ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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人権215~20世紀初頭への展開(続)

2015-10-21 08:50:33 | 人権
●19世紀末から20世紀初頭までの人権思想の展開(続き)

 19世紀末の欧米には、ロックの思想の普及を基にして、人権に関して影響力を持つ思想が四つあった。カント主義、功利主義(最大幸福主義)、マルクス主義、ナショナリズムである。
カント主義、功利主義、マルクス主義は、カント、ベンサム、マルクスの思想そのものではなく、その継承者たちが定式化したものである。ナショナリズムは思想である以上に、政治的・社会的運動である。
 カント主義は、ロックの自由で独立した個人に人格の尊厳を認め、すべての人間を目的とする社会の実現を目指す。カントは、科学と道徳の両立を図って、宗教の独自性を認め、科学的理性的な認識の範囲と限界を定めつつ、神・霊魂・来世という形而上的なものを志向する人間の人間性を肯定し、理性に従って道徳的な実践を行う自由で自律的な人格を持つ者としての人間の尊厳を説いた。その思想は、18世紀という科学的合理主義が楽観的に信じられていた時代の思想だった。カントの死後、カントを批判する思想は多く表れたが、19世紀後半から「カントに帰れ」と説く新カント派によって、カントの思想が継承され、哲学・政治学・法学・歴史学等の諸分野で影響を保った。
 功利主義は、ロックの経験論を徹底し、最大多数の最大幸福を目指す理論を構築した。功利主義は、資本主義の経済学と親和的である。効用の最大化と経済的利益の最大化は、重なり合う部分があるからである。アダム・スミス以後の経済学は、合理的に行動するアトム的な個人を仮定した理論を構築した。こうした人間像を「経済人(エコノミック・マン)」という。経済人とは「なんらの倫理的な影響を受けず、金銭上の利益を細心かつ精力的に、だが非情かつ利己的に追求しようとする人間」(マーシャル)である。この人間像は、1870年にジェボンズ、メンガー、ワルラスが行った「限界革命」を経た新古典派経済学に受け継がれた。新古典派経済学は、価値判断を排除することによって、経済学から倫理を放逐した。功利主義は新古典派経済学と結合し、自由主義的資本主義の発達に寄与した。
 マルクス主義は、ロックが自然権とした財産の所有を不平等の根源とし、私有財産制を廃止した社会の建設を図る。マルクスの唯物論は、自然と人間を物質ととらえ、神・霊魂などの観念を否定する。唯物論の世界観は、ニヒリズムの蔓延を促進した。19世紀半ば以来、経済思想における最大の対立は、資本主義と共産主義の対立となった。根本的な違いは、私有財産制の肯定か否定かにある。カント主義と功利主義は資本主義を肯定するが、マルクス主義はこれを止揚しようとする。カント主義は修正的自由主義または社会民主主義と親和的であり、功利主義は古典的または修正的な自由主義と親和的である。これに対し、マルクス主義は共産主義を理論的に発展させた。それによって西欧諸国の労働運動の主流となり、ロシアにも浸透した。
 これらカント主義、功利主義、マルクス主義と人権の思想との関係を述べると、カント主義は、人間は理性的で人格的存在として尊厳を持つがゆえに、すべての人間の人権を尊重すべしと説く。これに対し、功利主義は法に規定された権利のみが権利であるとし、人権の主張の根拠について批判的である。また、神や形而上的なものを排除し、カント的な道徳的人格性を否定する。マルクス主義は、人権はブルジョワ的な観念だとしてこれを退け、階級闘争による権力の奪取を説く。カント哲学を観念論として批判し、理念による道徳的主体性を認めない。
 19世紀末の時点では、カント主義的な人権思想は、功利主義とマルクス主義に圧され気味だった。ところが、20世紀に入り、2度の世界大戦、共産主義革命、社会権の確立、世界恐慌、ユダヤ人の迫害等によって、人間性の危機が高まった。その危機の中で、ロックの思想をカントによって掘り下げた人間観が有力になっていく。それがロック=カント的な人間観である。これは、人間は、生まれながらに自由かつ平等であり、個人の意識とともに、理性に従って道徳的な実践を行う自律的な人格を持つ、という人間観である。この人間観が20世紀前半の激動の時代を生き延び、20世紀半ばに至って世界人権権宣言の裏付けとなるに至る。
 人権の発達にもう一つ影響力を持つ思想が、ナショナリズムである。ナショナリズムは、ネイション(国民)の形成・発展を目指す思想であり、直接個人の自由と権利を獲得・拡大しようとする思想ではない。しかし、個人の権利は集団の権利あってのものであり、集団の構成員に付与・保障される権利である。欧米の先進国では、ナショナリズムと人権思想が結合していることが見逃されがちだが、後進国のドイツやアジアに位置する日本では、まず民族の独立と統一が必要であり、ネイションの形成・発展あっての個人の自由と権利だった。
 ナショナリズムが人権の発達にもともと不可欠のものであることは、アジア・アフリカの被抑圧人民が欧米白人種の支配からの解放を求める運動を通じて、明確になった。20世紀半ば以降、独立を勝ち取ったアジア・アフリカ諸国は、次々に世界人権宣言に参加した。民族の独立によって、集団の権利が回復・確保されて初めて、個人の自由と権利の拡大が可能になったのである。
 近代世界システムの中核部における人権の発生には、主権国家という枠組みが必要だった。人権は、各国において主にその国民の権利として発達した。主権国家が国民国家となった国では、国民国家という枠組みにおいて、その国民の権利としての人権が擁護された。その過程で、ナショナリズムは早くからリベラリズム、デモクラシーと相互作用的に発達し、人権の発達に重要な影響を与えてきた。20世紀初頭以降のカント主義、功利主義、マルクス主義の動向も、ナショナリズムとの関係に留意して把握する必要がある。

 本章では、17世紀から20世紀初頭までにおける人権の思想の発達を書いた。20世紀初頭以降の人権の歴史と思想、人権の現状と課題については、第3部に書くことにする。

 以上で第2部を終了する。次回から第3部に入る。