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円高トラップに嵌まり込む日本  その4.円高の40年間、再考 (修正版です)

2011年11月03日 | 資産運用 
 昨日、同内容で記事を掲載したのですが、記事中に私の配慮不足で特定の名前を記してしまいました。その部分のみ訂正して再掲載いたします。



 円高の問題は、円が国際的に自由化された昔から、いつでも悲観的トーン一色で語られてきたようです。為替が変動するようになって、10年ごとの年初の円レートは71年1月358円、81年同202円、91年同135円、01年同115円、11年同82円、そして最近の75円へ。70年代は円高とオイルショックを経験してもそれを跳ね返し、80年代はさらなる円高と第2次オイルショックをふたたび跳ね返してバブルの絶頂へ。その間に85年のプラザ合意後は極端な円高を経験しています。95年9月の240円程度から1年後には150円に40%も高くなりました。それらを跳ね返す力のあった日本経済を、何故それほど悲観的に語るのでしょうか?

 この40年間を20年ずつ半分に分けて考えてみます。本来であれば円レートを考えるのにドルとの対比だけでなく、他の通貨との比較できる実効レートを使うべきなのでしょうが、長いスパンではさほど大きな差はないことと、ドル円がみなさんにとってもなじみがあると思いますので、ドル円でみてみます。

 前半の20年間の円レートの変化は
  135円 ÷ 358円 = 38% になった
 後半の20年間の円レートは
   83円 ÷ 135円 = 61% になった

円高のスピードは前半のほうが後半より倍も速かったことになります。ざっくりと計算しますと、前半のスピードは年率5%。後半は年率2.5%程度の上昇率になります。
前半は早い円高ペースにもめげずに日本経済は今の中国同様、破竹の勢いで伸びていました。実質GDPの伸び率は年率9%にもなっています。後半20年の円高ペースは半分に落ちました。そしてGDP上昇率はわずか年率0.6%と低い伸びです。

 円高が経済全体に与える影響度合いは、円高のペースとはどうもあまり並行していないようです。私が覚えている85年から86年にかけての超円高時代、企業経営者やマスコミのトーンは、この世の終わりが来たようなトーンでした。しかしこの世の終わりは来ないで、そのかわりに来たのが資産バブル経済でした。
 GDPは経済活動をフローで見ている指標ですが、資産バブルは経済をストックでみている概念ですので、その違いにはご注意ください。

閑話休題  むなしむかしシンクタンクでの出来事
81年から82年にかけて私は会社からあるシンクタンクに出向し、そこで予測研究員として経済予測をしていました。ある日予測にあたり私が主査であるエコノミスト氏に「来年度の円レートはどう予測しますか?」と聞くと、主査は「君ねー、円レートなんて毎年50円くらいの幅で上下に動くんだから、適当に円高にしとけばいいんだよ。モデルなんか使ったって意味ないよ」とのお返事。しごくごもっとも。モデルの推計が当たったためしはゴザイマセン(笑)
コメント (4)
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