北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

こんな時代もあったなあ

2011-05-02 23:45:30 | Weblog

           【こんな時代もありました】


 妻が納戸の中でガサゴソと整理をしています。

「何を探しているの?」
「ん?アルバムの写真、今日か明日取りに来るって」

 長女がやがて昔のアルバムの写真を取りに来るというので、山のようなアルバムをしまってある奥から出しておいたのです。

「どれどれ」

 こういう作業をすると思わず中に見入って話がそれがちですが、案の定、私と妻の子供時代のアルバムまで出てきて思い出話に花が咲いてしまいます。

「うわー、若いー(笑)」
「あったあった、こんなときが」

「今もこういうポーズを取るよね」
「おお、今でもまだこの服がタンスに残っているぞ」 

「お父さん、小学校六年生を卒業するときに寄せ書きになんて書いたか覚えてる?」
「え~?なんだろ、覚えてないよ」

「ふふふ、『緑を大切にしよう』だって(大笑)」


 まさか大人になって緑に関わる勉強をしてそれが仕事になるとは思っていませんでした。ほかに何も書くことがなかったのかなあ。

 ほんのちょっと前のような気もするし、ずいぶん経ったような気もします。


      ※     ※     ※     ※     ※


 アルバムを見ていると、自分の容貌はまだ変わっていないようにも思いますが、子供たちの姿は当然ながら変わっています。

 パソコンの中にはたくさんのデジタル写真もあるはずですが、こうしてみんなで笑いながら見ることはありません。

「やっぱり印刷してアルバムに貼らないとだめだね」

 デジタルカメラのおかげで、写真って気楽にとれるようになりましたが、一体何のために撮っているのでしょう。思い出されない記録に記憶の意味はあるのでしょうか。

 しかし写真を見て自分と家族の在りし日の姿を振り返ると、楽しさと一抹の寂しさがよぎります。寂しさの訳は二度と取り返せない時を思い出すからでしょうか。


      ※     ※     ※     ※     ※


 東日本大震災の津波被災地で、がれきの処理にあたった知人は、「現場では重機を使って後かたづけをしていますが、重機のオペレーターってたいしたものですよ。ガーッと片づけながらアルバムが見つかったらそれだけそっと脇にどけて、それからまた残りのがれきをガーッと片づけるんです」と教えてくれました。

 どんな財産を残そうが、人が生きると言うことは結局『思い出を作る』という事に過ぎないのではないか。そんな風に思うようになりました。

 一日一日を一生懸命に生きて、前向きな思い出を作りたいものですね。  

  
コメント
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