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志太の杜見学会5

(御会式の正応院と多宝塔)

次に訪れたのは、岡部の旧東海道に近い、正應院という日蓮宗のお寺であった。NT氏が「志太の社」ならぬ、お寺を選んだのは、この地域には珍しい多宝塔があるからである。社寺建築に詳しい建築設計士としては、見逃せない建物であったようだ。

正應院はその日(11月1日)、御会式と呼ばれる法要の日と重なり、住職の案内はして貰えなかった。「御会式」は、宗祖日蓮聖人の御報恩の法要で、幟や五色の吹き流しが掲げられ、本堂には檀家が集り、今しも読経が始まった所であった。

正應院の多宝塔は小規模ながら、本格的なもののようだ。パンフレットによれば、篤信家の発願で、静岡の名工に推挙された、宮大工松浦茂治氏の手により、昭和54年に建立された、駿河路唯一の多宝塔だという。(正應院の多宝塔については、当ブログ、2007-07-10に詳しい)

五重塔、三重塔、多宝塔など、建てるには大枚のお金を要し、しかも建物としてはほとんど用をなさない、いわばお寺のシンボル、あるいは飾り的な建物で、どこにでも建てられるものではない。余程羽振りの良いお寺か、檀家の中に成功者が居て、多額の寄付があった場合に建てられるもので、正應院の多宝塔も篤信家の発願(寄付)によったものであった。

見学する間に、本堂の読経が終り、中年の女性が縁側に出て来たので、法要は終ったのかと聞けば、まだ途中だという。反対に、見学に来た人達はどういう集まりか、など次々に質問が出て、根掘り葉掘り聞かれてしまった。

正應院を後にして、六つ目、今日最後の式内社である、藤枝の飽波神社に向った。


(飽波神社拝殿)

飽波神社では禰宜さんに案内して頂いた。御祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)、創建は古墳時代まで遡ると云い、藤枝一円の鎮護の神として祭られてきた由緒ある神社だという。拝殿には大きな絵馬が数枚掛っていたが、藤枝大祭りの踊りの師匠筋辺りが、演目を絵馬にして奉納されたものだと聞いた。本殿は夏の台風で壊れたと云い、現在足場が組まれて補修中であった。


(飽波神社の動物たち)

境内で目を引いたのは、置かれた10体ほどの動物の造り物であった。コンクリート工事に使う鉄筋を短く切って、滑らかに溶接し、お馴染みの動物が造形されている。彩色も巧みになされて、大きさを無視すれば本物に近い。地元の町工場の人が趣味で造られたものと聞いたが、中々造形心を持った人と思われる。龍などもあって、干支が揃っているのかと思ったが、キリンやゾウなども混じって、そういうわけではなさそうだ。大人が跨っても壊れないように頑丈に造ってあって、七五三の子供たちが乗って喜びそうで、この期間限定で置かれていると聞き、納得した。早速、見学会参加の女性たちが跨った。
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