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全英オープンから帰りました

2014年07月24日 | 旅行
ゴルフの全英オープンから帰りました(笑)

 私の旅行中、世界はマレーシア航空の撃墜やハマスの問題で激動しても、金融市場は実に平穏に過ぎていたようです。株にしろ為替にしろ大きな変動はなく、特に為替の静けさには不気味さを感じるほどです。特にアメリカは株が高いのに金利は低いまま推移しているため、ふたたび不可解な低金利だとの議論が出てくるかもしれません。そうしたことについては次回以降にコメントしたいと思います。まずは旅行の報告をさせていただきます。

 今回の旅行の目的は2つありました。

 一つはビートルズの聖地キャバン・クラブでのおやじバンドの応援、もう一つは全英オープン・コースでのプレーです。おやじバンドは私の学生時代からの友人を中心に男性4人プラス女性のキーボード・プレヤーが加わり5人編成のビートルズバンドです。

 リバプールは学生の街と言われるほど若い学生であふれかえり、とても活気がありました。すぐそばのマンチェスターとともに昔の工業地帯の製品積出港の風情はありま感じられませんでした。そしてやはりここは世界中から巡礼者が訪れるビートルズの聖地です。古い港の施設は世界遺産になっているのですが、その隣がなんと新しいビートルズ・ミュージアムになっているのが象徴的です。

 おやじバンドと一緒にまず訪ねたのは、キャバン・クラブではなくキャスバ・クラブでした。私も知らなかったのですが、ビートルズの誕生の地はリバプールの繁華街にあるキャバン・クラブではなく、郊外の住宅街にあるキャスバ・クラブだそうです。

 キャスバはビートルズにまだリンゴ・スターが加わる前にいたピート・ベストのお母さんモナ・ベストが作ったライブハウスで、大きな自宅の地下室を改造して作ったクラブです。グループはジョンとポールがいたクォーリーメンという名のバンド名で始まり、それがシルバー・ビートルズに、そしてビートルズと名が変わり、郊外のキャスバから繁華街のキャバン・クラブへと出世しました、という話をキャスバ・クラブで我々を案内してくれたピート・ベストの弟さんがしてくれました。このキャスバは普通は公開されていないため入ることはできないのですが、ツテを頼り特別に入ることができました。

 我がおやじバンドはまずキャスバ・クラブで演奏し、翌日には本チャンのキャバン・クラブ、そして最後はキャバンのラウンジの3回公演し、世界中から集まっている観客から喝さいを浴び大成功に終わりました。ビートルズ好きをビートルマニアと言います。ビートルマニアである4人の男性メンバーは60歳をこえてから50年来の夢をリバプールでかなえることができました。ビートルマニアもここに極まれりですね。私も彼らと一緒に大感激の時間を過ごすことができました。

 さて夜の部は毎晩のようにクラブ通いでしたが、昼間は昼間でゴルフのクラブ通いをしていました(笑)。前回も書きましたが、滞在中には郊外のロイヤル・リバプール・ゴルフ・クラブで男子プロの全英オープンが行われ、前の週には女子の全英オープンがすぐそばのロイヤル・バークデールで行われるという豪華なゴルフツアーのスケジュールが組まれていました。私の泊まったホテルでも、会場出入りのためのIDカードを付けたトーナメントやマスコミ関係者、そして世界中からの観戦者がたくさんいて、朝食の時には隣り合った人たちがゴルフ談議に花を咲かせる状態でした。

 私はイギリスのリンクス(海岸沿い)でのゴルフこそゴルフの原点だと思っています。リンクスでのゴルフは、他の場所でのゴルフとは全く違う世界を味わうことができるからです。なかでも現在オープンの開催されるコースはイギリス中に9つしかなく、まさしく名門の中の名門である証になっていて、そこでプレーできることはゴルファーの夢のまた夢なのです。今回のツアーでは2つのオープン・コースがいずれも全英オープンの開催と重なり、残念ながら一般人のプレーは全く不可能な状態でした。女子が終わった直後のバークデールは、トーナメント関係者とマスコミ関係者が完璧なコンディションのコースを味わう特権を駆使しますし、また同時にコースのメンバーがイギリス中、いや世界中の友人たちを招待してプレーを楽しむのです。

 その固い固いドアを何とかこじ開けようと数か月間お願いを続けたのですが、なんとそのお願いが出発寸前にかなうことになりました。次回はそのお話を続けさせてください。

コメント (4)
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