ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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西欧発の文明と人類の歴史13

2008-06-16 09:22:38 | 歴史
●近代世界システムの形成

 大航海時代において、西欧人は、ヨーロッパと南北アメリカ大陸、アフリカ大陸を結びつける構造を作り出した。世界システム論の提唱者ウォーラーステインは、この構造を「近代世界システム」と呼んでいる。この連載の第4回で簡単に紹介したが、ウォーラーステインによると、近代世界システムは、「長期の16世紀」(1450~1640年頃)に、大西洋を囲む地域に成立した。
 ウォーラーステインによると、この期間に西欧をラテン・アメリカやアフリカに結びつける分業体制が成立した。近代世界システムは、世界帝国と違って、中央に強力な政治権力が存在しない。経済的にのみ一元的で、政治的、文化的には多元的なシステムである。それゆえ、ウォーラーステインは、これを世界経済と呼ぶ。近代世界システムを統一する論理は、資本主義である。資本主義的な世界経済に立脚する世界システムとして形成されたものが、近代世界システムである。

 資本主義世界経済は、中核部をより豊かにし、周辺部をより貧しくしていく二極分解的な国際経済の構造として発展した。この構造を明らかにしたのが、フランク、アミンらの従属理論である。こうした見方では、基本的に世界システム論は従属理論と同じである。ウォーラーステインもまた近代世界システムを、中核部が周辺部から富を搾取するシステムとして描いている。ウォーラーステインは、この構造をさらに歴史的に研究し、近代世界システムは、西欧を中核とし、その他の地域を半周辺、周辺とする三層構造に編成することによって成立したとする。
 この三層構造における各層の基本的な関係を、ウォーラーステインは「生産過程」という概念でとらえる。近代世界システムにおける生産過程には、中核的生産過程と周辺的生産過程があるとする。資本主義世界経済の発達において、中核的生産過程は西欧の特定の諸国に集中した。逆に周辺的生産過程はラテン・アメリカ、アフリカの諸地域に集中した。こうした生産過程の偏在という意味で、ウォーラーステインは中核部、周辺部という簡略な言い方もしている。

●価値の移転が起こる仕組み

 ウォーラーステインは、中核的生産過程と周辺的生産過程の分業を、「垂直的分業」ととらえる。垂直的は水平的の反対語である。単に地理的に中核―周辺というのでなく、上が下を支配し下から収奪するという支配―服従の権力的な関係を含意したものだろう。
 ウォーラーステインは、著書「入門世界システム分析」(藤原書店)で、次のように分析する。「中核―周辺という概念が意味しているのは、生産過程における利潤率の度合いである。利潤率は独占の度合いに直接関係しているわけであるから、『中核的生産過程』という表現の本質的内容は、独占に準ずる状況に支配されているような生産過程ということであり、『周辺的生産過程』は真に競争的な生産過程ということである。交換が行われる際、競争的に生産される産品は弱い立場に置かれ、独占に準ずる状況で生産される産品は強い立場を占める。結果として、周辺的な産品の生産者から中核的な産品の生産者への絶え間ない剰余価値の移動が起こる」「中核的産品と周辺的産品の交換の最終的な帰結は、中核的生産過程が多数集積している諸国への剰余価値の流入となる」と。
 ウォーラーステインは、ここで剰余価値という用語を使っているが、この用語は「生産者によって獲得される実質利潤の総額という意味でしか用いていない」と断っている。

 アルギリ・エマニュエルは、周辺的産品が中核的産品と交換されるときに、剰余価値の移転を伴うとし、これを「不等価交換」と呼んだ。これについて、ウォーラーステインは、「不等価交換は、政治的に弱い地域から政治的に強い地域への資本蓄積の移転の唯一の形態ではない。たとえば収奪というかたちもあり、近代世界システムの初期の世界=経済に新しい地域が包摂される際には、広い範囲でしばしば行われた」と述べている。すなわち、「政治的に弱い地域から政治的に強い地域への資本蓄積の移転」には、収奪、不等価交換等の形態があるとしている。
 私見をのべると、不等価交換は、市場での交換における価値の移動の非対称性をいう。形式的には等価交換に見えるが、実質的には不等価交換になっているために、一方的に価値が移動していくわけである。これに比べ、収奪は、強制的に奪い取ることである。売買という経済的な行為ではなく、権力による政治的な行為である。多少の対価が支払われても、極度に非対象的な場合は、収奪という。例えばアメリカ大陸の征服者がインディオから銀を奪取したような事例である。ウォーラーステインが「政治的に弱い地域から政治的に強い地域へ資本蓄積の移転」と書いているのは、価値の移転は、経済原理論的なものだけではなく、政治学的な権力関係による場合があることを認識しているからだろう。
 上記のウォーラーステインの所論については、マルクスの労働価値説とそれに基づく剰余価値説の批判をし、そのうえで考察すべき点がある。同時に生産関係と権力関係、所有と支配についての考察も必要である。これらの考察に入ることは本稿の目的を逸脱するので、別の機会に改めて述べることにしたい。

 次回に続く。