿勢に表れた何かである。祈りである。今回だけではない。これまでの日本中の被災地めぐりだけでもない。先の戦災地、さらには南冥(なんめい)の島々まで、慰霊の旅をも、お二人は重ねてこられた。しかも史上、「恤民」すなわち民を哀れむは、皇道の第一義として歴代天皇の最も実践してこられたところであった。
であればこそ、国民も常にそれに感じ、「民を思い、倹を守る」お姿以上に頭を高くすることを慎んできたのだ。被災地で命を救われたおばあさんが「すみません」とお礼を言って美談となったそうだが、このような国なればこそ、自(おの)ずと培われてきた節度なのである。
(…以下略…)
---------------≪ 引用ここまで ≫--------------
仕事柄、全国各地の庭園を観たりするなかで知人を頼って宮内庁の庭園を訪ねて宮内庁所有の盆栽を見学させていただいたことがあります。
盆栽と言っても、磯野家の波平さんが趣味でやっているようなものではなく、直径1.5mもあるような大きな鉢に樹高が2mで葉張りがやはり1.5mほどもあるものが何百とあるのです。
なかでも名の通ったものには固有の「銘」があって、なかでも「三代将軍」という銘の松は、三代将軍徳川家光がこよなく愛した逸品。
家光が愛でたときに既に150年ほどが経過していたといいますし、最も古いものは樹齢6百年だそうですからその伝統の力たるや想像を超えています。
「皇室というのはねえ、日本そのものを伝える存在なんですよ」
盆栽や宝物も数知れずあるとはいえ、そのような物もそうだしそれを超越した精神を後世に伝えるためにそこおわしますのが皇室という存在であるのだと、その知人は教えてくれました。
耳学問や本などからの知識だけではなく、皇居の庭園に立って連綿と受け継がれるためにある盆栽をみるだけでもその一端が伝わってきました。
天皇皇后両陛下が被災地を訪れて多くの被災者を慰めてくださるだけではなく、その土地に「明日に幸多かれ」と祈りを捧げられるそのお姿も日本そのものです。
以前、日本の精神性について「神儒仏の綾なす国」と書きましたが、それらを現存在としてそこにおられるのが皇室の姿でした。そのお姿を見るたびに、微力ながら日本を良い国にしたいという思いが沸き起こるのを感じます。
日本に生まれた幸せを感じずにはいられません。
【北の心の開拓記】なぜ日本では略奪が起きないのか~神儒仏の綾なす国 2011-03-16
http://bit.ly/hsQAbt
朝十時からの開会予定も、会派同士の調整による方向性が見えないうちは開かれず開会は午後にずれ込みました。
まず今日のところで調整がついたのは議長のK議員と副議長にT議員のお二方。議長・副議長選挙の結果、共産党以外の方による支持でお二人の就任が決まりました。残りは明日に持ち越しです。
※ ※ ※ ※ ※
東日本大震災による被災地において、多くの冷静で秩序正しくそして健気な日本人の姿に心打たれる場面は数知れずありました。
天災という不条理にさいなまれながら希望を持って明日に向かって立ち上がろうとする同胞の姿に日本中ができることを探してその痛みを分かち合おうと心を一つにしています。
そんな日本の今を象徴するような記事がありましたのでご紹介します。
---------------≪ ここから引用 ≫--------------
【サンケイ[ライフ]ニュース 両陛下の祈り 「なぜか」への至上の答え 文芸評論家・竹本忠雄
http://bit.ly/mUy8Hb
4月28日付の本紙1面に私は大きな衝撃を喫した。
天皇皇后両陛下が、畳(たた)なわる瓦礫(がれき)に向かって黙祷(もくとう)されるお姿に-。
衝撃は、この写真の左側に載った「迷惑をかけない日本人」という記事とのコントラストで倍加した。ソウル支局長、黒田勝弘氏のリポートで、そこで投げられたある問いに対して両陛下のご姿勢以上に絶妙の答えはありえないと思われたからである。
黒田氏は、いま外地でも評判の、なぜ被災地の日本人はかくまでも「冷静で秩序正しい」のかとの疑問を取りあげ、韓国人の間では「諦念」「遠慮」といった評語まで飛びかっていると伝えている。
これまでにもメディアは諸外国でのこの「なぜか」を報じてきた。そのつど私は、このようなメンタリティについて下される種々の憶測を興味深く思ったが、同時に、本当の理由がどこにも指摘されていないことにもどかしさを禁じえなかった。その「なぜか」への至上の答えを写真は黙示していると思われたのである。
このことは私に忘れられないある対話を思いださせる。昭和49年5月、アンドレ・マルロー(仏の作家、政治家)が出光佐三(さぞう)氏(出光興産の創業者)をその美術館に訪ねたときのことである。「日本人は精神の高貴さを持っています。なぜですか。仏教も、その理由の一つではないでしょうか」との単刀直入のマルローの問いに、間髪を容(い)れず出光翁はこう答えたのだ。
「そうじゃありませんね。二千六百年続いてきた皇室が原因ですよ」と。
たしかに、国難のいま、私たちを斉(ひと)しく打つものは、皇室、何よりも両陛下の、あの同床同高とも申しあぐべきご姿勢に表れた何かである。祈りである。今回だけではない。これまでの日本中の被災地めぐりだけでもない。先の戦災地、さらには南冥(なんめい)の島々まで、慰霊の旅をも、お二人は重ねてこられた。しかも史上、「恤民」すなわち民を哀れむは、皇道の第一義として歴代天皇の最も実践してこられたところであった。
であればこそ、国民も常にそれに感じ、「民を思い、倹を守る」お姿以上に頭を高くすることを慎んできたのだ。被災地で命を救われたおばあさんが「すみません」とお礼を言って美談となったそうだが、このような国なればこそ、自(おの)ずと培われてきた節度なのである。
(…以下略…)
---------------≪ 引用ここまで ≫--------------
仕事柄、全国各地の庭園を観たりするなかで知人を頼って宮内庁の庭園を訪ねて宮内庁所有の盆栽を見学させていただいたことがあります。
盆栽と言っても、磯野家の波平さんが趣味でやっているようなものではなく、直径1.5mもあるような大きな鉢に樹高が2mで葉張りがやはり1.5mほどもあるものが何百とあるのです。
なかでも名の通ったものには固有の「銘」があって、なかでも「三代将軍」という銘の松は、三代将軍徳川家光がこよなく愛した逸品。
家光が愛でたときに既に150年ほどが経過していたといいますし、最も古いものは樹齢6百年だそうですからその伝統の力たるや想像を超えています。
「皇室というのはねえ、日本そのものを伝える存在なんですよ」
盆栽や宝物も数知れずあるとはいえ、そのような物もそうだしそれを超越した精神を後世に伝えるためにそこおわしますのが皇室という存在であるのだと、その知人は教えてくれました。
耳学問や本などからの知識だけではなく、皇居の庭園に立って連綿と受け継がれるためにある盆栽をみるだけでもその一端が伝わってきました。
天皇皇后両陛下が被災地を訪れて多くの被災者を慰めてくださるだけではなく、その土地に「明日に幸多かれ」と祈りを捧げられるそのお姿も日本そのものです。
以前、日本の精神性について「神儒仏の綾なす国」と書きましたが、それらを現存在としてそこにおられるのが皇室の姿でした。そのお姿を見るたびに、微力ながら日本を良い国にしたいという思いが沸き起こるのを感じます。
日本に生まれた幸せを感じずにはいられません。
【北の心の開拓記】なぜ日本では略奪が起きないのか~神儒仏の綾なす国 2011-03-16
http://bit.ly/hsQAbt