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「竹下村誌稿」を読む 322 産業 18

(SN氏邸のバラ、スペクトラ)

午前中、天浜線の敷地駅近くまで、渋柿を買いに行くも、高くて買うのをやめて帰る。いつも買う所より二、三割高い。目方では次郎柿より高いように見えた。干柿を作る人が増えて、渋柿に商品としての価値が出て来たように見える。

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「竹下村誌稿」の解読を続ける。

蚕種その他の概要を記すれば、

蚕種は、昔、白竜交配種などにして、群馬県のものを主とせしも、近来、本県内蚕種を購入するもの多し。而して、貯蔵は概ね購入先製種家に依託して、翌春催青後送達を受くるを普通とす。
※ 催青(さいせい)- 蚕の卵を適当な温度に保ち孵化させること。孵化する前日卵全体が青みがかってくるので,この名がある。

桑園 反別凡そ一町三、四反歩にして、自園のもの多し。桑の種類は遠高モク桑、魯桑などを主とす。逐年、魯桑系のものを植栽する傾きあり。何れも春夏秋兼用にして、専用桑園を見ず。桑の収穫は一反歩百五十貫乃至二百貫とす。なお不足すれば他より移入す。栽培法は根刈仕立にして、一年三、四回の耕耘をなす。肥料は、大豆粕、鰊粕など窒素分のあるものを用ゆ。施用量は一定せずといえども、大約一反歩当り、弐拾円(大正四年)内外にして、春夏二期に分施せり。
※ 大約(たいやく)- おおよそ。大略。

販路 生繭にて、仲買人に売り渡すあり。または付近の市場へ取引するものあり。

      第六節 家  畜

牛馬 皆な雑種にして、その飼育頭数、合わして十五頭あり。何れも厩肥製造及び乾田の耕犂に使用するもの多しといえども、或るは荷車を引かしむるものあり。本村牛馬耕は、明治二十三年、熊本県より講師を聘(へい)し伝習を行ないしを始めとす。農耕上、その畜力を利用するは、労力経済上、最も有利の業にして、特に労銀騰貴の近時に在りては大いにその必要を感じ、耕牛馬次第に増加の傾向あるを認む。
※ 厩肥(きゅうひ)- 家畜の糞尿と藁や落葉等を混合し、牛馬に踏ませることで腐熟させた有機質肥料である。
※ 耕犂(こうり)- 犂耕(りこう)。牛馬に引かせた犂(すき)による耕作。


養鶏 従前は単に愛玩、告暁用に供すると、落ち穂などを拾わしめ、兼ねて産卵を目的として飼育するも、一戸平均三、五羽位に過ぎざりしが、近年肉用の洋種コーチン、アンダラシャンなどを飼育するもの多きを加うる傾あり。
※ 告暁(こくきょう)- 夜明けを告げること。

      第七節 果実及び野菜

果実は、柿、梨あり。柿は五和柿の称ありて、世間に唱揚せらる。その種類少なからずといえども、絵柿、鎧通、七溝、似タリ天龍坊などを主とす。その産額多からざるも、年額壱千円以上を収む。また近来周智郡方面より次郎柿と称する苗木を移入するものあり。梨も漸次植栽するも、数に上げる程に至らず。また近時蜜柑を栽培するものありて、参百円已上を産す。
※ 唱揚(しょうよう)- 唱え上げること。

野菜は、瓜(うり)、茄子(なす)、芋、大角豆(ささげ)、南瓜(かぼちゃ)、大根、蕪(かぶ)、胡蘿匍(にんじん)、牛蒡(ごぼう)、薑(しょうが)、葱(ねぎ)などの品種を栽培すといえども、何れも自家用にして、他に販出する域に進まず。
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