河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2733- シュトラウス、カプリッチョ、ファルカシュ、マーラー5番、パーヴォ・ヤルヴィ、N響、2019.9.20

2019-09-20 23:29:37 | コンサート

2019年9月20日(金) 7pm-9:20pm NHKホール

R.シュトラウス カプリッチョ から 月光の音楽、最後の場  4+17
  ソプラノ、ヴァレンティーナ・ファルカシュ

Int

マーラー 交響曲第5番嬰ハ短調  12-16-18-10-14

パーヴォ・ヤルヴィ 指揮 NHK交響楽団


パーヴォが渋谷の街中のデモの渋滞にあったとの事で約20分遅れのスタート。

プログラム後半のマーラーではいつもと異なりブラスセクションが横一線に並ぶ。これを見るだけでも壮観。第2楽章の締めで高らかになるファンファーレ。めくれるようなサウンドがブラスの列のように一つの線で鳴り切る。パーヴォのファンファーレは結構なスローテンポ、息が切れることなく輝かしい響きを味わい尽くす。それに、手前2列のウィンズのアンサンブルの凄さ、バランス、テンション、最高峰の木管の妙技が奏でられる。もはやここまでで既にマーラー満喫。
ベースしも手、ハープ一台かみ手に。弦は対向でチェロ左、ヴィオラ右。ロングな3楽章ではホルンセクションのプリンシパル福川がハープの斜め後方に移動し陣取ってソロを軽々と吹きまくる。3番木川が1番へ移動でこちらも頑張ってる。まあ、みなさん、出来栄え見栄え、スッキリ。
スキニーなオーケストラサウンドは線になり、線の際どさは些細な事でも崩れそうなのだがそういったところが一切なくて、右でも左でもない尾根、稜線。シャープなプレイは確信の歩みですな。
余りの素晴らしさにそういったところにばかりに耳がいってしまう。アダジェットではここぞとばかり弦が美しく奏でられる。パーヴォ棒はここらあたりから伸縮自在な揺れが目立つようになる。蛇腹のように動き始めたテンポの抑揚は終楽章に向けてのものでもあろう。ドライながらしっとり感も保ちつつ、パワーも発揮のアダジェット。人間の息の深さを感じるような演奏は、ただ、ここでは決して終わりではないという終楽章へ向けての序奏の様でもある。かなりエキサイティングに動いたアダジェットに続き、際どいソロの連結で終楽章へ突入。面白いように動く。音楽の表情がこれによって最大限生かされている。軽々とした線の美しさと自在な動きがガッチリと組みあって、線が広がりとなって一気に揮発、昇天、見事な消え具合で5番はこういうものだろうとなんだか全部納得してしまった。ブラボーパフォーマンス。
ところで、N響のベルアップって角度がみんなよく揃っていて、これも気持ちよい。ただベルアップすればいいというもんでもないなあと、こういったことも説得力ありますね。


前半のシュトラウス。カプリッチョにホルンセクションのアシ付き。後半のマーラーではアシ無しで、まあ、ここらあたりの対比も面白い。
インタールード月光の音楽から始まる。ソロの福川プリンシパルは見事だ。シュトラウスの陰陽がまるで心模様のように吹き尽される。光と影、なんて素晴らしいんだ。マウスピースから口が離れてからも音が鳴っている。不思議だ、このなんとも言えない妙技。絶品でしたね。

音楽はそのままファイナルシーンへ。
ファルカシュは舞台のイメージが完全に出来上がっているのだろう。どうしたらいいの?あたし困っちゃう。オペラの結末は?鏡の中のマドレーヌを見るように前方からオーケストラのほうを向いたファルカシュ、ため息の出るようなシュトラウスの音楽が不思議な世界を醸し出す中、聴衆に向きなおり、音楽は宙に浮く、見事なカプリッチョのエンディング。抑揚が音楽を生き物にしている。素晴らしいファルカシュ。伴奏のオケも申し分ない。感涙のシュトラウス。
おわり