ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

パクリの万博・上海万パク

2010-04-30 10:43:10 | 時事
 明5月1日、上海万博が始まる。私は現在の中国で、国際博覧会を行うのは、不適切だと思っている。
 中国の企業は、知的所有権を侵害した偽造商品・海賊商品を製造して国際市場を荒らし、有毒性の食品・おもちゃ・薬等を輸出して消費者の健康・生命を危険にさらしている。国際的な商業道徳が定着しておらず、基本的な公共道徳すら確立していない。工場では労働者は劣悪な労働条件のもと、低賃金で長時間労働を強いられ、賃金不払いや労働災害等が多い。膨大な人口により産業予備軍が多数いるから、簡単に首切りが行われ、失業者への社会保障もほとんどない。共産党による実質的な一党独裁体制により、基本的な人権が保護されておらず、抗議をする者は精神病院や収容所に送られる。こうした国は、万博の開催場所としてふさわしくない。
 上海万博のPRソングは、岡本真夜さんの作品に酷似しており、指摘を受けた上海万博事務局が岡本さんに使用許可を求めた。これは、盗用を認めたに等しい。さらにマスコットや中国館のデザインにも盗用疑惑が上がっている。上海万博はパクリの万博、万(よろず)パクリの上海万パクになっている。実に恥ずかしいことであり、国家国民の恥だろう。ところが、中国人の関係者は、開き直りや逆ギレを見せる。
 シナ系日本人の評論家・石平氏が「今の中国では、悪事を働いた人が『悪』を悪とも思わず、『恥』を恥とも感じず、むしろ開き直って自らを正当化するのが『国民的流儀』となっている」とコラムに書いていたが、実にその通りである。わが国にも「悪事を働いた人が『悪』を悪とも思わず、『恥』を恥とも感じず、むしろ開き直って自らを正当化」する人間はいるが、それは100人、1000人に一人の割合だろう。それに比べ、現在の中国はそういう人間が普通であり、大多数という社会である。
 国際社会が、中国及び中国人に対し、各国の法律に従い、各社会の公共道徳を守るよう、厳しく対処しないと、中国が勢力を増し、中国人が世界に広がるにつれ、人類が積み上げてきた法と道徳による秩序が崩され、社会全体が劣化するだろう。既に欧米の多くの国、多くの都市で、この現象が起こっている。わが国は移民政策を根本的に見直し、中国人移民による日本社会の劣化を防がねばならない。
 
 以下は報道のクリップ。

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●産経新聞 平成22年4月29日

http://sankei.jp.msn.com/world/china/100429/chn1004292103009-n1.htm
【上海万博】1日開幕、パクリ疑惑に懸命に反論
2010.4.29 21:02

 【上海=川越一】史上最大規模の国際博覧会、上海万博が5月1日、開幕する。中国館やマスコットのデザイン、テーマソングなどの“盗用疑惑”が噴出する中、中国側は、万博事務局の洪浩事務局長が28日の記者会見で「われわれは知的財産権の保護を重視してきた」と強調するなど、何とかメンツを取り繕おうと躍起になっている。
 中国館は、枡組(ますぐみ)と呼ばれる柱の組み合わせや逆三角形のデザインが、1992年セビリア万博(スペイン)で日本の建築家、安藤忠雄氏が手がけた日本館に酷似しているとの指摘を受けている。
 これに対し、中国館を設計した華南理工大学建築学院の倪陽副院長は、中国紙上で「中国館のスタイルは建築デザインの世界で広く使われているもの。安藤氏が創造したものではない」と反論した。
 さらに国際情報紙、環球時報(英語版)によると、中国社会科学院建築研究院の主任設計士、崔●氏も「(中国館、セビリア万博時の日本館)ともに伝統的な中国の建築技法から影響を受けている。盗作というのならば、最初にコピーしたのは日本の方だ」と主張している。

●=杉の木を丹に

●産経新聞 平成22年4月29日

http://sankei.jp.msn.com/world/china/100429/chn1004290754001-n1.htm
【石平のChina Watch】「開き直り大国」の恐ろしさ
2010.4.29 07:52

 上海万博PRソングの盗作疑惑の一件は、盗作されたとされる岡本真夜さんが楽曲の使用を許諾したことで一段落と思われたが、渦中の中国人作曲家の所属する音楽会社が公式声明を発表し、盗作であることを強く否定した上で、疑惑を指摘してきた人々を「下心のある人間」だと罵倒(ばとう)したのである。
 2つの楽曲が非常に類似していることは科学的方法によっても検証済みだし、上海万博事務局はPRソングの著作権にトラブルが発生していることを認めている。同事務局が岡本さんの所属事務所に楽曲の使用許諾を申請したこと自体、問題の楽曲が盗作であることの何よりの証明であろう。
 つまり、誰の目から見てもそれが盗作であることは明らかだし、盗作という行為は当事者にとっても恥じるべきことであろう。にもかかわらず、当の疑惑者は露ほどの恥の意識も見せることなく、岡本さんの寛大さに感謝することもなく、むしろ「盗人たけだけしい」というべき態度で、「盗作でない」と堂々と開き直ったのである。
 その並ならぬ「神経の太さ」は大半の日本人の度肝を抜くものであろうが、実は今の中国では、悪事を働いた人が「悪」を悪とも思わず、「恥」を恥とも感じず、むしろ開き直って自らを正当化するのが「国民的流儀」となっている。
たとえば、今年の3月に「夫婦交換パーティー」を開いたことで起訴された南京市在住の大学助教授は「おれのやったことは不倫よりも高尚な行為だ」と自賛し、上海市内の13階マンションが倒壊した一件で被告となった責任者は「落雷が原因かも」と強弁した。
 汚職で捕まった政府の高官たちは「私より多く収賄したやつはいくらでもいるのに、私だけが捕まったのはどういうことだ」「私は二十数年間苦労してやっと市長のいすを手に入れた。多少収賄して何が悪いか」…。これらの“名セリフ”は中国ネット上の語り草ともなっている。
 それは別に個人に限られたことではない。中国の政府も同類だ。中国海軍のヘリコプターが沖縄本島南方海域で海上自衛隊の護衛艦と2度にわたって異常接近した問題で、中国外務省は「日本側の監視活動に対する必要な防衛措置だ」と開き直って正当化し、中国国営の国際放送局に至っては、中国海軍による接近行為を「紳士的風格を示した」とまで褒めたたえた。そういえば、「毒ギョーザ」事件では、一時「問題は日本側にあるのではないか」と開き直ったのも当の中国政府である。
 とにかく、民間人から政府まで、今の中国では、「自分たちはちっとも悪くない。すべては相手が悪いのだ」といった「開き直りの精神」がいたるところで貫徹されている様子である。
 考えてみれば、昔の中国人はそれほど恥知らずの人間たちでもなかった。友人や親族を密告することや教師を殴り殺すことが「革命的英雄行為」だと褒めたたえられた毛沢東の時代から、中国人は徐々に善悪の分別を失っていった。
 さらに、トウ小平の時代、政府が天安門で行った自らの虐殺行為を「正しい措置」だと正当化して開き直って以来、自分の過ちを絶対認めないことが、この国と国民のスタイルとして定着してきた。
 このような国民と政府に対して、日本人はよほど慎重に対処していくべきだし、あまり深く付き合わない方がよいのではないかと思う。ましてや、中国を相手とする「東アジア共同体構想」うんぬんというのは幼稚極まりない妄想以外の何ものでもなかろう。
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