ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

西欧発の文明と人類の歴史22

2008-06-27 09:35:00 | 歴史
●リベラリズムとデモクラシーの融合

 イギリス市民革命は、ヨーロッパ大陸の知識人に影響を与えた。イギリス市民革命は、急激な変革は国民を分裂させて内戦を生じ、過激な権力批判はかえって独裁者の登場を許すという歴史的な教訓を残した。フランスの知識人は、その教訓を学ばず、イギリスの悲劇を繰り返した。

 後日改めて述べるが、フランスでは絶対王政への反発から思想が急進化した。そして、ルソーや百科全書派らの思想によって、フランス市民革命が勃発した。イギリス同様、国王が処刑されて君主制が廃止され、共和制が実現した。ロベスピエールが登場して独裁が行われ、ギロチンによる処刑や反対派の殺戮が繰り広げられた。対立抗争は内戦に発展し、さらに対外侵攻戦争へと拡大した。まるでイギリスの悲劇の再演である。フランス革命では、ギロチンによる虐殺や総計200万人の殺戮が繰り広げられた。研究が進むにつれ、フランス国内でも、革命の狂熱を批判する学者・専門家が増えている。
 わが国では、フランス市民革命が理想とされ、イギリス市民革命は中途半端な変革として、あまり評価されない傾向にある。しかし、西欧には、フランス革命の共和主義・暴力主義を批判する国が多い。イギリスだけでなく、スペイン、スェーデン、オランダ、ベルギー等がそうである。

 イギリスでは、リベラリズム(自由主義)とデモクラシー(民衆参政制度)が発達し、それらが近代西洋文明の政治思想の柱となった。リベラリズムとは、国家権力から権利を守るため、権力の介入を規制する思想であり、デモクラシーとは民衆が政治に参加する制度またそれを求める思想である。もともと別の思想だったリベラリズムとデモクラシーが、17~18世紀のイギリスで融合し、政治的近代化の中心思想となった。リベラル・デモクラシーは、西欧文明の拡大とともに、世界的に広がった。
 発生地のイギリスでは、いまも君主制が維持され、そのもとで立憲議会政治が行われている。イギリスから独立したアメリカは、王政から離脱し、国民主権の国家を建国した。主権在民のリベラル・デモクラシーは君主制と相容れないのではなく、その後、アメリカはイギリスを最も友好的な同盟国としている。西欧発の文明と人類の歴史を俯瞰するとき、アメリカ・フランスの政治体制を模範とする見方は、大きなゆがみを生じる。ほとんどの世界史・近現代史の本は、この点のゆがみがあり、共和主義ないし共産主義の宣伝普及の文書となっている。

●国民国家とナショナリズムの登場

 リベラル・デモクラシーだけではない。個人主義も資本主義も、イギリスで発達した。私はさらに加えて、国民国家(Nation-state)もナショナリズムも、イギリスで誕生したと見るべきだと思う。
 イギリスは、1066年にノルマン・コンクエストで征服され、王族・貴族はフランス系だが、大衆はアングロ=サクソンやケルト系という階層社会となった。異なる民族・文化・言語の融合によって、今日の英語が生まれた。中世の英仏は、王家が血族も所領も不可分の関係にあり、14~15世紀の百年戦争をはじめとする戦争を繰り返しながら、イギリスには独自の集団意識が形成された。
 イギリスは、宗教的には、王族・貴族はカトリックだったが、宗教改革後、新興階級を中心に、カルヴァン派が広がった。旧教・新教の対立の中から、イギリスには1534年、英国国教会という独自の宗派が生まれる。国教会の創設は国王の私的な都合によるものだったが、結果としてローマ・カトリックから自立した宗教を持ったことが、イギリスに独自性の核を与えた。

 国民国家(Nation-State)は、通説では、フランス市民革命によって身分制社会が解体され、革命の理念を継承したナポレオン・ボナパルトが、自由かつ平等な国民の結合による国民国家を打ち立てた。この国家体制が強力だったので、フランスに対抗するため、西欧諸国は次々に国民国家になったとされる。しかし、ナポレオン伝説を打ち破ったのは、イギリスだった。国民皆兵制が最強ならば、ネルソン提督やウェリントン将軍は英雄になれなかっただろう。
 イギリスでは、17世紀のピューリタン革命・名誉革命を通じて社会階層の融和が進んだ。またイングランドとスコットランドの併合によって、連合王国が形成された。19世紀を通じて政体の変遷を繰り返すフランスや、プロシアを中心にようやく国家建設をしたドイツに比べ、イギリスは国民国家の確立においても、先進的だったと見るべきだと思う。
 通説では、ナショナリズムもまた18世紀後半のフランスから勃興したとされる。ナポレオン戦争によって、西欧にナショナリズムが広がったという。確かに展開的にはそうなのだが、その前に、イギリスでナショナリズムが発生・発達しており、それへの対抗において、フランス等の諸国にナショナリズムが普及したと考えたほうが、大きな流れが見えると思う。
わが国では、共和制・国民主権を理想とするアメリカ・フランス系の思想が世界標準のように錯覚されている。実際は、リベラリズムもデモクラシーも、個人主義も資本主義も、国民国家もナショナリズムまでもが、君主制・議会主権のイギリスにおいて発達した。今日の福祉国家の理念を生んだ漸進的な社会改良主義もまたイギリスで発達した。それらが、イギリスから近代世界システムの中核諸国に広がったことが見逃されやすいのは、共和主義とその過激な形態としての共産主義の影響だと思う。

 次回に続く。