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志太の杜見学会3

(焼津神社拝殿、もう七五三のお参りが始まっている)


(焼津神社、左から拝殿、幣殿、本殿)

三社目の焼津神社までは、30分ほど掛かる。その間、ガイド役のNT氏から、日本の社寺建築について案内があった。

日本の社寺建築には大きく分けて、

   ① 大仏様(天竺様)
   ② 禅宗様(唐様)
   ③ 和様

の三様式があり、各社寺はそのどれかか、あるいはその折衷様式に分類される。

【大仏様】源平の戦いで焼失した多くの大寺が、鎌倉時代に入り復興されたが、採用された南宋から取り入れた建築様式は、合理的な構造法により、最小限の材料で大建築が出来、また力強さを印象づけるもので、東大寺南大門や、当時の大仏殿などが造られ、それ以前の和様と区別して、大仏様(天竺様)と呼ばれる。(構造上の特徴の案内もあったが、難しくここでは割愛)

【禅宗様】東大寺再建の同時代、宗から禅宗と共に伝わった建築様式で、全体に木割りが細かく、小さな斗(ます)や肘木(ひじき)を積み上げ、周囲に幅の狭い裳階(もこし)を巡らし、全体的に背丈の高い外観を作り出している。功山寺仏殿、円覚寺舎利殿、永保寺観音堂と開山堂などが禅宗様としてあげられる。禅宗様の寺院は、禅宗のみならず、鎌倉時代に興隆した諸宗にも共通した建築様式で、「唐様」とも呼ばれる。(構造上の特徴割愛)

【和様】大仏様や禅宗様より古くからの建築様式で、法隆寺東礼院堂、蓮華王院本堂、興福寺北円堂などが代表的建築物であるが、和様の建築でも、部分的に大仏様や禅宗様の特徴が、取り入れられいるものも少なくない。

【折衷様】浄土寺本堂、鶴林寺本堂、観心寺金堂などは、大仏様と禅宗様の構造と意匠が、積極的に和様に取り入れられた、新しい感覚の寺院建築とされる。

焼津神社では、若い禰宜さんが案内に付いて下さり、案内して頂いた。祭神は日本武尊。本殿の案内後、右手、少し離れた所へ、焼津の漁業に功績のあった三翁の顕彰碑の前に、導いて案内があった。焼津にとって漁業は欠かせないもので、焼津神社の立派な社は、焼津漁業者からの寄進が欠かせないものだったことは想像が付くが、この顕彰碑への案内にはどういう意味があったのだろう。

その後、案内を受けた境内社の一つ、「郷魂祠」は、先の大戦中、南方に第二の生産地を求めて雄飛した、鰹節加工船団の殉職者三百柱を祀る社だという。現地で鰹節の生産直前までこぎつけたが、米軍の攻撃に頓挫したという。何とも焼津らしい逸話である。 
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