平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「竹下村誌稿」を読む 314 産業 10
国一新大井川橋拡幅橋脚が完成してからしばらく経つが、まだ橋梁がのる気配がない。毎朝夕、渋滞が発生して、拡幅が待たれている。午後、散歩の足を伸ばして見学してきた。
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「竹下村誌稿」の解読を続ける。
抑々(そもそも)本村茶樹の栽培は、何れの時代に始まりしか詳らかならずといえども、古老の説を聞くに、往時は畑の畦端に点々植えたるものありて、これを摘み採り製造(釜炒り)して、自家用に供せしに過ぎざりしが、安政以来、外人本邦の茶を好むに至り、互市の要品となり、年々輸出物の首位を占むるに至れるより、その培養に力(つと)め、明治初年の頃には、志戸呂原(牧之原の地名)を開墾して、茶樹栽培に勉めたりしより漸次増殖して、今日の盛況を見るに至れりと云う。
※ 互市(ごし)- 互いに物を売買すること。貿易。交易。
想うに、明治七、八年の頃に在りては、茶価非常に騰貴し、茶一貫目と米一俵と相等しかりし時ありしより、当業者の利益少なからざりしかば、茶園を開くもの相踵(あいつい)で起これり。これに於いて、茶樹蕃殖と共に疎(粗)製濫造の弊を醸し、顧客の信用を失い、従いて価格も下落し、明治十三年には茶一貫目壱円内外となり、収支相償(つぐな)わず、茶園の荒廃を見るに至る。
※ 蕃殖(はんしょく)- 繁殖。
同十七年、政府は茶業組合準則を発布して、これを矯正せしめ、民間また茶業組合を設け、これが救済の法を講じて怠らず。益々製造法の改良発達を図り、幾多の変遷ありて、今日の域に進めり。
本村茶は近年長足の増進にて、米麦と同じく重要なる物産となり、而して茶園は主として牧野原の台地に在りて、土質は多く腐植質に富める土壌なり。その反別七町歩、製造戸数四十戸、産額、一番二番三番を通じて、二千一百貫、金額四千七百弐拾五円(大正五年)にして、一反歩平均三十貫余、一戸平均金額百拾八円余に当る。その算出価格の如きは、年々異動あるを免れずといえども、これを本県製造戸数五万八千戸、産額五百参拾六万円にして、一戸平均九拾弐円余に当り、本郡栽培反別弐千百町歩、産額六十二万貫にして、一反歩平均二十九貫余に当るをみれば、本村産額の、他に対して遜色なきを知るべし。
※ 長足(ちょうそく)- 進み方の速いこと。
※ 遜色(そんしょく)- 他に比べて劣っていること。見劣り。
要するに、茶業経済の如何は、茶価の高廉により、採算上得失あるは勿論、茶園の優劣、経営者の巧拙により、素より一定し易からざるも、若しそれ現今の茶価にして、著しき変動を来たさざるに於いては、大要収支相償うに剰(あま)りあれば、将来農家の大いに努むべき事業たるは勿論、気候、地質ともに、茶樹栽培に適すれば、前途頗る多望の物産として、斯業拡張にあるを知るべきなり。
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