北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

縁尋(えんじん)の機妙(きみょう)

2006-10-10 23:08:54 | Weblog
 一週間になかった職場の机には回覧や決裁の書類が満載。パソコンをあけると未読メールの山。
 素早く片づけなくては。

【縁尋の帰妙】
 掛川で活躍しているNPO法人スローライフ掛川のKさんからメールが来ました。内容は「最近掛川に注目して卒業論文を書いているAさんという大学生が『今度札幌に行く機会があるので、ぜひコママサさんに会いたく思い、紹介していただけませんか』という連絡がありましたので、お知らせします」というものでした。

「了解しました。直接私にメールを送ってくださるように伝えてください」と返信すると、やがてご本人からメールが届きました。まったく便利な時代になったものです。

 Aさんの自己紹介によると、Aさんは「自転車を使ったまちづくり」というテーマで卒業論文を書こうとしていて、ネット上で「スロースタイルサイクリング」というキーワードで検索したのだそうです。

 すると、掛川で私も関わって実施した、塩の道と呼ばれる古道を自転車で塩尻まで旅するという「ロード・オブ・ザ・ソルト」というイベントが引っかかり、そこから情報をたどって掛川のスローライフ掛川にたどりついたのだそうです。

 本人は東京の大学に通う学生なのですが、既に掛川を何度か訪れて、スローライフイベントにも参加し、中心になっている人とも仲良くなっているのだそうです。

 私の拙著も読んでくれたようで、短い時間に掛川を知ろうとする努力が伺えて、ほほえましい限りです。

 そんなAさんが札幌へ来る際に、私に会いたいということなのですから、どこかに縁があったということなのでしょう。なんと面白いことでしょう。

    *   *   *   * 

 実際、知らない土地に一人で向かうと、いろいろな人と早くに仲良しになりたいと思うものですが、そんなときにはいかに相手と共通する話題をもてるか、ということが大変重要になります。

 出生地、出身学校、趣味…などなど。挙げ句の果ては干支でも血液型でもよいから何か共通のものがないものかと探したりもするものです。

 そうやって少しずつの縁を切り開いてゆくのですが、共通の知人がいたり紹介してもらうことで縁を結んでゆくということはお互いに信頼をもてる縁の結び方になるでしょう。

 逆に紹介されたときには断らずに、その縁が広がる先を見極めてみようという姿勢で臨みたいと考えていますが、そういう態度を掛川では「なだれ込み」と呼んでいました。

「もうそこまでいったらあとは『なだれ込む』しかないでしょう」という姿勢で何度新しい縁が開けたか分かりません。

 昨日ある本を読んでいたら「縁尋(えんじん)の機妙(きみょう)」という言葉が出てきました。

 縁が尋ねて新しい縁が開けるということなのだそうです。本の中には著者の「本当に真剣に勉強していると、古本屋へ行っても求めるべき本に必ず出会える」という話が紹介されていました。
 なだれ込みを難しく言うとそういう表現になるのかもしれませんね。

 一度あっただけで一生の縁が出来る。そんな縁を大事にしたいものです。
コメント (3)
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