北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

少年の時、老成の時

2011-05-27 23:45:46 | Weblog

   【人生はこれから】


 五月の後半は、様々な団体が定期総会を行う季節。

 市の幹部となると、当然のように挨拶や出席、さらには懇親会への出席案内がくるのですが、日にちのコマ数以上に会合があるものだから、どうしても日程が重なって、会合のハシゴをすることも多くなります。

 市内の会合であればまだしも、首長ともなると近隣の首長が役員となっている会合も数多く、これらの総会のために忙しい首長が五月雨式に集まってはいられません。

 そこで、「一連総会」という名称で、一日だけ地域の首長さんに釧路に集まっていただき、各種の総会をひとつ20分程度でことごとくこなしてしまおうという日程が組まれます。

 来週の月曜日がその「一連総会」なのですが、市長が出席する総会は一日で16件もありました。社会はどんどん複雑化してゆきますが、よくもまあこれだけ特定の課題に関連して協議団体ができたものです。

 それぞれには誕生した経緯があるのでしょうが、似たような複数の課題を一つの団体に発展的に統合するといった形で整理・合理化できると良いのですが。こういうことも案外見逃している効率化できそうな分野かもしれません。


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 かくいう私、今日は市内の老人クラブ連合会の定期総会に参加してご挨拶を述べる機会をいただきました。

 お年寄りというのは、単に世話をする必要がある人ではなく、時間があり健康があり、小金もあり経験もある存在と言えなくもありません。

 高齢者の皆さんが少しでも地域の役に立とうという志を示していただければ、かなり地域が元気になるに違いありません。

 掛川で当時の市長さんが言っていた「一世紀一週間人生」という言葉を紹介して、「その意味は百歳まで生きて、具合が悪くなれば一週間でこの世とお別れする人生です」と説明すると、何人かは一瞬怪訝そうな顔をされました。

 (一週間で死ねということか)と思われた方もいたかもしれませんが、そうではありません。この言葉の真意は、「一週間でこの世とお別れをしろということではなく、一世紀、つまり百歳まで真剣に生きるということにこそ主眼が置いているのです」

「今の日本の医療水準や食料事情からすれば、80歳くらいまではごく当たり前に生きられますが、ここから90歳を目指すには85歳に大きな壁があり、90歳になってさらに100歳を目指そうとすれば、健康や運動、さらには脳を十分に使うなどと言った高度な実践が必要になります。そしてそれこそ、自分自身の生涯学習ということなのです」と説明すると、納得された方も多かったよう。

 衝撃的な表現の方が印象的に心に染みるという意味で、当時の榛村市長さんは、コピーライターとしての才能に溢れていたと改めて思います。



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 最後に佐藤一斎先生の「言志録」より一節をお借りします。


  少年の時は当(まさ)に老成の工夫を著すべし
      老成の時は当に少年の志気を存すべし


【その意味は】
  若い時は経験を積んだ人のように十分に考えて、手落ちのないようにすべきであり、歳をとってからは、若者の意気と気力を失わないようにするがよい。

 自分の今はこの中間でしょうか。老成の工夫と少年の志気を併せ持って前進したいものです。
 
   
コメント
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